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2016年3月 2日 (水)

Notes:不思議な接着剤#92 古い文書を所有していたエッセネ派

わたしはノート90、91でブラヴァツキーの言葉を引用して次のように書いた。

H・P・ブラヴァツキー(ボリス・デ・ジルコフ編、老松克博訳)『ベールをとったイシス 第1巻 科学 上』(竜王文庫、2010)にはそのエッセネ派についての詳しい記述がある。

エッセネ派ESSENESとは「癒やし手」を意味するAsaiに由来する。「プリニウスPlinyによればユダヤ人の一派で,彼らは死海の近くに何千年にもわたって暮らしていた」「たくさんの仏教的観念と修行があった」「初期教会で用いられた『兄弟[同胞]』なる呼称は,エッセネ派的なものだった。彼らは一つの友愛団体であり,かの初期改宗者たちに似たコイノビオンKoinobion,すなわち共同体だったのである」(ブラヴァツキー,ジルコフ編,老松訳、2010,ベールの前でXXXViii-XXXViX)

書きながら実は信じられなかったのである。死海の近くに何千年にもわたって暮らしていたエッセネ派という記述が。そんなに古くからだなんて、ありえるだろうか。だが、プリニウス、ヨセフス、ブラヴァツキーという大著述家が揃いも揃っていい加減なことを書くだろうか。

とはいえ、プリニウスの『博物誌』にはとても本当とは思えないことが沢山書かれている。

何しろ大部の著作である。前掲のプリニウスの記述はまだ確認ができていない。行きつけの図書館から借りられるのは八坂書房版『プリニウス博物誌植物篇』『プリニウス博物誌植物薬剤篇』で、これらには載っていないだろうと思ったが、借りてみて、世の中にこんなに面白い本があるのだろうかと思った。

雄山閣「プリニウスの博物誌〈縮刷版〉」シリーズ

プリニウスの博物誌〈縮刷版〉1- 第1巻~第6巻 -
編著者 :中野 定雄 中野 美代 中野 里美 プリニウス
雄山閣(2012/05/25)
6,696 円

プリニウスの博物誌〈縮刷版〉2 - 第7巻~第11巻 -
編著者 :中野 定雄 中野 美代 中野 里美 プリニウス
雄山閣(2012/05/25)
6,696 円

プリニウスの博物誌〈縮刷版〉3 - 第12巻‐第18巻 -
編著者 :中野 定雄 中野 美代 中野 里美 プリニウス
雄山閣(2012/06/25)
6,696 円

プリニウスの博物誌〈縮刷版〉4 - 第19巻‐第25巻 -
編著者 :中野 定雄 中野 美代 中野 里美 プリニウス
雄山閣(2012/09/10)
6,696 円

プリニウスの博物誌〈縮刷版〉5- 第26巻~第33巻 -
編著者 :中野 定雄 中野 美代 中野 里美 プリニウス
雄山閣(2012/09/10)
6,696 円

プリニウスの博物誌〈縮刷版〉6- 第34巻~第37巻 -
編著者 :中野 定雄 中野 美代 中野 里美 プリニウス 
雄山閣(2012/09/10)
7,344 円

プリニウスの博物誌〈縮刷版〉別巻Ⅰ 古代へのいざない
編著者 :中野 里美 H.N.ウェザーレッド 
雄山閣(2013/09/25)
5,670 円

プリニウスの博物誌〈縮刷版〉別巻Ⅱ プリニウスのローマ-自然と人への賛歌ー
編著者 :中野 里美
雄山閣(2013/12/25)
5,400 円

図書館にあるのは同じ雄山閣から3巻で出ているものだが、禁帯出であるため、図書館で前掲の箇所を探す作業をしたいと思いながら、まだやっていない。

話を戻すと、ブラヴァツキーは別の箇所ではナザレ派(意見の相違によりエッセネ派から分かれた分派)が紀元前150年ごろには存在していて、プリニウスとヨセフスによれば、ヨルダン川沿岸と死海の西岸に暮らしていたと書き、しかし――として、キング『グノーシス派』の中にヨセフスによる別の言葉が引用され、それによると、エッセネ派はプリニウスの時代の前にすでに何千年もの間死海のほとりで形成されていたと書いている。

ブラヴァツキーが読んだ『グノーシス派』を著したキングとは、英語版ウィキペディアでCharles William King (5 September 1818 – 25 March 1888) was a British Victorian writer and collector of gems.と書かれたチャールズ・ウィリアム・キングのことなのだろうか。

1818年に生まれ、1888年に歿したヴィクトリア朝の作家、宝石コレクターで、The Gnostics and their Remains.(グノーシス派とその遺跡)という著作があるらしいので、おそらくそうだろう。

フラウィウス・ヨセフス(秦剛平訳)『ユダヤ古代誌6』(筑摩書房(ちくま学芸文庫)、2000)には、エッセネ人[びと]について次のように書かれた箇所がある。

まことにこの人たちの立派さは、自ら高徳を誇るいかなる人と対比してもいささかの遜色もない、真の賞賛に値するものであった。そして、そうした賞賛は、ギリシア人やその他のギリシア人の中には全く見出せないものであり、かつそれは、昨日今日のことではなく、遠い昔から絶えることなく、つねにその献身の生活を実行してきたのだから脅威である。 (ヨセフス,秦,2000,p.019)

「遠い昔から」という言葉は見つけたが「何千年もの間」という言葉をわたしは見つけられないでいる。

Josephus

18世紀に描かれたヨセフス像
出典:ウィキメディア・コモンズ (Wikimedia Commons)

フラウィウス・ヨセフス(秦剛平訳)『ユダヤ古代誌5』(筑摩書房(ちくま学芸文庫)、2000)に、エッセネ派のマナエモスという名の有徳の人物は、少年だったヘロデが王になることを予知したとある。ヘロデ王は紀元前73年ごろの生まれだから、このエピソードはヨセフスの時代からすればそう「遠い昔」のものではない。

しかし、エッセネびとは太陽に向かって父祖伝来の祈りを捧げたとヨセフスは書いており、父祖伝来という言葉が伝統的なものを感じさせ、エッセネ派の歴史が浅くはないことを物語っているようでもある。

エッセネ派は完全に組織化され、入会・除名の会則を持ち、共有財産制の共同体を形成し、ユダヤのどの町にもエッセネ派グループは存在した。入会には3年間の見習い期間が必要だった。厳格な規則の下で、敬虔な祈り、労働、冷水での沐浴、食事が行われ、住居は静寂に包まれていた。

霊魂の不滅を信じ、フラウィウス・ヨセフス(秦剛平訳)『ユダヤ戦記 Ⅰ』』(筑摩書房(ちくま学芸文庫)、2002)によると、「古い文書に異常な関心を示し、とくに精神と肉体に裨益する文書を選んで読んだりする。そこから彼らは病の癒しに向かい、薬草の根や薬石の成分を調べたりする」(ヨセフス,秦,2002,p.279-280)とある。

古い文書とは、どんな文書なのだろうか。そうした古い貴重な文書をエッセネ派は所有し、研究していたのだ。

結婚に関して別の見解を持つエッセネびとの宗団が他にあると書かれ、エッセネ派は複数存在していたようである。

死海文書がエッセネ派によって書かれたものであるかどうかは議論の余地を残しているようだが、死海文書とエッセネ派を結びつける研究者は多い。

ナグ・ハマディ文書は1945年、死海文書の発見は1947年以降のことであり、ブラヴァツキーは1891年に亡くなっているから、彼女がこれらの情報に接することはなかった。

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文書が発見されたクムラン第四洞窟
出典:ウィキメディア・コモンズ (Wikimedia Commons)

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クムラン洞窟より望む死海
出典:ウィキメディア・コモンズ (Wikimedia Commons)

アリストテレスの時代には物質主義が優勢な思潮となって、霊性と信仰は頽廃した。秘儀そのものが甚だしく変質し、熟達者[アデプト]と秘儀参入者[イニシエート]は侵略者の武力で散り散りになり、その後継者と子孫は少数だったとブラヴァツキー(ジルコフ編,老松訳,2010,pp.18-19)はいう。

エジプトの「聖なる書記や秘儀祭司は,地上をさすらう者となった。彼らは聖なる秘儀の冒涜を恐れて,ヘルメス学的な宗団――後にエッセネ派Eseenesとして知られるようになる――のなかに隠れ家を探さざるをえず,その秘儀知識はかつてなかったほどに深く埋もれた」(ブラヴァツキー,ジルコフ編,老松訳,2010,p.19)

エッセネ派はノート91で書いたように、ユダヤ人の一派であって、グノーシス派、ピタゴラス派、ヘルメス学的集団、あるいは初期キリスト教徒であったとブラヴァツキーは述べているのだ。

死海の近くに「何千年にもわたって」暮らしていた、という記述はわたしには時間的に長大すぎて信じられない。それほどの長さであったかどうかはともかく、彼らが長いことそこに暮らしていたことは間違いないと思われるし、だからこそ、様々な思想の受け皿ともなりえたのではあるまいか。

ウィキペディアからナグ・ハマディ文書について引用すると、「写本の多くはグノーシス主義の教えに関するものであるが、グノーシス主義だけでなくヘルメス思想に分類される写本やプラトンの『国家』の抄訳も含まれている。(……)調査によって、ナグ・ハマディ写本に含まれるイエスの語録が1898年に発見されたオクシリンコス・パピルスの内容と共通することがわかっている。そして、このイエスの語録は初期キリスト教においてさかんに引用されたものと同じであるとみなされる」(ウィキペディアの執筆者. “ナグ・ハマディ写本”. ウィキペディア日本語版. 2016-02-23. https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%83%8A%E3%82%B0%E3%83%BB%E3%83%8F%E3%83%9E%E3%83%87%E3%82%A3%E5%86%99%E6%9C%AC&oldid=58723955, (参照 2016-02-29).)とあることからもわかるように、エッセネ派に関するブラヴァツキーの記述はまるでナグ・ハマディ文書の内容を述べたかのようである。

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