« 『ジュニア版 世界の文学(全35巻)』(岩崎書店,1967–1969) 2006.10.2 | トップページ | H・P・ブラヴァツキーに対するバッシングに潜むもの(16日に追記) »

2016年3月12日 (土)

ロシア語版ウィキペディアに見るブラヴァツキー。オック語版ウィキペディア。ピッピの挿絵で有名なニイマン。

日本語版ウィキペディアのブラヴァツキー、神智学、神智学協会に関するページの記述があまりに低俗、お粗末であることから疑問に思い、外国語版ウィキペディアを参照してみようと思ったことから外国語版ウィキペディアをよく利用するようになった(拙サイト「マダムNの神秘主義的エッセー」の以下の記事を参照されたい)。

グーグル先生や辞書に頼って解読を試みるが、ページの雰囲気がわかるだけでもメリットがある。ところで、以下の記事で次のように書いた。

  • 2016年3月 8日 (火)
    エッセーブログ「The Essays of Maki Notsuka」を更新。
    http://elder.tea-nifty.com/blog/2016/03/the-essays-of-1.html
    わたしにはエンリコ・マッツァンティが描いたピノッキオは大人に見えますが、百歩譲って子供だとして、小学校高学年の年齢に見えます。もっと幼いイメージがありました。
    これとは逆に、数年前に初めて見た『長くつしたのピッピ』の初版本の挿絵があまりに幼い印象で、驚いたことも。

スウェーデン語版、デンマーク語版、ノルウェー語版は協力し合っているそうだが、ピッピの挿絵を最初に担当したイングリッド・ヴァン・ニイマンについて何も知らなかったことに気づき、スウェーデン語版でニイマンについて閲覧して衝撃を受け、次いでデンマーク語版でも閲覧。

イングリッド・ヴァン・ニイマン(Ingrid Vang Nyman)、1916年8月21日生まれのデンマークのイラストレーター。経済、健康問題から1959年12月13日に自殺とあった。

ニイマンの挿絵で出ているリンドグレーンの邦訳版絵本の紹介もしたいので、ニイマンについてはまた書きたい。

ブラヴァツキーのことをロシア語版ウィキペディアで調べたことはこれまでになかった。何となく、ロシアのサイトに行くのは怖い気がする。

が、ふと今日、ブラヴァツキーの母国ではどう書かれているのだろうかという興味を抑えられなくなり、出てこないかもしれないと思いつつБлаватская, Елена Петровна(ヘレナ・ペトロヴナ・ブラヴァツキー)でググってみた。

何という充実! 意外だ。

ブラヴァツキーの文学的才能に言及されているのが嬉しい。何せ、文豪クラスの名だたる作家が目白押しのロシア文学史なのだ。

ブラヴァツキーは思想書だけではなく、紀行、小説も書いたのである。小説に関しては母親と妹が小説家だったらしいから、血筋なのかもしれない。ブラヴァツキーの小説からわたしはゴーゴリを連想した。

ピアノの腕も相当に本格的であったようだ。家族についても詳細に記述されている(重厚さが漂う)。

それに比べると、Теософское общество(神智学協会)のページはシンプル。革命前にロシアには9つの神智学協会の活動拠点があり、サンクトペテルブルクに4つ、ワルシャワに2つ、スモレンスク・キエフ・カルーガに1つずつあったとか。ワルシャワは当時ロシア皇帝に支配されていたのだろう。

革命からペレストロイカまではメンバーは苦難の日々だったようだが(フランス語版によると、ナチス政権下でもメンバーは苦難の日々だったようで)、現在では状況が改善されている様子。

1975年、インドで神智学協会の創立100周年に捧げた記念切手が発行されたそうで、その画像が紹介されている。

ブラヴァツキーと神智学協会はSPR(The Society for Psychical Research 心霊現象研究協会)が公表したホジソン・レポ-トによって社会的信用を失墜させた。

しかしフランス語版ウィキペディアが明確に述べているように、「ホジソンレポートは、1977年にSPRの別のメンバー、ヴァーノン・ハリソンによって有利な方向に修正された」のである。

Le rapport Hodgson sera corrigé dans un sens favorable par un autre membre de la SPR, Vernon Harrison, en 1977.

Helena Blavatsky. (2016, janvier 6). Wikipédia, l'encyclopédie libre. Page consultée le 20:42, mars 10, 2016 à partir de
http://fr.wikipedia.org/w/index.php?title=Helena_Blavatsky&oldid=121985274.

そのハリソンの著作。

H.P. Blavatsky and the Spr: An Examination of the Hodgson Report of 1885
Vernon Harrison  (著)
出版社: Theosophical Univ Pr (1997/06)

日本のアマゾンでは現在取り扱いなしだが、アメリカのアマゾンでは購入できるようだ。

ロシア語版ウィキペディアはニコラス・レーリヒ、ヘレナ・レーリヒのページもそれぞれ充実している。パブリックドメインとなっているニコラス・レーリヒの絵の中から、一枚。

N_roerich__and_we_are_trying_from_2
Никола́й Константи́нович Ре́рих
«И мы трудимся». Серия «Sancta». 1922
Материал из Википедии — свободной энциклопедии

オック語版ウィキペディアにも行ってみた。カタリ派が話していたのはオック語である。カタリ派が栄えたラングドックという地名は、原田武『異端カタリ派と転生』(人文書院、1991)によると、文字通り「オックの言語(langued'Oc)」という意味らしい。

カルカッソンヌ生まれのカタリ派研究の第一人者といわれるルネ・ネッリのページ。

フランス語ではカタリ派はCatharisme、オック語ではCatarismeで、綴りからしてやはり違う。

話は変わるが、娘のパソコンがいつの間にか(?)Windows10にアップデートしたという。今のところ使用感に問題ないようだが、もう少し使ってみないと、わからないのかもしれない。わたしも期限までにはアップデートしようと思っているけれど。

|

« 『ジュニア版 世界の文学(全35巻)』(岩崎書店,1967–1969) 2006.10.2 | トップページ | H・P・ブラヴァツキーに対するバッシングに潜むもの(16日に追記) »

Notes:アストリッド・リンドグレーン」カテゴリの記事

Notes:グノーシス・原始キリスト教・異端カタリ派」カテゴリの記事

Notes:不思議な接着剤」カテゴリの記事

Theosophy(神智学)」カテゴリの記事

思想」カテゴリの記事

文学 №1(総合・研究) 」カテゴリの記事

書籍・雑誌」カテゴリの記事