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2016年2月の36件の記事

2016年2月29日 (月)

エッセネ派に対する疑問

わたしはノート90、91でブラヴァツキーの言葉を引用して次のように書いた。

H・P・ブラヴァツキー『イシス 科学上』にはそのエッセネ派についての詳しい解説がある。『イシス 科学上』ベールの前でXXXViii-XXXViX頁。

エッセネ派ESSENESとは「癒やし手」を意味するAsaiに由来する。「プリニウスPlinyによればユダヤ人の一派で,彼らは死海の近くに何千年にもわたって暮らしていた」「たくさんの仏教的観念と修行があった」「初期教会で用いられた『兄弟[同胞]』なる呼称は,エッセネ派的なものだった。彼らは一つの友愛団体であり,かの初期改宗者たちに似たコイノビオンKoinobion,すなわち共同体だったのである

書きながら実は信じられなかったのである。死海の近くに何千年にもわたって暮らしていたエッセネ派という記述が。そんなに古くからだなんて、ありえるだろうか。だが、プリニウス、ヨセフス、ブラヴァツキーという大物著述家が揃いも揃っていい加減なことを書くだろうか。

それについて調べていて、一日潰れた。次のノートでエッセネ派についてもっと書きたい。

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2016年2月28日 (日)

Notes:不思議な接着剤#91 釈迦牟尼仏の哲学を説いたイエス

昨日「カタリ派がヨハネ福音書を偏愛する理由がブラヴァツキーの著作から解けた!」という派手なタイトルをつけた記事を公開したが、勘違いがあったので、非公開とした。

が、別の重大な発見(見落としというべきか)があり、記事にしておきたい。

新約聖書関係で、ヨハネは3人いる。バプテスマのヨハネ、使徒のヨハネ、福音記者のヨハネである。

バプテスマのヨハネと福音記者のヨハネを混同して読んでいたために、タイトルのような結論を出して舞い上がっていた。

ただ、ちゃんとした記事を書くためにじっくり読んでいくと、自分の勘違いにも気づいたが、重大なことがイエスに関して書かれた箇所に目が留まった。

話を戻せば、福音記者ヨハネと使徒ヨハネを同一人物とする説があるのだが、ブラヴァツキーはH・P・ブラヴァツキー(ボリス・デ・ジルコフ編、老松克博訳)『ベールをとったイシス 第1巻 科学 上』(竜王文庫、2010)の中で、「『ヨハネによる福音者』The Gospel according to Johnを書いた匿名のグノーシス主義者Gnostic」(ブラヴァツキー,老松,2010)という風に書いている。

匿名のグノーシス主義者。

『ヨハネによる福音書』は共観福音書と呼ばれる他の三福音書とは内容が異なり、それについてもブラヴァツキーは書いている。

『ヨハネ福音書』がグノーシス的とは一般にもいわれているところで、カタリ派がグノーシス的であったことから考えると、カタリ派が『ヨハネ福音書』を愛した理由もわかる気がするのだが、偏愛したほどの理由が結局のところわたしにはわからない。

初期キリスト教が存在した時代、あのあたり――ガリラヤ――は人種の坩堝で、人々は偶像崇拝に夢中だった。『Isis Unveild』にはその様子が目に見えるように書かれ、猥雑な儀式を行うバッカス崇拝がどんなものだったかなど、よく分析されている。

様々な資料から引用された複雑な記述の中から1本の流れを辿るのは骨が折れることだが、遠いあの時代に直に触れるような不思議な感覚をもたらされる歓びがある。

ナザレ派の改革者イエス――とブラヴァツキーは呼び、イエスがエッセネ派に属していたことは間違いないが、厳密にはエッセネ派とはいえないと書く。

エッセネ派は油を汚れとみなし、清らかな水しか使わなかったが、イエスは油を使ったことからも「厳密」にはそういえないことがわかるという。ヨセフス『ユダヤ戦記』2巻8章3節……とここまで細かく典拠が示されているにも拘わらず、典拠も示さずに荒唐無稽な文章を書く人々は荒唐無稽だとブラヴァツキーを非難する。

イエスは油を使ったことからも、イエスが「厳密」にはエッセネ派とはいえないことがわかると彼女はいうのである。

ここで引用が正しいかどうか調べてみた。幸い『ユダヤ戦記』は持っている。ヨセフス『ユダヤ戦記』2巻8章3節は、わたしが持っている邦訳版ではフラティウス・ヨセフス(秦剛平訳)『ユダヤ戦記 Ⅰ』(筑摩書房(ちくま学芸文庫)、2002)に収録されている。

あった。確かに、2巻8章3節。「彼らは油を汚染させるものと見なし、もし人がうっかりしてかけられた場合、それを体から拭き落とさねばならない。というのも、彼らは肌を乾いた状態にさせており、そのためつねに白い衣をまとっているからである」(ヨセフス,秦,2002,p.277)

イエスが属したとされるエッセネ派について、ブラヴァツキーは驚くほど様々なことを書いており、エッセネ派が死海のほとりに何千年にもわたって暮らしていたユダヤ人の一派で、グノーシス派であり、ピタゴラス派、ヘルメス学的集団、あるいは初期キリスト教徒であっという。彼らは仏教の伝道師たちの影響を受けたが、思想体系はむしろ崩れていった……

エッセネ派という集団は様々な思想的影響を受けながら、何千年もの歴史を生き抜いていたわけである。

パブテスマのヨハネの弟子たちは、意見の相違によりエッセネ派から分かれた分派だった。

当時のことに可能な限り言及され、分析は各派の起源へと遡り、そうするとエジプト、カルデア、インドが登場してくることになる。

今ほどあのころの古文書が発掘されていず、ネットもない時代に書かれたとはとても思えないほど、存在した資料をぎりぎりまで使えるだけ使って解説され、まるで最新の研究を読むかのようだ。

イエスの実像をブラヴァツキーはグノーシス派のバルデサネス派の不当な(と彼女は書く)非難の中に見出している。偽のメシア、古代の宗教の破壊者で、仏教の信奉者であるという非難の中に。

グノーシス派に関するブラヴァツキーの記述は夥しい。グノーシス派といっても、ノート90で書いたように複雑である。

バルデサネス派に偽のメシア、古代の宗教の破壊者で、仏教の信奉者であるという不当な非難を浴びせられた宗派の一つにイエスは属しており、そのうちのどれであったかの特定は不可能に近いが、イエスが釈迦牟尼仏の哲学を説いたことは自ずと明らかであるとブラヴァツキーは書く。

ここまではっきり断言するとなると、ブラヴァツキーがキリスト教から叩かれるのも当然だ。仏教の教えを説くイエス……。今でこそ、ブラヴァツキーのいったようなことがいわれ出したのだが。

しかし、もしこれが本当なら、正統キリスト教を主張したカタリ派が「西欧の仏教」といわれ、グノーシス福音文書中の白眉『マリアによる福音書』でマリアがイエスから教わったといって話し始めるその内容が驚くほど仏教的であったことの謎も解ける。

前述したパブテスマについても詳細な分析があり、そこからパウロの使徒行伝が重要な部分で改竄された可能性に触れている。

わたしはパウロが苦手だったが、改竄されているとなると、別のパウロ像が現れる可能性が高く、興味が湧く。

以下の本はおすすめだが、Amazonでは中古しかないようだ。図書館には置いてあるところも多いのではないだろうか。

マグダラのマリアによる福音書 イエスと最高の女性使徒
カレン・L・キング(著), 山形 孝夫(翻訳), 新免 貢(翻訳)
出版社: 河出書房新社 (2006/12/16)

ナグ・ハマディ写本―初期キリスト教の正統と異端
エレーヌ ペイゲルス(著), 荒井 献(翻訳), 湯本 和子(翻訳)
出版社: 白水社; 新装版 (1996/06)

以下のサイトで『マグダラのマリアの福音書』がオリジナルな邦訳で紹介されている。

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初ロマネスコのサラダ。心臓の薬を全て先発医薬品に戻してから快適な毎日。

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いつごろからか見かけるようになったこのブロッコリーに似ているへんてこな形の野菜、名前を知りませんでした。

ウィキペディアを見ると、面白い解説でしたので、引用します。

ロマネスコはアブラナ科アブラナ属の一年生植物。カリフラワーの一種である。フラクタル形態の花蕾が特徴の野菜である。

日本でのロマネスコという名前は、イタリア語での呼び名である Broccolo Romanesco(ブロッコロ・ロマネスコ、ローマのカリフラワーの意)に由来する。未成熟の花蕾と花梗を食用にする。アブラナ科の野菜の中では比較的穏やかで微かに甘い芳香を持つ。花蕾群の配列がフラクタル形状を示す特徴を持つ。
16世紀にローマ近郊で開発されたとされている。これには異論もあり、ドイツでも同時期から栽培の記録がある。
色は黄緑色(クリーム色から緑色の中間色)で、姿はブロッコリーに近く背が高めで葉は展開する。一方、頂花蕾のみで側枝は発達せずカリフラワーの性質を示す。味はブロッコリーに近く、食感はカリフラワーに近い。
この様に中間的な性質から、野菜市場、種子市場ともにどちらの品種とするか混乱がある。さらに緑色のカリフラワー(broccoflower)との混同が、これに輪を掛けている。
現状では分類上はカリフラワーだが、呼び名はブロッコリー(英: Romanesco broccoli)が優勢となっている。
ロマネスコの花蕾は幾何学的な配置となっており、個々の蕾が規則正しい螺旋を描いて円錐を成している。
円錐はさらにそれ自体が螺旋を描いて配列し、これが数段階繰り返されて自己相似の様相を呈する。また、配列した蕾や円錐の数はフィボナッチ数に一致することも知られている。その形状からサンゴに見立て「黄緑サンゴ」とも称される。 甘みはそれほどなく、コリコリとした食感をもつ。

ウィキペディアの執筆者. “ロマネスコ”. ウィキペディア日本語版. 2015-12-15. https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%83%AD%E3%83%9E%E3%83%8D%E3%82%B9%E3%82%B3&oldid=57899158, (参照 2016-02-28).

興味深い自然の造形ですね。確かにサンゴっぽい形です。フィボナッチ数って、何だかわからずググってみましたが、数学音痴のわたしにはうまく説明できないので、わからない方はググってみてください。

味も、食感も、わたしにはカリフラワーそっくりに思えました。

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茹でてみると、正体(?)がはっきりしますね。

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こちらは頂き物の伊予柑を散らし、チーズはんぺんを強引にお皿に詰め込んだサラダ。我ながら垢抜けしない飾り付けです。お皿小さすぎますね。大きいサラダボールだってあるのに、サラダはなぜかこのお皿……今度サラダボール使おう。

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昨日の夕飯に作ったマカロニ、ハム、キュウリ、玉葱、ゆで卵のサラダ。まあわざわざアップするほどのものでもない、ありふれた……辛子マヨネーズであえました。ゆでたマカロニには、くっつかないようにすぐサラダ油をまぶしておきました。

ずっと、創作や研究(というと大袈裟)に没頭しているせいで、飾り付けが大雑把なのです。体調がいいと、フルに創作や研究に時間を使いたくなり、わたしは結構病んでいるくらいのほうが家事が丁寧になるようです。

でも、もうジェネリックを先発品に戻す前の状態にレベルダウンするのは嫌よ~。最近この手のジェネリック問題に触れているせいか、製薬会社からのアクセスがちょくちょくあります。

実は夕方から夜に入って室温が変化したせいか、最近では珍しく、今ちょっと心臓が重いのですが、以前は毎日がもっと重かったのです。心房細動などの不整脈がめったに出なくなったことから考えると、ずっと先発品を使っていたら心房細動にも、もしかしたら心臓弁膜症にもならずに済んだのかもしれないと思ってしまいます。

心臓の負担が5年分違うのですから。ただ、無理のきかない、細心の注意が必要な体であることには変わりがありません。だからこそ、治療が始まったわけですものね。

そして、その治療で先生は毎日を苦しくも痛くもなく過ごせるように考えて投薬してくださっていたわけです。それがジェネリックの得体の知れない薬効のためにおじゃんになっていたのだと思います。あのまま効き目の悪いジェネリックを使い続けていたら、わたしも長くはなかったと本当に思います。

先が長くなると、それはそれでいろいろと考えなければならないことが出て来ますけれど、それは別問題です。

次回の診察では、先発品に戻してからの変化を先生にしっかりご報告します。薬剤師さんにも参考にしていただくためにざっとお話ししようと思います。

関連記事:

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よみさんの3D新作、沙悟浄!

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いやん、生々しいったら!

「西遊記」の沙悟浄だとか。

首にかけている髑髏のネックレス。それらは過去に沙悟浄が餌食にした三蔵法師の九つの髑髏。三蔵法師は9回生まれ変わって修行を積んだのです(今生で10回目)。

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2016年2月26日 (金)

応募者の死闘の歴史がわかる凄い情報サイト「文学賞の世界」。電子書籍の表紙作りに役立つサイト。

最近、「文学賞の世界」というサイトを見つけました。「日本で行われてきた数々の文学賞に関する基礎的な資料をご紹介しています」と説明があります。

サイトマップを一望し、目眩がしてしまったほど。これは凄いです! 

プロ対象の文学賞、素人対象の文学賞の詳しい情報が提供されています。

ふと「あのとき受賞なさったあの方は、その後どうなさっているのだろう? プロとして活躍なさっているのだろうか、まだ素人の立場で他の賞にチャレンジなさっているのだろうか?」と思ったりしていたのですが、かなり消息を辿ることができました。

審査員のお名前、その賞が今も継続しているかどうか、青色になっているお名前をクリックすると同じ人が他にどんな賞に応募し受賞しているかなど、様々なことがわかり、驚かされました。

わたしが最終候補(九州芸術祭文学賞の場合は地区優秀作)まで行ったのは「織田作之助賞」「九州芸術祭文学賞」だけで、各2回ずつですが、最終候補者の名前も出ています。

「織田作之助賞」の頁全体を閲覧して賞の変遷がわかりましたし、「九州芸術祭文学賞」では地区次席までわかり、何度となくチャレンジしている人が如何に多いかがわかりました。

応募の参考になる、これだけ多くの情報を提供してくれるサイトはなかなかありません。

また、応募者のほとんどが志を遂げずにいわば文学界という戦場で戦死する運命にあることが改めてわかるような、わが国の文学界における死闘の歴史を見せてくれるサイトでもあります。

これだけの文学賞があり、それにチャレンジする夥しい人間がいるにも拘わらず(だからこそ、なのかもしれませんが)、日本の文学が劣化と衰退の一途を辿っている現実は本当に深刻な問題でありましょう!

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わたしはパブリックドメインの写真、イラスト、フレーム、フォントなどをお借りして電子書籍の表紙を作成していますが、以下は最近発見したサイトです。

上記サイトを管理なさっている方のまとめもありました。いやあ、これも凄い! 貴重なまとめですね。

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『村上春樹と近年のノーベル文学賞作家たち』のお買い上げ、ありがとうございます!

評論『村上春樹と近年のノーベル文学賞作家たち(Collected Essays 1)』(Kindle版、ASIN:B00BV46D64)をお買い上げいただき、ありがとうございます! 

2月18日ごろ、ドイツのキンドルストアでお買い上げいただいたようです。

 『村上春樹と近年のノーベル文学賞作家たち』は、これまでで55冊お買い上げいただいたことになります。

  • アメリカ……20冊
  • 日本……29冊
  • イギリス……1冊
  • ドイツ……3冊
  • メキシコ……1冊
  • イタリア……1冊

村上春樹と近年のノーベル文学賞作家たち(Collected Essays, Volume 1)

「気まぐれに芥川賞受賞作品を読む 二〇〇七 - 二〇一二(Collected Essays 2)」)』(ASIN:B00J7XY8R2)は、文学界を考察した姉妹編ともいうべき1冊です。

気まぐれに芥川賞受賞作品を読む 2007 - 2012(Collected Essays, Volume 2)

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前の記事で短編児童小説を出したご報告をしましたが、もう1冊、中編の純文学小説を準備中です。

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キンドルストアで短編児童小説『花の女王』を販売中です

キンドルストアで短編児童小説『花の女王』を販売中です。99円の短編児童小説シリーズに新しい本が加わりました。

花の女王 (児童書) [Kindle版] 
直塚万季 (著)
Kindle 価格:  ¥ 99 
ASIN: B01C7QWFHU
出版社: ノワ出版; 1版 (2016/2/24)

以下の内容紹介はAmazonから。

商品の説明

内容紹介

お稽古ごとというものは、子どもも親も頭を悩ます問題です。
この問題には、第一に経済的な問題があり、素質の問題があり、お稽古ごとに通う先の問題に地域の問題や親と子どもの社交性の問題が絡んできたりもして、そうした全てを含んだ環境を司るかに見えるある種の運命的な問題が潜んでいるようでもあります。

バレリーナを夢見ている姉の花音(かのん)とサッカーチームに入りたい弟の陽斗(はると)ですが、きょうだいは健康のためにスイミングスクールに通っています。
ある朝、陽斗は庭の石畳に落ちているミツバチを見つけました。
かれは、新米のだんご職人が花粉だんごを大きく作りすぎて体のバランスをうしない、ツツジの花から落ちたのだ――と推理します……

ファンタスティックなスパイスをふりかけた短編児童小説です。
小学三年以上で習う漢字にルビをふっています。

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■ 以下は、他の99円の短編児童小説です。サンプルをダウンロードできます。

子どもも大人も楽しめる、99円の短編児童小説シリーズ!

卵の正体

ぼくが病院で見た夢

ぬけ出した木馬

マドレーヌとわたし

マドレーヌとわたし(漢字使用)

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■ 以下は中編児童小説です。サンプルをダウンロードできます。

田中さんちにやってきたペガサス

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■ 以下は日記体児童小説です。サンプルをダウンロードできます。

すみれ色の帽子

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■ 以下はシリーズ物の第1巻です。冒険前夜の物語です。サンプルをダウンロードできます。

不思議な接着剤1: 冒険前夜

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2016年2月25日 (木)

『村上春樹と近年のノーベル文学賞作家たち』のお買い上げ、ありがとうございます!

評論『村上春樹と近年のノーベル文学賞作家たち(Collected Essays 1)』(Kindle版、ASIN:B00BV46D64)をお買い上げいただき、ありがとうございます! 

2月15日ごろ、お買い上げいただいたようです。

 『村上春樹と近年のノーベル文学賞作家たち』は、これまでで54冊お買い上げいただいたことになります。

  • アメリカ……20冊
  • 日本……29冊
  • イギリス……1冊
  • ドイツ……2冊
  • メキシコ……1冊
  • イタリア……1冊

村上春樹と近年のノーベル文学賞作家たち(Collected Essays, Volume 1)

「気まぐれに芥川賞受賞作品を読む 二〇〇七 - 二〇一二(Collected Essays 2)」)』(ASIN:B00J7XY8R2)は、文学界を考察した姉妹編ともいうべき1冊です。

気まぐれに芥川賞受賞作品を読む 2007 - 2012(Collected Essays, Volume 2)

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99円の短編児童小説シリーズに入る『花の女王』をKindleダイレクトパブリッシングに、ようやく提出しました。現在、審査中です。

姉と弟――小学生のきょうだいのお稽古事の問題に自然界の出来事が絡んだところへ、ファンタスティックなスパイスを振りかけました。

原型は昨年からあったのですが、作品として完成した気がせず、書き直しました。よくありがちな現実、ありそうな物語ではないかと思いますが、うちの子どもたちが小学生だったころの出来事や、わたしの神秘主義的な体験が物をいっている、作り物であって作り物ではないような独特の作品に仕上がっているとワタクシ的には思います。

出版の許可が下りたら、改めて紹介します。お子さまに如何でしょうか。小学三年以上で習う漢字にはルビをふっています。

自分の本から離れてお話しすれば、最近は電子書籍を読むための専用端末がよくなったので、自分の中での違和感なく電子書籍をおすすめできるようになりました。専用端末は目にやさしく、辞書機能もあるので、結構いいと思います。それでも、紙の本があれば、子どもにはわたしでしたらそちらにします。

「最後にざっと確認してKDPに提出しよう」と確認するたびに訂正したい箇所が見つかり、昨日から最低限の家事、行動以外はパソコンの前に釘づけで、吐き気、めまいがしてきて、よれよれになったところで提出。もう嫌。

でも、できればこれも昨日書きましたが、長さがバラバラの雪をテーマにした作品3編を一緒にした作品集1冊と中編の純文学小説1冊を出しておきたいなあ。そうしないと、創作・読書まみれになって、なかなかKindle本作成までは手が回らないので。

昨日の記事に、表紙絵に関する悩みを書きました。花や昆虫のパブリックドメインの写真をお借りして作成したら、図鑑みたいな表紙になってしまったのですね。

児童小説の表紙にはやはりイラストがいいなあと思います。結局、また畏れ多くも、表紙にパブリックドメインのヴィクトリア朝アールヌーボーのアンティーク線画イラスト素材をお借りしました。

この後ろめたい贅沢。この気持ちをどういってよいのかわからない。

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2016年2月24日 (水)

99円の短編児童小説シリーズ(Kindle版)に没頭していました

Kindle本の表紙作成に熱中しているこのときでないと、新しいKindle本はなかなか出せないと思い、『花の女王』という以前書いてたまに手を加えていた作品を仕上げていました。99円の短編児童小説シリーズに入ります。

後半部分の書き直しと全体的な加筆で、時間があっという間に経ってしまいました。

問題は表紙です。パブリック・ドメインのパウル・クレーの作品をお借りりして2冊出しましたが、畏れ多い気持ちが抜けません。

『卵の正体』は以下のような表紙も作成していたのです。

Tamago2016221_ablog

こちらでよかった気がしてきました。

『花の女王』にはパブリックドメインの写真をお借りして作成したところ、仕事から帰宅した娘が「コンパクトサイズの図鑑みたい」といいました。わたしもそう思っていたところでした。

お絵描きはペガサスの絵(落書き)で力尽きたのですね。大人対象の作品の表紙だと写真でいいのですが、児童物に写真だとホント図鑑。

作り直しです。どうしましょう。

長さがバラバラの雪をテーマにした作品3編をまとめて出したいとも思っているのですが(そのうちの1編は表紙だけ作成していた昔書いた『どこか別の美しい街』)、これやっていると、歴史小説や神智学の研究(学習というべきか)が滞るので、焦る、焦る。

中編の純文学小説も3編ほどKindle化を予定しています。神秘主義的エッセーもそろそろNo.1を出したいと思っていまして。

1人しか自分がいないのが腹立たしいです。

3種類のジェネリックを先発品に変更してから、体調がよくなり、5種類の心臓の先発医薬品でうまくコントロールされている感じです。

テーブルにたとえると、ジェネリックでは支えとなる5本の足のうち3本までが短かく、テーブルがぐらついていたのでした。不良品ですよね。

とはいえ、気温差がどうしても発作を引き起こしやすく、体力自体があまりないことに変わりはないので、容量オーバーの動きは控えなくてはなりません。何にしても、心臓が軽いって、すばらしい。

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2016年2月23日 (火)

クレーのパブリック・ドメイン作品と表紙変更。様々なマグダラのマリア。

パウル・クリーのパブリック・ドメイン作品を――畏れ多いことだが――電子書籍の表紙絵にお借りした。

クレーを知らない人は少ないと思うが、その作品は高い芸術性を秘めながらも親しみやすく、ググってみると、小物、文房具、アクセサリー、Tシャツのプリントなどにもよく使われているようだ。

わたしは大学時代からクレーが好きで、その頃に購入した画集を今も時々眺めている。ウィキペディアからクレーについて引用してみる。

パウル・クレー(Paul Klee、1879年12月18日 - 1940年6月29日)は20世紀のスイスの画家、美術理論家。
ワシリー・カンディンスキーらとともに青騎士グループを結成し、バウハウスでも教鞭をとった。その作風は表現主義、超現実主義などのいずれにも属さない、独特のものである。

ウィキペディアの執筆者. “パウル・クレー”. ウィキペディア日本語版. 2015-09-06. https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%83%91%E3%82%A6%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%83%AC%E3%83%BC&oldid=56757860, (参照 2016-02-23).

短編児童小説『卵の正体』にお借りしたクレーの「mehr Vogel (als Engel)」と名づけられたドローイング。

一見、子供の落書きのようにも見えるが、この雰囲気はクレーにしか出せないものだろう。

『卵の正体』は掌編というべき短編児童小説だが、もっと長い続編の計画がある。

純文学の短編小説『昼下がりのカタルシス』にお借りしたクレーの「Magdalena Before The Conversion」。回心前のマグダラのマリア。これは何ともいえない表情のマグダラのマリアだ。

他に、マグダラのマリアをモチーフにしたパブリック・ドメイン作品を拾ってみた。

聖書の人物によって衣服の色がおおむね定まっており、聖母が青や紺色の衣やマントを着るのに対し、マグダラのマリアは緑色の下衣、朱色のマントを身につける事が多い。
ウィキペディアの執筆者. “マグダラのマリア”. ウィキペディア日本語版. 2016-02-10. https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%83%9E%E3%82%B0%E3%83%80%E3%83%A9%E3%81%AE%E3%83%9E%E3%83%AA%E3%82%A2&oldid=58566782, (参照 2016-02-23).

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16世紀に描かれたマグダラのマリア。円光がまるで麦藁帽子のように見える(?)。

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『マグダラのマリアの浄化』(ホセ・デ・リベーラ)、1636。バレンシア出身のバロック画家リペーラ。

1678年頃に制作されたバルトロメ・エステバン・ムリーリョ「無原罪のお宿り」は似た構図。リベーラの影響を受けたのだろう。マグダラのマリアと聖母マリアというテーマの違いがあるけれど。

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次の1660~65頃に制作された「無原罪のお宿り(エスコリアルの無原罪のお宿り)」は清浄そのものといってよいのか、清純そのものといってよいのかわからないが、比類ない美しさを湛えている。クリックするとdown大きくなります。

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ムリーリョは沢山の無原罪のお宿りを制作しているが、マグダラのマリアも複数制作している。

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ムリーリョの聖マグダラのマリア。1650~55頃の制作。一般女性の渾身の祈りという感じ。

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エル・グレコの悔悛するマグダラのマリア。1576~1577頃の制作。衣類の色に注目。清浄なブルー、白、紺といった色合い。画家の筆は悔悛直後のマグダラのマリアを捉えたのだろうか。

髑髏が聖書(?)に置かれている。よくマグダラのマリアと一緒に描かれる髑髏だが、イエスはゴルゴダの丘で磔刑死した。

ゴルゴダとはアラム語Golgothaで、頭蓋骨を意味するという。

頭蓋骨の形をした丘でイエスは磔刑に処されたのだ。イエスの死を見届けたマグダラのマリアが頭蓋骨(髑髏)と共に描かれるのは、そうした意味からなのか?

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ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの悔悛するマグダラのマリア。1593~1652頃の制作。独特の雰囲気。膝の上に髑髏あり。髑髏の代わりに猫でもいいような気がする。

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現代女性風だと思ったら、やはり時代が下った19世紀、アリ・シェフェールによるマグダラのマリアだった。

他にも様々なマグダラのマリアが描かれてきたが、次に紹介する正教会のマグダラのマリアのイコン(14~17世紀)を観たとき、決定版はこれだと思った。

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一般人でない感じが出ているのは、これが一番ではないだろうか。マグダラのマリアがイエスに最後まで付き従った志操堅固な弟子だったことからすると(他の弟子たちは怖じ気づいて逃げてしまった)……場所柄からも……

萬子媛の肖像画を連想してしまった。

正教会でマグダラのマリアはどのように語り伝えられているのか、ウィキペディアから引用しておく。

正教会での伝承の概略

マグダラのマリアについて、福音書に記載の無い伝承は以下の通りである。
主の升天後、生神女(聖母マリア)や使徒達とともに常に祈り、広くエルサレム中に主の復活を伝え、第一の証人となった。
神の道を伝えるために、方々を旅した。
ローマへ行き、皇帝ティベリウスに会って紅い鶏卵を献上し、ハリストス(キリスト)の復活を伝え、主の十字架の死を物語り、ピラトによるイイスス・ハリストスの死刑は不法であったと皇帝に訴えた。ユダヤ人には、貧しい者が祝賀・敬意の気持ちを示す際に鶏卵を贈る習慣があり、この習慣に則ってマグダラのマリアが皇帝に紅卵を献上してから、復活の記憶(復活大祭)に鶏卵を贈る習慣が始まった。

ウィキペディアの執筆者. “マグダラのマリア”. ウィキペディア日本語版. 2016-02-10. https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%83%9E%E3%82%B0%E3%83%80%E3%83%A9%E3%81%AE%E3%83%9E%E3%83%AA%E3%82%A2&oldid=58566782, (参照 2016-02-27).

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レオナルド・ダ・ヴィンチの最後の晩餐より、部分。 イエスの向かってすぐ左隣に位置する女性的な風貌の人物は使徒ヨハネとされているが、一説ではマグダラのマリアともいわれている。

当ブログにおける関連カテゴリー:

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キンドル版『ぼくが病院で見た夢』をお買い上げいただき、ありがとうございます!

Kindle版短編児童小説『ぼくが病院で見た夢』をお買い上げいただき、ありがとうございます! 

2月14日ごろ、お買い上げいただいたようです。

『ぼくが病院で見た夢』は14冊目のお買い上げでした。

サンプルをダウンロードできます。
    ↓

ぼくが病院で見た夢 [Kindle版] 

以下は、他の99円の短編児童小説です。サンプルをダウンロードできます。

卵の正体

ぬけ出した木馬

マドレーヌとわたし

マドレーヌとわたし(漢字使用)

以下は中編児童小説です。サンプルをダウンロードできます。

田中さんちにやってきたペガサス

以下は日記体児童小説です。サンプルをダウンロードできます。

すみれ色の帽子

以下はシリーズ物の第1巻です。冒険前夜の物語です。サンプルをダウンロードできます。

不思議な接着剤1: 冒険前夜

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2016年2月22日 (月)

胸痛にスプレー1回。あれこれ。

胸痛にスプレー1回

あっ、と思ったらもうミオコールスプレー使うのが賢明。

軽い胸痛だったので、自然に治りそうな感じなのだが、一旦冠攣縮が起きたらなかなか自然には治らない。

夕方になって室内が冷えてきたと思ったのと、あっと思ったのがどちらが先かはわからないが、原因は今回も気温差だろう。

このとき、電子書籍の作業中だった。

最近表紙替えを続けて行っているのだが、新しく2冊分作成し、Kindleダイレクトパブリッシングに提出中だったのだ。

提出作業自体は難しいものではないのだが、なぜかもの凄く緊張する。それも一因かも。

本当は誕生日だった昨日提出したかったのだけれど、気に入った表紙にならなかった。

もう誕生日が来たからといって高らかに何歳になりました、と宣言する気分にならなかった。

が、サビアンシンボルで太陽の進行が自分探しの牡羊座から(友人の一人と息子がわたしの数度後を来ているはず)、実際的行動と具体化の牡牛座へ入ったことなど書きたいと思いながら、ここに書いて済ませている。

誕生日の記念として、ブラヴァツキーがSPR英国心霊研究会から誹謗中傷を受けた件で、SPRはリポートで具体的にどんなことを調査し、如何なる判定を下したのかを伝記や平成元年邦訳版のSDに収録されている編集者ボリス・ド・ジルコフ「『シークレット・ドクトリン』の沿革」などを参考にわかりやすくまとめて紹介したいと考えていたが、まだできていない。

SPRには名だたる科学者、哲学者、政治家、文学者が名を連ねているため、よほど厳正な検証によってブラヴァツキーの(そうする必要がなかった)トリックを暴いたのだろうと思われるかもしれないが、とんでもない。風評とは恐ろしいものである。

このとき病身のブラヴァツキーは寸暇を惜しんで『シークレット・ドクトリン』という大作にとり組んでいた。

単なる個人的なノートにすぎないが、簡単にまとめて近いうちにアップしたいと考えている。

話題になってかなりになる小保方晴子『あの日』も読んでいる。科学に関してはちんぷんかんぷんなことが多いので、興味自体あまりなかったのだが、あまりに騒がれているので。

小保方さんを問題視した毎日記者の本もざっと読んだ。文学的観点からしかわからないが、取材に偏りがありはしないか?

話を戻すと、カバラを、ブラヴァツキーが思想史の中でどう位置づけているかもノートしておきたいと思い、何日も前に付箋を貼っておいたのだが、これも宿題。臨済録にも付箋が……

学習で始まった58歳。あ、いってしまった。凄い婆さんみたいな気がしてしまうが、90歳が珍しくなくなったこの頃からすれば、若者の部類かもね。

ミオコールスプレー効いた。記事書いているうちに、治った。

ジェネリックを先発品に戻してから心臓が軽く、快適になったと何度も書いたが、冠攣縮性狭心症の発作も以前より軽くて済んでいる。発作自体はどうしても起きてしまうが、生活の質は格段にレベルアップした。

そういえば、お気に入りの牝馬トーセンソレイユがレースを引退してお母さんになる準備をするという情報に接した。

体調の記録とそうでないものが混じったので、あとで分けたい。

今日はこれから、先日紹介したサンマの丸干しを焼く。きっと、うまいぞぅ!

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2016年2月20日 (土)

サンマ丸干し(三重/干物の丸高)、わらび餅 3色詰合わせ(京都/藤菜美)。「かもめのジョナサン」のデザート。

百貨店の「全国有名弁当とうまいもの大会」に行きました。

普段こちらでは手に入らないものや、お買い得なものを目当てに行くので、だいたい広告を見て家族の要望など入れ、買うものを決めて行きます。

エグチ農園(長野)の林檎は待ち構えていました。ここの林檎はすごく美味しい。「外見が多少見劣りしますが、味は通常品と変わりない」という家庭用を狙っていきます。

写真を撮ろうとしたら、娘が新聞紙にくるんでくれていたので、撮りませんでしたが、おすすめの「しなのゴールド」を買ってみました。ゴールデンデリシャスと千秋のかけ合わせだそうです。公式サイトに「外見は王林、味はふじに似ています。パリッとした触感と独特の酸味と風味が人気です。日持ちも抜群」とありました。

秀栄丸(北海道)の鮭も買いましたが、これも写真はなしです。

評判を耳にして買ってみようと思っていたのが、干物の丸高(三重)のサンマ丸干。こちらでは普段、見かけません。冷凍保存して、凍ったままグリル、フライパンで焼けるそうです。1本おまけしていただいて、これで税込み1,080円は安い。

Sanho2016219

いさみや(宇都宮)のザーサイは二袋買いました。餃子専門店なので、餃子も美味しいでしょうが、ザーサイを待っていたので。こちらではほとんどザーサイを見かけません(桃屋のザーサイくらいしか……)。

今日さっそく、ザーサイと卵を使った混ぜご飯をします。レシピ→ここ

娘から「もちもちロール」(栃木/クリオネ)か、わらび餅か、「赤福餅」(三重/赤福)との注文。

名高い「赤福餅」はその日の販売はとっくに終了していて、エグチ農園の方が大変な行列でしたよ、とおっしゃっていました。

「もちもちロール」へ向かう途中、藤菜美(京都)の方に呼び止められ、試食。のど越しがいいといいたくなるほど、ぷるんと柔らかな、印象的な食感。何て美味しいんだろう、と思いました。

透明感のある断面がこちらを向いて、そこにふんわり、きな粉や抹茶がかかっている……即購入。娘が満足してくれたことはいうまでもありません。

Wara2016219

ほとんど間食しなくなったわたしですが、たまに出かけるカフェアンドダイニング「かもめのジョナサン」では話が別です。

家族で久しぶりに行きました。いつものようにプレート料理を注文し、デザートは夫と娘がチョコレートケーキ。娘に少し貰いましたが、中はムース状で真ん中にフランボワーズが挟まっていました。

Jona2016919

「綺麗だね~」と夫が3回くらい感嘆の声をあげていました。夫にしては珍しい反応です。わたしが注文したのはショコラテリーヌ。お皿の縁に載っている岩塩をちょっとつけると、濃厚なお味にきりっとした感じが加わって最高でした。一つ娘にやったら、娘も岩塩をつけて「おお~」と感動していました。

Jona_2_2013

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ここからジェネリック関連のご報告になりますが、心臓の薬を全て先発品に戻してから、やはり体調が違います。心臓が重く、疲れでどろっとした気分になりがちだったのが、心臓が軽く、疲れにくくなりました。すると、気分もクリアなものになり、快適です。

体調がひどく悪いと、世界が終わりそうな気分にさえなりますが、そんなとき、終わりそうなのって世界ではなくて自分なんですよね。

先発品と同じ薬のはずなのですよ、ジェネリックは。そう謳われているでしょ? でも明らかに効果が違いました。ジェネリック問題については以下のカテゴリーをご参照ください。

特にご閲覧いただきたいのは以下の記事です。

当サイト内人気記事ランキングに、現在以下の記事が入っています。

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2016年2月18日 (木)

ブラヴァツキーの著作数冊にレビューを書きました

ちょっとカバラについてノートしておこうと思い、その前にAmazonに出かけてブラヴァツキーの著書のレビューを見ると、☆一つをつけられ、出鱈目なことが書かれていたのでレビューを書いていました。

数冊書きましたが、結構時間がかかり、カバラについて書く時間がなくなってしまいました。

過去記事と重なる部分がありますが、神智学に興味を覚えた方々が当ブログをご訪問くださっているようなので、記事にしておきます。

以下の本はわたしが閲覧した時点で「残り2点(入荷予定あり)」と表示されていました。

H・P・ブラヴァツキー夫人―近代オカルティズムの母 (神智学叢書)
ハワード マーフェット (著), 田中 恵美子 (翻訳)
出版社: 神智学協会ニッポンロッジ (1981/04)

ブラヴァツキーの伝記です。平易な文章で書かれた、初心者向けの伝記といった趣です。わたしはブラヴァツキー派神智学と、彼女の影響を受けてはいても全く別の思想を展開している人々との区別があまりついていない時期にこの本を読み、ブラヴァツキーを知る上での参考になりました。

ちなみにオカルティズムとは、「宇宙と自然と人間の物質的、サイキック的、メンタル的及び霊的な秘密を研究する科学」という意味で使われています。

コレラが大流行した1831年のウクライナ・エカテリースラフ(今のドネプロペトロフスク)に、ドイツのハーン伯爵家出身で騎兵砲兵大尉だったピョートル・フォン・ハーンを父に、ドルゴルコフ王家というロシアの古い貴族出身のヘレナ・アンドレイエヴナ・フォン・ハーンを母に誕生したブラウヴァツキーの生い立ちから、不幸な結婚、神秘主義的体験を重ねた放浪、大師達との関係、神智学協会の誕生、畢生の大作シークレット・ドクトリンの完成、のちに神智学協会第2代会長となったアニー・ベザントの訪問……最期までペンを取り続けたブラヴァツキーの希有な一生をこの著作を読むことで鳥瞰することができます。

1882年に心霊現象の研究と検証を目的とした研究機関The Society for Psychical Research(S・P・R、英国サイキック研究協会)が設立されました。S・P・Rは「ホジソン報告」でブラヴァツキーに汚名を着せ、神智学協会の社会的信用を失墜させましたが、その経緯にも触れられています。

神秘主義に彩られていたブラヴァツキーの一生には、白人の植民地政策によって貶められていた東洋の宗教哲学を回復させるための執筆に捧げられた側面があります。

古今東西の科学、宗教、哲学を総合、体系化するという偉業を成し遂げたその人生と諸著書には、誹謗中傷をものともしない迫力があります。でも、この伝記を読むと、ブラヴァツキー自身は芸術家肌の繊細な人柄だったようです。

以下の本は「一時的に在庫切れ; 入荷時期は未定です」と表示されていました。

夢魔物語 (神智学叢書)
H.P.ブラヴァツキー (著), 田中恵美子 (翻訳)
出版社: 竜王文庫 (1997/05)

『夢魔物語』はブラヴァツキー異色のオカルト小説ですが、格調の高い筆致で、神秘主義的な教訓が盛り込まれています。

読みながらわたしはブラヴァツキーがロシア人だったことを、ふいに思い出しました。ゴーゴリの怪奇小説を連想したのです。文学的にも優れた著作だと思います。ただの空想の産物ではないことがわかるだけに、面白くも怖ろしい作品。

無神論者の西欧人、京都・知恩院の僧侶、山伏が織りなす『不思議な人生』、パガニーニに勝ちたいという思いから忌まわしいヴァイオリンを手にすることになった若きヴァイオリニストの話『不思議なヴァイオリン』の二編が収録されています。

次のレビューを書いたのはH・P・ブラヴァツキー(田中恵美子&ジェフ・クラーク訳)『シークレット・ドクトリン 宇宙発生論(上)』(神智学協会ニッポン・ロッジ、平成元年)に対してでしたが、これは現在中古しかないようです。

2013年に再版されたものは「残り5点(入荷予定あり)」と表示されています。これはSDの沿革とロッジ議事録が割愛されていますが、そのぶんお安くなっています。2013年版には好意的なレビューが複数書かれていて、嬉しくなります。

シークレット・ドクトリン 宇宙発生論《上》
H・P・ブラヴァツキー (著), 田中恵美子 (翻訳), ジェフ・クラーク (翻訳)
出版社: 宇宙パブリッシング; 第1版 (2013/4/15)

『シークレット・ドクトリン』はブラヴァツキー畢生の大作とされています。
内容はひじょうに難解なので、スラスラ読めるというものではありませんが(科学、宗教、哲学に通じている必要があります。どれにもほとんど通じていないわたしなどは、拾い読みの段階です)、ブラヴァツキーのいう神智学(神聖な知識または神聖な科学)がどんなものであるかが伝わってきます。
まさに、宇宙と人類の叡智の薫りがする、知識の宝石箱です。

あるテーマを哲学的に展開するには、第一にそこで使用する言葉を定義していく必要がありますが、ブラヴァツキーはその点において徹底した、それでいて無駄のない側面を見せます。
また、ブラヴァツキーは哲学書や宗教書から引用するとき(バルザックやシェークスピアなどの文学書からの引用も少なくありません)、その説の意味と著者(あるいは派)がどんな系譜に属するかを解説し、比較したり他に参照できる説があればそれらも紹介し、同時に批評も行うので(手厳しい批評が癪に障る人々から、誹謗中傷の出る傾向があります)、この本を読むことで、人類の宗教的、哲学的歩みを知ることができます。科学の教養があれば、科学的歩みを知ることもできるはずです。

最初に、『ジャーンの書』から翻訳された七つのスタンザが登場します。スタンザの注釈という形をとって、宇宙の進化という壮大なテーマが展開されていくのです。このスタンザの神秘的、豊麗な雰囲気には圧倒されます。

『シークレット・ドクトリン』にはヒンズー教用語、仏教用語が沢山出てきますが、日本人には比較的馴染みやすいのではないでしょうか。難解ではありますが、この本で西欧哲学的に表現されている思想自体は、日本人が自然に身につけている東洋的な宗教哲学と無関係ではありません。それを自覚させてくれる著作でもあります。

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以下の2冊にもレビューを書きましたが(過去記事とかなり重なります)、現在中古しかないようです。

H・P・ブラヴァツキー(加藤大典訳)『インド幻想紀行 上 ヒンドスタンの石窟とジャングルから』(筑摩文庫(ちくま学芸文庫)、2003年

とても読み応えのあるボリューミーな旅行記です(探検記といったほうがいいかもしれません)。従軍慰安婦問題との関連からイサベラ・バード『朝鮮奥地紀行』を読みましたが、ブラァツキーのこの『インド幻想紀行』を連想しました。どちらも女性によって書かれており、観察の巧みさ、調査能力の高さ! ブラヴァツキーの場合は、それに神秘主義的な洞察力と志の高さが加わります。

どちらにもトラがいると書かれ、現にブラヴァツキーはトラが現れたときのことを迫力に満ちて描写しています。彼女が象に乗ったときのことも独特のユーモラスな描写です。クジャクの描写も忘れられません。意外にも、『インド幻想紀行』のほうがイザベラの著作よりナイーヴな印象です。ブラヴァツキーは本来は芸術家肌のとても繊細な人柄だったことがわかります(ピアニストとしても通ったほどのピアノの名手だったとか)。それに……面食いだったのではないでしょうか(?)。ブラヴァツキー一行に保護者として加わったクラーヴ・ラル・シンは謎めいた存在で、すばらしい美貌と異常な長身の持ち主とあります。

「訳者あとがき」及び「解説」によると、この旅行記は、はじめモスクワの新聞「モスクワ・クロニクル」に36回に渡って寄稿されたものだそうです。第1信は1879年11月30日付。寄稿の大半にはラッダ・バイという筆名が用いられました。その後、雑誌「ロシア・メッセンジャー」に再録されたそうですが、その雑誌にはトルストイやツルゲーネフも寄稿しているとか。
連載は大変な反響を呼び、多くのロシア人がインドに関心を持つようになったそうです。ただ、この旅行記は1回の旅行での出来事を忠実になぞったものではなく、何回かの旅行時の体験が含まれているそうです。ブラヴァツキーがかつて単身インドを放浪したときのことなども。

H・P・ブラヴァツキー(加藤大典訳)『インド幻想紀行 下 ヒンドスタンの石窟とジャングルから』(筑摩文庫(ちくま学芸文庫)、2003年

ブラヴァツキーが旅した当時のインドが如何にエキゾチックな処だったとしても、『インド幻想紀行』は当然、ただの旅行記ではありません。万華鏡のようなインドの宗教を体験し、インド哲学を探究するための旅なのです。

神智学協会成立についても語られ、協会が拡がっていく中でインドとの接点ができた様子が説明されています。また、当時インドで最高のサンスクリット学者と見られていたバラモン、ダヤーナンダ・サラスワティーと文通し、その指導の下で先史アーリア国家のこと、ヴェーダ文献、難解な言語の勉強を始めたとあります。

ブラヴァツキー一行に保護者として加わったクラーヴ・ラル・シンは謎めいた存在です。初対面は27年前のイギリス、このヒンドゥー人は廃位されたインドの王子と一緒だったとあります。そしてクラーヴ・ラル・シンの母国インドで再会を果たしたとき、ブラヴァツキーは老女になっていたのに、クラーヴ・ラル・シンは27年前と同じように30歳くらいに見えたそうです。

神出鬼没で、トラを撃退したときの神秘的な様子、石窟で気絶したブラヴァツキーを救出したときの超人技、100年以上前に描かれた絵の中にクラーヴ・ラル・シンと瓜二つの姿が描かれていたり、『シークレット・ドクトリン』で書かれているのとそっくりなことを講義するクラーヴ・ラル・シン……ブラヴァツキーはある秘密を明かされたようですが、沈黙を約束したとあります。クラーヴ・ラル・シンの異常な長身と美貌は、格式張って保守的なロンドンの新聞も記事にしたほどだったとか。

インドの風景、風俗、宗教、哲学に関する詳細な報告が興味深いのは勿論ですが、このクラーヴ・ラル・シンという名で語られる人物はひときわ光彩を放っています。

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江戸初期五景2 #4 表現の仕方(萬子媛をどう表現するかの再確認) 

萬子媛を主人公とした歴史短編小説を20人ほどに内々で読んでいただいたところ、賛否両論半々だったと過去記事で書いた。

あとで細部を膨らませるつもりで、書かなければならないことを詰め込むだけ詰め込んだ書き方になったことが問題だったのは当然である。

枚数制限のある賞応募のためにそうなったというより、まずはそんな書き方をして要点を掴みたかった。

不謹慎な考えだが、賞応募はついでの話。わたしの場合、賞応募は集中度を高めることが目的なのだ。本当に賞をゲットするつもりなら、傾向と対策が必要で、そもそも文学界批判など御法度である(それくらいのことわからずにやっているほど馬鹿ではない。文学界批判が御法度となっているほど今の日本の文学は文学離れしているということでもある)。

どこからどこまで書くかを決めなければならないが、過去ノートで書いたように萬子媛から辿れる江戸初期に起きた大きな動きを全てとはいわないが、なるべく網羅した小説の完成形にしたい。

もう一つ、技法上の問題があったのだろうと考えている。

主人公の物語になっていない、主人公の感情や考えが出ていないという不満はそこから出て来ている部分もあるのではないだろうか。

というのも、わたしは主人公に意図的に距離を置いた書き方をしたので。

江戸時代を小道具にした現代小説だけは書きたくないという思いが強く(エンター系の歴史小説はだいたいそのような書き方だと思う)、『源氏物語』の中で、紫式部が藤壺の宮を描くときの技法を参考にしてみようと思ったのだった。

藤壺の宮に対して紫式部は距離を置いた描きかたで、その結果すりガラスを通して見るような、伝聞のような効果が出ている。

藤壺は光源氏に次ぐ――紫の上以上の――重要人物であるにも拘わらず、その人の感情や考えが行動を通してしかわからないために、読者は隔靴掻痒の焦れったさを覚える場合があるかもしれない。『源氏物語』が苦手な人の中にはそういった人々もいるのではないか。

その書き方を通せば、紅茶をすぐに茶碗に注ぐよりもポットの中で茶葉を蒸してから注ぐほうが香りも味も引き立つように、むしろ高貴さが香り立つように思う。

登場回数では紫の上のほうが多いのに藤壺の存在感が薄らぐことがないのは、紫式部がこうした技法上の効果を「雲隠」の手前まで持続させているからに他ならない。

また、紫式部は時々こうした技法を無視したかのように接写しているが、これも同じ技法に含まれるものと考えられ、そうすることによって印象が際立つ。

現代小説としてではなく、古典として読んでください……と読者に注文をつけるわけにもいかない。賛否両論がなく、否定的な感想しか寄せられなかったら歴史物に手を出すのはよそう、この計画は中断せざるをえないとまで思い詰めていた。

が、幸い半々で、すりガラスの向こう(深窓の麗人)の萬子媛に魅了される人が複数いてくださったことはありがたかった。

とはいえ、どなたからも社交辞令的礼賛をいただけたら、それで「歴史小説ごっこ」にけりをつけられる――、電子書籍にしたり印刷屋さんで簡単な冊子にしてあちこちにお送りすることで「仕事」を完了させられる――と、むしろ重荷が下ろせてよいような気もしていた。

ところが、賛否両論あれど、何だか「本気」の感想が届いたことに、鳩が豆鉄砲食らったみたいに驚いた。ちゃんと書かねばならないということだと諦めた。萬子媛からわたしが感じる神秘主義的魅力からすれば、確かに「仕事」を始めたばかりで放り出すのは無責任極まる話だろう。

細部を膨らませながら全体に統一感を持たせるには、中心に萬子媛を置いて、あちこちでちらりと登場させなくてはならない。紫式部はそこのところをうまくやっていて、他の女人たちに読者の関心が奪われてしまいそうになるところで藤壺の宮がどうなさった、といった短い情報を怠りなく挿入している。

こうした企業秘密(?)について過去記事で書かなかったが、このノートで再確認しておきたいと考えた。

紫式部に学んだ、考え抜いたわたしなりの手法なので、このやりかたを通す。

萬子媛の魅力を思想面から探るためには江戸時代がどんな影響を及ぼしたかの分析が必要であるため、短編2では二人の黒衣の宰相を主人公にしてみようと思ったのだが、この2人を主人公にした小説にするかエッセーにするかはもう少し調べてみなくてはわからない。

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2016年2月17日 (水)

江戸初期五景2 #3 江戸時代の老人パワー、物見遊山を伴う神社参詣 

萬子媛の主宰した禅院「祐徳院」は義理の息子、鍋島直條の著作とされる『祐徳開山瑞顔大師行業記』から抜粋すると、「大師、尼十数輩フ領シ」「晨ニ誦シ、夜ニ禅シ、敢(あえ)テ少シモ懈(おこた)ルコトナシ」「迹(あと)閫(しきみ)ヲ越エズ。并(あは)セテ尼輩ノ出門、俗客ノ往来を許サズ。其ノ佗ノ規矩、森厳タリ」とあるように世俗との交わりを断った孤高の存在であった。

だから、村人との接触はほとんどなかったと思われるが、神社の公式サイトに「水鏡」と題し、畑で獲れた野菜を届けた村人との会話が紹介されているから、そのような形で村人が萬子媛(祐徳院様と呼ばれていたのだろう)の姿を見たり、話ができた――こともある――ということだろう。

その村人の暮らしがどのようであったかは、郷土史家の年表が大変参考になる。自然災害に関する記述を拾っておきたい。

また、江戸時代の特色として、以下の過去ノートで書いた高齢者の有効活用がある。

それは江戸時代は幼児、若者、壮年が疱瘡(天然痘)のような致死率の高い伝染病などであったいう間に死んでしまう医療事情と表裏一体となった生活の知恵であったが、幕府は高齢者の人材活用を奨励し、藩はそのための工夫を凝らした。

働く高齢者には褒美や養老扶持の支給などで報いたのであった。

そして、人がよく死ぬということは嫌でもこの世のことやあの世のことを考えさせ、宗教が盛んになる機縁ともなる。

幕府の農業政策が成功し、商業が発達して街道が整備されるようになると、物見遊山を伴う神社参詣の旅が流行した。わたしは短編小説1で、その街道について書いている。

村人の生活を書き込むには、上記のような特色を軸として、もっと調べなくてはならない。

萬子媛が「水鏡」に出てくる村人と会話を交わしたのがいつのことかはわからないが、僧侶としての方向性が定まり、落ち着きが備わって、貫禄が出て来たころではないかと想像する。

元禄11年(1698)に黄檗僧の正装をした萬子媛の肖像画が描かれている。このとき73歳。

謹厳そのもののお顔だが、わたしが神秘主義的に感じとった萬子媛は、さすがは「神様」として祀られているだけあって、圧倒的なパワーの持ち主であり、おそらくは生前もそうであったように温かな人柄と微に入り細を穿つ洞察力を持ちながら、一方ではユーモアを好みそうなタイプの方だと感じた。

そして、生前も、あの世でボランティア集団を組織して300年以上も奉仕活動をなさっている今も、とても率直な方なのではないだろうか。

『祐徳開山瑞顔大師行業記』に、親戚がうるさくてなかなか出家できなかった……と萬子媛がもう1人の義理の息子で、僧侶になった断橋(直孝)に打ち明けたようなことが書かれていて、つい笑ってしまった。生前から率直な方だったんだと納得した次第。

人間、死んでもそう変わるものではないというが、本当にそうだという気がする。またあの世では具体的に、実際に、この世のために奉仕している方々がいらっしゃるということが萬子媛の存在とあり方で本当にわかった。

それで、わたしは萬子媛が怖くなく、たちまち大好きになってしまったのだ。もしわたしが江戸時代に生まれ、萬子媛の禅院で修行生活を送ったとしたら、優しさ、面白さ、楽しさ――などの豊かな情緒が萬子媛からは格調高く伝わってくる――よりも、厳格さをより痛烈に感じることになったのだろうか。

わたしの萬子媛に関する神秘主義的記録は拙「マダムNの神秘主義的エッセー」の以下の記事を参照されたい。

ノートのテーマから逸れたが、村人の暮らしには江戸幕府の政策が反映している。江戸を設計した2人の黒衣の宰相を分析するために、まずは天海をざっと調べ、昔買った『臨済録』を崇伝や萬子媛の宗教に関係することから読んだ。

そういえば、郷土史家が萬子媛の夫、直朝公の宗教観について、重大なことをお書きになっていた。次のノートで、年表からの自然災害の抜き書きや、そのことを改めてノートしておこう。天台宗の僧侶であった天海が創唱した「山王一実神道」もノートしなくては。『臨済録』からも抜き書きしておきたい箇所がある(これは創作のためというより、神秘主義的興味からだが)。

ところで、昨日はデップ様主演の映画『ブラックスキャンダル』を家族で観に行った。ギャングが登場するので(デップ様演ずるジェームズ・ホワイティ・バルジャーはアイルランド系の移民だが、ボストンにおけるアイルランド・マフィアのドンで、イタリア・マフィアと対立している)、残酷な場面が多く、半分くらいは両手の人差し指で耳に栓をし(効き目なし)、目を閉じていた。

政界、FBIを巻き込んだスキャンダルへと発展するが、実話がもととなっているのである。その興味がなければ、いくらデップ様の演技が迫力あったとはいえ、観たことを後悔したかもしれない。

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2016年2月16日 (火)

ハムのパピヨット(江戸崎先生)、しらたきのかか煮(『365日のおかずと献立』主婦の友社)、塩豚ヒレの蒸し煮(『あっさり味のおかず』主婦の友社)

過去記事で何年か前にレシピを紹介しましたが、最近になって久しぶりに作り、改めて美味しいと思ったので、再度紹介します。

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江戸崎愛『肉・卵の基本料理』(家の光協会、昭和56年)より、『ハムのパピヨット』。

[材料・4人分]
ロースハム(2㎝厚さのもの)4枚,バター小さじ4,パイナップル(缶詰)4枚,プラム(乾燥品)4個,赤ワイン大さじ4,パセリのみじん切り少々.

[作り方]

  1. アルミホイルを30センチ角に切り、中心より少し上の部分に、バター少々(材料外)をぬっておきます。同じものを4枚作ります。
  2. .ハムは2センチ厚さに切り、パイナップルは水けをよくふいておきます。
  3. プラムは少しやわらかめのものを用意し、種を取っておきます。固いものは少しぬるま湯につけてもどします。
  4. アルミホイルの、バターをぬった部分にハムをのせ、その上にパイナップルをのせます。
  5. ④のパイナップルの中心に、③のプラムをのせ、バターを小さじ1ずつのせます。
  6. ⑤に赤ワインを大さじ1ずつふりかけて、アルミホイルをふわっと半分に折り、周囲を きちっと折ります。
    7.フライパンに⑥を並べ、ふたをして弱火で15分ほど蒸し焼きにします。

わたしはオーブンでホイル焼きにしました。家族はこれを作ると大喜びです。お歳暮やお中元の放出品とか、賞味期限が近いために安くなっているロースハムを見かけると、とりあえず買っておきます。

写真を見て甘そうと思われるかもしれませんが、ハムとほどよく調和してとても美味しいです。ハムが隠れて見えますが、結構ボリューミーなのです。

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以前は頻繁に作っていましたが、なぜかずっと作っていませんでした。箸休めにぴったりですよね。

『365日のおかずと献立』(主婦の友社)より、「しらたきのかか煮」。

  1. しらたき1玉はサッとゆでてざるにとり、3~4cm長さに切る。
  2. 鍋に油大さじ1を熱し、充分に炒めて、しょうゆ大さじ2.5、砂糖小さじ2を加え、箸でかき混ぜながら味を充分につける。
  3. 最後に削り節を1/4カップ入れ、全体にまぶしつけるようにして仕上げる。

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『あっさり味のおかず』(主婦の友社、平成19年)より、「塩豚ヒレの蒸し煮」。

[材料・2人分]

  • 豚ヒレかたまり肉……200g
  • 塩小さじ……1/2弱
  • 砂糖……小さじ1
  • 玉ねぎ……1個
  • パセリの茎……1本
  • 白ワイン……1/4カップ+大さじ3
  • 塩……小さじ1/4
  • こしょう……適量
  • パセリのあらみじん切り……適量

[作り方]

  1. 豚肉は5cm厚さに切り、塩と砂糖を両面に振って約15分おく。浮いてきた水けをペーパータオルなどで押えるようにしてふく。
  2. 玉ねぎは厚めの薄切りにする。
  3. フライパンに玉ねぎとパセリの茎、白ワイン1/4カップと塩を入れ、ふたをして中火にかける。沸いてきたら上下を返し、豚肉を玉ねぎの上に並べ入れ、残りの白ワインを加えてふたをし、中火弱にして約5分蒸し煮にする。
  4. 器に盛り、残っている汁もかけてこしょうを振り、パセリをあしらう。

すぐにできて、見栄えがします。安くなっている豚ヒレ塊肉を見たときに買って作ります。

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『村上春樹と近年のノーベル文学賞作家たち』のお買い上げ、ありがとうございます!

評論『村上春樹と近年のノーベル文学賞作家たち(Collected Essays 1)』(Kindle版、ASIN:B00BV46D64)をお買い上げいただき、ありがとうございます! 

2月7日ごろ、アメリカでお買い上げいただいたようです。

 『村上春樹と近年のノーベル文学賞作家たち』は、これまでで53冊お買い上げいただいたことになります。

  • アメリカ……20冊
  • 日本……28冊
  • イギリス……1冊
  • ドイツ……2冊
  • メキシコ……1冊
  • イタリア……1冊

村上春樹と近年のノーベル文学賞作家たち(Collected Essays, Volume 1)

「気まぐれに芥川賞受賞作品を読む 二〇〇七 - 二〇一二(Collected Essays 2)」)』(ASIN:B00J7XY8R2)は、文学界を考察した姉妹編ともいうべき1冊です。

気まぐれに芥川賞受賞作品を読む 2007 - 2012(Collected Essays, Volume 2)

以下の3冊は着替え完了。

田中さんちにやってきたペガサス [Kindle版]
直塚万季 (著)
ASIN: B00BEMD5ZK

ぼくが病院で見た夢 [Kindle版]
直塚万季 (著)
ASIN: B00BGEDKYM

枕許からのレポート(Collected Essays, Volume 4) [Kindle版] 
直塚万季 (著)
ASIN: B00BL86Y28

『台風』も着替えました。既にKindleダイレクトパブリッシングからは「Kindle ストアで販売開始されました」とのメールが届きましたが、Kindleストアの本に反映されるには1日くらいは時間がかかると思います。

Typhoon2016_blog

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届きました、ヘルベッサー!

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過去記事で、ヘルベッサーがひと月分足りないことに気づき、薬局にお電話して郵送していただくことになったと書きました。

写真は撮りませんでしたが(気力なく)、昨日の午前0時近くになってまたミオコールスプレー1噴霧しました。

昨日はニトロを使っても体調が今一つで、というより、薬がインデラル、ヘルベッサー、アイトロール、シグマート、サンリズムの順で追加になるころによく腹部膨満感を覚え、おなかがパンパンになって苦しくなっていましたが(先生は冠攣縮性狭心症の発作だろうとおっしゃり、その通りニトロが効きます)、そうなりました。

家事は何とかこなし、こんなときのために安く出ていたときに買っておいたハムを使って、江戸崎先生のレシピ「バムのパピヨット」を参考に作りました。美味しくできたパピヨットは根性でいただきましたが、おなかがパンパンで、苦しくて他のものが入らない。

夜の食後の薬を飲んでもヘルベッサーが欠けていたためか、苦しさがあまり変わらず、前述したように午前0時近くになってミオコールスプレー1噴霧。

午前中もおなかパンパン。10時半ごろ待ちに待ったヘルベッサーが届き、服用しましたが、そのときは胸の圧迫感も出ていて、症状が和らがず。仕方なくミオコールスプレーを正午近くになって1噴霧。

血圧低下のせいか眠くてたまらなくなったのですが、胸が苦しい。1時間ほどしてもその胸の苦しさとおなかパンパンが治らず、止まりにくい咳に悩まされたので、2噴霧。もう気絶するまで噴射したくなりました(先生はこれを警戒して、舌下錠を処方したがっていらっしゃるのかもしれません)。

でも、その2噴霧が効いたようで、咳と胸の苦しさがぴたりと治りました。おなかはまだ変に膨らんでいますが。不思議なのは、これだけ噴霧したらさらなる血圧低下で爆睡するのではないかと不安でしたが(今日は家族で出かけるかもしれないので)、むしろ眠気がとれました。眠気の原因にはいろいろあるでしょうが、この場合は冠攣縮性狭心症や不整脈が原因だったのでしょう。不整脈も出ていたのです。

お陰様でほぼ平常に戻りましたが、今のわたしにはどの薬一つ欠けても日常生活を快適に過ごすのは難しいとわかります。

インデラルが欠けると120~140の動悸に繰り返し襲われ、サンリズムが欠けると心房細動、ヘルベッサーが欠けると今回のような冠攣縮性狭心症の発作。アイトロールはニトロの仲間で、欠けるとやはり冠攣縮性狭心症の発作が起きやすくなり、シグマートは末梢血管を拡げてくれるので、これも欠けると冠攣縮性狭心症の発作が起きやすくなります。

一旦発作が起きて調子が崩れると、平常に復するまでに時間がかかります。気温差などで、予防していても発作は起きてしまいますが、全部先発品に戻してからは発作が起きても平常に戻るまでの時間が短くて済みます。

ヘルベッサー、アイトロール、シグマートがジェネリックだったときより快適になったということは、先発品ではそれだけ予防がしっかりできているということです。

わたしのようなタイプの病人には、外で何かしたいとか、ハードワークをこなしたいといった欲望は贅沢なことで、毎日が苦しくなく過ごせて家事ができるということが何よりの治療の効果、科学の恵みだとわかりました。

循環器クリニックの先生は名医との評判も高く、日赤に別件で検査入院したときについでに受けたセカンドオピニオンでも、日赤の先生は循環器クリニックの先生の投薬の仕方に関心していらっしゃいました。

でも、わたしは少しその腕を疑っていました。発作が起きるのは仕方がないけれど、日常生活が肉体的につらいのはわたしには「猿も木から落ちる」なのではないかと。

そうではなかったことがわかりました。先発品に戻してみて。先生がいくら完璧な処方箋をお書きになっても、どの程度効いているのか、どんな副作用が出ているのかもわからないジェネリック相手では別の処方箋になっていたようなものだったのです。

3種類のジェネリックが全く効いていなかったとしたらもっとひどいことになっていたでしょうから、効いていたとは思いますが、効き目が全体的に弱かったのではないでしょうか。安く済ませるはずが、高くつきましたよ。5年間の体調不良の日々はやり直しが利きません。

いつも鉛のように心臓が重かったので、それが重しになってパソコンの前に縛りつけて創作したり読書したりといった効果はあったのかもしれませんが、それではまるで囚人です。

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2016年2月15日 (月)

Kindle版『ぼくが病院で見た夢』『枕許からのレポート』の表紙変更。素敵な英語のフリーフォント。

Kindleストアに出している児童小説『田中さんちにやってきたペガサス』に続いて、児童短編『ぼくが病院で見た夢』、手記『枕許からのレポート(Collected Essays, Volume 4)』の表紙も変更になります。

Kindleダイレクトパブリッシングから「Kindle ストアで販売開始されました」とのメールが届いたので、間もなく表紙の変更が反映すると思います。メールが届いてから実際にKindleストアで変更が反映されるまでにはいくらか時間がかかるのが普通です。

2冊とも、内容には変更ありません。以下が新しい表紙です。

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「枕許からのレポート」は当ブログでも、神秘主義的拙記事を集めた「マダムNの神秘主義的エッセー」でも全文紹介しています。

他にも表紙を変更しようとしているところです。過去記事で、フォントのライセンスを話題にしました。

そして、以下のサイトで、フリーで使える日本語のフォント219種類が紹介されていて表紙作成に助かっていると書きました。

■ 「coliss」
2016年用、日本語のフリーフォント219種類のまとめ -商用サイトだけでなく紙や同人誌などの利用も明記
http://coliss.com/articles/freebies/best-of-free-japanese-fonts-for-2016.html

同じサイトで、素敵な英語のフリーフォントも紹介されています。眺めているだけで楽しくなってきます。

■ 「coliss」
2014年、フォント好きのための高品質なすごいフリーフォントのまとめ
http://coliss.com/articles/freebies/2014-best-of-free-fonts-for-roman.html

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強い胸の圧迫感にミオコールスプレー1回。ヘルベッサーが待ち遠しい。

20160215115207

記録にはないそうですが、先発品に変更ということで、在庫がなかった可能性もあるそうです。ヘルベッサーをお届けしますということでしたが、わざわざ届けていただくのは悪いなと思い、郵送で構いませんとお答えしました。

速達なので、じきに届くでしょう。

ヘルベッサーは「カルシウム拮抗薬の中でも、ジルチアゼム(商品名:ヘルベッサー)は全身の血管よりも冠動脈に対する作用の方が強いです」と専門のサイトで説明されています。

今通っている循環器クリニックに替わってから、冠攣縮性狭心症対策として最初に追加されたのがこのヘルベッサーでした。

この薬を飲まないでいると、5種類飲んでいる心臓の薬を全て先発品に戻す前――インデラルとサンリズムは既に先発品でした――の体調に似てきます。

ヘルベッサーのジェネリックは効き目が弱かったのではないかと思います。そのときに近く、昨日の朝からヘルベッサーを服用していないのですが、そのせいだとしか思えないめまい、胸の圧迫感が出現。

昼前にその圧迫感が強くなり、咳が止まらなくなったので、ミオコールスプレーを1噴霧し、ダウン。寝てしまいました。

胸の重さが完全にはとれません。軽いめまいもあり。ヘルベッサー、待ってますheart04

今後は、薬局で在庫切れで薬を「郵送します」といわれたときはこのブログにそう記録しておこうと思います(忘れないようにしなくては)。日記に書いてもいいのですが、日記よりブログのほうがよく見るので。

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2016年2月14日 (日)

あれ? 薬が1種類1ヶ月分足りない~!

薬を飲もうとして気づきました。ヘルベッサーが1ヶ月分足りない~(゚-゚;)コマッタ

そういえば、薬が1種類在庫を切らしていて日数分ないので、あとで送ると薬剤師さんにいわれたような、そういう気がしているだけのような……

たまに在庫切れで、あとで薬が郵送されることがあるのです。薬は、薬剤師さんが患者と確認しながら渡されるので、このようなケース以外は通常足りないということはありません。足りなければ、その場でわかりますから。

が、あとで郵送……となった場合は、届いたかどうかの確認を忘れてしまったりするのですね。薬剤師さんがお忘れになることはこれも通常ないことなので、わたしがうっかり掃除のときなどに捨ててしまったのかもしれませんが。

これも通常考えられないことではあります。

が、実は、前々からの薬が余っていたのですが(予備がないと不安ということもあります)、ジェネリック混じりだったときとの体調の差が大きいために、ジェネリックに対するわたしの不審感は最高潮に達しております。それで、間違って服用しないように、溜まっていたジェネリックを全部処分してしまったのです。

そのとき、一緒に新しく出していただいたヘルベッサーを間違って捨ててしまったのでしょうか?

何にせよ、今朝からヘルベッサーを飲んでいず、そのためかどうかジェネリックを飲んでいたときのような心臓の重さが戻ってきています。そう、前はまさに今のこんな感じだったのです。

体調がよくないために、気分まで若干暗めといおうか、動くのがしんどいし、つい溜息が出て、「あっ、先発品に戻す前と同じ……」と思います。5年間、よく頑張ったものです。

心臓の薬5種類が、3種類ジェネリック混じりだったのを全て先発品に戻していただいたとき、先生はよかったという表情をなさいました。

明日の朝、調剤薬局に問い合わせの電話をして、前回の受診時に全部渡されたということであれば、午前か午後かに足りない分を貰いに行かなければなりません。受診せずに薬だけ出していただけますが、先生の処方箋が必要なので、受診のときほどではありませんが、結構待たされます。

冠攣縮性狭心症の患者さんが集うサイトの記事やコメントを拝見していると、寒いこの時期には発作の増えている人が多いようです。

全て先発品に戻してからもその点では変わらず、わたしも何回か冠攣縮性狭心症の発作がありましたが、以前の体調の崩れ方はこんなものではありませんでした。普段から体調がよくないために、もっと長引き、心不全の症状もよく出ていました。

このひと月、発作はあったとはいえ本当に快適に過ごせています。嫌な不整脈もほとんど出ていません。

ただ、何か変化があるとすぐに完全に健康になれるような幻想を抱いてしまい、今回もそうでしたが、単に全て先発品を飲んでいたときに戻っただけですから、過剰な期待はやはり幻想にすぎませんでした。

時々買い物に出て同じ日に料理したり、もう少し気候がよくなれば、近い市民図書館に出かけて買い物して同じ日に料理することができるようになる期待が高まっています。家事のうち――後片付けを含めれば――料理はかなり体力を使うので、わたしの場合は健康状態を見るバロメーターになります。

が、無理が禁物なのは以前と同じで、体力がないのも同じです。

それでも違います! 日常生活におけるわたしはレベルアップしました。

勢い余って電子書籍の表紙を三つ作成して変更し(もう一つ作っておきたい)、娘も飼っているオンラインペット「リヴリー」のサイトに無料登録してつい遊んでしまいました。

  • リヴリーアイランド公式サイト「リヴリーアイランドコル」
    http://www.livly.com

わたしが飼ったのは、バレンタイン限定のリヴリーで、ハート形の頭部をしたチワワみたいなリヴリーです。

以前はソネットさんでやっていましたよね。わたしはハーボットのほうを飼っていました。サービスが終了したときは悲しくて悲しくて……。

娘はハーボットのあとでピグミーを飼い、放置しているうちにお墓が立ってしまいフリーズしていましたが、昨年からネオピグミーを飼っています。

時々見せてくれたのですが、関心がありませんでした。ところが……

これほど遊び呆けたのはそれこそ何年ぶりかです。3匹まで飼えるので、ネオピグミーも飼おうかな、それともちょっと変わったやつにしようかしらと迷っています。

この5年間、いつも体調と気持ちに余裕がなくて、家事だけでいっぱいの暮らしに、無理矢理創作を押し込んで、ぎりぎりの状態でやっていました。

以前の体調であれば、たぶんリヴリーで遊んでいた間にカバラの勉強をすすめ、歴史小説のために臨済録からメモをとっていたことと思います。

ただ体調が悪いままだったら、カバラの理解が急に進んだかどうかは疑問です。体調がよいと視野が広くなり、複雑な思考が可能になります。でも、わたしは根が軽いようで、体調がいいほどに軽い人間になって、創作したくなくなってしまうのですね。お勉強も嫌になります。

困ったものです。就職時に母が倒れず、結婚後に病気にならなければ、たぶんわたしなりに精力的に外で働いて英語を勉強して神智学をもっとやっていたと思います。物欲も正常に機能して貧乏を嫌って生活を豊かにする方向に力を入れていたでしょうし、時間があるときには創作するより外国語の習得をして翻訳の真似事なんかしていたかもしれません。

まあ想像にすぎませんが、母が倒れたために、また若くして病気になったために人生が大きく変わったのは間違いありません。

元気になったとはいえ外へ出るとやはり疲れますが、家での普段の暮らしが快適になったのは大きい差です。

しつこくジェネリックについて書くのは、これが大きな国民的問題だと思うからです。広義には薬害問題とさえいえるのではないでしょうか。

余命ブログ(「余命三年時事日記」)でこの問題が追及され、専門家を含めた多くのジェネリック情報に接さなければ、先発品に戻すこともなく、「わたしはきっと余命あと数年だわ┐(。・ε・。)┌ャレャレ」と思っていたことでしょう。

余命ブログでは、確実な台湾地震の募金先に関する活発な情報交換もなされています。

当ブログにおける 関連記事:

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2016年2月13日 (土)

Kindle版の児童小説『田中さんちにやってきたペガサス』の版を更新。2016年版日本語のフリーフォントの参考になるまとめ記事。

Kindle版の児童小説『田中さんちにやってきたペガサス』の版を更新しました。また表紙が替わりました。

Pegasus1_blog

田中さんちにやってきたペガサス

そのままでもいいかなとも思ったのですが、繰り返し気になる1箇所があったので、赤字の部分を挿入しました。第11章です。 

第十一章 その後の田中さんち

トラ男とヒョウ女は、金融業関係の⇒トラ男とヒョウ女は、あまりたちのよくない金融業関係の

この程度の訂正ではKindleダイレクト・パブリッシングから購入者への更新の通知はなされないと思うので、過去に『田中さんちにやってきたペガサス』をお買い上げいただいた方で、最新版を入手なさりたい方はご自分でAmazonサポートにメールしていただく必要があります。

過去記事にも書きましたが、そのやり方は以下のサイトが参考になります。よろしくお願い致します。

■ 「青木宣明のブログ」
Kindle電子書籍の改訂版を入手してみた
http://www.panoramic-view.info/2013/12/25/3125/

表紙も変更したのですが、以下のサイトではフリーで使える日本語のフォント219種類が紹介されていて、助かります。

■ 「coliss」
2016年用、日本語のフリーフォント219種類のまとめ -商用サイトだけでなく紙や同人誌などの利用も明記
http://coliss.com/articles/freebies/best-of-free-japanese-fonts-for-2016.html

わたしは特に源柔ゴシック、ほのかフォント、IPAフォントが好きですが、使ってみたい大胆なフォントやユニークなフォントがいろいろあって、楽しい気分になりました。

また、当たり前のように使ってきたMSゴシック、MS明朝、メイリオなどのライセンスはどうなっているのだろうと気にかかり、ググってみたところ、以下のサイトの記事にわかりやすい説明がありました。

■ 「某氏の猫空」 
Windowsに標準搭載されているフォントの利用条件
http://blog2.k05.biz/2014/10/windows-font-license.html

ところで、主人公の名前を考えたときのエピソードを紹介しますと、『田中さんちにやってきたペガサス』に登場するペガサスはまずギリシア神話に登場する生き物です。

ギリシア神話というとプラトンを連想します。プラトンの作品にはギリシア神話が精気に満ちて登場するからです。

そして、プラトンからはプラトンやピタゴラス、新プラトン主義について多くを書いたブラヴァツキーを連想し、ブラヴァツキーからは彼女の著作を翻訳し解説し会員たちに教えてくださった神智学の恩師、田中先生を連想して、田中姓となった次第でした。

先生にはご迷惑かもしれないとも思いましたが、幸い日本には田中姓の方が沢山いらっしゃいますから、決めました。この作品が特に神秘主義的な作品というのではなく、ファンタスティックな色に淡く彩られたお話なのですが。

作品の続編を考えているのですが、なかなか書く時間がとれません。頭の中にあるものを具体的な形にするというのは手間暇のかかる大変なことですね。

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2016年2月11日 (木)

「マダムNの神秘主義的エッセー」更新のお知らせ。萬子媛の小説の今後。

拙ブログ「マダムNの神秘主義的エッセー」を更新しました。

当ブログに書いた2012年から2014年までの3回にわたる参詣記をエッセーとしてまとめたものです。祐徳稲荷神社の石壁社における3回の神秘主義的な記録といっても差し支えありません。

締めくくりとして次のようなことを書きました。

3回の参詣を通して思ったことは、本当に貴重な体験をさせていただいたということである。

何しろ、萬子媛は1625年にお生まれになり、1705年閏4月10日(1705年6月1日)に80歳で入定なさった御方なのである。おそらく、あの世でボランティア集団を形成して300年以上、この世のために尽くしてこられたということなのだ。凡人には気が遠くなるような話である。千手観音のような萬子媛だ。

2012年に石壁社で萬子媛に語りかけたときに、「え?」と驚かれたその感じが如何にも高貴な率直な印象で、生きていらっしゃるときには江戸時代の貴婦人だったし(晩年は黄檗宗の僧侶だったわけだが、わたしには貴婦人の印象が強い)、霊界ではもっとすばらしい姿だろうが、わたしには光としてしかわからない。

萬子媛を一度驚かせたが、萬子媛のお考えをこちらで読みとることはできない。

霊感が徐々に開かれてよかった。江戸初期に生まれた400歳近い貴婦人と心を通わせることができたのだから。

だが、こんな無分別なことをいつもしているわけではない。

神社はある意味でお墓であることも多く、わたしは神秘主義者として、そこに存在しているかしていないかわからない霊に向かって不用心に話しかけるようなことは怖ろしくてできない。

萬子媛の場合は生前どんな人物だったかがある程度わかっており、ある種の勘もあって、話しかけても安全だと思ったのだった。でもまさかお返事というか、実際に反応があるとは想像もしなかった。

それが何と300年以上、参拝者のために律儀にご公務なさっているとは。霊的にはすばらしい段階に、おそらくは達しておられながら。いや、だからこそなのだろうが。

萬子媛が生前から村人たちにその徳や神通力を敬慕されていたことを思い出そう。エッセー40「ブラヴァツキーの神智学を誹謗中傷する人々 ②三浦関造の雛たちに危いまなざしを向ける人」で書いたように、死んだからといって、誰もが聖者のようになれるわけではない。生前に聖者であった人のみが死後も聖者としての高級な影響力を発揮しうるのだ。

萬子媛が「水鏡」の村人と会話を交わしたのがいつのことかはわからないが、「村人からは大変敬慕されていました」とあるから、僧侶としての方向性が定まり、落ち着きが備わって、貫禄が出て来たころではないかと想像する。透視力も備わっていた。

元禄11年(1698)に黄檗僧の正装をした萬子媛の肖像画が描かれている。このとき73歳。

謹厳そのもののお顔だが、わたしが神秘主義的に感じとった萬子媛は、さすがは神様として祀られているだけあって、光源となりうる圧倒的なパワーの持ち主であり、おそらくは生前もそうであったように温かな人柄と微に入り細を穿つ濃やかさを持ちながら、一方ではユーモアを好みそうなタイプの御方だと感じた。

そして、生前も、あの世でボランティア集団を組織して300年以上も奉仕活動をなさっている今も、とても率直な御方なのではないだろうか。

そうした率直さ、優しさ、面白さ、楽しさ――などの豊かな情緒が太陽の光のようなオーラを通じて格調高く伝わってくるので、わたしは萬子媛が怖くなく、たちまち大好きになってしまったのだ。

もしわたしが江戸初期に生まれ、萬子媛の禅院で修行生活を送ったとしたら、厳格さをより強く感じることになったのだろうか。

萬子媛を知る人間によって書かれた、萬子媛の唯一の小伝といってよい「祐徳開山瑞顔大師行業記」は、佐賀藩の支藩である鹿島藩の文人大名として知られる義理の息子、鍋島直條によって、まだ萬子媛が存命中――逝去の1年前――の元禄17年(1704)に著述された。

お世話になっている郷土史家・迎昭典氏が「萬子媛についての最も古くて上質の資料」とおっしゃる、萬子媛に関する第一級のソース――史料――である。

萬子媛の2人の息子は不幸にも1人(文丸あるいは文麿。鍋島直朝の4男)は10歳で、もう1人(式部、朝清。鍋島直朝の7男)は21歳で夭逝したが、義理の2人の息子、直孝(断橋、鍋島直朝の2男)、直條(鍋島直朝の3男)との関係がどれほど温かな、良好なものであったかは前掲史料からも推し量ることができる。

親戚がうるさくてなかなか出家できなかった……と、僧侶になっていた断橋に萬子媛が打ち明けたようなことまで書かれていて、つい笑ってしまった。生前から率直な御方だったんだと納得した次第。

人間、死んでもそう変わるものではないというが、本当にそうだという気がする。また、あの世には具体的な実際的な活動を通してこの世のために奉仕している方々がいらっしゃるといわれていることが、萬子媛の存在とあり方で本当にわかった。

江戸時代に生きた御方と霊的なふれあいができたという驚くべき、高級感のある歓びはこの世の何にも勝るものと思われるが、俗人の悲しさで、人生の問題に直面しているときには全てが夢ではなかったかと疑ってしまいたくなる。

2015年が暮れるころ、萬子媛を主人公とした歴史短編小説を仕上げた。この短編を核として作品を膨らませたいと考えている。果たして、オーブンの中でふんわり膨らむシフォンケーキのように上手に膨らませることができるだろうか。

どのように膨らませていくかで迷いがありましたが、わたしには江戸を小道具にしてヒューマンストーリーを書くことは逆立ちしてもできないので、初の歴史小説として完成させた短編の書き方でやっていくことを自己確認しました。

郷土史家の資料をそのままの形で生かし、萬子媛の小伝を書いた萬子媛の義理の息子である鍋島直條の作品を紹介するには、その形式しかないだろうと考えます。

評伝風小説、あるいは小説形式の評伝です。

いわゆる歴史小説とは若干異なる、こうした形式の作品は実は多く書かれていて、わたしは特に門玲子氏のご諸著に学ばせていただきたいと考えています。

夫はそうした形式の作品を多く読んできたため、わたしの作品には違和感がないといい、感動までしてくれたので本当に驚きました。結婚した意味があったとまで思ったほどでした(?)。

萬子媛の評伝風小説を膨らませることを主目的とするため、残る江戸四景を各短編として完成させるかどうかはまだ迷いのあるところですが、勉強のために何らかの形にせざるをえないだろうと思います。

以下の過去記事に絡んだ神秘主義的分野の学習でもちょっとした進歩(わたしにとっては大きな前進)がありました。急に学習が進むことってありますよね。

荒井献『ユダとは誰か』(講談社、2015年)を読んで、もう一つ『ユダの福音書』のイメージが掴めず、グノーシス文書の中でどう位置づければいいのかもわかりませんでした。

図書館にこの方面の第一級の研究家二人の共著、エレ―ヌ・ペイゲルス&カレン・L・キング『『ユダ福音書』の謎を解く』(山形孝夫・新免貢訳、河出書房新社、2013年) があったので、夫に頼んで借りてきて貰いました。

エレ―ヌ・ペイゲルスはナグ・ハマディ研究で大層有名な人で、プリンストン大学初期キリスト教史学の教授。カレン・L・キングはハーヴァード大神学部教授です。

カレン・L・キングは以下の記事を書いた時期にテレビのニュース番組で見ました。時間をかけた貴重な研究の成果をバチカン関係者(だったかな)にあっさり否定されていましたっけ。

しばらくこの方面の読書から離れていたので、二人のその後の研究がどうなったか知りませんでしたが、『ユダ福音書』を共同研究していたなんて、夢のよう。

『『ユダ福音書』の謎を解く』には『ユダ福音書』の原典が注解付で載っています。まだざっと読んだだけですが、これは驚くべき作品です。

実は『ユダ福音書』に関する著作は以前図書館から借りましたが、あまり読めずに終わりました。そのときの印象と違います。荒井献氏の著作から受ける印象とも違います。

ところで、神秘主義方面の研究にはカバラの知識が絶対的に必要で、H・P・ブラヴァツキー(田中恵美子&ジェフ・クラーク訳)『シークレット・ドクトリン 宇宙発生論(上)』(神智学協会ニッポン・ロッジ、平成元年)にも理解を助けるために補遺「カバラについて」という解説が訳者である田中先生、ジェフさんの手で加えられています。

この邦訳書の初版が平成元年ですから、27年もチャレンジしては挫折を繰り返してきました。勿論、カバラに関する他の著作も読みました。

カバラから取り出された断片が数秘術として大衆的な占いにも利用されていますが、とにかく難解に感じられました。

それが、何と、憑きものがとれたようにわかりました。なぜこれまでわからなかったのか。わかりません。否。わかった気がするというべきでしょう。これに関しては別の記事にします。

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美味しかった「グッチさんのえびピラフ」と「ブリの豆板醤煮」

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NHKエデュケーショナルのサイト「みんなのきょうの料理」で紹介されている「グッチさんちのえびピラフ」。これは絶品ピラフです!

ご飯を炊いている間に炒めた材料を、できたご飯に混ぜて蒸らすだけなので、とっても簡単。

作ったのは昨日で2回目でしたが、レシピにある「ふたをして蒸らす」というところがコツかなと思いました。

急いでいたためにそこを飛ばして器に盛りつけた1回目とは出来上がりのふっくり感、臭みのなさ、何より美味しさが違いました。

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最近作ったサイト「E・レシピ」の「ブリの豆板醤煮」も美味しかったですよ。野菜もたっぷりとれて理想的なメインディッシュだと思います。

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2016年2月10日 (水)

Notes:不思議な接着剤#90 キリスト教成立以前に東西に広く拡散していた仏教 

ユダとは誰か 原始キリスト教と『ユダの福音書』の中のユダ (講談社学術文庫)
荒井 献 (著)
出版社: 講談社 (2015/11/11)

図書館から借りた『ユダとは誰か』をユダ像が正典とされる四福音書において、どのように変遷したかを読んだ。

荒井氏によると(112-113頁)、

  • マルコ福音書では、ユダがイエスに「引き渡す」代償として「銀貨を与えることを約束した」といわれているだけ。
  • マタイ福音書になると、ユダは「引き渡す」ための代償を祭司長たちに要求し、彼らはユダに「銀貨三十枚」を支払った。
  • ルカ福音書では、ユダは祭司長だけでなく、神殿守護長官たちとイエスを「引き渡す」方法を協議。彼らはユダに「銀貨を与えることで一致し」、ユダは「同意」した。
  • ルカ福音書とヨハネ福音書では、ユダがイエスを「裏切った」原因として、「サタンがユダに入った」。ヨハネではユダが直接「悪魔」と名指されている。
    ヨハネ福音書ではユダが金銭欲のゆえイエスを裏切ったことがマタイ福音書、ルカ福音書で「ユダの裏切り場面」で示唆されているが、ヨハネ福音書になると、ユダは「盗人」であり、イエス集団の金庫番でありながら、その中身を「くすねていた」。

こうした正典におけるユダ像がどのように変遷していくのか、荒井氏は「使徒教父文書」「新約聖書外典」を手がかりに見出していこうとしている。

わたしの読書は「使徒教父文書」「新約聖書外典」の定義を読んだところで止まった。夕飯作りのため中断した。

荒井氏によると(114-115頁)、「正典」から除外された諸文書にも、それを読むことを必ずしも禁じられていない文書と禁じられている文書とがあり、前者にはとりわけ「外典行法」、後者には正統的教会から「異端」として排除された「グノーシス」出自の諸文書が入る。

荒井氏はまた(91頁)、ヨハネ福音書は2世紀以降、初期カトリシズムが成立する過程で、正統的教会よりもむしろグノーシス派などの「異端」的分派の中で広く読まれたと前述している。

グノーシスは定義しづらいらしく、様々な研究書で定義にばらつきがあって、ひじょうにわかりにくいが、ウィキペディアの解説は参考になる。

グノーシス主義(グノーシスしゅぎ、独: Gnostizismus、英: Gnosticism)またはグノーシス(古希: Γνῶσις、ラテン文字転写:Gnosis)は、1世紀に生まれ、3世紀から4世紀にかけて地中海世界で勢力を持った古代の宗教・思想の1つである。物質と霊の二元論に特徴がある。普通名詞としてのグノーシスは古代ギリシア語で認識・知識を意味する言葉であり、グノーシス主義は自己の本質と真の神についての認識に到達することを求める思想傾向を有する。

またグノーシス主義は、地中海世界を中心とするもの以外にイランやメソポタミアに本拠を置くものがあり、ヘレニズムによる東西文化の異教#シンクレティズムのなかから生まれてきたものとも云える。代表的なグノーシス主義宗教はマニ教であるが、マニ教の場合は紀元15世紀まで中国で存続したことが確認されている。
ウィキペディアの執筆者. “グノーシス主義”. ウィキペディア日本語版. 2016-01-02. https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%82%B0%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%82%B9%E4%B8%BB%E7%BE%A9&oldid=58096269, (参照 2016-02-09).

ブラヴァツキーの著作にはグノーシスに関する事柄が豊富に出てくるので(詳しい複雑な解説の中で逆にまとまりがつかなくなったりもするが)、H・P・ブラヴァツキー(田中恵美子訳)『神智学の鍵』(神智学協会ニッポン・ロッジ、昭和62年初版、平成7年改版)、H・P・ブラヴァツキー(ボリス・デ・ジルコフ編、老松克博訳)『ベールをとったイシス 第1巻 科学 上』(竜王文庫、平成22年)、H・P・ブラヴァツキー(ボリス・デ・ジルコフ編、老松克博訳)『ベールをとったイシス 第1巻 科学 下』(竜王文庫、平成27年)、H・P・ブラヴァツキー(田中恵美子&ジェフ・クラーク訳)『シークレット・ドクトリン 宇宙発生論(上)』(神智学協会ニッポン・ロッジ、平成元年)を読んでいた。

H・P・ブラヴァツキー『神智学の鍵』の用語解説には次のように書かれている。

グノーシス(Gnosis,希)
 文字道りには「知識」。西暦1世紀及びそれ以前の宗教哲学派によって用いられた専門用語で、その探究の対象を表した。霊的で神聖な知識をヒンズー教徒はグプタ・ヴィディヤーというが、これは霊的秘儀のイニシエーションを受けた時のみ得られるものである。儀式的秘儀は霊的秘儀の一種である。グノーシスを体系化し、教えたグノーシス派の哲学者達は1~3世紀に栄えたが、そのうちヴァレンティヌス、パシリデス、マルキオン、魔術師シモンなどが著名である。

H・P・ブラヴァツキー『ベールをとったイシス 第1巻 科学 上』に「グノーシス派,あるいは初期キリスト教徒が,新しい名称に変わった古いエッセネ派の信徒にほかならなかったことを考えに入れれば」とあるところからすると、初期キリスト教徒はエッセネ派から出た人々で、エッセネ派はグノーシス派に属した(そのころは当然ながらまだ「正典とされる」四福音書はなかった)。

このことは過去記事でも書いたが、確かにフラウィウス・ヨセフスが記述するエッセネ派の習慣はキリスト教徒の習慣にそっくりである。H・P・ブラヴァツキー『イシス 科学上』にはそのエッセネ派についての詳しい解説がある。『イシス 科学上』ベールの前でXXXViii-XXXViX頁。

エッセネ派ESSENESとは「癒やし手」を意味するAsaiに由来する。「プリニウスPlinyによればユダヤ人の一派で,彼らは死海の近くに何千年にもわたって暮らしていた」「たくさんの仏教的観念と修行があった」「初期教会で用いられた『兄弟[同胞]』なる呼称は,エッセネ派的なものだった。彼らは一つの友愛団体であり,かの初期改宗者たちに似たコイノビオンKoinobion,すなわち共同体だったのである

確かエッセネ派はピタゴラス派だったはずである。つまり仏教の影響を受けたピタゴラス派がエッセネ派の正体(?)で、初期キリスト教徒はそうした人々であった。

となると、グノーシスはキリスト教の前に存在し、キリスト教形成期にも、そして東方的にはグノーシス主義宗教であるマニ教が紀元15世紀まで存在したのである。

11世紀から13世紀にかけて南フランスで栄えたカタリ派は「西欧の仏教」と呼ばれ、彼らはヨハネ福音書を尊重した。カタリ派は明らかにグノーシス的である。

わたしはこのカタリ派こそ、初期キリスト教の流れを汲む一派だったと考えている。

カタリ派について、渡邉昌美『異端者の群れ―カタリ派とアルビジョア十字軍』(八坂書房、2008年)には次のように書かれている(124頁)。

 カタリ派を外来の宗教と見たり、少なくとも思想的に西欧に異質な存在だと見る。だからこそ最終的に正統信仰に取って代わることができなかったのだと解釈する見解は今日でもけっして少なくはない。しかし、カタリ派異端者自身が「始祖マニ」の記憶をまったくもっていないどころか、使徒の時代、原始教会への回帰の熱烈な意志をもっていたことは他の異端者とまったく同じだし、他に対して信仰の正統性を主張するときにはやはり使徒からの相伝をよりどころとしていたのである。

『ピスティス・ソフィア』はグノーシス派の文書であるが、H・P・ブラヴァツキー『シークレット・ドクトリン 宇宙発生論(上)』スタンザⅴ367頁の註41には大事なことが書かれている。

グノーシス派では“キリストス”はイエスという意味ではなく、非個人的原理即ち宇宙のアートマン及び各人の魂の中のアートマンという意味をもつものである。だが英国博物館にある古いコプト語の原稿では、ほとんどの場合、“キリストス”は“イエス”に取りかえられてしまっている。

プラトンはピタゴラスの熱烈な弟子だったとブラヴァツキーはいう(『イシス 科学上』の「イシスのベール」10頁)。ピタゴラスはエジプトの秘儀司祭たちから宇宙論的な数の理論を教わった(『イシス 科学上』の「イシスのベール」8頁)。ピタゴラスはインドで、あるいはインドに行ったことのある人たちから知識を得ていた(『イシス 科学上』の「イシスのベール」11頁)。

古代インドの難解な諸体系の最良の要約になっている,かのプラトン哲学」「前キリスト教時代のこの最も偉大な哲学者は,著作のなかに,自身の何千年も前に生きていたヴェーダ哲学者たちの唯心論とその形而上学的な表現を忠実に映し出していた」「プラトンと古代インドの聖人たちには同一の知恵が同じように啓示されていた,と安んじて言える。つまり,この知恵は,時の衝撃のなかを生き延びてきたのだから,神的かつ永遠なるものにほかなるまい』(H・P・ブラヴァツキー『イシス 科学上』ベールの前でXiV頁)

アレクサンドロス大王(紀元前356年7月20日- 紀元前323年6月10日、在位:紀元前336年 - 紀元前323年)の東方遠征やアショーカ王(インドの最初の統一王朝であるマウリヤ朝第3代の王。在位:紀元前268年頃 - 紀元前232年頃)が仏教布教のためにヘレニズム諸国や東南アジア、中央アジアに僧侶の使節団を送ったことから考えても、仏教はキリスト教成立以前に東西に広く拡散していたのである。

追記:

荒井献『ユダとは誰か』を読了。2世紀ごろ存在していた『ユダの福音書』はグノーシス派出自の福音書の形式と内容を備えているようである。ここではユダは預言が成就するように、イエスを祭司長たちに引き渡す。

グノーシス派に好まれたヨハネ福音書ではユダは直接「悪魔」と名指されているほどで、人間的にも卑しい描かれかたである。『ユダの福音書』のユダとは違う。グノーシス文書にもいろいろあったようだから、こんな対照的なユダ像が出てくるのかとも思うが、この著作を読んだだけではわからない。

以下の過去記事でプロティノスのグノーシス批判を採り上げ、わたしは書いている。

2011年4月 3日 (日)
ヒュパティアが属した新プラトン派
http://elder.tea-nifty.com/blog/2011/04/post-583e.html

プロティノスのグノーシス批判『グノーシス派に対して』[『世界創造者は悪者であり、世界は悪であると主張する人々に対して』]を読みました。
読後感からすると、プロティノスが相手にしたグノーシスの一派はかなり低俗な迷信・霊媒集団だったという印象です。
神秘主義にピンからキリまであるように、グノーシスにもピンからキリまであることがよくわかりました。確かにグノーシスを連想させられる断片は含まれていますが、ここからは『マリアによる福音書』や「ナグ・ハマディ文書」に見られるような格調の高さも、また異端カタリ派に見られる合理精神や知的で清浄さを印象づけられるエピソードに通ずるものも何も感じられません。
ただし、これはプロティノス側から見たものでしかありません。
プロティノスのこの作品は有名なので、後世、これをもってしてグノーシス全般を断ずる向きがあったのかもしれないと思いました。それはグノーシスにとってはあんまりな処遇でしょう。
イエスには奇蹟的なエピソード(いわゆるテウルギーと呼ばれた神わざに属するものでしょう)や病人癒しのエピソードなどがありますが、当時――古代――はそうした技術は神秘家たちによってよく用いられていたようです。そうした技術にもピンからキリまであったようです。神聖なものから有害なものまで。

『ユダの福音書』を通して読んでみないと、何ともいえない。内容的にもさっぱり納得がいかない。

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2016年2月 8日 (月)

胸の圧迫感にニトロペン1錠。狭心症のジェネリック医薬品が丸ごと便に出たという患者さん(ジェネリック情報)。

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早朝、パソコンをしているときに「寒い!」と思い、そのとき、胸に圧迫感が起きた。朝食後にいつもの薬を飲んだら治るかもしれないと思ったが、1度、冠攣縮性狭心症の発作が起きると、遅かれ早かれ発作をしずめる頓服のニトロを使わないとその影響が消えないことがほとんどだ。

今日もそうで、使うのが午後2時半と遅かったせいか、ニトロペンを舌下して血管が開き、胸や左腕が涼しく感じられたが、もう1錠使いたい気もしている。

まだ胸から左腕にかけて、重い感じが若干残っている。

ジェネリック混じりだった心臓の薬を全て先発品に戻してから心臓が軽く、体調がよかったが、冠攣縮性狭心症の発作はそれとは関係なしに気温差などで起きる。特に冷え込んだときなど、十中八九。

1度起きると、回復に時間がかかる。

寒いとどうしても冠攣縮性狭心症の発作が頻繁に起きるが、暑いと今度は頻脈がよく起きる。それでも、先発品に戻してから日常生活が快適になった。ヘルベッサー、アイトロール、シグマートのジェネリックのうち、どれが効いていなかったのだろう? どれもあまり効いていなかったのかもしれない。

だから心臓がくたびれて、よく心不全の症状が起きていたのだ。

冗談事でなく、もう長くないかもしれないと思ったりしていた。胸が苦しくてゼイゼイし、血混じりの泡のような痰がとめどもなく出たりしたら、誰だってそう思いたくなるだろう。

そこまでの気色の悪い――と自分でいうのもナンだけど――症状は先発品に戻してからは出ていない。急に余命が数年から際限なく延びた気がしている。これは老後対策、真剣に考えないと……あと数年で死ねる見込みがご破算になった。ヒヒヒ……嬉しいです、ハイ。

ただ止まりにくい咳ととめどもなく出る痰くらいは受診+買い物+夕飯作りした翌日と、今日の午前中からニトロを使うまであった。オーバーワークは今後も厳禁だ。

どこまでがオーバーワークにならずに済むのか、細心の注意を払って自己観察していこう。

さっさとニトロを使えばいいのにと思われるかもしれないが、頓服のニトロに頼りたくない気持ちがなぜか起きるのだ。有無をいわせぬ強い胸痛や圧迫感があれば別だけれど。

ニトロを使った今は、咳も痰もほぼ治まって、やっぱり風邪ではなかったわと思う。

あとニトロペンが1錠しかない。ミオコールスプレーがたっぷりあるからいいが、先生がスプレーよりニトロペンを使ってほしそうなので、次回、忘れないようにニトロペンを貰うようにしよう。

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冠攣縮性狭心症をお持ちの患者さんたちが集まるブログを時々訪問させていただいているが(管理人さんに感謝!)、そこで過日ジェネリックに関する書き込みをしたところ、訪問者のお一人が、狭心症のジェネリック医薬品が丸ごと便に出たことがあったとお書きになっていた。

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『村上春樹と近年のノーベル文学賞作家たち』をお買い上げいただき、ありがとうございます!

評論『村上春樹と近年のノーベル文学賞作家たち(Collected Essays 1)』(Kindle版、ASIN:B00BV46D64)をお買い上げいただき、ありがとうございます! 

2月1日ごろ、アメリカでお買い上げいただいたようです。

 『村上春樹と近年のノーベル文学賞作家たち』は、これまでで52冊お買い上げいただいたことになります。

  • アメリカ……19冊
  • 日本……28冊
  • イギリス……1冊
  • ドイツ……2冊
  • メキシコ……1冊
  • イタリア……1冊

村上春樹と近年のノーベル文学賞作家たち(Collected Essays, Volume 1)

「気まぐれに芥川賞受賞作品を読む 二〇〇七 - 二〇一二(Collected Essays 2)」)』(ASIN:B00J7XY8R2)は、文学界を考察した姉妹編ともいうべき1冊です。

気まぐれに芥川賞受賞作品を読む 2007 - 2012(Collected Essays, Volume 2)

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加油台湾!

台湾南部地震で倒壊した16階建てのビルでは、まだ110人以上の行方がわかっていないようです。

2月6日 10時46分、NHKニュースWebより

台湾の中央気象局によりますと、6日午前3時57分ごろ(日本時間の午前4時57分ごろ)、台湾南部の高雄市を震源とする地震がありました。震源の深さは16.7キロで、地震の規模を示すマグニチュードは6.4と推定されています

複数のニュース記事によると、安倍首相は6日午前、馬英九総統にお見舞いのメッセージを送って必要な支援を何でも供与する用意があると伝え、6日夜に台湾に到着した日本の調査チームが7日被災状況を視察したとのことです。

東日本大震災には、台湾から大きな支援が寄せられたことを思い出します。

一刻も早く、被災者が救出されることを祈らずにはいられません。

今回の地震で、台湾の方々に向けた加油という言葉を目にしますが、「がんばれ」と励ます意味だそうです。

加油台湾!

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2016年2月 7日 (日)

初めて電子レンジで作ったホワイトソースは美味でした! 体調は昨日も良好。

家族はグラタンが好きなのですが、ホワイトソースで失敗しがちで、どうしてもだまになったり、クリーミーさに欠けたりして、いろんなレシピで試してみても腕の問題なのか、もう一つ。

生クリームをかけ、とろけるチーズをのせて焼いた簡単なグラタンを作ることが多くなっていました。これはこれで、美味。

昨日の夕飯に初めて、電子レンジでホワイトソースを作ってみました。これだと、簡単で失敗なしです! レンジのレシピで作ったのですが、材料は小麦粉、バター、牛乳、塩、こしょうとシンプル。

ググると、電子レンジで作るホワイトソースのレシピが沢山出てきます。材料も様々なので(顆粒状のコンソメ、白ワインを加える人が多いようです。他に生クリーム、豆乳、昆布茶、ガーリックなど)、自分に好みのレシピを探せばいいですね。

味見をしてみて、レンジのレシピはわたし好みだと思いました。正直いって、しびれるお味でした、いやホント。どことなく、手作りのカスタードクリームを連想させるところがありました。とってもクリーミーで、フライパンで作ったものよりあっさりしています。

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全体の分量が若干多めなだけで、以下のクックパッドのレシピとほぼ同じです。

Cpicon レンジ簡単、目分量ホワイトソース by クックU06GE5☆

ホワイトソースは美味しいものに簡単に仕上がり、大満足でしたが、ヴァージニア・ウルフのエッセーに加筆したり、歴史小説の資料を読んだりしていて時間がなくなりました。

エビとアボカドのグラタンにするつもりが、ブラックタイガーを解凍して下処理するという時間がなくなり(解凍だけなら流水ですぐにできますけれど)、ベーコンとアボカド(とマカロニと玉葱)のグラタンになりました。

パスタはカルディコーヒーファームかジュピターでイタリアのものを買うのですが、グラタンのマカロニはマ・マーの「早ゆで3分」(日清フーズ)を使います。

家族にも好評でした。これからはたびたびグラタンを作ることと思います。レンジホワイトソース、最強です。

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美味しかった!

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ところで、体調は昨日も良好でした。冠攣縮性狭心症の発作はなくせないでしょうが、ジェネリック混じりだった心臓の薬を全て先発品に戻してから、心臓が軽くて日常生活が快適になりました。ジェネリックが先発品ほど効いていなかったことは間違いありません(怒)。この状況を放置したままでいいのでしょうか。

皆様、ジェネリックの誇大広告にだまされないでください。つらかった5年間を返して!

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2016年2月 6日 (土)

岩波文庫版『臨済録』、ヴァージニア・ウルフのみすず書房版『自分だけの部屋』再読

萬子媛は黄檗宗の僧侶だったが、黄檗宗は臨済宗、曹洞宗に次ぐ禅宗の一派で、名称は唐の禅僧・黄檗希運に由来し、黄檗は臨済義玄の師であった。臨済義玄は臨済宗の開祖である。

これから書こうとしている二人の黒衣の宰相、天海は天台宗の僧侶、以心崇伝は臨済宗の僧侶である。

本棚を探していたら『臨済録』が出てきたので、再読。昔読んだときより、神智学の学習が当時より進んだ今はわかりやすく感じる。記事を別にしてざっとノートしておきたい。

ヴァージニア・ウルフ(川本静子訳)『自分だけの部屋』(みすず書房、1988年初版、2013年新装版)の本のカバー裏面には次のように書かれている。

「女性が小説なり詩なりを書こうとするなら、年に500ポンドの収入とドアに鍵のかかる部屋を持つ必要がある」(V・ウルフ) 
 経済的自立と精神的独立を主張し、想像力の飛翔と軽妙な語り口によって、女性の受難史を明らかにしたフェミニズム批判の聖典。

講演の草稿が元となったこのエッセーは、フェミニズム運動にとって、大変有名な本なのである。

わたしの読後感は時代の変化によるものなのか、自身の変化によるものなのか、若いころに読んだときと違ってきている。昔はぼんやりと読み、漠然とした疑問を覚えた程度だった。わたしの母が社会で働く女性だったから、あまり興味が湧かなかったのかもしれない。

今、ヴァージニアの主張をその通りとは思うが、よくも悪くもそのような環境で書かれる作品は年に500ポンドの収入とドアに鍵のかかる部屋の傾向を帯びると思えるし、ある意味で、そのような女性は男性だと思うのである。田舎を出て都会に行った男性が都会の人間になってしまうように。

勿論、女性の環境を向上させることは大事であるが、社会に出て働くことが好きな女性も本当なら家庭に入りたい女性も、育児を他人にほぼ丸投げして社会で働かざるをえない現代日本の異常な状況を見るとき、フェミニズム運動の方向性に疑問が湧くのである。

家庭に入った女性たちがどれだけ暮らしを多彩なものにし、弱いものを保護し助け、貴重な文化の継承をなしてきたことか。こうした業績は無視されるべきでも軽んじられるべきでもない。

ヴァージニアの知性美は彼女の政治がかった意見以上の発言力を持ち、両性の相克を遥かに凌駕している。一方、社会改良だけではどうにもならないと悟ったベザントは人類の根源的なテーマを求めて神智学へ向かった。

エッセー「44 ヴァージニア・ウルフの知性美と唯物主義的極点」に加筆しておこうと思う。

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2016年2月 5日 (金)

「マダムNの神秘主義的エッセー」更新のお知らせ。筑前煮は翌朝こそグー!

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昨夜、久しぶりに作った筑前煮。翌朝余り物をいただくと、味がよく染みていて美味しいですね。

3種類のジェネリックやめて5種類の心臓の薬インデラル、サンリズム、ヘルベッサー、アイトロール、シグマートが全て先発品になってから心臓が軽くなり、昨日今日も快調です。

ただヴァージニア・ウルフの記事に没頭しすぎて目眩が少し出ています。

そのヴァ―ジニア・ウルフのエッセーを拙ブログ「マダムNの神秘主義的エッセー」にアップしました。ウルフに関する当ブログの記事2本に加筆しています(あとで記事2本を削除して当ブログにも「神秘主義エッセー」と同じものをアップするかもしれませんが)。

「マダムNの神秘主義的エッセー」は電子書籍にすることを目的としたもので、神秘主義的カラーが強く出ています(当ブログは何でもありです)。加筆したウルフの異色作『オーランドー』に言及した部分などもそうで、以下に抜粋しておきます。

ヴィタに捧げられ、変装した彼女のいろいろな写真入りで1928年に上梓されたヴァージニアの小説『オランドー』。

ジェンダーをテーマとする学術研究の対象によくなるらしいので、簡単に触れておくと、『オーランドー』は男性として生まれたオーランドーが7日間の昏睡後に女性へと変身し、やがて女性としての自覚と歓びに目覚め、完全に女性としての人生を全うしていくという物語である。

当時はこのような変身はあくまでファンタジーであったが、現代では手術によって性転換してオーランドーのように生まれたときとは異なる性として生きる人も珍しいことではなくなった。

もっとも、このファンタジーは、女であったがために父サックヴィル卿の形見の――ケント州セヴノークスにある――ノールの邸宅を継げなかったヴィタを慰めるために書かれたのだという。

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West Front, Knole, Sevenoak
1910
Alfred Robert Quinton (1853–1934)
From Wikimedia Commons, the free media repository

性転換といえば、魚などで見られることのある性転換は雌雄同体の様式の一つとされる。

神秘主義では魂は両性具有とされ、人間は男女どちらにも生まれ変わる。欠けている要素を学んで吸収してバランスを取り戻すために、どちらかの性を選んで生まれてくるとされる。神秘主義者であるわたしは、前世では男性の年取った修行者として死んだという自覚があるからこそ、粛々として女性として生きている。オーランドーのように女性を謳歌しているというよりは、前世で理解しなかった女性の人生について今まさに学んでいるのだ……という感慨深いものがある。

主婦業こそ、前世で男性性に傾きすぎたバランスを回復するための最も有益な修行となりうるということを今では自覚している。いざ社会に出るときになって就職の邪魔立てをするかのように母が倒れ、共稼ぎをするにはなかなか条件が整わず、作家になって社会的な活躍ができないのもそのためだ――などというつもりはないが。

ウルフの小説を改めて読んでもっと作品に触れたエッセーにしたい気がしていますが、そうすると、江戸初期の日本からどんどん離れてしまいそうなので、今後は二人の黒衣の宰相に集中するつもりです。

合間に図書館から借りた獅子文六『海軍』、ナグ・ハナディ文書の翻訳で著名な荒井献の『ユダとは誰か』はざっとでも読んでおかなければなりませんが。

図書館の本、よく汚されていて心が痛みます。ウルフの日記は新品みたいに綺麗で、評伝のほうもまあまあなのですが、家系図に汚い染み、他にも少しあります。

児童書ならまだしも、大人の本でこれですからね。わざと汚すのでしょうか、わたしには謎です。

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2016年2月 3日 (水)

鬼は外、福は内! ジェネリックやめて、今日は創作+買い物+料理=ъ( ゚ー^)イェー♪

外、福内!

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ジェネリックやめて、心臓が軽くなったと書きました。

今日はヴァージニア・ウルフの記事を書いて家事をしても体調がよかったので、夕方近くのスーパーへ出かけてみました。

寒かったのですが、幸い冠攣縮性狭心症の発作は起きず、スーパーに長居したのにそれほど疲れもせず、帰宅して全然休まずに洗濯物を畳んだりしてすぐに夕飯の支度をしました。

何と、できましたよ(*^0゚)v ィエーイ☆彡

心臓の薬をジェネリックから全て先発品に戻して体調がよくなった気がしていましたが、気のせいではありませんでした。5年間も、買い物に行って同じ日に夕飯を作る……というこんなありふれたことができなかったのです。

先発品ヘルベッサー、アイトロール、シグマートをジェネリックに変更してから疲労感が強くなり(2011年7月3日、薬局で『ジェネリック医薬品希望カード』を提示し、ヘルベッサー、アイトロール、シグマートをジェネリック(後発品)に変更して貰いました)、5月と6月に熱中したウォーキングをその年の秋に再開できませんでした。

それから5年、心臓は重いのが普通になっていました。近くであっても買い物に出れば、夕飯の支度ができないくらい疲れ果てていました。

わたしのブログを読んで、メンタル的なものではないかと思われたかたがいらっしゃったかもしれません。でも、わたしはメンタル系の薬は一切服用していませんし、必要でもありません。心臓が重い(弱る)と、本当に体力がなくなるのですよ。

健康な人に比べたら体力が劣り、不安定な体調ではあっても、今くらいの元気があったから、5年前はウォーキングができたのでしょう。その後の5年間はウォーキングしたいという気すら起きませんでした。

ジェネリックを服用するようになった後で軽度の心臓弁膜症になり、心房細動が起きるようになってサンリズムが追加になったりはしましたが、あの5年前の体調に近づいたのではないかと感じています。

わぁいヽ(゚ー゚*ヽ)(ノ*゚ー゚)ノわぁい

でも、これだけ先発品とジェネリックで体調が変化するというのは、大問題です。

今後も体調の記録を続けます。

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今日の夕飯は、チキンソテー、サラダ、卵豆腐、写真のポタージュでした。

ポタージュは橋本加奈子先生のレシピ「じゃが芋&さつま芋のポタージュ」(『スープレシピ』グラフ社、2006年)を参考にしました。

ブログ「余命三年時事日記」でジェネリック情報に触れることがなければ、まだ3種類のジェネリックを服用していたでしょうし、寝たり起きたりの生活だったでしょう。まだ横になりがちな生活ではありますが、起きていても疲労感が軽くなりました。

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過酷な知的流れ作業の果ての霊的な餓死者に見えるヴァージニア・ウルフ

過去記事でヴァージニア・ウルフについて書いたが、この記事はその続きである。

31日から1日にかけて集中的にナイジェル・ニコルソン(市川緑訳)『ヴァージニア・ウルフ (ペンギン評伝双書) 』(岩波書店、2002年)を読んだ。

作品の評論的な部分は少ないが、ヴァージニア・ウルフという人物を知る上では好著だと思う。

ヴァージニア・ウルフ (ペンギン評伝双書) 
ナイジェル・ニコルソン (著), 市川 緑 (翻訳)
出版社: 岩波書店 (2002/6/24)

ヴァージニア・ウルフ(西崎憲訳)『ヴァージニア・ウルフ短篇集(ちくま文庫)』(筑摩書房、1999年)の解説によると、アデリーン・ヴァージニア・スティーブンは1882年1月25日ヴィクトリア朝の中流上層に生まれた。父は作家・批評家で『十八世紀英国思想史』を著した。母は美貌で有名で、エドワード・バーン・ジョーンズの絵のモデルを務めたりした。

ヴァージニアは二人の4人の子供のうち3人目で、上からヴァネッサ、トビー、ヴァージニア、エイドリアンの順である。

両親は再婚で、父にはローラという連れ子がいた。ローラは精神薄弱児であった。母にはジョージ、ジェラルド、ステラという連れ子がいた。総勢10名という大家族で、父の仕事柄さまざまな詩人や作家や画家がスティーブン家を訪れたという。

ナイジェル・ニコルソン(市川緑訳)『ヴァージニア・ウルフ (ペンギン評伝双書) 』(岩波書店、2002年)によると、詩人、作家ではメレディス、ヘンリー・ジェームズ、テニスン、マシュー・アーノルド、ジョージ・エリオットが父の友人だった。

しかし、ヴァージニアは6歳ごろから十代後半までジェラルドから性的虐待を受けた。ジョージからもまたそのような扱いを受けた。

ヴァ―ジニアは学校へは行かず、両親、家庭教師から教育を受け、父の書斎の本を沢山読んだ。1895年に母が亡くなった後と1904年に父が亡くなった後にもヴァージニアは神経症あるいは狂気の症状に陥ったという。

1912年に結婚した「レナード・ウルフによれば、ヴァージニアは4度正気と狂気のあいだを行き来した」(ウルフ,吉崎訳,1999年,p.209)。

ナイジェル・ニコルソン(市川緑訳)『ヴァージニア・ウルフ (ペンギン評伝双書) 』(岩波書店、2002年)によると、ヴァージニアに精神病との診断が下されたのは1913年だった。

彼女の強い理性と荒れ狂う妄想とが戦ったが、理性が妄想に組み伏された。言葉遣いが乱暴になり、ひどい頭痛襲われ、奇妙な声が聞こえ、眠れず、食べようとしなかった。1913年の三ヶ月、事態は悪化するばかりで、ついに精神病との診断が下され、レナードは彼女が二年前にいたことのあるトウィッケナムの療養所にふたたび送ったほうが賢明だと考えた。(Nicoison,2000 市川訳,2002,p.57)

1915年2月にヴァージニアはまた精神錯乱に陥った。最悪といえるようなものだった。不眠症と食事拒否だけではすまず、レナードが「悪夢のような狂乱と絶望と暴力の世界」と表現するような状態に陥ったのだった。

自分でそうと意識できるような精神不調の境界を越えてしゃべりまくるという狂気の状態へ突入したのである。彼女は、支離滅裂なことを間断なく、時には何時間も、意識を失うまでしゃべり続けた。彼女が彼に話しかけることはなく、ののしるだけだった。(……)彼らは、まだ狂っているヴァージニアをホーガス・ハウスに移動させた。そして、なんとか四人の住み込みの看護人をつける費用を捻出した。(Nicoison,2000 市川訳,2002,pp.58-59)

1915年9月にアッシャムに戻って来られ、リハビリテーションを始めた。ヴァージニアの狂気の発作はレナードに大きな精神的打撃をもたらし、政治ジャーナリストとして国際関係においては権威となっていた彼がヨーロッパでの戦争の勃発にほとんど気づいていなかったほどだった。

第二次大戦が始まった。ドイツ軍の侵攻の脅威の中、レナードはユダヤ人であり――ユダヤ人に対してヴァージニアは複雑な感情を持っていたようである――、反ナチ活動をしていたために二人共ゲシュタポに捕われたときのために致死量のモルヒネを常備していた。

ロンドンの二つの家が崩壊し、サセックス州ロドメルのモンクス・ハウスで最晩年となる1941年の数ヶ月を過ごした。

ヴァージニアは3通の遺書を残した。過去記事で引用した遺書を書いてからも十日間生きていたという。3月18日にずぶぬれで帰ってきて、間違って水路に落ちたといった。

3月28日、「正午頃、ウーズ川まで半マイル歩き、毛皮のコートのポケットに大きな石を詰め込み、水中に身を投げた。彼女は泳げたが、強いておぼれるよう務めた。恐ろしい死であったに違いない」(Nicoison,2000 市川訳,2002,p.193) 59歳だった。

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Lytton Strachey and Virginia Woolf.
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ヴァージニアの作品には短文も長文もあるが、同じような形式で書かれていることが多い。散文詩というべきなのか、詩的な散文というべきなのかはわからないが、いずれにしてもストーリーを重視しない詩のような文体で綴られ、「意識の流れ」という手法が用いられている。

今回ヴァージニアの数編の作品を再読し、彼女の作品からは流れるような、とりとめのない印象を受けるが、よく読むと、断片を縫い合わせたパッチワークキルトを連想させられるところがあった。

キルトはどんどん仕上がっていく。ある制限された空間を占め尽くさんばかり。分析の確かさや機知の閃きから躍動感や浄化のイメージが生まれるが、全体にどこか演技がかっているといおうか、書き割り風だ。若いころに比べると読者としてより自然体となったせいか、読んでいて息苦しい。

物事の描写に強弱がない。1個の果実の落下も、戦争のような重大な社会現象も均等の重さでもって描かれる。情報を無意識的に優先順位をつけて選択している凡人の意識からすれば、創作上の意識的な作業によるものだとはいえ、これは大変なことであるし、不自然なことでもある。

日記でもそうした向きがある。こうした精緻であり、刺激的であると同時に単調でもあるような独特な思考傾向の中からこそ、評伝の著者であるナイジェル・ニコルソンが九つだったときにヴァージニアから受けたようなユニークな質問も出てくるのだろう。

「子どもでいるってどんな感じ?」 (Nicoison,2000 市川訳,2002,p.1)

わたしは評伝を読むとき、次のことを知りたいと思っていた。

  • ヴァージニアの狂気の発作とはどのようなものだったのか。
  • 性的虐待を受けたというが、相手は誰でどんな虐待内容だったのか。
  • ブルームズベリー・グループのメンバーたちとその活動。
  • 友人関係を超えた母とも、恋人ともいえる女性だったというヴィタ・サックヴィル=ウェストとはどんな人物なのか。

ブルームズベリー・グループについては、ウィキペディアから引用したほうが手っ取り早い。

ブルームズベリー・グループは、1905年から第二次世界大戦期まで存在し続けたイギリスの芸術家や学者からなる組織である。
もともとは、姉妹であるヴァネッサ・ベルとヴァージニア・ウルフを含む4人のケンブリッジ大学生によって、結成された非公式な会合がきっかけであり、メンバーたちの卒業後もこの集いは存続した。

(……)
ブルームズベリー・グループの意見や信念は第二次世界大戦を通して話題を呼び、広く非難されたが、次第に主流となりそれは終戦まで続いた。ブルームズベリー・グループのメンバーであった経済学者ジョン・メイナード・ケインズの著作は経済学の主要な理論となり、作家ヴァージニア・ウルフの作品は広く読まれ、そのフェミニズムの思想は時代を超えて影響を及ぼしている。他には伝記作家リットン・ストレイチー、画家のロジャー・フライ、作家のデイヴィッド・ガーネット、E・M・フォースターがいる。また早くから同性愛に理解を示していた。イギリスの哲学者で熱心な反戦活動家であったバートランド・ラッセルも、このグループの一員と見なされることがある。
ブルームズベリー・グループは組織一丸となっての活動成果よりも個々人の芸術的な活動成果が主に評価されているが、20世紀の終わりが見えた頃から、組織内での複雑な人間関係が、学問的注目を集め研究対象となっている。

ウィキペディアの執筆者. “ブルームズベリー・グループ”. ウィキペディア日本語版. 2014-10-27. https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%83%96%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%82%BA%E3%83%99%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%B0%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%97&oldid=53352032, (参照 2016-02-02).

ブルームズベリーとは場所である。要は両親亡き後、ブルームズベリーのゴードン・スクエア46番地に引っ越したスティーブン家の兄トービーがケンブリッジの友人たちを連れてくるようになり、その集まりにはスティーブン姉妹もいたのだった。

彼らはまじめな若者の集まりで、ブルーズベリーでの討論会は当初はケンブリッジでのセミナーの延長のようなものだった。彼らは新聞記事を互いに読み聞かせ、真理や美といった抽象的な理念を論じ合った。出されるものといえばココアやわずかなウィスキーだけだったが、それが彼らに買える全てであった。ケンブリッジとの違いは女性が二人いることだった。(Nicoison,2000 市川訳,2002,p.23)

メンバーに経済学者ケインズがいることに注目してしまうが、こうしたブルームズベリーにおける知的で軽妙な集まりが社会的な影響を及ぼすようになったということのようである。

ヴァージニアは兄たちの自由な雰囲気に溶け込んでおり、物を書く場にも恵まれているという風で、ヴィクトリア朝の中流上層階級から出なくとも作家として知的扇動できる境遇にあった。

ヴァージニアのフェミニズムには性的虐待という悲痛な体験から出た部分、逆に当時の女性としては環境的に恵まれている部分から出たところがあるのではないかと思うが、彼女はいわゆる社会活動家という感じではない。

作家として女として人間として思ったことを自然体で主張したところ、その主張は時宜を得ていて世に受けた――という感じを評伝からは受ける。

ブルームズベリーの先駆者の一つとして、フェビアン協会が挙げられている。ヴァージニアと比較すれば、のちに神智学協会2代会長となったアニー・ベザントのフェビアン協会での活動のほうが抑圧されていた労働者側に徹底して立とうとした情熱と心情の純粋さでは勝っている気がする。

しかし、ヴァージニアの知性美は彼女の政治がかった意見以上の発言力を持ち、両性の相克を遥かに凌駕している。一方、社会改良だけではどうにもならないと悟ったベザントは人類の根源的なテーマを求めて神智学へ向かった。

この時代の女性達は肉体的に動的であれ静的であれ、スケールが大きく、徹底している。

ヴァージニアのような知性の勝った乾いたタイプはヴィタのような潤いのある女性を必要としたようだ。

Vita_sackvillewest_1926

Vita Sackville-West
Studio portrait presented by Esther Cloudman Dunn to the Smith College Library.
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ヴィタ・サックヴィル=ウェストは『ヴァージニア・ウルフ (ペンギン評伝双書)』を執筆したナイジェル・ニコルソンの母だった。ヴァージニアの異色作『オーランド―』のモデルとなった女性である。

ヴィタはといえば、あるときは大いに大胆だが、次の瞬間には非常に内気になる性格で、十歳年上のヴァージニアに恋する半面、彼女を恐れてもいた。ヴィタにとってブルームズベリーは頭がよすぎるうえ、故意に威圧感を与えていると感じられた。(Nicoison,2000 市川訳,2002,p.86)

ヴィタは魚座ではないかと思って調べたら1892年3月9日に生まれ、1962年6月2日に亡くなっているから、やはり魚座である。

わたしも魚座で、獅子座上昇宮に天王星が入り、水星と金星が水瓶座に入っているから、魚座のヴィタの気質も水瓶座のヴァージニアの気質もどちらもわかる気がするのである。

ヴィタも作家・詩人であったからヴァージニアの物の考え方は新鮮であっただろうし、自分より十歳年上であったとはいえ人間的にはどこか不器用な彼女を庇護してやりたいような母性愛が湧いたに違いない。

ヴィタは恋多き人であったようだが、戦争の中で親密さが復活した。ヴィタがロドメルまで車を走らせてヴァージニアに最後に会ったのは2月17日だった。

ところで、ヴァージニア・ウルフは「意識の流れ」という手法を用いた。「意識の流れ」はウィリアム・ジェームズの心理学概念、心理学用語である。

ヴァージニアの父の仕事関係でスティーブン家を訪れていたヘンリー・ジェームズはウィリアム・ジェームズの弟である。

ウィリアム・ジェームズについては漱石やブラヴァツキー関連でいくらか調べた。

アメリカ哲学の創始者といわれ、その影響は哲学、心理学、生理学、文学など多岐に及ぶとされるウィリアム・ジェームズ。

ウィリアム・ジェームズの代表作は、1906年11月および12月ボストンのロウエル学会において、また1907年1月ニューヨークのコロンビア大学において講述された講義録『プラグマティズム』である。

プラグマティズムが何であるかは、ウィリアム・ジェームズ(桝田啓三郎訳)『プラグマティズム(岩波文庫)』(岩波書店、2010年改版)からの以下の引用にいい表されていると思う。

「一つの観念ないし信念が真であると認めると、その真であることからわれわれの現実生活においていかなる具体的な差異が生じてくるであろうか? その真理はいかに実現されるであろうか? 信念が間違っている場合に得られる経験とどのような経験の異なりがでてくるであろうか? つづめて言えば、経験界の通貨にしてその真理の現金価値はどれだけなのか?」
 プラグマティズムは、この疑問を発するや否や、こう考える。真の観念とはわれわれが同化し、努力あらしめ、確認しそして験証することのできる観念である。偽なる観念とはそうできない観念である。これが真の観念をもつことからわれわれに生ずる実際的な差異である。したがってそれが真理の意味である。それが真理が真理として知られるすべてであるからである。
 (ジェームズ、桝田訳,2010,pp.199-200)

現金価値という言葉が出てくるあたり、アメリカの哲学らしいといえばそうだが、わたしにはここでジェームズが馬脚を露わしたように感じられた。過去の哲学が最新科学ではないといって非難しているかのようだ。

験証とは、検証、実験の結果に照らして仮説の真偽を確かめることだが、最新の実験装置で験証できる観念だけが真の観念である、とジェームズはいっていることになる。

つまりそのときの科学で解明できることだけが真で、それ以外の仮説は全て偽ということになるわけだ。神秘主義者はそうやって切り捨てられたりするわけだが、それはつまり、哲学を科学に限定してしまうという話になるのではないだろうか。しかし、科学が仮説によって成り立っているところからすると、科学的というわけでもない。

1882年に心霊現象の研究と検証を目的とした研究機関(SPR、英国心霊現象研究協会)、1885年にはASPR(米国心霊現象研究協会)が設立された。ウィリアム・ジェームズは1894年から1895年にかけてSPR会長を務めている。

SPRは「ホジソン報告」でブラヴァツキーに汚名を着せ、神智学協会の社会的信用を失墜させた。

H・P・ブラヴァツキー(加藤大典訳)『インド幻想紀行 下(ちくま学芸文庫)』(筑摩書房、2003年)の解説で、高橋巌は次のように書いている。

一九八六年になって、SPR(ロンドンの心霊研究協会)は、HPBの欺瞞性を暴露したといわれた「ホジソン報告」(一八八四年)について亡き夫人に謝罪し、百年来の論争に終止符を打った、とのことである。(ブラヴァツキー,加藤訳,2003年,「解説 魂の遍歴」p.501)

だが、SPRの「ホジソン報告」の影響は現在にまで及んでいる。

ウィリアム・ジェームズは超常現象について、「それを信じたい人には信じるに足る材料を与えてくれるけれど、疑う人にまで信じるに足る証拠はない。超常現象の解明というのは本質的にそういう限界を持っている」と発言し、コリン・ウィルソンはこれを「ウィリアム・ジェームズの法則」と名づけたそうだ(ウィキペディアの執筆者. “ウィリアム・ジェームズ”. ウィキペディア日本語版. 2016-01-30. https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%82%BA&oldid=58429691, (参照 2016-02-03). )。

このウィリアム・ジェームズの法則、わたしには意味がわからない。信じるとか信じないといったことが、事の真偽に何の関係があるのだろう? 

わからないことを端から色眼鏡で見たり、否定したりする態度が科学的だとはわたしには思えない。わからないことをわからないこととして置いておく態度こそ科学的といえるのではないだろうか。

ブラヴァツキーを誹謗中傷する人々はコリン・ウィルソンの著作の影響を受けたり、引用していることが多い。

わたしが怪訝に思うのは、ウィリアム・ジェームズのような哲学者を会員として持ちながら、なぜSPRはブラヴァツキーの著作について学術的な論文を書かなかったのかということである。

もっとも、『ブラグマティズム』で「プラトン、ロック、スピノザ、ミル、ケアード、ヘーゲル――もっと身近な人々の名前をあげることは遠慮する――これらの名前は、わが聴講者諸君の多くには、それだけの数の奇妙なそれぞれのやりそこない方を憶[おも]い出させるに過ぎないと私は確信する。もしそういう宇宙の解釈がほんとうに真理であるとしたら、それこそ明らかな不条理であろう」(ジェームズ、桝田訳,2010,p.45-46)と、大哲学者たちをまず否定してかかることを何とも思わないウィリアム・ジェームズが、ろくに読みもせずにブラヴァツキーの著作を否定したことは充分考えられる。

聴衆や読者に先入観を植え付けるような態度が哲学的な態度でないことは、いうまでもない。

また、神秘主義者によって拓かれた心理学の分野[※上山安敏『魔女とキリスト教』(講談社、1998年)を参照されたい]がウィリアム・ジェームズのような唯物主義的、実利的な人物の影響を受けたことと、現代の精神医療が薬物過剰となっていることとは当然、無関係とはいえないだろうと思う。

ウィリアム・ジェームズより遥かに知的だったヴァージニアは自分にわからないことを否定したりはしなかったが、その思索は唯物論的世界に限定されていたような感じを受ける。プラトンなど読書した形跡は日記にあるが、ざっと読んだだけという印象を受ける。

生と死は頻りにモチーフとなっているが、死のことを書くにしても、以下のように控えめである。

結局のところ人はここで生まれるのと同じようにあちらで生まれると推測してはなぜいけないのだろうか?(ウルフ,吉崎訳,1999年,p160)。

激しい、美しい表現をとっても、思索の翼をそれ以上広げることはせずに、慎ましくこちら側に留まっている。それは思索にとって自然なことだろうか。もしかしたら、病気のために、翼を広げることが恐ろしかったのかもしれない。

死こそ敵だ。槍を構えて、若者のように髪を後ろになびかせ、印度を疾駆したパーシバルのように、わたしは死に向つて馬を乗り入れるのだ。いまこそ馬に拍車を加えるぞ。汝に向かって突進する、征服されることなく、屈服することなく、おお死よ。
     *
 波が渚に砕けた。

ヴァジニア・ウルフ(鈴木幸夫訳)『波(角川文庫)』(角川書店、昭和29年初版、平成元年3版、p.291)

なぜかわたしにはヴァージニアが工場労働者だったようなイメージが湧く。過酷な知的流れ作業の果てに倒れたのだと思える。

わたしは「詩人」と呼んでいた女友達を連想してしまう。象徴主義的な美しい詩を書いたが、彼女は意外にも唯物主義的な人で、わたしは彼女には一切神秘主義的な話ができなかった。

芸術の歓びはあちらからやってくるのではないだろうか。もっと翼を広げ、もっと享受できたはずなのに、翼を広げかけたままのつらい姿勢に終始し、あまりにも少ししか受けとらなかったヴァージニア・ウルフ。

神秘主義的に見れば、それは霊的な餓死に見える。

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萬子媛をモチーフとした新しい創作プラン

萬子媛を主人公とした歴史小説は予定通り書くつもりだ。出来上がった短編を江戸初期五景の中心として置くか、江戸四景をエッセーにして出来上がっている短編を膨らませていくかはまだわからない。

もっと二人の黒衣の宰相を調べてみないことには、何ともいえないのだ。

これとは別に新しい純文学短編小説の構想が閃いた。歴史小説ではなく、現代小説で、構想はヴァージニア・ウルフの小説を読んでいるときに閃いた。

主人公は現代女性で、萬子媛は彼女の思索の主題として登場する。宇佐神宮も出てくるかもしれない。

話が変わるが、雪がテーマの昔書いた短編『どこか別の美しい街』を電子書籍にしたいと思いながら、他の短編と組み合わせたらどうかと考えたなり、放置していた。気がついたら2編、組み合わせるのにいい短編があるではないか。

電子書籍には案外時間を食うので作成に億劫になるが、これだけはなるべく早く出したいものだ。神秘主義的エッセーもそろそろ……

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2016年2月 1日 (月)

『村上春樹と近年のノーベル文学賞作家たち』をお買い上げいただき、ありがとうございます!

評論『村上春樹と近年のノーベル文学賞作家たち(Collected Essays 1)』(Kindle版、ASIN:B00BV46D64)をお買い上げいただき、ありがとうございます! 

1月23日ごろ、アメリカでお買い上げいただいたようです。

 『村上春樹と近年のノーベル文学賞作家たち』は、これまでで51冊お買い上げいただいたことになります。

  • アメリカ……18冊
  • 日本……28冊
  • イギリス……1冊
  • ドイツ……2冊
  • メキシコ……1冊
  • イタリア……1冊

村上春樹と近年のノーベル文学賞作家たち(Collected Essays, Volume 1)

「気まぐれに芥川賞受賞作品を読む 二〇〇七 - 二〇一二(Collected Essays 2)」)』(ASIN:B00J7XY8R2)は、文学界を考察した姉妹編ともいうべき1冊です。

気まぐれに芥川賞受賞作品を読む 2007 - 2012(Collected Essays, Volume 2)

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