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2014年4月の26件の記事

2014年4月30日 (水)

アストリッド・リンドグレーン「はるかな国の兄弟」を考察する

 目下、kindle本にする予定で『不思議な接着剤1 冒険への道』のルビ振りをしており、そのルビ振りの参考のために岩波少年文庫の本を何冊か傍に置いている。

 その中の1冊に、リンドグレーンの『はるかな国の兄弟』(大塚勇三訳、岩波少年文庫、2001年)があったので、休憩をとったときに読み返していた。

 この作品の結末と作者の死生観がわたしには謎めいて思え、どう解釈すべきかわからず、もう何度も読んできた。

 以下、ネタバレあり、注意!

 長編児童小説「はるかな国の兄弟」は悲惨な場面から始まる。貧しい地区で火災が起こり、病気の10歳の弟を背負って窓から飛び降りた13歳の少年が亡くなるのだ。物語の語り手は兄を失った弟クッキーである。

 兄のヨナタンは弟にとって、お話の王子のように美しく、優しく、強くて、なんでもできた。弟思いの兄は、死期の迫った弟が死ぬことを恐がらないように、死んだらナンギヤラという「野営のたき火とお話の時代」に行くのだと語って聞かせていた。

 先にそこへ行くはずの弟が残り、弟には「この町じゅうにも、ヨナタンのことを嘆かない人はひとりもなく、ぼくが代りに死んだほうがよかったのに、と思わない人はひとりもいません」というつらい自覚がある。

 ヨナタンに先立たれた今、母親とクッキーにとってお互いはただ一人の家族なのだが、母親は存在感のない人物に描かれている。

 裁縫師として家計を支えている母親が多忙であるにしても、あまりにも描写に乏しいのだ。兄弟にスポットライトを当てるため、作者は故意に読者から母親を遠ざけているようにも思える。

 クッキーにとって、ヨナタンは理想的な兄というだけでなく、父母に代わる人間でもあって、唯一全き他者といってもよいくらいだ。別の見方をすれば、クッキーにとってヨナタンの影響は大きすぎる。クッキーはヨナタンに取り込まれてしまっているかに見える。

 そんな危険な匂いが、冒頭から漂う。

 ヨナタンはクッキーを自分のものとして可愛がりすぎるのである。我が子を溺愛する母親のように。クッキーという愛称もヨナタンが与えたものであって、母親はカッレと呼ぶのだ。

 兄の死から2ヶ月して、兄の待つナンギヤラに弟も行く。死んで他界に行ったと考えてよいのだろうか? 

 ナンギヤラで、星の明るい晩に、どの星が地球かをあててみようとしたクッキーにヨナタンが「地球ね。そう、あれはずっとずっと遠くの宇宙をうごいていて、ここからは見られないよ」というところからすると、彼らは別の星にテレポーションしたのかしらん。

 だが、この作品にSF的な要素はないので、何にせよナンギヤラは人間が死んだあとにいく他界なのだろう。だとすると、ナンギヤラは天国なのだろうか。

 ナンギヤラは中世の村社会を想わせるが、理想郷のようなナンギヤラのサクラ谷で、兄弟は谷の人々と交わりながら楽しく暮らす。暴君テンギルや竜カトラとの戦いが始まるまでは――。

 死後の世界であるにも拘わらず、この世と同じような暴力があり、流血があり、死があり、悲しみがあって、この世にはいない怪物までいるとなると、ナンギヤラは天国ではありえないが、地獄にしてはよいところなので、煉獄といってよい世界と思える。

 クッキーには秘密にされていたが、暴君テンギルに抵抗する地下組織が既にあって、兄はその一員だった。クッキーも一員となる。第一線部隊の目立つ地位にいる兄に対して、クッキーはどちらかというと、彼らを後方で支える側につく。

 クッキーは物語の初めから終わりまで、控えめな存在なのである。常に兄に追従し、兄を信心するよき信徒のようである。クッキーはいつまで経っても主人公にはなれない。兄依存症といってよいくらいだ。

 クッキーも歯がゆいが、その原因に兄ヨナタンの過度な保護や出過ぎたリードがあるように思われ、わたしにはそのことが不気味にすら感じられる。

 彼らがまだこの世にいたとき、弟をなぐさめるためだとしても、ヨナタンは死後の世界を弟に対して規定しすぎたのではあるまいか。クッキーが死んでも天国へ行けず、ヨナタンから借りた煉獄的世界で堂々巡りしなければならないのがヨナタンのせいとばかりはいえないにしても……。

 わたしは神秘主義者だから、死後の世界に関する情報と独自の考えをいささか頑固に持っているが、それをブログや電子書籍で語ることはあれ、他人に強要しようとは思わない。わたしは共鳴して神智学協会の会員になったが、家族を含めて、わたしの周囲に神智学協会の会員は一人もいない。

 人間には死後の世界を自分で想像し、創造する権利があると考えている(こんな考えかたは特殊だろうか)。その自由を、ヨナタンは弟から奪っているように思えるのである(こんな考えもまた、一つの思想であろうが)。

 そういう疑問はわくにしても、この冒険活劇には心に沁みる、美しい場面が沢山あり、ビアンカという伝書バトの出てくる場面などは忘れられない。

 ソフィアのハトたちがほんとに人間の言葉がわかるのかどうか、ぼくは知りませんが、ビアンカはわかっていたように思います。なぜってビアンカは、安心しなさいというように、ヨナタンの頬にくちばしをあて、それから飛び立ったのです。夕方の薄明りの中に、ビアンカは白くきらめきました。ほんとに危険なほど白く。

 戦いは暴君の敗北で終わり、竜カトラも死ぬのだが、この物語はそこでめでたし、めでたしとはならない。犠牲が多く出て、兄弟の馬たちも死に、兄は竜の火に触れたために体が麻痺してしまう。

 そして、この勝利と敗北が残酷に混ざったクライマックスで、奇妙なことに、作者リンドグレーンは物語のはじまりで起きた悲惨な状況を――兄弟の役割を入れ替わらせて――再現してみせるのである。

 場所は、夜のとばりが降りかけた山中。カトラの火――火災の火を連想させる――に触れて体が麻痺したヨナタンにクッキーが「また、死ななきゃならないの、ヨナタン?」と叫ぶと、ヨナタンは「ちがう! だけど、ぼくは、そうしたいんだ。なぜって、ぼくは、もうけっして体を動かせなくなるんだから。」という。

 このヨナタンの言葉には戦慄を覚える。自殺願望のように聴こえるからである。ヨナタンは弟に「ぼくたち、もう一ぺん、とんでもいいかもしれないと、ぼくはおもうんだ。あの崖の下へ。あの草原へね。」という。

 なぜリンドグレーンはこの場面を、火災の場面に似た設定に近づけようとしたのだろうか。実際には全然違う状況にあるのに、である。

 火災の場面では、弟を助けるために兄の犠牲があった。ヨナタンが弟を背負って飛び降りたのは古い木造家屋の三階からだった。

 が、ここでヨナタンが飛んでもいいというのは、クッキーが「ぼくは崖のへりまで出ていって、下をのぞきました。もう、あたりは暗すぎました。あの草原は、もうほとんど見えません。でも、それは目がくらむような深みでした。ぼくたちがここにとびこめば、すくなくとも、ふたりそろってナンギリマに行くことはたしかです。」と描写するような高所からなのである。

 兄ヨナタンの言葉は、どう考えても心中をそそのかす言葉なのだ。

 山を下りるつもりだった弟は、自分たちが別の世界ナンギリマに行ってしまったら、ソフィアとオルヴァルは兄さんなしでサクラ谷と野バラ谷の世話をしなけりゃならないよ、と懸念を口にする。

 それに対してヨナタンは、もうぼくは要らない、というだけだ。「クッキー、きみがいるじゃないか。きみがソフィアとオルヴァルを手伝えばいい」とはいわない。

 兄弟が山中で遭難する危険性がどの程度のものだったのかはわからない。クッキーが山を下りて助けを呼び、体の麻痺した兄を連れ帰って、介護しながらサクラ谷で生きていくこともできたのではなかったか。

 ふたりはもう充分に、サクラ谷や野バラ谷の人々の助けを当てにできるくらいの人間関係が築けていたはずである。

 しかし、あたかも心中でもするかのように兄弟は新たな他界ナンギリマを信じて崖から飛び降り、弟クッキーが「ああ、ナンギリマだ!(……)」と声をあげて物語は幕を閉じる。

 ふたりが飛び込んだナンギリマがどんな世界かというと、ヨナタンの話では「そこでは、まだまだ、たき火とお話の時代」であるという。ナンギヤラが「野営のたき火とお話の時代」だったのだから、その続編的世界ということだろうか。まるでエンドレステープのようである。

 リンドグレーンの死生観については、伝記など読んでもよくわからず、作品から探るしかないが、環境をいえば、リンドグレーンの国スウェーデンはルター派を国教としている。人口の8割がルター派の教会に所属しているという。一方では、エマーヌエル・スヴェーデンボーリのような神秘家を生んだ国としても知られている。

 作品に出てきたカルマ滝のカルマという言葉が気になった。竜カトラは、もう一匹の怪物である大蛇カルムと滅ぼし合ってカルマ滝へ消えていく。

  カルマをKarmaと綴るのだとすればだが、英語にカルマ、 因縁、 宿縁、 因果、 縁、 天命といった意味があるように、スウェーデン語にも宿縁という意味があるようだ。リンドグレーンの死生観にはもしかしたら、東洋的な死生観がいくらかは混入しているのかもしれない。

 Karmaは本来サンスクリット語で、因果応報の原則をいう。

 ところで、わたしはこの記事を書いている途中で病気の発作を起こした。ニトログリセリンを使って具合がよくなったあとで、以下のようなメモをとっている。

ミオコールスプレーをシュッするまでは「はるかな国の兄弟」が死んでから行ったナンギヤラのことが頭に浮かんだりして、怖くなり、あんなとこ、行きたくないとわたしは思った。

でも、物語の世界のしっとりと潤いのある空気が体に染み込んでくるようで、あの世界がリンドグレーンも共に息づく世界であることを確信した。

病人に寄り添うナイチンゲールのような空気だ。

あの世界は死後の世界として描かれてはいるが、この世界のことではあるまいか。

語り手であり、主人公でもあるクッキーはまだ生きていて、夢を見ているだけなのかもしれない。

それだと生きているクッキーの現状は苦しみが長引くだけで、希望がなさすぎるけれど、希望のない現実というものもあるということを、リンドグレーンは多く描いている。もう死にしか希望が見い出せないような過酷な状況を。

ナンギリヤラがいわゆる天国ではないのは、現実にはクッキーがまだ生きている証拠なのではあるまいか。

 ここままで書いてきたが、結論は出ない。疑問は解消しないながらも、この作品がわたしにとって、豊かな、魅力に溢れる物語であることは、どうにも否定しようがない。

 少しまとまりが悪いが、この記事をそのうち語り用の原稿にして、動画「聴く文学エッセイ№3」にしたいと考えている。

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胸の苦しさにスプレー1回

胸の苦しさにスプレー1回

夕食後、あまりの眠気に、寝てしまった。薬も飲み忘れて!

4時前、目が覚めると、ヒイヒイ苦しく、喉に痰が絡んで、ティッシュに吐くと、血と一緒。おなか、パンパン。

体調悪いと、せっかくのダイエットも意味ない。ヌガーなくなるまではヌガー1個が唯一の間食だったので、体重は減っている。おなか周辺も体調がいいと、すっきり。

でも体調悪いと、おなかパンパンになるから、それで着物を着るって、嫌すぎる。

姪の結婚式は真夏だし、どこかへ出かけるときはバタバタするから、体調は悪いに決まっている。

病気が治らない限り、着物すら満足に着られないなんて、生きている悦びが半減だ。

ニトロで苦しくなくなるんだから、気管支拡張剤メプチンエアーではなく、ニトロ使って正解。

メプチン使うと、わたしは動悸が出て、なかなか止まらない。

以前、呼吸器クリニックで喘息かどうかの検査を受けたとき、典型的な喘息患者の曲線を描いているといわれたので、フルタイドのお蔭でひどい喘息が出ずに済んでいるんだろうけど。

ミオコールスプレー使って調子が戻ると、おなかすっきり。

ミオコールスプレーをシュッ、シュッしながら着物を着るって手もあるわね。

自分の子供の結婚式なんかだと、その手でいくしかないが、姪の結婚式では洋装のほうが無難かな。

ミオコールスプレーをシュッすると、血圧下がってやばいときもあるから。特に真夏は。妹も、わたしは洋装でいいといっていたし。

ミオコールスプレーをシュッするまでは『はるかな国の兄弟』が死んでから行ったナンギヤラのことが頭に浮かんだりして(※前日わたしはリンドグレーンの『はるかな国の兄弟』を分析していた)、怖くなり、あんなとこ、行きたくないとわたしは思った。

でも、物語の世界のしっとりと潤いのある空気が体に染み込んでくるようで、あの世界がリンドグレーンも共に息づく世界であることを確信した。

病人に寄り添うナイチンゲールのような空気だ。

あの世界は死後の世界として描かれてはいるが、この世界のことではあるまいか。

語り手であり、主人公でもあるクッキーはまだ生きていて、夢を見ているだけなのかもしれない。

それだと生きているクッキーの現状は苦しみが長引くだけで、希望がなさすぎるけれど、希望のない現実というものもあるということを、リンドグレーンは多く描いている。もう死にしか希望が見い出せないような過酷な状況を。

ナンギリヤラがいわゆる天国ではないのは、現実にはクッキーがまだ生きている証拠なのではあるまいか。

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2014年4月29日 (火)

ああヌガー……。庄分酢。なつかしいスーパー。

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 カルディで買ったカナダの「ゴールデンボンボン アーモンドヌガー(メープル)」「ゴールデンボンボン ソフトアーモンドヌガー(メープル)」。

 向かって左がハードタイプ、右がソフトタイプ。

 バラッティ・エ・ミラノのヌガーで、ヌガーに目覚めたわたしと娘ですが、通販で買おうとすると、高いものしか見つかりません。ヌガーはフランスでの呼ばれかたで、イタリアではトッローネと呼ばれるそうです。

 高級菓子みたいですが、写真のヌガーは安くて、美味しく(メープル風味なので、やや癖のある印象)、家族全員はまりました。

 娘はソフト派。夫とわたしはハード派。それぞれに1袋ずつ買い、各人好きに食べました。わたしは文学の作業が一段落したときに1個ずつ食べるのが楽しみでした。今朝、終わっちゃった!

 通販を探しましたが、なかなか見つかりません。

『不思議な接着剤1 冒険への道』のルビ振りがまだ終わりません。欲ばらずに初の歴史小説に入るべきだったかと半分後悔しています。

 息子が夏、大学の発表と仕事の発表を兼ねてアメリカの化学学会に行きます――これは確定――が、秋にはイタリアのローマに行くかもしれないそうです。これはまだ確定ではありません。もしイタリアに行ったらトッローネ……見る機会があるかな。

 見たら買っ……(てきて!)といいたいけれど、観光旅行で行くわけではありませんものね。

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 デパ地下に新しく入った高級スーパー「北野エース」。まだ2回しか行っていませんが、見ているだけで楽しくなります。通販もありました。

 写真のグローアール株式会社の「みるくぱん」、なかなか美味しい。日持ちします。北野エースの通販にパンはありませんでした。

 以下はグローアールの通販サイト。ロングライフだから全国発送できます、とあります。「みるくぱん」はありませんでしたが。

 北野エースに、夫の大好きなリンツチョコがありました。これは定年後の仕事をがんばってくれているリンツチョコ好きの夫に買わねばならないだろうと思い、「リンツ スペシャル オレンジ」を買いました。ひとかけら貰ったら、甘いミルクチョコレートにオレンジクリームのオレンジが強く香りました。夫は満足。

 北野エースが入る前のグロッサリーで買っていた、「庄分酢 有機純米酢 300ml 」。

 ずいぶん前に気まぐれに買ってから、はまりました。酢はアク抜きなどにも使うので、それ用には安い酢を買い、酢の物、ドレッシングにはこれを使っています。

 この酢は本当に美味しいです。以下がメーカーの通販サイト。

 ところで、便利なサイトを見つけました。

「掲載中のスーパーマーケット・ディスカウントショップ一覧」を見ると、スーパーマーケット・ディスカウントショップが、

  • ディスカウントショップ
  • 食品スーパー
  • 生協・コープ
  • 総合スーパー(GMS)
  • 小型スーパー
  • 高級スーパー
  • 激安スーパー

 に、整然と分類されています。

 祐徳稲荷神社に行ったとき、子供の頃から結婚するまで利用していたスーパーの近くを通り、なつかしくなって行きました。といっても、スーパーの場所、変わっていたような。

「モリナガ」というスーパーなのですが、大好きなスーパーでした。30年ぶりに行ってみて、やっぱり好きだわと思いました。この新自由主義が跋扈する時代になっても、よさを保っていて、すっかり嬉しくなりました。

 なつかしくなってモリナガのホームページを探していたら、前掲のサイトが出てきたのでした。

 買い物をしていて楽しい気分になれるスーパーって、わたしには少ないです。高級スーパーへ行けば勿論楽しいですが、普通のスーパー――前掲サイトの分類でいえば、「食品スーパー」――でお気に入りを見つけたい。

 お気に入りのスーパーは生鮮食品の管理がよく(スーパーに入ったとたん、匂いでわかりますよね)、品揃えが豊富で、「これ使ってみませんか?」という心をくすぐるリーダーシップを感じさせる提案がなされているお店です。

 日田市ではダイエーの食品売り場が好きでした。同じダイエーの食品売り場でも、お店によって違っていますよね。日田市にいたとき、ところてん、アメリカンチェリーなどをずいぶん食べ、梅酒を作ったりしましたが、それはダイエーの食品売り場に買いたくなるような置き方がされていたからなのです。

 ダイエーの創業者、中内功を描いた佐野眞一のノンフィクション『カリスマ』は大変面白かったので、ブログパーツを貼ろうと検索したら、ちくま文庫から出ている上巻しか在庫が表示されていませんでした。あとは単行本も文庫も中古しかないようです。

 この街に引っ越してきてからは、ずいぶん住んでいるのに、悲しいことに、お気に入りの食品スーパーというのがまだ見つかりません。

 モリナガには村岡屋が入っていました。マルボーロがバラ売りされているのを見つけたマルボーロ好きの娘は、買っていました。

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2014年4月27日 (日)

百永様、勇気をもたらされるレビューをありがとうございます!

 百永様、拙Kindle本『詩人の死』のお買い上げ、そして、すばらしいレビューをありがとうございます!

 前に別のかたから、本を出す資格がないといわれたのも同然の評価を頂戴したときは、作品に登場する人物のモデルとした今は亡き友人に申し訳ないような、情けない気持ちになりました。本を出さなかったほうがよかっただろうか、と考え込みました。

 でも、その後、咲耶様から、そして今日は百永様からありがたい評価を頂戴して、やっぱり出してよかったと思いました。

 老眼にもよく見えるように文字を拡大して何度もレビューを拝読しました。

 百永様のレビューから書き続ける勇気をもたらされただけでなく、新しい計画が生まれました。

 初の歴史小説の執筆などがあるので、数年後になりそうですが、友人の作品集をkindle本にするという計画です。ご両親の承諾をいただかなくてはならないのですが、そのときは『詩人の死』に頂戴した咲耶様、百永様のレビューのコピーをご両親にも読んでいただきたいと思っています。

 アマゾンの本のページに頂戴した百永様のレビューを以下に紹介させていただきます。

5つ星のうち 5.0  気品のある作品です。, 2014/4/27

By百永

レビュー対象商品: 詩人の死 (Kindle版)

作者様は以前から気になっていた方だったので購入致しましたが、大変満足しています。
統合失調症を患っておられたご友人との日々が日記形式でつづられておりますが、わたしが特筆してこの作品に感じたのは静謐な透明感と、気品でした。
統合失調症とは誤解を生みやすい病気だと思うのですが、こちらの作品に登場するご友人は異質なもの・病的なものではなく、どこか儚く脆そうな雰囲気がありながらも、凛とした方で、その彼女と向き合う主人公からも、精神のもっとも奥深い部分からご友人を尊敬されているのだな、というのが強く伝わってきます。そのお二人の姿はまさに、純粋でエレガントです。
作中に神秘主義的視点から見た統合失調症の状態が考察されていますが、その部分も大変興味深い観点です。文も非常に読みやすく解りやすく感じました。
このような水晶を思わせる作品と出会えて、世の中には感性が綺麗な方がいるのだと再認識致しました。
初レビューにつき、稚拙な文章になり申し訳ありません。

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『シモーヌ・ヴェイユ選集1――初期論集・哲学修業』(冨原眞弓訳、みすず書房)の目の覚めるような魅力。田辺先生の夢。

シモーヌ・ヴェイユの初期論集。書店で見つけて以来、読みたくてたまらないが、図書館の蔵書検索ではヒットしなかった。書店でパラパラとめくってみたところでは、これまでは伝記で断片的にしかお目にかかれなかった学校時代の作文・論文なども収録されているようだ。

追記
よく利用している県立図書館ではなく、新設図書館のほうからシリーズの本全てを借りて目を通した。春秋社『シモーヌ・ヴェーユ著作集』と重なる作品もあるが、この選集でしか読めない作品は貴重であるし、既に邦訳本のあった工場日記なども細かいところまで訳出、紹介されていて、新鮮な印象を受ける。1に収録された学校時代の論文から早くも窺える視野の広さ、表現の瑞々しさ、厳密さと奔放さの混じった考察の魅力は比類がない。

シモーヌ・ヴェイユ選集 1―― 初期論集:哲学修業
シモーヌ・ヴェイユ (著), 冨原 眞弓 (翻訳)
出版社: みすず書房 (2012/1/11)

 この本を借りていたとき、16歳のときの既に論文の形式、内容を備えた貴重な作品をコピーしておきたいと思ったが、うっかり返してしまった。

 シモーヌ・ヴェイユの論文は、宝石箱をのぞき込んだようなときめきを与えてくれるのだが、この本の魅力をきちんと分析するためにはもう一度借りてこなければならないだろう。

 初期論文の言葉の選択の巧みさ、飛翔を目指しているかのような思考傾向は最晩年の論文に至るまで、変質することのない特徴として存在している。

 そして、フランスの哲学者シモーヌ・ヴェイユが西洋的思考法という卵の殻を内側から破ろうとして破りきることのできなかった悲劇性は、彼女の最晩年の面影に遭難を予期した登山家のような特殊な輝きを与えているとわたしは思う。

 このところの朝晩の温度差は大きいが、日中は夏日といってもよいくらい温かいせいか、血圧が低下しがちでやたらと眠い。その眠気を覚ますにはヴェイユの論文を読むに限る。

 大学時代に博多の書店「リーブル」で初めてヴェイユの本――田辺保訳『超自然的認識』だった――に出合ったとき、何気なく開いた白いページがきらきらと金色に輝き、自分の体が宙に持ち上げられたような――勿論、それは錯覚なのだが――感じを覚えて、これまで覚えたことのなかった類の感動の中で慌てたのを昨日のことのように覚えている。

 そういえば、昨日、田辺先生の夢を見た。先生にお目にかかったことはなかったが、試行錯誤をそのままぶつけたようなわたしの不躾な手紙の数々に美しい返事をくださった。

 大学時代に、この田辺先生と神智学の田中先生に質問の手紙を出してから、お二方はお亡くなりになるまで文通をしてくださった。

 キリスト者と神智学者の双方に接することで、わたしはバランスを保とうとしていたのかもしれない。

 当ブログのプロフィールに「田辺先生はキリスト者、田中先生は神智学者であり、この世における思想の区分では違う場所にいらっしゃいましたが、いずれも重厚な思想的ムード、人間的な優しさを漂わせておいでになり、お亡くなりになるまでわたしごときと文通してくださいました。つまり、受けた影響力の大きさには否定しようもないものが……」と書いた通り、このお二方から受けた影響力の大きさは自分でも自覚できないほどだと思う。

 わたしの夢の中で、田辺先生は絵画の制作をなさっていた。

 絵には舞台劇が組み込まれており、舞台劇は絵の中で進行中だった。フード付の長衣を着た女性がドクロの眼窩を連想させる黒目がちの目を見張って、迫真の演技を行っている。シェークスピア、あるいはギリシア悲劇のどれかだろうか。

 舞台劇を除いた部分は、何だかクレーを連想させる。シンプルな線が印象的。十字架と、その近くにデフォルメされた2人(3人だったかもしれない)の人物が配置されている。

 わたしは「キリスト教のテーマが強すぎるため、非常に抽象的に感じます。この絵が完全な抽象であれば、むしろわかりやすいでしょうね」と、生意気そうに感想を述べる。

 暗いが、シックで高級感の漂う空間が心地よかった。この夢は何を意味しているのだろう?

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2014年4月24日 (木)

「セウォル号」沈没事故。商船三井に賠償請求。

「セウォル号」沈没事故が起きてから、この世の暗さが増した気がする。事故の犠牲になった人々の多くが高校生であったということが痛ましい印象を強めるばかりではない、この事故は対岸の火事ではないと思わされるからだ。

 この一連のニュースに初めて接したとき、船長の年齢が高かったこと、それとは逆に操船を任せられた女性3等航海士が若かったことが書かれていて、嫌な予感がした。

 続報で、清海鎮海運に勤める乗務員の半数以上が6か月から1年の契約社員で、「船舶職」と呼ばれる船長や航海士、操舵手、機関士らは15人中9人が契約社員だったとあった。

 韓国は新自由主義路線を突っ走った国といわれるが、日本も特に小泉・竹中構造改革のときから同じ路線を突っ走っており、売国民主政権がようやく終わってホッとする間もなく、お次は新自由主義劇場の恐るべき続きが待っていたという感じだ。

 これまでも企業は海外に出て行ったけれど、高くなった電気代は工場にとっては大打撃である。企業が海外へ出て行くのをなかなか止められない。止めるには、規制緩和して企業のご機嫌をとり、何とか日本にいてくださいとなるそうで。

 それでも、結局、力のある企業は出ていき(中国、韓国から東南アジア、インドへと出ていく先は移っていくのだろうが)、力のない企業は残って、安い労働力を求める。

 政府の政策で、外国人が来る。家庭にいた女性が働き出す。年金では暮らして行けない高齢者、契約を切られた若者が職を求める。このままでは、実質賃金はどんどん下がっていき、長期的視野で育成されない労働の質は悪くなっていくばかりだろう。

 日本はこれからどうなっていくのだろうか。

 蝕まれた韓国については、以下の動画に詳しい。

 中国が商船三井の貨物船を差し押さえたというのも凄い話だ。

 1936年、商船三井の前身の企業が中国企業と契約し船を借り受けた。それが旧日本軍に徴用され、日中戦争時に沈没したそうである。それの賠償請求だというのだ。

 1936年というと、昭和11年、二・二六事件が起きた年である。まだしも中華民国――台湾から話が出たというならわかるが、中華人民共和国はまだ存在しなかった。

「反日デモの日系企業被害額、数十億~100億円規模」という2012年10月24日のニュース記事が出て来た。つい最近のこれなど、当然損害賠償の請求ができるだろうし、もっとずっと昔の元寇から受けた損害賠償の請求だって日本人は中国に対してできるはずだ。

 いや、現実にはなかなかそうもいかないものだ。わたしも似た目に遭ったからよくわかる。損をするのは常識的な人間のほうなのである。

 しかし、国際社会はよく見ていることだろう。あの国が如何に前近代国家であるのかを。

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2014年4月23日 (水)

4月21日に、内科受診(担当医交替)

 昨日は一日調子が悪かった。寒い日にマラソンをしたときみたいに、呼吸が苦しくなった。これはたまにある。

 迷いながらもミオコールスプレーの追加噴霧は行わず、洗濯、夕飯の支度をする以外はいつものクスリを服用してじっとしていた――というより、しんどくてあまり動けなかった。

 胸の苦しさにミオコールスプレーの追加噴霧を行わなかったのは、明け方の一噴霧で血圧の低下が感じられ、それより下がったら失神しそうな気がしたからだった。

 ずっと横になっていたのなら、失神していようといまいと、どちらでもよかった気もしたが、結果的にずっと横になっていたのであって、横になっている間中、起きて家事なり電子書籍なりをしたいと思い、焦っていたのだ。

 横になっていてもマラソンをしているような苦しさは、夕方から夜にかけて和らいだ。やはり、一昨日の外出疲れだったのだろうか。一昨日はわたしにしてはよく歩いた。体を動かすと、反動が大きいようだ。不整脈のせいだろうが、もしかしたら、知らないうちに持病となっていた――しかも二つの弁が――心臓弁膜症の影響もあるのかもしれない(?)。

 幸い、娘が休日だったので助かった。娘は職場仲間とホテルのランチバイキング、ショッピングに出かけた。夕方買い物をして帰宅し、掃除もしてくれた。

 と、前置きが長くなった。

 昨日の日赤・内科(内分泌・代謝)の受診で、わたしにとってのビッグニュースは担当医の交替だった。

 診察券を受付機に挿入すると、その日のメニューが出てくる。それを見たところ、担当医の名前が違っていたので、びっくり。

 診察室の前のボードに貼られた紙の一枚で、U先生が先月末日付で退職なさり、新しい先生のこられた旨が報告されていた。

 血液を採って貰うとき、検査室の看護師さんが「今回から新しい先生だね」とおっしゃった。「びっくりしました」というと、「何も聞かされてなかった? 急だったみたいよ」と看護師さん。

 半年に一度の受診なので、急だったなら、仮に先生が事前にお話しくださるつもりだったとしても、その時間がなかったということもありうる。これまでの患者としての経験では、先生が交替される場合は大抵、事前に先生ご自身からお話があった。

 なかったのは、呼吸器クリニックの閉院が急に決まったときと今回のみ。続けてこうだと、何かトラウマになりそう。

 採血が終わり、絆創膏を貼ってくださりながら、「**内科病院に行かれたみたいよ。患者さんから聞いたの」と看護師さん。

 U先生は部長職だったし、わたしと同学年の先生だったので、定年までにはまだ間があるはずで、それまではずっと診ていただけると思い込んでいた。

 内科では副甲状腺機能亢進症疑いで経過観察をしていただいており、症状的には深刻さとは無縁であるが、複数の骨腫瘍の発見から始まったこれまでの複雑――というより奇怪というべきか――経緯を考えると、それを全部わかっていただけるだろうかという不安があった。

 尤も、カルシウム値のオーバーさえなければ大丈夫だろうから、全部わかっていただく必要はないのかもしれないが。

 それにしても、新しい先生はどんな先生なのだろう? 苗字から、わたしは勝手に毛深く、いかつい男の先生を想像していた。

 が、その想像は根底から覆された。女の先生だったからである。女性らしい名前をお持ちなのに、苗字しか見ていなかったのであった。

 それだけではない。既視感があった。薬剤性肝炎の疑いで大学病院に通っていたとき、わたしは確かにこのダンディな黒縁眼鏡をかけたホブっぽい髪型の女性を見た。

 あとでボードの紙を確認して納得。新しい先生は医学部の内分泌代謝・膠原病・腎臓内科学講座からこられている。肝機能が低下した原因を深く探るため、肝臓の先生から内分泌の先生に回されたが、新しい先生はその先生と同じ講座に席を置かれていたようであった。

 大学病院の先生にはホルモン関係を詳しく調べていただき、それらの数値の多くがグレーゾーンにあって、何かが原因で一方に引っ張られているようだといわれた。原因を突き止めていただくまでには至らなかった。

 副甲状腺が原因だと一気に解決するのだがなあ、いやはや。

 その副甲状腺は、機能亢進したけりゃさっさとしてくれたら、いっそ手術でとってしまえてすっきりするのになあ……と思わないでもないが、とれば万事片づくというわけでもなさそうなので、境界域をのらくらしてくれてありがたいというべきなのかもしれない。それならもう、わたしの寿命が尽きるときまで、のらくらやっていただきたいものだ。

 さて、診察。物静かで言葉数は少ないながら、ひじょうに整理された内容のことをわかりやすくおっしゃった。

 胸部CTでは、それほど変化がないそうだ。たぶん炎症でしょうとのこと。古い炎症の痕ではないかということだろう。「これからもときどき診ていけばよいのではないか、と思います」とI先生。

 これは、副甲状腺をCTで診て貰うために撮った胸部CTで、「右肺中葉S5には板状無気肺、右肺下葉S10胸膜直下には楔状結節を認めます。こちらについてもサイズが小さく、病的意義は不明です。経過を追われてください」とあったための経過観察である。

 ホールPTH(副甲状腺ホルモン)の基準値は9~39pg/ml。2009年からの推移は、42H 45H 63H 115H 55H 35 33 73H 74H 54H 67H(67が前回、2013年10月28日の検査結果。ホールPTHの検査結果が返ってくるまでに時間がかかるため、前回受けた検査結果しかわからない)

 Ca(カルシウム)は副甲状腺機能亢進症で上昇する。基準値は7.5~10.0mg/dl。Ca値は動くことが少ないそうで、これが大きく動けば大問題ということになる。

 2009年からの推移は9.7 9.7 9.0 9.0 9.1 9.1 9.0 9.2 10.0 9.8 9.3(9.3が今回、2014年4月21日の検査結果)。2013年3月28日の検査では10という上限値だったが、その後は9台で、相変わらず上限付近をうろうろしているものの、基準値内にとどまっている。

 ALP(アルカリホスファターゼ)は多くの場合、肝臓の異常や骨疾患(副甲状腺機能亢進症、くる病、骨肉腫など)により血液中で上昇する。基準値は104~338IU/L。

 2010年からのALPの推移は、354H 429H 332 289 414H 300 322 378H 375H 373H 386H(386が今回、2014年4月21日の検査結果)

「いいですね、カルシウムも正常です」と先生。

 わたしは循環器クリニックの空腹時血液検査で、血糖値が基準値を超えていたことをお話しし、検査結果を広げた。

「あまり心配はいらないとは思いますが、ただ……そうですね。オレンジジュースを時間を置いて飲んで行う検査があります。これまでは、どれくらい置きに診察を受けられていましたか?」とI先生。

「最近では半年置きでした」というと、先生は怯んだような様子をお見せになった。「えーっと」と先生。

「そのあいなかの、7月に一度受診していただきましょうか。そのときの結果を見て、詳しい検査を行うかどうかを決めましょう。食事はしてきて、いいですよ。今回と同じ条件で検査することになりますから。食生活には、気をつけておいてください」とおっしゃった。

「甘い物を控えたほうがよいのでしょうか?」とわたし。I先生はちょっと微笑して(何となく恥じらうような微笑)、「間食を控えるだけで、いいですよ」との回答。

 表情はお優しいが、クールな回答である。間食を控えれば、必然的に甘い物を控える結果となるだろう。なかなか巧緻な対話をなさること、想定外の繊細な表情をなさることに、わたしは興味を覚えた。

 初対面の人をつい、モルモットを見るように見てしまう癖がわたしにはある。これは物書きとしての習性であって、全く悪気はない。

 帰宅して貰った検査結果を穴が空くほど見ても、そこに血糖値の項目はなかった。前にU先生も、わたしが貰った検査結果にはないことをおっしゃったことがあったので、先生のパソコンには渡された副甲状腺関係に特化した検査結果以外のデータが入っているのかもしれない。

 病院を出ながら、携帯でネット検索し、U先生の行方を追ってみた。すると、**内科病院の院長になっていらっしゃることがわかった。糖尿病の専門病院であるようだ。

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2014年4月22日 (火)

胸の圧迫感にスプレー1回

胸の圧迫感にスプレー1回

昨日外出した疲れからか、胸の圧迫感を覚え、我慢はまだ充分できそうだったが、我慢しても得になることはないので、ミオコールスプレーを1噴霧。

外出すると、疲れて何もできなくなるのがつらい。

夫は弁当や外食が嫌いな人なので、喧嘩になると、真っ先に「メシもろくに作らない癖に」という。

わたしは料理好きなので、普段は美味しいものを作るよう心がけている。

古風というべきか、天然記念物的というべきか、七つの年の差は大きかったわと今更ながら思う。

が翌日、わたしが美味しいものを作れば、夫はまた好人物に戻るのだから、わたしはなんといわれようが、不機嫌な気分を全開にされようが、外出した日は弁当にして、ひたすら体力の回復に努めることにしている。

そういう夫の料理は目玉焼きから進歩が見られない。食器洗いでは食器をずいぶん壊したが、気が向くと洗ってくれるようになった(洗い物が少ないときに限られるし、生ゴミの処理は何度いっても忘れるが)。


実は昨日も簡単なものなら作れるかもと思い、材料を買ってきていたが、夕方、起きようとしても、全身が痛い感じだった。

ここで無理に家事を始めると、不整脈が出始め、止まらなくなる。

そうなると、他にも深刻な症状が連鎖的に起きてくる。

何にせよ、こんなときは無理に動かないほうが翌日からの時間を有効に使える。

しかし、安静にしていても、深夜、胸の圧迫感が出たりするのだから、困ったものだ。

そういえば、昨日の外出は日赤の内科受診だったのだが、ナント、担当医が交替していた。

気分がよくなったので、このあと、その件も含め、記事を改めたい。

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2014年4月20日 (日)

『気まぐれに芥川賞受賞作品を読む』のお買い上げ、ありがとうございます!

『気まぐれに芥川賞受賞作品を読む 2007 - 2012(Collected Essays, Volume 2)』(ASIN:B00J7XY8R2)を12日ごろ、お買い上げいただいたようです。ありがとうございます!

サンプルをダウンロードできます。
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 児童小説『不思議な接着剤(1) 冒険への道』を電子書籍化するための校正に、例によって時間をとられています。

「ふしぎな接着剤」にするか、「不思議な接着剤」にするかで半日悩みました。いつものように一太郎の機能を使って、小学4年以上で習う漢字にルビをふることにしましたが、ルビなしだと「ふしぎなせっちゃくざい」としなければならなくなります。わかりにくい。

 表紙以外では「不思議」にも「接着剤」にもルビをふります。「ふしぎな接着剤」だと、下半身デブ(?)の間が抜けたような印象。「不思議なせっちゃくざい」も、わかりにくく、頭でっかちで落ち着かない。結局「不思議な接着剤」に決定。

 本文でもあれこれ、平仮名のままでいくか、ルビをふってでも漢字でいくかで迷います←今ココ。

 これまでにわたしの出した電子児童書が1冊でもお子様に読んでいただけたのかどうか疑問ですが、読んでいただけるよう心がけて作成しています。

『すみれ色の帽子』は姉妹編ですが、カラーの異なる作風で、日常的な事柄を少女の感性で綴ったちょっとユニークな日記体児童小説です。同じ3人の子供が登場。サンプルをダウンロードできます。
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 祐徳院様(萬子媛)、今しばらくお待ちください(いや、別に待たれてないって。それでも、お見通しだぞ~大好きな祐徳院様は何もかもご存知みたいです)。

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2014年4月19日 (土)

みにくいアヒルの子のパン。珈琲豆。我が家のアスパラガス。

 先日、念のための胸のCTを日赤に撮りに行った――これがなきゃ、今月フライパンを新調できたのになあ――帰り、デパートに寄り、パン屋さんがドンクからアンデルセンに入れ替わったのを見ました。

 ドンクのパンが好きでしたが、アンデルセンのパンも美味しそうです。イートインのコーナーが出来ていました。

 アンデルセンの童話「みにくいアヒルの子」がパンになっていたので、思わず買いました。写真では見えませんが、くちばしはアーモンド。

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 食した娘がいうには、中身は白いクリームで、シュークリームっぽい感じだとか。

 パンのモデルは、商用・非商用を問わず完全フリーで使える画像検索サイト「Pixabay」から写真をお借りしたこのかた。

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 成長後。

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 グロッサリーも北野エースに入り替わり、品数が増え、素敵になっていました。見るだけで楽しめます。

 が、これまで買っていた北前屋N「緑豆はるさめ」も、1個が小さくて調節が利きやすい角砂糖も、何とサワークリームもありませんでした。1個から取り寄せができるそうですが……。サワークリームはスーパーにもありますが、サワークリームのあるスーパーに回るのが面倒で、ここで買うこともちょくちょくありました。

 で、お店の人にサワークリームがないか尋ねたとき、コーナーのリクエスト。もしかしたらコーナーを作って貰えるかもしれないそうです。

 以下はフランス展で買った三種のマスタード。普通のと、バジル入りのと、ラズベリー入り。こうしたもので、何でもないお皿の料理に魔法が起こりますね。プチ贅沢。

 常用の青いキャップの塩と、新しく買ってみたカマルグ産の塩。常用のものも、こういう物産展で買うほうが安いので、なるべく買うようにしています。

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 カルディの広告でコーヒー豆が半額になると知り、出かけました。本当に半額なんですね、感動! 初めて試すケニア、夫とわたしが気に入っているキリマンジャロ、家族全員大好きなツッカーノブルボンを買いました。

 キリマンジャロはわたしには酸味、香り、コク共に強めだけれど、さっぱりした大人っぽいイメージのコーヒーです。飯島耕一の詩を連想しますわ。

 といっても、詩に出てくるキリマンジャロがコーヒーだったのか山だったのかさえ、記憶が定かでありません!  キリマンジャロと繰り返し出てくる印象的な詩なのだけれど。

 大学時代に買った飯島耕一の詩集、本棚のどこかにあるはず。35年も経って急に読みたくなることがあるのだから、本ってなかなか捨てられないのですよね。

 家族全員本好きで、夫とわたしは子供の頃の本を持ってきたりもしているため(そのうえ、大抵2軒の図書館から10~15冊は借りてきています)、狭いマンションの部屋に本が溢れ、本好きの人って、案外少ないので、訪問者には本の浪費家、整頓下手に思われることもあるでしょうね。 

 でも、わたしの目には本のない家って異常な、文化的カラーに乏しい場所に想えてしまいます。価値観の違いって、なんか怖い。本好きという一点だけでも、夫とは暮らす価値ありか(?)。 

 話がそれましたが、最近夫とわたしが気に入っていたコーヒー豆はハイチ。フルティーな香りがし、豊かな優しい味わいです。

 ベランダのプランターで育てているアスパラガス(プランターでは無理があるようですが)。それらしくなってきました。

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 切り株状になっている細いものが昨年出ていたアスパラガス。だいぶん太くなり、そろそろ食せそうですが、まとめて収穫するには至らず、1本とか2本とかって、貴重すぎて、どう料理してよいのやら。

 上のほうは茂っております。クリーム色の小さな花が沢山ついていますよ。

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2014年4月17日 (木)

久しぶりに石の旅行か? 同じ市に住む女友達。息子の夏の出張。

 ウロカルン錠を飲み始めてから、結石が下りてくる気配がなくなっていたのだが、ここ3日、一昨日は左下腹、昨日は右脇腹、今日は左下腹と右脇腹に時々痛みが起きる。

 腎結石が下りてきたのではないかと思う。左と右が同時に痛くなったのは初めてだ。左の痛みは間違いない。右は何かが支えているような異物感で、もしかしたら違うのかもしれない。

 1錠を1日3回で予防できていた。一昨日から服用を倍(本来の飲み方)に増やしてみたが、だめだ。

 左は昨日は痛みが消えていたので、出てくれたと思っていた。同じ石が痛まない位置に入り込んでいたのか、新しいものなのかはわからない。これ以上痛むと困る。

 少し先の話になるが、同じ市に住む女友達と連休明けに会う約束をした。楽しみだ。石の痛みに邪魔されたくない。ウロカルンさえ飲んでおけばと思っていたのに。

 心房細動の予防で飲み始めたサンリズムは効いているからありがたいが、これもググるといつまで効いてくれるか心配になる。不整脈で体が弱り、2~3日に一度しか入浴できないくらいにまでなっていたのが、サンリズム効果で以来毎日入浴できている。

 姪の結婚式は真夏だから、心臓と結石、どちらも心配。留袖を着たいが、体への負担を考えると、洋装のほうがいい。妹は洋装でもいいのでは、といってくれる。最近は近い親戚でも洋装が増えているようで、妹もご主人のほうの姪御さんの結婚式では洋装にしたといっていたし……うーん。

 息子はその前日からアメリカの化学学会のため、1週間出かけるから無理だという。上司と一緒だそうだが、大学での研究と会社でやっていることとの2回、ポスター発表をするらしい。

 姪の結婚に招待されるわよ、とメールしたときは休日を利用して大学にいた。アメリカ全土から化学者が集まる大きな化学学会らしい。

 姪の結婚式で息子にも会えると思っていたので、ちょっぴり残念だ。が、大学の研究と会社の仕事がリンクするようになったことはよかったなあと思う。

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2014年4月16日 (水)

近日発売、『不思議な接着剤 (1) 冒険への道』

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 3人の子供たちが中世ヨーロッパに入っていく前の、不思議な接着剤との出合いを描いた物語です。

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2014年4月15日 (火)

これは素晴らしいニュースです! 三菱重工業、放射性廃棄物の無害化の可能性。

 素晴らしいニュースです。ニュースはすぐに消えてしまったりするので、以下、日本経済新聞の記事から。

放射性廃棄物の無害化に道? 三菱重、実用研究へ
2014/4/8 7:00 日本経済新聞 
http://www.nikkei.com/article/DGXNASDZ040JJ_X00C14A4000000/

 三菱重工業は重水素を使い、少ないエネルギーで元素の種類を変える元素変換の基盤技術を確立した。原子炉や大がかりな加速器を使わずに、例えばセシウムは元素番号が4つ多いプラセオジウムに変わることなどを実験で確認した。将来の実証装置設置に向け、実用化研究に入る。放射性セシウムや同ストロンチウムを、無害な非放射性元素に変換する放射性廃棄物の無害化処理に道を開くもので、原発メーカーとして実用化を急ぐ。

■百数十時間で元素変換

 3月下旬、米ボストンのマサチューセッツ工科大学の講義室。世界から集まった100人以上の研究者を前に、三菱重工・先進技術研究センターの岩村康弘インテリジェンスグループ長は「元素変換はマイクロ(100万分の1)グラム単位で確認できた」と報告した。多数の質問を受け、同社の実験を説明する理論の提案も数多く発表されたという。

 三菱重工の横浜市の先進技術研究センター。700を超える幅広い製品群を擁する同社の次世代研究を一手に引き受ける秘密基地だ。研究棟の1階の約3分の1を占めるクリーンルームで研究者が白衣に身を包み、約25ミリ四方の薄膜の金属板を装置にセットする。超高温や超高圧をかけることなく、数日で内部で元素が変わり、新たな元素が生まれてくる。

 具体的には厚さが数十ナノ(ナノは10億分の1)と極めて薄い金属のパラジウムと酸化カルシウムの薄膜を交互に積層した多層膜に変換したい金属を付ける。この膜に重水素を透過させると百数十時間で元素番号がそれぞれ2から4、6多い元素に変わった。

 セシウムはプラセオジウムに、ストロンチウムはモリブデン、カルシウムはチタン、タングステンは白金に変わることを確認した。特殊な薄膜に重水素を透過させる独自技術は日本での特許に続き2013年、欧州でも特許を取得した。

 先進研の石出孝センター長は「ここ数年で研究が大きく加速した」という。様々な手法で重水素の濃度を高めることで、新しい元素の収量がナノグラムからマイクログラムへ3桁増えた。測定精度も上がり、1平方センチメートル当たり最大数マイクログラムの元素変換を確認したとしている。

 セシウムの元素変換率は、ばらつきはあるものの100%近いものもあるという。元素変換を示唆するガンマ線も微量ながら検出している。同社はセシウムの場合、パラジウム多層膜の内部で4個の重水素が1個のセシウムの原子核に十分近づき、陽子4個と中性子4個が加わりプラセオジウムになったとの仮説を立てている。ただ、詳しいメカニズムや理論は分かっていない。

 元素変換は「エネルギー収支が合わず、従来の物理学の常識では説明できない」などの指摘がある。新しい元素の量が少なく「外から混入した可能性も完全には排除できない」との声もある。

■未知の現象を解明する実験

 もともと低いエネルギーで元素が変わるのは、1989年に提唱された常温核融合と同じ考え方。1億度などという超高温でなくても核融合が起こり、過剰熱が発生するという夢の現象を再現しようと世界中で再現実験が研究されたが、ほぼ否定された。

 三菱重工も当時から研究を始めた。途中からエネルギーの発生を証明するより、元素の変換を示す方が実証しやすいのではないかと考え、元素変換に的を絞った。微量の元素が生まれたことは、兵庫県にある世界最高水準の物質分析技術を持つ大型の放射光施設「SPringー8」を使っても確認している。

 同社の研究に協力した独立行政法人物質・材料研究機構の西村睦水素利用材料ユニット長は「現在まだ解明されていない新種の元素変換反応の可能性を示唆している」としている。トヨタグループの研究開発会社、豊田中央研究所(愛知県長久手市)も元素変換の研究を続けており、成果が出ているようだ。

 昨年12月の東京工業大学。元素変換や低温核融合などをテーマに研究する研究者や技術者が全国から集まった。三菱重工のほか、大学の発表も行われた。岩手大学工学部の成田晋也教授もその一人。「未知の現象の解明を進める」ための実験を続けている。

 岩村氏は「元素変換を確信できる量が取れた。理論的なメカニズムはわかっていないが、我々はメーカー。次のステップに進みたい」という。大学の研究者の間でも「もっと変換の量が増えれば、文句がつけられなくなる」との声がある。

 三菱重工は実験の規模を拡大し、収量を増やし実用化のメドを付ける方針。これまで小規模な体制で先進技術研究センターで研究していたが、他の事業本部や外部の大学や研究機関との共同実験を増やす。

 金属薄膜を大きくしたり、ハニカム構造にして表面積を大きくしたりする方策などを検討している。放射性元素の変換の実験はまだ始めていないが、例えば放射性のセシウム137はユーロピウムに変換する可能性があるという。

 放射性廃棄物の処理以外にもレアメタルなどの希少元素の生成や、新エネルギー源としての応用を想定している。ただ、レアメタルや新エネルギーは既存技術があり経済性との比較になる。

 岩村氏は「現在、決定的な解決策がない放射性廃棄物の無害化は価値が最も高い。当社は原発メーカーでもある。10年後には実用化したい」という。

《記者の目》細々と続けてきたのが実情

 3年前の東日本大震災。放射性物質を拡散する東京電力福島第1原子力発電所の光景を前に、ある三菱重工業関係者は「元素変換をもっと大規模に研究していれば」と叫んだ。三菱重工は約20年、元素変換を研究してきたとはいえ、予算も人員も「細々と何とか続けてきた」というのが実情だ。

 三菱重工は1990年代前半に元素変換の研究を始めた。一般に内容が知られたのは、関連学会の論文誌に岩村氏が論文を発表した後の2002年ころだ。ただ、常温核融合の負のイメージもあり「現代の錬金術」との見方もされ、同社は対外的なアピールに慎重だった。

 岩村氏は技術統括本部のインテリジェンスグループ長という肩書を持つ。「技術もマーケティングが必要」との考えから10人のチームを束ね、エネルギー・環境分野を中心に他社の技術開発動向を探る。

 「グループ長の仕事に専念してほしい」と遠回しに元素変換の研究からはずれるように言われたこともある。社内の研究予算はついていたが「07、08、09年ごろはけっこう危なかった」という。

 岩村氏は「この10年で研究の精度が飛躍的に上がり、世界で研究仲間も増えてきた。中国の大学は我々そっくりの装置で研究している」と元素変換の認知度向上とともに、競争の激しさを実感している。

 10年前から大がかりな研究体制をとれば、現時点で放射性廃棄物処理の具体的な実証実験ができていた可能性がある。しかし、実態は「基礎から実用研究へ移行できそうな段階」にとどまる。

 元素変換は重工幹部も時折、「おもしろい研究をしているんだ」と口にする。「あんな研究を続けられるのも重工くらいだよねぇ」という外部の声もある。研究を途切れさせなかったのは三菱重工の懐の深さだが、現状の体制で、10年後に大きな成果が期待できるのか。そろそろ企業として腹をくくる時だ。

(企業報道部 三浦義和)

 物理音痴のわたしにはよくわかりませんが、生物でいえば、遺伝子組み換えに当たるような技術なのでしょうか。

 原発事故後、脱原発のほうへ進んだとしても、研究のほうは続けてほしいと願っていたので、こうしたニュースが出てきて嬉しい気持ちでいっぱいになりました。

 放射性廃棄物の無害化の可能性で連想したのが――科学ニュースに続けてこんなことを書くのは不謹慎かもしれませんが――2062年から来た未来人が2ちゃんねるに残したという書き込みです。

 以下のような箇所があります。

2062年から来た未来人の予言

Q.サッカー王国千葉は2062年まで変わらずなのかー。

さすがに原発事故から51年も経つと放射能の影響は少ないんですかね?

A.言っていいのかわからないが、陸地放射能はわずか数カ月で無くすことが出来る。

(2011/7/23)

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『気まぐれに芥川賞受賞作品を読む』のお買い上げ、ありがとうございます!

『気まぐれに芥川賞受賞作品を読む 2007 - 2012(Collected Essays, Volume 2)』(ASIN:B00J7XY8R2)を5日ごろ、お買い上げいただいたようです。ありがとうございます!

サンプルをダウンロードできます。
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出版者名をノワ出版局からノワ出版に変えたということもあり、これまでに出版した本で古い出版者名になっている表紙を、ついでに中身のちょっとしたところを訂正しました。

最初に出版者名を考えたときはちょっとおふざけ気分で、大きな組織の出版部ごっこをして(?)つけてしまったのです。ノワ出版のほうが無難かどうかはわかりませんが、ノワ出版に変えました。ノワはフランス語で胡桃です。

胡桃は好きですし、何となく形が人間の脳に似ていると思いませんか? 

過去記事にも書いたことですが、これらは小さな修正に当たると思います。過日、修正のことでKDPに問い合わせて送られてきた回答の中に、このような場合でも、お客様は「Amazon.co.jpの『My Kindle』を通して更新を受け取ることができます」とありました。

小さな修正の場合は、お客様のほうで、アマゾンにメールで連絡していただく必要があるようです。

本を訂正するときに、価格を再設定するのですが、US価格に基づいて自動的に価格を設定したら、99円の児童書シリーズは101円~102円に(2日続けて102円だった翌日は101円でした)、250円の本は306円になりました。毎日変動します。

わたしの本の場合、前者はロイヤリティ率35パーセントの最低価格で、後者は70パーセントの最低価格です。

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『台風』を400円から360円に、『枕許からのレポート』は200円を102円に値下げしました。『田中さんちにやってきたペガサス』は476円から516円に値上げです。

価格は今後も変えていくと思います。価格設定は短時間で反映するので、自己流のキャンペーンを考えることも可能ですね。期間限定で安くするなど。ただ、キャンペーンはメリットよりデメリットのほうが大きいという思いが強くなったので、今のところは考えていません。

『不思議な接着剤1 冒険への道』を出したら、初の歴史小説へ。一旦Kindle本から離れたら、表紙の作り方なんかまで忘れてしまいそうで、出しておきたい作品をなるべく本にしておきたいのです。

『どこか別の美しい街』『救われなかった男の物語』『銀の潮』『地味な人』『白薔薇と鳩』は今回は無理です。エッセイ集の5も出しておきたかったのですが。

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2014年4月14日 (月)

ああ~原稿10枚がどっか行ってしまった!

 初の歴史小説に入るはずが、Kindle本にまだへばりついています。

「不思議な接着剤」はまだ冒険に入る前までしかできていません――断片はメモ状で散乱しています――が、そこまでをKindle本にしておこうと思います。

 タイトルは『不思議な接着剤1 冒険への道』です。なぜ急にそういうことになったかというと、過去記事でジュゲムブログがわたしには何だか記事が書きづらくなり(行空けに不具合が生じがち)、体調ブログをライブドアへ移したことをご報告しました。

「マダムNの児童文学作品」もジュゲムなので、移そうかと思い、以前連載していて現在は非公開になっている記事「不思議な接着剤」も移すかどうかで迷いました。

 それで読み始めたところ、連載していたときの感覚がよみがえり、長く放置状態だったのに、子供たちは作品の中で生きていると思いました。

 冒険の前までのお話はまとまりがあるので、作品の安全のためにKindle本にしておこうと考えたのでした。時々、猛烈に作品を整理したくなることがあり、どうかしたら消してしまい、後で後悔することがあるので。

「不思議な接着剤」シリーズは、「冒険への道」のあと子供たち3人が中世ヨーロッパにまぎれ込む物語が完結したあとも続く予定で、こうした物語の背後には時空を超えて商売の手を拡げる企業グループの存在があり、その存在は「冒険への道」とその続きではほんのり姿を感じさせる程度。

 子供たちの父親たちは、どちらもその企業グループと関係があります。「冒険への道」では姿を見せない紘平の父親も、姉妹編『すみれ色の帽子』で姿を見せる瞳の父親も……。『すみれ色の帽子』は日常を描いた日記体児童小説でカラーが異なりますが、関連性があります。

 初の歴史小説にどれくらい時間がかかるかわからないので、本にしておくのが無難かと。本にする資格なし、なんてことを、またどなたからかお叱りを受けそうですけれど。

 物事を始めて2年目というのは、いろいろと問題や試練が起こってきがちなものです。ブログでもそうでした。3年目に入れば、わたしのキンドル本も落ち着くと思うのですがね。サビアン占星術が参考になります。

 困ったと感じるレビューや☆を頂戴しても、それが宣伝になるのか、無関係なのか、その後も本が売れ(この記事のあとにも、1冊買っていただいたことをご報告する予定です)、1年目に比べたら、わたしのKindle本の知名度(?)もほんのすこうし、あがったといえます。

 話が逸れました。で、冒険に入る前までというのを、子供たちが中世ヨーロッパへの通路となる電器店の倉庫に入ろうとするところまでにするか、入ってから、電器店の奥――その暗闇に鍾乳洞の暗闇を不思議な接着剤でくっつけ、やがてそこが中世ヨーロッパの洞窟だということがやがて子供たちにわかるのです――に行くところまでにするのか、迷いました。

 電器店の倉庫では昔――中学時代――、友人の電器店の倉庫でお化けごっこなんかして遊んでいたので、効果的に使える自信がありました。加えて、倉庫の中で白いネコ(このネコが出てくるのには意味があるのですが)を子供たちが追いかける場面を書くために、ランプや懐中電灯の光で、かなり遊んでみたのです。

 現れたり消えたりして見えるネコと動き回る子供たちに光がどんな具合に当たっているのか、結構、うまく描写できたと思っていたのですが、その10枚くらいの原稿がない! 二度と、あのときのようには書けない!

 おそらく下書きのままだったのです。一番最初の下書きはだいたいノートにボールペンで走り書きするのですが、そのノートがありません。うっかり捨ててしまったのでしょうか。

 ノートの字は我ながら読みにくく、10枚ぐらいになると、パソコンで打つのも少しは時間がかかるので、あとでと思い――何日か、気になりながら放置してしまったのでした。

 その頃、身辺慌ただしくて、そのまま、わからなくなってしまいました。ノート、メモ類の数は半端ではなく、おまけにたまに捨てたりもするので、2時間くらいかけて探しましたが、絶望的です。

 何にしても、「接着剤」をKindle本にしてから、祐徳院様の物語に入ります。高雅な雰囲気を感じさせる祐徳院様。とても緊張します。

 でも、こうしたことには関わったりはなさらないとわかったので(見守ってはくださるような気がしますが)、いくらかは気がラクになりました。

 江戸時代の初期から中期にかけて舞台となる辺りで起きたことを年表から抜粋するところから始める予定。

 中央(江戸幕府)、京都(ご実家に当たる花山院家)、九州(外国勢力をコントロールする上で重要な場所だった)と比較しながら、大雑把なところを掴まなければ。

 江戸時代の骨格となった思想は細かく調べなくてはなりません。朱子学を学んでいる女性と二つの寺の住職を務める尼との間に論争があったことなど門玲子『江戸女流文学の発見』には書かれていて、興味深く思ったあたりで、中断していたのでした。

 祐徳院様が選択された黄檗宗は調べてみると、江戸時代には有名だったようです。今はあまり知られていない原因の一つとして明治の神仏分離、廃仏毀釈があるのかもしれません。

 過日、テレビで阿修羅像に関するものを観て、阿修羅像のある興福寺についてウィキペディアを見たところ、神仏分離、廃仏毀釈の凄まじさにぞっとさせられました。以下に抜粋。

興福寺:ウィキペディア

廃仏毀釈による破壊

江戸時代は21000石の朱印を与えられ保護された興福寺だが、慶応4年(1868年)に出された神仏分離令は、全国に廃仏毀釈の嵐を巻き起こし、春日社と一体の信仰が行われていた興福寺は大きな打撃をこうむった。興福寺別当だった一乗院および大乗院の門主は還俗し、それぞれ水谷川家、松園家と名乗った(奈良華族)。子院はすべて廃止、寺領は1871年(明治4年)の上知令で没収され、僧は春日社の神職となった。境内は塀が取り払われ、樹木が植えられて、奈良公園の一部となってしまった。一乗院跡は現在の奈良地方裁判所、大乗院跡は奈良ホテルとなっている。一時は廃寺同然となり、五重塔、三重塔さえ売りに出る始末だった。五重塔は250円(値段には諸説ある)で買い手がつき、買主は塔自体は燃やして金目の金具類だけを取り出そうとしたが、延焼を心配する近隣住民の反対で火を付けるのは取りやめになったという。ただし、五重塔が焼かれなかった理由はそれだけでなく、塔を残しておいた方が観光客の誘致に有利だという意見もあったという。
行き過ぎた廃仏政策が反省されだした1881年(明治14年)、ようやく興福寺の再興が許可された。1897年(明治30年)、文化財保護法の前身である「古社寺保存法」が公布されると、興福寺の諸堂塔も修理が行われ、徐々に寺観が整備されて現代に至っている。 しかし、寺に塀が無く公園の中に寺院がある状態、所謂「信仰の動線」が欠落していると称される状態は、この時の名残である。

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2014年4月11日 (金)

Kindle本『卑弥呼……』『気まぐれに……』のお買い上げ、ありがとうございます!

『気まぐれに芥川賞受賞作品を読む 2007 - 2012(Collected Essays, Volume 2)』(ASIN:B00J7XY8R2)を3日ごろ、『卑弥呼をめぐる私的考察(Collected Essays, Volume 3)』(ASIN:B00JFHMV38)を4日ごろにお買い上げいただいたようです。ありがとうございます!

サンプルをダウンロードできます。
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ジュゲムブログ「マダムNの体調日記」が引っ越しました

ジュゲムブログ「マダムNの体調日記」が引っ越しました。新しいブログ名とアドレスは以下です。

 仕様が変わったからか、記事が書きづらくて(行空けがうまくいかないのです)、記事を書くたびにストレスが溜まるので、引っ越したのでした。

 当ブログのカテゴリー「健康」だけ採りだしたようなブログです。健康の記事だけご欄になりたい方にはそちらの方が便利かもしれませんが、途中から作ったので、抜けている記事があります。

 ペットの栗太も一緒に引っ越し、そちらで暮らしています。隠れていますが、当ブログにもペットは1匹と1頭いて(ここ)、1匹はエクリールという名のハムスターで栗太の妹です。1頭はペガサスです。

 新しいブログは引っ越したばかりでまだ散らかっていますが、当ブログなど他のマダムNのブログ同様、よろしくお願い致します。古いブログもしばらくは残しておきます。

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胸の苦しさにスプレー1回

胸の苦しさにスプレー1<br />
 回

冠攣縮性狭心症の発作ではなく、前回も使用したときと同じ、昔、鬱血性心不全の症状が出ていると別のドクターからいわれた症状の軽いものだと思う。

参詣に出かける前々日くらいには変で、おなかや足が腫れぼったかった。

尿の出が悪くなっていた。喘息か軽い心不全の症状から来たものなのかはわからないが、止まりにくい咳がたびたび。

参詣の前日――書き込みへの対応に追われていたときだ――動悸が止まらなくなった。

参詣の精神的効果からか具合がよくなったが、昨日の午後から夜にかけて、ちょっと忙しかったためか、そろそろニトロを使おうかなと思った心臓が重たく感じる症状。

靴を履いていて痛いくらい足が腫れ、膨らんだおなか、尿の出がかなり悪くなっていた。

深夜になり、止まらない咳、絶えず出る痰、細かく震えるような動悸――でも前回ほどではないが、スプレーを使った。

追記:
現在、朝の8時過ぎ。深夜のミオコールスプレー1噴霧しただけで、心臓の重さ、執拗な咳と痰が――全然出なくなったわけではないが――、ほぼ出なくなった。

朝、尿もまあまあ出た。まだ少ないので、症状のぶり返しに注意が必要だろう。

この症状が出るときは、自身の基準において、オーバーワークが絡んでいる。

頻脈を抑えるために、薬で心臓の機能を抑制しているため、少しのオーバーワークにも心臓は悲鳴を上げ、ポンプ機能が低下して肺や抹消の組織にむくみが生じ、息苦しく感じる。

心不全は肺のむくみ(肺水腫)に基づく。この肺水腫にニトロが有効らしい。

なぜか、わんこの症例が人間の症例より先におびただしく出てくる。

わたしは犬年、ワン!

頻脈、チアノーゼ、尿量減少、血圧低下、肺鬱血……。

以上は左心不全の症状だそうで、それが右心不全を続発すると、下腿浮腫、腹水、肝腫大、静脈怒脹……。

わたしの場合、オーバーワークにならなきゃいいのだが、どうしても時々そうなる。

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2014年4月10日 (木)

初の歴史小説 (26)参詣記

 カテゴリー「初の歴史小説」を非公開にしていましたが、自分自身が使いにくいので、公開設定にしました。このカテゴリーに入れた記事は、フィクションを書くために素人が気ままに書き留めたメモすぎないので、参考にはなさらないでください。前もってお断りすることなく、急に非公開にすることもあるかと思います。ご了承くださいませ。

 祐徳稲荷神社は遠いので、時間がかかることはわかっているのだが、午後2時くらいまでに着けるように行ければ、娘の厄祓いをお願いし、祐徳院様(萬子媛)のお社の前で初の歴史小説を書くご報告をし、祐徳博物館をゆっくり見るくらいの時間はとれると思った。

 それで、早朝、もう少し家族を寝かせておきたいと思い、わたしはKindle本に新しい洋服(表紙)を作ってやっていた。しばらく熱中してふと顔を挙げると、目の前の空間に金色の短冊状のものが棚引くのが見えた。

 これは肉眼には見えないもので、神智学がいう透視力が目覚めてきてからこうした類のものが次第に見えるようになった。いつからその透視力が目覚めてきたかというと、大学時代から『枕許からのレポート』を書いた頃にかけてだったように思う。

 文通をしてくださった神智学の先生――先生は多くの人々と文通をなさっていた――がお亡くなりにあと、先生はあの世に行かれる前に透明になったお体で挨拶に来てくださったのだが、その後しばらくしてから空間に星のようにきらめく色つきの光の点を見るようになった。

 空間はわたしには見えない世界からのメッセージボードのようなもので、それまでにもいろいろと見えることはあったが、ある種の規則性を持ったものが見えるようになったのはそれ以降だった。

 それが何なのかはわからないが、先生からの、あるいは見えない世界からの助言ではないかと想像している。

 金色の短冊はそれとは異なった。それを目にすると同時に「急いで」と優しくいわれたような気がした。祐徳院様のお使いかな、と思った。

 それでもまだ時間はあると思い、Kindle本の洋服に熱中していたところ、どうしても済ませておきたい急用ができたため、出るのが大幅に遅れてしまった。

 午後1時になろうとしていた。おまけに雨が降り出していた。お祓いの受付は4時だから、休憩時間を入れると間に合わないかもしれないよ、と夫はいう。別の日に変更する、どうする?と、家族と話して決行することにした。

 運転してくれる夫には連休をとって貰っていた。次に行くとなると、今度はいつとれるかわからない。間に合わなかったら、また来なくてはならないが、祐徳院様に初の歴史小説を書き始めることをご報告するくらいのことはできるだろう。

 お使いをよこしてくださるくらいだもの、祐徳院様はわたしの執筆によい反応を示してくださるに違いないと楽観した。その反応とは、前回の寒いときに感じられた暑い感じや春風の贈り物のようなものだろうと想像した。

 一般参拝者の諸祈願は御神楽殿で行われる。祐徳院様をお祀りしてある石壁神社(せきへきじんじゃ)はもっと上の別の場所にあった。

 わたしはお祓いを祐徳院様のお社でしていただければどんなにいいだろう、と空想したりしていた。ご祭神である倉稲魂大神(ウガノミタマノオオカミ)、大宮売大神(オオミヤノメノオオカミ)、猿田彦大神(サルタヒコノオオカミ)といった神様方はわたしには抽象すぎて、ぴんと来ない。

 前回のお祓いのときは大勢だったので、そのせいもあったのか、祝詞も太鼓の音も何となく聴こえて来た感じだった。

 到着したときは時間を過ぎていたと思う。受付の窓に男性の顔が見えたので、「まだよろしいでしょうか?」とお尋ねすると、大丈夫ですよ、とおっしゃった。

 お祓いしていただくのはわたしたちだけだった。雨が降っていたので、温かい最近にしては寒かった。

 お祓いが始まると、すばらしい祝詞の声、それに名演奏といいたくなる太鼓の音に魅了され、自分が音楽会の会場にいるのか神社にいるのかわからなくなるほどだった。神主さんは何人かいらっしゃるのだろう。前のときの人とは違っていた。

 そして、その祝詞の最中、前に祐徳院様のお社の前で感じたような、まるで南国にでもいるような快い暑さを覚えた。同時に、微笑に包まれているような感じを受けた。

 実はその直前に寒さからか喘息の発作が出かかっていたのだが、引っ込んだ。祐徳院様が臨在なさっているのだ、とわたしは思った。

 太鼓の音が止み、お祓いが終わったとき、思わず拍手しそうになった。外へ出ながら、娘が「上手だったねえー、神主さんって太鼓もできなきゃならないんだから大変だよね」といった。本当にすばらしかった。

 石壁神社に行こうとしたとき、中村雨紅の作詞で知られる「夕焼小焼」の曲が流れた。

夕焼け 小焼けで 日が暮れて
山のお寺の 鐘がなる
おててつないで みなかえろう
からすと いっしょに かえりましょ

「からすといっしょにかえりましょうって、そんな」とわたしは慌てた。神社に営業時間があるのは当然だが、もしかしたら見えない世界にまでそれがあるのでは――と思ってしまったのだ。

 そのせいだと思いたいが、祐徳院様のお社の前で初の歴史小説のことをご報告しても、何の反応も感じられなかった。雨が降っていて、夕方だし、寒かった。前のときのエアコンを効かせたお部屋に招かれたような現象は起きなかった。

 御神楽殿では確かに祐徳院様の臨在が感じられたのに、小説に反対ということなのだろうか、とわたしは動揺した。

 動揺したまま、次に何をしたらいいのかわからなくなっていると、先のほうに歩いていったらしい娘が、「水鏡があるよ」とわたしを呼んだ。

 今、神社のホームページを見て思ったが、あのとき雨が降っていたことはよかった。ホームページの写真を見ると、水が写っていないために、水鏡ということがよくわからないのだ。

 わたしは反応がなかったことを気にしていて、写真なんか撮ったら罰が当たりそうな気がしていた。しかし、断食入定なさった寿蔵と水鏡はぜひ撮りたかった。わたしはカメラの腕がよくない上に、未だに扱い慣れない携帯で撮ると、よくぼける。

 この雨で夕方だから、絶対にそうだろうと予想した。万一ちゃんと写っていたら、それは撮影に許可をいただいたことだと思うことにしようと考えた。

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 この御本殿の上のほうに石壁神社がある。

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 神社の傍らに位置している。圧縮以外には修正を加えていないのだが、晴れた昼間に撮ったみたいに写っている。

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 石碑。

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 実際に見ると、岩の窪みは鏡の形に円形で、そこに水が溜まっていると、これこそ水鏡という印象を受ける。写真ではあまりわからないが、澄んだ水がきよらかに溜まっていた。

 以下は神社のホームページからの引用。

水鏡(みずかがみ)

祐徳院様(花山院萬子媛)は古田村(現在の鹿島市古枝)に庵を結び、以後十九年神仏に仕えお暮らしになりました。村人からは大変敬慕されていました。

ある日、一人の村人が畑で獲れた野菜を祐徳院様へ届けた時でした。
「○○さん。実は私は今日あなたがここへ来ることを朝から知っていました。」
村人は驚いて尋ねました。
「なぜそんなことが分かられたのですか。」
祐徳院様はやさしく答えられました。
「私は毎朝あの水鏡を見ています。今朝水鏡の中に野菜を持ってここに来るあなたの姿が見えました。だから分かったのです。」
こうして村人たちは祐徳院様の優れた徳を知り、益々お慕いするようになったとの事です。【地元古老による昔話】

祐徳院様が吉凶を占っておられたとされる水鏡は現在も石壁神社横にあります。

 前に来たときは水鏡がここにあるということに気づかず(石壁神社横にあると書かれているのに)、祐徳院様が修行なさった庵はどこだろうと思っていた。

 が、水鏡を毎朝見ていらしたというのだから、庵が遠く離れたところにあったはずはなく、石壁神社の側にある小さな建物がそれを想像させる。いや、神社があるその場所こそ、そうではないだろうか?

 秋ぐらいに取材に出かけて確かめられたらと思うが、夏には姪の結婚式があり、嬉しいが、お金が飛ぶので、行けるかどうかわからない。

 下りたとき、娘が「御神籤を引こうよ」と誘った。わたしは「嫌よ」といった。前に来たときも引かなかった。父と夫が引いて凶が出たことがあり、引きたくなかった。

 それでも、娘が珍しいことにしつこく引こうと誘う。

 仕方なく、引いてみることにした。もし凶が出れば、それは歴史小説を書くなということだ。筋金入りの仏教徒だった祐徳院様も水鏡で占いをなさったのだから、未熟なわたしが占いをしても悪いはずがないと思った。

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 娘もわたしも大吉だった。大吉ばかり出るようにシステムが変わったのか(?)と思ってしまったが、近くにいた3人組のおばさんたちが引いて、口々に何と出たかいい合っていたのが聴こえ、その中に大吉はなかった。

 わたしが受けとったメッセージはこうである。小説に関することは世俗の出来事、あるいはミューズ――和風にいうと、弁財天か? インドではサラスヴァティー――の領域であり、祐徳院様はタッチなさらないのだ――と。

 高級霊はこのようであることをわたしは神智学を通して学んだはずなのに、砂糖菓子のように甘ったるい庇護を求めていたのかもしれない。それは間違っていた。わたしが自分で考え、自分でミューズの霊感を受け、自分でその仕事を果たしてこそ意味があるのだ。

 でなければ、それは芸術ではなく、お筆先になってしまうだろう。さすがは祐徳院様、と思った。

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 門前商店街のお店に、なつかしいお菓子「すずめの玉子」があった。

 清々しい参詣だった。

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2014年4月 7日 (月)

姪の結婚。竜王という釈迦の弟子。

 妹から昨夜、電話があり、姪の結婚が決まったという。

 可愛らしい姪がいよいよ結婚する!

 おつき合いしている男性がいると聴いていたので、そろそろかとは思っていたが、来年くらいかと想像していた。

 妹もそのつもりでいたようだが、早めることになったらしく、嬉しい悲鳴といったところのよう。

 姪は事務系に転職するまで、ブライダルホールに勤めていた。そこで8月の挙式予定。

 うちは全員招かれる。

 息子が東京勤務で、8月はアメリカに出張があるようなことをいっていたので、出席できるかどうかが心配。アメリカ出張やよほどの仕事のピークと重ならなければ、息子は始終、高校、大学時代の友人や仕事関係での披露宴に出席している様子なので、出席してくれるのではないかと思うが、アメリカ出張と重なれば難しいかもしれない。

 昔はわたしの立場だと黒留袖を着るのが普通だったと思うが、ネットでググってみると、最近では、土地柄や結婚式のタイプにより、バラつきがあるようだ。

 妹は当然、黒留袖を着るという。わたしの場合は遠方だし、洋装でもいいんじゃないといってくれる。妹はご主人の姪の結婚式では洋装にしたそうだ。

 着物を着たいが、体調のことを考えると、もし洋装で失礼に当たらないようであれば、そのほうがありがたい。

 娘は振り袖でいいだろうが、洋装にするのか、どうするのか。

 ナンにしても、体調を整え、ダイエットしよう。

 妹のご主人が糖尿病で、10㎏も痩せたと聴き、ダイエットに成功したと思っていたのだが、仕事の忙しさと病気の悪化もあり、痩せていたらしい。症状が安定したところ、気がゆるんだということもあって、また太ってきたとか。

 わたしはおなかが問題。中年太りなのか、病気が関係しているのかはわからないが、ここが異様にポッコリ前へ出た。おなかに、丸いまっしろなパンをくっつけたみたい。

 こんなことを堂々と書けるのだから、中年って怖い。いや、単にわたしの意識が低下しただけだろうが。

 何を着ても憂鬱。小柄で、ウエスト55㎝だったのに、昔の服はこのおなかのせいで下の方が全部着られなくなってしまった。上だけ残る。

 もういっそモグラになってしまいたいと思うほど。ダイエットして他の部分が痩せたとしても、中年のおなかはなかなか引っ込まないというが、実行してみるしかない。病気があるので、症状と相談しながらだが。

 心臓病になると太る――と、昔聴いたことがあった。そのせいもあるだろうと思う。調べてみると、病気自体、また薬が原因でもあるようだ。事実、心臓病の人が集うブログに行くと、太ったと悩んでいる人ばかり。

 心臓病の人って、自分がそうでなかったころは、青白くて痩せているのだとばかり思っていた。

 わたしの場合、その先に糖尿病の心配まで出てきた。詳しい検査を受けていないので、糖尿病になってしまっているのか、境界域をウロウロしているだけなのかはわからない。

 今月、副甲状腺の経過観察をしていただいている内分泌内科の受診があるので、そのときに循環器クリニックでの検査結果を持参して、お尋ねしてみたいと思う。

 クリニックの先生がおっしゃってた検査は受けたいと思っている。受けるとすれば、U先生は糖尿病のご専門なので、内科で受けたい。

 この機会にほどよいダイエットは病気のためにもいいだろう。中年のダイエットは、しすぎると皺になる危険性があるというから、難しそう。妹のご主人も10㎏痩せて、おなかが出産後の妊婦みたいにシワシワになったとか。

 最近、また膨らんできたと聴けば、もうこれは風船人間と想える。ナンにしても、ご主人には末永く達者でいて貰わないと、妹の幸不幸に関わってくるので、姉としては心配になるところ。

 大学時代、今思えば危険な断食を若さに任せてやってみたことがあった。

 3日でおなかがぺったんこになった記憶がある。当時は痩せていたので、それこそ、おなかの皮と背中の皮がくっつくという感じに窪んだのだ。たったの3日で、ああなるとは驚いた。

 それでも、いつもはサボったりした大学の講義にきちんと出席した。体が軽くて、ある意味では爽快だったのだ。後に神智学で、自己流の断食はとても危険であることを知った。

 当然、自己流の様々な行法すべてがとても危険である。今は瞑想一つとっても、いわゆるハタヨガ的な行法にしても、きちんと指導できる人はいない――何かあったときに対処できるだけの人はいない――と、お亡くなりになった神智学の先生はおっしゃっていた。

 先生のお父様は牧師補時代にキリスト教に疑問を持ち、東洋思想に転向。ヨガの達人として知られ、神智学を日本に紹介。知性、人格、霊性共に別格の人であったらしい。竜王会という総合ヨガの会を設立された。

 わたしが竜王会に入会したときは内部に神智学協会ニッポン・ロッジがあった。現在は竜王会と神智学協会ニッポン・ロッジに分裂。

 わたしは竜王文庫から出ている本に心惹かれたが、竜王会への入会を迷っていた。変な名前の会に思えたので。釈迦の大勢の弟子の一人に竜王という人がいたそうで、そこからの命名であるようだ。

 大学卒業の直前に母が倒れ、そのときにKindle本にもした『枕許からのレポート』に書いた神秘的な体験があった。竜王会への入会を迷っていたのは、退院した母をドライバーとして病院に送り迎えしながら公文教室で助手のバイトをしていた頃で、ある日、夢現のうちに輝かしいエメラルドグリーンの大きな円が額の上あたりに見えた。

 そのエメラルドグリーンの中に今生のわたしを見守ってくださっている人々がいて、その中心にナンと、写真でしか見たことのなかった――正直いって、あまり意識もしていなかった――先生のお父様である三浦関造氏の生き生きとしたお顔があった(勿論、とっくに故人であった)。そのことが何を意味するのかまではわからないが、縁があることは間違いないと思う。

 三浦先生も、祐徳院様も、仏教と関わりが深い。遠い昔、わたしも釈迦の大勢の弟子の中の劣等生弟子の一人であったのかもしれない。釈迦のまわりに集った大勢の男女は、一大学派集団を形成していたと思うのだ。女性弟子も非常に活発で、哲学的な議論を好んだという。尤も、わたしはそのとき、男性だったのではないかと思う。

 江戸時代に80歳で断食入定なさった祐徳院様は凄いわ。それで、ふと思ったことだが、そのご遺体はどうなったのだろうか。参詣記、まだ書いていない。

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2014年4月 6日 (日)

以下のKindle本の表紙、値段その他ちょこちょこ変えました。初の歴史小説。

以下のKindle本は、表紙ほか、ちょこちょ直しました。内容は同じです。そのとき、値段も変えました(消費税とは関係ありません)。

売れる期待をしなくなったので、つけたい値段をつけようと考えたのです。

KDPに提出後、出版の通知が届き、値段は早く変わったのですが、この記事を書く前に確認したところでは、表紙などはまだ古いままです。このページに表示しているものが新しい表紙です(『村上春樹と……』以外は目立たない変化です)。

もしお買い上げいただくようでしたら、表紙が変わってからのほうがいいと思います。

これらは小さな修正に当たると思いますが、先日修正のことでKDPに問い合わせて送られてきた回答の中に、このような場合でも、お客様は「Amazon.co.jpの『My Kindle』を通して更新を受け取ることができます」とありました。

小さな修正の場合は、お客様のほうで、アマゾンにメールで連絡していただく必要があるようです。

今後、無料キャンペーンはほとんど行わないと思いますが(クリスマスなどに例外的に行うかもしれません。お約束はできません。行う場合は早めにお知らせします)、本を直したときなどに値段を変化させようかなと思っています。高くしたり、安くしたり。でも、もう100円以下にすることはないでしょう(本の値段ではないと思うから)。

『村上春樹と……』は、値段は同じです。

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『台風』は400円から360円に。

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『ぼくが病院で見た夢』は99円から102円に。これは、アメリカのamazonで最低価格を基準に自動設定したら、こうなりました。為替レートから考えても、高くなるだろうとは思いましたが。

Bblog

『ペガサス』は476円から516円に。この本が一番高くなりました(そうしたかった。ベガサスは餌代がかかりますから、いや、ホント)。

Pblog

祐徳稲荷神社参詣記はこれから書きます。わざと時間を置きました。また意外なことがあったので(わたしが勝手にそう解釈しただけかもしれませんが)、少し考えてみたかったのです。

電子書籍にかかりきりで、しばらくお休みしている間に、初の歴史小説に関して、いくらか忘れてしまいました。

メモを整理し(まだ四分の一くらいの進行度)、読まなければならない本のチェックなどしたところです(これは三分の一くらい)。

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2014年4月 4日 (金)

Kindle本『卑弥呼をめぐる私的考察(Collected Essays, Volume 3)』を販売中です

Kindle本『卑弥呼をめぐる私的考察(Collected Essays, Volume 3)』(ASIN:B00JFHMV38)を販売中です。206円です。サンプルをダウンロードできます。
     ↓

祐徳稲荷神社に出かけました。遅い初詣でした。

新しく撮った写真、私的な発見がありました。祐徳院様(萬子媛)が用いられたという水鏡を見学し、卑弥呼が用いたと思われる鏡、そして道教の鏡、老子の言葉など、『卑弥呼をめぐる私的考察』にある以下の記述を連想したりもしていましたが、参詣については記事を改めます。

鏡は、道教グッズ(?)なのである。物の本体を映し出すとされるからだが、鏡は「老子」の美しい第十章を思い出させる。

「おちつきをなくした魄(たましい)を迷わぬように維持して、統一をしっかり抱(たも)ち、それから離れないようにできるか。呼吸(いき)を凝集(こら)し、それをやわらかにして、嬰児(あかご)のようにすることができるか。神秘的な幻想(ヴィジョン)をぬぐい去って、くもりがないようにできるか。」

 この部分は、シックな老子がわたしたち俗人に珍しくも呆れるほど身を寄せて囁いてくれた、〈道〉――老子の形而上学における究極の存在、すべての根源(本体)――を自分のものとするための最高度の技法である。
 どこから検討してみてもこの技法は完璧で、したがって球体を想わせる。神秘主義の森に入り込んだ者は、それがどのような系統のものであれ、遅かれ早かれゆきあたる技法である。
 神秘主義的な諸テキストにあっては、文学的表現と科学的表現は目も綾に織りなされている。 鏡は技法を想起させる。そして、神秘主義が明かす、恐ろしいような秘密を鏡ほど見せてくれるものはない。鏡は象徴的な意味合いにおいて〈道〉を映し出すのだ。
 鏡を見るとき、そこに映し出されているものは、何だろう? 自分自身ではないだろうか。道はその自分自身のただなかにあるというのだ。だからこそ、神秘主義者は救いを他に……ではなく、自分自身に求めようとするのである。これほどの確実さ、最短距離、同時に険しい道というものは、どう探し尽くしても他にはない。
 鏡が〈道〉のシンボルとして、宝物の扱いを受けても不思議ではないとわたしには思える。だが、世俗に降下した時、鏡は象徴的なテキストではなく単なる護符となった。

中公文庫版『老子』第一章、注釈より引用した。

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2014年4月 3日 (木)

『気まぐれに芥川賞受賞作品を読む 2007 - 2012』をお買い上げいただき、ありがとうございます!

『気まぐれに芥川賞受賞作品を読む 2007 - 2012(Collected Essays, Volume 2)』をお買い上げいただき、ありがとうございます!

先月の26日ごろお買い上げいただいたようです。

本当に嬉しいです。

現在、タイトルのCollected Essays 2をCollected Essays, Volume 2に変更する手続き中ですが、内容の変更はありません。

これは小さな修正に当たると思いますが、先日修正のことで問い合わせて送られてきた回答の中に、このような場合でも、お客様は「Amazon.co.jpの『My Kindle』を通して更新を受け取ることができます」とありました。

この小さな修正の場合は、お客様のほうで、アマゾンにメールで連絡していただく必要があるようです。

なるべく修正のいらない本に仕上げようと思っていますが、小さな修正箇所がちょくちょく出てきてしまい、申し訳ありません。

新しい本『卑弥呼をめぐる私的考察(Collected Essays, Volume 3)』をKDPに提出し、レビュー中です。

英語タイトルで迷い、もう『Queen Himiko(Collected Essays, Volume 3)』にしてしまいました。海外のKindleストアでわたしの本をでご覧になる方々は、変な英語のタイトルが並んでいるとお思いになるでしょうね。ああ、恥ずかしい。

KDPセレクトには登録せず、価格は206円に設定しました。

古い作品になりますが、そのあと、卑弥呼、邪馬台国関係で、それほど大きな発見は報告されていないようです。

ただ、卑弥呼に興味を持ち始めたころは邪馬台国の中心思想である鬼道を道教的なものと見るより、素朴なシャーマニズムという捉え方が一般的だったように思います。道教と見る人々であっても、説明からは道教が見えてこない。素朴なシャーマニズムを道教といっているだけのように感じられました。

そうしたことに疑問がわき、当作品を執筆したともいえます。当時、『関西文学』に掲載していただきました。当ブログでも連載しました(現在は非公開)。

この科学時代になっても邪馬台国の謎は残るままというのが、逆に不思議な気がします。

わたしは福岡県にいたときに卑弥呼――というより、「魏志倭人伝」に描写された邪馬台国の国柄――に興味を持ち、自分なりに調べてみて、宇佐神宮と関係が深いのではないかと考えました。

そのころは大分県に引っ越すなんて、想像もしていませんでした。

この作品と『村上春樹と近年のノーベル文学賞作家たち』『気まぐれに……』の文芸評論で展開していることはつながっています。わたしの考えの基本的な部分は間違ってはいなかったことを、本を作成しながら確認した次第です。

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以下は内容紹介です。

「目次」
 
 プロローグ

 一 邪馬台国の中心思想――鬼道
 二 戦後日本の思想的荒廃
 三 女性原理的な趣致、主張をもつ「老子」
 四 日本人の色彩観を育んだ秦漢時代の思想
 五 「魏志倭人伝」に描かれた邪馬台国の国柄
 六 日の王朝と月の王朝
 七 宇佐家の口伝が詳述する神武天皇の進駐
 八 月の王朝の残り香

「プロローグ」より 

 本作品は一九九七年に執筆した歴史エッセーです。

 執筆当時から大分時間が経過したということもあって、エッセーには、現在の眼で見たときにこのままではどうかと思われる箇所がちらほらあり、裏付けをとれないままにインスピレーションがほとばしるに任せた箇所や、推理の展開ができないまま尻切れとんぼに終わっている箇所など、不充分、不満足な面が多々あります。

 それほど不完全なものをなぜ書籍化することを望むかといえば、青臭いながらもエッセーに溶け込んでいる神秘主義的センスゆえです。素人目で見ても、現代の歴史研究には、こうしたセンスがあまりにも欠けているように思われるからでした。現代とは異なり、宗教や哲学、なかでも神秘主義思想に重きが置かれた古代を研究するには、神秘主義的センスが欠かせないように思われるのですが、如何でしょうか。

4冊を仕上げて、ようやく、萬子媛に辿り着きました。萬子媛に関することは非公開となりますが、江戸自体の研究など、公開しても差し支えないと思う創作メモは、カテゴリー「ちょっとメモ:初の歴史小説」に入れていきます。

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2014年4月 2日 (水)

デパートの加賀百万石展で買った迫力ある厚揚げ、油揚げ。但馬屋、かもめのジョナサン。

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 デパートの加賀百万石展で買った迫力ある厚揚げと油揚げ。

 真ん中の半額シールの貼ってある豆腐は普通の大きさです。向かって右端の厚揚げは2枚入り。デカいです。

 我が家では3等分して、ちょうどよい大きさ。焼いて、わさび醤油でいただきました。厚揚げの中身にしては水分が少なめで、もしかして厚い油揚げだったんだろうか、と思ってしまいました。

 大豆が厚揚げとなっていても、劇的なまでに自己を主張しています。これまで豆腐からも感じたことのないほど、大豆の味がします。感動しました。

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 左端のは油揚げで、3枚入り。ちゃんと写っていないので、小さく見えるかもしれませんが、この中で一番の大きさです。これはまだ、いただいていません。

 冷蔵で4日。冷凍もできるんですって。「こういったものは毎日食べるものですからね、冷凍する間もないことですよ」と、売り場の女の人はおっしゃいました。

 油揚げ、厚揚げ好きの我が家でも、毎日食卓に上がるということはありませんが、こうした存在感のある厚揚げや油揚げが日々作られる土地では、毎日でも普通なんでしょうね。何だか、嬉しくなりました。

 突然、わたし住むところ、間違ってきたのかもしれない――と思ってしまいました。

 ちなみに、以下の写真は昨日の夕飯。最近、夕飯の写真をアップする時間がなくて、淋しく思っていました。まあ、別に大した夕飯でなくても、アップしておくと、思い出になりますよね。

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 メインは赤魚の煮付けでした。赤魚の煮付けは優しい味。

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 白い器のはキュウリとビーツとクルミをヨーグルトであえ、塩こしょうしたサラダです。マヨネーズを加えてもいいですが、さっぱりしたサラダがほしいときにはヨーグルトだけにしています。

 ビーツ、じゃがいも、クルミの組み合わせもよくしますが、それに一番合うのはサワークリームの塊を残すように混ぜ合わせるマヨネーズソースです。

 以下は、久しぶりに入ったデパ地下の「但馬屋」で注文した、ぜんざい。冬への想いを再燃させてくれるような味でした。

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 この写真は娘の撮影でしたが、以下の写真もそうです。家族で「かもめのジョナサン」へ行ったときのもの。ディナープレートのメインは沖縄アグーウィンナー​でした。
 ここに、前回行ったときの記事。

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 デザートは、苺が大きく見えるくらいに、小ぶりの器に入ったブリュレ2種とアイスクリームで、女性のおなかにも適度な量でした。クリームブリュレとチョコレートブリュレは、甲乙付けがたい美味しさでした。

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3月19日に整形外科、25日に循環器クリニック受診

 記録しそびれていました。

 整形外科では両膝にある骨腫瘍の触診。

 少しずつ大きくなっているのでしょうが、特に先生に訴えたいような変化は、わたしには感じられません。今後は何かあったときにレントゲンを撮りましょう、と先生(もちろん、佐世保弁で)。レントゲンの被曝で腫瘍が刺激されないとも限らないので、賛成です。

 仮に先で手術することになったとしても、頭の骨腫瘍みたいに硬いため、抉ることになるのでは――という心配は不要だそうです。「ダイヤモンドですら削っことのでくっ、メスでん、あっけんさ」と先生。

 ダイヤモンドを削ることのできるメスであれば、わたしの骨腫瘍がどんなに硬いとしても大丈夫だということですね。

 脳神経外科の先生は、頭の腫瘍の場合は悪性の可能性や、再び腫瘍が大きくなることも考えて、あえて大きく抉ったとおっしゃいましたっけ。

 ただ、とにかく硬くて困ったともおっしゃったので、そのことばかりが強く頭に残り、わたしの心配となったのでした。

 内分泌内科での検査結果をチェックされる先生。

「半年後に、また会おうか?」と、先生。「はい」とわたし。

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

 循環器クリニックは大変混んでいたので、なるべく質問を控えるようにしました。前のほうからカルテを丹念にご覧になる先生。

「心房細動はもう起きてない?」と訊かれたので、「軽い不整脈は時々起きますが――それがどんな不整脈なのかはわかりません――、サンリズムの服用を始めてから、ほとんど出なくなりました」とわたし。

 聴診器のあとで、「うん、今も不整脈はない」とおっしゃいました。

「ニトロ……ミオコールスプレーはまだあるね?」と先生。「まだあります」とわたし。貰ったばかりです。それを使ったときのこと(追記2)をお話ししたかったのですが、耳鼻科的なことだったのかもしれないし、何しろ患者さんが多かったので、今回はお話ししませんでした。

 腎臓結石のウロカルン錠を飲むようになってから、結石が下りてくるときの痛みを感じなくなったので、1日1錠ずつ3回飲んでいますが、そんな飲み方でよいかお尋ねすると、いいよと先生。

 処方箋には「1回3錠 毎食後 20日分」とありますが、1回2錠なので、それを1錠ずつ飲むと、40日分になります。

 調剤薬局で、尿が近くて頻繁にトイレへ行きたくなるけれど、ウロカルン錠にそうした作用はないか、お尋ねしてみました。石を溶かす作用と利尿作用もあるそうです。

 おしっこでトイレへ行くたびに、尿と一緒に砂粒みたいな石が出て行くところをわたしは想像しました。外出のときは困ります。外出時だけ、服用を控えることにしてみます。

心臓の薬

  • インデラル錠10㎎ 1回1錠 毎食後
  • ニコランジル錠5㎎「サワイ」(先発品:シグマート錠5mg) 1回1錠 毎食後
  • サンリズムカプセル50㎎ 1回1Cap 毎食後
  • ジルチアゼム塩酸塩徐放カプセル100mg「日医工」(先発品:ヘルベッサーRカプセル100mg) 1回1Cap 朝・夕食後
  • 一硝酸イソソルビド錠20㎎「タイヨー」(先発品:アイトロール錠20mg) 1回1錠 朝・夕食後

腎臓・尿管結石の薬

  • ウロカルン錠225㎎ 1回3錠 毎食後 20日分

喘息の薬

  • フルタイド200ディスカス(ステロイド剤) 1個 吸入

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2014年4月 1日 (火)

心境の変化

 Kindle本、なかなか売れませんが、それはそれでいいという気がしてきました。これまでのわたしであれば、そろそろ無料キャンペーンを行っていた頃ですが、それを行わないと決め、予想通り、本はまだ1冊買っていただいただけ。いっそ、さわやかな気分です。

 いえ、そりゃ売れたら嬉しいのですよ、もちろん。

 ただ、賞に無意味な期待をしなくなったのと同じように、電子書籍の売り上げに何も期待しなくなったというだけです。

 そして、わたしの創作人生は次の段階に入ったのか、いつか自分で個人出版社を立ち上げたいという夢が膨らんできました。

 今の段階では妄想にすぎませんが、たまたまISBNについて調べていて、それが個人取得できると知り、そこから検索を続けていって、出版社を興すにはどうすればいいのか調べたところ、あっけないほど簡単でした。

 それでも、うちの今のカツカツの暮らしではとても無理ですが(なんとか生活できているレベル)、思っていたより、お金がかからないのです。

 そりゃ本格的にやろうと思えば、大金が必要でしょう。

 でも、とりあえずは自分の本を出すだけであれば、当座の資金と個人出版社を維持するために払わなければならない資金があれば、始められないこともないのであります。

 貧乏人の妄想が、例えば宝籤が当たったとかで、現実のこととなるかもしれませんしね。尤も、賭け事はわたしは今生では一切やりません。よほど前世のどれかで思い知らされたのでしょうね。

 初の歴史小説を書くにあたり、これを書き上げたとしても、Kindle本にするしかないかなあ、できたら印刷屋さんに頼んで、本当にささやかな――手作りをましにした程度の――本くらいは出せないだろうかと考えたのが始まりでした。

 その程度のものであれば、昔、出したことがあります。素人のコミックを主に手がけている大阪の印刷所で、本当に安くて、きちんとしていました。当時入っていた同人雑誌「くりえいと」のメンバーから教わったのです。

 わたし以外はエンター系のかたばかりでしたが、純文系の人々以上に鋭い、それでいて温情を感じさせる批評をしてくださいました。

 印刷所の選択で一つだけ失敗だったのは、遠くて確認に不便だったということ。郵送によるやりとりだけでは失敗します。

 わたしの場合は、ゲラで見たときより、本になってみると、文字が思ったより小さく感じたということです。頼むのであれば、すぐに行ける近くの印刷所がいいと思いました。

 とりあえずはKindle本にするでしょうが、優秀な郷土史家から貴重な資料を提供していただいた恩返しとしてわたしに思いつくことは、まずはよい作品を書き上げること。そして、なるべく多くの人に読んでいただけるような形にすることです。

 あれこれ考えることに、制限はありませんからね。追いつめられた気分になると、人間、いろいろと思いつくものです。

 仕上がったら、出版社に見ていただくことも考えています。

 そういえば、息子さんの代になられたようですが、「卑弥呼に関する私的考察」を季刊誌に載せてくれようとした――編集を任されていた考古学系の人に没にされました――出版社の女社長さんのことが書き仲間からの年賀状に書かれていて、わたしのことを「あの人は才能がある」と褒めてくださっていたとか。

S3j_blog

 葉をモチーフにした写真をお借りして作成した表紙とこちらとで迷っています。卑弥呼は日蝕と関連づけられることがあるので、こちらには日蝕をモチーフとした写真素材をお借りしました。

 この本、今日中にKDPに出してしまおうと思っています。そして、できれば、今日中に初の歴史小説に入りたい。

 女社長さんにお目にかかったのはずいぶん前の話になりますが、わたしの噂をしていただいて嬉しいです。そのとき、わたしの作品のことで――どの作品だったかは覚えていません――魔が差されたような何ともいえない表情をなさり、女性編集者が正気に返らせようとしていましたっけ。

「うちの出版社に出せるわけがありません。社長、しっかりしてください」とおっしゃっていました。女社長さんは「わかってる……わかってる……」とおっしゃいました。

 ご自分で内輪的な同人雑誌も作っていらっしゃって(小説をお書きになるのです)、同人になることを勧めてくださいましたが、博多はやや遠くて、子供たちが巣立つ前でしたから、合評会に行けないと思い、お断りしてしまいました。

 女社長さんの同人雑誌は、「文学界」の同人雑誌評にも採り上げられていました。そのあと、「日田文学」からお誘いいただき、返事をする前にわたしの作品が載っていて、半ば編集人に怒りながら同人となったのでした。今ではありがたかったと心から感謝しています。

 年賀状をくれた書き仲間は、現在、その女社長さんのところの同人となっています。元々彼女とは横井晃先生、横井三保編集長の「関西文学」で知り合ったのでした。そうした頃からすれば、現在は孤独だわと思います。

 尤も、組んで作品集を出そうと複数の人から持ちかけられながら、お断りしてしまったりするわたしに原因があるのですが。同人雑誌的おつきあいは今はしんどいのですね。

 育児から解放された専業主婦の癖に、書く時間が常に足りないのです。ここ数日は立て続けに電子出版しているせいで、整形外科と循環器クリニックの受診記録を書きそびれています。

 で、たとえ妄想でも、いつか自分で個人出版社を興して本を出す――という夢があれば、Kindle本が売れないからといって泣くこともなくなりますし(まあ泣いたことはありませんが)、しずかな勇気と持続力が深いところから湧いてくるようです。

 あのね、100円とか200円とかって、たとえ電子書籍にしたって、本の値段じゃありませんよ。ましてや只で提供? 馬鹿にしないでください。家畜だって、餌くらい貰いますわ。

 わたしの本はKindleストアで、王子様に眠りから覚まして貰うまで、眠りについているのです。と、書いたら、『田中さんちにやってきたペガサス』の中に出て来たトラ男の台詞を思い出してしまいました。お子様に如何ですか? 99円の児童小説シリーズもあります。

 サンプルをダウンロードできます。
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 つい最近出した本です。サンプルをダウンロードできます。
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