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2015年12月の34件の記事

2015年12月31日 (木)

高校時代の恩師から届いた萬子媛の歴史短編の感想

高校時代の恩師に萬子媛の歴史短編をお送りしていたのだが、先生から丁寧な批評のお手紙が届いた。先生からは40年前に国語を教わり、2年生のときに担任をしていただいた(3年生のときの担任は理科の先生だった)。

若くてハンサム、爽やかな先生で、男子、女子どちらからも人気があった。太宰治がお好きだった。クラスの皆で先生のお宅に遊びに行ったことがあった。

校長先生をなさったあと定年退職なさったようだが、現在は講師をなさっているのかもしれない。先生のご実家はお寺で、先生もお経を上げに行ったりなさるようだったから、仏教にはお詳しいはずだ。

お手紙には結構厳しいことが書かれていたが、歯に衣を着せぬ先生の批評はありがたかった。

わたしは高校2年生だった当時、別の先生から職員室に座らされたことがあった。赤点をとったんだか、宿題を忘れたんだか、早弁が見つかったんだかは忘れてしまったが……

そのとき担任だった先生がすーっと前を通って行かれたが、我が子がよその大人に叱られたのを見た母親のような何ともいえない表情をなさって、こちらを見るような見ないような感じで通られたことを未だに覚えている。

お手紙を読みながら、なぜかそのときのことを思い出した。

いい加減な作品を送ってしまった気がして恥ずかしくなったほど、真摯に読んでくださったのがわかった。

すばらしい批評だと思ったので、全文転載させていただけないかと思い、お電話したらお留守だった。さすがに年末年始にお電話するのはまずい気がするので、諦めよう。お留守でよかった。40年ぶりに恩師とお話しするのは勇気が要る。

「初めての歴史小説ということで、確かに大変な労作だと思います。数多くの資料を収集し、そこに書かれている史実に対する忠実な姿勢を失うことなく、しかも自分の内部に存在する主題に接近するという、客観性と主観性の葛藤に恐らくはかなり悩まれただろうと推察します」と、このような姿勢で書くべきとの先生の教訓が示されている。引用してしまった。

この短編小説は「かなり読みづらく感じました」と続く。その原因は「多分、資料の整理・整頓、更には取捨選択が君の中でやや不足していたのではないかと思われます」と先生は分析なさっている。

実はわたしとしてはあれ以上はどうしても削れなかったのである。肉を全部削って骨と血管だけ残したといおうか。この時点で、ストーリーを重視することが当然の賞応募など愚の骨頂であった。

萬子媛から辿れる江戸初期に起きた大きな動きを全てとはいわないが、網羅しておきたかったのである。

叔母の「いろいろつながりがあると知って、びっくりしたわよ」という感想はそれに対して出た言葉だと思う。郷土史家の「たいへん骨太な作品に仕上がっているように感じました」というお言葉もそこからいただけたのに違いない。短編で行うことではないが、それなりの感興をそそったところはあると思う。

しかし、こうした部分は人物中心に読むタイプの人には邪魔なだけである。主人公への一心集中を妨げられ、ストーリーが進まないために不満を覚える。恩師の整理・整頓の強調や、竜王会の知人の、「主人公の感情や考えが出て来るような次編を待っています」という言葉は主にこうしたところから出ていると考えられる。

バルザックやブラヴァツキーのような巨人と比較するのは畏れ多い話ではあるが、彼らが余計なことを書きすぎるとか、煩雑を極めるとか、到底把握できないとかいわれる原因と共通するものがあると思う。

わたし独自の「歴史物」の特徴を開花させながらストーリーや人物描写に力を入れなくてはならない。

先生は取捨選択の大切さについて説かれている。そして、「次に、萬子媛と君自身との関係についてです」と新しい問題点への言及がある。

「はじめに」のページの12行目に「わたしのなかで、萬子媛はいつしか精神性の象徴となっていた」とありますが、この一作目の短編を読む限り、このことはあまり感じ取れませんでした。多分、五つの短編が完成し全体像が纏められたとき、萬子媛と君との精神的なつながりが明確に浮かび上がってくるのだろうと期待しています。

実はこの部分がわたしはうまく呑み込めなかった。精神性の象徴というのは、そう深い意味で書いたことではなかった。断食入定の是非はともかく、それを果たした萬子媛が精神的に強靱だったことは確かだろうから、それに寄せる単純な驚嘆をそう書いたまでのことだった。精神的なつながりといわれると、ちょっと戸惑う。いずれにせよ、私小説ではなく、わたし自身は作品の外にいるわけだから。

ここのところは、わたしの萬子媛像が描けていないということだと解釈していいのだろうか。

そして、先生の文章は「萬子媛が村人から敬慕されるようになった経緯等にも言及してその深い魅力を引き出してもらえればと思います。いずれにしろ、全体の完成が待たれます。歴史小説における客観性と主観性との調和に苦労しつつ元気で頑張ってください」と続いていた。

「「萬子媛が村人から敬慕されるようになった経緯」という言葉から村人と萬子媛の交流を想像してしまい、ヒューマンストーリーみたいな歴史小説はわたしには書けそうにない……と考え込んでしまった。

萬子媛が主宰した禅院は「尼輩ノ出門、俗客ノ往来を許サズ。其ノ佗ノ規矩、森厳タリ」と義理の息子が記述しているところからすると、村人との交流がそれほどあったとは思えないのだ。

しかし、萬子媛のお姿を垣間見たり、噂を聞いたりするだけでも、萬子媛を敬慕することはあり得るのではないだろうか。事実はそうでも、読者に説得力を持つためにはもっと工夫が必要ということだろうか。

要するに、もっと丁寧な描きかたが必要ということだろう。村人が萬子媛のことを話している場面を挿入したり、萬子媛に接した村人の変化を追うなど……

読みにくさという点では、義理の息子の記述を損いたくなかったので、萬子媛が出家してからのことは原文を生かす形で描いたのだが、それも作品が読みにくくなった原因の一つとなったのかもしれない。

次作に入る前に第一作を改稿するかどうか、そのままにしておいてとりあえず次作に入るのかは今夜中に考えよう。

また新年になってから先生のお手紙を読んでみよう。わたしの解釈違いや新しい発見があるかもしれない。先生、すばらしい批評をありがとうございました。

まずいことに、こうしたお手紙が届く前に、わたしは何とも軽い感じの年賀状を既に投函してしまっていた。25日までには出せなかったので、元旦にはつかないだろう。

「昨年は迷作をお送りしてしまい驚かれたことでしょう
次作は江戸時代の骨格をつくり上げたふたりの黒衣の宰相
天海と崇伝が主人公です
花山院萬子姫もちょい役で登場します」

この年賀状をお読みになると、わたしが先生のお手紙を読んだあとで年賀状を書き、先生をおちょくったみたいに思われても仕方がない。

勿論そんなつもりは全くなかった。萬子媛の魅力を思想面から探るためにはあの時代がどんな影響を及ぼしたかの分析が必要で、そのためにも次作では二人の黒衣の宰相を主人公にしてみようと思っているのである。でも投函前にお手紙を読んでいたら、別の書きかたをした。

お手紙の終わりに郷土史家の迎先生が中学校のときの恩師とあり、驚いた。面白い社会科の授業だったそうだ。迎先生にはふたごのごきょうだいがおありで、もうひとりの迎先生から教わったと妹がいっていた。

従兄も感想の手紙をくれたが、「中学校の教員をなさっていた方でしょうか」とあった。従兄は年齢から考えて、教わったとは思えないのだが……迎氏は郷土史家としてだけではなく、中学校の先生だった方としても有名だ。

最近、他県からご当地的な話題をガンガン発信している。まずい。高校の同窓生にこのブログが見つかっている可能性もある。ひー、読まないで! ペンネームやハンドルネームを使って気取ったことを書いても、同窓生には通用しない。

わたしは気取っていたいのだ。もう無理か……

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「高校時代の恩師から届いた萬子媛の歴史短編の感想」は加筆中です

公開していた「高校時代の恩師から届いた萬子媛の歴史短編の感想」は加筆中です。先生の批評を部分的に紹介しつつ、作品に反映させるべきところを考えてみました。

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2015年12月29日 (火)

キンドル版『ぼくが病院で見た夢』』『村上春樹と近年のノーベル…』をお買い上げいただき、ありがとうございます!

今年はとうとう電子書籍を1冊も出さずに終わりました。来年は出したいと思っています。お買い上げいただいた方々には感謝の気持ちでいっぱいです。

Kindle版短編児童小説『ぼくが病院で見た夢』をお買い上げいただき、ありがとうございます! 

12月18日ごろ、お買い上げいただいたようです。

『ぼくが病院で見た夢』は13冊目のお買い上げでした。

サンプルをダウンロードできます。
      ↓

以下は、他の99円の短編児童小説です。サンプルをダウンロードできます。

卵の正体

ぬけ出した木馬

マドレーヌとわたし

マドレーヌとわたし(漢字使用)

以下は中編児童小説です。サンプルをダウンロードできます。

田中さんちにやってきたペガサス

以下は日記体児童小説です。サンプルをダウンロードできます。

すみれ色の帽子

以下はシリーズ物の第1巻です。冒険前夜の物語です。サンプルをダウンロードできます。

不思議な接着剤1: 冒険前夜

Kindle版評論『村上春樹と近年のノーベル文学賞作家たち(Collected Essays 1)』(ASIN:B00BV46D64)をお買い上げいただき、ありがとうございます! 

12月22日ごろ、お買い上げいただいたようです。

 『村上春樹と近年のノーベル文学賞作家たち』は、これまでで49冊お買い上げいただいたことになります。

  • アメリカ……17冊
  • 日本……27冊
  • イギリス……1冊
  • ドイツ……2冊
  • メキシコ……1冊
  • イタリア……1冊

村上春樹と近年のノーベル文学賞作家たち(Collected Essays, Volume 1)

「気まぐれに芥川賞受賞作品を読む 二〇〇七 - 二〇一二(Collected Essays 2)」)』(ASIN:B00J7XY8R2)は、文学界を考察した姉妹編ともいうべき1冊です。

気まぐれに芥川賞受賞作品を読む 2007 - 2012(Collected Essays, Volume 2)

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2015年12月28日 (月)

(3度の改稿)ブラヴァツキーの神智学を誹謗中傷する人々 ②三浦関造の雛たちに危いまなざしを向ける人

①は次の記事(はてなブログ)。

今年はブラヴァツキーの神智学や神智学協会、それを日本に紹介した一人であった竜王会の創設者三浦関造に対する誹謗中傷にわたしの関心が向いた年であった。

過去記事に書いたことだが、三浦先生をわたしが初めて意識したのは35年前に遡る。自己流の断食体験から話さなければならない。

大学時代、今思えば危険な断食を若さに任せてやってみたことがあった。

3日でおなかがぺったんこになった記憶がある。当時は痩せていたので、それこそ、おなかの皮と背中の皮がくっつくという感じに窪んだのだ。たったの3日で、ああなるとは驚いた。

それでも、いつもはサボったりした大学の講義にきちんと出席した。体が軽くて、ある意味では爽快だったのだ。後に竜王会で学んだヨガや神智学を通して、自己流の断食はとても危険であることを知った。

当然、自己流の様々な行法すべてがとても危険である。今は瞑想一つとっても、いわゆるハタヨガ的な行法にしても、きちんと指導できる人はいない――何かあったときに対処できるだけの人はいない――と、お亡くなりになった田中恵美子先生(竜王会二代会長・神智学協会ニッポン・ロッジ初代会長)はおっしゃっていた。

懸念されていたのは、霊媒体質になる危険性が高まりやすいこととクンダリニの暴走だと思う。クンダリニとはヨガでは知られているエネルギーの一種で、蛇の火ともいう。人間の脊柱基底の中心内にとぐろを巻いて眠っている龍のようであるといわれる。

精神的進歩にそって自然に目覚めるのが最も安全で、無理に行法などで目覚めさせようとすると、破壊エネルギーとなって、その人に弊害をもたらす。発狂することもあるという。

先生のお父様、三浦関造は牧師補時代にキリスト教に疑問を持ち、東洋思想に転向。ヨガの達人として知られ、神智学を日本に紹介。知性、人格、霊性共に別格の人であったと聞く。竜王会という総合ヨガの会を創設した。

教育者として著名であり、以下の本に詳しい。アマゾンより引用する。

ユネスコ創設の源流を訪ねて―新教育連盟と神智学協会
岩間 浩 (著)
出版社: 学苑社 (2008/08)

内容(「BOOK」データベースより)

本書はユネスコ設立の母体は何かの問題の解明に取り組み、その淵源として教育に関する国際的連帯組織・新教育連盟と、人種・宗派を越える古来の英知を探求する神智学協会に照明を当てる。その結果、スイスの世界的発達心理学者ピアジェ、インドの詩聖タゴール、イタリアの幼児教育家モンテッソーリ、ロシアの芸術家レーリヒ、出版界の代表人物かつ平和運動家・下中彌三郎、教育革新思想家およびニューエイジ思想先駆者・三浦修吾・関造兄弟などの著名人たちが、いずれも新教育連盟や神智学協会に深くかかわりつつ、教育革新運動とユネスコ運動を推進した事実を明らかにした。

わたしが竜王会に入会したときは内部に神智学協会ニッポン・ロッジがあった。現在は竜王会と神智学協会ニッポン・ロッジに分裂。

わたしは竜王文庫から出ている本に心惹かれたが、竜王会への入会を迷っていた。変な名前の会に思えたので。釈迦の大勢の弟子の一人に竜王という人がいたそうで、そこからの命名であると後に会員の一人から聞いた。

わたしの大学卒業の直前に母が倒れ、そのときに『枕許からのレポート』で書いた神秘的な体験があった。竜王会への入会を迷っていたのは、退院した母をドライバーとして病院に送り迎えしながら公文教室で助手のバイトをしていた頃で、ある日、夢現のうちに輝かしく光るエメラルドグリーンの大きな円が額の上あたりに見えた。

そのエメラルドグリーンの円の中に今生のわたしを見守ってくださっている方々がいて、その中心に写真でしか見たことのなかった――正直いって、あまり意識もしていなかった――三浦先生の生き生きとしたお顔があった(故人であった)。

竜王会にはわたしが全国大会に出かけていたころ、三浦先生の愛弟子といわれる人々がいて、講演や懇親会などで話を聞く機会があった。三浦先生は大変敬愛されていたが、師としてであって、崇拝されていたわけではない。

そもそも盲目的な崇拝はヨガや神智学の精神に反する。とはいえ、敬愛する師が亡くなったとき、弟子たちが愛慕と悲嘆のあまり、それに近い感情になることはある。田中先生のときにそれが起きた。

母鳥を亡くした雛のように、お亡くなりになった田中先生をピイピイ恋い慕う会員は多かったと思う。死者となった先生が別れの挨拶においでになったことを複数の会員が体験したようであった。

わたしもその一人で、肉眼で見るように先生を見たわけではなかったが、先生の気配をありありと感じ、なつかしいオーラの放射を見た。それはまさにヨガや神智学でいわれるところの魂は不滅という実例の一つであった。

会員はピイピイ鳴きながらも我をとり戻し、機関誌には先生を慕うあまりに神格化するようなみっともない真似はやめようという会員の意見が表れたりした。

三浦先生が亡くなったときのことはどうであったかわからないが、三浦先生からヨガの行法を教わっていた人々は瞑想の中で先生にお目にかかろうとしたのではないだろうか。

ある全国大会のとき、三浦先生の愛弟子の一人として尊敬を集めていた高齢のご婦人と旅館で同室となった。

わたしは知的で気品に満ちた田中先生と同室になるのは憧れすぎていたので怖かったから、そのご婦人と同室になりたかった。故三浦先生の話を聞きたかったのである。念願叶って同室となったわけだった。

三浦先生が同時に2箇所――3箇所だったかもしれない――に出現した話(この話は別の人からも聞いた)、瞑想の中に出現した先生が天に昇って行く神々しい姿の話、病人を癒やされた話……物静かだけれど、腹の底から響くような声のモノローグのような語りでいろいろな話を聞かせていただいたが、正確には記憶していない。

三浦先生の分身の術さながらの複数の出現は先生が生存中のエピソードだが、他の話が三浦先生の存命中のことであったのか故人となってからのことであったかわからなくなってしまったほど、三浦先生には生死を超えたところが生前からあったようである。わたしに出現した三浦先生は当然故人であった。

萬子媛が生前から村人たちにその徳や神通力を敬慕されていたことを連想してしまう。死んだからといって、誰もが聖者のようになれるわけではないのである。生前に聖者であった人のみが死後も聖者としての高級な影響力を発揮しうるのだ。

そうした話の間中、ご婦人の体は透明感を帯びて神々しく輝き、部屋の中が虹色のオーラでいっぱいで、わたしはその非現実的ともいえる光景に打たれ、オーラの壮麗な響き合いの中で呆然となっていた。

その夜、わたしは眠れなかった。オーラの壮麗な光景はなりを潜めていたが、眠っていられる三浦先生の愛弟子の迫力ある鼾のために眠れなかったのだった。

三浦先生が執筆なさっていた当時の機関誌を読むと、会員からのお便りが沢山掲載されている。

お便りからはまるで新約聖書の世界が出現したかのようで、先生の神通力に驚かされる。お便りには生き神様と感謝する言葉があったりする。そこまで感謝したくなる現象があったというわけである。

三浦先生は救世主が人間の内外に存在することを会員たちに喚起し、会員自らの神性発露を共に喜びながら、さらなる霊的進歩が可能であることを示唆し、励ました。機関誌のお便りからは、ヨガ教師としての理想的な姿が見えてくる。

『ユネスコ創設の源流を訪ねて―新教育連盟と神智学協会』では、三浦先生が「知的障害者や差別されている子ども達の友となり、彼らの成長の援助者となっていた」(岩間、2008、p.267)とある。教師としての豊かな人間像はそのままヨガ教師としての人間像でもあったのだ。

わたしの知る三浦先生とはそのような人物であった。だから、ウイキペディア「神智学協会」の中の「日本における神智学」で描かれた三浦関造像には驚いた。

類似宗教学者(自称)の吉永進一と紹介されている人物の以下のオンライン論文が最も参考にされているようなので、それを閲覧してみた。

ウィキペディアでも出て来なかった吉永進一という人物だが、はてなキーワードで出て来た。

はてなキーワード:吉永進一

1957年生まれ。自称・類似宗教学者。別名:岩本道人。
京都大学文学部大学院(宗教学専攻)を修了。オカルティズム研究ユニット「近代ピラミッド協会」を横山茂雄と結成。

現在、舞鶴工業高等専門学校・准教授。
宗教学、ウィリアム・ジェイムズ、近代霊性思想史を専門に研究している。

次のような著作があるようである。

催眠術の黎明―近代日本臨床心理の誕生
吉永進一  (著)
出版社: クレス出版 (2006/01)

「天使」と「悪魔」がよくわかる本 ミカエル、ルシファーからティアマト、毘沙門天まで (PHP文庫)
造事務所 (編集), 吉永 進一 (監修)
出版社: PHP研究所 (2006/9/2)

そのうち図書館から借りて確認したいが、催眠術は神秘主義では黒魔術である。わたしは村上春樹との関連から拙著『村上春樹と近年のノーベル文学賞作家たち(Collected Essays 1)』(Kindle版)で河合隼雄と日本臨床心理に疑問を呈し、それについてもいずれ書きたいと思っているが、まだ手をつけていない。

そして、この吉永進一は神智学協会ニッポン・ロッジとは別の神智学研究会を主宰しているようである。

ウィリアム・ジェイムズを研究しているというだけで、わたしには偏見が起きそうになる。以下の記事はまとまりを欠いているが、ウィリアム・ジェイムズに関するわたしの雑感である。

吉永進一の論文「近代日本における神智学思想の歴史」は400字詰原稿換算で50枚の短い論文である。全文に疑問が湧いたが、その中でも特に見過ごせなかった部分を挙げたい。

三浦が神智学やヨガの教師として姿を現すのは昭和二八年、ヨガナンダのヨガ技法をまとめた『幸福への招待』(東光書房、一九五三)を出版してからで、そこから神智学ヨガ団体「竜王会」結成に至る。竜王会は、昭和二九年に機関誌『至上我の』光を創刊、さらに竜王文庫としてヨガ行法の解説書や神智学書を出版し、三浦の亡くなるまでに十冊ほど出版している。つまりヨガ教師、神智学徒として三浦が活躍する時期は最晩年のこの七年間のことである。ただし、竜王会発足後、彼が紹介したヨガはヨガナンダのそれではない。『至上我の光』五九号(一九五九年二月一日)には「印度ヨガの危険と建て直しについて」という記事を載せ、インドのヨガは堕落しており、アリス・ベイリー、ポール・ブラントン、ドーリルを学ぶことが重要であると力説している。その一方で同号に「いかがわしい誤謬だらけの西洋模倣ヨガの本を悉く棄ててしまいなさい」と、まったく矛盾した主張をしている。(吉永、2010、pp.389(593) - 390(594)

パラマンサ・ヨガナンダは1920年に渡米し、1952年3月7日にマハサマージに入った(亡くなった)。「遺骸の顔は死後数週間腐敗の徴候を示さず、神々しい光に輝いていた」という(パラマンサ・ヨガナンダ『ヨガ行者の一生』関書院新社、昭和35年初版、昭和54年改訂(第12版)、p.Ⅱ「遺骸に関する検証」)。

若い頃からのパラマンサ・ヨガナンダの動画がアップされている。

1959年時点でのインドのヨガは三浦関造の目に堕落したものと映っていたようだが、それはハタヨガに傾斜したインドヨガを批判したものであることが『至上我の光』59号を読めばわかる。吉永には単に読解力がないだけなのか、曲解しているのかわたしには不明である。

59号で言及されたアリス・ベリー、ブラントン、M・ドウリルについては、いずれもハタヨガの危険性、西洋で出版され日本人の訳している誤謬だらけのヨガの本に対する警告との関連で出てくるのである。上記三者はいずれも著作の中で、当時のインドのヨガの堕落や西洋で出版されている誤謬だらけのヨガ本の危険性を警告していた。

今日、世界的にヨガ及び印度ヨガ以上のヨガについては有益な啓明力ある著書で有名なブラントン氏は、「ヨガを越えて隠れた教えへ」という本の中で、真のヨガの行き方を教えて、印度ヨガの堕落を指摘し、特にハタヨガ(誤ってハタヨガを翻訳者無知の故にハサと書いている)は低級な人々、即ち精神的一心集注の出来ない者が、体[からだ]を支配することばかりやっているもので、その経典を書いたスワミ自らが不完全なものであることを告白しているといい、ハタヨガを修行の埒外に叩きつけていられます。(……)
ヨガには数種ありますが、注意すべき事はと(原文ママ)ヨガに関する西洋の本や、日本人の訳した米国怪化[ばけ]ヨガ、特にハタヨガをやるということは無知の沙汰[さた]で、熱心にやれば必ず大きな危険に陥ります。研究しなければならぬ本は四十年前から、みんな読んで、秘伝を授かっている私ですから、私のいうことを軽率に考えないで、深重な、且つ真摯な態度で、私に学んでくださらないと、馬鹿を見たり、とんだ失敗と危険に陥っても私の責任ではありませんよ! いかがわしい誤謬だらけの出来損[そこな]いの西洋模倣ヨガの本を悉く棄ててしまいなさい。 (三浦関造『至上我の光 第一号より第七一号合本』竜王文庫、昭和47年、p.248)

恥ずかしながら、転載しながらわたしは初めて三浦先生が秘伝を授かっていたことを知った。そういえば会員の誰かがそんなことをいっていたような気もする。

三浦先生も人間であったからには誤謬を犯すこともあっただろうが、三浦先生に対する信頼感が著作や長女の田中先生を通して育まれていたわたしは、秘伝のようなことはどうせ俗人にはわからないことだからと聞き流してしまったのだろう。

三浦先生がどこで授かったどんな秘伝だったのだろう? わたしは未読だが、『幸福への招待』という著作があることから考えると、パラマンサ・ヨガナンダのクリヤ・ヨガの秘伝なのだろうか。

わたしはブラヴァツキーの神智学の著作に夢中で、あまり三浦先生の著作を読んでいない。今後、できれば読んでいきたいと考えている。

竜王会では三浦先生亡き後もずっとハタヨガに傾斜することの危険性が警告されてきた。それでもハタヨガ好きは会員にも存在した。ハタヨガは肉体的、機械的な行法であるから、学びやすいし、教えやすいのである。ほとんどがクンダリニが暴走したときの対処法を知らずに教え教わっているのであろうが。

同号にはユネスコに言及した箇所があり、『ユネスコ創設の源流を訪ねて―新教育連盟と神智学協会』との関連から興味深いので引用する。

摩尼[マニ]光・ヨガは最も確実な総合ヨガで、大蔵経、大乗経及び、四福音書を統一した真のヨガであります。私は本書で、その大意と大切な修業の仕方を説きますが、又英文でも同様出版が出来ましてからアメリカ各地に送り且つ、ユネスコを通して世界的に拡げて貰います。(三浦関造『至上我の光 第一号より第七一号合本』竜王文庫、昭和47年、p.248)

四福音書とは新約聖書の四福音書のことである。摩尼光・ヨガは三浦関造の思想の結実といってよいものだろう。恥ずかしながら、わたしはこれに関する本も読んでいない。ホント、ブラヴァツキーの神智学の著作に夢中で……ずっとあの世で見守っていただいているというのに。

ちなみに、わたしはパラマンサ・ヨガナンダが創設したSRFの会員だった時期があったので、SRFでどんな活動が行われているのか、1980年頃のことは大体把握している。大衆に合わせたものになっている印象を受けた。当時、日本でクリヤ・ヨガの指導ができる人はいなかったので、わたしの関心は薄れてしまった。

アリス・ベイリーの著作をわたしは受けつけなかった。わたしが読んだドウリルの著作は病気治療について書かれた分厚いものだった。ブラントンは未読である。

ユネスコは現在では赤化しているようだ。ユネスコ運動を推進した三浦先生は『至上我の光』で共産主義の危険性について警告しているというのに。

このような終末論を背景に三浦自身は、自己神格化を強め、「大救世主は、真理のみたまとして、我等の三浦尊師をお遣わしになっている」(『至上我の光』六三号、一九五九年六月)とは、本人の偽らざる信念であったろう。「新時代の神軍」のように、信と行を備えた一種の宗教団体に近くなっていた。それは崩壊した天皇=メシア信仰の代替物であったともいえよう。しかし昭和三五年に三浦は亡くなったために、竜王会が終末論を激化させることもなかった。同会はその後も営々と三浦の旧著を刊行し続け、一九七〇年代までは日本における数少ない神智学思想の供給源となっていた。(吉永、2010、pp.391(595) - 392(596)

吉永のいいかたに従えば、三浦関造は自己神格化を強めたのであった。しかしながら三浦関造はそれを自分だけでなく全会員に促したのである。ヨガでも神智学でも救世主は自らの内と外とに存在すると教えるからである。

救世主を感受するには、それが可能となる段階まで自らを高める以外にないのである。内に救世主を見出すことと、外に見出すこととは区別がないからである。前掲の拙作『枕許からのレポート』はそのことを実例をもって示した作品となっているので、稚拙な表現ではあるが、参考にしていただきたい。わたしがその段階に達したのはまだこのときの一度だけである。

会員が読みとったメッセージは、一層の熱誠をもって自己発見と自己修練に励み、愛他に生きよ――ということだったはずである。

「崩壊した天皇=メシア信仰の代替物」というのは吉永の勝手な意味づけではあるまいか。

天皇をメシア信仰と位置づける日本人は珍しい。在日コリアンか帰化人、あるいは左派にはそうした解釈を時々見ることがあるが……

1959年6月に発行された『至上我の光』63号では、三浦関造のソ連中共に対する危機感が相当に高まっているのが感じられる。

1956年に勃発したチベット動乱は、1959年のこの年に頂点に達した。三浦関造の危機感はそこから発したものではないだろうか。

シャンバラ伝説の伝わるチベットは、神智学徒にとって特別の地である。そのチベットでは今も僧侶たちが抗議の焼身自殺を行っている。

ただ、三浦のようなヨガとシャンバラと陰謀論という組み合せは、冷戦時代の一過性のものではないことは指摘しておきたい。なぜなら、まさにその同じ組み合せを、私たちはオウム真理教で再度見ることになるからである。(吉永、2010、p.392(596)

ユネスコ運動に関係した三浦関造は国際情勢に明るかったに違いない。そこからしばしば前掲のような危機意識が高まって機関誌でそのことに言及することはあっただろう。

しかし、多数の著作を世に出した三浦関造だが、三浦関造の陰謀論とは何だろう? 本のタイトルを示していただきたい。

竜王会東京青年部『総合ヨガ用語解説集』(竜王文庫,昭和55)の「三浦先生 訳・著書一覧 年代順」に「三浦先生の訳,著述作品は約七十余点にのぼると思われますが,震災,戦災,住居移転等で散逸し,その多くは,現存しておりません。ここに掲載したものは,保存されているもの,発行が確認されたもの(発行年不明のものを含む)を,ほぼ年代順に列記したものです」として訳・著書が紹介されている。

このうちのどれだろうか?

「昭和三五年に三浦は亡くなったために、竜王会が終末論を激化させることもなかった」とは何という三浦関造及び会員に対するひどい侮辱であろう。

三浦関造がもっと長生きしていたら三浦関造と会員たちは終末論を激化させて武装蜂起でもしたというのだろうか。オウム真理教のような事件を起こしたというのであろうか。

矛盾した愚説を弄しているのは吉永進一のほうである。なぜなら、竜王会は反日とはおよそ無縁の組織だからである。天皇=メシア思想の代替物と結びつけたかと思えば、オウムのような反日テロ組織と結びつける支離滅裂さ。誹謗中傷もいいところである。

まあ竜王会の一員であるならば、例え終末論を激化させたところで自己修練を激化させるだけの話である。

ヨガを恣意的に解釈し、それだけの準備が整っていないにも拘わらず、ヨガの行法を自己流に採り入れて遂には自己崩壊したオウム真理教の麻原だったが、ヨガに関しては、そのようにならないようにと竜王会ではずっと警告が続けられてきた。

麻原が三浦関造の教えを受けていたら、ああはならなかったに違いない。いや、イエス・キリストの教えを受けた使徒たちからでさえユダが出たことを想えば、絶対にそうとはいいきれないものもあるが……

ただ、前述したようにオウム真理教の問題はそれだけではない。中共のような思想弾圧している一党独裁国家ではない、憲法第20条で信教の自由を規定した日本国において彼らは反日テロを起こすという重大な思想的問題を孕んでいた。

 

分析されるべきは、むしろ吉永進一の思想と思考回路のほうではあるまいか。こうした恣意的な解釈、意味づけは問題で、このような人物が教師をしている今の日本の危うさを懸念せずにはいられない。

当ブログにおける関連記事:

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「ブラヴァツキーの神智学を誹謗中傷する人々 ②」は加筆中です

「ブラヴァツキーの神智学を誹謗中傷する人々 ②」は加筆中なので、一旦閉じました。

年賀状を書く時間をこの記事にそっくり当ててしまいました。2016年のわたしの年賀は亀年賀になりそう。

掃除は昨日精力的に行いましたが、それでもまだ一部分。今日までに注連縄を飾りたいので玄関、鳩の糞が気になるベランダは綺麗にしました。

フェンスの上に鳩がとまらないように柵を設けたのは効果がありましたが、柵の間に風に吹かれた糞が引っかかるのが困ります。丹念に割り箸を使ってとるしかありません。

ベランダの掃除をしていると、お隣の叔母さんもベランダの掃除に出て来たので、フェンスのあちらとこちらで、しばらく世間話。鳩の話にもなり、叔母さんもホトホト困っているとか。

燃えるゴミが今日までだったので、かさばったゴミになるカレンダーは主要なものを残して処分しました。

小説の資料も溜まっていて散らかる元になりますが、これは捨てるわけにはいかず……本好きの家族なので、本も溜まる一方です。

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2015年12月25日 (金)

美味しかった冠地鶏とスパークリングワイン

夫と娘に予約したケーキの受けとりと買い物を頼んだのですが、鶏もも肉が高い冠地鶏しか残っていなかったそうで、初冠地鶏となりました。

これがもう、これまで家で食べた鶏肉の中で一番の美味しさでした。

過去記事で紹介した脇先生の焼きかたで焼いたのですが、フライパンのコーティングが剥げかけていて、焦げつきやすくなっているため、レシピでは使わないサラダ油を使うかどうかで迷いました。前回鶏もも肉を焼いたとき、フライパンにくっついたのです。

迷った揚げ句、レシピ通りにサラダ油を使わずに皮の面から焼いていきました。アルミホイルで覆って、その上から小鍋をのせて重しにします。焦げかけているかどうかはフライパンで弾ける脂の音や匂いでわかりますよね。

危ないと思ったら、途中でフライパンを濡れ布巾に置いて焦げつきを剥がし、サラダ油を注ぐつもりで待機していました。

それがまあ、脂の音のよいことといったら! シュンシュン、ジュワワー、シュシュシュシュッという具合にこれまで聴いたこともないくらいに賑やかで、軽やかで、まるで楽しい音楽みたいな音が聴こえてくるではありませんか。いや、ホント。

これまでになかったくらい脂が出ているようなので、焦げついていないだろうと期待した通りの出来映えでした。脂の処理に油固めがいるほど、沢山の脂が出ていました。

家族全員、大絶賛。お値段に見合う、いやそれ以上ともいえる美味しさでした。焼けた鶏肉はまるで油で揚げたみたいにカラリとしていて、それでいてジューシーで、驚かされました。

冠地鶏、恐るべき優秀さです。大分県畜産試験場が4年の歳月をかけて誕生させた大分県産の地鶏なんですって。

高いといっても、ステーキ用の牛肉に比べたら格段にリーズナブルですし、家庭での記念日やお客様にも喜ばれそうな品格ある美味しさ。オーバーではありませんって。

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冠地鶏が美味しすぎたので、モロゾフケーキの影が薄くなりました。モロゾフにしておけば、とりあえず間違いない美味しさ。

竜王会のN氏からいただいたチョコレートケーキも家族でまず1個をいただきましたが(4個入り!)、コクのある上品な美味しさでした。本当にありがとうございます。

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スパークリングワインもさっぱりとしたほどよい甘さで、満足。

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フォンタナフレッダ アスティ 750ml
Fontanafredda(フォンタナフレッダ)
アルコール度数7%,ミディアムボディ,イタリア(原産国),モンテ物産(メーカー),ピエモンテ(産地)

山岸先生のコミック『レベレーション(啓示)1』の感想は年賀状書きの合間か終了してからになりそうです。

単行本になるのを待ってから一気に読みたいと思い、連載1回目しか読んでいませんでした。楽しみです。

先日購入したエプソンのプリンタはお買い得でした。

年賀状はまだたったの1枚しか書いていませんが、印刷してみると、綺麗な色です。

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2015年12月24日 (木)

イブに竜王会の知人から届いた萬子媛の歴史短編の感想(カードとチョコケーキもありがとうございました)

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萬子媛の歴史短編を送っていた横浜市にお住まいの竜王会の知人N氏から、感想とカードとチョコケーキが届いた。

ありがとうございます!

実はわたしはN氏とは竜王会の全国大会に出かけた昔、何度かお目にかかった程度で、一度もお話ししたことがない。父親といってよいくらいの年齢差のある男性である。

当時しきりに交流していた人々は亡くなったり、会を離れたりで、交際が途絶えたが、N氏とは年賀状のやりとりがずっと続いている。

その間、N氏が竜王会でよくボランティアをなさって、コピー本をまとめたり、故田中先生を助けて色々と献身的に働いてこられたことが察せられた(それとは対照的にわたしは何もしてこなかった)。

N氏のご著書を過去に送っていただいた。わたしはちゃんとした感想をお送りしただろうか? N氏のお作はしっかり記憶にあるが(あとで再読しよう)、こちらがどんな感想を送ったかは記憶にない……

N氏はきちんと作品を読んでくださり、「主人公の感情や考えが出て来るような次編を待っています」と書かれていた。

江戸時代の女性であった萬子媛の、感情表現や行動を通して萬子媛の考えを描いたつもりだったが、萬子媛の思想家としての側面を追究するという点で、物足りないということかもしれない。

竜王会の会員には思想面に鋭い目を向け、分析する人が珍しくないから、おそらくそういうことだろう。

当時の枠組みの中で、江戸時代に生きた萬子媛は驚くぐらい自由に生きた面があったと思うのだ。それが、夫――大名職を引退したとはいえ――のある身での出家であり、当時としても珍しかったであろう断食入定であったと思う。

確かにその断食入定に関しては作者としてビビってしまったところがあり、そこまで萬子媛を思想的にも人間的にも追っていけなかった気がする。N氏はおそらくその甘さを見抜いておられるのだ。

はっきりいうと、わたしの中の自然児があのような死に方を拒絶する。思考停止に陥らせる。

だが、自分と異なる考え方をも深く描くのが作家というものだろう。

現在もあの世でボランティアをなさっている(?)萬子媛に断食入定がどのような役割を果たしたのか、果たして必要だったのか。そのことによる自身への霊的な弊害はなかったのか。萬子媛はどう考えてそうしたのか? 断食入定とは何なのか。

わたしには萬子媛があの世でのボランティアに自らを釘づけにしようとしたとしか思えない。萬子媛のあまりの純粋さに涙してしまう。至純の心は太陽みたいだ。

天の加護というが、それはあの世で働いてくれている方々が実際においでになるということなのだ。そうした方々の存在がなければ、この世はどんなに索漠としたところとなるだろう。

萬子媛がどうしてあそこまでおできになるのか、萬子媛の太陽さながらのオーラに浴した実感を持つわたしにも謎だ。元々人間の品格が違っていたといえばそれまでだが、外側からやんわり探ったそこのところをもっと鋭く探るのだ。

次作は2人の黒衣の宰相にスポットライトを当てるが、萬子媛は全編に登場の予定なのである。次作で萬子媛にもっと迫ることができるだろうか。

無理、あれで精一杯。無理よ、もう無理。あれでいいじゃない。

郷土史家の迎氏のお手紙には「また、祐徳院様のお若いころ、つまり京での娘時代はどのようなお方だったのかも私の関心事の一つです」とあり、萬子媛をもっと深く、娘時代から描いてはどうかという示唆と期待がこめられた文面だと思う。

やっぱり突っ込みが必要ということか。 そもそも娘時代のことなんかわかるわけないじゃない。名前さえろくにわからず、出家後の呼び名しかわからないというのに。

しかし、そこを書くのが創作なのだ。わかっている、それくらいのこと。ああ宿題ができた、難しい宿題が!

山岸凉子のレベレーションの単行本が出たそうなので、娘に頼んだ。娘は今夫と予約したケーキをとりに行っている。お酒はレモンのリキュールがいいようなことを言っていたから、嘗める程度のわたしは娘に任せることにした。

Xmasにジャンヌ・ダルクのコミックを読み、感想を書くつもりだが、Xmasの読み物としてジャンヌ・ダルクというのは適しているのかいないのか?

Xmasを詠んだ俳句を紹介するつもりだったが、もうケーキが着く……

よいイブをお過ごしください。

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2015年12月23日 (水)

新しいプリンタ

1年以上前にプリンタの青が詰まって出なくなり、最近になってインク漏れジミが出るようになったので、買い替えることにしました。前回いつ買ったかを過去記事で検索してみました。ブログしていると便利ですね。写真までアップしていました。

ムムム……3年9.5ヶ月しか持たなかったのですね。いや、その1年前からインク詰まりがあったから3年も持たなかったということ?

ただうちは酷使しているほうだと思います。とはいえ、その前に使っていたキャノンは8年持たせたようです。

それでも、夫もわたしもエプソンのほうが好きなのですね。色彩が美しい。

小説をプリントすることが多いわたしは、キャノンの顔料ブラックインクのほうがエプソンの染料インクよりくっきりしているし、インクの値段も安くついていいはずなのですが、それでもエプソンのほうが好き。

キャノンのぺたんとした黒色が嫌なのです。エプソンの若干滲む色のほうが好みというわけです。

エプソンのプリンタでプリントしたほうが、小説が名作に見えるのです。創作のためにはそれがまずいともいえますが、創作意欲をそそってくれるのがエプソンのプリンタなのです。あくまでわたしの場合がそうだというだけの話です。

キャノンは紙詰まりしやすいのも嫌。エプソンはインク詰まりしやすいのとインクに高くつくのが困りますけれど。

といっても、キャノンのほうがお買い得なら、そちらにするつもりで電器店へ。

迷うまでもなく、店員さんおすすめのエプソンの型落ちで安くなっていたEP-707Aに即決。さらに5%の値引きで、8,392円。

プリンタが1万円もせずに買えてハッピーでしたが、インクが高い。プリンタよりインクで儲ける値段設定にしているのでしょうね。

4時過ぎに目が覚めたので、ちゃちゃっとセットアップするつもりで作業に入ったら、作業自体は簡単でしたが、意外に時間がかかりました。同じエプソン製品で前のと似ていますが、インクを装着するときにちょっとやりにくく、力を入れると壊れそうで怖かった……

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コンパクトで軽いのはいいけれど、ちゃちに感じちゃう。長持ちしてね。パソコンとプリンタは今や創作に欠かせないパートナーです。

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記事書いているうちに、朝の7時になってしまいました。設定済んだから、夫がしばらくはこのプリンタで遊ぶだろうけれど、年賀ももう書かないとね。

どの年賀状テンプレートをお借りしましょう?

EPSON インクジェット複合機 Colorio EP-707A 無線 スマートフォンプリント Wi-Fi Direct

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2015年12月22日 (火)

叔母から萬子媛の歴史短編の感想

過日書き上げた歴史短編を内々で読んで貰いたいと思い、郷土史家からご感想をいただいたあとで、約20人に序文をつけた作品を送ってみた。

2度にわけて送り、後から送った人には「『はじめに』の部分で変わったことを書いていますが、気にしないでくださいね」と一筆箋にしたためた。『はじめに』では神秘主義的なことを率直に書いたので、わたしなりの精一杯の配慮のつもりだった。

父方の叔母にも送った。叔母は図書館から本を借りて読む習慣があるといっていたし、叔母が家に来てくれたときには父がよく祐徳稲荷神社に連れて行っていたので、萬子媛の物語には興味を持ってくれるかもしれないと思ったのだった。

「Nちゃん、あんた、よく調べたねえ!」と叔母の第一声。

「いえ……ハハハ……叔母さま、それはですね、序文で書いたようにお世話になった郷土史家――迎先生のお陰なんです」

「わたしなりにね、最後まで読ませて貰ったよ。いや~、ただのお稲荷さんだと思っていたから、鍋島さんとのつながりがあるなんて、ちっとも知らなかったのよ。それどころか、いろいろつながりがあると知って、びっくりしたわよ」と、テンション高い叔母の声に、わたしも驚きと嬉しい気分で甲高い声になった。

ただ、同じ県内でも祐徳稲荷神社はこれくらいの認知度なのかと驚いた。

地元では全国的に有名な神社で(三大稲荷には諸説あるが、祐徳稲荷神社を入れる説もある)、当然創建者のことくらいは知られていると思っているのだけれど、ご当地的な話なのだろうか。でも、タイでも有名に……

小説が面白かったのかどうかはわからないが、叔母はとても興奮していた。わたしはそれだけで満足だった。

叔母は小説に注文をつけた。ルビをもっと振ってほしいとのこと。特に名前には全部振ってほしいそうだ。名前には気をつけて振ったつもりだったが、全部には振っていなかった。

電子書籍にするときにはそうしたい。

叔母のご主人は定年まで自衛隊で勤め上げたあと、関東から地元の神崎市に帰ってきた。関東での生活が長かったこともあって、叔母は祐徳稲荷神社のことをあまり知らなかったのかもしれない。

でも、これで萬子媛のことを知って貰えた。書いてよかった。最後まで読んで貰えて、とても嬉しい。

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2015年12月21日 (月)

『余命三年時事日記』を読んで

ブログでは好戦的な印象を受けることもあったが、本を読むと、日本の政治状況が淡々と語られていると感じた。明晰な政治評論の書といえるのではないだろうか。

まっとうな政治評論家が低級なネトウヨ扱いされる今の日本の状況は異常だと思わざるをえない。

なぜそうなったかは、『余命三年時事日記』をきちんと読めばわかるはずである。

本では、隠蔽されてきた日本の歴史が白日の下に晒されている。

ブログでは見落としていたのか、次の1行がわたしの胸に突き刺さった。ああ著者の一族はこのような体験を持っている人々なのだと思った。

我が家系では母方の一族15名が朝鮮で虐殺されている(192頁)

体験に裏づけられた確かな情報が遮断、隠蔽され、そのことが無法、不法行為の温床ともなっていることを知ったとき、勇気と責任感のある人間であれば、安穏としてはいないだろう。

程度は異なるが、わたしは自身の体験を連想する。在日外国人の子守りさんから半ば育てられ、彼女の息子たちと兄妹のように過ごした時期があったにもかかわらず、性被害に遭った体験である。そのことを繰り返し書いてきた。

このようなことを好きで書くはずがない。なぜ書くかといえば、わたしや彼らが当時受けていた自虐史観に基づく教育に欠陥があったのではないか――ということを訴えたいからである。

それが本当の歴史でなかったからこそ、その教え方にダークな、陰湿な要素が加わり、新たな犯罪と被害者を生んだのだと考えている。

そして、その教育は現在も続けられている。

集団通報と官邸メールは余命ブログ独特のものだと思うが、ブログで最初に見たときは抵抗感のあった集団通報の目的と意味が明確に説明されていて、それは納得のいくものである。

官邸メール(余命◯号と番号付けをした政府や関係機関・組織などに向けて送る要望の雛形)は本では40号まで掲載されているが、どれも今の日本には早急に対応が必要な、具体的なものばかりである。

逆にいえば、これまでこのようなことが行われ、放置されてきたのかとぞっとさせられる。

言論や表現の自由がなくなってしまったこの国で――言論や表現の自由は反日勢力のためにある――出版された貴重な本が、『余命三年時事日記』である。

これは愛する日本を奪還するためのまぎれもない抵抗運動なのだ。

言論や表現の自由がなくなってしまったことは、わたしがこれまでしきりにブログで訴えてきたように、日本から純文学作家が出なくなってしまったことからも明らかである。日本人作家とも思えない壊れたような文章で洞察を感じさせない小説を書く、純文学作家もどきが大量生産されていく。日本文化が最も繊細な部分から破壊されていっているのだ。

純文学作家がいなくなった国なんて、他にあるだろうか。

余命三年時事日記 単行本(ソフトカバー)
余命プロジェクトチーム (著)
出版社: 青林堂 (2015/12/17)

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2015年12月19日 (土)

タブッキかクレジオかの贅沢な迷い。初の歴史小説で受けた良質の刺激。

娘が訊いてきた。「ル・クレジオの本かタブッキの『スペイン広場』のどちらか買おうと思っているんだけれど、どちらがいいと思う?」

ル・クレジオの本のタイトルを娘が何といっていたか忘れてしまったが、確か青い表紙といっていた。これか?


ル・クレジオ (著), 中地 義和 (翻訳)
出版社: 作品社 (2015/10/29)

何て美しい表紙。『嵐』は未読だが、透明感ある端正なル・クレジオの作品傾向にはマッチしている表紙だ。

タブッキの『スペイン広場』は、わたしが好きな洒落た軽快なテイストの作品からすれば、これはそれとは対照的な重厚なタイプの小説に属する。

イタリア広場
アントニオ タブッキ (著), 村松 真理子 (翻訳)
出版社: 白水社 (2009/09)

タブッキの原点ともいえる作品である。Amazonの内容(「BOOK」データベースより)から引用すると、「三十歳で死ぬことが宿命づけられている男たち三代の物語。激動のイタリア現代史を、ある家族の叙事詩として描く。作家の小説第一作、待望の邦訳なる」とある。

図書館から借りてきてざっと読んだだけなので、じっくり再読してみたい。

読んでいない魅力的に見える本と再読したい魅力的な本を比べてどちらかを選べなんて、わたしには残酷な選択だ。

わたしはご馳走を前にした涎を垂らさんばかりの犬のように、ない尻尾を振っていった。「どちらもよさそう!」

娘は「どちらかいってよ」というが、難しすぎる。

娘は書店員だけあって、センスのいい本を選ぶのが上手い。わたしはタブッキもル・クレジオも娘に教わって読むようになったのだ。

娘はそれほど純文系の本を読まないので、正直いってこれほど本の鑑賞力があるとは思っていなかった。書店員になってから磨かれた部分もあるのかもしれない。

それだけでなく、満遍なく大衆好みの本にもアンテナを張っていて、そうした本も娘は好む。

偏った本選びしかできないわたしには、書店員は勤まらないかもしれない。

娘がどちらかを買ったら、わたしもおこぼれで読ませて貰おう。それがわたしにとってはおこぼれ的なXmasプレゼントになるかも。

今年はもう小説を書かないことにしたので、時間があるときには(年末だから年賀状、掃除と時間がない気もするが)好きに本を読むことにした。

年中本ばかり読んでいるわたしにも、こんな時間はめったにない。執筆に関係のある本を資料として張り詰めた神経で読むため、それらは楽しむどころではないし、その合間に図書館からついでのように借りた好みの本を慌ただしく読めるにすぎない。

昨年は萬子媛のことが気になって、その関係の本を読むことだけが頭にあった。昨年の今頃は、執筆を中断することになるかどうかの瀬戸際にいたという感じで、全く書ける自信が持てなかった。

わたしは歴史小説の書き方も知らない、物書きとしても素人である。人口に膾炙している萬子媛を描くなど、畏れ多いというか、罰当たりな気さえした。

それが何とか書き続けられたのは、萬子媛の生年で問い合わせた佐賀市立図書館の調べものコーナーで受け付けてくださった女のかたのプロフェッショナルな姿勢と綿密な調査に驚嘆し、それに刺激を受けて、書き続けないわけにはいかないと思わされた。

加えて、郷土史家・迎昭典先生が発掘されたすばらしい史料の魅力と郷土史家としてのプロフェッショナルな姿勢に教わるところも多かった。

そして、最大の刺激は萬子媛そのかたの魅力であった。

……と書くと、まるでよほどの大作、それも名作を仕上げたみたいだ。いや、ハハハ……短編で、それも形になっているかどうかという程度の作品にすぎない。短編として完結した作品ではあるが、賞に落選したら長編にする予定であり、その予定からすると、五分の一書き上げた段階といえる。

ただモデルのよさがあったにせよ、手応えのある人物像を確かに描ききったという満足感がわたしにはあるのだ。創作の真の歓びはこれ以外にないとわたしは思う。

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2015年12月18日 (金)

知る人ぞ知る「余命三年時事日記」が本に

知る人ぞ知るブログ「余命三年時事日記」が本になり、昨日から発売されているようです。

本のほうは未読なのですが、ブログは驚きながら閲覧して以来、注目してきました。

この記事を書く前に確認したところではAmazonランキング、総合2位、社会・政治1位でした。

初代かずさんが命を賭けてブログを始められたので、タイトルが「余命三年時事日記」となっているようです。かずさんはお亡くなりになり、現在3代目へと引き継がれています。

日本に蠢く謎……物書きというより物陰で書く人間といったほうがいいわたしの最大の謎は日本ではなぜ純文学作家が生まれなくなったのか、ということでした。

純文学系商業雑誌のエンター化で、純文の薫りのある「三田文学」の役割が増しているようです。新人賞にチャレンジしたいと思って購読を始めた慶應大学とは無関係の大学を出たわたしも、次第に拠り所とせざるをえなくなってきました。

前掲のわたしの謎が解けたかどうかはともかく、一般日本人であれば、余命ブログを閲覧して目から鱗が落ちた気がすることでしょう。

現在57歳のわたしが大学生だったころ、 海岸に1人で行ってはいけない……連れて行かれるから、という警告が誰からともなく発せられ、どこに連れ去られるのかははっきりしないまま、1人で海岸に行くことが怖くなったものでした。

あれが北朝鮮の拉致事件を警告するものだったことがずいぶん後になってわかり、戦慄させられました。

初めて余命ブログを閲覧したとき、あの警告を耳にしたときと同じ感じを受けたのです。

わたしは在日外国人のおばさんに半分育てて貰いました。仕事で両親が不在がちだったからです。そのおばさんの会話は日本人と変わりがありませんでしたが、字がほとんど書けず、習慣にも違ったところがありました。決して歯を磨きませんでした。体が弱くて犬を食べさせられた子供の頃の話を聞かされました。

ご主人を亡くしていた――死因は赤痢といっていたような記憶があります――こともあってか裕福には見えませんでしたが、小さいながら土地と家を持っていました。暇を見つけてビーズ細工の内職をしながらの子守り(家政婦)の仕事で2人の男の子を育て上げ、上の息子の就職先がどこだったかは記憶にありませんが、下の息子は地下鉄の運転手になりました。

おばさんが上京して息子たちと暮らすことになったので、母は勤めていた電話局を――病気になったこともあって――やめ、わたしのおばさんたちに関する記憶はそこで途切れます。上の息子が事業を興し、下の息子は地下鉄をやめてその事業を手伝うことになったと母から聞いた気がします。

わたしはそのおばさんが在日外国人だと当時意識したことはなく、彼女の息子たちと兄妹のように育ちました。彼らが学校で虐められたような話を耳にしたこともありませんでした。

むしろ被害者はわたしで、彼らから性被害に遭い、本来の青春を味わうことのないまま苦悩の学校時代を過ごし、人生が変わりました。

小学校では人権教育が盛んで、部落問題が相当に扱われていましたが、同時は田舎では(普通の)地区のことを◯◯部落と呼んだので、わたしは混乱し、何のことやらよくわかりませんでした。

が、とにかく日本には虐げられた部落の人々がいて暗黒の江戸時代、橋のない川……朝鮮から炭鉱に強制連行された人々がいて……日本の軍人さんは鬼畜のようだった、わたしたちはその鬼畜の子だから第2次大戦までの極悪非道な日本を深く反省しなければならない……と教わりました。

こうした教育の中で、おばさんの息子たちが日本人の女の子には何をしてもいいと思ったのかどうかはわかりませんが、朝鮮人に引け目を持つことを刷り込まれた同世代の女性達が統一教会に騙されやすかったことは確かです。

駅前にはなぜ決まってパチンコ店があるのか? 結婚後は転勤族となり廃坑町に住んだときは生活保護が出る日に花火が上がりちょっとしたお祭りのよう……あれは何だったの?

余命ブログを閲覧して、わたしは本当に目から鱗が落ちた気がしました。しかし、余命ブログはヘイトブログという批判もあるようです。本当にそうでしょうか?

見過ごせないほどの人気ブログですから、そこはきちんと検証されるべきでしょう。そのためにも、今回の書籍化はよかったと思います。

一流の政治評論家たちに「余命三年時事日記」をどんどん評論していただきたい。

余命三年時事日記 単行本(ソフトカバー)
余命プロジェクトチーム (著)
出版社: 青林堂 (2015/12/17)

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2015年12月17日 (木)

プリンターが…。便利なプラファスナー。

さあ年賀状を……というときに、プリンターの故障が見過ごせなくなってきました。

エプソンなのですが、昨年から既にインク詰まりしていて、1色出なくなっていました。夫がエプソンのプリンターにはわりと詳しく、壊れるとしたらインク詰まりからといっていました。

そうなると、高いプリンターというわけではないし、買い替えたほうがいいと。

昨年は1色出ないまま、何とか年賀状の印刷を済ませましたが、ここ数日、文章だけの印刷でインク漏れジミが頻繁に出るようになってしまいました。

こういうことが例えば賞応募の締め切りの消印有効日なんかに起きると、ぎりぎりまでやるタイプのわたしなんかは発狂状態になること必至。

さすがに、もう買い替えどきなのかもしれません。

ところで、用紙を綴じるのに長年紐を愛用してきたわたしでしたが、ペーパーファスナーという便利なものがあると知りました。

Paper_f1

向かって右側のプラファスナーがわたしは使いやすいです。ロフトで買ったこれが切れて、同じものを探していたのですが、なかなか見つからず(ロフトが入っている商業施設にはコーヒー豆をまとめ買いするときしか行かないので)、左側のステンレス製を使っていました。

それがたまたま先日美容院に行った帰りに古くからある文具店に寄ると、プラファスナーもステンレス製も紐も色とりどりのが置かれていて感激。

写真の右端がプラファスナーを使って用紙を綴じたところです。裏返して写真を撮るべきだったかしら。最大とじ厚は10㎜(コピー用紙約100枚)とあります。

コクヨ ファスナー プラスチック製 簡易タイプ 10本入 FA-110N-10

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「マダムNの神秘主義的エッセー」更新のお知らせ

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2015年12月16日 (水)

不整脈と背中の痛みにスプレー1回

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単なる美容院疲れだと思いますが、背中が抜けるようにだるくて不整脈も出たので、冠攣縮性狭心症の発作を警戒して早めにニトロを使いました。

でも抜けるような背中のだるさは一向によくならないので、これは心臓とは別の原因によるものであるようです。

歴史短編を仕上げたあたりから少し疲れるようなことをすると、この抜けるような背中のだるさに見舞われます。過去に、肝機能に異常があったとき、また慢性膵炎といわれて治療を受けていたときによくこのような背中の何ともいえない嫌な症状がありました。

そのときほどではないので、大したことはないと思いますが、美容院に行ったくらいのことでこうなるなんて本当に情けない話です。

といっても自分の体をこんなにしたのは自分で、自分の責任ですから、弱った家畜を長生きさせる要領で大事に使うしかないと考えています。

山姥みたいな髪になってきたので、さすがにそれで年越しはしたくないと思い、昨日美容院に出かけたのでした。

美容院では、最近宝塚のマイブームらしい担当の美容師さんから楽しいお話を聴かせていただきました。舞斗さんって、ご存知? そのかたのファンだそうです。

美容院で女性誌を精読し、大掃除のコツなどを暗記しようと努力しましたが、おおかた忘れてしまいました。

体がつらくて朝の家事を済ませてからずっと横になっていたので、今日はこれからが大変です。でもまだよくなっていないので、端折りながら夕飯作りを中心に頑張ります。

風邪が流行っているようですので、あなた様もご自愛くださいませ。

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2015年12月14日 (月)

「マダムNの神秘主義的エッセー」更新のお知らせ。新プラトン派について詳しく書かれたH・P・ブラヴァツキー『ベールをとったイシス』。

神秘主義的な記事を集めた「マダムNの神秘主義的エッセー」を更新しました。

新プラトン主義最後の女性哲学者、ヒュパティアについて、シネマ「アレクサンドリア」に絡めて当ブログに書いたのは2011年。

ほぼそのままですが、校正していくらか読みやすくなっているかと思います。

新プラトン派について知りたい方には、H・P・ブラヴァツキー(ボリス・デ・ジルコフ編纂, 老松克博訳)『ベールをとったイシス ―古代および現代の科学と神学にまつわる神秘への鍵― 第1巻 科学 上 』(竜王文庫、平成22年)、その続編『ベールをとったイシス  第1巻 科学 下 』(竜王文庫、平成27年)がおすすめです。

誹謗中傷に晒されやすいH・P・ブラヴァツキーですが、アカデミックな作品です。訳者の老松氏は大阪大学の教授。

竜王会の機関誌に連載されているのを読み始めたころは難しくてわかりませんでしたが、2冊を購入して読んでみると、かなり読めるようになってきている自分に驚かされました。

以下は、『ベールをとったイシス  第1巻 科学 上 』に寄せた拙いわたしのAmazonレビューですが、これらの本を読む喜びが伝わるかと思うので転載します。

訳者あとがきによると、『ベールをとったイシス』の原書は2巻本だそうですが、この邦訳版は4冊構成になる予定だそうです。
今夏2冊目が上梓されて、わかりやすい日本語で読めるありがたみを噛みしめています。
編者ジルコフの「前書きにかえて」を読むと、この本がどんなに苦労して書かれたかがわかり、胸が痛くなります。
邦訳版『シークレット・ドクトリン (宇宙発生論 上) 』とずっと格闘(?)してきましたが、『ベールをとったイシス』を先に読むと(これも読んでいる最中ですが)、『シークレット・ドクトリン』が読みやすくなる気がします。
ピタゴラス、プラトン、新プラトン派に興味のある人は、読み始めたらやめられなくなると思いますよ。
イアンブリコスについて(また彼を通してピタゴラスについて)知りたいと思っても、外国語ができないわたしには彼の著作を2冊見つけられただけでした。『ピュタゴラス伝 (叢書アレクサンドリア図書館) 』(国文社、2000)と『ピタゴラス的生き方 (西洋古典叢書)』(京都大学学術出版会、2011)です。
2冊は内容的に重なる部分が多いですが、「伝」として出ている方は図書館から借り、「生き方」として出ている方は購入して大事に読みました。
そのイアンブリコスが初めのほうから出てきたので、興奮しました。
また調査、研究が進み出した原始キリスト教について、もっと知りたいと思っていたのですが、本書では他の思想とのつながりの中で浮かび上がってきます。清冽な水の流れを追うように思想を辿れる著作はなかなかありません。ほとんどが、途中で淀んだ水溜まりとなって、どこへも流れなくなっていたり、流れがどこから来ているのかがわからなかったりするのです。
東洋思想はわたしにはむしろ言葉が難しく感じられ、頭に入ってきにくいのですが、西洋思想と対照される中で、少しずつ理解が進むようになりました。
続く2冊が上梓される日を首を長くして待っています。でも、どうか無理をなさらずに、すばらしいお仕事をお続けください!

老松氏は1959年のお生まれで、わたしより1歳お若く、脂ののりきった年ごろでいらっしゃるのではないかと想像します。続く2巻もきっと翻訳を完成なさると期待しています。

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2015年12月13日 (日)

郷土史家からのお手紙。萬子媛と水鏡。

萬子媛をヒロインとした短編小説をお送りした郷土史家から過日、お返事が届きました。

多くの資料を自由に使っていいといっていただきましたが、出来上がった作品を読んでいただいて初めて、使用許可が本当にいただけるかどうかがはっきりすると考えました。

それで、作品を郵送してからお返事が届くまでの間は、判決が下る前の被告のような心理状況でした。怯えていました。

好意的なお返事がいただけたからこそ、このような記事を書いているわけですが、そうでなければ、作品自体が成立しないものとなった可能性すらありました。

お送りした原稿には序文をつけました。作品に関係のある範囲内で自分のことや執筆を決心した理由を率直に正直に包み隠さず書いたのです。内々で読んで貰いたい人々があって、そのためにも序文が必要でしたが、第一の目的は自身の創作姿勢を明らかにすることでした。

そして作品の中では最初のほうで、郷土史家のお名前を出して御説を紹介しています。

原稿につけた序文は次のようなものでした。

 佐賀県鹿島市に生まれて、祐徳稲荷神社を知らない人はまずいないと思います。わたしにとっても、初詣、お宮参り、遠足、部活動の歓迎会などで出かけるところとして、暮らしに根付いた場所でした。

 子どもの頃、寝るときに話好きだった子守の小母さんから、子どもにはあまり意味のわからない四方山話を聴かされたものでした。そうした話のなかに、萬子媛にまつわる話もありました。萬子媛が尼さんになったこと、結婚生活は幸福なものではなかったこと、子どもを亡くしたこと、最後は岩のなかに籠もって亡くなったこと、など思い出せますが、子ども心にも悲愴な、それでいて一種高級な気分を味わったような記憶があります。

 このような萬子媛のことを特別に意識することはありませんでしたが、人生の節目にあわく思い出されるのでした。そして、萬子媛のことを思い出すと、どちらかというと不運な人生を送ったかたと想像されたのに、精神的な高揚感を覚えて勇気が湧き起こったものでした。わたしのなかで、萬子媛はいつしか精神性の象徴となっていたようです。

 改めて萬子媛を意識するようになったのは、「みやび」にそれまでの無関心を払拭するように急速に惹かれ、古典物を漁り出した三十代でした。神社外苑にある祐徳博物館には、萬子媛遺愛の品々を展示したコーナーがあります。そのなかで印象深かったのは萬子媛の遺墨、扇面和歌でした。馥郁と紅梅が描かれ金箔の張られた扇面に、新古今和歌集から皇太后宮大夫俊成女のうた「梅の花飽かぬ色香も昔にて同じ形見の春の夜の月」が薫るように揮毫されています。その前に立って、萬子媛のお姿を想像してみたりしました。

 その後、創作活動の傍ら、興味の湧いた宗教や哲学をかなり真面目に研究するようになりました。その方法は近代神智学(テオソフィー)に学んだものでした。わたしには神秘主義的な傾向があり(前世修行者として死んだという僅かな記憶とこの世に下りてくる前のあの世の柔らかな光の記憶がありました。脳は生まれ変わるたびに新しくなるので、霊的な記憶としか考えられません)、宗教、哲学には学生の頃からこれまでずっと興味津々ですが、一番フィットしたのは、それらを総合的に研究することを目的の一つとしてH・P・ブラヴァツキーによってニューヨークで一八七五年に設立された神智学協会でした。故人となられた神智学協会ニッポン・ロッジ初代会長の田中恵美子先生には、大切なことをいろいろと教えていただきました。

 三年前、マグダラのマリアを調べていたときでした。マグダラのマリアはキリスト教では悔悛の聖女、グノーシス主義ではイエスの妻であり優秀な弟子であったとされますが、フランスのプロヴァンスにはマグダラのマリア伝説があります。その伝説によると、マグダラのマリアはサント=ボームの岩山の洞窟に三十年間籠もって修行生活を送り、そこで亡くなったそうです。

 マグダラのマリアから、萬子媛を連想しました。その時点では、そのうち気が向いたら萬子媛について何か書きたいと思った程度でした。その翌年初詣に出かけたとき、萬子媛のお社で――心の中で――話しかけてみたのです。萬子媛が万一わたしが想像するような高級霊ではなく、霊媒にとり憑くとされるような悪霊だったらどうしよう、と思いましたが、最もありそうなことはそこが空っぽで何の返事もないというものでした。

 その結果がどうであったかはここでは書かないことにしますが、不肖わたしが人口に膾炙している萬子媛をヒロインに小説を書きたいと思うくらい、すてきな何かがあったということと、萬子媛があの世でこの世のための一大ボランティア集団(?)を形成しておられるに違いないと思うようになったということだけ明かしておきます。

 萬子媛の入定についてはわたしの想像を超えたことですので、小説では萬子媛が入っていかれた寿蔵の前でお別れするしかありませんでした。

 ヒロインの萬子媛を中心に据えた歴史小説を執筆するにあたり、短編五編をまず執筆して、それをあとで長編に纏める予定で計画を進めていました。そのままの計画で行くかもしれませんし、五編の各短編はそのままの形で『江戸初期五景』(仮題)という題のもとに収録するということも考えています。いずれにしても、この小説はその五編のうちの最初の短編です。その最初の短編をまず読んでいただければと思います。実はこれは賞に応募中なのですが(賞運に恵まれればただで紙媒体で作品を読者に提供できる機会を与えられます。※ただし著作財産権の問題が出てくるので、この短編をわたしの好きなように扱うことはできなくなり、長編計画も見直さざるをえなくなります)、落選したら、とりあえず電子書籍にする予定です。

 小説を書くにあたり、郷土史家の迎昭典氏からは貴重な資料を沢山提供していただきました。無知な質問にも丁寧にお答えくださいました。迎氏との出会いがなければ、萬子媛の小説を書く計画は実現しないままに終わっていたでしょう。深く感謝しています。 

迎昭典氏は平成20年に「鹿島市年表」を出版され、その年表もいただいた資料の中にありました。わたしは年表を読んでとても感動したのですが、年表に感動したのは初めてでした。それもそのはずで、出版されたときの佐賀新聞ニュースの記事をネット閲覧して納得しました。「鹿島市年表」はまさに迎氏の血と汗と涙の結晶だったことがわかったのでした。ニュース記事から転載します。

佐賀新聞/2009年02月01日 更新

 郷土史愛好家らでつくる鹿島史談会の迎昭典会長(80)=同市=が、市の歴史をまとめた「鹿島市年表」を出版した。地域の成り立ちや鍋島氏など統治者の変遷、群制や町村制など統廃合を重ねてきた市制を体系的に紹介している。

 迎さんは元中学教諭で社会科を担当。市教育長時代に「鹿島の寺院と神社」など6冊の郷土史編さんにかかわった。今回、その集大成として1年がかりで執筆。数百冊の文献や古文書から読み解いた史実を網羅した。

 年表には縄文時代から現代までの歴史を、日本や佐賀県内と鹿島市を並記。郷土の歩みが一目で分かる内容になっている。特に中世以降の内容が充実。大村氏から有馬氏、竜造寺氏、鍋島氏に至るまでの変遷をはじめ、藩の日記から調べた洪水や飢饉(ききん)の記録などを克明に記載している。(後略)

ニュース記事を閲覧したわたしは、迎氏の貴重な資料を利用する資格があるのだろうかとわが身を省みないわけにはいきませんでした。それに、祐徳稲荷神社は全国的にはどうか知りません――今やタイでも有名だとも聴きます――が、地域的にはよく知られている神社で、特に鹿島市の人々には暮らしに根づいた神社です。萬子媛は隠れたスーパースターといってよい存在ではないかと思います。すっかり怖じ気づき、執筆をやめようかと思った一時期がありました。

結果として、書いたわけですが……。

迎氏のお手紙には次のように書かれていました。感想の部分を引用させていただきます。

 さて、ご執筆のご本は、単なる歴史小説というよりも、史実に忠実に、しかも祐徳院様という人間性が実によく、かつ細やかに描かれていました。小説というより、むしろ研究論文として高く評価したいと思いました。私如きが云々すべきことでもありませんが、文章も高潔、たいへん骨太な作品に仕上がっているように感じました。

それだけに、一般大衆向けにはやや難解な印象を与えるかもしれないと思ったりしています。

そして、お手紙の後半部に黄檗宗と鍋島直朝公に関する興味深いことが書かれていました。それで、わたしの中にあった謎の一つが解けました。それについて残る4編の短編のどれかで採り上げるかもしれません。そのときは作中で迎氏から伺ったお話として紹介することになるでしょう。

作品のスタイルとしては迎氏もおっしゃっているように、賞向きではありませんが、研究論文と小説を折衷させたような歴史物は珍しくないので、残る4編もこのままの書き方でいきます。次の作品も「待っています」と迎氏のお手紙にあり、幸福な気持ちになりました。

わたしにはもったいないような迎氏のご感想でした。

迎氏は現在鹿島六代藩主鍋島直郷公の「鹿島地名和歌百首」を読んでいらっしゃるとのことです。古文書で、しかも短歌……迎氏のような方ですら悪戦苦闘なさっているとか。

ところで、この記事を書く前に、新プラトン主義最後の女性哲学者、ヒュパティアについての記事に加筆しようと思い、H・P・ブラヴァツキー(ボリス・デ・ジルコフ編纂, 老松克博訳)『ベールをとったイシス ―古代および現代の科学と神学にまつわる神秘への鍵― 第1巻 科学 上 』(竜王文庫、平成22年)とその続編『ベールをとったイシス  第1巻 科学 下 』(竜王文庫、平成27年)を読んでいました。

すると、祐徳稲荷神社の公式ホームページで紹介されている萬子媛に関する逸話を連想させる記述に出合いました。

萬子媛の逸話を神社のホームページから以下に引用します。

水鏡

祐徳院様(花山院萬子媛)は古田村(現在の鹿島市古枝)に庵を結び、以後十九年神仏に仕えお暮らしになりました。村人からは大変敬慕されていました。

ある日、一人の村人が畑で獲れた野菜を祐徳院様へ届けた時でした。
「○○さん。実は私は今日あなたがここへ来ることを朝から知っていました。」
村人は驚いて尋ねました。
「なぜそんなことが分かられたのですか。」
祐徳院様はやさしく答えられました。

「私は毎朝あの水鏡を見ています。今朝水鏡の中に野菜を持ってここに来るあなたの姿が見えました。だから分かったのです。」
こうして村人たちは祐徳院様の優れた徳を知り、益々お慕いするようになったとの事です。【地元古老による昔話】

祐徳院様が吉凶を占っておられたとされる水鏡は現在も石壁神社横にあります。

祐徳稲荷神社
URL:https://www.yutokusan.jp(アクセス:2015年12月13日)

『ベールをとったイシス  第1巻 科学 下 』には次のようなことが書かれています。

A・ワイルダー教授は、アレクサンドリア学派の教えと主要な教師たちのことを描き出して、こう言っている。「魂には帰還衝動,愛があり,それが魂を内へ,その起源にして中心である〈永遠なる善〉へと引きつける,とプロティノスは教えた。魂がその内部にどれほど〈美しいもの〉を蔵しているか理解していない者は,美を外部で実現しようと骨折って努めるだろうが,賢明な者は,それを自身の内部に認めるとともに,自身に退却し,注意を集中させ,そうして神的な泉へと遡っていくことによって考えを発展させる。その泉からの流れが彼の内部を降っているのだ。〈限りなきもの〉は、理性を通してわかることはなく……理性より上位の能力によって,いわば個人がその限定的な自己であるのを終える状態に踏み入ることによってわかる。その状態においては,神的な精髄が彼に伝わる。これが〈法悦〉である……」。ブラヴァツキー、老松訳、平成22、p.629

この文章にはわたしが手記「枕許からのレポート」で体験したことが明晰に表現されていると思います。わたしが生涯で一度だけ達しえた状態を、プロティノスのような人はおそらく日常的なものとしていたのでしょう。萬子媛は尼僧時代、どうだったのでしょう。

さらに、注目したのは次の箇所です。

教授は,その節制した生活様式ゆえに「澄んだ鏡のなかに現在や未来を」見ることができると主張したアポロニウスについて,次のように非常にみごとに述べている。「これは霊写術 spiritual photography とでも呼べるものである。魂は,そのなかに諸々のできごと,未来と過去と現在が同じようにとどめられているカメラである。精神[マインド]はそれらのことを意識するようになる。さまざまな限界のある日常の世界を超えて,いっさいは,単一の日ないしは単一の状態のごとくであり,現在のなかに含まれている過去と未来になる」。 ブラヴァツキー、老松訳、平成22、pp.629-630

そして、このような「頻回の内なる法悦的観照に助けられて,進化した」聖なる人々は霊媒性とは無縁で、「生きている〈神〉の霊が住まう神殿」であると書かれています。

萬子媛の水鏡は、このようなことだろうとわたしは思います。つまり内なる法悦的観照によるものだと。

萬子媛の主宰した禅院には森厳な雰囲気があったと義理の息子である鍋島直條公は書いています。そこでは節制した生活様式が遵守されていたことでしょう。

萬子媛は毎朝水鏡を通して自己の内面を見つめました。無我の境地となった内面が水鏡と一つとなり、過去・現在・未来を観照すれば、そこに過去・現在・未来の形象が映し出されたのです。村人から祐徳院様と敬慕されるようになった萬子は、そうした境地にまで達していたのでしょう。

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「マダムNの神秘主義的エッセー」更新のお知らせ

拙ブログ「マダムNの神秘主義的エッセー」を更新しました。

シネマ「アレクサンドリア」は①(36)~③まであります。

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2015年12月12日 (土)

「マダムNの神秘主義的エッセー」更新のお知らせ

拙ブログ「マダムNの神秘主義的エッセー」を更新しました。

36のシネマ「アレクサンドリア」は③まであります。

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2015年12月11日 (金)

おすすめ年賀状テンプレート・イラスト2016

Saru2 2010年5月高崎山にて

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

無料/年賀状わんパグ
http://www.wanpagu.com/

デザインの愛らしさ、折り目正しさ、そして印刷したときの色彩の抜群の美しさ……と一押しのサイトです。
今年は「猿くんの餅つき」、「猿の頭の上に」のバナナを頭にのせた猿が目にとまりました。

かわいい無料テンプレート ねんがや
http://www.nengaya.net/

ここはすごく面白い。カテゴリーも個性的です。どことなく、学習雑誌のイラストっぽい。
わたしは『コラージュ』収録のデザインが気に入りました。『おえかき』もいいなあ。『筆文字』も秀逸。


無料年賀状 Andante
http://nengajou.andanteweb.net/

すっきりした柔らかみのあるデザインです。
和風テンプレート「年賀状 干支 申年 15」の3匹の猿たちが可愛らしく、それでいて端正です。「年賀状 干支 申年 19」はシンプルでありながら凝っているデザインですね。洋風テンプレート「雪の結晶」シリーズは溜息が出るほどの美しさ。

individual locker : 個人専用ロッカー
http://www.individuallocker.com/

確かな技術力を感じさせるスタイリッシュなデザインが毎年新鮮なサイトです。
「No.16: Clipped 2016」「No.11: Del.Monkey」を見たときはアッと声が出てしまいました。

年賀状Soup
http://pepero-nenga.com/

『和風』『かわいい』『写真フレーム』『猿のイラスト』『年賀文字』と、まとまりのよい、便利なサイト。
『かわいい』に収録された黄色、ピンク、若草色をそれぞれ背景としたデザインは温かみのある幸福感に満ちています。
昨年わたしは『和風』から黄色い背景の福助を、『かわいい』からも何点か使わせていただきました。

はがき素材You's
http://yous-dream.com/

女性らしい優しい色彩のバリエーションが豊富な、洋風年賀状テンプレート。
昨年わたしは「雪うさぎ」「雪だるま」を使わせていただきました。雪うさぎ、雪だるまといった可憐な雪の生きものたちが美しい色合いに溶けそう。

赤ずきんちゃんのかわいい☆無料年賀状
http://nengaakazukin.web.fc2.com/

やはり『メルヘン』に目がとまります。
淡い薔薇色を背景にした2匹の猿の白いシルエット……詩情すら湛えています。


2016 年賀状イラスト素材集
http://nenga.post-code.jp/

ポストカード風の洗練されたデザインが置かれています。

2016・年賀状プリント用フリー素材-冬はがき-
http://fuyuhagaki.websozai.jp/

サイト「海の素材屋」で有名なWEBstudio310が管理運営していらっしゃる姉妹サイト。
置かれているデザイン画像数は少ないのですが、お猿さんの表情や仕草が何ともいえないオリジナル性を感じさせます。

LG干支年賀状プリント2016猿(さる)イラスト
http://www.onenshi.com/

まるっこい可愛い猿のテンプレートが置かれています。
わたしは『毎年使える年賀状』の中のしっかりした「だるま」、綺麗な「鳳凰」が気に入りました。

AKの年賀状テンプレート
http://www.art-kaede.com/

『和風の年賀状テンプレート』の置物、玉飾り、紅白の椿などのくっきりとした輪郭と透明感のある色合いはお正月気分を盛り上げてくれそう。

干支の年賀状 十二支
http://www.nenga-juunisi.net

『ふわふわな猿の年賀状』のリアルな日本猿が個性的です。
格調高い「歌舞伎(鏡獅子)」のテンプレートが置かれているのはここ。

キヤノン クリエイティブパーク
http://www.canon.com/c-park/

キヤノン株式会社のサイト。沢山のテンプレート、パーツが置かれています。

郵便年賀.JP
http://yubin-nenga.jp

日本郵政グループのサイト。説明するまでもないと思いますが、年賀状作りに必要な全てが揃っている便利なサイトです。

※ポストの取集時刻を知るには、以下のサイトが便利です。

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2015年12月10日 (木)

郷土史家からお返事をいただきました

萬子媛をヒロインとした短編小説をお送りした郷土史家から昨日、お返事が届きました。

多くの資料を自由に使っていいといっていただきましたが、出来上がった作品を読んでいただいて初めて、使用許可が本当にいただけるかどうかがはっきりすると考えました。

それで、作品を郵送してからお返事が届くまでの間は、判決が下る前の被告のような心理状況でした。心底怯えていました。

好意的なお返事がいただけたからこそ、このような記事を書いているわけですが、そうでなければ、作品自体が成立しないものとなった可能性すらありました。

今、おすすめ年賀状テンプレートの記事を書いているところなので、その記事をアップしてから改めてきちんとした記事にしたいと思います。

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「白菜とかに はるさめの中華風煮込み」( 『毎日の晩ごはん献立BEST800レシピ』より)

白菜が美味しい季節。鍋物には欠かせませんが、丸ごと買うと、冷蔵庫の野菜室に入りきれなくて困ることがあります。我が家の野菜室には熟成中のじゃがいも「インカのめざめ」が眠っており、それだけでも場所をとるのですね。

で、白菜をいくらかでも使おうと、『毎日の晩ごはん献立BEST800レシピ』(主婦の友社、2013)を見ると、「白菜とかに はるさめの中華風煮込み」というレシピが目に留まりました。これ作れば、白菜が冷蔵庫に入りそう!

かにのほぐし身がありませんでしたが、こんなときのために備蓄しているカニ缶を使うことにしました。カニかまで作れば節約になりますね。

Haru3

なかなかの美味しさでした。『毎日の晩ごはん献立BEST800レシピ』から「白菜とかに はるさめの中華風煮込み」を紹介します。

材料:

  • 白菜400g
  • かにのほぐし身80g
  • はるさめ40g
  • A 酒小さじ1、おろししょうがのしぼり汁少々
  • B 酒・しょうゆ各大さじ1、塩小さじ1、こしょう少々
  • かたくり粉大さじ1
  • 塩・こしょう各少々
  • ごま油少々
  • サラダ油大さじ1

作り方:

  1. はるさめは熱湯でもどし、食べやすい長さに切る。かには2~3等分にほぐし、Aを振って下味をつける。白菜は長さを半分に切り、葉は2㎝幅に、軸は縦に1㎝幅に切る。
  2. フライパンにサラダ油を熱し、白菜の軸をいため、全体に油が回ったら葉を加えてさっといためる。水2カップを加え、ふたをして煮る。白菜がやわらかくなったら、Bを加えて調味し、はるさめを加え、味がしみ込むまで3分ほど煮る。
  3. かにを加え、かたくり粉を大さじ3の水でといて加え、とろみをつける。味をみて足りなければ塩、こしょうを振り、ごま油を回しかけて香りをつける。

前掲の本はAmazonでは中古しか出ていませんが、なかなか重宝しています。

毎日の晩ごはん献立BEST800レシピ―今日の晩ごはん即決! だれでもおいしく作れます (主婦の友百科シリーズ)
出版社: 主婦の友社 (2013/10/10)

同じ本に、「お助け汁物」という、材料を入れて熱湯を注ぐだけのすまし汁が載っています。

材料はしらす干し、梅干し、貝割れ菜、しょうゆ少々とあります。

本ではしらす干しが使われていますが、わたしは冷凍しているちりめんじゃこで作りました。萬子媛の小説に没頭して時間がなかったときに作りましたが、ちりめんじゃこと梅干しから出た出しがいけました。しょうゆの代わりに薄口しょうゆでもいいかもしれません。

お鍋がどれも塞がっているときなんかにも、重宝しそうです。綺麗なので、お客様にもいいかも。

Sui

熱湯を入れたのが以下の写真。ちょっと貝割れ菜を入れすぎた気もしますが、綺麗でしょ。

Sui1_2

以下の写真も、小説に没頭中、さっと作った豚肉とれんこんの炒め物。写真加工に利用させていただいているサイト「Pixlr Editor(オンライン画像エディタ)」のEXPRESSにXmasヴァージョンの枠があり、この写真には合わないけれど使ってみたかった!

Ren1

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2015年12月 9日 (水)

「マダムNの神秘主義的エッセー」更新のお知らせ

神秘主義的な記事を集めた拙ブログ「マダムNの神秘主義的エッセー」に以下の記事を収録しました。

手記「枕許からのレポート」は既に当ブログ、ホームページに収録し、Kindle本にもしていますが、わたしが自分のことを神秘主義者と名乗る根拠としている作品ですし、神秘主義的ブログにこの作品が存在しないのは肝心のものが欠けているようで落ち着きませんでした。

それに伴い、以下の記事に追記があります。

「枕許からのレポート」を書いたのは23歳のときで、まだ本格的に神智学を学ぶ前でした。

ですから、宗教書、哲学書に関する鳥瞰的な見方や系統立った整理の仕方を知らず、引用の仕方も行き当たりばったりで不適切で、再読すると恥ずかしい限りですが、当時の純粋な姿勢には貴重なものがあるように思われ、加筆、訂正は行っていません。

萬子媛の小説を書いている間は時間がとれず、ブログ「神秘主義的エッセー」の更新が途絶えていました。時間を見つけて更新し、きりのよいところでKindle本にしようと考えています。

KDPセレクトに登録する予定はないので、Kindle本にしたあとも引き続き、ブログ記事は閲覧できます。KDPセレクトに登録すると、メリットがありますが、他で公開できなくなるのです。

Kindle本のタイトルは単純に「神秘主義的エッセー Vol.1」とでもしましょうか。

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2015年12月 8日 (火)

江戸初期五景2 #1 天海と崇伝

2人の黒衣の宰相、天海と崇伝は江戸時代をデザインしたといってもいいくらいの人物で、幕府に及ぼした影響力は計り知れないほどだ。

天海は天台宗の僧、崇伝は禅僧である。

短編2では天海・崇伝にスポットライトを当てることにした。このうちのどちらかを主人公にするかもしれないし、2人を主人公にするかもしれない。あるいは第3の人物を立てる可能性もある。

わたしは萬子媛を中心に置いた歴史小説を執筆するにあたり、短編5編をまず執筆して、それをあとで長編に纏める予定で計画を進めていた。

そのままの計画で行くかもしれないし、5編の短編はそのままの形で『江戸初期五景』(仮題)という題のもとに収録するということも考えている。まだ結論は出ていない。

何はともあれ、第1の短編は何とか書き上げた。残る4編で採り上げたいのは、天海・崇伝、林家、外国勢力との関係、公家と武家で、これらはどうしても外せない。他に採り上げたいものが出てきたときは短編のどれかに織り込むことになる。

外国勢力との関係では短編1で島原の乱、鎖国政策における四口、オランダ東インド会社と伊万里焼などについて書き込みたかったが、割愛せざるをえなかった。黄檗宗も短編2か、林家にスポットライトを当てた短編か、あるいは外国勢力との関係を描く短編かでもっと書くことにしたい。

江戸幕府はキリスト教を生理的に嫌って黄檗宗を依怙贔屓したというわけではない。
黄檗宗も、キリスト教と同じように最初は警戒されていたのである。幕府の警戒感がキリスト教に対しては高まり、黄檗宗に関しては和らいで好待遇へと変化した。

なぜか?

それは「江戸初期五景」に収録予定の萬子媛をヒロインとした短編1に書いているので、今ここでは回答しない。

武家、公家を描く短編では、慶安の変(由井正雪の乱)、猪熊事件はぜひ採り上げたい。

猪熊事件のきっかけとなったのは、以下のノートにも書いたように、花山院定好の兄だった。

佐賀でも似たような事件が起きており、興味深い。

萬子媛の父方伯父に当たる花山院忠長は猪熊事件に関係したかどで蝦夷松前藩へ流された。

忠長は、萬子媛の母方曾祖父に当たる後陽成天皇の女官と密通するというようなことをやってのけたのであった。

それがきっかけとなって「猪熊事件」が起きたのだ。花山院忠長は流刑となった先で京文化を伝えている。また、忠長のその息子は天海の弟子となった(公海)

どうです、萬子媛のまわりの人物とうまく絡むでしょ。

花山院忠長が流されたのが松前というので、思い出した。6月に家族旅行で神戸に行き、神戸市立博物館でプラハ国立美術工芸博物館所蔵「輝きの静と動ボヘミアン・グラス」を観たときのことを。

伊万里焼の地図皿も見たのだが、一度見れば忘れられない奇抜な地図だった。

天保期に製造されたものなのだが、小人国、女護国という不思議な国が書かれていたのだ。そのような国があると、信じられていたのか、ファンタジーなのか。沖縄が四国より大きく描かれ、北海道には松前しかないように描かれたりもしていた。松前が馬鹿デカかった。

そんな皿が複数枚あった。

伊万里焼といえば、伊万里焼の一様式である鍋島焼(藩窯で高級磁器を焼いた)は佐賀二代藩主・鍋島光茂と関係が深い。光茂が皿山代官に与えた厳しい指示書の写しが残っているのである。

光茂は萬子媛の第二子・朝清を厚遇した。朝清は若い身空で急死し、母親の萬子媛を慟哭させ、それが萬子媛の出家につながった。

あちこちで萬子媛のまわりの人物と絡むので、萬子媛を無理に挿入しなくとも、5編の短編のどこかには萬子媛が自然に登場することになるのだ。

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カテゴリー変更、新設のお知らせ

カテゴリー「Notes:初の歴史小説」を「Notes:江戸初期五景1(萬子ひめ)」に変更しました。また、カテゴリー「Notes:江戸初期五景2(天海・崇伝)」を新設しました。

カテゴリーの「Notes:江戸初期五景1(萬子ひめ)」と「萬子媛 - 祐徳稲荷神社」に分類している記事はだいたい重複しています。

非公開にしていた記事のうち、非公開のままのものもありますが、多くを公開しました。ただこうしたカテゴリーに属する記事の公開・非公開については管理人の都合で断りなく変更することがあります。

また、これらのカテゴリーに分類している記事に含まれる情報自体はわたしのものではなく共有されるべき性質のものですが、わたしの考えがかなり含まれていますので(間違った考えが含まれている可能性があります)、拙記事自体へのリンク、転載などはご遠慮ください

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2015年12月 7日 (月)

胸痛にスプレー1噴霧

胸痛にスプレー1噴霧

忙しい時間滞にニトロは使いたくなかったけれど(血圧低下、頻脈という副作用で行動が鈍るし、疲れるから)、放置しておくと、さらに大きな胸痛がドンと来そうな予感がした。

正午にお昼のサンリズム、インデラル、シグマートのジェネリックでニコランジル「サワイ」を飲む前に脈をとると、強弱があり、弱い打ち方が続いていた。

そのため胸は不安定でフルフル震えているような感じがしていたが、サンリズムでましになっていた。

不整脈と冠攣縮性狭心症の発作は関係なく起きるという先生のお話だった。発作中とかニトロ服用後に不整脈が起きることはあるが……

不整脈がよく起きるようになっていることは間違いない。心房細動が続くのはよくないそうだけど、どれくらいの頻度で起きているのかわかりにくい。

携帯心電計を買おうかと真剣に考え始めた。携帯心電計は不整脈を拾うのに役立つ。

冠攣縮性狭心症患者の溜まり場となっているブログで前に発作の記録に携帯心電計を使っている人はいないか訊いてみたが、冠攣縮性狭心症の発作の記録に利用している人はいないようだった。病院のを使ってみた人はいるようだったけど。

やはり不整脈の記録に向いた機械なのだろう。冠攣縮性狭心症の発作が起きたときは携帯心電計よりニトロに手が伸びるのが自然だ。

小説執筆時のムチャが高くつき、なかなか体調が回復しない。

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石かも

背中から腰にかけての抜けるような痛み・だるさは、今朝は左腰の痛みに限定されてきた。

元々そこの問題だったのか、別の問題があったのが左腰の痛みを残して解消されたのかはわからない。

昨日は加えて胸の症状もあったので、何がなんだかわからなかった。

左腰の痛みとなるとこれはおそらく石でしょうね。

尿が出なければ泌尿器科を受診しようと思ったが、出るので様子見(日赤のホームページ、メンテナンス中だし)。

心臓はやや不安定。脈に強弱があるが、早朝に寝床で脈をみたときほどではない。寝床でみたときは途切れたりもした。強弱があるのは心房細動が出ているのだろうか。

昨日は絶えず動悸もあり、胸が苦しかったが、それがなくなると、やはり違う。昨日一日休んだのがよかった。といっても不安定なので、まだ警戒は続けよう。

石なら馴れているし、尿が出なくなれば別だが、そうでない限り、放置プレイでよさそう(わたしの場合は)。

体調が悪かった昨日は神頼みの一種だったのか、萬子ひめのことばかり考えていたが、元気になったとたん……でも萬子ひめ大好き。

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2015年12月 6日 (日)

うとうとして見た夢。萬子ひめと今後の創作について。

抜けるような背中のだるさが半端でないので、まだ横になったまま携帯から。

仕事帰りの娘に弁当を頼んだ。家族には申し訳ない。
明日は元気になって、美味しいごはん作ろう。

うとうとしたら、夢の中でわたし(といっても手しか出てこなかった)は、うっかりテーブルから卵を落とした。

しまった、と思って、落下する卵をパッと掴むと(現実には無理)、その瞬間、卵は白鳥になった。

その前にうとうとしていたときはなにやら古文書が出てきて、一生懸命読んでいた。平安時代の古文書っぽいものだった。

そのまた前にうとうとしたときは、萬子ひめは実は再婚だったという夢。2回めは失敗しないように頑張って結婚生活を送られたという……

事実はどうだったか知らないが、小説執筆のなごりかしら。

ここからは夢ではないが、読む人によっては濃厚な夢または妄想と解釈なさるかもしれないが、どう解釈なさろうがそれはその人の自由だ。

萬子ひめの小説を書きながら、萬子ひめ体験(?)を繰り返し思い出していた(以下の過去記事参照)。

萬子ひめのお社の前で萬子ひめに語りかけて「え?」と驚かせ、社を去りゆくわたしの背中に萬子ひめの微笑と太陽の燦然とした光に似たオーラが注がれるのを感じた。

その一瞬に、萬子ひめはわたしのすべてを見抜かれたのだと感じたが、どのように見抜かれたのかはわからない。

萬子ひめの入定から310年。

「え?」と驚かれたその感じが如何にも高貴な印象で、生きていらっしゃるときには江戸時代の貴婦人だったし(晩年は黄檗宗の僧侶だったわけだが、わたしには貴婦人の印象が強い)、霊界ではもっとすばらしい御姿だろうが、わたしには光としてしかわからない。

萬子ひめを一度驚かせたが、萬子ひめのお考えをこちらで読みとることはできない。

霊感が徐々に開かれてよかった。江戸時代に生まれた400歳近い(?)貴婦人と心を通わせることができたのだから。

だが、こんな無分別なことをいつもしているわけではない。

神社はある意味でお墓であることも多く、わたしは神秘主義者として、そこに存在しているかしていないかわからない霊に向かって不用心に話しかけるようなことは怖ろしくてできない。

萬子ひめの場合は生前どんな方だったかがある程度わかっており、ある種の勘から話しかけても安全だと思ったのだった。

でもまさか、お返事というか、実際に反応があるとは想像もしなかった。

空で、何の反応もないと思っていたのだ。

それがなんと310年もの間、参拝者のために律儀にご公務なさっているとは。

霊的にはすばらしい段階に、おそらくは達しておられながら。いや、だからこそなのだろうが。

大抵の人間は死んだからといって、大して変わらないようだ。

あの世では思うような姿がとれるようだから、大抵の人(霊)は美男美女となり、オーラが見えるのもテレパシーでの会話も普通に行うようになり、洗練されて天使っぽくはなるだろうが、天国とも呼ばれる一般人がいくあの世で楽しい美しい長い休息時間をとったら、もっと進歩するためにまた生まれ変わってくる。

そのサイクルからはなかなか抜けられませんね、あなたもわたしも。

萬子ひめはたぶんそんな俗人(いや俗霊というべきか。要するに、この世でもあの世でも自分や自分に利害関係のある人々のことばかり考えがちな霊。あの世では欲望が浄化されて霊的に洗練はされるにしても、それでももう一つのようである)とは別格だと思われるが、それ以上のことはわからない。

何にしてもあのすばらしいオーラに触れたくて(お社の前に行かなくても自宅で萬子ひめが応えてくださったことがあった)、つい話しかけたくなるが、なるべく我慢している。

お忙しいことがわかるから。

江戸時代の貴婦人って、すばらしい。いや、萬子ひめはやはり特別な方だ。あの世でこの世のためのボランティア集団を形成なさって310年。何というスケールの奉仕活動をなさっているのだろう……絶句。

ただ江戸時代はこんな聖者を生み出しえた時代だったということだ。

だから、頑張って残りの4編も仕上げ『江戸五景』(仮題)を完成させたい。

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背中の痛み・だるさ、胸の苦しさにスプレー1噴霧。神秘主義的話題。

背中の痛み・だるさ、胸の苦しさにスプレー1噴霧。神秘主義的話題。

今日は朝の家事を済ませてからずっと横になっている。

胸の苦しさはスプレーの噴霧でよくなり、背中の痛み・だるさも少しはよくなるが、消えない。腰からのだるさはよくなった。軽いが、吐き気はある。

背中は別の原因かもしれない。昔、別の県、別の病院で慢性膵炎といわれて(エコー、検便、血液検査を受けたことは覚えているが、記憶はおぼろげ)治療を受けていたときは(フオイパンや胃腸薬など)、背中の執拗な痛み・だるさ、吐き気などに悩まされた。

それに似ているが、慢性膵臓は今ではないといわれているし(ただ慢性膵臓はわかりにくいという)、腹部膨満感もない。

これが続けば、副甲状腺機能亢進症疑いで経過観察していただいている日赤内科を受診しよう。

飛び入りだと違う先生になるだろうけど。

たぶん執筆疲れだろう。執筆中の無茶があとで出てくる。これでご褒美が落選となると、罰ゲームさながらです。

江戸時代の産後座椅で過ごすつらさとどっちが。

三十代のころ、ハーモニーという個人誌を作り、親しい人々に送っていたが、それ以来20何年ぶりかで親しい人々に萬子ひめの小説を読んで貰いたくなった。

原稿をコピーしただけのものになるが、送ろう。

竜王会が会長の死後、神智学協会ニッポン・ロッジと竜王会に分かれ、やめていった人々もいた。

そのころ交流のあった人でどうしているか気になっている人にも送ってみよう。

小説には神秘主義的描写は最後に少しあるだけだが、神智学に学んだ手法、ものごとの見方がなければかけなかた。

ろくにブラウァツキーや三浦関造先生の著作を読んだことも理解する知性もない人々がウィキペディアや小論文、記事などで、それ自体問題のある著作からの孫引きで書きたい放題だ。

三浦先生の愛弟子だった人には、わたしが知っていた人もいた。ウィキペディアを書いた人は三浦先生が宗教に傾斜したようなことを書いているが、宗教というだけで頭から悪いものと決めつけている執筆者の教養のなさはどうしようもない。左派かな。

わたしを子供のころから、あの世から一貫して見守ってくれているグループの中心に三浦先生がいらっしゃることは間違いないのだが(下記の過去記事参照)、全員が友愛関係にあるような明るく気品の高い雰囲気が、昔見たヴィジョンからは伝わってきた。わたしもその仲間の一人らしく思われる。

わたしが萬子ひめの小説を書くことはそのグループのプロジェクトの一つとしてあったのではないかと思う。あくまで想像にすぎないことだが。

任務は終えたのでもうあちらに行きたいが、そうは問屋が卸さないだろうな。自身のカルマにがんじがらめ。これは自分自身の問題だ。やはり萬子ひめの爪の垢でも飲むべきか。

そのうち三浦先生のことも書きたい。その教育者としての側面も岩間先生のご著書から紹介できればと思う。

不肖わたしが神智学協会や竜王会について書いていいか迷いがあったが、ここまで低級な誹謗中傷が広がっていると知った今、書くべきだと思い始めた。

三浦先生のヨガの指導を受けていれば、体調不調などすぐに改善できただろう。

三浦先生の愛弟子にはヨガの達人が何人かいらしたが、もうお亡くなりになったのかもしれない。

三浦先生が発揮されたというイエス・キリスト並みの奇跡的な現象(尤も神秘主義の辞書には奇跡という言葉はないそうで、現代科学による証明が追いつかないが、奇跡も科学的な現象とされる)についてもじかに伺ったことがあった。

だからって愛弟子が三浦先生を師として敬愛していたのではなく、信仰していたなんて事実、わたしは知らないなあ。

どんな組織にもおかしな人は出てくる。そのおかしな人を基準とされたのではたまったものではない。

ある文章やある行為を断片的にとり出すには、全体をまず知らなければならないということを神智学や総合ヨガを通してわたしは学んだ。

誹謗中傷する人々はその大事な過程を経ていない。最初に貶める目的があり、それに都合のいい部分だけ取り出している。

わたしは村上春樹や夏目漱石の魅力を知ったからこそ、重い問題点を見過ごせず評論を書くことにした。

誹謗中傷する人々はブラウァツキーや三浦先生の著作を偏見なく読むことから始めるべきだ。

わたしは幸い、三浦先生がペンをとっていらしたころの機関誌からの記事を分厚い本にしたひじょうに貴重な本を持っている。竜王会の会員からいただいたのだ。

それを改めて研究し、ブログ『マダムNの神秘主義的エッセー』で紹介したいと思っている。

体調のことから話は飛んだがあとで別の記事にします。これは寝たまま携帯から書いている。まだ具合わる……

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背中の痛み、吐き気、胸の苦しさにミオコールスプレー2噴霧(ミオコールに携帯に便利なヒモを通せる穴)

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昨夜は使ったニトロが足りてない気がしつつ(背中のだるさ、胸の苦しさが完全には消えていなかった)、就寝。

早朝5時ごろ、背中の痛み・だるさ、吐き気、胸の苦しさで目覚めた。背中の症状が強かったが、筋肉痛ではなく冠攣縮性狭心症が原因だと思い、ミオコールスプレーを使った。2回。

まだ背中のだるさが残っているが、その他の症状は消えた。何だか熱っぽい感じ。胸や頭、そして胃も縛りが解けて涼しくなり(あたたかく感じたりもする)、血行がよくなるのがわかった。波が押し寄せるような現象が1時間くらい続き、それにつれて血行が改善され、あちこち快適になっていった。

今は吐き気もない。

新しくミオコールスプレーをおろすと、これまでの製品にはついていなかったヒモを通せる穴が新設されていた。携帯に便利で嬉しい。

20151206061221

向かって左側が新しい製品。ヒモの穴があり、そのぶん若干長身(?)になっている。

ニトロペンを携帯してきたが、これを携帯できると心強い。ただ人前では使いにくい。ニトロペン舌下錠だと、キャンディーを口に入れる要領で、舌下できる。これまでにコンサート会場や道を歩きながら使用してきた。

ミオコールとニトロペン、両方携帯できたら百人力だけれど、出していただいたばかりのミオコールを先生にせがんだら「そんなに使っているのか?」と警戒されること必至。

書き忘れたが、昨夜も不整脈はあった。

まだ体調が完全には回復していないようだ。猛反省で病気を撃退した萬子媛の爪の垢でも飲ませていただかないと…小説書いたご報告に行きたいが、結構遠くて日帰りだと強行軍になる。来年の春になりそう。萬子媛~大好き! 神さまにいうセリフではありませんが。

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2015年12月 5日 (土)

胸の圧迫感、背中の痛みにニトロペン1錠

胸の圧迫感、背中の痛みにニトロペン1錠

いつもの症状。

先月末の執筆中に1度不整脈とめまいがあったが、ニトロを使わずにまあまあの体調に戻った。

29日の夕食の皿洗いなど終えた22時くらいから30日の23時まで、根が生えたようにパソコンの前を動かなかった。

実際にはトイレ数回と薬の服用時(服用を忘れて数時間たつと動悸がするので飲み忘れに気づき、慌てて服用するが、この服用のずれが体調不調の発端になっている気がする)でパソコンから離れたが、30日には洗濯・掃除は後回し、休憩時間はその間の数分だけ。

まる1日なにも食べず平気だったが、薬を飲むときの水だけでは水分量が不足したのか、排尿時に痛みがあり、が幸い小さな石が排出された模様。

家族は食べなくても平気ではないので、夕食は弁当を頼み、わたしは原稿を出しに行ったあとの深夜に美味しくいただいた。

この集中力だけは我ながら驚異的。

家族に迷惑がかかるのは後ろめたいが、精々半年に1日である。自然災害と思って諦めて貰うしかない。そのときは話しかけられても聞こえないので、悔い改めるのは無理。

賞でそこそこ行こうが落選しようがやめられないのは、この集中力を出せるから。

普段ぼーとしているわたしはこうした集中力のあるときでないと、見えてこないものがあり、発揮できない総合力がある。

パソコンしているときは無意識的に背中をぴんと張っているので、翌日は背中の凝りと全身の疲労感で地獄。

でも作品完成の興奮と高揚感で家事はエネルギッシュに行う。

作品を改めて確認する作業が昨日終わった。

とたんに気力が萎み、ひ弱な自分になる。

家事はちゃんと行えるが、昼前に不整脈があり、脳貧血が起きたようにフラつくので「休暇」と称し、横になったら、背中の凝りは治ったはずなのに背中が痛み(冠攣縮性狭心症に特徴的な放散痛だ)、左腕が手先から付け根まで痺れ、胸の圧迫感も出現したので、ニトロ舌下錠を使用。

すーっと背中の凝りがとれ、左腕の縛りが解け、胸のなかが涼しくなった。

まさに狭心症患者だけが知っている、魔法の薬と呼びたくなる即効性。

ミオコールスプレーもあるが、先生が舌下錠を好まれるので(どうしてそうなのか次回お尋ねしてみよう。ミオコールスプレーだと使いすぎの心配や先生側での管理のしにくさがあるからではないかと推測している)、ニトロペンを使ったが、慌てていて錠剤を少し噛んで飲み込んでしまい、残りも唾液量が少なかったせいか錠剤が舌の裏にうまく収まらない。

それでも効いた。ぶり返すかもしれないので、そのときはダイレクトに舌の裏にシュッできるミオコールスプレーを使おう。

小説のヒロインにした萬子媛も病気になってあちこち具合が悪かったときがあったと知り(萬子媛だって、そりゃ生きていらしたときは普通の人間だったわけだから、別に驚くべきことではないが)、親近感がわいて嬉しい。

猛反省して病気を撃退なさったところが凄い。どう猛反省したらいいの?

創作秘話というか、今回の執筆に関して書いておきたいことがある。年賀状テンプレート紹介が急がれるので(その方面のアクセスが増加中)、そちらが先になると思うが、忘れないように書いておきたい。

ニトロペンの殻をバーネット『消えた王子』に置いてみた。読書感想文でもアクセスが増えた。この時期は何の読書感想文なんだろう?

岩波少年文庫の『消えた王子』には壮大なスケールとサスペンス的面白さがあり、小学高学年にオススメ。窮地に陥ったときにそれをどう乗り切るかの直感と智恵が体験的なものとして表現されているところは貴重。真の勇気は内的な静けさの中から閃く……

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2015年12月 2日 (水)

歴史短編1のために #25 禅院で尼僧たちを率いた萬子媛

わたしは萬子媛を中心に置いた歴史小説を執筆するにあたり、短編5編をまず執筆して、それをあとで長編に纏める予定で計画を進めていました。

そのままの計画で行くかもしれませんし、5編の短編はそのままの形で『江戸初期五景』(仮題)という題のもとに収録するということも考えています。

今回仕上げた短編を崩したくない気がしてきたからです。

創作の都合上、前にそうしたようにNotesを非公開設定にしようと思ったのですが、これらに含まれる情報自体はわたしのものではなく共有されるべきものですし、ストーリーのある創作物とは別物なので、一応このままにしておくことにしました。

ただ、わたしの考えがかなり含まれていますので(間違った考えが含まれている可能性があります)、カテゴリー「Notes:初の歴史小説」と「萬子媛 - 祐徳稲荷神社」に収録している記事へのリンク、転載などはご遠慮いただければと思います。

萬子媛の真相に迫りたいという思いで、初めての歴史短編を執筆し、何とか自分なりのものが仕上がったと思っています。

家族の受けはかなりよいものでした。夫にも娘にも、祐徳稲荷神社に対してわたしのような思い入れは全くありません。なくて当然で、果たして朗読を聴いてくれるだろうか、という懸念がありました。

わたしは作品を書きながらある量が溜まると朗読して人に聴かせる癖があり、家族には迷惑なことでしょう。夫は大学の文芸部時代に合評し合った仲ですが、その夫も、娘も、気にいらないと途中で聴いてくれなくなるのです。

そうすると、こちらのモチベーションも下がるので、朗読にも勇気が要るのですが、もう癖になっています。案の定、2人とも、最初は露骨に迷惑顔でした。が、しばらくすると、「歴史小説らしく書けている」といい、真ん中くらいになると、夫は作中の萬子媛にときめくものを覚えたようで、続きを心待ちにしてくれるようになりました。

こんなことは結婚以来初めてでしたよ。いつもですと、わたしの創作は家事の妨げになるので、むしろ不機嫌そうで、応援してくれるということは全くないのですが、今回は「もう少しやん、ガンバレ」なんて何回もいって励ましてくれました。

娘も、「これだと、萬子媛や鹿島を知らない人でも興味を持ってくれるのではないかな」といってくれました。それはどうかという気がしますが(純文系歴史小説なので、エンター系歴史小説ほど関心は持たれないでしょう)、嬉しい言葉でした。最終回を朗読しようとすると、「あん、最初から読みたいよ」というので、プリントアウトして渡すことにしました。

さて、肝心の萬子媛はどう思っていらっしゃるのでしょうか。世俗の出来事として、無関心? あの世で一大ボランティア集団を率いていらっしゃるようなので(?)、お忙しくてそれどころではないかもしれませんね。

不肖わたしが既に人口に膾炙している萬子媛をヒロインにして歴史小説など書いていいものだろうか、という怯えを感じることもたびたびでした。

実は、大発見がありました。というより、郷土史家が「萬子媛についての最も古くて上質の資料は、『祐徳開山瑞顔大師行業記』だろうと思います」とご教示くださった萬子媛の小伝ともいえる『行業記』をちゃんと読んでいなかったのでした。

ただ、これは言い訳になりますが、萬子媛は祐徳院に1人隠棲して長年修行に励んだというイメージは出来上がったものとしてありました。

祐徳稲荷神社のホームページには、萬子媛について次のように紹介されています。

ご祭神

萬子媛(祐徳院殿)

祐徳稲荷神社を創建された、鹿島藩主鍋島直朝公夫人萬子媛(御神名萬媛命)をお祀してあります。
萬子媛は後陽成天皇の曾孫女で、左大臣花山院定好公の娘でありますが、寛文2年直朝公にお輿入れになりました。その折、父君の花山院定好公より朝廷の勅願所でありました稲荷大神の神霊を、神鏡に奉遷して萬子媛に授けられ「身を以ってこの神霊に仕へ宝祚(皇位)の無窮と邦家(国家)の安泰をお祈りするように」と諭されました。萬子媛は直朝公に入嫁されてより、内助の功良く直朝公を助けられ、二人のお子様をもうけられましたが、不幸にしてお二人共早世されたのを機に、貞享4年62歳の時此の地に祐徳院を創立し、自ら神仏に仕えられました。以後熱心なご奉仕を続けられ、齢80歳になられた宝永2年、石壁山山腹のこの場所に巌を穿ち寿蔵を築かせ、同年四月工事が完成するやここに安座して、断食の行を積みつつ邦家の安泰を祈願して入定(命を全うすること)されました。萬子媛ご入定の後も、その徳を慕って参拝する人が絶えなかったと云われております。諡を祐徳院殿瑞顔実麟大姉と申しましたが、明治4年神仏分離令に添ってご神号を萬媛命と称されました。

ここには祐徳院において「1人で」神仏に仕えたとはありませんが、そうしたイメージが湧くのが自然でしょう。

「1人で」とはっきり書かれた創作物も、そうでないものも、やはり「1人で」のイメージです。前掲の史料のコピーをもたらしてくださった郷土史家でさえ萬子媛の祐徳院での暮らしを質問したときには「日常の暮らしについては食事などの世話をする侍女が何人かいたようですが、詳しいことはわかりません」というお答えでした。

そうした先入観があり、行業記は漢文で、郷土史家が読み下し文を提供してくださいましたが、高校時代までに学んだ漢文の知識しかないわたしには(古文は好きでしたが、国語の中で一番苦手だったのが漢文でした)、難しいものでした。

「漢語林」に頼りましたが、文章自体にわたしにはどうしても意味の通らないところがあり、例えば「十七」だと意味が通るのに「一十七」となると、訳がわからない。そんな箇所が何箇所かあれば、もう投げ出したくなって、「ここに書かれているおおよそのことは他の資料からわかっているのだから、こんな難解なものを読む必要はないだろう。わたしが書くのはフィクションなんだし」と開き直る始末で、本当に真剣に取り組んだのは、いざ出家後の萬子媛を描写しなければならない段階に来てからでした。

出家する以前に、鍋島直朝夫妻は黄檗宗の教えを2人で受け始めたと別の資料で読みましたが、その後出家し1人で院に籠もって独修に近い形で修行を積む萬子媛……その姿がどうしても浮かばず、最終段階に入って暗礁に乗り上げてしまったのでした。

なぜ祐徳庵ではなく祐徳院なのだろう、という疑問は最初からありました。尤もそれは既に禅僧になっていた義理の息子から譲られたものではありましたが……

とにかく読むしかないと思って読んでいくと、これまでは見えなかった――先入観と原文の読みにくさから無意識的に無視していたらしい――言葉が目に留まりました。

その前文には、これまで親戚のために繋ぎとめられてできなかった萬子媛は出家の希望を義理の息子の格峯(断橋)禅師に打ち明け、理解を得、祐徳院を譲って貰い、その祐徳院において和尚(前出の桂老和尚、すなわち桂厳禅師のことと思われます)に薙染[ちぜん](出家)させて貰ったことが書かれています。

そのあと「是ニ於テ大師、尼十数輩ヲ領シ、晨ニ誦シ、夜禅シ、敢テ少シモ懈ルコトナシ」とあるではありませんか。

「尼十数輩ヲ領シ」の部分を穴があくほど凝視してしまいました。どうして、これが今まで、見えなかったのでしょうか。2年も下調べに費やしておきながら、肝心の史料読みをおろそかにしてきた報いでした。

でも、このほうが納得ができます。萬子媛が1人孤独に庵に隠棲して18年も過ごした揚げ句に断食入定というなにかしら悲惨なイメージよりは十数名の尼僧を擁した禅院の責任者として、森厳な規則を敷いて指導し、自らも修行したというイメージのほうがずっとワタクシ的にはびんとくるのでした。

そして、萬子媛のような人並み以上の人でさえ、子どもを亡くした哀しみで鬱屈し、病気になったのだと。しかし、猛省後に体のあちこちにあった具合の悪いところはたちまちよくなった。「而シテ其ノ強健、猶少壮ノ時ノゴトシ」とあります。

猛省後の萬子媛は若い元気なときのような強健を誇ったようです。これで、仏法に触れる喜びの禅院の楽しみを得られないわけがない、と行業記には書かれています。

陽性のイメージの萬子媛ですよ、いやホント、わたしのイメージにぴったりです。燦然と輝く太陽のイメージ。

念のために、漢文だけは得意だったという夫に頼んで、2人で丹念に読んでいきました。それでもわからない箇所が出て来ました。もし間違った読みかたをしていたとしたら? つくづくお馬鹿夫婦ということなりますね、わたしたちは。フィクションですから、とへらへら笑うしかありません。

まあ、あとは小説を読んでほしいのですが、公開には時間がかかります。その前に賞にチャレンジしたりもするので。凝りもせず。文学観がどうであれ、紙媒体で読んで貰うには、貧乏人は他に手段がないのです。

黄檗宗は梵唄で有名ですが、禅院では以下のようなものも唱えられたのでしょうね。リンク先の梵唄、これ凄い。フーガお経ですね。なぜか、「芋掘りエコロジー」と聴こえてしまうところがあって困りますけれど。

https://youtu.be/IHkSejHSPq8?list=PL2OLTz5OiV8fo2hT6jwY81pmcJgAIHwQq

以下のような梵唄の動画も公開されていました。男女の歌声が美しくて、厳かです。この種の仏教音楽を聴いたのは初めてでした。香港か台湾からのアップでしょうか。

以前にも紹介した姜敏を歌手とする神韻芸術団の舞台。神韻芸術団は米国ニューヨークに拠点を置いた舞台芸術団体ということです。

以下の動画は執筆中よく聴いた宮城道雄の「日蓮」。お正月によく流れる宮城道雄の「春の海」を知らない人は少ないでしょうね。

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童話『マドレーヌとわたし(漢字使用)』(Kindle版)をお買い上げいただき、ありがとうございます!

『マドレーヌとわたし(漢字使用)』(ASIN:B00F1DFKOM)をお買い上げいただき、ありがとうございます! 

11月23日ごろ、お買い上げいただいたようです。

漢字版の『マドレーヌとわたし』をお買い上げいただいたのは初めてでした。

マドレーヌとわたし(全かな)

  • アメリカ(インドを含む)…… 1 ※現在ではインドはAmazon.inとなり、Amazon.comとは別個になっています。
  • 日本……2

マドレーヌとわたし(漢字使用)

  • 日本……1

『マドレーヌとわたし』(全かな)を初めて買っていただいたのはAmazon.com(インドを含む)でした。

現在、パブーには本を出していませんが、2013年にパブーで「マドレーヌとわたし」を1冊お買い上げいただいています。

こうして見ると、売れにくい本でも長く置いておけるのがありがたいです。

電子書籍の子ども向き童話は、売れなくてあたりまえだという気がします。子どもは紙の本で読むのが自然ですから。ですから、お買い上げいただくと、大変ありがたいということになります。大人の女性向き児童小説だと売れやすいでしょうね。

Kindle本が売れるためには、新しいKindle本をどんどん出すことでしょう。今年は1冊も出せていず、それでも時々お買い上げいただけて、感謝の気持ちでいっぱいです。

創作と電子書籍作成とは別個の仕事というところがあって、今年は創作に重点を置いた年となりました。来年は半々ぐらいで行きたいと考えています。

マドレーヌとわたし

マドレーヌとわたし(漢字使用)

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『村上春樹と近年のノーベル文学賞作家たち』(Kindle版)をお買い上げいただき、ありがとうございます!

『村上春樹と近年のノーベル文学賞作家たち(Collected Essays 1)』(ASIN:B00BV46D64)をお買い上げいただき、ありがとうございます! 

11月18日ごろ、アメリカでお買い上げいただいたようです。

 『村上春樹と近年のノーベル文学賞作家たち』は、これまでで48冊お買い上げいただいたことになります。

  • アメリカ……17冊
  • 日本……26冊
  • イギリス……1冊
  • ドイツ……2冊
  • メキシコ……1冊
  • イタリア……1冊

村上春樹と近年のノーベル文学賞作家たち(Collected Essays, Volume 1)

「気まぐれに芥川賞受賞作品を読む 二〇〇七 - 二〇一二(Collected Essays 2)」)』(ASIN:B00J7XY8R2)は、文学界を考察した姉妹編ともいうべき1冊です。

気まぐれに芥川賞受賞作品を読む 2007 - 2012(Collected Essays, Volume 2)

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