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2012年1月13日 (金)

明日、博多。占星術。息子と電話でおしゃべり。

 娘が明日、博多の赤坂に用事があるが、ついて来ないかという。お金がないから、ついて行かないというと、旅費は持つけど、どう、という。そんならついて行くといった。お金がなくても、博多で楽しめることって何かあるかしら。

 博多駅の丸善は、もっとよく見たいと思っていた。結局、見たいのは書店か。見るだけだとお金もかからない。1冊だけ、自分に許すかもしれない。

 難しい幼年童話の執筆(まだ「ネコふんじゃった」の段階)が嫌で、博多に逃亡したいのかもしれない。1枚書くだけで、疲労困憊する。何も今、幼年向けのにこだわらなくったっていいじゃないの、と思い始めた。

 占星術的に見ると、天職を示す土星はわたしの場合、射手座にある。

 松村潔氏のサビアン解説、『決定版! サビアン占星術』(学習研究社、2004年)によると、度数は「玩具の馬に乗っている小太りの少年」。太るというのは、射手座的には知性の肥満傾向を表し、この度数は、創作者向きの度数らしい。土星はだいたい56歳から70歳までを管轄するので、そろそろ作家になる兆しが見えてくるのではないかと期待したくなる。

 現在の年齢域は木星が管轄し、これはわたしの場合蠍座にあって、サビアンシンボルは「割れたビンとこぼれた香水」。これは、ウェブサイトで、自身の中身をばらまいている現状を、よくシンボライズしている気がする。ムーディな小説を書くには向いている度数かもしれない。

 この年齢域では、借家が台風で壊れ、いくつかの人間関係が壊れ、頭まで少しだけ割れて(検査のための頭蓋骨の手術)……割れたビンを連想させる。ビンを割る(自我の殻を割る)のも、「他者と心の底からの交流をするためには必要なプロセス」と解説にある。

 別の年齢域でブログを始めていたとしたら、今のような、自己の内面を偽悪的なまでに吐露したものとはならなかったに違いない。ハムスターを何匹も買っていた時期であれば、ペットブログとなっていただろうし、子育ての頃であれば育児ブログとなっていただろう。

 木星の年齢域に入る前に、急に香水に興味を惹かれた。現在は、なぜか急に馬に乗ってみたりして、馬が大好きになった。次の年齢域のサビアンシンボルに『馬』が出て来るからだろうか。尤も、今年で54歳だから、土星の年齢域までには間があるけれど。

 土星は、8歳から15歳の年齢域を司る水星とよい角度を持っているので、これは自己流の解釈だが、児童文学にはよいのではないかと思う(?)。

 水星は水瓶座にあり、サビアンシンボルは「情熱に背を向けて自分の経験により教えている男」。教師には適している度数みたいで、わたしの書くものがエラソーなのは、この度数のせいなのだろうか。ナンにしても、このシンボルも児童と相性の悪いものではないだろう。

 ところが、7歳までの年齢域を示すのは月だ。月は金星、天王星とはよい角度だが、土星とは難があるのだ。幼年童話を楽しんで書けるようになるには、乗り越えるべき課題がありそう(?)。とにかく考えすぎて苦痛なので、幼年童話は書きたくないなあ。わたしには凄く重く感じる。二作同時に進めていて、カタツムリくらいのスピードでしか書けない。

 でも、今では楽しく書ける小学校高学年向きのものだって、最初は全然書けなかった。時間を無駄にしたくないだけに、ジャンルをひろげる試みでは迷いも大きくなる。試行錯誤を畏れず、柔軟に行こう。昨日の決意と今日の決意が違っていたとしても、この難しい状況下では、構いやしない。

 祐徳稲荷神社の記事は今日中に済ませ、萬子媛のエッセーも早く写しておきたいところ。何だか雑用に追われている。時間が作れるだろうか。明後日は来客があって、博多行きの明日、明後日と潰れる。

 そういえば、昨夜、久しぶりに息子に長電話をした。

 大学に戻る時期を模索中の様子。相変わらず、先生とは意思疎通に障害が発生しがちのよう。とても学生思いの先生で、しかし、息子の思いとはずれがち。

 サラリーマンを止めて大学に戻ると、貧乏生活が予想されるので、先生はそれを心配してくださり、本当にそれでいいと思うなら、覚悟のほどを示せ、とおっしゃって、論文を一つ仕上げる課題を出されたとか。

 しかし、息子の事情からすると、修士課程から博士課程にストレートに進むと金銭の困窮が予想されるので、修士卒で一旦就職したのだった。そして、仕事が軌道に乗った時点で社会人ドクターとなった。お金が貯まった今、息子は大学に戻って研究に専念したいのだ。

 覚悟のほどを示せといわれても、仕事しながらでも論文が書けるようなら、息子は会社を辞める必要はない。既に博士課程に籍はあるのだから、大学に戻る戻らぬは息子の自由ではあるのだが、先生の思いやりを無視するのは避けたいというわけで、息子は困惑している様子。

 こうした、微妙にずれる先生とのやりとりは学生時代からのもので、どちらも善良であることがわかるだけに、傍目には落語めいて映り、笑わせる(などというと息子は怒るだろうが)。今年、大学に戻れたら、あと1年で卒業はできる見通しだそうだが、サラリーマン生活で研究の腕が鈍ったから、2年はいるつもりだという。

 (わたしから見れば)高級とりの息子が、一転して無収入の貧乏生活に戻るのだと思うと、我が家の現状から考えて、不安定な生活者ばかりとなる不安があるが、早く研究に戻りたいという息子の気持ちも理解できる。

 息子が、もしものときはいってくれたら、そのぶんのお金は別にしてあるといってくれるのは嬉しいが、博士課程を出たあとは不安定なポスドク生活が待っているのだと思うと、息子の貯金を減らすわけにはいかない。

 後輩の面倒を見るのが好きな息子は、大学の先生になるのに向いていそうだ。ポスドクで実績を積み、いずれは教員の口を求めようとするのではないだろうか。そんな口にありつくのは難しいだろうけど。

 ただ、息子がいうには、うまくポスドクの口が見つからず、企業を受験することになったとしても、サラリーマンを経験したお陰で業界の事情に明るくなり、修士課程のときに、自分の専門を生かすにはどこを受ければよいのかさえわからず、盲滅法に行動したときからすると、企業に戻れる自信もあるという。

 よいお給料を貰っているとはいっても、息子はお金を貯めるために倹約していて、サラリーマン生活を享受するとまではいかない。宙ぶらりんの状態には、つらいものがあるのだろうが、大学にいつ戻ることになるのかは、仕事の調整、先生との意思疎通の問題などあって、はっきりとは示せない現状のようだ。

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