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2012年5月 2日 (水)

Notes:不思議な接着剤 #82 『ユダの福音書』(ユダ福2) ②あまりにも夢幻的な。

 このところのわたしは体調が悪いとはいえ、あんまりの怠け者なので、これではいけないと思い、児童文学作品『不思議な接着剤』の資料に新しく加わったロドルフ・カッセル他編著『原典 ユダの福音書』(日経ナショナル ジオグラフィック社)をいくらかでも読むことにした。

 『原典 ユダの福音書』では最初に『ユダの福音書』の翻訳が紹介され、それに続いてロドルフ・カッセル、バート・アーマン、グレゴール・ウルスト、マービン・マイヤーの小論が収録されている。

 『ユダの福音書』の英訳は、ロドルフ・カッセル、マービン・マイヤー、グリゴール・ウルスト、フランソワ・ゴダールの共同作業で進められたとのこと。
 ロドルフ・カッセルはコプト学研究の権威。マービン・マイヤーは聖書・キリスト教研究者で、ナグ・ハマディのテキストを中心に研究。グリゴール・ウルストはコプト語やマニ教関連の研究が専門。フランソワ・ゴダールはコプト語、古代エジプト民衆文字の研究。

 夕飯作りに入る時間までに読破するつもりでいたが(いざとなったらわたしには斜め読みができる特技があるが、それでは消化するまでにはいかない)、『ユダの福音書』を読んで(それも後半部は斜め読みになった)、爆睡してしまった!

 何というか、これは……欠落部が多い上に、この濃厚なムード……『ユダの福音書』の解読チームにマニ教の専門家が加わっていることがよく呑み込めた。マニ教はほとんど知らないけれど、これは何ともマニ教臭い。臭いといっては失礼だ。マニ教の芳香がする、といい換えよう。その芳香を嗅ぎ、たちまち睡魔に襲われたというわけだった。何というか、意味のよくわからない者にとっては夢幻的に感じられるのだ。

 『マリア福音書』ではマリアとペトロ、アンドレアス、レビといったイエスの使徒、というより弟子たちの言動が生き生きと描写され、イエスとマリアの邂逅は仏教問答にも似た会話を包む格調高い師弟愛的ムードのうちに描出される。ペトロの怒りの深さ、マリアの嘆きと訴えは、いずれも印象的で、息詰まるようなムードを湛えている。イエスの教えを受けるマリアの様子からは、マリアの律儀さ、真摯さが伝わってきて胸を打つ。『マリア福音書』は、マリアがイエスの教えを受けた、その内容を中心に据えて、イエス亡きあとの内輪揉めをリポートした作品という感じがする。

 しかし『ユダの福音書』では、イエスは快活に笑ったりはするけれど、人物の描き分けがさほどできているとは思えず、イエスに語らせて宇宙論を述べることが執筆者の第一の目的であったような感触。まあしかし、これは斜め読みから受けた印象にすぎない。

 ここへ来て、グノーシスの定義の複雑さ……その定義をめぐって解釈が錯綜してきたことを改めて考えさせられた。グノーシスが何なのかを復習しておく必要を感じたわたしに頼りになるのは、Wikipediaとブラヴァツキーだ。

 で、『神智学の鍵』でグノーシスの定義の核となる解説を読み、グノーシスについて書かれた箇所を『シークレット・ドクトリン 宇宙発生論(上)』(田中恵美子&ジェフ・クラーク訳、神智学協会ニッポン・ロッジ、平成元年)から拾っていると、メモしておいたほうがよいと思える箇所があった。

 『ピスティス・ソフィア』を例にとって、グノーシス派が《キリストス》という用語をどういう意味で使用したかに注意を呼びかけた箇所。コプト語の原稿では誤訳あるいは改竄があるようだ(367頁註41)。グノーシス派がエホバを善ではなく悪の原則と見なしたことの解説(452頁)。

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