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2015年10月の29件の記事

2015年10月31日 (土)

歴史短編1のために #18 江戸時代のおしゃれを作り上げたもの

今朝ようやく10行書けたと思ったが、考えてみると、昨年中に20枚くらいは書き、準備不足を感じて中断したことを思い出した。

そのときの20枚を読んでみると、これも悪くないと思えた。出だしにどちらを使うかだが、前に書いた20枚はそのままの形では使えないにせよ(何もかも盛り込みたいという思いからか、あらすじみたいな20枚となっている)、資料として使える。

過去記事で江戸時代の識字率の高さについて書いたが、図書館から借りた以下の本を読みかけたところ。江戸時代の込み入った、高度なおしゃれ――すなわち美意識とそれを表現する技術・材料の流通――には識字率の高さや庶民の生活の安定が大いに関係していると思われる。

江戸時代の流行と美意識 装いの文化史
谷田有史 (著),  村田孝子 (著),  谷田 有史 (監修),  村田 孝子 (監修) 
出版社: 三樹書房 (2015/6/18)

本の監修者である谷田氏はたばこと塩の博物館学芸員、村田氏はポーラ文化研究所シニア研究員。

母のお友達がポーラのセールスをしていたので、母はずっとポーラばかり使っていた。今思えば、母はポーラの高級化粧品を贅沢に使っていたと思う。本を読んで、さすがはポーラ、時代を遡ってよく研究がなされていると感心した。

過去記事で江戸時代には多くの育児書が書かれていたと書いたが、美容読本なども書かれ、読まれていた。

房州砂に竜脳や丁子、白檀などの香料で香りづけした歯磨き粉、石鹸の代わりの糠や粗い粉。糠を銭湯で売っている様子が浮世絵に描かれているらしい。糠はタンパク質や脂肪を含んでいて、天然のクリームとなった。糠袋は母が時々使っていたが、江戸時代からあったのか……。

萬子媛は江戸時代初期から中期にかかるくらいの人なので(1625年 - 1705年)、初期に注目して本から拾えば、洗顔のあとには化粧水。花露屋から発売されていた「花の露」が有名だった。これは天和2年(1682)に書かれた井原西鶴『好色一代男』(巻二)に出てくるらしい。

この花露屋は寛永の末に江戸の医師がつくった、江戸初期から明治時代まで続いた化粧品店だったという。萬子媛が二十歳のころには創業していたというわけか。おしゃれなネーミングだなあ。萬子媛も使ったのかしら、花の露。

お歯黒は『源氏物語』『堤中納言物語』にも書かれた日本で一番古い化粧とされているという。お歯黒は歯槽膿漏、虫歯予防に役立っていたそうだ。

本は身だしなみから、いよいよ「装い」へ入るところ。

そういえば、Eテレ『先人たちの底力 知恵泉(ちえいず)』で、江戸時代、呉服店「越後屋」を開業し、三井財閥の基礎を築いた三井高利を採り上げていた。

呉服店は庶民にも開かれたものとなった。富裕層への訪問販売が行われていたが、越後屋では客に店に来て貰い、「未知の体験」をさせた。定価制、ディスプレイ、バーゲンセール、ビラによる宣伝を行い、客には店員がつく。販売方法、戦略が今の百貨店とほとんど変わらない。

三井高利は1622年 - 1694年の人で、萬子媛の生涯とほぼ重なる。

わたしは#7で、江戸幕府にはマリー・アントワネットみたいな側面があったことを書いた。幕府は生糸がほしかったが、日本が輸出できるものは金銀銅と樟脳しかなかった。

その結果、特に銅を限界まで流出させてしまうことになり、オランダは東インド会社を通じてぼろ儲けしたのだった。

これに危機感を覚えたのが新井白石で、正徳5年(1715)、国際貿易額を制限する法令「海舶互市新例」を制定した。

越後屋のアイディアに満ちた革新的な販売方法は、江戸時代のおしゃれや日本の貿易に大きく関係している。

郷土史家からいただいたコピーの中に、普明寺蔵の元禄11年(1698)に掛け軸に描かれた祐徳院像の写真のコピーがあった。萬子媛、否祐徳院はこのとき73歳。

それを見て、わたしは何だかおしゃれに感じた。黄檗宗の僧侶としての正装だろうけれど、白の半襟を見せて柑子色の着物に橙色の袈裟。左手に数珠。

足置きに置かれた、爪先の反り上がった柑子色の靴がしゃれている。着物に覆われていてよくはわからないが、椅子の上で結跏趺坐が組まれているようである。

祐徳院の頭髪は灰色のショートカット。眉はうっすらと見えるような見えないような。卵形の整った顔立ち。謹厳な表情。足置きも、背もたれが波形をした椅子も、なかなかにしゃれている。

花山院家から嫁いだ萬子媛は公家風、京風の文化を鍋島藩にもたらしたに違いない。

隠元が伝えた黄檗禅は、当時の日本にとって先端的な宗教だった。

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「あの子」と呼んでいた母親似の華奢な鳩、再び

過去記事で、以下のように書きました。

お隣の物置に留まっている鳩2羽は、お隣のベランダで生まれた3羽のうちの2羽です。最初に1羽現れたので見ていたら、すぐにもう1羽やって来ました。

さらにもう1羽、「あの子」と呼んでいた母親似の華奢な鳩が来ることが多いのですが、来ないこともあり、今日はまだ見ていません。

以下の写真はその過去記事に載せた鳩のきょうだいのうちの2羽ですが、今朝も全く同じ光景が見られました。

20151026083058a_2

そして、午後3時過ぎになってもう1羽の「あの子」と呼んでいた母親似の華奢な鳩が1羽だけでやって来ました。

わたしは母親のほうを「あの子」と呼んでいたのですが、今後はその子のことを「あの子の子」と呼ぶことにします(?)。

「あの子の子」は用心深く、賢くて、なかなか撮らせてくれません。携帯で撮るので、拡大設定で撮りたかったのですが、明るい光の下では確認画面が真っ黒に見え、シャッターチャンスが掴めず、豆粒みたいにしか撮れませんでした。

20151031153500a

鳩って、首を縮めて丸まったり、首を伸ばしたりするので、見分けがつきにくく、朝来る2羽のうちの1羽を「あの子の子」かなと思ったりもするのですが、本物の「あの子の子」が来ると、この鳩こそまさに「あの子の子」だわと思います。

朝来る2羽は写真ではわかりませんが、首のところが毛羽立っています。そして、写真ではその2羽は首をいくらか縮めていますが(といっても、奥の1羽は少ししか映っていませんが)、首を縮めていないときに見ても、「あの子の子」ほどすんなりとはしていません。

「あの子の子」は朝来る2羽よりとは何より、わたしには雰囲気が違って感じられると申しましょうか。

何にしても、朝来る2羽よりやや小さく、華奢に見えます。

うちにもお隣にも居着かれては困るので、早く追い立てなければと思いつつ、「あの子の子」が来ると、つい胸をときめかせながら見てしまい、そのあとでハッとして追い払います。

3羽の鳩には、わたしの行動傾向はすっかり呑み込めているようですけれどね。

この3羽とは別の鳩ではないかと思うのですが(はっきりしません)、鳩防止のテグスを張っているにも拘わらず、うちのベランダに侵入する鳩がいます。あの3羽より大きく見えたつがいを目撃したことがあります。

わたしがいる日はいいのですが、家族とどこかへ出かけたりしたようなときにベランダが狙われます。巣を作られないよう、阻止しなくてはなりません。

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現代小説から歴史小説へ。ベラ・チャスラフスカのドキュメンタリー。

120枚の現代小説をダイエットさせた。そして、断片ばかりが増え、一向にまとまらなかった歴史小説をなんとか書き初め、10行書いた。歴史小説と気負わずに、とりあえずは書いてみようと考えている。

録画していたベラ・チャスラフスカのドキュメンタリーを視聴した。

彼女は東京オリンピックの女子体操で3つの金メダルを獲得し、「五輪の名花」といわれた。

あの完璧な体操演技の裏にはプラハの春からソ連軍侵攻という激動の歴史があったことを知った。

民主的で自由な政治思想に共鳴するチャスラフスカは不屈の人生を歩むが、その生き方は彼女の体操のように強く、しなやかだ。

昔の体操選手は女性的な肉付きを失っていず、自然で綺麗。あれが本当の意味でのスタイルのよさではないだろうか。

現在チャスラフスカは73歳で、体のあちこちに癌があり、2週間に1度、抗癌剤の治療を受けている。そんな病人には見えない。時間さえあれば、自伝を執筆しているようだ。

前にも自伝を出しているが、ソ連当局の検閲を受けて3分の1に削られてしまったのだそうだ。政変に関する部分は全部削除されたとか。彼女が書きたかったのは、その部分だったそうだが……。

バルコニーから、広場を埋め尽くす人々に力強いメッセージを送るチャスラフスカの昔の映像。

チャスラフスカの愛国心が美しいものに思えた。

番組の終わりの部分で、チャスラフスカは道路で遊んでいた子供に体操を手ほどきした。そして手本を示したが、両脚を広げて体を曲げると、胸が道路につき、彼女はそのままの姿勢で肘をついてみせた! 

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2015年10月29日 (木)

痩せたり太ったりで、大変

痩せたり太ったりしているのは、小説なんです。

どの場面でどの程度の描写をし、説明をどの程度加えるかで迷いがあり、文章を増やしたり削ったりで、小説が痩せたり太ったりしているというわけなんです……的確な描写って、難しいですね。

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2015年10月28日 (水)

新訳『北風のうしろの国』、ジョージ・マクドナルドとC・S・ルイス

 ※新ブログ「マダムNの神秘主義的エッセー」にも収録しました。漱石にかんするエッセーは①のみの収録にとどまっています。なかなか時間がとれないため、続きの収録には時間がかかりそうです。

33 新訳『北風のうしろの国』、ジョージ・マクドナルドとC・S・ルイス

○o。+..:*○o。+..:*○o。+..:*

ジョージ・マクドナルドの“At the Back of the North Wind ”(1871)を初めて読んだのは、子供のころに買って貰った児童文学全集の次の本でだった。

世界の名作図書館〈9〉北風のうしろの国へ・まほうのベット
マクドナルド (著), ノートン (著),  山室 静 (翻訳), 田谷 多枝子 (翻訳), 白木 茂 (翻訳)
出版社: 講談社 (1968/1/1)

好きな児童文学作品は数多くあるけれど、一番好きな作品を選ぶとしたら、ジョージ・マクドナルドのこの作品になる。

作品全体から薫る神秘性、内面描写の繊細さ、著者の偉大さを感じさせる「北風」の謎めいた、深みのある魅力に惹きつけられた。

子供のころ姉妹共に馴染んだ本を結婚するときに持って出るのは妹に悪い気がしたので置いて出て、今は結婚して孫もある妹が所有している。

妹の孫――わたしからすれば姪孫――がもう少し大きくなったら読むだろうか?

妹の子供2人――わたしの甥と姪――には児童文学全集を好んだような形跡がない。それなら、わたしが貰えばよかったと思い、「魔法つかいのリーキーさん」が収録された4巻を送って貰ったのだった。

泣くと眉が赤くなる、赤ちゃんなのに落ち着いた風なところのある姪孫が本好きになったら、リーキーさんを貸してやろう。「北風のうしろの国へ」を読んでどう思ったか、訊こう。

好きな児童文学の話ができる小さな友達がいれば、楽しいに違いない。でも、あの子も児童文学とはあまり縁のない子になるのかもしれない。

1981年、ハヤカワ文庫で出ているのを知り、購入した。ハヤカワ名作セレクションとして2005年に再び出たようで、これは今も購入できるようなので、表紙画像からAmazonに行けるようにリンクしておく。

北風のうしろの国 (ハヤカワ文庫 FT ハヤカワ名作セレクション)
ジョージ・マクドナルド (著), アーサー・ヒューズ (イラスト), 中村 妙子 (翻訳)
出版社: 早川書房 (2005/9/22)

以下はAmazonからの引用。

商品の説明
内容(「BOOK」データベースより)

「北風と一緒なら誰だって寒くなんかないのよ」―美しい女の姿をした北風の精は、ダイアモンド少年を幻想的な世界へと誘った。夜のロンドンの空へ、嵐の海上へ、そして北風のうしろの国へ…。その不思議な国から戻った少年は、想像力の翼を広げ、産業革命期の生活に疲れた人々に、優しさを取り戻させてゆく。C.S.ルイスやJ.R.R.トールキンらによって開花した英国ファンタジイの、偉大なる先駆者による古典的名作。

その後、太平出版社から「マクドナルド童話全集 全12巻」が出た。図書館から借りて読んだ。

以下に全巻のタイトル、訳者などを紹介しておく(1978~1979年版を参照)。

  1. 王女とゴブリン(村上光彦訳、淵上昭広絵、1978)
  2. 王女とカーディー少年(白柳美彦訳、竹川功三郎絵、1978)
  3. きえてしまった王女(田谷多枝子訳、岩淵慶造絵、1978) 
  4. ふんわり王女(萩美枝訳、ラスロップ,D.P.・本庄久子絵、1978) 
  5. 巨人の心臓(田谷多枝子訳、竹川功三郎絵、1978)
  6. 妖精のすきなお酒(田谷多枝子訳、真島節子絵、1978)  
  7. ふしぎふしぎ妖精の国(田谷多枝子訳、本庄久子絵、1978)
  8. 昼の少年と夜の少女(田谷多枝子訳 岩淵慶造絵、1978) 
  9. 金の鍵(田谷多枝子訳、岩淵慶造絵、1978)         
  10. 北風のうしろの国(田谷多枝子訳、真島節子絵、1978)   
  11. かげの国(田谷多枝子訳、竹川功三郎絵、1978)       
  12. おとぎの国へ(村上光彦訳、岩淵慶造絵、1979)

「北風のうしろの国」は田谷多枝子訳で第10巻に収録されている。

そして、新訳で出た北風である。

これまでに出た「北風」の訳でどの翻訳家のものがベストかはわたしにはわからないが、新訳版ではアーサー・ヒューズの挿絵を存分に楽しむことができる。「訳者あとがき」で紹介されていたマクドナルドに関するエピソードや「北風」の創作秘話なども新鮮だった。

北風のうしろの国(上) (岩波少年文庫 227)
ジョージ・マクドナルド (著), 脇 明子 (翻訳)
出版社: 岩波書店 (2015/10/17)

以下はAmazonからの引用。

商品の説明
内容紹介

御者の息子ダイヤモンドは、美しい女性の姿をした北風に抱かれ、夜のロンドンの空や、嵐の海をかけめぐる。そして北風のうしろにある不思議な世界へ。もどってきた幼い少年は、そこで聞いた楽しい川の歌を口ずさみながら、貧しい暮らしにあえぐ家族や友人を助け励まし続けるのだった。イギリスファンタジーの名作を新訳で。

北風のうしろの国(下) (岩波少年文庫 228)
ジョージ・マクドナルド (著), 脇 明子 (翻訳)
出版社: 岩波書店 (2015/10/17)

「北風のうしろの国」の著者ジョージ・マクドナルドについて、ウィキペディアより引用する。

ジョージ・マクドナルド: ウィキペディア

ジョージ・マクドナルド(George MacDonald, 1824年12月10日 - 1905年9月18日)は、スコットランドの小説家、詩人、聖職者。
日本では、『リリス』などの幻想文学や、『お姫さまとゴブリンの物語』などの児童向けファンタジーの作者として知られる。
今日ではさほどの知名度は無いが、彼の作品(特に童話とファンタジー小説)はW・H・オーデン、J・R・R・トールキン、C・S・ルイス、マデレイン・レングルらといった作家たちに賞賛されている。例えば、C・S・ルイスはマクドナルドを自分の「師匠」と呼び、その作品を読んだ経験を次のように語っている。「ある日、駅の売店で『ファンタステス』を手に取り、読み始めた。二三時間後、私は自分が大いなるフロンティアを横断し終わったことに気付いた」。G・K・チェスタートンは『お姫さまとゴブリンの物語』を「私という存在を変えた」本だと述べている。マーク・トウェインも、当初こそマクドナルドを嫌っていたものの、彼と友誼を結んだ。

「今日ではさほどの知名度は無い」とあるが、本当だろうか? ファンタジーの父といわれているマクドナルドであるが?

C・S・ルイスがマクドナルドを「師匠」と呼び、“Phantastes: A Fairie Romance for Men and Women” 1858(蜂谷昭雄訳『ファンタスティス(ちくま文庫)』筑摩書房、1999年を参照)で序文を書いているが、この序文は問題だと思う。

C・S・ルイスについて分析してみたいと思いながら中断した過去があった。

前掲の過去記事で次のように書いている。

当世風何でもありのファンタジーはルイスが元祖ではないだろうか。ルイスの功罪をざっとながらでもまとめておきたい気がする。

 『ナルニア国ものがたり』を読むと、イデオロギー的構成に驚かされると共に、ギリシア神話、創世記、神秘主義などから借りてきたキャラクターや概念などの甚だしい乱用が目にあまる。それらを借りてきたことが問題なのではなく、意味の書き換えを行い、イデオロギーに利用したことが問題なのだ。

ジャンルは違うが、権威あるいろいろな書物から言葉や文章を借りてきてアクセサリー的に私用する村上春樹の作品に似たところがある(元の意味合いが完全に失われるだけでは済まない。別の意味づけがなされてしまう)。

ルイスはジョージ・マクドナルドの影響を受けたそうだが、とてもそうは思えない。アリストテレスがプラトンの哲学を無意味なものにしてしまったのと同じようなことが、ルイスとマクドナルドにもいえ、ルイスはマクドナルドのファンタジー――その敬虔な神秘性――をすっかり無意味なものにしてしまったとわたしには思える。

C・S・ルイスについては改めて批評を書きたいが、今は検証している時間がない。ただルイスがマクドナルドを天才と持ち上げる一方ではどんなことを書いたかを示すための引用をしておきたい。

 もし文学を言葉をば媒体とする芸術と定義するならば、確かにマクドナルドは一流には――多分二流にすら――位[くらい]しない。 (略) 総じて彼の書きものの木目[きめ]は平凡で、時には不器用である。悪しき説教壇的伝統がそこにはまつわりついている。時には非国教主義的冗漫さがあり、時には華麗な装飾に対する古きスコットランド的偏愛がある。 (略) 時にはノヴァーリスからつまんできた過度の甘さがある。 (略) マグドナルドが最も得意とするのは幻想〔ファンタジー〕――寓意的と神話創成的との中間に漂う幻想――である。 (略) われわれに立ちはだかる問題は、この芸術――神話創成の芸術――が文芸の一種か否かということである。 (MacDonald、蜂谷訳、1999、序pp.13-14)

このような序文は「序文」に「位しない」とわたしは思う。読者に、マクドナルドは序文の執筆者――つまりC・S・ルイス――より下位の作家という先入観をもたらすからである。

このルイスの偏向した、偉そうなマクドナルド観に影響されている日本人は多いのではないかと思われる。なぜなら、マクドナルドに関してルイスに似たようなことを書いている記事をインターネット検索で多く閲覧したからである。

マクドナルドを「師匠」といいながら、児童文学作家としてマクドナルドを自分より下に位置づけようとした嫌らしさを感じる。持ち上げ方、貶し方が尋常ではない。

「師匠」の作品に影響されたわりにはルイスの作品には技巧的な工夫に長けたところはあっても、「師匠」の作品を奥深く、輝かしいものにしている神秘性や高潔な人間性とは無縁の二流品にすぎない。

ルイスは、自分のほうが文学的にマクドナルドより優れているといいたいようだが、彼は自分とは異なるタイプの文体、技法を容認できなかったというだけの話であると思えるし(ルイスは一体何様なのだろう?)、また前掲の拙記事「C.S.ルイスの功罪を問うてみたい気がしている」に書いたような理由で、文学的でないのはルイスのほうこそ、そうである可能性が高いとわたしは考えている(ルイスの言葉を借りていえば、ルイスの作品はまあ「文芸の一種」ではあるのだろうが)。

そして、イデオロギー色の濃いC・S・ルイスには、マクドナルドという人間に備わり、作品にも宿った神秘性に惹かれながらも、その本質が理解できなかったのではないかと思われる。

このC・S・ルイスは、神秘主義をまともに批評できずに誹謗中傷するに終わった――わりには馬鹿に知名度の高い――プラグマティズムのウィリアム・ジェームズやゲノンを連想させる。共通点がある。以下に関連記事を挙げておく。

神秘主義者の仕事には、それを叩く人間がどこからか必ず配置されることになっているのかと想像したくなってくる。

マクドナルドを讃えながら、一方ではどこかしら特権的な口吻でマクドナルドの「非国教主義的冗漫さ」を批判するルイスであるが、ルイスがそのように書くとき、彼が「国教主義的簡潔さ」を上位に置き、そこから大上段に構えて発言していることがわかる。

このような態度が文学的といえるだろうか。

C・S・ルイスの思想について、ウィキペディアから引用してみよう。

C・S・ルイス: ウイキペディア

信仰と著作

幼少の頃はアイルランド国教会に基づくキリスト教を信仰していた。14歳の時に無神論に転じ、神話やオカルトに興味を持ち始める。その後様々な書物や大学時代の友人の影響を受け、31歳で同じ聖公会系のイングランド国教会の下で再びキリスト教信仰を始めた。『奇跡』(Miracles, 1947)『悪魔の手紙』『キリスト教の精髄』『喜びのおとずれ』などの神学書や自叙伝、ラジオ講演などを通じて、信徒伝道者としてキリスト教信仰を伝えている。
著作には詩集、神学論文集などがあるが、特に有名なものは『ナルニア国ものがたり』全7巻である。神学者としても著名で、『ナルニア国ものがたり』にもその片鱗が現れているような新プラトン主義的な見解をラジオの連続講義でも披露。スイスの弁証法神学者カール・バルトから、激しい反撥を受けた。1957年には『さいごの戦い』でカーネギー賞を受賞している。
米国聖公会では聖人に叙せられており、命日である11月22日が祝聖日とされている。

イングランド国教会についても、ウイキペディアで確認しておこう。

イングランド国教会: ウィキペディア

イングランド国教会(イングランドこっきょうかい、英: Church of England)は、16世紀のイングランド王国で成立したキリスト教会の名称、かつ世界に広がる聖公会(アングリカン・コミュニオン)のうち最初に成立し、その母体となった教会。 (略)
もともとはカトリック教会の一部であったが、16世紀のイングランド王ヘンリー8世からエリザベス1世の時代にかけてローマ教皇庁から離れ、独立した教会となった。プロテスタントに分類されることもあるが、他プロテスタント諸派とは異なり、教義上の問題でなく、政治的問題(ヘンリー8世の離婚問題)が原因となってローマ・カトリックから分裂したため、典礼的にはカトリックとの共通点が多い。イングランド(イギリス)の統治者が教会の首長(Defender of the Faith、直訳は『信仰の擁護者』)であるということが最大の特徴である。

ルイスは「神学者としても著名で、『ナルニア国ものがたり』にもその片鱗が現れているような新プラトン主義的な見解をラジオの連続講義でも披露」とあるが、確かにルイスは「ナルニア国ものがたり」第7巻、瀬田貞二訳『さいごのたたかい(岩波少年文庫 040)』(岩波書店、1986年初版、2008年新版)で、「かかわりのあるよいナルニアのいっさい、親しい生きもののすべては、あの戸をふみこえて、まことのナルニアにひっこしてきたんだ」(Lewis、瀬戸訳、2008、pp.283-284)、「これはすべて、プラトンのいうところだ。あのギリシアのすぐれた哲学者プラトンの本に、すっかり出ているよ。やれやれ、いまの学校では、いったい何を教えているのかな?」(Lewis、瀬戸訳、2008、p.284)と書いて、まことのナルニアがプラトンのいうイデア界であることを示唆している。

だが、ルイスのイデア界はあくまでキリスト教に取り込まれ、即物的な劣化を起こした、およそプラトンのイデア界とは異なる幼稚な唯物論的世界観にすぎない。

だからルイスが如何に言葉を尽くして「まことのナルニア」が「はるかにいみの深いおもむきがありました」(Lewis、瀬戸訳、2008、p.285)と説明しようが、両者の違いを読者に伝えることはできなかった。C・S・ルイスの児童文学作品はアトラクション的なのである。

ここにマクドナルドとの本質的な違いがある。

マクドナルドは『北風のうしろの国』の主人公であるダイヤモンド少年に、別の世界の空気を伝えさせることに成功している。ルイスの指摘する「冗漫さ」はわたしには別の世界の空気を伝えるための技法と思われる。

というのも、“The Light Princess”1867(『軽いお姫さま(妖精文庫)』富山太佳夫・富山芳子編、1999年を参照)などには、「北風のうしろの国」にあるような冗漫さがないからである。

しかし、「北風のうしろの国」では、「軽いお姫さま」を連想させる「ヒノヒカリ姫」*という小話が挿入され、子どもっぽい長い歌詞が挿入されていたり、まだ翼のつぼみでしかない飛ぶのには使えない小さな翼を肩のあたりではばたかせている天使たちが星をほる話が出てきたりする。

*ジョージ・マクドナルド、脇明子訳『北風のうしろの国 下(岩波少年文庫228)』(岩波文庫、2015年、第28章ヒノヒカリ姫pp.125-165)

こうした悠長、閑雅な世界と、御者の仕事をしているダイヤモンド少年の過酷な現実とがコントラストをなしている。冗漫にも感じられる描写が挿入されているからこそ、コントラストが際立つのである。

では、ルイスに「非国教主義的」といわせるマクドナルドの思想は如何なるものであったのだろうか。

George_macdonald_1860s

George MacDonald,1860s.
From Wikimedia Commons, the free media repository

それはひとことでいえば、万人救済主義(Universal Reconciliation)的なものであったようである。

ジョージ・マクドナルドはカルヴァン主義の会衆派教会に属する家で生まれ育ち、牧師になったが、カルヴァン主義に馴染めなかった。

カルヴァン主義がどんな思想であるかというと、1618年のドルトレヒト会議で決められたドルト信仰基準はカルヴァン主義の特徴を5つの特質として明確にしたものだといわれている。ウィキペディアから引用すると、それは次のようなものである。

ドルト信仰基準: ウィキペディア

  1. 全的堕落(Total depravity) - 堕落後の人間はすべて全的に腐敗しており、自らの意志で神に仕えることを選び取れない。
  2. 無条件的選び(Unconditional election) - 神は無条件に特定の人間を救いに、特定の人間を破滅に選んでいる(予定説)。
  3. 制限的・限定的贖罪(Limited atonement) - キリストの贖いは、救いに選ばれた者だけのためにある。
  4. 不可抵抗的恩恵(Irresistible grace) - 予定された人間は、神の恵みを拒否することができない。
  5. 聖徒の堅忍(Perseverance of the saints) - いったん予定された人間は、最後まで堅く立って耐え忍び、必ず救われる。

マクドナルドがどんな牧師ぶりを示したかを、英語版ウィキペディアから引用してみる。

George MacDonald: Wikipedia

In 1850 he was appointed pastor of Trinity Congregational Church, Arundel, but his sermons (preaching God's universal love and the possibility that none would, ultimately, fail to unite with God) met with little favour and his salary was cut in half.

1850年にマクドナルドはアランデルの三位一体会衆派教会の牧師に任命されたが、彼の説教(神の普遍的な愛と最終的には誰もが神と一つになることができるという教え)はほとんど支持を得られず、給料は半分に減らされてしまったのであった。

マクドナルドは予定説で知られるカルヴァン主義の世界観には納得できなかった。そして万人救済主義的思想に親近感を抱いたのだろう。以下はウィキペディアから。

万人救済主義: ウィキペディア

万人救済主義(ユニバーサリズム、英語:Universal Reconciliation、Christian Universalism)はキリスト教の非主流派思想のひとつ。これは、すべてが神のあわれみによって救済を受けるという教理、信仰である。すべての人が、結局は救済を経験するとし、イエス・キリストの苦しみと十字架が、すべての人を和解させ、罪の贖いを得させると断言する。 (略)
万人救済主義は地獄の問題と密接に関係がある。救済に至る方法や状態に関して様々な信仰と見解があるけれども、すべての万人救済主義者は、究極的にすべての人の和解と救済に終わると結論する。
万人救済の教理、信仰についての論争は歴史的に活発に行われてきた。初期において万人救済主義の教理はさかんであった。しかし、キリスト教の成長にともない、それは廃れていった。今日の多くのキリスト教教派は万人救済主義に否定的な立場を取っている。

歴史
古代にはオリゲネスの思想に見られ、近代のカール・バルトも万人救済を唱えたとされている。
万人救済主義とはキリスト教信仰の有る無しに関わらず、全人類がすでに救われているという思想である。これに対しキリスト教において正統とされてきた神学はアウグスティヌスらが唱え、19世紀までキリスト教会で主流であった排他主義(Exclusivism)である。これは信者のみが救われるという神学である。

初期の歴史
ダマスカスの周辺の初期のクリスチャン共同体が万人救済の教義を提唱したと信じられている。様々な神学者が初期キリスト教において万人救済主義の立場に立った。アレクサンドリアのクレメンス、オリゲネスらである。

万人救済主義はクレメンスやオリゲネスによって知られるようだ。

オリゲネスはキリスト教会の聖職者であったが、アンモニオス・サッカスの弟子であった。アンモニオス・サッカスは新プラトン主義の創立者である。神智学という名称はアンモニオス・サッカスとその弟子たちから始まった。クレメンスはプラトン派に所属したアンモニオス・サッカスの弟子である。神父であり、キリスト教哲学者であった。

このようなことを、わたしはブラヴァツキーの『神智学の鍵』の用語解説で初めて知った。オリゲネスもクレメンスも名前くらいは知っていたが。

マクドナルドが神秘主義的だとは思っていたけれど、その思想を遡るうちに神智学に辿り着いたのだから驚きである。

オリゲネス、クレメンスについて、H・P・ブラヴァツキー(田中恵美子訳)『神智学の鍵』(神智学協会ニッポン・ロッジ 竜王文庫内、昭和62年初版、平成7年改版)の「用語解説」より引用しておく。

オリゲネス(Origenea Adamantius,Origen)
2世紀末におそらくアフリカで生まれたキリスト教会の聖職者であるが、この人についてはほとんど知られていない。というのはオリゲネスの伝記的断片はエウセピオスの権威のもとに後世に託されたが、エウセピオスはどの時代にも見られなかったほどの紛れもない曲解者であったからである。エウセピオスはオリゲネスの手紙100通を収集したが、それらは現在、散逸してしまっているという。神智学徒にとってオリゲネスの著作の中でいちばん興味深いのは、『霊魂先在説』である。彼はアンモニオス・サッカスの弟子で、この偉大な哲学の師匠の講義に長く出席していた。 (Blavatsky、田中訳、平成7、用語解説p.23)

クレメンス・アレクサンドリノス(Clemens Alexandrinus)
 新プラトン派に所属し、アンモニオス・サッカスの弟子。神父で、多くの本を書いた。西暦2~3世紀のアレクサンドリアの数少ないキリスト教哲学者の一人である。
(Blavatsky、田中訳、平成7、用語解説p.29)

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2015年10月26日 (月)

鳩対策のわんこと鳩のスリーショット

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過去記事で、鳩対策としての柵とお隣のおばさんが置いた作り物のわんこのことを書きました。

早朝撮った写真。

お隣の物置に留まっている鳩2羽は、お隣のベランダで生まれた3羽のうちの2羽です。最初に1羽現れたので見ていたら、すぐにもう1羽やって来ました。

さらにもう1羽、「あの子」と呼んでいた母親似の華奢な鳩が来ることが多いのですが、来ないこともあり、今日はまだ見ていません。

2羽はわたしの気配を察して身じろぎしつつ、様子を窺うようにしばらくじっとしていましたが、ほぼ同時にだいたい同じ下方へ飛んで行きました。全く別の方向へ飛んで行くこともあり、相当に高く舞い上がったり、遠くの丘のほうへ行ってしまうこともあります。

お隣の物置の上からベランダ――巣があったお隣のベランダはもちろんのこと、うちのベランダも練習場となっていました――へとこわごわ飛び降りる練習をしていたころのパニクった頼りない羽の動きに比べたら、巣立ってからの羽の動きの力強さ、シャープさには惚れ惚れさせられます。

いえ、飼うわけにはいかないし、糞は有害なので、やって来られたら困るんですけれどね。つい見てしまいます。

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久しぶりのたこ焼き

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久しぶりのたこ焼き~!

外資系の企業に入った息子の生活はどうだろうと思っていたのですが、夫が電話したみたいで、あれこれ話したといっていました。

クリスマス休暇っぽいものがあるみたいなので、一緒にクリスマスケーキが食べたいねえと娘と話しました。実は息子と喧嘩中(叱られて謹慎中ともいう)でして……ワタシが

もうすぐ11月。1年があっという間に過ぎます。

ジョージ・マクドナルド『北風のうしろの国』の新訳が出ました。嬉しくて、書店勤務の娘に買ってきて貰いました。

子供のころに読んだ『北風』は妹宅にあり、ハヤカワ文庫の1981年版は台風被害に遭い、傷んでいます。

次の記事で改めて書きます。新訳の訳者あとがきや英語版ウィキペディアを――Google先生に頼って――読んで、わたしの中のジョージ・マクドナルド像が鮮明になった気がします。

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2015年10月24日 (土)

Tくん、ブログランキングのハウツーば書いたけん、読んでみてくんしゃい。

Tくん、今からブログランキングのハウツーば書くけんが、読んでみてくんしゃい。

ブログ村のMyPageに行ってみんしゃい。

そこに、「ランキング用バナー」てあるやろが。
そこばクリックして、説明ば読んでみんしゃい。
「ランキングにご参加いただくために、まずは貼ってみましょう」て書いてあるやろが。
ランキングに参加すっために、好いとっバナーかテキストリンクば選んで貼り付けんしゃい、って書いてあっとよ。
貼り方は、「ランキング用バナーの設置方法など(各ブログサービス別)」てあるとこば、見てみんしゃい。
そしたら「手動設置」のとこに「FC2ブログ」てあるやろが。
そこばクリックすっぎ、貼り方の書いてあっと。
わたしは面倒臭かけん、サイドバーにしか貼っとらんばってん、
記事書くごとに貼っぎ、訪問者の増ゆっぱい。


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そして、わたしは貼っとらんばってん「ランキング用ブログパーツ」てあって、こいも貼ってよかとよ。

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わたしもテキトーにしよっだけばってんがさ。

Tくんは柳川ばってん、わたしの方言ぐらい通じっやろと思うたけん、
方言で説明してみたとさ。
Tくんも、世話の焼けるおじさんになったごたっね。
なんじゃい、可笑しかね。
そいどん、日々の奮闘には頭の下がっばい。
ほんなごて、偉か。
そいぎんた、わたしでん、ちかっとは忙しかけんくさん、こいで失礼すっけんが。

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2015年10月23日 (金)

『村上春樹と近年のノーベル文学賞作家たち』(Kindle版)をお買い上げいただき、ありがとうございます!

『村上春樹と近年のノーベル文学賞作家たち(Collected Essays 1)』(ASIN:B00BV46D64)をお買い上げいただき、ありがとうございます! 

今月の14日ごろ、お買い上げいただいたようです。

 『村上春樹と近年のノーベル文学賞作家たち』は、これまでで46冊お買い上げいただいたことになります。

  • アメリカ……16冊
  • 日本……26冊
  • イギリス……1冊
  • ドイツ……1冊
  • メキシコ……1冊
  • イタリア……1冊

村上春樹と近年のノーベル文学賞作家たち(Collected Essays, Volume 1)

「気まぐれに芥川賞受賞作品を読む 二〇〇七 - 二〇一二(Collected Essays 2)」)』(ASIN:B00J7XY8R2)は、文学界を考察した姉妹編ともいうべき1冊です。

気まぐれに芥川賞受賞作品を読む 2007 - 2012(Collected Essays, Volume 2)

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わんこがあんなところに。苦心のドバト対策(柵)。

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わんこがあんなところに! と、びっくりしました。

よく見ると、本物ではなく、お隣のおばさんの苦心の鳩対策でした。ベランダの物置の上に、鳩を怖がらせるための作り物の犬が置かれていたのでした。

過去記事で書いたお隣のベランダで生まれ、育ったらしい鳩のきょうだいが昨日また、3羽揃って里帰りしていました。

3羽が去り(わたしが追い立て)、そのあとで再び「あの子」と呼んでいた母親似の華奢な鳩が1羽で現れました。

その姿を見るとなつかしい気持ちが起きますが、心を鬼にして追い立てないと、お隣とうちのベランダはそのうち鳩たちに占領されてしまうでしょう。

きょうだいとは別の鳩たちも来ているようです。

そうした鳩たちがよくフェンスの上で、こちらにお尻を向けて糞をします。完全にトイレとしての用途ですね、うちのベランダは。

ところが、今日はそれだけでなく、エアコンの室外機あたりからつがいの鳩が出てくるのを目撃しました。卵を産むところを探していたのかもしれません。また、おばさんのわんこの傍に平気で鳩がいるのを見て、これは本気で対策を立てなければと思いました。

過去のドバト対策の記事は以下。

夫が手作りの柵を両面テープで貼り付けました。夫はこれで、フェンスに止まって糞する行為を禁止したつもりですが、効果があるでしょうか。

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ひと月ぶりのニトロ使用(写真にハロウィン装飾)。解体すべき村社会(?)。

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秋に入ってから体調がよく、ひと月ぶりのニトロ使用でした。

また間違えて使用期限切れのミオコールスプレーを使ってしまいましたが、まだ効きました。

夏頃、馬鹿に調子が悪かったので、このまま一気に悪くなるのだろうかと思いましたが(それもいいという気もしますよ、正直いって。ダラダラ病むのは我ながら鬱陶しい限り)、快調な日がちょうど1ヶ月。

今年は九州芸術祭文学賞に応募しなかったので、どこかへ応募できないかと探したりしていました。

文学界を批判しながら応募するなど、おかしな話ですが、わたしがおかしいのでしょうか。賞狙いしている人の中には、わたしと同じ考えの人々もいらっしゃるのではないかと思っています。

何にしても、言論の自由があるはずの国で、ある分野が一つの村社会みたいに、少数派の色に染まりきっているというのは異常なことだと思います。解体の必要があるのではないでしょうか。

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2015年10月22日 (木)

便利な「サフランピラフミックス」(GABAN)、小林カツ代先生レシピ「チキンボールのすましシチュー」を参考に。

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ふとサフランライスを作りたいと思いましたが、サフランって高いんですよね。仕事帰りの娘にサフランがほしいとメールしたら、輸入食品のお店ジュピターに寄ってくれた娘。

娘に値段を読み上げて貰うとやはり高いなあと思いました。

児童小説「不思議な接着剤1: 冒険前夜」(ASIN: B00NLXAD5U)のⅡを来年はKindle本にしたいと考えているのですが、Ⅰの終わりで現代日本からヨーロッパ中世にタイムワープする子どもたちにおかあさんに頼まれたサフランを持たせました。

不思議な接着剤1: 冒険前夜

なにしろサフランは中世ヨーロッパでは大変高価なものだったらしいのですね。

以下の「不思議な接着剤」ノートに書きましたが、J・ギース、F・ギース『中世ヨーロッパの都市の生活』(青島淑子訳、講談社学術文庫、2006年)の中で「とくに高価なのがサフランで、同じ重さの金と比べものにならないくらいの値段である」とあります。

それからすれば、中世ヨーロッパの人々には申し訳ないくらいお安く買えるわけですが、それでもわたしは渋り、税込317円の「サフランピラフミックス」(17g、GABAN)を頼みました。

ググってみたところ、本日発表の金価格は4,909円/gでした。

「サフランピラフミックス」は味付けがしてあるので、振るだけ。便利ですし、お味も悪くありませんでした。お弁当にいいかも。鮭ピラフにしました。鮭、缶詰のマッシュルーム、刻んだパセリを入れました。

ⅡのKindle本を仕上げたら、本物(?)のサフランライスを作ろうと思います。20151021214459b_2
シチューを作りたくなってくる季節ですね。

小林カツ代先生のレシピ「チキンボールのすましシチュー」(『決定版 小林カツ代の基本のおかず(主婦の友新実用BOOKS)』(主婦の友社、2002年)を参考に作りました。

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古くから持っている本ですが、このレシピを参考に作ったのは初めてでした。

チキンボールのたねにすりおろしたジャガイモを加えるところがカツ代先生の独創的なところで、とてもなめらかなチキンボールになりました。

本の70頁から、チキンボールの材料を引用しますと、鶏ひき肉300~400g、じゃがいも1個(約100g)、玉ねぎ1/2個、A{卵1個、塩小さじ1/2、こしょう少々}、かたくり粉大さじ3~4。

チキンボールの作り方は、まず、玉ねぎにかたくり粉をまぶして水分を出にくくします。ボールにひき肉を入れてA、玉ねぎを加えて混ぜ、じゃがいもをすりおろしながら加えて、手でよくまぜます。

乱切りにした野菜を炒めたら、それを強火で炒め、水5カップを注ぎ煮立てます。そこへ肉だねを卵形にまとめて鍋に入れて蓋をし、中火で15~20分煮込みます。

じゃがいもを入れるので、肉だねの量が結構沢山になります。家族が「また作って」と満足そうにいいました。わたしは肉だねを手でまとめず、小ぶりのお玉ですくって落としました。

レシピでは、ター菜などの緑色の野菜とおろしたしょうがをのせるとあります。

おろししょうがは好みでのせることにして、小皿に。

緑色の野菜は青梗菜にするつもりで娘に頼んだら、小松菜のほうが綺麗だったといって小松菜を買ってきました。分量も多かったので、結局シチューには使わず、小松菜の辛子和えにしました。

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イカと豆腐の煮もの。これもこれからの季節にいいですね。

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インゲンとウインナーのバター炒め。

インゲンを炒めるとき、いつもは茹でずに炒めるのですが、このインゲンはごつい見かけだったので、さっと茹でて使いました。もう一品、というときに作りました。味付けは塩こしょう。

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2015年10月21日 (水)

新ブログを開設して2ヶ月。ぼちぼち論語、さすがは論語。

神秘主義的なエッセーを集めた新ブログ「マダムNの神秘主義的エッセー」を開設して2ヶ月が経ちました。

50アクセス超える日が出てくるようになりました。ユニーク数がどれくらいかはわかりませんが、アクセス数が多い日は何となく嬉しい気持ちになります。

ユニーク数がわかるカウンターを設置することも考えました。電子書籍にすることを目的としたブログですが、そうしたことをなるだけ意識せずにやりたいと思い、無料ユーザーの管理画面でわかる範囲に留めることにしました。

2006年4月に開設した当ブログの記事数は、この記事を書く前に確認したら5127でした。

閲覧してくださる方々に語りかけるような気持ちでプライベートな事情の絡む記事を多く書いていたころに比べたら、個人情報の流出を警戒する気持ちもあって、文学と思想(主に神秘主義関係)に特化したブログに変化しました。

民主党が政権を握ったときから日本の将来に危機感を覚えて政治関係の記事が増えた時期もありましたが、現在はやや距離を置くようになりました。

ブログを閲覧してくださる方々には感謝の気持ちでいっぱいです。

世に出られない物書きはつらいものです。こういう形で創作関係の記事を発表できるようになるとは、個人誌「ハーモニー」を作成していたころには想像もしなかったことでした。

コメント欄をほとんど閉じてしまったのは、議論する時間や丁寧にお返事する時間がなくなったからでした。

時々メールフォームを使って、様々なお問い合わせがあります。時間がかかっても、なるべくお返事することにしています。

ただ神智学関係に関しては個人の考えを述べているにすぎないので、書籍情報程度ならお答えできますが(応じられる範囲の質問は嬉しいのですが)、それ以外のことに関しては、公式サイトをご訪問になってお問い合わせいただくほうがいいと思います。

このブログを閲覧していただければ、少女のころから作家を志し、結婚してからは主婦業の合間を縫って書いてきたこと、神秘主義者としての側面のあることがおわかりいただけるかと思います。

昔の知り合いにブログを閲覧していただくことも多いようですが(年賀状で宣伝しているのですから当然といえば当然。検索で引っかかることも珍しくないようです)、「なつかしいなあ。へえー知らなかった、こんな面があったのか。新たに興味が合致するところを見出したから、連絡してみよう」と思って嬉しいメールをくれる……ことは少ないのです。

当方の興味や都合などお構いなしに専業主婦やっているというところにだけ目をつけ、暇と決め込み、ボランティア待機者(?)と見做す人の多いこと。過去にも同じ苦情(?)を書きましたっけ。

20~30年も全くおつき合いのなかった人ほど、そう。まあ普段からおつき合いがあれば、そうした接点の持ちかたはないのでしょうが。

わたしは専業主婦ですし、専業主婦が社会の習慣から立場的に低く見られがちなことは仕方がないと思っています。

しかしながら専業主婦とはあくまで自分の家庭を職場とする主婦業に従事している者であり、その部分で接点を持ちたいというかたには有料でその方面の専門家をお雇いになることをおすすめします。当方にはあいにく、ボランティアをやっている時間はございません。

昔の知り合いから連絡があると、ない尻尾を振って悦ぶのに、大抵、こんな仕打ち(?)が待っています。知り合いだからなるべく親切にしたい、という気持ちがあだになるのでしょう。昔からそうだったのかしら、彼らが変わったのかどうか、見抜けなかっただけかどうかが思い出せません。

と、ちょうどここまで書いたとき、小倉に住む大学時代の女友達から電話があり(彼女はネットをしません)、2時間たっぷり話してすっきり!

話は変わりますが、江戸時代のことを書くのであれば、朱子学以前にまずは論語を読まなければと思い、ぼちぼち読んできました。論語、いいですね。わたしが愛読しているのは以下の2冊。

論語 (角川ソフィア文庫―ビギナーズ・クラシックス 中国の古典)
加地 伸行 (著)
出版社: 角川書店 (2004/10/23)

論語 (岩波文庫 青202-1)
金谷 治訳注 (その他)
出版社: 岩波書店; 改版 (1999/11/16)

今の気持ちに響いてくる言葉は、以下。

子の曰[のたまわ]く、我れを知ること莫[な]きかな。子貢が曰[い]わく。何為[なんす]れぞ其れ子を知ること莫[な]からん。子曰[のたま]わく、天を怨みず、人を尤[とが]めず、下学[かがく]して上達す。我れを知る者は其れ天か。

先生が「わたくしを分かってくれるものがないねえ。」といわれたので、子貢[しこう]は〔あやしんで〕「どうしてまた先生のことを分かるものがないのです。」といった。先生はいわれた。「天を怨みもせず、人をとがめもせず、〔ただ自分の修養につとめて、〕身近なことを学んで高遠なことに通じていく。わたくしのことを分かってくれるのは、まあ天だね。」 (論語、金谷訳、1999、292頁)

孔子のような人ですら、「わたくしのことを分かってくれるのは、まあ天だね」とおっしゃった。ましてやわたしは天を怨み、人をとがめ……修行がまだまだ足りませんわねえ……ほほほ……。

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2015年10月20日 (火)

草鞋を履いた江戸時代の馬について、再び。ばんえい馬。

過去記事で、江戸時代の馬は草鞋を履いていたと書きました。ケンペル、シーボルトの記述にあります。蹄鉄の技術が伝わったのは明治時代。

ほら、広重の絵にもこの通り。草鞋がなかなかお似合い。

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歌川広重『名所江戸百景』より秋の部87. 四ッ谷内藤新宿、1857年と1858年の間
出典:ウィキメディア・コモンズ (Wikimedia Commons)

馬の種類は過去記事で書いた木曽馬の小夏ちゃんのような在来馬で、日本への洋種ウマの本格的な導入は幕末から明治初期のようです。ウィキペディアに興味深いことが書かれています。

ウマ:ウィキペディア

1863(文久3)年、14代将軍徳川家茂の時代にフランスで流行病によって蚕が全滅した際に、江戸幕府が代わりの蚕を援助した。この返礼として品種改良の一助になればとナポレオン3世からアラビア馬16頭が贈呈された。しかし当時の幕府首脳にフランス側の意図を理解する者がおらず、珍貴な品扱いで全て家臣や諸侯等へ下賜してしまった。

なぜまた馬を話題にしたかというと、馬のカレンダーを注文するときに馬のことを調べたからです。

これまでは迷うことなくサラブレッドのカレンダーを選んでいたのですが、来年のカレンダーに「ばんえい競馬」の素敵なカレンダーがあったので、相当に迷い、結局サラブレッドにしました。

え、ばんえい競馬、ご存知ありません? ご存じないかたは荒川弘のコミック『銀の匙』で学習してくださいね。わが家では全員学習済みです。

ばんえい競馬では、競走馬が橇を引いて競い合います。北海道帯広市の主催する「ばんえい競馬(ばんえい十勝)」が世界で唯一の形態の競馬だそうです。

ウィキペディアによると、「古くから主に農耕馬などとして利用されてきた体重約800-1200kg前後の『ばんえい馬(重種馬。「ばん馬」ともいう)』が、騎手と重量物を積載した鉄製のそりを曳き、2箇所の障害が設置された直線200メートルのセパレートコースで力と速さ、および持久力や騎手のテクニックを競う」とあります。

ばんえい種の純血種としてはペルシュロン(フランスのノルマンディー、ペルシュ地方原産)が有名ですが、混血馬が大半だとか。

ペルシュロンは輓馬として馬車、橇、農耕具など牽いてきた馬で、大砲の牽引にも用いられたそうです。ナポレオンは馬を戦争に積極的に用いたといいますから、ナポレオン戦争にも参加したのでしょうね。

ペルシュロンのようながっしりした馬だから大砲が牽けたのだ、と納得。

2012年に公開された以下の動画を観て、実際のばんえい競馬がどんなものかがわかりました。馬、頑張ってる。

ところで、過去記事で何度か書いたわたしが好きなトーセンソレイユはもう5歳。いまいちパッとしません。4月から見ていなかったので、どうしているのだろうと心配していました。

それが先日、10月17日の第63回府中牝馬ステークス(G2)に出て、6着でした。G2だったので、まあまあといったところでしょうか。レースの模様は録画しておいて、あとで観ました。

次々に登場する新馬たちを観ていると、複雑な気持ちになります。

油売ってないで、初の歴史小説を書き出さなくてはと思いますが、どうにも文章が出て来ず、一日中――といっても主婦業の合間に書くので、細切れの時間ですが――頑張っても今日は時間切れかな。

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2015年10月17日 (土)

児童文学界の黒(赤?)歴史と那須田稔の業績

前掲の記事で、わたしは次のように書いた。

わたしは過去記事で、感動した那須田稔氏の本のことを書いています。
この方が児童文学界のトップにずっといらっしゃたとしたら(どうしてそうではないのか、事情は知りませんが)……わたしは文学界を糾弾するような、こんな記事を書いていたでしょうか。

それは、山中恒のオンライン論文「課題図書の存立構造(完全再録)」を閲覧していたからであった。

それによると、那須田稔は昭和47年(1972年)当時、日本児童文学者協会の理事、著作権問題委員長、機関誌『日本児童文学』の編集長を務めていた。

また、「過去三回、全国学校図書館協議会(略称SLA)主催の青少年読書感想文コンクールの『課題図書』の選定を受けた、いわば当代一の売れっ子作家」であったという。

ところが、その那須田稔が盗作事件を起こした。8月10朝日新聞(朝・夕刊)、11日読売新聞(朝刊)で報じられたと論文にはある。

この事件は、「那須田の日本文学者協会退会を報じた読売の記事だけで、それに関する児童文学者の公的な論評もないままに終止符を打ってしまった感がある」そうだ。

昭和47年というと、わたしは14歳である。幸運にも、那須田稔の全盛期に小学校から中学校にかけて過ごしたことになる。

山中恒の論文では課題図書批判がなされていたが、「課題図書」は少なくとも読書嫌いの皮肉っぽい1人の子供を本好きにした。

わたしは初めは無理に本を読ませることが嫌で、「あとがき」を読んで選者の大人心をくすぐる感想文を器用に書いた。それで読書感想文コンクールでよいところまで行って全校生の前で褒められたため、すっかり大人を見下すところまで行った。

それからは、世の中が本当につまらないところになった。

それでも課題図書や児童文学全集を買って貰ったりして仕方なく読んでいるうちに、次第に文学のすばらしさがわかるようになり、中学1年生では立派な文学少女になって自分でも書くようになっていた。

読書感想文コンクールと文学賞は似ている。文学のよさが真にわかったわたしにはもう、文学賞の選者心をくすぐる作品は書けなくなってしまった。

わたしは課題図書だった『チョウのいる丘』を覚えている。

悲しいお話だったにも拘わらず、読後に何か大きな、温かいものに包まれる快さを味わった。表面上はよい子を装いながら、どこかしらひねくれていたわたしは、『チョウのいる丘』を読んで「更正」したように思う。人間の世界を信じるようになったのであった。

那須田稔の盗用は信じられなかったが、どのような盗用であったのかが知りたいと思い、図書館から、中学校の国語の教材に採用された『少年』が掲載されている晶文社発行『長谷川四郎作品集』第4巻「子供たち」(晶文社、昭和44年1月30日)と那須田稔『文彦のふしぎな旅 <すばらしい少年時代・第一部> (ポプラ社の創作文学 1)』(ポプラ社、昭和45年2月25日)を借りてきた。

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物語に合った鈴木義春の絵が素敵だ。

『文彦のふしぎな旅』には昭和47年(1972年)8月11日金曜日付朝日新聞が挟まっており、新聞では「子ども文学にも盗作」のタイトルで盗作事件を報じていた。

朝日新聞には「一方、那須田さんの『文彦のふしぎな旅』はこの6月30日(昭和47年)に出版されたとあるが、わたしが借りたのは昭和45年出版の初版だから、新聞記事にある『文彦のふしぎな旅』は版が違うのだろう。

長谷川四郎のコントからの盗用で、前掲の朝日新聞記事に「長谷川さんの原文は、約15年前、小さな雑誌に発表されたもので、その後、晶文社刊行の作品集に収録された」とある。

確かに『文彦の不思議な旅』64頁から65頁までが、長谷川四郎のコントにそっくりである。

少年がジュウシマツを飼う。父親は小鳥をカゴに入れて飼うのは性に合わないという。母親がとりなす。翌朝、少年は父親に「おとうさんはなにも知らないんだな、ジュウシマツは箱の外には住めないんだよ」(長谷川、昭和44、p.136)という。

1羽のジュウシマツが少年が水をとり替えていたときに、箱から飛び出してしまう。少年は追いかけたが、上空からモズがさっと降りてきて、ジュウシマツをさらっていった。

コントでは次のように締めくくられている。

 父親が言った。
 ――箱の中にしか住めない鳥なんて、もう飼うのはよしたほうがいいな。
 少年は黙っていた。父親というものは、なんて心配症なものだろう、と思って。(長谷川、昭和44、p.136)

那須田稔の作品の舞台は1945年夏の満州なのだが、コントの少年は文彦とニーナ(革命後に祖国を追われた人々の子孫である白系ロシア人)に、母親は澄子先生(ニーナを託されている)に、父親がおじさん(澄子先生の夫)に替えられ、次のように締めくくられている。

 おじさんがいった。
「箱の中にしか住めない鳥なんて、もう飼うのはよしたほうがいいな。」
 ニーナはだまっていた。
 文彦は、おじさんってあんがい心配症なんだなと思った。(那須田、昭和45、p.62)

コントはジュウシマツのか弱く、はかない一生を捉えて一筆書きのように描かれ、秀逸である。そして、コントはそれだけのものとして完結している。

那須田稔はコントから霊感を得て、作品を描いたのだろうか。それとも、温まっていた構想をコントが象徴しているように感じたのだろうか。

いずれにしても、最後まで読めば、ジュウシマツがニーナの可憐ではかない一生をシンボライズするものとして、不吉な前奏曲となっていることがわかる。

戦争がもたらす複雑なお国事情に翻弄される少年少女の話はこの作品以外にもあり、構想としてはそれらは似ているが、それは那須田稔がこれら少年少女に戦争によって損なわれた、かけがえのない何かを象徴させたかったからではないだろうか。

だから少年少女はこの世のものであって、この世のものではないものの化身のようで、はっとするような美しさ、透明感を漂わせている。

那須田稔がコントから盗用してしまったのは、魔が差したのだと想像するしかない。

那須田稔ほどの力量があれば、ここに長谷川四郎のコントとは別のオリジナルな、ニーナの人生をシンボライズする断片を挿入するくらいのことはできたはずだ。

当時の那須田稔が執筆に追われていたとの情報が山中恒の論文にあることから考えると、魔が差して、その労を惜しんでしまったのだろうか。

朝日新聞の那須田稔の釈明に「私は長谷川さんの古くからのファンで、好きな文章をよく書き写した経験がある」とある。

プロではないわたしでも同じ経験があり、文豪の作品を読んで参考にしたり、ヒントを得たりすることはあるので、よくわかる。だからといって、勿論このような盗用は許されるものではない。

ただ、それまでの那須田稔の業績が葬り去られてしまう事態になったことに同情のかけらもなく、この一件を権力闘争に利用でもするかのような雰囲気が山中恒の論文から感じられることに、むしろわたしはゾッとさせられた。

当時、課題図書を推進した勢力とそうでない勢力があったようである。

わたしにはどちらも赤い人々に見えるのだが(詳しいことは知らないので、誤解かもしれないが)、同じ赤でも一方は芸術性とヒューマニズムに特色があり、他方はイデオロギー色の強い、子供の自由を謳うようでありながら抑圧的な印象である。

那須田稔の盗用の罪は、芥川龍之介に比べると、こういっては何だが、ささやかといってよいくらいに軽い。わたしはあくまで芥川に比べると、といっている。重大な不祥事に比べると、如何にも軽い不祥事でありながら、失脚させられる政治家が珍しくないように。

那須田稔は主題を空高く羽ばたかせるために盗用したが、芥川龍之介は羽ばたいていたものを捕まえるために盗用した。

例えば、『蜘蛛の糸』はドストエフスキーの長編小説『カラマーゾフの兄弟』第七篇第三「一本の葱」を盗用したものだ。

小話の背後にあるドストエフスキーの思想に対する配慮もないままに無造作に盗られているため、一幅の絵となる短編となってはいても、それはあくまで装飾的な、深い内容を伴わない張りぼて作品でしかない。

那須田稔は盗用したコントをパン種に加えて、単行本1巻の分量の児童文学小説へと香ばしく膨らませた。

芥川龍之介の盗用癖はこれに留まらないというのに、芥川の作品はあちこちの出版社から出ているばかりか、日本の文豪の一人ですらあり、純文学の登竜門とされる芥川賞には彼の名が冠されている。

芥川の盗用――材源と書かれている――については、『芥川龍之介全集別巻』(吉田精一編、筑摩書房、昭和52年)の中の「芥川龍之介の生涯と芸術」(吉田)に詳しい。そこには、62もの「ほぼ確実と思われる出典」がリストアップされている。

那須田稔はこのような事件さえ起こさなければ、日本を代表する児童文学作家として世界に羽ばたいていたのではないだろうか(それに続く作家も多く出ただろう)。

いや、今からでも遅くはない。そのために中止となった那須田稔選集が上梓されればいいのにと思う。

わたしは前述の『チョウのいる丘』が忘れられない。中古で購入した人々の心打たれるレビューがAmazonで閲覧できる。

傍観者の一見方にすぎないのかもしれないが、那須田稔の失脚で、日本の児童文学の質が大きく変化したことは間違いないように思われる。

純文学的色調が主流だったのが、ほぼエンター系一色となってしまったのだ(翻訳物を除いて)。恐ろしい話である。

このままでいいはずがない。

ひくまの出版から出ていたアンネ・エルボーの絵本も2冊、図書館から借りた。

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歴史短編1のために #17 神聖とされた教育。まるで罰ゲームのような(?)産後の風習。 

 ※43まで公開していた「Notes:初の歴史小説」同様、この「歴史短編1のために」も本格的な執筆に入る前には閉じることになると思う。

図書館から借りてきた以下の本を読むと、江戸時代、教育は神聖なものとされていた。胎教も熱心に行われていて、育児書も沢山出ていた。

江戸の躾と子育て(祥伝社新書)
中江 克己 (著)
出版社: 祥伝社 (2007/04)

江戸の子供は5~8歳で私塾である寺小屋に入門し、読み、書き、そろばんを習った。識字率は男女共70~80パーセントで、武士階級はほぼ100パーセント。ヨーロッパ諸国より進んでいた。

江戸の人々は知的だったのである。

入学金には相場がない――というより、「当時、『教える』という行為は、お金に換えることができないほど神聖なもの、と考えられていた。それだけに『読み、書き、そろばん』を教える報酬として、師匠がお金を要求することはなかった」(中江、2007、p.146)

親たちは「お礼」として入学金や月謝を払ったり、贈答品を送ったりした。それらを収めないからといって、師匠が催促することはなかったらしい。

確か、過去記事で紹介した鈴木大拙が、動画で江戸時代――から明治の初めごろの話――の医師は治療代を催促しなかったと話していた。寺小屋の師匠の場合と同じような大様な雰囲気があったようである。

子供たちの遊びは創意工夫に富んでいた。正月の遊びなどに今も残っている。

江戸時代といっても長いが、萬子媛の子供が長男は子供の頃に、次男は成人したとたんに亡くなったことから見てもわかるように医療はあまり頼りにならなかった。

幼児の病気では、疱瘡(天然痘)、麻疹(はしか)、水疱瘡(水痘)が怖れられ、この三つは「おやく」といわれた。おやくのやくは「厄」。死亡率は高かった。親たちは七五三の祝いをして子供の健康と成長を祈らずにいられない。

乳児の死亡率は、一説では全死亡率の70~80パーセントを占めていたという。お乳が出ないと大変である。当時の日本人に牛乳を飲む習慣はなく、お乳が出なければ「もらい乳[ぢ]」しなくてはならず、困って鰹節をしゃぶらせたりしたらしい。

無事に出産したとしても病死することは珍しくなかったが、何と出産後は、産椅(背もたれと肘掛けのついた椅子のようなもの)に七日間、眠らないようにして(身内の女たちが交代で付き添った)正座していなければならなかったという。

この俗習は勿論罰ゲームではなくて、産後の女性の血ののぼりを予防するためだったというが、それで命を落とす女性もいたらしい。そりゃそうだろう、驚いた! 

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2015年10月16日 (金)

イタリア絵本展から思うこと(16日に追記:邦訳版から改めて思ったこと)

イタリア語を勉強している娘が百貨店のイタリア展で、2冊の絵本を購入しました。

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娘と出かけたイタリア展の絵本コーナーには、印象的な絵本がいろいろとありました。娘はその日、黄色い表紙の絵本を選んだのですが、別の日にまた行って、白っぽい表紙の絵本を買いました。

わたしはモナリザを連想させる絵のある絵本に心が惹かれましたが、娘の買った絵本はどちらもすばらしいと思いました。

こんな絵に(どんな絵とはうまくいえませんが、ひとことでいえば芸術的な絵と申しましょうか)、日本の子供たちは飢えているのではないでしょうか。

絵本ですら、漫画っぽい絵が多いように思います。それも、目の大きな、媚びたような顔をした子供たちの顔がここにも、あそこにも。わたしは吐き気すら覚えます。

イタリアはレオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロなどの偉大な画家を生んだ国ですが、日本だって北斎を思い出せばわかるように、負けてはいません。

本格的な挿絵画家を目指している人は日本にも多いはずです。そうした人々はどこへ行ってしまうのでしょうか。

以下の記事は5年前に書いたものです。そのころはまだわたしが文学界を批判すると、僻みととられることも多かったのですが、今ではそうではなかったことがはっきりとわかります。

すっかり左傾化し、腐敗した日本の文学界。そこで書いている人々にはその自覚がないかもしれません。

余命ブログでテーマを募集しています。

わたしは芥川賞に選ばれる近年の作品からも顕著な日本語のおかしさが国民、特に子供たちに与える深刻な影響について訴えたいと思っていますが、いざ考えてみると、難しいですね。

日本の文学の将来を憂えているかたがいらっしゃいましたら、考えてみてほしいと思います。

個人で文学運動を起こすのは難しく、こうした文学界の現象は他の分野と連動した動きから起きてきているものです。放置できないものを感じています。

テーマに投稿するには、抽象的な内容であっては意味がないので、よく考えなくてはなりません。

わたしにはうまくテーマ化し、書ける自信がないので、どなたか投稿してくださればいいのですが。

絵本の話に戻ると、白っぽい絵本は、子供がおかあさんにせがむが如く、娘に訳して貰いました。月曜日と昨日と明日が出てくるお話で、月曜日はやがて雪の中に消えていき、昨日と明日がそのことを悲しんで泣きます。その悲しみの表情が、心底悲しんでいる子供の表情そのままで、わたしも思わず……。

でも、新しい(別の)月曜日が現れます。

不思議な印象の絵本、忘れがたいお話になりそうです。

追記:

ググってみたところ、作者 Anne Herbauts はベルギーのイラストレーターで、活躍なさっているようです。YouTubeに、インタビュー動画が公開されています。

そして、何と、アンネ エルボーの他の本がひくまの出版から6冊、邦訳で出ているではありませんか(現在は中古でしか入手できないようです。原書もAmazonでは中古でしか入手できないようです)。

1978年に浜松市でひくまの出版を創立なさったのは、那須田稔氏。息子さんが那須田淳氏ですね。

ひくまの出版は平成26年に倒産したとウィキペディアにありました。よい本がずいぶん出ていたようなのに、残念です。

わたしは過去記事で、感動した那須田稔氏の本のことを書いています。

この方が児童文学界のトップにずっといらっしゃたとしたら(どうしてそうではないのか、事情は知りませんが)……わたしは文学界を糾弾するような、こんな記事を書いていたでしょうか。

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カフェ&ダイニングで。オリーブ専門店の総菜オリーブ。バラッテ・エ・ミラノのチョコレート。

先月、カフェ&ダイニング「かもめのジョナサン」に行きました。家族が頼んだメインの豚ロースグリルのゴルゴンゾーラソースです。

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ここのロースしたお肉は、豚も鶏もとても美味しいのです。ゴルゴンゾーラソースがまたそれによく合っていたそうで、わたしもそれにすればよかったな、とちょっと思いました。

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カフェやレストランに出かけたときは、なるべく写真を撮らせていただいて、ブログで情報を分かち合ったり、自分が盛りつけるときの参考にすることにしていますが、参考のほうはそのときになると忘れて、野暮ったい盛りつけになってしまいます。

水菜――下にサニーレタスが敷かれていたような――にピーラーか何かで薄くスライスしたニンジンが添えられ、小さく切ったトマト、キュウリ、チーズがキュートな感じに置かれています。白いドレッシングがグリーンに映え、仕上げには黒胡椒。洒落ていますよね。

わたしの頼んだプレート料理も美味しくて、おなかがいっぱいになりました。欲ばって頼んだデザートはケーキが入らず、一口味わって家族に食べて貰ったほど。

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洋梨のコンポートは上品な甘さでした。

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家族が頼んだティラミス。

過去記事で紹介した気もしますが、お店のフェイスブックを閲覧できます。

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今月、駅のアミュプラザの「アフタヌーンティー ティールーム」に娘と行ったときの写真。夜は寒いくらいになってきたので、熱いチャイが美味しいです。

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「チキンとレタスのシリアルブレッドサンド」。

透明な器には酢漬けの蓮根が入っていました。それにはキヌアがまぶされていました。わたしは白米と一緒に炊く以外の使い方をしたことがなかったので、参考になりました。

ヘルシーで美味しかったのですが、これもわたしには多くて(パンがしっかりしているのです)、ハーフサイズのケーキを半分娘に食べて貰わなくてはなりませんでした。

少し胃が小さくなったのか、デザートを頼むと一人では食べられないことも多いので控えようかなと思いつつ、欲ばって頼んでしまいます。アフタヌーンティーではお茶とサラダかスイーツがついているハイティーセットを頼んだほうがお得ですし。

ダイエット完了時の体重を保つために、普段はほとんど間食をしないことにしている反動でしょうね。

その反動で、というより、イタリア展では買うことにしているバラッテ・エ・ミラノのチョコレートと「オリーブマーケット」の総菜オリーブ。

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別の日に行った娘も買ってきたので、チョコ三昧。家族三人で分けて、好きに食べることにしましたが、一気に食べる勇気はありません。美容的にも、1粒の値段を考えても。

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オンラインショップで購入することもできるようです。写真は人気No.1の「ミラノ風アンチョビ」「ブラックオリーブ」「オリーブマリネ リモーネ(レモン風味)」です。

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すぐに食べてしまうと思いますが、とりあえず、瓶に移しました。そのまま食べたり(夫はおつまみにします)、刻んでサラダに加えたりしますが、意外にもごはんに合うのですよ、これが。

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こんな風に単に添えてみてもアクセントになって、可愛いと思いませんか?

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2015年10月14日 (水)

翁長知事の琉球王国妄想と沖縄の危機

沖縄県の翁長雄志知事の暴走が止まらない。

翁長知事は米軍普天間飛行場の辺野古移設をめぐり、政府との対立を強めている。

仲井前知事の埋め立て承認には法的瑕疵があるとして取り消し、辺野古に新基地を造らせないという公約を実現させるつもりらしい。

翁長知事の国連での演説内容を追及した沖縄県議会での貴重な動画がYouTubeで公開されている。これを視聴すると、翁長知事の野望、そして何が背後にいるのかがはっきりわかる。

確かに、かつては琉球王国が存在していた。しかし、琉球王国が朝貢していたのは清に対してであって、中国共産党一党独裁国家に対してではなかった。

いずれにしても、1879年に廃藩置県により琉球藩が廃止され、その後沖縄県が設置されたのは、136年も昔の話である。

それなのに、なぜ今になって、沖縄が琉球王国だったころの歴史の断片がことさらに蒸し返されているのだろうか。

翁長知事が如何にロマンティックな「琉球王」の夢を膨らませようとも、沖縄が時間を遡って琉球王国になるのは無理である。中国の自治区になるのが精々だろう。

中国に中華民族琉球特別自治区委員会が設立されたという情報は、2011年のものである。中国は今もあちこちで侵略行為を続けており、翁長知事に中国の息がかかっていないはずはない。

中国の自治区は五つある。新疆ウイグル自治区、内モンゴル自治区、広西チワン族自治区、寧夏回族自治区、チベット自治区である。

これら自治区の人々は幸せか? 

そうだとはどうしても思えない。中国の自治区から真っ先に連想させられるのは、ジェノサイド、侵略、民族浄化という恐ろしい言葉である。

これらの自治区から聴こえてくるのは、中国政府の圧政、人権蹂躙、環境破壊などを訴える悲痛な声ばかりだ。

つい先月の30日にも、広西チワン族自治区で連続爆発が17ヶ所で発生し、容疑者に特定されていたチワン族の33歳の男が爆発現場で死亡していたことが確認されたという。

チベットにはかつてシャンバラ伝説があった。その美しい伝説は踏みにじられ、チベットは今は僧侶が抗議の焼身自殺を行う、あまりにも痛ましいところと成り果てている。

※関連記事

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2015年10月13日 (火)

Kindle本にしたい短編児童小説が1編。TPPが青空文庫に影響。

短編児童小説が1編あるので、Kindle本にしたいのですが、しばらく電子書籍の作成から遠ざかっていたせいか、億劫になっています。

そういえばKDPから「2015年10月1日より日本の消費税が適用開始」というメールが来ていましたっけ。

神秘主義的エッセー集は現在ブログ「マダムNの神秘主義的エッセー集」に作品を整理していっている段階なので、Kindle本にするにはまだかかりそう。

前掲ブログにアップし始めた漱石のエッセーは前の記事に書いたように不備があります。便利なので、ウィキペディアから結構引用していますが、なるべく早いうちに参考文献に実際にあたって、引用はその文献からしなくてはなりません。

また、作品からの引用に頁の明記が欠けているのは、電子書籍で読んだためです。なにしろ、これが便利で↓

漱石大全 [Kindle版] 
夏目漱石 (著)
出版社: 古典教養文庫; 2版 (2013/11/29)

漱石の単行本と文庫が本棚に散らばっていて、その中にあるのかどうか……なければ、図書館から借りて来なくてはなりません。

同じところから出ている泉鏡花も購入して、便利に愛読しています。どちらも前に紹介した気がしますが。

泉鏡花大全 [Kindle版] 
泉鏡花 (著)
出版社: 古典教養文庫; 2版 (2014/1/13)

青空文庫の収録作品がもととなっているようで、全作入っているわけではありませんが、169作品(第2版で1作品追加)も入っているのです。

当然青空文庫でただで読めるのですが、1編1編ダウンロードしたり、パソコンで読んだりするのは億劫でした。

夫が昔買い集めた豪華な装幀の泉鏡花で読むのはもちろん素敵なのですが、この便利さ、捨てがたいものがあります。200円で169編もの鏡花の小説が読め、しかも気軽に持ち歩くこともできるのですから。

ただ前述したように、論文に利用することはできず(できます?)、電子書籍の弱点が出ます。

TPPで、日本の著作物の保護期間が著作者の没後50年から「70年」と20年延び、「青空文庫」に影響があるようですね。

わたしは山崎栄治の名訳によるリルケの小詩集『薔薇』がどこからか出ないのだろうかと、気がかりです。

初の歴史小説は下調べがかなり進んだので、お試し執筆に入りたいのですが、なかなか入る勇気が出ません。今はすっと書き始めることができる(出来、不出来は別として)児童文学作品も、書けるまでに数年はかかりました。

ジャンルが異なると、難しいものがあります。それでも、俳句、詩、小説はすっと入れたのですが、歴史小説、それも江戸時代のものなんて、わたしには無理と思ってしまいます。

失敗してもいいから書いてみなくては。青空文庫に入っているトーマス・マンの以下の短編は、創作の苦しみとそれを乗り越える過程が描かれています。とっても高尚で、さすがです。

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2015年10月11日 (日)

新ブログを更新しました

新ブログ「マダムNの神秘主義的エッセー」を更新しました。

31 「内側」の拡がりを欠くジブリ映画『思い出のマーニー』
http://mysterious-essays.hatenablog.jp/entry/2015/10/11/063640

32 神格化された漱石 ①神仏分離政策の影
http://mysterious-essays.hatenablog.jp/entry/2015/10/11/192042

漱石のエッセーに関しては、ウィキペディアからの引用が多いことや、作品から引用した頁の明記がないなど、まだ不備がありますが、当ブログの記事をもとにまとまりのあるエッセーとして読めるものを目指しています。あとで改稿の必要を覚えるかもしれません。

初の歴史小説のための本を借りてきたのはいいのですが、教育に関する2冊がどちらも汚されています。

わたしは普段人のあまり借りない重厚なタイプの本を借りることが多いので、出版年は古くても中は綺麗なままというものがほとんどです。一般の人も読む本をたまに借りると汚くて、ショックを受けます。どうして汚さずに読めないのかしら。大人の癖に。わざとなの?

結果的に何か落ち着いて読めませんが、仕方がありません。

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2015年10月10日 (土)

ユネスコが真っ赤に染まった日――南京事件が記憶遺産に(10日、ユネスコが登録発表)

ニュースによると、10日、国際連合教育科学文化機関(ユネスコ)は、旧日本軍による南京事件に関する資料を世界記憶遺産に登録したと発表した、という。審査したのはアラブ首長国連邦のアブダビで開かれた国際諮問委員会で、ユネスコのボコバ事務局長が登録を決定したのだそうだ。

ついにこういうことが起きた。

ただ、産経ニュースによると、日本政府も手をこまねいていたわけではないようだし、今後の対応としても「日本政府筋は『断固たる措置を取る』と述べ、ユネスコの分担金拠出などの一時凍結を検討する構えを見せている」という。

何しろ、「国により立場が異なる案件の登録例もあるが、歴史的評価や事実認定が固まっていない事柄の登録は異例」(時事通信)の事態なのである。

「人種、肌の色、宗教の差別をせず、人類の普遍的同胞団の核を作ること」という理念を目的の一つに掲げる神智学協会がユネスコ運動に関わっていたことを岩間浩著『ユネスコ創設の源流を訪ねて―新教育連盟と神智学協会』(学苑社、2008年)で知り、以下の記事で紹介した。

その成立過程からすると、ユネスコは本来、特定の政治思想に染まった組織ではなかったはずである。神智学協会は博愛的、学術的団体だからである(H・P・ブラヴァツキー『神智学の鍵』神智学協会ニッポン・ロッジ、平成7年改版、p.29参照)。

現在はどうか。以下は、ウィキペディアから引用(赤字は引用者)。

イリナ・ボコヴァ: ウィキペディア

イリナ・ゲオルギエヴァ・ボコヴァ(Ирина Георгиева Бокова / Irina Georgieva Bokova、1952年7月12日 - )は、ブルガリアの政治家、外交官である。ブルガリア議会の議員を2期務め、外務大臣を経て[1]、駐フランス・ブルガリア大使となった。2009年9月22日、国際連合教育科学文化機関(UNESCO)の事務局長に指名され、2009年10月15日から事務局長に就任する。

UNESCO

2009年9月22日、国際連合教育科学文化機関(UNESCO)の事務局長に選出された。

パリで行われた選挙では、他に9人の候補者がいたが、5回目の投票で最終的にエジプトのファールーク・ホスニー(Farouk Hosny)に対して31対27で勝利し、局長に指名された。選挙前はホスニーの勝利が予想されていたが、彼に対してはノーベル賞受賞者のエリ・ヴィーゼルらから、反イスラエル的であるとの批判があった。しかし、ボコヴァもまたブルガリア人民共和国時代でのブルガリア共産党党員としての経歴から批判されていた

2009年10月より、日本の松浦晃一郎より事務局長の地位を引き継ぎ、4年間の任期を任されることとなる。ボコヴァは東ヨーロッパ出身、女性として初の事務局長となる。

ウィキペディアの執筆者. “イリナ・ボコヴァ”. ウィキペディア日本語版. 2015-08-06. https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%82%A4%E3%83%AA%E3%83%8A%E3%83%BB%E3%83%9C%E3%82%B3%E3%83%B4%E3%82%A1&oldid=56423486, (参照 2015-10-09).

前任者、松浦晃一郎。

松浦晃一郎: ウィキペディア

松浦 晃一郎(まつうら こういちろう、1937年9月29日 - )は、日本の外交官、国連職員。公益財団法人日仏会館理事長、一般社団法人アフリカ協会会長、株式会社パソナグループ監査役、中国人民大学名誉教授。過去に、駐フランス共和国特命全権大使や国際連合教育科学文化機関(ユネスコ)第8代事務局長を務めた。山口県佐波郡島地村(後の徳地町、今の山口市)出身。

ウィキペディアの執筆者. “松浦晃一郎”. ウィキペディア日本語版. 2015-09-06. https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E6%9D%BE%E6%B5%A6%E6%99%83%E4%B8%80%E9%83%8E&oldid=56759979, (参照 2015-10-09).

ブラヴァツキーの神智学が誹謗中傷されていることから、ユネスコも無事ではないだろうとは思っていたが、すっかり赤くなっているようである。もはや、本来のユネスコとは別物である。

以下は南京事件に関する過去記事。記事には動画へのリンクがあるが、削除されているものもあるようだ。

そういえば、保守層で知れ渡っている余命ブログのソネット版は削除されてしまったが、ソネットの遮断通知には、「在日の削除要請により...」とはっきりと理由が記載されていたという。

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2015年10月 8日 (木)

第3次安倍内閣、雑感

国家公安委員長兼行政改革担当相、河野太郎……えっ?

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2015年10月 6日 (火)

服部幸應先生の「太刀魚のホイル焼き」、フェジョアーダもどき、春雨サラダ。  

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カボスの種をとったら、何だか寂しい感じになっちゃいました。搾りやすくはなったと思うのですが、今後は種ありでいきます。

服部幸應先生の「太刀魚のホイル焼き」のレシピは過去記事で紹介しましたが、再度紹介します。

「週刊 服部幸應のしあわせクッキング3号」(ディアゴスティーニ・ジャパン)より。材料は4人分です。

  1. 下ごしらえした太刀魚1尾に、振り塩をする。
  2. アルミホイルに太刀魚1人分をのせ、酒大さじ1、バター15gをのせて包み、これを4人分作り、230℃に熱したオーブンで13~15分焼く(オーブントースターでも可)。
  3. 中まで火が通ったら器にのせ、万能ねぎの小口切りを少々散らし、半分に切ったすだちを添える。

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太刀魚から出たエキスとバターが溶け合ったスープに身を存分に浸し、ご飯にのっけて……何という美味しさでしょう!

缶詰の賞味期限を確認していたら、黒いんげん豆の缶詰が賞味期限を迎えていました。

この缶詰を何に使うつもりで購入したのか、覚えていませんでした(単にお買い得だった可能性が一番高い)。

何を作るかで迷い、ググッたら、ブラジルの国民的料理フェジョアーダ(Feijoada)が流行っているらしく、レシピが沢山でてきました。

ウィキペディアでは(⇒こっち)「一般的には、アフリカから連れてこられた奴隷たちがブラジルで考案した料理と言われ、農場主らのために豚の上質な肉を取った残りの部分(主に内臓、そして耳や鼻、足、しっぽなど)や豆などを加えたとされる」と料理の起こりが説明されています。

黒いんげん豆(缶詰)、豚バラ100g、シャウエッセン1袋、玉葱、ニンニク、固形スープ1個、ローリエ、オリーブ油、塩胡椒で作ってみました。

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もどきにしてはなかなか美味しくでき、家族にも好評価だったので、次回はブロックベーコンとチョリソーを用意して作ってみようと考えています。

春雨サラダ。

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酢2:しょうゆ2:ごま油1で、もどした春雨、ハム、きゅうりをあえます。仕上げに好みで一味唐辛子を振りかけます(一味唐辛子はラー油や辛子に替えても、なしでも)。

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テレパシーといわれるような体験から思うこと

わたしはエッセー28(「マダムNの神秘主義的エッセー」)で自身の未熟な、いわゆるテレパシー体験について、日記体小説『詩人の死』で書いた断片を引用した。

 神秘主義ではよく知られていることだが、霊的に敏感になると、他の生きものの内面的な声(思い)をキャッチしてしまうことがある。人間や動物に限定されたものではない。時には、妖精、妖怪、眷族などという名で呼ばれてきたような、肉眼では見えない生きものの思いも。精神状態が澄明であれば、その発信元の正体が正しくわかるし、自我をコントロールする能力が備わっていれば、不必要なものは感じずに済む。
 普段は、自然にコントロールできているわたしでも、文学賞の応募作品のことで頭がいっぱいになっていたときに、恐ろしいというか、愚かしい体験をしたことがあった。賞に対する期待で狂わんばかりになったわたしは雑念でいっぱいになり、自分で自分の雑念をキャッチするようになってしまったのだった。
 普段であれば、自分の内面の声(思い)と、外部からやってくる声(思い)を混同することはない。例えば、わたしの作品を読んで何か感じてくれている人がいる場合、その思いが強ければ(あるいはわたしと波長が合いやすければ)、どれほど距離を隔てていようが、その声は映像に似た雰囲気を伴って瞬時にわたしの元に届く。わたしはハッとするが、参考程度に留めておく。ところが、雑念でいっぱいになると、わたしは雑念でできた繭に籠もったような状態になり、その繭が外部の声をキャッチするのを妨げる。それどころか、自身の内面の声を、外部からやってきた声と勘違いするようになるのだ。
 賞というものは、世に出る可能性への期待を高めてくれる魅力的な存在である。それだけに、心構えが甘ければ、それは擬似ギャンブルとなり、人を気違いに似た存在にしてしまう危険性を秘めていると思う。
 酔っぱらうことや恋愛も、同様の高度な雑念状態を作り出すという点で、いささか危険なシロモノだと思われる。恋愛は高尚な性質を伴うこともあるから、だめとはいえないものだろうけれど。アルコールは、大方の神秘主義文献では禁じられている。
 わたしは専門家ではないから、統合失調症について、詳しいことはわからない。が、神秘主義的観点から推測できることもある。
 賞への期待で狂わんばかりになったときのわたしと、妄想でいっぱいになり、現実と妄想の区別がつかなくなったときの詔子さんは、構造的に似ている。そんなときの彼女は妄想という繭に籠もっている状態にあり、外部からの働きかけが届かなくなっている。彼女は自らの妄想を通して全てを見る。そうなると、妄想は雪だるま式に膨れ上がって、混乱が混乱を呼び、悪循環を作り上げてしまうのだ。
*

*直塚万季『詩人の死』Kindle版、2013年、ASIN: B00C9F6KZI

一般に想像されているテレパシー現象とは違うと思うところがあるので、それを書いておきたい。

これはエッセー29のオーラについて書いたことから想像して貰えるといいのだが、わたしのそうした能力は次第に拓けていったので、自然にコントロールされているということだ。これは、いずれは誰にでも拓ける性質のものであるようだ(そうでなければ、わたしは自分の体験を書こうとは思わないだろう)。

大師とか聖者とかいわれるような方々なら話は別だろうが、平凡で卑小なわたしが自分から――つまりは世俗的な動機で――神秘主義的な能力を駆使して何かを知りたいと思えば、そのとたんに受信能力は低下し、自分で自分の雑念を受信するのがオチである。賞狙いのときにそれを実感して恐ろしかった。

もし自然にコントロールされていなければ、刺激過多、情報過多でおかしくなってしまうだろう。

だから、世俗的な要求に応じられるような能力はまず霊媒能力だろうとわたしは思う。

スピリチュアル・ブームで、催眠術による前世探求や超能力開発が流行っているようだが、霊媒になったり、狂ったりしたくなければ、やめたほうがいいと警告したい。

催眠術は神秘主義では黒魔術である。お金を使って拓けるような神秘主義的能力などない。

だが、スピリチュアル・ブームの責任をブラヴァツキーになすりつけるのは誤りである。ブラヴァツキーが生きていたころも、彼女が有名になる以前から既にスピリチュアル・ブームはあった。

彼女の著作を読むと、古代からそうした危険なブームがあったことがわかる。

ブラヴァツキーは心霊現象を詳細に調べ、分析して、心霊主義の誤りと危険性を警告したというのに、彼女の代表作さえ読んでいない――か読む能力を欠いた――ウィリアム・ジェームズ、コリン・ウィルソン、ルネ・ゲノンといった人々やその信奉者たちに好き勝手に誹謗中傷され、彼女の貴重な警告は搔き消されてきた。

彼らの論拠となってきたのが、あとで述べるSPRの「ホジソン報告」である。

テレパシーについて、ウィキペディアでは次のように解説されている。

テレパシー (Telepathy) は、ある人の心の内容が、言語・表情・身振りなどによらずに、直接に他の人の心に伝達されることで、 超感覚的知覚 (ESP) の一種で、超能力の一種。 mental telepathy の短縮形。漢字表記では「精神感応」とも。
「テレパシー」という言葉は、1882年にケンブリッジ大学のフレデリック・ウィリアム・ヘンリー・マイヤース教授によって提案された。この言葉ができる以前は、思考転写 (thought-transference) と呼ばれていた 。
 *

*ウィキペディアの執筆者. “テレパシー”. ウィキペディア日本語版. 2015-01-04. https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%83%86%E3%83%AC%E3%83%91%E3%82%B7%E3%83%BC&oldid=53999724, (参照 2015-10-05).

1882年に心霊現象研究会(Society for Psychical Research、略称 SPR)が設立されたが、フレデリック・ウィリアム・ヘンリー・マイヤースは設立者の一人であった。

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F. W. H. Myers
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SPRは「ホジソン報告」でブラヴァツキーに汚名を着せ、神智学協会の社会的信用を失墜させた。

H・P・ブラヴァツキー(加藤大典訳)『インド幻想紀行 下』の解説で、高橋巌は次のように書いている。

一九八六年になって、SPR(ロンドンの心霊研究協会)は、HPBの欺瞞性を暴露したといわれた「ホジソン報告」(一八八四年)について亡き夫人に謝罪し、百年来の論争に終止符を打った、とのことである。 *

*H・P・ブラヴァツキー(加藤大典訳)『インド幻想紀行 下』(筑摩文庫(ちくま学芸文庫)、2003年、「解説 魂の遍歴」p.501

だが、SPRの「ホジソン報告」の影響は現在にまで及んでいる。

SPRは現在も活動しており、ホームページを閲覧してみたが、ざっと見たところでは、そこに過去の出来事としての「ホジソン報告」やブラヴァツキーに対する謝罪の言葉などはない。

Society for Psychical Research
http://www.spr.ac.uk/

彼らの目的は、次のようなものだという。

Our aim is to learn more about events and abilities commonly described as "psychic" or "paranormal" by supporting research, sharing information and encouraging debate. *

*参照 2015-10-05

スピリチュアル・ブームの源泉は、心霊主義に警鐘を鳴らしたブラヴァツキーであるはずがない。

源泉は、ブラヴァツキーの神智学の影響を――どの程度か――受けながらも、考え方が違うために神智学協会と袂を分かった人々の中にいると思われる。今も活動を続けているこのSPRも、そうといえるのではないだろうか。

というのも、ブラヴァツキーの伝記『近代オカルティズムの母 H・P・ブラヴァツキー夫人』を再読して気づいたのだが、マイヤースは神智学協会の会員だったようである。

 マイヤーズは詩人であり、傑出した古典文学者で、長い間、F・T・Sといわれている神智学協会の会員でした。「セオソフィスト」誌のコラムはこの人の為の長い答で賑わっており、この答を書くのはHPBの悩みの種でした。
 マイヤーズは神智学協会に関係のある超常現象に特別な興味をもっていました。彼もその友人達も皆、博学な人達でしたが、最近、自分達の特別な協会をつくり、このような現象の研究をはじめました。この新しい組織はサイキック研究会(S・P・R)と呼ばれ、その会員達は、科学者が軽べつして避けている――サー クルックスのような例外も、二、三人いましたが――捕らえどころのないサイキック領域に、近代科学の具体的技術を適用したいと思いました。
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*ハワード・マーフェット(田中恵美子訳)『近代オカルティズムの母 H・P・ブラヴァツキー夫人』神智学協会 ニッポンロッジ、昭和56年、p.265

H・P・ブラヴァツキー(田中恵美子&ジェフ・クラーク訳)『実践的オカルティズム』の用語解説には、次のようにあった。

心霊研究会(Society for Psychical Research)
 心霊現象を調べるために1882年2月にロンドンで創立された学会。その創立者の中に神智学協会のメンバーが何人もいたので、初めのころは協会と協力的な態度をとっていたが、1884年にブラヴァツキー夫人の現象を調べるためにリチャード・ホジソンをインドに派遣し、翌年の『報告書』で夫人を『詐欺師』や『ロシアのスパイ』と非難した。『報告書』の偏った扱い方のために、神智学協会は却って同情を得て、会員は三倍ほど増えた。
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*H・P・ブラヴァツキー(田中恵美子&ジェフ・クラーク訳)『実践的オカルティズム』神智学協会ニッポン・ロッジ 竜王文庫内、平成7年、用語解説pp.14-15

Society for Psychical Researchのホームページには「我々の目的は学術調査を支援し、情報を共有し合い、討論を奨励することによって、一般的に『サイキック』あるいは『超常現象』といわれるような出来事からもっと学ぶことにあります」と謳われているが、彼らのいう学術調査そのものが、危険性を伴うことに未だに気づいていないのだろうか。

psychic(サイキック)について、H・P・ブラヴァツキー(田中恵美子&ジェフ・クラーク訳)『実践的オカルティズム』の用語解説には、「サイキ(psyche、ギリシア語の「プシュケ」)即ち魂と関係のあるという意。魂とは、高級マナスを意味することもあるが、「サイキック」の場合は、低級マナス以下の本質を指すことが多い」(ブラヴァツキー、田中&クラーク訳、平成7年、用語解説p.11)とあるが、ここでは心霊作用や超能力に関連して使われているようだ。

いわゆる超能力者といわれる人々には、霊媒と、自然に神秘主義的な能力を目覚めさせた者とが含まれるはずである。

霊媒を実験するのは、被験者である霊媒、実験者のいずれにとっても危険性を伴うものであるようだし、自然に神秘主義的な能力を目覚めさせた者の能力は、わたしは自らの体験から、世俗的な――学術的であろうと同じである――実験では測ることができない性質のものだと思うからである。

子供の火遊びになってしまうことが、1世紀経ってもわからないようだ。なぜ危険かはブラヴァツキーの著作をきちんと読めば、わかるはずのことなのだ。

ブラヴァツキーは様々な実験を行い、それらの実験は彼女の論文に生かされたが、彼女は並みの人ではなく、また大師方の見守りがあってできたことだった。

それが本当かどうかは、ブラヴァツキーの著作が知っている。ブラヴァツキーを今なお誹謗中傷する人々は、なぜ、その最も確かな証人である論文をこそ「学術調査」しないのか。

誹謗中傷する暇があるなら、心霊主義に対する彼女の警告を正しく伝えてほしいものである。

ところで、テレパシー現象について、インドの聖者パラマンサ・ヨガナンダが自叙伝で的確に解説している。その部分を引用しておきたい。

 直観と言うものは霊に導かれるもので、心が平静な時には自然に現われるものである。人は他しも、何故か理由は分からぬが虫の知らせか正しかったという経験や、自分の心を人にうまく感応させたという経験を持っているであろう。
 人間の心というものは不安定な状態から解放されている時には、その本能のアンテナを通して複雑なラジオ機構のもつあらゆる働きをするものである。つまり想念を発信したり受信したり、また好まぬ想念はダイヤルを廻してこれを遮断してしまうことも出来るのである。ラジオの性能が各々その使用する電流に依って異なるように、人間ラジオのはたらきもその個人の所有する意志によって異なるのである。
 宇宙にはあらゆる想念が不断に振動している。大師は強烈な精神集中によって死者、生者を問わずいかなる人間の思想をも探知することができる。想念の根源は個人的なものではなく、普遍的なものである。真理は創造されるものではなくて、ただ知覚されるものである。ヨガ科学の目的は宇宙に充満する神の幻を歪みなく心に映すことができるように、精神を鎮静させることである。
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*パラマンサ・ヨガナンダ『ヨガ行者の一生』(関書院新社、昭和54年改訂第12版(初版35年)、p.134

※ SPRについては、拙ブログ「マダムNの覚書」のカテゴリー「Notes: 夏目漱石」も参照されたい。

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2015年10月 4日 (日)

『ベールをとったイシス』が面白い。書いておきたいこと。

江戸時代に関する本を読まなくてはならないが、『ベールをとったイシス』が面白くて、中断させることができない。

原書は2巻で、副題は第1巻が科学、第2巻が神学とある。だが、訳者解説によると、科学と神学に関する考察は両方で入り混じっているようだ。

邦訳版で出た2冊(原書の第1巻に当たる部分)をどちらも入手したので、本格的に上巻から読み始めたというわけなのだ。

というより、これまで邦訳版『シークレット・ドクトリン (宇宙発生論 上) 』とずっと格闘していて、『イシス』を読む余裕がなかったのだった。

が、この読みかたは間違いで、『イシス』の邦訳版が1冊出た時点で、それを先に読むべきだった。

『ドクトリン』で馴染めなかった神智学用語や学術用語、あるいは哲学者や科学者だが、それらは『イシス』で初めて出てくるときにわかりやすく解説されていたのだった。

『ドクトリン』でも再度解説されていることも多いが、初回に出て来た時点で読むほうが頭に入って来やすい。

また、『イシス』がわたしにとって読みやすく感じられる理由の一つに、『ドクトリン』に比べると、物理、数学といった理数系の記述が少ないため――勿論科学という副題からもわかるように出て来ないわけではないが――文系のわたしには読みやすく感じられるというわけだ。

それに東洋思想が『ドクトリン』ほどには出て来ないということも読みやすい理由の一つだ。

東洋人なのに何てこと、とは思うがサンスクリット語とか、それが漢字に訳されたものだとかが、わたしにはとても難しく感じられるのだ。

昨日読んでいたところでは『パイドロス』の中の有翼人間――有翼魂というべきかもしれない――が『イシス』に出て来たので、『パイドロス』を再読したりしていた。やはりプラトンは面白い。

『饗宴』で出てくる両性具有の球体人間だとか、『パイドーン』の壮麗なあの世の光景だとか……ブラヴァツキーはファンタジーのようなそうした話に隠されたもっと深い意味合いを他の文献を参照しながら探っていく。

プラトンが魂について『パイドロス』で次のように描くとき、ああ確かにこれはブラヴァツキーが『神智学の鍵』で解説した魂の構造そのものだと気づかないわけにはいかない。

そこで、魂の似すがたを、翼を持った一組の馬と、その手綱をとる翼を持った馭者とが、一体になってはたらく力というふうに、思いうかべよう。
(プラトン『パイドロス』藤沢令夫、岩波書店(岩波文庫)、2014年(初版1967年)、p.69)

一組の馬とは人間の場合は、低級マナス・高級マナスの一組の馬であり、手綱をとる翼を持った馭者とはブッディのことだろう。これが魂を描いたものだとすれば。

『パイドロス』ではイデア論がみずみずしく顔を出している。

ただ、ブラヴァツキーはここでは別のテーマを展開するために、『パイドロス』の中の話を採り上げていた。

ところで、わたしは以下の記事で自身の未熟な、いわゆるテレパシー体験について日記体小説『詩人の死』で書いた断片を引用したが、時間を見つけてもう少し書いておきたいと思っている。

パラマンサ・ヨガナンダがこの現象について、実にぴったりの解説をしているので、その部分を紹介したいし、一般に想像されているテレパシー現象とは違うと思うところがあるので、それを書いておきたい。

これはオーラについて書いたことから想像して貰えるといいのだが(そんな興味も暇もない人がほとんどだろうけれど)、わたしのそうした能力は次第に拓けていったので、自然にコントロールされているということだ。

わたしが自分のほうから――つまりは世俗的な動機で――知りたいと思えば、そのとたんに受信能力は低下し、自分で自分の雑念を受信するのがオチである。賞狙いのときにそれを実感して恐ろしかった。

もし自然にコントロールされていなければ、刺激過多、情報過多でおかしくなってしまうだろう。

だから、世俗的な要求に応じられるような能力は霊媒能力ではないかとわたしは思う。

スピリチュアル・ブームで、メスメリズムによる前世探求や超能力開発が流行っているようだが、霊媒になったり、狂ったりしたくなければ、やめたほうがいいとわたしは思う。

だが、スピリチュアル・ブームの責任をブラヴァツキーになすりつけるのは誤りである。ブラヴァツキーが生きていたころも、彼女が有名になる以前から既にスピリチュアル・ブームはあった。

前掲の彼女の『イシス』を読むと、古代からそうした危険なブームがあったことがわかる。

ブラヴァツキーは心霊主義を本当に詳細に分析し、その誤りと危険性を警告したというのに、彼女の代表作さえ読んでいない、無駄に知名度だけ高い人々によって好き勝手なことを書かれ、彼女の貴重な警告は搔き消されてきた。

このことに関しては、拙ブログ「マダムNの神秘主義的エッセー」に公開中の次の記事を参照していただきたい。

25 ブラヴァツキー批判の代表格ゲノンの空っぽな著作『世界の終末―現代世界の危機』
http://mysterious-essays.hatenablog.jp/entry/2015/09/16/070556

26 ブラヴァツキーの神智学を誹謗中傷する人々
http://mysterious-essays.hatenablog.jp/entry/2015/09/22/183629

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初の歴史小説のために借りてきた、江戸時代の教育を知る本2冊

祐徳院(花山院萬子媛)をモデルとした初の歴史小説を書くにあたり、歴史小説は初執筆になるわたしには書ける自信がなく、まず短編5編を書き、それらをまとめるというやりかたをとってみることにした。

そして、過去記事で「妊娠、出産、子供の成長という流れを何らかの形で描かなくてはならない」と書いた。

子供の成長ということを考えるとき、江戸時代の教育はどうであったのかさえ、知らなかったことに気づいた。

今年中にお試しの短編1編でも書き上げるのは難しいかもしれないと感じている。逆にいえば、短編1編が書けるようなら、そのときは何編でも――そして中長編も――書けるようになっているのではないかということだ。

江戸時代を調べ始めてから、自分がまるで外国人になったみたいな気がよくする。それだけ先祖の生きかたと今の日本人との生きかたとが違っているということなのか、どうなのか。ただ、当時を調べているときに何ともいえない懐かしさが込み上げる瞬間がある。この感覚は、貴重だと思う。

江戸時代の教育は厳しかったというが、具体的に知る必要がある。2冊図書館から借りた。

最近テレビ番組で、昔の日本人の描かれかたにおかしさを感じることがある。昔の庶民が如何にも不潔であったかのように顔があちこち黒い。

『葉隠』を読むと、少なくとも武士の世界の身嗜みの厳しさは感じとれる。『葉隠』からは子供の躾に関しても垣間見ることができるが、単に厳格なだけではない、繊細さがあるのだ(過去ノートで引用したと思うが、もしかしたら非公開にしてしまったかも)。

これから読む『江戸の躾と子育て』には興味津々。

江戸の躾と子育て(祥伝社新書)
中江 克己 (著)
出版社: 祥伝社 (2007/04)

江戸の教育力 (ちくま新書) 
高橋 敏 (著)
出版社: 筑摩書房 (2007/12)

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2015年10月 3日 (土)

砂糖が固まるのを防ぐ方法。沢山のカボス。鳩の里帰り。

先日、夕飯の用意をしているときに、娘に愚痴りました。

「砂糖がそろそろ固まり出したなあ……暑い間は、これがなくてよかったんだけれどね。料理を急いでいるときに、固まった砂糖ほど苛々させられるものって他にないんじゃないかと思うくらい。冬になったら、こんなものじゃないしね」

すると、娘がいいました。「会社で*さんが話してたんだけれど、砂糖壺の中にティッシュペーパーを1枚入れておくと、固まらないんだって」

「ホントなの?」と半信半疑で入れてみたら、次の日に使うときは柔らくなっていました。まだ気温が上下する日々なので、冬になっても固まらないかどうかはわかりませんが、試す価値はありますよ。

うちは三温糖を使っていますが、*さんは砂糖といったので、おそらく白砂糖のことでしょうが、三温糖も柔らかくなりました。

冬は固まった砂糖に苛々しながら、電子レンジに入れて加熱したりしたものでした。それをしなくて済むとなれば、冬の料理の手間が一つ省けるだけでなく、精神的にも違います。

こんな風にフワッと置いておくだけ。どうして固まらないかは、ググってみてくださいね。

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パンとか野菜の切れ端とかを入れておくとよいとありましたが、うちはこのティッシュペーパーで今のところは大丈夫です。

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大助かり。*さん、ありがとう!

枝豆をフライパンで蒸すと、茹でるより美味しいと知り、やってみました。

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ホント、美味しい!

枝豆を綺麗に洗い、さらに産毛をとるために塩でもみ洗い。そのあと、枝豆の片方の端を料理鋏で切り落としておくと、塩が豆に染み込んで、仕上がりの塩が要りません。

塩をまぶした枝豆をフライパンに入れ、枝豆が半分漬かるくらいに水を入れると、蓋をして蒸します。様子を見て、かき混ぜたりしながら、水がなくなるころに火をとめます。あとはお皿に盛るだけ。

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エノキタケが安かったので、バター炒めにしました。調味料は酒としょうゆ、仕上がりに黒胡椒。ごはんにのせていただくと、ほっぺが落ちます。

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カボスを沢山頂戴しました。大分県に来てからは、カボスがないと、秋刀魚を食べた気がしません。使い切れないカボスは、搾って酢を入れて保存するといいとか。

大好きな秋刀魚をカボスを滴らせて食べまくる秋になりそう。

今日のメインは太刀魚の予定で、ホイル焼きにするか、塩焼きにするか迷っているところですが、勿論太刀魚にもカボスを滴らせていただきます。

話は変わりますが、今日も成長した鳩3羽のうち、2羽里帰りしていました。もう1羽はどうしたのかしらね。

つい追い払う前に「大きくなったわねえ」と思いながら、眺めてしまいました。細長いほうは女の子――とわたしが思っていた鳩――だと思いますが、何だか背が高くなって、もう1羽がずんぐり見えます。

ずんぐりしたほうは男の子――と思っていた鳩―― のうちの1羽だと思いますが、よくわからなくなってきました。里帰りしてもいいけれど、ここでは糞はしないでね、と心の中で語りかけました。

乾いた洗濯物を取り込もうと、物干しハンガーから外して埃を叩きだしたら、飛んでいってしまいました。

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2015年10月 1日 (木)

『ベールをとったイシス 第1巻 科学上』のレビューを書きました

夏に上梓されたブラヴァツキーの『ベールをとったイシス 第1巻 科学下』を購入しましたが、まずは『ベールをとったイシス 第1巻 科学上』のレビューをAmazonに書きました。

これをきっかけとして、これまでに読んだブラヴァツキーの著作のレビューを書いていきたいと思いますが、ちゃんと読んで理解してから……と思うと、なかなか書けません。

Amazonに書いたレビューをここにもアップしたいと思いますが、いいのかなと思い、ググってみたら、自分で書いたAmazonレビューを自分のブログに引用している人はいらっしゃったので、わたしも……。

ベールをとったイシス 第1巻 〔上〕―古代および現代の科学と神学にまつわる神秘への鍵 科学 上 (神智学叢書)
H.P.ブラヴァツキー (著), ボリス・デ・ジルコフ (編さん),  老松 克博 (翻訳)
出版社: 竜王文庫 (2011/01)

人類が紡いだ思想の醍醐味を味わえる

訳者あとがきによると、『ベールをとったイシス』の原書は2巻本だそうですが、この邦訳版は4冊構成になる予定だそうです。
今夏2冊目が上梓されて、わかりやすい日本語で読めるありがたみを噛みしめています。
編者ジルコフの「前書きにかえて」を読むと、この本がどんなに苦労して書かれたかがわかり、胸が痛くなります。
邦訳版『シークレット・ドクトリン (宇宙発生論 上) 』とずっと格闘(?)してきましたが、『ベールをとったイシス』を先に読むと(これも読んでいる最中ですが)、『シークレット・ドクトリン』が読みやすくなる気がします。
ピタゴラス、プラトン、新プラトン派に興味のある人は、読み始めたらやめられなくなると思いますよ。
イアンブリコスについて(また彼を通してピタゴラスについて)知りたいと思っても、外国語ができないわたしには彼の著作を2冊見つけられただけでした。『ピュタゴラス伝 (叢書アレクサンドリア図書館) 』(国文社、2000)と『ピタゴラス的生き方 (西洋古典叢書)』(京都大学学術出版会、2011)です。
2冊は内容的に重なる部分が多いですが、「伝」として出ている方は図書館から借り、「生き方」として出ている方は購入して大事に読みました。
そのイアンブリコスが初めのほうから出てきたので、興奮しました。
また調査、研究が進み出した原始キリスト教について、もっと知りたいと思っていたのですが、本書では他の思想とのつながりの中で浮かび上がってきます。清冽な水の流れを追うように思想を辿れる著作はなかなかありません。ほとんどが、途中で淀んだ水溜まりとなって、どこへも流れなくなっていたり、流れがどこから来ているのかがわからなかったりするのです。
東洋思想はわたしにはむしろ言葉が難しく感じられ、頭に入ってきにくいのですが、西洋思想と対照される中で、少しずつ理解が進むようになりました。
続く2冊が上梓される日を首を長くして待っています。でも、どうか無理をなさらずに、すばらしいお仕事をお続けください!

ベールをとったイシス 第1巻 〔上〕―古代および現代の科学と神学にまつわる神秘への鍵 科学 上 (神智学叢書)

ベールをとったイシス〈第1巻〉科学〈下〉 (神智学叢書)

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