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2016年5月11日 (水)

ウィリアム・ジェームズに対する疑義、神智学協会国際本部7代会長だったラーダ・バーニアのインド舞踊

辺境、泡沫ブログの一つである当ブログだが、最近、神智学協会、竜王会に関する記事をアップしているためかこの方面に関心のある方々のアクセスが増えたようだ。

58歳になるわたしは学生時代から純文学作家を志し、神智学への興味もそのころからで、さらにいえば、物心ついたときには前世やあの世についてのわずかばかりの記憶が既存のものとして自分の中に存在し、明らかに一般的とはいえない意識で人生を歩んできたといえる。

わたしの中で作家の卵としての生き方と神秘主義者としてのそれに区別が全くないために、左派が権勢を振るうわが国の文学界で作家志望を貫こうとすると、圧迫感、違和感、欠乏感が付きまとい、それに対する決め手を欠いた生き方にはゆとりも安定感もなく、長年集会への参加すらままならない。

だから、何か訊きたいことがおありの方は直接オフィシャルサイトでお問い合わせになってください。

毎年の更新でかろうじて会員となっているにすぎない人間が書きすぎているような気もするが、自身を一人の神秘主義者として見た場合、日々の神秘主義的な発見を自分のような人間が書かなければ誰が書くのかという思いがある。

わたしのブログはこうした思いから綴る個人的、私的な覚書であることをお断りしておきたい。同じ断り書きを繰り返すのはブログの性質上、最初から順を追って閲覧していただくわけではないからである。

今、H・P・ブラヴァツキー『沈黙の声』をジェフ・クラーク訳と星野未来訳とで読んでいる。一方で読んでよくわからなかったところを他方で読むとわかったりするので、わたしには両方が必要だ。

新訳 沈黙の声  Kindle版
星野 未来 (翻訳)
出版社: 星野 未来 (2016/2/10)
ASIN: B01BN85EBM

沈黙の声 オンデマンド(ペーパーバック)
H・P・ブラヴァツキー (著)

出版社: UTRYU PUBLISHING (2015/9/3)
ASIN: B0156B9RLU

すばらしい本で、わたしは読んでいると、本に触発されて自身の胸の辺りから尽きせぬ泉のように出てくる白い光で部屋の中がいっぱいになる。

またブラヴァツキーによる注や訳者による注を読むと、とても勉強になる。この点では特にジェフ・クラーク訳では、初心者から高度な知識を求める者にまで対応できるだけの訳者解説、補注、用語解説が手厚く加えられているので、本格的な学習にはおすすめである。

音楽的な美しさを持つ星野未来訳は、暗誦するのによさそうだ。

ところで、現代哲学・心理学が依拠しているといってもよいウィリアム・ジェームズ(William James,1842年1月11日 - 1910年8月26日)の講義録であるW・ジェイムズ(桝田啓三郎訳)『宗教的経験の諸相(下)〔全2冊〕』(岩波書店(岩波文庫),2015)の「第十六・十七講 神秘主義」には『沈黙の声』からの引用がある。

そして、そこではクロロフイルム、エーテルといった麻酔剤による幻覚も、また聖人と呼ばれようが玉石混交と思われる信仰者たちによる様々な段階の内的経験も精査を経ないまま同一のもの、同一の神秘的経験として扱われている。

神秘主義に対するジェームズのアプローチ法は次のようなものである。

神秘的状態に関する私の論じ方が光を投げるか、それとも暗〔かげ〕を投ずることになるのか、私は知らない。というのは、私自身の性質として、神秘な状態を享楽することが私には全然できないといっていいくらいなのであって、私としてはその状態についてはただ間接的にしか語れないからである。しかし、たとえ問題をこうして外面的に眺めるほかないにしても、私はできるだけ客観的また受容的であるつもりである。 (ジェイムズ,2015,p.182)

神秘な状態を享楽? 

前置きであるにも関わらず、早くもジェームズは「神秘的状態」とは「享楽」する性質のものであるかのように唐突に断定し、その口吻からはそうすることで彼が自らを神秘主義者たちより上位に置き、自分こそ洗練されたストイックな、そして誠実な論じ方をする人物であると印象づけるための心理操作を行っているように感じられる。

『プラグマティズム』でも、同様の読者に先入観をもたらす儀式があったことを思い出す。

ジェームズは暗を投じ、哲学・心理学を混乱、停滞に陥れたとわたしは思う。

ジェームズがいくら客観的また受容的であるつもりであったとしても、これでは神秘的経験を持たない人間の主観的見方の域を出ないはずである。しかしながら、学会は世間はそうは受けとらず、ジェームズの主観的見解は大変な権威を帯びるようになって今に至っている。

神秘主義者ヘレナ・レーリッヒは書いている。

アルコール中毒や阿片中毒は、火の世界に近づこうとする醜い試みである。もし三昧が高級の火の自然な現れだとすると、アルコールの炎はその火を破壊する者である。麻薬は火に接近しているような幻影を起こすというのは本当だが、実際は、アグニの本当のエネルギーの獲得を長いこと邪魔するのである。

ヘレナ・レーリッヒ(田中恵美子訳)『アグニ・ヨガの教え』竜王文庫(コピー本),1996,p.58

レーリッヒはアルコールや薬物による経験を「幻影」と呼び、神秘主義的経験とは厳然と区別している。

ここで今日は時間がなくなったが、ウィリアム・ジェームズについては今後も書きたいと考えている。

動画検索中たまたまラーダ・バーニア神智学協会国際本部インド・アディヤール7代会長(1923 – 2013,1980年から33年間会長を務めた)の若かりし日の舞踊姿を捉えた動画に出合った。

1951年にリリースされたジャン・ルノワール監督による映画『河(The River)』の中の一場面である。

激しい動きの中に優美さがあって、素敵な舞踊だと思う。今後クリシュナを思い浮かべるときは、クリシュナのイメージにこの舞踊が重なりそうだ。

次の動画は追悼動画だろうか。

ラーダ・バーニアは三度来日され、わたしは講演会に行きたいと思いながら行けなかった。

ラーダ・バーニア(高橋孝子訳,高橋直継監修,ジェフ・クラーク注記)『他に道なし: 霊的生活の探求』(宇宙パブリッシング,電子書籍版2014)の中の「ラーダ・バーニア女史の功績」によると、ラーダは12歳で神智学協会に入会、協会が設立した国立女子高校に通い、三代会長ジョージ・アランデールの妻ルキミニ・デーヴィが創立したインド舞踊学校カラクシェトラの最初の卒業生となった。

戦後、二代会長アニー・ベサントが創立に関わったバナーラス・ヒンドゥー大学でサンスクリット語を研究したという。

神智学協会に純粋培養されたような人だったのだ。

そうした意味ではクリシュナムルティに似た境遇といえるのかもしれない。『他に道なし』を読んで、クリシュナムルティの著作を読んでいるような錯覚を覚えたのも道理な話だと思った。クリシュナムルティはラーダの親友だったそうだ。

他に道なし: 霊的生活の探求 Kindle版
ラーダ・バーニア (著), 高橋 孝子 (翻訳)

出版社: UTYU PUBLISHING; 1版 (2014/4/27)
ASIN: B00JZCZR8E

現・第8代国際本部会長ティム・ボイド(Tim Boyd)のアメリカ集会の動画も出てきた。集会では国際本部のあるインドのアディヤールへの旅行が紹介されている。

ボイド会長はチベット問題にも取り組んでおられるようだ。

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