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2015年2月19日 (木)

#6 漱石の問題点と、神智学協会の会員だった鈴木大拙 ①漱石を神格化して得したのは誰?

memoNotes:夏目漱石・インデックス

1910年3月から6月に朝日新聞に連載され、翌年1月に春陽堂から上梓された『門』で、伊藤博文が暗殺されたことを宗助は運命といい、さらにこういわせている。
「おれみたような腰弁は、殺されちゃ厭だが、伊藤さんみたような人は、哈爾賓へ行って殺される方がいいんだよ」「なぜって伊藤さんは殺されたから、歴史的に偉い人になれるのさ。ただ死んで御覧、こうはいかないよ」

宗助は役人である。

ウィキペディアから、この当時のことを拾ってみる。

  • 1909年10月26日 - 伊藤博文が哈爾浜駅で暗殺される(犯人安重根)
  • 1910年8月22日 - 韓国併合: 日韓併合条約調印

こうした御時世に朝日新聞に連載、上梓されたのだから、ずいぶん鷹揚なムードが日本にはあったようだ。

如何にも反日左派を喜ばせそうな宗助のセリフだが、夏目漱石は純文学作家という姿勢でこの場面を書いているのだろうか、大衆作家的姿勢で読者を楽しませることを目的に書いているのだろうか。

この当時は純文学というジャンルはなかったのかもしれないが、フランス文学――特にバルザックに学んだ無頼派などの時代になると、純文学作家(日本式定義によらなくとも、クラシック音楽、ポピュラー音楽の区別と同様の見方で、純文学と大衆文学をジャンル分けできるはずである)としての意識と手法が確立していると思う。

夏目漱石にはこのどちらの意識もなく、前掲の宗助のセリフが無邪気に書かれた――というと語弊があるかもしれないが――ということもありうる。わたしは構想中の評論の中で『門』を採り上げるときに、まず、このあたりから分析してみたい。

非公開にした記事の中で『こころ』を採り上げたとき、宗教に対する夏目漱石の姿勢と教養の度合いに疑問を呈した。この『門』においても、同じ疑問を呈することになるだろう。

水上勉に以下のような文章がある。

  • 水上 勉「一滴の水脈 – 儀山善来 5.参禅して苦しんだ漱石」若洲一滴文庫(最終閲覧日:2015年2月19日)
    http://itteki.jp/ittekisuimyaku/item05/

     これもまた、有名な話でございますけれども、夏目漱石は『吾輩は猫である』『虞美人草』『三四郎』などを朝日新聞に連載して、日本一の文豪であったわけですけれども、その漱石が、たいへん神経を痛めた時期がございました。友人に菅虎雄(すがとらお)という一高の教授がおりました。その人の薦めで鎌倉の円覚寺へ坐禅を組みに行った。まるで頭の中が戦争をしておると、その戦争をとり鎮めたいというふうなことを漱石は菅さんに手紙でいっておりますが、まあ、神経衰弱の強度な兆候だったんでございましょう。
    帰源院という塔頭が今日もございますけれども、そこで宗活という、釈宗演さんの一のお弟子さんでこの方も偉い人ですけれど、この人に案内されて坐禅を組み、円覚寺の隠寮(いんりょう)で宗演老師と会います。老師と居士が会うのを相見(しょうけん)といいますが、その時に釈宗演は漱石さんに、父母未生(ふぼみしょう)以前の本来の面目を見つけてこいという公案を出した。お父さんお母さんの生まれない前のお前さんを見つけてこいと。禅問答というのは難しいもので、私などそういう問題を貰えばいっそうノイローゼになってしまいましょう。きっと漱石さんもお困りになったでしょう。
    帰源院へ帰った漱石は坐禅を組んで七日くらい経ってからでしょうか、考えたことをまた円覚寺の隠寮へ行きまして、宗演さんに答えを申し上げる、宗演さんは側にあった鈴を振って、「そのようなことは少し大学を出て勉強をすればいえる、もう少し本当のところを見つけていらっしやい、チリンチリン」というふうにあしらわれてしまった。自分は門を入る資格はなく、門外に佇んで門を仰ぐに過ぎなかった。喪家の犬の如く円覚寺を去った、と漱石は書いております。『門』という小説ですね、これは。

鈴木大拙は、ここに出てくる釈宗演の弟子であった。サイト「仏教tv.」に、「仏教が西洋へ伝えられた歴史」というエッセーがある。

  • 仏教が西洋へ伝えられた歴史(最終閲覧日:2015年2月19日)
    http://仏教.tv/history.html
     
     仏教が西洋へ伝えられた歴史
     ショーペンハウエルが仏教を紹介
     仏教を重視した神智学協会
     禅仏教が海外でよく知られている要因
     その他の世界での仏教への関心

この中の「禅仏教が海外でよく知られている要因」を読むと、釈宗演と鈴木大拙の関係や、仏教をめぐる当時の動きがわかる。前掲のエッセーから以下に紹介させていただく。1893年、シカゴで世界宗教会議が開かれた。

ここに、日本の臨済宗の禅僧、釈宗演(しゃくそうえん)が
参加しています。

この時の聴衆の一人、偏執者〔ママ〕のポール・ケーラスは、
仏教的な物の見方に感服し、
仏教の基本的文献を英訳して出版したいと思い、
釈宗演に弟子の派遣を要請しました。

この時選ばれたのが、当時23歳の鈴木大拙です。

鈴木は、その後11年間アメリカに留まり、
日本に帰国すると、英語で仏教関連の著作を
数多く著しました。

こうして20世紀に入ると禅という特殊な形で、
1930年代から1960年代にわたり、
アメリカの知識人に仏教が知られてゆくのです。

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