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2014年7月の27件の記事

2014年7月31日 (木)

Notes:不思議な接着剤#89 カタリ派の宝。黄金より高価なもの。

わたしは以下の記事で「カタリ派が持ち出したとされる宝については、多額の金銭から聖杯に至るまで諸説あるが、古文書であったと想像したとしてもそうおかしなことではない」と書いた。

カタリ派の転生者としての霊的ヴィジョンが散りばめられたアーサー・ガーダム『二つの世界を生きて――精神科医の心霊的自叙伝』(大野龍一訳、コスモス・ライブラリー、2001年)を信頼するなら、それはカタリ派の起源を原始キリスト教に位置づけることができるような稀覯本と原稿であった可能性がある(253-255頁)。例えば、

  • ラテン語で書かれたコンソラメントゥム(救慰礼)
    これはカタリ派によって認められていた唯一の典礼であり、身体的な病気の者かしんからカタリ派聖職者になりたいと願っている者を対象に執り行われた。
    最後の典礼は1244年3月15日に執り行われた(カタリ派の人々が火刑にかけられて抹殺される前日)。
  • 福音書使徒書簡、章節に付けられた注釈
    これらの大部分を占めるのはパウロ書簡に関する注釈。
    コリント前書 (ラゲ訳):Wikisource
  • ベン・シラの知恵(旧約聖書外典中の最大文書。※ユダヤ教とプロテスタント諸派では外典、カトリック教会と正教会では旧約聖書に含める)に関する注釈
    シラ書:Wikipedia
  • ソロモンの知恵に関する注釈
    知恵の書:Wikipedia

ガーダムは書く。

キリスト教の源泉に関連するものは、多くの古典文献にも見られる。それはピタゴラスから、プラトンとプロティノスを経てポリュフィリィにまで広がっている。それはあまり有名でないイアンブリアカスやクリシッポスをも含む。これらの著作家に共通しているのは、それぞれの流儀でいずれも二元論者であったことである。ピタゴラスとプラトンは、誕生時、完全な魂が物質の中に閉じ込められ、その純化は輪廻を通じて成し遂げられると信じていた。プロティノスとその伝記作者のポリュフィリィは、カタリ派で言われているのと同じような創造の発出理論を表現していた。

以下の記事でわたしは「37年から100年頃に生きたユダヤの歴史家の伝記『フラウィウス・ヨセフス伝』(ミレーユ・アダム=ルベル著、東丸恭子訳、白水社、1993年)で見たように、ヨセフスの時代、ユダヤ教への改宗者は地中海世界、ローマでも増え続けていた。キリスト教は当初、そうしたユダヤ教に魅せられた異教徒にとって、与しやすいユダヤ教、割礼などのない敷居の低いユダヤ教と感じさせた側面があったようだ」と書いた。

また以下の過去記事では、イエスと関係があったと思われる「エッセネ派は(ブラヴァツキーのリサーチの結果が正しかったとしたらだが)ピタゴラス派といってよいくらいの集団で、また『熱烈な伝道者アショカ王以来の』仏教の影響が考えられる」と書いた。

ガーダムの描くカタリ派像は、わたしのこれまでのリサーチの結果と矛盾しない。

フラウイウス・ヨセフスは自著で当時のユダヤを三分していた三つの宗派について書いているが、前掲の伝記『フラウィウス・ヨセフス伝』に著者ミレーユ・アダム=ルベルの手でよくまとめられている。

それは福音書から受けるひじょうに一面的なユダヤ教の印象とは似たところのない各宗派の個性や違い、洗練された雰囲気などを伝えるものであって、それを読んだわたしはユダヤ教やユダヤ人に対する固定観念が打ち砕かれる思いがした。少しだけでもメモしておきたいのだが、長くなりそうなので、ノートを改めたい。

ここでわたしはフラウイウス・ヨセフスが『ユダヤ戦記』の中で書いた、エッセネ派の昇る太陽に祈りを捧げる習慣を再確認した。カタリ派は太陽崇拝と結びつけられることも多いからである。

それはマニ教と結びつけられがちだが、ユダヤのエッセネ派は太陽に対する祈りの時間を持っていたのだった。以下は『ユダヤ戦記 1』 (秦剛平訳、ちくま学芸文庫、2002年)278頁。

(エッセネびと)の神的なもの(「神的なもの」のギリシア語はト・テイオン)への敬虔は独特なものである。彼らは太陽が昇る前には世俗的な事柄についてはいっさい口にせず、太陽が昇るのを祈願するかのように、それに向かって父祖伝来の祈りをささげる。

カテゴリー「Notes:不思議な接着剤」は自分の便利のためのメモにすぎません(いずれ非公開とします)。わたしの電子本のネタバレが混じりますので、閲覧にはご注意ください。

ここからはライン以下にメモ。

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

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2014年7月30日 (水)

『不思議な接着剤 (1) 冒険への道』に、忘れ物がありました

『不思議な接着剤 (1) 冒険への道』に「あとがき」を書けば、電子出版できるはずでしたが、どうしてもそれをする気になれませんでした。

冒険前夜のお話のみ、まず電子出版するというやり方に抵抗感がいくらかあるのですが、それ以外にも何かあるようで……

それがようやくわかりました!

冒険に入ろうとする子供たちに持たせるべきものを忘れていたのでした。

いえ、これを持たせるべきだとは思っていたのですが、どういう理由をつけて持たせればいいのか、どうしても思いつかなかったのです。無理に理由づけても不自然で、もやもやとして。思いついてしまえば、何でもないことなのに。

何にせよ、これで「あとがき」を書けば出せるはずです。最終校正にえんえんと時間を食わなければですが……

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2014年7月29日 (火)

28日に、循環器クリニック受診

朝絶食で、血液検査、胸部レントゲン、心電図検査を受けた。

血液検査でいつもは採血スピッツ3本だったのが、4本になっていた。これは、薬物血中濃度測定のためだそうだ。そのため、朝何時に薬を服用したかを訊かれた。

体重が短期間に増減したり(わたしの場合はこれに該当?)、年取ってきたりすると(これにも該当か?)、薬物血中濃度測定をしたほうがよいそうだ。今後は血液検査のたびに、その測定もすることになるのだそう。

ダイエットで痩せたことがここではあまり自慢になりそうにないのは、こうした検査が必要になるくらい、変化に対する管理が必要になってくるからだろう。

明らかに先生は、わたしのダイエットがお気に召さないご様子だった。

血液検査の結果はまだわからないが、それ以外の胸部レントゲン、心電図の検査、脈拍などどれもよく、先生は満足そうな表情をなさったにも拘わらず、ダイエットの方法を改めて訊かれ、そして「ますます綺麗になるだろうね」と、ちょっと皮肉っぽくおっしゃった。

「ダイエットを始めてよろしいでしょうか?」と、ひとこと断れば済むことを、そうしなかったのは明らかにわたしの落ち度だった。こんな「大問題」に発展するとは思わなかったので。10㎏も20㎏も痩せたわけじゃなし。

それに、日赤の内科のほうで、糖尿病にならないよう食事に気をつけるようにいわれたことがダイエットを始めた動機の一つだったので、あちらではむしろわたしのダイエットに対し、好ましい印象を持たれた雰囲気があった(I先生の微笑み)。

循環器クリニックの先生には、わたしが他病院の指導で痩せたのではないかという疑いがおありなのかもしれない。

副甲状腺の経過観察を日赤で受けていることは報告済みだが(なぜか、先生はよくそのことを忘却され、よそへ行ったな、裏切り者!みたいな空気になることがある)、糖尿病のほうも疑わしくなって診ていただいていることはまだお話ししていない(怖くて)。

もし腎臓が悪くなって、循環器クリニックの先生が他の先生へ紹介状を書いてあげよう、とおっしゃったら、どうしよう?

日赤の内科は現在半年に一度の受診だが、そこはなにせ内科だから、腎臓病もカバーしていただけるに違いない。専門度の高い先生に回されることはあるにしても。

「腎臓は日赤のほうで診ていただきます」といえるだろうか? 循環器クリニックの先生はよく、透析患者のための内シャント手術も手がけておられる。

腎臓病になったわけでもないのに、腎臓病を心配しているのはネット検索で閲覧した記事からで、その記事は、あるとき腎臓が悪いといわれ、そのときは透析が必要な程度にまで腎不全が進んでいたというケースだった。

その人は体が少しだるいというだけで毎年受けている検診で引っかかったこともなく、タンパクすら出ず、ただ一つだけ尿潜血反応がいつも陽性で、原因は調べてもわからなかったという。

つい自分に当てはめてしまって、取り越し苦労しているというわけなのだ。わたしもタンパクが出たことはないが、尿潜血反応がいつも陽性だから。

昨日の尿検査では何もいわれなかったので、陰性だったのかもしれないけれど。それにしても、病気について取り越し苦労するときにまず頭に浮かぶのがお金のこと――お金の心配――であり、病院の連携の心配なのだ。

五十肩になったときに、徒歩でも行ける日赤の整形外科を受診したのが、わたしが「裏切り者」になった始まりだった。五十肩くらいで循環器クリニックの先生に紹介状を書いていただくのもどうかと思ったのだった。現に、クリニックの先生の気分や都合次第では、「ああ、それはよそで診て貰って」とおっしゃることも珍しくないのだ。

何もかも診て貰えれば便利だけれど、先生お1人で総合病院の機能をカバーなさるのは無理で……何を書いているのか、わからなくなってきた……つまり王国のようなクリニックということなのだろう(ますます何書いているのかわからない)。

日赤に入院したときに、患者お一人様の勝手気ままな行動(他県では自由な行動と置き換えてほしい)がこの県ではどれほど嫌がられることであるかを教わったのだが、そのことが身に沁みてわかったのだ。

嬉しかったこと(?)も書いておこう。心電図のとき、吸盤(?)を吸いつかせるのに必要な程度に、かけられたバスタオルから胸をのぞかせるのだが、そのとき担当した看護師さんに「わあ、胸が真っ白で、綺麗……」と誉められた。

胸は服に隠れていて日焼けしにくいので、皆白いのではないかと思い、そういうと、「ううん、Nさんのように白い人はめったにいないわよ。顔や手は真っ白でも、胸とお尻はどす黒い人が多いの。特に若い人」と看護師さん。「病気のせいではありませんか?」とわたし。「健康診断での検診なんかだから、それはないのよ」

信じがたい話だった。顔と手が白く、胸とお尻が黒い(?)。若い東南アジア人が増えているのだろうかと思ってしまう。

ファンデーションを購入するときには首の白さで色を決めるのだが、そのときに「白いですねえ」といわれたことはある。胸が白いということはおなかも真っ白で、脂肪太りした自分のおなかがフカフカの真っ白なパンに見えることがあった(ダイエットした今もまだそれなりの大きさの白パンが存在している)。

胸は白いと誉められたが、うなじから首の後ろにかけて湿疹に悩まされ、搔いたあとはどす黒くなっている。

それを先生に見つけられてしまったが、わたしのステロイド軟膏嫌いをご存知の先生は出そうとおっしゃらなくなった(先生は毎日耳に塗っていらっしゃる。塗らないと、皮膚がガパガパになるのだそうだ)。

教訓、病人のダイエットは慎重に、担当医の許可の下に行うべし。

薬はいつもと同じ。

喘息の薬の確認で、「フルタイドは足りてる?」と先生。

用法には「通常、成人は1回主成分として100μgを1日2回吸入します。症状により適宜増減されますが、1日の最大吸入量は4吸入(800μg)です」とある。

晩の1吸入(あるいは朝1吸入)を許可していただいているのだが(外出したり調子の悪いときは、朝から吸入する)、聴診で足りてない感じがあるのかも。

「足りている?」と先生がおっしゃったときは「足りてません」といえば、まず間違いないのだが、「足りています」といってしまった。扱いにくい患者ですみません。

夫がタバコさえ吸わなけりゃ、調子いいんだけれど。家の中では遠慮してくれるが、外で吸って名残を家に持ち込む。

薬剤師さんによると、だいたい吸入後30分後~8時間持続するという。

心臓の薬

  • インデラル錠10㎎ 1回1錠 毎食後
  • ニコランジル錠5㎎「サワイ」(先発品:シグマート錠5mg) 1回1錠 毎食後
  • サンリズムカプセル50㎎ 1回1Cap 毎食後
  • ジルチアゼム塩酸塩徐放カプセル100mg「日医工」(先発品:ヘルベッサーRカプセル100mg) 1回1Cap 朝・夕食後
  • 一硝酸イソソルビド錠20㎎「タイヨー」(先発品:アイトロール錠20mg) 1回1錠 朝・夕食後

腎臓・尿管結石の薬

  • ウロカルン錠225㎎ 1回3錠 毎食後 20日分

喘息の薬

  • フルタイド200ディスカス(ステロイド剤) 1個 吸入

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2014年7月27日 (日)

ちょくちょくご心配いただくので……夫の仕事のことなど。草食系男子が増えているそうで。

当ブログに知り合いの方々が結構お見えになっているようで、隠れ家が見つかったような感じで、困ったなあと思ったりしています。

年賀状などで自分から宣伝してもいたのですが、それ以上に……

で、過去記事で夫の定年後の職探しが過酷だったと書いたことがよほど印象的なのか、再就職できたことはご報告したように思うのですが、「ご主人、今何してらっしゃるの?」とか、「どこへ勤めておられるの(おられないの)?」とか、尋ねられることがちょくちょくあるので、書いておきますね。

ブログなので、詳細を書くことはできませんが、某シティホテルの夜間フロント&警備の仕事をしています。

アジア人、欧米人など外国からお見えになるお客さんも多いそうで、電話で英語で話しかけられたりすると慌ててしまうとか。顔を見ながら話せればまだ手振り身振りで伝えることができますが、電話となると、語学力が要求されますよね。単語で何とかなるそうですけれど。

うちのすぐ近くにもシティホテルがありますが、そこではなく、通勤には時間がかかります。3、4日に1日の割合で休みがあります。

ついでに、息子のことですが、まだ学生なのだろうかと心配していただく向きがあるようです。大学の修士課程を卒業後、東京の会社に就職しました。ストレートに博士課程に行きたかったようですが、お金がなかったので、就職したのです。そして、現在は会社の休みを利用して大学の博士課程に通っています。

娘は書店員をしています。転職を考えたりしていますが、なかなか難しいようです。最近、保険証が出版健康保険というのに変わったとか。しおりを見せて貰うと、保養所が沢山載っていました。ふーん、契約社員でありながら、正社員と全く同じ仕事内容である上にサービス残業が当たり前――安くこき使われているのに、こんなの見ると、親の立場としてはイラッと来ます! 

小泉不況下で就活をした娘の世代は正社員になれず、結婚できない人が多い。何とかしてほしいものです。

息子のときはまだ就活のほうは恵まれていた気がします。息子の場合は自分の専門で職探しをしていたので、個人的に大変でしたが。

その息子と同じ年の友人のお嬢さんは有名大学を卒業して、よいところに就職しました。そして結婚したのですが、「出戻ったのよ。聴いてくれる?」と友人。年下の草食系男子と結婚してしまい、ヒモ同然の頼りなさに呆れ離婚してしまったのだとか。草食系男子、増えているんですってね。

おじいさんは山へ柴刈りに、おばあさんは川へ洗濯に……というかつての社会体制がベストとは思いませんが、文化の継承、地域の安全、子供たちのことを思えば、両親のどちらかが家にいられる体制が理想的である気がします。

わたしが子育てをしていた頃は専業主婦が多く、幼稚園の送り迎えや地域活動、買い物などで地域をウロウロしている母親が沢山いました。

わたしたちは自覚のないまま地域のパトロールをしていたようなもので、まだ小さかったうちの子がいじめに遭ったときも、教えてくれたのは午後買い物に出かけてそれを目撃したママ友でした。

外人の家政婦さんを増やそうという動きもあるようですが、わたしは反対です。ここでその理由を述べることはしませんが、過去記事を読んでいただけば、おわかりいただけるかと思います(きちんとした記事にしたいと考えていましたが、まだできていません)。

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2014年7月26日 (土)

ダイエット日記(18)目標まであと1.2㎏。モロゾフで(家族だけ、いい思い)。

目標まであと1.2㎏です。7月21日に記事を書いたときから0.3㎏の減。

1日2食、夕食は普通――のペースは変わりませんが、そろそろ朝食を普通に戻そうかと思っています。

ただパン、ごはんに比べると、グラノーラのほうが体重の増え方は少ない気がします。食べた後、体重計に乗ると、パン、ごはんでは増えますが、グラノーラでは増えないのです(微妙に増えているのでしょうが、数字上は同じ)。

Cereal

お気に入りはこれ、「小倉のーら」。牛乳を入れると、フリーズドライ製法で乾燥させられた小豆が戻ってきて、ほんのり甘くって美味しい~!

朝食には、これとトマトをいただきました。

Pasta

昨日の夕飯はミートソースでした。夫婦の協同作業で、絶妙の味わいになりました!

レパートリーは増えないながら、夫は今や目玉焼、麺茹で、サイフォンコーヒーの大家となりました。いや、ホント!

Cake

コーヒー豆を買いにわさだタウンに行ったとき、娘がモロゾフで注文したケーキ。ダイエット中のわたしは当然飲み物(コーヒー)のみ。

そういえば、小倉に住む大学時代の友人Mちゃんと電話で話したとき、大学時代が体重はマックスで、今は何と、当時のわたしと同じ体重だとか。身長は同じくらい。わたしは大学時代、とてもスリムでした。あのころ、彼女はふっくらしていたのに!

それでもおなかは出ているというので、「嘘でしょ。脂肪、つまめるの?」といったら、「ちょっと待って、今つまむ」といって、つまんだ気配。「1.5㎝つまめたわよ」と彼女。「それ、皮よ、皮」とわたし。「あ~ら、脂肪も入っているって」と彼女。

何の会話してんだか。

彼女は事務の仕事をしています。寮生活を送っていたころ、彼女は小倉アイスが好きで、小倉缶とアイスクリームを買ってグラスに盛っては食べていました。小倉育ちだから、小倉が好きなのかしら。

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2014年7月25日 (金)

旧友からの電話①

音信不通になっていた旧友から電話があった。音信不通になる前に話したとき、心身のバランスを欠いているようで心配だったが、精神的には安定している様子に安心した。

ただ、腰痛があるなど、体調のほうは思わしくないとのこと。

わたしはどうしても彼女と賞狙いをしていたころのことを思い出してしまう。努力次第ではプロになれると純真に信じ、切磋琢磨していたあのころ。

仲間の輪が広がっていたが、一番よく連絡をとり合っていたのは彼女だった。

今思えば、それは青春時代の延長のような、あるいは第二の青春だったような輝いていた時代だったようにも思えてくる。

彼女は今は創作からは離れていて、書く意欲が湧かないそうだ。

それで、なるべく文学の話題は避けるようにしていたが、つい、その話題になってしまった。嫌な思いをさせてしまったかもしれない。

わたしは文学からは離れられないし、プロになるのを諦めたといいながら、結局のところ諦めきれてはいない。

彼女はクリスチャンとして、それなりの「場」を見つけているようだ。わたしは神智学協会の会員として、「場」を見つけているだろうか。

安い年会費で、ボランティアで翻訳された質の高い神智学論文を読ませて貰い、感謝してもしきれないが、何のお返しもできていないという思いが募っている。

神秘主義者としての自分なりの発見を記録していくことが、神智学という分野には何らかの貢献にはなることかもしれないが、それとこれとはまた話が別で、要するに、わたしは文学にしろ、思想的な事柄にしろ、56歳の今になっても社会に足場が築けていないのだ。受ける一方の子供のままなのだ。

それにしても、思想の違いが友情を隔てることはないというのが、不思議だ。逆にいえば、同じ思想に共鳴して集まるということはあるが、その中でなら友情がはぐくめるかといえば、それはまた別の話という気がする。

わたしはブログにいろんなことを書き散らしているが(それがよいことだと思っているわけではないが、純粋に内的な動機から書かずにはいられないことを書いている)、今日電話で話した友人は上に書いたようにクリスチャン。左派の友人もいるし、新興宗教にはまっている友人もいるが、昔のまま、普通に電話で話している。第一声からなつかしくて、他のことはどうだってよくなるのだ。話しているうちに議論になったり、おかしな空気になることはあるが、忘れてまた電話してしまう。

尤も、ここ数年(いや、軽く10年くらいは)、わたしの交際は極めて不活発だった。ダイエットして体――というより心臓――がとても軽くなったので、活発化する可能性はある。

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2014年7月24日 (木)

初の歴史小説 (37)鎖国前夜

 ここ数日、「あのひとスパイシー」的に萬子媛の相関関係図を作っていたら、膨れ上がってしまい、収拾がつかなくなったので、今度はキイワードでまとめてみることにした。

 以下は一部。

剃髪
貞享4年(1687年)次男式部朝清の死後、剃髪し、格峯禅師(断橋和尚。鍋島直朝の次男)が建てた祐徳院に住む(瑞顔実麟大師と称す)。この年を祐徳稲荷神社の始まりとする。

黄檗宗
祐徳院は黄檗宗。黄檗宗の開祖は隠元隆琦。

(他宗教を調べる)
朱子学
あとで書く

キリスト教
南蛮貿易、文禄5年(1587年)サン=フェリペ号事件⇒豊臣秀吉によるバテレン追放令・日本二十六聖人。
慶長14年(1612年)マードレ・デ・デウス号、ノサ・セニョーラ・ダ・グラサ号事件(ポルトガル貿易船の爆沈事件)、岡本大八事件⇒慶長17年(1612年)に慶長の禁教令、元和2年(1616年)に二港制限令。
寛永14年(1637年)島原の乱⇒キリシタン弾圧、寛永10年(1633年)第1次鎖国令~寛永16年(1639年)第5次鎖国令。

修験道
姉妹が密教に関係が深く(?)、萬子媛の断食入定にその影響はないのだろうか。このキイワードは書きかけ

花山院
花山院忠長(花山院定好の兄。後陽成天皇の女官と密通した罪により、蝦夷地へと配流=猪熊事件。配所における松前藩の厚遇、松前に京文化を伝えた)⇒猪熊事件を契機として幕府の公家統制が始まる。慶長18年(1613年)に「公家衆法度」、慶長20年(1615年)「禁中並公家諸法度」制定⇔「武家諸法度」

鍋島光茂
次男式部朝清は佐賀藩2代藩主・鍋島光茂に仕えた。
鍋島光茂は天和3年(1683年)、三家格式を制定して三支藩を完全に支配下に置いた。
幕府に先駆け、殉死を禁止した。
鍋島焼への影響。皿山代官に与えた指示書「有田皿山代官江相渡手頭写」における厳しい注文。
『葉隠』の口述者である山本常朝は光茂に仕えた。父の山本重澄は初代皿山代官。
光茂は武家でありながら歌道を極め、京都の公家で二条流の歌道の宗匠である三条西実教より古今伝授を受けた。

後陽成天皇など、その他沢山のキイワード

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萬子媛の人生を描くには、江戸初期から中期をよく調べなくてはならない。

この時期は幕府のインフラ整備、武家統制(大名の官僚化)が重点的に行われ、対外的には鎖国体制がとられた。

鎖国体制下では、長崎(幕府の管理下で清朝中国、オランダ)、薩摩(島津氏を通じて琉球)、対馬(宗氏を通じて朝鮮)、松前(松前氏を通じてアイヌ)という四つの窓口を通じて外交、通商が行われた。

この鎖国体制をとるためには、当然ながら、それを可能とする防衛力が必要だった。例えば、鎖国:Wikipediaには、延宝元年(1673年)のリターン号事件について、「イギリスとの交易の再開を拒否。以降100年以上、オランダ以外のヨーロッパ船の来航が途絶える」とあるが、『葉隠』を読むと、そのとき、多人数が出張を命じられて警備についたことが詳しく書かれていて、興味深い。

イギリス船3隻が無事に引き上げなかった場合は、乗っ取るか打ち沈める必要が出てくるが、そうする場合、あるいはそれがうまくいかなかった場合にどう対処するか、船団の配置、武器、合図、船上における作法、報告について……など、「軍令」として細かい指示が出されている。ご苦労様といいたくなる大変さであった。

外圧が高まって――嘉永6年(1853年)にペリーが来航し、欧米列強が開国を迫った――幕府は防衛力強化のために、武家統制の柱だった参勤交代を緩和し、結果として幕府の求心力低下を招くこととなった。

萬子媛が住まれた鹿島に関する歴史を迎昭典「鹿島市年表」で見てみようと思い、年表の江戸初期を見ていると、イエズス会の脅威を感じてしまったので、鎖国前夜――大村純忠の行動、豊臣秀吉の「バテレン追放令」――をウィキペディアで見ておきたい。

大村純忠:Wikipedia

有馬晴純の次男。母が大村純伊の娘であったために天文7年(1538年)に大村純前の養嗣子となり、天文19年(1550年)に家督を継いだ。

武雄の後藤家に養子に出され、大村家を相続できなかった実子(庶子)後藤貴明の恨み、佐賀城主・龍造寺隆信の圧迫。打開策を求め、キリスト教へ。

貿易港として横瀬浦、福田、長崎を開港して南蛮貿易を行い、日本初のキリシタン大名となった。

別のいい方をすれば、永禄5年(1562年)、横瀬浦(現在の長崎県西海市)をポルトガル人に提供。イエズス会士に対して住居を提供。元亀元年(1570年)にはポルトガル人のために長崎を提供。天正8年(1580年)に長崎港周辺をイエズス会に教会領として寄進。大村領民6万人をキリシタンに改宗させた。

永禄6年(1563年)、宣教師からキリスト教について学んだ後、純忠は家臣とともにコスメ・デ・トーレス神父から洗礼を受け、領民にもキリスト教信仰を奨励した結果、大村領内では最盛期のキリスト者数は6万人を越え、日本全国の信者の約半数が大村領内にいた時期もあったとされる。純忠の入信についてはポルトガル船のもたらす利益目当てという見方が根強いが、記録によれば彼自身は熱心な信徒で、受洗後は妻以外の女性と関係を持たず、死にいたるまで忠実なキリスト教徒であろうと努力していたことも事実である。また、横瀬浦を開港した際も、仏教徒の居住の禁止や、貿易目的の商人に10年間税金を免除するなどの優遇を行っている。しかし、純忠の信仰は過激なもので、領内の寺社を破壊し、先祖の墓所も打ち壊した。また、領民にもキリスト教の信仰を強いて僧侶や神官を殺害、改宗しない領民が殺害されたり土地を追われるなどの事件が相次ぎ、家臣や領民の反発を招くことになる。

長崎は日本の中の外国になっていた。

天正15年(1587年)、豊臣秀吉の九州征伐において秀吉に従い、本領を安堵された(後に豊臣秀吉によってイエズス会から取り上げられ、秀吉直轄領となった)後、死去。

バテレン追放令:Wikipedia

天正15年(1587年)に豊臣秀吉が発令したキリスト教宣教と南蛮貿易に関する禁制文書。

「バテレン追放令」の原文

「松浦家文書」に残る6月19日付の追放令の秀吉側近の主侍医施薬院全宗(別名徳運軒)による原文は以下のとおり。

一、日本ハ神國たる処きりしたん國より邪法を授候儀 太以不可然候事
一、其國郡之者を近付門徒になし 神社佛閣を打破之由 前代未聞候 國郡在所知行等給人に被下候儀は當座之事候。天下よりの御法度を相守、諸事可得其意処 下々として猥義曲事事
一、伴天聯其知恵之法を以 心さし次第に檀那を持候と被思召候へは 如右日域之佛法を相破事曲事候条 伴天聯儀日本之地ニハおかされ間敷候間 今日より廿日之間に用意仕可帰國候 其中に下々伴天聯に不謂族(儀の誤りか)申懸もの在之ハ 曲事たるへき事
一、黒船之儀ハ 商買之事候間格別候之条 年月を經諸事賣買いたすへき事
一、自今以後佛法のさまたけを不成輩ハ 商人之儀は不及申、いつれにてもきりしたん國より往還くるしからす候条 可成其意事

已上
天正十五年六月十九日 朱印

俗に言う「きりしたん禁令。」この「定」は施薬院全宗という秀吉側近の法印という最高位の医師によって書かれている。現代でいう厚生労働省の通達。 日本は「神国」である。神々の住む美しい国であるところに、「きりしたん国」、キリスト教徒の住む国から、「邪法」(邪教ではない)すなわち邪気(伝染病)またそれとともに邪法(阿片による治療法)を授けたことは甚だ不愉快だ、各地の人々を信者にして、神社仏閣を壊してパードレは勝手な知恵を授け日本国の法を順守しない。これは日本国におくべきではない。国外退去を求める。ビジネスに来る外国船はビジネスに専念することとする。今後日本国の法を順守しない者はビジネスであれ国内に入ることを禁じる。

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2014年7月22日 (火)

ダイエット日記(17)念願の補正に嬉しい悲鳴。赤ん坊の姪を詠んだ句。

来月、猛暑の時期に姪の結婚式がある。そのためにフォーマルウェアを買ったが、そのときに中年太りを強く意識せざるをえず、その場でダイエットを決意(他に糖尿病回避のため、スリムな友人に刺激されたなど、複数の動機で決意を固めた)。詳しくは以下の記事。

購入したのはフォーマルスーツで、上は胸当て付ジャケット。光沢のあるゴールドがかったベージュ。下はマーメードタイプの黒のロングスカート。

ダイエットをその場で決意したものの、痩せられる自信はなく、ありえないことだわね――と自虐的な気分で、店員さんに痩せた場合は補正も可能であることを確認しておいたのだった。

補正には1週間ほどかかるという話だったので、確認しておかなくちゃと思い、着てみた。何かダブダブ。花嫁の伯母というより、母親の服を着た子供みたいだった。

4~5㎏痩せただけで、こんなに違うのだろうか……と衝撃を受けた。嬉しさ半分、どうしようという気持ち半分だった。

そして昨日、服を購入した百貨店に出かけた。

購入時の店員さんは不在で、別の店員さんだった。事情を話し、とにかく着てみてくださいということで、着た。

商品の交換、返品にはレシートが必要で、それも1週間以内だという。玉屋の出張所で働いたことがあるので、この場合は補正しかないとわかっていた。それも、これほどサイズの合わない服を持ってくるお客なんて、対応に困るだろうなあとわたしは店員さんに同情した(?)。

補正が必要なのは、意外にも、スカートではなく、ジャケットだと店員さん。マーメイドタイプのスカートは上のほうを折り曲げても、全く皺にならない便利な作りなのだった。

自宅で着たときに、そうかなとは思ったが、全身が映る鏡の前で店員さんと改めて確かめてみると、マーメードタイプのラインは少しも損なわれていなかった。下手に詰めると、座ったときにむしろ無理が来たりするという。座ってみて、これも確認。

中年の微妙な体形を考慮した作りになっているのだ。若い人向きのお店で買うと、こうはいかない。絶対に失敗する。

次に、問題のジャケット。補正箇所と値段が表になった用紙を前に、店員さんが一生懸命安くあげようとしてくれていた。が、補正箇所を特定するのはなかなか難しいことらしく、「補正担当の人を呼びますから、お待ち下さい」とのこと。

その人がやって来て、相当に驚いたらしく、眉を顰めて「どうして? もう少しサイズの合うもので、好みのものはないの?」とおっしゃる。

補正の人はどうやら、わたしがこのとき買いに来たものと勘違いしたらしい。そして、サイズが合わないにも拘わらず、この服に執着していると思ったようだった。

店員さんが事情を説明。「ダイエットして痩せたんです」とわたし。「うーん、そうねえ」と補正の人。

結論からいうと、作り直したほうがいいくらい、あちこち詰めることになってしまい、補正に1万円かかることになった。

それでも、買い直すより安い。逆に太って入らなくなっていたら、これは買い直さざるをえなかっただろう。この服を購入した時点では、わたしはどちらに転ぶこともできたのだった。どちらの可能性もあった。そう思うと、戦慄を覚える。

もう少し太りそうな気がして、いくらか余裕のあるサイズにしたものだから、なおのこと今のわたしには大きすぎた。袖幅だけで4㎝詰めたほうがいいという。

そもそも、肩幅からして詰めなくてはならない。仮縫い(1,000円)もお願いした。

わたしは予想以上の出費に心の中で悲鳴を上げたが、それは同時に嬉しい悲鳴でもあったのだ。重いコートを脱ぎ捨てて軽くなったような気がしていたが、本当にわたしは厚みのある肉の服を脱いだのだった。

あんなに重い服はもう二度と着たくない。その間のわたしは、自分でなかったような気さえする。ストレスからそうなったことは否定の仕様もなく、もう何年もわたしは僻みっぽく、卑屈で、惨めだった(中年太りがそれに拍車をかけた)。

まあ、4~5㎏痩せたからといって、自分の置かれた状況が何ら変わるわけでは全くないのだが、霊感を象徴するペガサスに乗ろうにも、おなかの出すぎた体ではペガサスに気の毒な話であった。

早めに出かけてよかった。姪の結婚式までには間に合いそうだ。

久しぶりに確認した夫の礼装用の白いネクタイが草臥れていたので、紳士服売り場でそれを買い、わたしはぼーっとした頭で帰宅した。

これは余談になるが、神秘主義者としてひとこといえば、生前に節制の習慣をつけておくと、死後に楽なはずだ。タロットカードの「節制」。最近のわたしはこのカードが一番好き。

以下は、恥ずかしながら過去記事で紹介した、姪が赤ん坊のときに詠んだ句。

妹に電話をかけたときに長話になり、昔の話が出たりもしたので、つい昔作ったこの俳句の話をしたら無視されたわ。ほほほ……姉妹ってこんなもの。わたしの文学なんて、てんで信用されてないというわけ。腹の足しになるものじゃなしね。

妹産科へ緊急入院、点滴続く 一句

生まれきて伯母が立ちたる夏野見よ

姪誕生 三句

夏雲のふつくり浮かんで姪うまる

日盛りの子となり初めし産湯かな

いのち今うまれしばかり夏の赤子(やや

ベビー・ベッドの傍らで 三句 

真秀ら(まほら)から落ちし疲れか夏布団

夏布団いのち定まる刻々と

ほのかなるいのち豪華に夏布団

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2014年7月21日 (月)

ダイエット日記(16)同じパターンの繰り返しで体重が落ちていった

14日の内科受診の際、バナナアレルギーではないかとお尋ねしたところ、そうではないだろうということで安心しましたが、またおなかが痛くなりそうで、バナナを避けてしまいます。

その代わりに、グラノーラとミルクコーヒーを朝か昼にとり、夕食は普通というパターンで、ダイエットを続けています。

体重は、5月9日~7月21日で4.7㎏減。記録し始めた5月17日からは4㎏減です。

あと1.5㎏減らせれば、ダイエット終了の予定です。

終了したら、ご褒美にケーキかソフトクリームかポテトチップスを食べたいわ(今一番食べたいもの)。その後は月に一度だけ、そうした間食を一つだけ許そうと考えています。ただし、友人にあったり、結婚披露宴に出席する際は例外ですよ。

食事は朝食と夕食の1日二食にし、朝食は様子を見ながら普通の内容に戻すつもり。

あと1.5㎏減らしておきたいのは、朝食を普通にしたり、ご褒美のお菓子でリバウンドすることを予測しての貯金といいましょうか。

体調は自分では快適で、糖尿病になりそうな心配も和らいだのですが、循環器クリニックでの血液検査の結果で、よいダイエットだったかどうかがわかると思っています。下旬に検査に行って、結果がわかるのはその40日後に受診するときなので、しばらく時間がかかりますが。

わたしは家に籠もった生活をしているし、執筆に重きを置いた偏りのある生活をしていて、病人でもあり、自己流のテキトーなダイエットをしているだけなので、真似はしないでくださいね。健康的なダイエット法を紹介しているサイトは数多く存在します。

ダイエットを試してみて、間食をやめるだけでも3㎏は体重を減らすことができるのではないかと思えます。

体重が減るときは0.1㎏ずつチビチビ減るより、0.4~0.5㎏一気に減ることが多いです。減る直前に、体脂肪率、水分率、筋肉率の成績がとてもよくなります。そして2日くらい前から前触れみたいに、0.2~0.3㎏ぐらい下の数値がチラッと出てきて元の数値に落ちつきます。

そうした次の日、ガクンと体重が落ちるのです。

不思議なことに体重が落ちてからは体脂肪率、水分率、筋肉率の成績が悪くなります。そして5日~10日ほども同じ体重だったりします。小さな上下がある場合が多いですが、同じやりかたのダイエットを続けているので、大きく上下したことはありません。

同じくらいの体重が続いていく中で、「もうこれ以上体重は落ちないのかしら」と思っていると、あるときふいに体脂肪率、水分率、筋肉率がすごくよくなり、翌日ガクンと体重が減る――そうしたパターンの繰り返しでしたよ、わたしの場合は。

Onion

ビバレ・ジャパンの「淡路島産 フライドオニオン」をかけたところです。これに醤油をかけました。あっさりした冷や奴も美味しいけれど、フライドオニオンは冷や奴に合います。サラダ、スープにもよさそう。

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キャベツを買いすぎたので、煮込みに。江戸崎愛先生の『肉だんごとキャベツの煮物』です。

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そのうち、Google Play でも自己出版を

これをしよう、と思ってからとりかかるのに、わたしはだいたい半年~1年はざらにかかり、忘れてしまうことも多いので、ここに書いておこうと思います。

現在、キンドルストアに自己出版した本を並べていますが、いずれGoogle Playでも自己出版したいと考えています。

前に調べたときは「Google Play で書籍を販売する方法: チェックリスト」をよく読まなかったようで、本の登録にはISBN コードが必要だと思い込んでいました。ISBN コードを個人取得してまで……と思ったのですが、改めて読んでみると、なくても可能なようです。

ない場合は「Google では書籍に内部の識別情報(GGKEY で始まる識別情報)を割り当てます」とあるではありませんか! 

それなら、アマゾンでKDPセレクトに登録中――独占契約中――の本は対象外になりますが、そうでないものや、まだ原稿のまま眠っている作品などをGoogle Playで自己出版してみたいと思いました。

パブーを解約してしまったので、それに代わるような、ウェブブラウザ(PCから)でも利用できるところから電子出版したいという希望がGoogle Playでだと叶います。

 

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2014年7月19日 (土)

『気まぐれに芥川賞受賞作品を読む 2007 - 2012』をお買い上げいただき、ありがとうございます!

『気まぐれに芥川賞受賞作品を読む 2007 - 2012(Collected Essays, Volume 2)』(ASIN:B00J7XY8R2)を7月11日ごろ、お買い上げいただいたようです。ありがとうございます!

『気まぐれに……』は8冊目のお買い上げでした。

サンプルをダウンロードできます。
     ↓

電子児童書『不思議な接着剤 (1)冒険への道』の公開が遅れていて、申し訳ありません。あと、目次とあとがきだけなのですが、別のことに時間をとられています。

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初の歴史小説 (36)後陽成天皇の憂鬱 ①強まる幕府の干渉

 参考資料として、以下の本を借りた。後陽成天皇や猪熊事件について、触れてあるようだったので。

東福門院和子の涙 (講談社文庫)
宮尾登美子 (著)
出版社: 講談社 (2012/12/3)

 萬子媛は1625年に生まれ、1705年閏4月10日に没した。父は花山院定好。母は鷹司信尚と後陽成天皇第三皇女の清子内親王の娘だが、萬子媛は清子内親王(母方の祖母)の養女となっている。

 萬子媛が生まれる以前の1621年に、清子内親王の夫である鷹司信尚は既に亡くなっていた。花山院定好は延宝元年7月4日(1673年8月15日)に亡くなる前年、10歳になる萬子媛の長男文丸に会っている。文丸は、参勤交代で帰国する父(鍋島直朝)の船に同船して帰ってきたのだが、翌年――祖父定好と同年に――亡くなった。

 で、猪熊事件のきっかけとなったのは、以下のノートにも書いたように、花山院定好の兄だった。

 猪熊事件は公家衆と女官の乱交事件であったが、、慶長14年(1609年)に起きた。萬子媛が生まれる16年前のことだった。猪熊事件を起こしたのは、かぶき者たちである。

かぶき者:Wikipedia

かぶき者(かぶきもの。傾奇者・歌舞伎者とも表記)は、戦国時代末期から江戸時代初期にかけての社会風潮。特に慶長から寛永年間(1596年~1643年)にかけて、江戸や京都などの都市部で流行した。異風を好み、派手な身なりをして、常識を逸脱した行動に走る者たちのこと。茶道や和歌などを好む者を数寄者と呼ぶが、数寄者よりさらに数寄に傾いた者と言う意味である。
(……)
かぶき者たちは、一方で乱暴・狼藉を働く無法者として嫌われつつ、一方ではその男伊達な生き方が共感と賞賛を得てもいた。武家奉公人だけでなく、町人や武士である旗本や御家人がかぶき者になることもあった。寛永期頃から江戸に現れる旗本奴、町奴といった無頼集団もかぶき者の一類型と見られる。また、1603年(慶長8年)に出雲阿国がかぶき者の風俗を取り入れたかぶき踊りを創めると、たちまち全国的な流行となり、のちの歌舞伎の原型となった。
かぶき者の文化は慶長期にその最盛期をみるも、同時にその頃から幕府や諸藩の取り締まりが厳しくなっていき、やがて姿を消していくが、その行動様式は侠客と呼ばれた無頼漢たちに、その美意識は歌舞伎という芸能の中に受け継がれていく。

 ノート(34)に書いたように、佐賀藩でも慶長11年(1606年)、藩祖直茂が京都に出かけて留守の間に、三の丸で密通事件が起きている。

 宮尾登美子の前掲書によると、「慶長十二年、和子姫ご誕生の年、出雲阿国[いずものおくに]、大御所さまのお招きより江戸へ下り、城内にてかぶきを演じました」とある。江戸や京都などの都市部ばかりでなく、佐賀藩のような地方でもかぶき熱に浮かされる者たちがいたということだろう。

 慶長から寛永年間(1596年~1643年)にかけて……というと、相当に長い間流行が続いたということになる。慶長18年(1613年)に「公家衆法度」、慶長20年(1615年)に「禁中並公家諸法度」が制定されて、公家に対する統制は強まったのだろうが。

 猪熊事件について、宮尾登美子の前掲書では資料に添って淡々と――侍女の語りとして――書かれている。後陽成天皇については悩み多き人物として、これもまた淡々と――侍女の語りとして――書かれている。

 その理由として「武家と共存のことでつねにお悩みになられたものかと考えられます」と侍女に語らせている。

 Wikipediaには以下のようにあった。

後陽成天皇:Wikipedia 

後陽成天皇(ごようぜいてんのう、元亀2年12月15日(1571年12月31日) - 元和3年8月26日(1617年9月25日))は、安土桃山時代から江戸時代初期の第107代天皇(在位:天正14年11月7日(1586年12月17日) - 慶長16年3月27日(1611年5月9日))。
(……)
後陽成天皇の在位期間は、ちょうど豊臣政権の天下統一と江戸幕府の開始にまたいでおり、前半と後半で天皇に対する扱いが変わっている。

〔略〕
慶長8年(1603年)に、後陽成天皇は徳川家康を征夷大将軍に任じられ江戸幕府を開く。朝廷権威の抑制をはかる幕府は干渉を強め、官位の叙任権や元号の改元も幕府が握る事となった。慶長14年(1609年)に宮中女官の密通事件(猪熊事件)では、幕府の京都所司代に厳罰を要請している。
これに先立って後陽成天皇は秀吉の勧めで第1皇子の良仁親王を皇位継承者とした。ところが秀吉が死ぬとこれを嫌って弟宮である八条宮智仁親王への譲位を望むが、廷臣や家康に反対される。関ヶ原の戦い後、後陽成天皇は家康の了承を得て良仁親王を強引に仁和寺で出家させて第3皇子・政仁親王を立てる。
慶長16年、政仁親王(後水尾天皇)に譲位して、仙洞御所へ退く。

 幕府に権力を握られていく中で、子の政仁親王(後水尾天皇)とも不和が生じた。

 後陽成天皇の「自著に『源氏物語聞書』『伊勢物語愚案抄』などがあり、『日本書紀』を慶長勅版として発行」させたというから、歴史や文学に造詣が深かった。

 ところで、宮尾登美子の小説では時々、ぎょっとさせられる箇所に出くわすのだが、以下の部分もそうだった。

和子姫さまも私も、京に移りましてよりまっさきに覚えましたのが神仏への信仰でござりまして、おかげさまにてどれだけ仏さまに救われましたことか。
 武家とても祈願は込めますなれど、戦勝や家運隆盛が先だち、一個人の心の平安を求めることはいささかうしろめたい思いがいたします。それというのも、武家は戦って家を守り、公卿さま方はみずから文を恃[たの]んで家を守るということにござりましょう。

 そんな、とってつけたような。俗っぽすぎて、読む気が失せる。現代っぽすぎるというべきなのだろうか。

 日本の古典から感じられる香気は、ほとんど信仰心の香気といってよいとわたしは考えている。

 日本人は邪馬台国の時代から柔和で、信仰深かった。自然をご神体と見る感性があり、この世に生きる人間としての悲痛、真摯な思いを神仏に向けて放っていた。

 時代は違っても、恃みとする信仰対象は異なっても、敗戦まで日本人はそうだったのではないかと書かれたものを読むと、そう思わずにはいられない。その心はだいぶ失われてしまったけれど、『梁塵秘抄』は現代日本人の感性をも打つはずである。

 その心は、大正10年(1921年)から昭和2年(1927年)にかけて駐日フランス大使を勤めたポール・クローデルに、日本人について「彼らは貧しい。しかし、高貴である」といわせた理由なのではないだろうか。

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2014年7月17日 (木)

スプレー1回。ダイエットと血液検査の結果にかんする雑感。

ミオコールスプレーで、胸の圧迫感は治まった。

気温差があると、冠攣縮性狭心症の発作が起こりやすい。

が、大抵、その前に外出やオーバーワークなど、いつもより体に負荷がかかることを行っている。今回もそう。その外出とは受診だったが。

冠攣縮性狭心症の発作は、だいたい月に1~2回の発作が起きるペース。以上発作の記録。

○o。+..:*○o。+..:*○o。+..:*

14日の内科での血液検査の結果に劇的な好結果を期待していたが、そんなことはなかった。元々、軽い中年太り――程度で、4㎏痩せたとはいえ、10㎏も20㎏も痩せたわけではない。

劇的な好結果を期待するほうが間違いだったのかもしれないが、ちょっと体によい変化が起きると、なぜか、病的な状態が全てリセットされるという夢を見てしまうのだ。たぶん病気であることに、心底飽きているからだろう。

病気であるために起きてくる様々な縛り(?)が耐えがたくなってきたといおうか。

糖尿病の精密検査を受けずに済んだだけでもよかったと思わなくてはならないだろう。が、境界域にあることには変わりなく、今後も地道な努力(?)が要求されるところ。

今朝の冠攣縮性狭心症の発作からもわかるように、今の時点で心臓の検査など受けてもこれまでと大した違いはなさそうだが、体重が減ると、心臓の負担が減ることは、循環器クリニックの先生に確認済み。本当に体が楽だ。

心臓の負担が減ったことで、心臓弁膜症の悪化を防ぐ効果はあるのではないだろうか。

下旬に今度は循環器クリニックでの血液検査が待っている。内科での血液検査とは項目が違うから(重なる項目も多いが)、どうしてもこちらにも好結果を期待してしまう。

ダイエットは、これまでと変わりなく、淡々と続けている。痩せると、入浴もすごく楽。

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2014年7月16日 (水)

14日に内科受診 ※17日に追記あり

血液検査の結果にダイエットの影響は出ているだろうか、という思いで、内科受診。

日赤の内科には、副甲状腺機能亢進症疑いがあるため、その経過観察で通っている。

前回の受診時に、担当医がU先生からI先生に交替していた。I先生は女医さん。U先生は内科部長だったが、今検索してみたら、その内科部長のポストもI先生が引き継がれたようだ。

以前、I先生を大学病院で見たことがあった。

薬剤性肝炎と思われる肝機能低下で循環器クリニックの先生が大学病院の消化器内科のS先生に紹介してくださり、そのとき、内分泌の検査も受けたりしたのだが、確かに大学病院のどこかでI先生を何回か見た。

今回の内科受診では、バナナアレルギーのことも訊きたいと思っていた。ところが、「本日の予定表」を見ると、I先生の予定はボードでは足りずに紙が継ぎ足してあって、午前9時~午後4時まで予約でいっぱい。いつ、お昼ごはん食べるのかしら?

バナナが合わないと思えば自分で控えれば済むことだし、受診を短時間で済ませるためには訊かずにおこうとも考えた……が、おしゃべりなわたし、結局訊いてしまった。

血糖値のほうは、空腹時血糖値ではない。前回、空腹時血糖値ではなく普通に朝食をとったあとの血液検査だったので、今回も普通に朝食をとってきてくださいといわれていた。「ズイジGLU」と書かれた項目を見ても、自分では異常値なのかそうでないのか、わからない。

実は、ダイエット中で朝食をとる習慣をなくしていたわたしは迷った。前回――3ヶ月前――は朝食をとったのだから、今回もとらないといけないだろうと思い、仕方なく、シリアルに牛乳をかけて食べて行った。

先生が「あら?」というような表情をなさったあと、わたしの顔をまじまじと見つめて、「朝食は何時ごろとられました?」とお訊きになった。何時に朝食をとったかが問題となるようだった。

結論をいえば、「おそらく、血糖値は大丈夫だと思います。普通に診ていっていいと思いますよ」とおっしゃった。糖尿病の精密検査は不必要というわけだ。

わたしはやったー!という得意な思いで、「先生、ダイエットして4㎏痩せたんです!」とご報告すると、先生は嬉しそうに、頼もしそうにわたしを見て微笑まれ、「そう……、それを保ってくださいね」とおっしゃった。

おそらくわたしは先生より年齢が上ではないかと思うが、そのとき、完全に子供に返っていて、百点満点の答案用紙を母に見せて誉められたときのような悦びを覚えた。

が、先生は付け加えて、「境界域かもしれませんから、時々検査するといったことが必要かもしれませんが」とおっしゃる。

今、検索してみると、血糖値は専門のサイトで基準値が以下のようになっている。

  • 空腹時血糖……70~109 mg/dl
  • 食後2時間血糖……140 mg/dl未満

なるほど。空腹時血糖値からすると、今回の血糖値は基準値を超えている。食後2時間血糖だと基準値内に収まるが、わたしの場合、2時間を超えていたのだ。

バナナについてお尋ねすると、「ずっと食べていて、そういう症状が出たのであれば、たぶん腸の動きが活発化しただけで、アレルギーではないと思いますよ」ということだった。

アレルギーではないとすると、嬉しい。腹痛のせいでバナナトラウマになってしまったのだが、そのうち少し食べてみよう。

副甲状腺機能亢進症で高くなるカルシウムも基準値内だった(9.7。基準値は7.5―10.0㎎/dl。)ので、次回から半年に一度の受診に戻る。

休日だった娘と待ち合わせて、ダイエット以来初めての勝利宣言(?)としてのお茶をした。

というとオーバーだが、デパ地下にある但馬屋で、娘はコーヒーゼリーにアイスクリームがのったものを、わたしはコーヒーにオマケのようなお菓子がついたものを注文したのだった。

Co

砂糖菓子は金魚。

Ki

細長いクッキーのように見えるお菓子は「千歳木」と名づけられた玉子ボーロ。

家で改めて検査結果を見てみると、気になる項目があった。

前回は何も印がなかったのに、推算糸球体濾過量(eGFR)の項目がLになっていた。

慢性腎臓病(CKD)は、その重症度に応じて、ステージ1からステージ5の5段階に分けられており、その指標となるのがeGFRだという。

それによると、わたしは57.6で、G3a。ステージ3で、「軽度~中等度低下(60>GFR≧45)」。

ステージ3にはaとbがあって、aは軽いほう。45>GFR≧30になるとG3b、中等度~高度低下となる。

前回は66.7で、まだステージ2だった。正常または軽度低下(90>GFR≧60)だったのに、どうしてガクンと落ちたんだろうと思い、以前の検査結果を見ていたら、肝炎で大学病院に通っていたときにガクンと落ちたことがあった。

2010年11月15日に83.7だったのが、同年月29日には73.9となっている。

腎臓結石の影響はどうなんだろう? 

血尿はもう当たり前になっている。石が問題なさそうなときも、血尿がある。以前受けた膀胱の内視鏡検査では、膀胱に問題はなかった。生理の影響ももう今では考えられない。

ワタクシ的には腎臓が改めてクローズアップされそうだが、何にしても、先生は何にもおっしゃらないので、まだそれほど気にする必要はないのだろう。

減塩のことをいわれたら、腎臓病患者の仲間入り? G3bになったら、気をつけたほうがよいのだろうか。

高血圧、糖尿病、脂質異常症、肥満、喫煙は、CKDを悪化させるそうだ。

わたしの場合、高血圧のコントロールはできている。糖尿病、脂質異常症、肥満の危険が迫るのを感じ、そのためにダイエットしてきた。喫煙なし。ついでにいうと、お酒も飲まない(お正月のお屠蘇とクリスマスのワインだけが例外)。夫に爪の垢を飲ませてやりたいくらいだわ。

ALP(アルカリホスファターゼ)も相変わらず基準値オーバー。386が399に(基準値は104―338IU/l)。

 追記:
 I先生の論文をググっていた。わたしは担当医の論文を検索するのが趣味なので。
 読んでも内容はよくわからないだろうけれど、テーマの取り方や、もし概略だけではなく、全文出てきた場合は、文章力くらいはわかる。

 そうしたところ、糖尿病に関することは――患者としての努力は当然必要なこととして――I先生にお任せしておいてよいことがわかった。糖尿病が専門の先生なのだ。

 そして、患者さんのブログが出てきて「けっこう厳しい先生だという評判ですが、診察はとても丁寧」と書かれていた(勝手な引用、ごめんなさい!)。き、厳しい……のか!

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2014年7月15日 (火)

Notes:不思議な接着剤#88 カタリ派の子孫

#87で、カタリ派は絶えたと書いたが、以下の本を読むと、その精神は受け継がれていたことがわかる。

フランス・プロテスタントの反乱――カミザール戦争の記録 (岩波文庫)
カヴァリエ (著), 二宮 フサ (翻訳)
出版社: 岩波書店 (2012/2/17)

カザミール戦争が何であったのかは、Wikipediに以下の説明がある。

カミザールの乱:Wikipedia 

カミザールの乱(フランス語:La guerre des Camisards)とは、1702年から1705年にフランス王国で起こったプロテスタント(ユグノー)の反乱。セヴェンヌ戦争(La guerre des Cévennes)とも呼ばれる。 フランス南部のセヴェンヌ山脈を本拠地として反乱は拡大、国王軍は完全鎮圧に3年を要した。

『フランス・プロテスタントの反乱――カミザール戦争の記録』は、指揮官カヴァリエの回想記。わずか2,000人の農民が25,000を超えるルイ14世の国王軍を敵にまわして、戦ったという。農民を蜂起させたのは絶望だった。その蜂起はレジスタンスの性格を帯びていた。

そして、迫害の大きさ――捕まれば、投獄されてひどい拷問の末にガレー船か絞首台――にも智恵を用いて溌剌と立ち向かう清新な気、充実した宗教教育、思いやりなどはカタリ派と共通したものだ。

読み始めてすぐに、カタリ派について調べる過程で知った土地の名――ラングドックが出てきた。

「しまいには彼らはわれわれの牧師を一人残らず逮捕するか追放したから、われわれは集会なしのままでいた。最後に逮捕された牧師はロマン氏で、彼は聖マグダラ祭の日に、集会から帰る途中につかまった」という、聖マグダラが出てくるページには付箋を貼りたくなり、そうした(図書館に返すときは、忘れないように剥がさなくては)。

カヴァリエは両親、特に母親から教育を叩き込まれたようである。母親は聖書を熟知しており、多数の祈祷書、論争書、説教集を隠しておいて、カヴァリエに読ませた。

 聖書を読んでいるうちに、わたしは、ローマ・カトリック教会の教義と絶対に矛盾するいくつもの箇所にぶつかった。母は、それらの箇所について自分でよく考えなさい、と言った。そうやって母は、わたしの年齢と頭で可能なかぎり、プロテスタントの信仰の真実と教皇信仰の誤謬を、自分で発見できるようにしてくれたのである。

母親は彼女の信仰に従って子供たちを教育し、教皇教の誤謬を証明してみせた。家に説教にやってくる宣教師たちと宗教問題を議論して相手をやりこめたりしたために、父親共々ひどい迫害を受けることになった。

カヴァリエの記述から、カタリ派の祈り(カタリ派の「主の祈り」では「わたしたちの日々のパンを、きょうもお与えください」ではなく「わたしたちの物質を超えたパンを、きょうもお与えください」となっていた。※原田武著『異端カタリ派と転生』(人文書院、1991年)参照)や、グノーシスを想わせる教義を見出すことはもはやできないが、宗教教育の性格やそれがカヴァリエに与えた影響にはカタリ派を連想させるものがある。

ここで、カヴァリエによる前書から、カタリ派に触れた箇所を抜き書きしておこう。47~48頁より。

 ここで、本書の語る史実が、狂信、迷信、迫害と闘うセヴェンヌの民の登場する痛ましい記録として唯一のものではないことを指摘するのは、たぶん無駄ではなかろう。セヴェンヌの民は、ルターやカルヴァンの宗教改革よりもずっと前に教皇庁の誤謬と腐敗に異議申し立てをしたことで有名な、かのアルヴィジョアとヴァルド派の子孫である。彼らは使徒たちの時代から同じ教義と同じ礼拝を守り抜いて、かつて一度も改宗したことがないことを誇りにしていた。事実、数多くの状況からしてこの主張はごくもっともである。(……)
 先祖と同じ
貴い信条のために苦難に耐え、財産を失い、祖国からの逃亡を余儀なくされたわれわれにとって、彼らより恵まれているのは、ローマ教会への服従から脱して、真実にして純粋なキリスト者の自由の原則を奪回した信仰上の兄弟たちのもとに、避難場所を持っていることである。(……)
 われわれは不可謬性を求めないのだから、間違っていないのはわれわれだけだ、と独断的に宣言しないことにしよう!
 われわれは聖書を信仰の唯一の掟としているのだから、これに反する他の掟は立てないことにしよう!
 われわれは、われわれの宗教の最高の性格は愛である、と宣言している以上、どうかわれわれの確執が偏見と固執だけに由来するのでないことを!
 

注に、アルビジョワは南仏カタリ派の地方的呼称とある。カヴァリエは自分たちをカタリ派とヴァルド派の子孫だと明言しているのだ。

わたしはここで、現代フランスを代表するアナール学派の中世史家ジャック・ル・ゴフの『子どもたちに語るヨーロッパ史』(前田耕作監訳、川崎万里訳、ちくま学芸文庫、2009年)を思い出した。

そこでは「異端はヨーロッパ中にいたのですか」という問いに対して、以下のような説明がなされている。233頁。

 そうですが、十三世紀から十四世紀のドイツ、フランス南部、北イタリアでとくに多かったのです。これらの地域ではたびたび異端として有罪判決が下され、火刑が頻発しました。最も有名なのは〈カタリ派〉で、みなさんも耳にしたことがあるでしょう。カタリ派はフランス西部のトゥールーズ地方、アルビなどに共同体をつくりました。彼らは自分たちだけが罪を免れており、〈不浄なものである〉一般信徒の罪は教会では清められないと考えていました。教会はフランス南部の異端派にたいし、十三世はじめにアルビジョワ十字軍を送りました(カタリ派のモンセギュール城は陥落し、城を防衛した者たちは火刑に処されましたが、城は残って有名になっています)。

このカタリ派観の違い! 

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2014年7月13日 (日)

Notes:不思議な接着剤#87 洞窟に潜む女性がどんな人物かがわかった 

「不思議な接着剤」(2)で描くべき女性がマグダラのマリアではなく、『マリア福音書』を造形化した女性でもなく、神秘主義者であるが、無力な一般人であるべきだという確信がひらめいた。

『異端カタリ派と転生』(原田武、人文書院、1991年)における以下の記述は、知的、清浄、スタイリッシュであったカタリ派の凋落を物語るようでもの悲しい。

ルネ・ネリは、最終段階でのカタリ派信仰は農民のなかでもとりわけ女性によって担われ、彼女たちの社会への不平不満と結びつく一方で、妖術的なものへの傾斜を深めがちであったと述べる。

魔女は、こうしたカタリ派末期の女性を戯画化したものだともいう。

異端カタリ派は、都市部における富裕層の知識人たちによって担われ、栄えたが、弾圧されるにつれ、それは農村部に移り、だんだん迷信化、妖術化した。どんどん俗化を強めていって、ついに絶えたということである。

わたしはその最終段階が近づいた頃のカタリ派の生き残りで、自らの無力を噛みしめつつもカタリ派の教義と古文書(カタリ派が持ち出したとされる宝については、多額の金銭から聖杯に至るまで諸説あるが、古文書であったと想像したとしてもそうおかしなことではない)を守り抜こうとした人々のこと、カタリ派という一神秘主義思想の残照であれば、書ける気がする。

洞窟の中にいたのは、そんな生き残りの一人であったに違いない。子供たちは古文書が安全な場所に隠されるのを助けるのだ。

マグダラのマリアに関する古文書がどんな人々の手で守り抜かれたかはわからないながら、そのような人々がいなければ、わたしが現代日本の田舎町で、生々しくも感動的な『マリア福音書』を目にすることはありえなかった。

神秘主義者の一人として、わたしは無関心ではいられない。当時生きていたら、間違いなく、わたしはカトリックよりもカタリ派を支持しただろう。火炙りになることがわかっていても、関われただろうか――と自らに問いかけるのは恐ろしい。

カタリ派はあくまでモデルであるから、別の架空の名に変えたほうがいいだろうか? 

『不思議な接着剤(1) 冒険への道』――冒険前夜の物語で、子供の日常生活に不思議な出来事が迷い込むお話――は、間もなく電子出版します。

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ピアス『サティン入江のなぞ』を読んでいるときに……神秘主義的メモ

久しぶりに、携帯から更新している。

図書館から借りてきたこの本、フィリパ・ピアス作『サティン入江のなぞ』(高杉一郎訳、岩波書店、2002年第6刷発行)

暑くなったせいか、昨日から今日にかけて左下腹の結石痛。そうひどくはなく、雑用はこなせた。

というより、雑用に追われて水分補給も忘れていたら痛みが……といったところ。

『サティン入江のなぞ』を読み出したのが零時を回ってからだったかどうかは覚えていないが、夢中で半分読んだ。

そして、つくづく感心して「さすがだ、イギリス文学の伝統を想わせる意識の流れを捉える手法……」とメモしたとき、胸の辺りから溢れてくるオーラの光で眩しくなり、メモを取る手を止めた。

部屋の中が白い虹色の光沢を帯びた、まばゆいオーラの光でいっぱいになった。

自分の中から出たものであっても、美しいものは美しい。

世俗にどっぷり浸かり、いろいろな不安でいっぱいの暮らしなので、自分の中にこれほど力強い光源が存在しているということをすっかり忘れていた。

この光源は誰にも内在しているはずだ。

さあ、徹夜してでもあと半分読んでしまおう。

すばらしい文学作品がどれほど人間性を高めてくれる存在であるかが、自分のオーラを観察しているとよくわかる。

急いで読書しているのは、二つの図書館から合計20冊借りていて、どちらも返却日が迫っているため。

返却したらしばらく借りるのをやめ、初の歴史小説に没頭しよう。

もう逃げられない。書き始めるしかない。といってもまずは数編の短編から。

それを書くことで、萬子媛に関わりのある歴史の要所要所を可視化していきたいと思う。

 追記:
 後半部も読んだ。完読後の感想としては、物語が大団円を迎えるのはいいが、うまくまとまりすぎて、それまでは物語がシビアすぎるくらいシビアに進んできただけに、いささか不自然で、ピアスにしては……との意外な印象を持った。

 シビアすぎるくらいシビアだっただけに、これが児童文学であるため――大人の小説としても読めると思うが――明るい結末にしたいという作者の思いがあったのかもしれないと想像する。

 何にしても、心理劇といってよいくらいに少女を中心として登場人物全員の心理に気を配り、その変化する様を描いて文章を彫琢する作者の手腕に圧倒された。

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2014年7月11日 (金)

杉田久女の夏の句

台風が通り過ぎ、今日はただ蒸し暑い。気温が相当上がった地域もあったようですね。

日本の気候も変わってきて、季語にずれが生じてきそうですが、雑用の合間に杉田久女句集の夏の句を読んで共感したり、感動を新たにしたりしていたところです。

以前ご紹介した句と重なるものが多いですけれど、印象に残った久女の句を『杉田久女全集第一巻』(杉田久女著、立風書房、1989年)から抜き書きしていこうと思います。

縫ふ肩をゆすりてすねる子暑さかな

みづみづとこの頃肥り絹袷

洗ひ髪かわく間月の籐椅子に

照り降りにさして色なし古日傘

母と寝てかごときくなり蚊帳の月

さうめんや孫にあたりて舅不興

枕つかみて起き上がりたる昼寝かな

夏痩のおとがひうすく洗ひ髪

夕顔やひらきかゝりて襞[ひだ]深く

夕顔を蛾の飛びめぐる薄暮かな

仮名かきうみし子にそらまめをむかせけり

茄子もぐや日を照りかへす櫛のみね

茄子もぐや天地の秘事をさゝやく蚊

夏服や老います母に兄不幸

いとし子や帰省の肩に絵具函

羅に衣[そ]通る月の肌かな

牡丹を活けておくれし夕餉かな

牡丹やひらきかゝりて花の隈

わがもいで愛づる初枇杷葉敷けり

谺して山ほととぎすほしいまゝ

以下は、「琉球をよめる句 十三句」より。

常夏の碧き潮あびわがそだつ

爪ぐれに指そめ交はし恋稚く

栴檀の花散る那覇に入学す

島の子と花芭蕉の蜜の甘き吸ふ

砂糖黍かぢりし頃の童女髪

榕樹鹿[か]毛[げ]飯[ハ]匙[プ]倩捕の子と遊びもつ

ひとでふみ蟹とたはむれ磯あそび

紫の雲の上なる手鞠唄

海ほうづき口にふくめば潮の香

海ほうづき流れよる木にひしと生え

海ほうづき鳴らせば遠し乙女の日

吹き習ふ麦笛の音はおもしろや

潮の香のぐんぐんかわく貝拾ひ

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2014年7月10日 (木)

『村上春樹と近年のノーベル文学賞作家たち』をお買い上げいただき、ありがとうございます! 

『村上春樹と近年のノーベル文学賞作家たち(Collected Essays 1)』(ASIN:B00BV46D64)をお買い上げいただき、ありがとうございます! 

 7月4日ごろ、アメリカのアマゾンでお買い上げいただいたようです。

 『村上春樹と近年のノーベル文学賞作家たち』は22冊目のお買い上げでした。アメリカでのこの本のお買い上げは、11冊目でした。

  • アメリカ……11冊
  • 日本……10冊
  • ドイツ……1冊

アメリカでのお買い上げが、日本でのお買い上げを上回ってしまいました。

サンプルをダウンロードできます。
     ↓

以下は近日発売予定の電子児童書『不思議な接着剤 (1)冒険への道』の表紙です。絵はyomiさん。

Bg2_blog

販売中の姉妹編『すみれ色の帽子』。

早くも台風がやってきましたが、台風を生々しく描き出した以下の純文学小説は如何?

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ダイエット日記 (15)バナナアレルギー?

間食の習慣を完全に廃し、朝か昼にバナナ1本とミルクコーヒー、夕食は普通――というのがわたしのダイエットスタイルだった。

が、このスタイルが崩れそう。

というのも、バナナアレルギーではないかと疑っているので。

最近、気のせいかバナナを食べたあとで、おなかが痛くなるような気がしていた。おかしいと思い、意識的に3回試して3回ともそうだった。ググッてみると、バナナアレルギーは案外起こりやすいものらしい。

症状については他にもいろいろと書いてある。

下痢はしない。バナナを食べてすぐに腹痛が起こり、それが3時間ほど続く。病院に行こうかと迷うくらいだから、バナナを食べるのが怖くなってしまった。

腹痛以外にも、ちょっと大きめのそれほど熟していないバナナを食べたあとで急に眠くなったというか、血圧が急に低下したような感じを受けたことがあった。バナナを特に意識したのはそのときからだった。

困ったものだ……と我ながら呆れるが、もっと重いアナフィラキシーショックのような症状に結びつくと困るので、食べるのを控え、今度内科か循環器科を受診したときに先生にお尋ねしてみようと思う。

バナナアレルギーは、ラテックスアレルギーと交差抗原性があるといわれているという。以下のサイトに詳しい。

ラテックスというのは天然ゴムに含まれる樹液で、そのラテックスがアレルゲンとなり体にアレルギー反応を起こすのがラテックスアレルギー。

天然ゴム製品に絆創膏がある。わたしは絆創膏に弱い。ニトログリセリン貼付剤のメディトランステープを使っていたとき、薬自体はよく効いたが、皮膚が負けて真っ赤になり、仕舞いには潰瘍みたいになったため、使用を中止し、代わりに錠剤アイトロールが処方された。

ゲー! 体が軽くなって健康感に浸っていたというのに。ラテックスアレルギーやバナナアレルギーが本当にあるのかどうか、検査して貰ったほうがいいかもしれない。

最近では1日1食のスタイルが身についてしまい、バナナは食べたり食べなかったりだったのだが、食べても1日1本のバナナの摂取だったとはいえ、以前はたまに食べる程度だったのが、結構規則的に食べ続けたことから、こんなことになったのだろうか。

1日1食だと、別にバナナがなくても困らないのだが、もうしばらくしたら1日2食くらいには戻そうと考えている(⇒テキトーにダイエットしているわたしの真似は決してしないでください)。とりあえずバナナの代わりにパンかな。

 体重については、以下の記事に「循環器クリニックで体重測定をし、看護師さんに前回(5月9日)の体重と比較して貰ったところ、40日間で2.8㎏の減だった」と書いている。

 それからすると、5月9日~7月9日(2ヶ月)で4.2㎏減。記録し始めた5月17日からは3.5㎏減。

 10年前、ここへ引っ越してくる前の日田市で体重を測り、「中年太りしかけているみたいだから、気をつけなくちゃ」と思っていたころの体重と同じになった。あのころ、それほど本気で太りかけていることを気にはしていなかった。

 今と比べると、よく動いていたせいか、育ち盛りの子供たちと競うように(?)食べても、それでどんどん太ったりはしなかった。ああようやく、あのときくらいの体重に戻ったわと思い、わたしは深い満足感に浸った。

 もう少し減らしたいのだが、無理であればこれくらいでもいいと思っている。

 一度こんなダイエットを経験して、肉襦袢を脱いでいく快適さを味わうと、もう一度あの肉襦袢を纏うのは真っ平だと思う。何しろ、体か軽くて、心臓も快適なのだ。

 そもそも前世では痩せた修行僧だった――とわたしの魂は記憶しており、子供のころは瞑想の習慣を持っていた――癖に、何という堕落であったろう(?)。

J1

キッコーマンのサイト「ホームクッキング」で閲覧した『カリカリじゃこと梅の混ぜご飯』が美味しい。

C1

土井善晴先生のレシピ『青梗菜と牛肉の炒め物』は簡単にできて、美味しい。以下の過去記事にレシピあり。

20140709215824

 よく焼き厚揚げをするが、焼き厚揚げを切ってサラダに散らしても美味しい。すり胡麻を振り、和風ドレッシングで。

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2014年7月 8日 (火)

那須田稔著『もうひとつの夏』(木鶏社)を読んで

もうひとつの夏
那須田 稔 (著)
出版社: 木鶏社 (1993/11)

作りすぎのきらいがありはしないか?

danger以下、ネタバレあり、注意!

朝鮮人と日本人とのハーフの少年キムは炭鉱事故で父親を亡くし、失踪した母親を探して海辺の町にやってきた。そこで、彼は戦争で息子を亡くしたショックから頭のおかしくなった源じいと暮らしている。

源じいはキムがトランペットを吹いてやると、喜ぶのだった。源じいだけは、朝鮮人のキムをいじめなかった。

泳ぎの達者なキム。トランペットの上手なキム。黒い小イヌを連れているキム。キムは神出鬼没で、どこか透明感があって魅力的に描かれている。

主人公一郎の叔父は、引き揚げ船の中で知り合った金山と名のる朝鮮人の老人から、息子に会ったら渡してくれるようにとお守り刀を託される。戦争中に日本に渡ったまま行方不明になった息子を探すために密航した金山は、それが露見し、朝鮮へ強制送還されることになったのだった。

そのことを叔父が小学6年生のときに書いた作文で知った一郎は、金山の探していた息子というのはキムの父親ではないかと想像し始める(そうではないことが、あとでわかる)。

そのキムに、養殖魚泥棒の濡れ衣が着せられる。

どこかロマンティック、図式的な描き方で、わたしには違和感があった。

何より、日本で生まれ育ったキムが、際立って異邦人のムードを湛えているところに不自然さを覚えた。

キムが生まれ育ったと思われるような廃坑町に夫の転勤で長く暮らしたため、よけいにそう感じられるのかもしれない。

キムは炭鉱事故で父親を亡くしたそうだが、そこには朝鮮人が結構住んでいたのではないだろうか。

キムはあえてそこを出て、日本人の母親を探しに来た。

母親がキムを置いて家を出たのはなぜなのだろう? 母親は海辺の町で既に死んでいたというが、その辺りの事情は一切語られず、海辺の町で源じいが死ぬと、今度はキムは父の国に旅立つというのである。

放浪癖があるのかもしれないが、この辺りの展開が不自然で、キム少年が狂言廻し的に用いられているように感じられる。主人公の一郎がひと夏の思い出として美化するのに都合のよい展開であるような……。

キムを陥れる鈴木建は「ドラえもん」のジャイアンのように描かれている。そして、この鈴木健という中学生もある種の戦争被害者である。

太平洋戦争末期に日本兵が海辺に築いた小さな「とりで」で、若い兵だった健の兄は敗戦に自責の念を覚えて自殺した。それを知った日から、「とりで」に兄への草花を供えるようになったのだが、その「とりで」がリゾート計画のために壊されることになったのだった。

村会議員の父に「とりで」の温存を頼んだが、その願いははねつけられ、健はグレた。父親への反発はともかく、署名活動でもする方がわたしには自然な展開に思え、ここでも登場人物が狂言回し的に使われている印象を拭えない。

一郎が小学6年生なのだから、従妹の由紀子も小学生なのだろうが、エビフライ、黒ダイの刺身まで作る料理上手である。おさんどんに追われて気の毒なのに、ずいぶん活動的で、作者に塩づくりまでさせられそうになる。

一郎との間に生まれた友情はキムを日本につなぎ止めえない。キムを父の国に帰すことで、戦争加害者としての日本人の罪意識を浄化しようとする作者の意図が隠れてはいないだろうか?

また、戦争ロマンティシズム、ノスタルジーというと、語弊があるだろうが、戦争も文化を生んだのだと思わされるようなフグちょうちんや塩づくりが美しく再登場する描き方に、そう感じさせられるものがある。

図書館から借りた『シラカバと少女』を半分くらい読んだとき、注文した本が1ヶ月ほどして届くとの連絡があった。

あと半分は本が届いてから読もうと思っているのだが、『ぼくらの出航』『シラカバと少女』に比べると、この『もうひとつの夏』は作者の創作姿勢にやや甘さが感じられるように思う。

それでも、戦争に関する貴重なエピソードが散りばめられ、作品の随所に美しい描写があり、文章もすばらしいと思う。塩づくり、やってみたくなる。

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2014年7月 7日 (月)

世界で起きているサイバー攻撃の様子がリアルタイムでわかるサイト

過去記事で書きましたが、最近までわたしは当ブログのサイドバーに連絡先としてHotmailアドレスを表示していました。

それを使ってMicrosoftアカウントをのっとろうとする攻撃に晒されていることが、「最近のアクティビティ」を見てわかり、ゾッとしました。

パスワードを複雑なものに変更し、しばらく様子を見ていました。それでも気持ちの悪さが拭えなかったので、そのメールアドレスを棄て、さらに2段階認証を有効にしました。

どこにもクレジットカード登録などはしていませんが、アカウントをのっとられると、それを用いて何をされるかわかりませんから、怖いですよね。

もはや、うっかり連絡用のメールアドレスを表示することすらできない御時世となってしまったようです。

で、Microsoftの「最近のアクティビティ」を見たところでは、不正侵入を試みたのは日本からも多かったのですが、それ以上に中国――特に北京――からが目立ちました。

こうした出来事から、セキュリティ関係やサイバー攻撃といったことに興味が湧くようになり、今日は、世界で起きているサイバー攻撃の様子がリアルタイムでわかるサイトを紹介したブログを閲覧しました。

世界で起きているサイバー攻撃がリアルタイムでわかるサイトというのは以下です。

danger 2016年8月14日に確認したところ、閲覧できなくなっていました。

さっそく閲覧してみました。ブラウザをGoogle Chromeにして見る必要があります。

いやあ、凄い、凄い。まさに世界はサイバー戦争のまっただ中にあると実感させられますよ。アメリカ大丈夫かしら、と心配になるほど攻撃を受けています。中国からの攻撃はやはり――ね。

上記サイトを紹介しているブログ記事は以下です。わかりやすく解説されています。

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『不思議な接着剤 (1) 冒険への道』の表紙

『不思議な接着剤 (1) 冒険への道』の表紙です。

絵を担当してくださったのはyomiさんです。

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サイト「足成」から写真素材をお借りして作成した最初の表紙は内容との食い違いが気になっていました。(2)の表紙だといいかもしれませんが。

yomiさんの絵は、時間旅行に入っていく前の変わった出来事を描いた(1)には合っていると思います。

yomiさん、貴重な絵をありがとうございます。

まだ目次やまえがきが残っていますが、公開までにそれほど時間はかからないと思います。

小学4年以上の読者を想定していますが、現実的に考えると、読んでくださるのは大人でしょう。

(2)では冒険活劇といってよいような場面も出てきますが、この(1)ではむしろ、学習教室を経営している母親をそれとなく助けて暮らしている兄弟と、彼らと幼いころから仲よくしている少女――といった子供たちの微妙な心理の動きに焦点を当てた児童小説になっていると思います。

過去記事で書いたかもしれませんが、わたしの両親も隣の家の子のご両親も共稼ぎだったので、わたしと妹、お隣の家の姉弟の4人で、それは楽しく、時には心細いことになったりしながら、助け合って暮らしていた日々がありました。

母親はどちらも電話局に勤めていて、夜勤、宿直がありました(母親たちはよく一緒に出勤していました)。わたしの父は外国航路の船員で、留守が普通のこと。家政婦さんが来てくれていたとはいえ、いつも彼女がいてくれるわけではなく、何でも相談できるというわけでもなく、両親が家にいなくて困ったことがよくありました。

隣の家の子のお父さんも仕事やおつき合いで遅いことがあったりと、子供たちで助け合う場面は結構あったのです。

例えば、大人たちが不在のときにひどい雷が鳴ると、どちらかの家に駆け込んで、薄暗い中、4人で布団に潜り込んだりね。妹と2人だと本気で怯えるだけでしたが、4人揃うとキャーキャーいって、怖いのも楽しくてたまらないようなところがありました。

おなかが空くと、皆でラーメンを作ったり、フライパンでソーセージを焼いたりして、腹ごしらえ。

作品に登場する3人の子供たちを描くに当たっては、自身の子供のころの思い出や、子育てしていたころの記憶、公文教室で働いていたころのことなどが参考になっています。

この(1)があってこそ、(2)での時間旅行が生きてくると考えています。

(2)からは舞台がヨーロッパ中世に飛びます。創作ノートを公開していますので、異端カタリ派やマグダラのマリア伝説などに興味がおありのかたはどうぞ。

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2014年7月 6日 (日)

『不思議な接着剤 (1) 冒険への道』のルビ振り、ようやく終わり! 初の協同作業へ向けて始動。

『不思議な接着剤 (1) 冒険への道』のルビ振りがようやく終わりました。

ルビ振りやり出すと、創作が停滞する泥沼に填まるような気がしますが、電子出版であれ、子供向きの本を自分で出そうと思えば、避けられないことかと。

冒険物語、前夜――といった内容ですが、これを出してからでないと、初の歴史小説に本格的に取り組む覚悟ができませんでした。

表紙はyomiさんが提供してくださりそうなので、変更になりそうです。本当に提供していただけるとすれば、わたしにとっては初の協同作業ということになり、ちょっぴり興奮しています。

息子は夏にアメリカ、秋にイタリア出張が決定したとか。社会人として働きながら大学のドクターコースに籍を置いていますが(物理寄りの化学で、ちょっとマイナーな研究領域)、会社の仕事と大学での研究とがリンクするようになり、出張は学会に出るためだとか。

わたしもイタリアに行けたらなあ。そうしたら、『不思議な接着剤』(2)を書くための参考になりそうなんですが。息子は観光で行くわけではないので、どんな感想が聞けるかはわかりませんが、歴史好きの息子が捉えたイタリアの印象、少しは期待したくなります。

『不思議な接着剤』の陰の主役、時空を超えて商売の手を拡げるアルケミーグループが関係する物語はシリーズにしたいと考えている児童小説です。

『不思議な接着剤』(1)(2)は三人の子供たちが主人公。主人公の一人、瞳という少女の視点で描いた日記体児童小説を既に電子出版しています。『不思議な接着剤』とリンクする部分はあるのですが、カラーが異なります。

サンプルをダウンロードできます。
    ↓

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2014年7月 4日 (金)

集団的自衛権が若者の不安をそそる理由。スイスの『民間防衛』。JJ氏の予知夢。

 1日の臨時閣議で、政府は集団的自衛権の行使を限定的に容認する憲法解釈の変更を決定しました。

 左翼、反日系の人々の反対運動は盛り上がりに欠けたようですが、若者の間で徴兵制が布かれるのではないか――という漠然とした不安が拡がっているという記事をニュース記事検索中に見ました。

 集団的自衛権行使の限定容認が決定されたからといって、そんなことはまずないだろうと思いますし、自衛隊との関係でいえば、この限定的容認の決定が自衛隊の行動の縛りをむしろ強くする――ために、まずい場合もある――という見解もあるようです。

 いずれにしても、しきりに威嚇してくる近隣諸国や世界の警察官を自負したくなさそうなオバマ政権を見ていると、わたしたち日本人もそろそろアメリカにおんぶに抱っこを期待してばかりいるよりは、スイス人にでも倣って国民一人一人が防衛意識を高めるべきではないかという気がします。

 KAZUYA CHANNELのKAZUYAくんが、以下の動画で防衛意識を高めるのに役立ちそうな本を紹介しています。

永世中立国スイスの民間防衛に学ぶ 現実的平和主義

 緊縮経済下にあるわたしは、那須田稔氏の本を数冊買ったばかりなので(50円の美品!は本当でした。新品も同然の本でした)今すぐには買えませんが(ここの図書館には置いてないようです)、そのうち買いたいと思っています。

 スイスはさすがですね。この本は、防衛ばかりでなく、防災意識を高めるためにも役立つそうですよ。

民間防衛―あらゆる危険から身をまもる [新書]
原書房編集部 (翻訳)
出版社: 原書房; 新装版 (2003/7/4)

 ところで、同じ記事で予知夢について書くのはナンですが、現在「予知夢、予言」をテーマとする掲示板で脚光を浴びているのは、過去記事で触れた「2062年から来た未来人」「JJ氏」「ケイン」といったお三方の書き込みでしょう。

 書き込みの内容の信憑性とは別なところで、わたしは2062年未来人の書き込みにはスタイリッシュなものを、JJ氏には優しさを感じ、ケインの書き込みは比較的短い日数で予知の検証が可能――といったところが魅力的です。下手なSFを読むより、楽しいのです。

 で、今回採り上げるJJ氏の予知夢とは、彼がすごく疲れていて、心の中で強く「見たい」という意志を持って寝たときに予知夢という形で時々見ることができるのだとか。検証可能だった最初の予知夢は小学校3年のときに見た(1982年)、ホテルニュージャパンの火災の夢だったそうです。

 彼の予知夢は2004年11月8日、2ちゃんねるの「未来が予知できる人います?その9」にJJというハンドルネームで書き込まれたのが最初でした。2035年ごろまでの未来が予知夢として描かれています。

 わかりやすくまとめられたサイトが沢山あります。おすすめは以下。

 JJ氏の書き込みにはいろいろと興味深いものがあるのですが、集団的自衛権の容認を連想させるものがあります。

 そして、彼の夢では憲法が改正されています。その原因となったのは有事です。以下に、それに関係のある部分を引用します。

私がわかるのはいわゆる憲法9条が改正されてるみたいです。「自衛隊」も呼称が変わっています。 なぜわかったかというと、2017年5月23日に見た新聞で現在の「自衛隊」という言葉ではなく 「自衛軍」という呼称に変わっていたからです。夢の中でその記事を見ていたのです。 内容は見直しが必要かどうかのような論争が記事だったと思います。

ここでいう「内容」とは憲法を改正の内容、見直しとは改正した事への見直しの意味です

2017年5月23日の政権与党は社民党や共産党じゃないです。

要は独立国として一般的な国になる、要請があれば国際協力で軍隊を提供する、それに関して法律の整備 (その関連で憲法の改正もした)と、こういうことです。 悲しい出来事ですが、これは私が言葉の使い方が悪かったとおもいます。これに関しては 私が未来で、居間の端末(おそらくパソコンだと思うんだけど今のテレビに画面が出ていたので なんともいえません。キーボードなかっし・・)で記事を見たんです。 「ちょっと」という言葉をつけたのはその事件に関しては今聞けば相当大きなことなんだけど その事件が起こってからもうすでに時間が経っているからでしょうか、タイムリーで起こって いるわけじゃないからでしょうか・・ともかくそれほど大事件的なあつかいでなかったので わたしもその夢の中のイメージをひきずって「ちょっと」とつけたんだと思います。 これは「悲しい出来事」と変えさせてください。いま起こるわけじゃないし、非常にむずかしい問題なので そのまま書くということはできないけど、残念ながら自衛隊がその本来の意味で仕事をするような ことが戦後の日本の歴史史上で初めて起こるということです。

憲法改正する前に事件がおきるんです。憲法改正したのはその後でしょう。 つまり現状のままの体制で歴史史上初めてのことが起こるんです。

憲法がいつ改正したのか側からないのであんまり的確な事はお答えできないですけど、アメリカは 日本の選択を尊重したような感じだと思いますが。 私が見た時代では別段アメリカとの関係が悪いという印象は受けませんでしたしね。 夢を見た当時、アメリカやその他の国と集団安全保障を結んでいる様子をみると、アメリカがいろいろ 昔みたいに日本の選択にちゃちゃを入れることはないかと思うのですが・・・ ただ軍事協力?というか武器開発?見たいな事は日本の企業とアメリカの企業の協力関係のみでやっているみたいで 未来での安全保障会議で槍玉に上がっていたみたいでしたけど・・

国土って言うか海上なんです。だけど軍隊は日本本土に上陸するわけじゃないけど 一部地域に着弾があるていう感じだと思います。

本土というか島?には着弾するようですがこれで直接的に民間の人に被害は出ません。 戦闘で被害がでるのです。

もう一つ補足ですが中国は2017年5月23日時点で分裂していたという事です。 分裂したのがいつかはわからないです とりあえず昨日書き込みしたんですけどちょっと釈明させてください。 どうにもこうにも自衛隊と交戦したのが韓国のような書き込みありましたけど、ちがいます。 昨日自分がぼかして書いたらいいかと思ったんだけど、余計悪かったですね。 ぶっちゃけて言えばあの国です。 あと正直、その起こった時のことをタイムリーには見ていないのです。ですから正確に どこの海上で起こったのかとか、果たしてどういった理由で中国が干渉してきたのかとかはたまたそれがどういうレベルのものだったのかとか、韓国がどういうかかわりを持って いたのかとか等は本当にわからないのです。 ただ自分の夢の中で雑誌などで、その辺の記事をちょっと拾い読みした感じで事実を拾っているだけですから。 だから例えば、北朝鮮が本格的に海上で戦闘を行ったのは考えにくいですし、あまり現実的では ないと思いますよね。私の夢の中でも、もし本格的に戦闘が行われていたとしたら、もっと違う 扱い方をしていたんじゃないかなと感じたんです。ちなみに2017年5月23日では統一国家のテレビでの扱いを見るに、確かに友好的ではないにしろ かなり収まりを見せている感じもしているので、果たして国交も結んでいない状態なのかと言われると そんな感じはしなかったんですけどね・・・。

私が記事で見たのは海上保安庁と自衛隊の犠牲者です。その後のあつかいについてはわかりません。ただその中で犠牲者がでたとのことしか読んでません。何人なのかもわかりません。

自分が政治大国と感じたのは、集団安保の会合をしているときの夢を見たんだけど、日本の代表者(誰だかわからない。外相?)がずいぶんとイニシアチブをとった感じでそう受け取りました。ずいぶん後の時代の夢だったと思う。

 生々しいJJ氏の夢ですが、大変なことがあるにせよ、未来の日本は概ね「そうとう豊かで国力が大きくなっているみたい」だそうです。そうなれればいいですね。未来ではロボット産業も盛んだとか。

 6月5日、ソフトバンクが人型ロボット「ペッパー」を発表しましたね。本体価格19万8,000円というパソコン並みの価格には、驚かされました。ほしいわ~。政府はロボット産業に力を入れるようなことをいっていましたっけ。

 現在の日本は、もう既にJJ氏の豊かな未来の夢のうちにあるのかもしれません。我が家はまだ苦しいですが、2062年未来人が確か「2014年までは日本はあがいてもどうにもならない。耐えるんだ!」みたいなことを書いていましたっけ。耐えましょう。

 JJ氏は書いています。

自分が原チャリで走っている夢見たんだけど、そのときは建築現場で資材を運んだり、加工したりしているロボットが居た。(例えるならエイリアン2で出てきたようなロボットかな) あとCM(ネットCMみたいな動画のCMだった)で、自立移動可能な家庭用ロボットの宣伝してました。 「遊び相手も留守宅のセキュリティーも料理も何でもできるよ!」みたいなコピーで、名前は~とかいうネーミングがついてました。(ノートに記入してある)介護ロボットの云々については不明。なによりも自分の将来のすんでいる家に、ロボットと思われるる物体がありました。自分で自由に動いていて、リュック代の大きさの箱をつけてフローリング掃除してました。まあそういう夢の姿をみてロボットが日常の生活にとけ込んでいるのかなと、思ったわけです。

 2020年の東京オリンピックもJJ氏は夢で見ています(2005年の書き込み)。

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2014年7月 3日 (木)

干し椎茸が寄り添う高野豆腐。ココナッツミルクスープ。

 カルディにコーヒー豆を買いに出かけたとき(そのときデップ様主演の映画『トランセンデンス』を観たので、感想を書かなくちゃと思っています)、ココナッツミルク缶が沢山出ていたので、買ってみました。

 そして、サイト「レシピ大百科【AJINOMOTO PARK】」の以下のレシピを参考にココナッツミルクを使ってみたら、優しい味わいで、とても美味しかったですよ。

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 わたしは、鶏肉の代わりに冷蔵庫にあったウインナーを使いました。

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 久しぶりに作ってみて、高野豆腐って何て美味しいんだろうと思いました。高野豆腐は娘の好物です。

 最近は戻さずに使えるタイプが主流? ググってみると、そういうわけでもないような……。だし付なんかもありますよね。

 わたしは戻さずに済むタイプの高野豆腐を使い、だしは昆布と削り節でとりました。調味料の分量は袋の裏側に載っていたので、それを見ました。

 高野豆腐には干し椎茸がとっても合いますね。干し椎茸が寄り添わない高野豆腐なんて――と思ってしまうほど。椎茸を戻したときの水も少し使いました。

 ところで、とり天を作ってから、家族二人がとり天、とり天、鳴くので、近々また作ろうと思っています。

 そういえば、ダイエット中のわたしにとり天が重くのしかかってきたかどうかの報告がまだでしたっけ。

 体重への悪影響(?)はありませんでしたよ。外食したときは明らかに体重が増え、しかもそれがなかなか落ちないのですが、家庭料理ではそれほどの影響が出たことはほとんどありません。

 例外的に、外食したときほどではありませんが、揚げ物は影響が――というのがダイエット記録をつけてみたわたしの結論としてありました。

 ですから、揚げ物で、これほど影響が少ないとは思いませんでした。ヘルシーな鶏むね肉を使ったのがよかったのでしょうか? 

 でも、これはあくまでダイエット記録を適当につけているオバさんの感想にすぎないので、参考にはしないでください。

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 大分名物、とり天。大分県に来てからずいぶんになるのに、なぜか、とり天を作ったのは初めてでした。単に、料理するときに思いつかなかったというのがその理由です。

 東京で一人暮らしをしている息子に食べさせてみたい。

 美味しいですよ、一度作ってみてくださいね。

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2014年7月 2日 (水)

「ザ・ボイス」で聴く集団的自衛権

 昨日――1日――の臨時閣議で、従来の憲法解釈を変更して限定的に集団的自衛権の行使を容認することが決定されました。

 夜、NHKニュースを観ていたら(BSだったかな)、この集団的自衛権に対する世界各国の反応……と出てきたので、諸外国のどんな反応が聴けるのかと期待したら、中国、韓国、シンガポールの反応だけでした。

 時間が経ってまたニュースが始まり、集団的自衛権に対する世界各国の反応……と出てきたので、また期待したら、今度はアメリカ、中国、韓国の反応だけでした。

 世界地図を作らせたら、さぞ小さな世界が出来上がるでしょうね。

 仕方がないので、ネットニュースを観たり、AM1242ニッポン放送「ザ・ボイス そこまで言うか!」からYouTubeにアップされた「その日のニュースを分析・解説していくニュースピックアッ­プセブン」などを聴いていました。

 テレビで視聴できるのは左巻視点のニュースが多いので、右巻の分析・解説を聴いて何とかバランスがとれるといった次第。

 各人各様の語り口には現実味があります。以下にリンクした動画は、集団的自衛権の閣議決定がなされる前のニュース分析・解説で、集団的自衛権に関わりのある事柄が語られていますが、他のニュースも混じっています。

  • 2014/06/16 ザ・ボイス 勝谷誠彦 ニュース解説「バグダッドのアメリカ大使館員 一部が退避へ」「「米艦での日本人救出」過去の交渉でアメリカが拒否」など
    https://www.youtube.com/watch?v=RqOOQCKfKm8
  • 2014/06/19 ザ・ボイス 青山繁晴 ニュース解説「集団的自衛権、国会閉会後も協議続行へ 与党の党首会談で確認」「アメリカのバイデン副大統領 イラクの3人の指導者に結束を求める」など
    https://www.youtube.com/watch?v=Zx-OHOFGcJo
  • 2014/06/25 ザ・ボイス 菅原出 ニュース解説「集団的自衛権 閉会中審査に向け野党と調整へ」「米軍 イラクに軍事顧問団の配備開始」など
    https://www.youtube.com/watch?v=mK1OJg67620

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