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2011年9月の37件の記事

2011年9月29日 (木)

昨日の国会中継(参院予算委)雑感

午前中は眠っていたし、午後は家事と外出で、今日は国会中継を視聴できそうにない。

昨日は、自民の磯崎陽輔氏が大増税の根拠を問うていた。いやー、大増税の根拠はあまりにも抽象的、理想論だった。

具合が悪くて横になって観ていたから、細かくメモしておく余裕がなかったが、民主党の経済観念はひどいという以前に、ないも等しいとしか思えなかった。今更の感想ではあるが。

全体のバランスを考えずに、使いたいようにお金を使い、足りなくなったら、いくらでも増税するつもりだろうと思わされる。そうするしかない、滅茶苦茶なやりかたなのだから。

金融危機に対しても、何も手を打っていない心細さ。景気を回復させる何の手も打てないので、大増税するしかないともいえる。

ワタクシ的に、自民にはいろいろ批判があったが(特に小泉政権。あれ以降、わが国の雇用は滅茶苦茶になり、議会制民主主義が傷ついた)、民主政権になってからは批判以前に、国会も内閣も、これが日本のものだろうかという空恐ろしさをさえ覚える素人政権といってよい。その癖奇怪な偏りがあるから、危険で仕方がない。

どなただったか、民主議員が旅行控除などという脳天気な提案をしていた。観光産業を活気づけるためというが、そんなことをすれば、旅行を気ままに楽しめる富裕層はますます富み、貧しい層はいよいよそれを指をくわえて見るだけという格差をひろげるだけではないか。今始まった本日午後の国会中継では野党が中小企業対策を呼びかけているが、こうしたことは本当に大事なはずだ。

民主党が野党に協力を呼びかけても口先だけで、現実的な野党の対案の多くは無視され、たまに通っても民主はそれを自分たちの手柄にしてしまう。

民主党と北朝鮮系団体との奇妙な癒着は気持ちが悪いが、マスコミは国会で追求されているこのことも、ほとんど採り上げないという異常さだ。

鳩山政権になったばかりのころだったか、タロット占いをしたときに(不安になると、タロットをする癖がある)、民主党が政権を握るとどうなるかという質問に対して、極貧のカードが出た。夫の定年退職後の不安を覚えるわたしには、二重の不安といったところか。

衆・参院のホームページから過去の国会中継を視聴できるので、国会を観ないが選挙には行くという人々には時々でも全部観てほしいと願う。マスコミは嗜好で(断じて一般国民のためではない)、抜粋するので、ニュースや新聞だけ観ていても何もわからない。急に観てもわからないかもしれないが、観ているうちに少なくともニュースと実態のずれがわかってくるのではないだろうか。

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児童文学作品P 12)6枚追加で42枚

 まだ本調子ではないが、夜中の1時から書き始め、今……7時までで6枚書いた。またしても、1枚に1時間かけたことになる。ううう……疲れた。気分が悪い。

 午後までに体調がよくなれば、娘と買い物に行くから、どちらにしても、今月は明日の一日を残すのみ。明日、8枚書ければ50枚になり、規定枚数の下限を満たす。120枚書く予定なので、まだまだ書かなくてはならないにしても、下限を満たせば気持ち的に違う。

 でも、体調のほうが大事だから、明日は休養日になるかも。

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2011年9月28日 (水)

頭痛、めまい、吐き気

一昨日もそうだったが、今朝も頭痛、めまい、、吐き気がある。めまいの症状はまだ軽いが、ムカムカするのがつらい。

このところ喘息気味だったが、関係あるかどうかはわからない。

循環器クリニックでいわれたように、頭位性眩暈症なのかもしれない。それとも以前耳鼻科でいわれたようにメニエールだろうか(検査で、片耳の聴力が落ちているなどあった)。

循環器クリニックでは、点滴で治るといわれたけれど。外出する気力が出ない。

今日も書かなくちゃならないのに。とりあえず安静にして様子見。

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2011年9月27日 (火)

児童文学作品P 11)3枚追加で36枚

 昼間はまた調べもので時間がつぶれ、夕方から書いて3枚。昼も夜もありません。これから夕飯の支度です。花にらと豚薄切り肉の炒め物、その他。お昼は夫が12時丁度に食べさせてくれるので、太りました。

 目玉焼きに素麺かパンですが、これまでわたしがお昼には食べたことがなかったくらいの量です。昼食後に寝てしまうのがいけません。来月になったら、夫はポリテクに行くので、昼間はわたし一人。そしたら、たぶん朝か昼のどちらかは食べなくなるでしょうから、薬を飲むのを忘れないようにしなくては。

 この季節、下手をすれば湿疹が出てきそうで、要警戒。めまいは今日は出ていません。

 夜、あと1枚書ければ、今日中に5枚になるのだけれど。これからも難所続き。木曜日は娘と買い物に出るので、書けないでしょう。今月中にあと何枚書けるかしらね。毎日、馬とギリシア神話と子供のことばかりで、さすがに飽きてきたわ。まだまだ続きますが。

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児童文学作品P 10)1枚追加で33枚

 昨日から今朝にかけて1枚だけ。

 体調もパッとしなかった。昨日の午前中はずっとめまいと吐き気がしていて、たぶん睡眠不足からだろうと思ったので寝ようとしたが、国会中継が気になり、テレビをつけたままうとうと。首相はわたしが観ていたあいだに2人の民主議員の質疑中、まだなされていなかった質疑にも応答し、さすがに民主議員も「先にお答えいただいて」と苦笑。

 抜かしたり、先を読んだり、棒読みに近い。民主党は採り上げるべきことを何でも棚上げにして(単純にどうすればいいのかわからないことが多い様子)、ねじれ国会のせいにするのはいただけない。頭の中がねじれそうな国会視聴だった。今日もある。あるとつい観たくなるからいけない。

 午後、体調がよくなったので、料理とペンダントの記事を書き、執筆にとりかかった。しかし、またしても前回の箇所で引っかかり、えんえんと悩む。どうしても説明しておきたいことを、なしですますか、物語の流れにさりげなく溶かし込むか、子供にわかりやすく書くかで悩んだ。

  そこをなんとか書き、お話を進めて1枚だけ。睡眠不足が続くと、とうしてもめまいが起きるようになるので、よく寝るようにしなければならない。これがなかなかね。夢の中でも考えていたりする。夢日記をつける時間がとれなくて残念。今日は午後から書こう。今月中に7枚、できれば17枚、書いておけたらと思う。17枚書いておけば、来月に入ってから70枚書けばいいから楽になる。

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2011年9月26日 (月)

娘が贈ってくれたペンダント②

 わたしの誕生日に娘が贈ってくれたペンダントです。カルバンクライン。ここのが気に入っています。誕生日は2月21日なのですが、ずっとアクセサリーを見る気持ちのゆとりがなく、買って貰ったのは比較的最近でした。

 娘が写真を撮ってくれたので、アップします。

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 貝殻のペンダントで、リバーシブル。

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 裏もなかなかいいでしょ? おまけにこれは洗えるんです。去年、やはり洗えるカルバンクラインのステンレス製ペンダントを娘に買って貰って[下方にリンク]、すっかりそれが気に入ったのでした。

 わたし、結構、神経質なほうなので、洗えるペンダントって、清潔で気持ちよくつけられるんですよね。

 今回買って貰ったペンダントは、一目見て気に入りました。シャープなイメージのカルバンクラインですけれど、貝殻のやわらかな光沢が目に優しく映ります。わたしは魚座なので、海に関係のあるグッズって、嬉しいんです。

 裏側はカルバンクラインらしいシャープな感じで、どちらも楽しめます。もったいないから、仕舞いこみそう。洗えるし、普段使いによいペンダントでしょうけれど。大ちゃんのコンサートにつけていきます。

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服部幸應先生レシピ「ソーセージとキャベツのスープ」、土井善晴先生レシピ「長いもの含め煮」「牛薄切り肉のマスタード炒め」

 これから秋が深まるにつれ、あたたかいスープを作りたくなるでしょう。先日作った服部幸應先生のレシピ『ソーセージとキャベツのスープ』が美味しかったので、「週刊 服部幸應のしあわせクッキング55号」(ディアゴスティーニ・ジャパン)からご紹介します。

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[材料・4人分]

  • ウィンナソーセージ……12本
  • キャベツ……1/6個
  • にんじん……1/2本
  • セージ(あれば)……適量
  • マスタード……少々
  • スープ(固形または顆粒スープ利用でよい),塩,こしょう

[作り方]

  1. キャベツ、玉ねぎは大きめのざく切りに、にんじんは輪切りする。
  2. 鍋にスープ5カップと①を加え、やわらかくなるまで煮る。やわらかくなったら、セージ2~3枚とソーセージを加えてさらに煮る。
  3. ②に塩、こしょう各少々を加えて味をととのえ、器に盛って好みでマスタード、セージを添える。

 わたしは、セージはドライタイプを使いました。以前ご紹介した服部先生の『ソーセージと野菜の煮込み』も同じような材料ですが、そちらはギリシャ風香辛料を振りかけるお洒落なレシピ。

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 これも、これから作る回数が増えそうな土井善晴先生のレシピ『長いもの含め煮』。翌日、冷蔵庫に入れておいた余りものを食べましたら、味がよく滲み込んで、一層美味しくなっていました。出来立てのも、冷たいのも美味しいです。『週刊 土井善晴のわが家で和食 改訂版No.40』(デアゴスティーニ・ジャパン)からご紹介します。さやえんどうは家になかったので、割愛。

[材料・4人分]

  • 長いも……大1本(700g)
  • 二番だし……3カップ
  • 砂糖、みりん……各大さじ3
  • 薄口しょうゆ……小さじ2
  • さやうんどう……少量

[作り方]

  1. 長いもは厚めに皮をむき、3~4㎝幅に輪切りにする。
  2. 鍋にだしを入れ、①の長いもを加えて火にかけ、煮立ったら落しぶたをして中火にし、7~8分煮てやわらかくする。
  3. 長いもがやわらかくなったら砂糖、みりん、薄口しょうゆ、塩を順に加えて落としぶたをし、さらに弱火で10分程度煮含める。さやえんどうは筋を取り、塩少量(分量外)を加えた湯で、色よくゆでる。
  4. ③の長いもに味がよくしめて、煮汁がひたひたになるくらいまで煮含めたら、火からおろす。器に盛り、さやえんどうを添える。

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 安くて美味しい牛肉の切り落としには重宝していますが、それを使って、土井善晴先生のレシピ『牛薄切り肉のマスタード炒め』を作ってみましたら、グー! さっとできて、とっても美味しいです。蒸したアスパラガスを添えてみました。『週刊 土井善晴のわが家で和食 改訂版No.53』(デアゴスティーニ・ジャパン)からご紹介します。

[材料・2人分]

  • 牛薄切り肉……100g
  • しょうゆ……大さじ1と1/3
  • みりん……大さじ1/2
  • 粒マスタード……大さじ1

[作り方]

  1. 牛肉は一口大に切る。
  2. フッ素樹脂加工のフライパンで①の牛肉を炒める。
  3. 牛肉の色が変わったらいったん火を止め、しょうゆ、みりん、粒マスタードを加える。再び火をつけ、汁けがなくなるまで、焦がさないように煮つめる。

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2011年9月25日 (日)

児童文学作品P 9)4枚追加で32枚

 作品にギリシア神話が絡んでくるのですが、ある部分の解釈をめぐって考え込んだ一日でした。その解釈が作品にダイレクトに反映されるわけではないのですが、物語全体のニュアンスに影響を与えるので、この作品にとっては重要な課題なのです。

 三枝和子先生のご著書に助けられました。先生が、先生とわたしの頭は同じとおっしゃっただけあって(勿論、学者肌の教養人だった先生に比べたら、足許にもおよびませんが)、まるでわたしの知りたいところだけ、掬いとったみたいな箇所に出合いました。

 何だか、お亡くなりになった先生との再会を果たしたみたいで、嬉しかったなあ。このご著書についてはそのうちまた記事を改めてご紹介したいと思っています。

 先生ご自身で撮影されたディオーン遺跡から望むオリュンポスの山はじめ、ギリシア神話ゆかりの数枚の写真が挿入されているのは嬉しいです。贅沢をいえば、カラーだったらもっとよかったかな。

 今日は4枚が精々でした。あと88枚。章分け、参考文献に要する1〜2枚を引いても、あと86枚は書かねばなりません。

 料理とペンダントの記事は、今日は書けません。ごめんなさい。お待ちくださいね。

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2011年9月24日 (土)

児童文学作品P 8)4枚追加で28枚

 今日中にあと1枚書けば、10枚書いたことになるけれど、9枚でへとへと。また明日がんばろう。寝たらまた、テンションが……でももうだめ、今日は。あと92枚。章分け、参考文献のための2枚を引いても、90枚は書かねばならぬ。

 大丈夫、順調に進んでいる。プロットは堅牢にできている。百合なれば莟のすべてひらきけり。自分を信頼して、ミューズの加護を祈りつつ、書くだけ(ナンか、オーバーでごめんあさあせ)。明日も5枚は書きたいものだわ。

 アップしておきたい料理の記事、誕生日に娘から貰ってアップし損なっていた貝のペンダントを今日娘が撮ってくれたので、その記事もアップしたいのだが、明日になりそう。

 

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児童文学作品P 7)5枚追加で24枚

 昨日は調べものが入って、時間を食い、結局執筆自体は早朝から始めた。5時ぐらいから10時までかかって5枚。1枚に1時間かけたことになる。調べたり考えたりすることがどんどん出てくる。

 あと96枚。章分けと参考文献に要する1〜2頁を考えると、あと94〜95枚。今日はまだ時間があるからあと5枚くらい書けそうな気もするが、だいたい1日に5枚が限度と考えておいたほうがいいかな。

 若い頃だと30枚くらいいけたのに、年だからだろうか、そんなには書けない。尤も、昔は何も考えず(というわけではないが、それに近い)、書いていたところがあった。だから100枚の小説で、締め切り間際になっても20〜30枚くらいは軽く増減があり、ぎりぎりまで増やしたり削ったりに忙しかった。その頃も一応プロットは作成していたが、おおまかだったので、すぐにがたがたになったものだ。

 今はプロットと調べものに時間をかけるぶん、スタートは遅くなり、歩みもとろいが、最後まで辿りついたときは、だいたい仕上がっている。校正だけは、いくらしても、後から後から間違いが出てくるけれど。

 先日ダウンロードしたフリーソフト‘VerticalEditor’の使い心地は上々。もっと早く知っていればよかった。メモとラフは紙とボールペンだが、きちんと文章にしていくときはこれで書き、テキスト形式で保存。これとは別に、自分のみ閲覧できる設定にしたブログにも作品をアップしておき、創作する気分になれないときは、寝転がって携帯から繰り返し読んで校正している。

 すると、パソコン画面でとか、プリントアウトしたものとかで読んだときにはわからなかった、作品のおかしさやミスに気づくことがある。違った精神状態で作品を読むからだろう。第三者の目に近いものがあるのかもしれない。

 先は長い。自分で自分を励ましながら、しぶとくいこう。

 10月は循環器クリニックの他に、内科(内分泌)と整形外科の受診があるし、春ごろに買った大ちゃんのチケット(10月25日アクロス福岡シンフォニーホール。ベルリン・バロック。樫本大進……昔テレビで観て応援し始めてからずいぶん経った。大ちゃんの成長ぶりにうるうるとなるかもしれない)があるから、これには行かねば。となると、結構日が潰れると予想される。

 今月中に最低でもあと20枚、理想的には30枚書いておきたい。粘り強さと臨機応変が要求されよう。娘は『不思議な接着剤』に出てくる口うるさそうな少年よりも、こちらの少年のほうが好きなのだそうだ。こちらのほうがナイーヴで、淡々としていて、考え深そうとのこと。ふーん……。でも少年の両親は、脳天気に見えるらしい。

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2011年9月21日 (水)

フリーソフト‘VerticalEditor’は、原稿書きに便利!

 児童文学賞に応募予定の作品をワードで書きながら、もう少し便利なエディタはないかなと思いました。

 意に反した動きに苛立つことがしばしば……。

 数日作品から離れていたせいか、東京方面に向かった台風のことが気になるせいかわかりませんが、作品に入っていけなかったので、原稿書きに便利だということで有名らしい、地矢ただし様制作のフリーソフト‘VerticalEditor’をダウンロードしてみました。

 いやー、これは便利です。様々な原稿用紙タイプの設定だけではなく、台本形式、大学ノート風、便箋風、また自分の好みの設定にすることもできます。

 何より便利なのは、同じ画面で、設定をいろいろに変えて見ることができる点です。わたしは、テキスト形式で保存しておいた作品の続きを、自分の好みにカスタマイズした大学ノート風設定で書き(白地に黒の文字)、デフォルト(原稿用紙)設定で作品を確認しました。

 そして「原稿用紙を描画する」を無効、「ページ番号を描画する」を有効にし、ルビの必要な漢字にそれを施して(この設定も、名前をつけて保存しておきました)、プリントアウトしてみると、綺麗でした。

 パソコンに向かって原稿を書くのが楽しくなりそうです。

 制作者のホームページは終了していて(?)、行けませんでしたが、フリーソフト‘VerticalEditor’のダウンロードはサイト「Vector(株式会社ベクター)」様の以下のページから可能でした。

http://www.vector.co.jp/soft/dl/win95/writing/se276951.html

 また、サイト「あにめはっく.jphttp://animehack.jp/」様の以下のページは参考になりました。

デジタル原稿用紙をgetする
http://animehack.jp/story/get.html

1.フリーソフト「VerticalEditor」で原稿用紙
2.フリーソフト「OpenOffice.org Writer」で原稿用紙
3.シェアウェア「O's Editor2」で原稿用紙
4.Wordを使っている場合の原稿用紙設定
5.一太郎を使っている場合の原稿用紙設定

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台風の影響か、久しぶりにニトロ舌下

台風の影響か、久しぶりにニトロ舌下

こちらは台風は過ぎたようだが、夜中から圧迫感があった。台風トラウマなので、テレビで被害の出たニュースを観て心理的に誘発されたのかもしれない。

進路に当たっている地域の方々は、ご用心ください。避難の必要を感じたときは早めに。ひどくなってからでは、移動できませんから。

東京の息子も心配。ひどくなるようであれば、職場に止まって、ビルの上階にいたほうがいいかも。地下は危ない。昔、博多駅ビルの地下に水が入り込んで被害の出たことがあった。

道路に水が溜まると、車はハンドルをとられたり、止まる危険があって危ない。

昨日循環器クリニックで、看護師さんと和歌山のダムの話になった。

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2011年9月20日 (火)

祝! 何と、夫が補欠合格しました

 台風の影響で雨脚が強かったため、夫に循環器クリニックまで送り迎えして貰いました。クリニックの近くにマックがあるので、久しぶりにマックへ。

 そのマックで、夫が「実はね……」と、明後日お誘いを受けたコンパの話。まあ、例の話が実現すれば、そういうおつき合いも必要ですからね。

 しばらくしてまた夫が「実はね……」といい出して、何とそれが過日不合格通知を受けた職業訓練校からの電話の話で、補欠合格したというのです。

 わたしたち夫婦の性格の違いがこんなところに出ていますわ。わたしなら、夫の顔を見るなり、補欠合格の話をするでしょうね。

 住宅リフォーム科を受験したうち、半分も合格できなかったみたいですから、仕方ないとわたしたちは諦めていました。夫は行きたかったみたいだったので、可哀想でしたけれど。それが……よかった、よかった、めでたいわー! 

 日当700円と交通費が出るのもありがたいですね。

 夫は、仮に例の話が実現したとしても、それをやめさせられたときのことを考えると不安を覚えたそうで、何か先につながるものが必要と感じ、リフォーム科はどうしても受講してみたいと考えていたとのことでした。

 受講は10月に入ってからです。 

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循環器クリニック受診。「馬どうでしょう?」とお尋ねしてみました。

 どういうわけか、2kg.も太っていましたが、胸のレントゲンと心電図に異常はありませんでした。ウォーキングをやめたせいでしょうか。

 ところで、恐る恐る、馬に乗っていいか、尋ねてみました。先日、馬に乗るときに健康について書く欄があり、病気の人は医者の許可が必要とあって、わたしは後ろめたい気持ちで、小さく不整脈と書き、問題がないように装いました。

 それで乗れましたが、娘には盛んに勧められた乗馬クラブへの入会を勧められなかったのは、それが理由ではなかったかと思います。でも、わたしは馬に魅了されました。

 フランスなんかでは子供でも普通にお稽古事としてやっているようですし(乗るのはポニーかな)、初めて乗ってみて、きちんと教われば誰にでも乗れそうだと感じたのでした。疲れも全く覚えませんでした。ただ教える人によって、ずいぶん差があるのではないかとは感じました。

 最初に教えてくださったNさんの教えかたは、わたしには手綱の握りかたとか、足の乗せかたといった具体的なことがきちっと頭に入ってこず(喫茶室で拝聴した馬のお話は大変面白く、貴重でした。講義に適性のあるかたかも……)、結果的にひどく不安定な乗りかたになり、わたしは馬に向いていないのだろうか、病気だからやはり運動能力に問題があるのだろうか、と情けない気持ちになりました。

 ところが別の指導者に替わったら、基本的なことがきちんと頭に入ってきて、安定感が出るようになり、とても楽しくなりました。娘は逆に後半がわかりにくかったといいますから、同じ人の教えかたがわたしたちにはわかりやすかったことになります。

 短い時間でしたが、馬のあの独特のムードは、何というか、泉のほとりに馬と自分とふたりきり、のような錯覚を与えてくれ、静謐な、霊的といっていいような良質の高揚感をもたらしてくれたのです。あんなに満たされた思いを覚えたのは初めてだったとすら思うくらいです。

 尤も、馬のほうでは、もう年寄りですし、初心者の退屈な相手ですから、眠そうで、舌を出したりしていましたけれどね。娘の乗った馬は、食べたくてたまらなさそうにちらちら草のほうを見ていたそうです。

 今は、金銭的にも時間的にもレッスンに通う余裕はありませんが、いつかまた馬に乗りたい、馬の世話の仕方や馬具のつけかたも含めてちゃんと習いたいと思いました。そのためには、きちんと先生にお尋ねしておかなくては、と思ったわけです。

 先生は、海外旅行のことをお尋ねしたときみたいに、ぎょっとされましたが、「馬って……馬に乗るの? うん……別に、いいんじゃない? 乗るだけなら。レントゲンで見ると、肺は綺麗だし、心臓も腫れてない。喘息のほうは、ひどい発作は起きていないね? 馬に乗るには、筋力をつける必要があるだろうけれどね」ですって! うわぁ、これで、いつか習いに行くときは、「担当医の許可を得ました」と堂々と書けます。

 嬉しくて、涙が出るほどでした。馬が好き! 実は、あれ以来、馬のことばかり考えています。ジョギングもウォーキングもドクターストップで、海外旅行と馬はオーケーなんて、不思議ですが、実際にウォーキングをすると、へとへとになり、具合が悪くなったりします。ジョギングは無理だと自分でも感じます。先生はわたしの体のこと、よくわかっていらっしゃるんですね。主治医ですから、当たり前といえば当たり前かもしれませんが……。

 わたしが1回コースを受けたところでは、初心者は70歳で線引きしてありますが、結構年のいった人々がレッスンを受けていらっしゃるようです。わたしが受けるとしたら、月2回、1回が45分のコースになるでしょうね。現在ペーパードライバーですから、夫の車で行きましたが、バスも出ています。

 いつか作家になれたら、絶対に馬を習うわ! 海外旅行も諦めてはいませんよ。まずは作品を書かなくてはね。

 受診記録というより、馬の話になってしまいました。ニトロは2錠しか使わなかったので、追加なし。いつものインデラル10、ニコランタ5(シグマート5のジェネリック)、コロヘルサーRカプセル100(ヘルベッサーR100のジェネリック)、アイスラール20(アイトロール20のジェネリック)、フルタイド200ディスカス。    

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2011年9月19日 (月)

瀬戸のかき重(飲茶鉄板 七福)、たらばふぶき(矢成商店)

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 デパートの「全国うまいもの大会」に出かけ、夕飯に買って帰ったお弁当(夫にはプラスお握り)。広島「飲茶鉄板 七福」の『瀬戸のかき重』。かきの旨味が楽しめるお弁当でした。山椒の香りがほのかにし、生臭さが全くありませんでした。1,050円。

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 福岡「矢成商店」の『たらばふぶき』『ベーコン吹雪』。どちらも1,050円。乾燥させたものなので、冷蔵庫だと1年は持つとか。試食してみて、美味しいと思いました。かにかま、ベーコンかま(?)を乾燥させたものとお考えください。これを使ったサラダの作りかたを実演してくださいました。

 きゅうり、キャベツ、たまねぎ、人参など、好みの野菜を千切りにし、写真のものを少量加えてマヨネーズ(あるいは好みのドレッシングなど)をかけ、それをポリ袋に入れてきつめに口を縛り、30分。実演の品をいただいて帰りました。お弁当と一緒に食べようと、それまで冷蔵庫に入れておきました。

 3人には充分な量のサラダが出来上がっていました。マリネ風のお味。惣菜売り場で買ったとしたら、500円はするんじゃないかしら。サラダがほしいけれど、野菜だけでは物足りないというようなとき、これがあれば便利だと思いました。

 他にも、鮭の切り身5枚が半額になっていたり、大きくて美味しい林檎が安かったり。そのあと地下の食品売り場に行ったら、ハーブ・ウインナー、フランクフルト、ハムなんかがこれまた三つで安いではありませんか! 

 ウインナー、フランクフルトは冷凍で1ヶ月できると聞くと、ウインナーをごろんと入れたスープが頭に浮かんだりしてこれも買わねばと思い、結構散財してしまいました。でも、わたしなりに厳選した品々なので、きっとお得な買い物だったと思います。

 娘は、「さわた本店」の『ちーず大福』『ブルーベリーちーず大福』を買いました。家族のぶんもあるそうで。わたしはまたいつか馬に乗りたいから(久住にも乗れるところがあるようです)、太りたくないっていってるのに。

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2011年9月18日 (日)

児童文学作品P 5)今日4枚

 パソコンをそれぞれプライベート設定し、娘と共有しているのだが、普段は圧倒的にわたしが独占しているため、休日くらい娘に使って貰わないと申し訳ない。

 ということもあって、娘が寝ている早朝から今まで執筆し、4枚。神話から借りてきた動物が初登場する場面で、微妙な配慮が必要だったため、たった4枚でもくたくたになった。

 1日のノルマが5枚なので、あと1枚は書きたいが、今日は買い物に出かける予定。ともかく、書かなくては。まだ12枚しか書けていない。今月中に50枚は書いておきたい。子供のものはこまかな注意が必要なので、疲れる。これから楽しくなるとは思うけれど……

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2011年9月17日 (土)

夫の定年メモ。うっかりしそうになった受診。

 夫の厚生年金保険年金証書が届いた。雇用保険を受けているため、支給停止となっている。

 ところで、わたしは循環器クリニックの受診を忘れていて、慌ててしまった。月曜日に行こうと思ったら休みではないか。火曜日には行かなくては。

 受診時に新しい保険証を見せなくてはならないし、心臓の検査を長くサボって(検査は患者側からお願いすることになっている)、看護師さんから叱られたから、検査も受けなくてはならない。絶好調なんだけれど。

 ずっと調子がよかったのは、夫がいるせいで、食事をきちんととるからかも。夕食はきちんと作っても、家族がいない昼間はいい加減になりがちだった。食事がいい加減ということは薬の飲み方もそうなるということで、飲むべき時間を大幅に過ぎていたり、お昼の薬なんかはうっかりしがち。大抵、そんなことから体調が崩れることは自覚していたけれど、きちんと薬を飲むことが如何にわたしの健康上大事かが改めてわかった。

 夏のような天候が続いているせいで、冠攣縮性狭心症の発作が起きにくいということはあるかもしれない。その代わり、暑いと頻脈の抑えが効きにくいが、節電にドクターストップがかかって、エアコン使用で快適に過ごしていたことから難を免れた――というと大袈裟かな――と思う。それが証拠に、エアコンを使わなかった日、薬を飲んでも動悸が止まらず、あちこち具合が悪くなったことがあった。

 生活が規則正しくなるという意外なメリットの他にも、夫が家にいるメリットというのはあるにせよ、落ち着かないから早く勤めに出てほしいというのがわたしの本音。夫は夫で、家にいられるだけいたい、というのが本音かもしれない。警備は嫌なんだそうな。

 元々、12月まで休養するハラだったようだから、11月に例の話がはっきりするまでのアルバイトが決まらなくても不思議ではない。しかし、60で隠居風というのは、現代では合わない気がする。継続雇用が認めらなかった場合――リストラされたのと同じだ――の定年後の暮しが予想した以上に厳しいということもわかったではないか。といっても、夫は所詮自分がしたいようにしか行動しない。

 小遣いの額が下がる一方でよければ、好きにしてくれ。わたしは桃屋の「ごはんですよ!」とごはんさえあれば、耐えられる。

 夫のことなど気にせずに今は書くことに専念したほうが、時間を有効に活用できることは確かだ。

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2011年9月16日 (金)

夫の定年メモ。生気なき国会。これからサンクタムを観に。

 夫の定年メモ。夫はリフォーム科の選考に漏れた。1/3しか通らないということで、予想はしていたが、夫には残念な結果だったろう。ガーデンプランナー科とか、テクニカルオペレーション科の追加募集など、他にも興味を惹く分野での受講生の募集があるようだが、リフォーム科の選考に漏れたことで、職業訓練校については夫もわたしも早くも懐疑的。年齢的に駄目なんじゃないかと。[後日:補欠合格しました。]

 現時点では、警備員の募集を探すのが一番現実的ではないかという話になった。求人情報など見ても、定年以降で保険付アルバイトとなると、警備員くらいしかないのだ。ただ、夫の場合は11月にはっきりする例の話が第一希望であるため、その関係と抵触する懼れがあるところは、セーブしているという事情がありはする。

 今日、夫がハローワークで、目にとまったテレビ局の常駐警備員募集について確認をとって貰ったところ、年齢制限に引っかかった。60で定年だそうな。厳しい。しかし、60前の若さで警備員というのもどうかと思うが、ご時勢ということか。どじょう首相の生気のない国会答弁を視聴していると、希望のかけらまで奪われそうな気がする。

 夫が職業訓練校の選考に漏れたら映画に行く予定だったので、今から行くところ。サンクタム。わたしも明日からは創作一筋の予定。昨日、馬とのよきふれあいができたので、無駄にはしたくない。

《サンクタムを観たあとで》
 洞窟の神秘を感じさせてくれる探検物を期待して観たら、生き残りを賭けたサバイバル物だった。人が次々に死んでいき、その死の描きかたがホラータッチ。3Dで観ると、息苦しさが募るので、閉所恐怖症のかたはご用心。くまのプーさん、観たほうがまだよかったわ。3Dで観なきゃいけないと思った映画は、これまでのところワタクシ的にはアバターだけ。

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2011年9月15日 (木)

児童文学作品P 4)最高に楽しかった乗馬体験

執筆中の児童文学作品にギリシア神話からある動物を借りてくるのですが、その動物は馬に似ているので、馬に乗ってみることにしました。

乗馬体験1回コースを予約したのは本日――9月15日の木曜日――で、連休中の娘のレッスンも予約。ブーツ、ヘルメット、ボディプロテクターのレンタル、保険込で、地域割引が利き、2,300円。このコースは1回きりの体験になりますが、リーズナブルでありがたいと思いました。

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わたしが乗ったのは《ジャス》くんという、もとは競馬に出ていた26歳になるサラブレッドの茶色い牡馬。人間でいえば、60歳くらいだそうですから、夫くらいと考えればいいわけですね。

娘が乗ったのは《しゅうまい》くんという白馬。焼売みたいに白いからかしら? ユニークな名前ですね。19歳。やはり牡馬で、何という種類だったかは娘もわたしも忘れましたが、サラブレッドより脚がずんぐりしています。

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牡馬より、去勢していないから、牝馬のほうが気が荒いそうです。

450キロあるそうです。

最初は、ポンポンと首筋を叩いたり触ったりしてコミュニケーション。叩くくらいしないと、馬は感じないとか。おなかの下のほうは敏感。馬を刺すハエ(虻かな。神話のペガサスは虻に鼻を刺されるんですよね)を嫌がって、体を震わせたり、首を動かしたりしていました。尻尾には感情の表現はないそうです。

次に馬に乗りました。乗り降りのときが一番怖かったです。おなかを両足でポンと叩くと前進(アクセル)、手綱を引くと停止(ブレーキ)、曲がるときは、曲がる方向に手綱を引く(ハンドル操作)……と基本はこれだけだと教わりました。

馬を歩かせながら片手を上げたり、お尻を叩いてやったり、腰を上げ下げしたり。最後に軽く走らせて終了。曇りでしたが、お蔭で涼しくて快適でした。

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馬が人間の歴史に密接に関わり、乗り物として利用されてきたわけが馬に接してみて初めてわかりました。巨大な犬の扱いかたを教わりに行く感覚を想像していたのですが、どちらかといえば、車の運転を習いに行ったような感覚でした。

スキンシップも犬猫とはまた違う感覚で、我関せずといった風の馬のさりげなさ、それでいて、それとなく全てを感じ、読みとっているかのような静的ムードは独特だと思いました。魅せられました!

馬は視界が広いそうで、背中に乗っているわたしの顔以外はだいたい見えているということでした。だから、乗り手が何をしようとしているのかをかなりの確率で察知するのだそうです。知能は4歳くらいだそう。

馴れた乗り手は鞭を使ったりするそうですが、あれは音がよく出て、馬にとってはほとんど痛くはなく、音で命令を伝えるのだそうです。

ちなみに、馬は泳ぎも上手で、犬掻きならぬ馬掻きをするとか。見せていただいた雑誌に、海を馬で行く人間の写真があり、指導員のNさんもモルジブで、馬に乗って海を行ったことがあるそうです。馬の大きな体は、予想外に水によく浮くとか。ボートみたいに。ただし、乗り手も一緒に手漕ぎしたくなるくらい、スピードが出ないそう。

馬の話は聴けば聴くほど新鮮で、わたしが漠然と抱いていた馬についての固定観念は悉く覆されて、痛快でした。

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ここの会員になるには、入会費がちょっと高いですが、普通のお稽古事感覚でできる金額なので、娘は迷っています。

高級だった乗馬体験を、40年前に一般のレベルでもできるようにした草分けが、この乗馬クラブ・クレインだとか。全国展開型の乗馬クラブです。「教習所とお考えください」というお話でしたが、時間割がきちんと組まれているなど、システム化されていて、雰囲気的にもそんな感じでした。

作品ができたら見せに来てください、と指導員のNさんがおっしゃいました。馬に触れさせていただき、馬についていろいろと教わって、本当によい乗馬体験でした。

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乗馬クラブにいます

乗馬クラブにいます

3枚の書類に記入したところです。

健康面……通過するかしらん。

天気がよくありませんが、屋内練習場もあるとか。

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臨時国会はたったの4日間(絶句)。夫の定年メモ。馬に合いに。

この更新は携帯から。

まず、夫の定年メモ。市民税・県民税の納付書が届き、10月31日納期限分を納付した。まとまってくると、半端な額ではないわねえ。これまでは夫の給料から引かれていたわけだけれど。

職業訓練校は敷居が高かった。3分の1しか通らないということで、駄目かなとも思っていたが、夫は残念だったと思う。まあ、仕方がない。

今日は馬に合いに行く日。単に楽しむためではなく、今書いている児童文学作品の参考にするために……と思うと、無駄にできない一日となりそう。

作品は、あれから忙しかったせいで、8枚から書けていない。ちょうど例の神話から借りてきた動物を出すところだったので、その動物に似た馬に合ってから書くというのも悪くない。

尤も、馬体験が執筆のプラスになるのか、マイナスになるのかは、今日が終わってみないとわからない。

一昨日、猪に突進される夢をみた。柵の向こうにモコモコした白いものがあるので、目を凝らしていると、羊になった。さらに羊の向こうに灰色の塊がいくつか見えてきて、それは猪だとわかる。大きな1頭が柵を回り込んで道のほうに出て来た。なぜか側に亡くなったはずの母がいて、わたしは母を守ろうと、両手で長い槍を頭上に掲げている。その動作が猪を刺激したらしく、猪がこちらに向かって来る。「わあーん、ドン・キホーテ、助けて!」と叫んで目が覚めた。

猪の夢には吉意もあるが、事故、怪我、無謀などを警告する夢でもある。まさか馬に嫌われて……まあ、いいや。保険がついているし、ヘルメットだってかぶるんだもの。病気のことはすっかり忘れていたけれど、ニトロのペンダントも念のためにしていこう。ドン・キホーテって、何だろう? あまり頼りになりそうにないキャラに、なぜ助けを求めたのか。

ところで、夢を見た日、Yahoo!ニュースに、猪の親子が車に轢かれたと出ていた。子沢山だったみたいだが、全頭死んだという。餌を探してさ迷っていたのだろうか。猪のニュースは夢から覚めたあとで知ったが、夢をみたあと、夢と関連したような出来事に遭遇することはちょくちょくある。

それにしても、臨時国会がたったの4日間というのには、呆れる。当然野党は反発して10月14日までの会期延長を求めたが、民主党は拒否。

日本は議会制民主主義なので、こんな事態は政治の停滞か、独裁体制かのどちらかを招く。

政治はどんどんひどくなるばかりだ。もはや怖くて、あまり考えたくないほど。

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2011年9月13日 (火)

心願こもる島田勢津子著「イルカを待つ海」(編集工房ノア)

 昨日、サイドバーからリンクさせていただいているブログの管理人simasetuさんが、ご著書「イルカを待つ海」(編集工房ノア)と同人誌「黄色い潜水艦」を送ってくださった。

売れない主婦作家生活
http://ameblo.jp/dolpfin0218/

 一編一編は、粒選りの葡萄のような潤いを感じさせ、ひ弱な雛のような柔らかさがあるのだが、全体を鳥瞰したときに建築群のような重厚な印象が残るのは、その一編一編が強度のある社会性を備えているからだろう。ひじょうに知的に構築された作品群という印象を受けた。

 大変な執筆作業だったと察せられるが、作者のそうした作業を支えたのは、モチーフの強さだろう。特に、力量の感じられたのが、本の題名ともなっている『イルカを待つ海』と、同人誌に掲載された『おとうと』である。ドラマにもなりそうな『イルカを待つ海』と、それとは対照的なリアリズムタッチの『おとうと』。

 『イルカを待つ海』は、リリックな美しさを備えた珠玉の一編。療養所を舞台とした恋愛を中心に、当時の閉鎖病棟の問題点、主人公の周囲の人間模様が過不足なく織り込まれ、ドルフィンのキーホルダーがシンボリックに用いられて、流れるような筆致で描かれている。読み進めるごとに、恋人たちがロミオとジュリエットのように思えてくる。精神医療の断面に光を当てた、歴史的、資料的価値のある作品ともなっていて、貴重だと思う。

 『おとうと』は、姉の視点から弟の生きざまと死を描いた作品。弟の内面に何とか肉迫してその人生を理解し、位置づけようとする姉のせつない心情が、月の下で寄せては返す波のような光沢感を見せる一編。弟を見つめる姉のまなざしには、弟を一個の人間として尊重しているがゆえの距離感があり、月の光のような慈愛とその核にある哲学を感じさせるのである。「イルカを待つ海」に収録された『ロストタウンのはずれで』の続編としても読めよう。

 作風に映画的手法が取り入れられて、登場人物の表情や仕草などが挿入されれば、より奥行きを感じさせる芸術的作品となるのではないかと思った。

 昨今のゲーム感覚で書かれているかのような、あざとい技巧作品の多い中、心願こもる作品を読ませていただけたことは悦びであった。

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2011年9月12日 (月)

児童文学作品P 3)馬に乗ってみることにしました

 児童文学作品に伝説上のある動物を借りてくるのですが、その動物は馬に似ているので(というと、ユニコーンか、ギリシア神話のペガサスですわね。文学賞に応募の予定なので、これ以上はいえませんが)、馬に乗ってみることにしました。

 その動物を描写するには、馬の写真や動画を見るだけでは心許ないのです。まだ8枚しか書いていませんが、これはミューズからの借り物だとしか思えない、よいものに仕上がる予感があるだけに(仕上がるまでは苦しむでしょうし、賞狙いによいかどうかは別問題)、とにかく馬に接してみることにしました。

 現実に接することが創作にとっていいとは限らず、どうかすると、空想を萎ませる原因となることもありますから、微妙ではありますが、やはりここは体験してみるほうに賭けることにしました。

 元々動物は大好きなので、これが病みつきになったらどうしましょう? それとも、1度で懲りるでしょうか。

 乗馬体験1回コースを予約したのは木曜日で、明日から1週間連休の娘のレッスンも予約しました。娘の連休中、映画にも行くと思います。サンクタム。フランス・イタリアに行くはずが、こうなってしまいましたが、過日仕上げた短編小説と、今書いている児童文学作品は、たぶん旅行に出かけていたら、書かなかったでしょう。

 そう思えば、それほど惜しくはありません。短編を書き上げるときに、ある確かな手法を掴んだ気がするのですね。どうしても手に入れたい手法でした。お金で買うことはできず、長い間書いていても、それまでのわたしには手に入らなかった手法……あるコツのようなもの、といったほうがいいかもしれません。

 外国へは、行けるようになったときに行けばいいのですから。『不思議な接着剤』を仕上げるべきときが来たら、行けそうな気がしています。

 夫は乗馬クラブまで車で連れて行くのはいいけれど、馬には乗らないといいます。あとで乗りたくなっても、予約がないと乗れないと思うわよ、といってみても、ノン。わたしは今は病気でできないだけで、元々スポーツ好き。夫はスポーツはどちらかというと嫌いなほうです。学生の頃に剣道はやっていたみたいですが、わざわざ汗をかいたり、きつい思いをしたいという人間の気持ちがわからないとか。

 わたしはむしろ、馬が目の前にいるのに、乗ってみたいと思わない人間のいることのほうが不思議ですが、もしその気になったときはまた行けばいいですしね(夫は嫌だといっておきながら、あとになってぐちぐちいうことがあるので、ついしつこく確かめる癖がついてしまいました)。

 手袋(軍手可)、長ズボン、靴下、袖付きシャツという恰好に、ブーツ、ヘルメット、ボディプロテクターはレンタルできるそうです。

 乗馬レッスン費用に、保険費用、レンタル費込みで、地域割引が利き、 一人2,300円。レッスン時間は1時間30分で、そのうち騎乗時間は30分です。30分といっても、初体験では長く感じるのかもしれません。見学は自由にできるそうです。夫の席も作っていただけるそうで。

 そろそろ作品に神話から借りてきた動物を出さなくてはなりません。うわぁ、興奮しちゃう! 今日中にノルマの5枚は書きたいと思っています。

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2011年9月11日 (日)

児童文学作品P 2)6枚書いて、精一杯

 今日もいろいろと調べ物がありました。毎日の執筆に調べ物は付き纏うのでしょうが、まず、わたしが子供の頃によく飛び降りていた塀の高さ、土手の高さはどれくらいだったのだろう、というところで躓きました。

 おおよそこれぐらいだろう、というところを巻尺で測って割り出しましたが1行書き進めるのに、5つくらい、調べ物が出てきて遅々として進みませんでした。今日6枚書き、昨日の分とで現在8枚です。

 勿論、この数字は確定的なものではありません。あとでごっそり削ることだってあるのですから。ただ、無駄なことは全く書いていないので、削ったら同じ枚数増やすことになるでしょう。

 くぎりよく、今日中にあと2枚書きたいところですが、子供の物は疲れます。大人の物は人づきあいで生じる疲れ方に似ていますけれど、子供の物はまさに育児疲れ! この年で育児は疲れますわ。

 ちょっと競馬場に取材に行きたいと思い、調べたら、K競馬場は当分レースがありませんでした。もう少し思いつくのが早ければよかったのですが。湯布院へ、1日短時間コースの乗馬体験に行くかどうか、迷っているところです。

 デパートの辺りに時々ポニーが来るのですが、執筆中は家に籠もっていることもあって、外出したときに偶然出合うのは難しいかな。

 前にどこかで子供たちがポニーに乗せて貰ったことがあって、そのときの記憶はまだあり、もう亡くなった宇佐神宮の白馬の記憶もあるので、何とかなるでしょうけれど。馬関係のサイトで写真や動画など、見せていただけるのは、本当にありがたいです。

 本当はサーカスも見る必要が……と、ほら、臨場感を出そうと思えば、きりがありませんって。できればギリシア神話の世界に昇って行って取材したいくらい。畏れ多いことです。作品の中でさえ、あの世界からお借りすることは。さあ、明日も頑張ろう。

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2011年9月10日 (土)

児童文学作品P 1)プロットに手を加え、資料を追加し、原稿は2枚

 新しい児童文学作品Pにかんするメモです。

 今日は一日励みました。いざ作品を書き出そうとすると、プロットが甘すぎることに気づき、手を加えました。その過程で必然的に資料の追加とメモの整理なども加わって、実際に書けた原稿はまだ2枚だけ。

 外出しない日はコンスタントに5枚は書きたいと思っているので、今日中にあと3枚書きたいところですが、今日のところはプロットをいくらかでも充実させるほうが大事ですので、まあ無理することもないかな。

 児童物ということで、随所で表現に迷いが生じます。大人向きの小説を書くときとは異なる神経を使わなければなりません。

 「でした」「だった」のどちらのスタイルにするかということだけでも、相当に迷いました。岩波少年文庫を参考にすると、小学校4・5年以上では前者、小学5・6年以上では後者となっていることが多いようです。

 わたしの作品に登場するのは小学5年生で、どちらでもいい気がしますし、またどちらを選択しても表現上のメリット・デメリットはあるものでしょうが、入浴時などに、頭の中で作品の様々な場面がナレーション付で展開されるとき、この作品Pでは一貫して前者ですので、前者にしました。

 ところで、わたしは前にこの作品を書いた気がして仕方がないのですね。主人公も、前から知っている気がしてなりません。でも、そんなはずはないのですが。主人公の年齢や星座などは今日考えたばかりですから。現在のわたしでなければ書けない主人公の家庭環境なども……なぜ、もうとっくに書き上げたような気がしてしまうのか、不思議です。

 それなら、もっとスラスラ書けそうなもので、ストーリーをメモするラフな段階ではそうなのですが、これを文章でコツコツ建築していこうとすると、本当に難しいものです。形にすることの難しさといいますか、一度はこの段階でやめたくなるのですよね、小説なんかでも。

 ともかくも、プロットは安心のできるレベルに仕上がっていることを励みに、なるべく焦らないよう形にしていくばかり。明日も頑張らなくては。 

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2011年9月 9日 (金)

新しい児童文学作品のプロット、仕上がる

 昨日はどうしても創作に気が乗らなかったのですが、深夜になり、無理矢理始めたら、それから寝ずに、たった今(8時40分)、プロットが仕上がりました。

 まだ設計図が仕上がっただけですが、これがあると安心です。

 朝ですが、ちょと寝ます。娘は休日です。

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2011年9月 8日 (木)

急性の書きたくない病に罹った昨日とバルザックの悲鳴。スタインベック『白いウズラ』を読んで。

 昨日は、2ヶ月で完成させ、120枚となる予定の児童文学作品のメモの整理とプロット設定に入るはずだった。ところが、急性の書きたくない病に罹り、サボった一日……そのとき、バルザックを連想したのは僭越な話だが、過激な執筆の合間に書かれた悲痛な手紙を思い出して、あのバルザックも人間だった、と自らを慰めたのだった。

 現在のわたしにとって、書いていられる時間というのは、かけがえのないものであることを実感していながら、書きたくないときは書きたくないのだ。いくら赤ん坊が可愛くても、ときには育児から解放されたいと思う母親の気持ちと似たようなものだろう。まだ、疲れがとれていないせいかもしれない。

 そういえば、女性革命家として有名だったローザ・ルクセンブルクは、疲れたら、一層働くことで疲れを癒したそうだ。ローザは革命の闘士とは思えない繊細な感受性を持ち合わせた人で、獄中で、自然や人生の機微に触れた数々の美しい手紙を書いた。

 バルザックの話題に戻り、悲痛な手紙の文面をクルティウス『バルザック論』(大矢タカヤス監修,小竹澄栄訳、みすず書房、1990年)から抜書きしておきたい。

  • 私には生活する暇がありません。
  • 彼は日夜働いているのだと、ご自分にいい聞かせてください。そうしたら、ひとつのことにだけ驚かれるでしょう。私の死亡通知がまだ届かないこと。
  • 私はペンとインクに繋がれた、ガレー船の奴隷なのです。
  • 私は、人間と事物と私との間に繰り広げられるこの果てしない闘いに疲れきってしまいました。
  • 私はペンとインクに対する恐怖症です。それが昂じて肉体的苦痛を感ずるまでになりました。
  • (坐ったきりの生活のおかげで、彼は太った。すると、新聞がこれをからかった。)
    これがフランスです。美しいフランスです。そこでは仕事が原因で振りかかった不幸が嘲笑されるのです。私の腹が笑い物になっています! 勝手にするがいい、彼らにはそれしか能がないのですから。
  • 私は知性の戦闘のさなかに斃れるでしょう。
  • 私はまるで鉛球に鎖で縛りつけられた囚人のようです。
  • 私の望みは柩に入れられてゆっくり休息することだけです。でも仕事は美しい経帷子です。
  • 私の生活は、ただ単調な仕事一色に塗り潰されています……時折私は立ち上がり、私の窓を士官学校から……エトワール広場まで埋め尽くしている家々の海原を眺めます。そうして一息つくと、また仕事にかかるのです。
  • 仕事がきっと私の生命を奪ってしまうだろうと、私は確信しています。
  • 今や私は、全く実りなき仕事に十年間をつぶしてしまったのです。もっとも確実な収穫は、中傷、侮辱、訴訟等々。
  • 絶え間なく、そして次第に烈しさを増す我が伴侶、窮乏夫人の抱擁。
  • 神よ、私のための人生はいつ始まるのでしょう! 私は今日まで誰よりも苦しんできたのです。
  • 私は自分に暗澹たる運命を予見しています。私は私の望みの一切が実現する日の前日に、死ぬことになるでしょう。
  • そうです、自分の体全体を頭に引きずり込んでおいて、罰を受けずにいる者はいません。私はただただそう痛感するばかりです。
  • 私はもう自分の状態を、疲労とはいえません。私は文章作成機になってしまいました。私は自分が鋼鉄製のような気がします。
  • 私はもう一行も頭から引き出せません。私には勇気も力も意欲もありません。

 いつも陽気だったといわれるバルザックが人知れず上げ続けた悲鳴。悲鳴を上げてやめるのではなく、悲鳴を上げながら書き続けたところがあっぱれだ。彼が天才であったことは間違いのないところだが、手紙の悲鳴からは、あの超人的な仕事が凄まじい自己犠牲によって成し遂げられたものであったのだとわかる。

 バルザックの崇高な仕事に比べたら、わたしの書くものは「へのへのもへじ」の段階にすぎないが、それでも書くことが遊びとしか認められていないことには異議があり、世に出られない不満からゴミ箱のために書いているのではないと誰かにいいたくなることがあるが、ゴミ箱行き程度でしかないのだろうかとふと思うこともある。

 でも、バルザックを想えば、諸々のことがただ恥ずかしくなり、さあ書こうと思うだけだ。

 昨日気晴らしに、ポプラ社から出ている「百年文庫 15 庭」に収録されたスタインベックの『白いウズラ』を読んだ。同じものが他の人の訳で岩崎書店「ジュニア版 世界の文学4 赤い小馬」に収録されていて、昔読んだ記憶がぼんやりとあった。

 中学生にはわからなかったのではないだろうか。『赤い小馬』のほうがわかりやすかったせいか、印象に強い。ただ『白いウズラ』が深みのある作品だということはわかり、大学に入ってから、スタインベックに熱中した一時期があった。

 ネタバレになるが、粗筋をいうと、メアリーは家を持つ前から自分の庭についてあれこれ考え、細かなところまでイメージを作り上げてしまっていた。それは楽しみの域を超え、彼女の内なる生命の象徴となるほどだった。結婚相手の選択についても、庭がその男性を気に入るかどうか、庭にとって男性がふさわしいかどうかが重要だった。

 結婚して実際に庭を持ったメアリーは寛大な夫ハリーに見守られて、庭作りを完璧に行う。メアリーの空想の中では、芝生の端に一列に植えられたフクシアは、外敵から庭を守る役割を果たすことになっていた。無数の妖精が庭の空気を変えていると想い、小鳥たちのために作った池に白ウズラが混じってやって来たことに過度の意味づけをなす。

「あれは私のエキス、完全な純粋さまで煮詰められたエキスよ。ウズラの女王にちがいないわ。あのウズラは、これまで私の身に起きたすべてのすてきなことをひとつにしてくれたのよ」
「これはすべてが美しかったころの私なの。これは私の中心、私の心なの」
と思うのだ。

 ハリーには白ウズラがアルビーノ(白子)の普通のウズラにしか見えない。そんなとき、庭に猫が侵入した。彼女はヒステリーの発作を起こす。ハリーに猫の毒殺を頼む。夫は空気銃で脅すだけにしたいという。

 だが、メアリーはあくまで殺してほしいのだ。というのも、白ウズラは彼女だったのだから。猫はメアリーを狙い、殺そうとしていたのだから、毒をしかけてほしいのだという。ハリーは早朝に空気銃で猫に痛い目をあわせてやると約束して、何とかなだめる。

 翌朝、ハリーは庭に出た。庭に降り立った小さな茶色い一団の中に白いウズラが混じっていた。ハリーは銃を持ち上げ、何と白ウズラを狙い――殺すつもりではなかったが、結果的に殺してしまい、死んだウズラを埋めた。

 メアリーは白いウズラが殺されたことには気づいていない。ハリーが自責の念に駆られるところで物語は終わっている。

 1935年に書かれたとは思えない、現代的なセンスの短編ではないだろうか。結婚以前から病的な何かがメアリーには潜んでいる。結婚生活がそれを助長した。伏線がさりげなく張られているところにスタインベックの確かな手腕を感じさせる。例えば、贈り物というものは見かけほどではないものだと考えてしまう癖があるとか、ハリーの仕事をメアリーが気に入ってなさそうといったようなことだ。

 短編小説として完璧だと思う。しかし、バルザックを読み馴れたわたしには物足りなさがある。バルザックであれば、現象を描写することでは終わらず、不幸な人々の原因を何とか探ろうとしたに違いない。

 そして、メアリーとハリーの個人的な特徴の分析を生い立ちから始めて、2人が属する地域全体の歴史、当時のアメリカ社会の病巣に至るまで、様々な角度から分析してみせただろう。また、悲劇性の中にも、人間的な温もりのある滑稽味を見つけ出して微笑ませてくれただろう。

 わが国の現代小説は、よく書けていてもスタインベック的なアメリカ文学風なものが多い。袋小路で終わるのだ。尤も、スタインベックほど完璧には書けないからか、あるいは袋小路が息苦しいからか、壊せばよくなると思っているかのように、壊したり寄せ集めたりすることに夢中なお子さまな文学となっている。

 スタインベックのような小説のよさは勿論あるけれど、今こそもう一度バルザックのような小説の書き方に注目すべきときが来ているのではないかとわたしは思う。バルザックの書き方を学ぶのは苦労、というより不可能に近い大変さがあるに違いない。それでも、突破口はバルザックのような書き方にしかない気がする。

 これから来年の9月までは児童文学作品に熱中することになるが、それが終わったら、一度小説を書こうと思う。

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2011年9月 7日 (水)

恐竜の消しゴム~!

恐竜の消しゴム〜!

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2011年9月 6日 (火)

夫も難関にぶち当たった?

 職業訓練校のリフォーム科を受験に行った夫から、お昼休みに電話があった。34名定員のところを受験者が100名はいたというから、かなりの難関ではないか!

 ペーパーテストは高校入試程度ということだったにも拘らず、小学生の問題みたいだったという。適正テストのほうが老眼にはきつかったそうだから、落ちるとすれば、これが原因だったと思うことだろう。

 夫は大人向きの中学数学の問題集を自発的に2度もやり、漢字も熟語中心に熱心に学習していた。お蔭で(というより、やらなくてもよかったのかも?)そちらは憂えるところがないのはいいことだったが、果たして。

 もし落ちたら、「わたしたち、普段は仲悪いけれど、こんなときは仲良く落選夫婦ねー!」と笑い飛ばして(お金ないけれど)映画にでも行くしかないかしら。そうなったら、11月を待たずに、間に合わせにでもアルバイトを真剣に探すことになるのかなあ。

 結果が出るには、かなり間があったと思う。いつだったっけ? 

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賞狙いと書きたいものをリンクさせることの難しさ

 賞狙いに適したタイプの人がいる。そういうタイプの人の中では文学観は形成されていず、自分の書いたものが世の中にどんな影響を与えるかなどといったことは考えもしないし、賞の傾向と対策をしっかりしてブツをゲットすることだけに執心できる。

 そんな化け物みたいな人を実際にわたしは何人も知っている。

 そうした人々を見分けるコツがあって、彼らはほとんど文学書を読まないのである。

 素材を集めてレゴを組み立てるような楽しさがあるのか、一種のゲーム感覚なのかと想像するけれど、わたしにはよくわからない人々である。

 商業主義のせいで純文学の質が低下すると、普通っぽい作家が増え、彼らが食べていくための文学スクールや文章教室が乱立して(勿論独自の文学観を打ち出した筋金入りのスクールや教室だってないわけではないが、少ない)、そうした文学産業と持ちつ持たれつの賞が増え(ムラ興しの賞もある)、前掲のタイプの怪物――いや、見方を変えれば、文学に携わるには普通すぎる人々――が大勢参入するようになった。

 選者にもそのタイプが増え(勿論筋金入りも残存してはいるだろうが)、マニュアルと嗜好重視で作品を選ぶ。

 今時、文学観など、あっては邪魔である。芸術の薫りなど悪臭扱いされかねない。

 賞を通過しなければデビューできない純文学のそんな状況下で、どう生き抜いたらいいのか、どんな作品を書いたらよいのか、さっぱりわからなくなり、賞狙いから遠ざかった年月があった。真剣に賞狙いをやったのはここに引っ越して来る前の話だから、賞レースから離れて7年。

 思いがけなくも(いや、当然予想されたことではあるが)、またこの度、貧乏が原因で賞レースに老いさらばえた身で(というと過剰装飾になるか)、加わらせていただくことになった。

 しかし、わたしには賞を狙った、以前のような書き方はもうできない。したくない。大手出版社の賞となると、何しろ求められるものが(評論家の求めるものが)過去記事で書いたような有り様なので、わたしには到底狙えない。

 そこで、応募に慣れているローカルな賞に短編小説を応募したわけだが、その予選を通過したければ、泥臭い、大衆的な、粘液性質のモチーフか、そうでなければ性描写を効果的に挿入する必要があった。

 ……というとお叱りを受けそうな気もするが、わたしなりの傾向と対策ではそうであり、現にその傾向と対策を行った作品では予選を通過したのである(それら予選を通過した作品も当ブログにいずれ収録する予定だが、何しろ賞狙いの不本意な書き方をしているため、愛着が湧かなくて、収録しようという意欲に乏しい)。しかし、今回は全くそれをせず、書きたいように書いた。

 だから、わたしの短編小説が予選を通過することなどありえないということくらい、火を見るより明らかなのである。

 落選したら書き直して再挑戦、とは考えているが、全く希望はない。

 今後の応募予定に純文学系の賞を全く入れず、児童文学系の賞に絞ったのは、上述したような理由による。

 児童文学系の賞の「傾向と対策」はしていないが、前掲の怪物タイプで、あちこちの児童文学賞をゲットしている人を知っている。純文系も狙っていた。

 文章力のある人で、科学的センスがあり、校正には吐き気がするまで念を入れるといっていた。

 その人は、文学書を読まない(と本人がいった)。夢も見ないそうだ。覚えていないだけではないかと思うが。

 その人の作品を読むと、テーマはそのときの流行りの話題から借りてきたものに思え、文学観らしいものも独自の哲学らしいものも窺えず、素材の寄せ集めを無理にテーマに当てはめただけのものにしか感じられなかった。だからわたしが読むと、どうしても途中で厭きる。率直に感想をいってしまい、当然の帰結として絶交となった。が、見習うべき点も多々あると思っている。

 ざっと児童文学賞をゲットした作品を俯瞰したところでは、アイディア勝負といった感が強い。

 ここからして、わたしの児童文学観とはずれがある(早くもヤッパ駄目かなと思っちゃう。でも、アレクサンドリア木星王さんが児童文学におけるわたしの将来は明るいといってくださったので、頑張ってみよう!)。商品開発のような発想より、観察と発見と方向付けが必要ではないかと思うから。

 児童文学大国イギリスの一昔前の作風がピカ一だと考えている。

 作品の流れには決まった型がある。子供(大人でもいいが、感情を移入しやすい子供のほうがいいだろう)が冒険ないしは試練の中で成長するという型である。

 神話や民話や古典に出てくる馴染みのあるアイテムが登場する。

 竜、妖精、ユニコーン、魔法使い、賢者、騎士、小人、動物、サーカス、お城、タイム・スリップ、白と黒の戦い、など。

 馴染みのアイテムを使いながら、子供の成長及び周囲との調和を如何に豊かに、あざやかに、薫り高く描き得るかの勝負だとわたしは考えるので、アイディア勝負のような単純で膨らみを欠いた作風には違和感がある。

 まあ、とりあえず書いてみるだけだ。持ち込みを受け付けているところも少ないながらあるようなので、自身の考える手法で思う存分に書いてみようと思っている。

 ホールデンの『魔法つかいのリーキーさん』。ああ、あんなものが書けたらなあ! あれはアイディアもすばらしいが、小さな竜ポンぺーにすら命と個性と独自の人生がきちんと備わっていて、作者の優れた観察眼、深みのある哲学、社会的関心が豊かに感じられる。

 あれには『アラジンと魔法のランプ』に出てくるジン(召使い)も複数出てくるが、「今は労働時間が決まっている」という設定などは、社会的関心がなければ出て来ない類の発想である。

 同じ竜であっても、張りぼてのようにしか感じられなければ、完全に失敗だろう。

 スウェーデンのリンドグレーン『はるかな国の兄弟』に出てくる邪悪な竜カトラの恐ろしさ。アメリカのガネット『エルマーのぼうけん』のりゅうの楽しさ。

 同じ竜でも、作者独自の竜となっていて、新しい命が吹き込まれてる。児童文学では、再創造、再話の能力が求められていると思う。

 わたしも自分の竜がほしかったので、執筆中の『不思議な接着剤』に出した。『不思議な接着剤』は大きな作品なので、時間をかけて仕上げたい。

 今から書こうとしている120枚の作品でも、児童文学やファンタジー小説などではよく出てくる架空の動物を出す。

 実は、このところペットを飼いたくてたまらなかった。それが嵩じて空想の中で飼うことにしたわけである。

 子供の頃に飼っていた2匹の犬のうちの最初の犬が、子供のわたしには散歩させるにも大きくて手に負えないところがあり、あの大好きだった犬をいくらか投影してしまいそう。

 空想の中で飼う動物の本当の持ち主はあの畏れ多い……この高ぶる気持ちをわかっていただくために話してしまいたいが、できない。

 賞に応募する予定があるので……非商業誌掲載は可ということなので、少しくらいはとも思うけれど、やめておこう。

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2011年9月 5日 (月)

来年9月までの創作プラン

8月31日締切の文学賞に純文学の短編小説(60枚)を応募した。これは落選weepがわかり次第、別の応募先を決め、書き直すpunch予定。

以下は、9~12月までの予定。

①9~10月 ←foot現在ココ
120枚の児童文学作品
2011年10月31日(当日消印有効)

11月
持ち込み予定の長編児童文学作品『不思議な接着剤』を進める。

②12月
30枚の児童文学評論
2011年12月31日(当日消印有効)

以下は来年も書き続けることができた場合の予定。
賞の締切月日が変更になったり、どうかしたら賞そのものがなくなる場合もあるので、確認の必要がある。
半月あれば50枚くらいはいけると思うが、できれば50枚にひと月はほしい。

2012年1~3月
持ち込み予定の長編児童文学作品『不思議な接着剤』を進める。

③2012年4~8月
150~210枚の児童文学作品。小学校高学年から中高生までを読者対象とする。テーマは自由。
2011年は9月13日必着

④2012年9月
40~50枚の童話。小学校3・4年から読め高学年でも楽しめるもの。
2011年は9月末日(当日消印有効)

あるいは、③④をやめて、
⑤2012年4~9月
100~250枚程度の長編創作児童文学。小学校の中学年もしくは高学年・中学生向け。
応募は2011年8月1日から9月30日まで(消印有効) 

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夫の定年メモ

 健康保険料(任意継続被保険者)を9月2日に納付。また、「健康保険料口座振替のご案内」が届いた。次回10月からは口座引き落としとなる。

 7月末に退職してから先月の20日くらいまでは手続きが沢山あり、生活の変化もあって、家族全員が心理的にも大変だった。

 明日、夫は職業訓練校のテストがある。午前中はペーパーテストで、午後からは面接。

 幸い店長の友人が沢山いるので、引っ越すつもりがあれば、もし11月に話のある件がだめになっても、どこかに拾って貰える可能性はあるが、娘の仕事のことを考えると、それはそれで難しい。夫には勤めていた会社の誰彼からよく電話があり、まだ臍の緒が切れていない感じ。ナンにしても、拾って貰うには、ほとぼりが冷めるのを待たなければならないとは、何だかつらい。ほとぼりが冷めるのを待つ間、保険付のアルバイトが見つかればいいと思っていたが、なかなかない。

 わたしが作家になって稼げるようになれれば一番よいのだが、現時点ではこれは白昼夢に近い。

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橋本可名子先生レシピ「鶏団子と大豆のスープ」

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 鶏団子のスープは以前から寒くなってくるとよく作っていましたが、橋本可名子先生のレシピ『鶏団子と大豆のスープ』は手軽にできるだけでなく、スープのお味がとってもグー! 大豆が入っているというのも、何となく新鮮に感じました。

 橋本可名子著「スープレシピ」(グラフ社、2006年)からご紹介します。

[材料・2人分]

  • 鶏ひき肉……100g
    A[長ねぎのみじん切り……5cm分
        しょうがの絞り汁……小さじ1
       水……小さじ1]
  • 大豆(水煮缶詰)……1/3缶(65g)
  • 水……400ml
  • 鶏ガラスープの素……小さじ1
  • オイスターソース……小さじ1
  • しょうゆ・ごま油

[作り方]

  1. ボールにひき肉、Aを入れ、手でよく練り混ぜます。
  2. 鍋に分量の水を沸騰させ、スープの素を加えて溶かし、1.をスプーン2本で一口大に丸めて落とし入れます。
  3. 鶏団子に火が通ったら大豆を加え、オイスターソース、しょうゆ、ごま油で調味します。

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なかなか疲れがとれず……

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台風の影響が四国、和歌山、奈良などでかなり出ているようですが、その地域にお住まいの方々は大丈夫だったでしょうか?

もう何年も前になるのに、台風は未だにトラウマです。あのときは風が人格を持っているとしか思えないほど生々しい恐怖を覚えました。

小説にすることでいくらかトラウマも和らいだような、逆に記憶に焼き付けてしまったような……。

昨日は、新しい児童文学作品にとりかかる前に先月末に仕上げた純文学の短編小説を再度チェックしてから保存をするなど、後処理に追われました。

賞に恵まれない人間の宿命といいますか(賞が求めていない作風で応募するのですから、自業自得との自覚はあります)、書き直して別の賞に――と考えざるを得ず、そのための準備もあります。

こんな無意味な繰り返しにホトホト嫌気がさし、賞狙いを止めたはずでしたが、お金がないと営業するのも大変なので、万に一つを狙ってといいましょうか。

同じように書いても、雑誌に掲載されたり、お金になったり、本になったりすると励みになるでしょうが、募るのは徒労感ばかり。

書いているときだけが悦びで、それこそ何物にも代え難いということはわかっているのですが、年とってくると、芸術家としての物書きに生きようとするのはだんだんつらくなりますね。

こんな浮かない気分は大抵疲れから来ているのでしょう。半年くらい経たないと、体に根を張った疲れはとれない気がします。

しかし、そうもいっていられないので、10日には執筆に入れるよう、準備万端整えなくてはなりません。

今日はタイトル、主人公と(作品に登場する神話を故郷とする)動物の名前、主人公の年齢や家庭環境、動物のことなど、あれこれ考え、過日のストーリーのメモを含めると、整理できていないメモが相当溜まってしまいました。

明日はそのメモの整理から始動ですわ。

写真は一昨年の夕飯です。昨日は疲労感が抜けないので、夕飯作りを休み、弁当を買ってきて貰いました。

旬のカツオのたたき、鶏団子と大豆のスープ、きゅうりのナムル(写真がはっきりしませんが、赤いものは七味唐辛子です)。

橋本可名子先生のレシピ『鶏団子と大豆のスープ』は抜群の美味しさでした。涼しさが増し、寒くなっていくにつれ、活躍してくれそうなレシピですので、記事を改めてご紹介したいと思っています。
レシピはこちらhttp://elder.tea-nifty.com/blog/2011/09/post-90e2.html  

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2011年9月 2日 (金)

新しい児童文学作品Pのことなど。メッセージ。

新しい児童文学作品P(まだタイトルがありませんし、賞応募の可能性もあるので、具体的なことは控えさせていただきます)のことを考えるとわくわくし、早く書き出したいと気持ちが逸りますけれど、やはり、プロットや資料などの準備が整わないうちは書けません。

細部はあれこれ考えています。

とりあえず、睡眠不足のあまり眠いのに眠れないという不眠症になりかけていてヤバいと思いますので(頭痛とめまい)、しばらくは規則正しく寝るようにしたいと思っています。執筆に入ると、また崩れるでしょうね。

半月ほどハードな日々でしたが、心臓にあまり負担が来なかったのは定年後の浪人中である夫が皿洗い、昼食の準備を担当してくれているお陰だったでしょう。

頻脈がベースにあるわたしの心臓にとって、家事くらいでも結構ハードに感じるので、サポートがあるかどうかで全然違います。そういう意味では本当にありがたかったです。

ただ最後辺りではまた足などが変に腫れて、嫌になりました。今はすっきりとなっているので、かなり腫れていたことがわかります。

長編の児童文学作品『不思議な接着剤』の取材を兼ねて、娘、息子と行く予定だったヨーロッパ旅行ができなくなったのは残念ですが、その代わりに異色の神秘主義テイストの短編(舞台劇風な造りではなく、別の造りの形式的にもちょっと変わった短編になりました)が完成し、新しい中編の児童文学作品も誕生しようとしています。

小説は書き慣れているので、割合すぐに案が浮かぶのですが、児童文学作品ではそのコツが掴めませんでした。

でも、今回掴めた気がしました。これは物書きにとっては自信を与えてくれる大きな要素です。要は沢山書くことが大事だという気がします。書けば書くほど、アイディアもインスピレーションも生まれやすいのではないでしょうか。

それに、卑弥呼やマグダラのマリアをきっかけに歴史に関心を持つようになり、あれこれ調べ出したことはよかったとつくづく思います。ジャンルを超えて、作品の世界を広げてくれますから。

明日くらいまでは一応休養をとることにして(資料となる本を少し借りてきたので、休養は今日までになりそうな気もします)、明後日からプロットなど、下準備に入り、遅くとも10日には執筆に入りたいと思っています。

ずっと創作関連の記事ばかりですね。でも、映画、音楽、政治、料理の記事など、あれこれ書くことが書く世界を豊かにしてくれると実感していますので、息抜き代わりにでも以前のような記事も書きたいと考えています。これからも、当『マダムNの覚書』はじめわたしのサイトたちをどうぞよろしくお願い致します。

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2011年9月 1日 (木)

中編の児童文学作品のストーリーできる

中編の児童文学作品のストーリーできる

実は昨日また、稲妻に照らされたように、新しい児童文学の作品の全貌が見えました。

そのインスピレーションが繰り返しあらわれ(まあ自分が繰り返し空想しているのでしょうが、すばらしい高揚感を伴うので、ミューズからの預かり物と考えています。それを放置はできません)、それを書き取りました。

まだ興奮状態。2ヶ月かけてモノにしたいのですが、よいものに仕上げることが一番の目標です。

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作品が完成する前の一波乱。残酷さが目立った『ハリー・ポッター』。

 昨日、31日の午前中に短編小説が完成しました。

 実は一昨日の30日、最後の最後になって小説が行き詰まり、朝、めったにないことですが、夫に八つ当たりしてしまいました。創作がうまく行っているときは、よくも悪くも楽天的になり、無敵という気分になるのですが、順調でないと、マイナス思考が強まります。

 お金にも何にもならない創作なんかやっていることに猛烈な嫌悪感が湧き、さっさと再就職しない夫にも怒りが湧き、いわずもがなのことをいってしまったわけです。 

 夫は怒り、プイッと出て行ってしまいました。無理もありません。夫は冷静にやっているほうだと思います。口約束だけというのが不安な(そうならざるをえない事情があります)、しかし実現すれば、夫のキャリアが生かせる現状ではベストと思える再就職口。それがはっきりするのは11月。

 12月までの浪人というのはわが家の家計にはちょっと厳しいものがあるので(それだけ少ない貯金が減っていく)、フルタイムの保険付アルバイトを見つけて……という算段でしたが、定年後となると、これすらなかなかないのですね。

 夫は怠りなく求人情報などチェックしながら、空き時間を生かして職業訓練校に行く予定でいます(テストに通ればですが)。そして、皿洗いと昼食の支度、買い物なども引き受けてくれ、規則正しくやっています。それなのに、八つ当たりしてしまって。

 結局わたしは、自分のことが一番心配なのだと思います。いざとなったらわたしも外へ働きに出ればよく、健康上の不安はあるにしても、出られないこともないと思っているのですが、そうなると、これまで毎日書いたり読んだり思考したりして保ってきた創作能力をドブに捨てることになるのではないかという不安でいっぱいになってしまうのです。

 若いとき、働きながらでも書いていましたから、書けないこともないとは思いますが、病身になってしまった今では体力的にひじょうに厳しいものがあるでしょう。夫は書店に出かけただけでしたが、わたしは自身を追い詰め、それがピークに達し……おやおや、不思議。

 わたしはそのとき、小説の行き詰まりを解消するのに一番ふさわしい状態を期せずして招いていたようです。なぜなら、主人公がそんな追い詰められた悲痛な心理状態にあったからなのです。

 八つ当たりはよくないことでしたが、お蔭でわたしは完璧に主人公の惨めな気持ちと一体になることができ、小説が流れ出して、めでたく完成しました。しばらくして夫が帰ってきたので、わたしは謝り、小説の話をしました。それからずっとほとんど寝ずに校正をし、昨日のお昼頃にある賞の応募先に作品を持って行きました。郵送では間に合わなかったので。

 作品は、ミューズからインスピレーションをいただいたとあって、自分ではかなりよいものに仕上がったと思っています。こんな作品はこれまで書かれたことがないと思うので、稀少価値があるでしょう。

 ただこれで賞がとれるかというと、難しいでしょうね。予選に引っかかることすら(よくも悪くも全く大衆向きではありませんから)。当ブログで公開中の『侵入者』という作品は大衆向きに書いたつもりでしたが、それすら賞には全くひっかかりませんでした。その後、同人雑誌に発表したところ、『文学界』の同人雑誌評欄で今月のベスト5に選ばれました。

 一応、落ちたときには書き直して(長くするか短くするかで迷いがあります)、別の賞へと考えています。ただ、神秘主義的な作風で重厚さがあり、また、お洒落な作品でもあるので、賞には恵まれないとしても、将来何らかのかたちで世に出る可能性はあるでしょう(希望的観測)。めったに書けないタイプの作品ですので、大事にしたいと考えています。

 窮地に陥ったときに書かせてくれるのがミューズです。今回、再認識しました。

 9~10月で、中編の児童文学作品を書く計画を立て始めました。長編になる『不思議な接着剤』とは別の作品です。ふっと、ある場面が浮かび、書きたくてたまらなくなったのです。それは神話に出てくる動物を素材としたものですが、その前に考えていた歴史を素材とした案がふたつあり、どれも面白く書けそうなので、迷います。

 昨日はわたしの作品を提出したあと、夫はハローワークに用事があり(失業保険を受けるには、4週間ごとにハローワークに行かなくてはなりません)、そのあと休日の娘も加え、家族で『ハリー・ポッター』を観に行きました。

 おっと思う場面はありましたが、全体に残酷で、魔法ならではの夢がありませんでした。イギリスは偉大な児童文学大国(?)で、魔法物、妖精物の宝庫ですが、ボストン『グリーン・ノウの魔女』、マクドナルド『黄金の鍵』『かるいお姫さま』、ホールデン『魔法つかいのリーキーさん』、トラヴァース『メリー・ポピンズ』、ノートン『空とぶベッド』、ファージョン『銀のシギ』、ロフティング『ささやき貝の秘密』などを思い浮かべ、『ポッター』はそうした伝統を汚しているとさえ思えます。

 『ポッター』では、普通の武器があれば解決(?)しそうな場面ばかり。ストーリー自体、悪魔的人物の分霊が主人公に入り込み、主人公が犠牲になって世を救うといった話は、既に存在したパターン。なぜか(よみがえりの石のお蔭か?)ポッターは助かりましたけれどね。

 映画の後、つい指を棒代わりに、「火炎放射器! あっ、線香花火になっちゃった」なんて悪ふざけしたくなりましたが。 

 予告で観た『三銃士』はちょっと面白そう。倹約が必要なわが家ですが、たまには映画にくらい行きたいと思っています。

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