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2012年3月の29件の記事

2012年3月29日 (木)

20枚でバテたわ。朝ドラ『カーネーション』。

一気に20枚書き、バテました。

一晩では、わたしはこの枚数が限度。

溜め込んだ『ハングリー!』の録画。一昨日、とりあえず最終回だけ観ました。

朝ドラ『カーネーション』も溜まっています。
コシノ三姉妹を育てあげ、自らもファッションデザイナーとして活躍した小篠綾子の生涯を、実話をもとにフィクション化したドラマ。

尾野真千子の演技はすばらしいの一言でしたが、最初は力みの見られた夏木マリの演技もどんどんよくなっていったみたいですね。

夏木マリの老け役ぶりを観た娘は、夏木マリのことをあまり知らなかったらしく、夏木本人を凄いおばあさんと思い込んでいたほどです。

作品は今日中に校正後も20枚きっちりなるように手を加え、明日また20枚分仕上げたいなあ。二日続けては無理かも。何を書いているのかとお思いでしょうが、大したものではありませんので、気にしないでくださいね。

『茜の帳』『萬子媛抄』のアップが遅れています。スキャンはとっくに終えているのですが、文字化けの訂正をする時間がなかなかとれません。『昼下がりのカタルシス』というマグダラのマリア研究を生かした神秘ミステリー(?)小説もアップしたいと考えています(これは電子書籍にするかも)。

ほかにも、アップや電子書籍にしたい作品が沢山あるのですが、創作と作品展示作業の両立は難しいですね。展示作業する時間があれば、一作でも新しいよい作品を書きたいと思ってしまいますから。アマチュアの大変さの一例です。

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2012年3月27日 (火)

胸の圧迫感、腹部膨満感にニトロペン

胸の圧迫感にニトロペン

起床時から胸の圧迫感、腹部膨満感がありました。朝の薬で治まるかと思い、我慢していましたが、なかなか治まらなかったので、ニトロペン舌下。

まあまあ効いてきています。胸や左手が涼しくなりました。

受診は40日に1回で、今回などはスムーズに来ていたので、そのままいけるかと思っていたのですが、先日の喘息に次いで起きた冠攣縮性狭心症の症状で沈没。
何とか浮上したと思ったら……。

ここまで書いているうちに、かなりよくなりました。今、腹部が涼しくなっています。

胸痛に比べると、圧迫感は恐怖感は少なくて済むのですが、じわじわと上半身に満遍なく圧迫感が広がっていき、油断していると、身動きできなくなってきます。

何もしなくても、途中でよくなることだって、勿論ありますよ。でも、結局はニトロを使う羽目になることのほうが多いです。

寝ているときにこれが起きると、ニトロ……と思いながら無意味に時間を過ごし(圧迫感のために普段通りの行動ができないのです)、そのうち朦朧としてくるので、これはこれで怖いと感じます。
蛇に絞め殺される小動物って、これに似た体調を経て死に至るのかと。

杭を打たれたドラキュラ感覚と蛇の生殺しにあった感覚……
どちらも嫌なものです。

舌下錠は唾液の分泌量によって、効き方に違いが出る気がします。舌の下が乾いていると溶けにくくて、なかなか薬が効いてきません。
分泌量が多すぎると、早く溶けすぎて飲み込むのに近くなり、うまく効きません。

今度の受診時には 、忘れないようにスプレー式を出していただけないか、訊いてみなくては。
ただ、せっかちなわたしは、スプレー式だと使いすぎそうな怖さも……。

腹部膨張感も完全に消えました。狭心症の発作からくる腹部膨張感は、胃腸障害からくるものとは何となく違いのあるのがわかります。
狭心症からくるものは、おなかの中で風船がぱんぱんに膨らんでいくような感じで、これが何ともいえない苦しさを招きます。

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2012年3月26日 (月)

Notes:不思議な接着剤 #80 南仏作家の児童文学作品に挿入されたマグダラのマリアへの祈り

Notes:不思議な接着剤は、執筆中の自作の児童文学作品『不思議な接着剤』のための創作ノート。

 カテゴリー「Notes:不思議な接着剤」にメモは入れたが、このNotesの更新は昨年の夏以来だった。マグダラのマリアをめぐるリサーチを依然続行中であるため、なかなか執筆に戻れないが、他のことに気をとられていると、揺り返しを受けてハッとなったりする。つい昨日も、そんなことがあった。

 児童文学界を考察した「瀕死の児童文学界」を書くための資料として、他の9冊の本と共に以下の本を図書館から借りた。

 借りたら、すぐにざっと全部に目を通す習慣なので、順に――読むというより――見ていった。そして、アンリ・ボスコ『犬のバルボッシュ』を何気なく開いたら、以下の文章が目に飛び込んできて驚いた。

[引用 ここから]……
マグダラのマリア様
もしもわたしにその値打ちがあるなら
苦しみからお助け下さい
……[引用 ここまで]

 『犬のバルボッシュ』は純文学の手法で書かれた神秘主義的ムードを湛えた児童文学作品で、なるほど、南仏作家らしい。少年とその伯母が旅をする物語で、飼い犬のバルボッシュが自由な同行の仕方をし、よい味を出している。その旅の途中、洞穴を抜けるときに伯母が安全祈願のために少年に教えてくれたのが上に引用したお祈りなのだった。

 南仏に染み通っているマグダラのマリア伝説、信仰の一端を見た思いがする。

 わたしのリサーチでは、マグダラのマリアはイエスの伴侶で[根拠として挙げられる一例:ラビと呼ばれたイエスだが、ラビは結婚しているのが普通だった]、イエスの死後、マグダラとペトロとの対立が顕在化。そしてイエスの死から遠くない時期に、何者らかの陰謀によるものか、あるいは望んだ亡命だったのかはわからないが、マグダラを含むイエスの弟子の一部が南仏に小舟で漂着した。

 同行した中に黒人の召使いサラがいて、召使いにしては扱いが大きく、サラの遺体はサント=マリー=ド=ラ=メール(海の聖マリアたち)という町の教会の地下聖堂に安置されてジプシーの守護聖女となっている。

マーガレット・スターバード
英知出版
発売日:2005-06-01

 スターバードは、サラがイエスとマグダラの子供だった可能性を追究している(この著作はもったいなくて、少しずつ読んでいる。特にタロットに触れた辺りはもったいなさすぎる!)。

 町では聖サラ、別名サラ・カリ(黒い女王)を記念して祭りが開かれる。サラという名前は、ヘブライ語で「女王」「王女」という意味で、地元の伝承ではサラはまだ子供だったと伝えられているという。

 ピラトはローマ兵たちに命じて、「ユダヤ人の王、ナザレのイエス」と十字架上の札に書かせた。マイケル・ペイジェントらは『レンヌ=ル=シャトーの謎――イエスの血脈と聖杯伝説』でイエスがダビデの血筋を引いていた可能性を追究した。

 わたしは過去ノート#51で、ウォラギネのヤコブス[1128 - 98]の『黄金伝説』に出てくる砂浜で遊んでいる子供と母の乳房を求めた赤ん坊については、時間的な置き換えがなされているか、二人の子供に関する出来事を一つにしてしまっているとしか思えないと書いた。また、マグダラと赤ん坊は亡くなってしまい、もう一人いた男の子を領主夫妻が引きとったかもしれないとも書いた。

2010年4月 5日 (月)
Notes:不思議な接着剤 #51 二つの嵐とマグダラのマリアの安否
http://elder.tea-nifty.com/blog/2010/04/notes51-7d04.html

 マグダラの生死について、わたしのようなことをいっている著作はないので、マグダラはユダヤ人共同体に子供たちと共にうまく溶け込んで布教に励み、後に洞窟に瞑想のために籠もったと考えるべきかもしれない。萬子媛のように(萬子媛のときのように、マグダラの籠もったとされる洞窟に行けたら何かを感じることができるかもしれないけれど)。

2012年3月12日 (月)
祐徳稲荷神社 ③萬子媛ゆかりの石壁神社にて
http://elder.tea-nifty.com/blog/2012/03/post-31b2.html

 遊んでいた男の子が女の子だったとすると……。

 黒人サラの母であるマグダラも、黒人だったと考えられる。黒い聖母信仰の起源はケルトの地母神信仰に由来するのではなく、マグダラとサラに由来するのかもしれない。

 ところで、スターバードはサラをエジプト人と書いているが、エチオピア人説もある。わたしは児童文学作品Pではペガサスを登場させたので、続編ではアンドロメダで行こうと考えた。知らなかったが、調べてみるとギリシア神話でアンドロメダはエチオピアの王女だった。このエチオピアについてもわたしは無知で、調べてみて驚くことになったのだった。別のことをしていても、どういうわけか、マグダラのマリアのテーマに引き戻される感じがしている。

 以下はウィキペディアより抜粋。

[引用 ここから]……
エチオピア
ウィキペディアの執筆者,2012,「エチオピア」『ウィキペディア日本語版』,(2012年3月26日取得,//ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%82%A8%E3%83%81%E3%82%AA%E3%83%94%E3%82%A2&oldid=41530861).

エチオピアは、アフリカ最古の独立国として知られる。

国名のエチオピアは、ギリシャ語の「日に焼けた」という意味のアエオティプスに因むが、これはエチオピア人の肌の色に由来しており、本来の意味はアフリカ大陸の広範囲に渡る地域を指す。

エチオピアには元々ネグロイドの先住民が住んでいたが、イエメンのサバ王国から住民も少数移住し、ソロモン王とシバの女王の血筋を受け継ぐと称するアクスム王国が、現在のエリトリアにある沿岸の港町アドゥリスを通じた貿易で繁栄した。全盛期は4世紀でこのころコプト教伝来の影響が見られ(コプト教伝来以前はサバ王国から伝わった月崇拝を宗教としていた)、クシュ王国を滅ぼして、イエメンの一部まで支配したとされる。
……[引用 ここまで] 

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2012年3月24日 (土)

C・G・ユング『ヨブへの答え』(林道義訳、みすず書房、1988年)

C.G. ユング
みすず書房
発売日:1988-03

 まだ読みかけたばかりなのだが、明日が図書館の返却日。さすがはユングと思わされる著作であるので、予約が入っていなければ、続けて借り、読破したい。そこで、これはちょっとしたメモ。

 旧約聖書にある『ヨブ記』は大学時代からの愛読書だった。不運に打ちひしがれたときに、『ヨブ記』ほど、心に染み入る著作は少ない。ユングも大学時代に盛んに読み、夢日記はその頃からつけている。しかしユングが『ヨブ記』をどう解釈したのかまでは知らなかった。

 まだ読みかけたところで、全貌は掴めていないが、『ヨブ記』にアプローチしたものとしては異色の作といってよいことは間違いないだろう。

ジークムント フロイト
筑摩書房
発売日:2003-09

 異色の書といえば、ジークムント・フロイト『モーセと一神教』(渡辺哲夫訳、ちくま学芸文庫、2003年)もそうだ。ユダヤ人フロイトのモーセに関する自由な発想に呆然となり、レビューを書く段階にないまま放置状態なのだが、カテゴリー「Notes:不思議な接着剤」で扱っているテーマにリンクするところのある著作なので、ちゃんと書いておきたいとは思っている。

 このフロイトの著作を読むと、ヨセフスのことが連想される。イエスと同時代――紀元1世紀――のユダヤの歴史家フラウィウス・ヨセフスが、モーセを書く際に自由な描き方をしたことを。『ユダヤ古代誌』の訳者秦剛平氏によると、ヨセフスはモーセにスピーチさせる手法を採り入れた。この登場人物にスピーチさせる手法は、トゥキュディデースから継承したものらしい。

 ユングはユダヤ人ではないが、『ヨブへの答え』は、師であり後に袂を分かったフロイトの『モーセと一神教』を連想させる。『ヨブへの答え』においても、発想の自由さに驚かされるが、その自由さがどこから来るかというと、フロイトと同じように分析の厳密さから来るのだ。ユングは『ヨブ記』の神について、「ヤーヴェは現象であって、人にあらず」と書く。

[引用 ここから]……
 無意識のうちにあることは動物的 - 自然的である。あらゆる古代の神々と同様ヤーヴェもそのシンボル体系を持っており、しかもそれよりはるかに古いエジプトの動物の姿をした神々・とくにホールスとその四人の息子たちの姿・を紛れもなく拝借している。ヤーヴェの四つの《生き物》のうち一つだけが人間の顔をしている。それはおそらくサタン・精神的な人間の代父・であろう。エゼエキルの幻視は生き物の形をした神に、四分の三は動物の顔を、四分の一にだけ人間の顔を与えている。他方で「上位の」神、すなわちサファイアの円盤の上にいる神は、人の姿に似ているにすぎない。このシンボル体系はヤーヴェの――人間の立場から見て――我慢のならない振る舞いを説明してくれる。その振る舞いはすぐれて無意識な行生き物の振る舞いであって、それを道徳的に判断することはできない。すなわちヤーヴェは現象であって、「人にあらず」である*。

 * 《世界創造主》が意識的な存在であるという素朴な仮定はゆゆしい偏見と言わざるをえない。なぜならその仮定は後に信じがたいほどの論理的な矛盾を生みだしたからである。たとえば、意識的な善なる神は悪い行為を産み出すことができないと仮定する必要がなかったら、《善の欠如》などという馬鹿げた概念は必要なかったであろう。それに対して神が無意識であり無反省であると仮定すれば、神の行為を道徳的判断の対象とせず、善なる面と恐ろしい面とを矛盾とは見ない見方が可能になる。
……[引用 ここまで]

・‥…☆・‥…☆・‥…☆

 ここからは、上に書いたこととはまったく別の事柄で、ファンタジーに関する覚書だが、当世風ファンタジーは、ユングの理論を踏襲して「真のアイデンティティー」を目指すつもりの一種の宗教となっているように思える。「真のアイデンティティー」を目指すのはあくまで作者であって、作品は手段にすぎない。登場人物は道具と成り果てている。読者が登場人物に安全に感情移入できた以前のファンタジーとは、別物なのだ。

 彼らは個人的無意識に潜入して集合的無意識に至り、そこで宝物(普遍的物語)を発見して持ち帰っているわけではない。そんな方法論が確立されたという話は聴いたことがない。彼らは、意識的に気ままな空想に耽って、意識的に気ままな物語を綴っているにすぎない。その創作姿勢がひどく不健康に、無責任なものに映る。

 この記事はまだ書きかけです。 

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何とか回復。そうだ、今夜はドライカレーにしよう!

 朝はどうなるかと思う体調の悪さでしたが、何とか回復したので、遅くから家事を始めました。まだ気管支、心臓共に本調子ではないので(体のあちこちに力が入らないような変な感じもあります)、警戒中ではあります。

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 パセリがプランターいっぱいに育っています。今日はドライカレーをしようと思い(家族はこれが大好き)、添えるライスをパセリライスにしようと摘んできました。すぐに使わないときは、さっと洗ってポリ袋に入れ、冷蔵庫の野菜室で保存します。

 今、夫に買い物に行って貰っているところです。ドライカレーの材料――カレー粉、トマト、玉ねぎ、にんじん、にんにく、しょうが、はあるので、足りない合い挽き肉と、飲むヨーグルトを頼みました。

 普段ですと、ドライカレーのときはデザートのようなアボカドのスープをするのです(服部先生のレシピが過去記事検索で出てくると思います)。娘はアボカド選びが上手ですが、夫にはまだ難しいと思い、頼みませんでした。

 ドレイカレーのパセリライス添え(+スライスしたゆで卵)。サラダ、飲むヨーグルトが夕飯の献立です。気が向いたらスープも作るかもしれません。

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消耗しました

喘息も心臓も、発作は治まっています。喘息の薬メプチンエアーの副作用で、かなりの頻脈となり(今は戻っています)、汗まみれにもなって気持ちが悪いので、シャワーを浴びたいのですが、かなり消耗してしまったため、まだ無理です。今日は完全に病人。横になっています。読書も創作も、考えるのも嫌です。

トイレに行ったときに体重計にのったら、一晩で痩せて、びっくり。時々脚が痙攣したようになり、不快。軽い吐き気もありますこのまま発作が起きなければいいのですが(迎え撃つには体力が…)、心臓が不安定ですし、喘息は深夜が不安です。

今日は娘が残業で、疲れて帰ってくるのに、弁当ではがっかりさせますわね。頼めば夫がHotto Mottoに行ってくれるでしょうから、どうしても回復しなければ、そうしますが、夕方までには何とか回復して夕飯を作らなくては。

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ニトロペンも使用

ニトロペンも使用

メプチンエアーで呼吸は楽になり、一時的に背中の痛みも消えていましたが、痛みが募ったので、ニトロペン舌下錠を使いました。

左手や背中のほうまで涼しくなり、背中の痛みは消えました。やはり、冠攣縮性狭心症の発作だったようです。が、早くも喘息っぽさがぶり返し……。

眠れなくなってしまいましたが、創作する気分にもなれません。

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喘息、心臓も少し。

このところ、喘息が出て目の覚めることがちょくちょくでしたが、昨日早めに休んだところ、咳込みで目が覚め、止まらず。まだメプチン、使わず。只今、小休止中(?)。心臓も不安定で、背中が痛い。ニトロも、まだ使わず。

季節柄、喘息が出やすいのでしょう。季語に喘息ってあったかしら? ないと、おかしいんじゃありません?

クソッ、苦しいなあ。頭が痛いのは、酸素不足だから? メプチン使うと、心臓がびっくりするので、あまり使いたくありませんが、仕方ない、今から使います。

わたしは9年前、台風被害に遭った後の後始末、引っ越しの最中に喘息を発症しました。

※使用後。メプチンエアー(速攻型気管支拡張吸入薬)を使ったら、楽になりました。ひどかった頭痛も消えましたよ。
最初に噴射(吸入)したあと、まだ苦しかったので、もう一噴射したところ、口からズレて、半分しか入らず(口にくわえればよかったのでしょうが)。そこで、もう一噴射。
症状がこれくらいのときに、使うほうがいいみたいです。ひどくなって使うと、効いた気のしないことがありますから。
メプチンの副作用でしょう、かなりの頻脈になっていますが(そのせいですか、この汗は……)、大したことはありません。頻脈には慣れていますから。
メプチンエアーの吸入を、これまで我慢しすぎたと思いました。ホント、こんなに楽になるなら、症状の軽いうちに使ったほうがいいみたいです(個人差があるでしょうから、あくまでわたしの場合)。

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2012年3月23日 (金)

ベリッシモ・フランチェスコ先生レシピ「ベリッシモ風もやしハンバーグ」

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 久しぶりの料理の記事です。ハンサムなベリッシモ先生の「ベリッシモ風もやしハンバーグ」が簡単で美味しかったので、ぜひ紹介したいと思いました。日本酒と赤ワインを使うので、大人の女性向きかなあ。チーズをのせるので、意外にボリューム感がありますよ。

[材料・2人分]

  • 鶏ひき肉……200g
  • もやし……1/2袋
  • イタリアンパセリ(生)……適量
  • スライスチーズ(チェダー味)……2枚
  • 日本酒……1/4カップ
  • 赤ワイン(辛口)……1/4カップ
  • パプリカパウダー……小さじ1
  • ガーリックパウダー……適量
  • 塩……適量
  • ブラックペッパー……適量
  • オリーブオイルEX……大さじ2

[作り方]

  1. 鶏ひき肉を手で軽くこねたら、くぼみを作り、細かく刻んだもやしを中に入れて丸く形を整える。
  2. フライパンにオリーブオイルEXをひき、①を入れ、ガーリックパウダー、ブラックペッパー、パプリカパウダー、塩を加えて焼く。
  3. 15分ほど焼いたら、日本酒と赤ワインを回しかける。
  4. 刻んだイタリアンパセリとチーズをのせて、パプリカパウダーを振りかける。

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 牛肉の切り落としが冷凍庫にあると大助かり。簡単にできる牛丼は、ありがたいレシピですね。調味料の量などはもうすっかり我流となっていますが、基本は鈴木登紀子先生のレシピです。

 鈴木登紀子『鈴木登紀子のお母さんのおそうざい帳2 炊き込みご飯』(潮出版社、昭和56年)からレシピをご紹介しておきます。

[材料・4人分]

  • ご飯……どんぶり4杯
  • 牛肉薄切り肉……300g
  • シラタキ……1玉
  • 玉ネギ……大1個
  • 青み……少々
  • 煮汁……水1/2,みりん大さじ5,酒大さじ3,砂糖大さじ3,しょうゆ大さじ5

[作り方]

  1. 鍋は底が広くて平たいものを用意し、煮汁用の水と調味料を入れて火にかけます。
  2. 煮立ったら(食べよい大きさに切った)牛肉、(半分に切ってから薄切りにした)玉ネギ、(ゆでてアク抜きし食べよく2、3か所包丁を入れた)シラタキを入れて3、4分煮、味よく仕上げて青み少々を散らします。
  3. 炊きたての熱いご飯を、どんぶりに七分目ほど盛り、②を等分にしてのせ、煮汁を回しかけます。

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 イカと大根の煮物は、「十二か月シリーズ 野菜料理十二か月」(女子栄養大学出版部、昭和41年)の中の『イカと里芋の煮物』を参考にしました。

 レシピをご紹介します。

[材料・4人分]

  • イカ……2はい
  • 里芋……400g
  • しょうゆ……大さじ4
  • 砂糖……大さじ3
  • 水……1/2C

[作り方]

  1. イカは腹ワタをとり、洗って胴を輪切りにし、足は適当に切る。
  2. 里芋は洗って皮をむき、2cm位の乱切りにして、一度さっとゆでてぬめりをとる。
  3. イカと里芋を鍋に入れて、しょうゆ、砂糖を加えて煮込む。

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 ちょっとこくのあるサイドディッシュがほしいときに、重宝します。レシピは過去記事で紹介済みでした。

2010年9月18日 (土)
米なすと豚肉のごまあえ - 土井善晴先生レシピ
http://elder.tea-nifty.com/blog/2010/09/--f86f.html

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 この日は、お刺身が半額になっていたのを娘に買ってきて貰い、ハムと豚肉がほんの少しずつあったのを活用。冷蔵庫の整理ができたばかりか、まずまずの食卓になり、自己満足(?)した夕飯。味噌汁はさつまいもと白ねぎでした。

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2012年3月22日 (木)

書評 - 梨木香歩『ミケルの庭』(新潮文庫、平成15年) 秀逸な「魔」の描写と問題点

 『ミケルの庭』は、新潮文庫版『りかさん』のための書き下ろしだそうだ。

2012年3月20日 (火)
書評 - 梨木香歩『りかさん』(偕成社、1999年) 自己満足の道具となったアビゲイル
http://elder.tea-nifty.com/blog/2012/03/--cc15.html

 上の『りかさん』の書評では触れなかったが、『りかさん』の「アビゲイルの巻」に、マーガレットというアメリカのダウンタウンに住む東ヨーロッパから移民したユダヤ人一家の女性が出てくる。

 日米親善使節として日本に送られることになった、ママードールのアビゲイル。送る前に、企画の指導役の一人である教会の牧師夫人アビィ(アビゲイルという名は彼女の名をとってつけられた)がダウンタウンの家々を訪問して回る。貧しい家に住むマーガレットは教会の信者ではなかったが、アヴィの訪問を受ける。悦ばれるだろうという期待に反して、マーガレットの反応は鈍い。アヴィはいう。

[引用 ここから]……
私、女性は皆こういうものに心惹かれるものだと当然のように思っていた、でも、あなたは私に、あなたが他人とうまくつきあえないことを以前話してくれていたわね。いつか子どもを持ったとき、その子を育てて行けるかどうか自信がない、という不安もあったわね。そういう今のあなたに人形をかわいいと思う心のゆとりがあるわけがなかった。つらいことを押しつけてしまった。ごめんなさい。
……[引用 ここまで]

 牧師夫人でありながら、アビィという女性の言動は無神経というほかないが、追い討ちをかけるように愛の押し売りをする。言葉の不自由や貧しさといった生活不安でいっぱいの女性から、愛を搾りとりたいのだ。

[引用 ここから]……
でもねえ、マーガレット、この人形にはすでにいっぱいの愛が蓄えられているのよ。この人形はその愛を、見知らぬ国へ届けに行くの。ほら、抱いてみない?
……[引用 ここまで]

 アヴィがいうと、愛という言葉がお金に聴こえる。この場面の作者の意図がわたしにはよくわからない。

 アヴィを批判的な意図から描いているのか、それともマーガレットに人間的欠陥があり、そのために、将来生まれる子供に対してその愛を充分には注げないことの伏線として描いているのかが……。ここのところは大事である。

 このあとのアヴィに肩入れしたような作者の描き方からすると、後者だろう。だとすれば、作者にとっての愛には、演出を伴う、相手の都合を無視した些か利己的な面のあることがわかる。

 牧師夫人アヴィの、愛というにはあまりにも一方的な働きかけを受け入れられなかったマーガレットの感性は、わたしにはむしろ正常に映るのだが、マーガレットのこの状態はまるで業病のような描かれ方をして、曾孫のマーガレットにも表われる(そのように作者は描く)。未読だが、曾孫マーガレットは『からくりからくさ』で登場するそうで、彼女はこの『ミケルの庭』では、不在の形で登場する。

 曾孫のマーガレットはミケルを生むが、育児ノイローゼのようになっていた。そこへ短期留学の話があり、マーガレットは下宿仲間の3人に勧められて、彼女らにミケルを託し、留学した。

 下宿仲間の3人とは、『りかさん』に出てきたようこ(蓉子)、与希子、紀久である。マーガレットを含む4人が下宿しているのは蓉子の祖母の家である。祖母亡き後は蓉子の父が大家で、下宿人の希望に副い、一部が染色工房となった。

 ところで、マーガレットの育児ノイローゼだが、育児ノイローゼになる母親は全く珍しくない。育児中、母親は過酷な労働条件のもとに置かれるだけでなく、そこでは様々な不測の事態が生じやすいからだ。

 責任感の強い母親ほど育児ノイローゼになりやすいところへ、マーガレットのようなパートナーの協力の得られない不安定な状況に置かれるともなれば、前途多難であることは想像がつく。人それぞれの悪条件と戦いながら、それでも多くの母親は、育児ノイローゼやそれに近い状態を乗り越えて、何とか子育てしていくのだ。

 マーガレットが乳児のミケルを置き去りにして短期留学に行くのは如何にも不自然で、作者のご都合主義的な操作が感じられる。

 重大な問題を提起しているという点で、『ミケルの庭』の主人公といってよいのは、紀久である。

 ミケルは紀久の昔の恋人とマーガレットの間の子供だった。紀久はインフルエンザにかかり、ミケルに移さないように用心していたにも拘らず、魔がさしたように、ミケルを抱いてしまう。そのときにインフルエンザが移ったのか、魔的な作用でかは定かでないが、ミケルは高熱を出し、医者の不手際もあって、危険な状態に陥ってしまうのだ。

 紀久に魔がさしたときの様子は、以下のように描かれている。

[引用 ここから]……
いけない、と、何かが頭の奥で叫ぶ。両手を広げた自分の腕に重なるようにして、何か、大きな、黒い鳥の翼のようなものが自分を覆うような気がする。ミケルがハイハイでこちらにやってくる。ミケルは嬉しそうだ。この子は滅多にこんな顔をしない。やはりこの子も寂しく思っていたのだ。そう思うとなおさらのこと、抱きしめようとする動きが止らない。けれどいけない、風邪が移るから、それはしてはいけないのに、と叫ぶ声が遠くで聞こえる。反対にすぐ顔の前の方で、ああ、なんてかわいい、と、自分でないもののように呟く声がしてぎょっとする。
 ……かわいい、かわいい、食べてしまいたいぐらいかわいいねえ。
 ミケルがあっという間に近づく。微笑んでミケルを迎える自分の口元が悪魔のようだ。邪悪な、黒い、大きな鳥のようだ。紀久はぞっとする。けれどそれも、頭のどこかで。
 気が付けば、ミケルを抱きしめていた。
……[引用 ここまで]

 作家の鋭敏な感性が捉えた、秀逸な魔の描写といえよう。

 ここでこんな告白をするのもナンだが、神秘主義者として生活しているわたしは現に、人間に入り込んで影響を及ぼす、悪戯な妖精だが妖怪だか、肉眼では見えない色々なタイプの生き物を透視することがたまにある。ブラヴァツキーの神智学で、エレメンタルと呼ばれるものだろうと思う。以下の過去記事を参照。

2012年1月 7日 (土)
たっぷりの珈琲、童話、神秘主義。
http://elder.tea-nifty.com/blog/2012/01/post-2592.html

 作者は『ミケルの庭』で、魔はどこから来て、どこへ行くのか? その正体は何なのか? と、虚心に問いかけているような気がして心を打たれた。

 しかしながら問題は、この作家が魔に拮抗できるだけのものを読者に与えられないところだろう。蓉子が紀久の背中を撫でてやって、その役割を担わされているようだが、役不足に感じられる。

 その原因はおそらく、先に見たマーガレットの曾祖母と牧師夫人アビィの描き方からもわかるように、作者の物事の捉え方が皮相的なところにある。何作か見てきたが、梨木は村上春樹同様、作家にしては子供っぽく、怖いものを読者に見せるだけの資格を欠いているように感じられるところが、問題だとわたしは思う。盲人が盲人の手を引くとは、このことではないだろうか。

 読者は、彼らこそ自分のことをわかってくれる、何とかしてくれると思うのかもしれないが、それは虚しい期待にすぎないことを作中から読みとるべきである。気晴らしが――もっと深刻には救いが――ほしいのはわかるが、彼らの作品には危険なところがあることを自覚すべきである。彼らを一緒くたに扱うのが乱暴なことだとはわかっているけれど、あまりに似ているので、ついそうしてしまう(彼らが河合隼雄チルドレンとまでは知らなかったが)。

 瀕死状態のミケルを使って、臨死体験のようなものも絵画的に表現されているが、それも作者にとってはこなれていない素材で、大団円を演出するための工夫にすぎないという気がする。

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またミューズが降りてきた

最近、心から読みたいというより、研究のための読書ばかりしていたら、気持ちが荒んできたので、昨夜は研究から離れ、何となくディケンズ『荒涼館』を読んでいました。これが面白い!

すっかり元気になり、娘と深夜のお茶なんかしていたら、インスピレーションが。忘れないように一晩中かかってストーリーを書いて一息ついたところです。

長いものではありませんので、今日できたらプロットを作成し、今週中には無理でも、来週中には仕上げたいと思っています。長編児童文学作品『不思議な接着剤』に早く戻りたいのです。

今年中に書きたい純文学小説のモチーフもひらめきました。

話は変わりますが、息子と会社で同期の人のなかに一人やめた人がいます。やめた理由は、医者になりたくなったためだそうです。受験勉強の時間をとるために県庁を受験してパスしたまではよかったようですが、暇だと思った県庁の仕事が大変になり(震災の被害に遭った県の県庁だそうで。勿論受験したのは震災前)、こんなことなら会社をやめなければよかったといっていたとか。

志望は東大の医学部ですって! 東北大から東大の大学院へ進み、修士課程を卒業した人ですが、医学部となると学部が全然違うし、ブランクもあるし、卒業するときには相当年も食うだろうし……。

すごいねえ、と息子と話しました。「自分が小さかった気がするよ」と息子。わたしもそうです! 清く正しく美しく(?)作家志望を貫きたいと思いました。
息子は来月から会社を休んで少しの間、大学の研究室に籠もりますが、やはり会社のことが気になるようです。あと論文一本書けたら博士課程を卒業できそうということなので、頑張ってほしいものです。

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2012年3月20日 (火)

書評 - 梨木香歩『りかさん』(偕成社、1999年) 自己満足の道具となったアビゲイル

梨木 香歩
新潮社
発売日:2003-06

 偕成社版『りかさん』を図書館から借りて読み始めた日の夕方、自分のものにしてちゃんと読んでみたいと思い、仕事帰りの娘に頼んで新潮文庫版を買って来て貰った。

 過去記事で『西の魔女は死んだ』の書評を書き、『裏庭』『春になったら苺を摘みに』『ぐるりのこと』を読んだあとの『りかさん』だった。

2012年3月 7日 (水)
書評 - 梨木果歩『西の魔女が死んだ』(楡出版、1994年)
http://elder.tea-nifty.com/blog/2012/03/--1994-1dc0.html

 連載中の記事『瀕死の児童文学界 ⑥河合隼雄、工藤左千夫の著作を読む』を書く必要から梨木香歩の作品に初めて触れた。作者と年齢が近いということがあるからか、題材や作風に親しみが湧くところがあるのだが、作品が発散しているムードに引っかかるところがあり、読み進むにつれてそれが次第に強まっていく感じだ。

 『西の魔女』では透明感のある翻訳調の文体だった。『りかさん』では和文化に作者の食指が動いていることを感じさせる文体を見せられ、円地文子以来の作家ではないだろうかと興奮した。円地文子には燻し銀のような純文学作品がある一方、オカルティックなライトノベル調の作品もあったと思う。だが、梨木の古典の教養がどの程度のものなのかまではうまく量れなかった。

 というのも、人形たちのおしゃべりに、文楽の作品などからそのまま借りてきたようなぎこちなさがあるからで、それが人形のぎこちなさにはよく合っている。このようなミスマッチや器用さを、作品のあちこちで発揮している作家という印象を受ける。読みながら、もう一つ信用しきれない――才気走ってはいるが、滋味に乏しい感じを受けるのは、それが原因かとも思う。言葉の遣い方に冴えた手腕を見せる作家であるが、どうかと思うような箇所が時々出てくる。

 例えば、主人公のようこが無念の思いから目を見開いたままのママードールの目を閉じてやろうとするが、うまくできない。そのとき、市松人形のりかが、「解消されない屈託があるんだ」という。りかは自らが人形でありながら、人形たちの運命をスクリーンに映して見せてくれたり、適切なコメントを挟んだりしてようこを導く案内役であって、その言葉はようこに恭しく受け入れられてきた。

 屈託という言葉の意味は、物事を気にかけてくよくよするとか、疲れて厭きるといった意味だ。ママードールの置かれた状況は、屈託などという言葉では到底語り尽くせないくらいに重いのではないだろうか。ホラーがかって感じられるくらいにママードールの描写される様が悲惨であるだけに、作者がりかにいわせた屈託という言葉にわたしは引っかかる。不信感が芽生えるのだ。

 『りかさん』がどのような物語かを手短にいうと、ようこという女の子が祖母に遣わされた市松人形の「りかさん」の手解きを受けて、鎮魂(たましずめ)のスペシャリストに成長する物語だ。

 祖母がようこに雛祭りに何がほしいかと訊く。リカちゃんと答えた主人公に贈られたのは、市松人形のりかさんだった。読み始めたときには自然に思えたこの事件の発端も、りかを背後で操っているかのようなその後の祖母の動きを見ていくと不自然で、祖母は年寄りのとんちんかんを装って、りかという特殊な人形をようこに押しつけたとしか思えない。何のためだろう?

 祖母は手紙を添えていた。りかが縁あってようこに貰われるということ。元の持ち主の祖母を含む今までの持ち主たちがりかを大事に慈しんできたから、とてもいいお人形だということ。ようこにも、りかを幸せにしてあげる責任があるということ――が書かれていた。人形の扱い方についても細かな指示があった。

 加えて人形論を説くことで祖母は、本来はようこにとって自由なはずの人形遊びを規定してしまう。そして、鎮魂の役目まで背負わせるというわけだ。ようこは、寺とか修道院に入れられた昔の子供みたいにも思えてくる。祖母は、『西の魔女は死んだ』に出てくる祖母よりはるかに魔女臭を放っている。

 7日間、ままごと遊びというよりは儀式のような食事をりかと共にすると、りかはしゃべりかけるようになり、人形たちの運命を見せる案内役を務めるようになるのだった。登美子の家の雛壇には雛人形のほかに賀茂人形、這子、紙雛、ビスクドールなどが飾られている。クライマックスで登場する目を見開いたままの黒こげのママードールは、このときはまだ汐汲人形の台座に隠されている。

 このママードールは、「アビゲイルの巻」で登場する。日米親善使節としてアメリカから日本に渡ってきて受難に遭った、西洋人形のうちの一体だった。そうした西洋人形は太平洋戦争が始まると、敵国の人形として焼かれたり、竹槍で突かれて壊されたりしたという。アビゲイルも、校長の指示により、生徒たちの竹槍で突かれ、焼かれる。

 アビゲイルを可愛がっていた比佐子は、このことが応えて死んでしまう。アビゲイルを預かっていた女教師が人形を比佐子のお棺に入れてくれるように頼むが、このときの両親の反応が奇妙である。

[引用 ここから]……
 あまりにも恐ろしそうなアビゲイルの姿を見て、それで比佐子が楽しく遊ぶなどとどうしても考えられない、というのが父親の主張だ。けれど母親にとって比佐子はいちばん最初の子どもで、その子が愛おしんだという人形を簡単に捨てる気にもなれなかった。だがアビゲイルの姿はとても人目にさらせるようなものではない。結局、母親の考えで、汐汲の台座に隠すようにして、この家であずかって行くことにしたのだった。
……[引用 ここまで]

 梨木の作品に出てくる大人たちは、いずれも身勝手で押しつけがましい。一見魅力的に描かれている祖母たちもそうである。そして、子供たちはあくまで素直で、大人の意のままに行動する。まるで人形のように。村上春樹の作品に出てくる男たちが気ままで、女たちが男に都合のよい行動ばかりとることを連想させられる。

「両腕片足はなく、もう片足は取れかかり、片目はつぶれ、もう片目はかっと見開かれて恐ろしげにこちらをにらんでいる」アビゲイルの目を閉じてやろうとして挫折したようこがりかにどうしてあげたらいいのか訊くと、りかは「アビゲイルは、かわいがられることが使命なの。かわいいって抱きしめてあげて」という。

 躊躇したようこが「かわいいという言葉を胸の中に抱いてみて」というりかの導きで、「かわいいという気持ちを、小さな鞠のように胸の中にふわりとおいた」ら、その次にどうすればいいのか、りかから指導が下る。そうした過程を経てアビゲイルを抱き締めた。

[引用 ここから]……
 アビゲイルの体に触れると、ようこの心は電流が走ったようだった。かまわずに腕の中に抱き入れると、焼けつくような痛みが起こり、それから、火傷のあとのようにひりひりとして来た。ようこはそれでもアビゲイルを離さなかった。自分のどこか奥の方から、けっして絶えることのないように泉のようにあふれるものがあり、それはしばらくアビゲイルの「ひりひり」と拮抗していた。やがて「ひりひり」があまりに激しくなり、ようこは声を上げそうになったが、心のどこかに、この苦痛は長くは続かない、という確信のようなものがあった。すると心の奥の泉から今までにも増して温かく穏やかな慈しみの川のようなものが流れ出し、ようこの苦痛を包み、アビゲイルの存在までくるんで流して行ったかのようだった。アビゲイルの表情も最初は拒絶するような険しいものに見えたが、やがてそれもおさまった。
……[引用 ここまで]

  神秘主義的観点から考察すると、これはとても危険なことである。

 このあと、ようこはりかにいわれてアビゲイルと一緒にりかを抱く。二体の人形の間で何かが起こり、濃密な空気が醸し出される。そしてりかにいわれてアビゲイルの目を閉じると、アビゲイルは灰の塊になった。

 アビゲイルは悲惨な目に遭ったが、作家としてバランスのとれた書き方をするなら、鬼畜アメリカ人といいながら、自らが鬼畜となっていった当時の日本の苦境も描くべきだろう。

 比佐子は登美子の伯母に当たるのだが、登美子の母親はアビゲイルが発する瘴気のために体調を崩していたのか、アビゲイルの件が落着すると、体調が回復する。このハッピーエンドも腑に落ちない。

 現代日本で豊かに暮すようこが戦時中の忌まわしい出来事の一切を引き受けてその解消に成功するなど、安手のファンタジーにあるような設定ではないか。

 ようこがアビゲイルを癒す光景は美々しく演出されてはいるが、アビゲイル癒しの手段として使われたようこの愛情は実際には、魔女めいた祖母(及び、りか)の手解きでようやく発揮された危うい愛情にすぎない。ばあさん、難事業はあんた自らがすりゃいいじゃないか。アビゲイルは彼らの自己満足の道具に使われただけだ。アビゲイルは比佐子のお棺に入れられたほうがはるかによかっただろう。

 新潮文庫版には『りかさん』と『ミケルの庭』が収録されている。『ミケルの庭』には大人になったようこ(蓉子)が登場して、自己不信に陥った女友達の背中を撫でて癒していた。それには瀕死の赤ん坊が出てくるが、ようこにはこのような赤ん坊の病気とか、人形の瘴気で体調を崩した登美子の母親のような人を直接に癒す力はないようである。

 魅力的なところが沢山あるけれど、『りかさん』からは無責任なにおいがする。このような作品が児童向きとは、わたしには到底思えない。

 ところで、単行本のときは明記されていた参考文献が、文庫版では落ちている。以下の著作である。借りたいと思ったが、図書館にはなかった。

 以下の記事で、アビゲイルの仲間と思われる「ノルマンくん」が――写真も――紹介されていた。

「青い目の人形」と「ノルマン」君について
http://www.city.shinshiro.ed.jp/toyo-el/aoime/noruman.htm

ライン以下にサイトから抜粋しておきます。

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2012年3月19日 (月)

同じ街に住む女友達からの伝言。電子書籍。読書中、中、中毒になりそう。

 昼間、料理の記事と梨木果歩『りかさん』の感想を書きかけて時間切れ。

体調メモ。心臓は快調、逆流性食道炎は、気をつければ薬なしでいけそう。どうしても我慢できないときに薬を出して貰うという感じでいいのではないかと。綺麗に治っていた湿疹がまた出てきて悪化中。どうしましょう。ただ、先生からお電話がなかったので、肝機能の低下は心配しなくていいようです。

 今日、ずっとわたしのほうで会うことにストップをかけてしまっている同じ市に住む女友達がお嬢ちゃまと一緒に、娘が勤務する書店に現われ、「そろそろ……」との伝言。ありがと、はいはい、待っててねえ、もうちょっとだけ!

 くろうさぎさんがわたしと組んで、挿絵を担当してくれないかしら(彼はよい絵を描きます)。そして持ち込む。

 うまくいかなければ、電子書籍にしてもいいし。スキャンできるプリンタを買ったお蔭で、過去の作品を比較的楽に蘇らせることができるようになりました。文字化けの直しが意外と面倒ですけれど、こんな愚痴は贅沢ですね。せっかくだから、お試しに、作品を電子書籍化して販売してみようかなあと考えたりしています。

 作家、ブロガーのための個人出版情報サイト 「eBook Brain」様の以下の記事で、わかりやすく比較されています。

個人で電子書籍を出版するために販売サイトを比較
http://ebookbrain.x0.com/blog/selfpublish/compare-ebooks-sell/

 1位はDL-MARKEThttp://www.dlmarket.jp/ となっていますが、わたしが迷っているのは以下の二つです。

 「でじたる書房」のブックメーカーをダウンロードしてみたところです。

 以下は読書メモ。

○読書中

  • ユング『ヨブへの答え』
  • ヘンリー・リンカーン『隠された聖地』
  • 中野節子ほか『作品を読んで考えるイギリス児童文学講座』1、2、3
  • 伊藤遊『えんの松原』
  • 梨木香歩『沼地のある森を抜けて』

○読了

  • 河合隼雄、工藤左千夫『大人への児童文化の招待』
  • 朽木祥『かはたれ』
  • 古市卓也『鍵の秘密』
  • 梨木香歩『りかさん』『ミケルの庭』『春になったら苺を摘みに』『ぐるりのこと』

○分析中

  • 河合隼雄『ファンタジーを読む』
  • 工藤左千夫『ファンタジー文学の世界へ』
  • エンデ『モモ』

○分析のために再読

  • 細谷貞夫編『世界の思想家24 ハイデッガー』
  • ユング『ユング自伝』『心理学と錬金術』『人間と象徴』
  • シュタイナー
  • マクドナルド『北風のうしろの国へ』
  • ストー『マリアンヌの夢』
  • リンドグレーン『はるかな国の兄弟』
  • カニグズバーグ『エリコの丘から』
  • ピアス『トムは真夜中の庭で』
  • ノートン『床下の小人たち』

○分析のために知るべき作家

  • ル=グウィン
  • ボスコ
  • マーヒー
  • ゴッデン

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2012年3月17日 (土)

メモ - ミヒャエル・エンデ著『モモ』

「瀕死の児童文学界」⑥ - (2)を書くためには、ミヒャエル・エンデ著『モモ』を読破しないわけにはいかないと思い、チャレンジした。

以前から、観念に肉付けしただけの、偏りのある異様な作品だと感じられ(短絡的すぎてついていけない作品と感じられ)、分析するために読んでしまわなければと思いながらも、読もうとすると、たちまち睡魔に襲われ……昨日もそう。しかし、今日は頑張った。が、疲労困憊して今日は書けそうにないので、簡単なメモだけ。

『モモ』でエンデのいう時間とは実はお金のことで、資本主義に対する批判の書だとか、マルクス主義批判ともいわれるが、そう読むとすれば要するに利子批判といってよいだろう(何て夢のないテーマだろう。経済システム批判なら、論文ですりゃいいじゃないか。第一お金ならお金と書け! 時間などと、いい換えるな!)。

  • NHK『エンデの遺言』放送後、日本各地で地域通貨ブーム。
  • 「オリーブの森で語り合う」
    これは、1980年代にエンデ、ドイツ社会民主党の政治家エプラー、演劇人テヒルによってローマクラブで行われた対談。

とすれば、ゼロ金利の日本はエンデの理想郷に近づいたというわけだろうか? 嫌でも、モモの友人たち――高齢のためにまともな仕事にありつけないペッポは定年後の職探しに苦慮している夫の姿に重なるし、作り話が特技でちゃんとした仕事についていないジジ――彼は若者だが――の姿は自分に重なる。そしてホームレスのモモのライフスタイルを手本とするような物語は、現在のわが家で読むと、恐怖小説以外の何ものでもない。

以下に、参考までにウィキペディアから抜粋しておく。

[引用 ここから]……
モモ (児童文学)
ウィキペディアの執筆者,2012,「モモ (児童文学)」『ウィキペディア日本語版』,(2012年3月18日取得,//ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%83%A2%E3%83%A2_(%E5%85%90%E7%AB%A5%E6%96%87%E5%AD%A6)&oldid=41167783).

モモ
MOMO
著者 ミヒャエル・エンデ
発行日 1973年
発行元 Thienemann Verlag Gmbh
国 ドイツ
言語 ドイツ語

『モモ』(Momo)は、1973年発表のドイツの作家ミヒャエル・エンデによる児童文学作品。

概要

1974年にドイツ児童文学賞を受賞した。各国で翻訳されている。特に日本では根強い人気があり、日本での発行部数は本国ドイツに次ぐ。

1986年に西ドイツ・イタリア制作により映画化された。映画にはエンデ自身が本人役で出演した。

あらすじ

イタリア・ローマを思わせるとある街に現れた「時間貯蓄銀行」と称する灰色の男たちによって人々から時間が盗まれてしまい、皆の心から余裕が消えてしまう。しかし貧しくとも友人の話に耳を傾け、その人自身をとりもどさせてくれる不思議な力を持つ少女モモが、冒険のなかで奪われた時間を取り戻すというストーリー。

致死的退屈症

致死的退屈症(ちしてきたいくつしょう)とは、本作に登場する架空の病気である。この病気は精神的な症状が見られる。症状としては主に、慢性的な空虚感、抑鬱気分、絶望感、感情不安定、社会的関係への関心のなさ、情緒的な冷たさがある。

解釈

ストーリーには、忙しさの中で生きることの意味を忘れてしまった人々に対する警鐘が読み取れる。このモモという物語の中では灰色の男たちによって時間が奪われたという設定のため、多くの人々はこの物語は余裕を忘れた現代人に注意を促すことが目的であるとされている。しかし、エンデ本人が世の中に訴えたかったことは、この「時間」を「お金」に変換し、利子が利子を生む現代の経済システムに疑問を抱かせることが目的だったという事が、のちに発行された『エンデの遺言』という書籍に記載されている。なお、この事に最初に気が付き、エンデ本人に確認を取ったのはドイツの経済学者、ヴェルナーオンケンであるとされる。
……[引用 ここまで]

岩波少年文庫版『モモ』の腰帯には、以下のように書かれている。

大人にも愛される永遠の名作
不思議な少女「モモ」が気付かせてくれる〈時間〉の大切さ

これは、こうなるわけだ。

大人にも愛される永遠の名作
不思議な少女「モモ」が気付かせてくれる〈お金〉の大切さ

お金を時間に置き換えることもそうだが、『モモ』にはこの種の重大な問題があると思う。言葉の置き換え、意味のすり替え。これについては丁寧に見ていく必要がある。特に分析の必要な箇所は以下。

頁106

頁85と頁119のフージ氏の比較。

頁110

頁113

頁217

「ここまでくると、もう病気は治る見込みがない」
過去の事実としていうなら別だが、どうしてそんなことがいえるのか?

この記事は単なるメモです。

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2012年3月15日 (木)

瀕死の児童文学界 ⑥河合隼雄、工藤左千夫の著作を読む(1)

 ⑤で絵本児童文学研究センターに触れたが、このセンターを1989年に設立し、「54回の総合的な基礎講座を二年半かけて行う」と奥付の著者紹介にあった工藤左千夫著『ファンタジー文学の世界へ―主観の哲学のために―』(成分社、1992年)を借りてきた。

 河合隼雄著『ファンタジーを読む』(講談社、1996年)
 河合隼雄・工藤左千夫共著『大人への児童文化への招待』(絵本児童文学研究センター編、エイデル研究所、1992年)
も借りてきた。

 このセンターが日本の児童文学にどの程度の影響を及ぼしているのかはわからないが、事業の一環として賞を主催し、現在活躍中の児童文学作家を輩出していることから考えると、その影響を小さいものと考えることはできない。

 そこで、ここの教育ではファンタジーがどう定義されているのか、知りたいと思ったのだ。

 ついでにと思い、C・G・ユングの著作でまだ読んだことのなかった『ヨブへの答え』(林道義訳、みすず書房、1988年)も借りてきた。

 まだどれもざっと目を通した程度だが、河合はユング、工藤はハイデッガー、シュタイナーを重要視しているようだ。

 工藤はエンデの作品を採り上げた第五章「エンデにおける時への愛着『モモ』と現代の新たなるナルニア『はてしない物語』について」で以下のように書いている。

[引用 ここから]……
(シュタイナーとの関連は重要なのであるが、それは極力避ける。あくまで今回の作品論の視座は己れの主観である。)
……[引用 ここまで]

 エンデとシュタイナーとの関連が重要であると書きながら、それを極力避ける理由が「今回の作品論の視座は己れの主観である」から――というのはおかしくないだろうか?

 主観であれ客観であれ、工藤が見ている対象はエンデなのだ。エンデが影響を受けたシュタイナーは、いわばエンデに含まれているわけである。だが、この文章からすると、あたかも工藤自身がシュタイナーを含んでいるかのような表現となっている。

 このことはシュタイナーの影響を受けた人間がエンデだけではなく、工藤自身もまたそうであることを感じさせる。このような二つの文がうまくつながらない、意味のすり替えとしか思えない操作が、工藤にも河合にも多発する。この癖――という以上に欠陥――は、まるで病気の感染のようにすら想われて不気味だ。

 それにしても、ユングにハイデッガーにシュタイナーか! わたしにとっては、何か亡霊が現われたような異様な心地にさえなった。特にシュタイナーなどは。

 近代神秘主義運動を展開したブラヴァツキーの著作からの誤用――といって悪ければ、恣意的解釈――が目に余るリードビーター、シュタイナーの著作には振り回された。 

 それというのも、ブラヴァツキーの著作の場合、邦訳の難しさがあるようで、『神智学の鍵』にしても『シークレット・ドクトリン(上)』にしてもなかなか邦訳されず、ブラヴァツキーの後継者の地位にあったこうした人々の著作のほうが先に出回ってしまったという日本特有の事情があった。

 ヤコブ・ベーメ、ブラヴァツキー、リードビーター、シュタイナーは同じ神智学という用語を使うが、違いがある。それをはっきりと知ったのはブラヴァツキーの『神智学の鍵』で、ヤコブ・ベーメなど彼女以前に神智学という用語がどう使われてきたかが真っ先に説明されていたことからだった。リードビーターにもシュタイナーにもこのような厳密さは全くない。

 ブラヴァツキーの死後、社会活動家として知られたアニー・ベザントが第二代会長となってから神智学協会は乱れた。特に、彼女がリードビーターと共にオーラが比類なく美しい少年クリシュナムルティを見い出し、英才教育を施して救世主に仕立てようとした――東方の星教団――事件は、多くの会員の反発、脱会を招いた。尤も、当のクリシュナムルティ自身がベザントとリードビーターのやりかたに疑問を覚えて東方の星教団を解散し、協会を脱会して哲学者としての個人活動に徹した。

 些か短慮、何事もやりすぎの感のあるベザントだが、わたしは何となく憎めない。英国国教会の牧師と結婚して苦悩、社会主義者として女性や子供の権利のために闘い、バーナード・ショーとの恋愛、インド独立運動に飛び込むなど、起伏に富む人生は物書きとしての興味をそそられる。タイトルのテーマとはずれるけれど、彼女の人生を辿ることは当時のイギリスの歴史をなぞることでもあるので、ウィキペディアからの抜粋をライン以下に折り畳んでおきたい。

 話が逸れたが、シュタイナーは東方の星教団事件をきっかけとして神智学協会と袂を分かち、1912年にアントロポゾフィー(人智学)協会を設立した。アントロポゾフィー協会は教育や芸術などの方面で成果を上げ、発展し続けているようだ。オイリュトミーの日本公演を観に行ったことがあったが、あれは不思議な舞踏だった。

 以下は、ウィキペディア「ルドルフ・シュタイナー」へのリンク。

ルドルフ・シュタイナー
http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%83%AB%E3%83%89%E3%83%AB%E3%83%95%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%8A%E3%83%BC&oldid=41618864

 恣意的解釈が目につくという点では、河合隼雄、村上春樹もまたそうである。工藤左千夫の著作には生硬な哲学用語があちこちに見られ、こんな感じのテキストを読まされる受講生は大変だなと気の毒になった。工藤の著作については改めて見ていきたい。 

20120313180304

 『ファンタジーを読む』の中で、河合は心理学の著作でやっていたのと同じことをやっているようだ。作品を理解しようとするより、自分の定義なり結論なりシンボルなりに作品の断片を当てはめるようとしている。

 そうでなければ、全体として一編をなす作品に対して、前半はファンタジーだが、退屈する後半は作者の単なる空想などとはいえなくなるだろう。わたしの好きなマクドナルド『北風のうしろの国』に対しての言葉なのだから、失礼な、といいたくなる。

 河合は、フィリパ・ピアス『トムは真夜中の庭で』を採り上げた際にも、以下のようなことを書いている。

[引用 ここから]……
 フィリパ・ピアスは、その「作者のことば」の最後に、「おばあさんは、じぶんのなかに子どもをもっていた。私たちはみんな、じぶんのなかに子どもをもっているのだ」と述べている。
 これにつけ加えて、私は「子どもたちのなかに大人も老人もいるのだ」とつけ加えたい。そうでなかったら、バーソロミューさんとトムがこれほども通じあうことはなかったであろう。たましいの国の「とき」は円環的、全体的で、直線的な流れから自由になっているはずである。
……[引用 ここまで]

 河合は、自分の解釈に合わせて原著を削ったり、つけ加えたりする。

 このような他人の著作の私物化は、彼の読解力不足を表わしているとしか思えないし、また他人や他人の作品に対するアプローチの強引さ、理解しようとするより支配しようとする人間特有の強欲ささえ感じられる。

 河合はファンタジーについて、「ファンタジーは、心の底からわき起こってくるもので、当人にとってもどうしようもなく、ファンタジー自身が自律性をもつことが特徴的である」という。これに対して、「ファンタジーの自律性が少なく、頭で考え出した作品」は、「つくり話」であるらしい。ファンタジーは妄想とつくり話との間に存在しているそうだ。

 ファンタジーとは、わたしが過去記事で「ミューズが降りてきた」と呼んでいるようなインスピレーションの訪れ及びそれによって完成した作品をいうのだろうか?

 だが、岡野薫子の『雨の日のドン』の中のドンという猫の描写にファンタジーという言葉をじかに当てはめられると、不思議な感じだ。こんな風に河合は書く。

[引用 ここから]……
 ドンから黒ひょうへの変化を、えみちゃんという心のなかに生じたファンタジーがふくらんでいる様相と考えると、それが自律的に動き出し、当人のコントロールを超えてくるところが非常にうまく描かれている。
……[引用 ここまで]

 さらに、ファンタジーが臨死体験を可能にするようなことまでいわれると、象徴的な意味でいうにせよ、いい過ぎではないかといいたくなる。

 たましいはファンタジーのあらわれとも河合はいう。たましいという言葉も、ファンタジーという言葉同様しきりに出てくるにも拘わらず、その定義がはっきりしない。

 (気が向けば)この著作については、改めて丁寧に見ていきたい。他にもリンドグレーンの『はるかな国の兄弟』など、わたしの好きな作品が採り上げられているので、気になる。

 魂という言葉は、前掲の工藤左千夫著『ファンタジー文学の世界へ―主観の哲学のために―』(成分社、1992年)でも使われる。

 (2)に続きますが、この(1)もまだ書きかけです。

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

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2012年3月12日 (月)

祐徳稲荷神社 ③萬子媛ゆかりの石壁神社にて

 以下の記事は佑徳稲荷神社の紹介というより、私的な覚書です。寝言ぐらいに思ってお見逃しくださればと思います。

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 祐徳稲荷神社の創建者萬子媛のことを書く前に、母方の祖母の家系について調べていました。

 祖母の生家は佐賀県神崎郡三田川にあったと聴いていましたが[2006年、三田川町・東脊振村が合併し、吉野ヶ里町が発足]、比較的最近まで、祖母の生家が大庄屋だったことくらいしか知りませんでした。

 ただ、前にも祖母の家系に何となく興味が湧いたことがあって、それは卑弥呼について調べようと思い立ち、吉野ヶ里がオープンして間もない頃に訪ねたことからでした。

 吉野ヶ里にあったクニが邪馬台国だとは思いませんでしたが、古代史研究の参考になることは間違いないと思われたのですね。
 でも、出かけるまでは、吉野ヶ里遺跡のある辺りがもしかしたら昔――早くても14世紀以降でしょうが――は祖母の家の地所だったかもしれないなどとは露程も考えませんでした。

 ところが、その吉野ヶ里遺跡でわたしは一種神秘的といってよい体験をしたのです。
 インスピレーションの訪れに似た清爽な高揚感を伴う体験でした。当時のメモ――『吉野ヶ里幻想』というちょっとSFがかったショートショートのかたちとしてしか残っていませんから、むしろ淡白な表現なのですが――から抜粋してみます。

[引用 ここから]…… 
 環濠内をめぐる。塵一つ落ちていない。「まむしに注意」の立て札が立ち入り禁止区域のあちこちにあった。復元された物見櫓を仰ぎ、高倉倉庫を見、縦穴式住居に入って見た。炉跡やベッド状遺構といったものを眺める。此処が布や壷や花で飾られていたとしても、わびしいものだ。弥生人の心境になって雨の音を聴く。ガイド・ブックには、この住居跡は弥生時代後期のものとあった。卑弥呼は弥生時代後期に活躍した。うーむ、「魏志『倭人伝』」に描かれているゆたかな文化と今わたしがその人として味わっている文化が重ならないではないか。所在ない気分となって、わたしは縦穴式住居から出た。

 雨の中、墳丘墓展示室がほの明るい。六基のかめ棺が穴の中で浮かびあがっていた。幾層にも土をつき固めた墳丘深く、崩壊したかめ棺があり、かめの中に半ば埋もれたかたちでレプリカだろう、銅剣とライト・ブルーの管玉が見える。土肌のなめらかさが、豪華だ。かめの中の闇に翡翠色の光が溶け込んでいる。深々と覗き込んでいたわたしは、ふと思った。かめの中の闇があかしの闇であることを。この闇が失われたものの闇であることを。 [略]

 わたしの頬に、雨に濡れた頭髪が滴を落とす。わたしは改めて、かめ棺の内部を見た。半ば埋もれた、銅剣と管玉を見た。「わたしは高貴に生きたのです」と、闇が語ったのではなかったか。そんな気配をかめ棺の内部の品性にわたしは感じ、求めた。求めずにはいられなかった。
……[引用 ここまで]

 わたしは墳丘墓の中の闇を覗き込んでいたあのとき、闇が光でもあり、音楽でもあり、言葉でもある――また地中は同時に天空でもある――という強い感銘に似た印象を受ける中で、その光でも音楽でも言葉でもある闇が古代に生きた男女のイメージを伴い、「わたしたちはもっと高貴に生きたのです」と語りかけた感じを持ったのでした。

 以来、時々吉野ヶ里遺跡のことを思い出すようになったのでした。そして、以下に書いたような出来事を経て、今度は、やまとのあやについて考えるようになりました。

2009年3月26日 (木)
やまとのあやⅠ
http://elder.tea-nifty.com/blog/2009/03/post-c587.html

 いくら支流とはいえ、やまとのあやの家系がどうして家臣として鍋島家と結びつくのか、見当もつきませんでした。どうせ支流のこと、調べてもわからないだろうと考え、特に調べようとも思いませんでした。

 しかし、萬子媛ゆかりの石壁神社で、心の中での単なる独りごとのつもりで、
「萬子媛。わたしはあなた様の生きざまって凄いなあとずっと思ってきました。もうどこかへ生まれ変わっていらっしゃいますか? それとも、霊妙な空間からまだここを見守っていらっしゃいますか? ああ、そういえば、わたしの祖母の家は鍋島家の家臣だったと聴いています」
と、実にへんてこなことを語りかけてしまいましたが、まさかそれに対するリアクションがあるとは想像もしませんでした。

 祐徳稲荷神社について、神社のホームページから以下に引用します。

[引用 ここから]……
貞享4年(1687年)肥前鹿島藩主鍋島直朝公の夫人花山院萬子媛が、朝廷の勅願所であった稲荷大神の御分霊を勧請された稲荷神社で、衣食住の守護神として国民の間に篤く信仰されております。
……[引用 ここまで]

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 写真はクリックすると、大きくなります。

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 わたしの唐突な語りかけは、どうも深窓の麗人の住まう家のドアをドンドン叩いたような行為だったらしく、驚かれたご当人――としか思えない――方からリアクションが伝わるという神秘的な体験をしました。

 そのときのことは、息子にメールしておいたので、以下にご紹介します。息子は例によってわたしの変なメールに、フリーズしたのではないかと思いますが、別に何もいいませんでした。こうしたことを自分の中だけにしまっておけなくて、わたしは思わず家族にいってしまいますが、家族が受け流してくれるので助かっています。

引用 ここから]……
話題は変わりますが、鹿島の祐徳稲荷神社に行きました。
創建者、萬子媛の庵を神社にした場所(石壁神社)で、背を向けて帰りかけたとき、背後から格調高い貴婦人の気配を感じました。
いきなり心の中で話しかけたので、そんなことは珍しいのか、苦笑なさる雰囲気が伝わってきて、それが細波が寄せるように感じられる微笑に変わり、冷えてきていた時刻だったにも拘わらず、背中がほんわか、温かになりました。
そんじゃそこいらにはいない、品格の高い人というか霊みたい。創建者の責任として、亡くなってからも彼の世から見守っていらっしゃるのだと思いました。
俗っぽいお願いはしにくいけれど、芸術に打ち込むとかは見守っていただけそう。イメージとしてはシックだけど豪華な紫と銀色を感じさせる人(霊)。
宇佐八幡宮なんかは現在、鍵がかかっているというか、神霊不在の感じです。現実に、跡継ぎ問題で秘伝を受けたという世襲家の女性と神社庁とのあいだで揉めてるみたいで、第二審も世襲家敗訴、上告したとニュースに出ていました。
でも、神社って、萬子媛みたいにできた人を祀っているケースは希だと思うから、詣でても、あまり語りかけたりはしないほうがいいと思います。以上は、まあ物書きの空想と思ってください。(2012.1.12)
……[引用 ここまで]

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 私的好奇心を充たすためだけのリサーチですが、この記事を書くために、祖母の実家がやまとのあやの支流でありながら、鍋島家の家臣でもありえた可能性を探ってみました。サイト「日本の苗字七千傑」で、祖母の割りと珍しい姓から家系を遡るとN…氏⇒江上氏⇒岩戸氏⇒大蔵氏と、相当な支流からですが、何とか大蔵氏まで辿り着きます。また、逆に、第6代江上氏種の子孫を追うと、確かに祖母の家系N…氏に行き着きます。
[江上氏http://www.myj7000.jp-biz.net/clan/03/03005a.htm#002

 そして、ウィキペディアで祖母の旧姓N…氏の前に出てくる「江上氏」について調べると(抜粋してライン以下に折り畳んでいます)、概略の最後のほうに鍋島の名が出てくるので、鍋島家との関係がこんなかたちで形成されたのかもしれません。

 ④で、平成4年に、個人誌「ハーモニー」に掲載した短編小説『茜の帳』の付録として付けたちょっとしたエッセー『萬子媛抄』を紹介する予定です。瑞々しさだけがとりえの欠陥作品『茜の帳』も個人誌発表時のままで紹介したいと考えています。
 なぜ『萬子媛抄』を付録としたかというと、小説の後半部の舞台が佑徳稲荷神社だからです。茜という白狐霊の登場する作品で、同人誌「くりえいと」にも載せていただきましたが、割りに好評でしたよ。

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2012年3月11日 (日)

祐徳稲荷神社 ②石の馬と「うま」くいく御守り。

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 ①で、小さな頃から祐徳稲荷神社の入り口に近いところにある険しい顔をした石の狐――狛狐――が怖かったと書きましたが、石の馬には気づきませんでした。馬に接するまでは、馬がもうメロメロになるくらい素敵な動物だと知りませんでしたから。

 あ、狐だって、野性の狐には危険な感じの怜悧な魅力がありますし、映画やテレビで観た飼い慣らされた狐は犬みたいな可愛らしさでした。それに、狐は何より、稲作では鼠から稲を守ってくれる貴重な動物でしたし、あの毛の色も実った稲穂の色ですから、稲荷神社にはふさわしい存在ですよね。

 でも、わたしは石の馬に一目惚れ。この馬が特に気に入りました。少々黴(?)が目立ちますが、近くで見ると、実に愛らしい、メルヘン調の容貌をしています。

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 こちらの馬のほうが、大人びた印象でした。あちらが弟で、こちらが兄のように見えました。

 で、買った御守りはこれ。

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 創作の励みになるように、パソコンの近くに立てて置いています。あなた様も、これをご覧になって、物事が「うま」くいきますように。

 この記事、長くなりそうなので、ここで一旦切ります。 

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2012年3月10日 (土)

瀕死の児童文学界 ⑤自称ユング派とファンタジー、児童文学との結びつき

 これはまだメモ段階にすぎない。調べ出したら、次々と新しい情報が舞い込んできて、ショックを受けることばかりだ。まとまったものに仕上げるには、かなり時間がかかるだろうと思う。

 梨木香歩と児童文学ファンタジー大賞、児童文学ファンタジー大賞と絵本・児童文学研究センター、絵本・児童文学研究センターと河合隼雄[故人]、河合隼雄と村上春樹と辿っていったとき、村上春樹現象は河合隼雄と切り離せないものであり、今の日本のファンタジーが河合隼雄と切り離せないという事実が見えてきた。

 絵本・児童文学研究センターは、ホームページによると、「生涯教育として、児童文化(絵本・児童文学など)の研究をしている機関です」とあり、故河合隼雄はこの機関の名誉会長とあった。

 児童文学ファンタジー大賞はこの機関の各種事業のうちの一つで、梨木香歩はこの賞の第1回の大賞受賞者である。受賞作品は『裏庭』。

 美しい筆致に息を呑むが、物語を追っていくと内容的には児童文学というよりはもっと年齢がいった男女向きのライトノベル、ファンタジー――ホラーがかった――といった作風である。

 河合隼雄と梨木香歩とが師弟関係にあったことを考えると、独特の饒舌やイメージのきらびやかなまでの豊富さ、深層心理に分け入ってそれを恣意的な解釈のもとに映像化したような作風にも納得がいくし、村上春樹が河合隼雄の影響を受けた可能性を考えると、梨木香歩と村上春樹の作風の類似にも納得がいく。

 河合隼雄は、饒舌で恣意的な、学者らしくない学者であったとわたしは思っているからである。しかし、彼が日本の文学界に及ぼした大きすぎる影響と影響の及ぼしかたを考えると、それは宗教に近い。

 ユングに熱中したのは大学時代だから、もう30年以上も前のことで、わたしが最初に河合の名を知ったのは、ユングの著作の翻訳者としてであった。その後、河合本人の著作を数冊読んだが、ユングとはまるで違うという印象を持った。それは、わたしがその頃にやはり関心を持って今もその関心が続いているブラヴァツキー[神智学協会の創立者で、近代の神秘主義復活運動の母]の理論の組み立てかたとその後継者の一人であったリードビーターのそれとがまるで違うと警戒したのと似ていた。

 ユングは神秘主義から多くを採り入れた人である。ユングの場合、彼がどんな考えのもとに資料を参考にして独自の理論を打ち立てていったのかを辿ることが可能なのだが、河合隼雄の場合はそれができない。だから、わたしは恣意的な自称ユング派の学者だと思ったわけだった。

 ブラヴァツキーの場合も、参考資料がきちんと書かれており、思考の道筋を辿ることができるのである。リードビーターの場合はそれができない。リードビーターを自分のなかで空想的神智学者と位置づけて以来、わたしは彼のものをほとんど読まなくなった。河合隼雄の本――河合が翻訳したものを除く――が家にないのも、同じような理由からだ。

 ユングのもので今も家にあるのは、

カール・グスタフ・ユング
河出書房新社
発売日:1975-09

C・G・ユング
人文書院
発売日:1976-04

 だから、河合隼雄が児童文学に関わっていた事実を知ると、当然ながらわたしはショックを受けたし、また彼の影響を調査する必要があると思ったのだった。しかし、一介の物書きの卵にすぎないわたしには手にあまる仕事である。河合隼雄の代表的著作を読むだけでも……。

 ところで、絵本・児童文学研究センターの各種事業には、基礎講座プログラム(児童文化講座)があり、講座については、ホームページに「講座の内容は、生涯学習の一環として、多様な児童文化の世界を模索したものでございます。そのため、本講座では心理学や哲学的観点をも取り入れて、全54回にわたる講座を行っております。会員の年齢構成は20~80歳代、今までに2,000人以上の方々が受講しております」と書かれている。講座を通して、思想的な影響を受けた男女がかなりの人数いるというわけである。

 また、絵本・児童文学研究センターの各種事業には、聴き慣れない児童図書相談士検定というのがあるようだ。読み聞かせと関係があるのだろうか?

 読み聞かせの流行に、わたしは以前から疑問を持っていた。昔はそうしたことは個々の家庭に任せられていたからであるし、わたしはあまり読み聞かせられた記憶がなく、それでも本好きになったからだった。それに、なぜ、紙芝居ではなくて、絵本なのか? 

 絵本を売るための読み聞かせではないのか? 絵本にひたる子供の自由を読み聞かせが奪っているといったデメリットはないのか。そんな疑問がどうしてもわいてしまう。

 続きを書くには、時間がかかりそうです。

 それにしても、日本児童文学者協会の会長に、以下のようなタイトルの児童文学の著作のあることがわたしには納得できない。仮にどれほど内容がよいものだとしても(ミステリーだろうか?)、このタイトルだけで、不信感を覚える。

 コンクールを前面に出した講座案内を送りつけてきたのは、この協会だった。この協会はウィキペディアによると、「児童文学の普及運動と主とする児童文学者団体である。社団法人であり、文化庁(文化部芸術文化課)の監督下にある公益法人である」ということだ。

 そういえば、河合隼雄は元文化庁長官だったっけ(絶句)。

○当ブログにおける関連記事

2009年6月 6日 (土)
評論『村上春樹と近年のノーベル文学賞作家たち』
http://elder.tea-nifty.com/blog/2009/06/post-40a4.html

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祐徳稲荷神社 ①初詣

 昨日、祐徳稲荷神社に初詣に出かけました。これまでに、神社でこれほど楽しい気分を味わったことはありませんでした。

 馬にちなんだ御守りも買えましたし……石の馬にも触れられて……切りそろえた前髪のチャーミングだったこと! この石の馬は、何度も見ていたはずなのに、これまで気づきませんでした。

 わたし、子供の頃からずっと、怖い顔をしている狛狐が怖くてたまらなかったのですが(他にも、お稲荷さんだけあって、石の狐がいっぱい)、番犬、否番狐はあれくらい怖い顔でないといけないかもね、と昨日初めて思えました。

 神楽殿で夫の還暦のお祓いをしていただき、本殿、それから、創建者の萬子媛が、晩年、断食行をなさったという岩屋跡に建てられた石壁社にもお詣りしました。

 実はこの神社、縁切り寺ともいわれているのですが、なぜそういわれるのか……やはり昔、萬子媛について書かれた本などを読んだりしたあとに書いたエッセーをご紹介して、解説に代えたいと思っています。

 もう実家がなく、一観光客として訪ねたせいか、本当に楽しい一日でした。長距離の運転で、夫は疲れたでしょうが、まあ翌日に当たる今日は休みだし。

 神楽殿でお祓いをしていただくあいだ、最初は私的な願い事でいっぱいでしたが、いつのまにか、日本の安全をのみ、ひたすら祈願していました。

 また、神社にいた間中、神社、寺院を含む、日本の文化財のことを、これまでになく深く考えさせられました。

 そして、明治の廃仏毀釈までは、神社と寺院が同居しているのは普通だったことを改めて考えていました。萬子媛が神社を創建され、岩屋で断食行をなさったことは、神秘主義の観点からは少しも矛盾しません。このテーマは、マグダラのマリアの問題とも無関係ではありません(詳しくは、カテゴリー「Notes:不思議な接着剤」を参照)。

 携帯を忘れたので、神社からしようと思っていた写真付の記事の投稿はできませんでしたが、デジカメで撮った写真でアップできそうなものがあるかもしれません。

 行きに、由布岳が美しかったので、シャッターを切りました。車の中からだったので、ちゃんと撮れていないかもしれないなあ。

 あ、馬にちなんだ御守りもご紹介しなくちゃね(相変わらず、馬のことをしばしば考えているわたしです。馬……乗りたいわ……ため息)。

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2012年3月 9日 (金)

ドイツからいただいたメール

 ドイツにお住まいの声楽を教えていらっしゃる方から、メールをいただきました。許可を得て以下にご紹介します。

 [メール本文ここから]……
村上春樹の作品やファンタジーに関するあなたの考察を読んでメールを書きたくなりました。
あなたの書かれているようなことを言う人が
なかなかいないことを前々から不思議に思っていました。
いわゆる芸術ファンや読書人と呼ばれる人たちに客観的に作品を捉える能力が欠如していることが多々あるのかなと思っていましたが
あなたが書かれていることは大変重要なことだと思います。
……[メール本文ここまで]

 このようなメールをいただくと、大変嬉しく、勇気づけられる思いがします。それも、海外にお住まいで、芸術のお仕事をなさっている方の視点ということで、二重に貴重と感じられました。

 時々海外在住の方々からメールをいただくことがあります。日本にいると、その肝心の日本のことが客観的にわからなくなることがありますので、海外からのご感想、ご意見が参考になることがあり、ありがたいと思います。  

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息子からの電話。過日送っていただいた個人誌。紹介記事。切れた薬。

 数日前に息子から電話があり、4月から3ヶ月会社を休んで、ドクター生活に専念する段取りがついたとのこと(これで卒業するための日数を充たせ、論文一つ仕上げられるそうです)。休職ではなく、有休を消化するかたちでの私事欠勤扱いだとか。2ヶ月分はお給料が出るそうです。

 会社をやめて大学に戻り、博士課程を終えてポスドクになるつもりだった息子は、上司に止められたということと、卒業後の就職を当てにしていた研究所が人員削減に踏み切ったということもあって、会社に残ることを選択しました。

 入社時に息子が配属されるはずだった部署は不運なことに入社式当日に潰されてしまい、呆然となった息子でした。その部署でなら、息子の研究を生かせるようでした。ところが、その部署が最近復活の兆しを見せ、そこへ希望したら異動できる状況ともなったらしいのですが、今やっていることも楽しくなってしまった息子。

 しかし、会社に残るとなると、英会話を本格的に習得する必要があるそうで、大学から戻ったら英会話のレッスンをしてくれるところを見つけて、通うつもりでいる様子。論文を読んだり、書いたりは英語でできるそうですが、会話が苦手みたいです。

 電話があった時点では、今住んでいるアパートはそのままにして、大学の近くにマンスリーを借りるといっていました。「じゃ留守にする間、ネズミの代わりにいてやろうか?」というと、息子は「アハハ……」と陽気に笑ってスルー。

 3ヶ月くらいなら田舎のネズミが都会のネズミになって、東京を中心に関東から東北辺りまでちょろちょろしてみるのも悪くないと思ったんですけれど。

 震災の被害を受けた福島、宮城にも行きたいと思いながら行けていません。創作仲間のFさんは行ったそうで、そのときの取材を元に短編を完成させていました。

 それを載せた個人誌を送っていただいたときに、再度カップリングを提案していただき、ありがたいと思いましたが、個人誌のよさを壊しそうな気がしたということと(新聞など、あちこちで採り上げられているのが、わたしのせいでそうならなくなるんじゃないかと怖い……)、わたしの現在の関心が児童文学にあるということもあり、お断りしたのでした。

 Fさんに作品の感想を送らなきゃなあ。取材を元にした短編も、祭という風俗にジェンダー問題を絡めた中編も、批評に戸惑うような特殊なところのある作品なのですね。

 健康メモ。逆流性食道炎の薬が切れ、循環器クリニックに貰いに行こうかどうしようかと迷っているところです。この種の薬は使わずに済ませられれば、そのほうがいいみたいなので。ちょっと怖い副作用の話を、以前先生から伺ったことがあるのです。喉も痛いわ。どうしましょう?

 ところで、先日、海外在住の方から勇気づけられるようなメールを頂戴し、ブログで紹介しても構いませんかと問い合わせていたところ、オーケーということでしたので、次の記事で紹介する予定です。

 過去に頂戴したメールや書籍の紹介記事が、ブログという性質上、どんどん埋もれていってしまうことが気にかかっています。インデックスを作る必要を覚えています。カテゴリーを作るほうが、手っ取り早いですね。

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2012年3月 7日 (水)

書評 - 梨木果歩『西の魔女が死んだ』(楡出版、1994年)

 児童書かと思い、図書館から梨木果歩『西の魔女が死んだ』(楡出版、1994年)を借りてきて読んだ。

 わたしには児童書とは思えなかった。映画化もされた大ヒットした作品のようで、作風からは吉本ばなな、村上春樹を連想した。純文学小説ではない。純文学ではないとなるとエンター系ということになるのだろうか。かといって、ファンタジーでもないような……ライト・ノベルというジャンルなら、ぴったりきそうな読後感だった。

 しかし、ウィキペディアで調べてみると、日本児童文学者協会賞、新美南吉児童文学賞、第44回小学館文学賞を受賞しているから、文学界ではやはり児童文学扱いだ。児童文学界の考えていることは本当に訳がわからない。

 この作品は少なくとも、純文学の手法では書かれていない。主人公=イギリス人の祖母と作者の間に距離感がなさすぎるからだ。作品全体が主人公及び祖母の心地のよい――対話というより――モノローグから成り立っていて、一面的であり、純文学には不可欠な重層的つくりにはなっていないのである。

 ググってみると、日本中、感動と共感に打ち震えている人だらけなので、こんな純文学的凝視をしてしまうと、水を差すようなやましさを覚える。しかし、わたしはどうしてもそうしてしまう。

 生活のスタイルという点で他人に妥協したくない、些か身勝手な人々の孤独と束の間のふれあいを描いた都会派ライト・ノベルと感じられる。祖母を含めて、登場人物たちに基本的な違いがあるようには思えない。

 知的でセンスのある祖母は、日本の田舎でイギリス風のカントリーライフを楽しむ人物だが、自身を魔女と称さなければならないほどのマイノリティーということもできる。唯一の理解者であるはずの娘とは、疎遠とはいわないまでも、どこか他人行儀な関係である。

 祖母には、ごく部分的にだが、神秘主義をとり入れている風なところが窺える。喘息の孫の前で煙草を吸うようなアバウトな面もある。登校拒否をして緊急避難してきた孫に、自己流の死生観を饒舌なまでに伝えようとするところは、少し異様な気もする。孫の将来を案じてというよりは、ニュートラル地帯にいる孫を自身の側に引き寄せたかったのではないだろうか。

 主人公のまいは中学生になったばかりの時点で、のちに「西の魔女」と呼ぶようになる祖母とひと月を共に過ごし、規則正しい生活と「自分で決める力、自分でやり遂げる力」を身につければ超能力がつくと祖母に励まされ、カントリーライフに魅せられていく。しかし、あくまでそれは、居心地のよいゲストハウスにおける、まいのひと月のイベントにすぎない。

 というのも、本当にまいが祖母を愛するようになっていたとしたら、もう中学生にもなっていたのだから、大切な人となった祖母の身辺に鋭い視線をそそぎ、一見快適そうなカントリーライフの舞台裏を見抜いたはずだからだ。

 まいは祖母の家に出入りする粗野な田舎物のゲンジを嫌うが、祖母は彼を遠ざける原因となり兼ねない孫の行動にハラハラし、頬を打ちさえする。男手のない田舎暮らしは大変なのである。高齢になった祖母にとっては、ゲンジは用事を頼める唯一の男性だったに違いない。

 わたしには索莫とした思いだけが残った。読書感想文の課題には、ライト・ノベルではなく、もっと手ごたえのある純文系の作品のほうがいいのではないだろうか。もっと年齢のいった女性が、ティータイムに読むのによさそうな小説だと思う。

 小学生と大学生が同じような読書感想文を書いているのを閲覧し、ショックを受けた。漢字の使用数だけはさすがに大学生のほうが多かったが、内容がそっくりだったのだ。

 以上、もう一人の西の――野暮ったい――魔女の感想である。

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プリンタのスキャン機能をフルに活用中

前の記事の続きについては、間を置きます。

とんでもないことを書いているという自覚はあります。

わたしも全くの馬鹿ではないので、間違ったことを書いているのかもしれないという恐怖感はありますが、なぜ今の文学界は大人向きの分野も子供向きの分野も変になってしまったのか……という悲哀から疑問へ移行した結果の行動です。傷の程度、場所、原因を追及中で、他人様のご立腹にまで配慮が及ばないのです。


話は変わりますが、エプソンのプリンタを購入した時点ではあまり気にとめなかったスキャン機能に夢中です。

平成7年に、同人誌「くりえいと」に掲載された『茜の帳』という短編小説をスキャン中。ワードで確認し、テキスト形式で保存しています。

認識が完全ではなく、文字化けがちょくちょく見つかりますが、一から打ち込む作業に比べたらずいぶん楽で、タイトルだけだった作品一覧に、作品へのリンクが次々に(といっても、これはこれで、それなりに時間を食うので、すぐに息切れしないとも限りませんが)実行できそうです。

『茜の帳』は初出が平成4年の個人誌「ハーモニー」ですから、34歳のときの作品です。「ハーモニー」に発表した時点では、付録としてエッセー『萬子媛抄』を付けています。

『萬子媛抄』もいくらか長さがあるので、祐徳稲荷神社に出かけたあとで当ブログにアップすると予告しておきながら、打ち込むのが面倒で後回しになっていました。ワープロ原稿からスキャンして『茜の帳』と一緒に収録しておきたいです。

『茜の帳』は、今読み返すと、構成的欠陥が明らかです。この頃、短編は構成を考えず、気ままに書いていたのです。

ただ、本格的に賞狙いを始める前に書いた作品群には、瑞々しいという貴重な特色があります。『露草』『銀の潮』というタイトルの作品なども。

賞狙いに入ってからの作品は長くなったり、短くなっり……作品のための改稿ではなく、賞狙いのための改作を重ねた結果、何が何だかわからなくなっているくらいです。これは、最初の原稿を探してスキャン機能を使い、収録する予定。『地味な人』『救われなかった男の物語』など。

エプソン製品を見ると、創作の初心に帰ったような楽しさが甦ると過去記事で書きましたが、昔の気分だけではなく、作品自体も甦らせてくれそうです。

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2012年3月 6日 (火)

読み聞かせとファンタジー蔓延の原因か?

調べれば、調べるほど、怪しいことがぼろぼろ出て来る児童文学界。力任せに引っ張ったら、ついに、でっかい芋――故河合隼雄氏が出て来られて、びっくりしました。ぎょっとしましたわ、全く。お亡くなりになってからも――些か胡散臭い――影響力が見えない世界から及んでいるということですか?

大人の文学界の芋蔓を引っ張ったら、なぜか、今もお元気で――なによりです――ご活躍の寂聴先生が出ていらっしゃって驚きましたが、お二方、ご容貌が似ていらっしゃる気も……。

児童文学界における、読み聞かせとファンタジーの蔓延を以前から異様に感じていたのですが、名のある二つの協会について調べたところでは、コンクール必勝の特集を組んだり、コンクールを全面に出した講座案内を賞の応募者に届けたりといった俗っぽさ丸出しの行動は目についたにしても、それはどちらかといえば、原因というより結果なんじゃないかという気が濃厚にしていました。

読み聞かせとファンタジーのこれだけの蔓延には、別のもっと強力な推進力というか原因があるはず――思想的な指導者がどこかに存在するはず――だと感じていました。

長くなるので、また書けるときに。今日は家事をサボったツケで、深夜まで時間がとれそうにありません。

わたしもいい加減、創作に戻りたいので、こんな芋掘りなんか、するつもりはなかったのです。

あ、エプソンのプリンターにはすっかり惚れ込んでいます。

 ○当ブログにおける関連記事

2010年6月17日 (木)
文学界の風穴となるだろうか?
http://elder.tea-nifty.com/blog/2010/06/post-9dc1.html

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2012年3月 5日 (月)

新しいプリンタ

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 娘とそれぞれの窓を設けて共有しているパソコンを買ったときに、キャノンのプリンタが1万円くらいであったので、一緒に買いました。

 ふたりでフルに使っているパソコンの寿命が心配ですが、それより早くプリンタのほうが……。ときどき印刷できなくなることがあって、昨年賞狙いしていたわたしは締め切り前になると、うまく印刷できなかったらどうしようとハラハラしたものでしたが、騙し騙し使っていました。年賀状も何とか印刷できました。

 娘は、年賀状以外ですと、仕事関係でたまに使うくらい。夫は自分専用のものがあるので、これもたまに使う程度。尤も、夫のキカイも調子がよくないみたいですが、興味がCGに移ったので、この種のものは今はあまり必要でない様子。ひたすら酷使してきたのは、わたしです。

 ただ、これが全然使えないとなると、夫と娘も困るので、買い替えどきかしらねと話してはいました。それでも、廃インク吸収体が満杯にならなければ、もう少しは使い続けたでしょう。修理に出すくらいなら、買い替えようという話になりました。

 8年前と比べると、プリンタも進化していました。使っていたキャノンのプリンタは紙詰まりが起こりがちだったことと、A4以外のサイズのペーパーは上から入れなくてはならず、それが不便でした。不満はそれぐらいでした。

 キャノン製品で手頃なものがあればと思って出かけ、電器店ですすめられて買ったのがエプソンのプリンタで、カラリオというシリーズの804AW。黒、白、赤とあって、夫は黒、娘は白、わたしは赤が好みでしたが、白だと部屋が明るくなるので白にしようということに。

 20年ほども前の話になりますが、その頃、写真に凝っていた夫の使っていたのがエプソンで、色彩の美しさに惚れ込んでいました。ただインクが詰まりやすく、わたしもその印象が強かったので、店員さんに伺うと、長く使わないとどうしても詰まりやすくはなるが、それほど心配する必要はないとのことでした。

 キャノンの顔料インクによる文書印刷はくっきりとしていて美しかったので、804AWは染料インクだと知って、ちょっと心配になりました。が、これも大した違いはないという店員さんのお話。でも、使ってみたら、やっぱり顔料インクのほうが鮮明でした。染料インクでの文書印刷は、やや滲む感じがあります。顔料インクに比べると、色合いが淡くなるぶん、落ち着いたトーンがあるともいえ、これはこれで悪くはない気もしましたが……。

 中古のコピー機を、博多駅に近いアプライドで、買い、壊れるまでの数年間フルに使ったことがありました。そのときはわたしのワープロを買いに行き、見ると、安かったから買ったのでした。わたしもまだ若く、30代でした。

 ワープロは、ルビを入れると 1行ぶん行間が空きました。まだ比較的ワープロが珍しい頃の製品でしたから(当時のワープロとしては高いほうではありませんでしたが、それでも2万円しなかった今回の買い物より高くついたと思います)、使い勝手が悪く、1回修理して何年使ったかは覚えていません。そう長くは使いませんでした。

 ですが、インクリボンの色がとても美しくて、手作りの個人誌「ハーモニー」に、過日亡くなった女友達の詩『あこがれ』をとりわけ綺麗だった青で印字し、彼女が悦んでくれたことを思い出します。このワープロはエプソンでした。その後シャープに買い替え、パソコンを買うまでの長い間創作を支えてくれました。しかし、その頃になると賞狙いを始めていたために、シャープのワープロからはつらい記憶ばかりが甦るのです。

 個人誌「ハーモニー」を作るのに大活躍してくれたコピー機もエプソンでした。最初の「ハーモニー」は、A4に印字したものをコピーしてホチキスで留めただけのもの。そのうち30頁を超えるようになったので、製本テープでホチキスを隠しました。A4サイズの用紙の右端を留めるだけという、ざっくばらんなスタイルは同じ。

 投稿を受付けて、30部から多いときは50部くらい作り、文学仲間、友人、知人に配りました。無邪気にやっていたからか、皆も一緒にのってくれたり、温かく見守ってくれたりして、あれは本当に楽しかった思い出です。ですから、エプソンの製品を見ると、何かしら弾むような気分が甦るのですね。

 コピー機能はずっとなしでやってきたので、特に必要を覚えなくなっていましたけれど、あるといやー便利。さっそく借りた本からコピーしました。作品も1編、印刷しましたよ。

 まだ使い始めたばかりなので、満足できる製品かどうかはわかりません。文書印刷の滲みと(慣れれば気にならないだろうと思う程度の)、作業中の音が結構うるさいところがやや不満かしら。嬉しいのは印刷・コピー速度の速さ。他にも、いろいろと出て来るでしょう。

ググってみると(買ってからググるというのも変ですね)、これの前に出た803Aはかなり人気があったみたいです。804は、機能的には803とほぼ同じと考えていいようです。自分で見るために、エプソンのホームページから抜粋して、機能一覧を折り畳んでおきます。

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

続きを読む "新しいプリンタ"

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2012年3月 4日 (日)

文学の危機――その発端を回想する

ねえ、考えてもみてください。

創作コースとか創作講座といったものは、アメリカ発祥のビジネスです。
アメリカははっきりいって、文学的には後進国ですが、だからこそ、不用意にそんなものがつくれたともいえます。

日本でその種のものができたのは、早稲田大学が最初ではなかったでしょうか? 
こんなものができるようになっちゃ、文学も終わりよね――と誰かと話した覚えがありますが、本当にそうなりつつあるという危機感をわたしは覚えています。

ヨーロッパの偉大な作家(児童文学作家も含めて)の一体誰が、そんなところの出身だというのでしょうか?
このことは、そんなものが必要ないことを示しています。
むしろ、文学という自由な精神を必要とする芸術活動にとっては有害であるとすら考えられます。

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携帯からざっとしたメモ

前の記事で、自作の児童文学作品Pの宣伝をしましたが、これは作品からの抜粋を挟み、粗筋、登場人物の紹介など織り込んだ、もっと詳細な頁にしたいと考えています。

自作宣伝カードというものを作って、それ専用の連絡フォーム、本になれば購入したいかどうかを問う欄など設けるのもいいかなと考えたりしています。でも、まずは自作紹介を充実させることから。

話は変わりますが、昨日、スピルバーグ監督のシネマ『戦火の馬』を観に行きました。これは簡単にでも記事にしておきたいと思っています。馬好きのわたしは馬を見ただけで嬉し涙が出ますが、クールな娘まで泣いていました(泣いていないといい張りましたけれど)。場内のあちこちからも、泣いている気配が伝わってきました。

料理の記事、萬子媛の記事も忘れているわけではないのですが、遅れています。

「Notes:不思議な接着剤」に入れておきたい、新しいメモもあります。

健康の記録――。逆流性食道炎の薬は効いています。特に副作用のようなものは感じません。お試しの1週間分しか出ていないため、追加で貰うべきかどうか迷うところです。
使えば楽になりますが、どうしても我慢できなくなったときだけ出して貰うようにしたほうがいいのかどうか、薬が切れた頃に受診して先生のご意見をお訊きするようにしたいと思います。

昨日の外出疲れで、今日はあまり使いものになりません。心臓の調子は悪くはありませんが、もう少しだけでも、体力がほしいものです(といつもの愚痴で、すみません)。

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2012年3月 3日 (土)

児童文学作品Pの宣伝

プリンターの買い替えどきなので、それを見に行ったついでに、スピルバーグ監督『戦火の馬』という馬を主人公とする映画を観ようと思っています。

それほど悲惨なシーンもなくハッピーな結末ということで、馬がひどい目に遭うだけの映画でなければ、馬好きのわたしとしては見逃せません。馬……乗りたい。

馬を参考にした児童文学作品Pは、家に眠っています。どうせ、ひどい扱いを受けるだけなので、もう賞に応募する気にはなれません。電話をかけた出版社に送る気にも……無理に読んで貰うのはわたしもつらいから。

ブログで公開したいのですが、盗作される危険性を娘に指摘されると、用心すべきかもしれないと考えます。

ただ、生活に困窮している人々の増えた今だからこそ、読んで貰いたい気も切実にするのです。生活に困窮している一家の物語だからです。子供にも大人にも楽しんで貰える作品に仕上げました。

空っぽの犬小屋があるところから、物語が始まります。

その犬小屋は、モモの花が咲いたころにあっけなく死んでしまった老犬のものでした。皆がつい、その犬小屋のほうばかり見てしまうので、一家は新しい犬を飼うことにしました。

ところが、お父さんの会社が潰れてしまい、犬を飼うどころではなくなります。

お父さんは、時間を見つけて作曲を続けている作曲家の卵ですが、再就職に難航し、一家は困窮します。

「こうなったら、もう作曲はおわりだな。いつかこうなるってことはわかっていたよ。ピアノも売っちまおう。」
お父さんがそういうと、お母さんが首をふりました。
「やけにならないで。新しい仕事が見つかれば、また落ち着いて、作曲ができるようになるわ。それに、あなたのあのふるいピアノを売ってなんになるの。いざとなったら、わたしも働きに出るから大丈夫よ。」

お母さんの言葉に、お父さんはため息をついただけでした。お母さんは少年が生まれるまではスポーツ好きで、大学生のときは乗馬サークルに入っていました。でも、今では、薬をたくさん飲んでいる病人でしたから、少年ですら、お母さんが仕事に出るのは無理なんじゃないかなあと思いました。

追いつめられたお父さんが弾くピアノの音を聴いた主人公の少年は、嵐の曲を書いているのかな、と思います。

家を出て行かなくてはならないところまで、一家は追い詰められます。

そんなある日、少年は、ふるびた犬小屋のところに何か変わった生き物がいるのを見つけます。

実はその生き物は、うぶ毛がとれる前のペガサスでした。

児童文学作品PのPはもうおわかりでしょう、ペガサスです。一家でペガサスを飼う物語なのです。

山場は、嵐の夜にペガサスが盗まれそうになるところと、作曲コンクールのお父さんの曲が演奏されるクライマックスで、少年がペガサスに乗った神々しい女の人――ペガサスを迎えに来たミューズの一人――のまぼろしを見る場面です。

ペガサスはギリシア神話に出てくる馬に似た生き物で、他にも説がありますが、最終的にミューズの持ち物になったといわれています。ミューズは時に芸術家にペガサスを貸し与えることがあるとされ、そこからペガサスは霊感の象徴ともいわれるのです。

わたしは馬に似ているペガサスを描写するために馬に乗りに行き、馬の虜になりました。

粗筋は盗めても(この記事が証拠として存在します)、描写力までは盗めないと思います。作品の命は描写にあります。見せ場を、適切な箇所に散りばめました。登場人物は生き生きと描けていると思います。

賞に応募し、一次すら通過できなかった作品です。このような作品は今の児童文学界では求められていず、紙屑と同じ存在です。受賞作が発表になっていました。『パンプキン・ロード』というタイトルでした。

もし――、純粋な動機で作品を読んでみたいという編集者がいらっしゃるようでしたら、ご連絡ください。

400枚字詰原稿用紙換算118枚の作品です。表現など、気になる数箇所を書き直す予定ですので、若干枚数が変わってくるかもしれません。

この作品の続編を書くつもりで、作品の終わりで少年に妹を誕生させました。

続編はアンドロメダにちなんだ物語です。ペガスス(ペガサス)座は秋の代表的な星座の一つで、アンドロメダ座はそのお隣さんです。

それが意外なことに、この続編は、執筆中の児童文学作品『不思議な接着剤』の関連作となる可能性があります。

ギリシア神話に出てくるアンドロメダは、エチオピアの王女です。エチオピアについて調べてみると、

※時間がないので、続きは帰宅後(明日以降になるかも)に。

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2012年3月 1日 (木)

循環器クリニック受診

循環器クリニック受診

午後2時半に記事を書きかけたところで、くたびれて中断、横になったら5時まで寝てしまいました。あー、掃除、洗濯を済ませてからクリニックに出かけて、正解。

遅く出かけたので午前中に受診する患者の中ではビリになってしまいましたが、待ち時間はさほど……それでも計算したら2時間半か。

でも早く出かけるほうが、待ち時間では割りに合わないのです。ただ遅い時間の診察になると、先生には疲労が加わるぶん、診察がレベルダウンすることがあるかも(?)。

今日はそれはありませんでしたが、受診中に2回重大そうな電話が先生に入り、先生と話しかけたところで長い中断。わたしのほうもそのせいで、いいだそうとしていたスプレー式のニトロのことを忘れてしまいました。まあ心臓は回復したからいいわ。

多かったニトロペンの使用量については、友人を亡くした影響からか、不調のサイクルをなかなか抜けられなかったといいました。こうした原因のはっきりしている場合は、使う量が多かったとしても、特に問題とはされないようです。

「急に亡くなったの?」と先生。「急でした。でも、長く統合失調症を患い、薬は沢山飲んでいたと思います。あちこちにがたが来ていた様子はありました」というと、先生は驚いた表情をなさいましたが、無言。しばらくして「じゃあ、もうニトロないだろう? あげておこう」とおっしゃいました。

わたしは、湿疹に困っていることをお話ししました。
「だいたい出るほうだったっけ?」と先生はおっしゃり、カルテの確認。逆流性食道炎に悩まされ始めたこともお話ししました。

湿疹の再発(?)と胃の不調はなぜか、同時に起きてきます。気候的な変化についていけないことが原因かしらね。

そして、そこからあれこれ薬を使い出し、下手をすれば以前のような薬剤性肝炎といった事態を招きます。で、我慢していたのですが、胃液の逆流って凄く不快で……薬なしではいられなくなるのです。

パリエットとガスモチンは薬剤性肝炎になる前に使っていたため、疑われたままです。逆流性食道炎の薬が使えなければ、胃をいくらかでも爽やかにしてくれそうな薬であれば、何でもいいと思っていました。

「タケプロンは使ったことある?」と、ロマンスグレイの頭髪を掻き毟ったあとで、先生。頭髪を掻き毟るのは、困ったときの先生の癖です。

 タケプロンは初めてで、それを出していただきました。1週間ぶんだけ、お試しという感じです。わたしは血液検査をお願いしました。その結果を基準とし、もし今後、肝機能に異変があれば、タケプロンが原因でしょう。

採血のときに、いつも針を刺して貰う血管の横にもう1本、とれそうな血管が走っていると看護師さん。次回はそのスペアから、とって貰いましょう。

赤ちゃんは血管が細くて採血しにくいだろうとお尋ねすると、小児科にいたことのある別の看護師さんが「赤ちゃんはね、案外とりやすいのよ。血管が柔らかくてぷにぷにしているから、刺したら、一発で刺さるの。点滴なんかもしやすくってね。本当に、ぷにぷにって感じよ」そんなものかと驚きました。

診察前に体重と血圧を測ってくれたのは、以前は呼吸科クリニックでお世話になっていた看護師さん。

循環器クリニックの看護師さんは感じのよいかたばかりですが、この看護師さんは爽やかで、優しい、透明感のあるかたなので、わたしの特別のお気に入り。あまりお目にかかりませんが、お顔を見ると、ホッとします。亡くなった友人も透明感のある人だった――としんみりしましたけれど。

血圧は110―70。これくらいが、わたしは一番いいです。だるいのは血圧が低いせいかと思っていたら、そうではありませんでした。これくらいあると、朝、眠くなったりはしませんね(帰宅後に爆睡した癖に)。

ニトロペンの使用量が多かったので、看護師さんから心電図を勧められました。寒くて服をめくるのが嫌だったので、「はあ……」と気のなさそうな返事になってしまうと、看護師さんは次回でもいいですよ、とおっしゃいました。

心臓は回復したので、わたしの気になるところは、湿疹――胃――血液、つまり肝機能に移ってしまっていたのでした。

わたしの場合、何ともないときに心電図をとっても、あまり意味がないのです。頻脈の抑えが悪くなり、そこへ冠攣縮性狭心症の発作が繰り返し起き――というようなときに24時間心電図をとって貰いたいと以前から思っているのですが、そういうときに受診する気力の湧くことはまずありません。その気になったときはよほどのときで、たぶん救急車で受診でしょうね(救急車を呼べればですが)。熟練した先生の聴診で、大抵のことはわかるみたいですし……。

日赤の整形外科の先生からお預かりした検査結果は、受付でお渡ししました。整形外科の先生に「どういって渡せばいいのでしょうか? 何か伝言はありますか?」とお尋ねしたときに、特に伝言はなく、ただ渡せばよいということだったので、そうしましたが、先生は案の定、検査結果を渡された意味がおわかりにならないお顔。

整形外科の診察中に、整形外科的・血液的な異常は服用している薬が原因であることもあるとか、ALP値の異常は骨だけでなく、胆嚢などが原因であることもある―――とおっしゃたことを伝えるべきかどうか迷いました。

伝えませんでした。伝言ないとおっしゃたもの。そもそも、系列違いの病院を勝手に受診したことが、まずかったみたいです。この県では系列を乱してはならない慣わしであると、入院中に同室の方々から教わったのですが、時すでに遅しでした。

でも、五十肩を循環器クリニックで診ていただくというのはいくら何でも……別件で複数の骨腫瘍の存在が発覚し、内科――整形外科――脳神経外科の連携プレー下で検査入院までするとは思わなかったのです。

県立にかかっていれば、こんな気まずい事態は避けられたのでしょうが、日赤は何しろわが家から歩いてさえ行ける距離。五十肩くらいで、バスに乗ってまで行きゃしません。

漠然とした事柄なので、整形外科の先生もはっきりとした伝言のかたちにはなさらなかったのでしょう。ちなみに、今日は尿検査の結果はいただきませんでしたが、見えました。ビリルビンには異常なかったと思います。潜血はあったみたいだけれど、これは以前からちょくちょくあって、問題になったことはなし。

薬は、ジェネリックが成分表示に変わる方向だとか。先発薬はそのままだそうですから、ブランド名だけ残すってことですね。

わたしもジェネリックだと薬の名を覚えきれないので、困っていたところでした。成分名だと、勉強になりますし(?)、まだしも覚えられそう。今回、アイスラールが一硝酸イソソルビド「タイヨー」に変わっていました。タイヨーというのは、メーカー名だそうです。ジェネリック同士は、メーカー名で区別できるというわけです。コロヘルサー、ニコランタもジェネリックなので、おいおい薬の名が変わるはずだとか。

○インデラル錠10㎎=1日3回、毎食後、40日分。
○ニコランタ錠5 5㎎=1日3回、毎食後、40日分。
○コロヘルサーRカプセル100㎎=1日2回、朝・夕食後、40日分。
○一硝酸イソソルビド20㎎「タイヨー」=1日2回、朝・夕食後、40日分。
○タケプロンOD錠15 15㎎全7錠=1日1回、朝食後、7日分
○ニトロペン舌下錠0.3㎎全10錠=胸痛発作時、10回分
○フルタイド200ディスカス 200μg60ブリスター=全1個、吸入

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