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2014年10月の42件の記事

2014年10月31日 (金)

初むかご御飯

初めて見た「むかご」。

Muk2

なるほど、山芋の子供ということがわかる味わいでした。家族は気に入ってくれました。

少しえぐみがありました。サイト「お家で食べるごはんは美味しい!おうちでたべよっ♪」の以下の記事に、「アクとえぐみを取るために塩水に10~15分さらす」とあります。

わたしのむかご御飯には、その過程がありませんでした。今度はそのようにやってみたいと思います。

Tak1

水煮タケノコは、簡単で美味しいバターしょうゆ焼きにしました。熱々を食べると、本当に美味しい!

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カテゴリー「Notes:初の歴史小説」「萬子媛 - 祐徳稲荷神社」を非公開設定にしました。創作の開けゴマ。

創作の都合上、以下のカテゴリーに含まれていた記事を非公開としました。

  • Notes:初の歴史小説
  • 萬子媛 - 祐徳稲荷神社

萬子媛の小説を書こうと思い立ったのが、丁度1年前。ノートは(43)まで書いていました。

電子書籍を作成するにせよ(KDPセレクトに登録する場合)、賞に応募してみるにせよ、小説そのものの下書きではないノート類であっても、非公開設定にしておくべきだと判断しました(差し支えないと判断した記事は、公開設定のまま残しています)。

肝心の小説の執筆がこれからで、とりあえず短編(60枚~100枚)を5編書いて、それをもとに長編歴史小説といったスタイルに完成させたいと考えています。

正直いって途中で挫折する可能性は高いのですが、郷土史家から貴重な研究資料を提供していただいたからにはチャレンジしないわけにはいきません。

短編第1作目のストーリー、プロットがだいたい出来た2ヶ月ほど前から、下書きを始めるつもりでパソコンや(紙)のノートを前に頑張ってみるのですが、どうしても文章が出て来ず、悶々とした日々を過ごしました。

郷土史家にこれからの執筆予定をご報告しているので、せめて年賀状に「短編第1作目はとりあえず完成しました」と書くには、11月の頭から執筆に入らなくては無理です。

下調べを追加し、ストーリーやプロットを調整しながらの執筆になるでしょうから、現代小説より時間がかかるのではないかと思います。

でも、どうしても文章が出て来ず、昨夜も頭を掻きむしりすぎて、瘡蓋だらけに……児童小説を最初に書いたときもそうでしたが、今度の方が重症!

頭を掻きむしっただけの徹夜に終わった早朝、半ば諦めて入浴し、シャワーを当てた頭がヒリヒリして痛いなあと思いながらシャンプーにかかったところ、目を閉じた頭の中で、ふいに出だしの文章が3行ほど、流れ出ました。

そして、ゆるい設定しかできていなかったプロットが自動調整されるみたいに、カシャカシャカシャと段階的に、スピーディーに、すっきりとした形になっていくではありませんか。

自分の頭の中がまるでコンピュータになったみたいで、その自動的な作業の光景が見えるような気さえしました。時々わたしって、実はサイボーグ? と思うことがありますよ。

まあ、ある意味で人間の頭脳だって、精巧なコンピュータといえないこともありませんからね。情報量が足りなくて(その情報にはわたしが小説に与える情感的なものや霊感的なものも含まれていそうです)、作動できなかったのかも。

これ以上、頭を掻きむしりたくなかったので(ただでさえ薄い頭が禿げてしまう!)、助かりました。

過日、わたしの夢の中では創作意欲がプードル、作品が赤ん坊、馬が電子書籍にシンボライズされて登場すると書きました。

あの時点で、夢の中のプードルは既にスタンバイできていました。登山家か冒険家のような格好をしていましたっけ。

創作過程がプードルにはマッキンリーか密林か、そういった現実として意識されているのでしょう。ああ、大変だわ。

執筆がうまくいかないと、プードルが死んでしまったり、醜い赤ん坊が出てきたりするんです。

当ブログには、早くも年賀状テンプレートの検索でお見えになるようになりました。短編の1編くらいは完成させて、郷土史家にそれなりのご報告ができればいいのですが。

出だしの文章は大した文章ではなく、賞に応募したら、その部分だけで落選することだってあるかもしれませんが、わたしにとっては意味のある文章――あるムードを湛えた文章といったほうが正確です――で、どういうわけか、それなしでは先に進めませんでした。

そう、その何でもない文章こそ、開けゴマの呪文だったような気さえします。これまで、同じことを執筆中に何度も体験してきましたが、本当に不思議です。

開けゴマ、といえば、昨夜久しぶりに自分で胡麻を擦ったんです。既に煎ったものなので、擦っただけでしたが……。以前は煎るのも擦るのも自分でしていましたが、近頃は面倒で、煎って擦ってある便利な胡麻を使っていました。練り胡麻を使ったりね。

それが久しぶりにそうしたのは買い物を頼んだ家族がそれを買ってきたからでした。開けゴマのゴマって、本当に胡麻のことだったんですね。

サイト「かどや製油株式会社」の以下のごまコラムによると、アラビアン・ナイトの「アリ・ババと40人の盗賊」で唱えられる呪文はアラビア語では「、「イフタフ(開け)、ヤー(呼びかけの間投詞)・シムシム(胡麻)」というそうで、ごまには神秘な力があると信じられていたようだとか。

本物のプードルも29日に見たばかりでした。執筆開始には、いろいろと儀式が必要だったのかもしれませんねえ(?)。

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2014年10月30日 (木)

今日の夕飯に、むかご

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昨日、わたしは本物の「むかご」を初めて見ました。

昔、むかごの写真を見たとき、虫と勘違いしてしまったほど無知でした。で、ずっとむかごのことが気になっていたのですが、この年齢になるまで、見たことも触ったこともなかったのですね。

こうしてむかごに触れられて、感動しているわたしです。炊き込み御飯にしたいと考えています。

あ、むかごは山芋の葉の付け根にできる球芽だそうです。

他に、水煮タケノコ、サニーレタス、スナップエンドウ、ブロッコリーが安かったので、買いました。

この中で、サイドディッシュには水煮タケノコを使おうかな。ウーマンエキサイトの「E・レシピ」に掲載されていた「焼きタケノコ」「タケノコのから揚げ」「タケノコのバターしょうゆ焼き 」のどれかを参考にします。どれも美味しそうで、迷うわ。

メインはお魚。アメタを煮付けます。

サニーレタスはいくらか萎れています。買う直前に売り子さんが値引きのシールを貼ってくれ、安すぎたので買ったのですが、これも早く使わないと。氷水に浸けたら、パリッとなると思います。

以下の写真は、最近作って美味しいと思った「ブロッコリーとアサリのワイン蒸し」です。これも、「E・レシピ」のレシピです。作りやすいレシピが豊富に載っているので、近頃「E・レシピ」をよく閲覧しています。

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汁がとても美味しかったので、御飯にかけました。「ブロッコリーとアサリのワイン蒸し」をパスタにあえてもよさそう。

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只今、国会中継中(衆院予算委員会) - 中田宏氏「外国人地方参政権は違憲」

只今、国会中継中。

といっても、家事の合間にちらちら視聴している程度です。

次世代の党の中田宏氏が、「外国人地方参政権は違憲」といっていました。

民主党政権時代、国会中継を視聴していると、今にも日本がのっとられる恐怖を覚えました。

その点、安倍首相は常識的な回答をしてくれるので、安心感があります。

http://youtu.be/HlRG18cv1ZQ (2014/10/30)

以下の動画は全くの作りものでしょうが、外国人参政権の危険性について、的を射た解説を行っています。2009年7月31日公開。

http://www.youtube.com/watch?feature=player_detailpage&v=R6cP05l5HWw

外国人参政権、外国人地方参政権の危険性を訴え、解説する動画は沢山あります。

稲田朋美氏(2012/01/09)
https://www.youtube.com/watch?v=r7bqfAuN7AM

鳴霞氏(月刊「中国」編集長)(2009/12/11 )
https://www.youtube.com/watch?v=AY6uFN4XL3Q

川口マーン惠美氏(ドイツ在住の作家)(2009/12/30)
https://www.youtube.com/watch?v=021fkxbceDY

青山繁晴氏(2013/12/10)
https://www.youtube.com/watch?v=GoS7oBgPGeo

高市早苗氏(2010/02/05)
https://www.youtube.com/watch?v=P5oJ8PLzyNU

金美麗氏(2010/01/26)
https://www.youtube.com/watch?v=noTOyZeDOPA

あら、記事書いているうちに、国会中継、おわっちゃった。

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胸の圧迫感にスプレー1回。憂いに満ちたプードルの目、その他。

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冠攣縮性狭心症のことをすっかり忘れていたくらい、調子がよかったのですが、朝7時半ごろ、胸の圧迫感が消えず、ミオコールスプレーを使いました。

昨日、2軒並んだホームセンターのうちの1軒のペットコーナーで犬、ハムスター、ウサギ、小鳥を見ました。

今住んでいるところではペットを飼うことはできないのですが、動物好きのわたしは時々ペットショップやお店のペットコーナーに行きたくなります。

犬で気に行ったのは、ヨークシャー・テリアとトイ・プードルでした。トイ・プードルは2匹いて、白い双子座の男の子とクルミ色の牡牛座の女の子。幼い男の子は裸で、大きい女の子は赤いお洋服を着ていました。

男の子の憂いに満ちた、いくらか透き通って見えるグレイの大きな目が印象的でした。

お客と決して目を合わせようとせず、遠くを見るような、自分の将来像が描けないといった、不安と不機嫌と不信感をありありと浮かべ、「僕、どうしてここにいるの?」と考えているような目。

過去記事で、わたしの夢の中では創作意欲がプードルにシンボライズされて現れるといいましたが、トイ・プードルについ、その夢の中のプードルを重ね合わせてしまいます。

お洋服を着た女の子の方は、少し落ち着きはないけれど、男の子のような深く内向した表情はなく、ケースの中から普通にこちらを見ていました。

何もなかった男の子の居場所に比べ、女の子の居場所は部屋の中のような工夫がされていました。女の子、なかなか売れないのかな?

プードルは9万円、シャンガリアンハムスターは千円強。

書いているうちに、胸のこわばりは消えました。

体重は、ダイエット終了時の体重を保っています。そのお陰で、心臓が楽。中高太りが心臓に凄く負担になっていたことがよくわかる、現在の快適さです。

それでも気温差などの刺激が冠攣縮狭心症の発作を惹き起こすのは、相変わらず。結局、月1~2回は必ずといっていいくらいに起きます。回数が毎月同じですから、安定しているということでしょうね。

それに、この発作にしても、しばしの不自由(薬が効いてこわばりが解けるまでは)、不愉快な程度のもの。フリーズしたまま、しばらく動けない、杭打たれるような生命の危険を感じさせる強い発作ではありません。

予防薬がよく合っているんでしょう。

娘と昨夜、録画しておいた綾瀬はるか主演の『きょうは会社休みます』の1回目を観ました。

娘が、「漫画が原作だけれど、だいぶ変えてあるみたい」といいました。ドクターXも録画していますが、手術のシーンが苦手で、まだ観ていません。そろそろ観て、消していかないと録画の容量が……

トーセンソレイユのレースの録画は消したくないな。過日のレースでは最後方から追い上げましたが、2着との僅差で3着。残念でした。重賞狙うには、やや力量不足みたいでなかなか出られませんが、そう悪くはありません。

やはり過去記事で、電子書籍が馬にシンボライズされて出てくると書きました。

夢の中で、沢山の馬が飼えて幸せ。それぞれ色も大きさも違うんですよ。なかなかよい馬がいましたが、どのタイトルの電子書籍でしょうか?

来月は歴史小説に没頭しなければならないので、電子書籍作りはしばらくお預けです。漱石の研究も一気に進めたいところですが、お預け。

漱石の研究はまだ粗い段階で、あとで変わる部分が出てくるかもしれません。日本文学の定番ともいえる、安定した力量と風格を誇る文豪・漱石に、強い疑問の目を向けるようになるとは、思っても見ませんでした。

電子書籍、12月には1冊出したいと考えています。

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2014年10月29日 (水)

#4 神仏分離政策の影? ③マルキシスト、マードックの影響と漱石の日和見

memoNotes:夏目漱石・インデックス

「こころ」から、Kの境遇について書かれた部分を引用してみる。

Kは真宗の坊さんの子でした。もっとも長男ではありません、次男でした。それである医者の所へ養子にやられたのです。私の生れた地方は大変本願寺派の勢力の強い所でしたから、真宗の坊さんは他ほかのものに比べると、物質的に割が好かったようです。一例を挙げると、もし坊さんに女の子があって、その女の子が年頃としごろになったとすると、檀家のものが相談して、どこか適当な所へ嫁にやってくれます。無論費用は坊さんの懐から出るのではありません。そんな訳で真宗寺は大抵有福でした。
 Kの生れた家も相応に暮らしていたのです。しかし次男を東京へ修業に出すほどの余力があったかどうか知りません。また修業に出られる便宜があるので、養子の相談が纏まとまったものかどうか、そこも私には分りません。とにかくKは医者の家へ養子に行ったのです。

浄土真宗は廃仏毀釈に最も抵抗したといわれるが、それでも影響を免れえなかった。Kが養子にやられたのは、そんな事情が反映していたに違いない。

「先生」はKを自分の下宿へ招き、2人は同じ下宿で暮らすようになる。彼らはある日、房州への旅に出た。

そのとき、日蓮の生れた村で、Kは渋る「先生」を強引に引っ張って行って、立派な伽藍を持つ日蓮宗の住持に会う。2人は「広い立派な座敷」へと通され、すぐに住持に会えた。

Kは住持にしきりに日蓮について尋ねる。

日蓮は草日蓮といわれるくらいで、草書が大変上手であったと坊さんがいった時、字の拙いKは、何だ下らないという顔をしたのを私はまだ覚えています。Kはそんな事よりも、もっと深い意味の日蓮が知りたかったのでしょう。坊さんがその点でKを満足させたかどうかは疑問ですが、彼は寺の境内を出ると、しきりに私に向って日蓮の事を云々し出しました。

ひどい状態にある仏教界のことで苦悩しつつも僧侶として立つ将来を模索し、何とか活路を見出したいと思っていたKであったから、立派な伽藍を保っている日蓮宗に一縷の希望を見出し、住持に面会したくなったのだと思われる。

住持はKを満足させてくれる存在ではなかった。Kの苦悩はそのことによって深まっただろうが、「先生」にはそれを洞察する力がない。わかろうとする思いもない。これが友情といえるのだろうか?

Kの自殺の原因が、仏教界の将来を悲観したことにあったことは間違いない。それを安直に失恋に結びつけたのは、「先生」の価値観が形而下的、世俗的なものに置かれていたことの例証であろう。

「先生」を自殺させることで、「先生」の価値観を作者、夏目漱石は断罪しているようでもあるが、漱石の価値観は「先生」に通ずるものである。それを処世術へ、さらには「則天去私」という哲学がかった観念へと昇華させた。

しかし、わたしにはそれは自国の現状を分析すべき知識人にあっては一種の逃避、利己主義と映る。御用文学者の限界を見る。なぜなら、「先生」あるいは漱石とは対照的な人物を、わたしは知っているからである。

その人物は、漱石とは対照的に、時の政府の廃仏毀釈によって破壊された仏教の原点に立ち返り、その原点から輝かしい宗教精神を現代的表現で甦らせようとした。残念なことに、その人物は、そのような思想の流れは、結局のところ、主流とはなりえなかった。

一種の逃避文学、日和見文学は、自らの心地よさをのみ追求する村上春樹の小説に受け継がれているといえる。

「則天去私」などという便利な言葉では誤魔化しようのない漱石の日和見主義は、エッセー「マードック先生の『日本歴史』」(青空文庫)からも明らかだと思う。長くなるが、それが端的に表れた箇所を引用してみる。

維新の革命と同時に生れた余から見ると、明治の歴史は即ち余の歴史である。余自身の歴史が天然自然に何の苦もなく今日まで発展して来たと同様に、明治の歴史もまた尋常正当に四十何年を重かさねて今日まで進んで来たとしか思われない。自分が世間から受ける待遇や、一般から蒙る評価には、案外な点もあるいはあるといわれるかも知れないが、自分が如何にしてこんな人間に出来上ったかという径路や因果や変化については、善悪にかかわらず不思議を挟む余地がちっともない。ただかくの如く生れ、かくの如く成長し、かくの如き社会の感化を受けて、かくの如き人間に片付いたまでと自覚するだけで、その自覚以上に何らの驚ろくべき点がないから、従って何らの好奇心も起らない、従って何らの研究心も生じない。かかる理の当然一片の判断が自己を支配する如くに、同じく当り前さという観念が、やはり自己の生息する明治の歴史にも付け纏っている。海軍が進歩した、陸軍が強大になった、工業が発達した、学問が隆盛になったとは思うが、それを認めると等しく、しかあるべきはずだと考えるだけで、未だかつて「如何にして」とか「何故に」とか不審を打った試しがない。必竟われらは一種の潮流の中に生息しているので、その潮流に押し流されている自覚はありながら、こう流されるのが本当だと、筋肉も神経も脳髄も、凡てが矛盾なく一致して、承知するから、妙だとか変だとかいう疑の起る余地が天で起らないのである。丁度葉裏に隠れる虫が、鳥の眼を晦ますために青くなると一般で、虫自身はたとい青くなろうとも赤くなろうとも、そんな事に頓着すべき所以がない。こう変色するのが当り前だと心得ているのは無論である。ただ不思議がるのは当の虫ではなくて、虫の研究者である、動物学者である。

虫の研究者、動物学者、と漱石がへつらうマードック先生は、漱石の恩師である。このマードック先生はマルキシストだったようだ。

ジェームズ・マードック:Wikipedia

ジェームズ・マードック(James Murdoch、1856年9月27日 - 1921年10月30日)は、日本とオーストラリアで教師として働いたスコットランドの学者、ジャーナリストである。東京帝国大学などで教え、大著『日本歴史』を著した。マードックが教えた人物には夏目漱石がいる。
(……)

1889年に日本に招かれ第一高等中学校でヨーロッパの歴史と英語を教えた。この時の学生に夏目漱石がいる。教職の一方、自らの著作も行った。
(……)
1893年9月、日本を去り、オーストラリア時代の同志であるウィリアム・レインがパラグアイに作った実験的な共産主義的コミューン「新オーストラリア(New Australia)」に参加した。マードックが到着するまでに、入植者の約3分の1が離脱しており、想像した社会主義の楽園ではなく、貧困や、仲違いや病気があった。彼はほんの数日滞在しただけで幻滅し、日射病で健康を害してロンドンに戻った。パラグアイには、12歳の息子を置いていった。ロンドンでは療養と日本における16世紀ヨーロッパの修道士の手紙を翻訳する大英博物館の仕事で5ヶ月間を過ごした後、日本に戻った

漱石には、共産主義の観念的な理想に燃えていたころのマードックの影響があるという点に留意しておく必要がある。

戦後の日本の教育、マスコミは左派の強い影響下にあるが、夏目漱石はその左派にとって、都合のよい「文豪」なのだ。読書感想文に繰り返し推薦される「こころ」は、特に彼らのお気に入りのようである。

#5では、#2及び当ノートで紹介しかけた、「先生」あるいは漱石とは対照的な生き方をした人物を通して、本当は死ななかった(?)Kのその後を追ってみたい。

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2014年10月27日 (月)

息子のイタリア出張

1週間ほどイタリアのローマに出張していた息子が帰宅し、昨晩電話をかけてきた。

最初、娘と1時間半ほど話し、次にわたしとやはり1時間半ほど話した(話したいことを話すと、偶然それくらいの時間になった)。

息子は電話を切るときに今日も仕事といっていたので、休みとばかり思っていたわたしは疲れさせたのではないかと心配になったが、海外に出かけたときは大抵、疲れた様子がない。

普段は会社で遅くまで仕事をし、食事は外食かコンビニ弁当(近くにHotto Mottoなどのお弁当屋さんはない)、休日や有休を使って大学の研究室へ行くときなど――会社と大学の博士課程を掛け持ちしている――はいつも安ホテルに泊まっている息子には、むしろ海外出張のときに泊まる普通のシティホテルやその土地での食事、仕事のスケジュールなどが体に優しいものだからだろう。

息子が出かけたのは会社で行っている仕事の分野における専門家の集まりで、主催者はベルギーの会社。前に行ったオランダでの集まりもそうで、会場はヨーロッパを転々としているらしい。

前回アメリカのサンフランシスコに行ったときは大きな化学会で、そのとき息子はポスター発表をしたといっていた。

今回のローマの集まりでは、英語で30分ほど講演をしたそうだ。

主催者の手違いで、後から送った修正した資料ではなく、修正前のものを渡されたため、用意した講演内容に狂いが生じ、困ったそうだが、強気で押し通したとか。

ナポリの大学から学生が講演を聴きに来ていたという。主催した会社の社長が運動好きで、講演会、長い時間続くパーティー、行きたい人は夜でも行く観光……と出席した人々が例外なく夜更かしをした翌朝、マラソン大会を催した。

息子はとてもつき合いきれないと思い、出なかったそうだが、外人のスタミナには感心したようだ。息子の会社からは4人行ったそうだが、今回は割合に市内を観光をする時間がとれたらしい。

息子は、バチカン市国南東端にあるカトリック教会の総本山、サン・ピエトロ大聖堂に圧倒された。何より、天井の高さに圧倒された。どうやって造ったんだろうと思ったよ、としきりにいった。

システィーナ礼拝堂は壮麗だが、観光客がいなければ、教会らしい落ち着いた雰囲気だと思うと息子はいった。ミケランジェロの天井画は落ち着いた色調だったとか。

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(Photo:GianniG46)

あるテレビ番組で、ミケランジェロが足場を組み、仰向けになったまま、顔に滴り落ちてくる絵の具を物ともせず、描いている様子を再現していたわよ、とわたしはいった。

すると、息子は「足場を組むったってさ、物凄い高さなんだよ。見当もつかないな」といった。そういわれてみると、わたしも不思議になってくる。足場を組むだけでも、大変な作業だろう。高所恐怖症にはできない仕事に違いない。

コンビニ間隔で教会があり、そのどれもが凄かったという。ステンドグラスにも圧倒されたようだ。あそこに住んでいたら、嫌でもカトリック教徒にならざるをえないと思うよ、と息子はいった。

そういえば、もう何年も前の話になるが、義父母は義妹母子とドバイからクールーズの旅に出た。ローマにも行き、義父の感想は「寺ばかり」という一言だった。寺とは教会のことだろう。

カトリック教会だらけの国。イタリアの神秘主義者たちは、どう生きていたのだろう?と思ってしまう。

文盲であることが普通だった中世ヨーロッパの民衆には、キリスト教を理解するために絵が必要だった。

しかし、原田武著『異端カタリ派と転生』(人文書院、1992年)によると、北イタリアのロンバルディア地方、南フランスのラングドックで栄えた異端カタリ派は、土地の言葉に翻訳された独自の聖書を持ち、集会のたびに福音書が朗読、解説されたという。

カタリ派には裕福な知識層が多かったというのも頷ける。当時は相当なインテリでなければ、聖書を読むことすらできなかった。ましてや、継承した思想を育み、カトリックに対抗することなど、ひじょうに特異な事態で、そこからカタリ派の独自性と隠れた歴史が透けて見えてくる気がする。

息子の話を聴いていると、『不思議な接着剤1: 冒険前夜』の続きを書くためには、ローマぐらい見ておかなくては、と思ってしまう(まあ無理だけれど)。

トレビの泉は工事中だったそうだ。コロッセオ――円形競技場――は巨大。外から見ただけだそうだが、それだけでもローマ帝国の威容が伝わってきたよ、と息子は心底感嘆したようにいった。如何にも廃墟という感じらしいが……。

カラカラ浴場の遺構も、浴場という現代の概念を超えた壮大なものらしい。それでいて、残った壁画、床のタイルなど見ながら、そこに佇んでいると、どこかしら日本の浴場を連想させる雰囲気があって親しみが湧いたそうだ。ヤマザキマリのお風呂漫画『テルマエ・ロマエ』の着想をなるほど……と思わせるものがあったとか。

街のいたるところに遺跡が転がっているという。遺跡と共存というより、ローマ帝国時代の遺跡を邪魔しないように造られた街――と、息子には映った。遺跡が暮らしの邪魔になっているように見える場所もあったという。

遺跡を見て、息子は天井の高さにつくづく驚いたようで、「ああいったものを造るために、奴隷がずいぶん死んだだろうね」といった。教会でも天井の高さに驚いたようだから、ローマのいにしえの建築物の天井の高さは、よほど印象的なものなのだろう。そうした建築物と一体化した沢山の彫像も凄かったそうで。

遺跡の壁が印象的だったとも息子はいう。あるテレビ番組で、ローマ帝国の優れたコンクリート技術があのような壮大な建築を可能にしたといっていたわよ、とわたしは話した。

ローマを強いて日本に例えれば、雰囲気的には京都というより奈良。都会度は岡山市くらい。そこに教会と遺跡がいたるところにある風景を連想すればいいというが、わたしはうまく想像できなかった。

書店のことを尋ねると、日本のような大型書店は見かけなかった、日本の書店のように本がぎっしりとは置かれていないという印象を受けたようだ。展示品のような感じで、平台に表紙を見せておかれている本が多かったという。アメリカのサンフランシスコで行った書店も、日本のようにぎっしり――という本の置き方ではなかったとか。

食べ物では、パスタがとても美味しかったそうで。コーヒーは特に感動したとかはなく、スーパーで買い物をしたが、ちょっと食べる程度の物は日本の物のほうが好み。

ウェイターはユニーク、一般的な店員は無表情。観光客が多かったが、それを除けば、街中ではオバサンの比率が高い気がした。ドイツ――オランダに行ったときに、フランクフルトにちょっとだけ行った――のオバサンの静的な感じと比較すれば、動的、活動的な感じだったとか。

バイキングで何か取ろうとしたら、陽気なウェイターから「ホー! それとるの? 今日はせっかく新鮮な魚介類が入っているのに」と、英語と身振り手振りで海鮮パスタをすすめられ、それを食べたら、とても美味しかったという。

レストランでジュースを注文しようとしたら、そこでもウェイターから、「え、エスプレッソ?」といわれ、「うんにゃ、わしはジュースじゃ」というと、さらにウェイターが「ん、カプチーノだって?」としつこくアピールしたので、カプチーノにしたのだそうだ。

強引だけれど、愉快な感じで、少しも嫌みなところがなく、ジュースじゃなくて自慢のコーヒーを飲んでほしい!という精神に溢れていたから、それじゃカプチーノにしてみようかなと息子は思ったとか。

フェレロのチョコとパスタをお土産に買ってきてくれたそうだ。

フェレロはイタリア老舗チョコレートブランドで、息子のオランダ土産のフェレロにはメイド・イン・ドイツとあった。今度のはさすがにメイド・イン・イタリーかな。「ガーデン」という銀色の包みのココナッツクリームが香るチョコが忘れられなかったのだけれど、あれ、入っているかしら。

エスプレッソ専用のコーヒー豆を手にとり、お土産に追加を迷ったが、「道具がないと、これ使えないな」と思い、戻したそうで、それは残念。エスプレッソメーカーがうちには2台もあるのに……。その代わり、ホテルの部屋に備え付けられたインスタントコーヒーを数スティック入れてくれたそうだ。

ホテルにあった、そんなちょっとしたものを入れてくれるのは嬉しい。

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2014年10月25日 (土)

洋服を着て現れるようになった、夢の中のプードル

わたしの夢では、創作意欲、作品傾向をシンボライズしていると思われるプードルが時々出てきます。

昨夜の夢では、登山家か冒険家のような重装備で現れました。あのアトムのような足に、紐のついた靴も履いていました。

前回プードルの夢を見たときから服を着ていて(それまでは裸でした)、何を意味しているのだろうと考えたくなります。前回はバーバリ風の茶色い立派な服と洒落た帽子を被っていました。

今回重装備で現れたのは、初の歴史小説を構成する第一作目の短編を書こうとしている自身の意気込みを表現しているのではないかと。

わたしの夢ではしばしば、作品は赤ん坊、電子書籍は馬、賞は公衆便所(家のトイレの場合は家計)をシンボライズしています。

夢占いの本では、大便はお金をシンボライズしていると書かれています。夢では、トイレが経済活動と関係しがちであることは間違いありません。尤も、トイレへ行きたい場合、それがそのまま出てくることがあります。

公衆便所の様子、そこにズラッと並んで順番を待っている人々は、賞の性質、応募者を表現していて、これがなかなか絶妙な表現をしてくれます。

手洗い場もないような田舎の農家風なひどく臭う、汚いトイレ(個室は3つ)。民宿風の廊下から庭に出たところにある、小鳥の声なども聴こえて、長閑だけれど、子供の嘔吐痕がこびりついているトイレ(個室は1つしかない)。比較的小綺麗で、長い手洗い場が印象的なトイレ(個室は4つ)。

あまり賞に応募しなくなったので、それを意味していると思われる夢を見る回数は減りましたが、以前見た夢では、凍てつくような広場一面に、沢山の犬が横たわっていました。

ゴールデン・レトリーバー、シベリアン・ハスキー、ドーベルマン、ダルメシアンのような大型犬。秋田犬、紀州犬、柴犬のような日本犬。それに、いろいろな室内犬がいました……

そこへ、飼い主が自分の犬を探しにやってくると、犬はむっくり起き上がり、飼い主と一緒に帰宅していきました。犬たちは落選の通知でトーンダウンした応募者たちの創作意欲をシンボライズしていたのでしょうね。

夢を見た当時、応募仲間(?)のうちの1人の女性の犬は、ちょっぴりお尻が垂れたパンダ風の犬でした。体力のありそうな大型犬。実際にその人は多作する人で、そのあと某賞で佳作をゲット。

当時は張り合ったために互いに神経過敏で、よくくっついたり絶交したりしました。その人とは今はおつきあいがありません。それがたまたま、その人のブログを発見してしまいました。

感じのいい、面白いブログで、ああ賞狙いさえしていなかったら、互いにあんなにぴりぴりすることもなく、よいおつき合いができていたかもしれないのにな、と思ったりします。

賞がヨットレースになって、夢に出てきたこともありましたっけ。海の色合いは日本の海というより、エーゲ海。様々なヨットがありました。晴天なのに、風が強く、次々に難破していくのですが、その難破する様子もいろいろで、興奮しました。

賞では数人の受賞者を残して(「該当作なし」だけのこともありますね)、あとは全部落選するわけですが、創作という行為自体がミューズに愛でられているんだろうな、とすばらしいヨットの夢を見たあとで思いました。

1度落選した作品を他へ応募してはいけないという文学界のムラ的習わし、わたしには世俗的な理由としか思えません。

作品は、落選したからといって紙屑と同じではないのです。その賞の観点からは如何に不出来に見えようと、作者にとっては生命の宿った、かけがえのないものです。丹精こめたものです。

印象派のアンデパンダン展を想えば、わかるでしょう?

賞の評価は、いうまでもなく絶対ではありません。落選したあとで別の選者を求めて、別の賞に応募するのがむしろ自然ではないでしょうか。

そんな賞ごとの使い捨て作品というのが、わたしには理解できません。

複数の賞の下読みが同じ人達で構成されていることがしばしばあると、見聞きします。怖ろしい話です。あっちに行っても、こっちに行っても、同じ首斬り役人に出くわすのですね。

左派にのっとられているという日本の文学界らしい現象ですわ。

電子書籍の世界には落選者の作品も多いと思いますが、印象派のアンデパンダン展的世界を形成できたらいいですね。でも、電子書籍の世界は一頃に比べると、活気がなくなった気がします。

そういえば、過去にいろいろと教わった女性編集者から会おうとお誘いがありましたが、絶交の原因となった文学観の違いを、わたしはどうしても乗り越えることができそうになく、ありがたいと思いながらも断ってしまいました。

なつかしかったし、お目にかかれば、またよい刺激を受けられるだろうと思うと残念ですが……

わたしの犬(創作意欲、作品傾向をシンボライズ)は、過去記事で書いたように、なぜかいつもプードルです。

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電子児童小説『ぬけ出した木馬』の表紙を替えました。学習意欲を刺激される講座一覧。

Kindleストアに出している短編児童小説『ぬけ出した木馬』の表紙を替えました。表紙はまだ「出版準備中」と表示されており、古いままです。変更になるまでに、数日かかると思います。

Mo14blog

値段もちょっぴり、お安くなりました。これまでは、アメリカの下限価格を記入し、あとは自動設定していましたが、日本での下限価格99円にしました。

過去記事で、娘のイタリア語講座(初級)の体験学習についていって楽しさ半分の大変な思いをしたことを書きました。

NHKカルチャーの講座にはお絵描きもありました。いくらかでもそうした力が身につけば、表紙作成がもっと楽しくなるだろうな、行きたいなと思ってしまいます。

一覧を見て、行ってみたいなと思った講座は以下。

  • 水彩画・デッサン
  • 古文書で学ぶ大分の歴史
  • 俳句教室
  • 初心者手びねり陶芸教室
  • 美術館・博物館めぐり

初の歴史小説を書こうと思い、まずは短編を5編書く予定ですが、古文書の読み方を学ぶ必要があるなあと痛感し出したこのごろ。

「古文書で学ぶ大分の歴史」講座では、「旧藩の古文書解読方法を身につけながら、歴史を考えることをめざしています」とあり、まさにわたしが学びたい時代、形式の古文書が学習対象――。

健康であれば、フラメンコなんかもやってみたいなあ。

まあ、あれこれ思ってみるだけですが、娘はイタリア語力を確実に身につけていっている様子(?)。わたしも一緒にイタリア語講座を視聴する習慣ができました(番組が終わったとたん、忘れていますが)。

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2014年10月23日 (木)

ついに、村上春樹の検索で当ブログにお見えになる方がゼロに。追記:作家らしいエピソード

一昨日、ついに村上春樹の検索で当ブログにお見えになる方がゼロになりました。

村上春樹関係の記事へのアクセスはありましたが、ブログを開始したのが2006年4月。以下の記事を書いたのが5月でした。

村上春樹を検索して当ブログにお見えになる方が次第に増えて爆発的になり、それから次第に減っていって、検索してお見えになる方がゼロになるまでに、実に8年5ヶ月かかったということです。

わたしがなぜ村上春樹を問題視し、この無名ブログからそれを発信しつづけたかは、当ブログの関連記事や以下の2冊の拙Kindle本をお読みになれば、わかっていただけるのではないかと思っています。

この先、村上春樹ブームが再来するかどうかはわかりませんが、この時点で村上春樹の悪影響というわたしの危惧はかなり和らいだといえます(まあファンの方々には「悪影響」は許せない言葉でしょうが、8年間記事という形で分析してきた結論です)。

ある意味で村上春樹は日本の現代文学を象徴している人物であり、その人物をわたしなりにずっと追い続けたのは、日本文学の将来に関わることだからでした。

ようやくそのつらい分析(昂揚するような分析ではありませんでした)が終わりつつあると思ったところへ(まだ河合隼雄の分析も残していますが)、春樹を潜在的に用意したとも思えるテーマとして、国民的作家と崇められ、信頼され、お札にまでなっている夏目漱石が出てきてしまいました。

萬子媛を書こうと思い、江戸時代から明治時代にかけて調べなければ、出てこなかった視点でした。

ざっと調べたところでは、漱石の作品を、明治時代の神仏分離、廃仏毀釈の観点から分析した論文には見当たりませんでした。

こうした大事な研究を、無名の物書きが孤独に何の報酬もなく、光の当たらないところでやらなければならないというところに、日本の現代文学の荒廃ぶりを目の当たりにしている感じを覚えています。

奮い立ったり、逆に無気力になったりの繰り返しの日々です。

漱石の「こころ」で中断している部分を書き終えたら、ひとまず漱石を離れ(ることは無理かもしれませんが)、初の歴史小説に行きたいと思います。

以前のように、テレビ番組や料理、映画や音楽の記事を書くゆとりがなくなり、めっきりつまらないブログになってしまったと我ながら思います。ごめんなさいね。

今後とも、どうかマダムNのサイトをよろしくお願い致します。

追記:

サイト「IRORIO(イロリオ)」の以下の記事で紹介されたペーター・ハントケ。作家らしいですよね。

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2014年10月22日 (水)

モロゾフの「タルト・フランボワーズ」。

Cake3a

娘が買ってきた、モロゾフのケーキ。その名は、「タルト・フランボワーズ」。

切り取った部分、全部食べたかったのですが、わたしは薄い切れ端を望みました、ハイ。

またまだ気を許さず、ダイエット半ば継続中ですから。

上の部分がクレーム・ブリュレにやや似ています。あれほどカリッとはしていず、サクッという感じかしら。

クリームは生クリームとカスタードクリームを混ぜたような味わいで、その中にラズベリーのコンフィチュールが入っています。

残り全部食べてしまいたい~!

久しぶりのケーキに感動しました。

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『卑弥呼をめぐる私的考察』にカスタマーレビューをありがとうございます!

『卑弥呼をめぐる私的考察(Collected Essays, Volume 3)』(ASIN:B00JFHMV38)に、カスタマーレビューを頂戴し、ありがとうございます!

HipPop様がレビューにお書きになっていた、宇佐公康著『古伝が語る古代史―宇佐家伝承(オリエントブックス) 』(木耳社、1990年)には、良質の刺激を受けました。

続編が出ているようなので、読みたいと思っているのですが……。

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2014年10月21日 (火)

#3 神仏分離政策の影? ②「こころ」のKの気になる境遇、藤村操の自殺

memoNotes:夏目漱石・インデックス

ウィキペディアの「夏目漱石」を閲覧して思ったが、「こころ」のKには、藤村操がモデルとなっている部分があるのではないだろうか。

「吾輩は猫である」「草枕」には藤村の死について言及した箇所があるようだ。創作だから、死に方や境遇は異なっても、藤村の死がモチーフとなって「こころ」のKが造形化された可能性はあるだろう。

藤村は漱石の生徒だった。英語の授業中、漱石に叱責され、その翌日、華厳の滝から身を投げた。漱石の叱責が藤村の死の原因だとは思えないが、漱石は衝撃を受けたようだ。以下、ウィキペディアより、部分的に引用してみる。

藤村操:Wikipedia

藤村 操(ふじむら みさお、1886年(明治19年)7月 - 1903年(明治36年)5月22日)は北海道出身の旧制一高の学生。華厳滝で投身自殺した。自殺現場に残した遺書「巌頭之感」によって当時のマスコミ・知識人に波紋を広げた。
(……)
1903年(明治36年)5月22日、日光の華厳滝において、傍らの木に「巌頭之感」(がんとうのかん)を書き残して自殺。厭世観によるエリート学生の死は「立身出世」を美徳としてきた当時の社会に大きな影響を与え、後を追う者が続出した。警戒中の警察官に保護され未遂に終わった者が多かったものの、藤村の死後4年間で同所で自殺を図った者は185名にのぼった(内既遂が40名)。華厳滝がいまだに自殺の名所として知られるのは、操の死ゆえである。
(……)
彼の死は、一高で彼のクラスの英語を担当していた夏目漱石やその同級生、在学中の岩波茂雄の精神にも大きな打撃を与えた。漱石は自殺直前の授業中、藤村に「君の英文学の考え方は間違っている」と叱っていた。この事件は漱石が後年、うつ病となった一因とも言われる。
(……)
藤村が遺書として残した「巌頭之感」の全文は以下の通り。

 巌頭之感
 悠々たる哉天壤、
 遼々たる哉古今、
 五尺の小躯を以て此大をはからむとす、
 ホレーショの哲學竟(つい)に何等のオーソリチィーを價するものぞ、
 萬有の眞相は唯だ一言にして悉す、曰く「不可解」。
 我この恨を懐いて煩悶、終に死を決するに至る。
 既に巌頭に立つに及んで、
 胸中何等の不安あるなし。
 始めて知る、
 大なる悲觀は大なる樂觀に一致するを。

藤村操の父は屯田銀行頭取(1899年の死は自殺ともいわれる)、弟は建築家で三菱地所社長となり、妹の夫安倍能成は漱石門下の哲学者で学習院院長や文部大臣を歴任、叔父は歴史学者という錚々たる顔ぶれだ。

友人たちがまた凄い。岩波書店創業者の岩波茂雄、英文学者・能楽研究者の野上豊一郎(妻は野上弥生子)。友人たちの追悼文はウィキに「日本ペンクラブ:電子文藝館 藤村操」へのリンクがあり、読める。⇒ここ

そして、英語講師としての漱石である。

やはりウィキに、明治36年5月27日報知新聞『新聞集成明治編年史. 第十二卷』(国立国会図書館近代デジタルライブラリー)へのリンクがあって、藤村操の死を報じた新聞記事が読める。⇒ここ

新聞記事のタイトルは「巌頭の感の一文華厳瀧の轟きより強し」で、そのタイトルからも記事の内容からも、当時の興奮した、ほとんど絶賛しているかのようなムードが伝わってくる。そのムードはわたしが学校に通っていたころも残っていた。

いつ、どの先生から教わったのか覚えていないが(高校時代に複数の先生から教わった気もする)、藤村操について聴かされて、語呂がいいので、遺書を当時は諳んじたりしたものだ。

ノイローゼだったに違いないとは誰しも思うところだろうが、わたしも当時、膀胱神経症で苦しんでいたので、他人事ではない気がした。

前掲の明治36年5月27日付・報知新聞に、「京北中学校を出で、目下高等学校文科第一年に学び、哲学宗教を専攻しつつありたれば」とある。

ノート(1)で、「わたしが中・高校生だったころ、誰からともなく、哲学書を読むと発狂するとか自殺するとか脅かされた」と書いたが、そうした哲学を忌避する風潮には、藤村操の自殺がかなり影響していたのかもしれない。

明治時代の出来事がいつまでも尾を引いたのは、国民的作家となった漱石はじめエリートたちが藤村操をいつまでも忘れなかったからだろう。

それは藤村操の陥った不可知論に、日本のエリートたちが陥っていたためではないだろうか。今なお、そうかもしれない。

遺書に出てくるシェークスピアの「ハムレット」以外に藤村が何を読んだのかは知らないが、旧制高校生が好んだのはデカンショ――デカルト、カント、ショーペンハウエル――だった。 

いわゆる近代哲学で、ワタクシ的にはデカルトには少し興奮したが、古代哲学に比べると、彼らの哲学は小さくて、縮こまっていて、乾燥しているという印象だ(無知なわたしの偏見ととられてもいいが)。とめどもなくバケツから溢れ出る新鮮なミルクと干からびたチーズのかけら、といった違いを感じる。

その中でもとりわけ小さな印象のショーペンハウエルの以下の本は、わたしが若かったころにはよく読まれていたように思う。わたしも一応読んだが、つまらなかったことしか覚えていない。

自殺について 他四篇 (岩波文庫)
ショウペンハウエル (著), Arthur Schopenhauer (原著), 斎藤 信治 (翻訳)
出版社: 岩波書店; 改版 (1979/04)

いきなりそんなものを読むくらいなら、プラトンの1冊でも読むほうがずっといいと思う。「ソクラテスの弁明」では、思想の美しさに触れることができるだけでなく、言葉の正確な使い方を学ぶことができるので、高校生から大学生におすすめ。

哲学はどんどん細分化され、下請け企業的になっていった感じがある(今は、下請け企業だけが存在している不思議な状況)。

※ちなみにブラヴァツキーはショーペンハウエルを評価し、H・P・ブラヴァツキー(田中恵美子&ジェフ・クラーク訳)『シークレット・ドクトリン 宇宙発生論(上)』(神智学協会ニッポン・ロッジ、1989)には複数の引用があるので、再読の必要を覚えているが、それでもプラトンとはやはり格が違うように思う。ブラヴァツキーの扱いでもプラトンは、「ピタゴラスやプラトンから新プラトン派に至るまでの偉大なアデプト達」(ブラヴァツキー、田中&クラーク,1989:序論p.169)という記述からもわかるように別格と思われる。

藤村の自殺は、哲学的自殺の典型例とまでいわれているらしいが、そもそも、遺書に戯曲から引用すること自体、哲学的というより、演劇的だ。含蓄のあるシェークスピアの言葉であるにせよ(藤村の遺書にある英語解釈は間違っているらしい)。いずれにせよ、カッコつけすぎではあるまいか。

漱石はイギリスに留学して英文学に違和感を覚え、神経衰弱に陥った。。

「不可解」と書いて投身した藤村を時代のシンボルに祀りたくなるほど、知識人たちは疲弊していたのだろう。考えられる原因として、日本の精神的土壌が破壊され、なすすべもないほど荒んでいたからではないだろうか? 

漱石がイギリスで神経が参っても、母なる日本、誇り高き存在であるべき日本、伝統と永続性を感じさせる安らぎの国であるはずの日本には、それを受けとめる力がなかった。否、日本がそんな状態だったからこそ、漱石は健やかにイギリスで過ごせなかったともいえる。

明治政府の神仏分離政策によって、日本の精神的土壌、文化的環境はひどく損なわれ、変化していたのだ。

Kに、藤村の自殺が投影されているのかどうかはわからないが、Kの境遇は藤村とははっきりと異なるものだ。漱石は、別の人物の境遇を参考にしたのではないだろうか。全くの空想の産物にしては、Kの境遇は、漱石にもうまく説明できない、不透明感のあるものだからだ。

そこには神仏分離令の影響があるのではないだろうか。

ウィキペディア「寺請制度」によると、江戸時代、キリシタンに悩まされた幕府は、寺請制度を設けた。寺院は檀家に対して自己の檀家であることを証明するために寺請証文を発行した。民衆はいずれかの寺院を菩提寺と定め、その檀家となることを義務付けられたのだった。

寺請制度:Wikipedia

僧侶を通じた民衆管理が法制化され事実上幕府の出先機関の役所と化し、本来の宗教活動がおろそかとなり、また汚職の温床にもなった。 この事が明治維新時の廃仏毀釈の一因となった。

1868年、明治政府により出された神仏分離令により、それまで行われてきた神仏習合が禁止されたのだった。これは、廃仏毀釈運動と呼ばれた。わたしが初の歴史小説で描こうとしている祐徳院は神仏分離により、祐徳稲荷神社となった。

廃仏毀釈:Wikipedia

伊勢国(三重県)では、伊勢神宮のお膝元という事もあって激しい廃仏毀釈があり、かつて神宮との関係が深かった慶光院など100ヶ所以上が廃寺となった。その為、全国平均に較べて古い建物の数自体が少なくなっている。
明治政府は神道を国家統合の基幹にしようと意図した。一部の国学者主導のもと、仏教は外来の宗教であるとして、それまでさまざまな特権を持っていた仏教勢力の財産や地位を剥奪した。僧侶の下に置かれていた神官の一部には、「廃仏毀釈」運動を起こし、寺院を破壊し、土地を接収する者もいた。また、僧侶の中には神官や兵士となる者や、寺院の土地や宝物を売り逃げていく者もいた。現在は国宝に指定されている興福寺の五重塔は、明治の廃仏毀釈の法難に遭い、25円で売りに出され、薪にされようとしていた。大寺として広壮な伽藍を誇っていたと伝えられる内山永久寺に至っては破壊しつくされ、その痕跡すら残っていない。安徳天皇陵と平家を祀る塚を境内に持ち、「耳なし芳一」の舞台としても知られる阿弥陀寺も廃され、赤間神宮となり現在に至る。
廃仏毀釈が徹底された薩摩藩では、寺院1616寺が廃され、還俗した僧侶は2966人にのぼった。そのうちの3分の1は軍属となったため、寺領から没収された財産や人員が強兵に回されたと言われることもある。
美濃国(岐阜県)の苗木藩では、明治初期に徹底した廃仏毀釈が行われ、領内の全ての寺院・仏壇・仏像が破壊され、藩主の菩提寺(雲林寺)も廃され、現在でも葬儀を神道形式で行う家庭が殆どである。
一方、尾張国(愛知県)では津島神社の神宮寺であった宝寿院が、仏教に関わる物品を神社から買い取ることで存続している。
廃仏毀釈の徹底度に、地域により大きな差があったのは、主に国学の普及の度合いの差による。平田篤胤派の国学や水戸学による神仏習合への不純視が、仏教の排斥につながった。廃仏毀釈は、神道を国教化する運動へと結びついてゆき、神道を国家統合の基幹にしようとした政府の動きと呼応して国家神道の発端ともなった。

どんなに凄まじい文化破壊であったかがわかる。ここまでする必要があったのだろうかと思えるほどだ。

それほどのものであったのに、それについて書き残されたものは少ない。

仏師だった高村光雲(高村光太郎の父)は、『幕末維新懐古談』の中で、仏像が破壊される様を生々しく描き出している。青空文庫に入っているので、ネットで読むことができる。

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2014年10月20日 (月)

#2 神仏分離政策の影? ①「こころ」に出てくる人名、シュエデンボルグ

memoNotes:夏目漱石・インデックス

シュエデンボルグ。

つい読み過ごしてしまったが、シュエデンボルグ? うーん、どこかで聴いたような聴かないような……

「こころ」の中で、主人公である「先生」とKが話す場面で出てくる。人名だろうか?

その上彼はシュエデンボルグがどうだとかこうだとかいって、無学な私を驚かせました。

わたしは声に出していってみた。シュエデンボルグ。なーんだ、スウェーデンボルグではないか。

Kは、仏教関係の書物だけではなく、キリスト教の聖書も読めば、コーランも読み、スウェーデンボルグも読んでいたのだ。

大学時代のわたしもそうだったから、Kの読書傾向はよくわかる。

純粋に高貴な思想にあこがれていたら、コーランを読むとすれば、自然の流れでイスラム教神秘主義の文献――研究書や文学書――に出合うことなるし、新約聖書を読み、深く分析しようとすれば、同様にキリスト教神秘主義関係に辿り着くものなのだ(尤も、わたしの場合は翻訳書が出ていなければ、読めないが)。

Kも、そうだったのではないだろうか。

スウェーデンボルグはスウェーデンの有名なキリスト教神秘主義者である。バルザックの著した「セラフィタ」という両性具有の天使が出てくる美しい小説は、スウェーデンボルグの影響を受けたといわれている。

ウィキペディアでは、エマヌエル・スヴェーデンボリと出ている。

エマヌエル・スヴェーデンボリ:Wikipedia

エマーヌエル・スヴェーデンボーリ(Emanuel Swedenborg, 1688年1月29日 - 1772年3月29日)はスウェーデン王国出身の科学者・神学者・神秘主義思想家。スヱデンボルグとも。しかし多くはスウェーデンボルグと表記される。生きながら霊界を見て来たと言う霊的体験に基づく大量の著述で知られ、その多くが大英博物館に保管されている。スヴェーデンボリは貴族に叙された後の名。

それにしても、「無学な私を驚かせました」って……主人公は当時の超秀才だろうに。Kは原書を読んだのだろうか? 英訳で読んだのかもしれない。現代では学研の雑誌『ムー』のお陰で、普通の高校で赤点とっていたわたしですらスウェーデンボルクを知っていたし、翻訳書が何冊か出ていたので、読んだ。

Kのような人物が、実際に漱石の周辺にいたのではないだろうか? その人物がどこまでKのモデルにされたかはわからないにせよ――。

Kは「先生」なんかと知り合わず、三浦関造氏と知り合ったらよかったのに……とわたしは思ってしまった。年齢的なずれがあるけれど。

ここで、ちょっと話が逸れるが、明治16(1883)年に生まれ、昭和35年に亡くなった三浦関造氏の伝記が竜王会の機関誌「至上我の光」で連載中だ。

執筆者は、教育家で、『ユネスコ創設の源流を訪ねて―新教育連盟と神智学協会』(学苑社、2008年)を上梓された岩間浩氏。

三浦関造氏は神智学協会を日本に紹介した竜王会の創立者としてわたしには馴染みがあるが、新教育運動でも有名だったようだ。

『ユネスコ創設の源流を訪ねて』にはタゴールやニコライ・レーリヒにも章を割かれているようなので、読んでみたいと思っている。参考までに、ライン以下に、学苑社のホームページから本の構成を紹介させていただく。

話を戻すと、わたしは「こころ」を最初に読んだときから、Kの境遇についての説明が要領を得ない、異様なものに映った。

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Kindle本『詩人の死』『気まぐれに芥川賞受賞作品を読む』をお買い上げいただき、ありがとうございます!/創作関係がとり散らかっている…

『詩人の死』(B00C9F6KZI)、『気まぐれに芥川賞受賞作品を読む 2007 - 2012(Collected Essays, Volume 2)』(ASIN:B00J7XY8R2)を10月12日ごろ、お買い上げいただいたようです。ありがとうございます!

『詩人の死』は4冊目、『気まぐれに……』は10冊目のお買い上げでした。

どちらも、サンプルをダウンロードできます。
     ↓

作りかけのKindle本が3冊あります。全部小説で、「どこか別の美しい街」「救われなかった男の物語」「地味な人」。エッセー集も出しておきたいと考え、タイトルをリストアップしかけて中断。

原稿があるので、電子書籍作成はスピーディに進むと思っていたら、これが大間違いでした。しつこく校正しなければ、もう少し速く作れるのでしょうが、値段をつけてストアに出すからには、そういうわけにはいきません。

あまりに時間がかかるので、つい放置状態となってしまいます。一方、ブログのカテゴリー「Notes: 」は増えました。これ以上増やしたくないと思っていながら、初の歴史小説の副産物(?)として、ナンと漱石が出てくる始末。

リンドグレーンのアルバムからのメモも、作品解釈の参考になるので、Notesに入れておきたいとずっと思っています(その本を、娘が誕生日の贈り物にしてくれ、家にあるので、ゆっくりとなります)。タブッキを集中的に読んだり、調べたりする時間がほしいものです。

イタリア語を勉強したくなったのは、タブッキが好きになったことと関係がありそう。尤もタブッキはペソアが好きで、ポルトガル語に親近感を持っていたのでしょうが。

娘は今日、イタリア語の日でしたよ。人数が少なかったので、先生が何を勉強したいか、リクエストに応じてくださったそうで、娘は代名詞をリクエストしたとか。お姉さんが学校で習ったことを妹が聞きたがるみたいに、わたしは娘から授業の様子を聞きます。一緒にイテレビのイタリア語講座を視聴しています。少しだけ囓っていたフランス語とごっちゃになったりします。

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2014年10月19日 (日)

#1 江戸文化の残り香と朱子学的縛り ①「こころ」における宗教、哲学的貧弱さ

memoNotes:夏目漱石・インデックス

いずれ評論に使うつもりなので、当カテゴリーに属する記事の無断引用、リンクを禁じます(感想文や研究の参考になさる場合はご一報の上、直塚万季のエッセーからの引用であることを明記してください)。
漱石研究はこれからなので、今後考えが変わり、記事を訂正、削除、非公開にする可能性があります。

辛気臭いと思っていた漱石の小説が近頃、身にぴったり合う。

世の中の面倒臭いこと――お金のことや、義理人情の絡むことを、面倒だ、面倒だといいながら嬉々として書いている漱石に新たな興味が湧き、来年辺り、自身の歴史小説だか冒険児童小説だかの間を縫って、評論を書いてみたいと考えている。

若い頃は漱石を読むと、小説に書かれているような面倒臭いことを突きつけられ、それに巻き込まれるような気さえして――考えてみれば、赤ん坊の頃から巻き込まれていたのであったが――、本当に嫌だった。

が、蛇に締め上げられるように嫌なこと、面倒臭いことに巻き込まれてかえって変な安心感を得た今、また老後の不安が現実となった今、その全貌が見えてかえって落ち着いたというべきか、漱石に親しみを覚える自分がいる。

「道草」は、世知辛い世の中を描いて絶品である。夫婦の掛け合いがユニークで、読ませる。

2人の女児を持つ主人公「健三」に三女が生まれたときの、健三のぼやきには思わず笑い、しんみりしてしまった。

 三番目の子だけが器量好く育とうとは親の慾目にも思えなかった。
「ああいうものが続々生まれて来て、必竟〔ひっきょう〕どうするんだろう」
 彼は親らしくもない感想を起こした。その中には、子供ばかりではない、こういう自分や自分の細君なども、必竟どうするんだろうという意味も朧気〔おぼろげ〕に交〔まじ〕っていた。

うーん、Kindleで再読するのはいいが、引用したいときに何ページかを書けないのが困る。家に漱石の紙の本も文学全集の1冊やら文庫やらあるが、「道草」が見当たらない。あとで、調べておかなくては。

赤ん坊、動物の描写が漱石はすばらしい。否、身の回り全ての描写に優れた観察眼を持ち、抜群の文章感覚を発揮する。

縛られなくてもよい義理人情に自ら縛られる漱石の小説の主人公は如何にも日本人的であり、古い日本にあった家父長制度の相互扶助を見せてくれる。

漱石の小説から明治の骨格が見えるのは、彼の小説がそうした社会制度と密着した特徴を持っているからだろう。あの辛気臭い(?)作風には正岡子規の影響もあるだろう。正岡子規の観察眼、描写力は凄いが。

漱石の作品を初読、再読する中で、新たな発見があるに違いない。

ただ、漱石はこの世から一歩も出なかった作家とわたしには思われ、そこに物足りなさがあった。本当にそうなのか、その辺りも探っていきたい。

漱石に「夢十夜」のような幽界を感じさせる独特の美しさを感じさせる作品はあるが、幽界は主観的な、半物質的世界であり、地上界の延長線上にしかない(場所としてではなく、状態として)。

幽界は、日本神話では黄泉、ギリシア神話ではハーデース、エジプト神話ではアメンティ(沈黙の影の国)、サンスクリットではカーマ・ローカ(ローカは存在世界、カーマは欲望)、スコラ哲学ではリンボ界、神智学ではアストラル界ともいう。

そういった意味では幽界的事象はこの世の延長線的事象であるから、神秘主義的意味合いで霊的という言葉を使うことはできない。

世間的な営みとそこから来る神経的な苛立ち、他人との齟齬、その結果の孤独……といったことの描写、分析に文学の中心が置かれている。

そうしたことにかけては卓抜した技量を示した。また、幽界的事象の描写は絢爛豪華である。

そして――深読みは自由だが――、大きな円から一歩も出ていないのが漱石の文学だとわたしは思う。

深い思索には霊的感性が必要ではないかと思うが、漱石の思索はどんなに広がっても平面的なのだ。神秘主義的傾向が顕著なわたしには、それがつまらない。そうでない人間には、この世の手応えと厚みを実感させてくれる慈父のような存在なのかもしれないが。

漱石に儒教の影響があることは間違いないが(明治維新後の混乱期に幼児期を過ごした彼に江戸文化の残り香があるのは自然である)、江戸時代に流行った朱子学方面からのアプローチが必要ではないかと思う。

朱子学はまだこれから調べなくてはならないが、朱子学的宇宙観と独特の縛りがある気がする。調べる中で、考えが変わるかもしれない。

急に漱石に興味を覚えたのは、今わたしが江戸時代を調べていることから来ているのかもしれない。

「こころ」。強烈な恋愛感情があるがために友人を裏切る主人公「先生」の心理描写、主人公の周辺の描写が精緻になされたこの作品は、若い人受けするのではないだろうか。

とはいえ、恋愛小説の洗礼を、こんな辛気臭いところで受けてしてほしくない気がする。まあ「三四郎」なんかも悪くはないだろうが……瑞々しい西欧の恋愛小説がいくらでもあるのだから、できればそちらを先に読んでほしい。

「こころ」は甚だ作為的で、登場人物全員――先生、奥さん(恋愛の対象となった、かつてのお嬢さん)、友人K――が漱石の分身といってよいかもしれない。狂言廻し的な動き方をしている。

漱石のつまらなさの端的に出ているのが、「こころ」ではないかとわたしは思う。

真宗の坊さんの子に生まれ、医者の家に養子にやられた「先生」の友人K。

Kが、中学の頃から宗教、哲学に傾倒し(一宗教、一哲学に拘泥していたのではない描き方である)、精進を行っていた――という設定にしては、Kは真面目で純真なだけの人間で、人間としての厚みを欠き、宗教、哲学に含蓄が深いとは感じさせない。

宗教、哲学は恋愛についても様々な考察を行い、対処法を工夫してきた。死について、勿論生きることについても同様である。その割にはKは自死という、極めて単純な決定をあっさりと下している。

恋愛にも、死ぬということにも、生きることにも、宗教、哲学は無力だとあっさり判定を下したのは、実はKではなく、作者漱石である。

そして、Kに頸動脈を切らせ、血が襖に張られた唐紙に飛び散るような派手な死に方をさせて、漱石は事件的な死に方自体をこの作品で売り物にしている印象を受ける。

Kや奥さんの内面描写をひどくケチっているわりには、自殺前後の外面的、物質的描写には微に入り細を穿った、熱の入れようだからである。

漱石はストーリーテラーだが、それが裏目に出ることがある。Kを、会話をしたがらない偏屈な人間に造形して、宗教、哲学の話を披露しなければならない状況を前もって回避しているように映る。

青春時代にはそのようなタイプは珍しくないから、それを器用に利用したのだ。

ストーリーテラーであることは読者サービスに優れているということで、作家として決して悪いことではないが(積極的にそうあるべきですらあるだろうが)、ここではK、あるいはKと談笑したりしていた奥さんに舞台を作ってあげて、もっと話させるべきであろうに、口封じをした。その分野が苦手だから。まことに、無責任、狡猾だと映る。

まさに、「先生」がそうであるように。「先生」は加害者意識と被害者意識を器用にすり替える愚を犯すのみならず、繭に篭もる蚕のように、見聞きしたくないことは存在しない世界を作り上げ、語り手のような賛美者までこしらえる。

わたしは中・高校生には「こころ」をすすめたくない。宗教という宗教、哲学という哲学が中身のない形骸的なもの、無意味で無駄なものだとの先入観を与えかねない。

わたしが中・高校生だったころ、誰からともなく、哲学書を読むと発狂するとか自殺するとか脅かされたが、偏った読み方をすれば、そんな危険性もあるという程度のことをそういったのは、あるいは「こころ」が影響してはいないだろうか。

「こころ」は高校の課題図書によく選ばれていたと思う。

「こころ」から受けた宗教、哲学のそんな否定的な印象に、マルクシズムの「宗教はアヘン」的イメージが重なれば(拙記事「「バルザックと神秘主義と現代」参照)、豊富な読者体験を積まなければならない時期にどんな弊害を及ぼすかを考えると、日本の文豪、漱石の果たした役割のメリット・デメリットを考えずにはいられない。

宗教、哲学分野においては、漱石には江戸文化の名残としての朱子学の影響があるようだと上に書いたが、自覚的には禅を少し囓っただけのいわゆる一般人にすぎないことを、Kの肉付きの乏しさが物語っている。

だから、わたしは漱石を読むと、充実した霊的感受性の下に豊麗な作品群を生み出した泉鏡花をはじめ、東洋思想とフランス文学を真摯に勉強した坂口安吾、さらに大正から昭和期に活躍した女性作家たちでバランスをとりたくなる。

その点、バルザックなどは全てを完璧なまでにひとりで持ち合わせているから、バルザックを読むほうがわたしには手っ取り早かった。

漱石は49歳、バルザックは51歳で亡くなっている。若死にだなあ。

○o。+..:*○o。+..:*○o。+..:*

エッセー「バルザックと神秘主義と現代」は当ブログでお読みになれますが、拙Kindle本『気まぐれに芥川賞受賞作品を読む 2007 - 2012(Collected Essays, Volume 2)』に収録しています。サンプルをダウンロードできます。
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続きを読む "#1 江戸文化の残り香と朱子学的縛り ①「こころ」における宗教、哲学的貧弱さ"

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Kindleストアに出している児童小説『不思議な接着剤1: 冒険前夜』を少し値下げ

Kindleストアに出している児童小説『不思議な接着剤1: 冒険前夜』を少しだけ値下げしました。

不思議な接着剤1: 冒険前夜 [Kindle版] 
直塚万季
出版社: ノワ出版; 1版 (2014/9/15)
ASIN: B00NLXAD5U

250円はKDPセレクトの下限価格です。たぶん、無料キャンペーンをすることはないとおもいますが、登録中。これまでは、アメリカの下限価格を記入し、あとは自動設定していました。登録時に外国の価格が次々に設定されていく様子が、結構面白いです。

お洋服(表紙)も、yomiさんのものから着替えました。Kindleストアではまだ古いままです。

Fu_blog

よく表紙を替えるなあと思われるでしょうが、表紙作成が現在のわたしの唯一の趣味だからです。GIMPの勉強が止まっているので、進歩がありませんが、この足成の素敵な写真素材をお借りして表紙にしてみたかったのです。

素敵なお写真を、ありがとうございます!

『直塚万季 幻想短篇集(1)』の表紙にはyomiさんの絵を使わせていただいていますが、今後もちょくちょく使わせていただくことと思います。現在、沼地を3D作成中。

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新カテゴリー、「Notes:夏目漱石」を追加しました

新カテゴリー、「Notes:夏目漱石」を追加しました。

これはお願いですが、いずれ評論に使うつもりなので、当カテゴリーに属する記事の無断引用、リンクを禁じます(感想文や研究の参考になさる場合はご一報の上、直塚万季のエッセーからの引用であることを明記してください)。
漱石研究はこれからなので、今後考えが変わり、記事を訂正、削除、非公開にする可能性があります。

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2014年10月18日 (土)

首枕。グリーンなトマト。

Pillow2

娘が自分の首枕を購入するときに、わたしのぶんも買ってくれました。

たまに起きたあと、首の辺りが凝った感じのすることがありますが、この首枕を使うと首から肩にかけて安定するので、楽です。

寝ながら本を読むときも、快適。

20141018092111

緑色のプチトマトが何個か混じっていたので、売り子さんに念のために熟しているか、尋ねました。この色で、完熟だとのこと。

お味は、葡萄に似ているような気が……。先入観がそう感じさせるのでしょうか。柔らかく、甘い。食べる前に、半分に切ってみればよかったな。

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2014年10月17日 (金)

昔とイメージが違う行政書士

契約社員として書店員を勤めている娘が転職を考えているが、長く続けられるような自分に合った正社員の口となると、なかなか難しい。

正社員と全く同じ仕事内容なのに、安定しない立場で安くこき使われている人は今の日本では多いと思うが、娘もそうであり、年齢を考えると、この辺りで本腰を入れないわけにはいかないといったところ。

これまでも娘はずっと転職を考えてきて、たまに面接に出かけることはあったが、面接に行ってその会社の仕事内容、待遇が見えてきたがために「ここにはちょっと」となったり、入りたくても資格や経験がなかったり。

娘は市立大の法学部卒なので、法律関係には抵抗が少ないほうだ。

台風被害で示談。再婚後、少しおかしかった奥さんと長く暮らしているうちに自分までおかしくなった父から、わたしと妹(及び親戚)がふっかけられた、複雑怪奇かつ根拠のない裁判。夫の●●に片をつけるための2度の示談(そのたびに相手がルール違反――ストーカー行為、脅迫――を犯してくれ、2度目には警察に相談せざるをえなかった)。

わたしも一応法学部卒だが、まさか自分の人生にこんな裁判沙汰が起きるとは在学中は想像だにせず、文学ばかりしていた。それでも、法学部だったお陰か、法律にアレルギーはなく、父のとき、弁護士費用が馬鹿高いことを知り、裁判所に提出する準備書面を自分で書こうという気にもなった。

夫の●●に片をつけるための2度目の示談のとき(夫はいつだって、わたしと別れたくないと泣くばかり。遡ればまだ結婚前、母が倒れて再起不能といわれたときから。一旦再起してくれたので、結婚できた)、弁護士さんに相談したが、このとき、娘が要領よくそれまでの経緯をまとめて弁護士さんに話してくれた。弁護士さんは娘を法律の初心者ではないと解釈し、助手と話すような本格的な口調で話していた。

わたしはたぶん、呑み込みの悪い、暗い被害者のおばさんの顔をしていたと思う。

台風被害での示談のとき、当時、娘はまだ学生で、示談書を作成する際、大学の先生に訊いてくれた。理系だが、大学で教養の選択に法律を選んだ息子も手伝ってくれた。

わたしに起きた裁判沙汰は、大学で教養として学んだにすぎなかった抽象的な法律を生き物にしたが、娘はそれを仕事に、とはそのときは思わなかったようだ。

それが最近、法律事務所の求人に目が行くようになったらしい。これまでのことを考えると、娘に法律の仕事は合っているようでもあるが、法律事務所に入るのは難しい。

というのも、個人経営、共同経営、いずれにしても法律事務の経験者を求めているところが多いからである。応募率も高いようだ。債務整理を中心に手がけている法律事務所が目につく。お金になりやすいからだろう。

それにこれまで、書店とはいっても全国型書店の中小企業的な雰囲気に慣れた娘には、法律事務所という小さな形態に不安を覚えるようだ。

が、35歳までに転職を成功させるつもりであれば、この辺りで的を絞り、法律事務所の求人に有利となりそうな行政書士の資格を取り、数年かけてアプローチするのもいいかもしれないね、と娘と昨晩話していた。

行政書士のテストはわたしが大学生だった35年も昔は、法学部でなくとも受けやすい、やさしく取得できる資格というイメージだった。が、それだけ単独で持っていても何にもならないと考え、周囲で受験する人はまれだったと思う。

司法書士が行政書士も兼ねているというイメージだった。

が、改めてネットで調べてみると、行政書士ができる仕事は増えているようで、弁護士、司法書士、行政書士が仕事を奪い合っている領域さえあるようだ。勿論、どこまでできるかの内容の違いはある。

難易度も高くなっているようだ。行政書士の試験制度が大幅に改定された平成18年度以降は、 難易度のバラツキが少なくなり、おおむね6~8%で推移……とか。

ちょっと驚いて、昨日、書店で行政書士資格の参考書を見てみると、昔とどの程度の違いがあるのかはよくわからない。広く、浅く、というところは同じのようだが。

電子書籍のKDP登録の代行業に素早く手をつけたのは、行政書士だったという印象がある。電子書籍自体が儲からないとわかり、すっと熱が冷めた気配があるけれど。

娘がこの先、どうするのかはわからないが、結婚を心配しすぎることだけはやめようと思う。というのも、出戻ったり、バランスの悪い結婚をする若い人が目につくから。何だか日本社会全体のバランスがひどく崩れている、という感じがしている。

この先、娘がどうするのかはわからないが、わたしも行政書士の勉強をしたくなってきて困る。イタリア語も習いたくて困る。

困るのは、そうした勉強がわたしは嫌いではないけれど、今のわたしがそうした勉強をしても趣味にしかならないだろうという見通しの悪さとは別に(創作に役立たないとは思わないにしても)、創作からの逃避の傾向を含んでいるからだ。

歴史小説を書き出すのが億劫、怖い。物になる(お金になる)作品に仕上げたいという下心がそういう気持ちを惹き起こす。萬子媛の品性を損なわない作品に仕上げたいという思いが中心にあるにも拘わらず、世俗欲が働く。

書き始める前はいつだって、そうなるのだ。書き始めさえすれば、純粋に没頭できるのだけれど。「見る前に跳べ」と自分にいってみる。これ、オーデンの詩だったわね。

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2014年10月16日 (木)

初の歴史小説 (43)外国の影響を表している出来事を地方史からピックアップ(幕府が開かれた年から萬子媛の没年まで)

(41)で以下のように書いた。

萬子媛が12歳のころ起きた島原の乱について、BSプレミアム『英雄たちの選択』の「激突!島原の乱 天草四郎vs.松平信綱」で、「島原の乱は一地域の反乱ではなくて、全日本的な、あるいは世界に波及するような危機的要素をもっていた事件と幕府は判断していたのではないか」といっていた。

ここで、迎昭典著『鹿島市年表』(日本史、肥前国史、佐賀県史、鹿島地方史)から、江戸幕府が開かれた年から萬子媛の没年まで(1603年 - 1705年閏4月10日)、外国の影響を表している出来事をピックアップしておきたい。K(青字)は鹿島地方史。

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  • 1606(慶長ケイチョウ 11)・2月、大村藩初代藩主大村喜前,伴天連追放を命ず。
  • K1607(慶長 12)・浜にドミニコ教会建立
  • K1608(慶長 13)・鹿島に教会建立。※「年譜付録」には高松九郎右衛屋敷は切支丹屋敷。忠茂も来た,とある。
  • 1609(慶長 14)・5.30オランダ船2隻、平戸に入港。・8.22平戸オランダ商館設立
  • 1610(慶長 15)・有馬晴信、セニョーラ・ダ・グラサ(マードレ・デ・デウス)号を長崎港外に襲い沈める。
  • K1612(慶長 17)・嬉野にイエズス教会建つ。
  • 1613(慶長 18)・2.19幕府、キリスト教を禁止。・秋ごろ、鍋島氏は領内から神父らの追放を命じる。
  • 1614(慶長 19)・長崎の11教会破却。・有家、口ノ津のキリシタン45人殉教。・9.24幕府、聖マルチノ・高山右近ら、キリシタン148人海外に追放。
  • 1615(元和ゲンナ 2)・8.8幕府,再びキリスト教禁令。・オランダ・イギリスの貿易を平戸・長崎に制限。
  • 1622(元和 8)・長崎でキリシタン55人を処刑。(元和の大殉教)
  • 1623(元和 9)・11.13平戸イギリス商館閉鎖。イギリス人,日本から撤退。
  • 1626(寛永カンエイ 3)・閏4.26長崎奉行水野守信,イエズス会宣教師らを処刑。
  • 1627(寛永 4)・この年,長崎奉行水野守信,キリシタン340人を島原藩主松倉重政に引き渡し処刑させる。
  • 1628(寛永 5)・5月幕府,ポルトガルと断交(~寛永7年)・7月幕府,オランダと断交(寛永 9年)。
  • 1634(寛永 11)・この年,長崎に出島築造に着手。(1636年完成)
  • 1635(寛永 12)・幕府,外国船の入港を長崎・平戸に限定し、日本人の海外渡航・帰国を禁じる。
  • 1636(寛永 13)・5.10長崎に出島を完成し,ポルトガル人を収容。(第4次鎖国令)。・9.24ポルトガル人妻子ら287人をマカオに追放。
  • 1637(寛永 14)・島原の乱。
  • K1637(寛永 14)・島原の乱に鹿島からも田中安心(83歳)以下1,113人出兵。ただし,勝茂の命で佐賀城の守りに変更。
  • 1638(寛永 15)・原城陥落。・鍋島勝茂,軍令違反により幕府から閉門の処罰を受ける。
  • 1639(寛永 16)・鎖国令。(第5次)・ポルトガル人の来航を禁止する。・オランダ人・中国人のみ貿易許可。
  • 1641(寛永 18)・この年,長崎警護役始まる。(1643年より福岡藩と1年交代)
  • 1647(正保ショウホウ 4)・6.24南蛮船(ポルトガル)2隻長崎入港。佐賀藩兵出動8,350人。
  • K1647(正保ショウホウ 4)・鍋島直朝,はじめて長崎の警備に赴く。
  • 1655(明暦メイレキ 元)・この年,大村のキリシタン,島原で処刑される。
  • 1657(明暦 3)・大村領内のキリシタン600余人捕らえられる。(郡崩れ)
  • 1660(万治マンジ 3)・本藩主光茂病のため,直朝,名代として急遽江戸から長崎の警備に赴く。総勢700人。
  • 1673(延宝エンポウ 元)・5.25イギリス船,長崎に入港して貿易を願い出る。幕府,その要求を拒否。
  • 1674(延宝 2)・2月,キリスト教禁制の高札立つ。
  • 1685(貞享ジョウキョウ 2)・幕府,金銀の国外流出を抑えるため長崎貿易を制限する。
  • 1689(元禄ゲンロク 2)・幕府、長崎に唐人屋敷を設ける。
  • 1690(元禄 3)・ドイツ人ケンペル,出島商館医として来る。嬉野・佐賀・田代などを通る。

迎昭典著『鹿島市年表』より

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鎖国令、キリスト教禁令を出したからといって、素直に聞き入れる外国人ばかりではなかった。だからこそ、鎖国が必要だったのだろう。

そして、その鎖国は統制のとれた、こまめな警備があってこそ成り立つものだった(佐賀藩、福岡藩の1年交代でご苦労様)。

鎖国体制下では、長崎(幕府の管理下で清朝中国、オランダ)、薩摩(島津氏を通じて琉球)、対馬(宗氏を通じて朝鮮)、松前(松前氏を通じてアイヌ)という四つの窓口を通じて外交、通商が行われた。

この鎖国体制をとるためには、当然ながら、それを可能とする防衛力が必要だった。例えば、鎖国:Wikipediaには、延宝元年(1673年)のリターン号事件について、「イギリスとの交易の再開を拒否。以降100年以上、オランダ以外のヨーロッパ船の来航が途絶える」とあるが、『葉隠』を読むと、そのとき、多人数が出張を命じられて警備についたことが詳しく書かれていて、興味深い。

イギリス船3隻が無事に引き上げなかった場合は、乗っ取るか打ち沈める必要が出てくるが、そうする場合、あるいはそれがうまくいかなかった場合にどう対処するか、船団の配置、武器、合図、船上における作法、報告について……など、「軍令」として細かい指示が出されている。ご苦労様といいたくなる大変さであった。

東洋の他の国々が植民地になったことを考えると、幕府の判断、賢明だったのではないかと思えるが、以下の本を読んでみたい(図書館にあるかしら?)。

イエズス会の世界戦略 (講談社選書メチエ)
高橋 裕史(著)
出版社: 講談社 (2006/10/11)

キリシタンの世紀――ザビエル渡日から「鎖国」まで (岩波人文書セレクション)
高瀬 弘一郎(著)
出版社: 岩波書店 (2013/10/25)

ところで、これって……「1637(寛永 14)・島原の乱に鹿島からも田中安心(83歳)以下1,113人出兵。ただし,勝茂の命で佐賀城の守りに変更」

83歳で出兵って……リーダーが年寄りすぎて、佐賀城の守りに変更? 全員年寄りだったりして(怖いわ)。

90過ぎて出兵した龍造寺家兼にしろ、80歳で断食入定した萬子媛にしろ……昔の人の老人パワーが凄い!

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2014年10月15日 (水)

今秋初のボルシチ。「完熟トマトのマリナーレ(セミドライトマト)」をのっけたサラダ。張った根に困惑の初の歴史小説。

Borsch20141014_2

昨日の夕飯が今秋初のボルシチでした。なぜかボルシチを作ると、写真を撮らなくてはならない気持ちになります。

でも、この記事の主役はサラダ。

キャベツとキュウリのせん切りに、デパートのイタリア展で買った「完熟トマトのマリナーレ(セミドライトマト)」、刻んだ「ミラノ風アンチョビグリーンオリーブ(バジル風味)」を散らし、レモン汁をたっぷりかけ、さらにオリーブオイルをかけて、軽く塩を振り、胡椒も振って、いただきました。

ちょっと見えている黄色いものは、中がとろりとした小さめのオムレツです。

肉と魚が交互にやってくる――交互にメインに使っているというだけの話――我が家の夕飯。昨日がお肉だったので、今日はお魚。

明日は、沢山買いすぎた――2束くくってあって安く綺麗だった――セロリを使いたいので(ボルシチにも使いましたが、生は全員苦手)、ミートソースでもしようかなあ。炒めたり、煮込んだりしたら、ぐっと食べやすくなり、煮込みには爽やかさをプラスしてくれます。

今日はアジの干物(長崎産で、結構デカい。一度にオーブンレンジで焼けるだろうか)と大根おろし、かぼちゃと油揚げの煮物、うーんと味噌汁と、それから……サイドディッシュをもう一品、何にしましょ?

ゴボウ、ピーマン、白菜、白葱を1本、使い切りたいです。保存容器で水に浸かっている干し椎茸は、明日のミートソースに入れても美味。

そういえば、過日、うっかり買いすぎた豆腐に困り、冷凍しました。解凍し、高野豆腐を煮る要領で煮ました。

高野豆腐に比べると、わたしはもう一つだと思いましたが、夫は気に入り、高野豆腐より好きなくらいだそうで……。いずれにしても、買いすぎたときは冷凍もありだと思った次第。

○o。+..:*○o。+..:*○o。+..:*

今日中に、できれば、初の歴史小説の記事を更新したいところ。

江戸時代初期、外圧に対処するために、幕府は肥前国からどう動員したかを考察するはずが、そこまでいかずに、萬子媛存命中の天皇、将軍をウィキから抜粋するだけで終わってしまったので。

こうトロトロ進めるのも今月まで。来月になったら、否今月中にでも、嫌でも書き始めなくてはなりません。書ける気がしませんわ。

5編書く予定の1番目の短編小説で、ストーリーは出来上がっており、発見もあって、出来はともかく、自分なりの小説が書けると思っていますが、迷っているのは肉付けの部分です。

肉付きがよすぎてデブちゃんになっても困るし、痩せすぎて貧相になるのも困ります。最初に真ん中のパズルを選んだつもりが、それを気軽に取ろうとすると、ぬぬ……四方八方に根が張っていた、という困惑があります。その根を綺麗に引き抜くか、ぶった切るかで、残りの短編が違ってくるでしょうね。

慣れない歴史小説。失敗覚悟で、とにかく書くしかないのですけれどね。書くうちに慣れるはず。

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初の歴史小説 (42)萬子媛の存命中に在職した徳川将軍、在位した天皇

萬子媛(祐徳院)は1625年に生まれ、1705年閏4月10日に没した(80歳)。以下、Wikipediaから、萬子媛の存命中に在職した徳川将軍、在位した天皇をメモしておく。

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徳川将軍。

3代、徳川家光(江戸前期)
 在職29年:元和9年 ​(1623年) ​7月27日 - 慶安4年 ​(1651年) ​4月20日

4代、徳川家綱(江戸前期)
 在職30年:慶安4年 ​(1651年) ​8月18日 - 延宝8年 ​(1680年) ​5月8日

5代、徳川綱吉(江戸前期 - 中期)
 在職30年:延宝8年 ​(1680年) ​8月23日 - 宝永6年 ​(1709年) ​1月10日

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曾祖父・後陽成天皇、、萬子媛を養女とした祖母・清子内親王、大叔父・後水尾天皇。後陽成天皇は萬子媛が生まれる以前に崩御。

○o。+..:*○o。+..:*○o。+..:*

後陽成(ごようぜい)天皇
 元亀2年12月15日(1571年12月31日) - 元和3年8月26日(1617年9月25日)45歳
 安土桃山から江戸初期の第107代天皇(在位25年:天正14年11月7日(1586年12月17日) - 慶長16年3月27日(1611年5月9日))。
 諱を和仁(かずひと)といい、後に周仁(かたひと)と名乗った。
  第三皇女:清子内親王(1593-1674) - 鷹司信尚室
  第三皇子:政仁親王(後水尾天皇)

後水尾(ごみずのお)天皇
 慶長元年6月4日(1596年6月29日) - 延宝8年8月19日(1680年9月11日)84歳
 第108代天皇(在位19年:慶長16年3月27日(1611年5月9日) - 寛永6年11月8日(1629年12月22日))。
 諱を政仁(ことひと)。

明正(めいしょう)天皇
 元和9年11月19日(1624年1月9日) - 元禄9年11月10日(1696年12月4日)72歳
 第109代天皇(在位11年:寛永6年11月8日(1629年12月22日) - 寛永20年10月3日(1643年11月14日))。女帝。※称徳天皇以来859年ぶりに女帝が誕生したが、治世中は後水尾上皇による院政が敷かれ、明正天皇が朝廷における実権を持つことは何一つなかった。
 幼名は女一宮、諱を興子(おきこ)。

後光明(ごこうみょう)天皇
 寛永10年3月12日(1633年4月20日) - 承応3年9月20日(1654年10月30日)21歳
 第110代天皇(在位11年:寛永20年10月3日(1643年11月14日) - 承応3年9月20日(1654年10月30日))。
 幼名を素鵞宮(すがのみや)、諱を紹仁(つぐひと)。
 反幕府的な態度をとっていたともいわれるが、その反面で幼少から学問を好み、特に儒学や漢学を尊重して、これを奨励。在位中は朝儀復興に心を砕いており、正保3年(1646年)に神宮例幣の儀の再興を果たした。突然の崩御は武家側による毒殺説がある一方、前年から体調を崩しており、廷臣達と末弟の識仁親王(後の霊元天皇)を養子に迎える相談をしていたとする記録もある。

後西(ござい)天皇
 寛永14年11月16日(1638年1月1日) - 貞享2年2月22日(1685年3月26日)47歳
 第111代天皇(在位9年:承応3年11月28日(1655年1月5日) - 寛文3年1月26日(1663年3月5日))
 幼名を秀宮、諱を良仁(ながひと)。花町宮。花町殿。
 もっぱら学問に打ち込み、『水日集』などの著作を多数残している。和歌の才能もあり、古典への理解も深かった。治世中には伊勢神宮・大坂城・内裏などの炎上や明暦の大火、地方の地震、水害などが多発。

霊元(れいげん)天皇
 承応3年5月25日(1654年7月9日) - 享保17年8月6日(1732年9月24日)78歳
 第112代天皇(在位25年:寛文3年1月26日(1663年3月5日)- 貞享4年3月21日(1687年5月6日))。
 幼名を高貴宮(あてのみや)、諱を識仁(さとひと)。「仙洞様」と呼ばれるよばれることが多い(長らく院政を敷いたため)。
 治世の最初は父である後水尾法皇に院政を敷かれていたが、延宝8年(1680年)、後水尾法皇の崩御後は直接政務を執った。霊元天皇は父の遺した路線を一歩進めて皇室再興と独自の政策展開を目指したために幕府と距離をとることが多く、この時代、「親幕派」と認められた公卿は徹底的に冷遇された。「小倉事件」。

東山(ひがしやま)天皇
 延宝3年9月3日(1675年10月21日) - 宝永6年12月17日(1710年1月16日) 34歳
 第113代天皇(在位23年:貞享4年3月25日(1687年5月6日) - 宝永6年6月21日(1709年7月27日)。
 幼名を五宮、諱を朝仁(あさひと)。追号の「東山」は陵所泉涌寺の山号に因む。
 長く廃絶していた大嘗祭の儀式を復活させた。この背景には朝儀復活や王政復古運動に尽力していた父・霊元天皇の意向が強く働いていた。東山天皇の治世は23年に及ぶが、その全期を通じて父・霊元上皇が院政を敷いた。
 東山天皇の在位期間はいわゆる元禄時代に相当し、犬公方とよばれた徳川綱吉の将軍在職期間と重なっている。徳川綱吉はことのほか皇室を敬ったため、朝廷と江戸幕府との関係はおおむね良好に推移していた。この結果、御料(皇室領)は1万石から3万石に増え、山稜の大幅修繕なども実現した。次の将軍徳川家宣は近衛基熙の娘婿にあたり、東山天皇−近衛基熙−徳川家宣のラインの完成によって朝幕関係はもっとも安定した時期を迎える。

○o。+..:*○o。+..:*○o。+..:*

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2014年10月13日 (月)

豚肉とアスパラガスのグリル。バラッティミラノの量り売りスイーツ。

ひひひ……か、買わずにはいられなかった!

バラッティミラノの量り売りスイーツ。極上のチョコやヌガーが無造作に散らかしてありました。10g、150円です。娘とふたりで買って(各人1,800円くらい買ったので、何と4,000円ほどの散財)、夫と3人できっちり分けました。高価なので、8粒ずつ。

わたしはダイエットを5月から続けているため、日を空けて、ひと粒ずつ楽しむことにしました。それを、なぜか、他の2人も真似るのです。ここのスイーツの美味しさに全員心酔しており、もったいなくて、一度に食べてしまえなくなっているのです。

20141011ba2

ヌガーひと粒、チョコひと粒食べました。

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写真撮影のために、ナイフで切ってみました。白い断面に、ナイフのギザギザがつけた筋が入りました。このミルククリームが何とも美味。

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わたしはKindleストアに出している『すみれ色の帽子』という電子児童書の中で、神秘的な牛を出しました。その神秘的な牛のお乳で作ったんじゃないかと思ったくらいでしたよ。いや、ホント。

ダイエットをずっと続けているような暮らしですが、たまに食べるスイーツだから、特に美味しく感じるのかもしれません。一度に食べてしまいたい気もしますが、もう体が重くなるのは嫌なの。勿論健康のためというのもありますが。

昨晩作った豚肉のグリルが美味しかったので、それも写真をアップしておきます(ちょっとボケていますが)。グリルで焼くと、脂が溶けて下に落ちるので、ヘルシー感があります。

筋切りをし、水気を拭いた豚ロースに塩胡椒、タイム、オリーブオイルを揉み込んで、しばらく置き、グリルで焼くだけ。太めのアスパラガスにも(普通のアスパラの3本分くらいはありました)塩を振り、オリーブオイルをかけて、一緒に焼きました。

Pork4

焼けたお肉の外はこんがり、中は柔らか。

そのままでも充分美味しいですが、石川県畜産協会のレシピ『豚肉のグリル~サワークリーム添え』のソースが美味しそうだったので、参考にさせていただきました。

白いものがそのソースで、サワークリーム大さじ6、ポン酢大さじ2、わさび小さじ2を混ぜ合わせたものです。アスパラガスにつけても美味しかったです。

オリーブは、バラッティミラノのスイーツを買ったデパートのイタリア展のオリーブマーケットで買ったお総菜です。

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『卑弥呼をめぐる私的考察』をお買い上げいただき、またKU/KOLから『すみれ色の帽子』をお借りいただき、ありがどうございます!

10月5日ごろ、『卑弥呼をめぐる私的考察(Collected Essays, Volume 3)』(ASIN:B00JFHMV38)をお買い上げいただき、またKU/KOLから『すみれ色の帽子』(ASIN:B00FB4K0X2)をお借りいただき、ありがどうございます!

『卑弥呼をめぐる私的考察』は、4冊目のお買い上げでした。

サンプルをダウンロードできます。
      ↓

同じ評論・エッセイシリーズに入っているKindle本です。サンプルをダウンロードできます。
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『すみれ色の帽子』をKU/KOLからお借りいただいたのは2冊目でした。KU/KOLというのは、KDPセレクトグローバル基金の分配の対象となる、Kindle読み放題(KU)プログラムおよびKindleオーナーライブラリー(KOL)からの貸し出しをいいます。これまでにお買い上げいただいたのは6冊です。

サンプルをダウンロードできます。
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田中さんちにペガサスがやってくる物語。サンプルをダウンロードできます。
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101円~102円の児童書シリーズです。サンプルをダウンロードできます。

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2014年10月12日 (日)

『詩人の死』『気まぐれに芥川賞受賞作品を読む』をお買い上げいただき、ありがとうございます!

『詩人の死』(B00C9F6KZI)、『気まぐれに芥川賞受賞作品を読む 2007 - 2012(Collected Essays, Volume 2)』(ASIN:B00J7XY8R2)を10月4日ごろ、お買い上げいただいたようです。ありがとうございます!

『詩人の死』は3冊目、『気まぐれに……』は9冊目のお買い上げでした。

どちらも、サンプルをダウンロードできます。
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最近、台風がよくやってきます。九州に接近しているようです。

台風被害で借家が壊れたときのことは、忘れられません。平成16年秋の出来事でしたから、ちょうど10年経過したわけですが、昨日のことのように生々しい記憶です。

台風のピーク時には風の音が凄まじく、その音のため、他の物音が聴こえなくなりました。そうなると、何かを考えることが難しくなります。というのも、心の中のつぶやきさえ、風の音に封じられたかのように、聴こえなくなったからです。そんなことが起きるとは、それまで思ったことがありませんでした。自分で自分の考えを形にできない恐怖の時間でした。

台風体験を小説にせずには、いられませんでした。以下は、Kindleストアに出した本の内容紹介の一部です。

「もの凄い風圧に家と共に耐えるだけで、母子が何も考えられなくなってほどなく、爆音――としか思えない音――が轟いた。家が回転するように大きく揺らいだ。
 午前11時48分。このとき日田で、大分地方気象台が観測史上最大となる最大瞬間風速50・2メートルを記録していた」

物語の舞台は大分県日田市。登場する長沢一家は四人と一匹で、世帯主の功(いさお)、妻の央子(ひさこ)、長男の亘(わたる)、長女の美亜(みあ)、ジャンガリアン・ハムスターのフレーズ。

〈目次〉
第一章 古びた大きな借家
第二章 白蟻事件
第三章 家庭問題
第四章 平成十六年、台風第十八号の上陸
第五章 風速五○・二メートルの恐怖
第六章 損壊した借家
第七章 人間模様
第八章 夫婦
第九章 損害賠償の請求と長男
第十章 引っ越し

台風 [Kindle版]
直塚万季
出版社: ノワ出版; 4版 (2013/12/2)
ASIN: B00BI55HV8

サンプルをダウンロードできます。
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初の歴史小説 (41)普茶料理(黄檗料理)と有田焼(伊万里焼)・鍋島焼

(40)で、ウィキペディアから以下の文章を引用した。

隠元隆琦:Wikipedia

隠元には、後水尾法皇を始めとする皇族、幕府要人を始めとする各地の大名、多くの商人たちが競って帰依した。

これと関連するものとして、このノートではやはりウィキペディアから以下の二つの文章を引用しておきたい。

普茶料理(黄檗料理):Wikipedia

江戸時代初期の1654年、中国(現在の福建省)の禅僧隠元隆琦が来日。1661年には山城国宇治(京都府宇治市)に萬福寺を開き、禅宗の一つである黄檗宗の開祖となった。隠元は、中国式の禅文化を日本に伝えるとともに、インゲンマメ、孟宗竹、スイカ、レンコンなど、さまざまな品を日本へもたらした。その時一緒に伝わった当時の「素菜」(スーツァイ、いわゆる中国式の精進料理)が普茶料理である。「普茶」とは「普(あまね)く衆人に茶を施す」という意味であり、法要や仏事の終了後に僧侶や檀家が一堂に会し、煎茶などを飲みながら重要事項を協議する茶礼に出された食事が原型となっている。
(……)
こうした普茶料理は、異国情緒を味わうものとして黄檗宗の寺院ばかりでなく、料理屋や文化人など、民間でも広く嗜まれた。

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鍋島焼:Wikipedia
藩直営の窯では藩主の所用品や将軍家・諸大名への贈答品などの高級品をもっぱら焼造していた。

有田を中心として焼かれる磁器は有田焼と呼ばれるが、伊万里港から積み出されていたため、伊万里焼とも呼ばれる。これらとは別に、大川内山にあった鍋島藩直営の窯で焼かれた献上用の高級磁器は鍋島焼と呼ばれた。

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上の3枚は、お借りしたパブリックドメインの写真。

こうして三つの引用文を並べてみると、はっきりする。

萬子媛が生きていた江戸初期から中期にかけて、黄檗宗が流行り、人々は普茶料理に親しんだ。そして、佐賀藩の有田で焼かれた磁器及び献上用の鍋島焼は、普茶料理に使用されたであろう。

  • 2014年5月24日 (土)
    初の歴史小説 (31)『葉隠』 ②山本常朝の父は有田皿山(窯場)の代官
    http://elder.tea-nifty.com/blog/notes_7/index.html

    萬子媛の次男は、光茂に仕え、佐賀に住み、光茂の信頼厚く「親類同格」の扱いを受けていた。しかし21歳で亡くなり、このことが萬子媛を慟哭させ、出家の動機となった。その宗教は黄檗宗であった。
    光茂は黄檗宗、煎茶道と関係が浅いとは考えられないし、伊万里焼とも関係が深い。伊万里焼との関係の深さは、元禄6年(1693年)、光茂が有田皿山代官に与えた手頭(指示書)からも明らかである。
    煎茶は極上のやきものに注がれたのだ。

鍋島藩で焼かれた磁器は、江戸時代に花開いた黄檗文化の形成に深く関係していたといえる。

わたしは胡麻豆腐が大好きなのだけれど、この胡麻豆腐は代表的な普茶料理の一つという。「麻腐」(マフ)というらしい。

煎茶も、胡麻豆腐も、日本文化に溶け込みすぎていて、黄檗宗に育まれたものだとは知らなかった。

煎茶道:Wikipedia

煎茶道(せんちゃどう)は、広義には茶道の一種。ただし、一般的には茶道は抹茶を用いる抹茶道を指すことから、急須等を用いて煎茶や玉露などの茶葉に湯を注いで飲む形式を採る煎茶道は、茶道とは別のものとして捉えられている。

日本における歴史
日本における煎茶道の開祖は、江戸時代初期に禅宗の一つである黄檗宗を開いた隠元隆琦とされている。このことから、現在も全日本煎茶道連盟の事務局は京都の黄檗山萬福寺内に置かれ、同連盟の会長は萬福寺の管長が兼務することが慣わしとなっている。
この頃既に茶道の世界において形式化が進みつつあったことへの反発に加え、煎茶自体が当時最新の中国文化であったことなどから、形式にとらわれずに煎茶を飲みながら清談を交わすいわゆる「煎茶趣味」が文人の間で急速に広まった。江戸中期になると売茶翁により、それまで中国文化の模倣の域を出なかった煎茶趣味の世界に独自の方向が示され、さらに煎茶は江戸や京都・大坂を中心に上流階級に広く普及した。

今、萬子媛の大叔父に当たる後水尾天皇に関する本、『後水尾天皇 ――千年の坂も踏みわけて――』(久保貴子著、ミネルヴァ書房、2008年)を読んでいるところ。

よく書かれた本。やはり幕府と後陽成天皇・後水尾天皇父子との確執が印象的だ。幕府の態度がひどく陰湿に映る。

そして、父は子にそのことで八つ当たりしたようでもある。危篤状態となった父の手をとり、子の天皇が言葉もなく、ただ涙を流す場面には心を打たれるのだが……。

この本は読んでしまわなくてはならない。

萬子媛が12歳のころ起きた島原の乱について、BSプレミアム『英雄たちの選択』の「激突!島原の乱 天草四郎vs.松平信綱」で、「島原の乱は一地域の反乱ではなくて、全日本的な、あるいは世界に波及するような危機的要素をもっていた事件と幕府は判断していたのではないか」といっていた。

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2014年10月11日 (土)

村上春樹と大麻

「村上春樹 大麻」の検索ワードで当ブログにお見えになった方々があったので、ググってみると、以下の記事が出てきた。

  • 村上春樹 酩酊した「ドイツ“大麻”パーティ」の一部始終
  • 仰天! 村上春樹が大麻パーティに参加していた! 酩酊写真も流出

これらの記事によると、それは昔のことであり、また春樹が日本で大麻を吸うことはないそうだ。

今、こうしたことについてきちんと調べたり、書いたりしている時間がないので、少し、雑感だけ。

黒っぽい霧のようなオーラを発散している、催眠性のある小説群だと感じ(わたしの妄想と思っていただいても結構だが)、その流行に危機感を覚えてきたのだが……。

大麻と親和性のありそうな作風に、ハーメルンの笛吹き男のイメージが重なる。

ソフトドラッグを煙草やお酒の害と比較して、合法とすべしと主張する記事を複数読んだが(反対する記事はもっと沢山読んだ)、わたしは絶対に反対で、神秘主義者として書きたいことがある。

正統的な神秘主義の本で、煙草、お酒、麻薬をすすめている本などない。厳格に禁じている。現代科学では知られていない理由があるからだ。

無理のないウォーキングやダイエットでも、ハイになることはできる。良質の高揚感だと思う。

わたしは前世で修行したという記憶を少しだけ保持している神秘主義者で、おそらくはその前世の修行体験が手伝って今生で自然に拓けた感覚により、恍惚となるほどにすばらしい内的な体験をすることがまれにあるのだが、それはあの世に行くまでの楽しみとしてとっておいてもよいと思うことがある。

ましてや、薬物を用いてすばらしいと感じられる体験をしても、所詮、それは幽界体験にすぎないと思われる。麻薬には、高揚感をもたらす状態から悪夢をもたらすオゾマシイ状態へと暗転させる作用があるようだが、高級世界の体験ではそれは考えられないことだからである。

勿論、そもそもが薬物を用いて体験できる高級世界などない。

幽界は主観的な、半物質的世界であり、地上界の延長線上にあるといわれる(場所としてではなく、状態として)。

幽界は、日本神話では黄泉、ギリシア神話ではハーデース、エジプト神話ではアメンティ(沈黙の影の国)、サンスクリットではカーマ・ローカ(ローカは存在世界、カーマは欲望)、スコラ哲学ではリンボ界、神智学ではアストラル界ともいう。

幽界的事象に、神秘主義的意味合いで霊的という言葉を使うことはできない。

仮に、時々ほどほどの快適な体験をする程度で済むとしても、薬物でよい思いをしたいという依存性は霊媒体質を作りやすくする。霊媒体質になれば、どんな危険に巻き込まれるかわからない。

最近流行っているらしい前世療法などの催眠療法についても、わたしは心配だ。正統的な神秘主義ではこれは黒魔術に分類される。

こうしたことについて、きちんと書くとなると、時間がかかりそうだ。

初の歴史小説を優先すべきか。ちょっとニュースやアクセス解析をチェックするつもりが、そのたびに変わったニュースや情報が飛び込んできて、気をとられてしまう。

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10日に、循環器クリニック受診。オススメKindle本『漱石大全』『泉鏡花大全』。

ダイエットをしてから体調がよく、ミオコールスプレーを使ったのは1回のみ。看護師さんに報告するとき、何となく得意な気持ちになった。体重も理想的に維持できている。

まあ相変わらず体力はないが、それは心臓の負担を減らすために、薬でわざと機能を落としていることから来ている部分が大きいと思うので、仕方のないことだ。

血圧測定のとき、看護師さんから「血圧が90と6?と低いけれど、フラついたりしない?」と訊かれた。このときは低いとは感じなかったが、相当に低いと感じる日があって、馬鹿に眠いことがある。

この街に引っ越してきて10年になり、薬が増えるにつれ、血圧が下がっていった。10年前は下が100~110くらいのときが珍しくなかった。

低いぶんには、よほど低くてフラつく場合以外の心配は要らないようだ。むしろ、少しでも高いと、警戒される。

前々回くらいだったか、めずらしく下が90くらいで、上が13?だったときは、それくらいでも、「今日は少し高いわね」と警戒された。30代のとき、それくらいだったので、今が低すぎるだけだと思うが、下が110くらいになると、胸が重い気のすることがある(今は低すぎることが多いので、めったにない)。

「ノーベル文学賞はムラ……ムラ……ええっと、とれなくて残念だったね~!」と先生。「村上春樹ですね」とわたし。「僕は、Nさんがノーベル文学賞の候補にあがっているんじゃなんいかとドキドキしてテレビを観ていたよ」と先生。

わたしは笑ったが、無邪気な冗談をおっしゃる先生を、ちょっとつねりたくなった。そして、村上春樹は候補ではなく、推薦が受理されただけの話だと教えたかったが、よした。

というのも、先生は午前中の大量の患者の診察で、ひじょうにお疲れだったはずだから。わたしは午前中の診察の最後のほうだった(午後は静脈瘤の手術となっていた)。

温かな冗談、ありがたいと思った。

脈は「リズムは乱れていない」と先生。聴診のあとで、「フルタイドは足りている?」と先生。そう、最近どちらかというと調子の悪いのは喘息のほうなのだが、一晩苦しんだり、窒息するような恐怖を感じるまでの発作はない。

この日も朝、フルタイドを吸入していったのだが、空気の具合なのか、緊張という精神的な原因からか、咳が止まらなくなったので、慌てて、のど飴を口に入れ、マスクをした。それでOKだったが、喘息気が残っていたのかも。

過去記事で、来年、夏目漱石の評論を書きたいと書いたが、代表作をざっと読み返していたら、『道草』だったかに、主人公の姉の喘息の場面が出てきて、昔の喘息患者は苦しかっただろうなと思った。

フルタイドもメプチンエアーも使えないとなると、わたしなんか、もうどうしてよいかわからない。

実際、姉の発作の場面は如何にも苦しそうで、克明に漱石は描いている。漱石の小説には病人の克明な描写はよく出てきて、若いころのわたしはその描写に感心しながらも辛気臭い気がして苦手だった。

ところで、200円でKindleストアに出ていた『漱石大全』に重宝している。青空文庫から84作品が収録されている。青空文庫のKindle版をかなりダウンロードさせていただいているが、まとまって収録されている大全は大変便利。

わたしはこのシリーズで『泉鏡花』も購入した。169作品が収録! これだけ入っていても鏡花は多作だから、入っていない有名な小説もあるが、そこまで望むのは欲深というもの。ほぼ網羅しているのだから。

浴びるほど漱石、鏡花を読める本が、どちらも200円! 夫が収集した鏡花選集をありがたく読んできたが、旧字体で、1冊が重いため、最近は取り出して読むのがちょっと億劫になってきていた。

体調が悪くても、老眼・近眼が進んでも、文字サイズを大きめにして横になって読書三昧できるKindle Paperwhiteが手放せなくなったこのごろ。特に高齢の方々におすすめしたい。

漱石大全 [Kindle版] 
夏目漱石 (著)
出版社: 古典教養文庫; 2版 (2013/11/29)

泉鏡花大全 [Kindle版] 
泉鏡花 (著)
出版社: 古典教養文庫; 2版 (2014/1/13)

あれ、受診記録のはずが、文学の記事になってしまった。

心臓の薬

  • インデラル錠10㎎ 1回1錠 毎食後
  • ニコランジル錠5㎎「サワイ」(先発品:シグマート錠5mg) 1回1錠 毎食後
  • サンリズムカプセル25㎎ 1回1Cap 毎食後
  • ジルチアゼム塩酸塩徐放カプセル100mg「日医工」(先発品:ヘルベッサーRカプセル100mg) 1回1Cap 朝・夕食後
  • 一硝酸イソソルビド錠20㎎「タイヨー」(先発品:アイトロール錠20mg) 1回1錠 朝・夕食後

腎臓・尿管結石の薬
ウロカルン錠225㎎ 1回3錠 毎食後 20日分⇒⇒薬が余っているので、今回はそれを使うことに。

喘息の薬
フルタイド200ディスカス(ステロイド剤) 1個 吸入

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2014年10月10日 (金)

ノーベル文学賞は、フランスの作家パトリック・モディアノ氏

ノーベル文学賞が昨日、発表になった。

受賞したのはフランスの作家パトリック・モディアノ氏。

いつだったか、娘と書店の海外コーナーで、『失われた時のカフェで』を手に取り、面白そうねえと話した本の著者だ。

結局話しただけで忘れていた。そのうち図書館から借りて読んでみたい。

失われた時のカフェで
パトリック・モディアノ   (著),    平中 悠一 (翻訳)
出版社: 作品社 (2011/5/2)

暗いブティック通り
パトリック・モディアノ   (著),    平岡 篤頼 (翻訳)
出版社: 白水社 (2005/5/25)

ノーベル賞受賞作家について、もっと知りたい読書家だって少なくないのではなかろうか? NHKで、モディアノ氏の特集を組んでほしいと思う。

人類が文学でどれだけのことをなしうるのか――そんな視点で紹介されるだけで、日本の雰囲気が少しは変わる気がしてしまう。

ノーベル文学賞と村上春樹を安直に結びつけた馬鹿騒ぎには、もう、うんざり。ノーベル賞を、よい作家を知るための情報源の一つとして見ることしか、わたしにはできないから。

ノーベル文学賞が純文学作家から選ばれる理由……他の分野を見れば自ずとわかるが、文学には人間に関する――また、人間が惹き起こす現象に関する――研究の一分野としての側面があるからではないだろうか。

ノーベル文学賞作家が、単に楽しく読める作品を書く、売り上げが凄いといった観点から選ばれていないことは確かだろう。ノーベル文学賞には政治的偏りがあることをいわれたりもするが。

ノーベル賞がまずは推薦から始まり、それがどのような形式でなのかを、わたしは憲法9条騒ぎで知った。日本での馬鹿騒ぎに、損得勘定が凄く働いている気がしていたが、それは推薦者たちの稟性の問題だったわけだ。

憲法9条騒ぎというのは、ノーベル平和賞に、ある人々が憲法9条を保持する日本国民を推薦した出来事である。

その出来事に対して、安倍首相と石破氏は、警戒しつつも自らを抑えた、上品な対応だったようだ。以下、Yahoo!ニュースより一部引用。

Yahoo!ニュース:時事通信 10月10日(金)11時57分配信

石破氏が隣席の首相に「9条が受賞したら誰がもらうのか。政治的ですよね」と水を向けると、首相も「結構、政治的ですよね」と応じた。

文学賞をお祭り騒ぎやギャンブルに貶める人々には、「物欲的ですよね」で済むが、村上春樹騒ぎには左派の思惑が絡んでいて、これも「結構、政治的ですよね」といえる現象であることは明らか。

何にしても、ノーベル賞の候補者や選考過程については、50年間の守秘義務があるそうだから、下馬評で騒いでいるだけのことなのだ。

サンプルをダウンロードできます。
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『村上春樹と近年のノーベル文学賞作家たち』をお買い上げいただき、ありがとうございます!/創作について

『村上春樹と近年のノーベル文学賞作家たち(Collected Essays 1)』(ASIN:B00BV46D64)をお買い上げいただき、ありがとうございます! 

10月2日ごろ、お買い上げいただいたようです。

 『村上春樹と近年のノーベル文学賞作家たち』は27冊目のお買い上げでした。

  • 日本……15冊
  • アメリカ……11冊
  • ドイツ……1冊

さすがに昨日はいつもより100~200アクセス多かったです(アクセス解析によって違います)。でも、何千単位で増えたころと比べると……。

ノーベル文学賞については、次の記事で簡単に。今日は循環器クリニックの受診だったので、疲れていてあまり書けません。病院とか学校って、行っただけで、凄く疲れますね。

初の歴史小説ノートが書きかけ。それに、まず短編を5編ほど書く予定なので、ノート取りと並行して最初の小説に入りたいと思っているのですが、歴史小説は初めてとあって、文章がうまく出てきません。

また、夏目漱石について、来年100枚程度の評論を書きたいと考え、代表作をざっと読み、執筆計画を立てたりしていたために、よけいに時間がなくなりました。夏目漱石の面白さと物足りなさについて、ざっと分析していました。

Notes:夏目漱石 (1)を書いたので、それだけでもアップしておきたいところです。

サンプルをダウンロードできます。
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2014年10月 9日 (木)

2014年10月7日に、整形外科受診

半年間隔で経過観察を受けている整形外科へ、7日に出かけた。日赤は予約制なので、行きそびれると大変なことになる。

が、半年ごととなると、先生のご都合などで予約日が変更になることもある。今回もそうで、余裕を持たせて外来から診察日変更の電話連絡があった。本来は8日だった。

良性と思われる骨腫瘍の丁寧な触診と、骨腫瘍とは無関係に少し不具合のある関節に水が溜まっていないか、ぐっと膝を掴まれて診察(たぶん、問題があると飛び上がる。時折なさる先生の唐突な動作がわたしは怖い)。

次回の受診も半年後の予約だが、今後は、痛みや他に問題が起きれば、診察のときに先生にいって、そのときにレントゲンを撮って貰うことになった。なるべくレントゲンを撮るのは控えたほうがよいという先生のお考えから出たことで、変わったことがなければ、そのほうがいいとわたしも思う。

ただ、たまには骨腫瘍が増えていないか、どの程度大きくなっているかなど、レントゲン検査を受けたい気がする。脳神経外科でも、その辺りのチェックを――頭蓋骨にあるのは3個だったかな――そろそろして貰わなくてはならない。

内科で副甲状腺の経過観察を受けており、副甲状腺が骨関係に影響していないかどうか、整形外科で内科のカルテをチェックされる。

そのとき先生が「糖尿病はI先生に診て貰っているんだね?」とおっしゃった。

「え、ああそれはまだグレーゾーンで、一応診ていただいていますが。副甲状腺ホルモンのチェックが主です」というと、先生は無言。

ダイエットなどし、食事の管理ができているので、今はグレーゾーンだが、正常域に戻れるかもしれないと内科の先生も循環器クリニックの先生もおっしゃった。

が、カルテ上は糖尿病患者扱いみたいだ。その心構えでいなければならないのだろうか。となると、コンタクトレンズを購入するときにサボりがちな眼科検診はむしろ、積極的に受けるようにすべきかもしれない。

糖尿病となると、目にくることのあるのが、わたしは一番心配だ。眼科を受診するときは、糖尿病患者であると告げてよく診ていただこう。

ちょっと病気関係を整理しておこう。

● 心臓は、不整脈心臓弁膜症冠攣縮性狭心症
冠攣縮性狭心症に関しては、カテーテル検査を受けるまでもないということで、カテーテル検査は受けていない。カテーテル検査は危険を伴い、検査のせいで心臓がおかしくなることもあるそうだ。
それに、わたしの場合は不整脈の薬を服用する関係で、仮に検査したとしてどんな結果が出るにせよ、冠攣縮性狭心症予防の薬を飲まなければならないという。そこまでいわれると、受ける理由がなくなった。循環器クリニックの先生も、日赤に副甲状腺で検査入院したときに診察を受けた循環器科の先生も同意見だった(クリニックの先生を名医と崇拝していらした、といえばオーバーかな)。

喘息は、インフルなどにかからなければ、フルタイドだけでいける。

● 頭蓋骨と両膝にある複数の骨腫瘍は経過観察していただくしかない。

副甲状腺機能亢進症疑いでの経過観察は続けて貰う必要がある。
長い経過をとる病気だそうだ。副甲状腺ホルモンは高めだが、カルシウムは上限に留まっている。これが大きく動くと副甲状腺の手術を受けることになるのだろうが、手術で改善できる、それほど怖くない病気といえる。

腎臓結石はウロカルンを飲み出してから、痛い症状が起きない。
あまり効かないと聞いたが、わたしには効くようだ。これも、ほとんど命に関わる病気ではないようだが、石が尿管に落ち、移動して尿と一緒に排泄するまでの痛みには閉口していたので、痛まなくなって嬉しい。ウロカルンには副作用の心配もほとんどないという。

薬剤性肝炎は原因となった薬剤の特定ができていないので、ずっと注意が必要だ。新しい薬が出たときは2週間後に必ず循環器クリニックで肝炎を調べる血液検査を受けるようにと大学病院の先生から怖い顔で刻印された。

子宮筋腫。閉経すれば小さくなるといわれたので、小さくなっているんじゃないかと想像している。時々微量の不正出血? と思われるものがあるが、尿管結石のせいかもしれない。一度婦人科を受診したほうがいいかもしれないが、億劫だなあ、あの科の受診は。

○ 過去に検査、治療を受けていたが、現在では問題がなくなった病気は、慢性膵炎、メニエール(低下した片耳の聴力は戻っていないと思うが、回転性のめまいはずっと起きていない。不整脈が原因と思われるめまいはある)。

ここへ糖尿病が加わるの? 

何にしても、グレーゾーンから正常域への復帰を期待して、食事に気をつけよう。ダイエットを始めてから、一応終了した今も間食はゼロといってよいくらいだが、ダイエット終了時と変わらない体重を維持できているので、たまには娘とお茶を楽しむくらいはいいんじゃないかと思ったりしている。

これを書きながら思い出したが、副甲状腺機能亢進症疑いで検査入院した25日間、糖尿病患者のKさんとずっと一緒だった。Kさんは入退院を繰り返していた。低血糖で意識をなくし、救急車で運ばれたこともあったという。

ずっと一緒だったので、そのとき、わたしは糖尿病を体験学習したようなものだった。そういえば、以下のようなこともあった。

 ところで、昨年の退院のときにちょっとしたハプニングがありました。
 スタッフステーションの手前にある細い手すりに、どんな拍子でか、薄手のジャケットの裾が絡まり、なかなか取れなかったのです。一緒にいた看護師さんと見送りに来てくれたKさんが、「あっ!」と声を上げました。
 手すりと格闘しているわたしにKさんが「Nさん、この病棟に好かれたな」といい、看護師さんは気の毒そうにしました。
 それに、一番若くて綺麗で優しい(静脈注射だけは絶望的に下手)看護師さんがあるとき、突然、予言者のような目をして「Nさん、またここへ来るよ」といったのです。
「よしてよ。何でそんな不吉なことをいうの?」というと、「だって、退院しても大抵舞い戻って来るんだもん」と真剣な表情で答えて病室を出て行きましたが、その後は退院までいつもの屈託ない優しい彼女でした。
 わたしが検査入院だったことは彼女も知っているはずで、慢性病で入院したのならともかく、第一、看護師さんがあんなことをいうものでしょうか。
 決して意地悪な人ではないだけに気になり、他の患者さんも彼女から同じことをいわれるのではないかとそれとなく注意していましたが、そんなことはあの1回だけでした。

看護師さんの「予言」が当たるとは思いたくないが、循環器クリニックの先生に、糖尿病関係は日赤でもチェックして貰っているというと、安心したように頷かれたので、もし先で糖尿病で入院することがあるとしたら日赤になるだろう。

あのとき、自分は糖尿病とは生涯無関係だと思っていた。そうなると、大変だあ~勉強があるし、頻繁な血糖値測定があるし、食事制限がまた大変そうで……。

そうならないように、頑張るしかない。整形外科受診から大脱線した話題になった。

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2014年10月 8日 (水)

明日に迫ったノーベル文学賞の発表と村上春樹の記事へのアクセス数。イスラム国の戦闘に参加しようとした大学生とフィクションの関係。

ノーベル文学賞の発表が明日に迫ったが、6日のYahoo!ニュース(時事通信 18時35分配信)によると、英国ブックメーカー(賭け屋)ラドブロークスの予想では、今年も賭け率5倍で、村上春樹がトップ。

ケニアの作家グギ・ワ・ジオンゴ氏も同率で、他にベラルーシの作家スベトラーナ・アレクシエービッチ氏やシリアの詩人アドニス氏らが上位に入っているとか。

では、村上春樹人気は健在なのだろうか? 

なぜ、人気を疑うかといえば、朝日新聞の慰安婦問題謝罪のころから、当ブログにおける村上春樹関係の記事へのアクセス数が激減したからだ。

ノーベル文学賞の結果がどうであれ、この時期にこの少ないアクセス数というのは、昨年までを考えれば、ちょっと考えられない。訪問者が減るのは淋しいが、そのぶん、他のブログの他の作家へのアクセスが増えると思えば、嬉しい。

朝日新聞、村上春樹と並べると、2012年9月28日付で朝日新聞・朝刊に寄稿された村上春樹のエッセー「魂の行き来する道筋」を思い出す。

拙ブログ固有の現象にすぎないことを春樹人気と結びつけ、春樹人気の陰りと独断するわけにもいかないが、朝日新聞の偏向報道が明らかになったことが、村上春樹ブランドに疵をつけたということはありうると思う。

村上春樹人気とは無関係だと思うが、7月21日、92歳になった瀬戸内寂聴の体力的負担が理由で、法話の庵「寂庵 ナルト・サンガ」(徳島県鳴門市。京都市の寂庵の別院)が閉鎖されると報道されたころから、大手出版社が何かおとなしい気がしている。わたしの気のせいだろうか。

村上春樹に戻ると、10月4日にYOMIURI ONLINEで、ドイツ紙「ウェルト」が今年の「ウェルト文学賞」を村上春樹に授与すると発表したとのニュースを目にした。これについても、これまでほどには騒がれなかった気がする。

YOMIURI ONLINE(2014年10月04日21時20分)のニュースによると、ウィルト紙は、

一連の作品について「魔法のように多彩なリアリズム」「様々なジャンルを飛び越えている」などと評した。

とのこと。

この評、1982年にノーベル文学賞を受賞したガルシア・マルケスが「魔術的リアリズムの旗手」といわれていることを連想して笑ってしまったが、マルケスの小説はどう読んでも純文学で、村上春樹の小説のように様々なジャンルを飛び越えてはいない。

そういえば、今日のYahoo!ニュース(TBS系〈JNN〉)、1時15分配信のニュース)、イスラム国の戦闘に参加しようとして警察庁公安部の家宅捜索を受けた北大生がフリージャナリストの取材に応じ、その中で以下のように語っているところがあった。

「社会的地位とかに価値を感じなくなった。ただそれだけ。日本の中で流通しているフィクションにすごく嫌な感情を抱いていて、別個のフィクションの中に行けば、違った発見があると思った。それくらい」(事情聴取を受けた大学生)

日本で流通しているフィクションというのが何を指しているのかは漠然としているが、わが国におけるフィクションのあり方、特に日本独特のファンタジー――村上春樹の作品もその中に含まれる――のおかしさについて考察を重ねてきたわたしには、気になる言葉である。

イスラム国が突きつけてくる、非情な生々しい現実を、「別個のフィクション」とは。まるで、粗悪なフィクション漬けになったために脳が冒された若者のサンプルのようだ。

大学生に取材したフリージャナリストの常岡浩介氏は、大学生には破滅願望があり、シリアは破滅的な場所というイメージがあるだけなのかなと受け取った、と語っていた。

日本国内のイスラム教徒はインタビューで、イスラム国のやっていることはイスラムの教えではないといっていた。大学生の行動に疑問を示していた。

それにしても、大学に行きたくても行けない若者が増えてきた日本で……大学生も大学生だが、学生の渡航を仲介していたとして同志社大学元教授が家宅捜索を受けただなんて、言葉をなくす。

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『村上春樹と近年のノーベル文学賞作家たち』をお買い上げいただき、ありがとうございます!

『村上春樹と近年のノーベル文学賞作家たち(Collected Essays 1)』(ASIN:B00BV46D64)をお買い上げいただき、ありがとうございます! 

9月30日ごろ、お買い上げいただいたようです。

 『村上春樹と近年のノーベル文学賞作家たち』は26冊目のお買い上げでした。

  • 日本……14冊
  • アメリカ……11冊
  • ドイツ……1冊

サンプルをダウンロードできます。
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2014年10月 7日 (火)

慰安婦に関する山田宏氏の衆院予算委質疑。憲法9条にノーベル平和賞?

6日の衆院予算委員会で、次世代の党の山田宏氏が、慰安婦問題を構成する以下の4要素について、質疑していた。

  • 朝日新聞の偏向報道
  • 河野談話
  • 国連人権委員会、「クワラスワミ報告書」
  • 「アジア女性基金」に関連し、外務省のホームページに載っている拠出金呼び掛け文

貴重な質疑だったので、メモをとりながら視聴したが、NIPPON CHANNEL03さんにより、YouTubeに動画がアップロードされていたので、興味のある方はそれを視聴していただくほうがよいと思う。前後編に分かれており、以下の動画は前半。衆院のホームページでも動画を視聴できる。

https://www.youtube.com/watch?v=ZAIeRl-2GwE

後半。

https://www.youtube.com/watch?v=C3vLbaEC5O4

わたしが慰安婦問題に特に関心を向けるようになったのは、2009年9月20日に JPNarchiveさんによってアップロードされた動画を視聴したときからだった。慰安婦問題は韓国でどの様に教えられてきたか、というタイトルの以下の動画である。漫画を動画にしたものだった。

https://www.youtube.com/watch?v=5LJEQ1eLFEM&feature=player_detailpage

このような描き方に根拠がなかったというのが事実であるとすれば、言葉をなくすが、沈黙しているわけにはいかないと思う。

以下の二つの動画はkun tarouさんによってアップロードされたもので、朝鮮半島を引き上げる日本軍の様子を撮影した6枚の写真を紹介した動画と、昔の日本人の笑顔を集めた動画である。

https://www.youtube.com/watch?v=ehEvoxkcT60&list=UUcq8NQbQPcYPB1R7ds-4WGg

http://www.youtube.com/watch?feature=player_detailpage&v=isVsxGDgepw

kun tarouさんの以下の動画もおススメ。

https://www.youtube.com/watch?feature=player_detailpage&list=UUcq8NQbQPcYPB1R7ds-4WGg&v=pQW0GhIyfjM

「日帝時代」の小学校の教科書(参考書)にハングルがあったことに驚いている韓国人のレスを、当時の教科書を背景に動画作成されている

そういえば、憲法9条を保持する日本人にノーベル平和賞が授与されるかもしれないとネットニュースに出ていた。

4月だったか、そのニュースを初めて見たときに記事にしようとしながら、まさかねと思い、記事にしないままだったっけ。

発表が近づくにつれ、忘れていたそのニュースを再び見たわけだが、まるで悪夢のようだ。同じ日本人がこんな愚かしいことを考えるなんて。

いただけるとは思えないが、仮にいただけるとしても、わたしは日本人の一人として辞退する。発起人には、日本人の総意もなしに、勝手なことするなといいたい。

9条と日本人を結びつけてノーベル平和賞の対象とするのであれば、9条に結びつけるべきはGHQだろう。ノーベル平和賞が占領政策にも与えられるものだとすればだが。

鷹巣直美という女性が考えつき、それに大学教授などが賛同して推薦されたという。

 参考1:外部サイト「新時代のキリスト教」より抜粋

  • 注意!「憲法9条にノーベル賞を」鷹巣直美の正体
    自称普通の主婦鷹巣直美さんはバプテスト教会連合・大野キリスト教会員で、2013年「難民・移住労働者問題キリスト教連絡会<難キ連>」の共済でチャリティーコンサートを行っています。
    <難キ連>の住所
    東京都新宿区西早稲田2-3-18は、数多くの韓国キリスト教系左翼団体と反日工作の巣窟です。

 参考2:外部サイト「BBの覚醒記録」より抜粋。

当ブログの常連の方々は、以下のわたしの記事を思い出していただきたい。

戦争に負けるということは、同じ日本人の中に、混乱したあなた任せ、白痴状態をつくり出し、あるいは左派の赤化陰謀を蔓延るがままに任せることになるのかと思えば、怖ろしい。

戦争を知っている祖父母はあの世から、どう思って見ているのだろう? 何にしても、昔の日本人は、きりっとしたよい顔、清々しい笑い方をしていたのだなあと動画の写真を観て思う。日本人はあのような表情を失ってしまった。

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2014年10月 5日 (日)

香港民主化デモの若き運動家・黄之鋒(ジョシュア・ウォン)は、17歳!

香港のデモの行方が気にかかる。

香港の動きは台湾にも影響が及ぶだろうから、どうなるのだろうという思いで見守っているのだが、リーダーは優秀な青年のようだ。

香港民主化デモの若き学生運動家・黄之鋒(ジョシュア・ウォン)は、17歳だという。

以下の記事(ブログ「urban Robot Chocolat アーバン ロボット ショコラ 」)で、ニュース記事を引用して紹介されている。

黄之鋒のことはウィキペディアにも出ている。

黄之鋒:Wikipedia

黄之鋒(ウォンジーフン、英語:Joshua Wong、ジョシュア・ウォン、1996年10月13日 - )は香港学生社会運動家、香港公開大学の大学生である。学生団体“学民思潮”の主催者と中環占拠の参加者として注目されている。

2012年、香港特区政府が中国人としての愛国教育を目的としたため、“徳育及ぶ国民教育科”という学科を小中学校に導入しようとする際、黄氏が学民思潮を結成し、街頭デモを行い、政府を教育の名で洗脳だなどと指摘した。結局、政府は計画の撤回に追い込まれた。中国メディアから“過激反対派”に名を付けられている。

団塊世代が中心となって起こしたわが国の学生運動――、彼らが定年退職して暇になって再び活発化した反日運動とは、ああ何たる違い!

日本の彼らの赤化運動――と、いうには甘ったれた革命ごっこという印象でしかない――と、今の香港の民主化デモは、まあいわば真逆。違って当然か。

赤化を成功させて真っ赤っかの一党独裁国家となった中国が、香港の民主化デモを潰そうとしているわけだが、香港のデモが若者中心なのは、年のいった人々に天安門事件の恐怖が残っているからだろう。

以下の「情報砂漠に」さん公開の動画では、佐藤優氏が香港のデモの本質と中国共産党の意識を分析している。

佐藤 優 《香港デモの引き時が重要、このままでは悲劇的な結果に》 
https://www.youtube.com/watch?v=c6mRneydpoU

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2014年10月 3日 (金)

只今、国会中継中 - 衆院予算委員会質疑

民主党・前原誠司氏が実質賃金上げろと安倍首相に迫っている(思わず、そうだ、そうだ、上げろ!と、いってしまうわ)。

アベノミクスが実質賃金に反映するにはある程度の時間がかかる、と首相。少し苦しげな黒田氏の答弁。

野党として弁舌を振るうぶんには、いいんだけどなあ、前原氏。

悪いインフレが起きているんじゃないか、と指摘。輸入物質が円安によって上がる……エネルギー部分が大きい……

丁寧に経済問題を繙いていく前原氏。まあ、もういい尽くされてきたことばかりではある。それに、全く先の見えなかった、日本国の存続さえ危ぶまれた、暗黒の民主政権時代に比べると、まだしも。

エネルギー部分が大きいということは、つまり……野党の原発止めろコールもわかるが、エネルギー問題を何とかしなければ、どうにもならないのではないか。エネルギーは待ったなしなのに、代替エネルギーはどれももう一つだし、急には育たない。

どうしても石油頼みになってしまう。イスラム国は手強そうだし、アラブは石油はどうなるのやら。

いうは易く行うは難し。

デフレ下ではなかなか賃金にならない。デフレから脱却し、財政の健全化を図り、産業をしっかりさせ、それが実質賃金に反映するには時間がかかると安倍首相。

2062年から来た未来人も、「時に身を委ねることだ。2014年までは足掻いてもどうにもならない。日本人の忍耐強さが試される時だ」って、いってたっけ。

もうホントに、未来人頼みしたくなるほど、不安だわ、日本も、世界も。2062年から来た未来人の言葉は、まとめサイトの以下の記事で読める。

前原氏は経団連のこともちょこっといっていたけれど、そこでしょ、そこ。野党なら、そこ衝きな。経団連を何とかしてよ。

あ、前原氏、終わっちゃった。ひ、次は辻本氏か。時間の無駄だ、テレビ消して、はよ仕事せな。

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マダムNの電子書籍一覧(2014/10/03更新)

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2014年10月 2日 (木)

Kindleの童話『マドレーヌとわたし』をお買い上げいただき、ありがとうございます!

Kindleの童話『マドレーヌとわたし』をお買い上げいただき、ありがとうございます!

先月の24日ごろお買い上げいただいたようです。この本をお買い上げいただいたのは、2冊目でした。日本では初のお買い上げでした。

昨年の3月6日ごろ、海外で売れた初めての本がこの本でした。海外というのは、Amazon.com(インドを含む)で、現在ではインドはAmazon.inと別個になっています。

文章のみのこの本、できれば以下の記事で書いたKindle kids' Books Creatorを使って絵本にできたらなあと夢みています。

でも、わたしにはお絵描きは『田中さんちにやってきたペガサス』の表紙だけで、もう沢山という感じですし、『不思議な接着剤1: 冒険前夜』と『直塚万季 幻想短篇集(1)』で表紙を作成してくれたyomiさんは、子供の出てくるものは苦手みたいです。

彼はブレンダーを使って自由に作っているのですが、その自由に作られたものの中で表紙絵になりそうなものを「これ、表紙になりそう」といって、表紙にして貰うというスタンスです。文字はこれまでのように、自分で入れます。

表紙だけなら、商用・非商用を問わず完全フリーで使える画像検索サイト「Pixabay」から写真素材をお借りして、自分で作成するのも楽しいので(自分で作成した表紙で損しているのかもしれませんが)、yomiさんの作品に合いそうなものがないときは、これからも自分で作成します。

『マドレーヌとわたし』には漢字使用版もあります。サンプルをダウンロードできます。
     ↓

3人の子供たちが登場する児童小説(続編を予定している冒険前夜の物語ですが、1編の作品として読める内容のふくらみを持っています)と、その中の1人の少女の視点で綴られた日記体児童小説です。サンプルをダウンロードできます。
      ↓

ペガサスが登場する物語。サンプルをダウンロードできます。
     ↓

102円の児童書シリーズです。サンプルをダウンロードできます。
     ↓

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2014年10月 1日 (水)

ビアレッティのエスプレッソメーカー、買いました

以下の過去記事で、エスプレッソメーカーのことを書き、カタログギフトで取り寄せたメイド・イン・チャイナの製品が2人分だったため、普段3人の我が家には小さく、そのうち4人分を買いたいと書きました。

で、買いました。ビアレッティの4カップ用を。29日に注文して今日の午前中には届きましたから、速い到着でした。配送料、手数料はゼロ円、税込3,248円でした。

1人のときとか、2人のときはメイド・イン・チャイナのエスプレッソメーカー。3人のとき、あるいは息子が加わって4人になったときはメイド・イン・イタリー、ビアレッティのエスプレッソメーカーで淹れることになりそう。

息子は今月、イタリアに出張です。6泊するとか。行き帰りを入れると8日間です。最近世界的に物騒なので(日本も、御嶽山の噴火でかなりの被害がでていますね)、気をつけていってきてほしいと思います。

娘はもうすぐ初のイタリア語講座。体験学習以来、わたしもイタリア語が習いたくてたまらず(子供みたいだと自分でも思います)、暇々に勉強して、来年か再来年3ヶ月だけでも受講したいなあと夢みています。

コーヒーの話題に戻ると、サイフォンコーヒーはブラックで飲むのが美味しく、ミルクを入れると繊細にわかるコーヒー豆の味わいが消えてしまいます。

その点、エスプレッソコーヒーは濃すぎて、豆が何なのかもわからなくなりますが、ミルクを入れても負けない強さがあって、キリッと美味しいミルク入りコーヒーを楽しむことができます。

ビアレッティのエスプレッソメーカーの説明書を読むと、消耗品がいくつかあるようです。メイド・イン・チャイナの製品には消耗品らしいものはありませんでした。ビアレッティは作りがいくらか細かいようです。消耗品は交換が利くとか。

二つのエスプレッソメーカー、サイフォンも大事に使います。

ああ、何て素敵なコーヒーライフ……。

Collage_3

ところで、Amazonの商品ブログパーツが昼から出たり消えたりしているのが神経に障ります~!

消えたのを目撃してあれっと思い、編集欄を見ると、何とコピーして貼り付けたはずのHTMLまで消えていて、心底驚きました。そのうちブログパーツが表示されるようになったので、編集欄を見ると、HTMLも戻っていました。

これを書いている間にも、出たり消えたり。今は消えています。

ググッてみると、こういうことはAmazonにはちょくちょくあるとのこと。慌てて問い合わせるより、1日~数日様子を見て、問い合わせたほうがよいそうです。あれ、戻ったわ。うーん、疲れる。

BIALETTI(ビアレッティ)直火式 モカエキスプレス 4カップ 1164
BIALETTI (ビアレッティ)
ASIN: B0016H2PLS

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今秋初めての秋刀魚

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今秋初めての秋刀魚。脂がのっていました。カボスを買い忘れ、レモンの買い置きもなかったのがちょっと残念。

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ゴボウの煮たのも、美味しく感じられる季節。

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サイドバーの「お気に入りリンク集」について

5月から6月にかけてサイバー攻撃情報が相継いだので、わたしなりのセキュリティ対策を施しましたが、そのときに、リンク集を一旦閉じることにしました。

最近は落ち着いているようなので(もっとも以下の記事で紹介しているNorse-IPVikingLiveを閲覧すると、世界中で絶えず起きていることがわかりますが。特に中国とアメリカが凄い!)、再公開しました。

「お気に入りリンク集」では、リンクフリーと明記してあるサイトを紹介したいと思っていますが、例外があります。

「お気に入りリンク集3(レシピ・グルメ)」で紹介しているサイトにはリンクフリーとの明記がありませんでした。が、リンクがだめだとも書かれていないようでしたので、紹介させていただいています。

博多に行くと必ず行く釜飯のお店、ケーキ屋さん(そういえば、わたしはずっとダイエット管理中でした)、お味噌汁の実を考えるのに毎日困るわたしが重宝しているサイトはどうしても紹介したくて。

「お気に入りリンク集2(哲学・思想)」で紹介している神智学協会ニッポン・ロッジに関しても、特に許可を貰っているわけではなく、ここもリンクがだめと書かれていなかったので、紹介させていただいています。

わたしはここの会員というだけで、何ら協力らしいこともできていず、ボランティアで翻訳したり、会報誌を出したりしてくださっている有志の方々には心苦しい限りなのですが、ネット上で見かけるサイトなどで、神智学協会やブラヴァツキーについて好き勝手に書かれていることにため息が出、せめて日本における由緒正しい神智学協会のサイトにリンクを貼っておきたい気がしたのでした。

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