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2012年5月25日 (金)

フィレンツェの読書人

 5月1日に、娘がメールで文通していると書いた。

娘は、フィレンツェに住む書店経営をしているイタリア人とメールで文通している。
その人はローマ字で日本語を独学しているそうで、ローマ字で綴った日本語混じりのイタリア語文を娘に寄越す。娘はそれを解読し、たどたどしいイタリア語文とローマ字綴りの日本語文で返事している。
その人は、最近イタリア語訳『坊ちゃん』を読了したとのこと。面白かったそうだ。

 その後、娘が『源氏物語』のことを話題に出すと、その人――M氏――は、『源氏物語』は「モルト ベッロ」と感嘆し、だが、長くて難しいと書いてきたそうだ。M氏は本当に『源氏物語』を読み続けている様子。そして、M氏の国であるイタリアの作家では、イタロ・カルヴィーノ、ディーノ・ブッツァーティ、カルロ・エミリオ・ガッダが好きだという。

 カルロ・エミリオ・ガッダについては知らなかった。ジュンク堂書店で、娘と一緒に水声社から出ている『メルラーナ街の混沌たる殺人事件』を見た。分厚い。パラパラとめくってみただけだけれど、単なるミステリーではない。実験的な作品で、しかも大家の作品という風格が漂っている。1959年にクラウディア・カルディナーレ主演で映画化されているようだ。映画のタイトルは「刑事」。

 イタロ・カルヴィーノ、ディーノ・ブッツァーティについてはウィキに解説があるので、以下に引用。

  • イタロ・カルヴィーノ(Italo Calvino, 1923年10月15日 - 1985年9月19日)は、イタリアの小説家、SF作家、幻想文学作家、児童文学作家、文学者、評論家。20世紀イタリアの国民的作家とされ、多彩な作風で「文学の魔術師」とも呼ばれる。
  • ディーノ・ブッツァーティ(Dino Buzzati、1906年10月16日 - 1972年1月28日)は、イタリアの作家、ジャーナリスト、画家。 短編集 Sessanta racconti で1958年にストレーガ賞を受賞。 短編小説の名手として知られる。そのほか、詩、舞台美術、評論、漫画も手がける。
    カルヴィーノと並んで20世紀イタリア文学を代表する作家である。幻想的、不条理な作風からイタリアのカフカと称されることがある。

 さすがはレオナルド・ダ・ヴィンチを生んだ国だけあって、作家も多才だ。カルヴィーノにはあれこれ手を出してみたが、マルコヴァルドさん以外は、難解というか読みにくいというか、才気の迸りについていけないところがあって、読みこなすまではいかない。ブッツァーティにも独特の雰囲気があって、入院前に『七階』を読んでぞっとして以来、忘れられない作家となっている。娘はフィレンツェの読書人に刺激を受けたらしく、今、ブッツァーティを読んでいる。

 ところで、わたしは今ホーフマンスタールとリルケが交わした書簡を読んでいる。
 この中に、「『救われたヴェネチア』を繰り返し読ませていただき、喜び、かつたいへん驚嘆いたした次第です」とリルケが書いているのを読み、おや、と思った。

 岩波文庫版ホフマンスタール『チャンドス卿の手紙 他十篇』の解説に、「『手紙』発表の1902年にははやくもイギリスの作家オトウェイの作品の改作『救われたヴェネチア』(1905初演)に手がつけられる」とある。

 トマス・オトウェイに『救われたヴェニス(または、暴かれた陰謀)』(Venice Preserv'd, or A Plot Discover'd)という作品があるのだ。

 わたしはこのオトウェイの『救われたヴェネチア(ヴェニス)』とシモーヌ・ヴェイユの『救われたヴェネチア』に悩まされ続けてきた。

 まだ大学生だったとき、リーブルだったか、書店でヴェイユの戯曲『救われたヴェネチア』の邦訳書を見たとき、これはヴェイユの写したものが本人の作品と間違えられているのではないか、と大変なことをさしたる根拠もなしに思った。

 出版を目的として書かれたわけではなかったヴェイユのノートには、他から写したと思われる断章、詩などが沢山挟まっていたという事情を考え、未完とはいえ、いきなり完成度の高い戯曲を書き、それ以後は戯曲を書いた形跡がないというのはあまりに不自然な気がしたからにすぎない。

 そうした疑問を覚えてすぐに、他の人物名の『救われたヴェネチア』があることを確認したと思う。だが、オトウェイの『救われたヴェネチア』を読んだわけではなかったから、単に題名を同じくする別作品と考えることもできた。というより、そう考えないほうがおかしい。

 オトウェイの『救われたヴェネチア』をわたしは読めないにしても、有名な作品のようだから、翻訳者が何も知らず、区別もせずに、オトウェイの『救われたヴェネチア』をヴェイユのものとして出すはずがないではないか。なぜ、ヴェイユに戯曲という形式の作品があることをわたしは疑いたくなったのだろう? 

 ジャック・カボー『シモーヌ・ヴェーユ 最後の日々』(山崎庸一郎訳、みすず書房、1978年)を図書館から借りてきた。

 この中に、シモーヌ・ヴェイユの墓に15年も飾りも碑文もなかったことが書かれていて、もしわたしが先にグレイ『シモーヌ・ヴェイユ』や、シモーヌ・ヴェイユの姪シルヴィ・ヴェイユによって書かれた『アンドレとシモーヌ ヴェイユ家の物語』を読んでいなければ、戯曲をヴェイユのオリジナル作品かどうかを疑ったように、ここでも立ち止まり、無意味な思案を重ねたことだろう。

 グレイの評伝には、シモーヌ・ヴェイユの両親が娘の墓を訪ねる気持ちにはなれなかったと書かれている。そして、彼らが別のやりかたで娘を偲び続け、彼らの人生は娘の原稿を後世のために清書するだけに費されたとも書かれている。シルヴィはそれが祖父母の仕事だと思っていたという。

 シモーヌ・ヴェイユの人生には、母親に愛されすぎたがゆえの不自然さがいろいろとあって、謎めいた翳をつくり出している。最近またシモーヌ・ヴェイユが注目を集めているようで、わたしも再び出版年に関係なく、気が向いたものから読み始めた。まだちゃんと読んでいないヴェイユの『救われたヴェネチア』も読もうと思う。

 当ブログにおけるシモーヌ・ヴェイユ関連記事

 リルケとホーフマンスタール。
 リルケが宇宙的な深みと規模のものを、そこから来る響きと均整とを絶えず意識し参照しながら、自己及び他者また事物の内側へと深く潜入していったのに比較すれば、ホーフマンスタールは現世を存分に意識する立派な教養人の域を出ないというわたしの印象。作品からも書簡からも。
 『文芸書簡』の解説の副題に「交流と反発の軌跡」とあるが、リルケがホーフマンスタールとの交際で満たされなかったのは当然と思われる。ホーフマンスタールは明らかにリルケを避けている。以下はリルケの書簡からの抜粋。

[引用ここから]……
 ときには、あなたに直接、わたしのことをせめて一、二枚に書きまとめて、お伝えしようと企ててみましたが、なにせわたしのほうから申しあげることはほとんどなにもないのです。この地では、無類の孤独といった状態にありまして、まことに肝に銘じておりますものの、孤独であることこそわたしの本来の作業であるのです。
……[引用ここまで]

 ふとトーマス・マンの『トニオ・クレーゲル』『ヴェニスに死す』を連想した。偉大なほう――というと語弊があるけれど――が、多く愛したほうが、充分には容れられず(容量の違いを考えよ)、みじめであり、苦しみも孤独感も深いのだ。 

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