« 2015年6月 | トップページ | 2015年8月 »

2015年7月の25件の記事

2015年7月31日 (金)

印象的だった2015年7月30日、参院特別委員会での質疑 - 中山恭子、塚田一郎、森まさこ、山本太郎、前川清成

Architecture768432_640
Pixabay

2015年7月30日、我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会。

視聴した国会中継で、印象に残った質疑をメモしておく(順不同)。

中山恭子議員(次世代の党)の質疑は、在外邦人保護に関するものだった。

特に、拉致被害者の救出に問題点を絞った質疑で、北朝鮮動乱の時、今の安保法案では拉致被害者を救出できるようにはなっていないのではないか、という危惧を述べた。

日本はなぜ北朝鮮の工作員が日本に易々と入国することを防げなかったのか、なぜ北朝鮮が日本の若者を拉致するのを防げなかったのか、日本は拉致された日本人が北朝鮮に監禁されているとわかっていながら、放置してしまったのか。

日本政府はなぜ、北朝鮮に監禁されている拉致被害者は日朝国交正常化のためには犠牲になってもやむを得ないといった方針をとっていたのか。

この点は安倍総理になってから改善されていることと考えておりますが、戦後、自国民を守ることまで放棄してしまった日本のありようを見て、日本は何と情けない国になってしまったのかと無念な思いを抱えて、この北朝鮮拉致問題に関わってまいりました。

この問題は今解決しなければならない問題だと、もう真っ先に解決しなければならない問題であると考えております

拉致被害者を救出できるのは安倍総理しかいないと考えています」と中山議員。

大和撫子という言葉がぴったりくる淑やかな中山議員は、とても勇敢な一面をお持ちだそうだ。

質疑応答の模様は「参議院インターネット審議中 : 会議名 我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会 7:19:53」で視聴できるが、以下は、YouTubeにアップされていた動画へのリンク。中山議員の質疑は18:20から。

 

塚田一郎議員(自由民主党)の質疑は、中山恭子議員の質疑と関連がある。北朝鮮の脅威に関する具体的な内容で、強い危機感を抱かずにはいられない。

わたくしは、横田めぐみさんと同じ学校を卒業した同窓の後輩であるめぐみさんの救出活動、全ての拉致被害者の救出に取り組んでまいりました」と塚田議員。

北朝鮮のミサイル実験は頻度が高くなっており、発射実験を多く行っている。ミサイルの性能に自信を深め、運用能力の向上を図っているようだという。

YouTubeにアップされていた塚田議員の動画へのリンク。

https://youtu.be/A2ICN9otePg
https://youtu.be/Z9YZH7dhyPY



森まさこ議員(自由民主党)の質疑はわかりやすい。女性の心情に添ったものであるだけに、政府に訊きたいことを代弁して貰っているような気持ちになる女性も多いのではないだろうか。

福島県いわき市生まれの森議員は、震災からの復興のために優れた数々の質疑を行ったことで印象に残った。「妻をめとらば才たけて みめ麗しく情けある」と与謝野鉄幹の詩にあるが、それは森議員のような人のことをいうのではないかとわたしは思う。

平和安全法制については感情論ではなく、冷静に議論すべきだと思っています。不安を煽るようなことではなくて、現実を見つめて、目の前の危機にどう対処すべきか、冷静に論ずるべきだと思うんです。

東日本大震災と原発事故のときにも、これは過去の反省として、安全神話で、危機意識が薄らいでいました。しかし現在は危機意識や自然災害に対する備えについての国民の理解は高まっていると思います。それと同時に他国からの攻撃や危機に対する備えも常に見直していかなければならないと思っています。

東日本大震災の当時ですけれど、民主党政権でございましたけれども、スピーディという放射能の拡散予告を福島県民に知らされることはありませんでした。

放射能の濃い地域に長時間放置された子供たちも大人たちもいたんです。そのとき、安倍総理は、わたくしたちは野党でございました。安倍総理はまだ総裁にもなっておられない一国会議員として、原発事故の避難地域のぎりぎりの地域まですぐに来てくださって、体育館で一人一人の手を握って跪いて励ましてくれました。総裁になってからの一番の地方の視察は福島県、総理になってからの一番最初の訪問も福島県です。

歴代総理の中で最も頻繁に、最も多く、福島県と被災地を訪問をしています。先ほどの超多忙の外交努力を重ねた上でも、被災地を最も多く訪問してくださっているんです。

言ってることとやってることが違う、そういう状態とは全く異なっている、そのことがわかります」と森議員。

女性誌が女性の恐怖を煽り、妄想を掻き立てているらしい。

森議員は十代の子供が2人いる母親だそうだが、子育て中のお母さんたちに平和安全法制の話をすると、「でも、徴兵制になるんじゃないの?」「国の防衛が大事なのはわかるんだけど、自分の子供が兵隊にとられるのは嫌だ」といわれるそうだ。

全国のお母さんたちの不安に応えて、安倍首相が濃やかな回答を行った。何を根拠に「徴兵制はありえない」と首相がいうのか、国会中継の動画を視聴してみたらいいと思う。

うちの2人の子供はどちらも三十代なのだが、実は真っ先に心配になるのはそのことだ。いつまで経っても母親としての心情は幼児に対するような心配症なところがあり、どうにもならない。

安倍首相の回答は根拠のあるもので、安心感を与えられる。

ただ、将来、日本が、世界がどんな状態になるのか、そのときわが国の首相が誰なのかは、現時点ではわからない。

わたしはこんな年齢になり、病身にもなって、いざというときには足手まといにしかならないだろうが、もしも日本が侵略されるようなことがあったら……と考えると、不思議にも思いが昔の日本人に重なるかのようで、老いさらばえていたとしても竹槍ででも戦う、そして生き恥を晒すぐらいなら――と考えて仕舞うのだ。

そんな極限状態を、かつて日本人は生きた。

そうならないための安全保障関連法案ではないだろうか。本当にそうなのかが心配なので、つい家事の合間に国会中継を視聴してしまう。

セキリティ対策ソフトのアップデートを何年も怠っていたら、どうなるだろう? 安全保障関連法案はそのアップデートに当たるものだとわたしは考える。

森議員は首相の外交努力をすぐ側で見てきたそうだ。

YouTubeにアップされていた質疑の動画へリンクしておく。

https://youtu.be/HAMH01VP9o0
https://youtu.be/o5az8ceVaJ0

 

山本太郎議員(生活の党と山本太郎となかまたち)

原発からテーマをイラク戦争に移し、それに粘着した質疑。

派手なパフォーマンス、扇動的な口ぶりで、夏休み中の中学生に呼びかける異様な場面があった。

当時の安倍政権があたかも独裁政権だったかのような、誘導尋問スタイルの偏向した質疑内容だったが、独裁政権だったのが安倍政権ではなく、フセイン政権だったことは世界の常識である。

イラク戦争を問題とするのはいいが、ウィキペディアの記述を見てもわかるように、この問題は複雑なのだ。山本議員はそれを小学生並みに単純化する。

サッダーム・フセイン:Wikipedia

イラク戦争:Wikipedia
イラク戦争は2003年3月20日から2011年12月15日まで。

自衛隊イラク派遣:Wikipedia
自衛隊イラク派遣(じえいたいイラクはけん)は、イラク戦争初期の2003年(平成15年)12月から2009年(平成21年)2月まで行なわれていた、日本の自衛隊のイラクへの派遣行為の総称である。その目的は、イラクの国家再建を支援するためとされている。

詳細はウィキペディアを閲覧していただきたい。

サダム・フセインは、スターリン主義の影響を受けており、フセイン統治下における恐怖政治はスターリンに学んだものだといわれている。

自衛隊のイラク派遣が行われた間に内閣総理大臣を務めたのは、小泉純一郎(2001年4月26日~2006年9月26日)、安倍晋三(2006年9月26日~2007年9月26日)、福田康夫(2007年9月26日~2008年9月24日)、麻生太郎(2008年9月24日~2009年9月16日)。

ウィキペディアによると、自衛隊の給水活動によって、乳幼児の死亡率が3分の1に減ったという。

アップされていた山本議員の動画へのリンク。



 前川清成議員(民主党・新緑風会)は、神学論争を連想させる質疑を繰り返していた。

憲法学者の権威でもって、安保法案を廃案にしようとする目的がミエミエだった。

それに対する菅官房長官の端的な名答。

アップされていた動画へのリンク。菅官房長官の答弁は②の23:30から。

https://youtu.be/G1w5hSfE6KE
https://youtu.be/GP5gCadnpdY

|

2015年7月30日 (木)

胸痛にスプレー1回

730ni2

17日にトイレで冠攣縮性の発作が起きたが、20時ごろに起きた発作もトイレで。17日と全く同じく、腰掛けた瞬間。

今日の発作はフリーズするほどのものではなかったので、ちゃんと小用を済ませてから出、手も洗った後、ミオコールを使いました。

前回はその余裕がありませんでした。

昨日の朝も発作が起きたようですが、過去記事を見るまで忘れてしまっていました。頭がぼーっとしてしまって。

エアコンは入れているのですが、暑さがこたえているのかもしれません。

右の五十肩ですが、またどなたかが念を送ってくださったのかもしれません、ひどくなる一方だったのが、昨日の何時くらいに気づいたんだったか、急によくなりましたから。

五十肩は急によくなることもありますが、寝ているときなど、わからなかったりしますから。もしそうだとしたら、ありがとうございます。

調子が戻っても、どうしても右腕はよく使うので、用心して使いたいと思います。

この暑さですので、皆様も用心なさってください。

|

2015年7月29日 (水)

デモの空気を運んできた、山本太郎議員の単純な粘着質疑 - 只今国会中継中(参院特別委員会)②

Staircase274614_640_2
Pixabay

キョロキョロと落ち着かない、視聴者を味方に引き込もうとするパフォーマンスが滑稽な、誘導尋問のような質疑スタイルで、弾道ミサイルが原子力施設に飛んできたらどうするか、被害はどんなものになるかに粘着して質問。

「安倍総理の規制委員会への責任転嫁でこの質問は終わりたいと思います」と勝手に判決を下して、「生活の党と山本太郎となかまたち」の山本太郎議員の質疑は終わった。

国会中継を見慣れたわたしの目には、「戦争反対、原発止めろ!」をそのまま、国会に持ってきたかのような違和感のある質疑だった。

原発の再稼働……裕福であれば、再稼働に反対できるのだろうか。裕福でないから、わからない。賛成も反対もできず、冬場の電気代が安くなることを祈るだけ。

冬、娘の職場の人も「こんな電気代が続けば、やっていけなくなるなあ」といっていたそうだから、うちだけが高いと感じているわけではないのだろう。

気候は厳しくなるばかり。弾道ミサイルが飛んでくる前に、貧困で死んでしまわないか、心配だ。

山本議員の話を聞いていると怖くてたまらなくなり、日本はこのままでは甘すぎる、防衛に死力を尽くすべきではないかと思ってしまうが、山本議員は原発さえ止まれば、全てまるく治まると考えているかのよう。

2012年5月5日、1970年以来42年ぶりに全原発が止まった(その後、福井県にある大飯原発の3号機と4号機は7月、運転を再開したが、2013年9月16日原子炉を停止)。

止まっていた間に何かが解決したのかな、思い出せない。

防衛予算のことを考えると、一国でできることには限界があり、集団的自衛権しかないと考えてしまうが、山本議員は原発施設への攻撃の話題から出なかった。

YouTubeに山本議員の質疑の動画がアップされていた。以下にリンクしておく。

|

次世代の党の和田政宗議員、よく言った! - 只今国会中継中(参院特別委員会)①

Gull456727_640_2
Pixabay

次世代の党の和田政宗議員が、中国共産党が行っている残虐行為、侵略行為に堂々と言及しました。

そして、その中国に対して何の対策もとらないことはわが国を危険に晒すことだと述べました。

国際情勢を日本の立場で見たとき、これはごく当たり前の認識でしょうが、どなたも中国関係のことには腫れ物に触るようにして遠慮がちに触れるか、見て見ぬふりをするかで、本当に変ですよね。このこと自体がわが国の危機的状況を物語っているように思えます。

上記状況からすれば、勇敢で、胸がすくような発言でした。

安全保障関連法案にかんする具体的で、貴重な質疑を続行中。

この重要な発言、果たして報道されるでしょうか?

|

胸痛に、スプレー1回

Nit20150729

10時ごろ、胸のど真ん中(左右の乳房の間)の奥の方からジーンと痺れるような強い痛みが起きた。

迷わず、ミオコールスプレーを舌の裏側に噴霧。

昨日外出し、帰宅後、心臓に余裕のない感じがあって、ごく軽い胸痛も起きたので、その時点でミオコールスプレーを使えばよかったのだが(発作のないときはいつもそう思っている)、すぐに鎮まると、いつものように他のことに気が紛れ、使いそびれてしまう。

使えば使ったで、頻脈が起き(ニトロの副作用で、しばらくしたら鎮まる心配の要らない性質のものだが)、疲れた感じが残る。それが嫌なので、もう起きないだろうという希望的観測に傾いてしまうのだ。

が、小さな胸痛とか、脈の乱れを感じたときは、その後しばらくして、ほぼ確実に冠攣縮性狭心症の発作が起きる。

そして、外出などの疲れがその遠因となる場合が多い。

昨日は用事で中心街に出かけ、娘が夕食を友達と食べてくるというので、久しぶりに夫と2人で外食した。夫の好きな『浜勝』へ。お漬け物が各人につくようになっていた。以前は大皿に盛られて出てきた。帰宅した娘は、2人の女友達と出かけたのが居酒屋だったので、何となく食べた気がしないそうで、「2人だけでずるい。家族だけ、家族だけ、いい思い」といった)。

前回発作が起きたのは、クリニックに出かけた翌日だった。

健康な人でもこの酷暑では(九州北部はさっき、ようやく梅雨明け宣言していた)、疲れるだろうから、頑張って動いているわたしの心臓がちょっとくらい音を上げたって、文句はいえない。いや、よく頑張ってくれていると褒めてやりたいくらいだ。

ニトロ(ミオコールスプレー)の使用後、やはり頻脈が起きた。じっとして鎮まるのを待っていたら、呼び鈴が鳴ったので、出ようとしたところ、フラついた。部屋に戻って横になり、鎮まるのをひたすら待つ。30分くらいで鎮まった。

この頻脈はニトロを使ったために起きた副作用だが、ここをきちんと鎮めておかないと、わたしの場合、今度は心房細動が起き、それがなかなか鎮まらなくて困ったりする。

今のところ、その後の脈の乱れはない。よし!

そういえば、内科と循環器クリニックの受診記録をつけ忘れていた。どんなだったか、もう忘れてしまったわ。ちゃんとつけるようにしなくては。五十肩の記録を今になって読み直し、記録することの威力(?)を知った。

五十肩に散々悩まされた記憶はあったが、具体的なことはほとんど忘れてしまっていたのだ。

健康なときから体調の異変や病院に行った記録をつける習慣をつくっておけば、一生を通じて健康管理に役立つと思う。オススメ!

|

2015年7月28日 (火)

いつか来た道・・・五十肩

五十肩はいつか来た道。

26日の夕方くらいから右の五十肩がひどくなって、頭からすっぽり被るタイプの室内着すら脱ぎ着に時間がかかるようになり、エプロンと料理するときに頭から被るタオルは結べず、家族にやって貰う始末。

寝るときに右腕が落ちると痛むので、腕を支えるのにぴったりのアルパカのぬいぐるみの背中――こんなときにいろいろなサイズのぬいぐるみがあると役に立つ――に腕を置いて就寝した。

翌朝目覚めて、すぐに右肩のことを思い出したが、不思議にも痛くない。前の朝は早くも右肩が固まった感じがして痛かったから、もっとガチガチに感じてもおかしくないはずだった。

実は、26日の23時ごろ食器洗いをしていたら(家事に時間がかかった)、ブログを閲覧してくださっているどなたかが念を送ってくださったのか、白色にうす黄緑色を溶かしたような迸る光に上半身包まれ、その部分が温かくなったのだった。

思いが作り出す光の形体を、神智学では「想念形体」という。興味のある方は、過去記事でも紹介した本がおススメ。透視力の持ち主(アニー・ベサント、C・W・リードビーター)によって観察された想念形体をカラー図で表現した、解説付きのひじょうに貴重な本。

思いは生きている―想念形体 (神智学叢書)
アニー・ベサント(著), チャールズ・ウエブスター・リードビーター(著), 田中 恵美子(翻訳)
出版社: 竜王文庫(1994/02)

このような想念形体や、オーラに包まれる感じは、見えない世界からわたしを見守ってくださっている方々との間で起きることがほとんどだが、前に、やはり五十肩になったときに同様のことがあったし、光の性質からして、地上で普通に生活なさっている、この方面に知識のある方が送ってくださったのだとわたしは判断した。

そのお陰で、一旦は治ったのだろう。嬉しさのあまり、腕を上げてみると、普通に上がった。しかし、そのあと、調子に乗り、腕をぐるぐる回しかけたところ、グキッ!

ああ、救いようのない馬鹿だ。せっかくの光の贈り物を無にしてしまった。

でも、確かに光の贈り物は届きましたよ。どなたかはわかりませんが、ありがとうございます!

人間の体は七重構造になっており、肉体以外は透視力では光として見え、オーラと呼ばれる。思いも光なので(本体が光でないものなど、どこにもないのだが)、オーラに影響を与えうるのだ。それが濃密な肉体にまで浸透するのは難しいが、やってみる価値はある。

痛む部分に、想像の純白の光を放射するのだ。緑色を加えるのもいいかもしれない。

わたしはそうやって、病院に行く余裕がなく、痛みが極まって切羽詰まったとき(冷や汗が出たのを覚えている)、痛みが鎮静して病院に行かずに済んだことがある。

虫垂炎ではないかと思ったときと、痛みと痺れで靴下も履けなくなって椎間板ヘルニアになったのではないかと疑ったときだが、実際はどうだったのかはわからない。

外科的な場合に効き目がある気がする。で、今回もやったかというと、まだやってない。冷や汗が出るほど切羽詰まらないと、億劫でやる気が起きないのだ。例外的に他人に試みたことはあるけれど、まずやらない。

相当な集中力と想像力を必要とするので。

でも、肉体に耐えがたい苦痛を感じたとき、勿論すぐに救急車を呼ぶか病院に急ぐべきだが、助けが得られるまでの苦痛に満ちた時間に、想像の高貴な純白の光を患部に放射してみることをおススメしておく。何もしないよりは絶対にいいと思う。

Rose456561_640
Pixabay

わたしはまず白薔薇の白を思い浮かべ、それから、それが白い光に変容し、白い光の奔流となって患部に迸るところを想像する。ホースから純白の光の水(?)が患部に勢いよくかかるところを想像するのもいいかもしれない。

で、そうした試みをやらないわたしの五十肩は26日よりはましだが、当分治りそうにない。

過去記事から五十肩に言及した記事を検索すると沢山出てきた。主立ったものを以下に拾っておこう。

  • 2006年6月 2日 (金)
    整形外科受診 - 左の肩関節周囲炎(五十肩)
    http://elder.tea-nifty.com/blog/2006/06/post_8164.html
    左の五十肩。正式には「肩関節周囲炎」。
  • 2011年4月 1日 (金)
    整形外科受診(別件)
    http://elder.tea-nifty.com/blog/2011/04/post-7d05.html
    右の五十肩。
  • 2011年4月26日 (火)
    20日に、整形外科受診 - 肩関節周囲炎(五十肩)のストレッチを教わる
    http://elder.tea-nifty.com/blog/2011/04/20-d975.html
  • 2011年10月19日 (水)
    整形外科受診
    http://elder.tea-nifty.com/blog/2011/10/post-42db.html
    こんなに治りが悪いのは、他に原因があるのかもしれないといわれました。一番考えられるのは糖尿病だそうで、「あいどん、そっちのほうはU先生に見て貰いよっけんね」とパソコンで血液検査のデータを確認なさる先生。
    たびたびALPの値が異常になることについてお尋ねしたところ、これもおそらく五十肩の治りにくさに関係しているだろうとのことでした。
    ALPは骨折したときに出てくるそうです。ただ、これが高いと、胆嚢の影響を一番に考えるそうです。わたしの場合はホールPTHが高くなりがちなので、それとの関連かもしれないそうで。飲んでいる薬の影響も考えられるそうです。
  • 2013年9月26日 (木)
    25日に、整形外科受診
    http://elder.tea-nifty.com/blog/2013/09/25-24c8.html
    左がよくなったと思ったら、次は右という具合に長くかかった五十肩でしたが(何年経過しましたかね?)、これで晴れて卒業です。
  • 2013年11月29日 (金)
    11月7日に、内科受診(骨密度測定)
    http://elder.tea-nifty.com/blog/2013/11/117-86c0.html

過去記事からすると、わたしの場合、整形外科を受診し、内科で骨密度測定を受けたほうがいいような気がする。予約はどちらも来年だ。整形外科だけでも、早めに診て貰おうかな。別の先生になるだろうけれど。

しばらく様子見。

|

2015年7月27日 (月)

国会中継 - 参院本会議

安倍首相は「米国から要請があったからといって、拒否できないということはありません。米国の戦争に自衛隊が参戦するようなことはありません」と明言。

さらに、「外交を通じて平和を守るという方針は今後も変わりません。その上での万が一の備えを行う必要がありますが、それが安全保障法制の整備です」と、丁寧に――省略しますが――説明。

   ここで国会中継が終わりました。洗濯物をとり込むために中断。

旧日本軍の軍靴の足音が聴こえるか、中国共産党の軍靴の足音が聴こえるかで、国民を二分するような報道が多いですが、二分しようとするマスコミのほうが間違っているように思えます。

ことさらに対立構造を煽ろうとする意図は何ですか?

安倍首相はタカ派だといわれ、そう思っていましたが、首相の外交努力を見ていると、平和をシンボライズするハトにも思えてきました。

Bird465816_640
Pixabay

6月27日の過去記事を書くとき、わたしは安倍首相がどんな国々に平和主義を説き、集団的自衛権について説明したかを調べかけたのですが、会談した首脳のあまりの多さに途中でやめてしまいました。

それでも、調べた分はその記事で紹介しています。

他の首相――例えば野田前首相――の会談内容と比較してみると、安倍首相の会談の充実した内容がわかります。経済、文化交流、その他の分野における協力関係と一体となった、平和主義の現実的な構築です。

一部マスコミの偏りがひどいので、わたしはバランスをとるために保守層にぐっと食い込みましたが、世界の常識からすれば、これで普通でしょう。

政治関係の記事を書くことが多かったために、創作へ回す時間が少なくなっていました。創作のための時間を増やしたいと考えています。勿論、必要を感じれば、書きます。

|

2015年7月25日 (土)

夢で会えた、夫のおじいさん ②のためのノート(8月3日に追記)

2015/07/25 17:08

②を、メモ帳に下書きしたあと、すぐに記事にするつもりだったが、自分の体験を神秘主義の本から引用することで裏付けようと思ったら、4冊の本が付箋だらけになってしまった。

その中からどうしても必要な記述のあるページの付箋のみ残し、いざ書こうとしても、頭の中がまとまらず、書けない。

ちょっと記録しておきたいだけなのだが、構想を練るだけで、こんな時間になってしまった。

実は、また右肩が五十肩になってしまい、家事に時間がかかる。途中で家事に入ると、書きたいことを忘れてしまいそうだ。

で、この記事を、②を書いてしまったら用済みとなるノートとして使うことにした。メモ帳に書きとめておくだけだと、記事にしないまま終わりそうなので。

神秘主義的な記録は創作と同じくらいわたしにとっては貴重な仕事だと思っているので、どうしても書いておかなくては。

初の歴史小説の資料も、『江戸参府旅行日記』(ケンペル)と『梁塵秘抄』が付箋だらけになって側の椅子にある。

図書館から借りて読みかけたゾラの『夢想』が、テーブルの上にある。本棚の前に置いた2つの図書館用バッグでは、その他のゾラの本と、初の歴史小説のための資料が待機している。

パソコンを打つとき、右肩が変に動いてしまうと、痛い。ほぼ毎日やってくる小柄な鳩が昨夜、ベランダの物置の上で熟睡していた。追い払いたかったが、鳥目だから移動に失敗すると困るなと思い、つい遠慮してしまうと、やはり朝、ウンチを取るはめに。

五十肩なので、うまく手が伸ばせず、脚立が必要になった。洗濯を干すのも、食器を仕舞うのも、右手を上げられないとなると、不自由だ。

整形外科の予約はずっと先。別の先生に診て貰うとなると、前みたいに痛み止めの関節内注射を筋肉注射されて、痛みが凄く増したという嫌なことにならないか不安。でも、薬局で買うと、湿布は高い。

と、頭の中がごちゃごちゃで、物を書く体制になっていないみたいだ。以下、ノート。

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

参考文献は、アマゾンに一応リンクしておくことにするが、全部中古しかない。

  • 死者Xから来た手紙―友よ、死を恐れるな
    エルザ バーカー(著), キャシー ハート(編集), 宮内 もと子(翻訳)
    出版社: 同朋舎出版(1996/03)
  • 神智学の鍵 (神智学叢書)
    H・P・ブラヴァツキー(著), 田中 恵美子(翻訳)
    出版社:神智学協会ニッポンロッジ(1994/03)
  • 実践的オカルティズム
    H・P・ブラヴァツキー(著), 田中 恵美子(翻訳) , ジェフ・クラーク(翻訳)
    出版社: 竜王文庫; 改訂2版 (1996/01)
  • 思いは生きている―想念形体 (神智学叢書)
    アニー・ベサント(著), チャールズ・ウエブスター・リードビーター(著), 田中 恵美子(翻訳)
    出版社: 竜王文庫(1994/02)

アウトラインはABCDEFGまで。順序は入れ替えたほうがいいかもしれない。

A 最も参考にした『死者Xから来た手紙―友よ、死を恐れるな』の紹介

友人の女性に霊界通信を行ったのは、デイヴィッド・パターソン・ハッチ。判事をしていた関係で、ググると、ハッチ判事と出てくる。

ハッチ判事は神秘主義に造詣の深い知的な人物だったようで、無知蒙昧な霊媒が受信するようなタイプの低級な霊界通信と誤解されるかもしれないことを予想し、何のための通信であるのかを説明している。受信者の同意を得、アドヴァイスしながら、通信を続けるといった風だ。

53通の手紙。

ウィキペディアによると、ハッチ判事が建てた館は、ロサンゼルスの歴史的・文化的モニュメントとなっているらしい。有名な人物であったようだ。哲学的、神秘主義的著作も多いとか。

Bibliographic details for "Smith Estate (Los Angeles)":Wikipedia
https://en.wikipedia.org/w/index.php?title=Smith_Estate_(Los_Angeles)&oldid=650233992

Wikimedia Commonsからハッチ判事のパブリック・ドメインの写真を借りよう。海外のサイトに若いころのハンサムな写真が載っていた(本当はこれを借りたい)。

引用1――死者X「あとがき」pp.248-249
 ハッチ判事に関する「ロサンジェルス・タイムズ」紙における物故者記事。

引用2――死者Xp.128 霊界から通信する動機。
 ハッチ判事の動機には、わたしが神秘主義的な記録を公開する動機と共通するものがある。

引用3――死者Xp.110元素の霊、p.219デーヴァチャンなど、神智学に言及している。
p.219には「わたしは神智学というものをそれほど深く学んだわけではないので」ともあり、カロッサのように、興味を惹かれて読んだことがあるといった程度なのだろう。カロッサの過去記事にリンク。

神智学の本を読んだことがあるという程度だったにも拘わらず、霊界にハッチ判事が行ってから、神智学の本に書かれていたことと符合することがあれこれ出てきたというわけだ。

「デヴァチャン」というチベット語を神智学用語に採り入れたのはブラヴァツキーで、ハッチ判事はそれを使っているから、ハッチ判事が読んだのは、ブラヴァツキーを主な執筆者とした初期の神智学文献だろう。

なぜなら、ブラヴァツキーよりあとの神智学者は「デヴァチャン」ではなく、「メンタル界」という用語を使うようになったからだ。

ヘレナ・ペトロヴナ・ブラヴァツキー (Helena Petrovna Blavatsky)
1831年8月12日 – 1891年5月8日

デイヴィッド・パターソン・ハッチ(David Patterson Hatch)
1846年11月21日 – 1912年2月21日

ハッチ判事が亡くなったのは、わたしの誕生日と同じ月と日。

B 死者Xの中で、わたしが地上に降りてくるときに抱きしめてきた記憶と符合する箇所

引用4――死者Xp.89 霊界の太陽と物質界のそれとの違い。わたしが記憶していたことと同じだ!

引用5――死者Xpp.81-82 
 わたしが、霊界の太陽の光と前世は修行者だったという記憶をなぜ物質界に持ち込めたかの謎を解く鍵となる説明がなされている。

引用6――神智学の鍵p.161 
 地上に降りてくる直前、これから自分が飛び込むことになる運命を知ってわたしは尻込みし、ほとほと嫌になったのをはっきりと記憶している。

 わたしなりの使命と宿題があり、それが十字架に思えたのだが、肝心の自分を待っている運命や使命、そして宿題がどんなものかは、産み落とされる時のショックで忘れてしまった。

 子供のころはその記憶が大きな部分を占めていたために、すがるように月に向かって「この灰色の暗い世界からどうか助け出してください!」と心の中で叫び、こっそり瞑想をするという子供時代だった(一方では、ごく普通の高い所にのぼるのが好きな子供だった)。

 こうしたわたしの体験を裏付けてくれるブラヴァツキーの解説。

C ハッチ判事が霊界の人々から受けた印象

引用7――死者Xp.101、pp.57-58 

D デヴァチャンについて

引用8―死者Xp.217、p.226
 ハッチ判事が「デーヴァチャン」と神智学用語を使った箇所。

引用9――神智学の鍵「用語解説」 pp.40-41
 ブラヴァツキーによるデヴァチャンの解説。

E 死者が出てくる夢について

引用10――死者Xp.67、

引用11――実践的オカルティズムp.225

F 地獄について

引用12――死者Xpp.146ff.
 酒場の霊的光景や若者に憑依してお酒を味わう低級霊の生々しい描写は、酒場や飲酒する人からわたしが受ける感じと符合する。

引用13――思いは生きている「29図」pp.63-64

 飲酒癖に限らず、依存による習慣は霊媒体質をつくる地獄行きの切符であるという危険性を神秘主義的感性によって実際にキャッチできる神秘主義者は多いわけではなく、普通の人に説いたところで聞いて貰えない。

 義祖父が、地獄行きの切符を買ってしまった人の一例だ。死後、指定された場所へ行きそびれたのに違いない。

 地獄とは――死者Xの説明からしても、わたしの直観からしても――、地上と接した霊界下層を占める、死者自身がつくり出す最悪のある状態を意味する。

 その間、死者はおそらく、霊界の人としては昏睡状態にある。

 ブラヴァツキーの『神智学の鍵』か『実践的オカルティズム』に無神論者の描写があって、彼が死んだあとで霊界で意識を回復せず、自分がいる霊界に気づかないまま、そこでの滞在を終える様子が描かれていたと思う。

 義祖父を成仏させるのに34年かかった。お祓いして、ちょちょいのちょい、というわけにはいかないのが実態ではないかと思う。

 植物人間になった人を回復させるのが難しいのと同じで、普通の愛情や宗教的な儀式くらいではまじないにもならないだろう。

追記:

お盆を前に誤解がないように追記しておくと、宗教的な儀式が無用なものといっているわけでは全然ない。わたしがいったのは、自分の意志で成仏しなかった霊についての話なのだ。

頑固なお年寄りが「わしゃどこにもいかん」といって、心配して連れ出そうとする人に、廃屋のようになった家から出るのを拒むというようなケースを見聞きすることがあるが、死んだあとで霊界に赴くことを拒み、それと同じ状態に陥った「頑固」なケースについて述べているのである。

心を籠めて行われる宗教的儀式は必要だと思う。

婚家には義祖父母の位牌があるが、供養は義父母だけでお坊様を呼び、執り行っていた(誰の位牌があるのかさえ、夫は無頓着だった)。

義祖父母の位牌は本家にあって、分家である婚家に位牌分けしたようだ。最期を看取ったのが義父母だからだそうで、なぜ義父が引き取ったかというと、義祖母が後妻だったからで、末っ子の義父はそのひとりっ子だったためだという。

わたしの実家では、盆正月には父の実家に家族で出かけていた。船員の父は留守のときも多かったが、帰宅すると、すぐに本家に出かけていた。

父の実家に行くと、まず仏壇の前で手を合わせ、ご先祖様に挨拶をする。

その部屋には、ご先祖様の写真がずらりと並んでいた。そこに一族が集まり、お坊様が呼ばれ、お経が唱えられた。儀式が済むと、皆でご馳走をいただいた。

そういうものだと思っていたので、何もないというのが不思議な感じがした。位牌があるのだから、盆正月にわたしたち家族も一緒に――婚家に半同居していた義妹の家族も一緒に――供養する習慣があれば、義祖父母も喜んでくれたに違いないと思う。

親戚の絆がご先祖様を通して深まっただろうし(義祖父の成仏ももっと早かったかもしれない)、各人のエゴイズムは抑えられただろう。わたしの嫁としての自覚もしっかりしたものとなったに違いない。

こちらから「ご供養のときはご一緒させてください」といえばよかったと思うが、新婚当初は何しろ事情がわからず、出すぎた真似はしにくいとあって、引っかかったままだった。

その程度にはわたしは古い人間なのだ。長男である夫の妻となったとき、夫が跡取りとなって義父母の面倒を見るだろうことは承知の上だった。

そうこうするうち、嫁いびりがひどくなった。

この年齢になるまで気づかなかったが、嫁いびりがエスカレートした陰には義妹の姿がいつもあった。義妹はわたしより5歳上である。

新婚時代、婚家に行くと、義母は家の鍵を握らせて、「あなたたちの家だから」といい、ことあるごとにわたしたちに跡取りと自覚させようとした。

しかしそこにはいつも義妹一家がいて、わたしは親思いだなと思っていたが、ひそかに義妹一家がまだ来ていなければいいなと思ったりしていた。

義妹一家が来ていないときは、義母から色々と教わることはあっても嫁いびりにはあまり感じられず、義父母といくらかでも親密になれる気がしたからだった。何より、子供たちに興味を持ってくれることが嬉しかった。

ところが、いつのまにか婚家には義妹の部屋ができ(夫と義妹が巣立ってから義父母は家を購入した)、半ば同居しているような格好になった。嫁いびりは当たり前のものとなり、エスカレートしていった。

いきなり「公文をやらせなさんな」と義母に激怒した口調でいわれて驚き、教育にまで干渉されるとなると、もう距離を置くしかないなと思っていたところへ、娘から「ママがいないと、皆でママの悪口をいっているよ」と忠告された。

わかってはいたことでも、娘にいわれるくらいひどいのなら互いのためによくないと思い、距離を置くことにしたのだったが、公文のことなど義妹がいわなければ、義母が気にとめるはずもなく、義妹が公文のことを悪くいったに違いない。

わたしは結婚前に公文教室で助手をしていた。重い病気から生還した母を見る必要があり、午後2時くらいから夜8時か9時くらいまでの公文教室での仕事はちょうどよかった。

公文公先生の著書は勿論読んだし、教室が一つから三つに増えたとき、その準備を手伝って、もう少し数学ができれば、わたしも教室をするんだけどなと思ったほど、公文の教育理念には共鳴していた。

経済的に苦しい中では、公文しかないと思っていた。あのとき無責任な言葉に折れていたら、子供たちは国公立に行けただろうか。

公文式をいいと思わない理由があるのなら、、二浪して九大に入ったほど頭がよく(わたしのころでも、大学に行けない女性のほうが多かったことから考えると、浪人もできるような恵まれた環境だったといえる。夫も浪人しており、義父母が相当に無理したのかもしれない)、快活なはずの義妹は、なぜわたしに直接いわなかったのだろう。類似の思い当たることが沢山ある。

たぶん、それは本当のところどうでもよいことで、義父母と仲違いさせることで、わたしたちを婚家から遠ざけたかったからではないだろうか。

その後に起きたことを考えると、義妹にとって、婚家は甘えられる大切な場所というより、そして自分が親の面倒を見たいというより(わたしはそうなのかと勘違いしていた)、賄い付別荘として使いたかったというのが本当のところではないかと思う。

義妹夫婦は複数の家を所有する、少なくともうちよりは遙かに裕福な人達だから、夫が継ぐはずの家がほしかったわけではないだろう。

それに比べ、いずれは義父母と暮らすつもりだったわたしたちは、転勤族ということもあって家を買うことはしなかった。バブルが弾ける前は、高い家賃を払うくらいなら家を買うことを中小企業のサラリーマンでも考えたことだった。

しかし、長い時間をかけて育むはずの関係は育めず、わたしたち一家は根無し草のまま不安定な日々を送っている。

友人達は一人、また一人と老いた親と同居を始めている。

義妹夫婦は現在、都会からUターンして福岡市に家を建て、義父母用の6畳の部屋を作り、そこに外から出入りできるドアをつけているという。

夫は感心していたが、わたしには意味不明のドア設置である。耄碌でもすれば、かえってそのドアは危ない気がする。

婚家で好き放題振る舞ってきたのだから、自分の両親にも自分の家で好き放題に振る舞って貰えばいいではないか。

夫の話では、義父母は義妹夫婦に見て貰うつもりはないそうで、見て貰うとすれば、わたしたちだという。しかし、ここまでこじれた仲となった今、体力的にもわたしには自信がない。

義妹に責任をとって貰いたいが、現実問題として我が儘な彼女に介護ができるとは思えない。義父母には馴染んだ場所から動きたくないという思いもあるようだ。

幸い、今のところは、高齢ながら共に元気で、ふたりでカラオケに行ったり、市民講座に通ったりしているそうだ。

さあ、どうすべきか。

下に書いているように、嫁いびりの原因を成仏しない義祖父のせいだと考えていた時期がわたしにはあった。

だが、もしそうであれば、義祖父は嫁いびりで盛り上がっているその場所に透明な姿ながらいて、影の采配を揮っていなければならなかったはずだ。

優しかった祖父に夫は大層なついていたくらいだから、むしろそうした場に馴染めず、1階の居間ではなく、一人2階の部屋の仏壇にいたのだろう。

 肉親ですら、どうにかしてあげることは難しい。それこそ人が本来は完全に自由である証拠ではないだろうか。その人がそう望んだので、そうなっただけの話なのだから。

 もし縛られると感じられるものがあるとすれば、それはカルマという宇宙的なプーメラン作用による結果にすぎない。

 ブラヴァツキーがその辺りのことをどこかで書いていたが、見つけ出せない。何にせよ、霊界における地獄状態からその人を救うのは本人の自覚以外ないそうである。

 その予防や治療薬に当たるのが芸術や本物の神秘主義なのだが、この地上はある意味では地獄なので、デヴァチャン的価値観は通用しにくい。

 地上が客観的な世界であり、霊界が主観的な世界であるとは神秘主義ではよくいわれることで、ブラヴァツキーの著書にも死者Xにも繰り返し出てくるが、芸術的、創造的な人間が霊界でどれだけ楽しめるかは想像もつかないくらいである。

 今ではすまないと思っているが、義祖父を負担に感じるあまり、悪霊扱いして――ある意味ではそうだったにせよ――何でもかんでも義祖父のせいにしていた時期がわたしにはあった。

 こう書くと、生前の義祖父を知っていたかのように思われてしまうかもしれない。夫が中学校のときに亡くなったので、わたしの知る義祖父は浮かばれない霊としての義祖父なのだ。

 新婚時代、仏壇の前で心をこめて手を合わせたわたしに、仏壇の奥から視線を投げかけ、ほくそ笑んだ何かがいることをありありと感じたのが最初だった。(以下、長たらしく、ここに至るまでの経緯を書くべきかどうか。)

 幽霊を見たことは一度もないが、こんな風に目に見えない何かの存在を感じることはたまにだがあるのだ。

 過去記事のどこかに書いていると思うが、何年か前に、小鬼のような老婆を内的な目で見たことがあった。老婆は強烈な汗の臭いを発散させ、「ケケケ……」と哄笑しながら走り去った。

 それを、わたしは内的な目でありありと目撃し、内的な耳で聴いたのだった。

 心のスクリーンに映るのを見たといえばいいだろうか。想像とはまた違うリアリティがあるのだ。尤も、普通はここまではっきりと見えることは少ない。

 オーラや想念形態はまた話が別で、時々見るが、ネオンや絵画を見るより力強く、細かいところまで見えたことがあった。

 母の枕許で神秘的な内的格闘をして以来(拙著『枕許からのレポート』参照)、オーラが本格的に見え始め、オーラというものは無理に見ようとすれば、いつでも見えるものだが(たぶん普通の人でもそうだと思う)、無理に見ようとしたら疲れるし、無理にそうするときは肉体に近い層の鈍い光しか見えず、オーラを見る歓びには乏しいため、自然に見えるに任せている。

 オーラがありありと見えたときは、相手の高級我がわたしにそれを見せる必要があると判断したので、見せていただいたのだ、と思っている。

 で、小鬼のような老婆の話に戻れば、背は3歳児の半分くらいしかなかった。物凄く額が広くて、頬がぷっくり膨らんでおり、細い目、白髪を無造作に束ね、草鞋を履き、絣の着物を着ていた。そして空中を蹴って、どこへともなく走り去ったのだ。

 あれは人間と関係のある存在ではなく、神智学でエレメンタルといわれる妖精の類いに違いない。

 いつ目撃したかといえば、社交的に近づいてきて性的に誘惑しようとした男性を撥ねつけたときだった。剣を手にしていたら、斬ったかもしれないというほど、わたしは怒っていた。文学の手ほどきを受けたいという純なムードで近づいてきたので、すっかり信頼してしまったのだった。

 その男性のよこしまな心の隙に小鬼が入り込んで、悪さをしていたのだろう。あんなものが存在するなんて、驚きだった。今も誰かの心の隙に入り込んで、悪さをしているのかもしれない。

 不倫している人はご用心! 接吻している相手の男性や女性は、実は汗臭い老婆の顔した妖怪かもしれないのだから。

 おとぎ話は空想譚とは限らないとこのときつくづく悟った。

 話を戻すと、相手が生きていようといまいと、思いが伝わってくることはよくある。

 この行は昨日公開した記事に加筆しているのであるが、公開したあと、おそらくお酒が好きな人々だろう……怒りや憤慨、不安や訝るような感じが伝わってきた。こうした否定的な感情は似通っているので、わたしはその感情の発信者を特定できないことのほうが多い。

 わたしは、別にお酒に恨みがあるわけではない。アルコールが惹き起こしがちな現象について、そのまま書いているだけなのだ。

 それとは対照的に、わたしが書いたことに共鳴した人々の爽やかな思いも伝わってきた。その方々には、私心を去った、知的な理解の仕方をしていただけたに違いない。

 美しい思いには不思議と個性があり、どこのどなたかはわからなくても、その人がどんな人かが内的なスクリーンに描けるのである。清らかな心の持ち主は霊的にはとても目立つので、自然と高級霊には知られるはずで、そのような人々は高級霊から目をかけられているのではないかと思う。

 尤も、同じ人間であっても、天使と悪魔の間を振り子のように揺れているのが一般的ではないだろうか。少なくもわたしはそうだ。美しい心持ちになることもあれば、低級な人間になることも日常茶飯事である。

 Fが長すぎる。あれこれ詰め込みすぎる。どうせ詰め込むなら、天使だと思った高級霊の話や、わたしに別れの挨拶に来た死者たちの話なども全て書き、こうした話を裏付ける引用もした、本格的なエッセーにしたいものだが、時間がない。 

G 古代ギリシア、霊界の図書館

引用14――死者Xp.129

|

2015年7月23日 (木)

再収穫を待つ豆苗、牛切り落としのカシスマスタード炒め、バジルクリームパスタなど。

Tom1

豆苗(グリンピースの若菜)です。切り落とした根を水に浸しておくと、再収穫できると商品説明にあったので、栽培中。1週間から10日で再収穫できるそうです。

1週間なので、そろそろかしら。窓辺に置き、1日1~2回水を替えています。

Di1

生でも美味しいとあったので、牛切り落としのカシスマスタード炒めに添えてみました。

もやしに似た風味で、シャキシャキしてヘルシー感がありますが、軽く火を通したほうが食べやすいですね。お肉と一緒だと、食べやすいです。

豆苗を再収穫したら、炒め物かおひたしに使おうと思います。

牛切り落としのカシスマスタード炒めの材料は牛切り落とし300g、しょうゆ3、みりん大さじ1、カシスマスタード(お好みのマスタード)大さじ2です。

Cassis1_2

サイト「みんなのきょうの料理」(NHKエデュケーショナル)のレシピ「柔らか鶏つくね」を参考に作った鶏つくねが美味しかったので、再度作りました。

前回作ったときはレシピ通りスナップえんどうをつかったのですが、今回は冷蔵庫にあった筍を使いました。

Dan2_3

クックパッドの以下のレシピ「いかの炊き込みご飯」がとても美味しく、家族のリクエストもあって、短期間に2回作りました。

Cpicon いかの炊き込みご飯 by デリっち

Ika_m1

イカはレシピより細かく切りました。初回は三つ葉、2回目は煎りすり黒ごまを振りかけてみました。イカの味がしみ込んで、本当に美味しい炊き込みご飯です。

Ika_g1

味付けが濃いめなので、少量の牛乳を加えた卵スープを作りました。優しい味わいで、炊き込みご飯によく合いました。

Soup1

今夏2度目のバジルの収穫。前回は以下。

前回は松の実&カシューナッツで作りましたが、今回はアーモンド&カシューナッツのコンビで。

Nuts2

バジルソースの材料です。

  • バジル50g
  • アーモンド&カシューナッツ50g
  • ニンニク2かけ
  • エクストラバージンオリーブオイル150㏄
  • 塩小さじ1
  • こしょう

Basil1

ここへ生クリームを加えて、バジルクリームパスタにしました。

Basilpasta1

パスタは、いつものように夫が茹でてくれました。好みで粉チーズを振りかけて、絶品!

|

癌と闘っている、双子みたいな気のする男友達 ⑦ストーマを落とす手術

癌と闘っている、双子みたいな気のする男友達から、昨日久しぶりにメールがありました。順調だそうです。

記事にはしませんでしたが、今月の頭にメールがあったときは、退院直後から多忙だとありました。

駅などに、人工肛門の人用の専用トイレが設けられているところもあるようです。

人工肛門を落としたいというのが彼の念願で、その手術を来月受けることになったとか。

それはそれで、いろいろと大変なようですが、焦らず、回復に努めてほしいと思います。

車のような機械にすら優しい人だから、肛門にも上手に優しく接しているのだと想像しています。仕事が過度にならないよう、祈っています。

わたしたちは家族のことなどはほとんど話さないのですが、お孫さんがいるかどうか、ふと知りたいと思ったので、返信で訊いてみました。

ところで、この男友達のことはこれからの話には関係ないのですが、昔、わたしには男女どちらの友人も沢山いました。

が、大分県(日田市、そしてこの市)に引っ越してから、体調の関係もあり、ほとんど外出せず、いつのまにか人間嫌いになっていったのです。

創作で多忙なのは昔からですが、世に出ることの大変さ、世間や生きることを甘く見たツケが一気に襲いかかってきたかのようで、それらと闘い、バランスを保つために一層創作にのめり込んだ日々でした。

交際に長いブランクが生じると、相手に自分の影響が及ばなくなって久しいので、連絡をとり合っても、別人のように感じられることが多いのです。

わたしには相手が粗野に、俗っぽくなったように感じられるのですが、世間並みの価値観で長年やってきた相手は相手で、わたしのことが如何にもつまらない、頼りない、自主的に生きていない主婦に見えているように感じます。

経済的にはそうですし、内面的にも、家族に依存しがちなわたしはそう見えて当然です。

裕福でもないのに、専業主婦を選んだ女の宿命で、将来のことを考えると不安で呆然となることがありますが、こんな生き方をしてきた女たちが日本文化を支えてきた一面は確実にあります。

そんな支え手が少なくなって、日本はあまりにも荒れました。

保育園ばかり増えて、増やせるだけ増やす計画、これでいいのでしょうか。老若男女で仕事を奪い合う、殺伐とした空気。

小倉駅で若い保母さん4人が、1人は赤ん坊を抱いてもう片手で歩く幼児の手を引き、別の1人は歩く幼児を引き連れ、2人は6人乗りの業務用大型ベビーカーを各1台ずつ押して、全員がモノレール駅のホームにいました。

ちっちゃい子が4人の保母さんに鈴なりになっているように見え、娘とその光景を見ながら、誰かが落ちそうで冷や冷やしていました。

赤ん坊のころから緊張しっぱなし、学校も昔のようではなく、ママ友同士でいじめ合って自殺者まで出たというニュース、ママカーストって何ですか?

大阪と神奈川でだったか、外国人の家政婦に在留許可を与えて働けるようにするというニュース。在留資格のない外国人が働けるようにする、とニュースにはありましたが、わたしには意味不明で、先の文のように解釈しました。

わたしは少女のころ、在日外国人の家政婦さんの男子2人にやられましたよ。人生がとり返しのつかない狂いかたをしましたから、居所を突き止めて訴えたいぐらいです(時効がなければいいのにと思います)。

男女どちらでもいいから、大人の一方が家にいられるような社会作りができないものでしょうか。そして、1人親の子は保育園で手厚く。

話が逸れましたが、文学は人の雰囲気を和らげ、好ましいものにします。その影響を与えていたのは、他ならぬ自分だったことに気づきました。

疎遠になった友人達とも、もし交際が続けられるようであれば、また互いに盛んに影響し合って、好ましい交際へと育てていくことも可能なのかもしれないと思い始めたこのごろ。

そんなとき、過去記事でお話した幼馴染みからの電話。そして、当記事の癌と闘っている、双子みたいな気のする男友達。

このお2人とは長いブランクがあっても、何の違和感もなく、交際を続けられるのが不思議です。

そして、死者であっても、こちらからは心で語りかけ、相手からは光の点という形で返信があるという、そんな文通(?)のできる人がわたしにはいます。

人生、そう捨てたものではないかもしれません。そして、自分の人生はこれからが正念場と思っています。

|

2015年7月22日 (水)

拙ライブドアブログの人気記事。芥川賞に関する懸念。

ライブドアブログで複数のブログを作っています。

放置気味になることもあり、アクセス数も当ブログに比べると少ないのですが、当ブログから特定のカテゴリを取り出したブログということもあって、アクセスしたい記事以外のよけいな(?)記事が出て来ないこともあるからか、利用してくださるかたもあるようです。

サイドバーに設置できる「人気記事」のブログパーツを利用してみました。当ブログのサイドバーにも拙ブログ内の人気記事ランキングを設置しているのですが、比較してみると、閲覧者の好みの違いがわかるようで、面白いと思いました。

「文学界にかんする考察」の1位は最近書いたばかりの記事です。どうせ検索しても出て来ないだろうと思ったのですが、「又吉直樹 冒頭」でググったら、8番目に出てきました。20:00ごろの話です。

ついでに少し調べてみると、又吉直樹『火花』が今夏の読書感想文の題材として中高生に選ばれているという記事を閲覧しました。

わたしはサイト「文藝春秋 BOOKS」での立ち読みしかしていないのですが、作品のあちこちから引用したり、あらすじを紹介したりしている記事を閲覧する限りでは、中学生には早いように感じました。

中高校生には、良心的な文学者が注意深く、その時期に読むにふさわしい作品を選んであげる必要があるのではないでしょうか。

読書量の多い生徒が読むぶんには、あれこれ読むうちに自然にバランスがとれていくこともあると思うので、それほど心配しないのですが、めったに読まないのに読むとなると、よくも悪くもそれが長く記憶に残りやすいでしょうから、文章のしっかりした、明るさのある、自然に教養を身につけさせてくれるような作品のほうがいいように個人的には思いますが、如何でしょうか。

はっきりいって、『火花』は冒頭の文章だけからも、国語教育の一環としての読書感想文ということであれば、失格ですよ。

読書慣れした大人が趣味として読む場合とは、状況が異なるのです。

今回の芥川賞受賞作品に限りません。なぜか、おかしな日本語を使った作品が選ばれる傾向にあります。わたしが「芥川賞」のカテゴリーを設置したときは既にそうでした。

文学的潮流とは別のところで、作為的に仕組まれているかのようです。わたしの杞憂にすぎないのであればいいのですが。

話が逸れていまいました。拙ライブドアブログの現時点での人気記事を以下に紹介します。

☆「文学界にかんする考察」人気記事

  1. 2015年07月20日
    立ち読みで窺えた又吉直樹の才能、しかし『火花』の冒頭は文章としておかしい
    http://blog.livedoor.jp/du105miel-vivre/archives/65781709.html
  2. 2013年04月25日
    賞ゼロ次止まりの拙児童文学作品を、受賞作品と環境比較してみる
    http://blog.livedoor.jp/du105miel-vivre/archives/65713668.html
  3. 2015年05月22日
    【拡散希望】「**王女を慰安婦にしよう」という韓国ネット新聞の記事と、歴史認識(21日に追記1、22日に追記2、6月9に追記3、7月21日に追記4あり)
    http://blog.livedoor.jp/du105miel-vivre/archives/65776514.html
  4. 2013年07月29日
    高校生の読書感想文に「短い」よい本……うーん。
    http://blog.livedoor.jp/du105miel-vivre/archives/65723492.html
  5. 2015年06月10日
    (南京事件の)松井石根陸軍大将の魅力的なお写真と、中国で出回っているという偽物らしき写真
    http://blog.livedoor.jp/du105miel-vivre/archives/65777687.html

☆「マダムNのエッセー集」人気記事

  1. 2012年11月06日
    SF作品としても読ませる「2062年から来た未来人の予言」
    http://blog.livedoor.jp/du105miel-essay/archives/9070283.html
  2. 2012年06月09日
    メアリー・スチュアートのデスマスク、刺繍、詩
    http://blog.livedoor.jp/du105miel-essay/archives/9070267.html
  3. 2010年06月02日
    『テレプシコーラ』の千花から連想した『アルゴノオト』の井亀あおい
    http://blog.livedoor.jp/du105miel-essay/archives/9070154.html
  4. 2010年06月13日
    イングマール・ベルイマンの『ある結婚の情景』について、少しだけ
    http://blog.livedoor.jp/du105miel-essay/archives/9070186.html
  5. 2010年08月15日
    「世界の名作図書館」全52巻(講談社、1966-70) - 収録作品一覧
    http://blog.livedoor.jp/du105miel-essay/archives/9070211.html

☆「マダムNの神秘主義的備忘録」人気記事

  1. 2008年10月04日
    バルザックと神秘主義と現代 そのⅠ
    http://blog.livedoor.jp/du105miel-mystere/archives/1005252287.html
  2. 2010年03月15日
    『ピスティス・ソフィア』におけるマリアの恐れ
    http://blog.livedoor.jp/du105miel-mystere/archives/1005252315.html

|

2015年7月21日 (火)

夢で会えた、夫のおじいさん  ①おじいさんと本物の家族になれた喜び

昨日、唐突に小説の構想が浮かび、それを書いても世に出られぬ身、書いてどうなるだろう、初の歴史小説もあるし……と思いながらも書き始め、徹夜してしまった。

若いころは、1~2時間の仮眠をとれば、3晩はいけた。今はだめで、朝になると、1時間だけと思いつつ、爆睡。

そして、何と本当に1時間で目が覚めた。「今日はママ、だめ。何も用意できないかもしれないから、早く起きて自分でやって」といって、早めに娘を起こした。

その娘は、まだシャワーを浴びていた。たっぷりとはいえなかったが、時間はまだあり、すばらしい幸福感に包まれていたお陰で、わたしは徹夜したにも関わらず、朝から元気いっぱい、目はぱっちり。

義祖父(夫の父方のおじいさん)の夢を見ていたのだった。わずか1時間の間に、とても長く感じる充実した夢だった。

夢の中で、わたしが義祖父を発見する。義祖父はずいぶん長い間、部屋の隅で寝ていたらしい。まるでミイラになったみたいに。

誰もそれに気づかず、義父母なんかは薄情にも死んだことにしてしまって、しかも、親を亡くしたことすら忘れ、思い出しもしなかったようだ。

しかし、発見者のわたしも、自分の見つけた老人が、夫の父方のおじいさんなのか、母方のおじいさんなのか、区別がなく、ただ、おじいさんだと思っていた。正体がわかるまでは、怖かった。

夢の中で、おじいさんと一緒にいるうちに、わたしはおじいさんのことを大好きになった。

夢であろうとなかろうと、あんなに優しい人をわたしは未だ知らない。目覚めてから夫に尋ねると、優しい人だったそうだ。前にも夫はそういったが、わたしには信じられなかった。

本来が優しかったところへ、成仏して菩薩のような優しさが加わっていたのだろう。

この世の人で、あれほど無条件に優しい人はいない、この世の人の過剰な優しさは欠落を感じさせるが、充実した、実りのような優しさだった(うまく表現できない)。

そして、現実には義祖父を写真で観て、義祖父が夫にも夫のおとうさん(舅)にも似ていないと思っていたのだが、夢で会った義祖父には舅を想わせるところと、夫を想わせるところがあり、自然の造形の妙に打たれた。

わたしは夢の中で夫と喧嘩して、義祖父の背中の後ろに隠れ、義祖父に甘えたりした。

「おじいさんがもっと早く目を覚ましてくれていたら、わたしは婚家でいじめられることも、夫と喧嘩することもなかったのに。おじいさん、おじいさん、大好き……」と、わたしは夢の中で、おじいさんにそういったようでもあり、思っていただけのようでもあった。

どうして、長くあんなところで眠っていたのだろう、とわたしは不思議だった。わたしの知らない親戚の人々――現実に会ったことのある夫の親戚の人々とは異なる、知らない人々――がいて、皆で何となく御祝いをしようとしていた。

わたしはただ、おじいさんの優しい雰囲気にうっとりとし、甘えていた。

結婚して34年になるが、新婚時代から、わたしはこの義祖父の成仏を願ってきた。成仏していないと確信していた。

想像の義祖父に反発したり、悪霊扱いしたり、妄想だろうか、とわが脳味噌を疑ったりしながら。

これが、わたしの今生の課題の一つだと感じていた。

おじいさんの夢は、雑念が作り出した条件反射的、生理的な夢ではなく、霊的な夢だと感じている。おじいさんは成仏したのだ。この世に囚われていたために、あの世の人としては昏睡状態にあったのだと思う。

自分の生きているうちに、義祖父を成仏させることに成功しなければ、わたしは自分が死ぬときに彼を連れて行くつもりだった。もし、それに失敗して、自分も成仏できなかったらと思うと、怖かった。そこまでつき合うつもりはないが、何せあの世の細かいことはもう一度死んでみなくてはわからない。

毎日ではないけれど、心の中で語りかけたり、あの世の魅力を語ったり、夫の嗜好に依存(憑依)しないよう、夫の依存体質を改善しようと、いろいろやってみたが、どうもおじいさんが成仏できたようには思えなかった。

義祖父が幸福でいるという感じが伝わってこなかった。

義祖父は酒好き、遊び好きな人であったという。映画や競輪が好きで、蛍狩りにも夫は連れて行って貰った。

あの世はもっと壮大な遊び場であることを、わたしは義祖父に心の中で説いた。死んだばかりの人のために、あの世にもお酒に似たものはあると思うと語りかけた。

孫を愛するあまり、心配してくれているのだとしたら、あの世からのほうがもっと効果的に見守れるはず、といって安心させようとした。

義祖父の成仏を確信できないまま、何年も経ったが、今日、確信した。

たぶん、義祖父は成仏した。おめでとう!

義祖父の夢を見たのは初めてだった。

まあ、全てがわたしの妄想と思っていただいたらよいと思う。本当にこれまでのわたしの努力は妄想の中で行われ、すばらしい夢もただの夢だったのかもしれないので。

ただ、わたしは神秘主義者で、神智学協会の会員でもある。きちんと書き残しておきたいと思うのだ。

またわたしは自称作家でもあるので、結末が決まらないまま、義祖父をモデルに小説を書き始めていた。執筆計画が充分でないまま書き始めたものなので、つまらない冒頭となっている。いずれ、書き直すつもり。

|

2015年7月19日 (日)

立ち読みで窺えた又吉直樹の才能、しかし『火花』の冒頭は文章としておかしい

又吉直樹『火花』を図書館から借りようとしたら、予約者が60人以上いた。順番が回ってくるころには、次の芥川賞が決定していそうだ。

仕方なく、「文藝春秋 BOOKS」で立ち読みした。

冒頭は文章がおかしいと思ったが、そのあとは、内容が充実していくと共に、文章はまともになっていく(のではないかと思う。老眼には字が小さすぎてつらい)。

老眼のせいもあるかもしれないが、立ち読みを終えるころには、漫才界の裏話が読めそうな期待感も薄れ、小説自体がどうでもよくなってしまった。

その中に深刻な文学的テーマも美醜も、あるいはユーモアもあるのだろうが、荒れた環境、荒れた場面、荒れた言葉遣い、荒れた変な登場人物。

こうした荒れた世界を舞台にした、しかし、その世界をもう一つ包括的には捉えきれていない、それほど知的とはいえない作品ばかり、読まされてきて、日本中が今や荒れた世界になってしまったかのようで、何のための文学か、わからなくなってくる。

というと、立ち読みで作者を否定しているかのように誤解されてしまいそうだが、立ち読みしただけの直観では、西村賢太と同じくらい才能を秘めた人物だろうとは思う。

西村賢太と同じように、美しいものを内面に湛えている人物であることが窺える。作家の資格として、それ以上に大事なものはない。

『火花』の冒頭の文章がおかしいと書いたが、それについて少し。

以下『火花』より、冒頭部分の抜粋。

 大地を震わす和太鼓の律動に、甲高く鋭い笛の音が重なり響いていた。熱海湾に面した沿道は白昼の激しい陽射しの名残を夜気で溶かし、浴衣姿の男女や家族連れの草履に踏ませながら賑わっている。

文章がくどい。野暮ったい。頭の中にすっと入ってこない。そうした場合、表現が不適切、不正確であるとか、文法的に間違っているといったことが原因となっている場合が多い。

最初の行で疑問に思ったのは、笛の音が単数か複数かということだ。単数の笛の音が(和太鼓の律動に)働きかけているのか、複数の笛の音が重なり合って(和太鼓の律動に)働きかけているのか?

「大地を震わす和太鼓の律動に、甲高く鋭い笛の音が重なり響いていた。」
の読点の位置を変えて、「大地を震わす和太鼓の律動に甲高く鋭い笛の音が重なり、響いていた。」とすると、単数の笛の音が思い浮かぶ。

複数の笛の音であることを強調したければ、
「大地を震わす和太鼓の律動に、重なり合う甲高く鋭い笛の音が響いていた。」

ただ、音と律動(リズム)は同じ意味ではないから、律動に音が重なるという無造作な表現にも違和感がある。

和太鼓の律動、笛の律動。和太鼓の音、笛の音。作者にとって、和太鼓の場合は律動が、笛の場合は音の甲高さが印象的だったのだろう。

「甲高い」は、調子が高く、鋭いことを意味するから、「鋭い」は不要。「鋭い」と重ねることで、むしろ印象を弱める。

2行目は、文章に構造的欠陥がある。

「熱海湾に面した沿道~草履に踏ませながら」までは擬人法が使われている。そのあと、そうではなくなっている。

ここは「草履に踏ませながら賑わしている」とでもなるのかな。

あくまで擬人法にこだわりたいのであれば、わたしなら、こう書く。
「熱海湾に面した沿道は、白昼のほてりを夜気で鎮めて、浴衣姿のカップルや家族連れの草履に踏まれるまま、喧騒に身を任せている。」

「浴衣姿の男女や家族連れ」の「男女」を「カップル」に換えたのは、家族連れも男女(混合)であることが多いから。

作家の卵40年のわたしも未だ日本語に詳しいほうではないが、芥川賞を受賞した作品は教材に使われてもおかしくないだけの文学的名声を授かる。

教科書に載るかもしれないと考えると、『火花』は内容以前の文章的問題を抱えている気がする。

芥川賞は日本語を壊すために存在しているのだろうか、と疑いたくなるほどだ。ひじょうに不注意な書き方である。

当ブログにおける関連記事:

2015年7月22日 (水)
拙ライブドアブログの人気記事。芥川賞に関する懸念。
http://elder.tea-nifty.com/blog/2015/07/post-ee93.html

編集者は何のためにいるのだろう? 

編集者がしっかりしていなければ、作家が恥をかく。作家に恥をかかせる編集者は、編集者として失格といえる。

アンドレ・バーナード編集『まことに残念ですが・・・ 不朽の名作への「不採用通知」160選』(木原武一監修、中原裕子訳、徳間文庫、2004年)に、ミステリー作家ジョゼフ・ハンセンの次のような言葉がある。

もしきみが確固たる信念を持っていれば、そのうち確固たる信念を持った編集者とめぐりあうだろう。何年もかかるかもしれないが、決してあきらめるな。

ハンセンのこの言葉をわたしは幾度となく読み返してきた。作家にとって、理想的な編集者にめぐりあう歓びほど、大きなものがあるだろうか?

どんなに優秀な作家でも、完璧な日本語を常に駆使することは難しいに違いない。おかしな文章はあとで編集者が指摘してくれる――という安心感があれば、作家の筆遣いは格段に伸びやかになるだろう。

それとも、これは編集者の指導や助言の結果なのか?

よく文学賞では最初の1行で決まるといわれるが、壊れた日本語で冒頭を飾らないと受賞できないということなのか。文学賞は何のためにあるのか……深く考えると、日本人として何とはなしにある疑いが首をもたげ、空怖ろしくなる。いや、これはわたしの妄想だろう。そう願いたい。

読了したら感想を書こうと思っているが、その時間はとれないかもしれない。

何しろ、初の歴史小説が待っているというのに、図書館からゾラの『ルーゴン家の誕生』『夢想』『パスカル博士』(総論社)、レオ・ペルッツ『世界幻想文学大系 第37巻 第三の魔弾』(国書刊行会)を借りてきたのだ!

ゾラの『夢想』には『黄金伝説』が出てくるようだ。

『黄金伝説』とマグダラのマリア伝説とは切り離せないが、『黄金伝説』にはいろいろな伝説が集められている。その中のどの伝説が作品にどう絡むのか、楽しみだ。

わたしの児童小説『不思議な接着剤』のために、黄金伝説とマグダラのマリア伝説にかんするノートがあるので、紹介しておく。

以下、#44、50、51、55、62、80。

|

2015年7月18日 (土)

面白い本、面白そうな本

月曜日、久しぶりに書店に行きました。本の香り……どんなフレグランスよりもわたしにはすばらしい香りです。

持っていなかったタブッキの『逆さまゲーム』を1冊、購入しました。アマゾンには現在、中古しか出ていないようです。

タブッキの本で、女性におすすめしたいのは『いつも手遅れ』。大人っぽさを感じさせる、お洒落なムードが漂っていて、ベッドの中で読むのによさそう。シックな男性にもおすすめです。

いつも手遅れ
アントニオ・タブッキ (著), 和田 忠彦 (翻訳)
出版社: 河出書房新社 (2013/9/26)

わたしのタブッキ研究は中断中……

孤独感を、ほどよく沈鬱な、落ち着いたムードで和らげてくれる『ペンギンの憂鬱』。

ペンギンの憂鬱  (新潮クレスト・ブックス)
アンドレイ・クルコフ (著), 沼野 恭子 (翻訳)
出版社: 新潮社 (2004/9/29)

孤独感を、圧倒的な存在感で吹き飛ばしてくれる『冬の犬』。

冬の犬  (新潮クレスト・ブックス)
アリステア・マクラウド (著), 中野 恵津子 (翻訳)
出版社: 新潮社 (2004/1/30)

過去記事でレビューを書きました。

そのうち図書館から借りて読みたいと思ったのは、以下の本。

オリヴィエ・ベカイユの死/呪われた家 ゾラ傑作短篇集 (光文社古典新訳文庫)
ゾラ (著), 國分 俊宏 (翻訳)
出版社: 光文社 (2015/6/11)

ルーゴン・マッカール叢書で有名なゾラですが、上記2編の作品タイトルは初めて見ました。

地上界を中心に、地獄界から天上界まで描き尽くした感のあるバルザックほどの満足感は望めませんが、ゾラの綿密な取材に裏打ちされた、人間社会の断面図をまざまざと見せてくれるエネルギッシュな諸作品は、これまで読んだどの作品も重量感ある見事な出来映えでした。

これまでに読んだゾラの作品の中では、『制作』と『ボヌール・デ・ダム百貨店』が印象的でした。

制作 (上) (岩波文庫)
エミール・ゾラ (著), 清水 正和 (翻訳)
出版社: 岩波書店 (1999/9/16)

制作 (下) (岩波文庫)
エミール・ゾラ (著), 清水 正和 (翻訳)
出版社: 岩波書店 (1999/9/16)

印象派が世に出ようと苦闘していたころのフランス美術界を連想させる迫力のある作品で、芸術の深淵とその怖ろしさをも印象づけられ、読後呆然となりました。

ただ芸術を描いたにしては、この作品には肝心のものが欠けている気もします。

バルザックがペンで捉えることに成功した高級霊性とそこから来る恩恵ともいうべき芸術の醍醐味そのものがきれいに抜け落ちているために、芸術家の真摯な苦闘もどこか馬鹿馬鹿しい徒労としか映らず、戯画的にしか読めない物足りなさがあるのです。

ここのところがゾラの限界を感じさせるところでもあるように、わたしには思えます。

ボヌール・デ・ダム百貨店―デパートの誕生 (ゾラ・セレクション)
エミール ゾラ (著), 吉田 典子 (翻訳)
出版社: 藤原書店 (2004/02)

デパートの魅惑的かつ危険な生態(?)を見事に捉えた作品。

1883年(明治16年)もの昔に発表されたとは思えない新しさを感じさせる作品です。このときゾラは既に、資本主義社会の問題点を分析し尽くしていたのですね。

ところで、わたしが学生だったころ、シュールレアリズムはまだ人気がありました。モラヴィアは読んだことがありませんが、タイトルに惹かれ、読んでみたくなりました。

薔薇とハナムグリ シュルレアリスム・風刺短篇集 (光文社古典新訳文庫)
モラヴィア (著), 関口 英子 (翻訳)
出版社: 光文社 (2015/5/12)

第三の魔弾 (白水Uブックス)
レオ・ペルッツ (著), 前川 道介 (翻訳)
出版社: 白水社 (2015/7/8)

『第三の魔弾』の商品紹介には「16世紀のアステカ王国、コルテス率いる侵略軍に三発の弾丸で立ち向かう暴れ伯グルムバッハ。騙し絵のように変転する幻想歴史小説」とあって、激しく好奇心をそそられます。

オルハン・パムクが文庫で出ていますね。高校生くらいから読めると思うので、過去記事でもオススメしましたが、重厚感があり、ミステリー仕立ての面白さもあるので、読書感想文によいと思います。

イスラム芸術の絢爛豪華な世界に迷い込んで、エキゾチックな感覚を存分に味わいながら、細密画の制作に従事する人々の生きざまに触れることができますよ。

勿論、大人のかたにもオススメです。

わたしの名は赤〔新訳版〕(上)  (ハヤカワepi文庫)
オルハン パムク (著), 宮下 遼 (翻訳) 
出版社: 早川書房; 新訳版 (2012/1/25)

わたしの名は赤〔新訳版〕(下)  (ハヤカワepi文庫)
オルハン パムク (著), 宮下 遼 (翻訳)
出版社: 早川書房; 新訳版 (2012/1/25)

子供のころに魅了された本が、岩波少年文庫から出ていました。『ジャングル・ブック』と『バンビ――森の、ある一生の物語』です。どちらも、「小学5・6年より」とあります。

岩波少年文庫の本は、単行本に比べると、リーズナブルですし、持ち運びにも便利ですよね。

ジャングル・ブック  (岩波少年文庫)
ラドヤード・キプリング (著),  五十嵐 大介 (イラスト), 三辺 律子 (翻訳)
出版社: 岩波書店 (2015/5/16)

バンビ――森の、ある一生の物語 (岩波少年文庫)
フェーリクス・ザルテン (著),  ハンス・ベルトレ (イラスト), 上田 真而子 (翻訳)
出版社: 岩波書店 (2010/10/16)

|

よみさんの3D作品、テーマはトンボ。

3D制作者よみさんの最新作を拙ブログ「マダムNのエッセー集」にて紹介しています。テーマはトンボです。

「トンボ」の中の一つ。

Dfpic7_blog

よみさんに表紙絵を担当していただいた短編『直塚万季 幻想短篇集(1)』はアンゾンのキンドルストアにて販売中です。

直塚万季 幻想短篇集(1)

Shousei_blog

|

2015年7月17日 (金)

胸痛に、スプレー1回(本日2回目の発作)

20150717mio2

早朝5時に胸痛が起き、それにニトロペン(ニトロ舌下錠)を使い、一応治まりましたが、また起きそうな気がしていました。

午後6時ごろから7時ごろにかけて2回、ごく軽い胸痛が起きました。主婦の忙しい時間帯ということもあって、イラッとしながら無視していたところ、3回目に大きめの胸痛が起き、フリーズ。

ミオコールスプレーの置き場に辿り着き、家族に気づかれないよう噴霧するのに、一苦労(なぜか人に見られたくありません)。

舌下錠より、ミオコールスプレーの方がダイレクトに効く気がします。舌下錠は溶けるまでがまどろっこしいのです、わたしは。

それでも、気をつけないと、ついもう1スプレーしたくなります。でも、しばらくすると、大抵効いてきます、わたしの場合は。

最初のニトロペンの効き目がもう一つだったのかも。これで、すっかり回復した気がします。

やはり次回、ミオコールスプレーをまた出していただこうと思います。まだずいぶん残っていますが、この噴霧タイプはこういうものだとか。あまり持たないのだそうです。もったいないなんて思わないで、期限切れになったら、捨ててしまうべきだとか。

そういえば、最近、古いミオコールスプレーを使うという失敗をしましたっけ。

読書感想文によい本を求めて、わたしのブログにお見えになる方が増えました。「読書感想文におすすめの本 2015年夏」を書きたいと思っています。

とりあえずは、月曜日に久しぶりに書店に行き、面白そうだと思った本のことを記事にするつもりで下書きの途中でしたが、あれやこれやで、ほぼ忘れてしまいました。

過去のおすすめ本は以下のカテゴリーを御覧ください。

|

胸痛に、ニトロペン1錠

20150717n1

瓶の蓋にのっているのが、ニトロペンの殻です。

普段はミオコールスプレーを使っているのですが、トイレに入って座ったとたんに胸痛が起きました。発作が起きたのは早朝5時過ぎでした。

トイレラックの上にニトロペンを2錠入れた瓶を置き、時々使用期限を確認していました。

瓶をラックの中に収納することも考えたのですが、冠攣縮性狭心症の発作が起きたときは、少しの手間も省けたほうがいいので、上に置くことにしました。

その際、あからさまにニトロが見えないように、リボンで隠すことにしました。

自身のそうした準備が功を奏しました。

現実に発作が起きてみると、胸痛としては軽いほうでしたが、それでもフリーズしてしまい、痛みがだんだん強まる感じは拷問めいた痛みで、少しでも動くと痛みがひどくなる気がして、思うように動けません。

こうした切羽詰まったときは、ニトロがラックの中にあるか、上にあるかで違ってきます。

舌下するニトロペンは、噴霧式のミオコールスプレーより、効き方が穏やかな気がします。

ミオコールスプレーはわたしのほうから先生にいって出していただいたもので、そのとき先生に「噴霧式のニトロがあると聞きましたが……」というと、先生はいくらか怪訝な表情をなさって「あるよ。出そうか?」とおっしゃいました。

その後の先生との何度かの遣り取りから、先生のオススメはミオコールスプレーではなく、ニトロペンだと何となくわかりました。

その理由を、まだきちんとお尋ねしたことがありません。

9月がミオコールスプレーの使用期限なので、次回の受診日にはミオコールスプレーを出していただかなくてはなりませんが、先生のお答え次第では、ニトロペンのみ出していただこうと考えています。

昨日が循環器クリニックの受診日でした。月曜日は日赤の内科の受診日でしたので、まとめて受診ノートを書くつもりが、まだ書いていません。

昨日、クリニックに行く前に不整脈が起き、すぐに治まりましたが、先生に「最近、冠攣縮性狭心症の発作が起きる前によく不整脈が起きるのですが、前触れでしょうか?」とお尋ねしました。

すると、先生は「うん。あれは急に寒いところへ出たときとか、ちょっとした刺激で起きるからねえ」とおっしゃり、普段より長めに脈をおとりになりました。何もおっしゃらず、そのあと、聴診。また何もおっしゃらず。

脈が乱れてないときは大抵「うん、落ち着いている」とおっしゃるので、もしかしたら乱れていたのかもしれません。

不整脈と冠攣縮性狭心症の発作の関係をもっと知りたいと思い、今度は「不整脈が冠攣縮性狭心症の発作を誘発することはありますか?」とお尋ねすると、先生はしばらく考えるような表情をして、それについてはお答えにならず、「それほど心配しなくていいと思うよ。次回、検査をしよう」とおっしゃいました。

つまり、わたしが知りたかったのは、冠攣縮性狭心症の発作の一症状として不整脈が起きるのか、不整脈が発作を惹き起こすのか、どちらなのか知りたかったのです。

何を書いているのか、わからなくなりました。前触れと原因って、同じことですか? いや、そんなはずは……

ある専門サイトには「狭心症や心不全を誘発するような不整脈」とあり、別の専門サイトには「狭心症発作の前ぶれとして、胸痛、動悸、息切れ、肩こり、腹痛、下痢、せき、頭が重い・頭痛、耳鳴り、疲れやすい、むくみがでることもあります」とありました。

  1. 動悸と表現できるタイプの不整脈が狭心症の前触れである場合がある。
  2. 狭心症を誘発するタイプの不整脈がある。

こういうこと?

最近、クリニックは下肢静脈瘤の人でいっぱいです。昨日も大層混み合っていたので、それ以上は先生にご質問しなかったのですが、わたしが気になっているのは、心臓弁膜症です。

マイルド――軽度――ということですが、最近、冠攣縮性狭心症の発作の前触れのように起きる不整脈は心房細動ではないかと思い、その心房細動は心臓弁膜症が原因なのかどうかということが気になっているのです。

次回の検査内容を見ると、食事抜きで、血液・尿・心電図・胸部レントゲンとあります。心臓弁膜症が発見されたのは心エコーです。

そのときより悪くなっていないかどうかは、心エコーで診て貰わないとわからないでしょうね。

昨日受診前に起きた不整脈。そして今朝起きた冠攣縮性狭心症の発作。わたしには、治療を受けなければ、120~140になる洞性頻脈がありますが、最近、冠攣縮性狭心症の発作の前触れのように起きるのは、規則的な洞性頻脈ではなく、短い変な打ち方をする不整脈です。

サンリズムを飲む前は、それが何時間か続くことがあり、日常生活を送るのがつらかった! お陰で、長く続くことはなくなりましたが、最近、短いのがちょくちょく出てくるようになり、神経に障ります。

先生は前に、こうした不整脈にはサンリズムを頓服として用いてよいとおっしゃいましたので、短い変な打ち方をする不整脈が起きたときは、(もれなく)サンリズムを用いてみようと思います。もしこの心房細動が冠攣縮性狭心症の発作を誘発しているのだとすれば、発作が起きるのを減らせるかもしれません。

現在、血圧が低く、上が90代、下が50代でした。インデラルで頻脈を抑えていただけのときは、上が140~160、下が90~110、でした。今は上が以前の下と一緒。

血圧が低いので、ニトロを使うともっと下がり、眠くてたまらなくなります。ニトロで発作が治まったのはいいけれど、トイレから出て1時間くらい爆睡してしまいました。

起きてからもまだ眠いので、頭がうまく働かず、とりとめのない記事になりました。眠いと、わたしは文章が長くなるのです。受診記録は頭がはっきりしてから書きます。

心臓弁膜症と診断されたときの記録は以下の過去記事。

  1. 2013年1月22日 (火)
    いつの間にか、弁膜症になっていました (心臓弁膜症 その1)
    http://elder.tea-nifty.com/blog/2013/01/post-9907.html
  2. 2013年1月23日 (水)
    22日に、循環器クリニック受診 (心臓弁膜症 その2) 
    http://elder.tea-nifty.com/blog/2013/01/22-8261.html
  3. 2013年3月12日 (火)
    11日に、循環器クリニック受診(心臓弁膜症 その3)
    http://elder.tea-nifty.com/blog/2013/03/11-679e.html

|

2015年7月16日 (木)

13日に内科、16日に循環器クリニック受診

|

2015年7月15日 (水)

安全保障関連法案、衆院特別委で可決。人命救助ネズミ。

本日午後の衆院・特別委員会において、安全保障関連法案が可決しました。

議場で議員たちがデモするって……どういうことでしょうか。以下の動画を視聴して、唖然。

戦争法案って騒ぐけれど、安倍首相はその下準備としての外交を入念にやっていますよ。

反対しているのは中国と韓国くらい。あのロシアですら、日本がそう馬鹿なことはしないとわかっているからか、様子見です。

中国の軍拡や、世界中どこにでも日本人がいるようになった現状を考えると、妥当な措置ではないでしょうか。日本だけの力では足りないということでもあります。

すぐに憲法改正というわけにはいかず、しかし、何とかしなければならない状況であることは、日本国の存続ということを真剣に考えれば、明らかでしょう。

小川和久教授が以下の動画で集団的自衛権の必要性を明晰に説いているので、紹介します。

以下の動画は、この安全保障関連の動画を探しているときに、偶然出合った動画です。地雷探知、結核の検出のために働いているネズミの動画です。

デカいネズミ、でも賢く、かわゆい。人命救助ネズミは体が軽いので、地雷に乗っても爆発することはなく、1匹の犠牲者も出ていないそうです。お仕事のあとのご褒美のバナナやピーナッツが楽しみのようです。人間のために、ありがとう、本当にご苦労様!

|

2015年7月13日 (月)

祐徳稲荷神社がタイで有名ですって(追記:タイ映画「タイムライン」)

眠れないので、5時からの地震解説を見ようと思い、テレビをつけたところ、祐徳稲荷神社がタイで有名になり、観光スポットとなって、沢山の観光客が訪れているというニュース。

映画のロケで、佐賀が有名になったのだそうです。

祐徳稲荷神社も、ロケの舞台となったようです。

「佐賀は静かで、伝統ある食材が楽しめる」と、タイからの観光客は話していました。

よし、タイでも読んで貰えるような祐徳院(花山院萬子媛)の小説を書こう!

追記:

映画というのは、タイ­王国の映画「タイムライン(Timeline)」。佐賀県フィルムコミッションの誘致活動が実ったということのようです。

佐賀県フィルムコミッション ‐Staff Blog」に詳しく書かれています。以下がその記事。

監督はノンシィー・ニミブット。

主役を演じているのは、ジャリンポーン・ジュンキアットと男優ジラユ・タンスィースック。

タイ王国国内での劇場公開は、映画がラブストーリーだけあって、2014年2月14日のバレンタインデーだったそうです。

ロケは祐徳稲荷神社の他に、唐津、呼子、大川内山etc……で行われたとか。

「タイムライン」は2007年に日本でも公開された『レター 僕を忘れないで』の続編なんだそうです。

予告動画を視聴すると、祐徳稲荷神社で柏手を打っている場面が出てきます。

|

地震!

2時52分ごろ、大分県南部を震源地とする地震がありました。佐伯市で震度5強。ここは、震度4。

震度4でも、頭を振ってバランスをとるタイプの古いマンションの上のほうなので、結構揺れ、家族に声をかけると、ドアを開けて通路に出ました。

いつも、うちと両隣が同時に顔を出します。今回はもう1軒、顔を出していました。下の階のほうは静まり返っていました。下のほうはやはり、揺れが少ないのでしょうね。

「大きかったな!」と、まるい目をして、お隣のおばさん。「結構揺れましたね、震源地はどこでしょう?」とわたし。ちょっとした話をするだけでも、気持ちが落ち着きます。

うちは家族全員本好きなので、本が沢山あります。本がいくらか、落ちてきました。特に、本棚の前のわたしの定位置は本と子供たちが昔貰った習字のトロフィーで埋もれてしまいました。

わたしは夜更かしして起きていましたが(寝ようとして、パソコンをスリープさせたところでした)、その定位置にはいず、パソコンの前にいました。

定位置にいたら、トロフィーで頭を怪我したかも。本棚から落ちた小さな懐中電灯が、落ちるときにスイッチが入ったらしく、勝手に点灯していました。

20150713031702

トロフィーが2本壊れて、女神さまがとれてしまいました。瞬間接着剤で、くっつくかしら?

接着剤といえば、『不思議な接着剤』も執筆を進めたいものです。初の歴史小説が終わったあとになるから(この執筆の合間に、神秘主義的なエッセーを集めたKindle本も出したい)、まだ先になりますが。

冒険前夜のお話はKindle本で出ています。400字詰原稿用紙換算で110枚ほど。サンプルをダウンロードできます。

不思議な接着剤1: 冒険前夜

地震は怖いですが、台風も怖い。日田市にいたころ、台風で古い借家が壊れました。台風がひどくなってからは、避難なんて、絶対に無理です。古い家にお住まいのかたは、大型台風が来そうなときは早めに避難しましょう。

で、台風体験をもとに家族の物語を描いた純文学小説は、如何?

台風

地震の話がKindle本の宣伝になりました。ああ眠い。もう4時じゃない。寝ます。今日は用事があるのに、寝不足は確実。余震がありませんように。

|

2015年7月11日 (土)

保守ネット民の間で焦点となった7月9日

インターネットで活動する保守の世界で、7月9日がある焦点となっていた。

在留外国人は、期限までに身分証である「在留カード」又は「特別永住者証明書」への切り替えが必要となった。期限が2015年7月8日までとなっている人が多い。それまでに切り替えを済ませていない人は処罰の対象となる。

渡邉氏が新しい在留管理制度のメリットをツイッターで解説している。

Wa6

入国管理局のホームページには、「我が国には推定約9~10万人前後(平成23年1月1日現在)の外国人が不法滞在」しているとあり、不法残留者に関する情報提供を呼びかけている。

そうしたことから、9日からは不法残留者となる外国人を見つけて入国管理局に電話やメールで通報し、本国に強制送還してやろう。それによって日本で悪いことをする人が減り、環境はもっとよいものになるだう。通報が成功すれば、報奨金も貰えるよ。日本を守るために皆で頑張ろう――といった、不法在留者通報運動ともいうべき機運が盛り上がっていたのだ。

そのリーダー役となっていたのが、ネットの世界では有名な以下のサイトだった。

その盛り上がりを傍観しながら、どうなることかと気が気でなかった。

わたしは物書きなので、どうしても「在留カード」又は「特別永住者証明書」に切り替えたくても、何らかの――疚しい――事情でそれができない人物に自分を重ねてみたりする。

この社会現象には、どことなくナチスの密告制度を連想させるところがあった。半面、そうした(若い?)ネット民の動きには、あの怖ろしい事件で気が滅入っていたときにク*コラグランプリを知ったときのような、ちょっと新鮮な驚きがあった。

不法残留者が他の犯罪を起こしやすいことは間違いなく、もはや真っ当には生きられない、日の当たらない世界で悲惨な最後を遂げるより、わが国の入管がその人を本国に送り届けてくれるというのであれば、むしろそのほうがいいのではないか、と思った。

何にしても、ナチスがユダヤ人をガス室に送るのとは訳が違う。送り先はその人の本国なのだから。

ハラハラしているところへ、Yahoo!ニュースに次のような記事があらわれた。

記事の執筆者・韓東賢氏は、保守ネット民を排外主義者、行動原理となった情報をデマと決め付けている。タイトル及び内容において、情報の歪曲、矮小化が行われている。

しかし、渡邉氏がお書きになっているように、これはデマではない。

Wa4

Wa5_3

また、保守ネット民がやりすぎているとは思ったが、あのク*コラグランプリのときに感じたように、動機は一律ではない気がした。

在日外国人の犯罪の多さを憂慮する純粋な正義感から行動している者もあれば、単なる報奨金目当てもいるようだし、あるいは冷酷な感情を印象づける者もあった。

しかし、一番感じられるのは、長く日本人が忘れていた愛国心であるように思った。危ういような愛国心ではあるけれど……。

韓東賢氏は日本映画大学の准教授。大学教員がダブついている昨今、准教授の地位を獲得できたことは恵まれた話であるのだから、その立場を自覚したもう少し高級な内容を望みたい気がする。入管行政に対する批判には呆れた。

低次元の応酬に終始していないで、在留外国人にも役立ちそうな記事を書いてほしい。

在留カードについては解説がいろいろと出てくる。就職時、離婚時など、手続きの怠りから、在留資格の取り消しの対象とならないよう、注意が必要だろう。

J-CASTニュースの「『在日韓国人が7月9日に在留資格失い、強制送還』 デマの拡散で入管に不法滞在通報相次ぐ」というタイトルの記事もあらわれた。

これも、ネット民の指針となった情報を歪めて要約したものだが(前掲ブログのブログ紹介に、妄想時事日記とあることに注意したい。ブログのありかたとしての是非はともかく、その内容が単純でも低レベルでもないことは確かである)、情報がデマではなかったらしく、通報し、報奨金を得た人も出たようだ。

7月9日を焦点として発生した社会現象には、わが国特有の資格を有した「特別永住者」問題が根底に横たわっている気がする。

この資格は本来、用済みにすべきものだったと思う。急には無理だろうが、なくす方向へ行くしかないのではないだろうか。国籍的に宙吊り状態であることが、よいとは思えない。

特別永住者について、部分的にウィキペディアから引用してみる。

特別永住者:Wikipedia

特別永住者(とくべつえいじゅうしゃ)とは、平成3年(1991年)11月1日に施行された日本の法律「日本国との平和条約に基づき日本の国籍を離脱した者等の出入国管理に関する特例法」により定められた在留の資格のこと、または当該資格を有する者をいう。

平成25年(2013年)末時点での特別永住者の実数は、37万3221人であり、国籍別では「韓国・朝鮮」が36万9249人と99%を占める。

終戦直後にはおよそ200万人の朝鮮人が居住していたとされるが、そのうちの150万人前後は1946年3月までに日本政府の手配で帰還している(うち、徴用で来日したものは245人が残留)。

特別永住者資格の法律では「戦前から日本に居住しているかつて日本国民だった旧統合地の人々で、サンフランシスコ講和条約により日本国籍を失った人々」であることが前提要件となっている。

が、実際には戦後、済州島四・三事件や朝鮮戦争の戦火から逃れるために、生活の糧を求めて出稼ぎのために、荒廃した朝鮮半島より学問の進んだ日本の学校で学ぶために、中には政治的目的のために、数多くの韓国・朝鮮人が日本へ密航し日本国内の混乱に乗じて永住権(のちの特別永住資格)を得た。

韓国政府は、日本の要請があっても在日韓国・朝鮮人の送還を拒否している。

1965年、日韓基本条約締結に伴い締結された在日韓国人の法的地位(協定永住)について定めた日韓両国政府間の協定(日韓法的地位協定)により在日韓国人に「協定永住」という在留資格が認められた。

資格は「2代目まで継承できることとし、3代目以降については25年後に再協議することとした」が、その後、民団主導の運動が盛り上がり、「1991年、入管特例法により3代目以降にも同様の永住許可を行いつつ、同時に韓国人のみが対象となっていた協定永住が朝鮮籍、台湾籍の永住者も合わせて特別永住許可として一本化された」。

|

2015年7月 8日 (水)

最近の夕飯から。使用感のよいDr.ブロナーのマジックソープ、 マジック オーガニックバーム。

Mo1_2

久しぶりに、家族でカルディ コーヒーファームのあるショッピングタウンに行きました。夫は映画『マッドマックス 怒りのデス・ロード』を観、わたしと娘はショッピング。

この日、娘はイタリア語講座の日で、遅く起きて行ったため、朝抜きで行きました。前回はイタリア語検定の話が出たようで、本格的です! 娘はまだ今回は無理だといっています。

で、写真はモロゾフへ入り、娘がランチに注文した一品。いや、美味しそうでした。半永久的に半ダイエットを続ける決意を固めたわたしは、カフェ・オ・レで満足しました。

家のパソコンに貼り付いていることが多いわたしは、お昼なしでちょうどいいのです。娘が一つくれようとしたので、ちょっと決意がぐらつきましたけれど。

以下は、最近作ったビーフストロガノフ。

Di1

江戸崎愛先生のレシピ「ビーフストロガノフ」を参考にしました。過去記事にレシピがあります。

これ、作るたびに美味しいと思うので、その都度紹介しているような気がします。牛の切り落としでも美味しくできて、豪華な気分……

20150703223555_2

サラダはレタス、ビーツ、オリーブの実。ビーツは缶入りのもので、別の日にビーツスープを作った残りでした。これに粉チーズを振りかけましたが、写真を撮ったあとさらにココナッツオイルと塩を振りかけました。オリーブオイルの代わりにココナッツオイルにしてみましたが、なかなか美味しい。

スープは、やわらかく茹でた小豆に固形スープと牛乳を加え、塩で味付けしただけの小豆のミルクスープですが、これ、いけます! 茹でたじゃがいもや玉葱と一緒にミキツーにかけても美味しいのですが、シンプルで、小豆好きのわたしには好みのスープでした。

Sa2_4

「E・レシピ」の「ザーサイとキュウリの和え物」「ブリの豆板醤煮」を参考にしました。

何を作るか迷うとき、しばらく前からよくサイト「E・レシピ」を参考にさせていただいています。作りやすいレシピが沢山公開されているので、閲覧するだけで楽しいだけでなく、家にある材料で作れるレシピが見つかるという安心感があって、このサイトに行くと、気分が高揚し、その気分のまま料理に入っていけるのがありがたいです。お料理に気分って、大事ですものね。

Za1

ザーサイがあると、便利ですね。上にかけたのは、煎り黒ごまです。ザーサイを買ったときは、まず、過去記事で紹介した「卵とザーサイの混ぜご飯」を作ります。家族のお気に入りなので。

20150707163347

ココナッツオイルは料理に使うだけでなく、肌や髪にも使うので、それ用にちょっと小分けしておく容器を100円ショップで買いました。丸いほうが使いやすいかな。蓋があるので、便利です。

Dr.ブロナーのココナッツオイルはとても気に入っていますが、娘がお試しに買ったDr.ブロナーのマジックソープとマジック オーガニックバームも使用感がいいです。

20150707163532

わたしは春過ぎから瞼が乾燥しやすく、赤く腫れたりして、困っていました。ココナッツオイルを塗ると、改善しましたが、目に入ると、視界がかすんで、これはこれで困ります。

瞼の件は、このマジック オーガニックバームで解決するかも。上の写真は、サンダルウッドです。他にも種類があります。

マジック オーガニックバーム ラベンダー 14g
DR.BRONNER'S (ドクターブロナー)

Amazonの商品説明に、「マジック オーガニックバーム ラベンダー 14g (正規輸入品)」は、100%天然成分で、99.9%がオーガニックのアロマボディクリームです。アボカド油、ヘンプ油、ホホバ油、ミツロウ、ビタミンEの絶妙な配合により、かさついた顔、唇、手、爪、ひじなどをケアします。たっぷりつけて靴下をはいて寝ると翌朝はすべすべに。傷んだ髪の毛先にもお使いいただけます」とあります。

わたしは頭皮も乾燥しやすいので、両手につけて頭皮をマッサージするようにして髪に塗ってみました。髪のまとまりがよくて、ムースが必要なくなりそう。ココナッツオイルはべたべたするので、シャンプー前に使っていますが、こちらは仕上げにも使えそうです。

マジックソープ ラベンダー 236ml
DR.BRONNER'S (ドクターブロナー)

娘が買ったのは、ティートゥリーです。

「顔も体も洗え、メイクまで落とすのに超マイルド!」と説明にあったので、顔にも体にも使ってみました。わたしは肌が弱いので、合わないとすぐに肌が痒くなりますが、そうならず、満足しました。

他にも種類があり、容量もいろいろとあるようです。

|

2015年7月 5日 (日)

電子書籍とパブリックドメインの絵 ②カンディンスキーと神智学、アントロポゾフィー(人智学) ※6日に追記あり

前掲記事で、国立国会図書館のサイト「カレントアウェアネス・ポータル」の2015年1月5日付記事「2015年から著作がパブリック・ドメインとなった人々」から引用したように、「没後70年(カナダ、ニュージーランド、アジア等では没後50年)を経過し、2015年1月1日から著作がパブリックドメインとなった人物に、画家ではワシリー・カンディンスキー(Wassily Kandinsky)、エドヴァルド・ムンク(Edvard Munch)がいる」。

ワシリー・カンディンスキー:Wikipedia 

ワシリー・カンディンスキー(Василий Васильевич Кандинский、Wassily Kandinsky、Vassily Kandinsky[1]、1866年12月4日(ユリウス暦)/12月16日(グレゴリオ暦) - 1944年12月13日)は、ロシア出身の画家であり、美術理論家であった。一般に、抽象絵画の創始者とされる。ドイツ及びフランスでも活躍し、のちに両国の国籍を取得した。

YouTubeで、カンディンスキーの絵画を紹介している以下の動画を視聴した。

今、カンディンスキーに踏み込んでいる時間がないので、ニーナ夫人とカンディンスキーの著作にある人智学、神智学に関する言葉が見つかれば、拾っておこうと思い、ニーナ・カンディンスキー『カンディンスキーとわたし』(土肥美夫&田部淑子訳、みすず書房、1980年)を開くと、ニーナ夫人が以下のような異議を唱えている記述にぶつかった。

カンディンスキーが人智学者[アントロポゾーフ]だったという主張は、馬鹿げている。人智学に対して感受力を示しはしたが、それを世界観として身につけたわけではない。誰かに人智学者と呼ばれると、かれはいつも腹を立てた。ミュンヘンの彼の画塾にいたひとりの女生徒が、人智学協会にはいっていたし、またルードルフ・シュタイナーが、一度、かれの協会に入会してくれと、カンディンスキーに頼んだ。しかしカンディンスキーは、断った」(p.347)

カンディンスキーとアントロポゾフィー協会(人智学協会)との間に何があったのかは知らないし、わたしは神智学と人智学の区別もつかないころにシュタイナーの邦訳本を何冊か読んだだけの門外漢にすぎないのだが、それでも、「とんだ、ご挨拶ね!」といいたくなるニーナ夫人の何か嫌悪感に満ちた書き方である。

ここに出ているのはアントロポゾフィーだが、神智学にも火の粉が降りかからずにはすまないだろう。何しろ、カンディンスキーの著作にはブラヴァツキーの著作『神智学の鍵』(原題:The Key to Theosophy)からの引用があるのだから(『カンディンスキー著作集1 抽象芸術論―芸術における精神的なもの―』西田秀穂、美術出版社、2000.8.10新装初版、pp.46-47)。

まるで、アントロポゾフィーが品の欠片もない、安手の新興宗教か何かであるかのように想わせる言い草ではないだろうか。

過去記事でもルドルフ・シュタイナーについては見てきたが、改めてウィキペディアを閲覧した。

ルドルフ・シュタイナー: Wikipedia 

ルドルフ・シュタイナー(Rudolf Steiner, 1861年2月27日 - 1925年3月30日(満64歳没))は、 オーストリア帝国(1867年にはオーストリア・ハンガリー帝国に、現在のクロアチア)出身の神秘思想家 。アントロポゾフィー(人智学)の創始者。哲学博士。

概略

シュタイナーは20代でゲーテ研究者として世間の注目を浴びた。1900年代からは神秘的な結社神智学協会に所属し、ドイツ支部を任され、一転して物質世界を超えた“超感覚的”(霊的)世界に関する深遠な事柄を語るようになった。「神智学協会」幹部との方向性の違いにより1912年に同協会を脱退し、同年、自ら「アントロポゾフィー協会(人智学協会)」を設立した。「アントロポゾフィー(人智学)」という独自の世界観に基づいてヨーロッパ各地で行った講義は生涯6千回にも及び、多くの人々に影響を与えた。また教育、芸術、医学、農業、建築など、多方面に渡って語った内容は、弟子や賛同者たちにより様々に展開され、実践された。中でも教育の分野において、ヴァルドルフ教育学およびヴァルドルフ学校(シュタイナー学校)が特に世界で展開され、日本でも、世界のヴァルドルフ学校の教員養成で学んだ者を中心にして、彼の教育思想を広める活動を行っている。

その先の「人物の評価」中「シュタイナーは「精神“科学”」という言葉にも表れているように、霊的な事柄についても、理性的な思考を伴った自然科学的な態度で探求するということを、最も重要視していた。この姿勢が降霊術などを用いたり、東洋の神秘主義に傾いて行った神智学協会と袂を分かつことになった原因の一つでもあった」というようなことが書いてあって、またまたわたしは「随分な、ご挨拶じゃない!」といいたくなった。

ブラヴァツキーの神智学に関して、シュタイナーにその程度の理解力しかなかったとはとても思えないが、アントロポゾフィーと神智学が全く別物であることは確かであるとわたしは思う。

シュタイナーの思想は、神智学の影響を受けたキリスト教神秘主義というより、神智学を独自解釈で採り入れた、キリスト教空想主義ともいうべきもので、シュタイナーの独創を感じさせる独特のものである。

わたしは独身時代、オイリュトミーという不思議なダンスを観に行ったことがある。アントロポゾフィーは社会改革の意志を秘め、教育、芸術、建築、医学、農業に影響を及ぼし、キリスト教には外部から助言を与え続けたという。

シュタイナーは28歳のとき、ウィーンの神智学徒フリードリッヒ・エックシュタインと知り合った。39歳のときに、神秘主義に関する連続講義を行っており、このときから神智学への本格的な接近が始まったと考えられる。

シュタイナーが神智学協会の会員になったのは1902年、41歳のときのことである。同年10月には神智学協会ドイツ支部を設立し、同時に事務総長に就任した。ブラヴァツキーは、その11年も前の1891年に死去している(亡くなる前日の夜まで、ペンをとっていたと伝記にある)。

1907年、シュタイナーが46歳のとき、初代会長ヘンリー・スティール・オルコットが死去し、アニー・ベザントが第二代会長に就任した。

アニー・ベザントは社会活動家として知られる懐疑論者であったが、『シークレット・ドクトリン』を読み、ブラヴァツキーに会いに行って魅了され、神智学にはまったのであった。

ベザントは、ブラヴァツキーのような求道的、静的な側面はあまり感じさせない、どちらかというと普通の人で、非常に活動的なタイプであり、組織運営にも優れた手腕を発揮したが、いささか突っ走る傾向にあった。

ベザントが如何に熱血肌で、物事にはまりやすい人物であったかは、サイト「ローカル英雄伝」の「第十四回 アニー・ベザント」に詳しい。

ベザントは、女人禁制だったフリーメーソンリーへ女性が入会できるように運動したり(※女性の参入を認めた英国フリーメーソンの国際組織を創設したが、これは非正規のロッジとされたらしい)、ガンジーと連係しながらインドの独立闘争にはまったり、文学的興味からエピソードを探せば、バーナード・ショーの恋人であったりもした、なかなか面白い人物ではある。

ベザントに欠けていた霊的能力を補う役割を担うかのように、リードビーターが彼女の片腕となった。リードビーターはイギリス国教会の牧師補をしていた1883年、神智学協会に入会。

リードビーターは、南インドのマドラスの浜辺――神智学協会本部の敷地内――で遊んでいた、類いまれな美麗なオーラを放っていた少年クリシュナムリティを発見する。

クリシュナムリティはバラモンの家に生まれているが、ベザントはリードビーターと共にクリシュナムリティにはまり、養子にして現代教育と霊的薫育をほどこし、現代のメシアに育て上げようとした。

ベザントたちの企てをクリシュナムリティが拒んで神智学協会を脱会、そのことが――否ベザントたちの企てそのものが、協会の分裂騒動を惹き起こす。シュタイナーの脱会も、その流れの中にあったといえる。

わたしは何が何だかわからないまま、シュタイナーの著作を読んでいた時期にベザント、リードビーター、クリシュナムルティの著作も片っ端から読んだ。わからないことがあると、ご迷惑も顧みず、当時の神智学協会ニッポン・ロッジの会長であった田中恵美子先生に質問の手紙を書いた。

先生は、それぞれが異なるものであることに注意を促してくださった。

ベザントの著作は初歩的な神智学を学ぶには適しているかもしれないし、おかしな飛躍はないと思う――あくまで当時読んだ記憶に頼っているので、きちんと判断するには再読の必要がある――が、ベザントはブラヴァツキーの著作の部分的理解にとどまっている気がする。

尤も、ブラヴァツキーの『シークレット・ドクトリン』『ベールをとったイシス』などを完璧に読みこなせる生身の人間がいるとは、わたしには想像できない。そうするには、ブラヴァツキーを終生見守り続け、大著の完成のために協力した方々と同等の知的・霊的能力が必要だろうから。

リードビーターの著作には――危険水域までは――美しいところがあり、神秘主義者にしか書けない貴重な観察記録があるが、彼が次第に妖しい空想――妄想というべきか――の虜となっていったようにわたしには思われる。リードビーターが構築した体系に、わたしは不浄感を覚えて馴染めなかった。

何にしても、ブラヴァツキーの神智学とは別物である。

クリシュナムルティの著作はわたしにはなぜか空虚に感じられ、どれも読破できなかった。

シュタイナーは、ブラヴァツキーではなく、リードビーターの影響を受けている気がする。

そして、昔、カンディンスキーの絵画を初めて何かで観たとき、わたしはアニーベザントとリードビーターの共著『想念形体 ―思いは生きている―』(原題:Thouht-Forms、田中恵美子訳、神智学協会ニッポンロッジ、昭和58年)を連想したのである。

思いは生きている―想念形体 (神智学叢書)
アニー・ベサント(著), チャールズ・ウエブスター・リードビーター (著),  & 1 その他
単行本: 98ページ
出版社: 竜王文庫 (1994/02)
ISBN-10: 4897413133
ISBN-13: 978-4897413136
発売日: 1994/02

想念形体を見ることのある人には参考になりそうな、豊富なカラー図入りの本である。

ニーナ夫人のアントロポゾフィー否定にも拘わらず、カンディンスキーがリードビーターなどの神智学者の著作やシュタイナーの影響を受けたことは否めないのではないかと思う。

次に紹介する著作は、そうしたわたしの考えを裏付けてくれるような資料を多く含んでいる。リードビーターの前掲書‘Thouht-Forms’も出てくる。

カンディンスキー―抽象絵画と神秘思想 (ヴァールブルクコレクション)
S・リングボム (著), 松本 透 (翻訳)
単行本: 401ページ
出版社: 平凡社 (1995/01)
ISBN-10: 4582238211
ISBN-13: 978-4582238211
発売日: 1995/01

シュタイナーの晩年はナチスの台頭期と重なる。

ウィキペディアには、「国家社会主義の時代(ナチスドイツ時代)には、アントロポゾフィーは、さまざまな規制を加えられ、もとよりその個人主義により、ナチスの全体主義と対立せざるを得ない立場にあり、闘いながら自らを守っていくしかなかった。加えて人は、アントロポゾフィーをフリーメーソンとのつながりで理解した」とある。

世界は、第一次世界大戦(1914年 - 1918年)と第二次世界大戦(1939年 - 1945年)を体験したのだ。

カンディンスキーの絵画は当然ながら、こうした激動の時代との関係からも読み解く必要があるだろう。

|

2015年7月 1日 (水)

胸痛にスプレー1回

20150701095756

午前9時過ぎ、わかりやすい冠攣縮性狭心症の胸痛が起きたので、即噴霧。

これはある程度、予測できていた。というのも、昨日一日、創作に没頭し、最低限の家事以外は、パソコンにへばりついていた。

最低限の家事とは、食事の支度と後片付け、洗濯、トイレ・浴室の掃除、ざっと掃除機かけ……と書いて、省略できる家事の少ないことに気づく。

が、中身の充実度、丁寧さが違う。雑に、乱暴に、適当なものになる。

そして、こんなときに限って鳩がウンチ逃げして、省略したいベランダ掃除を追加させる。

で、パソコンにへばりついて、水分補給も、トイレへ行くのも忘れ、久しぶりにワードを使ってみて、不慣れということもあり、その使いにくさに発狂しそうになった(普段は一太郎ばかり使っている)。

当然のように薬を飲むのも忘れ、具合が悪くなってきて気づいたが、そのままパソコンにへばりつき、夕飯の支度をしながら思い出して飲むと、急に血管が開いたせいか、激しい頭痛が起きた(飲み忘れて慌てて飲むと、だいたいこうなる)。

ただ、こういう無茶が原因で起きた体調不良は比較的御しやすい。薬をきちんと飲み(普段はきちんと飲んでいる)、日常生活を正せば、ただちに改善するから。

わたしに苦手なのは、日々の疲れが何となく溜まっているところへ、気温の上下があったりと気候の変化についていけず、皮膚が弱り、体が腫れぼったくなり、不整脈が出……という具合にじわじほと来る場合。

体調不良が軽い心不全から起きているのか、冠攣縮性狭心症の発作の前触れなのか、不整脈に原因があるのかが判然としないし(その全部が一緒になるのかも)、そうなると、ニトロを使ったり、頓服でサンリズムを飲んだりしてみても、簡単には回復しなかったりするから。

今日の予定は、初の歴史小説ノートとカンディンスキー。どちらか一方しかできないと思うが。

|

« 2015年6月 | トップページ | 2015年8月 »