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2014年2月の29件の記事

2014年2月27日 (木)

神智学に満ちているアントニオ・タブッキの世界 ②「インド夜想曲」その1

 新カテゴリー「Notes:アントニオ・タブッキ」を設置しました。

 昨夜、娘が帰宅してすぐに差し出してくれた「ユリイカ 6月号 第44巻第6号(通巻611号)『アントニオ・タブッキ』」(青土社、2012年6月)とアントニオ・タブッキ『インド夜想曲』(須賀敦子訳、2013年、白水社)。本を、書店員の娘に頼んでいたのだった。

 先に「ユリイカ」を読み、わたしはほとんど窒息しそうになった。

 なぜ窒息しそうになったかというと、タブッキを期待して読み始めたというのに、雑誌の中にはタブッキが髪の毛1本分しか存在しなかったから。

 その代わりに、本は、そこに書いた人々の自己顕示欲、通り一遍の解釈、自分たちの仲間と認められない部分は徹底して排除(漂白といったほうがよいだろうか)してしまおうという貪欲な意志でいっぱいで、タブッキを求めていたわたしも同じ目に遭うことを感じずにはいられなかったからだった。

 アントニオ・タブッキが自分たちと政治思想的にリンクした時期があったからといって、マルキストたちは彼を自分の側に力尽くで引き寄せようとしているかのように思える(自分がマルキストであるという自覚さえない者もあるかもしれない)。

 また、「インド夜想曲」を訳した須賀敦子の思想が何なのかは知らないが、彼女の情緒的、思わせぶりにぼかしたようなエッセーを読むと、わたしは苛々してくる。

 登場人物や彼女の正体を知りたくてずいぶん読んだが、読めば読むほど空虚な気持ちが強まり、もう彼女について知ることなどどうでもよくなり、遂には読むのをやめた過去があった。

 夢も死も過剰なほどのタブッキの作品群と比較すると、須賀敦子の作品群はそれとは如何にも対照的で、夢にも死にも乏しい。死ぬ人はよく出てくるが、その死は決して豊かではなく、干からびている。

 最愛のペッピーノでさえ、作品の中で生きていようが死んでいようが、終始、希薄な亡霊のようである。その亡霊が彼女の情緒まみれになっていて、わたしにはそれが苦手だった。

 彼女がキリスト者だったのかマルキストだったのか、わたしは知らないが、作品の傾向から見て、マルキシズム寄りを彷徨っていたのだろうと想像する他はない。死んだらそれで終わりという唯物論の匂いがするからだ。

 神智学者――神秘主義者――は何者になることも可能なので、場合によってはマルキストになったり、キリスト者になったりするだろうが、何色になろうと本質はカメレオンという生物――神秘主義者なのだ。作品が包み隠さず、そのことを物語っている。

 わたしはタブッキが神智学協会の会員であったかどうかは知らないし、そんなことは重要なことではない。その思想の影響が作品から読み取れるかどうかが問題なのだ。

 訳者がどんな思想の持ち主であろうと、解説さえきちんとなされていれば、わたしも別に訳者の思想を詮索するようなことはないのだが(訳者の思想にまで興味を持つほど暇ではない)、作品が神智学でいっぱいなのに、解説に神智学のシの字も出てこないとは何だろうと不審感を覚えてしまったのだった。

 いずれきちんとした評論に仕上げたいと思っているが、タブッキの世界は神智学の世界以外の何ものでもないのだ。

 ポルトガルの詩人フェルナンド・ペソアはタブッキにとっては大事な人物だったようだが、そのペソアのことが「インド夜想曲」の中でちらりと出てくる。そのペソアはアニー・ベザントの著作を訳したのだという。

 アニー・ベザントは神智学協会第二代会長である。

 この記述からすると、ペソアを通して主人公は神智学を知ったことになるが、そのペソアは薔薇十字だったそうだ。

 ちなみに、過去記事にも書いたことだが、バルザックが薔薇十字だったことは確かだと思う。バルザックの父親はフリーメイソンだった。西洋では珍しいことではない。

 薔薇十字、フリーメイソン、神智学は、神秘主義の系譜である。キリスト教や、第二次大戦後はマルキシズムに抑圧されてきた。

 日本で『オカルト』、『アウトサイダー』などが大ヒットしたが、その著者である無知無教養なコリン・ウィルソンなんかに騙されて、神秘主義を馬鹿にしたり、無視したりしていると、日本における西洋文学の研究はいつまでも停滞したままでいる他はない。

 と、コリン・ウィルソンについて放言してしまったが、今本棚にウィルソンの本が見当たらない。コリン・ウィルソン――の弊害――についてもいずれ書きたいと考えている。

「ユリイカ」では、タブッキと須賀敦子が如何に親しかったかについて、もったいぶって紹介され、タブッキの作品について――神智学を避けて――周辺的なことや自身に引き寄せた解釈、また手法について色々と書かれているが、タブッキの核心に触れようとすれば、作品全体を浸しているといってもよい哲学、思想に切り込むしかなく、その哲学とはどう作品を読んでもやはり神智学であり、神秘主義哲学であるとわたしは思う。

「ユリイカ」201頁に、かろうじて神智学協会に触れた箇所があった。この特集の一部を割いて調査、報告されてよいことであるにも拘わらず、そこだけ(見逃しがあるかもしれないが)。以下に抜粋しておく。

『ベアト・アンジェリコの翼あるもの』(1987)のなかに「以下の文章は偽りである。以上の文章は真である。」という書簡体の短編が収録されていて、これが『インド夜想曲』中のマドラスの神智学協会員(のモデル?)と〈タブッキ〉との二往復四通の往復書簡なのだ。
〔略〕
 タブッキの「以下の文章は偽りである。以上の文章は真である。」で〈タブッキ〉と手紙をやりとりする神智学協会員は、ここでつぎのように書き始める。

 マドラスの神智学協会でお会いした日から三年が過ぎました。〔……〕あなたがある人物を探していること、それと小さなインド日記を書いていることをあたなは私に打ち明けました〔古賀弘人訳〕。

 あまりにささやかな記述ではないだろうか。それで、あなた方研究者は神智学協会について簡単な説明もしないままで済ませるの?と不思議な気持ちになる。

 ペソアについても、研究報告のような章はない。タブッキの特集を組んだ意味があったのだろうか。

 もしタブッキが神智学や薔薇十字の影響を受けた本物の神秘主義者であるとするなら、彼はあたかも思い出すかのように影響を受けたはずである。

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2014年2月26日 (水)

図書館から借りた本

 №23までとっていた「初の歴史小説」ノートを非公開にしてしまって、申し訳なく思っています。このカテゴリーに来てくださっていた方々がいらしたようなので。

 わたしは、調べたことを人々と共有して驚いたり、楽しんだりして、さらなる調査につなげたいという思いが強い人間なので、非公開にしてしまうと、当人が誰より味気なさを覚えます。でも、やはり現段階で公開してしまうことは軽はずみと思え、そうせざるをえません。

 そこで、借りた本のこととか、公開しても差し支えないと思える事柄をメモするための新カテゴリー「ちょっとメモ:初の歴史小説」を設置しました。

 さっそく書くと、江戸時代を知るにはその骨格を形成した思想を知らないわけにはいかないので、引き続き、朱子学、陽明学、黄檗宗、江戸の女流文学者に関する本を借りて読んでいるところです。

 ここに本のタイトル(この記事は書きかけ)

 そして、気分転換を兼ねて――、amazonの著者ページで「著作に神智学の影響が認められるアントニオ・タブッキ、カロッサ、ガブリエラ・ミストラル、オルダス・ハクスリーに関する研究を行っています」と書いたように、そちらのほうもちびちびと進めたいと考えています。

 タブッキの本は誕生日に家族が図書券を贈ってくれたので、ああもうすぐに買ってしまいました(図書館からは常に上限の冊数の本を借りているにも拘わらず、常に本に渇き、飢えているので)。

 購入したのは『インド夜想曲』とタブッキを特集した号のユリイカ。『インド夜想曲』は前に読みましたが、再読の必要があると思いましたし、タブッキの研究をするには代表作くらいは手元に置いておきたいのです。もう1冊これも代表作といえる『供述によるとペレイラは……』は幸い、娘が持っていました。これは凄く面白い!(いずれ感想を書きます) 

『インド夜想曲』、前に読んだとき、わたしはぴんと来ず、娘にタブッキの魅力を教わりました。娘は『いつも手遅れ』が大好きです。

 タブッキの本の中で、神智学の影響が表立って感じられるものは、わたしにはかえってとっつきにくいのです。でも、それもずいぶん前に読んでそう感じたことなので、今読めば違うかもしれません。

 図書館から借りたオルダス・ハスクリーの本のことなども書きたいのですが、家事が残っていて、ちょっとだけ書くつもりが長くなりそうなので、中断します。この記事は書きかけです。

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ココログの訪問組織ランキング

 昨年12月3日にリニューアルされたココログのアクセス解析。現在までの使い心地としては、以前のほうがこまやかで、行き届いている感じがありました。

 特に、見応えがあった生ログが貧弱になった(「リアルタイム足あと」)感は否めません。この点は他のアクセス解析で補うしかないようです。

 一つ、わたしにとって興味深い新しい項目は、訪問組織ランキングです。

 閲覧記事はわかりませんし、流入のきっかけとなった記事、サイト、検索ワードなどは不明が半分以上あり、わかる範囲内では、仕事で検索していると思えるものより、休憩時間に私的な関心で検索しているのかなと思えるケースが多いように思います。

 28日間でどんな組織からアクセスがあったのかが以下。公開していいのかどうか迷いましたが、公開しているかたもちょくちょくいらっしゃるのでいいのかなと思い……。検索ワードは公開しません。

1 朝日新聞社 マスメディア

2 キヤノン メーカー

3 花王 メーカー

4 ぎょうせい マスメディア

5 最高裁判所 公共機関

6 東京エレクトロン メーカー

7 社団法人日本プロサッカーリーグ 公共機関

8 明治製菓 メーカー

9 旭川大学 大学

10 US Department of State 公共機関

11 山梨学院大学 大学

12 新潟大学 大学

13 翔泳社 マスメディア

14 北星学園大学 大学

15 早稲田大学 大学

16 オリンパス メーカー

17 パナソニック メーカー

18 三菱商事 金融・商社 

19 防衛大学校 大学

20 東京医科大学 大学

21 大阪大学 大学

22 山口市 公共機関 

23 九州国際大学 大学

24 マツダ メーカー

25 鹿児島大学 大学

26 伊藤忠テクノソリューションズ 情報通信

27 アサヒビール メーカー

28 住友商事 金融・商社

29 創価学会 公共機関 

30 三井物産 金融・商社

31 KDDI 情報通信

32 川崎医科大学 大学

33 TOHOシネマズ サービス業

34 ビービット 情報通信

35 城西大学 大学

36 小学館プロダクション マスメディア

37 日立製作所 メーカー 

38 博報堂 マスメディア 

39 中央大学 大学

40 石川島播磨重工業 メーカー

41 国立感染症研究所 公共機関

42 厚生労働省 公共機関

 最高裁判所とか厚生労働省というのは書いていらっしゃるかたが他にもあったので、珍しいことではないのかもしれませんが(わたしのところへお見えになったのは、休憩時間の検索っぽい)、ちょっと驚いたのはUS Department of State 。

 前にニューヨーク大学(だったか、ニューヨーク市立大学だったか、ニューヨーク州立大学だったかは忘れました)からあったときはへえーと思っただけでしたが、これは?と思ってしまいました。流入のきっかけとなった記事、サイト、検索ワードなどは不明でした。

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2014年2月25日 (火)

誕生日に娘が贈ってくれた百合があまりに美しく……百合と宇宙の意外な相性

 あれこれ背景を換えてみて、一番合うと思ったのが、これ。

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 携帯で撮った百合、ぼけています。

 粗がわかってしまうのは、何しろGIMP(フリーで使える高機能なグラフィックソフト)歴が浅いので、お許しください。輪郭ぼかしたり、あれこれやるべきなのでしょうが、パスしちゃいました。

 背景は、商用・非商用を問わず完全フリーで使える画像検索サイト「Pixabay」からお借りしました。

 いやー、天王星と百合がこんなに相性がいいとは思いませんでした!

 わたしの太陽は魚座にあり、上昇宮は獅子座ですが、上昇惑星は天王星、水星と金星は水瓶座という風に、天王星との縁が深くて、この改革と自由とアウトサイダーの星――天王星に人生を狂わされてきた気もします(?)。

 でも、こんなに百合と合うのなら、許してあげましょう。

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 アンドロメダ銀河とも好相性。

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 マドンナとは当然。

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 豪華な花なので、オペラ劇場なんかとも合いますね。

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 夢見る百合……。

 花束にはガーベラ(ピンク)と薔薇(赤とピンク)もあり、ガーベラは百合と匹敵する華麗さだったのですが、最終的に百合のみの構成となりました。

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2014年2月21日 (金)

Amazon著者ページのプロフィールを、誕生日の記念に(?)更新しました

 56歳のわたしの進行の太陽のサビアンシンボル(西洋占星術)は、松村潔『決定版!! サビアン占星術』(学習研究社、2004年)を参考にすると、「天球の合唱隊が歌っている」。

 進行天体がこの位置にあるとき、精神的には非常に充実した時期とあるので、初の歴史小説に取り組むにはよい時期ではないかと思います。

 ちなみに55歳の進行の太陽のサビアンシンボルは「落胆させられた大聴衆」。本の解説には、「この牡羊座のシンボルは一見否定的ですが、『聴衆の期待には乗らない演奏者は、自分の音楽を力強く演奏する』とも読めます。著者はこのシンボルを読む時、ストラヴィンスキーがしばしば聴衆のブーイングを浴びていたことを思い出します」とあります。

 大衆受けしない内容のキンドル本をせっせと出した55歳のわたしを表現するには、的を射たシンボルです。

 Amazonでどんな本がよく売れているかを1年間見てきて、わが国の大衆は読解力、情操共にひどく劣化しているとわたしは感じました。

 それを裏付けるような日刊SPA!の記事に「図書館司書がこっそり教える 女性が借りる人気本BEST10」というのがあって、それによると、「図書館によく来る30代、40代の女性が最近よく借りていくのはボーイズラブ系のライトノベル。たとえば、漫画化もされている『茅島氏の優雅な生活』シリーズは、返却されてもすぐ貸し出されていきますね。好きな人はBL系だけを10冊、20冊とまとめて借りますよ。常連さんは堂々と借りて行きますが、たまに、子供に借りさせてるお母さんも。子供がBL読むわけないのに(笑)。あと、子育てに関する本もよく借りていかれますね。頭のいい子の育て方とか、稼げる男に育てるにはとか、そっち方面の“育てる本”は大人気」だとか。

 日本はどうなってしまうのだろうと背筋が寒くなります。

 自分も大衆の一人だと思ってきましたが、わたしは大衆の一人ではなくなってきたのかもしれません。mamamaさんとの一件からも、大衆に自分を合わせようとすることは身を滅ぼすことだとつくづく悟りました。

 作品をキンドル本にしようと思ったのは、第一に作品の保管のためでした。初心にかえり、売れようと売れまいと、今後は本を出すことだけ考えます。従って、無料キャンペーンを行うこともないでしょう。

 サビアンシンボルって、本当によく当たりますよ。

 そういえば、ストラヴィンスキーも、舞台デザインを手がけたニコラス・レーリヒ(ニコライ・リョーリフ)も神智学とは縁の深い人々です。

 ニコライ・リョーリフ:Wikipedia

 ちなみに、以下は神智学協会の創設者ブラヴァツキー。

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 如何にもロシアの貴族出身という感じの写真ですね。キリッとした表情。寄らば斬るぞ。ブラヴァツキーはキリスト教や心霊主義を批判したために、ひどい目に遭いましたからね。

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 わたしはこの写真が好きです。

 以下ははてなキーワードの「神智学」より。

神智学(Theosophy)とは、神々が持っているような神聖な智慧を意味している。その名称はアレクサンドリア哲学者中、真理愛好家といわれているフィラレーテイアン派(Philaletheian)から来ており、フィル(phil)は愛すること、アレーテイア(aletheia)は真理。

3世紀にアンモニオス・サッカス学派から始まった思想的潮流で、新プラトン派のプロティノスからヤコブ・ベーメに至るまで、多くの優れた哲学者、神秘家を輩出した。

神智学は、汎神論、アレゴリー的解釈法、折衷主義、直接の体験によって真理を知ろうとする神秘主義といった特徴を持つ。

 ――以上、H・P・ブラヴァツキー『神智学の鍵』(神智学協会ニッポン・ロッジ、竜王文庫、平成7年)を参照。

1831年、帝政ロシア時代のウクライナ、エカテリノスラーフ(現ドニプロペトローウシク)に生まれたH・P・ブラヴァツキーは、若い頃からインドの大師との深い結びつきがあり、西洋における「神聖な智慧」の伝統と東洋の秘教思想から、すべての宗教のエッセンスを抽出しようと試みた。様々な宗教体系はもともとそこから湧き出て、あらゆる秘儀、教義が成長し、具体化したのだという。1875年、神智学協会を創立して、近代における神秘主義復活運動を興す。1891年、ロンドンに没するまで、多くの著作を世に送り出した。代表作は『シークレット・ドクトリン』。

 プラトンとプロティノスには大学時代に夢中になりました。流れを辿って行くと、キリスト教に迫害されたために、神秘主義は地下に潜らざるをえなかったとわかりました(尤も、キリスト教は神秘主義の影響を受けているのですが)。そして、何とかブラヴァツキーの神智学に辿り着きました。

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 ヤコブ・ペーメも持っていますが、これはわたしにはわかりづらいものでした。今読んだら違うかもしれませんが。

 ところで、Amazon著者ページのプロフィールを、誕生日の記念に(?)更新しました。以下。

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キンドル本の出版、ブログの管理(http://elder.tea-nifty.com/blog/)、動画作成(MAKI NAOTSUKA - YouTube)を通して文学活動を行っています。

神秘主義者でもあるので、作品に神秘主義的インスピレーション、イマジネーションの反映するのがわたしの作品の特徴といえるでしょう。
神智学(Theosophy)協会の会員で、ブラヴァツキー派。

プラトン、紫式部、世阿弥、バルザック、リルケ、ジョージ・マクドナルド、リンドグレーンのファンです。
著作に神智学の影響が認められるアントニオ・タブッキ、カロッサ、ガブリエラ・ミストラル、オルダス・ハクスリーに関する研究を行っています。

佐賀県鹿島市にある祐徳稲荷神社を創建した女性をモデルとした歴史小説にチャレンジしているところです。優秀な郷土史家から貴重な資料を沢山提供していただいたので、それを生かせなければ物書きとして情けないことと思い、奮闘中です。
この初の歴史小説に集中するため、マグダラのマリアに関する歴史ミステリーを絡めた長編児童小説『不思議な接着剤』は導入部の120枚(400字概算)で中断しています。

直塚万季は筆名。
〔2014年2月21日更新〕

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 初の歴史小説に没頭するために、当ブログの休止を考えたりもしています。でも、ブログを書かなくなったら健康の記録や日々の記録がおざなりになるでしょうね。で、迷っているところなのですよ。

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Kindle本『茜の帳』を出版停止にしました。カテゴリー「初の歴史小説」「萬子媛 - 祐徳稲荷神社」を非公開としました。

 キンドルストアで販売していた『茜の帳』は、まことに勝手ながら、出版停止とさせていただきました。

『茜の帳』は、以下のような本でした。

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    『 茜の帳』目次

    本書について
    第一部 小説・〔付録〕エッセー
     茜の帳
     萬子媛抄
    第二部 俳句
    第三部 ブログ「マダムNの覚書」からセレクトした記事
     祐徳稲荷神社 ①初詣
     祐徳稲荷神社 ②石の馬と「うま」くいく御守り
     祐徳稲荷神社 ③萬子媛ゆかりの石壁神社にて
     石の馬の夢
     不思議なこと
     萬子媛の美麗なオーラ
     同人雑誌と萬子媛のこと
     宗教の違いなんていうけれど……マグダラのマリア伝説と萬子媛
     萬子媛のお社
     母親として偉大だった萬子媛
    あとがき

    本書について

 創作時期と作品形式から、本書を三部構成としました。
 第一部に収録した「茜(あかね)の帳(ちょう)」は、平成四年一月三十日発行の個人誌『ハーモニー 10号』に発表した幻想小説です。「萬子媛抄(まんこひめしょう)」は、その付録としたもので、舞台のモデルとなった祐徳稲荷神社の創建者、萬子媛に関するエッセーです。
 小説「茜の帳」はその後、平成七年三月一日発行の同人誌『くりえいと 創刊号』(塚崎耕治 発行)に掲載していただきました。執筆者一同の後記にわたしは「タンスに仕舞いっぱなしの着物を点検したら、亡くなった母から貰ったものがいくらか傷(いた)んでいました。その傷みからうまれた空想を作品にしてみました」と書いています。
 実は、この小説は、神秘主義的傾向を持つわたしの思想を表した一面を持ちます。その一面については、神秘主義思想に不案内の方々にはこちらから説明しない限り、汲み取っていただくことも、想像していただくこともできないでしょう。
 勿論、それでも充分なのですが、興味があおりの方々のために、「あとがき」で解説を加えたいと考えました。ここでは、小説に出てくる《着物》をあるものの隠喩(いんゆ)として使っているとだけ申しておきましょう。種明かしはお楽しみのあとで、ということに致したいと思います。
 第二部に収録した俳句も前掲の『ハーモニー』に発表したもので、祐徳稲荷神社に参詣したときに詠んだ句です。
 第三部には、ブログ『マダムNの覚書』に二〇一二年から二〇一三年にかけて公開した記事の中から、萬子媛に関するものを収録しました。

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『茜の帳』を出したあとの昨秋、わたしは萬子媛――祐徳院様とお呼びするほうが正しいようですが――をモデルとした歴史小説を書くことにしました。

 優秀な郷土史家から貴重な資料を提供していただき、自身の調査も加わる中で、歴史認識が変化し、萬子媛に対する見方にも修正が加わりました。

 そして、『茜の帳』に収録した昔書いたエッセーとの食い違いが気になるようになり、この本を出版停止とすることにしました。

 ただ、昔書いたエッセーには当時のわたしにしか書けなかった貴重な部分が含まれており、当ブログで公開したエッセーにも同様の部分があります。本のタイトルともなった幻想短編小説「茜の帳」にも、若書きながら棄てがたい瑞々しさがあります。

 当時掲載していただいた同人誌『くりえいと』のメンバーの方々が、問題点を鋭く指摘してくださる一方では、以下のような読後感を表白してくださったことに作者として悦びを覚えました。

  • 後半の幻想的描写で、それまでの日常から切り離され、母親への想いが昇華されて、彼女の遺した俳句で結実する――でも、私にとっての魅力は、前半の母親との記憶の下りでした。特に、『サリーちゃんが床で割れた』――この痛ましいほどに響く一節。……見事。
  • 雅な雰囲気が流れていて、ラストの茜さんのところなんてものすごく幻想的でした。
  • ひとつひとつのエピソートがドラマティックに書かれていて、小説作りの卓抜さを感じます。そして、母との確執、内省による自己嫌悪、ひたむきであろうとして不条理に打ち壊された精神。どんなに言葉を尽くすより、理屈を並べ立てるより、エピソートを作るより、ラストの四行でそれ等の昇華が美しく凝縮されていると思いました。小説における表現の深みを、初めて心底から感じることができました。

 幻想短編小説「茜の帳」は、他の幻想短編小説と一緒にした本の中で再度ご紹介する予定です。

 また昔書いたエッセーも、当ブログで公開したエッセーも、Collected Essaysの何巻になるかはわかりませんが、その中で再びお読みいただけることと思います。昔書いた萬子媛に関するエッセーには、注をつけて、その後に判明した史料的に明らかな事実を説明したいと考えています。

 それから、萬子媛をモデルとした歴史小説の創作メモをカテゴリー「初の歴史小説」「萬子媛 - 祐徳稲荷神社」に収録することで、当ブログをご訪問くださる歴史好きな方々と情報を共有したいと考えていましたが、そうすることは現段階では軽はずみなことではないかと思われ、非公開とさせていただくことにしました。

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2014年2月20日 (木)

キンドル本の無料キャンペーンは今後行いません

 まことに勝手ながら、過去記事に書いてきたような事情により、今後キンドル本の無料キャンペーンは行わないことにしました。

 例外的に行う場合は、お知らせします(その可能性は極めて薄いとお考えください)。

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『村上春樹と近年のノーベル文学賞作家たち』をお買い上げいただき、ありがとうございます! 

『村上春樹と近年のノーベル文学賞作家たち』(Collected Essays 1)をお買い上げいただき、ありがとうございます! 

 2月12日ごろ、アメリカのアマゾンでお買い上げいただいたようです。

 『村上春樹と近年のノーベル文学賞作家たち』は18冊目のお買い上げでした。アメリカでのこの本のお買い上げは、7冊目でした。

 無料キャンペーンで嫌な思いをしたので、こうして有料でお買い上げいただいたご報告をできるのは嬉しいことです。

 無料キャンペーンで嫌な思いをしたので、今のところ次の無料キャンペーンは考えていません。無料で提供したうえに嫌な思いをさせられるのは、馬鹿らしい気がしています。

 咲耶様から嬉しい高評価を頂戴し、凍りついた心は溶けましたけれど。

 サンプルをダウンロードできます。
     ↓

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2014年2月19日 (水)

紫のバラの人のような咲耶様、Kindle本『詩人の死』に美しいレビューをありがとうございます!

 思いがけなくも、咲耶様から、わたしのKindle本『詩人の死』に対して、☆五つの高評価と、内容に丁寧に触れられた以下のレビューを頂戴致しました。

5つ星のうち 5.0 清涼感のある作品。, 2014/2/17
By 咲耶
レビュー対象商品: 詩人の死 (Kindle版)

私はレビューを書くのは初めてなのですが、こちらの本に興味を持たれた方に、清涼的な読後感の良さがあることをお知らせ出来ればと思い、書き込みました。

この作品は、主人公と統合失調症を患う友人について、日記形式で書かれたものです。

冒頭で、詩がニ篇あるのが印象的で、とても透明感のある綺麗な詩です。その後、主人公による日記が記されてあるのですが、文章が分かりやすいため、すらすらと読めました。

友人が病気と葛藤をする、高潔な生きざまは、人間とはどうあるべきかを考えさせられます。かといって、説教くさいものでは全く無いので、自然と思案します。

読んだ後は、新鮮な空気を吸ったかのような、清々しい気分になります。ので、色々と思い悩んでいる人に、お薦めしたいです。単行本化していたら、手元に置いておきたいと思いましたので、評価を5にしました。

 これは、わたしが初めてミューズから授与された勲章です! 茨の道を歩く売れない物書きにとっての大きな励ましです!

 Amazonで購入との表示がないので、無料キャンペーンのときダウンロードまたは有料で購入された方のご家族、知り合いの方、あるいは単行本にこそなっていないけれど、この作品は原稿の形で結構出回ってるので、そうした原稿を読んでくださった方かもしれません。

 わたしの作品は、思わぬところで人から人へ手渡され、読まれ、意外なところから感想をいただくことも珍しくないのですね。

 Kindle本にもする予定の作品ですが、純文学小説「銀の潮」、「白薔薇と鳩」、幻想短編小説「牡丹」、「杜若幻想」、歴史ファンタジー「曙」。Kindle本にした「枕許からのレポート」などは潜在した形(?)で、素人の未熟な作品にしては意外なくらい広く読まれました(そのわりには、Kindle本にしても売れないですね。Kindleストアに買い物に来る人々とわたしの本を好んでくれそうな人々とは重ならない気がKindle本の販売当初からしていました)。

 それを考えれば、無料キャンペーンに対して疑心暗鬼になっていたわたしですが、無意味ではないかもしれないと考え直したりもしています。でも、もうめったに無料キャンペーンを行うことはないと思います。追記:無料キャンペーンは今後は行わないことにしました。

 mamamaさんのレビューがわたしの心を凍りつかせてしまったのでした。

 ☆一つだなんて、本として、また作品としての体(てい)をなしていない商品に下される最低の評価ではないでしょうか。本の具体的な内容には一切触れない以下のような感想は、読まなくとも悪意さえあれば書けるレビューです。

5つ星のうち 1.0  うーん…, 2014/2/9

日記形式とあるが、本当にただの日記。
自己満足?読んでいても共感することもなく、なかなかページが進まなかった。

 それに対して、わたしは「ただの日記の特徴として、独り合点の書き方ということが挙げられると思います。ただの日記であれば、自分にさえわかればいいので、どうしても他人が読むと、当人にしかわからない事情が省かれていたりして、状況がよく呑み込めないということがあります。この作品は、その点はクリアできていると思います。さらに文学的表現、哲学的考察が加えられているという点で☆四つです」とコメントしました。

 この記事で、過去記事に書いたことと同じことを繰り返しているのは、事情を知らない初訪問者のために、そうしているのです。

 ブログを書くときですら「ただの日記」にならない配慮をなるべく行うようにしているのに、作品でそれを行ったようにいわれることはまことに心外で、事実に反した虚偽の評価です。

 共感した、しない――はレビュー主の主観にすぎませんし、「自己満足」と評価を下すのであれば、「自己満足」の定義と、どの箇所あるいはどういったところがそれに当たるのかの検証を当然行うべきです。

 具体的な内容には一切触れない、読まなくとも悪意さえあれば書ける☆一つという最低ランクの評価のために、よく読まなければ書けないような☆五つの高評価があったとしても、平均値が落ちてしまいます。☆の数で、検索を行うこともできるのですから、mamamaさんの行為はまさに営業妨害に当たる悪質な行為以外の何ものでもありません。

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18日に、循環器クリニック受診(新しいミオコールスプレーを出して貰う)

 前回受けた血液検査の結果が出ていた。

 処置室での体重測定、血圧測定、看護師さんの問診のとき、「血液検査の結果が出ているんだけれど、血糖値が少し高かったわよ」と教えていただく。

 空腹時血糖値が基準値をオーバーしたのは生まれて初めてだが、実はここ数年、血糖値が気になっていた。

 この症状、何だか糖尿病っぽい……と思うことがあったためだった。

 食後、何時間経っても、ついさっさ食べたばかりのようなもたれ感がある。甘い物を食べたあと、いつまでも口の中から甘さの余韻が消えない。

 わたしはバッグに使い捨て歯ブラシをしのばせていて、家にいるときは勿論、外出中であっても何か食べたときは歯を磨かないと気が済まない性分なのだが、それでもいつまでも口の中が気持ちが悪い。もたれ感があるのに、ごはんはよく食べる。

 口の中が乾きやすい。馬鹿に喉が渇いてたまらないことがちょくちょくある。

 こうした症状は糖尿病の症状として挙げられている。

 歯茎が腫れやすいのも糖尿病の症状の一つのようで、口の中の手入れをよくしていても腫れやすい。

 尤も、服用している心臓の薬の一つカルシウム拮抗薬――ジルチアゼム塩酸塩徐放カプセル100㎎(ヘルベッサーRカプセル100mgの後発品)――の副作用に歯肉の腫れがある。

 先生が「HbA1cという検査をしてみたほうがいいかもしれないね。採血して、一ヶ月後にもう一度採血して調べる検査なんだけれど」とおっしゃる。

 いずれにしても、昨日は午後に受診したので、採血はできなかった(検査は午前中)。

 専門のサイトに「HbA1cは過去1~2ヶ月の血糖の平均的な状態を知ることができます。異常値が出たら1ヶ月以上の間隔をあけて、再検査を行ないます」とあった。

 また、「血糖値が糖尿病型の場合、HbA1cが6.5%以上か、糖尿病の典型的症状(多飲、多尿、口渇、体重減少)か糖尿病性網膜症があれば、糖尿病と診断されます。しかし、境界型や軽症糖尿病ではHbA1cが基準値内におさまる場合がありますので、この場合は確定診断のためにブドウ糖負荷試験が必要となります」ということだ。

 薬を沢山飲んでいるので、その副作用かもしれないし、それほど心配する必要はないかもしれないので、近いうちに受診して、採血していただこうかなあ。はっきりさせたい。

 こうした検査結果は、副甲状腺関係で経過観察していただいている日赤のU先生の4月の診察日に持参して、ご意見を伺おう。

 内分泌内科のU先生のご専門は、糖尿病だ。

 平成20年、五十肩で整形外科を受診したところ、骨腫瘍があちこちにあることがわかり、副甲状腺機能亢進症の疑いも出た。夏、内科に副甲状腺腫の疑いで精査目的の入院をした。

 そのとき、脳神経外科の先生に、頭蓋骨腫瘍摘出の手術をしていただいて、結果は悪いものではないとわかったが、頭蓋骨が結構、窪んだ。今も相当に窪んだままで、この窪みは未だに痒いことがある

 同室に、U先生が主治医ではなかったが、糖尿病で入院しているKさんという70代の女性患者がいた。わたしは25日間の入院だったが、入れ替わりが結構あった中で彼女は一番長い入院患者だったため、彼女とはずっと一緒で親しくなった。

 食事制限と頻繁な採血が大変そうで、「糖尿病って、大変だなあ」と思ったものだ。彼女はお菓子を買うのが好きだった。でも、ほんの一口しか食べられず、残りはわたしにくれるのだった。

 娘のプレゼントしてくれた服部先生の料理雑誌のお陰で料理上手になり、美食家(?)になってしまった今のわたしが、もし糖尿病と宣告されるとなると、つらいものがある。

 今回のような結果が出るとわかっていれば、悪質レビューを貰ったからといって、自棄食いなんてしなかっただろう。いつもあんなことをやっているわけではないが、以前であれば決してしなかった自棄食いをたまにするようになっている。

 間食は普段は娘につき合う程度だが、HbA1cの検査で糖尿病とわかれば、間食の一切をやめ、食事に気をつけよう(嫌でもそうしなくてはならなくなるだろう)。糖尿病は厄介な病気だ。真剣に取り組まなくては、大変なことになる。

 境界型ではないかと自分では思っているのだが。

 肝臓や骨の異常で高くなるALPは、例によってオーバー。肝臓は基準値内だったので、骨のほうだろう。脂質もオーバー。糖尿病でなくても、もう間食、自棄食いはなしにしなければね。

 心臓病以外の異常が出てくると、循環器クリニックの先生と内分泌内科の先生との系列の違いがまたしても問題になってくる。これが案外、一番の悩みだったりして。

 サンリズムのお陰で、不整脈はほとんど出なくなり、それ以前は一日中不整脈に悩まされて入浴も毎日は無理なくらい弱っていたのが、今は毎日入浴できている。尤も、入浴でかなり疲れは覚えるが、人間らしい暮らしに満足している。弁膜症も、今のところ、あっても何も感じない。

 薬が増えるばかりで、不経済なこと、このうえない。このことから考えても、糖尿病になるわけにはいかない。

心臓の薬

  • インデラル錠10㎎ 1回1錠 毎食後
  • ニコランジル錠5㎎「サワイ」(先発品:シグマート錠5mg) 1回1錠 毎食後
  • サンリズムカプセル50㎎ 1回1Cap 毎食後
  • ジルチアゼム塩酸塩徐放カプセル100mg「日医工」(先発品:ヘルベッサーRカプセル100mg) 1回1Cap 朝・夕食後
  • 一硝酸イソソルビド錠20㎎「タイヨー」(先発品:アイトロール錠20mg) 1回1錠 朝・夕食後
  • ミオコールスプレー0.3㎎(噴霧剤) 1缶 噴霧

腎臓・尿管結石の薬

  • ウロカルン錠225㎎ 1回2錠 毎食後 20日分

喘息の薬

  • フルタイド200ディスカス(ステロイド剤) 1個 吸入

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2014年2月17日 (月)

いやー、笑いが止まらない。悪質レビューに悩まされているKindle作家さんはとことんレジスタンスしましょう

 いやー、笑いが止まりません(爆)lovely

 なぜって、Kindle本のレビューを著者自身が書き込めるとは知りませんでしたから。

 そんなことも知らなかったの、といわれそうですけれど。

 レビューに対するコメントを書き込めたので、本を購入すれば、レビューも書き込めるかもしれないと思ったのです。わたしだって、歴とした読者の一人ですからね。

 追記:アカウントがあれば、書き込めるようです。

 それが、ナンと、書き込めました。

 物書きとしてのわたしの最大の不幸は、わたしのような読者を持たないことです。

 ブログにおいても、Kindle本においても、わたしはいわゆるご近所づきあいというものをしないので、こんなときにブログのご近所さんとか、Kindle本のご近所さんとかの助けを求めることができません。

 自力でなんとかするしかないのですが、アマゾンは何しろアメリカの会社ですから、何か訴えたところで、訴えている内容自体をわかっていただけているのかどうかすら不明という有様です。

 わたしはmamamaさんというかたのレビューは、明らかに営業妨害だと思いました。

 mamamaさんがわたしの著作の社会的悪影響の大きさを憂え、危機感を覚えて、辛口のレビューをした――という風にはどうしても受けとれませんでした。

 思ったことを無邪気にレビューしたというだけの話なのでしょうが、その無邪気なレビューには、ささやかに営業している――儲けはないに等しい――ノワ出版局の本に、最低の評価づけを行うことによって、「なんだ、所詮は素人の本か。ろくに読めもしない作りなんだろうな。あばよ、二度とこの著者のKindle本を見に来ることはないだろうよ」という先入観を抱かせる誘導因子が含まれているのです。

 これを読んで、わたしが困っているところをもっと見ていたいという方は違反報告をどうぞ。削除されてしまえば、このブログでまたご報告し、本を作り直すまでです。

 mamamaさんというかたの無内容、最低評価レビューに困らされていることは過去記事でも報告してきました。

 以下がmamamaさんのレビューです。

5つ星のうち 1.0  うーん…, 2014/2/9

日記形式とあるが、本当にただの日記。

自己満足?読んでいても共感することもなく、なかなかページが進まなかった

 以下がNAOさんのレビュー。

5つ星のうち 4.0  mamamaさんのレビューに異議あり, 2014/2/17

mamamaさんは、「本当にただの日記」と書かれていますが、

ただの日記の特徴として、独り合点の書き方ということが挙げられると思います。
ただの日記であれば、自分にさえわかればいいので、
どうしても他人が読むと、当人にしかわからない事情が省かれていたりして、
状況がよく呑み込めないということがあります。
この作品は、その点はクリアできていると思います。
さらに文学的表現、哲学的考察が加えられているという点で☆四つです。

 このNAOさんは、これまでに以下の3件のレビューを行っています。

蒼い家 [Kindle版]  檀 純也 (著)

5つ星のうち 5.0 飾らぬ、時に軽妙とさえいえる語り口に救われる, 2013/9/30

統合失調症の妻、その事実をはっきりとは知らないままに結婚したシステムエンジニアの語り手。
妻の病気がもたらす混乱の中で、ストレスから同居の両親が病気に倒れ、本人もうつ病となり、息子は登校拒否……。
語り手の飾らぬ、時に軽妙とさえいえる語り口が重苦しい状況を照らし出す太陽のようで、最後まで読み通させてくれます。
登校拒否を克服し、有名大学にパスした息子さん、あっぱれです。
語り手の頑張りと、この家族本来の温かみがそのような形で結晶したように思えました。

ただ、最初の医者の対応、妻の実家の対応はちょっと解せません。
最初の医者と妻の実家の人から、病気について妻本人に、それが無理ならせめて語り手にきちんと説明がなされていたとしたら、
その後の展開が違っていたかもしれないと残念に思いました。

どんな病気でもそうでしょうが、よい医者と出会えるかどうかは大きいですね。
自分の病気に対する妻の自覚が、閉ざされた家族の雪解けと感じさせます。
家族に起きたことをシンプルに述べた作品で、わかりやすく、同じような困難に見舞われた人々には参考になることも多いと思います。

耳納連山 (季刊文科コレクション) [単行本]  河津 武俊(著)

5つ星のうち 5.0 『雲の影』『耳納連山』がすばらしい。, 2013/7/9

『雲の影』『野の花』『耳納連山』が収録されている。『雲の影』『耳納連山』がすばらしい。『雲の影』は、老齢となった恩師との交わりを丁寧に描いた作品で、美しいとしかいいようのない作品……。

恩師は、《私》が医学生だったときの外科学の先生で、その関係の域を出なかったが、《私》は先生を憧憬し、敬慕していた。

まるでそのときの思いが叶うかのように、恩師の退官後十年を経て、親しく交わる機会が訪れる。先生の人柄や趣味、家庭的な事情なども知るようになる。恩師との交際におけるエピソードが、次々と空を流れる雲のような筆致で書き連ねられていく。師弟を包む情景のため息の出るような美しさ。

『耳納連山』では、山の美しさに人間の心の機微が織り込まれて、リリカルな描かれかたをしている。何て陰影深い、ゆたかな筆遣いなのだろう……! 何枚もの山の絵画を観るようだ。まさに山に捧げる讃歌であり、山にこの作品を書かせて貰った作者は幸せであり、作者にこの作品を書いて貰った山は幸せだと思った。

本を殺したのは、無能編集者である [Kindle版]  赤羽達美(著)

5つ星のうち 4.0 本をモチーフとした文化論, 2013/3/4

『本を殺したのは、無能編集者である』というタイトルが示しているように、この著作は出版界における――特に編集者のありかたに焦点を絞った――問題提起の書といえるが、暴露本的な低俗さのない、読書の醍醐味を味あわせてくれる好著である。本をモチーフとした文化論としても読める。

 前掲の過去記事の一つで、わたしは以下のように書きました。

 わたしは賞狙いの年月が長かったので、実はこの程度のレビューは何ともない――とはいいませんが、一般人に高い読解力や適切なレビューの書き方を求めても仕方がないという思いはあります。

 もっと大きな問題として、文学賞の審査員がこのような書き方をすることが結構あるのですよ。

 内容に具体的に触れもしないで、「面白くなかった」で済ませる審査員。

 Kindle本にもした『台風』が「織田作之助賞」の最終選考に残ったとき、辻村登氏にそういった評価をされました。

  これは一例にすぎません。

 九州芸術祭文学賞の最終選考委員の中には、最終選考に残った作品のタイトルさえ出さない審査員も珍しくありませんでした。そんな中で、故白石一郎氏だけは短いながら全作品にきちんと触れてくださっていました。

 落とされても、何だか神様みたいに見えましたわ。

 最近の九州芸術祭文学賞については知りませんが。

 無内容評価を受けたり、タイトルが出されることすらなかったとしても、予選を通過し、最終まで残れることは、恵まれた話なのです。冒頭部分で落とされる、あるいはそれ以前に落とされることも珍しくない文学賞。

 文学賞の評価の仕方がこんな風であれば、生徒の書く読書感想文やアマゾンのレビューがそれに倣えをするのは自然の成り行きです。

 面白い、面白くない――は当人の主観にすぎないのですよ。

 今の文学界が作り出した風潮の中をmamamaさんも生きていて、その影響力が強く自分に及んでいるとは自覚せずにレビューを書いています。

 わたしは今のようではなかった文学界の影響を強く受け、今の文学界がつくり出した風潮にレジスタスしてきました。味方はあの世にしかいないという孤独な戦いです。今後もそれは続くのでしょう。

 追加関連記事:

 以下が咲耶様から頂戴したレビューです。

5つ星のうち 5.0 清涼感のある作品。, 2014/2/17
By 咲耶
レビュー対象商品: 詩人の死 (Kindle版)

私はレビューを書くのは初めてなのですが、こちらの本に興味を持たれた方に、清涼的な読後感の良さがあることをお知らせ出来ればと思い、書き込みました。
この作品は、主人公と統合失調症を患う友人について、日記形式で書かれたものです。
冒頭で、詩がニ篇あるのが印象的で、とても透明感のある綺麗な詩です。その後、主人公による日記が記されてあるのですが、文章が分かりやすいため、すらすらと読めました。
友人が病気と葛藤をする、高潔な生きざまは、人間とはどうあるべきかを考えさせられます。かといって、説教くさいものでは全く無いので、自然と思案します。
読んだ後は、新鮮な空気を吸ったかのような、清々しい気分になります。ので、色々と思い悩んでいる人に、お薦めしたいです。単行本化していたら、手元に置いておきたいと思いましたので、評価を5にしました。

具体的な内容には一切触れない、読まなくとも悪意さえあれば書ける☆一つという最低ランクの評価のために、よく読まなければ書けないような☆五つの高評価があったとしても、平均値が落ちてしまいます。☆の数で、検索を行うこともできるのですから、mamamaさんの行為はまさに営業妨害に当たる悪質な行為以外の何ものでもありません。

Amazonには削除願いを出しただけで、まだきちんとした意見書はメールしていませんが、同じ思いをしているKindle作家さんたちのためにも、長期戦覚悟で戦っていきたいと考えています。

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2回目の強い胸痛にスプレー1回

20140217090425_2

1回目のミオコールスプレーの噴霧で一旦は治まった冠攣縮性狭心症の発作。

その後、左腕が痺れてきて、「また発作かしら」と思っているうちに、自然に治りました。

キッチンで軽いめまい。

洗面所に行き、洗面台を掃除しようと前屈みになった丁度そのとき、強い胸痛が起きました。

スプレー2度で血圧が下がったのかクラクラします。

本当に久しぶりの本格的な発作でした。

でも、ニトロですぐに消えました。痛みが強いと、消えたのがわかりやすいです。

予定のKindle本が遅れていて、なかなか初の歴史小説に入れません。

今日は集中してやりたいものです。

まだ発作の名残があり、頭もクラクラしているので、寝て携帯から記事を書いています。

追伸:まずい、ミオコールスプレーの使用期限が1月でした! 前回、携帯用のニトロペン舌下錠を貰っておきながら、ミオコールを貰うことはすっかり忘れていました。今度行ったときに、貰わなくては。効果が薄れた感じはしないのですが、いざというとき効かないと困りますからね。

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スプレー1回

20140217080406a

久しぶりに来ました。ドーナツ食べて、その次にどら焼き食べていたら、胸に亀裂が入ったみたいな痛み。

数日前から時々圧迫感があり、ミオコールスプレーを使うか迷ったことが3回くらいありました。

でも、これは朝から、馬鹿食いしたせいでしょうね。

たまたま娘の買ってきたドーナツがあり(デパ地下のドンクの。ドンク、あそこからなくなるそうで、ショック)、夫の貰ってきたどら焼きがありました。

朝ごはんも食べずに、こんなにお菓子を食べたのは初めてだったわ。

だってわたしは☆一つの最低ランクの人間(作品とは一体化しているから)。
食べるしか能がないみたいよ。

やけ食いだったのかしら。心臓もびっくりしたのね。フッ、相変わらずヤワな心臓……。

胸焼けがする。さすがに、ごはんは入りません。

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2014年2月16日 (日)

無内容、低評価レビューに思ったこと。Kindle本の無料キャンペーンについて。

 前の記事で、無内容、低評価のレビューに困っていると書きました。

 アマゾンに削除依頼をしていますが、ググってみたところでは、いくつかの要件に当てはまるかどうかの機械的な処理がなされた上で削除が決定されるようです。

 それからすると、無理かなあ。

 わたしは賞狙いの年月が長かったので、実はこの程度のレビューは何ともない――とはいいませんが、一般人に高い読解力や適切なレビューの書き方を求めても仕方がないという思いはあります。

 もっと大きな問題として、文学賞の審査員がこのような書き方をすることが結構あるのですよ。

 内容に具体的に触れもしないで、「面白くなかった」で済ませる審査員。

 Kindle本にもした『台風』が「織田作之助賞」の最終選考に残ったとき、辻村登氏にそういった評価をされました。

  これは一例にすぎません。

 九州芸術祭文学賞の最終選考委員の中には、最終選考に残った作品のタイトルさえ出さない審査員も珍しくありませんでした。そんな中で、故白石一郎氏だけは短いながら全作品にきちんと触れてくださっていました。

 落とされても、何だか神様みたいに見えましたわ。

 最近の九州芸術祭文学賞については知りませんが。

 無内容評価を受けたり、タイトルが出されることすらなかったとしても、予選を通過し、最終まで残れることは、恵まれた話なのです。冒頭部分で落とされる、あるいはそれ以前に落とされることも珍しくない文学賞。

 文学賞の評価の仕方がこんな風であれば、生徒の書く読書感想文やアマゾンのレビューがそれに倣えをするのは自然の成り行きです。

 面白い、面白くない――は当人の主観にすぎないのですよ。

 ☆一つなんてのは、内容以前の本としての体裁に欠陥がある場合に選択するのが普通ではないでしょうか。そうした本に☆一つつけ、注意を呼びかけているレビューを見ました。

 投稿されたレビューに、著者がコメントを書き込めるとは知りませんでした。試しにやってみたところ、できたので、書き込みました(違反で削除されたりして)。以下がレビューに書き込んだわたしのコメント。

具体的に、内容に触れるということが全くなされていませんね。
「ただの日記」と「ただの日記ではない作品」の定義――、
作品のどういったところが、どういう理由で、自己満足に当たるのかの
具体的な指摘――、
どんな作品であれば共感できるのか――、
ここまで酷評するのであれば、最低、以上の三点を明確に述べた上で「ただの日記」「自己満足」と断定すべきでしょう。

 わたしがこの作品を日記体小説としたのには、理由があります。

 事実に基づいたこの作品を、本当はわたしはノンフィクションとして提出したかったのです。が、それをするには、そっとしておく必要がありそうなご両親の承諾を得なければならず、その計画を断念したという経緯がありました。

 なぜノンフィクションにしたかったかというと、統合失調症を患っていた友人は「わたしは完全に狂ってしまうのではないか。自分をコントロールすることが全くできなくなってしまうのではないか。知性のない生き物に成り果ててしまうのではないか」という絶え間ない恐怖と共に生きていて、わたしもその彼女の恐怖に巻き込まれていました。

 彼女がそうなり、わたしも一緒にそうなってしまうような恐怖。その一応の結論が彼女の晩年を描くことで、出たと考えています。その経緯をなるべくならそのままの形で、同じ恐怖に囚われている人々に一つの明るい材料として提供したいと思ったのでした。

 ご両親をそっとしておく、彼女の晩年をなるべくそのままの形で表現する――には日記体小説という形式しかないという判断でした。

 お手軽な作品を好む人向きの作品ではありません。時間があるときに、本の内容説明を書き直したいと思っています。

 同じレビュー主がやはり☆一つで無内容のレビューを書いていたのが、以下の単行本に対してでした。

 総合☆四つで、長文の丁寧に書かれたレビューも多く、羨ましくなりました。小川真由美は嫌いではないので、読んでみたくなりました。

 困らされるレビューを少なくするには(防ぐことはおそらく困難)、無料キャンペーンを行わないことでしょう。今まで通りにするかどうするかは、しばらく考えてから結論を出したいと考えています。

 書いているうちに、レビューに腹を立てたこと自体、忘れかけてしまっています。その単純さが、わたしの欠点といおうか、弱点です。レビュー主の孤独が透けて見える気がしたのはわたしの錯覚でしょう。

 わたしの感情を司る月は牡羊座にあり、パッと燃えて鎮静化してしまうのですわ。愛情を司る金星はクールといわれる水瓶座にあるし、執念深くはなりにくいのです。

 いや、でも、無内容の評価をした文学賞の審査員たちのことは死んでも忘れないでしょうね。

 こんなことに囚われているくらいなら、今すべき大事なことに貴重な時間を注ぐほうが賢明です。

 アマゾンには時間があるときに、セルフ・パブリッシングをさせていただいている者の意見として、今回のことからわたしが改善してほしいと思ったことをメールしたいと考えています。

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Kindle本『詩人の死』に頂戴したレビューについて、削除を依頼

 当ブログで詩人と呼んでいた女友達が亡くなり、その後、彼女をモデルとした日記体小説を書きました。

 そして、過日、「天国暮らし三年目の詩人」無料キャンペーンを行い、情報サイトで宣伝していただいたこともあって、わたしの本にしてはダウンロード数が多かったと書きました。

 無料キャンペーンのダウンロード数が多ければ多いほど、嬉しい反面、複雑な気持ちになることも事実で、無料というだけでダウンロードし、読まずに削除されてしまう割合が増えるのではないかと危惧してしまうのですね。

 今回、アマゾンに削除希望を申し出るほどのコメントを頂戴し、つくづく無料キャンペーンをするのが嫌になりました。

 無理に、無料キャンペーンをしなくてもいいわけですから。

 有料でお買い上げいただく場合は、サンプルをダウンロードすることができるので、だいたいどんなものであるかの見当をつけて、買っていただいていると思うのです。

 好意的な感想のメールを頂戴することもちょくちょくあり、そんな方々が「Amazonにレビューを書いてくださればなあ」と思ったりもするのですが、メールを頂戴した上にそう思うことは欲深というものでしょう。

 わたしの作品の真の読者は知的で、礼儀正しく、慎み深い方々が多いようです。

 そうした感想とアマゾンの商品ページに頂戴したレビューから感じるギャップ。

 商品ページに傷がついたと感じたので、わたしはアマゾンに削除を依頼しました。文面は以下。

具体的に作品の内容にも触れない、読んだ人の好みに合わなかったというだけでのこのような一方的な低評価はレビューに値せず、嫌がらせの可能性もあると思います。削除を希望します。

 この程度の理由では削除していただけない可能性のほうが高いのではないかと思っています。

 しばらく待って削除されない場合は、空っぽな内容のレビュー及び低評価がどれだけ商品価値を損なうものかをメールで訴えてみたいと考えています。

 わたし以外にも、低評価のレビューに困らされているKindle作家さんがおられるようなので。

 まあ、わたしは普段、しきりに辛口のレビューを綴っているので、罰が当たったのでしょう。でも、わたしは相当な時間をかけてレビューする作品を読んだり、調べたりした上で書くのですよ。

 このところ、芥川賞受賞作品を全部読む気がせず、一部分の感想を書いたりしたことに対するミューズからのお叱りかもしれません。

 文学賞では冒頭部分で落とされることもあるという話ですから、ついその冒頭部分に注目して書いてしまったのですが、次回から書く場合は、全部読みます、ハイ。

 わたしに☆一つ投げてよこしたレビュー主、他にはブランケットのレビューなんか書いていらっしゃるのが印象的でした。読書傾向も拝見しましたが、若い人なんでしょうね。

 わたしの作品、エンター系の作品と期待させてしまったのかもしれません。エンター系もいいけれど、そればかり読んで自己満足する人間ばかりが増えたら、日本人の読解力、書く能力、文化レベルが低下していくばかり。何とかなりませんか。と、これはどこへ訴えればいいのやら。

 800字くらいでいいから、長いレピューを書いてみてください、自分のノートに。どこがどうと、作品から引用してきちんと指摘してみましょう。

 賞に否定的な癖に、こう書くのもナンですが、『詩人の死』は前にも書いたように、『三田文学新人賞』の予選は通過しましたよ。

 ☆三つは、貰いたいわ。冒頭に掲げた詩人の詩の抜粋だけでも価値があるとわたしは思っているのに、全くもう。詩人の詩はこちら⇒GO!

 このところ、ちょっと忙しくて、久しぶりに著者ページに行ったら、この始末。ああ紙の本を出せない、原稿料も貰えない、無料で提供してさえモグラ叩きのモグラにされる貧乏物書きはつらい。

 関連記事:

 サンプルをダウンロードできます。
     ↓

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2014年2月13日 (木)

キンドル本の販売に先駆けて、収録作品の小論「バルザックと神秘主義と現代」をご紹介

『気まぐれに芥川賞受賞作品を読む ①2007 - 2012』(Collected Essays 2)の完成がようやく見えてきました。 ⇒3月23日、電子本になりました。

 細かな脚注の作成がようやく終わり、やれやれといったところです。あとは頭が禿げてきそうな校正が待っていますが、何回も読み直しながらの脚注作成だったので、今度こそ近日公開できると思います。

 と意気込んでいるのは本人だけで、買ってくださる方があろうとはあまり思えません。幸いキンドルストアの棚に並べておいても埃がつくでなし、追い立てられるでもなし、本当に恵まれた状況を享受できるのはアマゾンさまのお陰と感謝しています。

 この本は、内容の多くを(整理しないままですが)ブログで公開しているため、KDPセレクトには登録できず、従って無料でダウンロードして貰うというわけにはいかず、買っていただくことはそれ以上に望めないでしょう。

 わたしが図書館から借りる本は、地下の公開書庫に収められているものが多く、古びているという他は新品状態であったりします。最近ではハンス・カロッサ全集、アントニオ・タブッキの須賀敦子訳のものなども、そのような状態にあったのを借りました。

 自分のキンドル本をそのような貴重な本と比べてどうこういえるわけもありませんが、あのような本ですら地下で眠ることも多いのだと思えば、わたしもがんばろうという気持ちになれるのですね。

 ただ、未熟な自分の本は仕方がないとしても、本は面白ければよいという現在の日本の常識といいますか、風潮は明らかに異常で、そんな「常識」をわたしは中学三年生くらいのときから、感じ始めました。本を読む者は暗い、といわれ出したのです。中学三年生というと、1973年。

 1954年(昭和29年)12月から1973年(昭和48年)11月までといわれる高度成長期。高度成長期が過ぎようとしている頃からの現象ということになります。

 本を読む者は暗い、本は面白ければいい、という価値観は商業主義やマルキシズムと関係があるとわたしは考えてきました。

 今回出す予定のキンドル本は、400字概算で100枚弱の芥川賞受賞作品のレビュー集ですが、関連する小論も収録しています。Collected Essaysの第2巻ということになりますが、Collected Essaysは日本の文学界を総合的に分析していこうという私的試みです。

『村上春樹と近年のノーベル文学賞作家たち』(Collected Essays 1)がそうした試みの始まりの本です。

追記:どちらも、3月23日現在、キンドルストアに出ています。そちらでサンプルをダウンロードできます。

 わたしは『気まぐれに芥川賞受賞作品を読む ①2007 - 2012』(Collected Essays 2)を作成しながら改めて、マルキシズムの唯物論が日本の文学に及ぼした影響の大きさを思わないわけにはいきませんでした。

 新しい試みとしてYouTubeで始めた聴く、文学エッセイシリーズ№1「マッチ売りの少女」のお話と日本の現状でも、その点をほのめかしています。

 収録した小論の中の「バルザックと神秘主義と現代」は当ブログで公開したものですが、キンドル本の公開に先駆けて、再度ここにご紹介しておきたいと思います。

 青字の漢数字は脚注、緑色は引用部分です。

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

バルザックと神秘主義と現代

 わたしの大好きなバルザックは五十一歳で死んだが、眠気覚ましの濃いコーヒーのがぶ飲みが一因ともいわれている。

 わたしもコーヒーを飲みすぎることがある。目を覚ますためではなく、ストレスをまぎらわせるために。そのストレスの内容を分析してみれば、才能の乏しさや筆の未熟さに起因するストレスがあり、さらには、わたしの書きたいものと通念との乖離に起因する大きなストレスのあることがはっきりする。

 バルザックの『谷間の百合』十七ほど、わたしを酔わせた小説はない。抒情味ゆたかな、気品の高い恋愛物で、全編に百合の芳香が漂っているかのようだ。ここには見事なまでにバルザックの内的な世界観が打ち出されている。

 数あるバルザックの作品のうちこれがわたしを最も惹きつけたのは、この作品の華と神秘主義の華が甘美に重なりあっているためだろう。少なくともわたしは『谷間の百合』の魅力をそのように理解したのであった。

 『谷間の百合』の女主人公モルソフ夫人はカトリック教徒であるが他方、神秘主義哲学者サン=マルタン(一七四三 - 一八〇三)に親昵し、その教えに薫染した人物として描かれている。

 神秘主義思想はローマン・カトリシズムから見れば無論、異端思想である。『谷間の百合』は教会の禁書目録に含まれていた。

 バルザックという人間が神秘主義を頭で理解したつもりになっているだけの人物なのか、そうではなくて、それを感性でも捉え得ている人物なのかは、例えば次のような箇所を読めばおおよその判断はつく。

 引用はモルソフ夫人の臨終に近い場面からである。

        そのときの彼女からは、いわば肉体はどこかに消え去って、ただ魂だけが、嵐のあとの空のように澄みきったその物静かな顔を満たしていました。[略]そして、顔の一つ一つの線からは、ついに勝ちをおさめた魂が、呼吸とまじりあう光の波を、あたりにほとばしりださせているのです。[略]思念からほとばしり出る明るい光は、[略]

 肉眼では見えないはずのオーラや想念形態といったものを内的な視力で見る者であれば、こういった箇所を読むと、彼がそうしたものを実際に見ていたのだという感じを抱かずにはいられまい。

 学者、透視家であったスヴェーデンボリ(一六七七 - 一七七二)の著作の影響を感じさせる『セラフィタ』十八。バルザックは両性具有者を登場させたこの浮世離れした作品の中で、真の恋愛が如何なるものであるべきかを追究している。

        わたしたちのお互いの愛の多寡は、お互いの魂にどれほど天界の分子が含まれているかによるのです。

 さらに同著において、 神秘主義哲学とは切っても切れない「宇宙単一論」が展開され、バルザックは数について考察する。

        貴方は数がどこで始まり、どこで止まり、またいつ終わるのか知りません。数を時間と呼んだり空間と呼んだりしています。数がなければ何も存在しないと云い、数がなければ一切は唯一つの同じ本質のものになる、と云います。なぜならば数のみが差別をつけたり質を限定したりするからです。数と貴方の精神との関係は、数と物質との関係と同じで、謂わば不可解な能因なのです。貴方は数を神となさるのでしょうか。数は存在するものでしょうか。数は物質的な宇宙を組織立てるために神から発した息吹なのでしょうか。宇宙では数の作用である整除性なくしては何物も形相をとることはできないのでしょうか。創造物はその最も微細なものから最大なものに至るまで、数によって与えられた属性、すなわち量や質や体積や力によって、始めて区別がつけられるのでしょうか。数の無限性はあなたの精神によって証明されている事実ですが、その物質的な証明はまだなんら与えられていません。数学者たちは数の無限性は存在するが証明はされないと云うでしょう。ところが信仰する者は、神とは運動を恵まれた数で、感じられるが証明はされない、と云うでしょう。神は『一』として数を始めますが、その神と数とにはなんら共通なものはありません。数は『一』によって始めて存在するのですが、その『一』は数ではなく、しかもすべての数を生み出すのです。神は『一』ですが創造物とはなんら共通点を持たず、しかもその創造物を生み出すのです。ですから数がどこで始まり、創造された永遠がどこで始まりどこで終わるかは、わたしと同様に貴方もご存じないわけです。もし貴方が数をお信じになるのなら、なぜ神を否定なさるのです。

 『絶対の探究』十九には近代錬金術師が登場して、「絶対元素」を追求する。バルザックはこれを執筆するにあたって、前年に完訳されたスウェーデンの化学者ベリセリウス『化学概論』全八巻を読破し、化学者たちの協力を仰いで完成させたという。

 主人公バルタザル・クラースはアルキメディスの言葉「ユーレカ!(わかったぞ!)」と叫んで死ぬ。『ルイ・ランベール』二十のごときに至っては、主人公ルイを借りて、バルザックその人の神秘主義者としての歩みを詳述し、思想を展開させ、さらには形而上的な断章まで加えた、一種とめどもないものとなっている。

 自らの思想と当時の科学を折衷させようと苦心惨憺した痕跡も窺える、少々痛々しい作品である。

        「われわれの内部の能力が眠っているとき」と、彼はいうのだった。「われわれが休息のここちよさにひたっているとき、われわれのなかにいろんな種類の闇がひろがっているとき、そしてわれわれが外部の事物について瞑想にふけっているとき、しばしば静けさと沈黙のさなかに突然ある観念が飛び出し、無限の空間を電光の速さで横切る。その空間はわれわれの内的な視覚によって見ることができるのだ。まるで鬼火のように出現したそのキラキラかがやく観念は消え去ったまま戻ってこない。それは束の間の命で、両親にかぎりない喜びと悲しみを続けざまに味わわせるおさなごのはかない一生に似ている。思念の野原に死んで生まれた一種の花だ。ときたま観念は、勢いよくほとばしって出たかと思うとあっけなく死んでしまうかわりに、それが発生する器官のまだ未知のままの混沌とした場所に次第に姿を現わし、そこでゆらゆらと揺れている。長びいた出産でわれわれをヘトヘトにし、よく育ち、いくらでも子供が産めるようになり、長寿のあらゆる属性に飾られ、青春の美しさのうちにそとがわでも大きくなる。[略]あるとき観念は群れをなして生まれる。[略]観念はわれわれのうちにあって、自然における動物界とか植物界に似ている一つの完全な体系だ。それは一種の開花現象で、その花譜はいずれ天才によって描かれるだろうが、描くほうの天才は多分気違い扱いにされるだろう。そうだ、ぼくはこのうっとりするくらい美しいものを、その本性についてのなんだかわからない啓示にしたがって花にくらべるわけだが、われわれの内部とおなじく外部でも一切が、それには生命があると証言しているよ。[略]」

 漸次、こうした神秘主義思想の直接的な表現は彼の作品からなりをひそめ、舞台も俗世間に限られるようになるのだが、そこに肉の厚い腰を据え、『ルイ・ランベール』で仮説を立てたコスミックな法則の存在を透視せんとするバルザックの意欲は衰えを知らなかったようだ。

 以上、『谷間の百合』『セラフィタ』『絶対の探求』『ルイ・ランベール』の順に採り上げたが、完成は順序が逆である。

 神秘主義的傾向を湛えた四作品のうちでも、わたしが『谷間の百合』に一番惹かれたのは、バルザックの思想が女主人公に血肉化された最も滋味のあるものとなっているからだろう。

 幼い頃から神秘主義的な傾向を持ちながら、そのことを隠し、まだ恥じなければならないとの強迫観念を抱かずにはいられない者にとって、バルザックの名は母乳のようにほの甘く、また力そのものと感じられるのだ。小説を執筆しようとする時、強い神秘主義的な傾向と、これを抑えんとする常識とがわたしの中でせめぎあう。こうしたわたしの葛藤には、当然ながら時代の空気が強く作用していよう。

 バルザックが死んだのは一八五〇年のことであるが、彼が『あら皮』――この作品もまた神秘主義的な傾向の強い作品である――を書いた年、一八三一年にロシアの貴族の家に生まれたH・P・ブラヴァツキーは、「秘められた叡智」を求めて世界を経巡った。インド人のアデプト(「達成した者」を意味するラテン語)が終生変わらぬ彼女の守護者であり、また指導者であった。

 インドの受難は深く、西洋では科学と心霊現象とが同格で人々の関心を煽り、無神論がひろがっていた。ブラヴァツキーは神秘主義復活運動を画する。アメリカ、インド、イギリスが運動の拠点となった。

 なぜ、ロシア出身の女性の中に神秘主義がかくも鮮烈に結実したのかは、わかるような気がする。ロシアの土壌にはギリシア正教と呼ばれるキリスト教が浸透している――ロシア革命が起きるまでロシアの国教であった――が、ギリシア正教には、ギリシア哲学とオリエント神秘主義の融合したヘレニズム時代の残り香があることを想えば、東西の神秘主義体系の融合をはかるにふさわしい媒介者がロシアから出たのも当然のことに思える。

 大きな碧眼が印象的な獅子にも似た風貌、ピアノの名手であったという綺麗な手、論理的で、素晴しい頭脳と火のような集中力と豊潤な感受性に恵まれたブラヴァツキーはうってつけの媒介者であった。

 ちなみに彼女には哲学的な論文のシリーズの他に、ゴシック小説の影響を感じさせる『夢魔物語』二十一と題されたオカルト小説集がある。変わったものでは、日本が舞台で、山伏の登場する一編がある。

 彼女の小説を読みながらわたしは何度も、映像的な描写に長けたゴーゴリの筆遣いを思い出した。また内容の深刻さにおいてギリシア正教作家であったドストエフスキーを、思考の清潔さにおいてトルストイを連想させる彼女の小説には、ロシア文学の強い香がある。

 ブラヴァツキーは大著『シークレット・ドクトリン』二十二の中で、バルザックのことを「フランス文学界の最高のオカルティスト(本人はそのことに気付かなかったが)」といっている。

 そして、ブラヴァツキーより少し前に生まれ、少し前に死んだ重要な思想家にマルクス(一八一八 - 一八八三)がいる。一世を風靡したマルクス主義の影響がどれほど大きいものであったか、そして今なおどれほど大きいものであるかを知るには、世界文学史を一瞥すれば事足りる。

 史的唯物論を基本的原理とするマルクスが世に出たあとで、文学の概念は明らかに変わった。

        従来バルザックは最もすぐれた近代社会の解説者とのみ認められ、「哲学小説」は無視せられがちであり、特にいわゆる神秘主義が無知蒙昧、精神薄弱、一切の社会悪の根源のようにみなされている現代においてその傾向が強かろうと想われるが、バルザックのリアリズムは彼の神秘世界観と密接な関係を有するものであり、この意味においても彼の「哲学小説」は無視すべからざるものであることをここで注意しておきたい。

 以上は、昭和三十六年に東京創元社から出された、『バルザック全集』弟三巻における安土正夫氏の解説からの引用である。解説にあるような昭和三十六年当時の「現代」を用意したのは、誰よりもマルキストたちであった。

 エンゲルスは、バルザックが自分の愛する貴族たちを没落の運命にあるように描いたというので彼を「リアリズムの最も偉大な勝利の一つ」と賞賛した。バルザックが自らの「階級的同情」と「政治的偏見」を殺して写実に努めたこと、また、そうした先見の明を備えたリアリスティックな精神を誉めたのである。

 わたしなどにはわかりにくい賞賛の内容だが、それ以降バルザックは、マルキストたちの文学理論――リアリズム論――にひっぱりだことなる。次に挙げるゴーリキー宛のレーニンの手紙なども、わたしには不可解な内容である。  

 だが、宗教を民衆のアヘンと見るマルクスのイデオロギーに由来するこの神のイメージは――階級闘争うんぬんを除けば――今では、日本人の平均的な神の概念といってよい。

        神は社会的感情をめざめさせ、組織する諸観念の複合体だというのはまちがいです。これは観念の物質的起源をぼかしているボグダーノフ的観念論です。神は(歴史的・俗世間的に)第一に、人間の愚鈍なおさえつけられた状態、外的自然と階級的抑圧とによって生みだされた観念、このおさえつけられた状態を固定させ、階級闘争を眠り込ませる観念の複合体です。二十三

 神という言葉には人類の歴史が吹き込んだおびただしいニュアンスが息づいているにも拘らず、この問題をこうも単純化してしまえるのだから、レーニンはその方面の教養には乏しかったと思わざるを得ない。

 神秘主義は、宗教自身の自覚のあるなしは別として、諸宗教の核心であり、共通項である。従って、マルキストによって宗教に浴びせられた否定の言葉は何よりも神秘主義に向けられたものであったのだ。

 マルキストたちが招いた文学的状況は、今もあまり変わってはいない。

 日本には今、心霊的、あるいは黒魔術的とでも言いたくなるような異様なムードが漂っている。娯楽の分野でも、事件の分野(サリン事件、酒鬼薔薇事件)でも、純文学の分野ですら、こうしたムードを遊戯的に好むのである。

        言葉の中身よりも、まず声、息のつぎ方、しぐさ、コトバの選び方、顔色、表情、まばたきの回数……などを観察する。するとその人の形がだんだん浮かんでくる。オーラの色が見えてくる。/彼のオーラは目のさめるような青だった。/風変わりな色だったが、私は彼が好きだった。/「また、おまえ、変なモノ背負っているぞ」/「重いんです。なんでしょう」/「また、おまえ、男だぞ」/「また男……って、重いです」/私は泣きそうになった。/(略)/「前のは偶然くっついただけだから簡単に祓えたけど、今度のは生霊だからな。手強いぞ」/笑いだしたいほど、おもしろい。ドキドキする。/「おまえ、笑いごとかよ。強い思いは意を遂げるって、前に教えたろう?」/わたしは彼がしゃべったことは一字一句違えず記憶していた。しぐさや表情や感情を伴って、すべての記憶がよみがえるのだ。/殺したいぐらい怒ると、わずかな傷でも死んでしまうことがあるって、言った」/「同じことだよバカ」/彼が心配しているのがわかってうれしくなった。若い女はどこまでも脳天気である。わたしの悩みは、彼が愛してくれるかどうかだけだった。/彼はその日の夕方、ホテルで私を抱いてくれた。/冷たい体を背負っているよりは、あたたかい下腹をこすり合わせながら彼のものを握りしめているほうがずっと楽しい。私の穴に濡らした小指を入れたり、口の中に互いの下を押し込んだり。(大原まり子『サイキック』、文藝春秋「文学界三月号」、一九九八年)

 このような文章は、神秘主義が涙ぐましいまでに純潔な肉体と心の清らかさを大切なものとして強調し、清らかとなった心の力で見たオーラをどれほど敬虔に描写しようとするものであるかを知る者には、甚だ低級でいんちきなシロモノとしか映らないだろう。

 現代のこうした風潮は、マルクス主義が産んだ鬼子といってよい。神秘主義が「無知蒙昧、精神薄弱、一切の社会悪の根源のようにみなされている」ことからきた社会的弊害なのだ。

 つまり、そのような性質を持つものを神秘主義と見なすようになったことからくる混乱があるのである。時を得て世界にひろがったマルクス主義のその貴重な側面は、絶対に否定しさることはできない。だからこそこの問題は、今こそ充分に検討されるべきではないだろうか。 

一九九八年

十七 石井晴一訳、新潮社、平成三年

十八 蛯原徳夫訳、角川文庫、一九五四年

十九 水野亮訳「『絶対』の探求」(『バルザック全集 第六巻』水野亮訳、東京創元社、平成七年)

二十 水野亮訳「ルイ・ランベール」(『バルザック全集 第二十一巻』加藤尚弘&水野亮訳、東京創元社、平成六年)

二十一 田中恵美子訳、竜王文庫、平成九年

二十二 『シークレット・ドクトリン 宇宙発生論(上)』(田中恵美子&ジェフ・クラーク訳、神智学協会ニッポン・ロッジ、平成八年)

二十三 川口浩、山村房次、佐藤 静夫『講座文学・芸術の基礎理論〈第1巻〉マルクス主義の文学理論』 (汐文社、一九七四年、第二部)

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2014年2月12日 (水)

追記:書評 - 鹿島田真希『冥土めぐり』(第147回芥川賞受賞作)

 以下の過去記事に追記したいことが出てきた。小説では全くそうはならなかったが、新聞記事には心を打たれたのだった。

[追記]
 キンドル本を出すためのレビューを整理する段階で、改めて作者についてインターネット検索したところ、夫を介護しながら執筆を続けているという記事が出てきた。その記事からすると、小説は実際の出来事に基づいたものなのかもしれない。描写が粗いためか、とてもそうとは思えなかった。体験を小説に生かすための技法や思想の洗練といったものが作者には欠けているように思われた。

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2014年2月11日 (火)

アメリカのキンドルストアでは、わたしの本もLOOK INSIDE!(なか見!検索)ができます

 KDPヘルプに「現在、日本では、KDP本の「なか見!検索®」はご利用いただけません」とあります。

 が、アメリカのキンドルストアでは使えることに、気づきました。そういえば、キンドル作家のどなたかが書いていらした気がします。

A1

 ほら、こんな具合。

A2

 いや、なかなか。

A7

 おや、縦書きですが、横書きになっていますわね。ルビは横に小さな字で。

M1

 目次は、本によって横書きになっていたり、縦書きのままだったりしますが、長音記号が寝そべり、鉤括弧が括るのに失敗したりしているのはご愛敬でしょう。

『田中さんちにやってきたペガサス』、『すみれ色の帽子』、『ぼくが病院で見た夢』ではこの機能が働かず、表紙しか出てきません。『詩人の死』では古い表紙が出てきます。

 早く「なか見!検索®」、プリント・オン・デマンド(POD)が、日本のキンドルストアのわたしのページでも使えるようにならないかなあと思います。

 プリント・オン・デマンドはデザインエッグ株式会社のサービスを試してみようかと考えているのですが、もう少し待っていると、アマゾンのプリント・オン・デマンドを直接使えるようになるのでは――と思ったりもします。

「聴く、文学エッセイシリーズ」には、ぽつぽつと来ていただいているようです。GIMPと同じで(こちらもまだ初歩的段階ではありますが)、今は聴くに堪えなくとも、続けていくうちに語りも動画作成も上達することと期待して、続けてみようと思います。

 ブログ→ホームページ→電子書籍パブー→電子書籍キンドル→動画YouTubeとやってきて、ホームページが前の記事に書いたように更新困難になって放置状態である以外は、同時進行中です。

 ブログを始めなければ、ホームページを作るのは難しく感じたでしょうし、ホームページでタグ遣いその他に慣れなければ電子書籍はハードルが高いと感じられたでしょう。電子書籍でGIMPを始めなければ、YouTubeページのチャンネルアートやGoogle+ページのカバーもデフォルトのままだったに違いありません。

 インターネットでやってきたことで無駄になったことは、不思議とありません。遅々たる歩みであっても、確実に世界が広がっています。

『気まぐれに芥川賞受賞作品を読む ①2007 - 2012』(Collected Essays 2)が完成しないのは、嫌々ながらやっているからだと思います。『村上春樹と近年のノーベル文学賞作家たち』(Collected Essays 1)を書くことも苦痛でしたが、あれを書くときは、パムクやル・クレジオを紹介できる喜びがありました。

 今度の本にはそれが何もなく、分析に終始しています。結果は苦いレピュー集となり、肩書もない者が芥川賞受賞作品に物申すとはおこがましい行為だと思うかたもいらっしゃるでしょう。

 わたしだって、嫌なのです。社会的に影響の大きい現象でなければ、放置したことでしょう。

 でも、昔から馴染んできた文学作品群と近年の芥川賞受賞作品を比較してみたときに、その劣化具合に愕然とするのです。

 日本の子供たちの国語力はひどく低下してきているようですが、言葉遣いも怪しい芥川賞受賞作品が読書感想文に使われたり、指標とされるようでは、そうなるのも当たり前だと思われます。文学作品は情操にも大きな影響を及ぼします。

 国語力が低下し、情操に悪影響が出ているのは子供ばかりではありません。

 作品を書くほうに問題があるのではなく、選ぶほうに問題があるのです。裏側に何があるのでしょうか。

 まともな文学作品を読み慣れた者であれば頭がおかしくなりそうな稚拙、異常な作品をプロの文芸評論家はヨイショするだけです。こんな世界で物を書き続けていかなければならないことがわたしは心底怖ろしい。

 早く終えて、萬子媛をモデルとした作品に戻りたい。そうでないと、心身共にますます病んでしまいそう。

 公開は少し先になりますが、「聴く、文学エッセイシリーズ」№2のタイトルは「優れた児童文学作品には豊かな陰影がある」になると思います。ケストナー『点子ちゃんとアントン』、リンドグレーン『はるかな国の兄弟』、マクドナルド『北風のうしろの国』の分析を通して、その豊かな陰影に迫りたいと考えています。

 アンデルセンの『おやゆび姫』、『人魚の姫』についても語りたいことがあります。

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「天国暮らし三年目の詩人」キャンペーンのご報告。Internet Explorer11のバグ?

詩人の死「天国暮らし三年目の詩人」キャンペーン

太平洋標準時1月31日~2月2日(日本時間1月31日午後5時~2月3日午後5時)完了

  • Amazon.co.jp(日本) 155
  • Amazon.com(アメリカ) 2

前2回のキャンペーン時にダウンロードしていただいたのが29でした。わたしの本にしてはずいぶん多いダウンロード数でしたので、これはキンドル本情報サイトでキャンペーン情報を流していただいたのでは、と思い、以下のサイトを訪ねてみたら、やはりそうでした。

ありがとうございます!

これで『詩人の死』は無料キャンペーン時に186ダウンロードしていただいたことになります。有料で1冊お買い上げいただいています。

そういえば、キャンペーン中、本文中に一文字分の余分な空白があることに気づきました。誤字脱字ではありませんが、気になったので、昨日、訂正しました。版は更新しませんでした。

話は変わりますが、Internet Explorerの更新をいってきたので、うっかり11にバージョンアップしてしまったら、バグがあるようで、いろいろと不具合が出てきました。例えば、この記事、つい慣れたブラウザIEで書き始めたのですが、突然コピーができなくなりました。

リンクしようとして、できないこともあります。この記事は途中からGoogle chromeで書いています。

また、ホームページをジオシティーズで作成しているのですが、ジオクリエーターが使えなくなってしまい、IEばかりか、Google chrome、Firefox、オペラなど、他のブラウザで試してもだめでした。

「ジオクリエーター 使えない」という検索ワードで当ブログにお見えになるかたも多いので、困っている人は多いのでしょう。

アドバンスHTMLエディタで編集することもできるのですが、文字化けがひどく、使えません。

過去記事を見たら、IE9までは使えたようなので(しばらく放置気味でした)、9バージョンに戻せばまた使えるのでしょうが、面倒ですね。別の不具合が出そうで。

古い時期に作られたサービスがどんどん置いていかれているような……。うーん。

現在は有料ですが、サンプルをダウンロードできます。
           ↓

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2014年2月10日 (月)

オリンピックを見ながらボルシチが食べたい!

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 オリンピックを観ながらボルシチを食べたいと思い、2時間ほど前から牛の角切りを煮込んでいます。

 大雑把な作り方でもサマになるのが嬉しい料理です。

 惜しまれつつも引退したミキティ(安藤美姫)が、マツコ・デラックスの出る番組にゲストで出たときに、ボルシチをほぼ毎日作るといっていました。

 スケートリンクで練習すると、身が冷えるので、温かいスープはなくてはならない一品だとか。番組の中で、ミキティは美味しそうに出来た手作りのボルシチを振る舞っていました。

  ボルシチについて、Wikipediaで調べてみました。以下は抜粋です。

ボルシチ:Wikipedia

ボルシチ(ウクライナ語: борщ , [ボールシュチュ]; 意訳:「紅汁」)は、テーブルビートをもとにしたウクライナの伝統的な料理で、鮮やかな深紅色をした煮込みスープである。

近世以後、ベラルーシ、ポーランド、モルドバ、ラトビア、リトアニア、ルーマニア、ロシアなどの東欧諸国に普及した。現在、東欧文化圏のほかに、中央ヨーロッパ、ギリシャ、イランや、北米在住の東欧系ユダヤ人によっても作られており、多くの国で世界三大スープとして好まれている。

概要
ボルシチは、テーブルビートとタマネギ、ニンジン、キャベツ、牛肉などの材料を炒めてから、スープでじっくり煮込んで作る。但し、スープの中身は決まっているわけではない。それ以外の具としてソーセージ、ハム、ベーコン、肉だんご、牛肉、鶏肉などの肉類や魚のから揚げ、ズッキーニ、リンゴ、インゲンマメなどを使ったりもする。ボルシチの素材は地域によって異なり、特にウクライナでは地方ごとに40種類以上のバリエーションがあるが、いずれもスメタナ(サワークリーム)を混ぜて食べることと、主材料にテーブルビートを使用している点は共通している。

ボルシチを特徴づける鮮やかな深紅色は、テーブルビートの色素によるものである。

通常は温製で供されるが、夏季には冷製で供されることもある。具沢山になるように作るのが一般的であるが、具をすべて漉して汁だけを供する食べ方もある。ニンニクのソースをかけたパンプーシュカという揚げパンを添えることが多い。

 わたしはいつも牛の角切りで作っていましたが、次回は他のお肉で作ってみようかしら。

 以下の写真は前回作ったときのものです。

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 サワークリームは小さいサイズのものを三つはストックしています。これはあったほうが美味しい。このときは牛肉の他に、缶詰のビーツ、にんにく、セロリ、じゅがいも(インカなので黄色い)、玉葱、人参、キャベツを入れました。

 牛の角切りからは灰汁が凄く出るので、炒める前にあらかじめ茹でこぼしておくといいです。それでも、結構灰汁が出ます。面倒でも、灰汁をこまめに取り除くことが美味しく仕上げるコツでしょうか。

 ビーツを余らせておいて、別の日にクルミ、じゃがいもを加えたサラダを作りましたが、これがとても美味しかったのです。サワークリームとマヨネーズであえました。

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 そのときの写真です。

 おっと、野菜を加えて仕上げなくては。

追記: 

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 本日のボルシチ。

 以下の商品は、【ケース売り】S&W スライスビーツ 425g(固形量:200g)×12缶 原産国:アメリカ合衆国。

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フェレロのラファエロ

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 一仕事終えたら、これを食べようと思って、昨日の昼間からパソコンの横に置いていたフェレロ「ラファエロ」。

 以下は、一昨年の秋にオランダに出張した息子がお土産に買ってきてくれたフェレロのチョコレート。

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 その中の「ガーデン」という銀色の包み――両端のものがそう――のものが美味しくて忘れられませんでした。ココナッツクリームが香るのです。

 毎月1~2度カルディコーヒーファームにコーヒー豆を買いに行くのですが(200g入りを3袋ほど)、そのとき、フェレロのラファエロがありました。

 フェレロはイタリア老舗チョコレートブランドということですが、これはポーランドで作られたもの。息子のお土産のフェレロにはメイド・イン・ドイツとありました。あちこちで作られているのですね。

 ラファエロはガーデンの親戚筋に違いない(?)と思い、購入してみたところ、ガーデンほどの感激はありませんでしたが、美味しいと思いました。ココナッツというより、子供の頃に妹とこっそりなめていたクリープを連想しました。わたしにとってクリープはコーヒーに入れるものというより、禁断の味。

 ラファエロは冷蔵庫で硬くなったものより、外に置いて柔らかくなったくらいのほうが、クリーミーで、わたしは好みです。

 ちなみにガーデンとラファエロの違いを調べてみると、構成が内から外へと以下のようになっているようです。

  • ガーデン……アーモンド→ココナッツクリーム→ウエハース→ココナッツクリーム→ココナッツ
  • ラファエロ……アーモンド→ココナッツミルククリーム→ウエハース→ココナッツ

 カルディで買ったガヴァルニーの「プレミアム・トリュフ コニャック 200g」も美味しいと思いました。

 でもなぜか、わたしはこれを食べると鼻の中が腫れます。コニャックアレルギーなんでしょうか。

 もうすぐバレンタインデー。夫はリンツが好きなので、また通販で取り寄せようかと考えています。

 昨年の秋、デパートのイタリア展で娘が買ったバラッティ・エ・ミラノのチョコレートの美しさ、美味しさは忘れられません。

 わたしはエスプレッソが液状で出てくるチョコボールが好きでしたが、もう1度だけ食べたいと思うのはヌガーです。

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2014年2月 9日 (日)

『村上春樹と近年のノーベル文学賞作家たち』をお買い上げいただき、ありがとうございます! 

『村上春樹と近年のノーベル文学賞作家たち』(Collected Essays 1)をお買い上げいただき、ありがとうございます! 

 2月1日ごろ、アメリカのアマゾンでお買い上げいただいたようです。

 『村上春樹と近年のノーベル文学賞作家たち』は17冊目のお買い上げでした。アメリカでのこの本のお買い上げは、6冊目でした。

 この本は、ブログで一部公開中であるため、KDPセレクトに登録できず、無料キャンペーンができないので、購入して読んでいただくしかないのです。それで、お買い上げいただくと、とても嬉しく、ありがたい気持ちになります。

 サンプルをダウンロードできます。
     ↓

 東京都知事選の結果が気になります。ソチ、始まりましたね。

『気まぐれに芥川賞作品を読む ①2007 - 2012』(Collected Essays 2)は、完成には少しというところで、相変わらず難航しています。

 レビュー及び関連の短い文学論を集めたものですが、薄い本であるにも拘わらず、注が多く、また数年間のうちの別々の時期に書いたエッセイを集めたものであるため、表記が不統一であったり、調べ直しが必要であったりと時間を食い、正直いって、うんざりしています。

 でも、これを出してしまわないと、初の歴史小説に本腰入れられないので、出してしまわなければ。近日公開。         

C_blog

 聴く文学エッセイ№1 - 「マッチ売りの少女」のお話と日本の現状をお試し公開したところですが、これで9分15秒、400字換算6枚です。

 初めは原稿なしでしゃべったら、だいたい同じ内容で、13分もかかりました。考えながらしゃべると、どうしてもぽつぽつ間が空きます。それに、内容のあるものをしゃべろうと思えば、絶対に原稿を作る必要があると思いました。

 結構大変。

 ただ400字換算6枚の文学エッセイというと、当ブログには山ほどあります。電子書籍にするには時間がかかり、収録したい作品も多いので、選から洩れる(?)エッセイのほうが圧倒的に多いでしょうね。

 その中には我ながら貴重に思えるものもあり、そうしたものは時間に揉まれていても不思議と色褪せないので、動画にすれば聴いてくださるかたがあるかもしれません。

 そうした掘り起こしを使うにしても、基本的には新しい原稿を作成して動画にしたいと考えています。

 アバター利用にばかり頼らず、静止画を組み合わせたり、字幕や音楽を流したり、といろいろやってみたいのですが、それは初の歴史小説の合間に、ということになりそうです。

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2014年2月 8日 (土)

マダムNのYouTube、Google+ページ

YouTubeで文学に関する動画の公開を始めましたが、YouTubeはGoogle+と連携(連動)しており、それのプロフィールを作成する必要が生じたので、本日作成しました。

     

ちなみに、以下がGoogle+のプロフィール。

キャッチフレーズ
純文学の創作を行っています

自己紹介
ブログの管理、キンドル本の出版、動画作成を通して文学活動を行っています。
文学仲間はいますが、基本的に一匹オオカミの自由感を保っています。
神秘主義者でもあるので、作品に神秘主義的インスピレーション、イマジネーションが反映するのがわたしの作品の特徴といえるでしょう。
神智学(Theosophy)協会の会員で、ブラヴァツキー派。
プラトン、紫式部、世阿弥、バルザック、リルケ、ジョージ・マクドナルド、リンドグレーンのファンです。
佐賀県鹿島市にある祐徳稲荷神社を創建した女性をモデルとした歴史小説にチャレンジしているところです。
他に、マグダラのマリアに関する歴史ミステリーを絡めた長編児童小説『不思議な接着剤』を執筆中。

 当ブログ、アマゾンの著者ページのプロフィールがごちゃごちゃして鬱陶しかった(?)ので、アマゾンのほうはこのGoogle+と同じプロフィールに変えようかと考えています。

 当ブログのプロフィールは、わたしの精神的軌跡を知りたいという物好きなかたのために、残しておきます。

 プロフィールに神秘主義者と書くことは、唯物論的無神論者を気取るのがスタイリッシュとされている現代日本では――少し古い価値観になってきているのかもしれませんが――自らに好まざる烙印を押す行為であるのかもしれません。

 でも、わたしの作品に神秘主義的傾向があることはまぎれもない事実なので、書くべきだろうと考えました。特に神智学の影響――かつて学んだことを学び直しているような既視感があります――を抜きにしては語れません。

「神智学(Theosophy)協会の会員で、ブラヴァツキー派」と書くと、派閥に分かれているような誤解を与えないかが心配ですが、神智学協会からはいろいろな人物が出ていて、その論文には内容の違いがあるので、誰の論文を最も信頼し、指針としているかをはっきりさせる意味で付け加えました。

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2014年2月 7日 (金)

聴く文学エッセイ№1 - 「マッチ売りの少女」のお話と日本の現状

マイクに口が近すぎると呼吸音が入り、遠すぎると音が小さくなるという風で、初心者には難しい。結果として、音が小さくなりました。

これで9分15秒。一つのテーマで、わたしのような初心者が無理なくおしゃべりできるのは10分くらいだと思いました。

このアバターも借りてきました。エイリアンのアバターとどっちがいいかな。実際の動きとはずれがありますが、便利ですね。このアバターはキスでもするみたいによく口が尖るのが困りますが……。

 ともあれ、文学動画――聴く文学エッセイシリーズ――№1です。

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2014年2月 5日 (水)

初の動画体験でわかったこと。気温差でうなじの皮膚が。息子の出張予定、夫の親友の小説。

 初の動画体験は刺激的でした。まだわからないことも多いのですが、面白いですよ。楽器が弾けたり、朗読が上手だったりするかたは、YouTubeにどんどん動画をアップなさったらいいと思います。

 YouTubeに動画をアップする際に、Googleで登録した名前が表示されてしまうのは何とかならないだろうか、と思い、ググってみたところ、YouTube用のチャンネル登録ができることを知りました。

 以下の記事で詳しく説明されています。

 YouTubeでは動画を編集でき、BGMをつけたり、テキストを貼り付けたりできるようになっています。まだそういったことは試していないのですが、便利ですよね。

 動画のプライバシー設定は、公開、限定公開、非公開から選べます。

 文学に関する動画を作るといっても、どういったものを作るのかは漠然とした段階です。これまでに読んだ本の紹介、作品論、作家論、神秘主義思想と児童文学の関係といったことも私的講座風に論じてみたいと思っていますが、それには原稿が必要で、時間がかかかるでしょう。

 初の歴史小説を書く合間には、お試し二弾として自作キンドル本の宣伝動画など作ってみたい気がしています。第三弾として「おすすめ読書感想文によい本」を作りましょうか。

 ここからは私的メモです。

 昨夜、息子が電話してきて、娘と話し、わたしとも少し話しました。一昨年は出張でオランダとドイツ、昨年は韓国に出かけましたが、今年はアメリカのサンフランシスコに行くかもしれないといっていました。

 息子はまだ大学の博士課程に席を置いたままですが、仕事と大学でやっていることがリンクするようになり、サンフランシスコにも会社の出張で学会に出席するためだそうですが、大学でやっていることの参考にするためでもあるとか。

 就職せずに博士課程に進み、ポスドクになるか、会社に就職して社会人ドクターになるかで迷った息子は後者の道を選択しました。大学の研究とリンクする仕事を希望したため、就職活動は困難を極めました。

 幸運にも希望するような部署のある会社に就職ができたと思ったら、不運なことに、何と入社した日にその部署がほぼ潰されてしまったことを知ったのでした。怒った息子。一時は退職も考えたようです。

 その部署は本当に潰されてしまったのではなく、細々と続いていました。息子は別の部署で仕事をしていました。その別の部署にようやく慣れ、楽しくなってきた頃に、昨年だったでしょうか、ほぼ潰れていた部署が完全復活を果たし、そこへ配属されることになったのでした。

 海外は安全でないところも多いので、海外出張と聞くと心配になりますが、まあ今は日本にいても本当に安全とはいえなくなってきた気がします。

 夫は流通業に勤務していた頃、研修旅行でアメリカのダラス、ロサンジェルス、アトランタに行っています。郊外型のホームセンターを視察するのが目的でした。あの頃のアメリカは力がありましたね。

 身近な人間から旅行の話を根掘り葉掘り聞くのはわたしの趣味です。

 自身が一度も海外旅行の経験がないので。ホロスコープには海外との縁が出ているのになあと思ってしまいます。キンドル本はアメリカの自己出版サービス(アマゾンKDP)を利用させていただいて海外でも売っているわけですから、これも海外との縁があるといえないこともないでしょうが、何だか寂しいわね、これっぽちの縁じゃ。

 サイト→キンドル本→YouTubeと興味が拡散していきます。こうした流行に乗りつつもマイペースで創作を進めなければと思っています。キンドル本にする予定の『気まぐれに芥川賞作品を読む ①2007 - 2012』で、なぜか引っかかっています。

 そういえば、夫の中学時代からの親友が小説を書いているそうです。とても真面目な、男らしい、優しい人で、夫に泣かされたとき、彼が今度何かあれば自分のところに来ていいといってくださいました。夫は昔から彼を尊敬していて、同学年だったにも拘わらず、兄のような存在です。

 彼は✕1なのですが、その原因は仕事が忙しすぎる彼を奥さんが浮気をしているのだと誤解したことだったと夫から聞かされました。北九州の家を売りに出していたのが売れ、今は博多で息子さんとマンション暮らしをなさっています。

 定年後に始めた畑仕事がマンション暮らしになってからはできなくなったので、小説を書き始めたのだそうです。読みたくてたまりません。送っていただくよう、夫を急かしています。もう4篇も完成作があるのだそうです。

 河津さんの小説のことも忘れたわけではありませんが、今回送っていただいた本の内容はわたしには理解しにくいもので、解釈に迷いがあり、感想を書かないままになってしまっているのは申し訳ないことです。

 気温差の激しいここ数日です。わたしはうなじの皮膚がまずいことになっています。それに、これは気温差とは関係ないでしょうが、ウロカルン錠を3日飲みやめると、結石と思しき腹痛が起きるのには悩まされています。

 あなた様も、どうかご自愛くださいませ。

 東京都知事選、どうなるのでしょうね。

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2014年2月 4日 (火)

ブログでご挨拶:初動画

 前の記事でご報告したようにお試し動画を作ってみました。まだ慣れないので、聴き苦しいでしょうが、お許しを。

 ああ恥ずかし。でも、恥ずかしがっていては何もできませんものね。いやー、しんどいわ。

追記:
動画の中でうっかり「敷居が高い」という言葉を使ってしまいました。「ハードルが高い」という意味で使ったつもりでしたが、気になって調べたら、これは「何か不義理なことや不面目なことがあって、その人の家に行きにくいことを表す」そうです。
文学の動画を作るというのに、最初からこの有様では先が思いやられますが、こんな風に勉強していきたいと思っています。

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プードルのマスク

 当分先になりそうですが、文学に関する動画を作成したいと前の記事で書きました。

 パソコンに入っていたCyberLink YouCamを使って動画をお試し撮影してみました。エフェクトルームからマスクを借りてしゃべってみました。プードルのマスクを借りてしゃべってみると、プードルの口が動きました。これいいわね、顔、晒さずに済みます。

 動画をYouTubeに投稿する場合、15分を超える動画は携帯で認証が必要になるようなので、面倒。それ以内の動画にしたいと思います。

 何にしても、一応手順がわかったので、さっさと作りかけの電子書籍を仕上げたいと思います。この電子書籍、昨年からたびたび放置してしまっています。そのあとはまた初の歴史小説で、年表からの抜き書き、整理の作業が待っています。

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2014年2月 3日 (月)

衆院予算委……杉田水脈議員、よく言った!

 午前中の衆院予算委員会は断片的にしか視聴できなかったが、日本維新の会の杉田水脈議員が放送について、「NHKも他の放送局も、これまで偏向報道が多すぎた。こういうとすぐに表現の自由ということを言われるが、嘘をつく報道の自由はあるのか? こうしたことがまかり通るのは、罰則の規定がないからではないのか。反日勢力は国会議員にも存在する。慰安婦問題については、河野談話の当事者である河野元官房長官の証人喚問を要求する」と、胸のすくような質疑をしていた。

 お昼のNHKニュースでは国会中継の場面もあったが、杉田水脈議員の質疑は採り上げられなかった。

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鬼が笑うでしょうか。ゴーゴリと対極にいる、わが国の褒めすぎる人々。

 Googleのウェブサイト翻訳ツールをサイドバーに設置してみました。

 日本語で言語を選択できないと使えないんじゃないかと思いますが、アクセス解析を見ていると、英語に翻訳されたわたしの記事のタイトルが検索ワードにあったので、いくらか日本語ができる外国の方の役に立つかもしれないと思いました。外国からの閲覧がちょくちょくあるようなので。

 以前はGoogle翻訳を使って翻訳させると、すぐに疲れて途中で止まり、日本語丸出しの翻訳にしかなっていませんでしたが、体力はついたようですね。でも、精度はどんなものやら。

 以下のサイトで翻訳サイトを比較してあり、思わず笑いながら閲覧しました(翻訳サイトの珍妙な翻訳ぶりよりはるかに低い翻訳能力しか、わたしにはないわけですけれどね)。

 ところで、先日の記事で、Google Chromeの拡張機能でAmazonの本が図書館にあるかどうかを検索できる便利なものを見つけたと書きました。

 他にもご紹介しますと、以下の拡張機能も重宝しています。

 初の歴史小説にはあと1~2年かかりそうです。その間、他のことができにくい状況となるので、先の予定が立ちませんが、時間を見つけて今年は、注文のたびにAmazonのプリント・オン・デマンドで印刷されるというオンデマンドにチャレンジしてみたいと考えています。

 そのサービスを日本のKDPでわたしが直接に使うことはまだ出来ないので、そうした出版サービスを行っている会社を通して。

 そのサービスではKindle本とはまた違った入稿の仕方が求められるので、まとまった時間が要りそうです。わたしは思い立ってから腰を上げるまでに、だいたい1年くらいかかるのです。

 来年のことをいうと鬼が笑うといいますが(今日は豆まきだぞ~!)、来年は動画配信にチャレンジしてみたいです。

 昨晩、やり方を閲覧してみたら難しいものではなさそうだったので、週に1回、20~30分くらいのペースで、文学に関する私的発信をしてみたいと考えています。

 何しろわたしにはなまりがあるので(ここに引っ越してきてから、佐賀弁と博多弁のなまりがあるといわれました)、視聴に耐えられるような動画が作成できるかどうかはわかりませんが(自分の声を使わない方法もあるでしょう)、文明の利器を最大限に活用して自分にできる精一杯のことを文学のために行わなければ、日本の文学は本当に滅んでしまう――そんな危機感を覚えずにはいられません。

 今回の芥川賞作家の『穴』は未読ですし、『工場』も試し読みしただけですが[以下の過去記事参照]、その『工場』をゴーゴリ、カフカと褒めちぎった記事を読みました。

 わたしはゴーゴリもカフカも翻訳でしか知りませんが、美しい文章を書く、深淵をすら描く力量のある彼らと同格であるかのような褒め方には、何というか、涙が出てきました。

 芥川賞作家を貶める意図はないのです。誤解しないでください。異常なのは馬鹿褒めする無責任な人々なのです。いくら何でも、子供の悪戯書きを「まるで、ピカソだ!」というような褒め方というわけではありますまいが。

 ゴーゴリは特に好きな作家です。そんな作家が日本にいれば、どんなにいいでしょう! もう人生も後半になっているにも拘わらず、これから本格的に茨の道を歩こうという未熟なわたしのどれほどの励み、助けとなることでしょう。

「肖像画」(『狂人日記 他二篇』所収、ゴーゴリ著、横田瑞穂訳、岩波文庫、1993年)より抜粋。

 彼の前にかかっていたのは、花嫁のように清らかで汚れのない、美しい例の画家の作品であった。その絵はいかにもつつましく、神々[こうごう]しく、あどけなく、天女のように素直に一同の上にかかげられていた。その神々しい画像は大勢の人の目に見つめられるので、恥ずかしそうに美しい睫[まつげ]をふせているように思われた。専門家たちは思わず驚嘆の眼を見はりながら、いままで見たこともない美しい筆触[タッチ]にじっと視線をこらした。そこではすべてのものがいっしょに凝結しているように見えた。ラファエロを研究した跡[あと]は気品の高い構図にあらわれ、コレッジオを学んだ跡[あと]は完璧な筆触[タッチ]にあらわれていた。だが、なによりも力強く見えていたのは、画家自身の魂のなかに、すでにしっかりと根をおろしていた創造力のあらわれだった。絵のなかのどんな微細な点にも画家の魂が浸透していて、どこをとっても法則がつらぬかれ、内的な力がこもっていた。いたるところに自然界に潜んでいる柔らかい曲線がとらえられていたが、これは独創的な画家の目にだけに見えるもので、模写しかできない画家が手がけたら、その曲線を角張った線にしてしまうところである。これはあきらかに、外界から引き出してきたものをぜんぶ、まず自分の魂のなかにとりいれて、それからあらためて一種の調子のととのった荘重な詩[うた]として魂の奥底から歌いあげたのにちがいない。とにかく凡俗の目にさえはっきりしたことは、ほんとうの創作と、たんなる自然の模写とのあいだには測り知れない大きな隔たりがあることであった。

 これがゴーゴリの文章です。ゴーゴリの芸術観です。思いつきで断片をつなげただけの、奇を衒った作品とは対極にあるのがゴーゴリの作品です。

 大手出版社の文学賞や話題作りが、日本の文学を皮相的遊戯へ、日本語を壊すような方向へと誘導しているように思えること、作家も評論家も褒め合ってばかりいること(リップサービスと区別がつかない)、反日勢力に文学作品が巧妙に利用されている節があること……そうしたことが嫌でも感じられ、16歳のときから40年間も文学の世界を傍観してきましたが、このまま行けば日本の文学は確実に駄目になってしまうという怖ろしさを覚えます。

 夫に、文学をテーマとした動画配信を考えている話をしてみました。てっきり、呆れられると思ったのですが、夫は感心したような静かな声で「へえ~」といい、「やってみたらいいんじゃない?」といいました。

 尤も、動画のアップ数は多く、ブログや電子書籍の世界と似たり寄ったりで、視聴して貰うことは難しそうです。まあ、来年腰を上げてスタートがそのまた1年後くらいだとすると、もうその頃には動画のブームが去っていたりすることも考えられますが、一応計画としてあることをご報告しておきますね。

 ゴーゴリの作品は高校生の読書感想文におすすめです。

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