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2016年7月29日 (金)

憑依と、成仏した義祖父の後日談(お酒好きな人々への野暮な警告)

前の記事で、神秘主義的に見た場合の麻薬の害について書いた。

ウィリアム・ジェームズが薬物や病気による幻覚経験も神秘主義的経験も一緒くたにしてしまったため、神秘主義者のいうこと に権威がなくなり、信頼されなくなってしまったが、神秘主義的観点から見ると、麻薬のような薬物や不適切な行法はオーラの保護の網を破り、低級霊の侵入 (憑依)を容易にするという点で極めて危険である。
下手をすれば凶悪な低級霊の操り人形となってしまうだけではなく、死後にまで深刻な影響を及ぼす。

改めて、竜王文庫から出ているへレナ・レーリッヒによるアグニ・ヨガのコピー本を読んでみた。

このところ薄々そうではないかと考えていたことが、ズバリ書かれている箇所に出合った。

現代は、憑依された人の数は空前のものである。(アグニ・ヨガ協会編(田中恵美子訳)『アグニ・ヨガ叢書 第8輯 ハート』竜王文庫(コピー本)、2005、p.40)

そうではないかと思っていた。過去記事で義祖父が成仏するまでの簡単なレポートを公開したとき(ライン以下の続きに転載しておく)、わたしの疑問はこの物質界に浮かばれない霊(低級霊)とその霊に憑依された人々は数量的にどの程度存在しているのだろう、といった点であった。

酒好きだったという義祖父がアルコール中毒だったという話は聞かない。孫を可愛がる、ちょっと遊び好きな普通の老人として通っていたようだ。それなのに、孫に憑依する低級霊となってしまったのだ。

麻薬に代表されるような依存性のある様々な薬物、アルコール、煙草を好む人間がどんなに多いかを思えば、成仏できずに――正しくは成仏せずに、というべきだろう――地上に留まっている低級霊がどれほど多いかの推測はできるというものだ。

ヘレナ・レーリッヒが「空前のものである」というのだから間違いない。しかも、レーリッヒのいう「現代」は今からいえば昔である。

岩間浩『ユネスコ創設の源流を訪ねて―新教育連盟と神智学協会』(学苑社、2008)によると、1935年4月15日にルーズベルト大統領の官邸において、科学及び芸術機関、並びに歴史モニュメントを保護する条約が、汎アメリカ諸国デーを彩る最も重大な行事となった。この条約は非公式にはレーリヒ条約と呼ばれる。

条約を提唱したニコライ・レーリヒ*1の夫人がヘレナで、彼女のいう「現代」とはその頃のことなのだ。

*1 Николай Константинович Рёрих, 1874 - 1947 ※ニコライ・コンスタンチノヴィチ・リョーリフ。ドイツ語でニコライ・レーリヒN. Roerich,英語でニコラスNicholas.

レーリヒ条約のその後をニコラス・レーリッヒ(日本アグニ ヨガ協会訳)『アジアの心』(竜王文庫、1981)から引用すると、「1955年、ハーグ会議の最終決定に調印した39の加盟国は、レーリッヒ条約に基づいた武装戦争期間中の文化財産保護条約を批准した」(第二部ニコラス・レーリッヒ略伝p.205)。ウィキペディアによると、2007年9月時点で条約の締約国は117か国であるが、主要国ではアメリカ合衆国やイギリスが未批准。

モリヤ大師はブラヴァツキーを指導したことで知られているが、レーリッヒ夫妻もモリヤ大師の指導下で、調和し、協力し合って多方面の活動を行った。

わたしは神秘主義的なことに関してわからないことが生じると、ブラヴァツキーかヘレナ・レーリッヒの本を開く。すると、必ず、参考になる文章に出合うことができるのだ。

話が逸れたが、享楽が何より貴ばれるわたしたちの現代では憑依された人の数はさらに増え、増加の一途をたどっていると考えるべきかもしれない。

ヘレナ・レーリッヒの言葉から推測できることは他にもある。憑依された人が死後に憑依する側になる可能性である。被害者が加害者になる懸念は大いにある。

おそらく、義祖父のような例は採り上げるのも陳腐なくらい、ありふれたことに違いない。

だから、霊媒は四六時中、憑依霊を目撃するのだろう。もっとも、霊媒が見る「憑依霊」の中には、肉体の死後しばらくは生き残るという神智学用語でカーマ・ルーパと呼ばれる殻(お化け)にすぎないことも多いのだろうが、そのあたりのことは専門的すぎてわたしにはよくわからない。

わたしが義祖父を幽霊として見たことは一度もなかった。伝わってきた想念によって、その想念の持主が義祖父ではないかと考え、長年の観察及びその想念――の持主――との見えない格闘を経て確信へと変わっていったのだった。

憑依霊として存在していたときの義祖父の想念について、もう少し詳しく述べておきたい。

ある思いが音声なき音声を伴う明快な言葉となって――としか表現しようがない――瞬時に伝わってくることがわたしにはある。しかし、義祖父の思いをそのような言葉として受け取ったことはなかった。義祖父の思いが言語化されたことはただの一度もなかったのだ。

義祖父の想念は濃密で不浄な湿った昏い靄のようなものとして感じられ、その独特の墓場のようなムードがわたしにはたまらなかった。

そのムードの持主を幽霊のような客観的な姿として見たことはなかったが、わたしの内的な鏡に、夫に寄り添う老人の姿がぼんやり映った気のすることはあった。

昏い水甕に映る曖昧な像のようなもので、錯覚かと思われる程度の瞬間的なものなのだが、どこか鮮明なところもあるのだ。その像はその時々の表情を持っていた。大抵は不機嫌そうで、稀には穏やかに意外そうにこちらを窺うような表情を浮かべていることもあった。

愛する孫を自らの独房としていた、死んだ老人との長い付き合いだった。

義祖父の成仏を確信してからは、あの墓場のような陰鬱そのもののムードを感じたことは一度もない。

わたしの神経を刺激して家庭不和のもととなっていた、信じられないほどピリピリしたり弛緩したりといった安定感のなかった夫の精神状態――いわゆる内づらの悪さとして表れ、外では愛想のよい人で通っていた――には著しい改善が見られ、安定感のある、すこやかなものとなった。

きらめくように陽気でそよ風のように軽やか、人好きのする夫らしい側面に触れられる機会は格段に増え、そんな彼には我が夫ながら惚れ惚れとするような人間的な魅力がある。

勿論、普通に苛立つことは夫にもわたしにもあるので、夫婦喧嘩をしなくなったわけではないけれど。

夫の禁煙は、何回かの失敗を経て継続しているといったところ。食事とおやつの時間を楽しみにしているかどうかで、禁煙が順調かどうかがわかる。お酒はしばらくやめていただけで今も嗜んでいるが、定年退職後の再就職で夜型の生活となったこともあって、3日に1回の飲酒となり、以前より飲む回数も量も減っ た。

成仏した義祖父には高級霊のような手段で地上のわたしに連絡をとることはできないだろうから、想像できるのみだが、おそらくあちらの世界で楽しくやっているに違いない。少なくとも、この物質界で浮かばれない霊として不自由に過ごし、夫を通してお酒を味わうのが唯一の楽しみだった頃に比べたら……。

(ジェフ・クラーク訳)『エレナ・レーリッヒの手紙(抜粋訳)』(アグニ・ヨガ協会編、竜王文庫(コピー本)、2012校正版)の手紙六(上巻の二部)に曾祖父に憑依された女性の話を見つけたので、引用しておきたい。

早速、憑依についてのご質問にお答えしましょう。ご質問は少しもおかしくないと思います。憑依は種類が無数であり、いろいろな度合もあります。そして憑依する存在の性質もさまざまです。
例えば、私達が知っていた敬虔な老婦人は、主教であった曾祖父によって憑依されました。その老婦人には「悪」といえるところが全くありませんでした。彼女は慈善を行い、曾祖父の説教を繰り返して言っただけです。曾祖父は、言いたいことすべてを言い尽くさずに死んだようです。でも、そのような憑依も非常に悲しいのです。憑依者はだんだん相手の意識をとりこにし、その意志を自分の意のままにします。そのような被害者の一生は、本当の成就も蓄積もなく過ぎてしまいます。
(クラーク訳,2012,p.44)

過去記事で紹介したエルザ・バーカー(宮内もと子訳)『死者Xから来た手紙―友よ、死を恐れるな』(同朋社、1996)に、ハッチ判事が死後の世界で観察した飲んだくれでいっぱいの地獄をレポートした手紙がある。

この第三十五の手紙に、夫に憑依した義祖父を連想させる描写がある。お酒好きな人々への警告として――野暮な警告かもしれないけれど――引用しておこう。あなたの酒量が上がるとき、あなたはあなたに絡みついた低級霊のために飲んでいるのかもしれない。

ひとくちに地獄といってもいろいろあり、そのほとんどはわれわれ自身が作り出しているということを理解してほしい。地獄は自らが作るものだという決まり文句は、事実に基づいているのだ。(……)飲んだくれでいっぱいの地獄は簡単に見つかった。彼らがそこでなにをしていたと思う? おのれの罪を悔いていた? とんでもない。彼らは、酒の匂いや、酒浸りの人間が発するもっときつい匂いがたちこめる地上の場所の周囲をさまよっていた。匂いで胸がむかつくような場所だ。感覚の鋭い人間が酒場に近づきたがらないのもむりはない。(……)わたしは地上とこちらの世界の両方が見えるように、感応力をとぎすませて中立的な立場に身を置いた。(……)
若者はカウンターに寄りかかり、魂を破滅させる怪しげな液体の入ったグラスをあおっていた。そのそばで、若者より上背のある体をかがめ、ウイスキー臭い息をかごうとするように、冷酷で傲慢そうな青白い顔を彼の顔に寄せていたのは、わたしがこちらに来て以来初めて見るようなおぞましい霊だった。その生き物(こう言えばその力強さがわかってもらえるだろうか)は、長いむきだしの片腕を若者の肩にかけ、もう一方を腰に回して、彼の体を抱きすくめていた。その霊[エンティティ]は、いけにえとなった若者の酒浸りの生命を文字通り吸い取って、彼を吸収し、利用し、死が強めた情熱を彼に代わって味わいつくしていた。
(バーカー,宮内訳,1996,pp.147-148)

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2016年4月27日 (水)
アルコールの害について(成仏した義祖父の話)
http://elder.tea-nifty.com/blog/2016/04/post-ff1f.html

わたしはアルコールや煙草が死後どのような影響を及ぼすかについて義祖父(夫の父方の祖父)を通して貴重な考察を行ったので、それについて書きたいと思う。わたしの個人的な考察にすぎないため、誤りが含まれている可能性があることをお断わりしておきたい。

ヘレナ・レーレッヒの著作にアルコールと阿片に関する記述があり、これらは死後にまで――死後にこそというべきか――恐ろしい影響力を発揮するようである。

ヘレナ・レーレッヒによれば、酒飲みは死後、精妙界と呼ばれる霊の世界と物質界の中間にある世界*1でアルコールの欠乏に苦しむ。

*1 ヘレナ・レーリッヒは霊の世界を火の世界と呼び、火の世界と物質界の中間にある魂の世界を精妙界と呼ぶ。

それだけではない。火の世界と呼ばれる霊の世界へ渡ろうとするとき、精妙体はもう役に立たぬ殻としてパッと燃え上がり、本人に解放感をもたらすそうだが、酒飲みにはトラブルがあるようである。

酒飲みが不自然に呼び起こした火(サイキック・エネルギー)は彼を強化する代わりに、分解すべき時を前にして彼の組織を焼きつくすというのである。*2

*2 ヘレナ・レーリッヒ(田中 恵美子訳)『アグニ・ヨガの教え』アグニ・ヨガ協会編、竜王文庫(コピー本)、1996、p.58

それで結果的に酒飲みがどうなるのか、わたしにはわからないが、酒飲みは物質界から霊の世界への移行が円滑にはいかないということだけはいえるのではないだろうか。

霊の世界への移行に際して酒飲みに起きるらしいヘレナ・レーリッヒのいう決定的なトラブルは、どの程度の酒飲みに、どの割合で起きることなのだろうか。

別の方面から考えてみても、酒飲みが問題を抱えているとの想像はつく。

神秘主義者であれば、眠りが小さな死であることを熟知している。アルコールや煙草、ある種の薬物――麻薬はいうに及ばず、眠剤などもそうではないだろうか――が本物の眠りを奪うことを考えてみた。

大酒飲みの睡眠は本当の睡眠ではなく、「前後不覚の無感覚状態」であるとブラヴァツキーはいっている。*3

*3 H・P・ブラヴァツキー(田中恵美子&ジェフ・クラーク訳)『実践的オカルティズム』(神智学協会ニッポン・ロッジ 竜王文庫内、1995、p.225

本物の眠りを奪われ続けた人間は、つまりあの世を奪われるとはいえないだろうか? 自然に眠ることのできる人間は死後、自然にあの世で目覚めることができるだろう。

しかし、「前後不覚の無感覚状態」を重ねるばかりになった人間はこの世で本物の眠りが得られないために、あの世で目覚めることができない。目覚めるためには、眠らなければならないのだ。

また、酒飲みはあの世で新生活を始めるのに適した精妙な感覚を発達させるどころか退化させてしまい、その結果として、あの世への適性を欠いた――あの世の存在を感じることのできない――亡者となってしまうことも考えられる。

まさに義祖父がそうだった。

あの世とこの世の中間域に身を置いていたであろう義祖父には、この世しか存在していないようだった。夫が中学生のころに亡くなったはずの彼は臨終を告げられ葬られてから本当の意味で死ぬのに、何と50年もかかった!

世の中には酒飲み、ヘビースモーカー、薬物中毒者が大勢いることを考えると、義祖父のような例は珍しいというわけではないに違いない。

酒好きだったという義祖父がアルコール中毒だったという話は聞かない。孫を可愛がる、ちょっと遊び好きな普通の老人として通っていた。それなのに、亡者となってしまったのだ。

死んだはずなのに死んでいない亡者は、当然ながら愉快な存在ではない。生きていたときから性格異常者であった亡者もいるだろうが、この世に生きているときには好ましい人間が宙ぶらりんの世界で不自然な時間を重ねるうちに人格が荒廃してしまうことはありえよう。

幸い、これまでにわたしが関係を持たざるをえなかった亡者は義祖父だけだし(初七日までに挨拶に来た死者たちとははっきり区別できる)、二度と亡者と関わるのは御免である。
亡者を成仏させることが、わたしには修行の一つだったのだと思っている。

そういえば、初七日までに自らの意志で挨拶に来た3人の死者たちも、生前のある時期まで揃いも揃ってとてもお酒が好きな人たちであった。

そのうちの1人は亡くなる数年前に断酒し、残る2人も癌で病院に入っていたお陰で断酒の期間があった。

そしてこれは大事なことだと思うが、1人は神秘主義の研究者であり、残る2人も自らの宗教――1人はキリスト者で、もう1人は浄土真宗の信者であった――を通して生前からあの世のことにまで洞察力を働かせていたということである。

もっとも彼らが無事に成仏した先のあの世で、アルコールの欠乏に苦しむ期間があったかどうかは知らない。

神秘主義者たちの報告からわたしが想像するに、あの世におけるこの世に近い層には食べ物に似たものはある。そっくりなものをあの世の精妙な素材から生成できるのではないかと思う。

ところがアルコール、煙草、麻薬の類はこの世、すなわち物質界にしか存在できない有害物質で、あの世では存在できず、それに類したものを生成することもできないに違いない(ノンアルコールのアルコールを模した飲料がこの世にはあるが、それに似たものなら生成可能だろう)。

だから強くそれら有害物質を欲すれば、死んでもなおこの世に執着し、この世との接点を保つしかないのだろう。アルコール、煙草、有害な薬物を好む人間が減り、この世とあの世の中間域で愚かしい、空しい、無駄な時間を過ごす死者が少なくなることを願わずにはいられない。

亡者たちは生きている者に憑依してアルコールや煙草を摂取し、そうすることで自分たちの仲間を増やしてしまうのだ。亡者にとっても中間域での暮らしなどちっとも楽しくないために、墓場の陰鬱なムードを拡散しながら。

義祖父は夫に憑依していたので、アルコールとニコチンを多く摂取して眠り目覚めたときの夫は夫というより義祖父であり(夫が二重人格に思えたのも道理である)、彼の発散する墓場のようなムードがわたしにはおぞましかった。

結婚後間もなく義祖父が亡者として存在するのに気づいたが、長年どうしていいのかわからず、徒に悪霊扱いしていた(事実、悪霊的な存在に陥っていたのだとは思うが、過度にそう捉えていた)。

自分の誤解に気づき、義祖父を正しく捉え直して対策を練った。夫に協力して貰う必要があったが、世俗的権威とは無縁の一神秘主義者の忠告を聞いてくれる人など、めったにいない。

ところが不幸中の幸いというべきか、夫の不倫問題が浮上し(相手がストーカーであることが後にわかり、警察に相談する事態にまで発展した)、夫はその罪を償うためにアルコールと煙草を控える約束を自ら行ったのである。

加えて、義祖父に対するわたしの渾身の説得――心の中で語りかければ通じる――が功を奏したのか、晴れて義祖父は成仏した。

成仏の様子は夢として見たにすぎなかったのだが、目覚めてからの爽快感はたとえようもなく、いわゆる霊夢といってよいものだったと思う。

義祖父はミイラと見紛うくらい長い間あの世では植物人間状態だったために、あの世の住人は誰も義祖父を相手にしなくなっていたようだ。

義祖父の目覚めにあの世の住人たちは驚き、ささやかな祝宴を開いていたようである――そのような夢を見た。

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