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2016年8月29日 (月)

今東光が訳した神智学書籍、また彼の日教組批判活動

過去記事でも書いたように、萬子媛の小説関連で般若経典について調べ、『般若心経』を覚えるつもりで動画を検索したところ、瀬戸内寂聴の解説動画が出てきた。

瀬戸内寂聴が文学界に強大な影響力を及ぼしてきたであろうことは過去記事で考察済みである。解説には違和感があった。

その寂聴は1973年、今東光を師僧として得度している。

瀬戸内寂聴『奇縁まんだら』(日本経済出版社、2008)によると、今東光がガンで入院中だったため、得度式は代行者によるものだったらしい。出家するにあたり、次のような会話が今と寂聴の間で交わされたという。その場面を引用しておこう。

「頭はどうする?」
「剃ります」
「下半身はどうする?」
「断ちます」
 それだけであった。先生は、
「出家しても、あなたはあくまで小説家として、ペンは死ぬまで捨てるな」
 とおっしゃった。

今東光は神智学に関心を持っていたようで、翻訳もしているようだから(※C・W・リイドビーター『神秘的人間像』文曜書院、1940)、神智学の影響を受けた作家を調べているわたしとしてはきちんと調べなくてはと思いながらも、寂聴の師僧と思っただけで気が重かった。

名前くらいは知っていたが、著作を読んだことはなかった。

意外なことに夫が、年の功というべきか(わたしより7歳上)、話題になっていたころの今東光をテレビや広告などを通して知っていた。

「怪僧といっていいくらいの人物? それとも、単なる生臭坊主なの?」というと、夫は「今東光はやんちゃなんだと思うよ。寂聴とは全く違うと思う。今東光に興味があったわけではほとんどないけれど」といい、今東光には悪い印象を持っていない風だった。

ウィキペディアを閲覧すると、本人より父親のほうが神智学との縁は深かったようである。その部分を引用する。

父武平(明治元 9/4 生)は船長職の最古参で、国内五港定期航路 品川丸を経て、海外航路 香取丸のキャプテンを務める。来日時のラビンドラナート・タゴールと知遇になったり、第一次世界大戦時に船がドイツの無差別攻撃で巡洋艦エムデンに追われたが、智略によってこれを回避したりした。また、南インド・マドラスに寄港、船の修理で船渠(ドック)入りした折、アディアールで神秘思想に触れ「神智学協会 the Theosophical Society  註:霊智学会とも呼称」会員となる。以後「胡桃船長」の異名をとるほどに菜食主義に徹した有数の神智学者としても知られた。アニー・ベサント、ジッドゥ・クリシュナムルティと親交を深め、東京市本郷区西片町に「神智学協会東京ロッヂ 1920」を開設、鈴木大拙夫人で神智学者だったベアトリス・レインとも交流した。

ウィキペディアの執筆者. “今東光”. ウィキペディア日本語版. 2016-07-24. https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E4%BB%8A%E6%9D%B1%E5%85%89&oldid=60537532, (参照 2016-08-29).

検索していると、今東光が身の上相談に回答したものを引用した記事が沢山出てきた。愛情と奥深さとを包み隠したような毒舌回答に興味を惹かれたので、さらに検索を続けていると、意外な話が出てきた。

日教組(教職員の労働組合)の大会に招かれて挨拶に立った今東光が「テメエラのようなヤロウがいるから日本の教育がダメになるンだ!」と演説したという話であった。以下のブログ記事を閲覧させていただいた。

  • 東光和尚の毒舌:ZakkayaHP
    http://www.zakkayanews.com/zw/zw188.htm

前掲の寂聴の著作では、今東光の政治活動については「政治家としては自民党の参議院議員として存在感を示されたが、御本人はあくまで小説家としての御自分に愛着を持っていられた」と書かれている程度で、具体的にどのような活動であったかはわからなかった。

政治活動の一環と考えられる、やはり日教組関係の二つのブログの記事が出てきた。その部分を引用させていただく。

  • 教育は100年の計」 :笹川陽平ブログ
    http://blog.canpan.info/sasakawa/archive/3148
    教育が荒廃した現場に心を痛めた笹川良一と今東光先生は、総評の激しい反対運動の中、全国各地で厳しい日教組批判と教育の正常化を訴え獅子吼(ししく)した。
  • 「笹川良一の遺したもの」・・・笹川陽平②:日本よい国、きよい国。 世界に一つの神の国。
    http://blogs.yahoo.co.jp/meiniacc/44688527.html
    日教組華やかなりし頃、今では私のところにも訪ねて来る槙枝委員長ですが、当時は笹川良一と厳しく意見が対立していました。「親孝行をしろ、交通ルールを守れなどとテレビで余計なことを言うな」と槙枝さんは言いましたが、父は作家の今東光さんと2人で「教育の弊害、これ100年祟る」と言いながら演説して回り、日教組の批判活動をしていました。その時の、あの赤旗のはためきと先生方の嵐のような反対運動は忘れられません。

夫がいうように、今東光はただの生臭坊主ではなさそうである。

寂聴とは違う。

ウィキペディアにこうした記述はない。

今東光は、戦後日本の分かれ目となるような重要な政治活動を行っていた。彼にはそれを見抜くだけの経験と感性と知性があり、行動を起こすだけの気骨があったのだ。

残念ながらその活動は失敗し、反日勢力は蔓延り、生徒が加害者にも被害者にもなる悲惨な事件が毎日のように起きる陰鬱な日本となってしまった。

余命プロジェクトチーム『余命三年時事日記ハンドブック』(青林堂、2016)、関野通夫『日本人を狂わせた洗脳工作 いまなお続く占領軍の心理作戦』(自由社、2015) 、江藤淳『閉された言語空間―占領軍の検閲と戦後日本(文春文庫)』(文藝春秋、1994)を参照していただきたい。

三浦関造は明治16年(1883)、今東光は明治31年(1898)の生まれである。

三浦関造にしても、今東光にしても、神智学に関心を持った明治生まれの日本人には洗練された知性と愛国心、そして勇気があったようである。神智学徒でありながら、そのことをろくに知らなかった自分を恥ずかしく思う。

今東光については、今後も創作の合間に調べていきたい。

拙「マダムNの神秘主義的エッセー」における関連記事:

61 大戦前後の日本が透けて見えてくる、岩間浩編著『綜合ヨガ創始者 三浦関造の生涯』
http://mysterious-essays.hatenablog.jp/entry/2016/08/10/180413

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