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2015年12月31日 (木)

高校時代の恩師から届いた萬子媛の歴史短編の感想

高校時代の恩師に萬子媛の歴史短編をお送りしていたのだが、先生から丁寧な批評のお手紙が届いた。先生からは40年前に国語を教わり、2年生のときに担任をしていただいた(3年生のときの担任は理科の先生だった)。

若くてハンサム、爽やかな先生で、男子、女子どちらからも人気があった。太宰治がお好きだった。クラスの皆で先生のお宅に遊びに行ったことがあった。

校長先生をなさったあと定年退職なさったようだが、現在は講師をなさっているのかもしれない。先生のご実家はお寺で、先生もお経を上げに行ったりなさるようだったから、仏教にはお詳しいはずだ。

お手紙には結構厳しいことが書かれていたが、歯に衣を着せぬ先生の批評はありがたかった。

わたしは高校2年生だった当時、別の先生から職員室に座らされたことがあった。赤点をとったんだか、宿題を忘れたんだか、早弁が見つかったんだかは忘れてしまったが……

そのとき担任だった先生がすーっと前を通って行かれたが、我が子がよその大人に叱られたのを見た母親のような何ともいえない表情をなさって、こちらを見るような見ないような感じで通られたことを未だに覚えている。

お手紙を読みながら、なぜかそのときのことを思い出した。

いい加減な作品を送ってしまった気がして恥ずかしくなったほど、真摯に読んでくださったのがわかった。

すばらしい批評だと思ったので、全文転載させていただけないかと思い、お電話したらお留守だった。さすがに年末年始にお電話するのはまずい気がするので、諦めよう。お留守でよかった。40年ぶりに恩師とお話しするのは勇気が要る。

「初めての歴史小説ということで、確かに大変な労作だと思います。数多くの資料を収集し、そこに書かれている史実に対する忠実な姿勢を失うことなく、しかも自分の内部に存在する主題に接近するという、客観性と主観性の葛藤に恐らくはかなり悩まれただろうと推察します」と、このような姿勢で書くべきとの先生の教訓が示されている。引用してしまった。

この短編小説は「かなり読みづらく感じました」と続く。その原因は「多分、資料の整理・整頓、更には取捨選択が君の中でやや不足していたのではないかと思われます」と先生は分析なさっている。

実はわたしとしてはあれ以上はどうしても削れなかったのである。肉を全部削って骨と血管だけ残したといおうか。この時点で、ストーリーを重視することが当然の賞応募など愚の骨頂であった。

萬子媛から辿れる江戸初期に起きた大きな動きを全てとはいわないが、網羅しておきたかったのである。

叔母の「いろいろつながりがあると知って、びっくりしたわよ」という感想はそれに対して出た言葉だと思う。郷土史家の「たいへん骨太な作品に仕上がっているように感じました」というお言葉もそこからいただけたのに違いない。短編で行うことではないが、それなりの感興をそそったところはあると思う。

しかし、こうした部分は人物中心に読むタイプの人には邪魔なだけである。主人公への一心集中を妨げられ、ストーリーが進まないために不満を覚える。恩師の整理・整頓の強調や、竜王会の知人の、「主人公の感情や考えが出て来るような次編を待っています」という言葉は主にこうしたところから出ていると考えられる。

バルザックやブラヴァツキーのような巨人と比較するのは畏れ多い話ではあるが、彼らが余計なことを書きすぎるとか、煩雑を極めるとか、到底把握できないとかいわれる原因と共通するものがあると思う。

わたし独自の「歴史物」の特徴を開花させながらストーリーや人物描写に力を入れなくてはならない。

先生は取捨選択の大切さについて説かれている。そして、「次に、萬子媛と君自身との関係についてです」と新しい問題点への言及がある。

「はじめに」のページの12行目に「わたしのなかで、萬子媛はいつしか精神性の象徴となっていた」とありますが、この一作目の短編を読む限り、このことはあまり感じ取れませんでした。多分、五つの短編が完成し全体像が纏められたとき、萬子媛と君との精神的なつながりが明確に浮かび上がってくるのだろうと期待しています。

実はこの部分がわたしはうまく呑み込めなかった。精神性の象徴というのは、そう深い意味で書いたことではなかった。断食入定の是非はともかく、それを果たした萬子媛が精神的に強靱だったことは確かだろうから、それに寄せる単純な驚嘆をそう書いたまでのことだった。精神的なつながりといわれると、ちょっと戸惑う。いずれにせよ、私小説ではなく、わたし自身は作品の外にいるわけだから。

ここのところは、わたしの萬子媛像が描けていないということだと解釈していいのだろうか。

そして、先生の文章は「萬子媛が村人から敬慕されるようになった経緯等にも言及してその深い魅力を引き出してもらえればと思います。いずれにしろ、全体の完成が待たれます。歴史小説における客観性と主観性との調和に苦労しつつ元気で頑張ってください」と続いていた。

「「萬子媛が村人から敬慕されるようになった経緯」という言葉から村人と萬子媛の交流を想像してしまい、ヒューマンストーリーみたいな歴史小説はわたしには書けそうにない……と考え込んでしまった。

萬子媛が主宰した禅院は「尼輩ノ出門、俗客ノ往来を許サズ。其ノ佗ノ規矩、森厳タリ」と義理の息子が記述しているところからすると、村人との交流がそれほどあったとは思えないのだ。

しかし、萬子媛のお姿を垣間見たり、噂を聞いたりするだけでも、萬子媛を敬慕することはあり得るのではないだろうか。事実はそうでも、読者に説得力を持つためにはもっと工夫が必要ということだろうか。

要するに、もっと丁寧な描きかたが必要ということだろう。村人が萬子媛のことを話している場面を挿入したり、萬子媛に接した村人の変化を追うなど……

読みにくさという点では、義理の息子の記述を損いたくなかったので、萬子媛が出家してからのことは原文を生かす形で描いたのだが、それも作品が読みにくくなった原因の一つとなったのかもしれない。

次作に入る前に第一作を改稿するかどうか、そのままにしておいてとりあえず次作に入るのかは今夜中に考えよう。

また新年になってから先生のお手紙を読んでみよう。わたしの解釈違いや新しい発見があるかもしれない。先生、すばらしい批評をありがとうございました。

まずいことに、こうしたお手紙が届く前に、わたしは何とも軽い感じの年賀状を既に投函してしまっていた。25日までには出せなかったので、元旦にはつかないだろう。

「昨年は迷作をお送りしてしまい驚かれたことでしょう
次作は江戸時代の骨格をつくり上げたふたりの黒衣の宰相
天海と崇伝が主人公です
花山院萬子姫もちょい役で登場します」

この年賀状をお読みになると、わたしが先生のお手紙を読んだあとで年賀状を書き、先生をおちょくったみたいに思われても仕方がない。

勿論そんなつもりは全くなかった。萬子媛の魅力を思想面から探るためにはあの時代がどんな影響を及ぼしたかの分析が必要で、そのためにも次作では二人の黒衣の宰相を主人公にしてみようと思っているのである。でも投函前にお手紙を読んでいたら、別の書きかたをした。

お手紙の終わりに郷土史家の迎先生が中学校のときの恩師とあり、驚いた。面白い社会科の授業だったそうだ。迎先生にはふたごのごきょうだいがおありで、もうひとりの迎先生から教わったと妹がいっていた。

従兄も感想の手紙をくれたが、「中学校の教員をなさっていた方でしょうか」とあった。従兄は年齢から考えて、教わったとは思えないのだが……迎氏は郷土史家としてだけではなく、中学校の先生だった方としても有名だ。

最近、他県からご当地的な話題をガンガン発信している。まずい。高校の同窓生にこのブログが見つかっている可能性もある。ひー、読まないで! ペンネームやハンドルネームを使って気取ったことを書いても、同窓生には通用しない。

わたしは気取っていたいのだ。もう無理か……

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