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2014年4月10日 (木)

初の歴史小説 (26)参詣記

 カテゴリー「初の歴史小説」を非公開にしていましたが、自分自身が使いにくいので、公開設定にしました。このカテゴリーに入れた記事は、フィクションを書くために素人が気ままに書き留めたメモすぎないので、参考にはなさらないでください。前もってお断りすることなく、急に非公開にすることもあるかと思います。ご了承くださいませ。

 祐徳稲荷神社は遠いので、時間がかかることはわかっているのだが、午後2時くらいまでに着けるように行ければ、娘の厄祓いをお願いし、祐徳院様(萬子媛)のお社の前で初の歴史小説を書くご報告をし、祐徳博物館をゆっくり見るくらいの時間はとれると思った。

 それで、早朝、もう少し家族を寝かせておきたいと思い、わたしはKindle本に新しい洋服(表紙)を作ってやっていた。しばらく熱中してふと顔を挙げると、目の前の空間に金色の短冊状のものが棚引くのが見えた。

 これは肉眼には見えないもので、神智学がいう透視力が目覚めてきてからこうした類のものが次第に見えるようになった。いつからその透視力が目覚めてきたかというと、大学時代から『枕許からのレポート』を書いた頃にかけてだったように思う。

 文通をしてくださった神智学の先生――先生は多くの人々と文通をなさっていた――がお亡くなりにあと、先生はあの世に行かれる前に透明になったお体で挨拶に来てくださったのだが、その後しばらくしてから空間に星のようにきらめく色つきの光の点を見るようになった。

 空間はわたしには見えない世界からのメッセージボードのようなもので、それまでにもいろいろと見えることはあったが、ある種の規則性を持ったものが見えるようになったのはそれ以降だった。

 それが何なのかはわからないが、先生からの、あるいは見えない世界からの助言ではないかと想像している。

 金色の短冊はそれとは異なった。それを目にすると同時に「急いで」と優しくいわれたような気がした。祐徳院様のお使いかな、と思った。

 それでもまだ時間はあると思い、Kindle本の洋服に熱中していたところ、どうしても済ませておきたい急用ができたため、出るのが大幅に遅れてしまった。

 午後1時になろうとしていた。おまけに雨が降り出していた。お祓いの受付は4時だから、休憩時間を入れると間に合わないかもしれないよ、と夫はいう。別の日に変更する、どうする?と、家族と話して決行することにした。

 運転してくれる夫には連休をとって貰っていた。次に行くとなると、今度はいつとれるかわからない。間に合わなかったら、また来なくてはならないが、祐徳院様に初の歴史小説を書き始めることをご報告するくらいのことはできるだろう。

 お使いをよこしてくださるくらいだもの、祐徳院様はわたしの執筆によい反応を示してくださるに違いないと楽観した。その反応とは、前回の寒いときに感じられた暑い感じや春風の贈り物のようなものだろうと想像した。

 一般参拝者の諸祈願は御神楽殿で行われる。祐徳院様をお祀りしてある石壁神社(せきへきじんじゃ)はもっと上の別の場所にあった。

 わたしはお祓いを祐徳院様のお社でしていただければどんなにいいだろう、と空想したりしていた。ご祭神である倉稲魂大神(ウガノミタマノオオカミ)、大宮売大神(オオミヤノメノオオカミ)、猿田彦大神(サルタヒコノオオカミ)といった神様方はわたしには抽象すぎて、ぴんと来ない。

 前回のお祓いのときは大勢だったので、そのせいもあったのか、祝詞も太鼓の音も何となく聴こえて来た感じだった。

 到着したときは時間を過ぎていたと思う。受付の窓に男性の顔が見えたので、「まだよろしいでしょうか?」とお尋ねすると、大丈夫ですよ、とおっしゃった。

 お祓いしていただくのはわたしたちだけだった。雨が降っていたので、温かい最近にしては寒かった。

 お祓いが始まると、すばらしい祝詞の声、それに名演奏といいたくなる太鼓の音に魅了され、自分が音楽会の会場にいるのか神社にいるのかわからなくなるほどだった。神主さんは何人かいらっしゃるのだろう。前のときの人とは違っていた。

 そして、その祝詞の最中、前に祐徳院様のお社の前で感じたような、まるで南国にでもいるような快い暑さを覚えた。同時に、微笑に包まれているような感じを受けた。

 実はその直前に寒さからか喘息の発作が出かかっていたのだが、引っ込んだ。祐徳院様が臨在なさっているのだ、とわたしは思った。

 太鼓の音が止み、お祓いが終わったとき、思わず拍手しそうになった。外へ出ながら、娘が「上手だったねえー、神主さんって太鼓もできなきゃならないんだから大変だよね」といった。本当にすばらしかった。

 石壁神社に行こうとしたとき、中村雨紅の作詞で知られる「夕焼小焼」の曲が流れた。

夕焼け 小焼けで 日が暮れて
山のお寺の 鐘がなる
おててつないで みなかえろう
からすと いっしょに かえりましょ

「からすといっしょにかえりましょうって、そんな」とわたしは慌てた。神社に営業時間があるのは当然だが、もしかしたら見えない世界にまでそれがあるのでは――と思ってしまったのだ。

 そのせいだと思いたいが、祐徳院様のお社の前で初の歴史小説のことをご報告しても、何の反応も感じられなかった。雨が降っていて、夕方だし、寒かった。前のときのエアコンを効かせたお部屋に招かれたような現象は起きなかった。

 御神楽殿では確かに祐徳院様の臨在が感じられたのに、小説に反対ということなのだろうか、とわたしは動揺した。

 動揺したまま、次に何をしたらいいのかわからなくなっていると、先のほうに歩いていったらしい娘が、「水鏡があるよ」とわたしを呼んだ。

 今、神社のホームページを見て思ったが、あのとき雨が降っていたことはよかった。ホームページの写真を見ると、水が写っていないために、水鏡ということがよくわからないのだ。

 わたしは反応がなかったことを気にしていて、写真なんか撮ったら罰が当たりそうな気がしていた。しかし、断食入定なさった寿蔵と水鏡はぜひ撮りたかった。わたしはカメラの腕がよくない上に、未だに扱い慣れない携帯で撮ると、よくぼける。

 この雨で夕方だから、絶対にそうだろうと予想した。万一ちゃんと写っていたら、それは撮影に許可をいただいたことだと思うことにしようと考えた。

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 この御本殿の上のほうに石壁神社がある。

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 神社の傍らに位置している。圧縮以外には修正を加えていないのだが、晴れた昼間に撮ったみたいに写っている。

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 石碑。

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 実際に見ると、岩の窪みは鏡の形に円形で、そこに水が溜まっていると、これこそ水鏡という印象を受ける。写真ではあまりわからないが、澄んだ水がきよらかに溜まっていた。

 以下は神社のホームページからの引用。

水鏡(みずかがみ)

祐徳院様(花山院萬子媛)は古田村(現在の鹿島市古枝)に庵を結び、以後十九年神仏に仕えお暮らしになりました。村人からは大変敬慕されていました。

ある日、一人の村人が畑で獲れた野菜を祐徳院様へ届けた時でした。
「○○さん。実は私は今日あなたがここへ来ることを朝から知っていました。」
村人は驚いて尋ねました。
「なぜそんなことが分かられたのですか。」
祐徳院様はやさしく答えられました。
「私は毎朝あの水鏡を見ています。今朝水鏡の中に野菜を持ってここに来るあなたの姿が見えました。だから分かったのです。」
こうして村人たちは祐徳院様の優れた徳を知り、益々お慕いするようになったとの事です。【地元古老による昔話】

祐徳院様が吉凶を占っておられたとされる水鏡は現在も石壁神社横にあります。

 前に来たときは水鏡がここにあるということに気づかず(石壁神社横にあると書かれているのに)、祐徳院様が修行なさった庵はどこだろうと思っていた。

 が、水鏡を毎朝見ていらしたというのだから、庵が遠く離れたところにあったはずはなく、石壁神社の側にある小さな建物がそれを想像させる。いや、神社があるその場所こそ、そうではないだろうか?

 秋ぐらいに取材に出かけて確かめられたらと思うが、夏には姪の結婚式があり、嬉しいが、お金が飛ぶので、行けるかどうかわからない。

 下りたとき、娘が「御神籤を引こうよ」と誘った。わたしは「嫌よ」といった。前に来たときも引かなかった。父と夫が引いて凶が出たことがあり、引きたくなかった。

 それでも、娘が珍しいことにしつこく引こうと誘う。

 仕方なく、引いてみることにした。もし凶が出れば、それは歴史小説を書くなということだ。筋金入りの仏教徒だった祐徳院様も水鏡で占いをなさったのだから、未熟なわたしが占いをしても悪いはずがないと思った。

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 娘もわたしも大吉だった。大吉ばかり出るようにシステムが変わったのか(?)と思ってしまったが、近くにいた3人組のおばさんたちが引いて、口々に何と出たかいい合っていたのが聴こえ、その中に大吉はなかった。

 わたしが受けとったメッセージはこうである。小説に関することは世俗の出来事、あるいはミューズ――和風にいうと、弁財天か? インドではサラスヴァティー――の領域であり、祐徳院様はタッチなさらないのだ――と。

 高級霊はこのようであることをわたしは神智学を通して学んだはずなのに、砂糖菓子のように甘ったるい庇護を求めていたのかもしれない。それは間違っていた。わたしが自分で考え、自分でミューズの霊感を受け、自分でその仕事を果たしてこそ意味があるのだ。

 でなければ、それは芸術ではなく、お筆先になってしまうだろう。さすがは祐徳院様、と思った。

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 門前商店街のお店に、なつかしいお菓子「すずめの玉子」があった。

 清々しい参詣だった。

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