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2012年8月17日 (金)

書評 - 鹿島田真希『冥土めぐり』(第147回芥川賞受賞作) ドストエフスキーの影響を受けそびれた貧弱な観念小説

 作者が白百合女子大学仏文科を卒業していること、ドストエフスキーへの傾倒がきったけとなって正教会信徒となったこと、配偶者は正教会の聖職者であること、(「苦節14年」だそうだが)純文学の文学新人賞三冠作家(三島賞、野間文芸新人賞、芥川賞)であること――といった予備知識がわたしにはあった。

 このところ、岩波文庫から出たヴァレス『子ども』、カロッサ『若き日の変転』をほしいと思ってきたが、緊縮経済を余儀なくされているわが家であるため、それを先延ばしにして、芥川賞の発表誌「文藝春秋」を購入した。なるべく、芥川賞受賞作の感想を書くことに決めたからだ。

 ドストエフスキーばりの作品とまでは期待しないまでも、ある程度の思想的骨格を備えた、洒落た感じのある作品を想像していた。期待は見事に裏切られた。

 どうして、最近の芥川賞受賞作品はどれもこれも薄汚れ、壊れたような印象を与えるのか? 作者は毎回違うはずなのに、同じような作品ばかり読まされてきた気がする。裏側で、そのような指導がなされているとしか思えない奇怪さだ。

『冥土めぐり』では、暗鬱な海が、陰気な登場人物たちの現状に重ねるようにこれ見よがしに出てくる。「文藝春秋」の「受賞者インタビュー」で、作者が白百合女子大在学中に『二匹』で文藝賞を受賞したくだりを読むと、応募のきっかけとなったのが、大学の友達とバカンスでリゾート地ニースに行き、3週間いるうちに飽きてきて書いたのが『二匹』だとあった。ニースの海よりも、作者にとっては日本の海のほうがエキゾチシズムをそそられるかのごときエピソードだ。

『冥土めぐり』の語り手である女性主人公の夫は、区役所の職員であるが、主人公の母親と弟にとって、区の職員は貧乏人のイメージで、庶民感覚とはずれがある。庶民感覚では、この就職難でリストラや企業の倒産が珍しくないご時世に、区の職員は安定した職業に就いている人のイメージだろう。

 ざっとストーリーを紹介すると、ブルジョアだった祖父の死、一流企業のサラリーマンだった父親の死、弟のカード破産と続く中ですっかり財産を失った母親は、精神病を装って年金暮らしに入った。母親と弟はブルジョアだった頃の暮らしが忘れられず、何かにつけ主人公にたかり続けている。

 主人公が区の職員と結婚したのちも母親と弟のたかりは続き、主人公と夫が身ぐるみはがされかけていたところへ、《絶妙なタイミングで》夫の脳性の発作が起きて、夫婦はそれを免れる。作中で、夫――というより夫の病気――は、主人公の救済者のような象徴性を託されている。夫の脳性の病気が何であるかは明かされないが、てんかんを連想させられる描写が出てくる。

 こうした過去が、夫婦の小旅行の間に主人公によって回想されるという小説の設定となっている。夫婦の宿泊先は、よき時代だった頃に主人公が親族で泊まった高級ホテル。現在、そのホテルは区の保養所となっている。

 主人公夫婦はたかりから救済されたかのようであるが、ここに矛盾がある。というのも、弟は年金生活者となった母親になおもたかっている様子だからで、そんな弟が、主人公夫婦が夫の障害年金と妻のパート代で生計を立てるようになったからといって、たからなくなるとは考えられない。

 その弟に対して、母親にしても主人公夫婦にしても、たかられるに任せなければならないということはなく、法的、行政的に打つべき手はあるだろうに、作者はあたかもそれが宿命のような描きかたをして、そこから逃れるには脳性の病気しかないような、しかも脳性の病気を安直に聖性に結びつけるような描きかたには、いささか無理があるように思う。

 現代の日本社会に内在する様々な問題を散りばめておきながら、ドストエフスキーを意識したためか、救済文学風の結論にこだわっていて、その結論は甚だ説得力に欠ける。

 第一、夫の病状が如何にも狂言廻し的なのだ。夫が車椅子に座ったり座らなかったりするのは、彼の病気によってではなく、作者の都合によってそうなるように読める。

 なぜならこの夫は、体を支えて貰わなければ足湯に浸かることもできないのに、一人で男湯に入って一人で出て来たり、車椅子を使わなければ食堂へ移動できないにも拘らず、その直後にはビュッフェで杖をつきながら一人で何度も行き来して好きな物をとって来たりするのだ。

 この作品の深刻さは、作者の意識しなかったところにあると思う。例えば、精神病者を装って年金暮らしに入った母親について、作者は主人公に次のようにいわせている。

[引用ここから]……
そんな面倒で、巧妙なことをしでかすくらいなら、働くほうが楽なのではないかと思うが、彼女にとってはそうではないらしい。
……[引用ここまで]

 しかしわが国の現実は、主人公(=作者)の認識より厳しいのだ。母親は元スチュワーデスだったという設定だが、年齢から考えると、再就職口を見つけるのはかなり難しいと思われる。精神病者を装わずに真面目に職探しをしたとしても、生活保護を申請することになった可能性は高い。

 また、最近の国会中継を観ていると、親族に対して扶養義務を強化する動きが出て来ており、わたしは大変気になっている。

 同じ材料を使って、『冥土めぐり』のような貧弱な観念小説ではなく、骨太の社会派小説とか、哲学的強度を備えた小説を完成させられる書き手が現われないものだろうか? 「受賞者インタビュー」で、旧約聖書の『ヨブ記』に関する作者の解釈が出て来るが、この解釈には目が点になった。

  • 2014年2月12日 (水)
    追記:書評 - 鹿島田真希『冥土めぐり』(第147回芥川賞受賞作)
    http://elder.tea-nifty.com/blog/2014/02/--147-8b20.html

     キンドル本を出すためのレビューを整理する段階で、改めて作者についてインターネット検索したところ、夫を介護しながら執筆を続けているという記事が出てきた。その記事からすると、小説は実際の出来事に基づいたものなのかもしれない。描写が粗いためか、とてもそうとは思えなかった。体験を小説に生かすための技法や思想の洗練といったものが作者には欠けているように思われた。

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