« 初の歴史小説 (24)門玲子著作より① | トップページ | キンドル本の無料キャンペーンの予告です♪ 対象は『詩人の死』、1月31日午後5時~2月3日午後5時ごろ。 »

2014年1月30日 (木)

初の歴史小説 (25)萬子媛の子供たち。90歳過ぎて挙兵した龍造寺家兼。

 昨夜、息子と電話で話したときに、萬子媛の話題になった。

 息子は洋の東西を問わず、歴史好きで、漢文なども若いわりには好きなほうだ。

 何しろ息子は職場の自分のスペースの壁に、漢文を貼り付けているくらいだから。同僚からは「おまえ、それ、呪文みたいで不気味だからやめろ」といわれ、上司は「ほお、漢文か。なつかしいな」といって通り過ぎたとか。

 で、郷土史家から送っていただいた資料をコピーして息子にも送っていた。郷土史家が古文書からコピーされた漢文の文書などを見てみたいのではないかと思ったのだった。

 息子は全部に目を通したようだった。

 萬子媛が37歳で結婚し、39歳、42歳で出産したということについて、郷土史家は「如何にも高齢出産のような気がしています。39歳での初産にちょっと、違和感がなくもありません」と疑問を呈しておられるが、息子もそう思ったという。

 萬子媛の実子とされている男子2人は萬子媛が産んだ子ではないのではないか、と息子はいう。

 直條が著述したとされる「祐徳開山瑞顔大師行業記」に「大師生子男二人長曰文丸法号淡月幽照次曰式部名朝清法号仁屋宗寛とあるので、それを信じるしかないとわたしは思うといった。 

 ただ、江戸時代には女性の出戻りや再婚は珍しくなかったというから、鍋島直朝とは再婚で、もしかしたら、最初の結婚のときに子を産んだ可能性もあるとわたしは考えたりした。

 もし再婚であれば、格式の高い家に生まれた萬子媛が肥前鹿島鍋島藩主に継室として嫁いだというのも頷ける気がする――息子もわたしもそう考えた。勿論、これは憶測の域を出ない。

 小説としてフィクションをかなり入れるとすれば、この辺り、再婚だったという風に持っていくかもしれない。

 直朝との結婚後に萬子媛が産んだ最初の子、文丸は寛文4年に生まれ、10歳で亡くなった。

 郷土史家が「直朝公御年譜」から抜き書きし、解説してくださったところによると、寛文12年(1672年)、文丸は船で上京し、祖父花山院定好に初めて会っている。直朝の参勤交代の帰国を待って、京都から淀川を下って大阪に出、そこから同船して帰郷した。

 そして、延宝元年7月25日(1673年)に亡くなったのだった。文丸の死に先立ち、側室の子中将が同年2月5日に、花山院定好が同年7月4日に亡くなっている。

 文丸がおじいちゃん(萬子媛の父)に会えたことを、萬子媛は悦んだだろう。それなのに、翌年、二人共亡くなってしまった……。

 萬子媛の2番目の子、式部朝清は、寛文7年8月29日(1667年)に生まれた。佐賀藩2代藩主鍋島光茂に仕え、佐賀に住んだ。光茂の信頼厚く「親類同格」の扱いを受けていた。親類同格とは佐賀藩主の格付けで、三家、親類、親類同格、家老、着座、侍の順。

 朝清が破格の待遇を受けたことに、萬子媛は誇らしい思いだったろう。光茂の信頼が厚かったというが、破格の待遇を受けた理由は朝清の優秀さが買われたのだろうか。萬子媛の実家の格式の高さも影響しているのだろうか。

 しかし、その朝清は貞享4年9月20日(1687年)、21歳で急死した。

 朝清は、萬子媛の義理の息子に当たる承応元年3月4日(1652年)生まれの直孝(断橋和尚)とは15歳、明暦元年2月2日(1655年)生まれの直條とは12歳の年齢差があった。義理の息子たちにとって、朝清は可愛い義理の弟という感じだったのだろうか。

 萬子媛にとっての義理の息子たちを産んだ彦千代は21歳で直朝に嫁ぎ、万治3年7月23日(1660年)、32歳で亡くなっている。子供たち――直孝、直條――は8歳と5歳である。心残りであっただろう。

 その彦千代の母は、龍造寺政家の娘だった。

 高齢で龍造寺氏を再興した龍造寺家兼の孫が龍造寺隆信。その子が政家、江上家種(江上武種の養子)、後藤家信、玉鶴姫(蒲池鎮漣室)である。

 少弐氏の家臣によって子、孫を謀殺されながらも龍造寺氏を再興した家兼は90歳を超えていたというから、凄い。息子がその話に詳しく、心底驚嘆したように話し、わたしも家兼のバイタリティーと執念に圧倒された。

「90過ぎて子も孫もことごとく殺されてしまったりすると、それだけでガックリきてポックリ逝くんじゃない? 90過ぎて兵を挙げるなんて、普通、ありえないよ」と息子。

 家兼は「曾孫の龍造寺胤信を還俗させ、後事を託すと、間もなく波乱に富んだ93年の人生を安らかに終えた」という(参考⇒龍造寺家兼:Wikipedia)。

 曾孫胤信は、お寺に入れられていて、助かったのだった。が、その後、政家とその子の高房の代で、大名としての龍造寺宗家は断絶する。

 ちなみに――これもWikipediaで閲覧したことだが――幻想小説家の夢野久作は龍造寺隆信の子孫だそうだ。夢野久作の父、杉山茂丸はかなりの大物(参考⇒杉山茂丸:Wikipedia)。わたしの母方の祖母の家系は江上氏と関係があるようなので、祖先が夢野久作の祖先と人間関係があったような感じがあって嬉しい(?)。

|

« 初の歴史小説 (24)門玲子著作より① | トップページ | キンドル本の無料キャンペーンの予告です♪ 対象は『詩人の死』、1月31日午後5時~2月3日午後5時ごろ。 »

Notes:江戸初期五景1(萬子ひめ)」カテゴリの記事

家庭での出来事」カテゴリの記事

息子関連」カテゴリの記事

文学 №2(自作関連)」カテゴリの記事

萬子媛 - 祐徳稲荷神社」カテゴリの記事