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2011年8月 2日 (火)

百合と伊万里焼の花瓶 二句(自作句)/創作について

百合を得て藍の深さや伊万里焼

きこえねどきこえてきけり百合の歌

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

創作について。

 百合は、夫が送別会でいただいた花束にあったものです。百合を見ると、俳句か詩のどちらかを作りたくなります。その百合を、昔いただいた伊万里焼の花瓶に活けて眺めていられる幸福。 

 気の小さなわたしはこのところ将来の不安でいっぱいです。こんなときほど、ものの美が魂に染み通ってくる、この世というところの不思議さ。一句を得ようと無我夢中になり、そこには一種狂気じみた楽しさも芽生えます。

 そして、句の出来栄えはどうであれ(我流俳句ですから、不出来も愛嬌のうちですわ)、ともかくも一句仕上げると、すっと心が落ち着きます。

 作句には精神安定剤の効果があると思うのです。それは、この俳句という文芸行為のうちに、わが国固有の伝統的な哲学構造が織り込まれているからではないでしょうか。先人の知恵に、動揺しやすいわたしの魂がしかとつなぎとめられる思いがします。

 特に闘病なさっている方々に、俳句はおすすめです。必ずや、病床に品格を添えてくれることでしょう。ただし、当世風、コピー紛いの野放図な作りかたでは、先人の知恵に助けられることもかないません。下手でも、間違っていても、俳句の技法や文法を説いた本を見ながら作るほうがよいと思います。などと、我流俳句のわたしが偉そうにいえることではないのですけれど。

 伊万里焼といえば、伊万里焼の小説を書きたいと思い、鍋島藩秘窯の里大川内山に娘と取材にいったのはいつだったか。

 やきもののことを知りもしないのに、どうしても書かねばならない気持ちに駆られてそうしたのですが、その後、ひょんなことから母方の祖母の家系のことが少しわかって、おぼろげに、やまとのあやが浮かび上がってきたり(傍系も傍系でしょうが)、祖母が鍋島藩の家臣の家に生まれたことなどもわかりました〔これについては2009年3月26日2009年12月7日2009年4月22日の記事を参照〕。鍋島藩つながりで、伊万里焼のことを書かねばならないのでしょうか。もしかしたら、ある種の贖罪?

 祖母は末っ子の母が未成年の頃に亡くなっていますから、わたしは全く知らないのですが、親戚の集まりでは祖母は一種崇められていました。肉体においては姿勢の正しさを(子供たちが読み書きする背中と服の間に、祖母は物差しを突っ込んだとか)、精神のありかたにおいては無私の境地、絶対的な清らかさを目指していたようです。また子供たちを男女平等に扱ったそうで、わたしには意外でした。

 わたしが賞狙いに抵抗があるのは、この祖母から来たものなのかもしれません。また男女平等に対する拘りも。とはいえ、わたしは根っからの庶民ですから、この祖母の理想に生ききるには無理があります。

 卑弥呼についてもぜひ書かねばならないという気持ちに駆られ、エッセーを一つ書きました。いずれは歴史小説を、と思っています(昔ファンタジー風の『あけぼの―邪馬台国物語―』というのを書きかけました)。これは、やまとのあや……つながりでしょうか。だとしたら、これも、ある種の贖罪?

 伊万里焼の小説を書くにはかなりの勉強が必要であり、卑弥呼について書くには、丹念な取材が必要です。

 今の金銭状態、健康状態を思うと、生きているうちには無理かしらね、とも思いますが、100歳まで生きられれば、あと半世紀近くありますから、何とかなるかもしれません。とにかくこの二つの小説については、この世を見守ってくれている集団意識の一つが書いてほしいと願っているように思えてなりません。

 児童文学作品『不思議な接着剤』においては大きすぎるテーマに取り組みました〔Notes〕が、これもまた別の方面から書くことを促されているような気がしています。そして、自分でも書かねば、というより、書きたい、という強烈な思いがあるので、これだけは仕上げなくては死ねません。

 上に書いたまだ構想段階の二つの小説と、3分の1ほど仕上がっている『不思議な接着剤』については長期計画で進めざるをえません。とりあえずは、書きたい衝動が高まって書き出した、例の舞台劇風神秘主義小説を仕上げたいと思っています。

 俳句について書くつもりが、創作ノートになってしまいました。

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