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2011年8月 9日 (火)

一見さん?/原民喜『夏の花』

数日前から娘が風邪で、昨日は休んだ。

娘は小学校6年のときから橋本病で、この街に引っ越してきてからは日本の甲状腺治療の草分けとして有名な野口病院(次に有名なのは東京の伊藤病院)のある別府市に半年に一度通っているが、いわゆるホームドクターを持っていない。

ホームドクターにするつもりで受診しても、もう一つという感じで、まだ見つかっていない。

娘は、わたしが通っている循環器クリニックは一度行って気に入った風だが、心臓が専門だし、名のある先生なので、混む。

しかし、標傍科には内科もあり、現に風邪の季節にはちらほらそれらしい患者さんも見かけるので、昨日はそこへ行くことにした。インフルではなさそうで、食欲もあるが、念のために診て貰うことにしたのだった。

ところが、娘は診察券がないという。「捨てたんじゃないでしょうね?」とわたし。

小学生の頃の話だが、ある日、子供たちに自室の大掃除を言いつけたわたしは、要らない本は捨てるようにいった。すると、娘は真っ先に習い終えたばかりの教科書を捨てようとしたので、慌てたことがあったのだ(正直いって、わたしはこの子が後に市立大学などに行けるとは思わなかった)。

娘は捨てたりなんかしていない、貰わなかった気がするという。「そんなこと、ないんじゃない?」とわたしはいった。前に行ったのはいつだったろう、と考えたけれど、思い出せなかった。

案の定、クリニックは混んでいた様子。先生は今回もわたしの娘であることにお気づきにならなかったとか。「大分の人?」といわれたそうだ。

娘は混んでいたにも拘わらず、クリニックは今回も気に入った様子。が、「診察券はなかったよ」という。そんなはずはない。わたしは持っている。

3年前に嘔吐下痢症で受診した記録のあるカルテはあったそうで、診察券がなくても娘は何の支障もなく受診を終え、風邪薬を貰って帰宅している。

「一見さんには、診察券を作らないんじゃない?」と娘。一見さん……小料理屋じゃあるまいし。通院が確定した患者にのみ、診察券を作ることになっているのだろうか? 腑に落ちなかった。

話題は変わり、夫の定年メモ。昨日、国民年金課でわたしの種別変更を済ませた。退職金にかんしては会社委託のところの確定拠出年金を選択することに。

夫は昨日も黙々と数学のノルマをこなして、わたしを感心させた。皿洗いをして貰うだけで(それも快く!)、わたしは体の疲れかたがずいぶん違う。

今日はわたしは午後3時から、泌尿器科で副甲状腺と腎結石を観察するための造影CT検査。うっかりお昼食べないようにしなくちゃ。循環器クリニックにも木曜日には行かなくては(金曜日の午後から盆休診だわ!)。

何となく慌ただしくて、したいことに思うような時間がとれないが、終戦記念日までには、戦争文学の佳品が集められたポプラ社「百年文庫86 灼」を紹介したい。

これにはヴィーヒェルト『母』、キプリング『メアリ・ポストゲイト』、原民喜の原爆体験を描いた名作『夏の花』が収録されている。

こうした作品に接すると、改めて作家の果たしてきた社会的役割の大きさを思う。原民喜の中ではゆたかな教養、幻想性、画家のような事物の観察眼が渾然一体となっている。

原民喜の他の作品も読んだが、何といっても『夏の花』が傑出している。

フランクルのドイツ強制収容所の体験記録『夜と霧』と原民喜『夏の花』は、ミューズが零した二粒の尊い涙だろう。

戦争の悲惨を描いただけのものではないのだ。読んでいただかなければ、そのすばらしさはわからない。

上に挙げた作品は、高校生の読書感想文にはぴったりだと思う。おすすめしたい。

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