« 江戸初期五景2 #4 表現の仕方(萬子媛をどう表現するかの再確認)  | トップページ | サンマ丸干し(三重/干物の丸高)、わらび餅 3色詰合わせ(京都/藤菜美)。「かもめのジョナサン」のデザート。 »

2016年2月18日 (木)

ブラヴァツキーの著作数冊にレビューを書きました

ちょっとカバラについてノートしておこうと思い、その前にAmazonに出かけてブラヴァツキーの著書のレビューを見ると、☆一つをつけられ、出鱈目なことが書かれていたのでレビューを書いていました。

数冊書きましたが、結構時間がかかり、カバラについて書く時間がなくなってしまいました。

過去記事と重なる部分がありますが、神智学に興味を覚えた方々が当ブログをご訪問くださっているようなので、記事にしておきます。

以下の本はわたしが閲覧した時点で「残り2点(入荷予定あり)」と表示されていました。

H・P・ブラヴァツキー夫人―近代オカルティズムの母 (神智学叢書)
ハワード マーフェット (著), 田中 恵美子 (翻訳)
出版社: 神智学協会ニッポンロッジ (1981/04)

ブラヴァツキーの伝記です。平易な文章で書かれた、初心者向けの伝記といった趣です。わたしはブラヴァツキー派神智学と、彼女の影響を受けてはいても全く別の思想を展開している人々との区別があまりついていない時期にこの本を読み、ブラヴァツキーを知る上での参考になりました。

ちなみにオカルティズムとは、「宇宙と自然と人間の物質的、サイキック的、メンタル的及び霊的な秘密を研究する科学」という意味で使われています。

コレラが大流行した1831年のウクライナ・エカテリースラフ(今のドネプロペトロフスク)に、ドイツのハーン伯爵家出身で騎兵砲兵大尉だったピョートル・フォン・ハーンを父に、ドルゴルコフ王家というロシアの古い貴族出身のヘレナ・アンドレイエヴナ・フォン・ハーンを母に誕生したブラウヴァツキーの生い立ちから、不幸な結婚、神秘主義的体験を重ねた放浪、大師達との関係、神智学協会の誕生、畢生の大作シークレット・ドクトリンの完成、のちに神智学協会第2代会長となったアニー・ベザントの訪問……最期までペンを取り続けたブラヴァツキーの希有な一生をこの著作を読むことで鳥瞰することができます。

1882年に心霊現象の研究と検証を目的とした研究機関The Society for Psychical Research(S・P・R、英国サイキック研究協会)が設立されました。S・P・Rは「ホジソン報告」でブラヴァツキーに汚名を着せ、神智学協会の社会的信用を失墜させましたが、その経緯にも触れられています。

神秘主義に彩られていたブラヴァツキーの一生には、白人の植民地政策によって貶められていた東洋の宗教哲学を回復させるための執筆に捧げられた側面があります。

古今東西の科学、宗教、哲学を総合、体系化するという偉業を成し遂げたその人生と諸著書には、誹謗中傷をものともしない迫力があります。でも、この伝記を読むと、ブラヴァツキー自身は芸術家肌の繊細な人柄だったようです。

以下の本は「一時的に在庫切れ; 入荷時期は未定です」と表示されていました。

夢魔物語 (神智学叢書)
H.P.ブラヴァツキー (著), 田中恵美子 (翻訳)
出版社: 竜王文庫 (1997/05)

『夢魔物語』はブラヴァツキー異色のオカルト小説ですが、格調の高い筆致で、神秘主義的な教訓が盛り込まれています。

読みながらわたしはブラヴァツキーがロシア人だったことを、ふいに思い出しました。ゴーゴリの怪奇小説を連想したのです。文学的にも優れた著作だと思います。ただの空想の産物ではないことがわかるだけに、面白くも怖ろしい作品。

無神論者の西欧人、京都・知恩院の僧侶、山伏が織りなす『不思議な人生』、パガニーニに勝ちたいという思いから忌まわしいヴァイオリンを手にすることになった若きヴァイオリニストの話『不思議なヴァイオリン』の二編が収録されています。

次のレビューを書いたのはH・P・ブラヴァツキー(田中恵美子&ジェフ・クラーク訳)『シークレット・ドクトリン 宇宙発生論(上)』(神智学協会ニッポン・ロッジ、平成元年)に対してでしたが、これは現在中古しかないようです。

2013年に再版されたものは「残り5点(入荷予定あり)」と表示されています。これはSDの沿革とロッジ議事録が割愛されていますが、そのぶんお安くなっています。2013年版には好意的なレビューが複数書かれていて、嬉しくなります。

シークレット・ドクトリン 宇宙発生論《上》
H・P・ブラヴァツキー (著), 田中恵美子 (翻訳), ジェフ・クラーク (翻訳)
出版社: 宇宙パブリッシング; 第1版 (2013/4/15)

『シークレット・ドクトリン』はブラヴァツキー畢生の大作とされています。
内容はひじょうに難解なので、スラスラ読めるというものではありませんが(科学、宗教、哲学に通じている必要があります。どれにもほとんど通じていないわたしなどは、拾い読みの段階です)、ブラヴァツキーのいう神智学(神聖な知識または神聖な科学)がどんなものであるかが伝わってきます。
まさに、宇宙と人類の叡智の薫りがする、知識の宝石箱です。

あるテーマを哲学的に展開するには、第一にそこで使用する言葉を定義していく必要がありますが、ブラヴァツキーはその点において徹底した、それでいて無駄のない側面を見せます。
また、ブラヴァツキーは哲学書や宗教書から引用するとき(バルザックやシェークスピアなどの文学書からの引用も少なくありません)、その説の意味と著者(あるいは派)がどんな系譜に属するかを解説し、比較したり他に参照できる説があればそれらも紹介し、同時に批評も行うので(手厳しい批評が癪に障る人々から、誹謗中傷の出る傾向があります)、この本を読むことで、人類の宗教的、哲学的歩みを知ることができます。科学の教養があれば、科学的歩みを知ることもできるはずです。

最初に、『ジャーンの書』から翻訳された七つのスタンザが登場します。スタンザの注釈という形をとって、宇宙の進化という壮大なテーマが展開されていくのです。このスタンザの神秘的、豊麗な雰囲気には圧倒されます。

『シークレット・ドクトリン』にはヒンズー教用語、仏教用語が沢山出てきますが、日本人には比較的馴染みやすいのではないでしょうか。難解ではありますが、この本で西欧哲学的に表現されている思想自体は、日本人が自然に身につけている東洋的な宗教哲学と無関係ではありません。それを自覚させてくれる著作でもあります。

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

以下の2冊にもレビューを書きましたが(過去記事とかなり重なります)、現在中古しかないようです。

H・P・ブラヴァツキー(加藤大典訳)『インド幻想紀行 上 ヒンドスタンの石窟とジャングルから』(筑摩文庫(ちくま学芸文庫)、2003年

とても読み応えのあるボリューミーな旅行記です(探検記といったほうがいいかもしれません)。従軍慰安婦問題との関連からイサベラ・バード『朝鮮奥地紀行』を読みましたが、ブラァツキーのこの『インド幻想紀行』を連想しました。どちらも女性によって書かれており、観察の巧みさ、調査能力の高さ! ブラヴァツキーの場合は、それに神秘主義的な洞察力と志の高さが加わります。

どちらにもトラがいると書かれ、現にブラヴァツキーはトラが現れたときのことを迫力に満ちて描写しています。彼女が象に乗ったときのことも独特のユーモラスな描写です。クジャクの描写も忘れられません。意外にも、『インド幻想紀行』のほうがイザベラの著作よりナイーヴな印象です。ブラヴァツキーは本来は芸術家肌のとても繊細な人柄だったことがわかります(ピアニストとしても通ったほどのピアノの名手だったとか)。それに……面食いだったのではないでしょうか(?)。ブラヴァツキー一行に保護者として加わったクラーヴ・ラル・シンは謎めいた存在で、すばらしい美貌と異常な長身の持ち主とあります。

「訳者あとがき」及び「解説」によると、この旅行記は、はじめモスクワの新聞「モスクワ・クロニクル」に36回に渡って寄稿されたものだそうです。第1信は1879年11月30日付。寄稿の大半にはラッダ・バイという筆名が用いられました。その後、雑誌「ロシア・メッセンジャー」に再録されたそうですが、その雑誌にはトルストイやツルゲーネフも寄稿しているとか。
連載は大変な反響を呼び、多くのロシア人がインドに関心を持つようになったそうです。ただ、この旅行記は1回の旅行での出来事を忠実になぞったものではなく、何回かの旅行時の体験が含まれているそうです。ブラヴァツキーがかつて単身インドを放浪したときのことなども。

H・P・ブラヴァツキー(加藤大典訳)『インド幻想紀行 下 ヒンドスタンの石窟とジャングルから』(筑摩文庫(ちくま学芸文庫)、2003年

ブラヴァツキーが旅した当時のインドが如何にエキゾチックな処だったとしても、『インド幻想紀行』は当然、ただの旅行記ではありません。万華鏡のようなインドの宗教を体験し、インド哲学を探究するための旅なのです。

神智学協会成立についても語られ、協会が拡がっていく中でインドとの接点ができた様子が説明されています。また、当時インドで最高のサンスクリット学者と見られていたバラモン、ダヤーナンダ・サラスワティーと文通し、その指導の下で先史アーリア国家のこと、ヴェーダ文献、難解な言語の勉強を始めたとあります。

ブラヴァツキー一行に保護者として加わったクラーヴ・ラル・シンは謎めいた存在です。初対面は27年前のイギリス、このヒンドゥー人は廃位されたインドの王子と一緒だったとあります。そしてクラーヴ・ラル・シンの母国インドで再会を果たしたとき、ブラヴァツキーは老女になっていたのに、クラーヴ・ラル・シンは27年前と同じように30歳くらいに見えたそうです。

神出鬼没で、トラを撃退したときの神秘的な様子、石窟で気絶したブラヴァツキーを救出したときの超人技、100年以上前に描かれた絵の中にクラーヴ・ラル・シンと瓜二つの姿が描かれていたり、『シークレット・ドクトリン』で書かれているのとそっくりなことを講義するクラーヴ・ラル・シン……ブラヴァツキーはある秘密を明かされたようですが、沈黙を約束したとあります。クラーヴ・ラル・シンの異常な長身と美貌は、格式張って保守的なロンドンの新聞も記事にしたほどだったとか。

インドの風景、風俗、宗教、哲学に関する詳細な報告が興味深いのは勿論ですが、このクラーヴ・ラル・シンという名で語られる人物はひときわ光彩を放っています。

|

« 江戸初期五景2 #4 表現の仕方(萬子媛をどう表現するかの再確認)  | トップページ | サンマ丸干し(三重/干物の丸高)、わらび餅 3色詰合わせ(京都/藤菜美)。「かもめのジョナサン」のデザート。 »

Theosophy(神智学)」カテゴリの記事

書籍・雑誌」カテゴリの記事

評論・文学論」カテゴリの記事