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2014年2月 3日 (月)

鬼が笑うでしょうか。ゴーゴリと対極にいる、わが国の褒めすぎる人々。

 Googleのウェブサイト翻訳ツールをサイドバーに設置してみました。

 日本語で言語を選択できないと使えないんじゃないかと思いますが、アクセス解析を見ていると、英語に翻訳されたわたしの記事のタイトルが検索ワードにあったので、いくらか日本語ができる外国の方の役に立つかもしれないと思いました。外国からの閲覧がちょくちょくあるようなので。

 以前はGoogle翻訳を使って翻訳させると、すぐに疲れて途中で止まり、日本語丸出しの翻訳にしかなっていませんでしたが、体力はついたようですね。でも、精度はどんなものやら。

 以下のサイトで翻訳サイトを比較してあり、思わず笑いながら閲覧しました(翻訳サイトの珍妙な翻訳ぶりよりはるかに低い翻訳能力しか、わたしにはないわけですけれどね)。

 ところで、先日の記事で、Google Chromeの拡張機能でAmazonの本が図書館にあるかどうかを検索できる便利なものを見つけたと書きました。

 他にもご紹介しますと、以下の拡張機能も重宝しています。

 初の歴史小説にはあと1~2年かかりそうです。その間、他のことができにくい状況となるので、先の予定が立ちませんが、時間を見つけて今年は、注文のたびにAmazonのプリント・オン・デマンドで印刷されるというオンデマンドにチャレンジしてみたいと考えています。

 そのサービスを日本のKDPでわたしが直接に使うことはまだ出来ないので、そうした出版サービスを行っている会社を通して。

 そのサービスではKindle本とはまた違った入稿の仕方が求められるので、まとまった時間が要りそうです。わたしは思い立ってから腰を上げるまでに、だいたい1年くらいかかるのです。

 来年のことをいうと鬼が笑うといいますが(今日は豆まきだぞ~!)、来年は動画配信にチャレンジしてみたいです。

 昨晩、やり方を閲覧してみたら難しいものではなさそうだったので、週に1回、20~30分くらいのペースで、文学に関する私的発信をしてみたいと考えています。

 何しろわたしにはなまりがあるので(ここに引っ越してきてから、佐賀弁と博多弁のなまりがあるといわれました)、視聴に耐えられるような動画が作成できるかどうかはわかりませんが(自分の声を使わない方法もあるでしょう)、文明の利器を最大限に活用して自分にできる精一杯のことを文学のために行わなければ、日本の文学は本当に滅んでしまう――そんな危機感を覚えずにはいられません。

 今回の芥川賞作家の『穴』は未読ですし、『工場』も試し読みしただけですが[以下の過去記事参照]、その『工場』をゴーゴリ、カフカと褒めちぎった記事を読みました。

 わたしはゴーゴリもカフカも翻訳でしか知りませんが、美しい文章を書く、深淵をすら描く力量のある彼らと同格であるかのような褒め方には、何というか、涙が出てきました。

 芥川賞作家を貶める意図はないのです。誤解しないでください。異常なのは馬鹿褒めする無責任な人々なのです。いくら何でも、子供の悪戯書きを「まるで、ピカソだ!」というような褒め方というわけではありますまいが。

 ゴーゴリは特に好きな作家です。そんな作家が日本にいれば、どんなにいいでしょう! もう人生も後半になっているにも拘わらず、これから本格的に茨の道を歩こうという未熟なわたしのどれほどの励み、助けとなることでしょう。

「肖像画」(『狂人日記 他二篇』所収、ゴーゴリ著、横田瑞穂訳、岩波文庫、1993年)より抜粋。

 彼の前にかかっていたのは、花嫁のように清らかで汚れのない、美しい例の画家の作品であった。その絵はいかにもつつましく、神々[こうごう]しく、あどけなく、天女のように素直に一同の上にかかげられていた。その神々しい画像は大勢の人の目に見つめられるので、恥ずかしそうに美しい睫[まつげ]をふせているように思われた。専門家たちは思わず驚嘆の眼を見はりながら、いままで見たこともない美しい筆触[タッチ]にじっと視線をこらした。そこではすべてのものがいっしょに凝結しているように見えた。ラファエロを研究した跡[あと]は気品の高い構図にあらわれ、コレッジオを学んだ跡[あと]は完璧な筆触[タッチ]にあらわれていた。だが、なによりも力強く見えていたのは、画家自身の魂のなかに、すでにしっかりと根をおろしていた創造力のあらわれだった。絵のなかのどんな微細な点にも画家の魂が浸透していて、どこをとっても法則がつらぬかれ、内的な力がこもっていた。いたるところに自然界に潜んでいる柔らかい曲線がとらえられていたが、これは独創的な画家の目にだけに見えるもので、模写しかできない画家が手がけたら、その曲線を角張った線にしてしまうところである。これはあきらかに、外界から引き出してきたものをぜんぶ、まず自分の魂のなかにとりいれて、それからあらためて一種の調子のととのった荘重な詩[うた]として魂の奥底から歌いあげたのにちがいない。とにかく凡俗の目にさえはっきりしたことは、ほんとうの創作と、たんなる自然の模写とのあいだには測り知れない大きな隔たりがあることであった。

 これがゴーゴリの文章です。ゴーゴリの芸術観です。思いつきで断片をつなげただけの、奇を衒った作品とは対極にあるのがゴーゴリの作品です。

 大手出版社の文学賞や話題作りが、日本の文学を皮相的遊戯へ、日本語を壊すような方向へと誘導しているように思えること、作家も評論家も褒め合ってばかりいること(リップサービスと区別がつかない)、反日勢力に文学作品が巧妙に利用されている節があること……そうしたことが嫌でも感じられ、16歳のときから40年間も文学の世界を傍観してきましたが、このまま行けば日本の文学は確実に駄目になってしまうという怖ろしさを覚えます。

 夫に、文学をテーマとした動画配信を考えている話をしてみました。てっきり、呆れられると思ったのですが、夫は感心したような静かな声で「へえ~」といい、「やってみたらいいんじゃない?」といいました。

 尤も、動画のアップ数は多く、ブログや電子書籍の世界と似たり寄ったりで、視聴して貰うことは難しそうです。まあ、来年腰を上げてスタートがそのまた1年後くらいだとすると、もうその頃には動画のブームが去っていたりすることも考えられますが、一応計画としてあることをご報告しておきますね。

 ゴーゴリの作品は高校生の読書感想文におすすめです。

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