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2015年9月の32件の記事

2015年9月30日 (水)

わたしが観察したオーラと想念形体、そしてプライバシーに関わると考える他人のオーラ

当ブログの過去記事をもとに執筆した「マダムNの神秘主義的エッセー」で公開中のエッセーですが、オーラに関する考えを述べたものなので、こちらにもアップします。

わたしがオーラについて知っていることはわずかだと思いますが、そのわずかな知識でもってしても、オーラに関してインチキ臭いなあと思える情報が氾濫しており、そのことを憂えています。

お金を払って身につけられるような神秘主義的な能力はありません。真正な神秘主義的な能力は自然に拓けてくるものとされており、それには責任感が伴うはずです。

また催眠療法の一種として退行催眠により「前世療法」を行うセラピストが増えているようですが、催眠術は神秘主義では黒魔術とされています。お金を取られるだけならまだしも(セラピストに悪気がない場合でも)、下手をすれば霊媒になってしまいますよ!

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わたしの目の前に、図書館から借りたジョルジュ・サンド*1の『ちいさな愛の物語』*2がある。

*1 ジョルジュ・サンド(George Sand、1804 – 1876)はフランスの女性作家、フェミニスト。ショパンとの恋愛でも有名。

*2 ジョルジュ・サンド(小椋順子訳)『 ちいさな愛の物語(ジョルジュ・サンドセレクション 8) 』 藤原書店、2005年。

この中に「バラ色の雲」があるのを知ったからだが、昔読んだ気がして読んでみたくなったのだった。

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ジョルジュ・サンド(1864年、ナダールによる肖像写真)
出典:ウィキメディア・コモンズ (Wikimedia Commons)

ジョルジュ・サンドの作品はなつかしい。最も読書を楽しんだ中学時代に、サンドの作品を好んで読んだ。彼女の書くような、何といえばいいのか、善良という核のある作品は若い頃には特に貴重だと感じる。

世の中、本当におかしな人間が多くなって、彼らにつける薬はないのかもしれないけれど、わたしはせめてこちらが彼らに内面まで侵されないよう、よい小説を読みたいのである。

薫り高く高揚した精神状態はオーラの状態をよくしてくれる。それは確かだ。

神秘主義の修行者は敏感になるゆえに心臓に異常を起こしやすい時期があると、神智学関係の著作で読んだことがあった。

人間の思いも有害な影響物となりえる。勿論、その逆も然りである。

目に見えない悪い影響から身を守る方法も読んだことがあった。白い防御の光の層を身の周りに築くのである。自身が白い光の殻に守られていると想像するだけで、オーラの外郭は想像力の度合いに応じて強化されるはずである。

わたしは他人のオーラをその構造までありありと見たことは、これまでに2度しかないが、どちらのオーラの卵も、一方は力強いエメラルドグリーンの光の層で、他方は金色の光のリボンで輝かしく縁どられていた。

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幼児が描いた絵と勘違いされるかもしれないが、昭和63年(1988)の日記に記録したスケッチである。下手なオーラの絵に次のような解説をつけている。

竜王会の大会で*さんが前に出て話していたとき、オーラがありありと見えた。きらきら光るエメラルドグリーンのとても太い輪がとりまき、内側はほとんど透き通るような、とてもデリケートなレモン色だった。これほど完璧な形状のオーラを視たのは初めてだった。とても美しかった。

その次に大会に出席したとき、初めてありありと**先生のオーラを見た。それまでにも、大会のとき、電話で話しているときでさえも、先生からは銀色がかった白い光のシャワー状の放射を感覚できたが、あれほどくっきり見たことはなかった。

そのときの大会は先生とお会いできた最後の機会だったから、先生の高級我が見せてくださったのだと考えている。*さんのオーラも、*さんの高級我に見せていただいたのに違いない。

普段は、他人のオーラを意識することはほとんどない。

あの世同様にこの世はオーラで満ちているに違いなく、実際にときどきは光の交響曲を楽しむこともあるけれど、基本的にわたしの場合は他人のオーラをプライバシーに関わるものだと捉えているためか、自然にコントロールされていて、誰彼のオーラを覗き見てアドバイスするなど、わたしには考えられない。オーラはそれだけ神聖さを感じさせるものだからである。

一方では、自分から放射されている光を見るのは当たり前のこととなっている。

先生のオーラの絵も描いたはずだが、記録した紙がどこかへいってしまった。おそらくすぐに日記に写しておくはずだったのが、当時の子育て真っ盛りの慌ただしさのためだったのか、日記には記録がない。

しかし、それからしばらくしてわたしは小説の材料に使ったのだった。平成5年(1993)発行の個人誌「ハーモニー」に連載の小説「曙」第3回目、女王卑弥呼の描写である。

女王の全身から美酒のように溢れていた物皆あまねく照らし出すかのような光や御身を取り巻く黄金の光のリボン……(以下、略)

ひじょうに控えめに書いたつもりであった。

頭の周りにあった青色の光の輪のことは書いていない。そして、すばらしく美しい、まるで楽しげに舞踏しているかのような金色のリボンに楕円状に縁どられていたオーラの色が清浄そのものの純白だったことも書いてはいないのである。

先生がお亡くなりになって長い時間が経過したので、書いても時効として許されるかなとわたしは考えている。

神秘主義者には思いが形体として見えることもある。神智学では想念形体と呼ばれている。

わたしは、7年前に、沢山の小旗が弓状に連なって見える想念形体を目撃したことがあった。小旗は鮮やかな青色とオレンジ色からなっていた。

そのときわたしは、ユーモアとアイディアに溢れる高齢の女性と電話で話していた。

彼女は文学と歌うことが趣味で、声楽の発表会のときに着る服を自分で作る。あるとき、気に入った生地を買ってきて作り始めたら、生地が足りなかったことに気づいたそうだ。腕1本分が足りなかった。

彼女はそれをデザインとした。彼女の自伝には、ローマ時代の服みたいに見える片腕がむき出しのドレスを着た上半身の写真がある。

そのときに何を話していたのかは、全く覚えていないし、そのときに見えた想念形体が何を表現していたのかもわからない。その輝かしい小旗の群れは、たっぷり2分間は空間にたなびいていた。

その想念形体が彼女とわたしのどちらから発生したものなのかは、わからなかった。

比較的近い別の日に、やはり幾何学的なくっきりとした想念形体を観たが、そのときも電話で話していたときで、色の鮮やかさ以外はよく覚えていない。

電話の相手は文学賞に小説を応募した先の編集者だった。

そのとき、わたしは天にも昇る心地と奈落の底へ突き落とされる失望を短時間に連続して味わっていた。

電話を受けた直後の歓喜は「ついに受賞したのだ!」という錯覚が惹き起こしたものであった。最終選考に残っていたわたしは、電話があるのを怖れつつも待ちわびていたのである。わたしの書いた小説がその賞で最終候補作品となったのは2度目のことだった。

わたしはスポットライトを浴びて舞台に立っている女優になった気がしていた。「ようやく、これまでの苦労が報われた。これで世に出るきっかけが掴める。2度目の正直だった……」とわたしは思った。しかし、無常にもその華やいだ興奮はつかの間のもので、状況は暗転した。

電話で告げられたのは落選だった。衝撃は大きかった。

わたしの衝撃がやわらぐのを助け、平常心に戻るのを待ってくれているかのように、彼女は様々な励ましを与えてくれていた。

それは最終選考の後の彼女の仕事の一環であって、片付けや、受賞者や他の落選者への連絡などに時間を要することを推し量れば、ここはあっさりと話を打ち切って仕事を終え、一刻も早く休みたかったことだろう。

わたしは落胆の中で、真に文学を愛している編集者にめぐり逢えた現実に感謝した。それこそがミューズがわたしにもたらしてくれたご褒美なのだと思った。

編集者の話が続く中で、わたしは自身の落選を様々な角度から眺めていた。

幾何学的な想念形体を見たのはそのときだった。ああ、また見えた――という興味が複雑な感情の中に加わった。

それは小旗の想念形体のとき同様、この世で見るどんな色彩よりも鮮やかさにおいて勝るもので、わたしの失望とは無関係に明るい、規則的なものだった。

だが、前回同様、それが彼女とわたしのどちらから発したものなのかはわからなかった。時間としては小旗のときよりも若干長かった。それでも、編集者と話していた時間の途中から見え始め、電話と共にその現象は消失したのだから、精々10分ぐらいではなかったかと思う。

それは小旗のときよりも幾何学模様としては複雑で面白いものだったと思うが、記録していなかったので、それ以上のことは書けない。

今後もたびたび見るだろうから、次に見たときから記録をつけ始めようと考えていた。ところが、それ以降、このタイプの想念形体をこの7年間1度も見ていないのである。

色彩を帯びた光の点や塊、また雲状のものはよく見るが、それらを想念形体と呼ぶべきかどうかがわからない。オーラと区別がつきがたいことも多い。

アニー・ベサントとC・W・リードビーターの共著による“Thought‐Forms”(田中恵美子訳『―想念形体―思いは生きている』神智学協会ニッポンロッジ、昭和58年)には、観察された沢山の想念形体のイラストがあり、解説がある。

それによると、あらゆる想念形体が出来る場合には、思いの特性は色を、思いの性質は形を、思いの確実さは輪郭の明瞭さを決定するという三つの一般的な原則があるそうだ。

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自家製カイワレダイコン。チョコチップクッキー(コペンハーゲン)。

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ドレッシングをかける前の平凡な(?)サラダですが、カイワレダイコンは自家製です!

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育てているのは夫。

向かって右側がサラダになったカイワレダイコンです。スーパーで買ったカイワレダイコンの容器を使っています。

スーパーで買ったものに比べたらまばらな生えかたですが、キッチンペーパーに適当に撒いた種からこれだけ生長してくれれば、上等です。

左側の瓶のは、芽が出たところです。新聞紙で覆ってやると、2~3日で発芽します。黄色いのですが、発芽後に光に当ててやると、緑色になるんです。

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これはアンデルセンのホームページのレシピ「ポテトサラダ」を参考にしたポテトサラダ。マヨネーズ、サワークリーム、マスタードを混ぜてあえます。

マヨネーズにサワークリームを混ぜたサラダには一時凝っていましたが(ビーツにあいます)、アンデルセンのレシピのように浅葱を散らすと綺麗ですね。

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レタスに何か加えたかったのですが、時間がなく、グラタン用に買った細切りチーズをたっぷりのせたら、家族に受けました。ドレッシングはオリーブオイル、酢、塩こしょうを混ぜたものです。うちでは空き瓶に材料を入れてフリフリします。

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もやしとハムのナムルです。もやしを1分茹で(それ以上でも以下でもなく。それ以上だとクタクタになり、それ以下だともやし特有の臭みが残ります)、すり下ろしたニンニク、ごま油、ラー油、塩であえました。

鷹の爪を用意する時間がなく(最近、体調がいいだけに時間に追われていて余裕が……)、ラー油を使ったのが正解。美味しかったです!

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この秋、初めての秋刀魚でした。サンマには、秋刀魚と漢字を使いたくなります。趣がありますよね。カボスは種をとる時間がありませんでした。

過去記事でコペンハーゲン「ダニッシュミニクッキー」を紹介しました。

このとき注文したロータスのビスケットが切れたので、同じものを注文しようとしたら、今回は配送料がかかりました。

で、配送料無料になっていたコペンハーゲンにしました。娘がチョコチップクッキーを食べてみたいというので、それに。

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チョコチップのお味は強くなく、あっさりしています。軽い、サクサクした食感はダニッシュミニと同じです。

コペンハーゲン チョコチップクッキー 250g

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2015年9月29日 (火)

美味しい青のり。新ブログを更新しました。

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この青のり、ごはんにのっけていただくと最高です。

新ブログを更新しました。他人のオーラを見るということをどう捉えているのか、過去記事をもとにしたエッセーですが、自分の考えを表明(?)しているので、あとでこちらにもアップしておきたいと考えています。読み直していないので、書き直しがあるかもしれません。

29 わたしが観察したオーラと想念形体、そしてプライバシーに関わると考える他人のオーラ
http://mysterious-essays.hatenablog.jp/entry/2015/09/29/200625

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2015年9月27日 (日)

『村上春樹と近年のノーベル文学賞作家たち』(Kindle版)をお買い上げいただき、ありがとうございます!

『村上春樹と近年のノーベル文学賞作家たち(Collected Essays 1)』(ASIN:B00BV46D64)をお買い上げいただき、ありがとうございます! 

今月の19日ごろ、お買い上げいただいたようです。

 『村上春樹と近年のノーベル文学賞作家たち』は、これまでで45冊お買い上げいただいたことになります。

  • アメリカ……16冊
  • 日本……25冊
  • イギリス……1冊
  • ドイツ……1冊
  • メキシコ……1冊
  • イタリア……1冊

村上春樹と近年のノーベル文学賞作家たち(Collected Essays, Volume 1)

「気まぐれに芥川賞受賞作品を読む 二〇〇七 - 二〇一二(Collected Essays 2)」)』(ASIN:B00J7XY8R2)は、文学界を考察した姉妹編ともいうべき1冊です。

気まぐれに芥川賞受賞作品を読む 2007 - 2012(Collected Essays, Volume 2)

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2015年9月26日 (土)

江戸時代のお産。鳩のきょうだいの巣立ち。

『梁塵秘抄』から引用しようと思ったところで、初の歴史小説の下調べはとまっていました。

先日の記事で、ゾラの『夢想』の出産シーンに圧倒されたと書きましたが、初の歴史小説に出産を採り上げようと考えています。

ゾラのような書きかたはできませんが、現代医学の恩恵を受けられなかった江戸時代、当時としては超高齢出産だったはずの萬子媛のお産(初産は十代が普通だったとか)、せっかく生まれた子供が長男は子供のときに亡くなり、次男は成人したとたんに亡くなって、そのことが出家につながったことを考えると、妊娠、出産、子供の成長という流れを何らかの形で描かなくてはなりません。

江戸時代のお産のことは以下のサイトに詳しいです。

それによると、出産は完全に女性たちのイベントで、女性たちの協力によってなされました。

血は汚れであったので、生まれそうになると、妊婦は産屋〔うぶや〕に行き、出産は座って天上からぶら下げた縄につかまって行われました。介助するのは産婆です。

この記事で、どうにか、初の歴史小説に戻ったことがわかっていただけるでしょうか。

ただ、ここで一つだけまた横道に逸れて、鳩のきょうだいのことを書かなくてはならなくなりました。

過去記事で「あの子」と呼んでいる鳩のことを書きましたが、その直後、その鳩がお母さんになっていたことがわかったのです。

子供たちはどうやら、お隣のベランダに出された古い家具と我が家との境に立っているフェンスの間で生まれて育ちました。「あの子」とお父さんになった鳩はつがいで懸命に子育てをしていました。

話を飛ばせば、鳩らしい体になってもついこの間までピーピー鳴いていた3羽の小鳩は大きくなり、両親が来なくなって巣立ちを迎えました。ですが、3羽は大抵早朝に1度はやって来ます。

居着かれても困るので、追い払う仕草をするのですが、すると、3羽は大袈裟に羽ばたいて見せて別々の方向に飛んでいきます。

昨日は3羽全員で、一時ホテルの窓のところに止まっていました。そこは両親の鳩も休憩に利用していた場所です。その場所を休憩所にしなさい、と親が教えたのでしょうね。

鳩のきょうだいがあんなに仲よく育つのだとは知りませんでした。1羽はおそらくメスです。「あの子」と呼んでいた母親にそっくりな華奢な子で、他の子たちがクークー鳴けるようになっても、一番最後までピーピー鳴いていました。

もう2羽は体格がよく、丸みがあって、荒いくらいの活発な動作からオスではないかと想像しています。動物の世界にはメスのほうが堂々としていて荒っぽい場合もあるので、鳩に詳しくないわたしには本当のところはわかりませんが。

男の子たちは数日前、2羽でじゃれていたのか、お隣の古タンスの上で結構本格的に嘴で体を噛みつき合っていました。わたしは殺し合っているんじゃないかと思って、怖くなったほどでした。

が、その間、女の子は、近くにいましたが、慣れっこなのか、男の子たちの喧嘩を気にする様子もなく、遠くを見ていました。

3羽が大人っぽい体つきになってきたころ、鳩のきょうだいは相変わらずお隣の古家具の後ろに棲んでいましたが、昼間は出て来て、お隣の古家具の上か、フェンスの上にいました。わたしがベランダに出ないときは、我が家の物置の上にもいたようです。

わたしが鳩たちを追い立てる真似をすると(居着かれても困るので、成長の度合いに合わせて、追い立てる様子をしてみせました)、そのとき男の子たちはマンションから離れて飛べるようになっていましたが、女の子だけはしばらくは無理で、怖そうにオドオドしながらお隣のベランダに飛び降りるのが精々でした。

女の子が初めてマンションから離れたとき(そのときもわたしが追い立てたのでしたが)、飛べることが何て不安で、それでいて誇り高そうだったことか。

飛ぶのに慣れた女の子は、今ではすっかり自慢そうに飛んでいきますが、母親の「あの子」に似てとても上品なので、嫌味な感じは全くありません。男の子たちは人間のおばさんのことなんか、眼中にありません。

鳩のことは予告だけにしておいて、はじめからちゃんと書くつもりでしたが、もうこれだけ書いてしましました。気が向いたら、鳩の記事を切り離して別にします。

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二つの神智学協会(追記:初めてヘレナ・レーリッヒの写真を見て)

「ネオ神智学」という用語を、無知なわたしは昨日知った。

ブラヴァツキー、オルコットと共に神智学協会を設立したウィリアム・クァン・ジャッジ(1851 - 1896)は、ブラヴァツキーの死後、新たに指導者となったアニー・ベザント及びリードビーターと仲違いした。

ジャッジは1886年、アメリカで新しく神智学協会を立ち上げた。ジャッジの協会のほうがアメリカでは通りがいいという。ジャッジが亡くなった1896年にはアメリカ全土で200以上の支部があったそうだ。

ウィキペディア*を読むと、ジャッジは清廉潔白というイメージだ。そして、アニー・ベザントらの神智学はネオ神智学(Neo-Theosophy)という批判の籠もった用語で呼ばれることもあるという。

*ネオ神智学: ウィキペディア

脚注で挙げられている文献を見ておきたい。タイトルの訳は、文献の大体の傾向を知るための適当な訳である。

  • 新宗教論争
  • 神智学対ネオ神智学
  • G. R. S. ミードとグノーシス主義的探求
  • 天の伝承:エズラ・パウンドの詩編群研究
  • 現代アメリカにおける宗教的及びスピリチュアルなグループ
  • 代替祭壇:アメリカにおける非従来型の東洋的霊性
  • 臨死体験:文化・霊魂・物理的展望の統合
  • アレイスター・クロウリーはなぜまだ問題なのか?

アニー・ベザントが第2代会長を務めた神智学協会をアディヤール派、ジャッジの神智学協会をポイント=ローマ派(現「神智学協会・国際本部〈カリフォルニア州パサディナ〉)と呼ぶらしい。

このことを知るかなり前に、神智学協会ニッポン・ロッジ(アディヤール派ということになるが)からジャッジの著作(田中恵美子&ジェフ・クラーク訳)『オカルティズム対話集』(神智学協会ニッポン・ロッジ 竜王文庫内、平成8年)が出たので、わたしはジャッジの論文集を読んでいた。

序文を読むと優れた内容であるように紹介されているのだが、率直にいってしまうと、わたしにはそうは思えなかった。

あくまで勉強中であるわたしの個人的な感想にすぎないことを断って放言すると、アニー・ベザントがブラヴァツキーの神智学を要約する場合にもう一つだと思うところがあるが、ベザントの志の高さ、美しさは伝わってくるし、リードビーターの著作にはシュタイナーに似たおかしなところ――空想的キリスト教史観とでもいうべきか――があると思うが、さすがだと思える部分もある。

しかし、アディヤール派ニッポン・ロッジでの評価も高いジャッジの著作を読んでわたしはその単調な雰囲気に失望し(挿入されたブラヴァツキーとの対話の断片だけは貴重だと感じられた)、如何にアニー・ベザントとリードビーターに不満があるといっても、ジャッジの著作を読んで受ける印象からすれば、格が違うという気がしてしまったのだった。

手記『枕許からのレポート』 *を執筆したころから、牛歩の歩みながら本格的に神秘主義的に生き始めたとの自覚のあるわたしには、優れた神秘主義の著作は精神修養書であると同時に実用書でもある。

*枕許からのレポート(Collected Essays, Volume 4)(Kindle版)

文学、哲学、神智学といった分野の著作を身に刻むようにして読むことがわたしの修行になっているのかどうかはわからないが、別段身体的な修行をしたわけではないのに――物心ついたときには前世やあの世の仄かな記憶があったわたしは、ありふれた子供を装いながらも変わり者ではあったが――次第に透視力や透聴力といった神秘主義的な内的感覚が目覚めてきたのを自覚するようになった。

肉体感覚では捉えられない現象を内的な感覚でキャッチするようになったのである。そのため、その方面の学習が絶対的に必要となった。

それが何であるかを教えてくれる信頼できる参考書は神智学叢書、ヨガ関係書以外ではほとんど見つからない。

わたしはブラヴァツキー、レーリッヒ夫人、また自叙伝で著名なヨガの聖者パラマンサ・ヨガナンダの著作*をよく参考にし、例外的にリードビーターを参考にすることがある。

Paramahansa_yogananda_standard_pose

パラマンサ・ヨガナンダ
Standard Pose; this image of Paramahansa Yogananda appears in many of his publications. It was very probably taken at approximately the time Yogananda arrived in the USA, in 1920.
From Wikimedia Commons, the free media repository

*パラマンサ・ヨガナンダ『ヨガ行者の一生』関書院新社、昭和35年初版、昭和54年第12版。2015年9月28日現在Amazonで見たところでは、『あるヨギの自叙伝』(森北出版、1983年)として出ているようだ。あるヨギの自叙伝

例外的にというのはリードビーターの著作を全面的には信頼していないからだが、彼はオーラや想念形体の解説を著作で豊富に行っており、オーラの解説は参考になるし、またそんなものが見えるはずがないと思っていたタイプの例えば幾何学的形体を備えた想念形体*にしても2度だけだが目撃してなるほどと思ったりしたのだった。

わたしは自著『詩人の死』*という日記体小説で次のように書いた。

*詩人の死(Kindle版)

神秘主義ではよく知られていることだが、霊的に敏感になると、他の生きものの内面的な声(思い)をキャッチしてしまうことがある。人間や動物に限定されたものではない。時には、妖精、妖怪、眷族などという名で呼ばれてきたような、肉眼では見えない生きものの思いも。精神状態が澄明であれば、その発信元の正体が正しくわかるし、自我をコントロールする能力が備わっていれば、不必要なものは感じずに済む。
普段は、自然にコントロールできているわたしでも、文学賞の応募作品のことで頭がいっぱいになっていたときに、恐ろしいというか、愚かしい体験をしたことがあった。賞に対する期待で狂わんばかりになったわたしは雑念でいっぱいになり、自分で自分の雑念をキャッチするようになってしまったのだった。
普段であれば、自分の内面の声(思い)と、外部からやってくる声(思い)を混同することはない。例えば、わたしの作品を読んで何か感じてくれている人がいる場合、その思いが強ければ(あるいはわたしと波長が合いやすければ)、どれほど距離を隔てていようが、その声は映像に似た雰囲気を伴って瞬時にわたしの元に届く。わたしはハッとするが、参考程度に留めておく。ところが、雑念でいっぱいになると、わたしは雑念でできた繭に籠もったような状態になり、その繭が外部の声をキャッチするのを妨げる。それどころか、自身の内面の声を、外部からやってきた声と勘違いするようになるのだ。
賞というものは、世に出る可能性への期待を高めてくれる魅力的な存在である。それだけに、心構えが甘ければ、それは擬似ギャンブルとなり、人を気違いに似た存在にしてしまう危険性を秘めていると思う。
酔っぱらうことや恋愛も、同様の高度な雑念状態を作り出すという点で、いささか危険なシロモノだと思われる。恋愛は高尚な性質を伴うこともあるから、だめとはいえないものだろうけれど。アルコールは、大方の神秘主義文献では禁じられている。
わたしは専門家ではないから、統合失調症について、詳しいことはわからない。が、神秘主義的観点から推測できることもある。
賞への期待で狂わんばかりになったときのわたしと、妄想でいっぱいになり、現実と妄想の区別がつかなくなったときの詔子さんは、構造的に似ている。そんなときの彼女は妄想という繭に籠もっている状態にあり、外部からの働きかけが届かなくなっている。彼女は自らの妄想を通して全てを見る。そうなると、妄想は雪だるま式に膨れ上がって、混乱が混乱を呼び、悪循環を作り上げてしまうのだ。

こうした神秘主義的な考察をするに当たって、何の参考書もなかったとしたら、対照できる事例がないことからくる孤独感や心細さに苛まれたに違いない。

しかし、有益な参考書があれば、解説に共鳴したり、教えられたり、また逆に疑問を深めたりしながら、神秘主義的な体験はこの世でも役に立つエッセンスへと変容していくのだ。

こうした観点から読んでいると、ジャッジの著作はせっかく目覚めてきた透視力や透聴力を圧殺するかのごとき否定と恐怖心の植え付け、抽象的な忠告、その半面マハートマ*やオカルト能力への好奇心を誘う傾向にあると思われ、それにしてはわたしはジャッジの著作に出てくる「師匠」の言葉から新鮮な自覚を促されることがない。

*マハートマ(Mahātma,梵)
     文字通りには「偉大な魂」のことで、最高位のアデプトをいう。自らの低級本質を克服した高貴な方で、従って肉体に妨げられずに生きておられる。霊的進化で達した段階に比例した智慧と力をお持ちである。パーリ語ではラハットまたはアルハットと言う。
(H・P・ブラヴァツキー(田中恵美子訳)『神智学の鍵』神智学協会ニッポン・ロッジ 竜王文庫内、平成7年改版、用語解説p.61)

先に述べたように、これはあくまでわたしの場合がそうだというだけの話である。自分の感じかたに自信があるわけではない。

アニー・ベザントとリードビーターはクリシュナムリティをメシアに育て上げようとして会員たちの反発と脱会を招いたが、マハートマ現象への敷居を低くし、結果的にマハートマ通信ブームの火付け役となったのは著作の内容から判断する限りにおいてはジャッジなのではないだろうか。

ブラヴァツキーを別にすれば、レーリッヒ夫人だけは別格で、著作を通じてマハートマという高貴な存在を感じさせてくれるようにわたしには思われる。

わたしはブラヴァツキーを指導したマハートマたちの存在を疑ったことがなく、だからかむしろマハートマへの好奇心がほとんどない。オカルト能力を求めたこともない。

神秘主義的な感受性は先に述べたように、平凡な人間として生きるなかで出合う試練、真摯な読書や創作を通して自然に目覚めてきた。そして、わたしはブラヴァツキーの著作の哲学的な魅力に浴することができるだけで、大満足なのだ。

仮に英語ができたとしても、ジャッジの著作が苦手なので、ポイント=ローマ派に入ろうとは思わなかっただろう。

アディヤール派の神智学協会ニッポン・ロッジで、ジャッジを含む様々な神智学文献の邦訳論文や解説に触れられることに感謝しつつ勉強させていただいている。

ポイント=ローマ派のホームページを訪問したら、ブラヴァツキー及びジャッジの論文が自由配布されていた。

United Lodge of Theosophists
www.ultindia.org

英語が堪能だったとしても、いきなり読めば、神智学用語や学術用語、また内容の難解さに戸惑うかもしれない。

それにしても、ブラヴァツキーの死後、神智学協会はよくもまあ盛大に分裂したものだ。第2次大戦中にはナチスの迫害もあったようだし、内憂外患というべきか。

だが、分裂、結構ではないか。学術団体だと考えれば、学派がいろいろあるほうがむしろ自然だと思う。

〔追記〕

ウィキペディア英語版でヘレナ・レーリッヒを検索し、レーリッヒ夫人*の写真を初めて見た。涙が出た。

*Helena Ivanovna Roerich  (Russian: Елéна Ивáновна Рéрих; February 12, 1879 – October 5, 1955)

なぜなら若い頃のレーリッヒ夫人の写真(肖像画?)が、昔わたしが『枕許からのレポート』を書いてしばらくして塾で見た天使のような人の容貌にそっくりだったから。

正確にいえば、わたしが見た天使のような人をこの世の人間に置き換えれば若い頃のレーリッヒ夫人の容貌そっくりになる。塾での出来事は以下の記事。

レーリッヒ夫人の写真がパブリック・ドメインであった。

Helena_roerich
Helena Roerich
From Wikimedia Commons, the free media repository

次の写真は後年に撮られたものだろう。

Helena_roerich_1
Helena Ivanovna Roerich. Naggar, India
From Wikimedia Commons, the free media repository

以下はレーリッヒ夫妻によって設立されたアグニ・ヨガ協会のホームページ


当ブログにおける関連記事:

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2015年9月23日 (水)

新ブログを更新しました。ゾラの凄さ、『夢想』『生きる歓び』。体調は安定。

新ブログ「マダムNの神秘主義的エッセー」を更新しました。

26 ブラヴァツキーの神智学を誹謗中傷する人々
http://mysterious-essays.hatenablog.jp/entry/2015/09/22/183629

27 もう一つの世界への扉であるような作品を書いていきたい
http://mysterious-essays.hatenablog.jp/entry/2015/09/23/170807

体調はまあまあです。心不全の症状が出ていると思ったときは、とにかくじっとしていれば、わたし程度のものは落ち着きます。

マラソンしているときのような胸焼けが消えず、昨晩はあまり眠れませんでしたが、朝ニトロペンを舌下し、家事をせずにパソコンの前でじっとしていたら(まあ手は動かしていましたが)、治まりました。

1ヶ月に1度くらいの割合でもうだめかと思いますが、よくなると、胸焼けで苦しかったことなんか、すっかり忘れます。焦らず、じっと安静にしていることが肝心だと改めて思いました。

結局3日間も入浴しませんでしたが、午前中に入浴し、さっぱりしました。2年ぶりに2回目の入浴できなかった不調に焦りました。そこを無理に入浴せず、それを回復に当ててよかったと思います。

昨日の夕食は娘に弁当を頼み、家事で体力を奪われなかったことも回復を速めたと思います。

いよいよ、初の歴史小説に戻ります、今夜から。

ベルンハルト・シュレンクの短編集『夏の嘘』(松永美穂、新潮社、2013年)を図書館から借りていたので、『最後の夏』を1編だけ読みました。

夏の嘘 (新潮クレスト・ブックス)
ベルンハルト シュリンク (著), Bernhard Schlink (原著), 松永 美穂 (翻訳)
出版社: 新潮社 (2013/02)

全く無駄のない、ハイセンスな、職人技を感じさせられる短編でした。が、ストーリー的にここまで徹底していると、逆にいえば不自然さがありました。

じっくり感想を書く時間がないので、内容には触れませんが、実際にも日本人のような甘いところがなく、これくらいクールな人々が存在するということなのか、問題を際立たせるためにあえてデフォルメしてあるのかが、これ1編読んだだけではわかりませんでした。

他の作品も読んで、何か書きたいことが出てくれば、また書きます。小説を読む時間がとれないので、比較的気軽に読めそうな本を借りたのですが、この作家の本質に手っ取り早く触れるには『朗読者』『帰郷者』などを先に読むべきだったかもしれません。

急がば回れですね、読書も往々にして。

ジャーナリストの生理学 (講談社学術文庫)
バルザック (著),  鹿島 茂 (翻訳)
出版社: 講談社 (2014/12/11)

娘が感心して読んでいたバルザックの『ジャーナリストの生理学』も読みたいのですが、時間がありません。

そういえば、ゾラの「ルーゴン=マッカール叢書」シリーズの『夢想』と『生きる歓び』を読みましたが、どちらも凄かったです!

生きる歓び (ルーゴン=マッカール叢書)
エミール ゾラ  (著),  小田 光雄 (翻訳)
出版社: 論創社 (2006/03)

何がって、『夢想』では、『黄金伝説』というキリスト教の伝説集を読んで空想するヒロイン、アンジェリックの怒濤のような妄想ぶりがです。もう圧倒されてしまいました。

『生きる歓び』では何といっても出産のシーンが抜群の筆致で、わたしも出産に立ち会ったような気分になり、どっと疲れて読後は横になったほどでした。

産婆だけでは無理な状況となり、医師が呼ばれ(医師がなかなか来ない)、赤ん坊の手が先に出てしまうのですが(そこに辿り着くまでが相当に長い)、医師がそれをどう処置するのか、産婆になる勉強をしているみたいでした。

最後は汚物が迸って赤ん坊が出てくるところまで(今の日本では下剤など使って、あらかじめ腸管内の排泄物を除去していることが多いと思いますが)、微に入り細を穿ち……読んでいて気分が悪くなるほど、専門的であり、また写実的でした。後産のことまで詳しく書いてあるのです。昔は出産で亡くなる人も多かったというのが、何か産婆的観点から(?)理解できました。

出産がどんなものか知りたいかたにはオススメです。たぶん、人間も牛も同じです。わたしも2人産みましたが、出産ってこんなものなのだと初めて知りました。勿論出産は小説の中の一出来事にすぎません。

赤ん坊の描写の生々しさ。下手をすれば、ちぎれた肉の塊になるところだった赤ん坊は何とか無事に生まれました。そして生まれてみると、何事もなかったかのように……。

ゾラの作品にしてはどちらも気軽に読めると思って借りたのですが、ゾラはそんなに生やさしい御方ではありませんでした。ゾラの筆力に改めて参りました。

論創社から出ている「ルーゴン=マッカール叢書」シリーズに関しては、いずれちゃんと書きたいと思っています。

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2015年9月22日 (火)

心臓が重く、ニトロペン1錠(あれこれ独り言混じり。モロゾフ、料理…)

ニトロペンをつかったのは4時ごろ。最近娘が買ったバルザックの本の上に殻を置いてみた。

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娘はもう読み、丹念に書かれていると感心していた。

心臓が金属になったように重く感じられて眠れず、尿が出にくいせいかおなかが膨らみ、だるく、しんどかった。

横になると、息苦しく、心臓の重さを何かで払いのけたくて(冠攣縮性狭心症の発作ではないと思ったが)、心不全にも有効と専門サイトにあったニトロを使ってみることにした。

ミオコールスプレーを続けて何度か噴霧したら心臓が縮んで楽になるかも……というやけっぱちな考えが浮かび(心臓を縮める薬ではないので、楽になる前に血圧の急降下で失神するのがオチ)、これは危険な精神状態だと思ってニトロペン舌下錠を使った。

ニトロの効果で胸から腹部、手や頭まであちこち涼しくなったように感じられ、冠攣縮性狭心症の症状だったのだろうか、ずいぶん楽になった。

慢性心不全の症状が出たときはとにかくじっとしているしかない、と前にかかっていた病院で教わったので(鬱血性心不全と前の病院の先生たちはおっしゃった)、この2日入浴なし。というより疲れ果てていて、入れなかった。

入浴できなかったのは2年ぶりに2回目。サンリズムの効果を疑い出したころから、明らかに体調は低空飛行状態。それまでは体調の悪い日でも根性出せば入れた。

家事も、昨日はトイレ掃除と洗濯と料理しかせず、昨日も一昨日も料理の途中で投げ出したくなるくらい、立って家事するのがしんどかった。

昨日は動悸はなかったが、足が腫れていてスリッパに足の裏が当たると痛かった。手も腫れているように感じられ、力が出ず、包丁で固いさつまいもを切ってるときに、あまりにしんどくて泣きたくなった。

レンジにかければやわらかくなるが、バターきんぴらにしたかったので、フライパンの熱でやわらかくしたかったのだ。それに、電子レンジまで移動するくらいのことすら、つらくて嫌だった。

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メインは、挽肉と春雨の炒め物。

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他に冷や奴と味噌汁。味噌汁に入れるはずの白菜が中のほうから腐っていて、これも泣きたくなった。冷蔵庫とシンクの間を行き来するしんどさ。

結局、貝割れ大根と油揚げの味噌汁になった。

貝割れ大根は冷や奴に削り節と一緒にのっけるはずだった。味噌汁の実によい、ゴボウ、大根、じゃがいも、キャベツといろいろあったのだが、力が要りそうで考えるのも嫌だった(体調のよいときは飛ぶようにシンクと冷蔵庫の間を行き来し、何も考えずに使う)。

それもこれも、一つは体調が悪いのに土曜日、家族と商業施設にコーヒー豆を買いに行って楽しんだせいだ。

足が腫れて普通の靴はどれも入らず、以前ウォーキング用に買ったシューズに無理に足を突っ込んだので痛かった。

纏足を連想したが、実際にはあれは足を締め付けるという生やさしいものではなく、骨を砕くのだそうだ。『ワイルド・スワン』に、15歳で軍閥将軍の妾になった祖母の子供のころのエピソードとして出て来た。上品な、まなざしの美しい、端正な容貌の老女の写真が祖母であるらしかった。

『ワイルド・スワン』は中国人女性作家ユン・チアンの自伝的ノンフィクションで、毛沢東の文化大革命の真相を生々しく描き出している。

話を商業施設行きに戻すと、モロゾフで娘がセットのモンブランのケーキとサンドウィッチを一つ分けてくれた。

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奢ってくれるといったが、朝体重を測ったら増えていたので、太りたくなかった。尿が出にくいので、体重が増えていた可能性もあるけれど。

ダイエットする前の話になるが、モロゾフで注文したモンブランケーキの美味しさには参ったことがあったので、小型のモンブランケーキのお裾分けは嬉しかった。娘にとって、このプレートはお昼兼おやつ。

今日は入浴したい。ニトロで血の巡りがよくなったお陰か、心臓も体も軽くなったので、入れるかもしれない。

一昨日は咳も動悸もあったが、昨日はむくみとだるさと心臓の重さだけがあった。大抵、咳、むくみ、不整脈が3点セットとなるのだけれど、どういうことかな?

もしかしたら、むくみは前日の外出のためで、心臓の重さは冠攣縮性狭心症の発作だった? 何が何だか、わからなくなった。

咳、動悸、不整脈さえなければ、創作に集中できる。パソコンの前に座るのがしんどくない。

ちょっとしたことで体調がひどく悪くなったり、劇的によくなったりする。毎日サーフィンしているみたいだ。書いている間にまた少し心臓が重くなった。体調悪いと記事が長くなるのはなぜかな? 

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2015年9月21日 (月)

ブラヴァツキー批判の代表格ゲノンの空っぽな著作『世界の終末―現代世界の危機』

※「ルネ・ゲノンの終わっている脳味噌で書かれた『世界の終末―現代世界の危機』(田中義廣訳、平河出版社 、1986年)」として公開していた記事を改題し、神智学と仏教の違いを述べたブラヴァツキーの解説と、レーリッヒ夫人(ブラヴァツキーと同じくモリヤ大師の指導を受けた)がいう宗教の意味を紹介した田中恵美子 神智学協会ニッポン・ロッジ初代会長の文章を加えた。

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

過去記事で、シモーヌ・ヴェイユが学友でシュルレアリストであったルネ・ドーマルと共にルネ・ゲノンの著作の愛読者だったという情報を紹介した。

そうだとすると、シモーヌがルネ・ゲノンの思想を受容し、自己形成に役立てた可能性は高い。わたしはゲノンを調べる必要があると思った。

利用している図書館にはルネ・ゲノンの著作は(田中義廣訳)『世界の終末―現代世界の危機』(平河出版社 、1986年) しかなかったので、それを借りた。

厳めしい論文を想像していたが、引用もなしに軽く書かれたような印象を受けて拍子抜けし、どこにブラヴァツキーのことが書かれているのか、探してみた。

何しろアマゾンの商品の説明には次のように書かれているのだから、ブラヴァツキーの代表作『シークレット・ドクトリン』を上回る重厚な論文を期待してもおかしくはないと思う。

商品の説明
内容(「BOOK」データベースより)
ルネッサンス以降の〈知〉が犯してきた過ちは、いまや西洋文明を終末へとかりたてている。必要なのは〈真の伝統精神〉の復興である。…西洋の知のあり方を否定し、近代オカルティズムの隆盛を批判したルネ・ゲノンの洞察は、半世紀を経た今日、さらに深い意味をおびてここに蘇る。

次に引用する文章は、本のジャケットに著者紹介として書かれたものからである。

1886年~1951年。フランスの思想家。
洋の東西を問わず秘教的伝統を探求し、世界の中心点の存在、歴史の循環的展開を説く。唯物論、科学、オカルティズムを含めた現代西洋精神のすべてを否定し、徹底した反近代の姿勢をつらぬいた。
1930年にエジプトにわたり、終生カイロにとどまった。
著書に、ブラヴァツキー夫人を批判した『神智学、ある疑似宗教の歴史』
、…(略)

これははっきりいって、誇大広告もいいところである。

わたしが持っているブラヴァツキーの『シークレット・ドクトリン (宇宙発生論 上)』(平成8年第3版)の商品パッケージ寸法は21.4 x 16 x 5 cm、頁数は762頁。

ゲノン『世界の終末―現代世界の危機』(1989年)の商品パッケージ寸法は18.8 x 12.6 x 1.6 cm、頁数は244頁。

ゲノンの本は作りとしては軽装でも、勿論きちんと製本された商品であるが、内容は軽くて、軽佻浮薄というより「猫踏んじゃった」である。ざっと読んだだけでも、それがわかるほどのひどさだ。

何しろ、プラグマティストのウイリアム・ジェイムズを批判したのに続いて、ブラヴァツキーを暗示しているところが1箇所あるだけなのだから。次の文章である。ゲノンの定義も引用もなしに唐突に断定する癖のある文章は批判されているウィリアム・ジェイムズそっくりである(Notes:夏目漱石を参照されたい)。

ここで、宗教の堕落の最終的産物は哲学の堕落の最終的産物と融合する。すなわち、「宗教的経験は「プラグマティズム」と一体化するのだ。「プラグマティズム」の名の下に、無限の神という観念より「有利だ」という理由〔わけ〕で、限界のある神の観念のほうを推奨するのだ。このような神になら、優れた人間に対して感じるのと似た感情を抱くことができるという理由で。同時に、「潜在意識」への訴えによって、心霊術やありとあらゆる「疑似宗教」に直結するに至る。これらは現代に特徴的なもので、われわれは別の著作でこれらを研究した*。 訳註*――『心霊術の誤り』と『テオゾフィスム』参照(Guénon、田中義廣訳、1989、pp.103-104)

『テオゾフィスム』にそれが書かれているとしても、ここにこれだけしか出ていないのに「近代オカルティズムの隆盛を批判したルネ・ゲノンの洞察」はないだろう。

もっとも、カントを軽く否定したあとにスピリチュアリズムについて少し書かれていて、ここもブラヴァツキー批判に関連づけられているようである。

多くの人々は「概念を抱く」ことと「想像する」ことの区別を知らず、カントのような哲学者たちは、表象として表わすことのできないものいっさいを、「考えられないもの」と断言するのである。同様に、いわゆる「スピリチュアリズム」や「イデアリズム」は多くの場合、移しかえられた一種の物質主義にすぎない。このことはわれわれが「ネオスピリチュアリズム」**と名づけられたものにだけあてはまるのではなく、自分では物質主義の反対者であると考えている哲学的スピリチュアリズムにもあてはまるのだ。訳註**――心霊術などを含む心霊主義。広い意味では近代オカルティズム全体を指す(Guénon、田中義廣訳、1989、解説p.140)

ずいぶん大雑把な括りである。

カントは大学時代、岩波文庫から出ているものを囓れるだけは囓ったが、いきなり出てきたこの指摘には目が点になった。

『シークレット・ドクトリン (宇宙発生論 上)』の索引で「カント Kant」を見ると、6頁示されている。肯定的な引用が多いが、批判的な引用もあって、一律ではない。

それはブラヴァツキーのキリスト教文献からの引用についてもいえることである。ブラヴァツキーのキリスト教批判は単純ではない。それに比べて、ゲノンはそれ以前の問題として、批判の対象をきちんと捉えているのかが大いに疑われる。

ブラヴァツキーがスピリチュアリズムをどう見ていたのか、H・P・ブラヴァツキー(田中恵美子訳)『神智学の鍵 The Key to Theosophy』(神智学協会ニッポンロッジ 竜王文庫内、平成7年改版)の用語解説で確認しておこう。用語解説には「心霊主義(Spiritualizm)」と、それと同義と書かれた「スピリティズム(Spiritism)」の項目がある。

心霊主義(Spiritualizm) 
 死者の霊が生きている者と交信するために地上に戻るという信仰である。

スピリティズム(Spiritism)
 心霊主義(Spiritualizm)と同義であるが、心霊主義者が輪廻説をほとんど異口同音に退けるのに対して、スピリティストは輪廻説を基本的原理とする。しかし、スピリティズムの見解と東洋のオカルティスト達の哲学的教えの間には、たいへんな違いがある。スピリティストはA・カルディックが創設したフランス学派に属し、アメリカ、イギリスの心霊主義者は、アメリカのロチェスター市で自説を唱えたフォックス姉妹の学派に属する。神智学徒は心霊主義者とスピリティスト達の霊媒現象を認めるが、彼等のいう「霊」についての考えを拒否する。
(Blavatsky、田中恵美子訳、平成7改版、用語解説p.36)

『世界の終末―現代世界の危機』の解説には、ゲノンがパピュスの主宰するオカルト研究機関「ヘルメス塾」(エコール・エルメティック)の講義に定期的に出席しはじめたのをきっかけに、「そのほか各種の秘教団体、秘教グループに出入りするようになった」とあり、パピュスとは「1887年に神智学協会のフランス支部「イシス」に加入した。しかし神智学協会の『東洋的』オカルティズムに反対して、1890年「イシス」を脱会し、西洋的秘教の研究機関「秘教研究の独立グループ」(のちの「エコール・エルメティック」)を開設した」*ような人物である。*(Guénon、田中義廣訳、1989、解説p.198)

パピュスを通じて、間接的に神智学協会フランス支部の噂を聞いた程度のことにすぎないのではないだろうか。

それとも、『テオゾフィスム』にはブラヴァツキーの諸著からの引用があちこちにあるのだろうか。普通はそれを期待するのだが、あればこの本でも出てきていいような気がする。当時のオカルトブームに染まって、あれこれ囓ってみただけという風に想像したくなる。

解説の203頁には「ブラヴァツキー夫人は半ば職業的な霊媒であったし、……(略)」とあるが、これは何だろう? 霊感占いで生計を立てていたとでもいうのだろうか。またしても目が点になってしまった(こんな出鱈目を読むと、老眼にこたえる)。

余談だが、ブラヴァツキーは貴族のお嬢様育ちで、ピアノの名手であった。どうしても困ったとき、ピアノで稼いだこともあったと伝記のどこかにあった気がする。

ゲノンのこの本の出鱈目な内容に合わせて放言すれば、彼がカトリック・サポーターであることは間違いない。

カトリックには胡麻をすっているからである。ゲノンが西洋でちやほやされる理由はそれだろう。シモーヌ・ヴェイユと同じだ。というより、シモーヌはゲノンのそういうところも受容したのだ。

なぜ胡麻すりかというと、それだけの根拠が提示されていないからである。例えば、次のような箇所。

ますます拡がり、ますます深刻化していく無秩序に対抗するには、西洋においても東洋においても、まだ外界においてなお活動しているすべての精神的勢力の大同団結を訴える必要がある。西洋の側ではカトリック教会以外は考えられないが、カトリック教会が東洋の伝統の代表者とコンタクトをとることができれば、きわめて祝福すべきことと言わねばならない(Guénon、田中義廣訳、1989、p186)

西洋において、カトリックが深刻化していく無秩序に拍車をかけているとは考えないのだろうか。

カトリシスムがもはや思想的にも様式的にも時代遅れになっていて、人々の心を捉えることが難しくなったからだとは考えないのだろうか。

また、新時代に合わせた神秘主義運動を邪魔ばかりしてきたゲノン、あなたのような人達が要らぬ混乱を招いてきたのだとは夢にも思わなかったのだろうか。

わたしはエッセー20「バルザックと神秘主義と現代」で、神秘主義が 〈無知蒙昧、精神薄弱、一切の社会悪の根源のようにみなされている〉ことからきた社会的弊害について書いた。

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ルネ・ゲノン(1925年の写真)
出典:ウィキメディア・コモンズ (Wikimedia Commons)

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Helena Petrovna Blavatsky (1831-1891)
出典:ウィキメディア・コモンズ (Wikimedia Commons)

ゲノンはイスラム教に改宗し、カイロ郊外で20年過ごし、臨終の言葉は「アラー、アラー」だったという。

ゲノンは秘教団体を断罪しながらもフリーメーソンや神智学――が伝えるイニシエーション――というものに未練があったのか、解説には次のようなことが書かれている。

その後も彼はメーソン関係者との接触を保ち、メーソン改革の可能性を追求したらしかった。しかし、結局メーソンとの復活は期しがたく、西洋の伝統的秘教組織は事実上失われてしまった、とゲノンは考えているようだ。(Guénon、田中義廣訳、1989、解説p.231)

1910年にゲノンはイーヴァン・アゲリというスヴェーデンの画家と出会った。彼は神智学協会に入会したり、インド思想に興味を抱いてセイロンまで旅行した後、イスラム教に改宗し、アブドゥル・ハーディと改名していた。1907年頃アゲリにイニシエーションを授けたのが、アブデル・ラーマン・エリシュ・エル・ゲービルである。(略)
ゲノンはアゲリの紹介で、このアブデル・ラーマン・エリシュ・エル・ゲービルからイニシエーションを受けたらしい。(Guénon、田中義廣訳、1989、解説p.240)

ゲノンが受けたという――神秘主義に関してゲノン程度の理解力しかない人物でも受けられるような即席めいた――イニシエーションは、ブラヴァツキーが解説するイニシエーションとは似たところの全くない別物だろう。

わたしが気になったのは、ゲノンに傾倒し、熱い口吻で彼について書いているブログ記事を多く閲覧したことである。

「秘教的伝統主義者で、インド・アラブ・中国の奥義に通じ、最後はカイロでイスラムの聖者として死んだ思想家」といった高い位置づけのようだ。

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五比丘[ごびく]
Part of a Buddha-statue, showing the first five disciples of the Buddha at the Isipatana Deerpark of Sarnath, showing their respects to the Wheel of the Dhamma.
出典:ウィキメディア・コモンズ (Wikimedia Commons)

ゲノンが仏教に関しては極めて貧弱な理解力しか持ち合わせていないということが次の引用からもわかるだろうに、何とも思わないのだろうか。仏教に関する記述はここに出てくる以外見当たらない。

インドではこの時期に仏教が生まれた。仏教はその当初の性格はいかなるものであれ**、少なくとも分派のいくつかでは、道教やゾロアスター教の場合とは正反対に、伝統的精神に対する反抗に行き着いてしまった。あらゆる権威の否定、真のアナーキー、語源的な意味におけるアナーキー、すなわち知的、社会秩序における「原理の欠如」にまで達してしまったのである。奇妙なことにインドでは、この時期より古い建造物はまったく発見されていない。仏教を過大評価し、すべてを仏教から始めたがる東洋学者たちは、この事実を自分たちの理論に有利に利用しようと試みてきた。しかし、この事実の説明はきわめて簡単である。それ以前の建物は木で造られていたので、当然跡形もなく消え失せたのだ***。ただし、建築法におけるこのような変化が、それが生じた民族における生活条件全般の深刻な変化と必然的に結びついていることもまた確かである(Guénon、田中義廣訳、1989、p.22)

原注で補われてはいるのだが、短絡的でよく意味のわからない、おかしな記述ではないだろうか。

解説には次のようなことも書かれている。ゲノンは「エゾテリスムの領域では純粋形而上学の真理はただひとつであり、あらゆる伝統に共通のものだから、どこから始めても結局は同じ地点に到達するはずである」といったそうだが、この考えは、ブラヴァツキーが『シークレット・ドクトリン』でダイナミックに展開した理論を弱々しい線でなぞっているかのようである。

そして、ゲノンは東洋の代表的伝統のうちインド思想の研究から始めることを西洋人に勧めるそうだが、その中に仏教は含まれないという。

ただしインド思想といっても、仏教は含まれない。ゲノンによれば仏教は正統な伝統からの「逸脱」ないし「奇形」にほかならず、真の形而上学を否定して一種の哲学的観点に置き換えた。また感情的要素を導入したため、宗教的色彩を帯びるようになった。これらの点で仏教は西洋の哲学や宗教にある程度類似しており、そのため西洋の哲学者や東洋学者や東洋派オカルティストは仏教を過度に重視するのであろう。しかし厳密な意味では仏教は宗教でも哲学でもなく、西洋思想とは異質なものであるとゲノンは断っている(Guénon、田中義廣訳、1989、解説p.217)

こうした文章を読むと、わたしは頭がおかしくなりそうになる。日本人解説者がこれを書いたのだとはとても思えない。

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広隆寺弥勒菩薩半跏思惟像(宝冠弥勒、京都市)。国宝。
出典:ウィキメディア・コモンズ (Wikimedia Commons)

ゲノンのいう「正統な伝統」というのが、わたしにはさっぱり呑み込めなかったからだろう。伝統を様式とでもいい換えれば、わかりやすくなるだろうか。

いや、そもそも理論を展開させるだけの知識の蓄えが感じられないではないか。

三大宗教の一つといわれる仏教が宗教ではないというゲノンの主張こそ、通念からの「逸脱」ないし「奇形」にほかならない。この異質の考えを受容させるにはそれだけの理論的根拠が必要である。

ブラヴァツキーを批判するのであれば、それは彼女の先行研究としての『シークレット・ドクトリン』なり『アイシス・アンヴェールド』なりに具体的に触れなくては、意味をなさない。

ゲノンの『テオゾフィスム』でそれがなされているのなら、なぜここではなされないのだろうか。

わたしは神智学と仏教の違いを述べたブラヴァツキーの解説を引用することで、ブラヴァツキーの仏教に関する高度の理解力がゲノンとは別格といえるものだったとの一端を示したいと思う。

H・P・ブラヴァツキー(田中恵美子訳)『神智学の鍵』(神智学協会ニッポン・ロッジ、平成7年改版、「神智学は仏教ではない」pp.23-25)より。

 あなた方はよく、「エソテリック・ブッディスト」即ち秘教派の仏教徒と言われます。すると、あなた方はみなお釈迦様の信者ですか?
 音楽家のすべてがワグナーの崇拝者ではないと同じように、私達全部が仏教徒というわけではありません。(略)シネット氏の傑作『エソテリック・ブッディズム』(Esoteric Buddhism)という書名の本当の意味を誤解したことから、この間違いが起こったのです。このブッディズム(Buddhism)という言葉の綴りの中のdは、二つでなく一つにすべきでした。Buddhismは釈迦の宗教哲学のBuddhismではなくて、ただ「智慧」ボーダ、ボーディ、知力、叡智の教えという意味です。すでに言った通り、神智学とは智慧の宗教です。

 カピラ城の王子によって創始された仏教ブッディズムと、神智学の同義語と言われる「智慧教」ブディズムとはどう違うのですか?
 「天国の奥義」と言われるキリストの秘密の教えと、教会及び宗派の後世の典礼過重主義や独断的神学との違いと全く同じです。仏陀(Buddha)とはボーダ(Bodha)即ち理解、智慧によって「啓明された者」という意味です。この智慧は釈迦が選んだ阿羅漢だけに与えられた秘教的な教えの根や枝となったのです。
(略)

 しかし、神智学の倫理と仏陀の教えた倫理とは同じではないのですか?
 確かにそうです。この倫理は智慧の宗教の真髄であり、かつてはあらゆる国々の秘伝を受けた人達の共通のものでした。仏陀は自分の大衆への教えの中にこのような高貴な倫理を具体的に伝えた最初の人でした。そしてこの倫理を自分の公開の教えの基礎とし、真髄としたのです。ここに顕教的仏教と他のすべての宗教との大きな違いがあります。他の宗教では儀式主義と独断が最も重要な位置を占めていますが、仏教ではいつも最も大切にされるのは倫理です。神智学の倫理と仏教の倫理がほとんど同じであるのはこのためです。

 神智学と仏教に何か大きな違いがありますか?
 神智学と顕教的仏教との大きな違いは、南方仏教で代表されている顕教的仏教は次のことを全く否定することです。(a)神の存在(b)意識的な死後の存続または個性を保持し続ける自我意識。少なくとも、今、最も純粋な形の顕教仏教と考えられているシャムの教派の教えがそうです。仏陀の大衆への教えだけに関して言えばそうです。(略)仏陀の入滅後、仏陀の秘伝を受けた阿羅漢たちは隠遁して他の国々へ行きましたが、その国々で出来た北方仏教の諸派は今、神智学説と言われていることすべてを教えます。というのも、秘伝で授けられる知識は神智学説を含めるからです。このように、南方仏教のあまりにも正統派的思想のせいで、真理がどんなに文字通りの解釈の犠牲になってきたか分かりません。一方、たとえ「文字にこだわる解釈」ではあっても、他のいかなる教会や宗派の教えよりも、どれほど壮大で、高尚で、哲学的、科学的であるか分かりません。しかし、神智学は仏教ではありません。

わたしが疑似宗教信者か、ブラヴァツキーが創始した神智学協会という「実践的な面で同胞団という考えを宣布するための博愛的、学術的な団体」の一員であるのかは、このエッセーが――若輩者の執筆によるものではあるけれど――ある程度は物語っていることと思う。

一員であるならば、博愛主義者、アーリア人やその他の民族の古い文献の探求者、サイキック能力の研究者でなければならず、万物の中に神聖な合目的性があるという感覚がなければならないとブラヴァツキーはいっている。

ゲノンの著作を読んでいると、宗教の意味に混乱を来してしまう。

レーリッヒ夫人――ブラヴァツキーと同じくモリヤ大師の指導を受けた――がいう宗教の意味を田中恵美子 神智学協会ニッポン・ロッジ初代会長が紹介しているので、その文章から引用しておこう。

「宗教」という言葉は英語のリリジョン(Religion)の訳語ですが、ヘレナ・レーリッヒは「Religionはラテン語のReligarから来た言葉で、高級世界との絆を結ぶという意味である」と言っています。
 人間は内奥に超越的なものへのあこがれを秘めています。私達はみな、その超越的なものから出て来て、その火花を内に秘めているからです。宗教心というものはこのあこがれから出た人間の自然な思いの発露でありましょう。宗教という意味の真意はこのかすかなあこがれにつながりがあるように思います。(略)
 一人一人に神が念じ込んでくださった祈願の秘密のあること、そして個人の忍耐と努力こそ最大の救いであること、苦しく頼りない時には、内なるものに一心に祈り、語りかければ必ず光がさして来ることを理解して欲しいと思います。
 * 

*田中恵美子(中野潤一・鳥居邦子編集)「至上我の光 巻頭言集」竜王文庫、平成8年、p.56

当ブログにおける関連記事:

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2015年9月20日 (日)

『村上春樹と近年のノーベル文学賞作家たち』(Kindle版)をお買い上げいただき、ありがとうございます!

『村上春樹と近年のノーベル文学賞作家たち(Collected Essays 1)』(ASIN:B00BV46D64)をお買い上げいただき、ありがとうございます! 

今月の5日ごろ、アメリカのキンドルストアでお買い上げいただいたようです。2日続けてアメリカでお買い上げいただくとは、珍しいです。

 『村上春樹と近年のノーベル文学賞作家たち』は、これまでで44冊お買い上げいただいたことになります。

  • アメリカ……16冊
  • 日本……24冊
  • イギリス……1冊
  • ドイツ……1冊
  • メキシコ……1冊
  • イタリア……1冊

村上春樹と近年のノーベル文学賞作家たち(Collected Essays, Volume 1)

「気まぐれに芥川賞受賞作品を読む 二〇〇七 - 二〇一二(Collected Essays 2)」)』(ASIN:B00J7XY8R2)は、文学界を考察した姉妹編ともいうべき1冊です。

気まぐれに芥川賞受賞作品を読む 2007 - 2012(Collected Essays, Volume 2)

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2015年9月19日 (土)

胸の圧迫感にスプレー2回

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まだたっぷり残っていますが、使用期限は9月までです。前に使用期限を1年半過ぎたミオコールスプレーを間違って使い、全く効かなかった失敗をしました。

2回使ったのは余るのがもったいないから多めに使ったのではなく、1回目のとき押しかたが弱くて噴霧が充分できなかったからです。

2回使って、ゆっくりと効いてきました。昨夜から左腕が重くなったりと、兆候はありました。

心臓が重く感じるのは、まだ心臓がふっくらと大きくなっているからかなあ。頑張ってくれている心臓とクリニックの先生の治療と薬に感謝しつつ、騙し騙し、やっていきたいと思っています。

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『村上春樹と近年のノーベル文学賞作家たち』(Kindle版)をお買い上げいただき、ありがとうございます!

『村上春樹と近年のノーベル文学賞作家たち(Collected Essays 1)』(ASIN:B00BV46D64)をお買い上げいただき、ありがとうございます! 

報告が遅くなりましたが、今月の4日ごろ、アメリカのキンドルストアで買い上げいただいたようです。 『村上春樹と近年のノーベル文学賞作家たち』は、これまでで43冊お買い上げいただいたことになります。

  • アメリカ……15冊
  • 日本……24冊
  • イギリス……1冊
  • ドイツ……1冊
  • メキシコ……1冊
  • イタリア……1冊

村上春樹と近年のノーベル文学賞作家たち(Collected Essays, Volume 1)

「気まぐれに芥川賞受賞作品を読む 二〇〇七 - 二〇一二(Collected Essays 2)」)』(ASIN:B00J7XY8R2)は、文学界を考察した姉妹編ともいうべき1冊です。

気まぐれに芥川賞受賞作品を読む 2007 - 2012(Collected Essays, Volume 2)

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安全保障関連法が19日未明に参院本会議で可決、成立。ヒゲの隊長の人気が急上昇。

安全保障関連法が19日未明に参院本会議で可決、成立しました。

17日に参院平和安全法制特別委員会で安全保障関連法案の採決が行われましたが、その際に起きた乱闘騒ぎには呆れました。

特に目立ったのは、議事進行表を奪うために鴻池祥肇委員長目がけて上からダイビングした民主党の小西議員でした。

YouTubeに動画がアップされていました。これ逆に民主党政権時代に自民党議員が小西議員と同じことをしたとしたら、マスコミでどんな凄まじい採り上げられかたをしたでしょうね? 

小西議員は、中学生並みにレベルの低い質疑をするので、山本太郎議員と並んでわたしには印象のよくない議員です。

小西議員の動きを阻止した、ヒゲの隊長こと佐藤正久議員の対応を解説したまとめには、笑ってしまいました。

安保関連法の成立が、拉致被害者の救出に役立つことを願っています。どうか、1日も早く救出されますように!

中国の脅威に晒されているアジアの国々には、喜んでくれている人々も多いと思います。

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2015年9月18日 (金)

17日に循環器クリニック受診(腑に落ちた心臓の大きさ)

診察前にいつものように体重測定と血圧測定があり、検査日だったので尿検査、血液検査、心レントゲン、心電図(普通の心電図、手と足だけの2分間の心電図)を受けた。

大抵わたしは体調がとてもよいときに受診する。でないと、外出の準備段階で音を上げて、別の日に変更するからだが、これが予約制のない受診のメリットでもあり、デメリットでもあると思う。

予約制だと無理をしてでも行くので、体調がよくないときの状態をチェックして貰える確率が高くなる。自由に行けるとなると、インフルのような場合を除けば、体調のよい日を選んで行くため、結果的に体調が悪いときの状態はチェックして貰いにくくなるのだ。

が、昨日はあまり体調がよくなかった。体調がよくなるのを待っていたのだが、それ以上延ばすと薬が切れる時期となって叱られるので(本当は飲み損なったり早めに受診したときの薬を溜め込んでいるので、大丈夫なのだが)、行った。

本当に体調が悪いとき、不整脈、咳、尿が出にくくなって手足や瞼が腫れる、胸痛や胸の圧迫感が出るのだが、昨日はそこまではいかず、体や心臓が重く感じられ、足が腫れて靴が履きにくい程度だった。

また、心電図検査のときは出なかったが、その後、待合室で座っているときに不整脈が起きた。

待っているときに不整脈が起きたことを先生にお話しするつもりだったが、先生が診察の間中不機嫌に見え、わたしはほとんど何も訊けなかった。

尿検査では潜血があったと看護師さんにいわれたが、それはいつものことだ。ただ、もう生理の影響はない。

血液検査の結果は次回でないとわからないのだが、採血の際に血糖値の簡易検査を受け、それはよかった。ダイエットとその後の節制のお陰だとわたしは思っている。褒められたい気がしたが、ここは循環器クリニックなのだった。

診察室に入ると、先生がシャウカステンに貼られたレントゲン写真のうち、手前にある心臓の写真を観察しておられた。先生に挨拶すると、先生は顔を上げて挨拶を返されたが、またすぐに写真に顔を戻してカルテや心電図など見たりしながら長いこと写真を御覧になっていた。

ふっくらした心臓には黄色い線が入っていた。心胸郭比を計測なさっているのだろうと思った。

わたしの心臓のレントゲン写真。前に見たときと同じような感じだが、そのときよりふっくらしているように見えた。何にしても、本来のわたしの心臓はもっと小さいはずだ、とわたしはクリニックでレントゲンを撮って貰い、正常だね、といわれるたびに心の中でつぶやいてきた。

先生に、わたしの心臓は正常な状態では人より小さいはずであることをお話ししたことがあったが、お笑いになり、相手にしていただけなかったのだ。何にしても、証拠写真はなかった。そのときのことは過去記事に書いている。7年も前の話になる。

いつもであれば、心臓のレントゲン写真をさっと確認して「うん、正常」とおっしゃり、カルテにチャチャチャッと手早く胸部の絵を描き何か書き込まれる。心電図のほうもパラパラとめくるように素早く御覧になって「うん、問題ないね」と機嫌よくおっしゃるのだ。

昨日は心電図のチェックも長かった。そして、心電図を見ながらカルテに長く書いておられるので、わたしはいつもと違うのだろうか、検査の間は不整脈は出なかったのに……と思い、机に広げられた心電図を見た。いつもの規則的な心電図とは違うように見えたが、よくはわからなかった。

心電図のあと、再び先生はシャウカステンに向き直られ、すると、気づかなかったが、もう1枚、比較するように別の心臓のレントゲン写真が貼られていた。

わあ、なつかしい! と思わず声を出しそうになった。大きさの異なる心臓の写真が2枚並んでいた。

ああこれだ、インデラル服用後の1995年1月(服用を始めたのは前年の12月と記録しているから2週間後か1ヶ月後だと思う)、福岡県の市立病院で見たのと全く同じだと思った。

1枚は心臓が背骨にくっついたいびつな果実のように小さく見え、それに比べると、もう1枚はふっくらと大きくて存在感があり、これぞ心臓という感じ。

1995年1月のとき、当時の先生から、縮んで見える心臓のほうがわたしの本来の心臓の大きさで(基準からしたら小さな心臓)、それが正常な状態だといわれた。大きいほうは頻脈に耐えかねた心臓が拡大していたということだった。

ところが今の先生は「問題ないね」と、むっつりしておっしゃった。そして、わたしが何かいうのを待つようになさった。でも、何もいえない雰囲気だった。普段は気さくで、ユーモラスな先生だけに怖かった。

考えすぎなのかもしれない、2枚ともわたしの心臓とは限らないし……とこれを書いている今は考えられないような支離滅裂な理屈で自分を納得させた。

冷静になってみると、心臓の小さいレントゲン写真のコピーがほしい。心臓の調子がとてもいいときの記念写真だから。

なぜか、これまでにクリニックでこの小さな心臓の写真を見た記憶がない。心レントゲンは何度も撮ったが、このところ見ていなかった。何もおっしゃらないので、「問題ない」からだろうと解釈し、こちらからお尋ねすることもなかった。

この小さい心臓の写真はいつ撮ったものなのだろう? 前回? わたしの心臓は普段は拡大していて、調子がよいときには本来の大きさに戻っているのだろうか? それとも、この程度では拡大していることにならないのだろうか

なつかしい心臓に再会して驚いていたということもあり、それについては何も訊けなかったが、弁膜症といわれてから2年経ったので、できればエコーを受けたいと思い、先生に「弁膜症の様子はレントゲンでわかりますか」とお尋ねしてみた。

すると、先生を怒らせてしまった。レントゲンでわかるはずがないそうだ。わたしだってそうだとは思ったが、いつもの先生だと笑って、「マイルドだから心配要らないけれど、心配なら、次回受けられるようにエコーを予約しておこう」とおっしゃるはずだった。

「よくあることだよ、エコーで軽い弁の異常が見つかることは」と先生。「いえ。先生が覚えておくようにおっしゃったので、ちょっと気になっただけです」とわたしはいった。

とりつく島もなかった。

心電図のことは何もおっしゃらなかった。

すっきりしない受診だった。

ミオコールスプレーが使用期限を迎えたので、先生にいった。薬局で見たら、舌下錠のニトロペンだった。先生がニトロペンを好まれるのは、患者の使いかたがわかりやすいからかもしれないと思ったが、ミオコールスプレーのほうがわたしには使いやすい。

舌下錠は唾液の関係で、すぐに溶けてしまったり、逆になかなか溶けてくれなかったりで、速効性という点ではミオコールスプレーのほうがよい気がするのだ。

薬剤師さんがどうしました、とお尋ねになったので、このところミオコールスプレーを出していただいていたので戸惑ったといった。すると、じゃあ、先生にいって替えてもらいますね、といってくださったので、外出用にニトロペンも持っておきたいので、ミオコールは追加で出していただけたらありがたいのですが、というと、いいですよ、と快いお返事。

先生からOKが出て、ホッとした。

これを書いているとき、不整脈が2回起きた。心臓が不安定な感じだ。でも、具合のよくないときはクリニックには行けない。教科書から外れたことをいったり、症状に出したりすると(?)、冷たくされる。ナンか変なことになってきた。しかし、病院を替わるとなると、先生と同レベルの専門家をこの地域で見つけるのは難しいし、受診してきたこれまでの歴史の重み(?)もあり、呼吸器科、泌尿器科にも別にかからなくてはならなくなる。

先生の腕を疑っているわけでは決してない。ただ、コミュニケーションに齟齬が出てきた気がしているのだ。

心臓の薬(60日分)
インデラル錠10㎎ 1回1錠 毎食後
ニコランジル錠5㎎「サワイ」(先発品:シグマート錠5mg) 1回1錠 毎食後
サンリズムカプセル25㎎ 1回1Cap 毎食後
ジルチアゼム塩酸塩徐放カプセル100mg「日医工」(先発品:ヘルベッサーRカプセル100mg) 1回1Cap 朝・夕食後
一硝酸イソソルビド錠20㎎「タイヨー」(先発品:アイトロール錠20mg) 1回1錠 朝・夕食後
ニトロペン舌下錠 1錠×10回分
ミオコールスプレー0.3㎎(噴霧剤) 1缶

腎臓・尿管結石の薬
ウロカルン錠225㎎ 1回2錠 毎食後 30日分

喘息の薬
フルタイド200ディスカス(ステロイド剤、吸入薬) 1個 吸入

複数の専門サイトで学習したところによると、正常では心胸郭比が50%未満とされ、50%以上であった場合、心臓が大きいといわれるという。

ただ、それはあくまでも目安で、もともとの心臓が占める割合が40%であった人が、48%まで大きくなった場合は、50%未満であっても拡大していると判断されることがあるとか。

心臓が大きいといわれたとき、大きいのが心室か、心房か、あるいは両方かで、それぞれ病態が違うという。

心室が拡大した場合、特に左心室の拡大が要注意で、その場合に疑われる疾患は、血液の量が相対的に増える逆流性弁膜症やシャント性先天性心疾患。心室の筋肉に障害がある拡張型心筋症、頻脈源性心筋症(不整脈などで長期間心拍数が過剰に多い場合に拡大した場合)、心筋梗塞。

心房が拡大した場合に疑われる疾患は、心室が固くなる、広がりにくくなる高血圧性心疾患、心筋症、僧帽弁狭窄症。心房へ心室からの逆流がある僧帽弁閉鎖不全、三尖弁閉鎖不全。心房から出現する不整脈である心房細動。

心拡大といわれた場合は、心不全の症状が出現する可能性があるらしい。

心不全の典型的な症状は、労作時呼吸困難、息切れ、尿量減少・手足の浮腫で、初期に出現することの多い左心不全症状は咳、倦怠感、肺鬱血からの息切れ、足の浮腫。心不全慢性期に出現することが多い右心不全症状は胸水からの息切れ、腹水からの食欲低下。

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2015年9月16日 (水)

ブラヴァツキーの神智学を誹謗中傷する人々 ①ブラヴァツキーとオウムをくっつける人(2016年5月8日に加筆あり)

タイトル「ルネ・ゲノンの終わっている脳味噌で書かれた『世界の終末―現代世界の危機』(田中義廣訳、平河出版社 、1986年)」として公開していた記事に、神智学と仏教の違いを述べたブラヴァツキーの解説と、レーリッヒ夫人(ブラヴァツキーと同じくモリヤ大師の指導を受けた)がいう宗教の意味を紹介した田中恵美子・神智学協会ニッポン・ロッジ初代会長 の文章を加えようと思い、とりあえず記事を非公開にした。

「マダムNの神秘主義的エッセー」では加筆しないまま、記事のタイトルだけ変えて公開中。

加筆の参考のためにウィキペディアをじっくり閲覧して、前からひどいとは思っていたが、改めて驚いた。

ウィキペディア日本版の「神智学」「神智学協会」はひどい書かれ方をしている。あれではないほうがましなくらいだ。

コリン・ウィルソン(Colin Wilson,1931年6月26日 - 2013年12月5日)、ルネ・ゲノン(René Jean Marie Joseph Guénon, 1886年11月15日 - 1951年1月7日)は確たる根拠もなしに――著作からのまともな引用もなしに――ブラヴァツキーを誹謗中傷しているが、彼らの信奉者によって孫引きが繰り返され、日本特有のおぞましい神智学協会像が出来上がっているようだ。

また、SPR(The Society for Psychical Research 心霊現象研究協会)のメンバーであったリチャード・ホジソン(Richard Hodgson,1855年9月24日 - 1905年12月20日)によって作成されたホジソン・リポートの虚偽性は1977年にSPRの別のメンバー、ヴァーノン・ハリソンによって暴かれているにも拘らず、こうした新情報による更新のないまま、ブラヴァツキーと神智学協会に対する誹謗中傷が繰り返されている。

ちなみにSPRの設立に関わったフレデリック・ウィリアム・ヘンリー・マイヤース(Frederick William Henry Myers, 1843年2月6日 - 1901年1月17日)は長い間神智学協会の会員だった。

SPRが誕生した経緯について、ブラウァツキーの伝記ハワード・マーフェット(田中恵美子訳)『近代オカルティズムの母 H・P・ブラヴァツキー夫人』(竜王文庫内 神智学協会 ニッポンロッジ,1981,p.265)には次のように記されている。

マイヤーズは神智学協会に関係のある超常現象に特別な興味をもっていました。彼もその友人達も皆、博学な人達でしたが、最近、自分達の特殊な協会をつくり、このような現象の研究を始めました。

これがSPRと呼ばれるようになった組織なのである。

前掲書『近代オカルティズムの母 H・P・ブラヴァツキー夫人』、ブラヴァツキーの代表作『シークレット・ドクトリン 宇宙発生論(上)』(田中恵美子&ジェフ・クラーク訳,神智学協会ニッポン・ロッジ,1989,『シークレット・ドクトリン』の沿革)にはホジソンがどのような調査を行ったのか、またその当時の状況について詳細に書かれているのだが、ブラヴァツキーと神智学協会を誹謗中傷する人々はバッシング自体が目的であるのか、ろくに調べもしないようである。

放言し放題の数々のブログを閲覧すると、怒りが湧くのを通り越して哀しくなってくる。ウィキペディアもそれらと同レベルなのである。彼らの多くがウィキペディアを「学習」しているのかもしれないが。

少しずつでも、どんな文献が参考にされたのか検証していきたい。

気になる箇所はほとんど全部だが、その一部分だけでも抜粋してみる。

神智学:Wikipedia

広義の神智学と狭義の〈神智学〉
英語では一般的な意味での神智学的思想家は theosopher (神智家)といい、神智学協会の追従者を指す Theosophist (神智学徒、神智主義者)とは区別される[9]。伝統主義学派(英語版)の旗手ルネ・ゲノンは、『神智主義 - ある似非宗教の歴史』(1921年)を著して神智学協会を批判し、同協会の教義を「神智主義」(仏: théosophisme テオゾフィスム)と呼んで伝統的な神智学と区別した[10]。

空っぽな著作『世界の終末―現代世界の危機』でわたしを驚かせたルネ・ゲノンがさっそく登場する。出典を見てみる。

9も10も同じ著作で、アントワーヌ・フェーブル 著 『エゾテリスム - 西洋隠秘学の系譜』(田中義廣訳、白水社〈文庫クセジュ〉、1995年)。訳者は、ゲノンの空っぽな著作を訳した人と同じである。

ブラヴァツキーと神智学協会(狭義の神智学)
ブラヴァツキーらの神智学は、西洋伝統思想が基礎にあり、西洋と東洋の智の融合・統一を目指すものであるとされる[39]。 ヒンドゥー教や仏教の教えが多く取り入れられたが、理解には限界があり、理解可能で利用できる部分だけを摂取して、それから先はユダヤ教の伝統に基づいた神秘思想カバラや、古代ギリシアのプロティノス(3世紀)に始まり、万物は一者から流出したもの(流出説)と捉える新プラトン主義で補うという方法がとられた[40](神智学において、魂の構造や再生について多様な解釈が生まれるのは、ブラヴァツキーがそうした点を明確に説明していないからである[40])。

ブラヴァツキーの方法論は記述とは異なっている。

前掲のH・P・ブラヴァツキー(田中恵美子&ジェフ・クラーク訳)『シークレット・ドクトリン 宇宙発生論(上)』(神智学協会ニッポン・ロッジ,1989年)は1978年に神智学協会出版部から出版されたジルコフ版からの訳出である。編集者ボリス・ド・ジルコフはブラヴァツキーの縁続きで、彼女の諸著作の深い研究家でもあったという。

ジルコフは「『シークレット・ドクトリン』の沿革」の中で、「これは世界のいかなる教典から盗用したものではなく、ましてやそれをつなぎ合わせたものではない」と記す。

『シークレット・ドクトリン』の魅力とはまさにそうしたところから来ていると思う。わたしのような平凡な知能と乏しい教養の持ち主にも――深く理解することには困難が伴うが――そうした首尾一貫したものは感じられる。首尾一貫したものが最初にあり、それをわかりやすく説明するために多くの文献からの引用がなされているということが感じとれるのである。

ジルコフは適切に述べている。

『シークレット・ドクトリン』の基本的骨組みとはH・P・ブラヴァツキーという伝達者を媒介として、アデプト同胞団の二人以上のイニシエートにより明かされた秘教科学、及び哲学の総合的説明である。
 本文は、神秘知識の学徒であるH・P・ブラヴァツキーによる科学的論争や哲学的論文に始まり、秘伝を受けたオカルティスト、HPBの霊的思想や洞察力あふれる鋭い思考そして予言的説明、その上、時には広大な空間にこだまするオルガンの響きのように、より高いオカルティストの心から直接起こされたかのような感動的な句や高遠な意見まで、異なってはいても相互に関連する水準のものを含んでいる。『シークレット・ドクトリン』の真の姿は、このような複雑な体系を把握しない限り理解されることはない。
(ブラヴァツキー,田中&クラーク訳,1989,『シークレット・ドクトリン』の沿革p.129)

であるから、参考文献40には明らかに問題がある。

40は、吉村正和 著 『心霊の文化史—スピリチュアルな英国近代』 (河出書房新社、2010年)。

ブラヴァツキーの神智学の根幹を探るために彼女の代表作を引用せず(読まずに。読めばこんな出鱈目を書けるわけがないのである)、心霊中心の著作を参考にしているというだけでもこのウィキペディアの執筆者の記事は胡散臭い。

Amazonの内容紹介は次のように書かれている。

内容(「BOOK」データベースより)
心霊主義と一口に言っても、降霊会、骨相学、神智学など、その裾野は広い。当初は死者との交信から始まった心霊主義だが、やがて科学者や思想家たちの賛同を得ながら、時代の精神へと変容を遂げ、やがて社会改革運動にまで発展していく。本書では心霊主義の軌跡を追いながら、真のスピリチュアルとは何かを検証する。

この本を参考にしたというのか……(絶句)。

理論・思想
神智学の思想は多様な要素が強引に折衷されており、極めて複雑である。1888年に「ジアンの書」というセンザール語で書かれたという(架空の)古代奥義書をブラヴァツキーが翻訳・解説した(という設定の)『秘密教義』(シークレット・ドクトリン、The Secret Doctrine)が発表され、これにより彼女の思想は完全な形で世に出たが、通常の理解力では到底把握できない内容・文体であった[41]。セオドア・ローザクは、『ヴェールを剥がれたイシス』と『秘密教義』の「そのパノラマはあまりに広く、洞察と偏屈な意見が多すぎて容易な論評を許さない」[42]と述べている。ほとんどの人が『秘密教義』を理解できず、わかりやすく大要をまとめた『神智学の鍵』が出版された[41]。深遠さを演出して読者を煙にまく神秘化の手法も用いられ、重厚で難解だったブラヴァツキーの思想が当時の人々にどれほど理解されたかは不明であるが、彼女の思想に含まれる諸要素は、彼女の死後に明確化・具体化されていった[41]。
(略)
ブラヴァツキーは同時代に流行した心霊主義の霊媒として活動していたが、心霊主義の単純な霊魂論に異議を唱え、物的証拠とは無縁の霊魂の存在と、ユダヤ・キリスト教では否定されていた死後の「再生」を確信し[4]、神智学に新しい心霊学としてインド思想を取り入れた[40]。

涙が出て来るほどひどい文章だ。参考文献を見てみる。

4は、ブログの記事で、「松岡正剛の千夜千冊」の『ルドルフ・シュタイナー○遺された黒板絵』である。

しかし狭義の神智学はヘレーネ・ブラヴァツキー(しばしばマダム・ブラヴァツキーとよばれる)によって唱導されたスピリチュアリズムのことをさしていて、なかでも1875年にアメリカの農場でブラヴァツキーとオルコットによって設立された神智学協会をさすことが多い。
 ブラヴァツキーは1831年のロシアの生まれだが、やがてロシアを出奔して世界各地を放浪し、それぞれの地の神話や伝承や秘教を吸収していった。そこまでは過去の神秘主義者とたいして変わらないオカルト派だったのだが、しだいに英米中心のオカルティストとは異なるヴィジョンをもつようになっていった。「再生」を確信し、精神の根拠を物質的な実証性にもたないようになったのである。
 そのころ、多くのオカルティストは霊媒を信用していて、しきりに降霊術をおこなって、死者の言葉や霊魂がたてる音やエクトプラズム現象に関心を示していた。ブラヴァツキーはこれらに疑問をもち、いっさいの物的証拠とは無縁の霊魂の存在を確信するようになり、さらにユダヤ・キリスト教では否定されていた「再生」に関心を示した。この再生感覚はむしろ仏教思想に近いものだった。実際にもブラヴァツキーはインドに行ったか、もしくはその近くでのインド仏教体験をしたと推測されている。
 こうして神智学協会が設立されたのだが、その種火は小さなアマチュアリズムに発していたにもかかわらず、ブラヴァツキーが人種・宗教・身分をこえた神秘主義研究を訴えたためか、その影響は大きかった。この神智学協会の後継者ともくされたのがシュタイナーなのである。ついでに言っておくのだが、神智学協会の活動は1930年代には衰退したにもかかわらず、その波及は収まらず、その影響はたとえばカンディンスキー・モンドリアン・スクリャービンらの芸術活動へ、また日本にも飛び火して鈴木大拙・今東光・川端康成らになにがしかの灯火をともした。日本の神智学協会運動は三浦関造の竜王会が継承しているというふれこみになっている。

ウィキの記事の執筆者は、神智学の著作にブラヴァツキーの『インド幻想紀行 ヒンドスタンの石窟とジャングルから』を挙げておきながら、孫引きで書かれたブログ記事に「実際にもブラヴァツキーはインドに行ったか、もしくはその近くでのインド仏教体験をしたと推測されている」というようないい加減な記述があるにも拘わらず、参考にしたわけである。

しかもこのブログ記事には「ブラヴァツキーは同時代に流行した心霊主義の霊媒として活動していた」とは書かれていない。

ブログ記事に「なにがしかの灯火」「日本の神智学協会運動は三浦関造の竜王会が継承しているというふれこみになっている」の「なにがしか」「ふれこみ」とは何だろう? 

なぜその言葉が必要なのか。一々こんな嫌らしい尾ひれをつけなければ、気がすまないのだろうか。批判するにせよ、自分できちんと調べたことであれば、こんないいかたは逆にできないはずである。調べる価値もないことを印象づけようとしているかのようだ。

40は、前掲の吉村正和 著 『心霊の文化史—スピリチュアルな英国近代』 (河出書房新社、2010年)。

41は、大田俊寛 著 『現代オカルトの根源:霊性進化論の光と闇』 筑摩書房、2013年。

電子マガジン「シドノス」にプロフィールがあった。

大田俊寛(おおた・としひろ)
宗教学
1974年生まれ。一橋大学社会学部卒業、東京大学大学院人文社会系研究科基礎文化研究専攻宗教学宗教史学専門分野博士課程修了、博士(文学)。現在、埼玉大学非常勤講師。専攻は宗教学。著書に『グノーシス主義の思想――〈父〉というフィクション』(春秋社)、主な論文に「鏡像段階論とグノーシス主義」(『グノーシス 異端と近代』所収)、「コルブスとは何か」(『大航海』No.62)、「ユングとグノーシス主義 その共鳴と齟齬」(『宗教研究』三五四号)、「超人的ユートピアへの抵抗――『鋼の錬金術師』とナチズム」(『ユリイカ』No.589)など。

次の記事にブラヴァツキーに関係のあることが書かれていた。その部分を引用する。

オウム真理教事件の真の犯人は「思想」だった
大田俊寛 / 宗教学

現在の私は、オウムとは、「霊性進化論」という思想潮流から生まれた宗教団体の一つであったと考えています。

霊性進化論の源流を作り上げたのは、一九世紀後半に活躍したロシアの霊媒、ブラヴァツキー夫人という人物です。当時の世界では、ダーウィンの進化論が広範に普及し、その影響から、旧来のキリスト教信仰が大きな打撃を受けていました。こういう状況のなかでブラヴァツキーは、スピリチュアリズムと進化論を融合させることにより、「神智学」と呼ばれる新たな宗教運動を創始したのです。

ブラヴァツキーの著作からの引用もなければ、参考文献も挙げられていない。麻原がブラヴァツキーの著作を読んだかどうかは知らないが、如何な人間離れしたブラヴァツキーでも読解力のない人間の尻ぬぐいまではできないだろう。

そもそも、これを書いた人物がブラヴァツキーの著作をまるで読んでいないか、読む能力を欠いているのかのどちらかだ。

孫引きで構成されたいい加減な記事しか書けない癖に、なぜかある程度の知名度があって、自身の主張を広く世間に発信する力を持っている――このような人物こそが思想的な混乱を招く大きな一因となっているとわたしは思うのだが、そんなことは夢にも思わないのだろうか。

わたしは、オウム真理教事件の真の犯人は「国語力の不足」だったと考えている。だから、閲覧者が少ないにも拘わらず、文学について、読書について書いてきた。

わたしは『ムー』の愛読者だった。麻原の記事は記憶にあり、竜王会の今は亡き男友達とそれについて話したことがある。彼は、昔の自分であれば、超能力がほしくて麻原主宰の修行に参加しただろうが、さすがに神智学や三浦先生のヨガの教えを知っていたので、それはできなかったといった。

また、オウム真理教が反日テロ組織であったことは明白で、中共のような思想弾圧している一党独裁国家ではない、憲法第20条で信教の自由を規定した日本国において彼らは反日テロを起こすという重大な思想的問題を孕んでいたわけだが、そのことを問題視しないのはどういうわけだろうか。

42は、セオドア・ローザク 著 『意識と進化と神秘主義』 (志村正雄 訳、鎌田東二 解説、紀伊国屋出版社、1978年)。

セオドア・ローザクついては、検索の仕方が悪いのか、ほとんど情報が出て来なかった。しかし、「セオドア・ローザクは、『ヴェールを剥がれたイシス』と『秘密教義』の「そのパノラマはあまりに広く、洞察と偏屈な意見が多すぎて容易な論評を許さない」[42]とあるところからすると、ローザクは少なくとも、ブラヴァツキーの代表作を読んだのだろうと思われる。

シモーヌ・ヴェイユのウィキペディアの記事が日本版とフランス版ではずいぶん違っていたので、「神智学」をフランス版ウィキペディアで閲覧してみた。

小タイトルは「古代の神智学」「現代の神智学/Théosophisme」「現代の神智学の基本理論」「神智学の簡単な歴史」「現代の神智学の影響と批判」

神智学に興味がある人はGoogle先生の翻訳で、ぜひ閲覧してほしい。シンプルに、客観的に書かれている。ブラヴァツキーの神智学を貶めようとする意図が感じられないというだけで、こんなに清々しい印象を受けるものだろうか。

参考文献を見ると、大したことはないが、そのぶん、余計なことが書かれていないのだ。

「神智学協会」も閲覧してみた。こちらの記事は長いが、詳しく、スマートに、無駄なく書かれている印象。

全く違う。

ゲノンの考えも紹介されているが、きちんとした書きかたである。

気品さえ、感じる。日本版がひどすぎるだけなのかもしれないが。

次の写真――パブリックドメイン――が使われている。

Blavatsky_olcott_mavalankar
Helena Blavatsky (au centre, debout), Henry Steel Olcott (au centre, assis) et Damodar Mavalankar (3e de gauche) à un congrès de la Société de théosophie à Bombay (Mumbai) en 1881.
From Wikimedia Commons, the free media repository

興味深いので、Google先生の翻訳に頼って全部訳してみようと思う。気が向いたら、わたしのひどい訳をお届けします。まだしもGoogle先生だけのほうがましか……

ナチスによる迫害についてはほとんど知らなかったので、衝撃を受けた。

ガンジー、アインシュタインなど、神智学の影響を受けた著名人のことも書かれている。

②もアップするつもりだが、初の歴史小説に取り組まなくてはならないので間が空くかもしれない。⇒一応書きました


当ブログにおける関連記事:

 

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2015年9月15日 (火)

美味しかった「えびとれんこんのレモン塩いため」。新ブログにエッセー23、24をアップ。午前中、変な胸痛。

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重宝している料理の本『主婦の友 毎日の晩ごはん献立BEST800レシピ』(主婦の友社、2013年)の中の「えびとれんこんのレモン塩いため」を参考にしたものです。

この本はAmazonには今は中古しか出ていないようですが、とても美味しかったです。

2人分でえび8尾、れんこん100g。

大雑把に紹介しますと、えびに塩とかたくり粉を揉み込んで、フライパンにサラダ油を熱して炒め、採りだしておきます。サラダ油を足し、れんこんをさっと炒め、酒を加えて蓋をし、弱火で1~2分蒸し煮にします。

えびを戻し入れ、レモン汁1個分、ごま油小さじ2、塩小さじ1/2を回し入れて強火で手早く炒めます。

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寒くなってくると、最後にウィスキーを加える「豚肉とトマトの煮込み」を作りたくなります。ウィスキーを入れなければ、お子様向きになりますね。このときは生のトマトではなく、トマトペーストでスピーディーに作りました。

過去記事でレシピを紹介しています。

新ブログ「マダムNの神秘主義的エッセー」にエッセー23、24をアップしました。古い記事から公開していくつもりでしたが、シモーヌ・ヴェイユに関係のある新しい記事を続けてアップしました。

午前中、心房細動と関係あるのかどうかわかりませんが、左胸をミシンで縫われるような痛みが何回も起きました。

冠攣縮性狭心症の痛みとは全く違い、肋間神経痛とも違う、頭にキーンと響くような金属的な痛みです。

冠攣縮性狭心症の圧迫感や胸痛が起きたときのような切迫感は全くありませんが、嫌な痛みです。たまにこれが起きるようになりましたが、今日はしつこかった。でも、1時間くらいして起きなくなってからは何ともありません。

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ルネ・ドーマル(巖谷國士訳)『空虚人(うつろびと)と苦薔薇(にがばら)の物語』(風濤社、2014年)

ルネ・ドーマル(巖谷國士訳)『空虚人(うつろびと)と苦薔薇(にがばら)の物語』(風濤社、2014年)を読んだ。感想はブクログに書いた。

(橋本一明ほか訳)『シモーヌ・ヴェーユ著作集 Ⅱ ある文明の苦悶―後期評論集―』(春秋社、1968年) を再読していたとき、「解説2」の156頁に、シモーヌがルネ・ドーマルを通してインド思想に触れたと書かれている箇所に目がとまり、その関連からこの本を図書館から借りて読んだ。
「あとがき」によると、ルネ・ドーマルの絶筆となった未完の小説『類推の山』に挟まれるいくつかの「話中話」の一話で、小説ではどこかの高山の伝説として紹介されているそうだ。人気の高い小話らしい。
しかしわたしの読後感としては、これだけでは何ともいえない感じだ。作中作として十全に機能している小話もあることを考えれば、読者任せにすぎる小話なのではあるまいか。
象徴的な道具が複数使われているわりには、それらが何の機能も果たしていず、ただ装飾として利用されているという残念な印象を受けた。無意味に技巧の凝らされた(シュルレアリズムはそんなものではあるが)、思わせぶりな掌編という感想しか持てなかった。
道具に寄りかかりすぎではないだろうか。これを読んで読者が勝手に楽しむのは自由だが、果たして作中作としてはどうか。この小話を包み込む『類推の山』自体への関心も薄れてしまった。

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2015年9月14日 (月)

『愛蔵版アルバム アストリッド・リンドグレーン』で紹介された「はるかな国の兄弟」と関係のあるエピソード

過去記事で、児童文学作家アストリッド・リンドグレーン(大塚勇三訳)『はるかな国の兄弟 (岩波少年文庫 85) 』(岩波書店 、2001年)を考察した。

はるかな国の兄弟 (岩波少年文庫 85)
アストリッド・リンドグレーン (著),    イロン・ヴィークランド (イラスト),    大塚 勇三 (翻訳)
出版社: 岩波書店 (2001/6/18)

その後、娘にヤコブ フォシェッル監修(石井 登志子訳) 『愛蔵版アルバム アストリッド・リンドグレーン』(岩波書店、2007年)を誕生日のプレゼントとして買って貰った。

愛蔵版アルバム アストリッド・リンドグレーン
ヤコブ フォシェッル (監修),    Jacob Forsell (原著),    石井 登志子 (翻訳)
出版社: 岩波書店 (2007/11/14)

このアルバムの写真を見、それらの写真に合わせて紹介されるリンドグレーンの人生の断片の数々をキルト模様を眺めるように読んだ後で、記事を書いた。その記事の中から、リンドグレーンに関する部分を引用しておこう。

  • 2015年2月15日 (日)
    シネマ『バベットの晩餐会』を観て 追記:文学の話へと脱線「マッチ売りの少女」とリンドグレーンの2編
    http://elder.tea-nifty.com/blog/2015/02/post-cdaf.html

    石井登志子訳『愛蔵版アルバム アストリッド・リンドグレーン』(ヤコブ・フォシェッル監修、岩波書店、2007年)を読んで初めて、それまで断片的にしか知らなかったリンドグレーンの人生全体を鳥瞰できた。
    両親は農場が軌道に乗るまで苦労したかもしれないが、あのころのスウェーデンの時代背景を考えると、彼女は何しろ農場主の娘で、父親は酪農業組合、雄牛協会、種馬協会を結成した活動的な事業家でもあり、娘のリンドグレーンが苦労した様子はアルバムからは窺えない。
    ラッセを産んだ件では苦労しただろうが、一生を共にしたくない男の子供を妊娠し、その男と一生を共にしない選択の自由がともかくもあり、女性の権利拡張運動の闘士(職業は弁護士)エヴァ・アンデンの援助も受けられて……と、確かに一時的な苦労はあったようだが、自由奔放な女性がしたいようにしたという印象を強く受ける。
    ラッセは、実父から3万クローナの遺産を受けとっている。
    ちなみに、ラッセが大学受験資格に合格したときの写真を見ると、どちらかというと、いかつい男性的な容貌のリンドグレーンとは対照的な、女性的といってよいようなハンサムボーイだ。
    それまでに読んだリンドグレーンの作品解説や伝記的なものからは地味な境遇が想像されていたが、いや、とんでもなかった!
    想像とは違っていたが(違っていたからこそ、というべきか)、リンドグレーンや周囲に写っているものがとっても素敵なので、昨年、娘に誕生祝いに何がほしいかと訊かれたとき、迷わず、リンドグレーンのアルバムを挙げたのだった。
    だから勿論、わたしは、アンデルセンやリンドグレーンが有名だったり、お金持ちだったり、自由奔放だったりしたからどうのとケチをつけたいわけではない。
    無名で貧乏だと、取材もままならないから、有名でお金持ちのほうがいいに決まっているし、自由でなくては書きたいように書けないから、環境的に自由なムードがあり、気質的にも自由奔放なくらいがいいと思う。
    ただ、「マッチ売りの少女」にも、「小さいきょうだい」「ボダイジュがかなでるとき」にも、どことなく貼り付いたような不自然さを覚えていたので、つい、どんな環境で書かれたかを探りたくもなったのだった。
    そういえば、カレン・ブリクセンもアンデルセンも、同じデンマークの作家である。
    リンドグレーンの2編についても、不可解な点や解釈に迷うところがあるので、いずれ考察してみたいと考えている。
    『愛蔵版アルバム アストリッド・リンドグレーン』には作品解釈の手がかりになるようなことが多く書かれている。「はるかな国の兄弟」の謎はそれで大部分が解けた。
    わたしが深読みしたより、単純に――シンプルにというべきか――書かれていた。それでも、まだ謎の部分がある。これについても、いずれまた。

いずれまた――と書いたまま、このことについて放置状態だった。申し訳ない。

『愛蔵版アルバム アストリッド・リンドグレーン』では、作品解釈に役立つようなエピソードが沢山紹介されている。ここでは『はるかな国の兄弟』に関係のあるエピソードを引用しておこうと思うが、詳細はアルバムを参照していただきたい。

値段は少々張るけれど、豊富な写真と丁寧な解説でリンドグレーンの人生が陰影深く描き出される魅力的な本となっている。リンドグレーンファンには宝物となるに違いない1冊なので、オススメだ。近くの図書館にあれば、ぜひ借りてみてほしい。

『はるかな国の兄弟』について触れられているのはアルバムの中の「写真で綴る、アストリッドの人生」で2箇所、マルガレータ・ストレムステッド「アストレッドの内面のイメージ」で1箇所である。

アストリッドの娘には4人の子どもがあって、それぞれ文学が関連する道に進んだそうだ。アストリッドは創作に一人ひとりの孫に着想を得ることはなかったというが、ちょっとした言葉づかいや心の動きは借りることがあったとか。

『はるかな国の兄弟』の創作時には二男ニルスと三男ウッレが貢献しているらしい。

4歳だった二男ニルスの、死についての不安な気持ちは『はるかな国の兄弟』の創作に貢献した。三男のウッレは1歳の時に、しきりに「ナン-ギ、ナン-ギ。」と口にしていたのが、やはり『はるかな国の兄弟』の中の主人公、クッキーやヨンタンの済む世界“ナカギヤラ”の名前に使われている。(Forsell監修、石井訳、2007、p.106)

弟クッキーと兄ヨナタン・レインイェッタの物語『はるかな国の兄弟』は、1970年あたりに、ふたりの兄弟と死を主題とすることで構想が徐々にまとまったという。

 1971年の元旦の朝、フリーケン湖に沿って汽車に乗っている時、湖上のバラ色に輝く朝日を見て、アストリッドははっとした。「これは人類の夜明けの光だ。そして何かに火がついたと感じた。」兄弟の物語は、この世で展開されるものではないと気づいたのだ。
 善と悪、生と死、そして互いに滅ぼし合うことになるふたつの怪物の登場、これをアストリッドは、第2次世界大戦のナチズムとボルシェビキと見なしていたようだが、物語は緊張感あふれる作品になった。物語を書き始めた時、どんな終わり方をするのか、アストリッドには分からなかった。クッキーが確かな死に向かって飛び降りる結末は、子どもにはよくないと、多くの大人が不快感を示したが、子どもたちは明るい結末ととらえていた。
(Forsell監修、石井訳、2007、p.175)

2番目に紹介したエピソードにもあったが、マルガレータ・ストレムステッド「アストレッドの内面のイメージ」でも大人たちの反応に触れられている。

『はるかな国の兄弟』は、「“死”というタブーの境界に添って展開していくため、多くの大人に不安を与え脅えさせた」という。しかし、子どもたちは大人とは違う方法で読んでいるとストレムステッドは書いている。

『はるかな国の兄弟』が出版された直後、アストリッドが若い心理学者に会い、そのときのことをストレムステッドに語ったという。

アストリッド・リンドグレーンは語った。「彼は、子どもに対しては『はるかな国の兄弟』の最後のあたりを読むことができないと言ったの。兄弟が二度も死ななくてはならないと考えるのはおぞましいから、と。その後、家に帰ったら、エーミル映画でイーダの役をしていた女の子から電話があって、こう話してくれたの。“たった今、『はるかな国の兄弟』を読み終わったんだけれど、幸せな終りにしてくれてありがとう”って、子どもはそのように経験できるのよ。」 (Forsell監修、石井訳、2007、p.255)

大人の読後感はいろいろだろうし、子どもたちの反応も一律ではないと思うが、あの終わらせかたには議論を呼ぶところがあると思う。

前掲の過去記事「アストリッド・リンドグレーン「はるかな国の兄弟」を考察する」でわたしは既に自分の考えを述べたが、またそのうち書くかもしれない。

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2015年9月13日 (日)

画家ニコ・ピロスマニの映画がこの冬やってくる・・・!

メールをくださった方にリンドグレーンの記事をお約束しましたが、次に書く予定です。もう少しお待ちくださいね。

○o。+..:*○o。+..:*○o。+..:*

グルジア映画の名作『ピロスマニ』が、『放浪の画家ピロスマニ』という邦題で再上映されるという。デジタル・リマスター版だそうである。

11月21日から、東京の岩波ホール他、全国で順次公開されるとのこと。これは観たいなあ。

37年ぶりの再上映だとか。わたしは大学時代、文芸部の男女数人で観に行った。計算すると、そのとき二十歳だったことになる。

『ジプシーは空に消える』との贅沢な二本立てだった。どちらもすばらしくて、しばらくは感動のあまり口がきけなかったほど。全員そんな風だった。

ジプシーのほうはサントラ盤LPを購入して擦り切れるまで聴き、その後、DVDも購入した。

ウィキメディア・コモンズでピロスマニの絵を観て、昔も思ったがアンリ・ルソーの絵に似ていると思い、ふたりの絵を紹介した動画で見比べてみた。

ピロスマニ
https://youtu.be/kTa2IcczJkM?list=PLisHMnPZ0ZadykE0Vz6_C0AD026cLr-TR

アンリ・ルソー
https://youtu.be/-Bv6b299xkk?list=PL048007512120E1A7

うーん、似ているけれど違う、当然ながら。

ニコ・ピロスマニ:Wikipedia
ニコ・ピロスマニ(Niko Pirosmani, 本名ニコ・ピロスマナシヴィリ Niko Pirosmanashvili, グルジア語 ნიკო ფიროსმანაშვილი、1862年 - 1918年4月9日)

アンリ・ルソー:Wikipedia
アンリ・ジュリアン・フェリックス・ルソー(Henri Julien Félix Rousseau、1844年5月21日 - 1910年9月2日)

ピロスマニの描く動物は、何て可愛い顔をしているのだろう。少年の表情も潔い感じでなかなかいい。

Niko_pirosmani_a_little_boy_riding_
Niko Pirosmani. ''A Little Boy Riding a Donkey''.
出典:ウィキメディア・コモンズ (Wikimedia Commons)

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2015年9月10日 (木)

ルネ・ゲノンからシモーヌ・ヴェイユがどんな影響を受けたかを調べる必要あり

新ブログ「マダムNの神秘主義的エッセー」にエッセー「22 グレイ 著『ペンギン評伝双書 シモーヌ・ヴェイユ 』を読了後に」を公開したあとも、ずっとシモーヌのことが頭を離れなかった。

東洋思想に関心がありながら、なぜあのような考えになるのだろうと思えるところがあり、また死に方についても、戦争中の過酷な状況、拒食症、あるいはカタリ派に対する関心など原因を探ってみても、どうも納得いかないものがあった。

シモーヌ・ヴェイユはブラヴァツキーの神智学には近づかなかったのだろうか、気づくこともなかったのか。

このことについては今後も考えていくことになると思うが、(橋本一明ほか訳)『シモーヌ・ヴェーユ著作集 Ⅱ ある文明の苦悶―後期評論集―』(春秋社、1968年) を再読していたとき、「解説2」の156頁に、シモーヌがルネ・ドーマルを通してインド思想に触れたことが書かれている箇所に目がとまった。

ウィキペディアでルネ・ドーマルを閲覧すると、「3人の友人たちとシュルレアリスムやダダイスムに対抗して文芸雑誌「Le Grand Jeu」を設立した」「ドーマルは独学でサンスクリットを学び、仏教の三蔵をフランス語に翻訳した。また、日本の禅学者、鈴木大拙の本も訳している」とある。

鈴木大拙は神智学協会の会員だったので、ルネ・ドーマルもそうだったのだろうか、と思って調べていると、ルネ・ドーマルはルネ・ゲノンの影響を受けているらしいことがわかった。

ルネ・ゲノンについてウィキペディアを閲覧すると、いろいろと気になることが書かれていた(ウィキペディアをよく利用するが、ブラヴァツキーについてはどなたがお書きになったのか、あれはひどい。Jさんのような神智学に詳しい人が書いてくださらないものだろうか)。

ルネ・ジャン・マリー・ジョゼフ・ゲノン(René Jean Marie Joseph Guénon, 1886年11月15日 - 1951年1月7日)

1886年にブロワに生まれる。若い頃に「グノーシス教会」などの数々のオカルティズムのグループと交流を持っていたが、後にオカルティズムを断罪した。1916年、ソルボンヌで哲学修士号を得た後、教職に就いていたが、職を離れて、1921年に最初の著作『ヒンドゥー教義研究のための一般的序説』を発表した。その後、ブラヴァツキーらの神智学や心霊術について批判的な著作を発表した(『神智主義:ある疑似宗教の歴史』『心霊術の誤り』)。ゲノンはこれらの運動を物質主義的な観点から出てきた擬似的な精神主義であるとみなしていた

ゲノンは今日に至るまで形而上学・エゾテリスム研究の分野で大きな影響を及ぼし続けており、「伝統主義学派」と呼ばれる一群の思想家・知識人達の代表者と見なされている

宗教学の泰斗ミルチャ・エリアーデは著作において何度かルネ・ゲノンに言及しているが、彼の学問的アイデアの多くはゲノンからの影響を受けていたことが近年の複数の研究によって指摘されている

シモーヌ・ヴェイユは、学友ルネ・ドーマルとともにゲノンの著作の愛読者であった

特に気になる箇所に下線を引かせて貰った。

プラグマティズムのウィリアム・ジェームズ(William James, 1842年 - 1910年)だけではなかったか……ジェームズのあとにゲノンが現れてブラヴァツキー糾弾の急先鋒に立った?

ルネ・ゲノンの写真がパブリック・ドメインであった。 

Reneguenon1925
シモーヌがルネ・ドーマルと共にブラヴァツキーの神智学について知っていた可能性はあると思う。だが、彼女は神智学には深入りしなかったのだろう。シモーヌには、過去記事で書いたような一面があるとわたしは見ているからである。

  • 2013年2月 7日 (木)
    ミクロス・ヴェトー『シモーヌ・ヴェイユの哲学―その形而上学的転回』を読書中
    http://elder.tea-nifty.com/blog/2013/02/post-3751.html
     キリスト教というブランドが絶対的な価値と殺傷力を持つ世界では、表立って証言することが許されなかったので、古代からプラトニズムを継承し、プラトニズムに徹底して生きてきた西洋の神秘主義者は、地下に潜るしかなかったのだ。
     そして、表立って証言する勇気を持ち得たブラヴァツキーのような人物は、著作を読む能力すら持ち合わせない人々の不当な攻撃に晒され、辱められてきた。
     シモーヌ・ヴェイユは、おそらく母親の偏愛――シモーヌ・ヴェイユが理想とする愛とはあまりにもかけ離れたものを含む現象――を感じ、その呪縛性を知りつつも、それをそっとしておき、恭順の意さえ示している。キリスト教に対する態度も同じだったように思える。
     彼女はキリスト教というブランドを非難しつつも、それに屈し、媚びてさえいる。その恭順の姿勢ゆえに、シモーヌ・ヴェイユという優等生は西洋キリスト教社会では一種聖女扱いされてきたということがいえると思う。

ゲノンは日本での影響もあるようなので、慎重に調べる必要があるが、検索したところ、図書館には『世界の終末』があった。それしかない。

ミルチャ・エリアーデの影響を受けたと自ら語った平野啓一郎は『日蝕』で神学僧の神秘体験を描いて芥川賞を受賞したが、あの小説は神秘主義についての悪意をこめた戯画化――というより内容の程度の低さから悪ふざけ――だとわたしは思ったのだが、真面目に書かれたものなのだろうか。

何にしてもエリア―デもゲノンの影響を受けたらしい。あれほど心霊主義の危険性を警告したブラヴァツキーの神智学が、心霊主義の同義語のような扱いを受けることをおかしな現象だと思ってきたのだが、その原因にはジェームズやマルクス主義だけではなく、ゲノン、この人も含まれるのだろうか。

ブラヴァツキーが登場するのは以下の著作だろうか。

Le Théosophisme, histoire d'une pseudo-religion, Paris, Nouvelle Librairie Nationale, 1921.
(「神智主義:ある疑似宗教の歴史」)

しかし、この著作が書かれたのは、ゲノンの諸宗教研究の出発点に近い地点ではないか。最初の著作が書かれた1921年と同年に発表されているのだから。

著作を読んでみなければあれこれいえないが、ウィキペディアにはゲノンがブラヴァツキーの神智学や心霊術を批判した理由として「これらの運動を物質主義的な観点から出てき た擬似的な精神主義であるとみなしていた」とある。

ブラヴァツキーが心霊主義の解明と解説のために、心霊的な実験を行ったことは確かだが、おそらくインドの大師の指導のもとに『シークレット・ドクトリン』などの執筆を行ったことまで一緒くたにされているに違いない。

あれを独りで書いたと見做す人々はブラヴァツキーが剽窃しただの内容が出鱈目だのといい、そうでない人々は霊媒だという。ブラヴァツキーの論文に対して、高飛車で見下した見方をするのが名誉だとでも思っているかのような異様な雰囲気がある。

そして、彼らの偉そうな様子にも拘わらず、『シークレット・ドクトリン』そのものを曲解せずにきちんと批判できた人はいないという事実がある。

「物質主義的な観点から出てきた擬似的な精神主義」とは何だろう?

『シークレット・ドクトリン』において、物質に関する説明は単純ではない。邦訳版「宇宙発生論」の上巻の索引には「物質  Matter」の項目に39頁示されていて、注として「質料」「プラクリティ」「プロタイル」の項も参照とあるのだ。ちなみに「質料 Substance,Matter」は60頁示されている。「プラクリティ Prakriti」は10頁。「プロタイル(均質の質料)  Protyle,Homogeneneus matter」は2頁。

1頁に当たるだけでも時間がかかり、わたしの脳味噌では理解に難儀する。ゲノンは脳味噌の上半分が欠けていそうに見える頭の格好だが、きちんと理解した上で批判しているのだろうか。

以下の過去記事で、ブラヴァツキーと同じモリヤ大師の指導を受けたといわれるレーリヒ夫人の『新時代の共同体 一九二六』(日本アグニ・ヨガ協会、平成5年)の用語解説から「唯物論」「物質」について引用した。

  • 2015年4月12日 (日)
    #15 漱石が影響を受けた(?)プラグマティズム ④心霊現象研究協会(SPR)と神智学協会
    http://elder.tea-nifty.com/blog/2015/04/15spr-491a.html

    唯物論 近代の唯物論は精神的な現象を二次的なものと見なし肉体感覚の対象以外の存在をすべて否定する傾向があるが、それに対して古代思想につながる「霊的な意味での唯物論」(本書123)は、宇宙の根本物質には様々な等級があることを認め、肉体感覚で認識できない精妙な物質の法則と現象を研究する。近代の唯物論は、紛れもない物質現象を偏見のために否定するので、「幼稚な唯物論」(121)と呼ばれる。「物質」の項参照。(日本アグニ・ヨガ協会、平成5『新時代の共同体 一九二六』「用語解説」pp.275-276)

     物質 質料、プラクリティ、宇宙の素材。「宇宙の母即ちあらゆる存在の大物質がなければ、生命もなく、霊の表現もあり得ない。霊と物質を正反対のものと見なすことにより、物質は劣等なものという狂信的な考え方が無知な者たちの意識に根づいてきた。だが本当は、霊と物質は一体である。物質のない霊は存在しないし、物質は霊の結晶化にしかすぎない。顕現宇宙は目に見えるものも、見えないものも、最高のものから最低のものまで、輝かしい物質の無限の面をわたしたちに示してくれる。物質がなければ、生命もない」(『手紙Ⅰ』373頁)。(日本アグニ・ヨガ協会、平成5『新時代の共同体 一九二六』「用語解説」p.275)

ルネ・ゲノンの影響力は大きいようだから、著作に触れたあとでまた書くつもりだが、歴史小説もすすめなければならないので、少しあとになるかもしれない。

国立情報学研究所のサービスCiNiiに、ルネ・ゲノンに関する以下の論文がある。

  • ルネ・ゲノンと現代世界の危機
    http://ci.nii.ac.jp/naid/110009459735
    田中 義廣
    収録刊行物
    フランス文学論集   [巻号一覧]
    フランス文学論集 (21), 34-46, 1986-11-29  [この号の目次]
    日本フランス語フランス文学会

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2015年9月 9日 (水)

残り少なくなったバジルを使ってガパオライス

関東地方は台風の影響がかなりあるようですが、如何でしょうか。どうか、用心なさってください。

過去記事で、庄分酢の「美酢」が美味しいと書きましたが、すっかりはまっています。

  • 2015年8月30日 (日)
    当分は文学に専念。漬けるだけで美味な美味酢、頭皮が痒くなくなった石鹸シャンプー用リンス。
    http://elder.tea-nifty.com/blog/2015/08/post-498a.html
    庄分酢の酢がとても美味しいことは前に書きました。有機純米酢 (300ml) が好きですが、アマゾンで送料無料になっていなかったので、送料無料になっていた「美味酢」というのを注文してみたら、これも美味しい! 
    時間がないときでも、キュウリなどの野菜を切って少しの時間、漬けておくだけで、美味しく食べられます。ドレッシングのベースに使っても美味しくできますよ。

ちょっと漬けておくだけで美味しいので、癖になります。

昨日は残り少なくなったバジルを使って家族のリクエストに応え、前に参考にして美味しかった「All About」の「手に入りやすい材料で簡単に作る!ガパオライスレシピ」を見て、ガパオライスを作りました。

20150908211414_4

目玉焼きがフライパンにくっつくときは、濡れ布巾の上にフライパンを置いて底を冷ますととれますよ。

ガパオライスにも、美酢につけたキュウリがよく合いました。

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庄分酢 美味酢 1000ml

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グレイ 著『ペンギン評伝双書 シモーヌ・ヴェイユ 』を読了後に

※当ブログ公開の記事に加筆し、「マダムNの神秘主義的エッセー」で公開中の作品です。

...。oо○**○оo。...。oо○**○оo。...。oо○**○оo。

シモーヌ・ヴェイユの生誕100年ということで、フランシーヌ・デュ・プレシックス・グレイ著『ペンギン評伝双書シモーヌ・ヴェイユ』*1が上梓された。

その秀才ぶり、哲学者アランとの邂逅と薫染、生来の美貌に異議を唱えるかのような男性的な粗野な服装、赤い乙女と異名をとった社会活動、キリスト教への接近と次第に濃厚となっていった神秘主義思想への傾斜、風評を呼んだ死にかた、残された諸作品に散りばめられた煌くような思想の断片……哲学には馴染めない一般人にも、人気の高いシモーヌ・ヴェイユである。

フランスの女性哲学者シモーヌ・アドルフィーヌ・ヴェイユ(Simone Adolphine Weil)は1909年パリで生まれ、1943年夏イギリスのケント州アッシュフォードのサナトリウムで亡くなった。34歳だった。

新しく出たこの本では、これまで書かれた評伝類でもさりげなく触れられてはいたが、シモーヌの摂食障害――拒食症の傾向――に迫っている。

シモーヌの育った家庭が、それまで読んだ評伝などを通して想像していた以上のブルジョア家庭であったことを知った。

シモーヌの父親は内科医で、「何世紀にもわたってストラスブールに定住していたユダヤ人大商人の一族の出」*2であり、母親は「多くの国で輸出入業を展開していた裕福なユダヤ人実業家一族の出」*3なのだそうだ。相当にお金持ちの家系なのである。

シモーヌの兄は数学者アンドレ・ヴェイユ(André Weil、1906年 - 1998年)。アンドレは仲間と数学者集団ブルバキを結成。数論、代数幾何学に大きな業績を残した。主な著作に三部作『代数幾何学の基礎』(1946)、『アーベル多様体と代数曲線』(1948)、『代数曲線とそれに関連する多様体』(1948)がある。

シモーヌに対する両親の過保護ぶりは病的と思われるほどで、お金がなければ、ここまで過保護になることはできないだろう。ヴェイユには、想像以上の抑圧でもあったのではないだろうか。

両親の過保護ぶりを引用すると、シモーヌが1931年にノルマンディー海岸で漁師の仕事に挑戦したとき、ヴェイユ夫妻は「娘の精神のバランスにこの種の激しい仕事が必要であることを感じとり、一足先にノルマンディーに出向いてシモーヌが漁師の仲間に加えてもらえるように骨折った」*4。

教職時代、「ル・ピュイへの赴任に続く数年間、その数年間、ヴェイユ夫人は娘が新しい任地に移るごとに同行して住まいを探し、毎月様子を見に行っては食料貯蔵庫に食べ物を買いそろえ、娘が健康を害さぬようにあれこれと世話を焼いた。ル・ピュイでは、リセとの校長の面談にもついていった」*5。

シモーヌにとって食事は骨折り仕事で、「彼女は最高品質のごく新鮮な食べ物しか受けつけず、梨にキズ一つあると食べられなかったのだ。偏頭痛に襲われるとさらにひどくなり、そういうときには食べ物をもどしてしまい、口にはいるのは生のじゃがいもをすったものだけだった」*6。

ヴェイユ夫人はそんな「娘の健康を守るための策略をめぐらせた」*7。

ヴェイユ夫人は息子アンドレに手紙でこぼしている。「かわいそうなトロールを怒る気にはなれないの、ほんとにいい子でかわいいのですもの。……晩ごはんにも、じゃがいもと水で溶いたココアしか食べないの。……そしてこの散らかりようといったら!」「だめだわ、この子絶対、結婚できない!」*8

1932年8、9月をヒトラー率いるナチスが台頭するベルリンに滞在したときには、「両親は娘の安全を考えて恐怖にかられ、娘にはそれと悟られないように彼女を保護する手立てを工夫し続け、その夏はハンブルグに滞在することに決めた」*9。

その年の秋、シモーヌはオセールのリセで教え始めた。「ヴェイユ夫人は近所のビストロの主人にお金を渡し、たまには娘がまともな食事をするように取り計らってくれるように頼み込んだりもした」*10。

ブールジュ赴任中の1936年、シモーヌが母親に送った手紙には「今朝、奇妙な夢をみました……おかあさまが私に『あなたへの愛があまりに強くて、他に誰も愛せない』と言うのです。怖くて苦しかった。……」*11という母親との心理的葛藤を感じさせる文章がある。シモーヌはこのとき、27歳である。

1936年、シモーヌがスペイン市民戦争に従軍したときには、ヴェイユ夫妻は「知人の組合活動家に頼みこんで、スペイン国境を越え、バルセロナに辿りついたのである」*12。みすぼらしい下宿屋の一室を借りたが、シモーヌが前線にいるという以外の情報が得られず、「共和党の軍隊の到着は夜半であったため、彼らはPOUMの本部の前のベンチに座り、何日も続けてその到着を待った」*。4、5日の後ついに現れたシモーヌは足に火傷を負っていた。父のヴェイユ医師が傷の手当てをし、夫妻は娘を宿に連れ帰った*13。

神秘主義に関する著作のある独学のカトリック哲学者ギュスターヴ・ティボンの農場で働いたときにも、ヴェイユ夫妻はシモーヌを訪ねている。

しかし、ついにヴェイユ夫妻の保護がシモーヌに届かなくなるときがやってきた。

両親と共にニューヨークに滞在していたシモーヌがイギリスに行こうとしたとき、ヴェイユ夫妻も後を追って行こうとしたが、書類が揃わず、叶わなかったのである。

「人生がいくつもあれば、その一つをお父さまとお母さまにあげるわ。でも人生はこれ一度きりなの」*14という別れの言葉を両親に残し、シモーヌは1942年ニューヨ―クを船出した。
ヴェイユ夫妻の残りの人生は娘の原稿を後世に残すための清書に費やされたが、夫妻がシモーヌの墓を訪ねることはなかったという。

守護天使でさえも自分の出る幕はないと思ったに違いないと想像したくなるくらい、あっぱれな両親であるが、これは深刻な話である。シモーヌの行動が、両親の過度な介入のためにどこか戯画化されるほどだ。

シモーヌの何事につけ極端な傾向は、両親との関わりのなかで丁寧に見ていく必要があると思える。何にしても、両親の徹底した関心は娘に注がれ、娘の徹底した関心は神に注がれたのだ。

シモーヌの死後、アンドレと両親との間にシモーヌの死や彼女の自筆原稿をめぐって亀裂が生じた。

アンドレの娘で、シモーヌの姪に当たるシルヴィ・ヴェイユ(Sylvie Weil、1942 - )は自著(稲葉延子訳)『アンドレとシモーヌヴェイユ家の物語』(春秋社、2011年)の中で「父はこの分析が正しいのかどうかはわからないが、自分の母親がシモーヌの内に、母親がいなくてはならない状態をつくりあげ、それが原因でシモーヌは死んだと見做していた」*15と書いている。

シモーヌが晩年、キリスト教神秘主義に傾斜したその態度には、明晰さに忍び込むあまやかな霧のような、如何にもキリスト教的盲目性と信仰的ムードが感じられ、わたしが影響を受けてきたブラヴァツキーの神智学のような神秘主義的態度とは明らかに違う。

例えば、よくシモーヌの神秘体験として紹介される「プロローグ」*16と名づけられたような体験は、一般的な観点からは特異であるのだろう。

だが、わたしはさりげなく残されたその覚書の彼女独特の厳密さとロマンティシズムとが溶け合わさったような美しい表現にこそ注目するのであって、彼女の体験そのものを過度に重要視することには疑問を覚える。

その体験ゆえに、聖女といわんばかりの書きかたをしたヴェイユ関係の本は多いように思う。この本でも切り札のような使われかたをしていて、それはどうかと思ってしまうのだ。

もっとも、こうしたことにわたしが疑問を覚えるのは、わたしがブラヴァツキーの神智学のような筋金入りの神秘主義に傾倒しているからである。

神秘主義では、肉眼には見えない存在にも届く限りの知性の光を当てることが当たり前のことであるため、シモーヌが書き残した「プロローグ」のようなエピソードをただありがたがったり、忌み嫌うだけといった態度はむしろ異常なことに思えるのだ。

実は、わたしにも生涯に一度だけの体験ではなかったかと考えている、当時は天使かと思った存在との接触があった。

その存在を見たのはありふれた場所で、塾の教室だった。わたしはまざまざと見たのに、わたしのすぐ傍にいた助手仲間にも、塾のオーナーにも、見えなかったらしい。

わたしたちが仕事をしていたテーブルから、いくらか距離を置いたところに、さりげなくその人は立っていた。掃き溜めに鶴――というとオーナーに失礼になるが、要するにありふれた場所といいたい――とはこのことかとわたしは思った。

何という眉目の繊細さ、まなざしの美しさであったろう。

その人は、これまで見たこともなかったような素材でできたごく軽やかにフワフワとして見える、薔薇色を帯びたドレスのようなものを纏っていた。

ただならぬ美しさ、煌きに満ちたその人は、状況から考えると、生徒の母親で、パーティーを抜け出してきたとしか思われなかったが、あまりにも場違いな現象にわたしはどう解釈してよいのかわからなかった。

我を忘れるほどだったが、かろうじてお辞儀をすると、その人もお辞儀をした。それは、その人がまるでわたしの侍女でもあるかのように遜った、それでいて気高い感じを受ける、この世のものならぬ優雅なお辞儀の仕方だった。

わたしは、鈍感な助手仲間に注意を促した。彼女は仕事の手を休めて、わたしの見るほうを見、しばらくその方向を注視したあとで不審そうにわたしを見ると、苦笑しただけだった。次いで、塾のオーナーに注意を促したところ、目で叱られた。『何をしているの、早く、仕事をしなさい!』

その直後に、生徒に注意をとられたということもあって、その人から目を反らした少しの間にその人はいなくなっていた。

後日、喫茶店でそのときのことを助手仲間に問い質したところ、わたしが彼女に注意を促したときのことは覚えていて、そのとき彼女にはわたしが目で示した場所には何も見えず、わたしの行動を変に思ったとのことだった。

今にして思えば、そのとき、わたしは思想の転換期にいた。

大学時代からキリスト教と、それに対峙する形のいわゆる秘教といわれてきた――門戸が一般に開かれている現在では秘教ではなくなっているのだろうが――神秘主義に惹かれていて、どちらに行こうかと迷っていた。両者の思想には重なるところもあるだけに、迷いは深まった。

あるとき、神父さんたちの宿舎のある黙想の家を訪ねようとしたときのことだった。そこへ出かけるのは、何回目だっただろうか。

わたしは庭の像を見ながら歩き、洗礼を受けるかどうか考えていた。そのとき、ある男性的な響きがわたしの内部で響き渡り、驚いて足を止めた。「そこでは、お前の満足は到底得られない!」と声は忠告したのだった。

人にいえば気違いと思われるので、文章にする以外は人には話さないが、わたしにはあの世の空気と前世に関する微かな記憶があり、子供の頃から見守りを感じてきた。

その1グループの存在から来る忠告は、小さな頃はわたしには叱責と感じられることが多かったが、次第に干渉が少なくなり、最近ではその存在をほとんど忘れている。見放されたのかと思うこともあるほどだ。

それで、そのときの忠告もわたしには自然に感じられたのだが、臍曲がりなわたしはその声をあからさまに無視して、黙想の家のほうへ断固として足を向けた。

わたしの迷いはその後も深まるばかりだった。そして、卒業間際に母が倒れ、『枕許からのレポート』*17で書いた内的な体験があった。

天使かと思うほどに美しい人を見たのは、そのしばらくあとのことだったから、今思えば、神智学で高級霊といわれるような高次元的存在が思想的な節目に現れて、神秘主義への門出を祝福してくれたのではないだろうか。子供の頃から見守りを感じてきたグループに関係のある存在なのかもしれない。

わたしはもうお亡くなりになった神智学の田中恵美子先生に、自分の様々なフシギ体験を話した。

すると、それは不思議でも何でもないそうで、便宜上神秘主義には「神秘」とついているが、神智学の辞書に神秘を意味する言葉はなく、人間に解明はされてなくても、全てに科学的な原因があるという。

もっともなことだとは思ったが、わたしは自分が狂人か特別な人間かという観点で揺れ続けた。幸い先生は長生きされたので、自分を特別視したり蔑視したりする習慣は、先生の手紙で叱責されたり、意見されたり、また励まされたりすることで、ほぼなくなった。

人は凡庸なわたしを見て、シモーヌの体験とおまえの体験は所詮格が違うというかもしれない。だが、キリスト教という権威を剥ぎとれば――とわたしは思う。わたしは天使のような高級霊にあこがれ、シモーヌはイエス・キリストにあこがれていた。見たものの違いにはその違いがあるだけではないか――と。

こうしたことを書いたのは、シモーヌの思想のすばらしさはすばらしさとして、一方に苦しさというか、ある限界を感じるからである。

とはいえ、ここで中途半端にシモーヌのある限界を論じるわけにはいかない。したがって、今はこの覚書をささやかな問題提起としておくにとどめたい。

わが国にはエッセー「20 バルザックと神秘主義と現代」(「マダムNの神秘主義的エッセー」)で書いたような特殊事情があって、神秘主義を忌避する傾向があることを指摘しておきたい。

わが国では、第二次大戦後のGHQの占領政策によってマルクス主義の影響力が高まった。公職追放によって空席となった教育、研究、行政機関にフランクフルト学派の流れを汲むラディカルなマルキストたちが大勢入り込んだといわれる。

わが国のシモーヌ・ヴェイユ研究には偏り、あるいは欠落があるのをわたしは感じてきたのだが、シモーヌの豊かな知性及び情感は左派活動では到底満たされえず、また彼女の厳正中立な精神性がキリスト教会の枠内にも収まりきれなかったのは次の引用からも明白である。

 ペラン神父はすぐさま洗礼を持ち出したが、シモーヌは間髪をおかず、一連の異議を展開しはじめた。洗礼を受ければ、ただひとえにキリスト教に帰依し、他の偉大な宗教のなかに自分が見出した真実を排除しなくてはならなくなるのではないか、とシモーヌは異議を唱えた。さらに、カトリックの教義は教会の外での救済を認めるか否かという問題に、明快に応えてほしいとも迫った。*18

シモーヌが神秘的なエピソードに「プロローグ」と名づけたのは、象徴的な意味合いでだろうか。それとも、いずれ本筋を展開するつもりだったのだろうか。

大学時代に博多の書店「リーブル」で初めてシモーヌの本――『超自然的認識』*19――に出合ったとき、何気なく開いた白いページがきらきらと金色に輝き、自分の体が宙に持ち上げられたような――勿論、それは錯覚なのだが――感じを覚えて、これまで覚えたことのなかった類の感動の中で慌てたのを昨日のことのように覚えている。

「プロローグ」が収められた『超自然的認識』の訳者田辺先生にお目にかかったことはなかったが、試行錯誤をそのままぶつけたようなわたしの不躾な手紙の数々に美しい返事をくださった。

大学時代に田辺先生と神智学の田中先生に質問の手紙を出してから、お二方はお亡くなりになるまでわたしごときと文通をしてくださった。キリスト者と神智学者の双方に接することで、わたしはバランスを保とうとしていたのかもしれない。

田辺先生はキリスト者、田中先生は神智学者であり、この世における思想の区分では違う場所にいらっしゃったが、いずれも重厚な思想的ムード、人間的な優しさを漂わせておいでだった。このお二方から受けた影響力の大きさは自分でも自覚できないほどだと思う。

マダムNの覚書、2009年3月13日 (金) 22:18
2015年9月8日加筆

*1:フランシーヌ・デュ プレシックス・グレイ Francine du Plessix Gray(上野直子訳)『ペンギン評伝双書シモーヌ・ヴェイユ 』岩波書店、2009年
*2:Gray(上野訳、2009)『シモーヌ・ヴェイユ』p.6
*3:Gray(上野訳、2009)『シモーヌ・ヴェイユ』pp.5-6
*4:Gray(上野訳、2009)『シモーヌ・ヴェイユ』p.41
*5:Gray(上野訳、2009)『シモーヌ・ヴェイユ』p.53
*6:Gray(上野訳、2009)『シモーヌ・ヴェイユ』p.54
*7:Gray(上野訳、2009)『シモーヌ・ヴェイユ』p.54
*8:Gray(上野訳、2009)『シモーヌ・ヴェイユ』p.54
*9:Gray(上野訳、2009)『シモーヌ・ヴェイユ』p.63
*10:Gray(上野訳、2009)『シモーヌ・ヴェイユ』p.63
*11:Gray(上野訳、2009)『シモーヌ・ヴェイユ』p.113
*12:Gray(上野訳、2009)『シモーヌ・ヴェイユ』p.120
*13:Gray(上野訳、2009)『シモーヌ・ヴェイユ』p.120
*14:Gray(上野訳、2009)『シモーヌ・ヴェイユ』p.204
*15:S・Weil(稲葉訳)『アンドレとシモーヌヴェイユ家の物語』p.152
*16:Gray(上野訳、2009)『シモーヌ・ヴェイユ』pp.244-246
*17:マダムNの覚書「枕許からのレポート」及び直塚万季「枕許からのレポート(Collected Essays, Volume 4)」ノワ出版、2013年、ASIN:B00BL86Y28
*18:Gray(上野訳、2009)『シモーヌ・ヴェイユ』pp.177
*19:シモーヌ・ヴェイユ(田辺保訳)『超自然的認識』勁草書房、1976年

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2015年9月 8日 (火)

新ブログを更新しました。馬肥ゆる秋。

新ブログ「マダムNの神秘主義的エッセー」を更新しました。

22 グレイ 著『ペンギン評伝双書 シモーヌ・ヴェイユ 』を読了後に
http://mysterious-essays.hatenablog.jp/entry/2015/09/08/181833

2009年に入りました。読み返すと、おかしなところや足りないところがどんどん出てきて、記事が痩せたり太ったりします。

この記事も当ブログで公開している記事からすると、結構太りました。新ブログはKindle本にするためのブログでもあります。エッセー集が原稿用紙にしてどれくらいの枚数になるのか、わからなくなりました。

天高く馬肥ゆる秋ですね!

娘が華やかなスイーツの載った広告を見せたり、美味しそうなあれこれを買ってきて、しきりに誘惑してきます。

何も考えず、小腹が空くと気ままに頬張っていたダイエット前を思い出します。どんな心境で思い出したかはご想像にお任せします。

栗ごはん、今秋は作りたいなあ。コーヒーも、そろそろアイスからホットに……

秋になると、作りたくなる料理は他にもいろいろあります。栗ごはんの次に頭に浮かぶのは、秋刀魚の塩焼きですが、「肉だんごとキャベツの煮もの」も作りたくなります。

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美味しいので、作るたびに写真を撮りたくなります。江戸崎愛先生のレシピを参考に作りました。過去記事にレシピがあります。

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Kindle版児童小説『すみれ色の帽子』をKENPCでお読みいただき、ありがとうございます!

Kindle版児童小説『すみれ色の帽子』(ASIN:B00FB4K0X2)をKENPCでお読みいただき、ありがとうございます!

『すみれ色の帽子』をお買い上げいただいたのは8冊、KENPC(indle Edition Normalized Page Count)でお読みいただいたのは今回で2冊です。

サンプルをダウンロードできます。
     ↓

 

以下は、他の99円の短編児童小説です。サンプルをダウンロードできます。

卵の正体

ぼくが病院で見た夢

ぬけ出した木馬

マドレーヌとわたし

マドレーヌとわたし(漢字使用)

以下は中編児童小説です。サンプルをダウンロードできます。

田中さんちにやってきたペガサス

以下はシリーズ物の第1巻です。冒険前夜の物語です。サンプルをダウンロードできます。

不思議な接着剤1: 冒険前夜

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2015年9月 7日 (月)

短編児童小説『ぼくが病院で見た夢』(Kindle版)をお買い上げいただき、ありがとうございます! 

キンドル版の短編児童小説『ぼくが病院で見た夢』をお買い上げいただき、ありがとうございます! 

8月29日ごろ、お買い上げいただいたようです。

『ぼくが病院で見た夢』は12冊目のお買い上げでした。

サンプルをダウンロードできます。
      ↓

以下は、他の99円の短編児童小説です。サンプルをダウンロードできます。

卵の正体

ぬけ出した木馬

マドレーヌとわたし

マドレーヌとわたし(漢字使用)

以下は中編児童小説です。サンプルをダウンロードできます。

田中さんちにやってきたペガサス

以下は日記体児童小説です。サンプルをダウンロードできます。

すみれ色の帽子

以下はシリーズ物の第1巻です。冒険前夜の物語です。サンプルをダウンロードできます。

不思議な接着剤1: 冒険前夜

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はまっている納豆ふりかけ、梅干し、ビスケット

娘から朝食にお握りをリクエストされることが多く、ご飯に混ぜ込むのは、ごま、塩昆布、きざみ高菜漬、天かす、ちりめんじゃこ、刻んだザーサイ、鮭フレークなどですが、定番は何といってもふりかけです。

風雅のふりかけは値段の割に沢山入っているので、結構持ちますが、しけることもなく、最後まで使えて重宝しています。有明産の海苔がたっぷり入っていて、とっても美味しい。娘のお気に入りは納豆、かつお、辛子明太子の順です。

フリーズドライの納豆がしっかり入っています。

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スプーンがついているので、便利ですね。写真では見えませんが、スプーンには5㏄と書かれています。

以下は、風雅のオンラインショップのホームページです。

お握りの真ん中によく入れるのは梅干し、東海漬物「きゅうりのキューちゃん」 、オリーブの実など。

オリーブの実は、前日の夕飯にブイヨンで炊いたご飯――ビーフストロガノフなどしたとき――が残っているときに入れます。ブイヨンご飯に軽く塩胡椒し、粉チーズを振って混ぜると、美味しいです。

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過去記事で紹介しましたが、梅干しは矢野農園の「豊の香梅」が好きです。「梅・紫蘇・塩だけで漬け込んだ梅干し (塩分16%)」だそうです。

豊の香梅を知ってからは、他の梅干しは妙な味がついている気がしてしまいます。ふっくらと酸っぱい、絶品梅干しだとわたしは思います。写真は小梅。

アマゾンに小梅は出ていませんでした。以下の商品は「第2回 梅干し全国大会 最優秀賞受賞」と説明にあります。

ご家庭用 豊の香梅 梅干し 500g 産地直送 大分県大山町産
メーカー名: 株式会社 矢野農園

サイト「E・レシピ」の「ちくわと梅の炊き込みご飯」を参考にした炊き込みご飯。豊の香梅の美味しさが炊き込みご飯を引き立ててくれました。

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うちのご飯は麦、キヌア入りが普通になりました。白ご飯だと物足りなく感じるくらい。

ココナッツオイルにはまっていることを過去記事で書きました。娘はココナッツオイルを飲み物に入れて飲み、夫はトーストに塗り、わたしは小型のビスケットに浸して食べます。

ダイエットして以来、間食はほとんどしなくなったので、わたしは毎日1~2枚食べるだけですが(ダニッシュミニクッキーは小さいので2枚、カラメルビスケットだと1枚)、その1枚~2枚が楽しい。

ロータスの「カラメルビスケット」、コペンハーゲンの「ダニッシュミニクッキー」は家族も好きなので、この2つが我が家の定番ビスケットになりました。

「ダニッシュミニクッキー」は可愛い缶に入っています。個包装はされていませんが、プラスティックの蓋を開けると、アルミシートで封がしてあって、湿気対策がほどこされています。

20150907141902

写真では空っぽですが、一口サイズのビスケットが詰まっていました。

娘はエイセイボーロに味が似ているといい、エイセイボーロが好きだった娘はこれが贔屓。口溶けはエイセイボーロのように柔らかくはありません。ザクッと噛めてザラッとした舌触り。

アマゾンの説明に原材料は「小麦粉,砂糖,植物油脂,ブラウンシュガー,ココナッツ,食塩,膨張剤,香料」と書かれています。ココナッツが入っているんですね。

コペンハーゲン ダニッシュミニクッキー 250g

夫はロータスの「「カラメルビスケット」が贔屓。

ロータス オリジナル カラメルビスケット 50P

固めのビスケットで、「ダニッシュミニクッキー」にタイプは似ています。原材料は「小麦粉、砂糖、植物油脂、大豆粉、シュガーシロップ、食塩、シナモン、膨張剤」とあり、シナモン風味の美味しいビスケットです。

近くのスーパーで見ると、少量で高いと思いました。アマゾンに出ていた50Pはお得に感じました(値段は変動しますが、わたしが注文したときは通常配送料無料で516円でした)。

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個包装されていますが、湿気が心配なので、開封後は念のために缶に入れています。写真の缶は頂き物で、モロゾフのクッキーが詰まっていたのですが、ロータスのカラメルビスケットが具合よく収まります。

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不調期に突入せず

一気に不調期に突入かと思いましたが、今日の涼しさのお陰か、体調は悪くなく、普通に過ごしています。

昨夜、食後の薬を飲む前に胸のど真ん中にジーンとした痛みが起きました。冠攣縮性狭心症の発作だと思いましたが、ミオコールスプレーは使わず、すぐにいつもの薬を飲みました。

幸い、この時間まで、再度の胸痛は起きていません。朝、あまりにもフラフラするので、脈をとってみたら、強く打ったり弱く打ったりで、たまに間が空きます。規則的に脈が飛んで感じられるのではなく、不規則な感じでした。

この記事を書いている今はフラフラしませんし、脈もしっかり規則的に打っています。

用心しつつ、普段通り過ごします。ではでは。

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2015年9月 6日 (日)

短編児童小説『卵の正体』(Kindle版)をお買い上げいただき、ありがとうございます! 

キンドル版の短編児童小説『卵の正体』をお買い上げいただき、ありがとうございます! 

8月28日ごろ、お買い上げいただいたようです。

『卵の正体』は24冊目のお買い上げでした。

サンプルをダウンロードできます。
      ↓

 

以下は、他の99円の短編児童小説です。サンプルをダウンロードできます。

ぼくが病院で見た夢

ぬけ出した木馬

マドレーヌとわたし

マドレーヌとわたし(漢字使用)

以下は中編児童小説です。サンプルをダウンロードできます。

田中さんちにやってきたペガサス

以下は日記体児童小説です。サンプルをダウンロードできます。

すみれ色の帽子

以下はシリーズ物の第1巻です。冒険前夜の物語です。サンプルをダウンロードできます。

不思議な接着剤1: 冒険前夜

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昨日から心臓の不調期に入ったのかも。鳩のあの子。

一昨日まで快調でしたが、昨日はやたらと眠くて体が重く、何より不調期に入ったしるしとして、一瞬だけでしたが、不整脈が出、心臓が不安定に感じると共に尿の出が悪くなりました。

パソコンしようと思って開いても、座っているだけで疲れるので、昨日は何も書かずじまい。初の歴史小説の資料として借りている本も読まずじまい。家事だけはしっかりやりました。

今日になると、尿の出の悪さははっきりしてきました。手足も腫れぼったい感触。まだ不整脈は自覚できるほどには起きていませんが、心臓が振動する楽器になったような気がしてきました。全く出なかった咳も出るようになりました。

喘息予防のフルタイドはずっと使っています。

この時点で利尿剤を使えばいいような気が素人感覚ではするのですが。

元気だった間は、不調期のことが嘘のように思えるほどでしたが、やっぱりこうなります。

ただ、この症状は心臓弁膜症の悪化ではないんでしょうね。弁膜症が原因であれば、ずっと不調が続きそうなものですから。

このところ外出は控えているし、創作や家事も普通程度にしかしていません。原因らしいものが見当たらず、気温の変化が原因としか考えようがありません。

一昨日までの数日間は意気軒昂として、経済不安もどうでもよくなりました。いよいよになれば外に働きに出るまでと割り切って、とりあえずの家事と創作に勤しむのです。

同じ市に住む有能な女友達が以前会ったときに、もう働き口はこの年齢ではここには「何もないよ」といっていたので、そうあまくはないだろうとは思いますが、元気でさえあれば、何とかなると思えるのです。心配するだけ時間の無駄に思えます。

本当に体は資本なんだなと思います。

体調が低下してくると、日常的な何でもない仕事が大変な重労働に思えてきて、外に働きに出るどころではなく、唯一のわたしのこの年齢まで守り続けてきた創作活動さえ苦しく感じ、自分がどうしようもなく無能に感じられ、将来の不安でいっぱいになります。

この段階では家事も創作もまあ普通にできるので、そこまでは思いませんが。

こんなことをグスグス書いても仕方がないので、もうやめます。今のこの程度で止まってくれたらいいのですが。まだ家事も創作も普通にできる状態です。入浴は昨日からはかなり負担ですが、入れます。

サンリズムで不整脈が改善してからはずっと入浴できていたのに、2年ぶりにそれが2日間できなかったときはショックで、サンリズムが効かなくなったかと思いましたが、普段はまだしっかり効くことがわかりました(だから、弁膜症の悪化ではないとも思うわけです)。

何にしても、入浴できるかどうかはわたしの健康度を測るバロメーターです。入れないときはもう相当に体調がよくないときなのです。

ところで、昨日ベランダの掃除をしようとして窓を開けると、「あの子」が来ていました。わたしはメスと思って「あの子」と呼んでいますが、実際にメスかどうかは知りません。

小柄の鳩で、春くらいから(?)、時々やってきます。

鳩の糞は恐くて、糞が原因でクリプトコッカス症、オウム病、トキソプラズマ症などを発症したり、またアレルギーの原因となることもあるようですので、我が家では鳩対策をほどこしています。

それでも、鳩は物置の上や、(こちらから見て)物置の先の高いフェンスの上に止まったりします(とげマットを置いてみようかな)。

暑い間、鳩はベランダに寄りつきませんでした。涼しくなってからも来たのは、あの子だけです。

あの子は、物置の先のお隣まで続いたフェンスのお隣の側に止まって、遠くを見ていました。

前に、うちの物置の上で熟睡していたことがありました。

他にも鳩たちはやってきますが、ここに執着し、間を置いて何度もやってくるのはあの子だけです。

もしかしたら、お隣のベランダで生まれたのかもしれません。風に吹かれて鳩の卵の殻の半分と思われるものが、飛んできたことがあったのです。

あの子は賢くて、1度追い払っても、こちらの行動形態を窺うように半時間後くらいにまたやってきたりします。数日間来なかったり、まる1ヶ月来なかったりもします。

あの子はお隣のフェンスに止まったまま、ベランダに出たわたしを見ました。目と目が合い、あの子の目が尖りました。

あの子はすっと目を逸らすと、何事もなかったようにまた遠くに目をやりましたが、明らかに次に出るわたしの行動を予測しています。でも貴婦人のようにプライドが高くて、すぐに飛んで行ったりはしません。

わたしは物置をドンと叩きました。すると、あの子は「無礼者!」といわんばかりに激しく羽ばたいてみせると、大きく弧を描くように飛んでいきました。

いつもであれば、真上か下の方に飛んでいくのですが、このときは遠く丘のほうへ飛んでいくようでした。ずっと目で追っていましたが、建物の陰になってわからなくなりました。

以下は、鳩が出てくる、わたしの短編児童小説です。

ぬけ出した木馬(Kindle版)

続きを読む "昨日から心臓の不調期に入ったのかも。鳩のあの子。"

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2015年9月 4日 (金)

シモーヌ・ヴェイユに関する日本での研究に欠けていると思う要素

過去記事「フランシーヌ・デュ・プレシックス・グレイ著『ペンギン評伝双書 シモーヌ・ヴェイユ』(上野直子訳、岩波書店,2009年)」をキンドル本にする予定の神秘主義的エッセー集に収録する予定ですが、まだ改稿に手をつけていませんでした。

で、新ブログにも公開するので、改稿しておこうと思い、本を再読していました。

そして、ウィキペディアを閲覧しましたが、先日たまたまウィキペディアのフランス版でバルザックを閲覧し、さすがはバルザックの本国のウィキペディアだけあって充実していたことを思い出しました。

バルザックの著作がカトリック教会の禁書目録に載せられていたこともきちんと書かれていました。

要するに、キリスト教会が認める人以外の人々について、彼らがイエス・キリストと同じようなことをしたと書いたり、そうした人々のことを解説したりしてはいけないし、その原理を究明するようなことを書いたりしてはいけないということです。

バルザックの豊饒な文学精神、探究心はキリスト教会の枠からあまりにも堂々とはみ出してしまいました。

シモーヌ・ヴェイユの厳正中立な精神性にも、当然ながらキリスト教会の枠には収まりきれないものがあり、前掲書177頁には彼女がペラン神父に問いかけている次のような場面が描かれています。

ペラン神父はすぐさま洗礼を持ち出したが、シモーヌは間髪をおかず、一連の異議を展開しはじめた。洗礼を受ければ、ただひとえにキリスト教に帰依し、他の偉大な宗教のなかに自分が見出した真実を排除しなくてはならなくなるのではないか、とシモーヌは異議を唱えた。さらに、カトリックの教義は教会の外での救済を認めるか否かという問題に、明快に応えてほしいとも迫った。

わたしはかつて教会に出かけたりしていた大学時代、全く同じような疑問を抱きました。

日本人なので、深刻さはありませんでしたし、返ってくる答えも想像がついたので、別のことを尋ねました。

当時出かけていた3箇所で、アメリカ人の神父さんと日本人の神父さんとイタリア人の神父さんに何を尋ねたかは覚えていませんが、日本語が不自由なイタリア人の老神父さんには当時熱中していたトマス・アクィナスについて何か尋ねました。すると、肖像画の載った系図のようなものを広げて見せてくださいました。

日本ではクリスチャンになることのほうがどちらかというと珍しいくらいですが、ヴェイユが生きていたころのフランスでは事情が違うでしょうね。

話が逸れましたが、以下はフランス版ウィキペディアの冒頭部分とGoogle先生を頼ったわたしのひどい翻訳です。

Simone Weil: Wikipédia

Simone Adolphine Weil est une philosophe, humaniste, écrivaine et militante politique française, sœur cadette du savant André Weil, née à Paris le 3 février 1909 et morte à Ashford (Angleterre) le 24 août 1943. Bien qu'elle n'ait jamais adhéré explicitement au christianisme, elle est reconnue, et elle se considérait, comme une mystique chrétienne.

シモーヌ・アドルフィーヌ・ヴェイユは哲学者、ヒューマニスト、作家、フランスの政治活動家。科学者アンドレ・ヴェイユの妹。1909年2月3日フランスに生まれ、1943年8月24日アシュフォード(イングランド)で死亡した。
彼女がキリスト教会に入会した痕跡はないが、自らをキリスト教神秘主義者とみなしていたと考えられている。

以下は日本版の冒頭です。

シモーヌ・ヴェイユ (哲学者): ウィキペディア

シモーヌ・ヴェイユ(ヴェーユ)(Simone Weil, 1909年2月3日 パリ、フランス - 1943年8月24日 ロンドン、イギリス)は、フランスの哲学者である。父はユダヤ系の医師で、数学者のアンドレ・ヴェイユは兄である。
彼女は第二次世界大戦中にロンドンでほぼ無名のまま客死した(享年34歳)。戦後、残されたノートの一部が知人の編集で箴言集として出版されるとベストセラーになった。その後もあちこちに残されていた膨大な原稿・手紙・ノート類を知人たちが編集・出版するにつれてその深い思索への評価は高まり、何カ国語にも翻訳されるようになった。遺稿は政治思想、歴史論、神学思想、労働哲学、人生論、詩、未完の戯曲、日記、手紙など多岐に渡る。

キリスト教神秘主義者という記述も、神秘主義という記述も日本版にはありません。全文読みましたが、どこにもありませんでした。以下のようなエピソードは採り上げられているのに。

激しい頭痛のなか、彼女は母セルマと一緒に復活節前後の祭式で歌われるグレゴリオ聖歌を聴くためソレム修道院の儀式に十日間参列した。シモーヌは、同じように参加していたイギリス青年から英国の詩人ジョージ・ハーバードの詩「愛」を教えられ、その詩を口唱しているときキリストの降臨を感じる。

ヴェイユには異端カタリ派に関する論文もあるんですけれどね。

アントニオ・タブッキの作品に神智学協会が登場しても、解説には神智学にも神秘主義にも何も触れられていないのを思い出しました。わたしは新ブログの以下の記事で、次のように書きました。

わが国では、第二次大戦後のGHQの占領政策によってマルクス主義の影響力が高まった。公職追放によって空きのできた教育、研究、行政機関などのポストにフランクフルト学派の流れを汲むラディカルなマルキストたちが大勢ついたといわれる。

最初保守系のブログで知り、自分でも調べてみたら、そうでした。日本の文系の分野の研究には偏り、あるいは欠落があると考えるべきでしょう。

保守系ブログの削除が目立ちますが、言論弾圧行為として集団訴訟の動きもあるようですよ。おかしな話ですよね、この国で。もっとも、神秘主義者のわたしはずっと前から感じていましたが。

ちなみに、国会図書館のサイト「カレントアウェアネス・ポータル」には以下の記事で2014年から著作がパブリック・ドメインとなった人々が紹介されていますが、その中にはシモーヌ・ヴェイユも含まれています。

パブリック・ドメインとなっているシモーヌ・ヴェイユの写真が沢山あるので、嬉しくなります。

フランス版ウィキペディアでトップを飾るのは以下の写真。

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Simone Weil (1909–1943) – a French philosopher, Christian mystic and political activist of Jewish origin.
出典:ウィキメディア・コモンズ (Wikimedia Commons)

日本版では以下の写真。

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Simone Weil in 1921.
出典:ウィキメディア・コモンズ (Wikimedia Commons)

この写真、美しいと思いますが、ヴェイユの12歳のときの写真なんですよね。

以下は、新ブログにこのところ公開した記事です。

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2015年9月 3日 (木)

癌と闘っている、双子みたいな気のする男友達 ⑧ストーマ落とし、退院

癌と闘っている、双子みたいな気のする男友達のことを時々書いてきましたが、念願通り、ストーマを外す手術を受けて退院したとの報告がありました。退院後すぐから多忙のようです。

1月からの記事を、サブタイトルと日付のみ拾ってみます。

①5年生存率が18%弱 15/01/06  15/01/06 
②カエルの恨み(追記あり) 15/01/10
③ああよかった、まだ生きていた! 15/03/01 
④回復を祈るのみ  15/05/14
⑤一般病棟に復帰 15/05/19
⑥退院、おめでとう! 15/06/08
⑦ストーマを落とす手術 15/07/23
⑧ストーマ落とし、退院 15/09/03

最初のころの記事からすると、大きな一歩前進だと感じます。だって、やたらと臓器提供のことが書いてあったりしましたものね。

彼とは互いの結婚後は年賀状のみの遣り取りとなっていましたが、大学時代からの大切な友人なので、彼の置かれた状態に驚き、緊急事態と捉えて、メールという形になりますが、元気になれるように応援しなければと思いました。

癌摘出の手術に成功し、無事に退院に漕ぎ着くまでが第一のステップ。ストーマを外す手術に成功し、社会復帰を果たすまでが第二のステップ。

そう考え、メールの遣り取りを続けてきました。そして、彼が第二のステップを踏むことができた今(幸い癌の再発は確認されていないとのこと)、わたしは緊急事態を解除し、今後は季節ごとの安否確認くらいにしましょうと提案しました。

互いに伴侶のある身ですから、いくら友情の範囲内でのメールの遣り取りとはいえ、これを続けるわけにはいきません。

互いに病気持ちで、ある意味で登山でもしているような過酷な状況下にありますが、彼が頑張っていると思えば、わたしも頑張れます。

植物を写真撮影するのが趣味だそうで、そのうちブログを開設することも考えているそうです。写真が1枚添付されていましたが、ホームセンターのグリーンコーナーで撮影したとは思えない、温かみのある美しい写真でした。

ブログの開設、待ち遠しいです!  彼は文章力もある人です。

大学時代に読ませて貰った不思議なSFはわたしにはよくわからない内容でしたが、メールの文章はわかりやすくてユーモラスで、説明にも長けています。エッセイストになれるんじゃないかと思うくらい。

とはいえ体第一。まだ課題は多く、大変でしょうが、極力無理をせず、回復に努めてくれることを祈っています。

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2015年9月 1日 (火)

杉田久女の俳句を口ずさみたくなる季節

今日は雨のせいかもしれませんが、涼しくて秋になった気配を感じます。

秋になると思い出すのは杉田久女の句。過去記事で何度も紹介した気がしますが、久女の秋の句の中でも好きな句を書いてみます。

秋来ぬとサファイア色の小鰺買ふ

お魚を買うとき、ふとこの句を連想したりします。緊縮家計でも、何か買い物が楽しくなります。

白豚や秋日に透いて耳血いろ

子供のころに遊びに行った先でよく見ていた豚の耳を思い出します。すばらしい観察力、描写力です。久女は絵も描く人でした。

露草や飯[いひ]噴くまでの門歩き

子育てのころ、買い物などで外出するとき、ベビーカーに下の子を乗せて片手で押し、もう片手で娘の手を引いて歩く道端に咲いていた露草を思い出します。今でもあのころに見た露草の色が目の中に残っているかのように記憶が鮮明です。

好晴や壺に開いて濃竜胆

ほとんど花を生けなくなったなあと思います。竜胆に濃とつくだけで、あの竜胆の色があざやかによみがえりますね。久女の作句のセンスはずば抜けていると感心します。久女の句の引用は『杉田久女全集第一巻』(立風書房、1989年)からです。

まだ一番好きな俳句を紹介していませんが、ちょっと時間がないので、続きはまた気が向いたときにでも。

新ブログに2本の記事を公開しました。もう2本公開予定ですが、今夜中には無理かな。当ブログで公開したものですが、加筆しているので、気が向いたらどうぞ。

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