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2014年1月の34件の記事

2014年1月31日 (金)

キンドル本の無料キャンペーンの予告です♪ 対象は『詩人の死』、1月31日午後5時~2月3日午後5時ごろ。

アマゾンのKindleストアで販売中の電子書籍『詩人の死』の無料キャンペーン、題して「天国暮らし三年目の詩人」キャンペーンを実施します。

無料キャンペーン期間は、太平洋標準時1月31日~2月2日(日本時間1月31日午後5時~2月3日午後5時ごろ)となります。無料期間中はダウンロード画面で「kindle購入価格  ¥0 と表示されます。

2月2日は詩人と呼んだ女友達の命日です。彼女をモデルにしたフィクションです。

キャンペーン時以外は有料ですが、サンプルをダウンロードできます。
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2014年1月30日 (木)

初の歴史小説 (25)萬子媛の子供たち。90歳過ぎて挙兵した龍造寺家兼。

 昨夜、息子と電話で話したときに、萬子媛の話題になった。

 息子は洋の東西を問わず、歴史好きで、漢文なども若いわりには好きなほうだ。

 何しろ息子は職場の自分のスペースの壁に、漢文を貼り付けているくらいだから。同僚からは「おまえ、それ、呪文みたいで不気味だからやめろ」といわれ、上司は「ほお、漢文か。なつかしいな」といって通り過ぎたとか。

 で、郷土史家から送っていただいた資料をコピーして息子にも送っていた。郷土史家が古文書からコピーされた漢文の文書などを見てみたいのではないかと思ったのだった。

 息子は全部に目を通したようだった。

 萬子媛が37歳で結婚し、39歳、42歳で出産したということについて、郷土史家は「如何にも高齢出産のような気がしています。39歳での初産にちょっと、違和感がなくもありません」と疑問を呈しておられるが、息子もそう思ったという。

 萬子媛の実子とされている男子2人は萬子媛が産んだ子ではないのではないか、と息子はいう。

 直條が著述したとされる「祐徳開山瑞顔大師行業記」に「大師生子男二人長曰文丸法号淡月幽照次曰式部名朝清法号仁屋宗寛とあるので、それを信じるしかないとわたしは思うといった。 

 ただ、江戸時代には女性の出戻りや再婚は珍しくなかったというから、鍋島直朝とは再婚で、もしかしたら、最初の結婚のときに子を産んだ可能性もあるとわたしは考えたりした。

 もし再婚であれば、格式の高い家に生まれた萬子媛が肥前鹿島鍋島藩主に継室として嫁いだというのも頷ける気がする――息子もわたしもそう考えた。勿論、これは憶測の域を出ない。

 小説としてフィクションをかなり入れるとすれば、この辺り、再婚だったという風に持っていくかもしれない。

 直朝との結婚後に萬子媛が産んだ最初の子、文丸は寛文4年に生まれ、10歳で亡くなった。

 郷土史家が「直朝公御年譜」から抜き書きし、解説してくださったところによると、寛文12年(1672年)、文丸は船で上京し、祖父花山院定好に初めて会っている。直朝の参勤交代の帰国を待って、京都から淀川を下って大阪に出、そこから同船して帰郷した。

 そして、延宝元年7月25日(1673年)に亡くなったのだった。文丸の死に先立ち、側室の子中将が同年2月5日に、花山院定好が同年7月4日に亡くなっている。

 文丸がおじいちゃん(萬子媛の父)に会えたことを、萬子媛は悦んだだろう。それなのに、翌年、二人共亡くなってしまった……。

 萬子媛の2番目の子、式部朝清は、寛文7年8月29日(1667年)に生まれた。佐賀藩2代藩主鍋島光茂に仕え、佐賀に住んだ。光茂の信頼厚く「親類同格」の扱いを受けていた。親類同格とは佐賀藩主の格付けで、三家、親類、親類同格、家老、着座、侍の順。

 朝清が破格の待遇を受けたことに、萬子媛は誇らしい思いだったろう。光茂の信頼が厚かったというが、破格の待遇を受けた理由は朝清の優秀さが買われたのだろうか。萬子媛の実家の格式の高さも影響しているのだろうか。

 しかし、その朝清は貞享4年9月20日(1687年)、21歳で急死した。

 朝清は、萬子媛の義理の息子に当たる承応元年3月4日(1652年)生まれの直孝(断橋和尚)とは15歳、明暦元年2月2日(1655年)生まれの直條とは12歳の年齢差があった。義理の息子たちにとって、朝清は可愛い義理の弟という感じだったのだろうか。

 萬子媛にとっての義理の息子たちを産んだ彦千代は21歳で直朝に嫁ぎ、万治3年7月23日(1660年)、32歳で亡くなっている。子供たち――直孝、直條――は8歳と5歳である。心残りであっただろう。

 その彦千代の母は、龍造寺政家の娘だった。

 高齢で龍造寺氏を再興した龍造寺家兼の孫が龍造寺隆信。その子が政家、江上家種(江上武種の養子)、後藤家信、玉鶴姫(蒲池鎮漣室)である。

 少弐氏の家臣によって子、孫を謀殺されながらも龍造寺氏を再興した家兼は90歳を超えていたというから、凄い。息子がその話に詳しく、心底驚嘆したように話し、わたしも家兼のバイタリティーと執念に圧倒された。

「90過ぎて子も孫もことごとく殺されてしまったりすると、それだけでガックリきてポックリ逝くんじゃない? 90過ぎて兵を挙げるなんて、普通、ありえないよ」と息子。

 家兼は「曾孫の龍造寺胤信を還俗させ、後事を託すと、間もなく波乱に富んだ93年の人生を安らかに終えた」という(参考⇒龍造寺家兼:Wikipedia)。

 曾孫胤信は、お寺に入れられていて、助かったのだった。が、その後、政家とその子の高房の代で、大名としての龍造寺宗家は断絶する。

 ちなみに――これもWikipediaで閲覧したことだが――幻想小説家の夢野久作は龍造寺隆信の子孫だそうだ。夢野久作の父、杉山茂丸はかなりの大物(参考⇒杉山茂丸:Wikipedia)。わたしの母方の祖母の家系は江上氏と関係があるようなので、祖先が夢野久作の祖先と人間関係があったような感じがあって嬉しい(?)。

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初の歴史小説 (24)門玲子著作より①

 門玲子『江戸女流文学の発見』、『江馬細香』、『わが真葛物語』は初の歴史小説を書く上で、とても参考になる。

 手法上の参考になるだけではない。

 あとの二冊は江戸後期、江戸中期から後期にかかる人物にアプローチしたもので、時代的には花山院萬子媛が生きた時代より下るのだが、わたしのような無知な読者にも親切な筆遣いは、江戸時代全般と古文的なことを知るための優れたテキストともなる。

 それら著作のうちの『江馬細香』に「とうとう私は自分が読みたい書物は自分で書くしかないということを自覚した」とあるが、創作者の動機は同じなんだなと共感した。こうした共感が創作を続ける上で、どれほどの励みになることか。

『江戸女流文学の発見』は必要度が高いと思い、購入したが、他の二冊は図書館から借りているということもあり、参考になりそうな箇所はメモをとっておきたい。

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

わが真葛物語――江戸の女流思索者探訪
門 玲子
藤原書店
2006年3月


「あとがき」
396頁
 さて、この拙い著作を為すにあたって、伝記小説風、評伝風、作品論風、探訪記風などなど、部分部分で異なったスタイルを採ったことについて、一言説明しなければならない。
 只野真葛は江戸女流文学者の中では、際立って大きな存在であるが、一般的な知名度は低い。ほとんど知られていないと言ってよい。樋口一葉や与謝野晶子、岡本かの子らのように、その生涯と作品が広く知られ、人物のイメージがほぼ定着している文学者を書く場合と、真葛について書く場合では当然手法を変えなければならないと思った。
 この一冊で、只野真葛という一人の文学者の生きた時代と環境、彼女の内面世界、そして彼女の作品世界群、周囲からの評価、後世の受け止め方などを、丸ごと読者に差し出すにはどうしたらよいだろう。欲ばった考えから、迷いながら、このような渾然とした形式になってしまった。さらには筆者自身が真葛の人物像に接してゆくプロセスまでも含めて、すべてを明らかにした。真葛という難解な、厚い霧に覆われた女流文学者、思索者の人物像が、この中のどの一章からでも感じ取っていただけるようにと願っている。

20頁
明治初期までは、女性は実家の氏名に属することが多いので、(……)。

24頁
当時、おおかたの武家の女子は、母や祖母から手習いや和歌の手ほどきを受けるが、真葛も当然そのような家庭教育を受けたであろう。

○o。+..:*○o。+..:*○o。+..:*

江馬細香――化政期の女流詩人
門玲子
藤原書院

2010年8月

「序章」23頁
 私は細香の生涯の物語をたっぷりと読みたいと思ってさまざまな書物を求めて歩いたがついに私の願いを満す書物は得られず、きらきら輝く幾つかの断片と、筆写した上・下二冊の『湘夢遺稿』が手許に残った。
 とうとう私は自分が読みたい書物は自分で書くしかないということを自覚した。
 以下は「細香女史」についての恣[ほしいまま]の空想であって、細香の伝ではないのである。

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2014年1月28日 (火)

Amazonの本が図書館にあるかどうかを検索できる、Google Chromeの拡張機能

 先日、使い慣れたブラウザInternet Explorer、Google chrome以外のブラウザを試してみて、遅まきながらOpera、Firefoxにはまってしまいました(仕上げるべき電子書籍、進めるべき初の歴史小説のことで焦りつつも)。

 そして、世界でのブラウザの利用状況はどうだろう、と思ったのです。国別のブラウザシェアがグラフで見られる以下のサイトで調べてみました。

 Google chromeが圧倒的です。昨年と比較してもシェアをのばしています。これは……と思いました。長いこと、アプリ、拡張機能など全く見ていなかったのですが、これらに魅力が出てきたのも人気の理由の一つではないだろうか、と思って久しぶりに見に行ってみました。

 そして……1日、夢中になってしまいました。以前は使えないものも多かった気がしますが、優れものが増えていました。わたしに特にありがたく思えたのが、以下の拡張機能。

 Amazonの本で、現在、検索したい図書館にあるかどうかが表示される拡張機能だなんて。図書館なしでは生きていけないわたしのような人間には、嬉し泣きしたいほどの便利さです。

 

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2014年1月27日 (月)

ウロカルン錠を飲む、飲まないで迷う

 結石を溶かす薬ウロカルン錠について、最近は以下の記事で書いた。

 これに懲りたので、これからはずっと飲み続けよう、薬がなくなれば、処方していただいた循環器クリニックに貰いに行こうと考えていた。

 幸い、この薬はほとんど副作用がないという先生、薬剤師さんのお話だった。あえていえば、胃腸障害でしょうか、と薬剤師さんはおっしゃった。

 その胃腸障害、わたしは出やすいのである。そして、その胃腸障害を治すためのどの薬かで過去に薬剤性肝炎と思われる肝機能障害を起こし、クリニックから大学病院に回され、治るまでに結構かかった。自然に治るのを待つしかないので。ひたすら採血に通った日々。

 だから、なるべく胃腸障害を起こしたくないし、起こしたとしてもできるだけ自然に治るのを待ちたい。 

 ところが案の定、21日頃から23日にかけて胃腸の調子が悪くなった。尾籠な話で申し訳ないが、腹部膨満感に続いて腹痛、下痢に悩まされた。ウロカルン錠が原因とは限らないが、続けて服用しているうちにどうも胃腸が疲れ出したように感じていたのだった。

 そこで、ウロカルンの服用をやめてみた。すると、治った。やはりウロカルン錠が原因としか思えなかった。やれやれと思っていたところ、昨晩、左腰に結石を思わせる痛みが起きた。

 せっかく胃腸が正常になったところだったが、背に腹はかえられない。結石の痛みは我慢できないほどになることが多いので。わたしはこれまで大きな石はできたことがない。エコーで診て貰うと、腎臓にキラキラ光るものが沢山見える。結石だそうだ。

 それが少しだけ大きくなって下りてくるのだろうが、小さな石でも移動中は痛い。ウロカルン錠は大きな石には太刀打ちできないようだが、わたしのような小さな石が下りてきやすいタイプには痛みを感じてから飲んでも効果がある気がする。

 ウロカルン錠を服用するまでは、出るまで痛いのを我慢するしかなかったのだが、服用すると、しばらくは痛むが、そのうち石のことを忘れている。元々小さな石がウロカルン錠の作用でさらに小さくなり、排出されやすくなるのだろう。

 ウロカルン錠にしても、胃腸薬にしても、ずっと飲んでいる人も多いようだが、わたしはどちらもずっと飲んでいると、調子が崩れてくる。

 飲んだり、飲まなかったりするしかないのだろうか。

 ウロカルン錠を服用するようになってから、服用しないでいられなくなったといおうか、やめるとすぐに結石の痛みが起きるようになった気がする。

 それで、なるべくウロカルン錠を飲まないでやっていきたいと思うのだが、痛むとどうしても飲みたくなる。困った問題である。副甲状腺のほうはどうなのだろう? 内分泌の診察は4月、当分先だ。

 心臓のほうはまあまあ、寒いので、時折、胸の圧迫感、軽い胸痛、不整脈が起きることはあるが、どれも大したことはなく、ニトロも使わずに済んでいる。調子がよいほうだ。

 新年になったからといって、初の歴史小説を迅速に書き上げられるかというと、無理で、他の用事をこなしながら少しずつ進めるしかない。情報を集め、整理しながら、書きたいことと照らし合わせている段階だ。

 急ぐ必要はない。魅力的な萬子媛。非力ながら、精一杯の作品を書き上げたい。

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2014年1月26日 (日)

別のブラウザを試す

 これまでブラウザはパソコンに入っていたInternet Explorerをメインに、Google Chromeを補助的に使っていました。

 こうして記事を書くときも、書いている途中で何か検索したくなったり、Evernoteからメモを取り出したりできるので、別のブラウザを入れておけば便利ですね。

 動画はほとんどGoogle Chromeで観ていました。電子書籍を作成するときに使う、商用・非商用を問わず完全フリーで使える画像検索サイト「Pixabay」、フォトエディタオンライン「PIXR」、「WEB色見本 原色大辞典」などもGoogle Chromeで使っています。

 もう一つブラウザがあってもいいなと思うことはありましたが、概ねこの二つのブラウザで満足していました。

 ところが、昨日キンドル本『村上春樹と近年のノーベル文学賞作家たち』、『詩人の死』の表紙を新しくし、奥付、宣伝のページを追加するときに、KDPの登録画面で、ブラウザ上で簡単にコンテンツを確認できるシンプルプレビューツールを使ってアップロードした本の確認をしようとしました。

 「Kindle Fire」、「Kindle Fire HD8.9」「Kindle Fire HD」「Kindle PapereWhite」 ではどう見えるかが確認できます。

 ところが! 

 使っているIEバージョンではだめだと出たのです。前にはできたので、バージョン11に更新したせいでしょうか。

 バージョンを新しくするか(この場合は古いバージョンに戻す?)、他のおすすめブラウザの中のGoogle chromeで実行するか、プレビューツールをダウンロードするか(キンドル本の作成を始めたころにダウンロード済みで、本を登録する前の確認に利用しています)、のいずれかで表示を確認することができたのですが、ブラウザをGoogle chromeに換えて実行し、新しい版の登録を終えました。

 そのときのおすすめブラウザにあった中のFirefox は評判がよいようなので、試してみたくなりました。さらに、他のブラウザについて調べる中でOperaも試したくなりました。

 ちなみに、この記事はFirefoxで書き、記事を書くためのちょっとしたリサーチはOperaで行っています。

 どちらもグー! ホント、魅力的です。どう魅力的かを知るには、以下のサイトが参考になります。

 以下のサイトでも熱く語られています。「俺の愛するタブブラウザはこれだ」という投票コーナーもあります。

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2014年1月25日 (土)

『詩人の死』の表紙を作り直し、間違いを直しました

 当ブログで詩人と呼んだ女友達の命日が来月に入ってすぐなので、日記体純文学小説『詩人の死』の無料キャンペーンを行いたいと思っています。過去のキャンペーンで沢山ダウンロードしていただいたので、新しくダウンロードしていただけるかどうかはわかりませんが。

 間違いを直し(まだ見逃しているのがあるでしょうけれど)、奥付、「直塚万季のキンドル本/ASIN」という宣伝の頁を加えました。表紙も着せ替えしましたよ。色合いは試行錯誤中なので、変えるかもしれませんが。

 カトリシズムにトラウマのあった人なので、商用・非商用を問わず完全フリーで使える画像検索サイト「Pixabay」からステンドグラスの写真をお借りしました。

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2014年1月24日 (金)

『気まぐれに芥川賞作品を読む ①2007 - 2012』のタイトルが変わりそう

 昨年中にざっとまとめて出すはずだった『気まぐれに芥川賞作品を読む ①2007 - 2012』だが、延び延びになっている。ここで出しておかなければと思い、一太郎を開けた。

 わたしのエッセーは文学論であると同時に神秘主義論でもあることが多いばかりか、レシピや体調のこと、映画やニュースの感想といった日常的な話題からいつのまにかそれが文学論、神秘主義論になることも珍しくない。

 分類が難しいので、本のタイトルはシンプルに「Collected Essays Ⅰ」にするほうがいいかもしれないと思い出した。この本の場合は『Collected Essays Ⅰ』がタイトルで、副題が「気まぐれに芥川賞受賞作品を読む2007 - 2012&文学論」。

 そして、文学論の中に最近書いたばかりの以下のエッセーを加えたくなった。別の本を出してそれに加えるとなると、時間がかかり、収録し損なう心配があるので。このエッセーはわたしには大事なのだ。

 だが、この記事には参照記事があれこれあり、美術書から携帯で撮った画像をそのまま載せるわけにはいかないだろう。パブリックから借りてくるか、なしにするか。

 このエッセーをくわえるとなると、他の作品論、作家論も加えたくなる。この手のエッセーはかき集めれば結構あり、手を加えるべきところも多い。

 何より、現在、文学論として収録予定の作品には芥川賞や文学界の傾向に触れた箇所があるのに対して、「オーラ、そしてアントニオ・タブッキの神智学的世界観」や他のエッセーにはそうした箇所がほとんどない。それを思えば、最初に予定したエッセーで構成するほうがよい気がしてきた。

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 厳密に分類すれば、『村上春樹と近年のノーベル文学賞作家たち』がCollected Essays  Ⅰで、今回出そうとしているKindle本はCollected Essays Ⅱになるのだが。となると、『村上春樹と近年のノーベル文学賞作家たち』に「Collected Essays  Ⅰ」という副題をつけ、新しいKindle本に『気まぐれに芥川賞受賞作品を読む2007 - 2012&文学論』というタイトルをつけ、「Collected Essays  Ⅱ」という副題をつけるほうがいいかもしれない。

 ところで、河津さんから送っていただいた本の感想を忘れたわけではない。内容に理解できないところがあったので、考えていたのだ。

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2014年1月23日 (木)

初の歴史小説 (23)萬子媛が生きた時代 ①『鹿島市史年表』(迎昭典編)

 萬子媛が生きた時代、京都から嫁いだ先の肥前鹿島地方ではどんな出来事があったのか、迎昭典編『鹿島市史年表』から拾っておきたい。

 今日のところはタイトルだけにしておきます。

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初の歴史小説 (22)教養 ③思想界を二分した儒仏二道

 当時、清新の気に満ちていた黄檗禅。萬子媛はこの黄檗禅に帰依した。黄檗禅は西方浄土的かつ密教的であったという。開祖隠元の日本渡来は1654年、仏教界への影響は大きかった。ちなみに木魚は黄檗禅から広がったものだそうだ。

 萬子媛の義理の息子直條は、江戸時代を支えた思想である朱子学(江戸儒学)とは切り離せない林家の三代林鳳岡と親交があった。

 江戸時代には女性は文学には参加しなかったのだろうかとずっと不審に思っていたのだが、どうもそうではないらしい。

          

女性文学史の空白を埋める画期的著作。おすすめ!

『江戸女流文学の発見』(門玲子、藤原書店、新版2006年)では、平安女流文学の伝統的文体を身につけた上に中国の論語、中庸、文選、史記などから縦横に引用できるだけの教養を備えた『松陰日記』の著者、正親町[おおぎまち]町子について、一章が割かれている。町子は公家の娘である。

 萬子媛も公家の娘であり、教養に富み、義理の息子たちに影響を与えた――また逆に影響を受けた――とされる萬子媛も、そうした教養を身につけていた可能性が高い。

 萬子媛は37歳で結婚した。初婚だったか再婚だったかはわからない。

 長男、文丸は10歳で亡くなり、次男は21歳で亡くなった。次男の死が萬子媛を慟哭させ、出家を決意させた。萬子媛は夫ある身でありながら、62歳で出家した。80歳で断食入定。

 萬子媛の慟哭はわかるにしても、夫を置いての出家は特殊なことに思え、断食入定は壮絶に感じられた。黄檗禅に密教的要素があったことを考えると、断食入定もありえたことといえるのかもしれない。

 そして、前掲書『江戸女流文学の発見』には、了然尼[りょうねんに]という、これまた壮絶な歌人・尼僧が登場する。

「主要人物注」には了然尼について、「はじめ東福院に仕え、のち儒医松田晩翠に嫁いだ。夫に妾を置いて家を出た。美貌のため出家を拒まれたので、顔を焼いて出家をとげ、ふたつの寺の住職をつとめた。漢詩、和歌、書をよくした」とある。

 夫に妾を置いて出家というのは、あっぱれというべきか、夫を下半身のみの生き物と独断する絶望的解釈というべきか。ここでわたしはふと、萬子媛が男子(文丸)を出産した同じ寛文4年(1664年)に、側室もまた男子を出産したことを思い出した。

 了然尼が「美貌のため出家を拒まれた」というのはよくわからないが、その障害を乗り越えるために顔を焼いた――という行為には言葉をなくす。

 いずれにしても、その頃の女性の扱われ方の一端を見る思いがする。

 わたしは過去記事で、諸説ある江戸時代の区分法のうち、将軍で分ける以下の説をとりあえず採用してみたが、このことに関しては江戸時代の勉強後に再検討してみたい。

  • 前期 1603年 - 1709年
    江戸幕府初代将軍・家康から第5代将軍・綱吉まで。
  • 中期 1709年 - 1786年
    第6代将軍・家宣が将軍から第10代将軍・家治まで。
  • 後期 1787年 - 1867年
    第11代将軍・家斉から第15代将軍・慶喜まで。

 萬子媛は1625年に生まれ、1705年閏4月10日に没した。了然尼は1646年に生まれ、1711年に没しており、時代的には重なる。

 前掲の区分で見ると、二人が生きた時代は江戸前期に当たる。幕藩体制が確立し、江戸文化が開花しようとする頃である。

 3代将軍家光の時代まで武断政治が行われたが、家光が死去した年に由井正雪ら浪人による慶安事件が起きたのをきっかけとして、幕政方針は4代将軍家綱の時代から文治政治への転換をみた。

 了然尼と、『処女賦』、『深闇記』を著した井上通女[1660-1738年]の間に起きた論争について触れられた箇所は興味深いので、以下に引用させていただく。

朱子学を深く学んでいる通女にむかって、了然尼があなたは現世の学問ばかりに熱心であるが、来世のことは気になりませんか、彼岸の浄土に済度してもらう菩薩の舟を求めませんか、と詰問した。[略]了然尼の、人生の根本に触れるこの問いにたいして通女は、生きがいを持たない人はこの世を憂き世と思い、尼の乗る救いの舟を慕わしく思うのでしょう、私はこの世をいかに生きるかということで充実しています、という歌で正面から切り返したのであった。
 当時の思想界を二分する儒仏二道の、女性によるドラマチックな対決である。通女の思想が付焼刃ではなく、実践を重んじる朱子学の本道をいくものであったことをしめしている。

 ここを読んで、わたしは戦後日本人はある意味で先祖返りして江戸儒教の精神に生きているのかもしれないと思った。GHQの洗脳と資本主義とマルキシズムだけでは説明のつかない現世主義があると怪訝に思ってきたのだった。江戸時代は長かった。日本人の骨の髄まで染み込んだものがあるのかもしれない。

 萬子媛の義理の一人は黄檗宗の僧侶に、一人は大名になって江戸儒学の家系と親交を深めた。「当時の思想界を二分する儒仏二道」という言葉を形にしたような義理の息子たちの選択である。その義理の息子の兄の方は萬子媛が出家するにあたっての導師役を務め、弟の方はそんな萬子媛のことを「祐徳開山瑞顔大師行業記」に書き残したのだった。

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2014年1月21日 (火)

神智学に満ちているアントニオ・タブッキの世界 ①「ベアト・アンジェリコの翼あるもの」

 オーラが見え始めたのは大学生の頃からだった。

 わたしのいうオーラとは、H・P・ブラヴァツキー『神智学の鍵』(神智学ニッポン・ロッジ、竜王文庫、平成7年改版)の「用語解説」にある、「人間、動物、その他の体から発散される精妙で目に見えないエッセンスまたは流体」を意味する。「人間、動物、その他の体を取り巻く磁場」と説明されることもある。

 人間が不死の部分と死すべき部分からできているということを知らなければ、オーラが何であるのかを理解することはできないと思う。このことをもっと詳しく、人間が七つの構成要素からなるということをわたしはH・P・ブラヴァツキーの神智学の論文を通して教わった。

 すなわち、人間が不死の三つ組みと死すべき四つ組からなることを。七つの構成要素のそれぞれについて学ぶことはわたしには悦びだったが、一般の方々を相手にした当ブログでこれ以上のことを書くのは控えたい。

 わたしにとって、オーラの美しさに匹敵するものはこの世になく――否、汚れた、不穏で、不快な色彩に見えるオーラも見ないわけではないが――、オーラの美しさを連想させるものといえばオーロラくらいなので、ときどきしかオーラが見えないのはつまらないことに思っていた。

 最近までずっとそう思っていたので、神智学徒だった高齢の女性のオーラがありありと見えた20年も前のことを毎日のように回想し、あのように美しい光にいつも浴していられればどんなに幸福なことだろうと思っていた。

 しかし最近になって、オーラはたまに見えるくらいが丁度よいと思えるようになった。

 尤も、強く意識し目を懲らせば、オーラというものは低い層のものなら容易く見ることができる。

 物体の輪郭――例えば開いた手の輪郭に目を懲らしていると、指の輪郭を強調する、ぼんやりとした弱い光が、夕日の残照のように射して見える色彩やきらめきなどが見えてくる。さらに目を懲らしていると、光はいよいよ豊富に見え出す。

 だが、そんな風に意図的にオーラを見ようとする試みは疲労を誘うし、その水準のオーラを見ても、つまらないのである。自然に任せているのに、オーラが断片的に見えることはちょくちょくあるが、そのオーラがありありと見えることはわたしの場合はまれなのだ。

オーリックエッグと呼ばれるオーラの卵の状態は、その個人の高級我が自ら開示してくれる場合にのみ、その許された範囲内において、観察可能なのではないかとわたしは考えている。

 ただ、創作中は自身から放射される白い光に自ら心地よく浴していることが普通の状態で、創作が生き甲斐となっているのもそれが理由なのかもしれない。

 生者のオーラに関していえば、それが見えるとき、肉体から放射される光のように見えていて、肉体はその光が作り出す影のような見え方だ。観察する側の認知的感受性が高まれば高まるほど、その影は意識されなくなっていき、遂には光だけが意識されるようになる。

 わたしはいつもオーラを見ているわけではなく、その見え方もそのときによるので、死者が訪れ、近くに死者がいたときも[過去記事参照]、輪郭をなぞる点描のようなものとして見えた以外は、ほとんど何も見えなかった。いわゆる幽霊が見えたことは一度もないのだ。

 それなのに、存在は感じられた。そして、たまたま死者の訪問時に死者のオーラが見えたこともあったが、そのとき、おそらくわたしは生者のオーラを見るときと同じように死者のオーラを見ていたのだと思う。

 死者の肉体が存在しないせいか、光だけが見えた。

 たぶん、わたしの認知的感受性がこの方向へ日常的に高まれば、物体は圧倒的な光の中に縮んだ、おぼろな影のようにしか見えなくなるだろう。オーラは人間にも動物にも植物にも物にすらあるので、留まっている光や行き交っている光のみ意識するようになるに違いない。世界は光の遊技場のように映ずることと思う。

 そのとき、わたしはこの世にいながら、もうあの世の視点でこの世を見ることしかできなくなっているわけで、それはある意味で盲目に等しく、この世で生きて行くには不便極まりないに違いない。

 以下の断章は過去記事で紹介したもので、前掲の神智学徒だった高齢の女性のオーラを描写したものだ。

頭を、いくらか暗い趣のあるブルーが円形に包み込んでいた。その色合いはわたしには意外で、先生の苦悩ないしは欠点を連想させた。全身から、美麗な白色の光が力強く楕円形に放射されていて、その白い楕円の周りをなぞるように、金色のリボンが、まるで舞踏のステップを踏むように軽やかにとり巻いていた。金色の優美さ、シックさ、朗らかさ。あのような美しい白色も、生き生きとした金色も、肉眼で見える世界には決してない。

 そのときわたしはあの世の視点で他者のオーラを見ていたわけで、そのときのオーラは物質よりも遙かに存在感が勝っており、こういういい方は奇妙だが、光の方が物質よりも物質的に思えるほど重厚感があった。反面、女性の肉体は存在感のない影だった。

 圧倒的な白色を、まるで保護するように取り巻いていた金色のリボンは何かの役割を帯びた組織なのだろうが、その組織の性質が作り出す形状は装飾的といってもよいぐらいだった。

 ここで、わたしはフィレンツェの画僧フラ・アンジェリコの描く、あまりにも物質的な形状の天使の翼や後光を連想するのである。

 フラ・アンジェリコは天使のような修道僧という意味だという。本名グイード・ディ・ピエトロは15世紀前半のフィレンツェを代表する画家で、ベアト・アンジェリコ(福者アンジェリコ)、同時代人からはフラ・ジョヴァンニ・ダ・フィエーゾレとも呼ばれた。

 以下の画像は画集から無造作に携帯で撮った雑なもので、どんな形状のものであるかをざっと示すためだけにアップロードする。

「聖母戴冠」の一部。

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「最後の審判」の一部。

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「聖母戴冠」の天使たち。「最後の審判」の絵の中で、手をつないでいる天使たちと聖者たち。後光や天使の翼の装飾的なことといったら、笑止千万なほどだ。

 後光に注目すると、天使を前から見ても後ろから見ても後ろに張り付いている可笑しさ。頭を載せる黄金の皿のようだ。金色のシャンプーハットをつけているようにも見える。

 ムリーリョ「アランフエスの無原罪のお宿り」のマリアの頭部から放射されている光は後光としては自然な描き方で、オーラの見え始めには頭部から出ている光がこのように見え出す。

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 ただ、神智学徒だった高齢の女性のオーラがありありと見えたとき、体の周囲に卵形に拡がるオーラを縁取った金色のリボンが高級な工芸品のようにすら見えたことを思い出せば、わたしの視点が完全にあの世的な視点となったら、一種の逆転現象が起きて、光の世界こそ、物質的な様相を呈するかもしれない――などと思ったりもする。

 多くの宗教画家は天上的光を地上世界に投げかけるが、フラ・アンジェリコの工芸的な徹底ぶりは、彼が完全に天上の側に入り込んでしまっていることを意味しているのかもしれない。

 草花の描き方なども印象的で、存在感が際立っている。幻想性を帯びて見えるほどだ。装飾写本画家からスタートしたフラ・アンジェリコならではの描き方といえるのかもしれない。

『NHKフィレンツェ・ルネサンス 3 百花繚乱の画家たち』(佐々木英也監修、日本放送出版協会、1991年)によると、フラ・アンジェリコの真筆とされている僧坊壁画は「メリメ・タンゲレ(我に触れるな)」(第一僧坊)、「死せるキリストへの哀悼」(第二僧坊)「受胎告知」(第三僧坊)、「キリストの変容」(第六僧坊)、「嘲弄されるキリスト」(第七僧坊)、「聖母戴冠」(第九僧坊)、「キリストの神殿奉献」(第九僧坊)など6~7点で、他は彼の下絵に基づく助手や協力者の作品と見なされているという。

 前掲書の森田義之「天使の翼」というエッセーから、以下に一部引用させていただく。

キリスト教の教義では、天使は、三つの階級と九つの種類――(上級)熾天使、智天使、座天使、(中級)主天使、力天使、能天使、(下級)権天使、大天使、一般的な天使――に分けられるが、フラ・アンジェリコの絵画に登場するのは、「受胎告知」の主役の大天使ガブリエルか、一般的な天使たちがほとんどである。
[略]
 フラ・アンジェリコの美しい天使たちのイメージ・ソースはどこにあったのだろうか。
 ひとつは、イタリアの現実の子供たちの文字通り天使的な美しさである。

[略]
 もうひとつは、当時の宗教劇の華麗なコスチュームである。

[略]
 フラ・アンジェリコの天使たち――それは現実のフィレンツェの子供たちと、宗教劇の舞台的華麗さと、芸術的想像力が幸福に結びあって生み出された、永遠の美のイメージなのである。 

 船員時代に北欧に行った父は昔、一昨年オランダに出張した息子も、ヨーロッパの子供たちの天使のような美しさについては言葉を尽くして絶賛していた。

 以下のブログ記事で、フラ・アンジェリコの6枚の受胎告知を鑑賞させていただいた。

 ところで、図書館からアントニオ・タブッキの本を2冊、『供述によるとペレイラは……』(須賀敦子訳、白水社、1993年)と『ベアト・アンジェリコの翼あるもの』(古賀弘人訳、 青土社、1996年)を借りたのだが、ずいぶん以前のこととはいえ、『インド夜想曲』を読んだことがありながら、タブッキが神智学と関係があるということを忘れてしまっていた。

 タブッキと神智学協会の関係については何も知らないのだが、例えば「以下の文章は偽りである。以上の文章は真である。」という作品で「マドラスの神智学協会でお会いした日から三年が過ぎました」などと出てくるところからも、作風からも、関係がないはずはないので、そのことにも少し触れたいのだが、準備不足である。

 神智学とガブリエラ・ミストラルやカロッサとの関係についても書こうと思いながら、少し書いただけで放置している。

 放置状態にせよ、メモだけでも残しておけば、神智学と関係のあった人々がわかるから、そのうちまとめて何か書けるかもしれない。

『ベアト・アンジェリコの翼あるもの』の表題作で、タブッキはベアト・アンジェリコ、すなわちフラ・アンジェリコを登場させている。

 ここでの主題は、天使のような――と形容されるフラ・アンジェリコがどのような霊感をどのように受けて天使を描いたかということであろう。

 その結論が、サン・マルコ修道院の野菜畑に墜ちてきた三羽の翼あるものということになるのだろう。

 この作品は自然美とフラ・アンジェリコの純朴さを描いた逸品であろうが、どうだろう、キリスト教的主題として読むと、ひどく違和感を覚えるのはわたしだけだろうか?

 少なくとも、キリスト教的とはいえないのではあるまいか。ここに描かれたフラ・アンジェリコの世界は異教的であるに留まらず、解釈次第では冒涜的とすら感じさせる甚だ挑戦的な側面もあるということになるのかもしれない。

 ここで、わたしは過去記事で紹介し、当記事の上の方で触れた人間の七つの構成要素について改めて紹介しておかないと、話が進まなくなってしまった。

 H・P・ブラブゥツキー著『実践的オカルティズム』(田中恵美子、ジェフ・クラーク訳、竜王文庫、1995年)の用語解説より、その七本質を紹介しておく。

神智学の教えによると、人間を含めて宇宙のあらゆる生命、また宇宙そのものも〈七本質〉という七つの要素からなっている。人間の七本質は、(1)アストラル体(2)プラーナ(3)カーマ(4)低級マナス(5)高級マナス(6)ブッディ(7)オーリック・エッグ

 アストラル体はサンスクリット語でいうリンガ・シャリーラで、肉体は本質というよりは媒体であり、アストラル体の濃密な面にすぎないといわれる。カーマ、マナス、ブッディはサンスクリット語で、それぞれ、動物魂、心、霊的魂の意。ブッディは高級自我ともいわれ、人間の輪廻する本質を指す。ブッディは全く非物質な本質で、サンスクリット語でマハットと呼ばれる神聖な観念構成(普遍的知性魂)の媒体といわれる。

 ブッディはマナスと結びつかなければ、人間の本質として働くことができない。マナスはブッディと合一すると神聖な意識となる。高級マナスはブッディにつながっており、低級マナスは動物魂即ち欲望につながっている。低級マナスには、意志などの高級マナスのあらゆる属性が与えられておりながら、カーマに惹かれる下向きのエネルギーも持っているので、人間の課題は、低級マナスの下向きになりやすいエネルギーを上向きの清浄なエネルギーに置き換えることだといえる。

 人間は、高級マナスを通してはじめて認識に達するといわれている。

 神智学では、真の霊感は完全に清められた心を通して高級自我からやってくるのである。画僧フラ・アンジェリコが受けた宗教的、芸術的霊感にせよ、「受胎告知」という形式をとったマリアが受けた霊感にせよ、それが本当の意味の霊感であれば、同じ過程をとるはずである。以下の過去記事を参照されたい(ライン以下に転載)。

 また、神智学徒は妖精好きで知られることがあるが、それは神智学徒には万物が内に秘めている生命は同じ根源から来たすばらしいものだという認識があるためで、動物も植物も鉱物も、そして神智学徒には知られているエレメンタル(地・水・火・風という四つの自然界または四大元素の中で進化したもの)のうちのいわゆる妖精のような存在も皆、兄弟姉妹と感じられるからなのだ。

 神智学徒は「神は鉱物にて眠り、植物にて夢見、動物にて目覚め、人間にておのが姿を現さんとす」という昔の諺を愛する。

 タブッキの『ベアト・アンジェリコの翼あるもの』に出てくる三羽の翼あるものはどう読んでも天使ではなく、妖精で、画僧フラ・アンジェリコはその三羽の妖精たちから着想を得て絵画制作したという、キリスト教小説からはほど遠いファンタジーになっている。

 三羽の妖精たちはいずれも弱く、可憐で、フラ・アンジェリコの思いを映し出したりもする。妖精の一羽がネリーナという画僧の思い出にある女の子の顔立ちをしているのは、そのためだ。

 この小説はキリスト教的世界観によってではなく、神智学的(神秘主義的)世界観によって描かれているようにわたしには思われる。

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2014年1月20日 (月)

児童小説『すみれ色の帽子』をお買い上げいただき、ありがとうございます!

児童小説『すみれ色の帽子』をお買い上げいただき、ありがとうございます!

瞳がよろこんで、紘平と翔太に「わたしの本が売れたわよ」と話している様子が浮かんできます。12日ごろ、お買い上げいただいたようです。

この3人が登場する『不思議な接着剤』は冒険に入る前の150枚くらいで中断したきりなのですが、放置しているわけではなく、時々Notes:不思議な接着剤にメモを加えながら、水面下では物語が成長を続けています。初の歴史小説のあとで執筆を再開することになります。

『すみれ色の帽子』を有料でお買い上げいただいたのは2冊目、Kindleオーナー ライブラリーでお借りいただいたのは1冊、キャンペーンでダウンロードしていただいたのは232冊です。

サンプルをダウンロードできます。
         ↓

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 図書館からアントニオ・タブッキの本を2冊借りてきたのですが、ずいぶん前に『インド夜想曲』を読んだことがありながら、タブッキが神智学と関係があるということ、すっかり忘れていました。

 タブッキと神智学協会の関係については何も知らないのですが、作品からも作風からも関係がないはずはないので、そのことにも少し触れたいのですが、準備不足です。神智学とガブリエラ・ミストラルやカロッサとの関係についても書こうと思いながら、少し書いただけで放置状態。

 放置状態にせよ、メモだけでも残しておけば、神智学と関係のあった人々がわかりますから、そのうちまとめて何か書けるかもしれません。

 上記メモの部分を次の記事に移しておきたいのですが、その記事ではオーラについて少し書いています。まだ下書きの途中です。

 オーラについては、これまで書いてきたことがあまりに断片的にすぎました。

『ベアト・アンジェリコの翼あるもの』の中の表題作を読んでいるうちに、考えを拡げてオーラのことを考えていたのです。それで今日一日潰れてしまいました。ほとんど瞑想状態でした。幸福な一日でした。

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2014年1月19日 (日)

詩人と呼んだ女友達の命日が近づいたこのときに書く、死者たちに関する断章

 わたしが詩人と呼んでいた女友達は、2012年2月1日の夜から2日午前中までの間のどこかで事切れた。起床が遅いので、ご家族が部屋に行ったところ、もう亡くなっていたそうだ。優しい、穏やかな死に顔だったとのことだった。

 彼女から最後に電話のあったのが1日だった。わたしたちは普通の会話をした。彼女があの世に赴いてからまる2年になろうとしている。その間、彼女について何か感じたことは一度もない。

 過去記事で書いたことの繰り返しになるが、あの世に旅立つ前の死者ということに限定すれば、わたしはこれまでに4人の訪問を受けた。そこには訪問としか表現しようのない形式があった。

 2人は絵に描いたような知識人で、1人の知識人は神智学徒だった。別れの挨拶をするためにわたしを訪れた。もう1人の知識人はキリスト者だったが、ある確認のために秘密裡のつもりで――わたしにばれているとは気づかず――わたしを訪問した。わたしを、というより部屋の本棚を訪問したというほうが正確かもしれない。

 神智学徒の別れの挨拶は初七日の間、間歇的に繰り返され、その内容は高級感を伴った親愛の繊細な表現と迫り来る本当の別れを意識した叱咤激励や焦燥の念が混じったものだった。

 キリスト者のことは『昼下がりのカタルシス』のモデルにしたが、まああれはフィクションである。受けた恩恵は大きく、シビアな齟齬は小さかったのだが、小説ではあるテーマを追究するために、その割合を逆転させてみた。

 別の1人は教育関係に生涯を捧げた人で、この人が4人の中では最も死んで自由の身になったことに歓喜していた。彼の葬儀で、仏教の敬虔な信者だったと知ったが、今時の仏教の信者というだけで、あれほど死んですぐに死んだ状況に慣れ、わたしのことを死者とも普通にわかり合えると疑わず、その後、夢に適切な現れ方をしては示唆的な表現をとる――といった霊的熟練者になれるものなのだろうか。

 彼は葬儀場でわたしを見つけ、帰宅するわたしについてきた。日田市を訪問してみたかったのだろう。わたしが日田市に住んでいたときに、彼は亡くなったのだった。シャガールの絵のようにわたしの上を漂ったりして、ついて来た。地面がトランポリンの役目でもするのか、唐突に浮き上がって、大木の梢あたりから楽しげな笑い声を響かせたりもした。姿が見えるわけではないが、動きはわかるのだ。

 音声を使ったこの世のコミュニケーションとは異なり、死んだ人とのコミュニケーションは、互いの思い(言葉)を一時的に共有し合うような形式で行われる。相手のことを知るためには互いの光(オーラ)を読む。わたしには、たまたま読む機会が与えられた――といった形をとることがほとんどだ。

 死んだばかりで、彼はまだこの世に対する関心も旺盛だった。日田市の人口を訊いてきたのである!

 萬子媛をモデルにした初の歴史小説を書こうと思い立った頃、彼の夢を見た。夢の舞台は講堂で、黒い垂れ幕のある入り口付近に、燕尾服姿の彼は連れの男性と立っていた。わたしを待っていてくれたようで、とても深みのある瞳でわたしを見つめた。だが、すぐに連れの男性と来賓席へ行ってしまった。

 わたしは萬子媛に関する取材を初めてすぐに壁にぶち当たったのだが、幸運にも優秀な郷土史家から沢山の資料を提供していただくことができた。郷土史家と彼が生前知り合いだった可能性は充分にある。

 あの夢は、そのことを知らせるものだったのかもしれない。そういえば、彼が亡くなってしばらくして見た夢があった。わたしは登山に近いことをして難所を乗り越え、苦労して彼をあの世に訪ねたという夢のストーリーだった。

 夢の中で彼は、萬子媛が創建された神社の近くに引っ越してきていた。仏教徒だったのに、なぜ神社の近くに住んでいるのだろう、と目覚めてから不思議に思ったのだが、萬子媛が筋金入りの仏教徒だったと知った今、謎が解けた思いだ。

 そのとき、彼は夢の中で「もう少し身長を高くしたほうがいいかな? 君も知っているように、ここでは皆、自分が好きなように外観を変えることができるんだよ」といった。

 この3人は、神智学徒、キリスト者、仏教徒で、今も彼らはわたしの夢で印象的な姿を見せたり、意味ありげなことをしたりする。彼らが生きていたとき以上に活発な交流があるといったら変かもしれないが、わたしの妄想にせよ、その妄想は生き生きとしていて発展性があるのだ。

 夢は、この世における内的、外的な出来事ばかりか、あの世における出来事をも、時系列を無視してごっちゃに映し出す、性能のよくないテレビ画面のようなものなのだ。

 この世とあの世の空間は重なり合っており、わたしたちは意識していないが、この世で生きているのと同時にあの世でもそれにふさわしい媒体を使って生きているのだ。わたしたちは宇宙と同じように七重構造になっている。

 死者としてわたしをというより、わが家を訪れた残る1人は夫の叔父さんだった。この人も葬儀場から、夫について来たのだった。優しい、面白い人だったが、死んだことに納得していない様子で、死んだ実感がないのか、生きた人と同じもてなしを受けられないことに怒っていた。

 そして、ぷいっと出て行ってそれきりだった。死者はアポイントをとって現れるわけではないので(死後の知識がないままに死んだ人の行動は特に性急である)、こちらとしても失礼をしてしまうのは致し方ない。

 詩人と呼んだ女友達が亡くなってからのまる2年というもの、わたしたちの間には完全な静寂がある。距離、あるいは空白という言葉に置き換えてもいいかもしれない。

 わたしたちは別々の世界に生きていて、干渉し合わない。たぶん、わたしが想像していたよりずっと、彼女は生前、この世だけに生きていたのだろう。そして今ではあの世だけに生きているのだと思われる。

 あの哲学色の強い、芸術の香気を放つ詩からは信じがたいことではあるが、彼女は徹底した唯物論者だった可能性がある。だから、わたしは彼女に神秘主義的な話をする気になれなかったのだろう。

 そのことと彼女の精神疾患がどう関係し合っていたのか、わたしにはわからない。

 統合失調症は降って湧いた災難のように彼女を襲い、制限をもたらしたのか、それとも彼女自身の思想が病気を招いて制限を作り出す結果となってしまったのかは知りようがないが、その制限の中で彼女は驚くべき忍耐と輝きを見せたのだった。

 苦行僧のような生き方は美しかったが、この世のくびきから逃れ、今の彼女はあの世で平安に過ごしているのではないかと想像している。一般の人々はそのようであると思う。

 彼女の詩はここにある。彼女がこのことを知ったとき、わたしが彼女の子供たちを拉致しているように感じるのか、保護しているように感じるのか、別の感じ方をするのかは全くわからない。

 作品ができるとすぐに送ってくれ、元原稿は棄ててしまっていた生前の彼女の癖を考えれば、一応はわたしを信頼して作品の管理をゆだねてくれたと解釈しているのだが……。

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2014年1月18日 (土)

「穴」で第150回芥川賞を受賞した小山田浩子の「工場」を試し読み

が 第150回芥川賞に小山田浩子(30)の「穴」、直木賞に朝井まかて(54)の「恋歌(れんか)」(講談社)と姫野カオルコ(55)の「昭和の犬」(幻冬舎)が決まったという。

 芥川賞には食指が動かなくなったとはいえ、どんな作品を書く人が芥川賞をとったのだろう……と少しは気になる。

 Kindle版で出ている本があれば、冒頭部分の試し読みができる。『工場』がKindle版で出ていた。

『工場』には、「工場」「ディスカス忌」「いこぼれのむし」の三編が収録されている。単行本で1,890円、Kindle版で1,440円。

 30字×11行に設定したKindle Paper whiteで29頁、「工場」という作品を読むことができた。

 小山田浩子「工場」についてアマゾンで見た内容紹介には、「何を作っているのかわからない、巨大な工場。敷地には謎の動物たちが棲んでいる――。不可思議な工場での日々を三人の従業員の視点から語る新潮新人賞受賞作」とあった。

 シュールな作風はわたし好みだ。最近読んだタブッキの『夢のなかの夢』はよかった。それに、わたしはかなりの動物好き。期待すると幻滅することが多いので、期待するまいと思う(つまり既にこの時点で期待してしまっていた)。

 何回幻滅させられても、つい期待に胸を弾ませて試し読みに入ってしまう。そして、結果的に本を購入することなく終わり、当ブログに芥川賞というカテゴリーまで作っておきながら、最近はちゃんとした感想を書くことなく終わっている。

 今回も、そうなりそう。というのも、文章の野暮ったさから29頁読むのに精根尽きたのだ。この先、どんな動物が出てこようが、その動物たちがどんな理由で工場の敷地内に棲んでいようが、どうでもよくなってしまった。

「工場」の冒頭の一行はこんな風。

工場は灰色で、地下室のドアを開けると鳥の匂いがした。

「工場は灰色」といわれても、外観がそうなのか、工場の内装がそうなのか、あるいは工場内部に灰色の煙でも立ち籠めているとか、もしかしたら雰囲気がそうなのかもしれない。地下室のドアを開けるには、地上から地下に下りて行かなければならない。

 語り手が「工場は灰色」というからにはどの時点かでそう感じたわけだが、いつそう感じたかの手がかりも読者には与えられないため、工場がどう灰色なのかの情報に不足したわたしのようなせっかちな読者は早くも苛々してくるわけなのだ。

 もし、「目の前に聳え立つ工場は灰色だった」とあると、工場が外から眺められていることがわかるのだが。

 語り手が工場を灰色と感じたときの位置関係、時刻、天候、あるいは照明の具合など、読者には何もわからない。地下室へ、どんな手段を使って下りて行ったのかもわからない。エレベーターなのか、階段なのか、あるいはエスカレーターなのか。

 ともかく、語り手が地下に移動したことは間違いないようだ。そして、「地下室のドアを開けると」とあるが、先を読むと、このドアは地下にあるフロアの入り口のドアのことらしい。そのフロアの一部をパーテイションで区切った応接室で、語り手は面接を受ける。

 が、「地下室のフロア」とも書かれている。建築用語辞典に「地下室とは天井の高さの3分の1以上が地下に入っている部屋をいう」とある。作者のいうフロアとは、床のことではなく、階のことだろう。「地下室のフロアがうるさい」と続くので。地下にある部屋の階といわれると、何となく混乱する。

 最初の一行に戻ると、この地下のフロアのドアを開けたときに鳥の匂いがしたということになる。

 最初の一行を読んだ時点ではわたしは、語り手が地下室のドアを開けたとき、その狭い地下室に充満していた鳥の匂いが鼻についたのだろうと想像した。しかし、作者は地下のフロア全体を指して「地下室」といっているようだから、ちょっと混乱する。

 何にしても、工場が灰色というのは、外観、内装、内部の空間、雰囲気のうちのどれのことなのかという疑問を残したまま先を読んだ。

 語り手の名前は牛山佳子。彼女が就活の面接で工場を訪れたこと、工場が莫大で広大だということ、工場が町で重きをなす存在だということ、正社員の募集に応じたはずの佳子だったが、契約社員として雇われることになったということ――がわかるけれど、最初にわたしが感じた疑問及びその疑問から与えられたストレスは解消されないまま、小説は次の段階に入ってしまう。

 新入社員の研修の話に移るのだ。後で気づいたが、ここからの語り手は牛山佳子から新入社員の古笛という男性へバトンタッチしている。

 古笛は、研修と親睦を兼ねた工場周回ウォークラリーに参加するが、その場面でも工場のどこがどう灰色なのかははっきりしない。グレーの社用車は出てくるけれど。

 賞狙いの本などにはよく、最初の一行が大事とある。情報不足の痩せたあの一行がなぜか、新潮新人賞の下読みの心をくすぐったというわけだ。

 しかし、下読みの好みがどうであれ、作者に描写力がないと、読者は作者の作り出した世界をうまく共有することができない。小説がプツン、プツン、と切れるように感じられる。

 まだ冒頭部分で大した話が展開しているわけでもないのに、何度も戻ったり、先に行ったりして内容を確かめざるをえないのは、描写力がないからであろうが、その描写力のなさは作品が行き当たりばったりであるところからも来ている印象である。

 案の定、以下の All Aboutの記事にわたしの印象を裏付けするような作者の言葉があった。

たまった断片の中から選んだものをつなげてできあがったのが「工場」なんです。
時系列が前後したり、話者が変わるときに出来事が分断したりするところをテクニックがあるというふうに好意的に書いてくださった方もいたんですけど、本当に申し訳なくて胃が痛くなりました。実はもともと断片だった文章をつないだら自然とそうなっただけで、意図してないんですよ。

 作者は織田作之助賞を受賞している。わたしにはとれなかった。最終まで2度行ったけれど。尤も、今の織田作之助賞は、その頃の織田作之助賞とは違うようである。作品「工場」に対してではなく、単行本『工場』に与えられた賞らしい。ウィキペディアには以下のようにあった。

 2010年、「工場」(「新潮」2010年11月号)で第42回新潮新人賞受賞。小説家デビュー。2013年、単行本『工場』(新潮社)で第26回三島由紀夫賞候補、第30回織田作之助賞受賞。[小山田浩子:Wikipedia

 作者は編集プロダクション、大手自動車メーカー子会社、眼鏡販売店勤務など職場を転々したそうだ。

 受賞歴を見ると、わたしなんかとは別格の人とわかったが、自動車メーカーの子会社に勤めていたのであれば、設計がどれほど大事かがわかっていてもよさそうなものではないか。断片をつなげて書く書き方で、どの程度の作品ができるのかがわからないのだろうか。

 アマ、プロを問わず、最近はこのような書き方をする物書きが増えている。そのような書き方は、設計図もなしに自動車を組み立てたり、家を建てたりするのに等しい。

 適当に組み立てられた車は、うまく走ったところで村上春樹ブランドの車のように、訳のわからない世界へと暴走してしまったり、エンコしてしまったりするだろう。家であれば、運よく住めたところで、雨風、地震には耐えられまい。

 作者はうちの子供たちと同じ年齢域にある人のようで、就活の場面には思い当たるものがあった。そうした部分が若い人の共感を誘ったり、興味を惹くということはあるだろう。そう思い、娘に読ませてみたところ、文章が読みづらいといってすぐに放り出してしまった。

 緑色で引用した作者の文章を、青色で書き換えてみた。

新入社員の研修と親睦を兼ねた工場周回ウォークラリーの一団は、あちこちに立ち寄りながら、初日の夕方近くになって、工場の南側、海へせり出した地区に差しかかり、北地区と南地区を分かつ大きな河にかかる巨大な橋を渡っていた。橋は片側二車線の道路と、幅五メートルを優に超える歩道が往復ついていて、一団が橋を渡り始めてから渡り終わるまでの間にバスが五台、首をたたんだキリンのような形のシャベルカーを載せたトラックが三台、それから乗用車が数十台追い越して行った。
   

新入社員の研修と親睦を兼ねた工場周回ウォークラリーの一団は、初日の夕方近くには、南地区の海へせり出した所にいた。そこから北地区へ行くために、大きな河にかかる巨大な橋を渡った。橋は四車線、両側についている歩道の幅は優に五メートルを超えた。一団が橋を渡る間にバスが三台、キリンのように見えるシャベルカーを載せたトラックが三台、さらに乗用車が数十台通った。

 研修と親睦のために集められた一団が工場の「あちこちに立ち寄りながら」であることはわかりきったことなので、不要。作者の文章では、海へせり出した地区=橋、と読めるが、先を読むと、せり出した地区へ到達した一団がその後、橋を渡ったようである。

 車線の数え方は、往復(両側)の合計で数えることになっているので(道路構造令第5条第2項、第3項など)、ここでは四車線と書けばいいと思う。わたしの読解不足があるのかもしれないが、こう書き換えたくなるほど、作者の文章はわたしには読みづらい。

 古笛を工場に推薦した教授が出てくるのはいいが、この教授の食事の仕方が奇怪で、面白がる以前に疲労困憊してしまった。

ざばざばと音を立てて茄子レバーと米飯を口に入れて、呑みこみながら教授は立ち上がり、メンチカツに添えてあるキャベツの千切りの上にドレッシングをかけに行った」とあると、まるで教授が噛まずに食物を呑み込んだみたいだ。かき込んだくらいのことを大袈裟に書いているのだろう。

梅干しを口に入れ、果肉を吸い取ってから奥歯で種を噛み砕いて天神を取り出し、殻を皿の上に吐いた」というのも、特殊な食べ方に思えてしまうが、よく読むと、梅干しの種の中にある天神を食べるのはそう珍しい食べ方とはいえない。

 しかし、果肉を吸い取るとあると、まるで梅干しがホオズキか何かのようだ。梅干しの皮を残して果肉を吸い取るには、芸が要ろう。種を砕くには普通は奥歯で行うだろうから、ここには問題はない。殻を出すのも普通のことだ。はて、梅干しの皮はどうなったのかしらん。

 しかも、この教授は確か、梅干しを七つも取っていたはずだ。七つの梅干しをこんな器用な食べ方で、天神まで食べたのだろうか。七つの梅干しの皮がどうなったのかまで、作者はレポートすべきである(?)。「教授は梅干しを、天神まで食べたりした」ぐらいの表現で済むところを、作者はここでも大袈裟に書いたのだ(もちろん、教授は皮も果肉と一緒に食べたのだ)。

 どうでもいいところで疲れさせられると、肝心のシュールな場面で鈍感になってしまいそうだ。試し読みの部分では、そのシュールな場面にはお目にかかれなかった。

 シュールな作風には、洗練された、すっと頭に入ってくる文章が要求されよう。全体にスタイリッシュでなくては、シュールな印象を読者に与えることはできない。

「工場」を読むことに挫折したわたしには、芥川賞を受賞した「穴」も読めそうにない。

 わたしが感想を書き始めた2007年頃から、芥川賞受賞作品にはシュールな効果を狙っているように感じさせられるものが多いが、文章を含めて小説を書くのに必要な技術が習得されていず、作品を成立させるための核(哲学)がなく、骨格(構成)も充分でないため、そのほとんどが空想小説というより妄想小説、独り遊び小説に終わっているように思う。

 以下の電子書籍を早く出してしまいたいと思いつつ……

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2014年1月16日 (木)

図書館から借りた10冊

書名:江戸女流文学の発見 
副書名:光ある身こそくるしき思ひなれ
著者名:門玲子/著 
出版社:藤原書店 
出版年月:1998.3

書名:林羅山(ミネルヴァ日本評伝選) 
副書名:書を読みて未だ倦まず
著者名:鈴木健一/著 
出版社:ミネルヴァ書房   
出版年月:2012.11

書名:日本思想大系 28 
各巻書名:藤原惺窩・林羅山
出版社:岩波書店   
出版年月:1975.9

書名:日本の近世と老荘思想 
副書名:林羅山の思想をめぐって
著者名:大野出/著 
出版社:ぺりかん社 
出版年月:1997.2

書名:入門朱子学と陽明学(ちくま新書) 
著者名:小倉紀蔵/著 
出版社:筑摩書房 
出版年月:2012.12

書名:黄檗宗の歴史・人物・文化 
著者名:木村得玄/著 
出版社:春秋社 
出版年月:2005.9

ここまでは初の歴史小説のための資料として借りた。
『黄檗宗の歴史・人物・文化』は2回目。この返却後も何回か借りることになりそうなので、いっそ購入できればと思い、アマゾンで検索したら、中古しかない。5,000円の価格が中古では「¥19,744より」とあり、びっくり。仕方がない。何度か借りることになるだろう。
当時、清新の気に満ちていた黄檗宗(念仏禅)。萬子媛はこの黄檗宗に帰依した。また萬子媛の義理の息子、直條は江戸時代を支えた思想、朱子学と切り離せない林家の三代、林鳳岡と親交があった。
江戸時代には女性は文学には参加しなかったのだろうかとずっと不審に思っていたのだが、どうもそうではないらしい。『江戸女流文学の発見』には、平安女流文学の伝統的文体を身につけた上に中国の論語、中庸、文選、史記などから縦横に引用できるだけの教養を備えた『松陰日記』の著者、正親町[おおぎまち]町子について、一章が割かれている。教養に富み、義理の息子たちに影響を与えた――また逆に影響を受けた――とされる萬子媛も、そうした教養を身につけていた可能性が高い。

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書名:供述によるとペレイラは……(白水Uブックス) 
著者名:アントニオ・タブッキ/著  須賀 敦子/訳   
出版社:白水社   
出版年月:2000.8

書名:ベアト・アンジェリコの翼あるもの  
著者名:アントニオ・タブッキ/著   古賀 弘人/訳   
出版社:青土社
出版年月:1996.12

タブッキは好きな作家だが、時間がとれず、ぽちぽちしか読めない。返却日までに読む時間がとれるかどうかはわからないが、借りてしまった。
 
書名:靖国論集 
副書名:日本の鎮魂の伝統のために
著者名:江藤 淳/編   小堀 桂一郎/編   
出版社:近代出版社 
出版年月:2004.7

靖国神社参拝が中韓の非難を浴びているが、靖国神社がどんなものなのかさえ、わたしは知らないので借りた。
以前、文藝春秋『文學界』を定期購読していたころ、よく江藤淳の連載を見かけた気がする。当時は興味がなく、スルーしてしまっていたのだが、今頃になってそれらがわが国の存在意義ともいうべきテーマに迫る作品だったことを知った。
九州芸術祭文学賞や織田作之助賞の最終選考に残って出かけた授賞式のあとのパーティーで、当時『文學界』の編集長だった細井さんが江藤淳の話をなさったような気がしている。三島由紀夫の話も。今であれば、江藤淳の話題には目を輝かせただろうに。

 
書名:妻と私  
著者名:江藤淳/著 
出版社:文芸春秋   
出版年月:1999.7

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2014年1月15日 (水)

結石はまだ旅行中。韓国「慰安婦を記憶遺産に」。東京都知事選。

 石、まだ出ていかない。

 痛み疲れでちょくちょく寝てしまう。そうすると、石が移動したのか、下腹と背中をツーと一緒に切るみたいな痛みが起きた。

 起き上がると、左下腹から腰にかけて痛くなった。ギリギリと痛い。

 前に結石の発作が起きたときに、体を動かせないほどのときがあったが、それほどではない。それでも、鋭い、響くような痛みは活動を鈍らせ、時間の無駄遣い。

 この記事を書きながら同じ画面に表示されたココログの「注目のニュース(速報)」を見ると、「韓国『慰安婦を記憶遺産に』」というタイトルが目に入った。[追記:この記事を書き始めた15時ごろは表示されていたが、現在19時11分には更新されていて消えていた。石はおとなしくなった。]

 韓国も相変わらずだが、感想を書こうとしてまだ書けていない河津さんのご著書の一編で韓国旅行の場面が出てきて、「キーセン・パーティー」というのが出てきた。わからない人はググってみてください。

 要するに、戦時中もそういうことだったのではないだろうか。石川達三の小説に書かれていたことと一致する[拙過去記事参照]。売春を斡旋する韓国人がいて成り立つ商売なのだ。外貨を稼ぐために、韓国政府がキーセン・パーティーを奨励していた過去があったともいう。

 それに乗る日本人も日本人だと思うが、男の下半身の締まり加減は人それぞれなのか、民族単位の傾向があるのか、女であるわたしには想像もつかない。

 ただ韓国もここまで来ると、もはやただの気違いとしか思えない。

 バリバリの軍国主義国家でありながら、自ら侵略行為や徴発行動を起こしながら、日本に対して「右傾化」だの「軍国主義」だのと騒ぐ中国しかり。狂っている。それに追従するわが国の大部分のマスコミしかり。これが一番狂っている。

 そうしたところへ、東京都知事選。一人を除けば、他国に日本を売り渡しそうな面々ばかり。それにしても、自民はなぜ桝添氏などを。そして、細川氏の登場には驚いたが、小泉元首相が応援団長ですって? 疫病神がここへきて登場。

 この男が再登場するなど、日本もいよいよ終わりだろうか?

 東京都知事選は東京都民だけの問題ではない。

 小泉純一郎、鳩山由紀夫、菅 直人は同じ思考回路の持ち主にわたしには思える。国会の質疑応答のときに、質問の意味がわかっていないとしか思えないずれた回答をし、質問とは無関係の自説を繰り返すところなんか、そっくりだった。

 小泉郵政選挙のときに神秘主義者のわたしの目に映った革命を暗示する空間の赤い点のこと、忘れられない[拙過去記事参照]。郵政改革が日本人のどんなためになったのか、わたしにはさっぱりわからない。

 さすがは西田氏、まともなことをいっている。

西田昌司 「細川元首相が都知事などあり得ない」
https://www.youtube.com/watch?v=FjPYB6jhJbY&feature=player_detailpage

 ところで、郵政改革についてもう一度調べてみようと思い、検索したところ、以下のような記事が出てきた。うーん、これにはびっくり(ライン以下に転載させていただきました)。

 また、最近人気のKAZUYA Channel。動画があまりによくできているので、自民党のプロパガンダの一環として制作されている動画なのだろうと思ってしまったが、視聴していると、自民党に批判的なことも率直に述べられたりするので、違うのかもしれない。政治解説が毎回わかりやすく短くまとめられていて、人気が出るのもなるほどという感じ。

 以下は当ブログにおける関連記事。

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続きを読む "結石はまだ旅行中。韓国「慰安婦を記憶遺産に」。東京都知事選。"

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『すみれ色の帽子』をお借りいただき、ありがとうございます!

児童小説『すみれ色の帽子』をお買い上げいただき、ありがとうございます!

1月6日ごろ、Kindleオーナー ライブラリーでお借りいただいたようです。

『すみれ色の帽子』をお借りいただいたのは初めてでした。Kindleオーナー ライブラリーというと、図書館のイメージがわきます。沢山の本の中から選んでいただいたと思うと、ありがたく、また楽しい気分になります。

サンプルをダウンロードできます。
         ↓

ちなみに、Kindleオーナー ライブラリーでお借りいただいたのは他に『田中さんちにやってきたペガサス』が3冊、『昼下がりのカタルシス』が1冊です。

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ウロカルン錠をやめたら、すぐに石が復活

 ウロカルン錠は尿管結石の発作が起きたときに飲めばいいという考えと、日ごろから予防のために飲んでいたほうがよいという考えがあるようで、わたしはどちらがいいのか迷っていた。

 循環器クリニックでこの方面の薬を出して貰っているのだが、循環器クリニックの先生はどちらかというとずっと飲んでみては、というお考え。でも、基本的にわたしの希望でどちらでもよいという感じだ。内科のU先生は発作のときだけでよいのでは、とおっしゃった。薬剤師さんのお考えもバラバラ。

 で、わたしは過日の循環器クリニックの受診時に、発作のとき用に1週間分出して貰った。

 前に出して貰った分があったので、用心のためにずっと飲んでいたのだが、ここ三日ほどやめていた。すると、昨夜23時ごろ、左下腹にチクチクする鋭い痛みが起きた。しまった、結石に違いないと思った。ウロカルン錠を2錠、慌てて飲んだものの……。

 ちょっと油断したら、育った石が旅に出たらしく、わたしの左下腹辺りで派手に遊んでいるみたいだ。そこがまるで採掘場になったようなイメージがわく。尖った痛みが続くとき、あまりの痛みに目の前に☆が散る感じ。それでずっと眠れなかった。

 痛み止めは前に貰った座薬があるけれど、わたしは痛み止めを使うと目眩がしたり吐き気がしたりするので、使いたくない。仕方なく耐える。痛みと痛みの間は何ともないので、ちょっとしたことならその間にできる。何かホントウに陣痛みたい。

 痛みに耐えた挙げ句に生まれるのが石なんて、アホらしいわ。

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2014年1月14日 (火)

クシャミが残されていた留守電

 雑用に追われ、予定が狂ってしまって慌てています。

 初の歴史小説に本格的に入る前に、送っていただいた河津さんのご著書から代表作『富貴寺悲愁』の感想は書いておきたいし(弦書房から出ていましたが、近々別の出版社から新装文庫化されるとのこと)、わたしの『気まぐれに芥川賞作品を読む ①2007 - 2012』を早く電子書籍化しておきたいのです。

 河津さんのご本は、届いた日にすぐ拝読し、次の日くらいに感想の下書きをしているのですが――。電子書籍化予定の『気まぐれに……』もあと少しでありながら一太郎を開くことすらできていない始末。

 そんなときに、昨夜留守電に入っていた可愛らしいクシャミ。

 残された電話番号から住所禄を調べてみて、母の昔からの女友達だったとわかりました。年賀状が来なかったので、心配していたのでした。

 留守電が入っていた時間帯にこちらからお電話しようと思っていたところへ、ご当人からお電話がありました。

 彼女は長く独身生活を続けていらっしゃいましたが、わたしの母が48歳で亡くなってしばらくして大学教授と結婚し、生まれた土地を離れて博多へ。ご主人が亡くなったあとは設備の整った有料老人ホームに入られました。

 母が亡くなった頃は色々とお世話になりました。夫のことでも相談したことがあったかな。とにかく、何かで相談したときに、こうおっしゃいましたっけ。「大変なときには、とにかく今日一日無事に過ごせればいいって、わたしはそう考えてやってきたわよ」と。Tomorrow is another dayですね。気持ちが明るくなったのを覚えています。

 彼女のお家は鹿島鍋島藩の重臣の家系。萬子媛に関するエピソードか何か、お家に伝わっていることはないのだろうか――そのうち尋ねてみようと思っていたのですが、会話しているときはそのことをすっかり忘れてしまっていました。

 話題に上がったのは、子供たちの結婚のこと。「まだです~!」というと、「いずこもそうか……」という言葉が返ってきました。身近な若い人々はなかなか結婚しないという意味でしょうか。

 会話している間中、娘によいような男性をご存知ないでしょうか、と尋ねようかどうしようかとずっと迷っていました。カツカツの暮らしであることが、積極的にお尋ねする――、さらにはお願いする――ということに対して、消極姿勢をもたらします。

 ただ、彼女もよい育ちの方とはいえ、お母様と長く2人暮らしで、お母様を看取ったあとのひとり暮らしも長くて、結構苦労なさったと思うのですね。

 どなたか、娘とざっくばらんにお付き合いしていただけるような方をご存知ありませんか、なんて、訊いてみようかしら。娘の呑気さがわたしの焦りに拍車をかけるこの頃です。

 貧乏暮らしの癖にお嬢さん風に育ててしまいましたが(わたしにそんな自覚はありませんでしたが、娘はよい所のお嬢様風といわれることが多い)、就職にはよさそうな市立大に合格してくれ、やれやれ一安心と思っていたら、小泉不況。娘にハングリー精神が欠けていたことも就職に失敗した原因ではないかとも思えます。

 契約社員として、その後は日々の生活に流されるまま……ではいけない気がするのですわ、母親として近頃……こんなことをあれこれ考えていると、ますます執筆時間が削られていきます。

 今年は初詣もまだで、萬子媛にお目にかかることもできていませんが、娘の厄払いもあるので、寒い2月を避け、3月には祐徳稲荷神社へ行きたいと思っています。そのときにできそうな取材は済ませたいと思います。

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2014年1月13日 (月)

初の歴史小説 (21)教養 ②朱子学派と林家。林信篤と交流した直條。

 わたしは日本史が嫌いだったが、それは江戸以降の歴史が何となく嫌いだったからだ。匂いが嫌といったらいいのか。特に江戸儒学の匂い。それを知りもしないのに、アレルギー反応が起きてしまっていた。あの人工臭がたまらないと感じられた。

 が、小泉純一郎の構造改革以降、日本がみっともなく崩れてくると、わたしの目には崩れゆく日本の背後に江戸の姿が蜃気楼のように見え出した。

 それでも、江戸時代を知ることを拒み続けていたのだが、なぜか江戸時代を生きた萬子媛を書こうという気になり、江戸時代を知ろうと思えば、その骨格ともいえる江戸儒学(朱子学派)を知らないわけにはいかない。

 朱子学派と林家[りんけ]は切り離せない。林家とは、林羅山を祖とする儒学者・朱子学者の家系をいう。

 萬子媛の義理の息子である直條は、(19)でウィキペディアから引用したように大学頭を称した三代、林鳳岡[はやし ほうこう](信篤)と親交があったようだ[鍋島直條:Wikipedia文芸への造詣が深く、林信篤と交流し、参勤交代のたび、林家で催される詩会に参加していた]。

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2014年1月12日 (日)

IRS(アメリカ合衆国内国歳入庁)から手紙が届きました - キンドル本にかんする話

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 アマゾンのKDP(Kindle Direct Publishing)で自己出版している電子書籍の話です。

 アメリカでの源泉徴収税の免除を行うための手続きを行い、ファクスでEIN(米国納税者番号)が届き、アマゾンに報告するために、KDPの「税に関する情報」を更新したのが昨年の12月10日でした。

 この件はどうなったのだろうと思いつつ、忘れかけていたところへ届いた手紙。一面の英文に、めまいが……。以下の英文で始まっています。

Thank you for applying for an Employer Identification Number(EIN).
We assigned you EIN 98-*******.

 どうやら、EINに関する確認と注意の手紙のようです。一度しか発行されないので、この通知を大事に保管せよ――とのこと。

 KDPアカウントの「税に関する情報」を確認してみました。

Zb6

 税に関する件は、どうやら昨年中に完了していたようです。「源泉徴収率:0%」の表示がまぶしい。

 そういえば、電子書籍に関する以下のニュースを閲覧しました。

出版権、電子書籍にも拡大 文化庁が法改正で方針
http://www.47news.jp/CN/201401/CN2014010901001570.html

 文化庁は9日までに、作家らと契約して作品を独占的に発行できる著作権法の「出版権」の対象を広げ、現在の紙の出版物だけでなく電子書籍を含める方針を固めた。経団連が求めていた紙の出版権とは別の「電子出版権」は新設しない方向。通常国会で同法改正案を提出する。

 深刻化する電子書籍の海賊版に対し、出版社が差し止めを提訴することができるようにする狙いがある。

 文化庁は、作家との協議で、紙か電子書籍のいずれかに限定した契約とすることや、両方の契約とすることも可能なため、新たな権利として明記しなくても問題は生じないと判断した。

2014/01/09 17:18   【共同通信】

 これは電子出版の成熟とみていいのでしょうか? それとも、紙の出版物を大手出版社が我が物顔に扱う現在の出版界に電子書籍界が取り込まれ、わたしのようなプロと見なされない作家にとっては、電子書籍にも活路を見出せなくなるというだけのことなのでしょうか。

 今年に入ってから、何となく慌ただしい日々でした。河津さんから本を送っていただいていました。拝読したので、感想を書きたいと思っています。

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2014年1月11日 (土)

夫の健康診断 ②タバコ

 前の記事で、がん検診にびびったことを書きました。

 精密検査の結果では異常なしだったとはいえ、タバコ対策は必要だと感じました。

 なかなかタバコをやめられない夫ですが、既に本数は1日4本までに落としていたそうで(この言葉、ホントウかしら)、さらにタバコを軽いものに替えることにしたとのこと。これが続くかどうかですが、とりあえずは一つの進歩かなと思っています。

 夫が最近まで吸っていたのはホープ・メンソールでした。ここで調べてみると、

  • ホープ・メンソール
    タール :8mg  入数/1個:10本
    ニコチン:0.6mg  価格/1個:220円

 それを、ケント・メンソールに替えてみたそうです。

  • ケント・メンソール 1 ・100ボックス
    タール :1mg  入数/1個:20本
    ニコチン:0.1mg  価格/1個:410円

 まだ、お試しの段階。タール、ニコチン度の低いものに替えたからといって、油断はならないようです。以下のサイトで解説されています。

 まあ、様子見といったところです。夫の喫煙はわたしの喘息にも影響するので、これはわたしの問題でもあるのです。夫婦って、よくも悪くも一心同体といったところがありますねえ。

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2014年1月10日 (金)

夫の健康診断 ①がん検診

 以下の記事から、前回の夫の健康診断(職場検診)に関係する部分を抜粋。

 夫は、過日、定年後の再就職で入った会社の健康診断で、血圧が経過観察となっていました。夫は密かに心配していたようで、わたしの目につくところに健康診断の結果を広げていました。

 上が130ちょうど、下は基準値内で高血圧という判定は、61歳という夫の年齢からすると、厳しすぎる採点ではないかと思いました。それよりわたしは、ほん少しはみ出ているコレステロールが気にかかりました。義母(夫の母親)は中年期から高脂血症だったのですが、脳梗塞で倒れたことがあります。ただし、これは空腹時の採血ではありません。

 念のために病院に行ったみたら、というと、夫はいつものように「別にいいよ」といいました。明らかにもう一押ししてほしそう。そこで、もう一押ししたら、行く気になってくれました。

 総合病院、わたしの通っている循環器クリニック、近くの内科循環器科医院のうちのどれかがいいのではないか、と夫にいいました。

 夫の年齢を考えると、歩いても行ける距離にホームドクターをつくっておいたほうがいいと前から話してはいました。そのよい機会でした。夫は近くの内科循環器科医院を選択。ググってみると、先生は東京の私大(博士課程)卒。連携という点でどうだろうか、とは思いましたが、よさそうな感じはしました。

 成人病の生活指導なども積極的に行われているようなので、夫に禁煙を勧めて貰えるかもしれないとわたしは期待しました。

 夫が健康診断の結果を持参して、そこを受診したところ、血圧は問題ないということで(病院ではもっと低く出たようです。健康診断の基準は厳しすぎると先生もおっしゃっていたとか)、空腹時の血液検査でも特に異常はありませんでした(でも、悪玉コレステロールには気をつけたほうがよさそうな気がわたしはしました)。

 また何かあれば、ということでした。血液検査なども、心配であれば、定期的にしてくださるそうです。

 先生の年齢はわたしくらい、説明は丁寧、お年寄りの患者ばかりだったそうですが、混んでも閑散としてもいず、建物の中は綺麗なほう。

 夫は気に入り、そこの先生が今後ホームドクターになりそうです。ただ、禁煙とか減煙の忠告などは何もなく、この点に限り、わたしの期待外れでした。

 そして、今回、昨年末に受けた夫の健康診断の結果が返ってきました。血液検査に関しては、前回いくらかオーバーしていた悪玉コレステロールは1だけ下がっていました(オーバーは変わらず)。他は全て異常なしでした。血圧も基準値内。

 ただ、青天の霹靂だったことには、希望すれば受けられる「がん検診」で、胸部X線の項目に「右上肺野 腫瘤陰影」とあったことです。

 それについて、「レントゲン検査の結果、右の肺に正常とは異なる所見を認めました。/特に自覚症状はないご様子ですので、そう言われてもピンとこないかも知れませんが、以前よりは減らしてはいらっしゃるにしましても、タバコを吸う習慣がおありですので、念のために精密検査を受けて問題ないことの確認をしておかれるとよろしいですね。/同封の封筒をお持ちの上、呼吸器科を受診されるようお勧めします。/また、これを機に禁煙ができると何よりですね。」とありました。

 ゾッとしました。

 夫はワルだったそうで、高校時代からの喫煙歴があります。実はわたしも大学時代、文芸部で喫煙を覚え、最初の子の妊娠がわかるまで吸っていました。結婚前につき合っていた頃、わたしたちは同じショートホープを吸っていました。こんな好み、よく一致します。

 でも、結婚後すぐに妊娠したので(計算したらハネムーンベビー)、わたしは直ちに禁煙しました。夫にも頼みましたが、ノン。子供たちが喘息になったので、厳しく禁煙を迫りましたが、ノン(わたしたちの目の前で吸うことは少なくなりましたが)。ゲーム三昧。それ以外にも無分別な行動。そんな夫が許せず、特に子育て時代は喧嘩ばかりしていました。

 そんな夫の許せない行動は、仕事のストレスから来ていた部分が大きかったようで(精神的に弱い男なんでしょうね)、定年退職後に再就職しましたが、楽なんだそうです。勿論仕事が大きな比重を占めてはいますが、現在は3Dなどの趣味を楽しめる生活といったらよいでしょうか。精神的に安定している様子が感じられ、煙草やお酒の量も減っていると思います。

 ですが、喫煙は続けていますし、これまでの長い喫煙歴を思えば、そりゃ妻としては疑いますわね、あの病気を。

 ここで話が逸れますが、わたしは昨年の11月25日に以下のような夢を見ました。

建物の立ち並ぶ、どことなくレトロな街。そこに我が家があるのだが、火事が発生する。道路沿いから裏手のほうへ火が回りかけている。道路の角を曲がるときに見ると、白木造りの家屋の至るところから真っ白い煙が出ている。ここまで火が来ているとしたら、裏手の逆端に近いところにある我が家も危ないのではないかと思う。土手のようになった道路に警官がいて、何か指示している。

 この夢が気になっていたところ、大学時代からの男友達から来た年賀状がこれまた晴天の霹靂というべき内容でした。

 彼は、誕生日がわたしと1日違いの本当に友人と呼べる人でしたが、結婚後は年賀状の遣り取りのみになっていました。年賀状に、とても小さな字で「今、元気にがん患者やっています。直腸ガン。2回目の抗がん剤治療中です。外来でやってます。あと1回抗がん剤入れて、2月の中旬に手術予定」とありました。

 昔、大学の第1食堂でしたか、同じ法学部だった彼と授業後などによくカップコーヒーを飲みながら色々と語り合いました。誕生日が近いせいか、考え方や感じ方がそっくりで、双子のように感じることがありました。

 互いの恋人のことも話したりしました。夫を見た彼はなぜか、「こ、怖い……」といいましたっけ。彼が書いた、『緑色の大地』というSFみたいな変わった小説のことはまだ覚えています。

 就職とアパートを決めたことを母に知らせた翌日に何と母が倒れたので、わたしは帰省してそのまま病院の母の傍で数ヶ月を過ごしました(拙手記『枕許からのレポート』参照)。

 就職がおじゃんになり、先の見通しがつかない失意の状態のときに、彼が来てくれました。わたしを何とか物にしようとしていた夫も、よく高級なメロンなど持って母を見舞ってくれましたが、彼は真の友情から一度だけただ来てくれ、勇気づけてくれたのでした。

 アーモンド型をした女性的にすら見える彼の目に宿った綺麗な光を覚えています。このときの彼をモデルにして、わたしは『どこか別の美しい街』(『露草』から改題)という小説を書きました。これはやや倒錯的(?)な小説になりましたが、電子書籍にする予定ながら、まだできていません。まだ表紙だけ。

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 夢の中に出てくる家は人の体を表すことがあるので、真っ白な煙が出ている家屋というのは、がんで闘病している彼のことではないかと思いました。そして、自分のうちも――と思ったのは、今回の夫のがん検診に関することではないかと考えたのでした。

 夢では黒い煙が全く出ていなかったこと、またその夢に続きがなかったことから、夫はがんではないかもしれないとも思いました。見えない世界からのそれらしい警告――空間に見える黄色や赤や黒い点――も何も見ませんでした。(以下の過去記事を参照)

 それに、がん検診の結果から精密検査を受けて実際にがんと診断されるのはごく一部であるようです。

 しかし、夫ががん、しかも厄介な肺がんであるとすれば、今後予想される大変な治療に加えて定年後の余裕のない暮らしから生活破綻まで懸念され、青ざめました。

 こんなときにわたしが指針としてきた神智学の教えには「まず、よいドクターを見つけること」とありますから、そうすることにしました。

 2012年4月から、外来治療でも「限度額適用認定証」(認定証)を医療機関に提出しておけば、窓口の支払いは自己負担限度額の範囲内で済むようになりました(自分が病人だと、こういうことには詳しくなれるのでいいですね)。

 もしがんとすれば、この「認定証」がまず必要だと思いました。昔から入っているがん保険や、他に定年後に入り直したささやかな金額の保険でも、このときは藁にもすがる思いから、入っていてよかったと思いました。

 いくつかの病院が精密検査に指定されていました。夫は職場から近い小規模の総合病院に行くつもりでいたようでしたが、治療時に他へ紹介状を書いて貰うにしても、診断は大事なので、もっと大きな病院がいいのではないかとわたしはいいました。

 夫はこういうときはわたしのいうことに素直に従ってくれるので、わたしが選んだ国立病院へ行くことになりました。指定された病院はわたしたちにはどこも馴染みのない病院ばかりでしたが、ググると、その国立病院の呼吸器外科医長は著作もあるベテランのようだったので、すぐに治療に入る可能性なども考え、そこを選んだのでした。

 その日、わたしは循環器クリニックの受診日でした。別の日に替えようかとも思いましたが、今日のところは夫に付き添う必要はないだろうからと思い、予定通りクリニックへ。待っている間、不安からあれこれ考えすぎるので、想像上の夫の肺に、想像で作り出した清らかな白い光を注ぎ込む神秘主義的作業に熱中しました。

 わたしにはオーラが見えることがあり、人間にも動物にも、植物でさえ、肉体より精妙な――肉眼では見えない――光でできた体があり、その体は想像で作り出した光の影響を受けるのです(そして、目には見えない光の体に起きたことは多かれ少なかれ、それの下部組織である肉体に影響を及ぼすことが考えられます)。

 そのことは自分のオーラを使って実験済みなので、それをやってみたのでした。人にはそれぞれの寿命があり、それは変えられないのでしょうが、何もやらないよりは(不安に駆られて愚かしい状態に陥るよりは自分のためにも)、絶対にいいはずです。

 自分自身にもそれをやれば、あるいは病気はとっくに治っているのではないかと思うことがありますが、ダイエットやジョギングと同じで、続けることは難しいのですね。特に自分のこととなると、それだけの精神力が出ません。その間は、意識を完全に清浄な状態に保つ必要があるのです。

 診察後に携帯の電源を入れてみると、夫からの不在着信が表示されました。

 ドキドキしながら電話をかけると、案外早く呼吸器内科で診て貰え、胸部レントゲンとCTで何の異常も見つかなかったので、既に帰宅しているとのことでした。

「これを機会に禁煙してちょうだい」といいました。「うん、とりあえず減らすよ」と、つまらなさそうな口調で夫。「よかったじゃない」というと、夫はまあね、とか何とか、さすがにホッとしたようにいいましたが、嬉しくて覚えていません。

 男友達には手紙を書こうと思いながら、まだ書いていません。彼にも、時間を決めて、友情の光を送ろうと思っています。1回は既に送りました。

 今回の出来事に似たテーマで、わたしは『白薔薇と鳩』 という小説を書いています。これも電子書籍にする予定ですが、なかなかその時間が作れません。

 悪玉コレステロールにはシナモンがいいそうですね。昨年の職場検診の結果が出て以降、朝のパンに夫はバターではなく、オリーブオイルを塗るようになりました。夫は案外オリーブオイルに抵抗感が少ないようで、むしろ好きなようです。夫の前世の一つはイタリア人だったりしてね。

 洋風の料理を少なくしようかしらとわたしは考えたりしています。「運動不足だから、筋トレすることにしたよ」と夫。何と、職場で暇な時間にやり始めたとか。

 ⇒夫の健康診断 ②タバコ

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2014年1月 9日 (木)

久しぶりにスタバでまったりしました

201401010

 人のいない場所を撮ったら、まるでアトリエみたい。人はちらほらいました。

 カフェミストのショートサイズで、まる1時間。頭の中を空っぽにし、目を閉じて音楽に浸った贅沢な時間。家に帰ったら、何かと忙しい。

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『田中さんちにやってきたペガサス』をお借りいただき、ありがとうございます!

『田中さんちにやってきたペガサス』をお借りいただき、ありがとうございます!

 2014年の空に羽ばたかせていただいて、ペガサスも喜んでいることと思います。1月2日ごろ、お借りいただいたようです。

『田中さんちにやってきたペガサス』をKindleオーナー ライブラリーでお借りいただいたのは3冊目でした。光栄に感じています。

 サンプルをダウンロードできます。
    ↓

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8日に、循環器クリニック受診

 今年初の循環器クリニック受診は、3時間待ちだった。体調がよかったので、待っているのは苦痛ではなかった。いつもそうだというわけではないが、今日は見事に高齢者ばかり、長椅子に鈴生りになっていた。

 あちこちからひっきりなしにけたたましい携帯電話の着信音が鳴り響いていた。わざとあんな派手な音楽にしているのだろうか?  初期設定のままなのかしらん?

  鼾をかいて眠りこけているのは、大抵、おばあさん。椅子に座ったまま、のけぞった恰好で、看護師さんが呼びにくるまでガーガー。人数が減ってくる頃には、空いている長椅子をベッドにしてゴーゴー。

 わたしはガーガーとゴーゴーの間に、採血、採尿に行ったり、心レントゲン、心電図を撮りに行ったりした。心電図は通常の短い心臓・両手・両足首のと、長めの両手・両足首だけのと2種類。

 順番が回ってきたので、先生に挨拶をして椅子へ。わたしの心レントゲン写真、心電図を確認しながら、「どれも綺麗だよ」と先生。嬉しかった。

 先生に初の歴史小説を書いている旨報告した年賀状を出していたので、しばし年賀状の話題。小説のことを書いたのは、先生がそのような文化的風通しを好まれることがわかっていたから。

 年賀状に書くにせよ、診察室でおしゃべりするにせよ、この手の話題の質と量は先生の過酷なお仕事を妨げない程度のフワッと軽い、さりげないものでなければならない。日赤ではこんな話、したことがない。

 幸い、先生は楽しそうに小説について訊かれた。

 先生に限らず、これから書こうとしている初の歴史小説について、書いてもそれほど失礼に当たらないと踏んだ相手には全部に書いたが、それはまだ書き始めてもいない作品の宣伝のためというよりは近況報告であり、また自身にプレッシャーをかけることで歴史小説の執筆という難仕事を乗り切るためでもあるのだ。

 勿論、主体は心臓の話題。

 診察前の問診で、看護師さんに月2回ミオコールスプレーを使ったことを報告済みだったが、今確認したところ3回使っていた。ちゃんとブログを見て行かないと、適当な回数を言ってしまう。

 待合室で、お財布の中のニトロ舌下錠を確認したところ、使用期限が切れていた。クリニックに出かける前にトイレで、ジャムの空き瓶に入れたニトロ舌下錠の使用期限を確認したら切れていたから、念のためにお財布の中ものぞいてみたわけだった。

 先生に携帯用にしているニトロ舌下錠の使用期限が切れたことを告げ、ニトロペン舌下錠を10回分出して貰った。

 いつも使っているミオコールスプレーは、自分のほうからおねだりして出して貰った薬だ。先生は「いいよ」といって、すんなり出してくださったのだが、ミオコールスプレーより舌下錠のほうを好まれる気がしていた。もしそれが当たっているとしたら、その理由は先生のほうでニトロを管理しやすいからではないだろうか。

 ミオコールスプレーは100回分あるから、一度出して貰うと当分はあるのだ――と思い、今ふと使用期限を確認してみたら、何と!

「使用期限 2014年1月」とあるではないか。最近、何となく効き目が弱い気がしていたが、気のせいだろうか。

 何にしても、次回、ミオコールスプレーの新しいのを出して貰うこと。使用期限に注意が必要だと改めて思った。舌下錠を貰っていてよかった。それぞれメリット・デメリットがあるので、どちらも備えていられればと思う。

 今回、出していただいた薬。40日分。

心臓の薬

  • インデラル錠10㎎ 1回1錠 毎食後
  • ニコランジル錠5㎎「サワイ」(先発品:シグマート錠5mg) 1回1錠 毎食後
  • サンリズムカプセル50㎎ 1回1Cap 毎食後
  • ジルチアゼム塩酸塩徐放カプセル100mg「日医工」(先発品:ヘルベッサーRカプセル100mg) 1回1Cap 朝・夕食後
  • 一硝酸イソソルビド錠20㎎「タイヨー」(先発品:アイトロール錠20mg) 1回1錠 朝・夕食後
  • ニトロペン舌下錠0.3㎎ 1回1錠 頓服 胸痛発作時

腎臓・尿管結石の薬

  • ウロカルン錠225㎎ 1回2錠 毎食後 7日分

喘息の薬

  • フルタイド200ディスカス(ステロイド剤) 1個 吸入

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2014年1月 7日 (火)

『田中さんちにやってきたペガサス』『すみれ色の帽子』をお買い上げいただき、ありがとうございます!

児童小説『田中さんちにやってきたペガサス』をお買い上げいただき、ありがとうございます! 
また、同じ頃に児童小説『すみれ色の帽子』をお買い上げいただき、ありがとうございます!

年末の空に、ペガサスに乗った友暁と瞳(『すみれ色の帽子』の語り手)の姿が見られたというわけですね。

以前は電子書籍をお買い上げいただくと、すぐに感謝とご報告の記事を書いていましたが、現在は1週間くらいの時間を置いて書くようにしています。

『田中さんちにやってきたペガサス』を有料でお買い上げいただいたのは8冊目、無料キャンペーンでダウンロードしていただいたのは194冊、Kindleオーナー ライブラリーでお借りいただいたのは2冊です。
『すみれ色の帽子』を有料でお買い上げいただいたのは記念すべき1冊目、無料キャンペーンでダウンロードしていただいたのは232冊です。

サンプルをダウンロードできます。
                  ↓

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2014年1月 6日 (月)

初の歴史小説 (20)教養 ①江戸時代の文学的空白。文学肌の義理の息子、直條。

 旧年中に出すはずだった『気まぐれに芥川賞受賞作品を読む ①2007 - 2012』を出してしまいたい。

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 それから、初の歴史小説へ本格的に突入。これは執筆計画①を細かく立てるところからスタートだ。萬子媛を中心に日本史のどの辺りからどの辺りまで書くかは、だいたい決まりつつある。

 萬子媛に関する年表②と、小説のための総年表③を日数をかけても作成しておかなくてはならない。西日本が当時、外国勢力をコントロールするための要所であったことを考えると、日本に対して影響のあった国々のその頃の歴史も総年表には併記しておく必要がある。

 わたしはお世話になっている郷土史家に、喪中とも知らずに年賀状を出してしまった。今日郷土史家から寒中メールを頂戴してそのことを知った。温かみのあるメールを拝読し、嬉しかった。

 ところで、江戸文藝を通して日本文学の独自性を探ろうとした江藤淳の『近代以前』を読んでいた。最後に追加されたという「はじめに」に、以下のような興味深いことが書かれている。

慶長五年(一六◯◯)を截然たる境として、日本の文学史がほぼ三十年間、見方によってはその倍に当る六十年間、文字通りの空白に帰してしまっている。
[略]
「詩歌」「小説」「戯曲」「その他」の各ジャンルを通じて、ほぼ正常な作品活動が回復するのは、四代将軍家綱の万治年間(1658~1660)まで待たなければならないのである。

 そこにそのような空白があったのだと思ったが、以前からわたしは女性文学史の空白のほうが気にかかっていた。

 関敏子『仮名日記文学論 王朝女性たちの時空と自我・その表象』(笠間書院、2013年)の「はじめに」には、以下のように書かれている。

 一〇世紀後半から一四世紀中葉にかけて、現代の視点から仮名日記文学にジャンル分けし得る作品群が出現し、隆盛を極め、終焉した。

 「男もすなる日記といふものを女もしてみむとてするなり。」に始まる『土佐日記』は、紀貫之が女性仮託によって日次で綴った仮名日記の試みであり、意表を突く、画期的な発想の転換であった。それから約四〇年後、『蜻蛉日記』が書かれる。「自己を語る女」の登場である。これ以降、南北朝期の『竹むきが記』に至るまで、女性作者たちは、自己を素材にして多彩な作品を残した。その後三五〇年の長きに渡ってあらゆるジャンルから女性作者が消え、女性文学史は空白の時代を迎える。

 研究が進んでいないだけなのかもしれないが、この空白は怖ろしい。南北朝時代の日記『竹むきが記』の作者は日野名子(1310 - 1358)。14世紀中葉から350年の空白。

 過去記事で書いたように、江戸時代の区分には諸説あるようだが、将軍で分ける以下の説がわかりやすい。

  • 前期 1603年 - 1709年
    江戸幕府初代将軍・家康から第5代将軍・綱吉まで。
  • 中期 1709年 - 1786年
    第6代将軍・家宣が将軍から第10代将軍・家治まで。
  • 後期 1787年 - 1867年
    第11代将軍・家斉から第15代将軍・慶喜まで。

 女性文学史は江戸中期になるまで空白。有名な「おあむ物語」は江戸初期の成立とされるけれど。以下の著書『江戸女流文学の発見』は読んでおきたい。

 わたしは拙著『茜の帳』の中の「萬子媛抄」で以下のように書いている。

 神社外苑にある祐徳博物館には、萬子媛遺愛(いあい)の品々を展示したコーナーがあります。そのなかでわたしにとって印象深いものは、萬子媛の遺墨(いぼく)、扇面(せんめん)和歌です。金箔を張った扇面の馥郁と紅梅が描かれた扇面に、新古今和歌集から皇太后宮大夫俊成女のうた、

「梅の花飽かぬ色香も昔にて同じ形見の春の夜の月」が薫るように揮毫(きごう)されています。

 その前に立って、わたしは、萬子媛の面影を想像してみるのです。大和物語から写しとったものもあります。筆跡は流れるようでいて、しずかです。大和物語といえば、哀切なまでにしとやかな情趣で貫かれている歌語り集で、最終的な集成は花山院グループの手によるらしいのですが、萬子媛は左大臣花山院定好公の娘として生まれました。

 中古、中世文学を好む公家の娘らしい萬子媛が窺われるが、萬子媛は1625年に生まれ、1705年閏4月10日に亡くなっている。前掲のような女性文学史の空白期間を考えると、江戸女流文学がようやく開花しようとする頃に萬子媛は世を去った。

 萬子媛は義理の息子たちに影響を及ぼした教養の持ち主とされるから、萬子媛の教養について知るには、義理の息子たちの教養を調べなくてはならない。特に文人大名として知られる三男の第4代鹿島藩主、直條。

 以下はウィキペディアより抜粋。ウィキでは直條は第2代藩主となっている。

鍋島直條:Wikipedia

鍋島 直條(なべしま なおえだ)は、肥前鹿島藩の第2代藩主。

承応4年(1655年)2月2日、初代藩主・鍋島直朝の三男として常広城本丸で生まれる。幼少時から聡明であり、特に文学に秀でたという。寛文12年(1672年)12月9日、父の隠居により家督を継いで第2代藩主となる。文芸への造詣が深く、林信篤と交流し、参勤交代のたび、林家で催される詩会に参加していた。中でも人見竹洞とは昵懇の関係であった。自らも「休々集」「鹿島志」「花頂山記」「蒙山和歌集」など、多くの著作を残している。
反面、当時の鹿島は特に主だった産業も資源もないのに、直條の時代から他の藩と同じように幕府の公役負担が課せられて財政難となり、本家の佐賀藩からたびたび援助を受けるようになったという。宝永2年(1705年)4月29日に江戸で死去した。享年51。跡を五男・直堅が継いだ。

 萬子媛の教養に薫染したこの文学肌の直條が『祐徳開山瑞顔大師行業記』を書き遺してくれていなければ、後世の人間が萬子媛の出家の動機について知ることはできなかっただろう。

『祐徳開山瑞顔大師行業記』は萬子媛が亡くなる1年前に著述されたものだという。この古文書の内容は現代人にも訴えかける力を持っている。わたしは――漢文なので、まだざっと読んだだけだが――胸に迫り、泣いてしまったほどだ。

 この内容を、わたしは初の歴史小説の核としたい。

 萬子媛のよき理解者だった2人の義理の息子たち――断橋和尚こと直孝、直條――を産んだのは1660年に32歳で亡くなった彦千代である。彦千代の母は龍造寺政家の娘だった。

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2014年1月 5日 (日)

初の歴史小説 (19)教養。公文教室そっくりの女師匠が教える手習塾(寺小屋)。

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2014年1月 4日 (土)

『茜の帳』のお買い上げ、ありがとうございます! 「Xmas」キャンペーンのご報告。

 昨年12月に実施した「Xmas」無料キャンペーンのご報告がまだでした(年末年始の慌ただしさで失念)。

  • すみれ色の帽子
    太平洋標準時12月22日(日本時間12月22日午後5時~23日午後5時)完了

    Amazon.jp(日本) 5
  • 昼下がりのカタルシス
    太平洋標準時12月22日(日本時間12月22日午後5時~23日午後5時)完了

    Amazon.jp(日本) 4

 どちらもキャンペーンは2回目でしたが、1回目のキャンペーン時にキンドル作家情報サイトで宣伝していただいたこともあって、そのとき『すみれ色の帽子』は227ダウンロード、『昼下がりのカタルシス』は285ダウンロードもありました。

 そのときにそれだけダウンロードがあったからかもしれませんが、今回のキャンペーンではダウンロード数が少なく感じられました。

 ただ、これが本来のわたしのキンドル本の売れ方だという気はして、少なくてもダウンロードしてくださった方々があったことに感謝と満足の思いを覚えました。

 現在は有料ですが、サンプルをダウンロードできます。
     ↓

 また12月28日ごろ、『茜の帳』をお買い上げいただいたようです。ありがとうございます!有料でお買い上げいただいたのは4冊目でした。

 この本は、若い頃に書いた祐徳稲荷神社を舞台とした幻想小説(短編)及びエッセーに、比較的最近になってブログに書いた記事を組み合わせたものです。

 短編小説「茜の帳」及びエッセー『萬子媛抄』は習作というべき作品で、郷土史家がコレクションされた資料に出合う遙か以前に書いたものでした。その頃、唯一頼りにできたのが、田中保善著『鹿島市史 真実の記録』でした。

 年月が流れ、昨年の10月頃になって萬子媛をモデルとした本格的な歴史小説を書こうと思うようになったわけですが、『茜の帳』や『萬子媛抄』を書いた時点から萬子媛に対する関心は続いていたということで、こうした前奏曲、習作ともいえる作品がなければ、現在の取り組みもなかったことでしょう。

 萬子媛は、筋金入りの仏教徒として生涯を終えた方なので、祐徳院様とお呼びするほうがよいようです。萬子という御名前自体、古文書では確認がとれず、神社のホームページにもあるように「諡を祐徳院殿瑞顔実麟大姉と申しましたが、明治4年神仏分離令に添ってご神号を萬媛命と称されました」ということであるようです。

 これを書いているとき、丁度目の位置に当たる前方の空間に輝かしい星のような光がきらっと輝くのが見えました。何て美しい光! 

 そして、今は夜ですが、ふいに太陽の光が室内にさんさんと差し込んだかのように、とても明るく温かく感じられます。汗が出て来ちゃう!  萬子媛のお社の前で、そんな温かさを覚えたことを『茜の帳』の中のブログ記事からの抜粋に書いています。

 空間に星のような光が現れる現象について、わたしは過去記事で時々記していますが、見えない世界からのメッセージだと思っています。

 萬子媛の小説に関するノートは以下のカテゴリーにあります。

 キンドル本について、ざっと振り返りますと、旧年2月13日に出した『卵の正体』がわたしの初のキンドル本でした。旧年中に出したのは13冊。この13冊が現在、日本、アメリカ、カナダ、ブラジル、メキシコ、イギリス、ドイツ、フランス、イタリア、スペイン、インド、オーストラリアで絶賛発売中(?)です。

 旧年中、海外ではアメリカ、カナダ、ブラジル、イギリス、ドイツで、ちょくちょくお買い上げいただきました。

 何とか旧年中にEINを取得することもできました。

 今後も、直塚万季はどこにも縛られない物書きとしての強みを生かし、Kindleストアとパブーでしか作品を買えない貴重な作家と称される域に至るべく、精進を続けてまいります。オンデマンドを今年の課題として考えています。

 今年もどうぞマダムNのサイトと直塚万季の電子書籍をよろしくお願いいたします。サンプルをダウンロードできます。
     ↓

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胸の苦しさ、左手の痺れに1スプレー

胸の苦しさ、左手の痺れに1スプレー

昨日から体調が悪く、昨夜は夕飯作らず、弁当を買ってきて貰って済ませた。

頻脈や胸の苦しさがあり、全身が痛い感じで、年末年始疲れ? 昨日は久しぶりにめまいがして、物が変に見えた瞬間があり、ぎょっとした。これはすぐに治ったが、フラフラ感は残っていた。

昨日の時点でニトロ使えばよかった。さっきから左腕が重くだるくて、痺れてきたので、冠攣縮性狭心症の発作に間違いないと思い、ミオコールスプレーを使った。

左脇、胸から左腹部にかけて、清涼な水がさあ〜と流れたように気持ちがよくなる。

でも、背中の痛みがとれないし、左腕もまだだるく、痺れが残っている。

もう1スプレーを迷うところ。

昨年より元気になった気がしていたが、そうでもない。もし妹一家が来ていたら、お相手がちゃんとできたかどうか疑問。

結石のほうは、ウロカルン錠が効いたのか、石の主張(?)が感じられなくなった。

早くも正月疲れが出て、4日目にして初ニトロとなった。

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2014年1月 3日 (金)

病的な洞性頻脈の人、全員集合~なあんちゃって。

 

 ジュゲムブログ『マダムNの体調日記』に頂戴したコメントをご紹介します。当ブログの中にあるカテゴリー「健康」だけを採りだしたものが『マダムNの体調日記』です。ジュゲムブログに以下の記事と同じものを公開しており、コメントはそれに頂戴しました。

 この記事の中でわたしはあれこれ書いていますが、洞性頻脈の場合、放置するか薬で抑えるかのどちらかしか選択肢がないと、現在通院している循環器クリニックの先生から伺いました。

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

初めまして。
だいぶ前の記事にコメントする形となって、申し訳ありません。

私はまだ20代ですが、頻脈と発作性上質頻拍と言われています。
幸い、狭心症の診断は出ていませんが、
心電図以外検査をしてくれない病院なので、なんとも言えませんが。

頻脈の「頻脈という異常が根本にあって、寝不足やストレス」という部分、
とても共感しました。
そうなんです、頻脈さえなければ、もっと元気にふるまえるのに、
どうしてもバテている状態になってしまいます。
おかげで無職です。そんなだから出会いも未来も無く。
遊びも友人にたびたび休憩を入れてもらったり。
頻脈って、医師は軽視しがちですが、
本当に体が弱りますよね。
大体2年ぐらい、ずっと頻脈なのですが、
(β遮断薬で抑えても脈拍は75以上)
「ここまで弱るのか」と実感しましたもの。
日に日に弱っていく状態で、この記事を見つけて、
「頻脈で弱るのは、気のせいではないのか」
と心細さが少し軽くなりました。
参考にさせていただきます。

乱文長文失礼しました。
これからもっと寒くなりますから、
お互い、頻脈が少しでも増えないように、
慎重に行動していきましょう。

では。
 

  • ふぇるむさん  
  • 2013/12/29 9:50 PM

ふぇるむ様、コメントありがとうございます。
コメントの公開、お返事が遅くなって申し訳ありません。
発作性上室頻拍の場合は、
カテーテルアブレーションなどの治療法もあるようですので、
先生にお尋ねになってみられては如何でしょうか?
洞性頻脈の場合は、甲状腺機能亢進症・副甲状腺機能亢進症など
内分泌に問題がある場合もあるようです。
まだお若いので、症状が改善されるよう、
不整脈専門医のいる大学病院などで、徹底的な精密検査を受けられたほうがいいかもしれませんね。
不整脈があると、本当に疲れますね。
わたしも年末年始に少し忙しかったくらいでも頻脈発作が出ました。
案外頻脈に悩んでいる人は多いようなので、
同じ症状で悩む人が自由に書き込める掲示板など作りたくなってきました。

ふぇるむ様もどうぞご自愛ください。
 

  • マダムNさん 
  • 2014/01/03 3:31 AM

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

 ふぇるむさんは発作性上室頻拍もお持ちのようですが、洞性頻脈だけに悩んでいる方も案外いらっしゃるようです。

 生理的、無害な洞性頻脈は誰にでもあることなので、治療が必要なタイプかどうかの見極めが大事なのではないかと思いますが、それにはホルター心電図(24時間心電図)をつけて貰うのがいいようです。

 洞性頻脈の症状だけで受診すると、前掲の生理的、無害な洞性頻脈と即断されるドクターも多く、ホルター心電図をつけて貰うところまで行かないことも少なくありません。自分のほうから申し出るくらいの積極性が必要ではないでしょうか。

 現在通院している循環器クリニックに通っている9年の間に、洞性頻脈で治療を受けている人に2名出会いました。以下の記事に記録しています。文面は抜粋です。

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

2007年12月19日 (水)
ひとりごと(ニトロの耐性について伺う、薬剤師さんとの会話)

http://elder.tea-nifty.com/blog/2007/12/post_c6f6.html 

 わたしはインデラルを使わないと脈拍数が120~140になるが、彼は90だそうだ。たまに脈が速くなるのは誰にでもあることなのだが、ずっとという人には――治療を受けていないバセドウ病の人と母方の親戚を除けば――めったにお目にかかれないので、仲間に出会った気がした。

 そして彼も、血圧が高くなったこともあって、薬を使い出したというところまで、わたしは聞いていた。わたしも頻脈の治療を受ける前は、血圧が馬鹿高くなることがあった。

 先生以外の人とこんな話ができると、無性に嬉しくなる。 

「インデラルのような薬がなかったら、もう死んでいたという気がします」というと、「人生50年の時代には、わたしたちのような頻脈患者はどうしようもなかったでしょうからねえ」と、薬剤師さんもおっしゃる。

2011年5月20日 (金)
20日に、循環器クリニック受診

http://elder.tea-nifty.com/blog/2011/05/20-c586.html

 嬉しいことに、クリニックで同じ不整脈仲間が見つかった。わたしより年齢は上だと思うが、それほど離れてはいないだろう。7年前からクリニックへ通っているという。洞性頻脈で、120だそうだ。

「このままだと心臓がだめになるから」と先生にいわれ、テノーミンを飲み始め、彼女はそれと相性がいいそうだ。わたしにはテノーミン、合わなかったなあ。インデラルと同系統の薬ではあるのだけれど。現在、テノーミンだけ飲んでいるそうだ。わたしも長くインデラルだけだった。

 べつの先生からの紹介だそうで、有名な先生に心臓を診て貰えて嬉しいと彼女。

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

 ふえるむさんに「同じ症状で悩む人が自由に書き込める掲示板など作りたくなってきました」と書きましたが、今月の課題として考えてみたいと思っています。

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2014年1月 1日 (水)

オープンサンド

 大晦日、年越し蕎麦は少なめにし、オープンサンドを楽しみました。パンは、フランスパンを薄切りにしたものを使いました。具の水分でほどよくしっとりとなり、食べやすくなります。

 具は、以下のベーカリーアンデルセンのホームページの「パンを楽しむレシピ」を所々参考にさせていただきました。

 グリーンアスパラガスのオープンサンドというレシピにあったパンに塗るソースが美味しくて、家族に好評でした。サワークリーム、白味噌などを使ったソースです。

N2_2

 オリーブオイルで玉ねぎを炒め、コンビーフを加えてさらに炒めた具もグー!でした。レシピではもっと複雑でしたが、わたしはクリームチーズを塗って、具をのせただけです。

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 チーズマッシュポテトを具にしたものも(クルミをのせました)、練乳を塗って苺をのせたのも家族に好評。他に、バターを塗って、サラダ菜、ハム、きゅうり、ゆで卵をのせたものも作りました。黒胡椒を振ると、綺麗です。

N3_2

 アンデルセンのレシピはもっと手がこんでいて、おしゃれですが、家族で楽しむぶんにはこれで充分でした。

 スープは、インスタントのコンソメスープに塩と薄口しょうゆで味つけし、葱を散らしただけのあっさりしたものを作りました。簡単ですが、オープンサンドによく合いましたよ。

M3

 妹一家と会う計画は都合が合わず、今回は見送りとなりましたが、もし実現していたら、他に具材としてチキン、エビ、オイルサーデン、プチトマト、オリーブの実、蜜柑としっかり泡立てた生クリームなど考えていました。

 御節に厭きたときにも、オープンサンドはいいかも!

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謹賀新年。初創作は馬の詩(シュペルヴィエル「動作」、リルケ「牝鹿」をご紹介)。

20140101a

 わたしはこれまでに馬の出てくる作品を3編書きました。「田中さんちにやってきたペガサス」、「マドレーヌとわたし」、「ぬけ出した木馬」です。

「田中さんち…」でペガサスを描くためにお試し乗馬をしてからというもの、馬の虜となってしまったことは過去記事でくどいくらいに書きました。

「田中さんち…」ではペガサスと馬。「マドレーヌ…」では人形と馬。「ぬけ出した…」では木馬と馬。

 馬を他のものと組み合わせて表現したのは、馬がそれら組み合わせたものの特徴を持っているように感じられたからでした。

 わたしは「マドレーヌとわたし」で、以下のように書きました。

 馬は大きい動物ですが、とても静かな生き物です。
 馬には不思議なところもあるの。
 乗っている人間のことや周りのことやなんかも皆わかっていて、それでいてなにもわからないふりをしてくれているみたいに思えるんです。
 それって、なんだか人形みたい。

 ペガーズに乗っているときは、ほかにも人や馬が沢山いるのに、ペガーズと自分しかいないみたいに感じられるんです。
 まるで、森の中の泉のほとりに馬とだけいるみたいな、幸せな気分になります。

 あれは馬に乗ったときの神秘的な充足感でした。あんな思いに浸ったのは生まれて初めての体験だったのです。

 わたしはこれまでに馬といえば、シュペルヴィエルの詩「動作」を連想したものでした。好きな詩ですが、一箇所だけ引っかかるところがあるのですね。『日本の詩歌 28 訳詩集』(中公文庫、昭和51年)より。

「動作」
   ジュール・シュペメヴィエル、堀口大学訳

ひよいと後[うしろ]を向いたあの馬は
かつてまだ誰も見たことのないものを見た
次いで彼はユウカリの木陰で
また牧草[くさ]を食ひ続けた。

馬がその時見たものは
人間でも樹木でもなかつた
それはまた、木の葉を動かしてゐた
風の音でもなかった。

それは彼より一万世紀も以前
丁度この時刻に、他の或る馬が
急に後[うしろ]を向いた時
見たそのものだつた。

それは、地球が、腕もとれ、脚もとれ、頭もとれてしまつた
彫刻の遺骸となり果てる時まで経[た]つても
人間も、馬も、魚も、鳥も、虫も、誰も、
二度とふたたび見ることの出来ないものだった。

 神秘的な詩です。ただ、2行目に「まだ誰も見たことのない」とありますが、その先を読むと、一万世紀前の「他の或る馬」も見たのではないでしょうか? それとも、馬は見たことがあるけれど、人間はまだ誰も見たことがない、という意味なのでしょうか。引っかかるところです。 

 そして、ここに描かれた馬より、リルケの詩「牝鹿」では――描かれる対象は馬ではありませんが――わたしが感じた馬の神秘性に近いものが描かれている気がします。『新潮世界文学 32 リルケ』「果樹園」(新潮社、1971年)より。

「57 牝鹿[めじか]」
  ライナー・マリア・リルケ、山崎栄治訳

おお、あの牝鹿、――昔の森のなんと美しい内部が
おまえの目にたたえられていることだろう、
なんと大きなつぶらな信頼が
なんと大きな恐怖とまざりあっていることだろう。

それがみんな、おまえのその跳躍の
生気にみちたほそやかさにはこばれて。
だがなにごとも決して起りはしないのだ、
おまえのひたいの
非所有のその無知には。

 でも、一晩探しましたが、わたしが馬から感じとった印象をそっくり描いた詩は見つかりませんでした。で、短い詩ですが、自分で書きました(詩は駄目だと過去記事で書きました)。下手糞でもなんでも、とにかくこれが今年の初創作となりました。

「馬」

馬は
もう一人のわたしを見るように
わたしを見る。
馬は
わたしの魂を嗅ぐように
わたしを嗅ぐ。
そして、
プレゼントを置き去りにするように
行ってしまう。

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