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2016年6月22日 (水)

神智学をさりげなく受容した知識人たち――カロッサ、ハッチ判事 ①ハンス・カロッサ

祐徳博物館で見学した萬子媛の御遺物ノートを続ける予定のところを、前々から記事にしておこうと思い、側の丸椅子に積み重ねた本の中にその資料となる2冊の本を加えておきながら、放置したままだった。それを今、やっておこう。

資料となる2冊の本というのは、カロッサ(国松孝二訳)『指導と信徒(岩波文庫)』(岩波書店、2012)及びエルザ・パーカー(宮内もと子)『死者Xから来た手紙――友よ、死を恐れるな』(同朋社、1996)である。

拙ブログ「マダムNの神秘主義的エッセー」収録のエッセー 51、55 で紹介した動画や論文を通して、神智学協会の文化運動が欧米に広がっていたばかりか、インドとの深い関わり、日本への影響、エッセー 15 に見られるようなチリの国民的詩人ガブリエラ・ミストラルの例から推測可能なラテンアメリカへの影響など考えると、その運動が世界的規模のものだったことは間違いのないところだろう。

前掲2冊の本は、神智学協会のメンバーになるところまではいかなくとも(ヒトラー政権下や共産圏では神智学協会のメンバーは弾圧の対象となったことを考慮しておく必要がある)、神智学をさりげなく受容していた知識人がいたことを教えてくれる。

指導と信従 (岩波文庫)
カロッサ (著),    国松 孝二 (翻訳)
出版社: 岩波書店 (2012/9/15)
ISBN-10: 4003243668
ISBN-13: 978-4003243664

カロッサ『指導と信徒』には、神智学と人知学が出てくる箇所がある。区別して訳されているから、人知学とはシュタイナーのアントロポゾフィー(人智学)のことだろう。

『指導と信徒』は1933年に出ている。シュタイナーは1925年に64歳で亡くなっている。カロッサは1878年に生まれ、1956年9月12日に亡くなっているから、シュタイナーが亡くなったとき、カロッサは47歳。

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Hans crossa
From Wikimedia Commons, the free media repository

カロッサが神智学やシュタイナーの論文を読んだことがあっただけなのか、神智学協会ドイツ支部あるいはアントロポゾフィー協会と関わりを持ったのかどうかは、『指導と信徒』の中の短い記述からはわからない。

ただ、その記述からすると、仮にそうした場所へ足を運んだことがあったにせよ、それほど深い関わりを持ったようには思えない。だからこそ、当時のドイツにおける知識人たちに神智学やアントロポゾフィーの論文がどんな読まれ方をしてどんな印象を与え、どんな影響力を及ぼしたのかが探れそうな気がする。

また、リルケを医者として診察したときの描写や交際、リルケに潜む東方的な影響――ヨガの精神――について書かれた箇所は印象的である。リルケについてリサーチする必要を覚えているが、まずは『指導と信徒』から神智学、人知学が出てくる箇所を抜き書きしておこう。

シュタイナーは第一次世界大戦、カロッサは第一次大戦とナチス下の第二次大戦を経験し、生死の問題が重くのしかかったであろう過酷な時代を生きた。

ウィキペディア「ルドルフ・シュタイナー」によると、ルドルフ・シュタイナー(Rudolf Steiner, 1861年2月27日 - 1925年3月30日(満64歳没))は、バルカン半島のクラリェヴェクで生まれ、オーストリアやドイツで活動した神秘思想家、哲学者、教育者。

シュタイナーは1902年に41歳で神智学協会の会員となり、同年に設立された神智学協会ドイツ支部の事務総長に就任した。1912年、51歳のときに神智学協会を脱退し、同年ケルンでアントロポゾフィー協会(人智学協会)を設立する。

シュタイナーの死後、ナチス・ドイツ時代には、アントロポゾフィーはさまざまな規制を加えられた。

ウィキペディア「ハンス・カロッサ」によると、ハンス・カロッサ(Hans Carossa,(1878年12月15日 - 1956年9月12日))はドイツの開業医、小説家、詩人。謙虚でカトリック的な作風であった。

カロッサはわたしが学校に通っていたころはよく読まれていたように思う。ドイツの最良なもの、良心とか良識を象徴するような作家という捉え方がなされていたのではなかったか。

『指導と信徒』巻末の訳者解説にも、「ハンス・カロッサ(手塚富雄)」にも、神智学、アントロポゾフィーへの言及はない。ウィキペディアでも同様である。

カロッサは「手術をして助かる時期も過ぎてしまった」患者を親身になって往診していた。その患者との会話が回想される場面で神智学はさりげなく出てくる。長くなるが、引用しておきたい(神智学を赤字にさせていただいた)。

わたしの友人が一番聞きたがったのは、火山の話、とりわけヘルクラーネウムとポンペイの埋没の話、それから彗星、光年、猛獣、毒蛇の話、さらに死後における霊魂の不滅の話であった。最後の問題には、彼は非常な関心を寄せ、自分がこのまま消滅してしまうことにはどうしても承服できず、永遠に生きつづけて両親や兄弟たちとふたたびめぐりあう権利が自分にはあると、躍起になっていい張った。話しあっていても、しばしば話をこの点に持ってくるくらいで、教会の確約していることを医者の口から保証してもらおうと、彼がどんなに熱望しているかが、私にはじつによく読みとれた。私はどこかで読んだことのある、ある論文のことを思い起こした。その論文をすっかり理解できていたわけではなかったけれども、若干の個所が、この孤独な懐疑家を少しばかり勇気づけてやるのに適切なように思われたので、私は彼にこんなふうに説明してやった。空疎な唯物論は、さいわいにして、ようやく没落し、今では神智学という立派な信頼すべき学問が存在している。そしてその学問のおかげで、私たちが現世の肉体のほかにもう一つの肉体、エーテルの肉体を持っていることが、決定的に証明された。この肉体は宇宙のあらゆる永遠の生命力とつながっていて不滅であり、幾度も浄化され、いくつも星をへめぐったのちにおいて、ふたたび自分の血縁者たちと出会うだろう。こういう牽強付会の説明が、病気の彼にどんな効果をおよぼしたか、そこのところははっきりしなかったが、ともかく、前より気持ちが落ち着いたようだった。 (カロッサ,国松訳,2012,pp.39-40)

アントロポゾフィーは、リルケとの会話が回想される場面で、これもさりげなく出てくる(人知学を緑字にさせていただいた)。

若いころのリルケは、非常にらくらくと詩が作れたそうで、かつて彼は、『時禱詩集』の詩風だったから、なお長いことつづけていくことができただろう、といったことがある。しかし年とともに、自分自身の芸術に対する要求が高くなって、より深く掘り下げ、より深く見ようと考えるにいたった。一本の樹木、一匹の動物、一基の彫像、一人の人間、ないしは語り伝えられた歴史上の一人物を、幾度も幾度も執拗に見つめ、ついにはその対象の本然の姿が、突如として自分の心中に浮かびあがってくるまで見つづけることを、ロダンから学んだと彼はいっている。こうしたやり方は、私にとってぜんぜん未知なものだったわけではなく、以前目にした人知学の小論文でも同じようなことが述べられていた。  (カロッサ,国松訳,2012,p.119)

これらには誹謗中傷の嫌な雰囲気は微塵もない。カロッサが神智学及びアントロポゾフィーの論文に対して、真摯に知的に接していた様子が窺える。そのあとのくだりで、さらにカロッサは注目すべきことを書いている。

何か異質な東洋的なものが、私たちドイツの夢想家の世界に入りこんできているように思われた」と述べ、「意志の力によって、己れの光線を魂の集光レンズにかけて一点に集約し、ついにその一点が響きを立てて燃焼するようにする、ヨガの精神」に言及し、次のように続けている。

「物を見るということはすばらしいが――物であるということは恐ろしい。」――仏陀のこのぞっとするような言葉も、むろんもうヨーロッパのうちに鳴りひびいていたのだが、私にはまだその意味が完全にはわかっていなかった。もっとも、老ゲーテを読むたびに、ゲーテはとうにそれを知っていたのではなかろうか、ただ彼は悠揚たる流れの鏡のごとき水面の静けさをまもり、あえて無理な努力をしなかったのだろうと、そんな気がした。 (カロッサ,国松訳,2012,p.120)

まだその当時は完全にはわかっていなかったということは、これが書かれている時点ではカロッサは完全にその意味がわかっていたということだろうか?

さりげない書き方がなされている以上に大きな東洋的な影響力がカロッサに、そしてヨーロッパに及んでいた様子が記述からは窺える。そしてまた、その東洋的な影響力をもたらしたのは神智学及びアントロポゾフィーであった可能性が高い。

一方、リルケはそのときにはもう東洋的な影響力の受容を済ませて作品に生かしていたことらしいことがカロッサの記述からはわかる。リルケが受容した東洋的な影響力はロダン経由であるようだ。

ウィキペディア「オーギュスト・ロダン」を閲覧しても、ロダンがどこから東洋的な影響を受けたのかはわからないが、白樺派の人々はロダンと接触を持ったようだ。

「ロダンは生前に白樺派の人々と文通を行っていた。ロダンにデッサンを送ってもらえる機会を得た白樺派の人々は、フランス語の出来る有島生馬が手紙を書き、白樺派の人々が持っている浮世絵と、志賀直哉と武者小路実篤がお金を出し合って買った浮世絵を送った」という。

以下は、『知恵蔵2015』(朝日新聞社)の解説より「白樺派」。

雑誌「白樺」に依拠して、キリスト教、トルストイ主義、メーテルランク、ホイットマン、ブレイクなどの影響を受けつつ、人道主義、理想主義、自我・生命の肯定などを旗印に掲げた文学者、芸術家たち。1910年に創刊され、23年、関東大震災で幕を閉じた「白樺」は、足かけ14年、全160冊というその刊行期間の長さ、同人の変動の少なさ、影響力の大きさなどからして、近代日本最大の文芸同人誌と言える。「白樺」には同時に、ロダン、セザンヌ、ゴッホ、マチスなどを紹介した美術雑誌としての側面もある。その意味で「白樺」は、文学と美術がジャンルを超えて響き合う、総合芸術雑誌でもあった。(……)総じて「白樺」の自我中心主義や普遍主義やコスモポリタニズムは、あるべき前提と社会意識とを欠いた、良くも悪くも楽天的なものであった。(……)(井上健 東京大学大学院総合文化研究科教授 / 2007年)

以下の過去記事で書いたように、メーテルランク(モーリス・メーテルリンク)は神智学の影響を受けた作家である。Maurice Maeterlinck,http://www.theosophy.wiki/w-en/index.php?title=Maurice_Maeterlinck&oldid=26749(2016/6/22アクセス)

「白樺」の自我中心主義や普遍主義やコスモポリタニズム――と解説にあるが、こうした特徴からはメーテルリンクなどを媒介した神智学の影響を考えずにいられない。

イタリア神智学協会のオフィシャルサイトによると、ポール・ゴーギャン、ピエト・モンドリアン、ワシリー・カンディンスキー、パウル・クレーは神智学の影響を受けた画家たちであるが、カロッサのようにさりげなく神智学を受容していた芸術家もいたに違いない。

話を戻すと、もっと前の時代に既にゲーテは東洋的な影響力を受けながらも、リルケのようなヨガ行者じみた無理な努力が伴うような受容の仕方はしなかったのではないか、とカロッサは考えていたようである。

いずれにせよ、カロッサは当時のヨーロッパの知識層を代表するような作家の一人である。神智学の影響力が小さなものでも、一時的な流行でもなかったことを、カロッサは彼の作品を通して教えてくれる。

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