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2012年2月の36件の記事

2012年2月29日 (水)

瀕死の児童文学界 ⑤独学によさそうな本 

 志高く創設されたと思われる児童文学界における名のある二つの協会がいずれも、コンクールを前面に出した安くはない講座案内を賞の応募者に送りつけてきたり、雑誌でコンクール攻略法を特集したり……といった俗っぽさ丸出しという感じだ。そして、コンクールは沢山あれど、栄冠に輝くのはほとんどがエンター系の作品ばかり――といった偏りかたなのだった。

 エンター系、大いに結構だと思うが、音楽のジャンルからクラシック音楽が消え失せたらショッキングであるのと同じように、本格的に児童文学の執筆を開始し始めたわたしには、それはショッキングな現実といえた。

 というのも、わたしは拝顔も叶わないままではあったが、前掲の二つの協会のうちの一つ日本児童文芸家協会の会長を1975年から1995年まで務められた福田清人氏の以下の本を一番の教科書として、児童文学を独学してきたからだった。

 わたしが以下の過去記事で引用したのは、この本からだった。

2006年11月12日 (日)
新聞記事『少女漫画の過激な性表現は問題?』について
http://elder.tea-nifty.com/blog/2006/11/post_a6be.html

 今読んでも少しも古びていない、このすばらしい創作の指南書には次のようなことが書かれている。長くなるが引用しておきたい。

[引用 ここから]……
 すぐれた児童文学は児童の精神形成――豊かな情緒をやしなわせる点や、勇気敢闘の志を持たせるのに役立つ文学である。それは多くの自伝、回想記類を見ても、きまって幼少時の読書の思い出を述べていることでもわかる。ドイツのすぐれた児童文学者ケストナーは「たいがいの人間は自分の少年時代をコウモリガサのように過去のどこかに忘れてきてしまう。そのあと四十年、五十年の学問も経験も最初の十年間にくらべると純粋さという点ではとても及ぶものではない。少年時代は私たちの灯台だ」といっているが、この少年少女時代に純粋な灯台の日を自覚させ、また灯台の光線の照明する遠いかなたを示す一方、おとなたちにもそれを読めばかつての純粋な時代を回想させるのが児童文学である。ところでわが国の文壇ではなんだか児童文学は一般成人文学より安易なもの、年齢的な児童なみに一段下がったものという誤った観念があるのではなかろうか。
 それは小川未明がすでに述べたように小説と別の独立した文学ジャンルである。詩や小説を書いているうち、自分の文学精神が一般の詩や小説より児童文学に向いていることを自覚し、そちらへ進んだといった方がいいのである。
 日本の児童文学史をみても、その開拓者巌谷小波は、尾崎紅葉硯友社同人で「文壇の少年屋」とよばれたほど、少年の主人公の小説家から少年文学へ進んだ。鈴木三重吉も小川未明も、宮沢賢治もそうであった。
 今日児童文壇の二大家である浜田広介氏も坪田譲治氏もそうであった。
 それは日本の作家ばかりでなく、アンデルセンにも童話以前に小説「即興詩人」があり、ケストナーにも詩集があった。
 私はむしろ詩や小説で文学のデッサンをして児童文学へはいった方がいいのではないかとさえ思っている。
……[引用 ここまで]

 わたしが童話の試作を始めたのは、中学1年のときだった。子供ごころに童話は難しいと感じられた。他にジュニア小説を書き、真似事のような詩を書き散らした。高校生のときには詩と童謡、大学生のときは詩と哲学論文もどきのエッセーと純文学小説、大学卒業後は主に純文学小説で、俳句に熱中した一時期があった。歴史物を書きたいと思って取材に出かけたり(まだ試作品とエッセーしか書けていない)、戯曲を書いたりもした。

 40代で一度児童文学に戻りかけたが、そのときですら時期尚早と感じられた。子育ての最中だから書けるかもしれないと思ってのことだったが、子供というものを至近距離から見つめすぎて苦しく、むしろ書けなかったのだった。

 そして、ようやくわたしは念願の児童文学に戻ってきた。故郷のように感じられるのはこの世界のはずだった。

 生活不安という世俗的な事情から、賞応募には少し早いと思いながらも、昨年いっぱいチャレンジしてみた。ところが、賞に落選したよりはるかにショッキングな前述のような出来事に遭遇したわけだった。しかし、それは子育て中から異変を感じていたことではあった。わたしが子供の頃に親しんだような児童文学全集をわが子にも買ってやりたいと思っているうちに、子供たちは成人してしまった。待っていても出なかったのだ。

 できれば、自身の代表作となるような児童文学の秀作を数編は仕上げてから、児童文学の問題に直面したかったが、早く直面してしまったので、わたしは問題へのとり組みと児童文学の修業を同時に行うという、いささか滑稽なはめに陥っている。碌な作品も書けないでいて偉そうなことをいうなといわれるのが落ちだとわかっていても、放置できる問題とは思えない。かといって、この問題をどうすべきかがわからないから、とりあえずブログで問題と感じる点を記事にしているというわけだ。

 前掲の福田清人氏の本を読めば、わが国の児童文学界がエンター系に偏ることになった発端の事情も窺える。

[引用 ここから]……
 最近、坪田譲治氏にお会いした折り、氏は「小説は書こうと思えば書けるが、童話というものは本当にむずかしい。なかなか書けないものだ」と、しみじみ述懐しておられた。
 児童文学といってもファンタジー性の濃い童話と、児童小説とに分類できる。坪田氏のいうのは主として前者を意味するもののようであった。それは散文詩的な要素を含み、強いモチーフにささえられている。アンデルセンや宮沢賢治や、初期の小川未明や、浜田広介の作品のようなものである。
 こうした傾向の作品は、今日少ない。世間一般に児童文学というとき、この種の傾向を意味している場合が多い。しかしこうした童話のモチーフが浅く、児童に甘えた傾向におちいったとき、児童の現実を描く生活童話が生まれた。それはそれなりに意味はあったが、いつか安易に流れた下手な小説めいたものが多く書かれた。
……[引用 ここまで]

 ウィキペディアに、日本児童文芸家協会「創立当初の会員構成は、文壇作家や放送作家それに「少年倶楽部」系などの大衆児童文学作家が大半を占めていたことが特徴的であった」とあったのも、わたしが電話で訊ねた編集者の認識が冒険物=エンター系であったというのもなるほどと頷ける。純文系は生活童話、それも「安易に流れた下手な小説めいたもの」という印象が今も残っているのかもしれない。

 しかしこれはわが国の特殊事情であって、純文学とは本来そういったものではないはずだ。音楽でいえばエンター系がポピュラー音楽なら、純文学はクラシック音楽といえよう。子供向きの純文学作品でよくできたものは、児童の生活を興味深く照らし出す彫りの深い描写を特徴とし、面白さという点でも格別の、精巧さを宗とする第一級の芸術品なのだ。そして純文学であれば、文化の継承という使命を忘れることはない。宮沢賢治の童話がそうであるし、フィリパ・ピアスの『トムは真夜中の庭で』は純文学の手法で書かれた傑作だ。

フィリパ・ピアス
岩波書店
発売日:2000-06-16

 わが国の児童文学はイギリスなどとは違って、ジャンル的な確立がうまくできないまま、あやふやなかたちで来ているのかもしれない。このままでは、子供というより中年女性の好みそうなお菓子(スイーツと呼ぶべきか)、魔女、お化けの溢れかえったエンター系の読み物が、宮沢賢治やフィリパ・ピアスのような作家の育つ土壌まで完全に覆い尽くしてしまうだろう。

 以下のような本を一度でも読んでいるのといないのとでは、文学作品に対するとり組みかたが全然違ってくると思う。

レオン・サーメリアン
旺史社
発売日:1989-03
ひじょうにバランスのとれた、格調の高い指南書。

 リンジグレーンの以下の本は、子供の思考、行動がよく捉えられている子供のスケッチ集といってよいような作品集だ。短編集なので、一編くらいなら筆写が可能だろう。ずいぶん勉強になるに違いない。わたしはやってみようと思っている。

アストリッド・リンドグレーン
岩波書店
発売日:2008-09-26

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2012年2月28日 (火)

今日は出かけたくない

先週末、循環器クリニックに早めに行く予定だったが、例によってぐずぐずしている。今日も……薬は今日までの処方だ。

前々からの薬の使い残し(早めに受診したり、飲み忘れたりで)があるため、今日になってもぐずぐずしているなんてことが可能なのだが、何で診察して貰いに出かけるのがこんなに億劫なのだろう?

受診が済めば、ああ診ていただけて幸せだと思うのだけれど。

過日発作が続いたときなどは行きたくなったりもしたが(それでも準備する気力が湧かなかったりして、行かずじまい)、今日みたいに心臓の具合がよく、それでいて何となくだるい(血液検査して貰うほどのだるさではない)という日は、お尻に根が生えたように家事もせず、座っている。

今日は午後からも診察のある日だから、午後から行くつもりで受付に確認の電話をすると、緊急手術が入ったので2時半までには来てほしいという。

2時半までに……お昼休みが12時半から2時半までなのに、そんな不可能なことを――。

「今日は少ないですから、なるべくなら午前中にいらしてください」と看護師さん。そういうことか。

今日行くんなら急がなくちゃ。そう思いながら記事を書いたりしている。今日は行きたくない、だるいもの。日赤の整形外科の先生から渡すようにいわれた検査結果やら、使いすぎたニトロペンの数の報告やらを思うと、ますます億劫になっちゃう。

明日の診察は午前中だけだ。明日には絶対に行かなくては。明日になったら、昨日行っておけばよかったと思うに決まっているのだけれど。

予約制だときちんと行けるのに、いつでも行けるとなるとわたしのような病院嫌いの人間はこうなる。でも、きちんとチェックされるから、本当は予約制みたいなものなのだ。

まだ今からでも、行こうと思えば行けるわ。

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2012年2月27日 (月)

新カテゴリー「芥川賞」追加のお知らせ

 カテゴリーに「芥川賞」を追加しました。アドレスは、
http://elder.tea-nifty.com/blog/cat23116495/index.html

 よほど気が向いたときでないと芥川賞受賞作品を読まないので、まだ記事数は少ないのですが、芥川賞は日本人の知の方向性を示しているところがありますので、なるべく読んでいきたいと思っています。芥川賞受賞作品・候補作品の批評、芥川賞に関係する文学論などをこのカテゴリーに収録していく予定です。

 芥川賞の権威はとうに廃れているかと思い、ネット検索してみたところ、意外なことにはまだまだ健在であるようです。大衆――わたしもその一人なわけですが――を夢中にさせてくれるイベントが少ないこともその理由でしょうけれど、知性に対する漠然とした憧れが芥川賞に関心を向けさせる一動機となっている様子が窺えます。

 それにしても、大衆は赤ん坊のように素直で、騙されやすいところがあるなあと驚かされます。芥川賞受賞作品というだけで、後光が射してくるのか、作品を深読みし、美化しようとする健気な振る舞いにはっとさせられます。

 わたしは長年作家の卵を続けてきました。たまには賞狙いのギャンブラーになることもありますが、概ね純粋な動機で創作をし、文学に関する考察を続けてきました。

 芥川賞――いや、どんな賞を受賞していようがいまいが、文学修業者のわたしにとっては一作品と映るだけです。その観点に芥川賞の持つ社会的な影響力を併せて考え、このカテゴリーに含まれる記事を書いていきたいと思っています。

 最近の芥川賞受賞作品を読んでいて憂慮されるのは、文章や作品構成のおかしさです。実験的表現にチャレンジしているのかどうかすらわからない壊れかたと申しましょうか。

 実験的表現というのは、基本の習得ができて初めて可能となってくる領域かと思いますが、その基本ができていないという印象を受けるのです。作品の一部がやがて教科書に載るかもしれないことなど考えると、教育への影響が一番心配になります。エンター色に染まった児童文学の問題も根が深そうですが、問題の大本にあるのが芥川賞ではないかとわたしは考えています。

 以下はこれまでに書いた記事のうち、カテゴリー「芥川賞」に収録した記事です(タイトルはわかりやすいように書き変えています)。

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2012年2月26日 (日)

夫、初チャレンジのカルボナーラ

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夫がお昼に作ってくれた、カルボナーラです。

久しぶりにお昼を作ってくれることになったのですが、素麺にはふたりとも少し飽きたので、イタリアンの料理本の中から「これなんて、どう?」といってみたら、夫は乗り気に。

いくらか黄身が固まっていましたが、なかなかでした。カルボナーラですと、サラダと簡単なスープでもあれば夕食にもいけます。

いやー、これでわたしも安心して家事を引退できます(ウソ)。

ただ、レシピを見る習慣がつけば、夫ひとりで作れる料理も結構あるんじゃないかしらと思うと、嬉しくなりました。

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書評 - 田中慎弥『共喰い』(第146回芥川賞受賞作) 悪文で書かれたマザコン物語 

 読後感をキャッチフレーズ的に表現すれば、「悪文で書かれたマザコン物語」となる。

 田中慎弥『共喰い』を読んだが、言葉の遣いかたに欠陥がある上に、描写力の乏しさから、うまくイメージのわかない箇所が多くて、読了したという満足感に乏しい。例えば……

[引用 ここから]……
欄干に結びつけられた白い風船に見えていたものに細い首が生え、鷺になって飛び立つ。
……[引用  ここまで]

 鷺が風船に見える? まだ鳩ならわからぬでもないが。仮にそう見えたにしても、この表現では、なかった首が唐突に生えてきたみたいでおかしい。

[引用 ここから]……
 夕食に琴子さんが出してくれた厚い肉は、しっかりと茶色く焼かれ、しかも皿を卓に置いただけでぶるぶると震えるのだった。[略]ナイフとフォークで皿を叩くようにして肉を食べた。[略]遠馬は脂だらけの皿を自分で洗った。
……[引用  ここまで]

 できれば、わたしもステーキのお相伴に与りたかった。だが、ステーキの焼き加減がどんなものかがわからず、食いしん坊のわたしは食べ損なって不機嫌になった。レア、ミディアム、ウェルダンの一体どれ? 
 しっかりと茶色くとあるとウェルダンかと思ったが、ぶるぶる震えるとなるとレア、あるいは限りなく生に近いブルーかもしれないと考えた。皿を叩くようにして食べるとなると、いや、こんな食べかたが可能なのは完全に中まで焼いたヴェリー・ウェルダンだと思った。ところが脂だらけの皿とあるではないか。ヴェリー・ウェルダンだと、フライパンの中に脂がとけ出ていて皿が脂だらけになるはずはない。かといってレア、ミディアムの場合では、生の肉汁が出ているはず。

 主人公は食べる前に、父の愛人である琴子さんの二の腕や胸の膨らみを意識するのだから、このステーキは小道具としてもっと上手に使わなくては損ではあるまいか(とケチな主婦は考える)。

 父と琴子さんのセックスを主人公が盗み見するシーンにしても、そのお相伴に与ったところで、描写力に乏しい――というより欠陥があると、ドキドキするどころか興ざめなだけで、むしろ顔を背けたくなる。感想を書くという目的がなければ、ここでわたしは雑誌を閉じていただろう。

[引用 ここから]……
階段の上から目だけで、豆電球のともっている座敷を覗く。見るのは初めてではない。大きくて厚みのある琴子さんに小柄な父が埋め込まれ、その肉の塊が、不自由を味わっているように、苛立たしげに、止ることなく動いている。父ははっきりした呻きを短く漏らし、琴子さんは吐息を大きく噴き上げる。やがて、密着していた肉に破れ目が生まれた。父が腰を振動させながら上半身を反らせると、琴子さんの髪を掴み、反対の手で頬を張った。肉の音から少し遅れて琴子さんの吐息が出、それに反応したように父の動きが速くなり、両手を首にかけて締め上げる。腰がほとんど機械的に上下動し、父は頭を天井へ向けて突き上げると、水が小さな穴に吸い込まれるのに似た声を出し、硬直し、崩れ落ち、荒い呼吸をしていたが、
「あーら。」と、まるで昼寝から起きたように穏やかな声で立ち上がった。今度はいつ見られるだろうかと遠馬は思った。関節が外れてしまった感じの恰好で伸びている琴子さんの体と、それをじっと眺めているらしい父の下半身だけが、一階の天井と階段の手摺の間から見えた。父の呼吸に合わせて、まだ硬度を保って水平に突き出されている赤茶色の性器が揺れた。
……[引用  ここまで]

 主人公が階段に佇み、息をひそめて階下を見下ろしている場面だろうが、「目だけで」とあると、『ゲゲゲの鬼太郎』に出てくる目玉おやじを連想してしまう。

 前掲の場面に続く場面なので、主人公の厚い肉を食べる場面がこの場面を誘導するためのものだったとわかる。とはいえ、焼き加減は不明ながら皿の上の豪華なステーキを女性の肉体にイメージ的に重ねるには無理がありはしないか? 父がまたレゴのパーツか何かのように、琴子さんに埋め込まれたという。その動きときたら、器用すぎて、わたしにはイメージしかねる。「あーら。」と昼寝から起きたような声と行動が奇妙なら、崩れ落ちた後でなお硬度を保つ器官は奇怪な印象さえ与える。

 そして、主人公には父の下半身しか見えていないにも拘らず、なぜ、父が琴子さんをじっと眺めているとわかるのだろう? 関節が外れてしまった感じの恰好で伸びている琴子さんは、肩がガタっと下がったりしているのだろうか。いや、殴られたのは頬だから、顎が外れた? わたしは顎が外れた経験があるが(殴られてではない)、あれは相当に痛くて伸びてなどいられないはずだ。

 ぐったりと横たわっている程度のことを大袈裟に表現しているのだろうと想像するが、その前のほうには、吐息を大きく噴き上げるという表現もある。吐息とは、落胆したときやほっとしたときなどに出る息のことである。鯨の潮吹きのように、あるいは噴火のように噴き上げられるような壮大な息を、吐息とはいわないだろう。これも息が荒くなった程度のことの大袈裟な表現かと思われる。作者には《白髪三千丈》式の大袈裟な表現が多い。純文学では逆効果ではないだろうか。

 [引用 ここから]……
夜が時間と一緒に固まってしまいそうだ。
……[引用  ここまで]

 こんなことを書かれると、夜がゼリーで、時間がサクランボか何かみたいだ。わたしにはここに書かれたような感覚を主人公と共有するのは無理である。

 もうよそう。

 テーマとしては、同じサド的傾向を持つ父と息子の確執ということになるのだろうが、父が殺害されて幕が下りるこの小説の古典にはなさそうな特徴といえば、父を殺害するのが息子ではなく、母親というところにある。マザコン物語といってよさそうだが、かといって、そこのところが追及されているわけでもなく、小説としては何とも締まりが悪い。

 ムードを盛り上げるための小道具ばかりが目につく小説である。その小道具として川が使われ、生き物が使われ、義手が使われ、結局のところ、登場人物も小道具にすぎないと想わされる空虚さだ。この作品がなぜ芥川賞に選ばれたのかが、わたしには全くもってわからない。ああ、苛々して、うなじの湿疹を掻き毟ってしまった!

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書評 - 円城塔『道化師の蝶』(第146回芥川賞受賞作) 人間不在の見切り発車小説 

 娘に「文藝春秋」を買ってきて貰い、『道化師の蝶』から読み始めた。

 趣味的に書かれた作品というムードがあって、整備されていない砂利道を走らされるような苛立ちを予感させられたものの、わたしには気楽に読めそうな気がしたのだった。

 しかし、離乳食で財を築いたという男の話辺りで興味を失いかけた。

 『道化師の蝶』は観念小説だと思うが、この作者には思いつきを並べれば小説になるという誤解があるのではないだろうか? 小説を書くのに必要な情報収集力に欠けているところもあって、架空世界を現実世界と想わせるための土台作りの段階で手抜きをしている――というより、土台作りの必要性すら感じていないようだ。このままでは、純文学小説ともエンター系小説ともいえない半端なシロモノだ。

 細かな指摘をしていったらきりがないが、前掲の男――エイブラムスが財を築いたという離乳食の内容(あとで引用しておくが)、作者は乳児というものを知らないとしか思えない。

 乳児は様々な理由から泣く。乳児は空腹のみを理由として泣くという前提に立たなければ出てきようがない商品――、こんな商品で財をなすなど嘘臭い以前に馬鹿らしくて読めなくなる。

 思いつき――創作メモ――の段階で書き始められために、整理が出来ていないばかりか、作品にインスピレーション(霊感)が宿るまでに至らなかったという印象。

 作者の着想に対する拘りがそれを象徴しているかのようであるし、作品のつまらなさ加減の原因も示している。

 着想にすぎないから、これは金銭(エイブラムスの物欲)としか結びつかないのだ。

 着想は所詮は人間の霊媒的一性質を利用して転々とする。神秘主義的な考えではそうなのだが、そうした現象を追った小説とわたしは解した。

 それとは別に作者は言語の不思議も追っていて、その二つをいびつに合体させた。

 いずれにしても、これはまだ小説にする以前の準備段階にすぎないものを、インスピレーションの到来を待たずに作品化した失敗例だと思う。インスピレーションというものは単なる思いつきとは違っていて、それ自体が総合力を備えているものだから、こんな風な行き当たりばったりの創作にはなるはずがないのだ。

 また、言語の不思議を扱っているわりには、言葉の遣いかたに不正確なところのある気がする。

 例えば、「台所と辞書はどこか似ている」。ここは「料理と翻訳(あるいは言語使用)はどこか似ている」とすべきではないか?

 現象に言葉を当てはめるのではなく、言葉に現象を無理矢理当てはめようとしているような、乱暴な言葉遣いが目につく。

 ここまで思わせぶりに、またわかりにくくする必要があったとは思えないが、作品構成を以下に見ていくと、

  • Ⅰは、友幸友幸という多言語作家の小説『猫の下で読むに限る』。
  • Ⅱは、『猫の下で読むに限る』の翻訳者による、友幸友幸とA・A・エイブラムスの関係の説明。
  • Ⅲは、友幸友幸による語り。
  • Ⅳは、Ⅱと同一人物である翻訳者の語り。この人物は、A・A・エイブラムス私設記念館に雇われているエージェントである。
  • Ⅴは、エイブラムス私設記念館の女性係員の語りで、この人物はⅢと同一人物の友幸友幸。

 わたしが目を留めたのは、以下に引用する箇所だった。わたしも似たようなことを考えた。

[引用 ここから]……
 わたしにとっては、宝石も、編み物も、刺繍も、言葉も、数式も根は同じものと映っていた。こうしていると、それは何かが違うと感じる。根が同じだとは感じるが、同じのあり方が異なっている。同じさ加減は、固さの程度なのだと考えていた。柔らかさの程度なのではと今は感じている。固さという性質は存在していないのではと何故だか思う。本来はただ動きだけがそこにあり、たまたま同期している現象を固さと見なすだけなのではと。
……[引用 ここまで]

 根は同じ光、粒の大きさによるあり方の違い――と考えるのは、わたしが神秘主義者だからだろう。

 この小説のわかりにくさは内容の深さから来るものではなく、作品としての雑さから来るものだと思う。

 わたしは本来こうしたタイプの作品が嫌いではないが、小説であるからには、もっと人間が描けていなければ、肝心のものに欠けている感じがする。バルザックの哲学風小説『ルイ・ランベール』などと比較するわけではないが、小説として貧弱に感じる。

 余談だが、インタビュー記事を読むと、息子と会話しているみたいな気分になった。ポスドク(ポストドクターという任期付研究員)生活の大変さにも触れられている。

 息子は化学――物理にも入るような分野――が好きで学んでいる最中、そして、歴史には趣味的にベタぼれという感じだが、円城塔も世界史が好きらしい。

 インタビュー記事を読みながら、ふと、いつか息子と作品を合作できないだろうか――などと考えた。わたしには欠けている科学と歴史の側面を息子に担当して貰い、ジャンルはまだわからないが、壮大な文学作品に完成させて出版社に持ち込む……。

 まあ息子に話したところで、呆れられるのが落ちだろうけれど。

 ところで、わたしは現在、児童文学作品『不思議な接着剤』を書くための下調べをしているところで、マグダラのマリアの謎に夢中だ。

 マグダラは、ヘブライ語で塔を意味するという。

 塔といえば、円城塔は、なぜ塔などという変わったペンネームを持っているのだろう?

 円い城というと塔だろうから、ヘブライ語で円城塔を呼ぶとマグダラ・マグダラか。ヘンな男……

(インタビュー記事を読み直したら、ペンネームの由来が語られていた。指導教官の小説に出てくる物語生成プログラムに由来しているそうだ)。

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2012年2月25日 (土)

胸の圧迫感にニトロペン

胸の圧迫感にニトロペン

今朝の発作はスタンダード(?)な起こりかたで、胸のやや強い圧迫感と左腕が重くなりました。背中の凝りはありません。

背中の凝りはしつこいので、嫌ですが、胸の圧迫感はニトロペンが効きやすいです。

ということは、やはり過日悩まされた背中の凝りは、ニトロペンの効きにくい細い血管が縮んでいた可能性が高いということでしょうか?

胸いっぱいに清涼感が拡がりました。

最近ニトロペンを使いすぎるので(先生から使いすぎは耐性の心配があるといわれました)、自然に治まらないかとしばらく我慢していたのですが、ニトロが胸だけでなく腹部や頭など、あちこちに作用しているのを感じると(今、左肩から腕全体が涼しくなり始めました)、使ってよかったと思います。

よく効いていますが、比較的ゆっくりした作用の仕方です。

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2012年2月23日 (木)

胸の圧迫感と背中の凝りにニトロペン

胸の圧迫感と背中の凝りにニトロペン

昨日の外出時は何の問題もなく、今日も半時間前までぴんぴんしていたのに、急に胸の軽い圧迫感と強い背中の凝りが出現。

胸より、背中の凝りのほうが我慢できなかった。ニトロペンの使用でだいぶん緩和されているところ。

夕方まで、昨日の外出疲れが出ることを心配していたので、胸と背中は何回かチェックした。そのときは何ともなく、数日前の背中の執拗な凝りが嘘みたいに思えたほどだった。凝りのこの字もなかった。

こんなかたちでくる凝りは心臓以外の原因は、わたしには考えられない。とても暖かい日だったが、夜になって気温が急に下がったことが血管を痙攣させたのかもしれない。

ようやく発作疲れから解放され、悦んでいたというのに。幸い、頻脈の抑えは効いていて体力は充実している。尾を引きませんように。あの魔の数日間の繰り返しは御免だわ。

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2012年2月22日 (水)

息子からバースデーの電話

 昨夜、息子からバースデーの電話があった。午後11時頃。

「ところで、いくつになったのかね?」と訊かれ、「54よ」と答えた。

 何だか、祖父に報告したみたいな気分になった。娘も、よくそんなことをいう。

 童顔で、子供っぽさと老人臭さが同居している不思議なムードを放つ息子。

 電車駅からで、電車の待ち時間にかけているらしかった。会社帰りだとか。

 ずいぶん遅いと驚くが、早い時間の帰宅途中とか帰宅後とかに電話があることもあるので、仕事が立て込んでいるのかと訊くと、そうだという。

「ところで、会社に辞表を出したんだがね」と息子。「ああそうなの。大学に戻るわけね」とわたし。

 息子は現在、社会人ドクターで、会社と大学院の博士課程に籍を置いている。休暇や有休を利用し、新幹線で大学の研究室に通っている。

 研究に専念したいので、近々会社を辞めて大学に戻る――ようなことをいっていた。しかし、教授が貧乏になることを心配して、会社を辞めることに反対だとも聞いていた。

「いや、それでね。会社をやめるのをやめることになりそうだ」と息子。「へえ、複雑な話なのね」とわたし。

 物事がスムーズに行かないのはいつものことなので、驚かない。息子は紆余曲折の大家といってもよいくらいなのだ。それにしては陽気な声。

 上司から引き留められたのだそうだ。それも、大学に戻りたいという息子の気持ちをかなり酌んでくれたものだとか。

 数ヶ月とか1年とかの長期休職をとって、研究室に詰めるかもしれないそうだ。

 息子が現時点での退職を迷う理由が他にもあり、卒業後おそらくはポスドクの口を探すことになるだろうが、その口にありつくのは厳しい状況が見え、先輩が勤めていた研究所なども人員削減に踏み切ったのだという。

 今は、大学院の博士課程卒業後、助手→助教授→教授とストレートに進めた時代とはわけが違う。

 ポスドク生活の厳しさは、ググれば、「博士が100人いる村」以外にも、いくらでも出て来る。教授が貧乏になるのを心配してくださるのは、そのためなのだ。

 それに、会社で、息子の専門領域の研究開発が復活の兆しだという。その部署に入ることを前提に入社したのに、入社初日にそこが潰され、失意に打ちのめされた息子だった。

 希望を出せばそちらに行くこともできるようだが、現在やっていることも面白くなってしまい、異動させられればそちらへ行くが、自分から希望するつもりはないそうで。

 息子の紆余曲折は大抵悪い結果にはならず、その途中では失意に打ちのめされたとしても、グレードアップされた状況を運んでくることが多い。

 息子は自分のスタイルにこだわりがあり、頑固でルール遵守、それでいて柔軟、また大変な努力家でもあるので、なるほどという感じだ。

 息子が辞表を出すかもしれないといったとき、占星術的に見て、それはもっと先になるのではないかと思っていた。

 火星の年齢域に入ったとき、学部生・修士時代と似た星の配置となるのだ。

 また、ずっと先の話になるだろうし、そうなるまでにはかなりの苦労があるに違いないが、ホロスコープ的に見ると、いずれ息子は、大学の先生になるのではないかと思う。教師と研究者を兼ねる職業というと、それしか思いつかない。

「もうこのままずっと、会社にいるかもしれないな」と息子はいったが、違う気がしているのはそのためだ。ずっと会社にいてくれたほうが、わたしは気楽でいいのだけれど。

 日本の数年後がどうなるのか、明確な将来像の描ける人がいるのだろうか。日本も大学も企業も、変化にさらされずには済まないだろう。

 それにしても、長年勤めた会社から継続雇用を匂わすだけ匂わされた挙げ句に冷たく放り出された夫と、数年間の勤務で上司の信頼を得て引き留められた息子。

 運命のコントラストが目を射る。

 夫は息子とは違い、初めよくて結果近くまで最悪、しかし結果はそれなりに悪くない状況に落ち着く運勢を持っているので、夫について、わたしはそれほど心配しているわけではない。

 それに、土星のこの年齢域、夫の場合はそう悪くないはずだ。いつまでも続く辛抱ではないと思う。ポリテクが終了するまでに再就職できるかどうかは、疑問であるにしても。

 ほとんどの人々が決まらないまま卒業していく。そうなると、警備員しかない(警備員の求人だけはある)という厳しい現実があるけれど。

 夫とは完全に運命共同体なので、心配になって当然だが、本当に心配すべきは、芽の出ない自分のことだろう(自分で摘み取っている気配すらある)。

 失意に打ちのめされっぱなしのわたしはよく、松村潔著『最新占星術入門』(学習研究社、1996年)の中の以下の一文を読む。その配置に自分のホロスコープが当てはまるのではないかと思うからだ。

[引用 ここから]……
 原則的には、集合魂との深い関係の中で活動し、時代を代表するような、多くの人に影響を持つ人は、太陽、月、アセンダント、MCに対して、冥王星・海王星・天王星の3天体が、非常に接近しているか、あるいは対向にあるという特徴を持っています。
 この場合、その人の天職や本当にしたいことが実現するまでに、多くの年月が必要です。時代を先取りしているため、社会がその人に適した場を用意してくれるまで、不適応症状に悩まされるでしょう。
……[引用 ここまで]

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2012年2月21日 (火)

誕生日に見つかった鍵

体調は回復。心臓の不調だけだったのだろう。

以下はカテゴリー「Notes:不思議な接着剤」に収めたいメモ。現時点では、ぼかした書きかたになる。


……何かに、あるいは誰かに道案内されているとしか思えない。創作もそのための方便にすぎないのかとすら思える、マグダラのマリアの謎を解くための鍵(ヒント)が見つかった。

誕生日に……これは最高の贈り物だ。

その鍵は、著作として既によく知られたものなのだが、わたしは知らなかったし、以前であれば、知っていたとしても気に留めなかっただろう。

実に、賞に落選してあれほど嘆いた――児童文学作品Pの続編を考える中で、見つけた。見つけるように仕向けられたとしか思えない。

Pは、1次も通らなかったんだから、あれは凄いレベルの賞で、よほどの名作が受賞するに違いない……気が向いたら比較のためにも、公開するかもしれない。

現在の日本の児童文学の主流はファンタジーで、ファンタジーとは呼ばれているが、神秘主義が伝えてきたシンボル、用語、エピソードなどを玩具にした、その実はファンタスティックな要素に欠ける空疎な作品群だ。わたしは何の反省もなしに、こうした風潮を引き延ばそうとする先の見えない儲け主義に異議がある。

他の作家の卵さんがたも、落選作をどんどん公開してくだされば、どんな作品が劣ったものとして落選させられているかの実態が掴めるというもの。

美術の世界では、アンデパンダン展なんてのもある。鑑賞や読書に耐えないから落とされているとは限らないのだ。

しかし、仮に受賞したり、1次か2次を通過していたとしたら、わたしはこんな方向へ行っただろうか?

続編は、落ちなければ、書こうと考えなかったものだ。そして、もし鍵が見つからなければ、中断中の児童文学作品『不思議な接着剤』は別物になったか、完成に漕ぎ着くかなり前の時点で挫折することになるに違いない。勿論、鍵が見つかった今ですら、挫折の危険度は高い。

ただわからないのは、なぜわたしがこの道を歩かなければならないのか、ということだ。

過去記事で何度か書いたが、わたしは前世に修行者として高齢で死んだ記憶と彼の世の光や大気の記憶(脳は生まれ変わるごとに新しくなるので、これは単純にいってしまえば霊的な記憶)と、何かテーマを持ってきたまではよかったが、産み落とされたときのショックでテーマに関しては忘れてしまった。

マグダラの謎を解くことがわたしのテーマなのだろうか? 海外の優れた研究者たちによって――通説を形成するにはいかないとしても――既に解かれたともいえるのではないだろうか?

もしかしたら充分に解かれたとはいえないのかもしれないし、この事の意味するところの大きさは、もっと遥かに大きいのかもしれない。

偶然、もう一つのライフワークである邪馬台国の宗教を考える場合に参考になりそうなことが、古代アフリカにあったマグダラの従者であった人物の国の――コプト教伝来以前の――宗教に見つかった。古代においては珍しいことではないだろうから、記憶に留めておく程度でいいと思う。

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やっぱり変

心臓のほうは、回復したと思うのです。頻脈、なし。胸痛、胸の圧迫感、共になし。

昨夜までは心臓の調子が全体によくなく、早朝にもおそらく細い血管が縮んだのではないでしょうか。

が、背中の凝りはそれだけが原因ではないのではないかと思えるのです。

今は心臓はピンピンしている感じがあるのに、背中のだるさは増すばかり。

あるいは、薬の効きにくい細い血管の縮んだ名残(?)があるだけかもしれませんが、それにしては強い自覚症状で、別の臓器の異常が隠れているのではないかとどうしても疑ってしまいます。

何でもないかもしれませんが、念のために今度の循環器クリニックの受診時に、血液検査をして貰ったほうがいいかもしれません。以前にいろいろあったことだし。

というのも、覚えがあるのです。粘りつくようなこのだるさ、背中の凝りは。心臓が原因とは思えません。

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実験

実験

今朝の3錠のニトロペン使用により、ここ数日でニトロペン10錠使ってしまいました。

普段の1ヶ月分。ひと月に、だいたい2錠か3錠使用の見当をつけて、処方されていると思います。

4時半頃、目が覚め、炬燵で別のブログに記事を書いていたら、背中の凝りがたまらなくなり、楽になりたいあまり、次々に3錠使ってしまったのです。

80パーセント楽になった感じ。首から背中、胸の中が少し涼しくなったので、やはり血管が縮んでいたことは確かでしょうが、残る20パーセントの背中の凝りがどうしても楽にならないのは、他に原因があるとしか考えられません。

肝臓とか膵臓とか。

いや、もしかしたら、ニトロでは効きにくい細い血管が縮んでいるのかもしれません。

なぜなら、普段ならニトロペンを使うと、胸いっぱいに清水を流したような清涼感が拡がるのですが、胸のほうは反応が少ないのです。かといって、楽になりたい背中の反応ももう一つ。

微小血管狭心症は中年女性に多いとか。背中の凝りに関しては、その症状が出ているのかもしれません。

細い血管に対応する薬も確か出ていたはず……シグマート(ジェネリックでニコランタ)ではなかったかしら。

シグマートは朝昼晩の処方です。試しに、それだけ服用してみました。すると、思ったより速効性がありました。ニトロペンより、背中の凝りに作用する感じです。

ただ完全には楽になりません。ここで、朝の薬を皆、服用。

背中の奥の奥のだるさが完全にはとれてくれないのです。別の臓器に原因があるのでしょうか?

と書いていたら、他の朝の薬がパワーを発揮し始めたのがわかります。ほぼ完全に楽になりましたよ(でも、完全にはなくならないわ)。

普段は気づかないけれど、どの薬も案外速効性があって(持続性もあって)、わたしの心臓を助けてくれていたのですね……今更ながら感謝の気持ちでいっぱいになります!

今日はせっかくのわたしの誕生日なのだから、あまり縮まないでほしいわ。太い血管も、細い血管も。

54年前のこの時間、わたしはまだ生まれていません。オギャーは、午後のおやつよりも遅い時間帯です。

太陽は魚座。上昇宮は獅子座で上昇惑星は天王星。月は牡羊座。水星、金星は水瓶座。火星は山羊座。木星、海王星は蠍座。土星は射手座。冥王星は乙女座。

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2012年2月20日 (月)

昨日より効いた、ニトロペン

昨日より効いた、ニトロペン

本調子ではないわねと思いながら家事をしていると、しんどくて、お婆さんみたいに背中を丸くして座り込んでしまいました。

肩から背中の凝りがひどくなり、胸痛も。

しぶしぶニトロペン舌下。これで勘弁してほしいわ。しんどいです。

いや、それでも、体力は戻りつつあり、頻脈の抑えも効いています。背中の凝りが残っていたので、まだ発作の根っこがあるからなあと警戒はしていたのでした。

夕飯もしっかり作りましたよ。過去記事で書いたように、書店勤務の娘がリニューアルオープンまで、変則的勤務で、遅い帰りです。ご飯はこれから。

記事を書いているそばから、背中がニトロ効果で涼しいわ。凝りがほぐれていきます(普通の肩凝りに使っても効きませんよ、お間違えなく……)。首も涼しくなりました。おなかのほうへも清涼感が拡がります。

実は、久しぶりの腹部膨満感に、午前中から悩まされていたのですね。冠攣縮性狭心症の仕業だったようです。

昨日よりニトロペンがよく効きます。本当に気持ちがいい。

今回、発作がしつこく起きたのは、やはり、寝不足や強いストレスから(友人を亡くしたのですから、あって当然です)、いつもはインデラルで抑えが効いている頻脈がいくらか野放しになり、体力が低下したことが原因ではないかと自分では思っています。

インデラルは頻脈を再度管理下に置くことに成功し、確実に体力が回復していますから、大丈夫ですよ。ニトロペンは心不全の症状にも効くようですから、その効果もあるでしょうね。

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嵐は過ぎたかな? あっ忘れていた!

このところ、心臓の不調で無我夢中の日々でしたが、どうやら嵐は過ぎたようだと思います。

今日は頭を高くしてずっと横になっていたので、家事がたまっていますが、これから簡単な掃除と洗濯をし、夕飯はしっかり作ります。

娘とふたりだった夜は夕飯を作りましたが、不調の間は弁当、宅配、外食で乗り切ったので、さすがに自分で作った美味しいものを、誰より自分が食べたいのです。

ただまだ本調子ではないので、ぶり返さないよう、創作などは控えています。普段の生活を取り戻すことを、第一にしようと思います。

もうすぐ循環器クリニックの受診日。使ったニトロペンの数を報告するのが嫌だわ。別に悪いことをしたわけではないけれど……。

心臓は当然自分のなかにあるものですが、わたしには、何だか、自分とは別個に存在しているペットか何かみたいな気がしています。それで、パトラッシュと名づけたりしたのです。

パトラッシュも、女友達の死が悲しくて、立ち直るのに時間がかかったのでしょう。

ところで、明日はわたしの誕生日です。いつも、この頃になると、急に春めいてきて、日差しが明るく、華やいできます。

明日は元気で誕生日を迎えたいわ。

あっ、シマッタ!

同じ市に住む大学時代からの女友達のお誕生日が昨日だったのに、すっかり忘れていました。

わあ、この記事書かなきゃ思い出さなかったかも。今から、1日遅れの亀お祝いメールを贈ります。

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まだ不安定な体調

深夜に出て一旦消えたはずの背中の凝り――深夜に比べると軽いものです――が、出現しています。

頻脈も胸痛も感じません。でも、胸の中が普通ではなく、何か嫌な感じ。左腕も重いのです。

それでも、まだニトロペンは使いたくありません。頻脈を感じないので、強気です。朝の薬で治まってくれればいいのですが……。

深夜は、汗びっしりになっていました。寒いときに、あんなに汗をかいたのは初めて。冷や汗だったのかしら?

午前中は、なるべく安静にしていたいと思っています。

といっても、インデラルでは頻脈の抑えが効かなくなっていたところへ、繰り返し冠攣縮性狭心症の発作が起きたあの数日間とは違い、深刻さはありません。

最近、こんな記事ばかりで、ごめんなさいね。料理の記事をアップしたいと思っていたというのに。

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ニトロペン3錠

ニトロペン3錠

昨日の外出が早すぎたのかも。

背中の凝りというか痛みというか、それが我慢できないほどになりました。息苦しさもありました。

久しぶりの食材や日用品やらの買い物で、娘もわたしも両手に沢山の袋。娘はいつも、わたしの1.5倍から2倍は持ってくれます。

その袋のせいで、凝ったのかもしれないと思ったのですが、凝りが泣きたいぐらいにたまらなくなったので、ニトロペンを舌下。

1錠目は、ほんの少し背中の凝りが解凍された気がした程度。やっぱりただの凝りかなあ、と思いました。

が、何とも厭らしい凝りが我慢できず、2錠目を舌下。薬の置きかたが悪いのかもしれないと思い、舌を動かして薬のツボ(効果のあらわれやすい場所)を探りました。

すると、そのツボにハマったのか、胸の中がさーっと涼しくなりました。やはり、冠攣縮性狭心症の発作だったんだと思いました。息苦しさも消えました。背中の凝りは残っていて、本当にたまらない気分に……。

3錠目で、ようやく背中のほうにもさーっと涼しさが拡がりました。

ホッとしました。

一昨日までと比べたら、昨日は心臓が元気になったと感じていたのですが、昨日の外出はまだこたえたのでしょう。

このところのニトロの使いすぎで、耐性ができ、効きにくくなっているのかもしれません。先生はそれを警戒なさっていました。でも、勿論ニトロを使うなとはおっしゃらず、複雑な表情をなさいましたっけ。

難しいですね。

写真は、昨日ファンケルでいただいたお試しのエイジングケア。写真、相当にボケていますか?

スキンケアには、主にドクターシーラボを使うようになりました。クレンジングは、ファンケルのほうが合うので、そちらを使っています。肌がすっかり弱くなって、困ります。

湿疹は体調がひどく悪かった数日間に比べると、ましになりました。

健康の記録なので書きますが、昨日の夜間から早朝にかけて、ひどい下痢でした。そのせいもあって、痩せたんです。今はそれは大丈夫。

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2012年2月19日 (日)

久しぶりに、スタバで

久しぶりにスタバで

元気回復!

夫は昨日実家に泊まり、今日はそこから旧友に会いに行ったので、昨日から休日の娘と気ままに過ごして元気が回復しました。

前向きな計画も、いくつか浮上しました。

数日の不調で、痩せ、嬉しい……すぐに戻りそうですが。

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2012年2月18日 (土)

わたしの頻脈

■ ご参考までに

ここでいう頻脈は、洞性頻脈です。

ナビ記事「治療中の疾患と服用中の薬について」において、洞性頻脈関連の記事をまとめていますので、その部分を抜粋しておきます。

洞性頻脈
1995年(37歳)、福岡県T市立病院にて、心エコー、心レントゲン、ホルター心電図で治療が必要なタイプの洞性頻脈と診断されました(洞性頻脈の多くは治療を必要としないようです)。
寝ても覚めても、一日中走り回っているような心電図といわれ、治療後の心レントゲンで、心臓が小さくなっているのが確認されました(正常なときは心臓が普通より小さなサイズと判明)。以来、ずっとインデラルで予防しています。

以下に、洞性頻脈のことを書いた記事を拾ってみました。

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

昨日は一日中体調悪くて、久しぶりに、どうなることかと思いました。

何だか朦朧としていた時間帯もあり(眠かっただけかもしれませんが)、ニトロペンを使用したあとでは吐き気が起きました。

まだ若干圧迫感があり(残っているのか、新しく出たのか)、警戒していますが、昨日のようなことにはならないと思います。今日は買い物に出なくてはなりません。

脈拍が安定しないと、体は本当につらくなります。

わたしの場合、冠攣縮性狭心症の発作から体調が悪くなるというより、頻脈という異常が根本にあって、寝不足やストレスが重なると、いつもは薬で効いている抑えが効きにくくなります。

すると、体がとても弱った感じになります。そこへ冠攣縮性狭心症の発作なんかが起きると、ダメージが大きく、尾を引くという感じがしています。

寒冷その他の刺激により単純に発作が起きる場合は、ニトロペンの使用で比較的簡単に治まり、それほど尾を引きません。刺激が刺激を呼ぶみたいな感じで、まあ続けて起きることもありますが、この発作のみではわたしは弱ったという感じを持つことはあまりありません。

わたしの天敵はやはり頻脈です。これさえ根本になければ、ここまで日頃から体力がないはずはないとも思うのです。

冠攣縮性狭心症の患者さんたちのブログへお邪魔させていただくと、皆さん、発作による不便を抱えながらも、普通に仕事をしたり、遊んだり、お酒を飲んだり(これはどうも発作を誘発しがちのようですが)と普通になさっています。

ですから、わたしの体調記録を冠攣縮性狭心症患者の記録とは思わないでください。頻脈患者の記録と思っていただいたほうがよいと思います。冠攣縮性狭心症がメインの患者さんたちは、もっとお元気です。

洞性頻脈は一時的になら誰にでも起きるものなので、起こりかたの異常まで見逃されがちですが、程度の強いものが繰り返し起きる場合は、誰にでも起きる一時的な洞性頻脈とは別個のもので、治療を受けなければ間違いなく心不全になる危険な異常なのです。

三十代からわたしを弱らせ、生活の自由を完全に奪った悪魔はこの地味な顔つきをした頻脈です。わたしは、長年の頻脈との闘いに、ほとほと疲れてきました。

この地味な頻脈には、ペースメーカーは使えないのでしょうか。(追記:使えないようです。)

ペースメーカーについてはよく知らないのですが、器械で正常な心拍を維持することができれば、インデラルの服用が必要でなくなり、インデラルの服用が必要でなくなれば、冠攣縮性狭心症や喘息の発作も起きなくなる可能性があり(わたしの場合これらはインデラルの副作用ともいわれています)、問題がほぼ解決することになるのですが……。

先生にお尋ねしたいと思っています。この件とニトロのスプレーの件。

ただペースメーカーが使えるのであれば、薬がこんなに増える前に既に使っているはずだとも思うのです。徐脈性の患者さんとか、一部の頻脈性不整脈の患者さんみたいに。

わたしは平成7年に福岡県T市立病院のC先生を受診し、心エコー、心レントゲン、ホルター心電図により洞性頻脈と診断されました。一日中走り回っているような心電図だったそうです。
インデラル服用後、心レントゲンで、心臓が小さくなっているのを先生と一緒に確認しました。

頻脈による負担のために心臓が大きくなっていたのであって、その小さな心臓がわたし本来のサイズの心臓だとの説明を受けました。

わたしの心臓のサイズは、標準より小さいとのこと。インデラルはわたしの心臓の状態を改善してくれたのでした。

その後、慢性心不全があるといわれながらも、平成17年に今のクリニックに替わるまで、心臓はずっとインデラルのみでやってきました。

C先生以後T市立病院では、むしろ、エコー、血液検査、便に脂が出ている(といわれた)ことなどから慢性膵炎が疑われ、フォイパンその他でずっとその方面の治療に中心があったほどです。

慢性膵臓は現在は否定されており(日赤のE先生)、あれは何だったのかと思いますが、あの頃の血液検査の結果は今とは違い、痛風が疑われたり、痩せていたのに空腹時の中性脂肪値が600と馬鹿高くなるなど、変でした。

肝機能の異常が最初に出たのは、これより早い平成4年です。W医院で確認されたものですが、頻脈はその頃からあって(苦しくてたまらず、よき治療を求めて病院ジプシーになっていた頃の話です)、ヘルベッサーが処方されましたが、頻脈は改善されず、血圧が馬鹿高くなったりしました。

その前のT社会保険病院ではテノーミンが処方されましたが、脈拍・血圧共に安定しませんでした。テノーミンはインデラルと同系統の薬のはずですが、わたしには少なくともその時点では合いませんでした。脈拍数は抑えられましたが、安定性を欠くといった印象でした。

これまでの病歴(他にもあります)からすると、体が疲れる原因が頻脈以外にも潜在していないとは限りません。

比較的最近大学病院で受けたホルモン検査の結果も、変でしたしね。ホルモン全体が何かに引っ張られているそうで。その何かを特定するのは内分泌科では無理だといわれました。

いやはや、またしても愚痴の繰り返しになった次第。同じ回想を過去記事でも繰り返してきました。申し訳ありません。

この数日で体がすっかり疲れてしまいましたが、心臓はどうにか元気を回復しつつあるようです。わたしの心臓、大したものですわ。

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2012年2月17日 (金)

強烈な圧迫感にニトロペン(>_<)

強烈な圧迫感にニトロペン(>_<)

今日は、夫が娘を迎えに行き、帰りにスーパーで買い物して貰って夕飯を作る予定でした。肉魚は冷凍したものがあるのですが、それだけでは満足に料理できませんもの。

前の記事に書いたように、娘の勤務がリニューアルオープンまで変則的で、帰宅は8時過ぎるのですが、仕方がありません。

で、前の記事を書いたあと、まだ体調が悪いと思いつつ(体調が悪いと記事が長くなったりします。起きたくないので……)、さすがに超スピードで洗濯を畳んだり、こんな時間からですが、掃除をしたり(掃除機をかける体力がないときに便利な道具などで)しなくてはと、起き上がりかけました。

そのとたん、胸のど真ん中に強烈な圧迫感。バン!って感じ。「なめんなよ!」って、発作のゴッドファザーからいわれたみたいな。杭を打たれたような胸痛の次に嫌な発作でした。

さすがに、こんなのが到来すると、フリーズ。死の危険を覚えます。震える手で、ニトロペンのアルミ包装を破りました。

こんなときは、スプレータイプのほうが便利ですね。強い発作のとき、ニトロペンを探したり、アルミ包装を破る手が、決まって震えるのです。

今度の受診時に、先生にお尋ねしてみようと思います。

たぶん先生は、使いすぎを警戒して、舌下タイプを出されるんじゃないかなと思います。わたしの性格を先生はご存じなので。現に、メプチンエアーを使いすぎて、怖い目に遭ったことがあります。

強い発作だったわりには、ニトロがよく効きました。ただまだ起きそうな不穏な気配が漂っているので、今日はもう極力、動きません。横になっています。

電話で娘に「パパと外食してきて」というと、娘が嫌だというのです。「ママはどうするの、Hotto Mottoの方がいい!」ですって。

わたしは、外食してきてくれたほうが楽なのです。わたしはファミマのパスタが食べたいと思っていました。子供じゃあるまいし、もう! 仕方なくHotto Mottoにしました。

体調が悪いとよくお世話になるHotto Mottoはわたしには天使のような存在ですが、昨日も宅配頼んだので、外食してほしかったのですが。

娘の帰りが通常のときはデパ地下のお弁当が安くなっている時間帯なので、ヘルシーで美味しいそれを頼めるのですけれど。

今日は掃除すらしなかった……これって、神経質なわたしにはよほどのことです。狭くてごちゃごちゃしていますが、掃除はします。

エアコンを効かせていても、部屋に寒気が流れ込んできます。今回の発作の原因はこれかも。暖かい地方にいてこれでは、情けないですね。

これで、よくなるのかなあ。また起きるようなら、先生にお電話するかもしれません。クリニックに電話すれば、夜間は先生の携帯に通じるそうで。

緊急のときにはかけるようにいわれています。救急車で盥回しなんかに遭えば、この病気は下手をすればアウトですもね。まあ一度もかけたことがなく、今回も大丈夫でしょう。

あ、写真ね。貰い物の蜜柑に、ニトロペンの殻を置いてみました。こんな余裕があるから、大丈夫ですよ、ホント。時計を見てびっくり。この記事を書くのに、凄く時間をかけたことになります。


◎「テレビで映画の『アバター』があっているよ」と娘。本当だわ。半分以上終わってますが、面白い映画ですよ、お勧め。過去記事にレビューがあります。

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寝てしまった1日。バーネット夫人の生活スタイル。

娘は、勤務先の書店のリニューアルオープンを控え、変則的な勤務となっています。昼前に昼食を家で済ませ、出勤して、午後8時過ぎに退社。

書店は改装工事のため休店中ですが、ドアは開けっ放しで、エアコンが利いているのは休憩室のみ。電気ストーブはあるそうですが、何しろ改装中の書店、燃えやすいものがあちこちにあるので、あまり使いたくないとか。

防寒対策としては、靴下を2足、カイロなど。わたしはお昼をしっかり食べていくことも大事だと思っています。ちなみにポリテク通所の夫には、お弁当を作っていません。ポリテクで買えるそうなので。

娘は自分で作るくらいなら買って済ませるというほうで(何のための料理教室通いだったのかしらね。しっかりしたよい教室だったのに教養にしか……)、コンビニからハンバーガーを1個だけ買っていました。

朝、わたしはそのハンバーガーにヒスを起こし(ハンバーガーに何の罪があったのでしょうか)、「そんなんじゃだめでしょ!」と怒りました。

早朝ニトロペンを使い、胸の中は何ともなくなっていましたが、本調子ではなく、積極的に何か作ろうという気になれないわたしは、戸棚を漁りました。

いつもなら、あまったおかずとかご飯とかがあるのですが、昨日夕飯を作らなかったので、すぐに食べられそうなものは何もありませんでした。夫は朝、パンとコーヒーで済ませました。

真空パックのコーンが見つかったので、とりあえず、それをテーブルへ。

キャンベルスープと茹で卵があれば違うだろうとも思い、娘に「スープと茹で卵を作ったら食べる?」というと、娘は「そりゃあれば食べるけれど、コンビニで買ったハンバーガーはボリュームがあるから、他にはあんまり入らないよ」といって、朝シャワーへ(寒くてもシャワー。これもいくらか怒りをそそります)。

わたしは朝の薬を飲み、戸棚漁りだけで疲れたので横になり、お昼をちゃんと作ってやろうかな……冷凍ベーコンを解凍してガルボナーラ。ご飯を炊き、チャーハンにしてもいいと思いました。

何にしても、時間はたっぷりありました。いくらか横になっていれば、本調子に戻るかもしれないと考えました。

娘にチャーハン、簡単なサラダとスープを食べさせ、自分はハンバーガーを食べる場面を想い描きました。あのハンバーガーちょっと美味しそうだし……よし、これでいこう!

記憶はそこで途切れ……チャーハンの具材を何にしようかしらと考えているうちに、寝てしまったようです。

しまったと思って目を明けると、午後2時半でした。ついたままのテレビでは午後の国会中継があっていました。まだ朝ドラ「カーネーション」があっていたはずなのに(これ、面白いですね! コシノ姉妹のことやファッションの変遷が時代背景を映して巧みに描かれていて)。

真空パックのコーンが1本、ごろんとテーブルに転がっているばかり。娘はハンバーガーをレンジでチンし、牛乳を入れたインスタントコーヒーでお昼を済ませて出かけたみたいです。

たぶんニトロペンと朝の薬のダブる効果で血圧が極端に下がり、睡魔に襲われたのでしょう。このところ、頻脈が治まりにくいため、体力もかなり低下しているのではないかと思います。うなじの湿疹はひどくなり、頭の中に拡がりました。昨夜も紫雲膏の使用を迷っいました。肝臓の先生からは、こうしたものすら禁じられているので。

毎年、体がいくらかでもよくならないかと何かしらやってみても、逆効果を招きがちで体力は落ちるばかり。それでも、外で働くことを夢見たりもしますが、仮に運よく仕事につけたところで、ウォーキングと同じことになるのは目に見えています。

かといって、この辺りでこの世を引き揚げて女友達に会いに行こうにも、決定的な身体状況は訪れそうになく、水飴みたいにだらーんと長生きしそう。

女友達の訃報はショックでしたが、数年前に博多で彼女に会ったとき、とても体調がいいようには見えませんでしたから、どこかでこんな事態が訪れることを覚悟していた気もします。

あのとき、片足を引き摺っていた……あれは脳梗塞の後遺症ではないかとずっと疑っていました。わたしには、彼女の死の原因はわからないままです。

生活不安があり、夫の再就職が困難を極める中(若い、いくつも資格を持っている人ですら、そうなのです)、わたしが働けない体だというのは、大変な不幸です。

執筆で食べていくのは難しいという以前に、金銭を供給してくれそうな唯一の対象を攻撃するという自分でも訳のわからない状況。

音楽畑で歌曲と童謡の詞を募集しているので、応募してみたいと考えています。思いつくことは、何でもやってみます。

児童文学作品Pは、冗長な箇所を削り、わかりにくい箇所を改めたら、名前を教えてくれた編集者宛てに送ってみようかなあ(がっからりするだけだと想像でき、気が進みません)。

「鬼の創作道場」には、勉強になりそうなので作品を出したいです。まだ時間があると思っていたら、そうでもなくなってきました。

『不思議な接着剤』は、Notesをブログサービスで簡単な本にする作業中です。

ところで、図書館から借りてきた『夢の狩り人 イギリス女流児童文学作家の系譜④』(ニュー・ファンタジーの会、1994年)では、バーネットが採り上げられています。

『小公子』『小公女』『秘密の花園』『消えた王子』などで有名なイギリスの女性作家バーネットは、大人のものも含めて夥しく書いた人です。

でも、体は悪かったみたいで、以下のように息子が書き残しているとか。

[引用 ここから]……
「バーネット夫人の生活のスタイルは、その大部分が生涯にわたる半病人のような彼女の健康上の理由から、自ずと形作られたものなのである。すなわち彼女はベッドで朝食をとり、ほとんど終日をそこで過ごしていたのだった。ベッドカヴァーの上には本が散らばっていた。大の読書家だったからだ……。ベッドから起き上がり、仕事が出来そうな気分のときには、バーネット夫人は十時には机に向かい、家族そろってとることになっていた昼食の始まる一時まで、誰にも邪魔されずに、そこに留まろうとした。痛みがあったり、ベッドに入っていなければならないときも、仕事を制限することはなかった。ほとんど仰向けに寝たままで書かれた、鉛筆書きの沢山の作品の原稿が、このような困難な状況の下で、どんなに多量にしかも絶え間なく、彼女が仕事をしていたかを物語っている。実際にそうしていたかどうか別にして、まさに歯を食いしばって仕事をしていたのだった。」
……[引用 ここまで]

わたしは家事があるので、同じというわけではありませんが、寝たり起きたり……というか、寝たり寝たりの執筆生活が似ていて、嬉しくなりました。

携帯のお陰で、わたしは寝たままでも楽に書けるぶん、恵まれています。この記事も携帯からで、お気づきのかたもいらっしゃるかもしれませんが、カテゴリーが一つだけの記事は大抵携帯からのアップです。

あとでパソコンを開いたときに、カテゴリーを増やしたり記事の体裁を調えたりします。作品のメモや下書きも携帯さえあれば、横になったままできます。勿論体調がよければ、紙のノートやパソコンのほうがいいに決まっています。携帯では、長さのある作品の本格的な作業は無理です。

お先真っ暗の状況でも、諦めるわけにはいきません。洞窟に差き込む光を探して歩く(書く)だけです。光を見つけても、穴が小さすぎたりしてなかなか抜け出せませんが、どこかに出口があるはずです。

何だか、洞窟に隠された壺の中で長いときを過ごさざるを得なかったグノーシス文書の気持ちが、いくぶんわかってきた気がします。この苦境も、創作に生かせるでしょう。

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胸の圧迫感にニトロペン

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昨日の昼間、体調がよくなく、寝ていたため(夕飯作りもパス。その前日の夕飯は、久しぶりに記事にしようと思っています)、ブログを更新しようと深夜に起きていたら、胸の不安定感でパソコンの前に座っていられず、また横に。圧迫感も出てきたのでニトロペンを使いました。

昼間、ニトロペンを使えばよかったのですが、使いすぎは耐性の心配があるという先生のお話なので、なるべく使わないようにしていたのです。

でも、そうすると、胸の不安定感から家事すらまともにできませんでした。早めに使えばよかった……。

胸のなかに清涼感がひろがって気持ちがいいのですが、まだ不安定感が残っています。

この不安定感というのはうまく説明しにくいのですが、動くと動悸がしたり、めまいがしたり、少しの行動でひどく疲れたりして、始終、横になりたくなります。横になれないと、圧迫感、胸痛が起きてきます。

この不安定感も発作の一症状と考えたほうがいいよ――と先生がおっしゃいましたっけ。小さな攣縮が繰り返し起きている可能性もあるとか。

強い圧迫感や胸痛が起きないと、発作だとの実感がないのですが、前に胸を寝違えた(?)ときに、筋肉痛だろうとは思いながらも、万一、冠攣縮性狭心症の発作だといけないと思い、ニトロペンを使ったところ、全く効かず、むしろ不快な使用感だったことを思い出しました。

今は本当に気持ちがいい……胸の中から左腕、頭にまで清涼感が拡がります。

夕方、虫歯がないのに歯痛があり、左腕が重かったは発作の前兆だったのでしょう。

あら、天井に大きな蠅が止まっていますよ。あ、天井を離れて飛び始めました。ぐるぐる活発に飛び回っています。この季節、しかも11階だというのに、蠅ねえ……。

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2012年2月14日 (火)

詩人、行織沢子の死 ④永遠に残るもの

INDEX

 昨年の梅雨どきから今年にかけて、生活不安や世に出たい願望から、賞狙いに明け暮れていた。

 馬鹿だった。

 その行為は何の実りももたらさなかったどころか、わたしが詩人と呼んだ女友達との最晩年の交友に制限を加えた。

 そんなことさえしていなければ、もっと長い手紙やメールを書いただろうし(彼女はそうしたものを好む人だった)、電話ももっとかけただろう。

 博多に出かける機会もあったというのに、作品のことで頭がいっぱいで、連絡する気持ちのゆとりもなかったのだ。

 突然死だったという。
 起床が遅いので部屋に行ってみたら、既に亡くなっていたそうだ。
救急車を呼んだけれど、病院では死を確認できただけだったという。
 原因が脳だったのか、心臓だったのか、それ以外だったのか、知りたいと思ったが、さすがにこちらからは訊けなかった。

 優しい、穏やかな死に顔だったと聞き、本当によかったと思った。
 それを伝えるお父様のお声の調子も優しく、穏やかで、その最後のお顔に想いを馳せていらっしゃるような、何だか詩のようにも聞こえた。

「あなたに申し訳ないような気がしてね……」ともおっしゃったが、「申し訳ないだなんて、そんなことはありません」と応えるばかり。

 敏感なはずのわたしは、彼女の死の予兆も、死後の訪問も、何も感じなかった。

 統合失調症の病状が悪いとき、彼女は突発的に電話やメールをよこす傾向があり、自分では制御できないらしかった。
 そのため、調子がいいときは極力連絡を控える癖があった。調子のよいときの連絡は大歓迎だったのだが……。

 死んで彼女は本来の自分をとり戻し、快適な状態になっていたに違いない。そう、調子がよかったからこそ、訪問を控えたということも、彼女の性向からすれば、ありうる。

 そういえば、彼女に神秘主義的な話をしたことは、ほとんどなかった。そもそもわたしは、家族を除けば、ほぼ話さない。
 ブログのことは話していなかったし、神秘主義的な傾向の作品は見せなかったから、わたしが死について神秘主義的な考察を重ねていることなど、彼女は知らなかっただろう。

 彼女はこんな話題を好まないような気がした。神秘主義的な話題が病気に障ったらいけないという警戒心も働いた――というより、話したいという欲求をおぼえなかったから、話さなかっただけだ。

 ブログではおおっぴらに書いているけれど、本来神秘主義は人を選ぶのだ。適性を欠いた人に話しても意味がないばかりか有害ですらあるから。
 だから、こうした話題が嫌いな人には本当はわたしのブログには来てほしくない。わたしがその人を好きか嫌いかということとは、また別の問題なのだ。両親や妹にすら話さなかった。今の家族に話すのは、話せるムードがあるから話している。概ね客観的に聞いてくれる。

 彼の世へ行くまでの1週間、死者はこの世で透明人間状態となって過ごすことができるようだ。

註 ここから]……
 
尤も、H・Pブラヴァツキーは『神智学の鍵』で、死後2、3日の間といっている。カバラの『ゾハル』には7日間とある。
 自身の体験から、この点に関して――少なくとも現時点では――、わたしはカバラの説をとっている。
 ブラヴァツキーのいうことが信用できないということでは、決してない。ただ彼女は、一般公開するには早いと思われる事柄については、アレンジを加えたり、ぼかしたりした形跡があるので、信仰書的に一言一句を信じるということはわたしはしていない(たとえば、人間の7本質に関することがそうだ。オーリック・エッグについては、神智学協会内部に形成された秘教部門にだけ伝えられた事柄だった。現在では一般公開されている)。
……[註 ここまで]

 わたしを訪問した人々は全員、ほんの少し前まで最悪の身体状況にあったとは思えないくらい、軽やかで自由な印象だった。
 風船みたいに空中に浮かんだり、瞬間移動もできるようになるらしい。

 聴覚、視覚、嗅覚は確実に残っているようだ。
 といっても、肉体は機能を完全に喪失していたり、焼かれたりしているはずだから、それは霊的な機能なのだろう。

 訪問者に心で話しかけると、大抵通じるが、わたしも自分ではまだこのことに確信がなくて、狂気の沙汰と思ったりしているので、本当にスムーズにコミュニケーションがとれたのは1人の男性とだけだ。

 彼は斎場からついて来たが、礼儀正しい男性だったので、別に嫌ではなかった。心の中で嫌といえば、来なかっただろう。

 旅行を楽しんでいる様子だった。
わたしが死者に応答できるかどうかを疑ってもいないみたいに、町の地理や人口について訊いてきたりした。

 風船みたいに浮かんでみせたのは、この人だ。
 わたしには姿は見えなかったのだが、彼の意識がふいに高いところに移った気がしたので、「風船みたいに浮かんでいるの?」と心の中でつぶやくと、愉快そうな弾けるような――肉の耳には聞こえない――笑いが、屋根の高さくらいのところから返ってきたのだった。

 彼は短期間に様々な情報をもたらしてくれたので、それについてはいずれ書きたいと思っている。
 彼は、彼の世に行ってからは沈黙している。

 神智学の女の先生が高齢で亡くなったとき、あれほど動転していず、自分の感覚を疑いすぎていなければ、有意義な対話ができていただろうにと残念だ。
 死後の貴重な時間を割いて、何度も来てくださったというのに。

 先生は生前まめに文通なさるかただったが、17年経った今も、空間に青や金や銀の宝石のように輝く光のかたちで、彼の世からお手紙をくださっている。
 つい数日前にも、届いた。

 女友達は亡くなって自分をとり戻し、悦びを覚えると同時に、この世での出来事を整理する必要を覚えただろう。

 彼女はずっと創作に執着を持っていたが(新年のメールにも作品のことが書かれていた)、大学時代以降は、思うように書けないジレンマの中にいた。

 だが、死んでしまった今は、作品を残す残さないに、そう大きな違いなどないと、気づいただろう。

 ミューズに捧げる作品を書くより、ミューズの構成要素となることのほうが本質的なことだと。

 彼女が、この世という教室で難しい授業を真摯に受け、自身の霊の高級な器官に貴重な蜜(エッセンス)を蓄えたことは間違いない。

 その神聖なエッセンスこそが、永遠に残るものだとわたしは教わった。

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詩人、行織沢子の死 ③母代わり?

INDEX

 これまで、こんなことは考えたこともなかったけれど、わたしは亡くなった女友達を母代わりにしていたのかもしれない。

 母は48歳で亡くなり、女友達は59歳で亡くなった。

 女友達は、年齢的にはわたしと五つしか離れていないが、優しくて、きちんとしていて、気遣いの細やかな人だった。

 だが、考えてみると、大学時代の彼女は、統合失調症の治療の違いからか病状の違いからかはわからないが、シャープで、才女っぽい、近寄り難い感じの人だった。高校時代に発病していなければ、別の大学に行っていただろう。そんな毛色の違いを感じさせた。

 ほとんど笑わなかったのは、カトリック系のシスター学校の名残だそうだった。そこでは、必要でないことはしないことになっていたという。

 それが、自分でも語っていっていたことには、治療のある段階くらいから、穏やかになり始めた。鈍くなった、と自分ではいっていた。

 上品さはそのままに、優しくなり、いくらか庶民的な感じになって、わたしには親しみやすくなった。よく笑うようになり、そのすばらしい笑顔が忘れられない。

 本当の友人づきあいがはじまったのは、その頃からだった。

 その彼女の変化は、電話局勤めの母が、腎臓病のために退職し、家にいるようになってからの変化に似ている。

 勤めていた頃の母は、可愛らしい顔に似合わず、男性的な行動力とプライドがあり、とても社交的だった。それに、庶民にしてはよいものが好きで、贅沢なところもあった。

 共稼ぎをしていたし、外国航路の船員をしていた父の給料もよかったのだ。敗戦で落ちぶれるまでは、祖母の家柄がよかったこともあって、よいもの好みの気質が備わっていたのかもしれない。

 そんな風な、いくらか気位の高いところやよいもの好みのところ、病気が原因で行動に制限が加わり、それにつれて優しく、気遣いが細やかになっていったところなど、そっくりではないか。

 女友達が亡くなった今になって初めて、わたしはそのことに気がついた。

 わたしは自分でも気づかずに、女友達をお姉さん代わりというより、母代わりにしていたのかもしれない。

 その甘えからか、彼女に対しては、ときに礼儀を欠いたり、だらしなくなったりもしたのだった。今になって、何だか申し訳ない気がしてきた。

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詩人、行織沢子の死 ②身の置き処がない

INDEX

 詩人と呼んでいた女友達が亡くなり、これで、わたしが思想面、芸術面で強い影響を受けた人々が全員あちら側へ行ってしまった。

 空気が急に痩せ、貧弱になった気がする。

 彼女のお父様が「今はまだ混乱していて頭が真っ白」とおっしゃっていたが、わたしの頭も真っ白で、目を閉じてもまぶしくて眠れない。身の置き処がない。灼ける砂漠にでもいるみたいだ。

 彼女はミューズの息吹を感じさせる、まれな人物だった。
 彼女がいなくなったので、作品が出来上がっても、本当の意味で読んでくれる人がいなくなった。
 あんな風に、爽やかな言葉で、核心を衝ける人なんか他にいない。

 もう新しい季節が来ても、本当のその季節はわたしには来ない。「春らしくなりました」「暑くなったわね」「秋を感じますよね」「冬をどうお過ごしですか」などと何気ないことをいって、一緒にその季節の光に想いを馳せる人がいなくなったから。

 こんなに早く亡くなるとは、思いもしなかった。75歳くらいになった彼女を想像できるくらいだったのに。

 息子は彼女の詩が好きなので、電話で話した。
 娘はわたしと一緒に彼女と会ったことがあり、彼女の目はバルザックのような、何もかも透視されるような目だと敬服し、もう一度会いたがっていた。彼女の死が信じられないようだ。
 夫は、同じ文芸部だったから彼女を知っている。

 家族が幾分かずつでも訃報を共有してくれたので、ありがたかった。何だか破裂しそう。

 心は砂袋になったみたいだ。なぜか、彼女の好きなウェッジウッドの紅茶を思い出し、泣けてきた。

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詩人、行織沢子の死 ①訃報

INDEX

 2012年2月2日、午前11時15分――、

 当ブログで詩人と呼んできた女友達が亡くなった。
 最後に話してから、翌々日の死。

 敏感なほうのわたしだが、一切わからなかった。死の予感もなく、死後の訪問もあったかどうかさえ感じず、それらしい夢も見なかった。

 優しい、穏やかな最後のお顔だったという。

 お父様が長い交友に何度も、ありがとう、とおっしゃった。

 わたしは彼女がよいご両親に恵まれたこと、ご両親の長いご苦労に――わたしなんかが申し上げるのはおこがましかったが――、あふれる感謝の思いを伝えずにはいられなかった(彼女には統合失調症との長い闘いがあった)。

 この世という教室での難しい教科を終えて、安らいでいることと思う。

 だが、わたしは創作の支えを失った。つらい。

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2012年2月12日 (日)

瀕死の児童文学界 ④失われた40年間 

 昨夜、なぜか夫と三島事件について話していた。三島由紀夫を知らない人は少ないと思うが、若い人はどうだろうか。以下はWikipediaより。

[引用ここから]……
三島由紀夫
ウィキペディアの執筆者,2012,「三島由紀夫」『ウィキペディア日本語版』,(2012年2月12日取得,//ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E4%B8%89%E5%B3%B6%E7%94%B1%E7%B4%80%E5%A4%AB&oldid=40885711).

三島 由紀夫(みしま ゆきお、本名:平岡 公威(ひらおか きみたけ)、1925年(大正14年)1月14日 - 1970年(昭和45年)11月25日)は、日本の小説家・劇作家。

略歴

戦後の日本文学を代表する作家の一人である。晩年は、自衛隊に体験入学し、民兵組織「楯の会」を結成。右翼的な政治活動を行い、新右翼・民族派運動に大きなな影響を及ぼした。

代表作は小説に『仮面の告白』、『潮騒』、『金閣寺』、『鏡子の家』、『豊饒の海』四部作など。戯曲に『サド侯爵夫人』、『近代能楽集』などがある。批評家が様々に指摘するように、人工性・構築性にあふれる唯美的な作風が特徴。

1970年11月25日、前年の憂国烈士・江藤小三郎の自決に触発され、 楯の会隊長として隊員4名共に、自衛隊市ヶ谷駐屯地(現:防衛省本省)に東部方面総監を訪れ、その部屋で懇談中に突然日本刀を持って総監を監禁。その際に幕僚数名を負傷させ、部屋の前のバルコニーで演説しクーデターを促し、約一時間後に割腹自殺を遂げた。この一件は世間に大きな衝撃を与えた。
……[引用ここまで]

 夫はその頃(1970年)、予備校生だったそうで、記憶が確からしいが、わたしは小6だったから、曖昧な記憶しかない。
 切腹したあとの三島の首がごろんと転がっていた映像がニュースで一瞬だけ流れたそうで、夫はそれを見たという。

 「その生首の目は開いていたの、閉じていたの?」と訊くと、「えっ、それはどうだったかな……」と夫。
 介錯が下手だったために、首が立たなかったのだそうだ。

 ググってみたら、いろいろと出て来た。
 そういえば、九州芸術祭文学賞のパーティーで、福島次郎さんとお話しし、サインも貰ったのだった。大柄で、温和な、ぬいぐるみのクマさんみたいな人だという印象だった。

 夫は三島に惹かれるところがあるみたいだが(尤も作品は大して読んでいないという)、わたしは三島の過度な技巧性と操り人形のような人物造形が苦手だ。いくつかのコンプレックスの上に精緻に構築されたようなあの美学も全くピンとこない。しかし、評論はすばらしいと思う。本来、学者肌だったんじゃないだろうか?

 あの事件については、主張するところもわからないではないけれど、戦争に負けていながら、あの時期にあんなこといったって仕方ないじゃないかと思う。あの時期だったから、起きたことなのかもしれないが。

 ただ、以下に、Wikipediaより抜粋した『果たし得ていない約束』の中の「日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るのであろう」という三島の予測は当たっている。

 今や日本は資本主義経済の末期的症状を呈していて、それが社会構造のうちで一番デリケートな文化面、なかでも文学に顕著にあらわれていると思う。

 [引用ここから]……

三島事件
ウィキペディアの執筆者,2012,「三島事件」『ウィキペディア日本語版』,(2012年2月12日取得,//ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E4%B8%89%E5%B3%B6%E4%BA%8B%E4%BB%B6&oldid=40649290).

三島は、同年7月7日付のサンケイ新聞夕刊の戦後25周年企画「私の中の25年」に、『果たし得ていない約束』の題名で寄稿している。その中で、戦後民主主義を「偽善というおそるべきバチルス」と断言し、「それほど否定してきた戦後民主主義の時代二十五年間、否定しながらそこから利益を得、のうのうと暮らして来た」ことに負い目を感じていた、と告白する。そして、これまでの自分の作品は排泄物に過ぎず、「その結果賢明になることは断じてない」とまで言い切る。そして、文章の最後で「日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るのであろう」と日本の将来への絶望を吐露している。この文章は、実質的な『遺書』の一つとして、以降の三島研究や三島事件論において多く引用されている。

……[引用ここまで]

 三島を起点にして考えると、それ以前と以後の日本の作家たちでは、作品もそうだが、その雰囲気、その表情、その目の輝きからしてまるで別物という感じがする。

 三島が45歳という若さで亡くなったことを考えると、惜しい。文学賞の選考なども、どんどん務めてほしかった。そうすれば、日本の文学もここまで堕ちることはなかったのではないか? 老境に入るまで生きていればどう成熟していたかと思うと、まことに残念だ。

 三島が亡くなってから40年余り。日本には、児童文学のすばらしい翻訳家が存在している。国内はもとより海外にも気軽に行ける時代になって、児童文学のメッカ、イギリスの児童文学作家にも劣らない児童文学作家が何人も出現していたって、おかしくはなかったはずだ。

 だが、現実には三島以後の作家たちが作風も脳味噌も軽くなっていったように、児童文学の世界もそうなって、今やエンター系の作家たちが児童文学界を占拠している。

 実は、3軒の児童文学系の出版社に電話で訊ねたとき、3軒とも、冒険物=エンター系との認識だとわかった。わたしが、「昔からの西洋の児童文学作品にあるような、しっかりとした文体と内容的な深みを持った冒険物もありますよね? そうしたものは、現在の日本で主流となっているエンター系の冒険物とはまるで違うように思えるのですが……」というと、通じた。純文系といわずに、岩波少年文庫に入っているような――といえば、わかりやすかったのかもしれない。

 純文だのエンターだのという分類法は旧いという考えかたは、エンター系の側から発生してきたものではないかと思う。わたしの記憶する限りでは村上春樹に伴う現象だった。

 だが、その区別は本来優劣をつけるためのものではなく、スタイル、流儀の違いから発生するものなのではないだろうか。書店勤めの娘は、最近は純文学とエンター系がごっちゃになっている出版社の本もあり、お客様に問い合わせを受けたときとか、説明をするときに困ることがあるという。

 音楽のジャンルを見ればわかるだろう。CDコーナーへ行き、全部がごっちゃになっていると、探しにくいこと甚だしい。

 もしデビューの手段がほぼ賞に限られるのであれば、受賞作品がエンター系タイプのものばかり……というのはおかしい(わたしにはそう見える)。今回のことでわたしは、日本の児童文学界ではなぜエンター系の作家しか育たなくなったのかの回答を見つけた気がした。

 わたしは、児童物の読者としては純文系もエンター系も知育系も、皆、好きだ。だからこそ、各ジャンルの作品が均衡を保ちつつ、影響し合い、刺激し合って、広大な、壮大な世界をつくってほしいのだ。

 日本の文学は、スーパーマーケットでいえば、お菓子とお酒ばかりが所狭しと置かれたような状態ではないかと思う。片隅に海外コーナーと復刻コーナーがあって、そこには米、パン、生鮮食品……といった食材がかろうじて置かれている。

 お菓子とお酒が大量生産されればされるほど、質は落ちて行くばかり。大勢の子供たちがお菓子だけを食べている。中にはお酒を飲んでいる子供もいる。そんな異常な光景を見るようで、わたしは心底戦慄を覚えたのだった。

 三島は、もう手遅れだと思ったからこそ、あそこまで行動がエスカレートせざるをえなかったのだろう。有名な作家だったから、その影響には大きなものがあった。彼が生き抜いて、日本の問題点を指摘し続け、彼の主張をより優れたものにして、海外に向けても発言してくれていたらと思うと、本当に残念だ。

 わたしにはほとんど何の力もない。ブログで小さく叫ぶだけが精一杯で、プロでないどころか、この先書き続けられるかどうかさえ、わからない。だが、少なくとも、今のところは諦めるつもりはない。三島とは違って、今は完成度の低い、貧弱な作品しか書けていないかもしれないが、作品の霊はミューズからいただくものなので、現段階でも、自分の作品を排泄物だなんて、思わない。

 国語力さえあれば、文学作品は独学で書けるものだとわたしは思っている。大人の純文学の修業で(こちらも修業中)、いくつかのよい出会いがあったが、適切な指導者はそう簡単に見つかるものではない。下手な指導を受けると、どうなるだろうか。

 子供の頃、わたしはピアノでハイ・フィンガー奏法という不自然な奏法を習ったために、すっかりピアノ嫌いになってしまった。またわたしが詩人と呼んでいる女友達が以前、詩の教室に通ったことがあって、そこでどれほど滑稽な添削を受けたことか……。

 何万円も出してジャンル違いの指導を受けるくらいなら、世界の児童文学全集を古書店からでも手に入れるほうがまだしもためになる。優れた作家の作品を筆写することは、絶対にためになる。これは大人の純文学の修業で同人誌の編集者から教わったやりかただが、おすすめ。

 ここで時間を置くが、独学のためのよい参考書を探してみたいと思う。既に手元に何冊かあるのだが、それらを吟味するためと、他によいものがないか、調査するための時間が要る。

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2012年2月10日 (金)

瀕死の児童文学界 ③資本主義の末期的症状

 児童文学界の名のある協会自ら賞をギャンブル化しているが如き実態に、ひびったわたしだが、社会的な視点から興味もわく。

 資本主義の末期的症状のひとつだろう。

 で、今日、2軒の出版社に電話をして訊いてみた。

 儲けを考えると、娯楽系ということになるらしい。いろいろな作品のあるほうがいいという意見は、これまでに訊いた3軒の出版社に共通するものだった。

 名前を教えてくださった編集者に送る作品を見直す作業には、まだ入っていない。

 送る予定の作品では、売れる自信がないから。つまり、すぐに没になるのが落ちだと思うと、作業に入るのもつらい。

 深夜のインスピレーションは、小品のためのもので、インスピレーションはミューズからお預かりしたものだから、作品を完成させなくては。

 儲けられるとしたら、やはり『不思議な接着剤』で、これだと自信をもって持ち込めるのだが、完成までには、あと2年くらいかかるんじゃないかしら。

 児童系の出版社を残らず取材させていただいて、児童文学の現在をきちんと調査、分析してみたい気もしている。

 インテリヤ○ザの異名をとる編集者の○さん辺りが、乗ってくださらないだろうか? もう定年……ではないと思うが。

 いずれにせよ、別のことをきちんとするには時間がかかるので、『接着剤』を仕上げるほうが先だと思えば、仕上がる頃には、また状況が変わっていることもありうる。

 国会中継を観ていると、今後の日本がどう変わるのか、見当もつかない。

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またまたミューズが……

 最近起きたあれこれで、げっそりし、正直なところ、あと1年くらいは何も書けないかもしれないと思っていた。

 それなのに、もう寝ようかというこんな時間になって、またまた、まばゆい小鳥のようにインスピレーションが舞い降りてきた。

 美酒を飲んだように、幸福な気持ちになり、わたしの半分はこの世の冷たさ、不合理さ、趣味の悪さ(?)に打ちのめされているのに、もう半分は何の影響も受けずに彼の世の浄福に浸っているという塩梅。

 確か、シモーヌ・ヴェイユに、これに近い境地――彼女の場合はもっと高い境地だろう――が、適切でありながら詩的に表現された文章があったと思う(あとで探して引用しておきたい)。

 この世的な幸運や幸福に浸っているときは、どこか膨満感を覚えるのに、この世的には灰色な気持ちでいっぱいのそんなときに決まって、純度の高い、えもいわれぬ境地が訪れる。そこへ、更なる高みから、まばゆい小鳥のようにインスピレーションが舞い降りてくるのだ。

 そのインスピレーションには、何かしら宇宙の法則に関係した秘密が含まれているかのようだ。暗示として受けとれるだけなので、それをかたちにするのは難しい。

 だが、苦労してこの世の歪な作品として仕上がった暁には、その秘密が行間に住処を見つけてくれているに違いない。森に棲む栗鼠のように。行間が見えない木々となり、そこに見えない秘密が棲みつくのだ。

 わたしが表現するには難しいことを、子供向きの短いお話にどんなかたちで置けばいいのだろう? わくわくしながら考える。

 興奮して眠れなくなった。つい1時間前までは、疲れ果てた老婆になったみたいで、わたしもついに鬱病になるかもしれないと考えたくらいなのに。

 幸福の甘い果汁で、口の中がいっぱいだ。創作の習慣がついていて、どんな失意のときも作品のことを考えることが幸いするのだろう。

 こんなに満たされていながら、この上に望むものは何もないと今は思う。だが、この魔法がとけると、またしても、恒久な秩序に欠ける人間社会の不安定に恐怖を覚えたり、生活の不安を覚えたりして、この世的なものがいろいろとほしくなるに違いない(それはそれで生きるためには必要なことだが、創作とは無関係でありたい)。

 今はそんなこと、笑いたくなるくらいなのだけれど。別の秩序だった世界のあまやかな空気を吸っているために。

 インスピレーションのもたらした魔法は寝たらとけてしまうだろうが、もう今夜は寝なくちゃ。

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2012年2月 9日 (木)

ドラマ『ハングリー!』(関西テレビ)が面白い

 向井理主演のテレビドラマ『ハングリー!』が面白いですね。

 明日――いや今日お休みの娘と、録画しておいたのをまとめて観ているところです。

 フレンチレストランを経営するシェフの母親から薫陶を受けて、子供の頃から料理の才能をあらわしていた主人公は、中学時代にロックにはまり、ミュージシャンを目指すようになります。

 挫折して家に帰ると、間もなく母親が亡くなってしまいます。

 主人公が亡き母親のあとを継ぐことを決意したのは、売れない画家の父親がレストランを売ったあとでした……

 ミュージシャンの仲間たちで倉庫を改造したレストランで働くところや、ミュージシャンでいてほしかった恋人、主人公の味に痺れた野菜を作っている女子大生、母親のレストランをのっとった男……登場人物が生き生きしています。

 おおっ、オマールブルーが出て来ました! わあ生きてますよ。あんなに沢山!

 娘が向井くんのファンです。同じ年だとか。

 フランス料理の監修が服部栄養専門学校というのも、嬉しいですね。

 続けて観て、さすがに眠くなってきました。とにかく、元気になれるドラマです。

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2012年2月 8日 (水)

嵐が去って、作品が残った

夢占いでは、お金は大便だ。夢は彼の世の価値観を反映しているところがあるから、興味深い。

賞には大抵賞金が用意されている。本になることや、それなりに得られるステータスなども、賞金のうちに含めて考えることができるだろう。

わたしは今でこそ不健康になってしまったが、健康な頃はスポーツが大好きだった。いや、不健康になった今も、生活に余裕さえあれば、乗馬クラブ・クレインに入会して馬に乗りに行きたい。

クレインには、教習所感覚で通えるし、費用も普通のお稽古と変わらないくらいなのだ。と、横道に反れてしまった。

……本来は運動が好きだから、競争は好きなほうで、賞狙いは案外わたしの気性に合っている。

しかし、神秘主義的に――ブラヴァツキーの解説を参考にして――考えると、賞を狙うという行為で刺激されるのは、カーマ(欲望の座)に引きつけられる低級マナス(低級自我。マナスとは心の意味)だ。

ところが、芸術行為にふさわしいのは、ブッディ(霊的魂)に引かれる高級マナスだろう。

輪廻するのは、人間の中の永久本質であるブッディで、高級マナスはもし汚されぬままであれば、その神聖なエッセンスだけは死後も残るといわれる。

イエスが天国に宝を、とおっしゃるのは、このことだと思う。

オーラが清らかに輝くのは、心が清浄な状態にあるときであることが、じぶんのオーラからわたしには確認できる。

賞を狙っていると、下向きの低級マナスと上向きの高級マナスが交互に刺激されるから、芸術度の高い作品を完成させたいと思えば思うほど、わたしは自分の中のアップダウンと闘わなくてはならなくなる。

大便にたかるハエになった自分、ペガサスに乗って天翔ける自分。あまりの落差に、変になりそうだと思う。

賞狙いの呪縛から早く抜け出られてよかった。名前を教えてくださった某出版社の編集者宛てに作品を送るつもりにはしているが、期待はしていない。

ずっと前、戯れに書いたような児童文学の小品を、畏れ多くも、上に書いたのとは別の出版社に送り、いろいろと忠告していただいたが、あれは嬉しく、ありがたかった。

そのときよりは進歩したところを見て貰えたらと思う。しかし名前もわからない。まだそこにいらっしゃるかどうかさえ……。

そのうち、児童文学専門でなくてもいいから、どこかの出版社から本を出せたらいいなと思うが、それより今は作品『不思議な接着剤』を仕上げることに、心血注ぎたい。

「奇怪な児童文学界」②で引用させていただいた本の著者のお一人、中野節子さん訳の『マビノギオン 中世ウェールズ幻想物語集』(JULA出版局)を、図書館から借りてきて読んでいる。美しい……

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ニュースで知ったスウェーデンの台所事情。湿疹。

ヤフーニュースをチェックしているとき、びっくりした海外ニュースがありました。

スウェーデンで、首相の75歳定年発言に国民が反発しているというニュースです。現行は67歳だそうで。

福祉国家スウェーデンの台所事情も苦しそうですが、日本では、2025年度に厚生年金の支給開始年齢が65歳になることを受けて、65歳までの雇用を義務づけようという動きが出ています。

その動きは自民政権だったときに出ていたもので、義務づけられたものではありませんでしたが、企業はそちらに向けて動いていました。

民主政権に変わらなければ、夫はおそらく継続雇用になっていたでしょう。それまでは、よほど問題のある人以外は継続雇用になっていたからです。

ところが、民主政権に変わり、この問題が放置されると、その動きはぴたりと止まってしまい、継続雇用が認められなくなってしまいました。少なくとも、夫のいた会社ではそうでした。

中小企業勤めのサラリーマンの多くは、継続雇用か再就職できなければ、生活できません。少ない退職金と厚生年金と低賃金・数時間のアルバイト料だけでは暮らしていけませんって!

しかし、民主政権下で復活した65歳までの雇用への動きに向けて、さっそく現役世代の賃金引き下げを始めた企業もあるようです。夫の元いた会社は、4月1日付で早くもそれに着手した模様。

何だか痛いニュースばかりで、お先真っ暗な気分になりますわ。

還付金申請のために、医療費の合計を出してみたら、やはりわたし1人でかなり使っていました。夫は歯の治療くらい。

健康のためにウォーキングしたら、逆効果だったしなあ。漢方薬もハーブも駄目。どうやって健康になったらいいか、わからないや。

あ、でも、お薬をジェネリックに替えて貰っただけで、金額的にずいぶん違いますよ! 助かります。

ところで、このところ、うなじの湿疹に悩まされています。完全によくなっていたのに、困るわ。ステロイド軟膏を使うと、決まって逆に広範囲に広がるので、使いたくありません。

これ以上ひどくなると、また紫雲膏を使うしかないかしら。肝機能が低下すると、湿疹がひどくなる傾向があるので、次回の循環器クリックの受診日までにこの傾向が続くようなら、肝機能の血液検査をお願いしなければ。頑張って掻かないようにしていますけれどね。

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モロゾフのガトークラシックショコラ〜!

モロゾフのガトークラシックショコラ〜!

わたしはモロゾフのバタークリーム系のケーキが好きなのですが、昨夜、娘がわたしの落選お祝いに買ってきてくれたガトークラシックショコラも、なかなかのお味でした。

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2012年2月 7日 (火)

瀕死の児童文学界 ②消え失せた純文系

 児童文学の賞に応募しても意味がないと思う理由は、過去の受賞作品にわたしの書いていきたいような純文系の作品が全く見当たらないということもあるが(以前から不思議な現象だと思っていた……)、落選がわかる頃に舞い込む講座案内を見ると、一目瞭然なのだ。

 日本の児童文学の世界には二つの権威ある協会があり、志高く設立されたのだろうと思われるが、現状としてはどうなのだろう? 

 外部の人間にはよくわからないとはいえ、賞の応募者の目で見ると、異様な圧迫感がある。というのも、協会主催の賞に応募した場合ならまだしも、そうでなくて、後援している場合ですら、落選がわかる頃に講座案内が舞い込むのだ。主催者からは何の通知もなかったというのに。

 前のときは、講座案内と雑誌まで送られてきて、未熟な作家の卵のことを考えた親切な団体だと思い込もうとしたが、今回はぞっとした。

 児童文学の賞をよく見ると、大抵協会のどちらかが後援している。今回落選した賞は、恐ろしいことに、そのどちらも後援していた。しかし、講座案内は一方から届いた。前に届いたのもそこからだった。

 通信講座でコースは短編、長編があり、「公募のコンクールなどへの応募をめざす方のために」と書かれている。他に詩・童謡のコースもあった。1年間で、コースにより30,000円から60,000円。

 講師は第3希望まで書ける。28名の中から、おそらく受講者は修業とコネをつくるために、どの講師かを希望するのだろう。

 しかし、わたしには、希望できる講師が見当たらない。何しろ総勢28名だから、全員をリサーチし終えてはいないが、リサーチしたぶんではエンター系の作風の講師しか見つかっていない。別の講座案内も入っていて、それは50,000円の合評形式。

 この協会の雑誌は既読済みなので、もう一方の協会の雑誌を講読しようとして購読案内を見ると、以前の号にコンクール必勝法という特集が組まれているのを見て、戦慄を覚えた。確かに作家の卵の多くは賞狙いをする。

 デビューの手段として、それ以外に思いつけないからだ。持ち込める児童文学関係の出版社は少なく、持ち込めたとしても、読んで貰えるとかましてや本になるという甘い期待などは持つだけ無駄だとコネもない持ち込み経験者であれば知っている。

 講座案内も特集も、優れた作家を育てるというより、その弱みを握るあくどい商法にしかわたしには思えない。

 尤も、講師陣に優れた人材がないといっているわけではない。優れた作家の方々が講座にいらっしゃろうが、いらしゃるまいが、わたしにとっては、ジャンル違いの講師しか見当たらない問題点を指摘したいのだ。声楽を習いたいのに、歌謡教室の案内を受けるようなちぐはぐさがあるといっているのだ。どうして児童文学の世界はエンター系で染まってしまったのだろう? その異常さをわたしはいっている。講座案内を送って来た協会の会長がエンター系でヒットした人物であることが原因なのか結果なのか、わたしは知らない。

 いずれにしても、そのエンター系に極端に軸が傾いた日本の児童文学界は、翻訳文学の出版がなければ、エンター系一色となってしまうだろう。心底恐ろしい。純文系の書き手は、恐らく何年にもわたって潰されてきたのだ。そうでなければ、こんな現象の起きるはずがない。

 落選した作品をダメモトで持ち込んでみたいと思い、某出版社に電話をした。心痛のあまりの無作法ぶりの嘆き節のようなわたしの愚痴を聴いてくださろうとは思わなかった。それだけでもありがたかった。エンター系でしか出られないのか、エンター系の作品を書くしかないのかと問いかけるわたしに、「いろいろあったほうがいいと思いますよ」という編集者の言葉が嬉しくも、もの哀しく響いた。

 わたしは、純文系ならではの描写力、歴史認識力を駆使して、魔女の起源であるカタリ派をモデルにした時空を超えた壮大な冒険児童物『不思議な接着剤』を完成させる自信がある〔その創作メモはこちら〕。出版社と一緒に一儲けできる自信がある。

 占い師というよりも筋金入りの神秘主義者であるアレクサンドリア木星王さんは、わたしの初めての本は、最初は目立たないが、少しずつ評判を呼び、大ブレイクする可能性もあると手紙に綴ってくださった。その作品が、まだこれから完成させなければならない前掲の作品なのか、落選した作品なのか、まだ何の形にもなっていない未来の別の作品なのかはわからない。

 だから、落選した作品をわたしは死体とは思わないようにしたい。今はわたしの元に戻ってきたことを祝おう。

 ところで、上の著書の中の「Ⅲ――座談会『イバラの宝冠を追って』」で、興味深い箇所があるので、引用させていただきたい。

[引用ここから]……
中野 昔、本は願いを伝える、メッセージを伝える器だったでしょう。でも現代はおもちゃの一種のようですよね。使い捨てにされれば、発信者である作者も身を削るなんてことはない、粗製乱造でいいと思ってしまいますよね。それが一つです。それにこうなると人はどう生きたら幸せなんだろう、そんなことを考えるのはおっくうだ、ということになるわけです。

杉本 日本の児童文学をみると、問題はたくさんありますね。

秋田 最近の大人の文学も含めて、技法や手法というか、表面的なところだけに終始しているところってありませんか。本来大切なテーマとかメッセージじゃなくって。

吉井 日本の場合、児童文学をやるということは、やはり一段低いものと見做されているから、作家が育たないんじゃないでしょうか。

〔略〕

水井 社会が変わると人々が受け入れる作品も変わります。だから作品も時代によって全く異なるように思うのですけれど、読んでいきますと、どうも人の心を打つものは、その作品にあらわれている作家の、人となりのように思われます。作家自身の人柄・考え方が、時代を超えて、読む人を引きつける面が強くあります。そして、人間として抱えている問題の本質は、現代も、昔と同じではないでしょうか。
……[引用ここまで]

 本が上梓されてから、16年が経っている。

 わたしは作家の卵にすぎないから、内部事情というものは全くわからないのだが、一読者として傍観した限りにおいては、日本の児童文学界の問題はとてつもない大きさになってしまったように感じられる。

 だが、座談会でいわれているように、社会は変わるものだから、一般の人々が娯楽以上のもの、本当の意味で魂にまで響く作品を求め出すのも時間の問題だとわたしは考えている。わたし個人は、それまで生き延びられるかどうかはわからないにしても。  

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今後の創作プラン

前の記事では何が何だかわからないでしょうから、②はきちんとしたものを書きたいと思っています。少し、時間がかかるでしょう。

今後の創作プランですが、今のままで児童文学の賞を狙っても意味のないことがわかりましたが、勿論、創作は続けます。全く、賞を狙わないわけでもありません。

とりあえず、児童文学作品2篇をブログの書籍サービスで簡単な本にし、ちょっと思ったところへ送ってみたいと考えています。

娘はブログでの作品公開に反対します。盗まれる心配があるというのです。デジブックにしてはどうかといったりもします。うーん。わたしは単純に、誰にも読まれない淋しさを考えるだけですが、娘の忠告もわかりますので、公開についてはしばらく考えます。

まずは『鬼の創作道場』に投稿するたまご料理を仕上げなくては。

また、童謡をひと月に1作は書いて、国立音大の作曲科を出てピアノの講師をしている従姉の子に送ってみるつもりです。前に従姉から、彼女(従姉の子)はシンフォニーを作曲したがっていると聞いたので、童謡の曲を作るかどうかはわかりませんが……

それから、やはり進めるべきは児童文学作品『不思議な接着剤』でしょう。久しぶりにマグダラのマリアについて考えたせいか、頭を離れなくなりました。


萬子媛の記事も書いておきたいのですが、これを機会に、オーラ、テレパシー、死後の人間に起きること、肉眼では見えない生き物について……等々、わたしにわかる範囲内で、神秘主義の観点から(わたしはブラヴァツキー学派といってよいと思いますが)、書いてみたいと考えています。

世間には、あまりにも妖しいオーラ物や前世のリーディング物など出ていて、人々を惑わしていると感じていました。この執筆は時間がとれたときに、極めて慎重に進めたいと考えています。どこか奇特な出版社が出してくださらないかしらね?

今年は歴史小説も賞用の短いものを書きたいのですが、 萬子媛を書くかどうかはわかりません。何だか書くものの範囲が拡がりそう。

書いていれば、まあいろいろとありますが、ミューズの壮麗なドレスの裾にしがみついている限りは幸福感でいっぱいです。

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2012年2月 6日 (月)

瀕死の児童文学界 ①プロローグ

 なぜ、日本の児童文学界ではエンター(娯楽)系の児童小説・お話がはびこっているのか、独自に行っていたリサーチとある出来事から、ほぼ原因がわかりました。

 メジャーデビューは諦めました。

 恭順の姿勢を示して作風が壊れるより、ブログを発表の場とするライターでいたほうがましです。

 勿論、自分が児童文学に関しては初心者であり、この先、学ぶべきことは多いとの自覚はあります。

 しかし、イデオロギーの押し付け、あるいは権力をバックにした押し売りとしか思えないこのやりかたは凄い!

 分析の必要がありましょう。このままでは日本の児童文学は本当にだめになってしまいます。

 茨の道を歩く覚悟は、とっくの昔にできています。

 詳しくは続きの②で。

 やはり文学運動を興す必要がありますわね。大人の純文学だけの問題ではないだろうと思ってはいましたが。

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2012年2月 3日 (金)

シネマ『ブリューゲルの動く絵』を観て 追記:アントワープにほのかに薫るマグダラのマリア

 以下の文章は、上の記事の追記ですが、これは児童文学作品『不思議な接着剤』を書くための資料として必要な私的メモです。

 『不思議な接着剤』の下調べの段階で遭遇してしまった中世の異端問題に端を発し、グノーシス、原始キリスト教と辿るうちに行き着いたマグダラのマリアとペトロの対立や、イエスと関係があったと思われるエッセネ派について調べるはめに陥りました。 

 マグダラのマリアとペトロの対立については、1世紀後半か2世紀前半にシリアかエジプトで書かれたと推定される正典外のキリスト教文書『マリアによる福音書』にその生々しい描写があります。
 また、イエスと何らかの関係があったと思われるエッセネ派については、37年から100年頃のユダヤの歴史家フラウィウス・ヨセフス『ユダヤ戦記』に詳しい記述があります。
 H・P・ブラヴァツキーは『アイシス・アンヴェイルド』の中で、エッセネ派というのはピュタゴラス派で、死海の畔に居を構えていた仏教徒(プルニウス『博物誌』)の影響を受け、その影響によって思想体系が完成されたというよりも、むしろ崩れていったと述べています〔青のライン以下に、カテゴリー「Notes:不思議な接着剤」から関連記事へのリンクを折り畳んでおきます。創作メモなので、まとまりには欠けますが〕

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 ところで、アントウェルペンすなわちアントワープ(ベルギー第二の都市)は、フランス最初の王朝、メロヴィング朝が築かれたところだった。
 以下はウィキペディアより引用。

“アントウェルペンには大きな正統派ユダヤ人(ハシディズム)のコミュニティがあり、そこから「西のイェルサレム」との綽名がある。”

“歴史上アントウェルペンはガロ・ローマ文明の集落にその起源があると考えられる。スヘルデ川付近における最古の集落がある地域で1952年から1961年にかけて発掘が行われ、2世紀半ばから3世紀末の陶器や杯の破片が出土している。その後、ゲルマン人のフランク族が進出した。メロヴィング朝期においてアントウェルペンに砦が築かれ、7世紀頃に聖アマンドゥスによってキリスト教化された。”

 イエスとマグダラのマリアの子供の子孫がフランク族の王族のある者と結ばれてメロヴィング朝を創始したという伝説は、レンヌ=ル=シャトーに関係した伝説で、レンヌ=ル=シャトーは南フランスのラングドック地方にある村である。

 ラングドックは、カタリ派が繁栄したところだ。

 12世紀のラングドックにも、16世紀のアントウェルペンにも、ユダヤ人は多く住んでいた。そして、経済的にも文化的にもコスモポリタン的なムードを伴って、大繁栄を遂げていた。

 カトリックが徹底した弾圧を加えるまでは――である。

 中世の異端狩りが行われた地にはその後、プロテスタントが生まれたといわれる。

 結局、ブリューゲルに関する映画を観ても、マグダラのマリアのテーマに辿り着く。

 それはそうと、『レンヌ=ル=シャトーの謎――イエスの血脈と聖杯伝説――』(マイケル・ベイジェント&リチャード・リー&ヘンリー・リンカーン著、林和彦訳、柏書房、1997年)は読みやすくて、分厚い本である。内容はよく整理され体系づけられているのだが、歴史的・地理的な教養に欠けるわたしにとってはあたかも情報の洪水のように感じられるほどであるため、きちんと読みこなせているとはいえない。

 で、《1996年版のあとがき》にカタリ派に関する注目すべきことが書かれているのを見逃していた。これはカタリ派に関するわたしの考えを裏づけてくれる貴重な情報であるので、以下に抜き書きしておきたい。493-94頁(三)より。

“ ユリ・ストヤノフは、著書『ヨーロッパ異端の源流』の調査中に尋常でない刺激的な文書を入手した。この文書は、とくにラングドッグ地方のカタリ派思想について詳しく解説したものである。この文書はおそらく司祭のカトリック作家が編纂したもので、彼はカタリ派の上層部に入りこみ、新入会員の教育の場に出席した。この場で、危険な秘密が将来の「完徳者」に伝授されたらしい。この文書からユリ・ストヤノフは、カタリ派ではイエスとマグダラがまさに結婚していたことが、ひそかに教えられていることを発見した(Stoyanov,Y., The hidden Tradition in Europe, London, 1994, pp 223-23)。
 彼の著作や私たちとの会話によれば、ユリ・ストヤノフはカタリ派がイエスとマグダラが結婚していたことにこだわっていると強調している。彼によれば、一般にはカタリ派思想の発祥の地と考えられている東欧からやってきた二元論的な「異端」のボゴミール派には、このような考え方は存在しない。これはカタリ派はボゴミール派から派生したのではなく、ピレネー山脈や南フランス地域土着のものであるという私たちの結論を支持している。マグダラがイエスの子どもを連れてこの地域のユダヤ人共同体に避難したとすれば、その状況についての知識が何世紀にもわたって伝えられ、カタリ派の伝承にまで継承されていったものと考えられる。しかし、このような知識は、神学的な新条は同じでも東欧出身のボゴミール派には伝わらなかったのだろう。十字軍は東洋と西洋を接触させ、これによって両者に新たな展開をもたらした。このときカタリ派とボゴミール派の教えが一体化しはじめた。ボゴミール派は、このときはじめてカタリ派が受け継いできた伝承を知るようになったものと思われる。”

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