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2015年1月 9日 (金)

家事か創作かで、迷う午後

今後の人生において家事か創作かの二者択一に迷っているという大それたことではなく、単にこの午後限りの迷いにすぎない。

夕食の支度にとりかかるまでの時間をどちらに使うかで、迷っているというだけだ。

そしてこの記事を書いているということは、既に答えは出ており、今日の夕方までの貴重な時間を家事(とブログの更新)に捧げることにしたということでもある。

365日、この迷いを抱えながら、日々を過ごしてきた。

家事と創作のどちらに重きを置くかで、1日が違ってくる。どちらかが犠牲になる。

創作の下準備なら、家事と並行しながらでもできる。

今は純文学の短編小説を書いており、かなり前から計画はあったものの、本格的に手をつけたのは昨日からで、昨日は創作のために家事を犠牲にしたお陰で、計画とは異なる作風、別の主題による展開になったとはいえ、完成の見通しが立った。

が、家事はどたばた喜劇のようになり、掃除機はどうしてもかけたかった一部だけかけただけで、室内の見苦しいところを調えた程度。何にしても狭いマンションには家族の本が溢れ(家族全員本好き。夫もわたしも昔から持っている本を捨てられない)、常に見苦しさはつきまとうのだけれど。

昨日、洗濯物は……どうしたかな……覚えていない。室内に干したままだったか、外に出したのかさえ。天気がよければ四季を通じてベランダに干すので、出したとは思うが、記憶が欠落。

天気がどうだったかさえ記憶にないほど、昨日は創作に熱中していたというわけだ。

食器は夫が一部分、洗ってくれた。定年退職後の再就職で夫が家で過ごす時間が増えたぶん、洗う食器の量が増えたので、気が向いたとき程度のサポートでも、本当に助かる。

それで、余裕をもって夕食の支度ができ、夫は食後のコーヒーをゆっくりと飲み、ステンレスマグに入れた紅茶を持って出勤した(ホテルの夜間フロント&警備の仕事。2日か3日行って休みというパターン)。

創作に熱中するとき、食器洗いが案外ネックになる。創作に熱中していると、すぐに洗おうと思いながら、洗いかけてはパソコンの前に戻ってしまい、最悪の場合は夕食作りのときまでそのままだったりする。

臭うので、調理器具や食器の汚れはさっと水で落とし、生ゴミはこまめに捨ててあるが、料理を急がねばならないとなると、これらの洗い物に時間をとっていられない。

必要なものだけ洗いながら料理が進行するので、終わったときは大量の洗い物が流しに溜まっているということになる。洗濯物もとえたきりで創作に戻ったりするから、山を作る。冬などは外に干しても室内に干しても、ストーブで乾かしてやらなければならないことも多い。

で、創作に時間をかけた日ほど、短時間で多くの家事をやらなければならなくなるが、うまく書けたときはそれが苦にならない。世に出られようが、出られまいが、自分は物書きという芸術家の端くれであり、それを続ける義務さえあるという自負心に、心はほのかに輝くのだ。いや、ホント。

逆に、うまくいかなかったときは疲労度も2倍、3倍となる。お金にならないことを、外へ働きに出ることもなく、家事、いや家族すら犠牲にしてやってきた……何にもならない馬鹿な人生を送ってきた……もう取り返しがつかない、という罪悪感に苦しめられる。

この葛藤は、早くも作家になるつもりでいた中学時代からあったもので、そのころは学校の勉強か創作かという葛藤だった。かれこれ40年以上、身を引き裂かれるような葛藤に自身を置いてきたわけだ。

病気はそこに発症した。

今でこそ、主婦としての役割が減ったため、病気ではあってもそれほど無理なくやれるが、子育て時代、病気を抱えながら賞狙いや本来の真摯な創作をどうやってこなしていたのか、うまく思い出せない。

当時借りていた古い大きな家の図書室――と呼んでいた――で、創作のために夜通し過ごし、よくそこで朝を迎えていたことを思い出す。2日くらいの徹夜は珍しくなかった。今は徹夜をしたら昼間寝るから、本当の徹夜をすることは少ないが、当時は昼間はほとんど寝られなかったと思う。心臓がいかれるはずだ。

それに、あの古い大きな借家は、物凄く手がかかった。

専業主婦といっても、結局家で仕事をしている兼業主婦だと思う。お金を稼げないぶん、みじめな心理状態に置かれやすく、またお金で家事を誤魔化せず、子供の受験時代は公文教室だけで進学塾にはやれなかったぶん(公文教室の先生が高校になっても中学の料金にしてくださって、ありがたかった)、受験関係のリサーチには時間をかけた。

何とか家で稼げないかと校正の通信講座を受け、宛名書きの内職などしたが、お金にならず。そのぶん、創作の時間が減っただけだった。外での仕事も探したが、家族に家事の協力をあまり望めず、となると体力が持ちそうになかったので、見合わせた。

こんなことを書いていると、現在自分がどれほど恵まれた創作環境にいるかが改めてわかる。将来の不安はある。が、計算し、考えた結果、この生活を続けるほうがいいという結論なのだ。これでやっていけなくなったときは「ミューズよ、何ゆえ我を見捨てたもうや」と天に問いかけるだけだ。

今日は、午後に入ってからも創作か家事かで迷いつつ、並行して行っていた。パソコンの前に行けばすぐ書けるわけではなく、精神も魂も創作のレベルまで持っていかなくてはならない。大学時代、文芸部ではこれを「気分作り」と呼んでいた。

あれこれ、それに役立ちそうな文章を拾い読みしたり、音楽を聴いたりしながら、創作にふさわしい内的な調べを作り出す。時間をかけても、それに成功する日は少ない。それができないうちに無理に書き出しても、気のこもらない文章では先が続かない。頭の中ではイバラバラになったイメージが浮遊するばかりとなる。

午後になって、今日はいけそうだと感じ、余裕のある気持ちでベランダの掃除だけでも先にと出た。すると、鳩の若夫婦が物置の上にいた。微笑ましい光景だったが、物置のドアを叩いて追い立て、見ると、やはり鳩の糞がいっぱい。

これで、今日は家事の日となった。

頭の中では小説は最後まで出来上がっている。だが、実際に書いてみなければ、どうなるかはわからない。そのためには集中できる時間が必要だ。今日は夕方までの5時間がほしかった。

でも、鳩の糞の掃除に時間を食い、前日の家事の手抜きが祟って、今日の創作を断念したわけだ。

可能なら家事を終えた夜に小説を進めたいが、家事で疲れた夜には、精々2時間か3時間。気分作りのやり直しで、結局、先に進めることは難しいだろう。

わたしの創作は、体力の充実した昼間に行うのが理想的だ。しかし、洗濯や掃除などの家事によいのも当然、昼間。

毎日、毎日、何かを犠牲にしつつ時間を溜めて創作に惜しげもなく使う。それでも、出来上がるものはごくわずかで、それが価値のあるものかどうかとなると、ご存じなのはミューズだけだ。

無駄なことを続けているのではないかという疑いほど、怖いものはない。

今日は魚料理。魚は煮付けにし、酢の物、蓮根の油炒め、だし巻き卵など作って、純和風といこう。

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