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2015年7月25日 (土)

夢で会えた、夫のおじいさん ②のためのノート(8月3日に追記)

2015/07/25 17:08

②を、メモ帳に下書きしたあと、すぐに記事にするつもりだったが、自分の体験を神秘主義の本から引用することで裏付けようと思ったら、4冊の本が付箋だらけになってしまった。

その中からどうしても必要な記述のあるページの付箋のみ残し、いざ書こうとしても、頭の中がまとまらず、書けない。

ちょっと記録しておきたいだけなのだが、構想を練るだけで、こんな時間になってしまった。

実は、また右肩が五十肩になってしまい、家事に時間がかかる。途中で家事に入ると、書きたいことを忘れてしまいそうだ。

で、この記事を、②を書いてしまったら用済みとなるノートとして使うことにした。メモ帳に書きとめておくだけだと、記事にしないまま終わりそうなので。

神秘主義的な記録は創作と同じくらいわたしにとっては貴重な仕事だと思っているので、どうしても書いておかなくては。

初の歴史小説の資料も、『江戸参府旅行日記』(ケンペル)と『梁塵秘抄』が付箋だらけになって側の椅子にある。

図書館から借りて読みかけたゾラの『夢想』が、テーブルの上にある。本棚の前に置いた2つの図書館用バッグでは、その他のゾラの本と、初の歴史小説のための資料が待機している。

パソコンを打つとき、右肩が変に動いてしまうと、痛い。ほぼ毎日やってくる小柄な鳩が昨夜、ベランダの物置の上で熟睡していた。追い払いたかったが、鳥目だから移動に失敗すると困るなと思い、つい遠慮してしまうと、やはり朝、ウンチを取るはめに。

五十肩なので、うまく手が伸ばせず、脚立が必要になった。洗濯を干すのも、食器を仕舞うのも、右手を上げられないとなると、不自由だ。

整形外科の予約はずっと先。別の先生に診て貰うとなると、前みたいに痛み止めの関節内注射を筋肉注射されて、痛みが凄く増したという嫌なことにならないか不安。でも、薬局で買うと、湿布は高い。

と、頭の中がごちゃごちゃで、物を書く体制になっていないみたいだ。以下、ノート。

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

参考文献は、アマゾンに一応リンクしておくことにするが、全部中古しかない。

  • 死者Xから来た手紙―友よ、死を恐れるな
    エルザ バーカー(著), キャシー ハート(編集), 宮内 もと子(翻訳)
    出版社: 同朋舎出版(1996/03)
  • 神智学の鍵 (神智学叢書)
    H・P・ブラヴァツキー(著), 田中 恵美子(翻訳)
    出版社:神智学協会ニッポンロッジ(1994/03)
  • 実践的オカルティズム
    H・P・ブラヴァツキー(著), 田中 恵美子(翻訳) , ジェフ・クラーク(翻訳)
    出版社: 竜王文庫; 改訂2版 (1996/01)
  • 思いは生きている―想念形体 (神智学叢書)
    アニー・ベサント(著), チャールズ・ウエブスター・リードビーター(著), 田中 恵美子(翻訳)
    出版社: 竜王文庫(1994/02)

アウトラインはABCDEFGまで。順序は入れ替えたほうがいいかもしれない。

A 最も参考にした『死者Xから来た手紙―友よ、死を恐れるな』の紹介

友人の女性に霊界通信を行ったのは、デイヴィッド・パターソン・ハッチ。判事をしていた関係で、ググると、ハッチ判事と出てくる。

ハッチ判事は神秘主義に造詣の深い知的な人物だったようで、無知蒙昧な霊媒が受信するようなタイプの低級な霊界通信と誤解されるかもしれないことを予想し、何のための通信であるのかを説明している。受信者の同意を得、アドヴァイスしながら、通信を続けるといった風だ。

53通の手紙。

ウィキペディアによると、ハッチ判事が建てた館は、ロサンゼルスの歴史的・文化的モニュメントとなっているらしい。有名な人物であったようだ。哲学的、神秘主義的著作も多いとか。

Bibliographic details for "Smith Estate (Los Angeles)":Wikipedia
https://en.wikipedia.org/w/index.php?title=Smith_Estate_(Los_Angeles)&oldid=650233992

Wikimedia Commonsからハッチ判事のパブリック・ドメインの写真を借りよう。海外のサイトに若いころのハンサムな写真が載っていた(本当はこれを借りたい)。

引用1――死者X「あとがき」pp.248-249
 ハッチ判事に関する「ロサンジェルス・タイムズ」紙における物故者記事。

引用2――死者Xp.128 霊界から通信する動機。
 ハッチ判事の動機には、わたしが神秘主義的な記録を公開する動機と共通するものがある。

引用3――死者Xp.110元素の霊、p.219デーヴァチャンなど、神智学に言及している。
p.219には「わたしは神智学というものをそれほど深く学んだわけではないので」ともあり、カロッサのように、興味を惹かれて読んだことがあるといった程度なのだろう。カロッサの過去記事にリンク。

神智学の本を読んだことがあるという程度だったにも拘わらず、霊界にハッチ判事が行ってから、神智学の本に書かれていたことと符合することがあれこれ出てきたというわけだ。

「デヴァチャン」というチベット語を神智学用語に採り入れたのはブラヴァツキーで、ハッチ判事はそれを使っているから、ハッチ判事が読んだのは、ブラヴァツキーを主な執筆者とした初期の神智学文献だろう。

なぜなら、ブラヴァツキーよりあとの神智学者は「デヴァチャン」ではなく、「メンタル界」という用語を使うようになったからだ。

ヘレナ・ペトロヴナ・ブラヴァツキー (Helena Petrovna Blavatsky)
1831年8月12日 – 1891年5月8日

デイヴィッド・パターソン・ハッチ(David Patterson Hatch)
1846年11月21日 – 1912年2月21日

ハッチ判事が亡くなったのは、わたしの誕生日と同じ月と日。

B 死者Xの中で、わたしが地上に降りてくるときに抱きしめてきた記憶と符合する箇所

引用4――死者Xp.89 霊界の太陽と物質界のそれとの違い。わたしが記憶していたことと同じだ!

引用5――死者Xpp.81-82 
 わたしが、霊界の太陽の光と前世は修行者だったという記憶をなぜ物質界に持ち込めたかの謎を解く鍵となる説明がなされている。

引用6――神智学の鍵p.161 
 地上に降りてくる直前、これから自分が飛び込むことになる運命を知ってわたしは尻込みし、ほとほと嫌になったのをはっきりと記憶している。

 わたしなりの使命と宿題があり、それが十字架に思えたのだが、肝心の自分を待っている運命や使命、そして宿題がどんなものかは、産み落とされる時のショックで忘れてしまった。

 子供のころはその記憶が大きな部分を占めていたために、すがるように月に向かって「この灰色の暗い世界からどうか助け出してください!」と心の中で叫び、こっそり瞑想をするという子供時代だった(一方では、ごく普通の高い所にのぼるのが好きな子供だった)。

 こうしたわたしの体験を裏付けてくれるブラヴァツキーの解説。

C ハッチ判事が霊界の人々から受けた印象

引用7――死者Xp.101、pp.57-58 

D デヴァチャンについて

引用8―死者Xp.217、p.226
 ハッチ判事が「デーヴァチャン」と神智学用語を使った箇所。

引用9――神智学の鍵「用語解説」 pp.40-41
 ブラヴァツキーによるデヴァチャンの解説。

E 死者が出てくる夢について

引用10――死者Xp.67、

引用11――実践的オカルティズムp.225

F 地獄について

引用12――死者Xpp.146ff.
 酒場の霊的光景や若者に憑依してお酒を味わう低級霊の生々しい描写は、酒場や飲酒する人からわたしが受ける感じと符合する。

引用13――思いは生きている「29図」pp.63-64

 飲酒癖に限らず、依存による習慣は霊媒体質をつくる地獄行きの切符であるという危険性を神秘主義的感性によって実際にキャッチできる神秘主義者は多いわけではなく、普通の人に説いたところで聞いて貰えない。

 義祖父が、地獄行きの切符を買ってしまった人の一例だ。死後、指定された場所へ行きそびれたのに違いない。

 地獄とは――死者Xの説明からしても、わたしの直観からしても――、地上と接した霊界下層を占める、死者自身がつくり出す最悪のある状態を意味する。

 その間、死者はおそらく、霊界の人としては昏睡状態にある。

 ブラヴァツキーの『神智学の鍵』か『実践的オカルティズム』に無神論者の描写があって、彼が死んだあとで霊界で意識を回復せず、自分がいる霊界に気づかないまま、そこでの滞在を終える様子が描かれていたと思う。

 義祖父を成仏させるのに34年かかった。お祓いして、ちょちょいのちょい、というわけにはいかないのが実態ではないかと思う。

 植物人間になった人を回復させるのが難しいのと同じで、普通の愛情や宗教的な儀式くらいではまじないにもならないだろう。

追記:

お盆を前に誤解がないように追記しておくと、宗教的な儀式が無用なものといっているわけでは全然ない。わたしがいったのは、自分の意志で成仏しなかった霊についての話なのだ。

頑固なお年寄りが「わしゃどこにもいかん」といって、心配して連れ出そうとする人に、廃屋のようになった家から出るのを拒むというようなケースを見聞きすることがあるが、死んだあとで霊界に赴くことを拒み、それと同じ状態に陥った「頑固」なケースについて述べているのである。

心を籠めて行われる宗教的儀式は必要だと思う。

婚家には義祖父母の位牌があるが、供養は義父母だけでお坊様を呼び、執り行っていた(誰の位牌があるのかさえ、夫は無頓着だった)。

義祖父母の位牌は本家にあって、分家である婚家に位牌分けしたようだ。最期を看取ったのが義父母だからだそうで、なぜ義父が引き取ったかというと、義祖母が後妻だったからで、末っ子の義父はそのひとりっ子だったためだという。

わたしの実家では、盆正月には父の実家に家族で出かけていた。船員の父は留守のときも多かったが、帰宅すると、すぐに本家に出かけていた。

父の実家に行くと、まず仏壇の前で手を合わせ、ご先祖様に挨拶をする。

その部屋には、ご先祖様の写真がずらりと並んでいた。そこに一族が集まり、お坊様が呼ばれ、お経が唱えられた。儀式が済むと、皆でご馳走をいただいた。

そういうものだと思っていたので、何もないというのが不思議な感じがした。位牌があるのだから、盆正月にわたしたち家族も一緒に――婚家に半同居していた義妹の家族も一緒に――供養する習慣があれば、義祖父母も喜んでくれたに違いないと思う。

親戚の絆がご先祖様を通して深まっただろうし(義祖父の成仏ももっと早かったかもしれない)、各人のエゴイズムは抑えられただろう。わたしの嫁としての自覚もしっかりしたものとなったに違いない。

こちらから「ご供養のときはご一緒させてください」といえばよかったと思うが、新婚当初は何しろ事情がわからず、出すぎた真似はしにくいとあって、引っかかったままだった。

その程度にはわたしは古い人間なのだ。長男である夫の妻となったとき、夫が跡取りとなって義父母の面倒を見るだろうことは承知の上だった。

そうこうするうち、嫁いびりがひどくなった。

この年齢になるまで気づかなかったが、嫁いびりがエスカレートした陰には義妹の姿がいつもあった。義妹はわたしより5歳上である。

新婚時代、婚家に行くと、義母は家の鍵を握らせて、「あなたたちの家だから」といい、ことあるごとにわたしたちに跡取りと自覚させようとした。

しかしそこにはいつも義妹一家がいて、わたしは親思いだなと思っていたが、ひそかに義妹一家がまだ来ていなければいいなと思ったりしていた。

義妹一家が来ていないときは、義母から色々と教わることはあっても嫁いびりにはあまり感じられず、義父母といくらかでも親密になれる気がしたからだった。何より、子供たちに興味を持ってくれることが嬉しかった。

ところが、いつのまにか婚家には義妹の部屋ができ(夫と義妹が巣立ってから義父母は家を購入した)、半ば同居しているような格好になった。嫁いびりは当たり前のものとなり、エスカレートしていった。

いきなり「公文をやらせなさんな」と義母に激怒した口調でいわれて驚き、教育にまで干渉されるとなると、もう距離を置くしかないなと思っていたところへ、娘から「ママがいないと、皆でママの悪口をいっているよ」と忠告された。

わかってはいたことでも、娘にいわれるくらいひどいのなら互いのためによくないと思い、距離を置くことにしたのだったが、公文のことなど義妹がいわなければ、義母が気にとめるはずもなく、義妹が公文のことを悪くいったに違いない。

わたしは結婚前に公文教室で助手をしていた。重い病気から生還した母を見る必要があり、午後2時くらいから夜8時か9時くらいまでの公文教室での仕事はちょうどよかった。

公文公先生の著書は勿論読んだし、教室が一つから三つに増えたとき、その準備を手伝って、もう少し数学ができれば、わたしも教室をするんだけどなと思ったほど、公文の教育理念には共鳴していた。

経済的に苦しい中では、公文しかないと思っていた。あのとき無責任な言葉に折れていたら、子供たちは国公立に行けただろうか。

公文式をいいと思わない理由があるのなら、、二浪して九大に入ったほど頭がよく(わたしのころでも、大学に行けない女性のほうが多かったことから考えると、浪人もできるような恵まれた環境だったといえる。夫も浪人しており、義父母が相当に無理したのかもしれない)、快活なはずの義妹は、なぜわたしに直接いわなかったのだろう。類似の思い当たることが沢山ある。

たぶん、それは本当のところどうでもよいことで、義父母と仲違いさせることで、わたしたちを婚家から遠ざけたかったからではないだろうか。

その後に起きたことを考えると、義妹にとって、婚家は甘えられる大切な場所というより、そして自分が親の面倒を見たいというより(わたしはそうなのかと勘違いしていた)、賄い付別荘として使いたかったというのが本当のところではないかと思う。

義妹夫婦は複数の家を所有する、少なくともうちよりは遙かに裕福な人達だから、夫が継ぐはずの家がほしかったわけではないだろう。

それに比べ、いずれは義父母と暮らすつもりだったわたしたちは、転勤族ということもあって家を買うことはしなかった。バブルが弾ける前は、高い家賃を払うくらいなら家を買うことを中小企業のサラリーマンでも考えたことだった。

しかし、長い時間をかけて育むはずの関係は育めず、わたしたち一家は根無し草のまま不安定な日々を送っている。

友人達は一人、また一人と老いた親と同居を始めている。

義妹夫婦は現在、都会からUターンして福岡市に家を建て、義父母用の6畳の部屋を作り、そこに外から出入りできるドアをつけているという。

夫は感心していたが、わたしには意味不明のドア設置である。耄碌でもすれば、かえってそのドアは危ない気がする。

婚家で好き放題振る舞ってきたのだから、自分の両親にも自分の家で好き放題に振る舞って貰えばいいではないか。

夫の話では、義父母は義妹夫婦に見て貰うつもりはないそうで、見て貰うとすれば、わたしたちだという。しかし、ここまでこじれた仲となった今、体力的にもわたしには自信がない。

義妹に責任をとって貰いたいが、現実問題として我が儘な彼女に介護ができるとは思えない。義父母には馴染んだ場所から動きたくないという思いもあるようだ。

幸い、今のところは、高齢ながら共に元気で、ふたりでカラオケに行ったり、市民講座に通ったりしているそうだ。

さあ、どうすべきか。

下に書いているように、嫁いびりの原因を成仏しない義祖父のせいだと考えていた時期がわたしにはあった。

だが、もしそうであれば、義祖父は嫁いびりで盛り上がっているその場所に透明な姿ながらいて、影の采配を揮っていなければならなかったはずだ。

優しかった祖父に夫は大層なついていたくらいだから、むしろそうした場に馴染めず、1階の居間ではなく、一人2階の部屋の仏壇にいたのだろう。

 肉親ですら、どうにかしてあげることは難しい。それこそ人が本来は完全に自由である証拠ではないだろうか。その人がそう望んだので、そうなっただけの話なのだから。

 もし縛られると感じられるものがあるとすれば、それはカルマという宇宙的なプーメラン作用による結果にすぎない。

 ブラヴァツキーがその辺りのことをどこかで書いていたが、見つけ出せない。何にせよ、霊界における地獄状態からその人を救うのは本人の自覚以外ないそうである。

 その予防や治療薬に当たるのが芸術や本物の神秘主義なのだが、この地上はある意味では地獄なので、デヴァチャン的価値観は通用しにくい。

 地上が客観的な世界であり、霊界が主観的な世界であるとは神秘主義ではよくいわれることで、ブラヴァツキーの著書にも死者Xにも繰り返し出てくるが、芸術的、創造的な人間が霊界でどれだけ楽しめるかは想像もつかないくらいである。

 今ではすまないと思っているが、義祖父を負担に感じるあまり、悪霊扱いして――ある意味ではそうだったにせよ――何でもかんでも義祖父のせいにしていた時期がわたしにはあった。

 こう書くと、生前の義祖父を知っていたかのように思われてしまうかもしれない。夫が中学校のときに亡くなったので、わたしの知る義祖父は浮かばれない霊としての義祖父なのだ。

 新婚時代、仏壇の前で心をこめて手を合わせたわたしに、仏壇の奥から視線を投げかけ、ほくそ笑んだ何かがいることをありありと感じたのが最初だった。(以下、長たらしく、ここに至るまでの経緯を書くべきかどうか。)

 幽霊を見たことは一度もないが、こんな風に目に見えない何かの存在を感じることはたまにだがあるのだ。

 過去記事のどこかに書いていると思うが、何年か前に、小鬼のような老婆を内的な目で見たことがあった。老婆は強烈な汗の臭いを発散させ、「ケケケ……」と哄笑しながら走り去った。

 それを、わたしは内的な目でありありと目撃し、内的な耳で聴いたのだった。

 心のスクリーンに映るのを見たといえばいいだろうか。想像とはまた違うリアリティがあるのだ。尤も、普通はここまではっきりと見えることは少ない。

 オーラや想念形態はまた話が別で、時々見るが、ネオンや絵画を見るより力強く、細かいところまで見えたことがあった。

 母の枕許で神秘的な内的格闘をして以来(拙著『枕許からのレポート』参照)、オーラが本格的に見え始め、オーラというものは無理に見ようとすれば、いつでも見えるものだが(たぶん普通の人でもそうだと思う)、無理に見ようとしたら疲れるし、無理にそうするときは肉体に近い層の鈍い光しか見えず、オーラを見る歓びには乏しいため、自然に見えるに任せている。

 オーラがありありと見えたときは、相手の高級我がわたしにそれを見せる必要があると判断したので、見せていただいたのだ、と思っている。

 で、小鬼のような老婆の話に戻れば、背は3歳児の半分くらいしかなかった。物凄く額が広くて、頬がぷっくり膨らんでおり、細い目、白髪を無造作に束ね、草鞋を履き、絣の着物を着ていた。そして空中を蹴って、どこへともなく走り去ったのだ。

 あれは人間と関係のある存在ではなく、神智学でエレメンタルといわれる妖精の類いに違いない。

 いつ目撃したかといえば、社交的に近づいてきて性的に誘惑しようとした男性を撥ねつけたときだった。剣を手にしていたら、斬ったかもしれないというほど、わたしは怒っていた。文学の手ほどきを受けたいという純なムードで近づいてきたので、すっかり信頼してしまったのだった。

 その男性のよこしまな心の隙に小鬼が入り込んで、悪さをしていたのだろう。あんなものが存在するなんて、驚きだった。今も誰かの心の隙に入り込んで、悪さをしているのかもしれない。

 不倫している人はご用心! 接吻している相手の男性や女性は、実は汗臭い老婆の顔した妖怪かもしれないのだから。

 おとぎ話は空想譚とは限らないとこのときつくづく悟った。

 話を戻すと、相手が生きていようといまいと、思いが伝わってくることはよくある。

 この行は昨日公開した記事に加筆しているのであるが、公開したあと、おそらくお酒が好きな人々だろう……怒りや憤慨、不安や訝るような感じが伝わってきた。こうした否定的な感情は似通っているので、わたしはその感情の発信者を特定できないことのほうが多い。

 わたしは、別にお酒に恨みがあるわけではない。アルコールが惹き起こしがちな現象について、そのまま書いているだけなのだ。

 それとは対照的に、わたしが書いたことに共鳴した人々の爽やかな思いも伝わってきた。その方々には、私心を去った、知的な理解の仕方をしていただけたに違いない。

 美しい思いには不思議と個性があり、どこのどなたかはわからなくても、その人がどんな人かが内的なスクリーンに描けるのである。清らかな心の持ち主は霊的にはとても目立つので、自然と高級霊には知られるはずで、そのような人々は高級霊から目をかけられているのではないかと思う。

 尤も、同じ人間であっても、天使と悪魔の間を振り子のように揺れているのが一般的ではないだろうか。少なくもわたしはそうだ。美しい心持ちになることもあれば、低級な人間になることも日常茶飯事である。

 Fが長すぎる。あれこれ詰め込みすぎる。どうせ詰め込むなら、天使だと思った高級霊の話や、わたしに別れの挨拶に来た死者たちの話なども全て書き、こうした話を裏付ける引用もした、本格的なエッセーにしたいものだが、時間がない。 

G 古代ギリシア、霊界の図書館

引用14――死者Xp.129

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