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2014年9月13日 (土)

慰安婦問題、南京事件、戦後教育と林芙美子の『戦線』

 慰安婦問題、南京事件と絡んた朝日的歴史観がクローズアップされ、慰安婦に関する誤報が話題になっている。

 わたしは1958年2月生まれで、今思えば、同和教育が盛んだったし、戦争をテーマとした巡回映画などもよく見せられた記憶がある。

 だから、わたしは思っていた――戦争になれば、人間は鬼畜のようになってしまうのかと。そういう面が否定できないにしても、太平洋戦争の複雑さなども教えなければ、それはバランスを欠いた偏向教育にすぎず、生徒は消化不良を起こしてしまうだろう。

 そのあとで、いくら命の尊さを教わったところで、人間不信に染まった心はそれをうまく受け入れられなくなってしまう。

 わたしが少女期になるまでお世話になった家政婦さんは今考えると、在日外国人ではなかったかと思うが、当時はそのような類いのことは考えたことがなかった。

 だから、彼女が子供のときに赤犬を食べた話とか、知り合いの兵隊さんが人肉を食べた(かもしれない)話だとかは一部の日本人の隠れた習慣だったのだろうとわたしは思い込んでいたし(日本人にもそういうことがあったのかもしれないが)、彼女が字が書けなかったのも、昔の貧しい日本人はそういうものかと思っていた。

 そして、彼女の話や行動には風俗、文化の違いを思わせるところが色々とあったが、そのことをわたしはどう考えたらいいのか、わからなかった。

 彼女は、左官職人をしていたというご主人が作った小さな家に住んでいた。彼女のご主人は疫病で亡くなったそうで、2人はどこからか来たようだったが、そこが日本ではない国からだったかもしれないとは考えたことがなかった。

 わたしは彼女の子供たちから性的悪戯を受け、そのことの意味を知ったとき、ひどいトラウマに陥ったが、どう解決すべきかわからなかった。母にいえばよかったのだが、わたしは彼女にいい、そんなことはあるはずがないと叱られた。

 彼女の息子たちは自分たちが在日外国人であることを知っていたはずであり、学年の違いはあっても、わたしが受けたのと同じ教育を受けていたはずだ。

 日本人の「罪」を強く刷り込まれる中で、日本人の少女なら軽く扱ってもよいという意識が芽生えることはなかったのだろうか、と中年になったわたしは考える。

 同和教育という形ではなく、異文化の混在について教わっていれば、わたしの混乱はもっと少なかったと思う。差別も何も、兄妹のように育ち、それでいて強い違和感があり、楽しさも共有したが、被害も受けた。

 戦後日本の教育がバランスのとれたものであったなら、在日外国人の子供たちは被害者意識を膨らませることなく、むしろすこやかに生活できたのではないか、日本か自分の国かをもっと自覚的に選択できたのではないか、とどうしてもわたしはそう思ってしまう。

 日本人の子供であれ、在日外国人の子供であれ、日本を愛そうとしても愛せない、愛したらいけないような感覚をもたらしてしまう弊害が戦後の教育に潜んでいはしないか?

 わたしは文学に馴染んできたので、戦前、戦後の文学作品を読んできているのだが、敗戦を体験しても、日本人の気質や物の考え方にそう大きな変化はなかったのではないかという気が最近はしている。

 だから、戦時中だけ、一般日本人は鬼畜となった――共産主義者だけが正義と弱い人間の味方だった――とは、どうしても思えないのだ。勿論、人間はどこの国の人間であれ、様々だから、一時的に鬼畜になった、あるいは戦争が原因で完全に鬼畜化した人もいたのかもしれないが……

 戦中の従軍記やそれをもとにした作品はあまり読んでいないので、これから読んでいきたい。そこから、何らかの結論(?)が出るだろうか。

 南京事件ついて、いくらかでも知りたいと思い、石川達三の『生きている兵隊』を読んだ。

 南京陥落は1937年12月12日のことだったが、石川達三は翌年中国大陸に中央公論特派員として渡り、南京入りしている。そのときの取材をもとに『生きている兵隊』が書かれている。『生きている兵隊』については、以下の記事で触れた。

 ところで、南京陥落した年の12月31日、林芙美子は東京日日新聞社・大阪毎日新聞社の特派員として南京入りしている。

 南京大虐殺について書き残した作品は見当たらず(?)、その翌年、今度は内閣情報部が組織した「ペン部隊」に意欲的に参加して武漢作戦に随行し、『戦線』を書いている。

 もし南京大虐殺のような凄まじい殺戮を見聞きした翌年の従軍取材だったとすれば、大した心臓の持ち主である(林芙美子は確か心臓弁膜症だった)。

 林芙美子『戦線』(中央公論社、2006年)に佐藤巧己「林芙美子の『報告報国』と朝日新聞の報道姿勢」という解説がある。

 林芙美子は漢口に朝日新聞社のフォード製トラックで一番乗りしたのだが、解説には「『戦線』は朝日新聞社と共同制作したメディア・イベント作品と言える」とある。

 確かに読めば、そんな印象を受ける。ただ、実際に現地を取材した人間にしか書けないと思わせる文章が随所にあって、ちょっと抜き書きしておきたいという気がする。

 馬のことがよく出てくる。兵隊と馬は夫婦のようなものだと書かれている。兵隊の便のことを書かれた箇所がある。中国兵の遺体の描写。自分の家を去りかねて家のまわりをうろうろしていた老婆のこと。収穫した綿の実の山に呆んやり倒れている老婆のこと。

 どの部隊も支那人の雑役を連れており、それは土民あり、捕虜ありだが、雑役には日給が払われ、兵隊は「この雑役はどうかすると、僕達より、給料がいいかもしれん」と笑う。

 図書館に返すまでにはもう少しちゃんと抜き書きしておきたいので、この記事は書きかけとしておこう(書きかけが溜まっていく)。

 この部分は書きかけです。

 解説には「ペン部隊」のメンバーが挙げられているので、書き留めておきたい。以下は前掲の「林芙美子の『報告報国』と朝日新聞の報道姿勢」246頁より。

南京陥落後に国民党政府が移った新首都への総攻撃を前に、内閣情報部は国民の戦意昂揚のため人気作家に従軍を要請した。その人選は文芸協会会長菊池寛が中心となり、以下の陸軍班十四名、海軍班八名が参加している。
 陸軍班=久米正雄、片岡鉄平、川口松太郎、尾崎士郎、丹羽文雄、浅野晃、岸田国士、佐藤惣之助、滝井孝作、中谷孝雄、深田久弥、富沢有為男、白井喬二、林芙美子。
 海軍班=杉山平助、菊池寛、佐藤春夫、吉川英治、小島政二郎、北村小松、浜本浩、吉屋信子。

 話は変わるが、最近林芙美子の「子供たち」「美しい犬」「文学的自叙伝」「朝御飯」を青空文庫で読んだ。

 前の2編は小説。「美しい犬」は児童小説かもしれない。対象に寄り添おうとする林芙美子の文学的姿勢が際立って感じられる2作品。描写力がすばらしい。「美しい犬」はおすすめ。

 後の2編はエッセー。「文学的自叙伝」は作家魂?が感じられ、何度読んでもため息が出る。持ち込み原稿が帰宅した本人より早く速達で返されていたとか、お金がなくて衣類も質に入れてしまい、初訪問した編集者に赤い水着姿で応じたとか……といったエピソードは林芙美子を語る場合によく使われる。

「朝御飯」には涎が出そうになった。コーヒー好きには寺田寅彦の「コーヒー哲学序説」がおすすめ。

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