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2014年4月14日 (月)

ああ~原稿10枚がどっか行ってしまった!

 初の歴史小説に入るはずが、Kindle本にまだへばりついています。

「不思議な接着剤」はまだ冒険に入る前までしかできていません――断片はメモ状で散乱しています――が、そこまでをKindle本にしておこうと思います。

 タイトルは『不思議な接着剤1 冒険への道』です。なぜ急にそういうことになったかというと、過去記事でジュゲムブログがわたしには何だか記事が書きづらくなり(行空けに不具合が生じがち)、体調ブログをライブドアへ移したことをご報告しました。

「マダムNの児童文学作品」もジュゲムなので、移そうかと思い、以前連載していて現在は非公開になっている記事「不思議な接着剤」も移すかどうかで迷いました。

 それで読み始めたところ、連載していたときの感覚がよみがえり、長く放置状態だったのに、子供たちは作品の中で生きていると思いました。

 冒険の前までのお話はまとまりがあるので、作品の安全のためにKindle本にしておこうと考えたのでした。時々、猛烈に作品を整理したくなることがあり、どうかしたら消してしまい、後で後悔することがあるので。

「不思議な接着剤」シリーズは、「冒険への道」のあと子供たち3人が中世ヨーロッパにまぎれ込む物語が完結したあとも続く予定で、こうした物語の背後には時空を超えて商売の手を拡げる企業グループの存在があり、その存在は「冒険への道」とその続きではほんのり姿を感じさせる程度。

 子供たちの父親たちは、どちらもその企業グループと関係があります。「冒険への道」では姿を見せない紘平の父親も、姉妹編『すみれ色の帽子』で姿を見せる瞳の父親も……。『すみれ色の帽子』は日常を描いた日記体児童小説でカラーが異なりますが、関連性があります。

 初の歴史小説にどれくらい時間がかかるかわからないので、本にしておくのが無難かと。本にする資格なし、なんてことを、またどなたからかお叱りを受けそうですけれど。

 物事を始めて2年目というのは、いろいろと問題や試練が起こってきがちなものです。ブログでもそうでした。3年目に入れば、わたしのキンドル本も落ち着くと思うのですがね。サビアン占星術が参考になります。

 困ったと感じるレビューや☆を頂戴しても、それが宣伝になるのか、無関係なのか、その後も本が売れ(この記事のあとにも、1冊買っていただいたことをご報告する予定です)、1年目に比べたら、わたしのKindle本の知名度(?)もほんのすこうし、あがったといえます。

 話が逸れました。で、冒険に入る前までというのを、子供たちが中世ヨーロッパへの通路となる電器店の倉庫に入ろうとするところまでにするか、入ってから、電器店の奥――その暗闇に鍾乳洞の暗闇を不思議な接着剤でくっつけ、やがてそこが中世ヨーロッパの洞窟だということがやがて子供たちにわかるのです――に行くところまでにするのか、迷いました。

 電器店の倉庫では昔――中学時代――、友人の電器店の倉庫でお化けごっこなんかして遊んでいたので、効果的に使える自信がありました。加えて、倉庫の中で白いネコ(このネコが出てくるのには意味があるのですが)を子供たちが追いかける場面を書くために、ランプや懐中電灯の光で、かなり遊んでみたのです。

 現れたり消えたりして見えるネコと動き回る子供たちに光がどんな具合に当たっているのか、結構、うまく描写できたと思っていたのですが、その10枚くらいの原稿がない! 二度と、あのときのようには書けない!

 おそらく下書きのままだったのです。一番最初の下書きはだいたいノートにボールペンで走り書きするのですが、そのノートがありません。うっかり捨ててしまったのでしょうか。

 ノートの字は我ながら読みにくく、10枚ぐらいになると、パソコンで打つのも少しは時間がかかるので、あとでと思い――何日か、気になりながら放置してしまったのでした。

 その頃、身辺慌ただしくて、そのまま、わからなくなってしまいました。ノート、メモ類の数は半端ではなく、おまけにたまに捨てたりもするので、2時間くらいかけて探しましたが、絶望的です。

 何にしても、「接着剤」をKindle本にしてから、祐徳院様の物語に入ります。高雅な雰囲気を感じさせる祐徳院様。とても緊張します。

 でも、こうしたことには関わったりはなさらないとわかったので(見守ってはくださるような気がしますが)、いくらかは気がラクになりました。

 江戸時代の初期から中期にかけて舞台となる辺りで起きたことを年表から抜粋するところから始める予定。

 中央(江戸幕府)、京都(ご実家に当たる花山院家)、九州(外国勢力をコントロールする上で重要な場所だった)と比較しながら、大雑把なところを掴まなければ。

 江戸時代の骨格となった思想は細かく調べなくてはなりません。朱子学を学んでいる女性と二つの寺の住職を務める尼との間に論争があったことなど門玲子『江戸女流文学の発見』には書かれていて、興味深く思ったあたりで、中断していたのでした。

 祐徳院様が選択された黄檗宗は調べてみると、江戸時代には有名だったようです。今はあまり知られていない原因の一つとして明治の神仏分離、廃仏毀釈があるのかもしれません。

 過日、テレビで阿修羅像に関するものを観て、阿修羅像のある興福寺についてウィキペディアを見たところ、神仏分離、廃仏毀釈の凄まじさにぞっとさせられました。以下に抜粋。

興福寺:ウィキペディア

廃仏毀釈による破壊

江戸時代は21000石の朱印を与えられ保護された興福寺だが、慶応4年(1868年)に出された神仏分離令は、全国に廃仏毀釈の嵐を巻き起こし、春日社と一体の信仰が行われていた興福寺は大きな打撃をこうむった。興福寺別当だった一乗院および大乗院の門主は還俗し、それぞれ水谷川家、松園家と名乗った(奈良華族)。子院はすべて廃止、寺領は1871年(明治4年)の上知令で没収され、僧は春日社の神職となった。境内は塀が取り払われ、樹木が植えられて、奈良公園の一部となってしまった。一乗院跡は現在の奈良地方裁判所、大乗院跡は奈良ホテルとなっている。一時は廃寺同然となり、五重塔、三重塔さえ売りに出る始末だった。五重塔は250円(値段には諸説ある)で買い手がつき、買主は塔自体は燃やして金目の金具類だけを取り出そうとしたが、延焼を心配する近隣住民の反対で火を付けるのは取りやめになったという。ただし、五重塔が焼かれなかった理由はそれだけでなく、塔を残しておいた方が観光客の誘致に有利だという意見もあったという。
行き過ぎた廃仏政策が反省されだした1881年(明治14年)、ようやく興福寺の再興が許可された。1897年(明治30年)、文化財保護法の前身である「古社寺保存法」が公布されると、興福寺の諸堂塔も修理が行われ、徐々に寺観が整備されて現代に至っている。 しかし、寺に塀が無く公園の中に寺院がある状態、所謂「信仰の動線」が欠落していると称される状態は、この時の名残である。

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