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2015年11月の19件の記事

2015年11月27日 (金)

元気です、給湯設備が壊れて温泉通い、創作三昧です。

このところブログ更新のための時間がとれず、更新を怠っておりますが、元気ですので、他事ながらご休心ください。

給湯設備が壊れて温泉通いしなければならず、修理が終わってからはブログに割く時間がどうしてもとれなかったほど創作三昧です。

12月が間近で、そろそろ貴重な資料を提供していただいている郷土史家にご挨拶とご報告をしなければと思っているのですが、わたしは短編5編をまず執筆して、それをあとで長編に纏める予定で計画を進めています。

なかなか準備段階から抜けられませんでしたが、ようやく最初の1編に着手し、まあまあ順調な運びです。出来上がったら郷土史家にお送りして、読んでいただければと思っています。

昨年は歴史小説の書きかたを頭ではわかっているつもりでも、どうしても文章が出て来ず、執筆を中断して下準備に時間をとることにしましたが、それが正解でした。

ただ、歴史小説は和暦と西暦の違いや、習慣の違いなどあって、うっかり現代の視点で書いてしまい、慌てることがよくあります。

和暦から西暦変換(年月日)してくれる便利なサイトがあります。リンクは許可が要るようなので、サイトの紹介はしませんが、「和暦から西暦変換」というワードでググったらすぐに出て来ます。

江戸時代の大名が参勤交代の際などに利用した御座船(貴人が利用した豪華な屋形船)を出したいと思いましたが、当時の絵で見てももう一つぴんときませんでした。平成の時代に現れた御座船 安宅丸クールーズなんてのもあるようですが。

鹿島藩主・鍋島直條が樓船(屋形船)に乗船中に風雨に遭い、壁に寄りかかって読書した様子などを紀行作品に書いていて生々しく、それが、以下のオンライン論文で紹介されています。

論文を拝読し、鍋島直條という人が想像以上に文学大名(文人大名というべきですね)であることがわかりました。

わたしは直條が著した萬子媛の小伝『祐徳開山瑞顔大師行業記』を読んで、ひじょうに印象的でしたが(郷土史家が漢文を読みやすくしてくださっていました)、直條に文学作品は少ないと思っていたのです。

ところが……大変多作であったことが論文を読んでみればわかります。そして、引用を読んでみるだけでも、文学的魅力に富んでいて、驚かされました。

漢詩文・和歌・連歌・俳諧といったジャンルの作品を自在に散りばめた紀行、日記といった創作スタイルです。現代でしたら、ブログ記事に様々なジャンルの文芸作品を散りばめるようなものでしょうね。

批判精神も旺盛で、林家に学んだ青年時代は僧侶を批判し、また出版界を、中国明清の詩文を批判したりしているようです。が、それは豊富な読書や『杜詩』の生涯を通しての熟読の上になされているものだとか。引用を読むだけでも、浅はかな批判でないことは伝わってきます。そして、次第に詩文を愛好する僧侶たちとの交遊が広がったようです。

遠い時代の故郷のお殿様の潜在的な影響を受けているのだろうか、と思うほど、自分の文学傾向に似ているものを感じてしまいました。

現代語訳版で出版されたら、現代人にも受けるのではないでしょうか。そのような瑞々しさがあります。

わたしの短編の中では、鍋島直條公はまだ幼児です。

近いうちに、創作の都合上、カテゴリー「Notes:初の歴史小説」と「萬子媛 - 祐徳稲荷神社」は2回目の非公開とさせていただきます。

他にもいろいろと書きたいことが溜まっているのですが、今月いっぱいは作品に没頭するつもりなので、あまり更新できないでしょう。しばらくお待ちくださいね。すてきな年賀テンプレートの紹介記事や温泉のことなども書きたいです。

短編を仕上げたら、歴史小説の次の短編の構想を練りながら、電子書籍を2冊ほど出したいと考えています。今年はまだ1冊も出していません!

そういえば、Kindle本をお買い上げいただきました。あとできちんと報告しますが、ありがとうございました!

ではでは。

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2015年11月20日 (金)

歴史短編1のために #24 江戸時代を支えた高齢者パワーと幕府の工夫

江戸時代を舞台とした小説を書くために、色々と調べていて、高齢者の活躍が馬鹿に多いなとは思っていたのだが、以下の本を読んで、わたしが思った以上に高齢者パワーが江戸時代を支えていたことがわかった。

江戸時代の老いと看取り (日本史リブレット)
柳谷 慶子 (著)
出版社: 山川出版社 (2011/11)

小説のヒロイン花山院萬子媛からして、37歳で結婚、2年後の39歳で出産(初産だった可能性は高い)、その2年後の41歳でもう1人。62歳で出家、80歳で入定と晩年に花開いた(?)人生だし、その夫の鍋島直朝が亡くなったのは88歳。

島原の乱のときに鹿島藩からも1,113人出兵しているが、兵を率いた人物の年齢は83歳。ただし鍋島勝茂の命で佐賀城の守りに変更になったという。理由は記録にない。まさか80歳以上の高齢者集団だったから、なんてことはないだろうけれど……。

少弐氏の家臣によって子や孫を謀殺されながらも90歳を過ぎて出兵し、一旦は龍造寺家を再興した家兼(これは戦国時代だった)。

これらは特異な体質に恵まれたケースではなく、そう珍しくはないケースであったことが、前掲書を読んでわかった。

幼児死が大変多く、疱瘡などで若い人や中年がぼろぼろ、それもあっという間に死ぬ時代であったことを考えれば、元気な高齢者の活躍なしでは江戸時代は持たなかったに違いない。

江戸時代の芸術を見ていて、渋くて老人向きだな、と若いわたしは思って興味がなかったのも、あながち偏見ではなかったようだ。老人パワーの渦巻いた状況を考えれば、老人向きの芸術や娯楽が発達しなかったはずがない。

徳川の泰平の世が続き、暮らしが安定的に営まれるようになり、生産力が上がり、医療の恩恵に与れるようにもなって、「長寿の可能性は身分・階層、地域、性別の格差を超えて拡大」した。「成人後の平均余命は現代と比べても見劣りしない数値」という。80歳を超えた者は、盛岡藩の1697(元禄10)年9月の調査によれば、領内に780人(男性394・女性386)の該当者がおり、さらに100歳以上の長寿者も122歳を最高に女性3人が書き上げられている(『盛岡藩雑書』第6巻)」という(柳谷、2011、p.008)。

「農業出精」で褒賞の対象になる者があったが、弘前藩の1791(寛政3)年、翌92(同4)年の高齢者褒賞は対象者がみな80歳を超えていた。町人も、80歳を超えて現役がいた。弘前藩の1799(寛政9)年、町奉行が調べたところでは城下の町人に8人いた。(柳谷、2011、pp.020-021)。

武士の場合、70歳が隠居年齢の基準とされたが、武士には現在のサラリーマンのような定年退職の制度はなく、隠居年齢を超えて職にとどまった武士は、80歳をすぎるまで勤務を続けた例も珍しくないようだ。

「1849(嘉永2)年の80以上の仙台藩士と家族」という表には、92歳1人、91歳2人、90歳1人、80歳代が66人。このうち病気の者には「煩」の印があるが、それがついているのは9人しかいない。如何に元気な高齢者が多かったかがわかる。この表は嘉永2年「年長祝い」にリストアップされた藩士と家族。「名前が記されている26人はみな現役と推測される」(柳谷、2011、pp.030)という。

「1834(天保5)年の幕府高齢役人」(柳谷、2011、pp.032)という表では、西丸槍奉行94歳の堀直従(95歳で職を辞した)が最高齢で、80歳代9人、70歳代39人。

長命であることは領主の称揚の対象となり、高齢まで働く庶民や武士は褒賞された。

長寿者に対しては養老扶持の支給も施政化され、もっとも早い例は会津藩。1663(寛文3)年、90歳以上の領民に身分を問わず「老養之御扶持壱人分宛」を定めている。(柳谷、2011、p.078)

養生書の代表として知られる貝原益軒の『養生訓』は益軒82歳のときに執筆、翌年の1713(正德3)年に出版された。これは江戸時代随一のロングセラーともなったという。

介護教育もなされ、武士には「看病断り」の制度があって、身内の病気や臨終に付き添うことができたという。

「庶民家族の看取りの様相は、幕府や藩による高齢者褒賞や、善行褒賞の記録に垣間見ることができる」(柳谷、2011、p.096)

政治家にこの本を読んでほしいですね。高齢者の人材活用のための様々な工夫がなされていることがわかります。

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2015年11月19日 (木)

歴史短編1のために #23 中江藤樹『鑑草』、中村愓斎『訓蒙図彙』、『大和物語』

#24で、萬子媛が子育てに関連して読んだとしてもおかしくない本を3冊挙げた。

  • 女性向きの教訓書、中江藤樹『鑑草』正保4年(1647)
  • 女性向き教訓書、中村愓斎『比売鑑』、寛文元年(1661)
  • 日本初の絵入り百科事典、中村愓斎『訓蒙図彙』寛文6年(1666)

中江藤樹『鑑草』は、岩波書店(岩波文庫)と行路社から出ている。

鑑草 (岩波文庫)
中江 藤樹 (著), 加藤 盛一
出版社: 岩波書店 (1939/4/17)

鑑草 現代語新訳 
中江藤樹/原著
行路社、1990第2版

行路社版が図書館にあったが、貸し出し中となっている。そのうち借りて読んでみたい。わたしは全く知らなかったが、有名な人物らしい。

中江藤樹: ウィキペディアによると、
中江藤樹は門下生から「藤樹先生」と呼ばれた。
「朱子学に傾倒するが次第に陽明学の影響を受け、格物致知論を究明するようになる」。
そして、「その説く所は身分の上下をこえた平等思想に特徴があり、武士だけでなく農民、商人、職人にまで広く浸透し江戸の中期頃から、自然発生的に『近江聖人』と称えられた」。

中江和恵『江戸の子育て (文春新書)』(文藝春秋、2003)に中江藤樹の『鑑草』からの引用があり、その文章に心惹かれたので、何とか読めないかと思って調べてみたら、中江藤樹関連書籍は沢山出ていて驚いたわけだ。現代に通用する学者みたいだ。

他に、Amazonに出ていたもののうちで以下の本が図書館にあれば借りたい。中江藤樹を描いた小説もある。

日本の名著 (11) 中江藤樹・熊沢蕃山 (中公バックス) 1983/10
中江 藤樹 (著), 熊沢 蕃山 (著), 伊東 多三郎 (編さん)
出版社: 中央公論社 (1983/10)

中江藤樹 (センチュリーブックス 人と思想 45)
渡部 武 (著)
出版社: 清水書院 (1974/09)

中村愓斎『比売鑑』は検索してもあまりヒットしなかったが、同じ著者の絵入り百科事典『訓蒙図彙』のほうは復刻版が2012年に刊行されていて、それが図書館にある。

江戸のイラスト辞典訓蒙図彙 
[中村惕斎編]、小林祥次郎編
勉誠出版、2012.10
江戸時代初期、寛文6(1666)年刊のわが国最初の図解博物辞典「訓蒙図彙」を復刻。約9500語を1482点におよぶ精緻なイラストで示した、日本語・日本文学、風俗史、博物学史の有力資料。

国立国会図書館「江戸時代の日蘭交流」の「第2部 トピックで見る」に『訓蒙図彙』が挙げられている。その一部を標準、拡大、サムネイルで閲覧できる。

ケンペルは持ち帰った『訓蒙図彙』を『日本誌』の挿絵に利用したという。

田中保善『鹿島市真実の記録』(平成2年)の著者は、江戸末期(嘉永4年)に北鹿島で生まれた祖母から――庶民に伝わっているかたちで――萬子媛の話を聞いたとお書きになっている。

それによると、萬子媛は才媛というイメージだったらしいから、才媛の萬子媛がこれらの本を読んでいたとしてもおかしくはないと思う。

神社外苑にある祐徳博物館には、萬子媛遺愛の品々を展示したコーナーがある。

わたしには萬子媛の遺墨、扇面和歌が印象的だった。金箔を張った馥郁と紅梅が描かれた扇面に、新古今和歌集から皇太后宮大夫俊成女のうた「梅の花飽かぬ色香も昔にて同じ形見の春の夜の月」が薫るように揮毫されていた。

『大和物語』から写しとったものもあった。筆跡は流れるようでいて、静かだった。花山院家の家業は四箇の大事(節会・官奏・叙位・除目)・笙・筆道なので、萬子媛が達筆だったとしても不思議ではない。

『大和物語』は平安時代に成立した歌語り集。

叙情的な美しい文章で綴られた説話の1編1編を改めて読んでみると、男女間に生じる悲痛な話から生活苦の垣間見えるものが多い。

有名な「姥捨」なども、妻の性格の悪さが馬鹿に印象的だが、この妻には生活苦や介護疲れなどがあって、少しおかしくなっているのかもしれない。

ストーリーを簡単にいえば、男には親代わりの年とった叔母があった。その叔母を男の妻が嫌って悪口をいい募り、男はその影響を受けるようになる。

妻に責められ、そそのかされて、男はついに叔母を山に捨ててしまう。男は家に帰ってから後悔し、「わが心なぐさめかねつ更級や姨捨山に照る月を見て」という歌を詠む。そして、山へ行って叔母を連れ戻すという話。

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From Wikimedia Commons, the free media repository
Ogata Gekkō (尾形月耕) (1859–1920)
Yamato Monogatari (大和物語)、1896


今もあの世からボランティアなさっている萬子媛はこの世に生きる人間の間違いやすさ、愚かしさ、庶民の生活苦をよくご存じのはずだ。

イエスですら「いつまであなたがたと一緒にいなければならないのでしょう」といわれたことがあった。萬子媛だってそうに違いない。

それでも、なおもこの世に生きる人間を見守り、愛していらっしゃる。

萬子媛のお社の前で、また心の中で語りかけるとき、そのことが霊的に感じられるので、その尽きせぬ愛の源が知りたいと思い、小説を書く中で発見できないかと執筆を思い立った。

話が逸れてしまったが、萬子媛が和歌や古典文学に通じていたことは確かだろう。

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2015年11月18日 (水)

娘の誕生日にアフタヌーンティー・ティールームで。北海道物産展で。トーセンソレイユのデマ情報にびっくり。

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過日、娘の誕生日でした。

プレゼントは本人の希望のものをと思っているのですが、迷っているので、とりあえず娘の好きなアフタヌーンティー・ティールームに行きました。アミュプラザのほうへ。

写真は「グラタンオープンプレート」です。娘はグラタンが好きなので、誕生日にぴったりでした。これにハーフサイズのケーキとチャイにしました。

本格的なグラタンは、玉のできないホワイトソースを作るのが面倒で、わたしはあまり作りません。材料に塩胡椒して生クリームとチーズをかけて焼く簡単なグラタンはたまにしますが。

北海道物産展で、冷蔵庫に入りきれないくらい栗のように甘い「インカのめざめ」と火の通りが速いわりに崩れにくい「とうや」を買い込んだので、ポテトグラタンくらい作ろうと思います。

箱で買いたかったのですが、売り場の人のお話ではやはり冷蔵庫に入れたほうがいいということで、断念。

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買ってきたじゃがいもを1個1個新聞紙に包み、ポリ袋に入れて野菜室に入れておきます。

「インカのめざめ」の場合、ワタクシ的には3ヶ月~6ヶ月熟成させると最高だと思います。

わたしが実験したところでは10ヶ月は持ち、熟成させるほど甘くなりますが、半年以上になると、腐らないまでもゆるくなってきて美味しくなくなる気がしました。

「とうや」は2袋普通に食べきりますが、「インカのめざめ」は1袋は食べ、1袋は熟成を目指します。

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熟成の任務を帯びた「インカのめざめ」。凜々しく見えます、じゃがいもが。

既に皮ごと茹でて、バターを落として食べました。昨夜は、江戸崎愛先生のレシピ「肉だんごとキャベツの煮もの」を参考にして33年前から作っている煮ものに、インカを加えてみました。

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「肉だんごとキャベツの煮もの」のレシピは以下の過去記事にあります。家族はこれが大好きです。

北海道物産展では他にも、食材を買いました。

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タラ。

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ホタテ貝柱。冷凍庫へ。これ賞味期限が2017年5月31日と長いのがありがたいです。今年中か、遅くとも来年の春にはなくなっていると思いますが。

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缶詰。鮭も2皿分買い、1皿分は冷凍庫へ。

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お菓子を買ったのは娘です。娘は美容のためにあまり食べないので、わたしのために買ってくれたのだそうです。わたしもダイエット以来、間食ほとんどしないわよ。でも、たまには家族でお茶するのもいいものですね。

話は変わりますが、過去記事に書いてきたように、わたしは牝馬トーセンソレイユが好きです。

児童小説にペガサスを出すために乗馬体験をしてから馬が大好きになり、賭け事はしませんが、テレビや動画で競馬を観戦しているのです。

で、そのトーセンソレイユの訃報情報が流れ、びっくり。

デマだったみたいで、ホッとしました。22日にユートピアステークスに出ます。

お気に入りの馬が他に8頭いますが、一番好きなのはやはりトーセンソレイユです。

あまり活躍しているとはいえませんが(前回、G2の府中牝馬ステークスで6着はいいほうかな)、体形、表情、仕草に、優美ながら小気味いいところがあるのですよね。

トーセンソレイユはディープインパクトの半妹(父ネオユニヴァース、母ウインドインハーヘア)です。

テレビや動画でレース観戦を続けてきてわかりましたが、ディープインパクトは本当に凄い馬だったのですね。別格です。あれほど安定して勝ち続けることのできる馬って、奇跡的なのです。競馬がなるほどギャンブルで、当たらなくて当然だと思います。

織田作之助に『競馬』という優れた短編小説がありますよ。以下は青空文庫へのリンク。

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2015年11月17日 (火)

『村上春樹と近年のノーベル文学賞作家たち』(Kindle版)をお買い上げいただき、ありがとうございます!

『村上春樹と近年のノーベル文学賞作家たち(Collected Essays 1)』(ASIN:B00BV46D64)をお買い上げいただき、ありがとうございます! 

今月の8日ごろ、ドイツでお買い上げいただいたようです。

 『村上春樹と近年のノーベル文学賞作家たち』は、これまでで47冊お買い上げいただいたことになります。

  • アメリカ……16冊
  • 日本……26冊
  • イギリス……1冊
  • ドイツ……2冊
  • メキシコ……1冊
  • イタリア……1冊

村上春樹と近年のノーベル文学賞作家たち(Collected Essays, Volume 1)

「気まぐれに芥川賞受賞作品を読む 二〇〇七 - 二〇一二(Collected Essays 2)」)』(ASIN:B00J7XY8R2)は、文学界を考察した姉妹編ともいうべき1冊です。

気まぐれに芥川賞受賞作品を読む 2007 - 2012(Collected Essays, Volume 2)

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16日に、循環器クリニック受診(同じような症状を訴える、心房細動と冠攣縮性狭心症がある患者さん)

午後受診したら、患者さんはまばら。1時間半くらいの待ち時間で済んだ。看護師さんが「午前中なら3時間待ちだったわよ」とおっしゃったので、午後行ってラッキーだった。といっても、検査のある日は午前中に行かなければならない。

余裕があったからか、先生は診察時に2度も脈を診てくださった。「うん、乱れはないね」の言葉は2度ともなく、前回の受診日に受けた胸部レントゲン写真も出ていたが(わたしのだと思うが)、言及はなし。そのときの心電図がどうだったかも結局聞いていない。

ただ、何も問題がなかったときは先生は嬉しそうに「うん、問題ないね!」とおっしゃって、母親に100点満点の答案用紙を得意げに見せる子供のように検査結果をこちらにひろげて見せられるので、レントゲンと心電図は問題があるような、ないような微妙な検査結果だったに違いない。

こういうときは突っ込まないほうがいい、無駄な質問になるから……と経験は語る。

血液検査の結果は「上がったり下がったりの矢印がいくつかあるけれど、特に問題ないからね」とおっしゃった。おっしゃる通り、いつもの感じで、素人目にも問題なさそう。

前掲のレントゲンと心電図の結果については特にお尋ねしないことにしたが、質問がしやすい雰囲気だったので、日常的に気になっていることをお尋ねしてみた。

不整脈が何回か起き、めまいがしたり気が遠くなったりするが、その不整脈は何もせずに治まる。が、その後、必ずといっていいように冠攣縮性狭心症らしい発作が出ることについて――である。

わたしは冠攣縮性狭心症らしい発作よりも、不整脈によって起きるめまいや気が遠くなる症状が気になっている……というより、それによって生活の質が下がるので困っているのだ。

先生は、発作の前に起きる不整脈と冠攣縮性狭心症の発作は関係がないだろうとおっしゃった。別個に起きるということらしい。最中とかニトロ服用後に起きることはある。

胸の圧迫感にせよ、胸痛にせよ、ニトロで治まる症状であれば、それは狭心症の発作によるものだそうだ。不整脈については、心房細動が続けば問題とのこと。ということは、めまいがしたり、気が遠くなったりする不整脈は、やはり心房細動ということか。

わたしは心房細動の予防で服用しているサンリズムの効き方が緩いせいで不整脈が起きてしまうのではないかと思ったが、塩酸ピルジニカイニド(サンリズム)の血中濃度は今回0.35μg/mL(有効治療血中濃度は. 0.2~0.9μg/mL)で、有効範囲内だった。

効き過ぎるのは危険だそうだ。

2倍飲めば、以前のようにピタッと抑えられる気がするけれど、あのときは効き過ぎていた。それはまずいらしい。

たまにこうした不整脈が起きるのは、仕方がないということか。

先生がおっしゃるには、わたしと全く同じような症状を訴える患者さんがいるそうだ。その人も心房細動と冠攣縮性狭心症があるという。

それはわたしのことでは?と思ったが(以前どう考えてもわたしのことを別の患者さんのことと混同なさっているのでは、と思えたケースがあった)、その人は冠攣縮性狭心症については心臓カテーテル検査で確定診断が出ているとか。わたしはカテーテルやってないから、それでは間違いなく別人だ。

「そのかた、お年寄りですか?」とお尋ねしてみると、頷かれる先生。心房細動って、老人に多いらしいのだ。では57歳のわたしは老人? ――とまではいかないと、自分では思っているのだが。

しかし、これでわかったが、本当に必要だと先生が判断なさったときは心臓カテーテル検査を勧められるということだ(そりゃそうだ。なぜ疑うのだろう?)。

沢山心臓の薬を飲んでいるので、本当に必要か、と疑心暗鬼になったこともあったが、必要だとの先生の判断だから処方されているのだし(なんか当たり前のことを書いている)、心臓カテーテル検査もわたしの場合は行うまでもない、あるいはリスクのほうが大きいとのお考えなのだろう(別件で日赤に検査入院したとき、ついでに循環器科で受けたセカンドオピニオンでは、確かそういう説明だった)。

ニトロはミオコールスプレーもニトロペンもあるので、出して貰わなかった。ウロカルンは1錠ずつ飲んでいて、わたしの場合はそれで結石予防ができている。フルタイドも、朝、歯を磨く前の1吸入で喘息予防ができている。

薬局でお尋ねすると、インフルエンザはA型がぼちぼちという感じらしい。もう予防接種には遅いのではないかと思ったが、「そんなことはありませんよ」とのこと。迷いつつ、受けないことのほうがわたしは多い。

携帯型心電計がほしいなあ。不整脈が起きたときに記録して先生にお見せしたら、どんな種類の不整脈が起きているのかがわかるから。心房細動がわかったのも、クリニックからお借りした携帯型心電計のお陰だった。

心臓の薬(60日分)

  • インデラル錠10㎎ 1回1錠 毎食後
  • ニコランジル錠5㎎「サワイ」(先発品:シグマート錠5mg) 1回1錠 毎食後
  • サンリズムカプセル25㎎ 1回1Cap 毎食後
  • ジルチアゼム塩酸塩徐放カプセル100mg「日医工」(先発品:ヘルベッサーRカプセル100mg) 1回1Cap 朝・夕食後
  • 一硝酸イソソルビド錠20㎎「タイヨー」(先発品:アイトロール錠20mg) 1回1錠 朝・夕食後

腎臓・尿管結石の薬

  • ウロカルン錠225㎎ 1回2錠 毎食後 30日分

喘息の薬
フルタイド200ディスカス(ステロイド剤、吸入薬) 1個 吸入

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2015年11月15日 (日)

歴史短編1のために #22 徳川家康の繊細な子育て「人の基は慈悲なり」。教育論、育児書、百科事典。

萬子媛のおばあさまの清子内親王(鷹司信尚夫人)とその妹の貞子内親王(二条康道夫人)の会話に御所風の感じを出したいと思い、四苦八苦したことは #21 で書きました。

それではまずい気がして、図書館から参考書を借りました。歴史小説に御所言葉が必要な場合の有名な参考書らしいです。

御所ことば (生活文化史選書)
井之口 有一 (著),    堀井 令似知 (著)
出版社: 雄山閣 (2011/11/25)

まだ学習している段階ですが、例えば、こんな風になるのかしらね。

萬子媛は魅力的なかたであらしゃりますから、書き甲斐がございます。

江戸時代は教育論、胎教論、教育論、育児書の類いが沢山出ていました。以下の本が参考になります。これも図書館から借りました。Amazonでは中古しかないようです。

江戸の子育て (文春新書)
中江 和恵   (著)
出版社: 文藝春秋 (2003/04)

江戸時代の思想の柱は儒教、朱子学ですから、「習わせたきは四書五経」となるようですが、享和3年(1803)に出た『撫育草』に「あさゆふに 神と仏を 礼拝し つぎにこゝろで 父母を拝めよ」とあるように、神仏儒習合思想です。

教育論を体系化した貝原益軒『和俗童子訓』が刊行されたのは宝永7年(1710)ですから、1705年に歿した萬子媛がこの本を読むことはなかったでしょうが、女性向きの教訓書、中江藤樹『鑑草』が刊行されたのは正保4年(1647)です。

22歳になっている萬子媛が読んだとしても不思議ではありません。胎教、育児に関するものも含まれています。

また、同様の女性向き教訓書、中村愓斎『比売鑑』は寛文元年(1661)の刊行で、寛文2年(1662)に37歳で鍋島直朝と結婚し、寛文4年(1664)に長男を産んだ萬子媛が読むにはよい時期に出ています。

中村愓斎は日本初の絵入り百科事典『訓蒙図彙』を寛文6年(1666)に刊行しています。萬子媛の長男も、寛文7年(1667)に生まれた次男も、この百科事典に親しんだかもしれません。

「『訓蒙図彙』は、子どもに知識を与え、書物に親しませるのに最適の本として、のちに学者たちによって盛んに推奨された」(中江、2003、56頁)とあります。

寛文3年(1663)から5年(1665)年に、山鹿素行は全45巻の『山鹿語類』を刊行。45巻のうち3巻が「父子道」で、父としてのあるべき姿や子育てについて論じているとか。

夫にもこんな本を読ませたかったですね。江戸時代の育児の何て繊細で濃やかなこと。

わたしはいろいろな育児書を読みましたが、どれを読んでも何か決定的なものという感じがせず、揺らぎっぱなしで、かえって不安をそそられたりすることも多くて、江戸時代に書かれたような瑞々しさのある、筋の通ったものを感じさせるような育児書に出合えていたらと思います。

徳川家康が子育てについて危うさを見せた秀忠夫妻のために江戸に赴き、竹千代と国松を育てる上での注意書きを秀忠夫人に送ったことは有名ですが、その抜粋があり、わたしはそれに深く感動しました。

家康は手紙の中で「三郎(信康)が生まれたときは自分も若く、子どもが珍しく、その上虚弱だったから、育ちさえすればよいと思い、気の詰まることはさせず、気儘に育て、成人したから急に色々申し聞かせたが、とかく幼少の頃、礼儀作法を教えていなかったので、親を敬することを知らず、気兼ねもせず、のちには親子の争いのようになって、話しても聞き入れず、かえって親を怨むようになった」(中江、2003、22頁)と自らを反省し、他の子供のときはどうしたかを書いています。

「我が儘にては、終に我が願望の叶ひ候事、決してなき事に候」(中江、2003、24頁)という言葉は家康の手紙の中で読むとき、含蓄のあるものとして響きます。

慈悲ある子に育てよ、と書かれたところもすばらしい。

子を育つるには、忘れても柔弱に馴れまた血気の小勇を好まざるやうにすべし。人の基は慈悲なり。慈悲ある者は、当分悪しき事ありても、必ずなほるものぞ。 (中江、2003、30頁)

父子の中はむつまじくて、かざる事なかれ――と家康はいいます。

何だか、家康が好きになってしまいました。子育てに迷ったとき、父か舅から家康の手紙のような助言があれば、どんなにありがたかったことでしょう。秀忠夫妻は家康の教訓を生かせたのでしょうか。

江戸時代、凄い。トップに家康のような人がいたことの意味をわたしは改めて考えました。

自分の育児が色々と反省させられます。ただ純文学のお陰もあってか、慈悲ある子には育った気がしていますが、親の贔屓目でしょうか。

自分自身が警戒心が強くなりすぎて……物事を見る目が最近……バランスが難しいですね。

家康の手紙にある「慈悲」は神仏儒習合思想の響き合う、玲瓏として曇りなき「慈悲」なのでしょう。

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2015年11月14日 (土)

パリで同時多発テロ

パリ中心部で13日夜(日本時間14日朝)、同時多発テロが起きました。

元産経新聞パリ支局長で現在はジャーナリストとしてパリに在住している山口昌子さんが、「辛坊治郎 ズーム」で現地の状況を詳細に伝えています。その動画がアップされていました。

生々しいリポートですが、現地では今、空爆が原因だから空爆やめろという声よりテロに屈するなという声が高まりそうだという話です。

この問題と無関係ではないのが、移民、難民問題でしょう。パリのイスラム移民自治区をリポートした映像がありました。昨年公開されたものです。

日本の法秩序を守り、日本の伝統文化に理解のある、日本に貢献してくれる外国人を受け入れることでしたら賛成ですが、そうでない場合は遅かれ早かれ問題を抱えることになることは確実です。

日本は外国人を技能実習生制度という形で単純労働者として受け入れてきて、政府は今後、介護、建設といった分野で外国人労働者を増やそうとしています。

国家戦略特区のうち神奈川県と大阪府では、外国人メイドが年内にも解禁されることになりました。今後、特区の範囲は拡大し、いずれ日本全体となるのでしょう。

安い労働力を外国から得ようという政策ですが、長い目で見ると、それが安くつくとはとても思えません。技能実習生が失踪して不法滞在者になり、それが犯罪に結びつくなど、既に問題が発生しているではありませんか。

それでなくとも、日本には深刻な在日問題があります。

また、特区2箇所での外国人メイド解禁からもわかるように、日本では以前はあまり問題とならなかった家事労働の問題があります。

おじいさんは山に柴刈りに(男性は外で仕事)、おばあさんは川へ洗濯に(女性は家で家事、育児、介護)、というかつての日本的情景にこの国のありかたを戻すわけにはいかないのかもしれませんが、一組の夫婦がいれば、男女どちらでもいいから適性のあるほうが一人は家を守る――というありかたが自然に叶っている気がします。

わたしは家にいながら家庭をうまく守れなかった時期がありましたが、それは一つには夫が主婦業を低く見て馬鹿にしきっていたところがあったせいだと思います。

専業主婦の奥さんに感謝し助けていた夫の同僚の家庭は当然ながら家庭円満で、そういう人は仕事面でも充実していたようです。そういう男女がかつての日本には多かったのです。

ですから、そのころ専業主婦は社会的に歓迎されるものでしたが(芸能界を引退して専業主婦になった山口百恵はわたしと同じ世代の人です)、今ではそうではないようです。

経済悪化が原因で、家にいると、専業主婦であろうがニート扱いとなるのかもしれませんが、家を守る人がいなくなって、誰もが外に働きに出るようになったことから仕事の奪い合いが始まり、雇う側が強くなりすぎて選び放題、低賃金で使い捨て可能、となったことが経済悪化の一因となってはいないでしょうか。

しかし、社会の荒れかたや家事労働に外国人までもが必要とされる実態を見れば、家事労働が如何に大事か、かつての日本が如何に優秀な専業主婦に支えられてきたかがわかるではありませんか。家事・育児・介護を担ってきた日本の専業主婦は日本文化の守り手でもありました。

家事労働を外国人に頼るより、自国の男女に頼るよう方向転換してほしいものです。家事労働が嫌いでない男女が安心して家庭でその仕事に専念できるような環境づくりができないものでしょうか。

外国から日本に出稼ぎに来る人々だって、本来はその国で必要とされている――されなければならない――人々のはずです。

ところで、神社仏閣が放火されたり、けがされたりといったことが話題となったことがありましたが、わたしは神社の創建者を小説にしている関係上、特に気になっています。

問題はなくなっているどころではありません。早急に対策が講じられるべきです。以下のまとめサイトへのリンクを張っておきますので、御覧になってみてください。

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2015年11月12日 (木)

歴史短編1のために #21 武家に求められた公家の血。言葉変換サイト。

書き込んだ文章を、御所言葉をはじめ、いろいろな言葉に変換してくれるサイトがあります。

御所言葉を調べていたら、時間が潰れました。

いきなり長編であらしゃいますと、とりとめないものに思われるのやから、短編五つ書くことにしたわけであらしゃいますが、短編には短編の難しさがあるであらしゃいます。

現代小説の短編は一気呵成に書き上げたほうがええ気が致すでおじゃるが、歴史短編となると、史実を盛り込みながらなのやから、そうもいかず、バランスをとるのが難しいであらしゃいますね。

んー、いくら知らない御所言葉といっても、さすがにこのままではまずいような気がします。

元の文章は次のようなものです。

御所言葉を調べていたら、時間が潰れました。

いきなり長編ですと、とりとめないものに思われるので、短編五つ書くことにしたわけですが、短編には短編の難しさがあります。

現代小説の短編は一気呵成に書き上げたほうがいい気がしますが、歴史短編となると、史実を盛り込みながらなので、そうもいかず、バランスをとるのが難しいですね。

これを博多弁に変換してみれば、どの程度の翻訳精度であるかがわかるでしょう。残念ながら変換できる言葉の中に佐賀弁はなく、大分弁は未だに習得できていません。尤も、大分弁にも変換できませんけれど。

いきなり長編ですと、とりとめんものに思われるのか、短編五つ書くことにしたわけですが、短編には短編の難しさがあるたい。

現代小説の短編は一気呵成に書き上げたほうがいい気がするばいが、歴史短編となると、史実ば盛り込みながらして、そうもいかず、バランスばとるのが難しいと。

うーん、微妙に博多弁になっていないというか、日本語になっていないというか、微妙に変な箇所がありますが、Google先生の翻訳機能と比べれば、遜色ない気がします。

御所言葉(を匂わせる程度でいい)を装飾的に、ほんの部分的に使いたいのですが、そのほんの部分を書くのに古典や歴史小説など読み囓って、疲労困憊。何とか自分なりに書き上げ、家族に朗読して聴かせたら、合格しますた(しますた、はネット用語でした)。

郷土史家がその部分をお読みになったら、「?!」かもしれませんが。

今回は念を入れてどちらか一人ではなく、夫と娘どちらにも朗読して聴かせました。聴衆に息子を加えられたら最強ですが、ちょっとしたこと――といえば怒りが増すであろう――で怒らせて、それがし謹慎中であるゆえ……あれ? なぜか下級武士の言葉になったぞのえ(この語尾は御所風?)。どんどん変になっていくとばい、なた?(佐賀弁)

佐賀弁といっても、萬子媛が嫁いで生涯を終えられたのは鹿島という、いわゆる佐賀弁とはまたひと味違う鹿島弁の行き交うところ。

その鹿島生まれである便利さを噛みしめています。少なくとも、庶民の言葉には鹿島弁の知識が使えそうだからです。とはいっても、小説の舞台は江戸初期からようやく中期にかかるくらいですからねえ。

まあそこは小説ということで妥協しましょう。読者が妥協してくれるかどうかは別問題ですが。

萬子媛は京都生まれというだけでなく、おばあさまが内親王(後陽成天皇の第三皇女で、鷹司信尚室)で、そのかたの養女となりました。夫の鷹司信尚は32歳という若さで亡くなっています。鷹司家は五摂家のひとつですね。

幕府は禁中並公家諸法度を発令して、天皇・公家を文化の担い手としての役割に限定し、権勢を削いでいきます。

それで、萬子媛のおばあさま清子内親王の弟に当たる後水尾天皇は物凄い学問をさせられています。

幕府の同じ政策は武家にも及び、文治政治の時代となって、大名の官僚化、武家と公家との交流が活発になります。萬子媛の公家の血は武家に求められていた時代だったのです。

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2015年11月11日 (水)

歴史短編1のために #20 誰が結婚をすすめたか? (追記あり)

今日でようやく30ページ。

下調べしたつもりでも、いざ執筆にかかると、調べることが新たに出て来たり、ストーリーに迷いが生じたりする。この2日ほど逡巡した。

萬子媛に誰が結婚をすすめたか(すすめた人があったという設定で話を進めている)については、記録がないのでフィクションで描くか、触れないでおくかするしかないのだが、田中保善『鹿島市真実の記録』(平成2年)に上手にお書きになっていたので、それを踏襲させていただくことにしていた。

ところがいざ書こうとすると、そこのところがどうしても進まない。そういえば、昨年20枚で挫折したのはこの箇所でだったのだ。

「萬子媛、教えてください。あなたに結婚をすすめたのがどなたなのか」と心の中で天に向かって問いかけつつも、無理にストーリーを進めようと思った。

一端書いたその部分を数行ずつ入れ替えようと思い、コピペしたところ、どういうわけか何度やっても誤操作になってしまう。

そして、そこにペーストされるはずのない名前が何度操作をやり直しても出てくるのだった。入れ替えようとした数行の中にその名が含まれていたとはいえ、なぜ冒頭にその名前がペーストされてしまうのかがわからない。

頭を冷やそうと思い、パソコンをスリープさせて、そのあと数時間パソコンに触れなかった。その間ストーリーを流れに沿うように頭の中でゆっくりと辿ってみた。

すると、間違ってペーストされた名前の人物がすすめることにしてもよいような気がしてきた。パソコンを開き、無理に進行させた部分を削除した。今度は普通に操作できた。

その線で行く場合に必要となってくる情報を集め直し、書いてみると、しっくりいく。すっかり感情移入してしまったほどだ。

まだ30枚、されど30枚。

わたしは萬子媛が教えてくださったのだと思う。だって、神様だもの! まあ単なる誤操作かもしれませんがね。 

誰がすすめたと書いたかですって? 内緒です。この「Notes:初の歴史小説」に入れているノートは、前にそうしたようにそのうち非公開設定にすることをお断りしておきます。

何にせよ、最初の難関だった。先は長い。締まっていこう。

追記:

書き忘れていたが、誤操作が起きる前に空間に金色の光の点が見えました。空間に光が見えることはわたしには珍しいことではないので、そのときは「綺麗」と思っただけで、金色の点と誤操作を結びつけなかったのですが、今になって、誤操作を含めてメッセージだったのかもしれないと思ったりします。

いずれにしても、これが1年前だったら発想の転換はできなかったでしょう。それだけの準備が整っていませんでした。この短編小説にはまだ難関が何箇所も出てくると思うので、完成できるかどうか微妙なところです。

それにしても、空間は高級霊がご利用になるメッセージボードみたいなものだと思うことがあります。読みとれないことのほうが多いのですが。前にも以下の記事で書きました。作品に関係するかもしれないので、非公開にしていましたが、あまり関係することはなさそうなので、しばらくの間公開しておきます。

この記事のリンク先で中にレーリヒ夫人の文章を引用しています。その中に「紫、青、銀色、そして金色の点は、いつもよい使者達であり、あるいは師匠のご放射が近いことを示すものであるとあります。

続きを読む "歴史短編1のために #20 誰が結婚をすすめたか? (追記あり)"

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MRJ(三菱リージョナルジェット)」の初飛行

国産初の小型ジェット旅客機「MRJ(三菱リージョナルジェット)」が初飛行に成功しました。

航空機大国だった日本ですが、敗戦によってGHQに航空機の開発を禁止されました。1952年のサンフランシスコ講和条約に伴い解禁され、7社分担によって民間旅客機「YS11」が開発されました。が、赤字により1973年に生産終了。そして、2008年、三菱重工業がMRJの事業化を正式に決定したのでした。

まとめサイトがありました。

なかなかスタイリッシュな機体です、感動……。

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2015年11月 9日 (月)

オノレ・ド・バルザック『偽りの愛人』(水声社)と最近考えたこと。

娘が過日、バルザックの『偽りの愛人』を購入した。以下はAmazonより。

偽りの愛人 (バルザック愛の葛藤・夢魔小説選集)
オノレ・ド バルザック (著),    私市 保彦 (翻訳),    加藤 尚宏 (翻訳),    澤田 肇 (翻訳),    博多 かおる (翻訳)
出版社: 水声社 (2015/10/30)

商品の説明
内容(「BOOK」データベースより)
表題作を始め、愛と結婚によって狂わされていく女の悲劇を描いた「二重の家庭」「ソーの舞踏会」「捨てられた女」の四篇。

偽りの愛人 (バルザック愛の葛藤・夢魔小説選集)

娘はまだあまり読んでいないし、わたしもパラパラ見せて貰った程度だが、登場人物にいわせた以下の文章などはまさにバルザック節。カトリックの「禁書目録」に入れられていたのも不思議ではない。

同時に人間の男の妻でありイエス=キリストの妻であることなんてできないことだ。それは重婚というものだろう。 (「二重の家庭」Balzac、澤田訳、2015、p.182)

書店員をしているので、当然ながら娘は本の情報をキャッチするのが速い。

わたしが日本の政治に危機感を覚えてその関係の記事をよく書いていたころ、動画など視聴して、出演者が右派か左派かわからないことがよくあったので、娘に訊くと、今思えばかなり正確に分析していた。隠れ左派がかなりいるようだ。

娘は丹念に読むわけではないだろうが、本をどこに出すかで、内容から判断する場合が多く、ざっとでも確認するのだという。普段はむしろ子供っぽく、脳天気っぽく見えるが、ときに蠍座的洞察の鋭さを感じさせられ、ハッとすることがある。ノーブルなものから大衆的なものまで幅広くよさを受容できる精緻な感性を備えている。

わたしがタブッキのよさを全然知らなかったときに、娘は「タブッキが死んでしまった。死んだらもうノーベル文学賞、獲れないよね」としきりに残念がっていた。タブッキが亡くなったのは2012年3月25日のことだった。わたしの記事にタブッキが登場するのは2013年10月からである。

タブッキの『インド夜想曲』はわたしも知っていて、それが映画化され、インドにある神智学協会の建物が出てくるくらいの情報は得ていたが、全く興味が湧かなかった。

それが今では喜びの源泉の一つとなっている。娘に感謝だ。最近では、アンネ・エルボーの絵本を教えてくれた。一緒に百貨店のイタリア展に出かけ、同じときに絵本コーナーにいたのに、娘がしきりにいいといったエルボーには最初わたしは興味が湧かなかった。

すばらしさを知ったのは、娘がエルボーの絵本を買ったあとで、家でそれほどの関心もなく、見ていたときだった。ページをめくるごとによさが心に染み透ってきた。めくり終えたとき、涙が浮かんでいた。

娘は本探しをするとき、真剣さと驚きと疑いの混じった独特の目つきをして、じわ~という感じで見ていく。そして気に入ったときはハッとした顔つきで一端本を閉じ、別の本に当たったりして、戻る。それで間違いない選択だと思ったとき、娘は買う。

娘は編集者志望だったが、落ちて書店の契約社員になった。そうした道を選んだのは本好きのわたしが影響を及ぼしすぎたせいだろうかと秘かに罪悪感に駆られることがあったが、今ではそうは思っていない。娘が選んだ道だった。編集者になっていたら、よい編集をしただろうと思うが、書店員として、よい仕事をしているようだ(ただ契約社員で待遇が悪いため、転職も考えているが、なかなかないようだ)。

結婚に関しても、わたしたちの夫婦仲が影響を及ぼしすぎたせいだろうかと心配だったが、今では娘が自分の判断で結婚しないだけだろうと思うようになった。ずっとしないとは限らない。成人した子供について、気になるある状況を断片的に採り上げ、自分のせいだと思うのは、考えてみれば、失礼な話である。

第一、社会生活のスタイルが変わって、これまでの典型的な幸福像が壊れてしまった。社会全体の状況が国際的にもよくならないと、一見幸せそうに見える像も危ういものに見え、あまり羨ましくない。親として、昔の価値観を押しつけるのにも迷いがあった。

バルザックは多くの作品で、社会が作り上げた価値観に殉じることの危険性を描いている。日本の状況は、戦後の日本社会がつくり上げた価値観を批評できる――評価すべきところは根拠を示して評価し、批判すべきところはその芳しくない将来像を描いて原因を指摘する――優れた知識人をあまり持てないまま、社会基盤に様々な亀裂が生じたことから、なし崩し的に価値観が崩壊していっている感がある。

今後、根本から再構築していかねばならないと思われるが、まだそれは先の話になりそうな気がする。

そういえば、バルザックのよさを娘に教えたのはわたしだったが、バルザックのよさがわかったのは四十代に入ってからではないだろうか。成熟度の高い文学なので、若いときは退屈に感じられることも多いのではないかと思う。

『偽りの愛人』に収録された「ソーの舞踏会」「二重の家庭」「偽りの愛人」「捨てられた女」のうち、「ソーの舞踏会」はちくま文庫版、東京創元社版『バルザック全集〈24巻〉』にも収録されている。

ソーの舞踏会: バルザックコレクション (ちくま文庫) 
オノレ・ド バルザック (著), Honor´e de Balzac (原著), 柏木 隆雄 (翻訳)
出版社: 筑摩書房 (2014/4/9)

バルザック全集〈24巻〉
モデスト・ミニョン ソーの舞踏会 ド・カディニャン公妃の秘密
オノレ・ド・バルザック
寺田透/中村真一郎/朝倉季雄 訳

http://www.tsogen.co.jp/np/isbn/9784488019242

「捨てられた女」は東京創元社版『バルザック全集〈15巻〉』にも収録されている。

バルザック全集〈15巻〉
ベアトリックス 捨てられた女
オノレ・ド・バルザック
市原豊太 訳

http://www.tsogen.co.jp/np/isbn/9784488019150

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胸の圧迫感にニトロペン

20151106b

本の色にまぎれてわかりにくいと思うが、本の中央にニトロペンの殻あり。

ひと月半、ニトロなしで持ったが、昨日、不整脈が何度も起きた。実害(?)はないと思って放置していたら、それで血の巡りが悪くなったのか、まず尿があまり出なくなった。でも、喉は渇くので、飲むと、浮腫が出て、過食も間食もしていないのに体重が増えた。それが昨日の時点。

今日になると、ちゃんと起床したが、頭がフラフラ。すーっと気が遠くなりかけ、また寝てしまった。昨日に引き続き、尿が出にくい。咳はあまり出ていなかったが、胸の圧迫感が出て来たので、ニトロペン舌下。強い圧迫感も胸痛も起きていないので、冠攣縮性狭心症の発作かどうかわからないが、自覚できにくい小さな発作が繰り返し起こることもあると前に先生がおっしゃった。何にしても、ポンプ機能が低下したときのいつもの症状だ。

ニトロ舌下後、ほぼ回復。今のところはまあまあ。

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2015年11月 8日 (日)

Uさん、ホームページへのご招待、ありがとうございます

お言葉に甘えて、ホームページへのきちんとした訪問は、創作が一段落してからにさせていただくということで、こちらにメッセージをアップします。

面白いかたですねえ……といっては失礼かもしれませんが、遊園地にまぎれ込んだような気分になりました。

楽しくて、自分の創作を忘れてしまいそうです。こんな気分はずっと忘れていたような気がします。いや、この気分こそ、今のわたしに必要なものだったような気もしています。Uマジックにかかってしまったのかもね。

MIDI楽曲、まだ全曲は拝聴していませんが、よくできていますね。MIDI作曲、楽しそうで、やってみたくなりました。つい、以下のような初心者向きの記事をいくつかお気に入りに入れてしまい、ハッとなりました。いけない、いけない、今取り組んでいる小説のことを忘れそう。

年齢が近い(?)こともあってか、興味の方向性に似たところがありますね。

大作であることが窺われる論文のほうも、拝読したいです。

緊張しまくっている歴史小説へのご助言もありがとうございます。

それでは、ひとまず、この辺でhappy01

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2015年11月 7日 (土)

Mさん、お誕生日おめでとうございます!

お誕生日、おめでとうございます。

益々若く美しくご活躍くださいますよう、お祈りいたします。

過日はせっかくのお誘いを断ってしまい、申し訳ありません。それで、このメッセージも迷ったのですが、やはり書いてしまいました。

文学観の違いから歩いている道、見えている景色がずいぶん違ってきているような気がしますが、根本では違ってはいないのでしょうね。

文学に関していろいろと教えていただいたご恩は忘れていません。

いつかご恩返しをしたいので、うんと長生きしていただかなくてはなりません。

Mさんの編集で、本を出せる日が来たらなあと夢見ています。

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街宣車がうるさくて、執筆に障ります

今日はへばりつけるだけパソコンにへばりついて、初の歴史小説の草稿を執筆していたのですが、午後から街宣車がうるさくて、気が狂いそうです。

今も聴こえているのですが、ねちっこいエコーのかかった声で、同じようなことを繰り返しがなり立てています。

立派な公害としか思えません。

ようやく21枚です。

会社帰りの娘にメールで買い物のお願いをしておかなくてはなりませんが、頭が沸騰していて献立が浮かんできません。

あああ、2行書く間にしばらく止まったと思ったら、また。

もう少し書いておきたいのですが、繊細な場面はとても無理です。

そういえば、三橋鷹女の俳句にこんなのがありましたっけ。

若葉してうるさいツ玄米パン屋さん

俳句にするくらいだから、よほどうるさかったのでしょうね。句作中だったのかもしれません。

ううう、まだいってる。

こんなときのために、耳栓を買っておこうかしら。イヤホーンで音楽を聴きながらという手もありそうですが、わたしは音楽にも気が散ってだめです。

今日も塩秋刀魚を頼もうかと思ったりしますが、臭いがしつこく残るのがね。執筆に没頭しているときはこれも気に障ったりして……早く書き上げてしまいたいものです。

でも、当分かかりますけれどね、短編一つ仕上げるのに。

まだ、いってる。悪徳税理士がなんとかかんとか……って。もう暮六ツでっせ。よしとくれ。

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2015年11月 5日 (木)

歴史小説にどっぷり。先月アフタヌーンティー・ティールームで「豚肉とエリンギの黒ごまパスタ」。

歴史小説にどっぷり漬かっています。

すると、時間がいつも以上になくなって、ごはん作りがばたばた。

その合間を縫ってのブログのアップ。

昼下がり、いい加減に年表とにらめっこするのに疲れたので(その必要がありました)、気晴らしにバルザックを読んでいたら、創作に取り憑かれた世間知らずの女の末路をバルザックのタッチで描いたら、面白いのではないかしらと思いました。

年取ってきたら、結構自分が材源になる気がします。若い頃もそれなりに体験をもとにしたりはしましたが、人生の総決算らしきものが全然見えてこなかったため、部分的な参考にしかなりませんでした。

でも、最後の最後まで人生というものはわからない、とわたしより年齢が上と思われるかたがブログに書いていらっしゃいました。実はわたしも最近、そう思い始めました。

歴史小説を書いていると、現代小説を書きたくなりますが、児童小説も書きたくなるので、この1編が仕上がったら、次の歴史短編を書く前にどちらかを書くと思います。

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寒くなってきたら、こういうものが恋しくなります。ごはんととっても合います。ボルシチもそろそろ作りたくなってきました。

これは『土井勝 日本のおかず500選』(テレビ朝日、1995)のレシピ「大根と油揚げの炒め煮」を参考にしました。

Amazonには中古しか出ていないみたいなので、材料だけでも書いておきますね。

大根400g、にんじん40g、油揚げ2枚、赤唐辛子1本、サラダ油大さじ3、A{ だし汁1カップ、砂糖・みりん各大さじ1、しょうゆ大さじ2と1/2 }

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これはボリュームのある春雨料理。正直いって、材料をよく覚えていません。料理の記事はすぐに書かなくてはだめですね。

先月はアフタヌーンティー・ティールームに娘と2回行きました。ちょっと用事があったからですが、わたしたちが気にいっているのは駅のアミュプラザのほうです。最初のは確かアップしたので、これは2回目のときのです。

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「豚肉とエリンギの黒ごまパスタ」だったと思います。とても美味しかったので、家庭で作れたらと思いましたが、味付けがわかりません。

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いつもはチャイを頼むのですが、ダージリンを頼んでみました。美味しいですね、やはり。

さあ、今夜は何枚書けるかな? 

ありがたいのはずっと体調のいい日が続いていることです。わたしはベースに頻脈があるので(洞性頻脈、心房細動)、夏のほうがだめなのです。夏はもう壊滅的、といった感じで、どうなるかと思いましたが、こう調子がよいところから考えると、心臓弁膜症は極めてマイルド(軽度)ってことですね、よかった、よかった、ははは……

でも執筆で飛ばしすぎると、心臓がくたびれてポンプ機能が低下し、夏みたいになってはいけないので、ほとほどに熱中しようと思います。

元気だと、病院行くのが完全に嫌になるな。まだ先ですけれど。

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2015年11月 4日 (水)

昨日メールをくださった方へ

お返事をお待ちしていますが、いただけない場合は、そのままということでよろしいでしょうか。

お返事をいただいてから、メールで提案させていただいた新しい記事と追記をアップするつもりです。

他によいお考えがおありでしたら、お聞かせください。

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2015年11月 2日 (月)

歴史短編1のために #19 黄檗宗の禅浄密融、梵唄(ぼんばい)。

初の歴史小説を書くにあたり、まず60~100枚の短編を5編書くことにした。

その1番目の短編を昨年書こうとしたが、準備不足のためか、慣れないジャンルであるためか、20枚で挫折。

そろそろチャレンジしてみようと思い、書き始めてみたら、昨日10枚、今日は時間がとれなかったこともあって3枚書いた。

昨年に比べると、気負いなく書ける気がする。ただ、ストーリーとプロットは出来ていても、盛り込みたい断片がわっと押し寄せてきて、取捨選択が難しい。

書いたものを家族に朗読して聴かせる癖があるので、いつものように朗読してみせたら、珍しいことに夫が昨年書いたものを覚えていた。夫によると、昨年のものも悪くはないそうだが、今回のは歴史小説らしくなっているという。

今年中に1編は仕上げて、郷土史家にお送りできたらいいなと思う。

萬子媛が帰依した黄檗宗は明禅を正確に伝えているといわれる。

木村得玄『黄檗宗の歴史・人物・文化』(春秋社、2005)によると、「中国では禅浄密融の仏教がさかんで、黄檗派の宗風も当然、その影響を受けていた。禅宗といっても、同時に浄土的な要素や密教的な要素が含まれていた」(木村、2005、8頁)という。

萬子媛の生き方の中で、それで納得できる部分があった。

木魚を初めとする様々な楽器を使用した黄檗梵唄が有名だそうだ。

歌のような梵唄の動画が公開されていたので、貼っておこう。同じ場所で撮影したと思われる別の動画に「黄檗山万福寺」とあったので、黄檗山万福寺だろう。

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