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2014年9月29日 (月)

初の歴史小説 (40)後陽成天皇の憂鬱 ③第三皇子、後水尾天皇との不和

隠元隆琦(1592年 - 1673年) 

後陽成天皇(1571 - 1617年)

第三皇女:清子内親王(1593 - 1674) - 鷹司信尚室

第三皇子:政仁親王(後水尾天皇)(1596 - 1680)

萬子媛(1625年 - 1705年)

隠元隆琦:Wikipedia

隠元には、後水尾法皇を始めとする皇族、幕府要人を始めとする各地の大名、多くの商人たちが競って帰依した。

後陽成天皇の第三皇女・清子内親王は萬子媛の祖母であるから(二歳の萬子媛を養女としている)、後陽成天皇の第三皇子・後水尾天皇は萬子媛の大叔父に当たる。

萬子媛誕生のとき、祖母は32歳。若いグランマだなあ!

というより、萬子媛の結婚が37歳なのだから、江戸初期にしては遅すぎるのだ。高齢で2人の男児を産み、長命、最期は断食入定で1週間以上も念仏が聴こえていたということから推量しても、健康な女性であったと思われる。江戸時代は出戻りや再婚も多かったというから、初婚ではなかったと想像したくなる。

萬子媛を養女とした祖母は、萬子媛が49歳のときに亡くなっている。

後陽成天皇の崩御の年齢は47歳だが、他の方々は皆80歳を超える長寿だ。

明末の僧で日本黄檗宗の開祖だった隠元には、後水尾法皇を始めとする皇族、幕府要人を始めとする各地の大名、多くの商人たちが競って帰依したということだから、萬子媛が出家するときに黄檗宗を選んだことは、自然の流れだったといえよう。

後陽成天皇、後水尾天皇の時代、幕府の朝廷への介入には凄まじいものがあった。

後陽成天皇と後水尾天皇、この父子の不和は、この幕府の介入が一因といってよい。

父子はその状況に甘んじていたわけではない。幕府に抵抗した。父より子の方がより激しく抵抗したといってよいだろう。

父子の仲が悪かった――という月並みな言葉では片付けられない確執が2人の間にはあったのだろうか。Wikipediaに出ている以下の出来事から、子の父に対する憎しみの凄まじさに驚かされる。

後水尾天皇:Wikipedia

諡号・追号・異名

遺諡により後水尾と追号された。水尾とは清和天皇の異称である。後水尾天皇は、不和であった父・後陽成天皇に、乱行があるとして退位に追い込まれた陽成天皇の「陽成」の加後号を贈り、自らは陽成天皇の父であった清和天皇の異称「水尾」の加後号を名乗るという意志を持っていたことになる。このような父子逆転の加後号は他に例がない。徳川光圀は随筆『西山随筆』で、兄を押しのけて即位したことが清和天皇と同様であり、この諡号を自ら選んだ理由であろうと 推測している。遺諡は、鎌倉時代の後嵯峨天皇から南北朝・室町時代の後小松天皇にけて多くあったが、その後7代にわたって絶えており、後水尾天皇の遺諡は後小松天皇以来約2世紀ぶりである。このことからも後水尾天皇の強い意志が伺われる。また、清和源氏を称する徳川氏の上に立つという意志も見て取れる。

父に悪名高かった「陽成」の加後号を贈った子であったが、その陽成天皇について調べてみると、陽成天皇が本当にいわれるようなひどい人物であったのかどうかが疑問視されているようである。

後水尾天皇について、もっと知りたいと思い、図書館から本を借りてきた。他にも、小説の執筆の参考になりそうな本を借りてきた。

後水尾天皇―千年の坂も踏みわけて (ミネルヴァ日本評伝選)
久保 貴子 (著)
出版社: ミネルヴァ書房 (2008/03)

江戸衣装図鑑
菊地 ひと美 (著)
出版社: 東京堂出版 (2011/11/16)

中世公家の家と女性
後藤 みち子 (著)
出版社: 吉川弘文館 (2002/01)

お公家さんの日本語
堀井 令以知 (著)
出版社: グラフ社 (2008/07)

図説江戸〈2〉大名と旗本の暮らし (GAKKEN GRAPHIC BOOKS DELUXE)
平井 聖 (監修)
出版社: 学習研究社 (2000/06)

大名の暮らしと食 (同成社江戸時代史叢書)
江後 迪子 (著)
出版社: 同成社 (2002/11)

参勤交代 (日本歴史叢書)
丸山 雍成 (著)
出版社: 吉川弘文館; 新装版 (2007/06)

初期黄檗派の僧たち
木村 得玄 (著)
出版社: 春秋社 (2007/08)

林羅山―書を読みて未だ倦まず (ミネルヴァ日本評伝選)
鈴木 健一 (著)
出版社: ミネルヴァ書房 (2012/11)

江戸の花女御―東福門院和子
近藤 富枝 (著)
出版社: 毎日新聞社 (2000/1/1)

下の3冊は再度借りた。『江戸の花女御』に、汚されている頁があって、困る。大人しか借りない本だろうに、なぜ、汚すのだろう? 普段わたしの借りる本はマイナーな本らしく、古くても新しくても綺麗なので、汚い頁があると応える。どうしても手元に置いておかなくてはならない本を購入する以外は、図書館を利用したいのだが、歴史小説辺りになると、借りる人も多いらしく、ちょくちょくこんな愚痴が出てしまう。

菊地ひと美著『江戸衣装図鑑』 は、ありがたい本。詳しく、わかりやすいので、歴史小説を書く勇気が湧いてくる。祐徳博物館で萬子媛の小袖を見た記憶があり、黄檗宗の僧侶となってからの肖像画で、中国・明僧風の衣装を纏った萬子媛も見たが(郷土史家がお送りくださった資料の中にあったもので、普明寺蔵の掛軸が撮影されたもののコピー)、当時の衣装についてきちんと勉強する必要を覚えていた。

肖像画の萬子媛は高齢で矍鑠とした、謹厳な女僧という印象。見ているだけで、身が引き締まるような……。頭髪は灰色で、とても短いショート。若い頃は美人であったことが窺える、顔立ちのよさだ。小説の中で、克明に描写してみたい。わたしが霊的に感じる、萬子媛の高雅な雰囲気も交えて。

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