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2015年10月17日 (土)

児童文学界の黒(赤?)歴史と那須田稔の業績

前掲の記事で、わたしは次のように書いた。

わたしは過去記事で、感動した那須田稔氏の本のことを書いています。
この方が児童文学界のトップにずっといらっしゃたとしたら(どうしてそうではないのか、事情は知りませんが)……わたしは文学界を糾弾するような、こんな記事を書いていたでしょうか。

それは、山中恒のオンライン論文「課題図書の存立構造(完全再録)」を閲覧していたからであった。

それによると、那須田稔は昭和47年(1972年)当時、日本児童文学者協会の理事、著作権問題委員長、機関誌『日本児童文学』の編集長を務めていた。

また、「過去三回、全国学校図書館協議会(略称SLA)主催の青少年読書感想文コンクールの『課題図書』の選定を受けた、いわば当代一の売れっ子作家」であったという。

ところが、その那須田稔が盗作事件を起こした。8月10朝日新聞(朝・夕刊)、11日読売新聞(朝刊)で報じられたと論文にはある。

この事件は、「那須田の日本文学者協会退会を報じた読売の記事だけで、それに関する児童文学者の公的な論評もないままに終止符を打ってしまった感がある」そうだ。

昭和47年というと、わたしは14歳である。幸運にも、那須田稔の全盛期に小学校から中学校にかけて過ごしたことになる。

山中恒の論文では課題図書批判がなされていたが、「課題図書」は少なくとも読書嫌いの皮肉っぽい1人の子供を本好きにした。

わたしは初めは無理に本を読まされることが嫌で、「あとがき」を読んで選者の大人心をくすぐる感想文を器用に書いた。

それで読書感想文コンクールでよいところまで行って全校生の前で褒められたため、すっかり大人を見下すところまで行った。それからは、世の中が本当につまらないところになった。

それでも課題図書や児童文学全集を買って貰ったりして仕方なく読んでいるうちに、次第に文学のすばらしさがわかるようになり、中学1年生では立派な文学少女になって自分でも書くようになっていた。

読書感想文コンクールと文学賞は似ている。文学のよさが真にわかったわたしにはもう、文学賞の選者心をくすぐる作品は書けなくなってしまった。

わたしは課題図書だった『チョウのいる丘』を覚えている。

悲しいお話だったにも拘わらず、読後に何か大きな、温かいものに包まれる快さを味わった。表面上はよい子を装いながら、どこかしらひねくれていたわたしは、『チョウのいる丘』を読んで「更正」したように思う。人間の世界を信じるようになったのであった。

那須田稔の盗用は信じられなかったが、どのような盗用であったのかが知りたいと思い、図書館から、中学校の国語の教材に採用された『少年』が掲載されている晶文社発行『長谷川四郎作品集』第4巻「子供たち」(晶文社、昭和44年1月30日)と那須田稔『文彦のふしぎな旅 <すばらしい少年時代・第一部> (ポプラ社の創作文学 1)』(ポプラ社、昭和45年2月25日)を借りてきた。

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物語に合った鈴木義春の絵が素敵だ。

『文彦のふしぎな旅』には昭和47年(1972年)8月11日金曜日付朝日新聞が挟まっており、新聞では「子ども文学にも盗作」のタイトルで盗作事件を報じていた。

朝日新聞には「一方、那須田さんの『文彦のふしぎな旅』はこの6月30日(昭和47年)に出版されたとあるが、わたしが借りたのは昭和45年出版の初版だから、新聞記事にある『文彦のふしぎな旅』は版が違うのだろう。

長谷川四郎のコントからの盗用で、前掲の朝日新聞記事に「長谷川さんの原文は、約15年前、小さな雑誌に発表されたもので、その後、晶文社刊行の作品集に収録された」とある。

確かに『文彦の不思議な旅』64頁から65頁までが、長谷川四郎のコントにそっくりである。

少年がジュウシマツを飼う。父親は小鳥をカゴに入れて飼うのは性に合わないという。母親がとりなす。翌朝、少年は父親に「おとうさんはなにも知らないんだな、ジュウシマツは箱の外には住めないんだよ」(長谷川、昭和44、p.136)という。

1羽のジュウシマツが少年が水をとり替えていたときに、箱から飛び出してしまう。少年は追いかけたが、上空からモズがさっと降りてきて、ジュウシマツをさらっていった。

コントでは次のように締めくくられている。

 父親が言った。
 ――箱の中にしか住めない鳥なんて、もう飼うのはよしたほうがいいな。
 少年は黙っていた。父親というものは、なんて心配症なものだろう、と思って。(長谷川、昭和44、p.136)

那須田稔の作品の舞台は1945年夏の満州なのだが、コントの少年は文彦とニーナ(革命後に祖国を追われた人々の子孫である白系ロシア人)に、母親は澄子先生(ニーナを託されている)に、父親がおじさん(澄子先生の夫)に替えられ、次のように締めくくられている。

 おじさんがいった。
「箱の中にしか住めない鳥なんて、もう飼うのはよしたほうがいいな。」
 ニーナはだまっていた。
 文彦は、おじさんってあんがい心配症なんだなと思った。(那須田、昭和45、p.62)

コントはジュウシマツのか弱く、はかない一生を捉えて一筆書きのように描かれ、秀逸である。そして、コントはそれだけのものとして完結している。

那須田稔はコントから霊感を得て、作品を描いたのだろうか。それとも、温まっていた構想をコントが象徴しているように感じたのだろうか。

いずれにしても、最後まで読めば、ジュウシマツがニーナの可憐ではかない一生をシンボライズするものとして、不吉な前奏曲となっていることがわかる。

戦争がもたらす複雑なお国事情に翻弄される少年少女の話はこの作品以外にもあり、構想としてはそれらは似ているが、それは那須田稔がこれら少年少女に戦争によって損なわれた、かけがえのない何かを象徴させたかったからではないだろうか。

だから少年少女はこの世のものであって、この世のものではないものの化身のようで、はっとするような美しさ、透明感を漂わせている。

那須田稔がコントから盗用してしまったのは、魔が差したのだと想像するしかない。

那須田稔ほどの力量があれば、ここに長谷川四郎のコントとは別のオリジナルな、ニーナの人生をシンボライズする断片を挿入するくらいのことはできたはずだ。

当時の那須田稔が執筆に追われていたとの情報が山中恒の論文にあることから考えると、魔が差して、その労を惜しんでしまったのだろうか。

朝日新聞の那須田稔の釈明に「私は長谷川さんの古くからのファンで、好きな文章をよく書き写した経験がある」とある。

プロではないわたしでも同じ経験があり、文豪の作品を読んで参考にしたり、ヒントを得たりすることはあるので、よくわかる。だからといって、勿論このような盗用は許されるものではない。

ただ、それまでの那須田稔の業績が葬り去られてしまう事態になったことに同情のかけらもなく、この一件を権力闘争に利用でもするかのような雰囲気が山中恒の論文から感じられることに、むしろわたしはゾッとさせられた。

当時、課題図書を推進した勢力とそうでない勢力があったようである。

わたしにはどちらも赤い人々に見えるのだが(詳しいことは知らないので、誤解かもしれないが)、同じ赤でも一方は芸術性とヒューマニズムに特色があり、他方はイデオロギー色の強い、子供の自由を謳うようでありながら抑圧的な印象である。

那須田稔の盗用の罪は、芥川龍之介に比べると、こういっては何だが、ささやかといってよいくらいに軽い。わたしはあくまで芥川に比べると、といっている。重大な不祥事に比べると、如何にも軽い不祥事でありながら、失脚させられる政治家が珍しくないように。

那須田稔は主題を空高く羽ばたかせるために盗用したが、芥川龍之介は羽ばたいていたものを捕まえるために盗用した。

例えば、『蜘蛛の糸』はドストエフスキーの長編小説『カラマーゾフの兄弟』第七篇第三「一本の葱」を盗用したものだ。

小話の背後にあるドストエフスキーの思想に対する配慮もないままに無造作に盗られているため、一幅の絵となる短編となってはいても、それはあくまで装飾的な、深い内容を伴わない張りぼて作品でしかない。

那須田稔は盗用したコントをパン種に加えて、単行本1巻の分量の児童文学小説へと香ばしく膨らませた。

芥川龍之介の盗用癖はこれに留まらないというのに、芥川の作品はあちこちの出版社から出ているばかりか、日本の文豪の一人ですらあり、純文学の登竜門とされる芥川賞には彼の名が冠されている。

芥川の盗用――材源と書かれている――については、『芥川龍之介全集別巻』(吉田精一編、筑摩書房、昭和52年)の中の「芥川龍之介の生涯と芸術」(吉田)に詳しい。そこには、62もの「ほぼ確実と思われる出典」がリストアップされている。

那須田稔はこのような事件さえ起こさなければ、日本を代表する児童文学作家として世界に羽ばたいていたのではないだろうか(それに続く作家も多く出ただろう)。

いや、今からでも遅くはない。そのために中止となった那須田稔選集が上梓されればいいのにと思う。

わたしは前述の『チョウのいる丘』が忘れられない。中古で購入した人々の心打たれるレビューがAmazonで閲覧できる。

傍観者の一見方にすぎないのかもしれないが、那須田稔の失脚で、日本の児童文学の質が大きく変化したことは間違いないように思われる。

純文学的色調が主流だったのが、ほぼエンター系一色となってしまったのだ(翻訳物を除いて)。恐ろしい話である。

このままでいいはずがない。

ひくまの出版から出ていたアンネ・エルボーの絵本も2冊、図書館から借りた。

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