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2015年7月 5日 (日)

電子書籍とパブリックドメインの絵 ②カンディンスキーと神智学、アントロポゾフィー(人智学) ※6日に追記あり

前掲記事で、国立国会図書館のサイト「カレントアウェアネス・ポータル」の2015年1月5日付記事「2015年から著作がパブリック・ドメインとなった人々」から引用したように、「没後70年(カナダ、ニュージーランド、アジア等では没後50年)を経過し、2015年1月1日から著作がパブリックドメインとなった人物に、画家ではワシリー・カンディンスキー(Wassily Kandinsky)、エドヴァルド・ムンク(Edvard Munch)がいる」。

ワシリー・カンディンスキー:Wikipedia 

ワシリー・カンディンスキー(Василий Васильевич Кандинский、Wassily Kandinsky、Vassily Kandinsky[1]、1866年12月4日(ユリウス暦)/12月16日(グレゴリオ暦) - 1944年12月13日)は、ロシア出身の画家であり、美術理論家であった。一般に、抽象絵画の創始者とされる。ドイツ及びフランスでも活躍し、のちに両国の国籍を取得した。

YouTubeで、カンディンスキーの絵画を紹介している以下の動画を視聴した。

今、カンディンスキーに踏み込んでいる時間がないので、ニーナ夫人とカンディンスキーの著作にある人智学、神智学に関する言葉が見つかれば、拾っておこうと思い、ニーナ・カンディンスキー『カンディンスキーとわたし』(土肥美夫&田部淑子訳、みすず書房、1980年)を開くと、ニーナ夫人が以下のような異議を唱えている記述にぶつかった。

カンディンスキーが人智学者[アントロポゾーフ]だったという主張は、馬鹿げている。人智学に対して感受力を示しはしたが、それを世界観として身につけたわけではない。誰かに人智学者と呼ばれると、かれはいつも腹を立てた。ミュンヘンの彼の画塾にいたひとりの女生徒が、人智学協会にはいっていたし、またルードルフ・シュタイナーが、一度、かれの協会に入会してくれと、カンディンスキーに頼んだ。しかしカンディンスキーは、断った」(p.347)

カンディンスキーとアントロポゾフィー協会(人智学協会)との間に何があったのかは知らないし、わたしは神智学と人智学の区別もつかないころにシュタイナーの邦訳本を何冊か読んだだけの門外漢にすぎないのだが、それでも、「とんだ、ご挨拶ね!」といいたくなるニーナ夫人の何か嫌悪感に満ちた書き方である。

ここに出ているのはアントロポゾフィーだが、神智学にも火の粉が降りかからずにはすまないだろう。何しろ、カンディンスキーの著作にはブラヴァツキーの著作『神智学の鍵』(原題:The Key to Theosophy)からの引用があるのだから(『カンディンスキー著作集1 抽象芸術論―芸術における精神的なもの―』西田秀穂、美術出版社、2000.8.10新装初版、pp.46-47)。

まるで、アントロポゾフィーが品の欠片もない、安手の新興宗教か何かであるかのように想わせる言い草ではないだろうか。

過去記事でもルドルフ・シュタイナーについては見てきたが、改めてウィキペディアを閲覧した。

ルドルフ・シュタイナー: Wikipedia 

ルドルフ・シュタイナー(Rudolf Steiner, 1861年2月27日 - 1925年3月30日(満64歳没))は、 オーストリア帝国(1867年にはオーストリア・ハンガリー帝国に、現在のクロアチア)出身の神秘思想家 。アントロポゾフィー(人智学)の創始者。哲学博士。

概略

シュタイナーは20代でゲーテ研究者として世間の注目を浴びた。1900年代からは神秘的な結社神智学協会に所属し、ドイツ支部を任され、一転して物質世界を超えた“超感覚的”(霊的)世界に関する深遠な事柄を語るようになった。「神智学協会」幹部との方向性の違いにより1912年に同協会を脱退し、同年、自ら「アントロポゾフィー協会(人智学協会)」を設立した。「アントロポゾフィー(人智学)」という独自の世界観に基づいてヨーロッパ各地で行った講義は生涯6千回にも及び、多くの人々に影響を与えた。また教育、芸術、医学、農業、建築など、多方面に渡って語った内容は、弟子や賛同者たちにより様々に展開され、実践された。中でも教育の分野において、ヴァルドルフ教育学およびヴァルドルフ学校(シュタイナー学校)が特に世界で展開され、日本でも、世界のヴァルドルフ学校の教員養成で学んだ者を中心にして、彼の教育思想を広める活動を行っている。

その先の「人物の評価」中「シュタイナーは「精神“科学”」という言葉にも表れているように、霊的な事柄についても、理性的な思考を伴った自然科学的な態度で探求するということを、最も重要視していた。この姿勢が降霊術などを用いたり、東洋の神秘主義に傾いて行った神智学協会と袂を分かつことになった原因の一つでもあった」というようなことが書いてあって、またまたわたしは「随分な、ご挨拶じゃない!」といいたくなった。

ブラヴァツキーの神智学に関して、シュタイナーにその程度の理解力しかなかったとはとても思えないが、アントロポゾフィーと神智学が全く別物であることは確かであるとわたしは思う。

シュタイナーの思想は、神智学の影響を受けたキリスト教神秘主義というより、神智学を独自解釈で採り入れた、キリスト教空想主義ともいうべきもので、シュタイナーの独創を感じさせる独特のものである。

わたしは独身時代、オイリュトミーという不思議なダンスを観に行ったことがある。アントロポゾフィーは社会改革の意志を秘め、教育、芸術、建築、医学、農業に影響を及ぼし、キリスト教には外部から助言を与え続けたという。

シュタイナーは28歳のとき、ウィーンの神智学徒フリードリッヒ・エックシュタインと知り合った。39歳のときに、神秘主義に関する連続講義を行っており、このときから神智学への本格的な接近が始まったと考えられる。

シュタイナーが神智学協会の会員になったのは1902年、41歳のときのことである。同年10月には神智学協会ドイツ支部を設立し、同時に事務総長に就任した。ブラヴァツキーは、その11年も前の1891年に死去している(亡くなる前日の夜まで、ペンをとっていたと伝記にある)。

1907年、シュタイナーが46歳のとき、初代会長ヘンリー・スティール・オルコットが死去し、アニー・ベザントが第二代会長に就任した。

アニー・ベザントは社会活動家として知られる懐疑論者であったが、『シークレット・ドクトリン』を読み、ブラヴァツキーに会いに行って魅了され、神智学にはまったのであった。

ベザントは、ブラヴァツキーのような求道的、静的な側面はあまり感じさせない、どちらかというと普通の人で、非常に活動的なタイプであり、組織運営にも優れた手腕を発揮したが、いささか突っ走る傾向にあった。

ベザントが如何に熱血肌で、物事にはまりやすい人物であったかは、サイト「ローカル英雄伝」の「第十四回 アニー・ベザント」に詳しい。

ベザントは、女人禁制だったフリーメーソンリーへ女性が入会できるように運動したり(※女性の参入を認めた英国フリーメーソンの国際組織を創設したが、これは非正規のロッジとされたらしい)、ガンジーと連係しながらインドの独立闘争にはまったり、文学的興味からエピソードを探せば、バーナード・ショーの恋人であったりもした、なかなか面白い人物ではある。

ベザントに欠けていた霊的能力を補う役割を担うかのように、リードビーターが彼女の片腕となった。リードビーターはイギリス国教会の牧師補をしていた1883年、神智学協会に入会。

リードビーターは、南インドのマドラスの浜辺――神智学協会本部の敷地内――で遊んでいた、類いまれな美麗なオーラを放っていた少年クリシュナムリティを発見する。

クリシュナムリティはバラモンの家に生まれているが、ベザントはリードビーターと共にクリシュナムリティにはまり、養子にして現代教育と霊的薫育をほどこし、現代のメシアに育て上げようとした。

ベザントたちの企てをクリシュナムリティが拒んで神智学協会を脱会、そのことが――否ベザントたちの企てそのものが、協会の分裂騒動を惹き起こす。シュタイナーの脱会も、その流れの中にあったといえる。

わたしは何が何だかわからないまま、シュタイナーの著作を読んでいた時期にベザント、リードビーター、クリシュナムルティの著作も片っ端から読んだ。わからないことがあると、ご迷惑も顧みず、当時の神智学協会ニッポン・ロッジの会長であった田中恵美子先生に質問の手紙を書いた。

先生は、それぞれが異なるものであることに注意を促してくださった。

ベザントの著作は初歩的な神智学を学ぶには適しているかもしれないし、おかしな飛躍はないと思う――あくまで当時読んだ記憶に頼っているので、きちんと判断するには再読の必要がある――が、ベザントはブラヴァツキーの著作の部分的理解にとどまっている気がする。

尤も、ブラヴァツキーの『シークレット・ドクトリン』『ベールをとったイシス』などを完璧に読みこなせる生身の人間がいるとは、わたしには想像できない。そうするには、ブラヴァツキーを終生見守り続け、大著の完成のために協力した方々と同等の知的・霊的能力が必要だろうから。

リードビーターの著作には――危険水域までは――美しいところがあり、神秘主義者にしか書けない貴重な観察記録があるが、彼が次第に妖しい空想――妄想というべきか――の虜となっていったようにわたしには思われる。リードビーターが構築した体系に、わたしは不浄感を覚えて馴染めなかった。

何にしても、ブラヴァツキーの神智学とは別物である。

クリシュナムルティの著作はわたしにはなぜか空虚に感じられ、どれも読破できなかった。

シュタイナーは、ブラヴァツキーではなく、リードビーターの影響を受けている気がする。

そして、昔、カンディンスキーの絵画を初めて何かで観たとき、わたしはアニーベザントとリードビーターの共著『想念形体 ―思いは生きている―』(原題:Thouht-Forms、田中恵美子訳、神智学協会ニッポンロッジ、昭和58年)を連想したのである。

思いは生きている―想念形体 (神智学叢書)
アニー・ベサント(著), チャールズ・ウエブスター・リードビーター (著),  & 1 その他
単行本: 98ページ
出版社: 竜王文庫 (1994/02)
ISBN-10: 4897413133
ISBN-13: 978-4897413136
発売日: 1994/02

想念形体を見ることのある人には参考になりそうな、豊富なカラー図入りの本である。

ニーナ夫人のアントロポゾフィー否定にも拘わらず、カンディンスキーがリードビーターなどの神智学者の著作やシュタイナーの影響を受けたことは否めないのではないかと思う。

次に紹介する著作は、そうしたわたしの考えを裏付けてくれるような資料を多く含んでいる。リードビーターの前掲書‘Thouht-Forms’も出てくる。

カンディンスキー―抽象絵画と神秘思想 (ヴァールブルクコレクション)
S・リングボム (著), 松本 透 (翻訳)
単行本: 401ページ
出版社: 平凡社 (1995/01)
ISBN-10: 4582238211
ISBN-13: 978-4582238211
発売日: 1995/01

シュタイナーの晩年はナチスの台頭期と重なる。

ウィキペディアには、「国家社会主義の時代(ナチスドイツ時代)には、アントロポゾフィーは、さまざまな規制を加えられ、もとよりその個人主義により、ナチスの全体主義と対立せざるを得ない立場にあり、闘いながら自らを守っていくしかなかった。加えて人は、アントロポゾフィーをフリーメーソンとのつながりで理解した」とある。

世界は、第一次世界大戦(1914年 - 1918年)と第二次世界大戦(1939年 - 1945年)を体験したのだ。

カンディンスキーの絵画は当然ながら、こうした激動の時代との関係からも読み解く必要があるだろう。

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