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2015年12月13日 (日)

郷土史家からのお手紙。萬子媛と水鏡。

萬子媛をヒロインとした短編小説をお送りした郷土史家から過日、お返事が届きました。

多くの資料を自由に使っていいといっていただきましたが、出来上がった作品を読んでいただいて初めて、使用許可が本当にいただけるかどうかがはっきりすると考えました。

それで、作品を郵送してからお返事が届くまでの間は、判決が下る前の被告のような心理状況でした。怯えていました。

好意的なお返事がいただけたからこそ、このような記事を書いているわけですが、そうでなければ、作品自体が成立しないものとなった可能性すらありました。

お送りした原稿には序文をつけました。作品に関係のある範囲内で自分のことや執筆を決心した理由を率直に正直に包み隠さず書いたのです。内々で読んで貰いたい人々があって、そのためにも序文が必要でしたが、第一の目的は自身の創作姿勢を明らかにすることでした。

そして作品の中では最初のほうで、郷土史家のお名前を出して御説を紹介しています。

原稿につけた序文は次のようなものでした。

 佐賀県鹿島市に生まれて、祐徳稲荷神社を知らない人はまずいないと思います。わたしにとっても、初詣、お宮参り、遠足、部活動の歓迎会などで出かけるところとして、暮らしに根付いた場所でした。

 子どもの頃、寝るときに話好きだった子守の小母さんから、子どもにはあまり意味のわからない四方山話を聴かされたものでした。そうした話のなかに、萬子媛にまつわる話もありました。萬子媛が尼さんになったこと、結婚生活は幸福なものではなかったこと、子どもを亡くしたこと、最後は岩のなかに籠もって亡くなったこと、など思い出せますが、子ども心にも悲愴な、それでいて一種高級な気分を味わったような記憶があります。

 このような萬子媛のことを特別に意識することはありませんでしたが、人生の節目にあわく思い出されるのでした。そして、萬子媛のことを思い出すと、どちらかというと不運な人生を送ったかたと想像されたのに、精神的な高揚感を覚えて勇気が湧き起こったものでした。わたしのなかで、萬子媛はいつしか精神性の象徴となっていたようです。

 改めて萬子媛を意識するようになったのは、「みやび」にそれまでの無関心を払拭するように急速に惹かれ、古典物を漁り出した三十代でした。神社外苑にある祐徳博物館には、萬子媛遺愛の品々を展示したコーナーがあります。そのなかで印象深かったのは萬子媛の遺墨、扇面和歌でした。馥郁と紅梅が描かれ金箔の張られた扇面に、新古今和歌集から皇太后宮大夫俊成女のうた「梅の花飽かぬ色香も昔にて同じ形見の春の夜の月」が薫るように揮毫されています。その前に立って、萬子媛のお姿を想像してみたりしました。

 その後、創作活動の傍ら、興味の湧いた宗教や哲学をかなり真面目に研究するようになりました。その方法は近代神智学(テオソフィー)に学んだものでした。わたしには神秘主義的な傾向があり(前世修行者として死んだという僅かな記憶とこの世に下りてくる前のあの世の柔らかな光の記憶がありました。脳は生まれ変わるたびに新しくなるので、霊的な記憶としか考えられません)、宗教、哲学には学生の頃からこれまでずっと興味津々ですが、一番フィットしたのは、それらを総合的に研究することを目的の一つとしてH・P・ブラヴァツキーによってニューヨークで一八七五年に設立された神智学協会でした。故人となられた神智学協会ニッポン・ロッジ初代会長の田中恵美子先生には、大切なことをいろいろと教えていただきました。

 三年前、マグダラのマリアを調べていたときでした。マグダラのマリアはキリスト教では悔悛の聖女、グノーシス主義ではイエスの妻であり優秀な弟子であったとされますが、フランスのプロヴァンスにはマグダラのマリア伝説があります。その伝説によると、マグダラのマリアはサント=ボームの岩山の洞窟に三十年間籠もって修行生活を送り、そこで亡くなったそうです。

 マグダラのマリアから、萬子媛を連想しました。その時点では、そのうち気が向いたら萬子媛について何か書きたいと思った程度でした。その翌年初詣に出かけたとき、萬子媛のお社で――心の中で――話しかけてみたのです。萬子媛が万一わたしが想像するような高級霊ではなく、霊媒にとり憑くとされるような悪霊だったらどうしよう、と思いましたが、最もありそうなことはそこが空っぽで何の返事もないというものでした。

 その結果がどうであったかはここでは書かないことにしますが、不肖わたしが人口に膾炙している萬子媛をヒロインに小説を書きたいと思うくらい、すてきな何かがあったということと、萬子媛があの世でこの世のための一大ボランティア集団(?)を形成しておられるに違いないと思うようになったということだけ明かしておきます。

 萬子媛の入定についてはわたしの想像を超えたことですので、小説では萬子媛が入っていかれた寿蔵の前でお別れするしかありませんでした。

 ヒロインの萬子媛を中心に据えた歴史小説を執筆するにあたり、短編五編をまず執筆して、それをあとで長編に纏める予定で計画を進めていました。そのままの計画で行くかもしれませんし、五編の各短編はそのままの形で『江戸初期五景』(仮題)という題のもとに収録するということも考えています。いずれにしても、この小説はその五編のうちの最初の短編です。その最初の短編をまず読んでいただければと思います。実はこれは賞に応募中なのですが(賞運に恵まれればただで紙媒体で作品を読者に提供できる機会を与えられます。※ただし著作財産権の問題が出てくるので、この短編をわたしの好きなように扱うことはできなくなり、長編計画も見直さざるをえなくなります)、落選したら、とりあえず電子書籍にする予定です。

 小説を書くにあたり、郷土史家の迎昭典氏からは貴重な資料を沢山提供していただきました。無知な質問にも丁寧にお答えくださいました。迎氏との出会いがなければ、萬子媛の小説を書く計画は実現しないままに終わっていたでしょう。深く感謝しています。 

迎昭典氏は平成20年に「鹿島市年表」を出版され、その年表もいただいた資料の中にありました。わたしは年表を読んでとても感動したのですが、年表に感動したのは初めてでした。それもそのはずで、出版されたときの佐賀新聞ニュースの記事をネット閲覧して納得しました。「鹿島市年表」はまさに迎氏の血と汗と涙の結晶だったことがわかったのでした。ニュース記事から転載します。

佐賀新聞/2009年02月01日 更新

 郷土史愛好家らでつくる鹿島史談会の迎昭典会長(80)=同市=が、市の歴史をまとめた「鹿島市年表」を出版した。地域の成り立ちや鍋島氏など統治者の変遷、群制や町村制など統廃合を重ねてきた市制を体系的に紹介している。

 迎さんは元中学教諭で社会科を担当。市教育長時代に「鹿島の寺院と神社」など6冊の郷土史編さんにかかわった。今回、その集大成として1年がかりで執筆。数百冊の文献や古文書から読み解いた史実を網羅した。

 年表には縄文時代から現代までの歴史を、日本や佐賀県内と鹿島市を並記。郷土の歩みが一目で分かる内容になっている。特に中世以降の内容が充実。大村氏から有馬氏、竜造寺氏、鍋島氏に至るまでの変遷をはじめ、藩の日記から調べた洪水や飢饉(ききん)の記録などを克明に記載している。(後略)

ニュース記事を閲覧したわたしは、迎氏の貴重な資料を利用する資格があるのだろうかとわが身を省みないわけにはいきませんでした。それに、祐徳稲荷神社は全国的にはどうか知りません――今やタイでも有名だとも聴きます――が、地域的にはよく知られている神社で、特に鹿島市の人々には暮らしに根づいた神社です。萬子媛は隠れたスーパースターといってよい存在ではないかと思います。すっかり怖じ気づき、執筆をやめようかと思った一時期がありました。

結果として、書いたわけですが……。

迎氏のお手紙には次のように書かれていました。感想の部分を引用させていただきます。

 さて、ご執筆のご本は、単なる歴史小説というよりも、史実に忠実に、しかも祐徳院様という人間性が実によく、かつ細やかに描かれていました。小説というより、むしろ研究論文として高く評価したいと思いました。私如きが云々すべきことでもありませんが、文章も高潔、たいへん骨太な作品に仕上がっているように感じました。

それだけに、一般大衆向けにはやや難解な印象を与えるかもしれないと思ったりしています。

そして、お手紙の後半部に黄檗宗と鍋島直朝公に関する興味深いことが書かれていました。それで、わたしの中にあった謎の一つが解けました。それについて残る4編の短編のどれかで採り上げるかもしれません。そのときは作中で迎氏から伺ったお話として紹介することになるでしょう。

作品のスタイルとしては迎氏もおっしゃっているように、賞向きではありませんが、研究論文と小説を折衷させたような歴史物は珍しくないので、残る4編もこのままの書き方でいきます。次の作品も「待っています」と迎氏のお手紙にあり、幸福な気持ちになりました。

わたしにはもったいないような迎氏のご感想でした。

迎氏は現在鹿島六代藩主鍋島直郷公の「鹿島地名和歌百首」を読んでいらっしゃるとのことです。古文書で、しかも短歌……迎氏のような方ですら悪戦苦闘なさっているとか。

ところで、この記事を書く前に、新プラトン主義最後の女性哲学者、ヒュパティアについての記事に加筆しようと思い、H・P・ブラヴァツキー(ボリス・デ・ジルコフ編纂, 老松克博訳)『ベールをとったイシス ―古代および現代の科学と神学にまつわる神秘への鍵― 第1巻 科学 上 』(竜王文庫、平成22年)とその続編『ベールをとったイシス  第1巻 科学 下 』(竜王文庫、平成27年)を読んでいました。

すると、祐徳稲荷神社の公式ホームページで紹介されている萬子媛に関する逸話を連想させる記述に出合いました。

萬子媛の逸話を神社のホームページから以下に引用します。

水鏡

祐徳院様(花山院萬子媛)は古田村(現在の鹿島市古枝)に庵を結び、以後十九年神仏に仕えお暮らしになりました。村人からは大変敬慕されていました。

ある日、一人の村人が畑で獲れた野菜を祐徳院様へ届けた時でした。
「○○さん。実は私は今日あなたがここへ来ることを朝から知っていました。」
村人は驚いて尋ねました。
「なぜそんなことが分かられたのですか。」
祐徳院様はやさしく答えられました。

「私は毎朝あの水鏡を見ています。今朝水鏡の中に野菜を持ってここに来るあなたの姿が見えました。だから分かったのです。」
こうして村人たちは祐徳院様の優れた徳を知り、益々お慕いするようになったとの事です。【地元古老による昔話】

祐徳院様が吉凶を占っておられたとされる水鏡は現在も石壁神社横にあります。

祐徳稲荷神社
URL:https://www.yutokusan.jp(アクセス:2015年12月13日)

『ベールをとったイシス  第1巻 科学 下 』には次のようなことが書かれています。

A・ワイルダー教授は、アレクサンドリア学派の教えと主要な教師たちのことを描き出して、こう言っている。「魂には帰還衝動,愛があり,それが魂を内へ,その起源にして中心である〈永遠なる善〉へと引きつける,とプロティノスは教えた。魂がその内部にどれほど〈美しいもの〉を蔵しているか理解していない者は,美を外部で実現しようと骨折って努めるだろうが,賢明な者は,それを自身の内部に認めるとともに,自身に退却し,注意を集中させ,そうして神的な泉へと遡っていくことによって考えを発展させる。その泉からの流れが彼の内部を降っているのだ。〈限りなきもの〉は、理性を通してわかることはなく……理性より上位の能力によって,いわば個人がその限定的な自己であるのを終える状態に踏み入ることによってわかる。その状態においては,神的な精髄が彼に伝わる。これが〈法悦〉である……」。ブラヴァツキー、老松訳、平成22、p.629

この文章にはわたしが手記「枕許からのレポート」で体験したことが明晰に表現されていると思います。わたしが生涯で一度だけ達しえた状態を、プロティノスのような人はおそらく日常的なものとしていたのでしょう。萬子媛は尼僧時代、どうだったのでしょう。

さらに、注目したのは次の箇所です。

教授は,その節制した生活様式ゆえに「澄んだ鏡のなかに現在や未来を」見ることができると主張したアポロニウスについて,次のように非常にみごとに述べている。「これは霊写術 spiritual photography とでも呼べるものである。魂は,そのなかに諸々のできごと,未来と過去と現在が同じようにとどめられているカメラである。精神[マインド]はそれらのことを意識するようになる。さまざまな限界のある日常の世界を超えて,いっさいは,単一の日ないしは単一の状態のごとくであり,現在のなかに含まれている過去と未来になる」。 ブラヴァツキー、老松訳、平成22、pp.629-630

そして、このような「頻回の内なる法悦的観照に助けられて,進化した」聖なる人々は霊媒性とは無縁で、「生きている〈神〉の霊が住まう神殿」であると書かれています。

萬子媛の水鏡は、このようなことだろうとわたしは思います。つまり内なる法悦的観照によるものだと。

萬子媛の主宰した禅院には森厳な雰囲気があったと義理の息子である鍋島直條公は書いています。そこでは節制した生活様式が遵守されていたことでしょう。

萬子媛は毎朝水鏡を通して自己の内面を見つめました。無我の境地となった内面が水鏡と一つとなり、過去・現在・未来を観照すれば、そこに過去・現在・未来の形象が映し出されたのです。村人から祐徳院様と敬慕されるようになった萬子は、そうした境地にまで達していたのでしょう。

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