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2016年8月18日 (木)

Notes:不思議な接着剤#94 ユダヤ人の発祥地

過去のノートでエッセネ派については考察を重ねてきた。重要な引用を確認しておきたい。

H・P・ブラヴァツキー(ボリス・デ・ジルコフ編、老松克博訳)『ベールをとったイシス 第1巻 科学 上』(竜王文庫、2010)にはエッセネ派についての詳しい記述がある。

エッセネ派ESSENESとは「癒やし手」を意味するAsaiに由来する。「プリニウスPlinyによればユダヤ人の一派で,彼らは死海の近くに何千年にもわたって暮らしていた」「たくさんの仏教的観念と修行があった」「初期教会で用いられた『兄弟[同胞]』なる呼称は,エッセネ派的なものだった。彼らは一つの友愛団体であり,かの初期改宗者たちに似たコイノビオンKoinobion,すなわち共同体だったのである」(ブラヴァツキー,ジルコフ編,老松訳、2010,ベールの前でXXXViii-XXXViX)

死海の近くに何千年にもわたって暮らしていたエッセネ派という記述が、わたしには信じられなかった。そんなに古くからだなんて、ありえるだろうか。

また、エッセネ派はユダヤ人の一派であって、グノーシス派、ピタゴラス派、ヘルメス学的集団、あるいは初期キリスト教徒であったとブラヴァツキーは述べている。

アリストテレスの時代には物質主義が優勢な思潮となって、霊性と信仰は頽廃した。秘儀そのものが甚だしく変質し、熟達者[アデプト]と秘儀参入者[イニシエート]は侵略者の武力で散り散りになり、その後継者と子孫は少数だったとブラヴァツキー(ジルコフ編,老松訳,2010,pp.18-19)はいう。

エジプトの「聖なる書記や秘儀祭司は,地上をさすらう者となった。彼らは聖なる秘儀の冒涜を恐れて,ヘルメス学的な宗団――後にエッセネ派Eseenesとして知られるようになる――のなかに隠れ家を探さざるをえず,その秘儀知識はかつてなかったほどに深く埋もれた。(ブラヴァツキー,ジルコフ編,老松訳,2010,p.19)

そして、イエスは、偽のメシア、古代の宗教の破壊者で、仏教の信奉者という不当な非難をバルデサネス派によって浴びせられた宗派の一つに属しており、そのうちのどれであったかの特定は不可能に近いが、イエスが釈迦牟尼仏の哲学を説いたことは自ずと明らかであるとブラヴァツキーは書く。

ここまではっきり断言するとなると、ブラヴァツキーがキリスト教から叩かれるのも当然だ。仏教の教えを説くイエス……。今でこそ、ブラヴァツキーのいったようなことがいわれ出したのだが。

しかし、もしこれが本当なら、正統キリスト教を主張したカタリ派が「西欧の仏教」といわれ、グノーシス福音文書中の白眉『マリアによる福音書』でマリアがイエスから教わったといって話し始めるその内容が驚くほど仏教的であったことの謎も解ける。

箱崎総一『カバラ ユダヤ神秘思想の系譜』青土社、1988)には次のように書かれている。

フィロンがアレクサンドリアで活躍していた頃、パレスチナ地方死海のほとりに禁欲的な瞑想的生活を続けている一群のユダヤ人たちがいた。〔略〕現代の研究者は彼らを“クムラン宗団”または“死海宗団”と命名している。
 『死海の書』に関する研究が進むにつれて新たに脚光を浴びてきた事実があった。死海宗団はユダヤ神秘思想とくにカバラ思想の原型とも見なすことのできる神的霊知に関するかなり発達した秘儀体系をもっていたことが判明した。〔略〕
 こうした秘儀宗団が共通して抱いていたユダヤ神秘思想の背景には、さらに古代ギリシャで発達した神秘思想との関連も認められる。とくにネオ・ピタゴラス学派からの影響が濃厚であるこの学派は、今日では数学者として知られているピタゴラスに端を発する神秘主義教団であった。
(箱崎,1988,pp.70-72)

#57のノートで、カバラの起源がエッセネびとに遡る可能性について書いたが、箱崎総一『カバラ  ユダヤ神秘思想の系譜  *改訂新版 』(青土社、1988)のp.180以降、盲人イサクの章を読むと、カバラと瞑想が密接な関係にあることがわかる。フィロンによると、エッセネびとは瞑想を実行していた。

盲人イサクのカバラ思想の手稿断片にはしばしば神秘的な光と色彩についての叙述が認められる。(箱崎,1988,p.185)

これはオーラに関する記述だ。

死海文書がエッセネ派によって書かれたものであるかどうかは議論の余地を残しているようだが、死海文書とエッセネ派を結びつける研究者は多い。

ナグ・ハマディ文書は1945年、死海文書の発見は1947年以降のことであり、ブラヴァツキーは1891年に亡くなっているから、彼女がこれらの情報に接することはなかった。

以下の引用は、ウィキペディアのナグ・ハマディ文書に関するものである。

写本の多くはグノーシス主義の教えに関するものであるが、グノーシス主義だけでなくヘルメス思想に分類される写本やプラトンの『国家』の抄訳も含まれている。(……)調査によって、ナグ・ハマディ写本に含まれるイエスの語録が1898年に発見されたオクシリンコス・パピルスの内容と共通することがわかっている。そして、このイエスの語録は初期キリスト教においてさかんに引用されたものと同じであるとみなされる。

ウィキペディアの執筆者. “ナグ・ハマディ写本”. ウィキペディア日本語版. 2016-02-23. https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%83%8A%E3%82%B0%E3%83%BB%E3%83%8F%E3%83%9E%E3%83%87%E3%82%A3%E5%86%99%E6%9C%AC&oldid=58723955, (参照 2016-02-29).

エッセネ派に関するブラヴァツキーの記述は、まるでウィキペディアに書かれたナグ・ハマディ文書の内容を述べたかのようである。

ここで、前述した疑問に戻る。

死海の近くに何千年にもわたって暮らしていたエッセネ派という記述が、わたしには信じられなかった。そんなに古くからだなんて、ありえるだろうか。

エッセネ派はユダヤ人の一派であるようだ。以下はウィキペディア「ユダヤの神話」からイスラエル民族の起源を述べた部分である。

イスラエル民族の起源
紀元前1207年の出来事を記したエジプトの石碑には「イスラエル人」についての言及が認められ、これがイスラエルという部族集団の実在を確認できる最古の文献である。


ウィキペディアの執筆者. “ユダヤの神話”. ウィキペディア日本語版. 2013-06-07. https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%83%A6%E3%83%80%E3%83%A4%E3%81%AE%E7%A5%9E%E8%A9%B1&oldid=48086736, (参照 2016-08-14).

紀元前1207年というと、モーセの活躍が紀元前13世紀ごろとされるから、そのころのことで、「何千年」という長大な時間がどこから出てくるのか、わたしには謎だった。

ところが、その根拠となりそうな記述を(ジェフ・クラーク訳)『エレナ・レーリッヒの手紙(抜粋訳)』(アグニ・ヨガ協会編、竜王文庫(コピー本)、2012校正版)の中に見つけた。

ブラヴァツキーの『シークレット・ドクトリン』にある記述ということだが、邦訳版が出ている部分にその記述があるのか、出ていない部分にあるのか、わたしはまだ確認できていない。レーリッヒ夫人の手紙には次のようにある。

『シークレット・ドクトリン』にはユダヤ人の発祥地はインドであると示される。タミール人の低級の部族はインドを去り、放浪しながら出会ったセム族と結婚して交じり合ったという。(クラーク訳,2012,p.23)

何だか、頭がクラクラしてしまった。ユダヤ人もジプシーもヒトラーに虐殺されたせいか、彼らのイメージが重なることがあったのだが、ジプシーもインドが発祥地とされてはいなかったか?

ウィキペディア「ジプシー」には、欧州における「ジプシー」の最大勢力であるロマは、北インド・パキスタンに起源に起源を持つインド・アーリア人系の移動型民族とあった。

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