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2011年6月の33件の記事

2011年6月30日 (木)

マックで

循環器クリニックに行ったら、先生は学会のため金曜日まで休診……との貼り紙が。

注意書きを貰っていたのに違いないが、確認しなかった。午前中は多いので、わざと遅く出てきたのに、暑いだけだった。

娘が休みなので、お昼にMac買おうと思い、待っているところ。

ではでは。

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C'est une catastrophe! こんなときにミューズが……

 一昨日、凹む出来事があった。

 来月まで勤務して定年退職する夫の継続雇用が認められなかったのだ。その危惧は充分にあったのだが、夫は大変楽観視していた。早々と大きな買い物をしたくらいに。

 わたしもそれにつられていた。というより、継続雇用無しとなると、再就職は困難を極めるだろうと予想されるため、そうでなかったときのことなど、考えたくなかったのだ。

 夫がいうには、昨年の夏から継続雇用無しのケースが目立っていたという。経営状態が悪いとも思えないから、たぶん、トップが替わったための経営方針の違いによるものと思われる。

 規模が大きくなり、上場し、叩き上げタイプの社長からエリートタイプの社長に替わって、企業として成長すればするほど、会社は、村上春樹の不出来なカタルーニャ・スピーチではないが、『効率』を追求する非人間的な組織となっていった。

 今後どうするかについては、夫婦でいろいろ考えた。まあ少なくとも、海外旅行は当面凍結である。

 わたしとしては、夫に協力しながら、しばらくは事態の推移を見守る……といったところだろうか。もう少し若く、これほど健康状態が不安定でなければ、わたしも働きたいところだが、ちょっと無理だ。

 海外旅行の凍結は、デジャヴであるだけに(?)悔しい。あのときはインドへ行こうとしていた。あのときも、創作がのっているときで、インドに行きたい理由があった。

 夫は前年、自由参加のアメリカ研修旅行に加わったことから、気をよくしてわたしにも海外旅行を勧めてくれたのだった。が、あるハプニングから行けなくなった。今回も、いくらか似た事情がある。

 そして、不思議なのは、前回インドに行けなかったショックがわたしの創作活動を本格化させて(旧)「関西文学」などとの出合いがあったのだが、今回も創作の新しい朝を迎えたかのような清新な気がついさっき、唐突に流れ込んできたのだった。

 具体的にいえば、構想ができかけた段階で放置していた神秘主義風の短編が、まるで稲妻に照らされたかのように全貌を見せた。ミューズが下り賜うたのだ。

 やっぱり、あれはもう、あそこにすっかり出来上がっていたのだ。

 ワーグナーが、現実には会いたくても会えなかったからこそベートーベンのことがあれほどの克明さで描けたように、わたしも今回行きたくても行けないからこそ、書けそうだ。海外に行きたくても行けない小世界に生きる主人公の気持ちとわたしの気持ちが一致したため。

 芸術の世界は、睡眠中の夢に似て、さかさまに映し出される世界ともいえる。不運や不幸な出来事がトリックスターとなる。わたしの短編では、死がトリックスターとなる。死者と生者が登場する舞台劇風の作品。

 現時点では、先の不安よりも、短編を仕上げたい幸せな想いでいっぱい。Notes:不思議な接着剤で追究してきたテーマも入ることになるだろう。賞に応募するかもしれないから、これ以上のことは書けない。

 アレクサンドリア木星王さんは、わたしの運は児童文学で拓けるが、純文学でも純粋な取り組みを続けるだろうとおっしゃった。本当に今は、短編をミューズに捧げたい思いがあるだけ。

 もう一人の、霞を食べて生きているわけではないわたしとしては、これが賞を通ればありがたいが、その期待は殆どない。神秘主義色の濃厚なわたしの作品が賞を通過するはずはない(三枝和子先生が生きていらっしゃれば、わたしの今度の作品も気に入ってくださるかもしれない)のだが、賞が作品の完成度を高めてくれることは確かだ。その後の痛みのことは、考えまい。

 短編を仕上げたら、また児童文学作品『不思議な接着剤』に戻ろう。しかし、ヨーロッパに行かずに仕上げるのはつらい。これはシリーズ物とする予定だから、第2巻を先に書くのもいいかもしれない。いずれにしても、ヒロインのモデルであるマグダラのマリアについては研究を続ける予定。

 インドが駄目になったときとは違って、ヨーロッパ旅行の計画は必然性があると感じられるので、いずれ行けるはずだと思うし、何としても行かなくてはならない。だから、無理をしないようにしながらウォーキングを続け、再開したフランス語の学習も(娘はイタリア語)続けたい。

 7、8年くらい前に集中的にフランス語を学習した時期があって、仏検の受験票まで取り寄せながら、台風被害、2度の引っ越し、「日田文学」(休刊中)参加などで中断したままだったのだ。何と、きれいさっぱり忘れていて、10までもいえなかった。片言がいえるくらいにはなって行きたい。

 イタリア旅行の土産話をしてくださった美容師さんは、ヴェネツィアの空の綺麗さに魅了されたといっていらした。こちらの空とは全く異なる空だそう。足元に目を落とせば、ゴミだらけだったそうだが。ミラノは都会。お城のゴージャスさと貧民街の凄まじさに驚かされたとおっしゃったのは、どこだったっけ?

 うーん、イタリアの脱原発は、日本とは国柄が違いすぎて、あまり参考にならない気がする。

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2011年6月27日 (月)

ドラマ「JIN ―仁―」完結編、ついに最終話!

 村上もとかのコミックのパラレルワールドともいえる、ドラマ「JIN ―仁―」が終わった。

 アクセス解析を見ると、「JIN ―仁―」の検索ワードでお見えになるかたが増えてきていた。感想を書きたいと思いながらも、外出や家事やうっかりで、なかなかちゃんと観ることができなかった。

 ということもあるし、毎回ドラマで「神の計画は」というキリスト教史観から出てくる――という意識は脚本家にはないのかもしれないが――言葉が繰り返され、そのことに神秘主義テイストのわたしは鼻白んでしまった……ということがあったのかもしれない。

 それが最終回になると、「パラレルワールド」という言葉が出てきて、一気にSFめくといおうか、科学めくといおうか、それに伴い、仁も江戸に行った仁、江戸から帰ってきた仁、そのどちらでもありどちらでもない仁……と混乱を極めながら、皆――仁、咲、赤ん坊の安寿まで――が「白い巨塔」化したかの如く、天に手を差し伸べたりした揚句、脚本家の懸命な辻褄合わせを感じさせて終わった。

 村上もとかの原作に比べてまとまりが悪いように思えたし、ワタクシ的には一抹の寂しさを感じさせられるドラマの終わりかただった。原作では、江戸時代にタイムスリップした仁の生きた痕跡が歴史として残る。しかし、ドラマでは、江戸時代に仁が及ぼした影響は残るのだが、そこで彼が生きた痕跡は跡形もなく消えてしまうという設定になっていた。

 ドラマでは、江戸時代の仁がなした医学的貢献は仁友堂のメンバーの手柄となっていた。ペニシリンは歴史通りフレミングによって発見される一方、仁友堂のメンバーによって土着的に開発されてもいた。そして、後に内科には東洋内科という科ができたりしている。

 また、仁が最も信頼した有能な助手の咲は、仁友堂の正式な一員とはならなかったようだ。日本初の女医でありながら、橘医院という小さなクリニックの助産婦、小児科医として慎ましい人生を終えたあたり、何んとなく研究中のマグダラのマリアを連想してしまった。

 咲はさらに、野風の遺児である安寿を引き取って育てていた。その子孫が橘未来で、野風及び友永未来にそっくりだ。彼女は医学史を研究している。その橘未来の手術を仁が――友永未来のときとは違い、今度は自信に満ちて――手がける場面でドラマは幕が下りた。

 江戸時代に生きる咲の記憶に仁の面影は残っていないのだが、咲は仁の残り香を忘れず、現代社会にタイムスリップして帰ってしまった仁に宛てて手紙を書く。咲の清廉な哀愁を帯びた表情は、祈りにも似た純度の高い恋情を物語っており、すばらしい一場面となっていた。

 原作より多感で軟弱な南方仁(大沢たかお) も、隠れダンディーの坂本龍馬(内野聖陽)も、凛として婀娜な野風[友永未来、橘未来](中谷美紀) もよかったが、橘咲を演じた綾瀬はるかの可憐さ、健気さには、毎回心を打たれた。何歳なのだろうと思い、ウィキペディアで調べてみると、息子と同じ1985年3月生まれとあった。 

 胎児のかたちをした腫瘍や龍馬の影響については、原作でもドラマでも一応の医学的な説明がなされていたけれど、あれはどう考えたって、オカルト現象――憑依だろう。憑依霊というより、守護霊の部類だろうが。

 原作では、仁と咲はめでたく結ばれている。子供はなさなかったが、明治の世になって医学の発展に尽くし、夫婦で大病院『仁友堂』を創立した。江戸時代から戻った仁はそこで治療を受けたのだった。

 回復した仁は、「わしらあは……同じ船にのっちょるがじゃき」という龍馬に応え、「そういうことか龍馬さん…この体…この脳が我々の船。ならば…帆を上げよう…このわたしを必要としてくれる人が住む国へ」と決意する。

 仁は国際機関の要請に応え、アジア・アフリカの医療過疎地へ医師として派遣された。GM(総合医療)を目指す仁は訪れた国々で江戸時代の経験を生かし、それらの国々で江戸時代の人たちの底抜けの笑顔と同じ笑顔に出会う。

 10年後、仁はパリ大学医学部のGMドクターと面会する。そのドクターこそ、海外に渡った野風の子孫だった。

 ストーリーの比較からいえば、わたしは原作のほうが馥郁としてスケールが大きいように感じられて好きだ。ドラマの魅力は俳優たちの個性と演技力に負うところが大きいように思う。

 それにしても、村上もとかの「龍―RON―」にしても、この「JIN ―仁―」にしても、なぜか本妻的な女性と妾的な女性が出てきて、主人公は両手に華だ。

 実は、わたしには前世の記憶が(彼の世の質感に関する記憶を交えて)一つだけごく断片的にあり(これは当然新しくなった脳の記憶ではない)、それによると、前世のわたしは修行者として高齢で死んだ精悍な男だった。が、今生では女だからか、両手に華で嬉しいというような心理は今はわかるようでわからない。わたしは一つの華だけでいい。

 ただ、わたしは外見上も生活上も男性的といわれたことはないにも拘らず(自分でいうのもナンだが、若い頃は可愛いといわれたほう)、書くものでは男性的といわれることが多い。書くときは前世の自分が顔を出す気がしている。

 こんなことを書くと、初めてご訪問になったかたは「とんでもないブログに来てしまった」と驚かれるだろう。まあ常連のかたがたは「また始まった」とお見逃しくださると思うが。この「「JIN ―仁―」のようなドラマを観ると、わたしはせつないのだ。多くのかたがたが置いてきた記憶の欠片をこの世に持ってきてしまったばかりに、仁の苦悩が身につまされて。

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2011年6月25日 (土)

復興担当相に、国会で「彼らが……彼らが」と連発していたあの松本龍環境相兼防災担当相が横滑り……(絶句)

 菅首相は、新設する復興担当相に松本龍環境相兼防災担当相の横滑りを決めたという。週明けの27日に正式任命するとか。

 無能ぶりが取り沙汰されている松本龍環境相兼防災担当相。存在感がなかったので、どんな政治家であるか、わたしは全く知らなかった。

 しかし、いつだったか、最近の国会中継をテレビ視聴していたとき、この顔は二度と忘れないだろうと思ったことがあったので、以来嫌でも注目してしまう。

 あまりの言い種にぽかんとしてしまって、メモを取り損なってしまったため、間違って記憶しているかもしれないが、あの顔と、「彼らが……彼らが……」を連発していた口ぶりは忘れようにも忘れられない。

 野党に、被災地の復興があまりにも遅れている点を追及されていたときだった。

 松本環境相兼防災担当相は、地方自治体の職員は日頃している仕事の上に復興に関する仕事が加わったので手が回り兼ねる状態にあるといった。
「しかし彼らには、新しく加わった仕事をするための人にしてもパソコンにしても、何がどれだけ足りないか、また何をしなければならないかがわかっているはず」というような意味のことを宣った。

 だから、彼らが何とかするだろうと松本龍環境相兼防災担当相は思っていたという。ところが5月になってもそうならないので、仕方なく彼、松本龍環境相兼防災担当相が動いたのだそうだ。

 松本龍環境相兼防災担当相自身の指導力のなさが問われている場で、「彼らが」を連発し、「彼ら」に責任を転嫁している環境相兼防災担当相の子供じみた表情はあまりにも印象的だった。

 その彼が、復興のかなめとなる復興担当相に任命されるというのだから、これはもうお話にならない。菅首相が如何に外れた人物であろうと、ブレーンに優秀な人材が揃っていれば、ここまでの事態にはならなかっただろう。

 それが、環境相兼防災担当相という要職に就けられたにも拘らず、何の仕事をしているのかわからない、いってしまえば、復興の遅れの原因とすらなっている人物を横滑りで復興担当相にしようというのだから、菅首相は何を考えているのか理解に苦しむし、被災地の復興にとってはいよいよ深刻な事態になったといえよう。

 存在感がないと書いたが、松本龍氏は部落解放の父と呼ばれた松本治一郎の養孫で、実家は養祖父の代からのゼネコン・松本組であり、自身も顧問を務めるそうだから、その背景はびびるぐらいに存在感がありはする。 

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25日のウォーキング。ささやかな節電対策。14時30分。

歩行履歴 3387歩
歩行距離 2.5㎞
消費カロリー 86kcal
脂肪燃焼量 6g
いきいき歩数 2750歩
いきいき歩行 24分
活動量 1.7EX
いきいき活動量 1.3EX

今日はぐっと控えめなウォーキング。だいたい昨日の半分くらいでしたが、暑さや病身であることを考えると、これくらいが適度である気がします。

家族が帰宅してからの夜は、暑ければクーラーを入れていますが、日中ひとりのときは基本的に入れません。

屋内にいても、高温多湿の日は熱中症の危険があるようですので、そうした危険を防ぐ解説のあるサイトで勉強しました。

家族からも、節電しても熱中症になっては何にもならないから気をつけるようにといわれました。

昨日は、部屋にいても汗がひっきりなしに滴るほどの蒸し暑さでした。埼玉でしたか、40度近いところがありましたね! 昔の感覚からすると、そんな話はアラブなんかの出来事みたいで……。ここは昨日、35.3度だったみたいです。

家の中は今日、昨日ほどではありません。尤も、暑さのピークはこれから午後の3時くらいまででしょうが。

ただ、喉はしきりに渇きます。こんなに渇く時点で、軽い脱水症と考えるべきだそうで……。屋内にいても、こまめな水分補給が大事だそう。水やポカリスエットばかり飲むのはよくなく、味噌汁やスープなんかを飲むといいそうです。

明日はウォーキングはお休みして、マイ水筒がほしいという娘と節電グッズを見に行く予定です。

うちでは、夜間の節電対策として使い出した、コンセントに差し込んで使うタイプの小さなLED常夜灯が活躍中。

先日、寝具売り場にひんやり感のある掛け布団や保冷剤を入れて使う枕カバーなど、いろいろと涼しげなグッズがあるのを見ましたが、そんなものも明日ゆっくり見てきたいと考えています。

○14時30分

 上記部分まで携帯で書いたあと、ひとまず記事を投稿しました。そのあとから、気温が上昇してきたようで、暑くなり出し、もう暑さに耐えているだけという感じの過ごしかたとなって、風の通りのよいベランダに面した部屋でポプラ社「百年文庫33 月」を読みながら、いつしか寝ていました。

 目覚めたとき、ベランダから網戸を通して温風がしきりに体全体に吹きつけていました。顔面に風があたった瞬間、汗が吹き出ます。不思議と体からは汗が出ていませんでした。胸が重く、軽い吐き気がしました。寝ている間は水分をとっていませんから、そのせいかもしれないと思いました。胸が重いのも、寝ていたためにお昼の薬を飲んでいないせいだろうと思いました。

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 水分補給をし、食欲は全くありませんでしたが、昨日の夕飯の残りのドライカレーを無理にでも食べ(写真は昨日の夕飯)、薬を飲みました。汗が全身から出てきましたが、しばらくしたら胸の重さはなくなりました。そうこうするうちに空が雲って、風が温風ではなくなりました。涼しい風とまではいきませんが、あってもいいかなというぐらいの風。温風のときは、むしろ風が危険だと感じました。

 現在、部屋の温度計を見ると、33.5度。食中毒注意域。湿度は50%で快適湿度域です。昨日の部屋の湿度はどれくらいだったのかしらね? 昨日は風が入りませんでしたから、今日のほうが過ごしやすいことは確かでしょう。

 気分が悪いままだったらクーラーをつけるつもりでしたが、夜まで何とかいけそうです。こう暑いと、料理が苦業ですわね。厚いタオルでしきりに顔を拭きながらの料理。家にいて、こんなに汗が出るなんて……まだ6月なのに。

 写真は、石窯レシピにあった「ぶりと野菜の焼き浸し」。鍋にめんつゆと赤唐辛子を入れて煮立ったら火をとめ、薄切りにしたレモンを。その中に、焼いたぶりと野菜を入れ、10分。このレシピ、応用が利きますね。肉やべつの野菜でもいけます。

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 家族と一緒の夜はクーラーをつけることが多いので、それで救われている感じです。一日中これでは、たぶんわたしの心臓はいかれるでしょう。危ないと思ったら、いつでもクーラーを入れられる今のうちだからこそ、暑さにも耐えられますが、万一計画停電ということにでもなれば、仮に心臓の具合が悪くてもクーラーを入れられなくなりますから、そうなるとつらいな。

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25日の中間点。

25日の中間点。

ネットで調べて、わたしなりの熱中症対策をほどこしての、今日は特に軽めをこころがけてのウォーキングです。

ネットに、βブロッカーを使っている患者は高温多湿の場所での作業はしてはいけないとありました。

湿気の強い日は出ないようにします。家事で出るのが遅れがちなので、そこそこにして、これからはもっと早く出ることにします。

出る前にコップ1杯の水を飲みました。帽子、長袖は蒸れるので、熱中症になりやすいそうですよ。紫外線対策の指先がない、長い手袋はやめ、短い手袋にしました。帽子もやめ、日傘。

黒い服は体温を上昇させるので、危険だとか。わたしのウォーキングウェアは、半袖のショッキング・ピンクの上着に、膝下までのグレイのズボンです。

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2011年6月24日 (金)

24日のウォーキング

24日のウォーキング

歩行履歴 6353歩
歩行距離 4.6㎞
消費カロリー 172kcal
脂肪燃焼量 12g
いきいき歩数 5799歩
いきいき歩行 51分
活動量 3.8EX
いきいき活動量 3.3EX


写真は、黄色に撮れていますが、紋白蝶です。

久しぶりのウォーキングだったので、4000歩くらいに留めるつもりでしたが、抑止力(?)になってくれるはずの右足小指の血豆があまり痛くなくなっていたため、ついオーバー。

汗だくになればなるほど、昔のバレー部の練習を思い出し、あれはこんなものではなかったわなどと嬉しくなります。

たかが軽いウォーキングくらいで運動した気になるのもナンですが、嬉しくなるものはなるんです。

また数日すれば、ガクンとくるのでしょうが、アップダウン繰り返しながらでも続けたいのですね(ドクターの許可なしにやっていること、忘れずに)。

さて、今日もノート整理といきましょうか。

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24日の中間点。

24日の中間点。

真夏みたい!

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おはようございます!

蒸し暑さに夏眠しかけた数日でした。暑いと、薬による頻脈の抑えが悪くなるわたしには、省エネも命がけ! 

が昨日、半年かかってフェミニンになっていた髪(まあ単に伸びていただけですが)を美容室で省エネ頭(さっぱりとショート)にして貰い、長時間涼しい美容室で過ごし、たまたま昨日は混んでいず、担当の美容師さんからイタリア旅行の土産話、別の美容師さんからはお友達の旅行話(その女友達はひと月かけてヨーロッパを40万でケチケチ旅行したそうです。わたしはフランスに話題を誘導)を沢山伺い、元気を回復しました。

で、今朝はこれから久しぶりにウォーキング再開です。昨日小指をぶつけて血豆ができ、まだ少し痛いので、無理したくてもできないため、再開日にはよい日と考えました。

無理しすぎず、省エネもウォーキングも頑張るわ! ではでは。

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2011年6月21日 (火)

服部幸應先生レシピ『鶏肉のクリーム煮カレー風味』、「あっさり味のおかず」(主婦の友社)より『シャリシャリじゃがいもとセロリのほたてサラダ』

 最近作った料理の中から、美味しいと思ったメインディッシュ一品、サイドディッシュ一品をご紹介します。

○服部幸應先生レシピ『鶏肉のクリーム煮カレー風味』

 これは、お洒落な味わいです! 短時間で作れるところも魅力ですね。

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 レシピを見ると、ブランデーが使ってありました。うちはブランデーを飲む人間はいないので(普段は夫しか飲みません。大抵ビールか炭酸飲料で割った焼酎。特別な日に家族でワインを飲むくらい) 、なしで済ませようかとも思いましたが、あるとないとではずいぶん違ってくるでしょうから、お菓子作りに使う小瓶のブランデーを買ってきました。

 それで正解でした。ブランデーがふわっと香りました。蒸し煮にしたお肉がとっても柔らか。家族に受けました。女性向きには、型で抜いたご飯を添えてもいいかも。

 「週刊 服部幸應のしあわせクッキング21号」(デアゴスティーニ・ジャパン)から作り方をご紹介します。

[作り方・4人分]

  1. 鶏骨つきもも肉3本は食べやすい大きさに切り、塩、カレー粉各少々を振る。マッシュルーム6個は半分に切る。
  2. フライパンにサラダ油大さじ1を熱して①の鶏肉を入れ、両面に焼き色がついたらマッシュルームを加える。
  3. ②にブランデー大さじ2を振って白ワイン1/2カップを注ぎ、蓋をして蒸し煮にし、鶏肉に火が通ったら生クリーム1カップを加えて煮詰める。味をみて塩、こしょう各少々で味をととのえ、器に盛ってパセリのみじん切り少々を振る。

○「あっさり味のおかず」(主婦の友社)より『シャリシャリじゃがいもとセロリのほたてサラダ』

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 じゃがいも、セロリ、ほたて缶があれば、すぐに出来ます。じゃがいもは、さっとゆでるのがコツのよう。「あっさり味のおかず」(主婦の友社、平成19年)から紹介します。

[材料・2人分]

  • じゃがいも……1個
  • セロリ……太い部分8㎝
  • ほたて缶……180g入り1/3缶

  ▼ドレッシング

  • 酢(米酢)……大さじ1
  • 薄口しょうゆ……大さじ1
  • ごま油……大さじ1/2
  • しょうが汁……少々

[作り方]

  1. じゃがいもは細めの棒状に切り、水にさらす。洗って水けをきり、沸騰した湯でゆでる。透き通ったら湯をきって水にとり、水けをきる。
  2. セロリは筋が強ければとり、4㎝長さで縦に薄切りにする。水にさらして水けをきる。
  3. ほたて缶の缶汁に酢と薄口しょうゆ、ごま油、しょうが汁をあわせ、ほたて貝柱をほぐして加える。①と②を加えてあえる。

○「マギーレシピサイト」より『白いんげん豆のポタージュスープ』

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 白いんげん豆のスープはたまに作りますが、ポタージュにしたのは昨日が初めてでした。これも家族に受けました。実はわたしは昨日あんまり食欲がなくて(最近ウォーキングしていないせいかも)、メインディッシュは味見をしたくらいでしたが、梅雨どきの食欲がないときにこんなスープは嬉しいわ~と思いました。以下のサイト様を参考にさせていただきました。

白いんげん豆のポタージュスープ

調理時間 22分
エネルギー 200kcal
マギーレシピサイトはこちら

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2011年6月20日 (月)

お天気悪く、今日もウォーキング見合わせか?

5時過ぎから、ウォーキングに行きたいと思って窓の外を窺っているが、お天気悪い。

雑事に追われたり、創作に没頭していたり(ノート整理に明け暮れている)、体調がもう一つだったりで、ずっと行けていない。

実は、ここ2日間、軽い吐き気に悩まされている。わたしの場合、吐き気というと、めまいからか肝臓からだが、このところ尿の色が茶色っぽい。

そう胃腸の具合が悪いとも思えないのに、またしても、ヘンにおなかが膨らみがち。肝炎だったとき、そうだった。大丈夫だとは思うが、念のために次回の循環器受診時に血液検査をお願いしたほうがいいかもしれない。

まあ、最近一時期とはいえ、馬鹿に沢山薬を飲んでいたから、大学病院の肝臓の先生の教えに従えば、確認の血液検査は絶対に必要ということになる。

ただ、吐き気があるといっても大したことはないので、ウォーキングに行ってしまおうかと思っていたのだ。まだ窓の外を見ている。

わたしは犬年だからか、本来は散歩、ウォーキング、ジョギングが大好きなのだ。ジョギングは諦めている。

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2011年6月18日 (土)

レビュー 013/響/百年文庫(ポプラ社)

外部リンク⇒百年文庫|ポプラ社
http://www.poplar.co.jp/hyakunen-bunko/index.html

当ブログにおけるカテゴリー⇒Notes:百年文庫(ポプラ社)
http://elder.tea-nifty.com/blog/cat22581490/index.html

  • ポプラ社「百年文庫」が素晴らしいので、読書ノートを作り、気ままにメモしていこうと思います。
  • まだ読んでいない作品については、未読と表示しています。
  • 一々「ネタバレあり」とは書きませんので、ご注意ください。


ヴァーグナー『ベートーヴェンまいり』 virgo

 ヴァーグナーというのは、19世紀ドイツの作曲家、指揮者であるあのリヒャルト・ワーグナーのことだ。ワーグナーが小説や評論まで書いていたとは、つゆ知らなかった!

 『ベートーヴェンまいり』は、パリでの苦難時代に書かれた3部作のうちの1編。
 ワーグナーが書いた小説はこの3部作だけだそうだが、『ベートーヴェンまいり』は小品ながら骨格のしっかりした(長編も書けた人だろう)、描写も生き生きとした、実にレベルの高い作品なのだから、2度驚かされた。作家としても大成しただろうに……と想うと、作曲家ワーグナーを失うことは考えられないにしても、ちょっと惜しい気がする。

  まあ、総合芸術のオペラで有名なワーグナーが文才を兼ね備えていたとて、そう驚くべきことではないかもしれないが、このワーグナーにしても、次に登場するホフマンにしても(ホフマンは司法官が本業で、画家、音楽家、詩人、作家だった)、何て絢爛豪華な才能だろう!

 「中部ドイツの中くらいの町」で生まれた貧乏音楽家である主人公が、ウィーンに暮す憧れのべートーヴェンに徒歩で会いに行く顛末を描いた、ハラハラ、ドキドキさせられる面白い作品だったので、わたしは一気に読み終えた。読後は、心身が浄化されたようなすばらしい余韻に浸った。

 文学作品も芸術作品の一つであるのだから、このような効果をもたらしてこそ、文学の名に値するのだと改めて考えさせられた。小学5・6年以上であれば読めると思うので、おすすめしたい。

 実は、小説といっても、随筆に近いような私小説なのだろうと想像して読み始めたのだが、それは嬉しいはずれだった。工夫を凝らしたフィクションだったのだ。

 実際には会ったこともなかったベートーベェンが、まるでそこにいるみたいな臨場感でもって描かれているのには驚かされる。ベートーヴェンに会いたかったというワーグナーのせつない想いが空想に血肉を与え、生きている人として読者の前に現れたとき、読者ははっとさせられ、主人公と感動を共有せざるをえない。

 ただ、長いベートーヴェンの会話になるとにわかに架空めき、これはベートーヴェンに語らせたワーグナーの音楽論だろうと想わされるが、これはこれでべつの興味を惹く。

 主人公にまとわりつく俗なイギリス人との駆け引きがコミカルで、どこかイソップ物語の「うさぎとかめ」を連想させた。

 それにしてもポプラ社の「百年文庫」は、驚異的なシリーズだ。これほど多彩なシリーズが編めるとは、匠の技だ! 昨日「百年文庫80 冥」を買ったが、これには詩人トラークルの小説が収録されていて、息を呑んだ。トラークルの小説? 生前に出たのは詩集1冊だったはずだ。解説「人と作品」をみると、ここに収められた『夢の国』は青土社『トラークル全集』を底本としたもので、元は1906年「ザルツブルク国民新聞」に発表されたものらしい。

 トラークルの主な発表舞台は同人誌だった。こうした事実は、アマチュア作家にとっては、何となく光の差し込んでくるようなエピソードではあるまいか。日の目を見られないからといって、悲観するのはよそう。いつ、どんなかたちで拾い上げられるかわからないのだから。

 同じ「百年文庫80 冥」に、『白鯨』で有名なメルヴィルの『バイオリン弾き』という小説が入っている。鯨とバイオリンが結びつかず、メルヴィルにはそのような作品もあったのかと驚かされる。「人と作品」には、「現代では英米文学の三代悲劇と称される『白鯨』も、真価を認められるには出版後半世紀以上を待たねばならなかったのである」とあり、これまたアマチュア作家にとっては励まされるエピソード。おっと、レビューが横道に逸れてしまった。


ホフマン『クレスペル顧問官』

 ドイツ・ロマン派を代表する作家ホフマンの短編。ロマン派ホフマンの本領が遺憾なく発揮された1編。奇怪味があり、華麗な空想力が迸っている。しかし、作品の出来具合としては今一つか。

 そういえば、岩波少年文庫版『クルミわりとネズミの王さま』、岩波文庫版『黄金の壷』『スキュデリー嬢』の感想をきちんと書くつもりで、書いていなかった。

 チャイコフスキーのバレエ作品『くるみ割り人形』の原作『クルミわりとネズミの王さま』は、勿論大人が読んでもいけるが、おすすめの児童書。
 空想とはかくも豪奢なものとなりうるのかと唖然させられる幻想冒険譚『黄金の壷』。
 ルイ14世統治下のパリが舞台で、火刑裁判所が出てくるミステリー風の引き締まった作品『スキュデリー嬢』。

 ホフマンの長編『悪魔の霊酒』はちくま文庫から出ている。


ダウスン『エゴイスト』の回想

 ヴァイオリンだけを信じている流離いの男の子が大人になり、成功してから回想するニネットという少女との暮らし。両親も家もない子供2人が空き家に入り込んでねぐらとし、手回しオルガンとヴァイオリンで生計を立てる様の描出には生々しい感触がある。孤独臭を濃厚に漂わせたクールで不満気な独白調は、一度読んだら忘れられない。

 ダウスンは、ねっとりとした感傷的な恋愛の回想詩『シナラ』の作者。この詩も、好き嫌いは別として、一度読んだら忘れられない味わいを持っている。マーガレット・ミッチェル『風と共に去りぬ』のタイトルはこの詩から採られている。



当ブログにおける関連記事

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2011年6月17日 (金)

今日の国会中継(参院復興特別委2011.6.17)……「日本は法治国家である」という意識が欠落している菅首相と枝野官房長官

 NHK「ニュース7」で、福島第一原発では、「たまり続ける汚染水を浄化したうえで原子炉を冷やす循環注水冷却を近く始め、今後1か月で原子炉の安定的な冷却を目指す」と報じていた。何しろ11万トン以上たまっているというのだから、厄介なたまり水を減らし、原子炉冷却を安定させるという一石二鳥の働きをしてくれそうなこの汚染水の浄化装置がうまく働くかどうかが事故の終息の鍵を握ることになるのだろう。この浄化装置は、日本、アメリカ、フランスの技術を持ち寄った特注品で、試運転の段階で何度もトラブルが起きているらしい。菅政権のもたもたぶりを見てきた限りでは、日本だけでは心許ないが、アメリカとフランスが見守ってくれているのだから、何とかなりそうな気がしてきた。

 冷温停止は来年1月中旬を目標としているという。

 菅首相が今日の国会答弁で、福島第一原発の処理に関する特別な法律体系を作って、国が廃炉まで責任を持つという法律の整備を検討しているという考えを示した。

 脱原発に関しては、まずは自然エネルギーを育てることが先で、それが軌道に乗るかどうかを見て、うまくいくようなら何年か後に国民の選択があってもいい――と、珍しくまともなことをいっていたので、ひとまず胸を撫で下ろした。

 法治国家日本としては法整備が大事というのは当然の認識のはずだが、野党は菅政権に東日本大震災のすぐあとから、法整備の必要性を口をすっぱくして促してきた。促さなければ、彼らは懇談会だの会議だのを楽しんでばかりいて(としか思えない。そういったことにも税金が使われているはずだが)、いっこうに法整備へと舵を切ろうとはしないのだ。

 今日も、自民党の川口順子氏が切れて、「こんなの、法治国家ではありませんよ!」と菅首相を責めた一場面があった。

 それは、前掲の「ニュース7」でも、「ニュースウォッチでも」採り上げられた汚泥処理に関する一件でのことだった。ここで、過去記事から引用しておきたい。

2011年6月 2日 (木)
内閣不信任案、可決か否決か?
http://elder.tea-nifty.com/blog/2011/06/post-e6c3.html

党首討論での自民党の谷垣総裁は、わかりやすく、なぜ菅総理では駄目なのかを説明した。

日頃、国会中継を観ない向きにはわからないだろうが、菅総理がトップでは瓦礫の処理一つ進まないのだ。

業を煮やした川口順子氏が5月13日の参院予算委で「瓦礫を片付けないと復興はできないんですよ、菅総理」といい、そのための法整備を促してから半月以上が経過してもなお、昨日の党首討論で谷垣総裁が「瓦礫」のことをいっていた。

また「薔薇色の将来像を描くのもいいが、被災地の現実から見れば、やっぱり前払い金、仮払い金でも早く届くことが必要」ともいっていたが、この被災者に前払い金、仮払い金を急いで届けるようにとの提案も、東日本大震災後の国会で何度もなされてきたことだった。

 呆れたことに、今日の国会でもデジャヴ……また同じような場面が繰り返されたのだ。仮払い金、仮設住宅の件は相変わらず進んでいないようだが、川口氏が現在注目を集めている汚泥処理について質問していたので、それについて採り上げておきたい(断片的なメモだが)。

川口氏「放射能によって汚染されている下水汚泥処理の方針がようやく出されたことは評価されるが、もっと早くしてほしかった。1日に2万トン。強いものは10万ベクレルを超えている。範囲は16都道府県にまたがっている。指針は指針として、これからどうなるのか。市町村はこの指針を受けて、どういう対応をとるのか?」

国交大臣「10万ベクレル以上は保管。10万~8,000ベクレルは保管、検討後に埋め立て可能。8,000ベクレル以下は埋め立て可能」

川口氏「今のは前の質問の回答だが、市町村はこれを業者に委託して持っていって貰うのか?」

国交大臣「基本的にそうなる」

- 途中省略 -

川口氏「放射性物質によって汚染された下水汚泥については、廃掃法(廃棄物処理法)が適用されるかどうかわからないということか?」

菅首相「それについては気になっている。現在カバーする法律体系ができていないから、何らかの法律体系を作る必要がある。今検討中だ」

川口氏「新しい法律を作るということか? イエスかノーで」

菅首相「今すぐはできないから、方向性を定める」

川口氏「指針は既に出ている。あとは法律を作るということを考えるしかないが、法律がなくてもどういう場合だと可能なのか?」

枝野官房「原子力災害本部の権限で」

川口氏「法律がなかった場合は、どうやって対応できるのかということを伺っているのだ。法律がなければ、不法投棄を止められないということを総理は認識しているのか?」

菅首相「大規模だから方針を決める」

川口氏「全然わかっていらっしゃらない。方針は出ている。市町村に通達されようとしている。作業は始まろうとしている。実害が起こってからでは遅いのですよ。誰かが法律に基づいてチェックをする必要があるのに、法律を作ろうとしない。こんなの、法治国家ではありませんよ!」

枝野官房「法律があったほうが望ましいが、行政指導でできる」

川口氏「埋め立て場所が見つからない。引き取り手がない。自治体の悲鳴が出てきている。総理は不法投棄の場を見に行ったことがおありか? 一刻も早く法律を作ってほしい」

菅首相「法律の不備がある場合は、行政指導でやるしかない。法律が必要でないとはいっていない」

川口氏「1日も早く、これに関する法律を作るのがリーダーシップだ。これでは都道府県は浮かばれない。法律を必ず作りますとおっしゃってください」

菅首相「法律案は作るから、国会の審議で通るように協力してほしい」

川口氏「同じ瓦礫の処理も伺おうと思ったが、時間がない。これも、国が全面に出なくてはいけないと思う。リーダーシップで、棄てるところを探すよう命じてほしい。命じられたら、彼らは一生懸命探しますよ」

 視聴していて、脳味噌が腐りそうになった。復興が進まないのは、菅政権が必要な法律案を作らないからなのだ。同じ自民党の愛知治郎氏は、「野党に転落して我々もしっかり反省すべきところは反省しなくてはならないと思う。だが、国会議員に一番できるふさわしいことは対策案を練ることで協力することで、これまで800を超える対策を提言してきた」といった。

 何だか、文学賞に作品を出せども出せども棄てられるだけのわたしみたいな話だった。野党とは哀しいものだ。実務に長けていればいるほど……。 

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2011年6月15日 (水)

村上春樹:カタルーニャ国際賞授賞式スピーチにおける論理のすり替え

 ググれば、いくらでもスピーチの全文が出てくるので、気になった箇所を引用するにとどめたい。

“日本語には無常(mujo)という言葉があります。いつまでも続く状態=常なる状態はひとつとしてない、ということです。この世に生まれたあらゆるものはやがて消滅し、すべてはとどまることなく変移し続ける。永遠の安定とか、依(よ)って頼るべき不変不滅のものなどどこにもない。これは仏教から来ている世界観ですが、この「無常」という考え方は、宗教とは少し違った脈絡で、日本人の精神性に強く焼き付けられ、民族的メンタリティーとして、古代からほとんど変わることなく引き継がれてきました。

「すべてはただ過ぎ去っていく」という視点は、いわばあきらめの世界観です。人が自然の流れに逆らっても所詮は無駄だ、という考え方です。しかし日本人はそのようなあきらめの中に、むしろ積極的に美のあり方を見出(みいだ)してきました。”

 何だって、原発を話題にしたスピーチに、仏教用語が出てくるのか。民族的メンタリティーなどを考察するタイプでない村上春樹のこれまでの傾向からすると、震災の惨状をテレビで見て定めし、『平家物語』の「諸行無常の響きあり」なんかを連想したのだろうが。

 真の仏教徒であれば、自然災害が襲ってきても、ああそれは無常だから、と深いところで理解するのだろう。しかし、仏教とあまり関わりなく生きている一般的な日本人は、絶望感な動揺から「この世は無常だ」などと仏教用語を借りて思うかもしれないが、それは概ね、そのときだけのことで、これは仏教とは無関係な心情表現にすぎない。

 村上春樹は、あちこちの権威ある書物から言葉や文章をとってきてアクセサリーにする癖があるが、ここでもそうだ。仏教における無常とは科学的な洞察による「変化しない実体はない」という認識で、「あきらめ」などとはおよそ無縁の、解脱を志向するための土台となるものだ。そもそも作品でカーマ(欲望)をそそる文章を垂れ流しておきながら、仏教用語をとってくるなど、寂聴とよい勝負だ。

“ご存じのように、我々日本人は歴史上唯一、核爆弾を投下された経験を持つ国民です。1945年8月、広島と長崎という二つの都市に、米軍の爆撃機によって原子爆弾が投下され、合わせて20万を超す人命が失われました。死者のほとんどが非武装の一般市民でした。しかしここでは、その是非を問うことはしません。”

 なぜ問わない? アメリカによる2度の原爆投下は、明らかに国際法違反ではないか。日本の知識人がそれを問わなくて、誰が問うのだ?

“広島にある原爆死没者慰霊碑にはこのような言葉が刻まれています。

 「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませんから」

 素晴らしい言葉です。我々は被害者であると同時に、加害者でもある。そこにはそういう意味がこめられています。核という圧倒的な力の前では、我々は誰しも被害者であり、また加害者でもあるのです。その力の脅威にさらされているという点においては、我々はすべて被害者でありますし、その力を引き出したという点においては、またその力の行使を防げなかったという点においては、我々はすべて加害者でもあります。”

  慰霊碑の言葉は、原水爆反対運動を連想させる。戦争にならなくて済むように頑張るということも意味するのだろう。しかし、戦争に至った経緯は決して単純ではない。戦争を早く終わらせるために原爆を投下したなどというアメリカの詭弁をまさか真に受けているわけではあるまいが、村上春樹の言葉は無知な自虐史観にすぎないと思わせる。物書きであるならば、歴史を透視し、戦争の舞台裏を見抜いたらどうだ? 

 物事を単純化しないと理解できないかのような村上春樹は、核兵器と原発を一緒くたにする。しかも、今初めて原発の存在に気づいたかのように。いい年して。これまで行われてきた原水爆反対運動も、原発反対運動も、何も知らなかったというのだろうか? 堀江邦夫の『原発ジプシー』も読んだことがなかったのか?

 安全神話を鵜呑みにして原発を信頼してきた……というより、自分のメリット以外、何も考えてこなかった連中が、今度はラディカルな脱原発運動に走り、自然エネルギー幻想を鵜呑みにする。原発がここまできたのだって、原発神話を鵜呑みにする連中が多勢を占めていたからではないか。

“何故そんなことになったのか? 戦後長いあいだ我々が抱き続けてきた核に対する拒否感は、いったいどこに消えてしまったのでしょう? 我々が一貫して求めていた平和で豊かな社会は、何によって損なわれ、歪められてしまったのでしょう?

 理由は簡単です。「効率」です。

 原子炉は効率が良い発電システムであると、電力会社は主張します。つまり利益が上がるシステムであるわけです。また日本政府は、とくにオイルショック以降、原油供給の安定性に疑問を持ち、原子力発電を国策として推し進めるようになりました。電力会社は膨大な金を宣伝費としてばらまき、メディアを買収し、原子力発電はどこまでも安全だという幻想を国民に植え付けてきました。”

 電力会社の謳い文句をそのまま信じていた人間がいたとは、信じられない。嘘とわかっていながら、資源に乏しい日本は原発に頼るしかなかった現実があったのではなかったか? 日本が小エネルギー国であるということは、ABC包囲網(説明が面倒なので、知らなければググってほしい)が敷かれた昔も今も幻想ではなく現実の話だ。

“原子力発電を推進する人々の主張した「現実を見なさい」という現実とは、実は現実でもなんでもなく、ただの表面的な「便宜」に過ぎなかった。それを彼らは「現実」という言葉に置き換え、論理をすり替えていたのです。”

 ‘実は現実でもなんでもなく’との根拠を示せ。原油供給が安定しているという根拠を。中東情勢が危険な頃ですら、タンカーの乗組員だった父が中東に行っていたのは何のためだ? 下手をすれば、まる2年帰宅できず、母が亡くなったときも太平洋にいた父は帰宅できずに、のちにそのことは家族の絆に影響することとなった。隔離されたような海上生活のため、発狂する人もいると父はまともな頃にいっていた。一般人は、ガソリンや灯油の値段に一喜一憂していれば済むだろうが、原発で無名の働き手が大変な思いをしているように、石油獲得のためにも大勢の無名の働き手が大変な思いをしてきたのだ。

 先進国が原発推進している間は、少なくとも、化石燃料の奪い合いから第三次世界大戦が惹き起こされることは避けられるかもしれないと考えていたが、先進国の間に脱原発の動きが拡がって行くと、皮肉なことに、その危険度は高くなるのではないだろうか。

 その不安を裏づけるような発言が、14日の国会中継で、たちあがれ日本・新党改革の藤井孝男氏からあった。「脱原発はいいが、日本は小エネルギー国。何となく、油も天然ガスも入ってくるようなムードは危険だ。今はアラブの春といわれる大変革で、安定的なのはカタールくらい。自然エネルギー、脱原発をどうするという話もいいが、その過程ではどうなるのか。イタリアもドイツも脱原発、代替は現実的にみて結局、天然エネルギーの奪い合いになる」

 松本外務大臣がそれについて答弁を求められ、「中東問題は死活問題と認識しています」といっていた。

 また藤井氏は、「アフターケアなしに浜岡原発をとめた菅首相はあまりにも無責任だ。根拠は確率だけではないか」と疑問を呈していた。

 浜岡原発の代替は天然ガスで、輸入先はカタールだそうだ。「止めるなら止めるで、首相がカタール政府に安定供給をお願いするくらいのことをするのがリーダーシップだ」という藤井氏の主張は正しいと思う。

 脱原発が必要であればなおのこと、計画的に、慎重に進めなくてはならないはずだ。国会中継の答弁からも、そう思わされる。脱原発を進めるということは、一層の外交手腕が要求されることでもあるが、民主政権になってからその点での稚拙さが目につき、気が気でない。

 国会中継後、夜の番組「クローズアップ現代」の「原発に対処せよ! 日米舞台裏」で、菅政権の原発事故に対する初期対応のまずさを、日米関係から検証していた。原発事故を知ったアメリカが翌日には具体案を示して働きかけたのに対して、日本は3月16日のヘリ降水まで、躊躇ばかりしていたという。

 番組でのルース大使の緊迫した表情に対して、菅、枝野、福山といった日本政府の顔が脳天気に見えて仕方がなかった。大人と子供くらいの差を感じた。アメリカには批判的な気持ちのほうが強かったが、この原発事故でむしろ逆になった。これがいい傾向だとも思わないが、これまで知らなかった舞台裏を垣間見てそうなってしまった。

 いっそ何もかもアメリカにお任せしてしまえばよかったのだ。そうすれば、ここまでの事態にはならなかったのではないかと思えてならない。12日から16日までのブランクが本当に惜しい。

 “日本で、このカタルーニャで、あなた方や私たちが等しく「非現実的な夢想家」になることができたら、そのような国境や文化を超えて開かれた「精神のコミュニティー」を形作ることができたら、どんなに素敵だろうと思います。それこそがこの近年、様々な深刻な災害や、悲惨きわまりないテロルを通過してきた我々の、再生への出発点になるのではないかと、僕は考えます。我々は夢を見ることを恐れてはなりません。そして我々の足取りを、「効率」や「便宜」という名前を持つ災厄の犬たちに追いつかせてはなりません。我々は力強い足取りで前に進んでいく「非現実的な夢想家」でなくてはならないのです。人はいつか死んで、消えていきます。しかしhumanityは残ります。それはいつまでも受け継がれていくものです。我々はまず、その力を信じるものでなくてはなりません。”

 悲惨きわまりないテロルを通過してきた我々? そのテロは、元はといえば中東に対する石油狙いから出てきたものだ。それにぬくぬく便乗してきたのは、わが日本、わたしたちではないか。

 そもそも、自国が戦争をするつもりがないというだけで、平和が守られ、その上、小エネルギー国でありながらリスクもなしに豊かでいられるなどと、大の大人がどの頭で考えるのだろうか? ――村上春樹の頭でだ。

 日本がこれまで何とか平和でいられたのは、アメリカの核の傘に入っていたからだ。村上春樹はそこでぬくぬくと作家稼業を享受し、アメリカの書店ボーダーズにぽろ儲けさせて貰ったのではないか?

 わたしは原発は怖いが、極貧も戦争も怖い。だから、計画的に、慎重に、庶民に負担の少ないやりかたで脱原発を進めてほしいと願うばかりだ。

 大衆は物事を単純化したがるが、作家は決してそうであってはならないはずだ。日本を代表する知識人としてスピーチするのであれば、なおさら。

“原子炉は効率が良い発電システムであると、電力会社は主張します。つまり利益が上がるシステムであるわけです。”

 「村上春樹の作品は効率が良い出版システムであると、大手出版社は主張します。つまり利益が上がるシステムであるわけです」といい換えることができそう。この方面での汚染は既に海外にまで拡がっている。過剰な宣伝と出版部数。大手出版社が儲けに走らなければ、村上春樹がこれほどまでに膨れ上がった存在になることもなかっただろう。

参照:文学界にかんする考察
    http://blog.livedoor.jp/du105miel-vivre/

当記事にかんするコメント、メールは受けつけておりません。

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2011年6月14日 (火)

パプリカオレンジの花

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 写真がぼけましたが、パプリカの花です。白い小花。

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圧迫感。五十肩。ウォーキングについての私見。

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 朝の6時ごろ、朝の薬を飲んでも圧迫感がよくならず、胸痛まで起きたので、ニトロペン舌下。

 涼しく気持ちよくなり、胸の凝りが解けていく感じ。今朝はウォーキングの予定だったのに。先生から許可が貰えなかったのにやっているということを忘れず、もう少し様子をみて決めよう。

 3日間、創作のためのデスク・ワークに没頭しすぎたためか、単なるバイオリズムの関係か、または気温差?

○あとで。

 冠攣縮性狭心症の発作は、運動とはあまり関係がないと思ったが、今日のウォーキングはやめにした。発作が起きたからというより、今日もデスク・ワークに集中したいため。国会中継もあるし。ウォーキングをすると、気分はハイになるが、どうしても疲れて寝てしまう。

 昨夜、過度のデスク・ワークが祟って、夕飯作りの最中に投げ出したくなった。わざとではないのに、皿は落とすわ、鍋の蓋は落とすわで、疲れが溜まっていたようだ。それが冠攣縮性狭心症の発作を誘発した可能性はあるのではないだろうか。昨日よりは軽いデスク・ワークにしておこう。

 ただ先生がわたしのウォーキングにむっつりなさったのは、頻脈性不整脈があるからではないだろうか。これがあると、何もしていなくても運動をしているような状態にあり、少しの運動でも、過激な運動をしたかのように疲れるのだ。時々起きるとか、程度が軽い場合は投薬治療すら必要ないようだが、わたしはインデラルでどうにか抑えている状態。せっかく抑えているのに、運動をしてしまったのでは、薬を飲んでいる意味がなくなるような気がする。

 脈拍数の多い動物ほど早死にだそうだ。そういえば、ハムスターは脈拍数が多く、それが普通だとわかっていても、わたしは抱っこするたびに、「この子、頻脈じゃないの?」と、心配になった。

 それでもウォーキングに惹かれるのは、足腰のためには絶対にいいはずだし、消化にもよく、気分を明るく保つ効果もあるからだ。

 ところで、就寝中に五十肩の右手を変に捻ってしまい、泣きたいほど痛んだ。ロキソニンを飲み、ロキソニンパップを貼りたくなったが、どちらも我慢した。どうもわたしにはロキソニンはめまいを惹き起こす気がしているから。

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2011年6月13日 (月)

Notes:不思議な接着剤 #77 竜の目指す地は何処であるべきか? 

 執筆中の児童文学作品『不思議な接着剤』で、恐竜は最終章で輝かしいオーラを放つ竜となり、『マリア福音書』を具象化した女性マドレーヌをのせてエジプトの方角へ飛び立つことになる。

 竜が目指す地を特定するには、『マリア福音書』がどこで発見されたかを知らねばならない。

 カレン・L・キング『マグダラのマリアによる福音書 イエスと最高の女性使徒』(山形孝夫・新免貢訳、河出書房新社、2006年)によると、成立年代が古代にさかのぼる『マリア福音書』の写本には3冊ある。3世紀初頭のギリシア語写本『オクシリンコス・パピルス3525(オクシ・パピ)』『ライランズ・パピルス463(ライ・パピ)』が二つと、5世紀のコプト語写本『ベルリン写本8502』が一つだ。

 キングによると、「『マリア福音書』の原本はもともとギリシア語で書かれていたが、現在入手できるその大半はコプト語訳に限られる。コプト語とはエジプト語の最後の段階で使用された言語で、現在もなおコプト教徒と呼ばれるエジプトのキリスト教徒によって典礼用語として使用されている。」「コプト語文字の使用はほとんどキリスト教徒たちの独占であったから、『マリア福音書』をコプト語に翻訳し、こ後世に残したのはエドプト人キリスト教徒であったことは間違いない。」

ベルリン写本
 ラインハルトが1896年にカイロの骨董品市場で購入。売買人は中エジプトのアクミーム出身で、ある農夫が農家の壁がん部分にそれを発見したそうだ。しかし、写本の数頁の欠落を除けば、すばらしい保存状態であることからみて、それはありえず、不法に入手されたことは間違いないという。幾世紀もの間、放置されていた場所がどこかはわかっていない。

ライランズ・パピルス463(ライ・パピ)
 イギリスのマンチェスターのライランズ図書館が1915年に入手し、1938年、C・H・ロバーツによって発表。『オクシリンコス・パピルス3525(オクシ・パピ)』同様、北エジプトのオクシリンコスで発見された。

オクシリンコス・パピルス3525(オクシ・パピ)
 下エジプト(北エジプト)のナイル川沿いにある町オクシリンコスの発掘調査において発見、1983年、P・J・パースンズによって発表された。現在、オックスフォード大学付属アシュモール博物館所蔵。

 前掲書にキングは書いている。「古代では、禁書扱いしたい本を消却する必要はなかった(もっとも、こういうことは時たま行われたが)。再筆写されなければ、無視されてそのまま姿を消したのである。われわれの知るかぎり、『マリア福音書』は5世紀以降は再び筆写されることはなかった。」

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自民党の谷垣総裁夫人、死去

 入院先の東京都内の病院で死去とのこと。66歳。

 謹んで、ご冥福をお祈り申し上げます。

 わたしは自民党の谷垣総裁のような知的でソフトなタイプは好きですが、日本の庶民には、小泉元総理や菅総理のようながさつなタイプが受けるようですね。法もマニュアルも無視して、郵政叩き壊したり、原発止めたりすれば、すぐにヒーローになれる国柄ですからね。

 そういえば、6月1日の党首討論のとき、菅総理がうっかり「谷垣総理」と呼びかけましたっけ。何だか無性に哀しい。

 

 

 

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創作ノートの整理に没頭の3日間でした

 昨日と一昨日は大雨だったこともありますが、今日までの3日間、ウォーキングに出るのも忘れて児童文学作品『不思議な接着剤』の創作ノートの整理に没頭していました。

 資料として使いやすくするために、ブログの書籍化サービスを使って本にしたいと思い立ってから月日が経ちました。加筆したり、引用した本を読み返しながらの整理なので、まだしばらくはかかりそうです。ちなみに書籍化のために、下記のブログを新しくつくっています。

Notes:不思議な接着剤
http://marvel.blog.so-net.ne.jp/

 まだ№35までしか校正できていません。こうした作業を時間の無駄とは感じません。頭の中の整理も同時にできるからです。

 最初はカタリ派が出てくるとは思いませんでした。ヨーロッパ中世に無知で、その辺りの資料漁りから始まり、そこから原始キリスト教やグノーシスにまで遡り出し、果てはインド辺りまで含めた広範囲に及ぶ古代世界へも目を向ける羽目になったとあっては、資料は膨れ上がるばかり。

 少しは知恵のついた目で最初のころに書いたノートを見ると、『マリア福音書』をナグ・ハマディ文書と思い込んだりしていました。『マリア福音書』に初めて触れたのは、岩波書店版『ナグ・ハマディ文書 II 福音書』に収録されている『マリヤによる福音書』でした。

 これには、ナグ・ハマディ文書だけではなく、それ以外のグノーシス文書や異端反駁文書からの抜粋なども収録されていて、『マリア福音書』もそのうちの一つなのですね。わたしは『マリア福音書』をナグ・ハマディ文書と混同してしまったのでした。

 そんなミスをチェックしながら、他方ではストーリーを考えつつ、整理していたというわけです。

 まだ当ブログに残ったままのナンバーもありまして。63から66までと68、69。他にナンバーを振っていない関連メモ(これが結構あります)。

 まだ作業途中ではありますが、書籍化を頼もうと思っている『ブログ出版局』で、見本PDFを作成してみました。

 本文207ページ、モノクロ印刷で、

  • 標準タイプ……2,496円
  • 上製本タイプ……5,456円

 頁数はまだこれから増えるでしょうが、モノクロだと3,000円もしないでしょうね。資料・保存用としては安いものです。これを思いつくまでは、記事をせっせとコピーし、プリントアウトしてクリヤーブックに挟んでいたのですが、書籍化すると1冊に収まるくらいの分量でも、クリヤーブックではとうてい収まりきれない上に(2冊目がいっぱいになった時点で嫌になりました)、手間がかかり、クリヤーブック代やインク代だって馬鹿になりません。何より、嵩張るので、資料として使いにくいと感じました。

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

 「書籍化サービス」で検索して、ご訪問になるかたがあります。前にもご紹介したと思いますが、親切なサイトがあるので、以下にリンクさせていただきます。

 わたしはブログでの設定が生きる『ブログ出版局』で創作ノートを、見た感じの綺麗な『MyBooks.jp』でエッセー集をつくって貰おうと考えています。どちらも、見本PDF作成は何度でも無料でできます。

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2011年6月10日 (金)

気になる『ケサラン・パサラン』第5回、欄外のコメント

 『テレプシコーラ』の再開が待たれる山岸凉子先生だが、現在連載中の『ケサラン・パサラン』の欄外に気になる政治コメントがあった。

 『パエトーン』[無料配信中⇒http://www.usio.co.jp/html/paetone/index.htmlなどで、原発の怖ろしさ、問題点を真摯に追及してきた山岸先生であるから、脱原発の必要性を訴えられるのは当然だろうが、ただ、そのことと菅政権支持とは別問題であると思う。

“浜岡原発停止は英断です! 菅首相”

 うーん、わたしは山岸先生の大ファンだし、計画的脱原発は必要だと考えている一人だが、一緒にエールを送る気にはなれない。

 以下は、国会中継を観たあとにわたしが書いた記事からの抜粋。

2011年5月13日 (金)
本日の国会中継(参院予算委):自民篇
http://elder.tea-nifty.com/blog/2011/05/post-0fb4.html

 麻生政権はIAEAの勧告を受けて福島第一原発1号機のメンテナンス費用を21年度予算に盛り込んだ。しかし、民主政権に変わって、このメンテナンス費用は事業仕分けで削減され、菅内閣はIAEAの勧告を無視してメンテナンスしないまま、今年2月に使用延長の承認をした。衛藤氏はこのことにも触れていた。

 また、浜岡原発の停止について、菅総理の判断が正しいかどうかはわからないが、そのやりかたには問題があると指摘していた。

 川口順子氏は、内閣は法律に基づいて仕事を行うものなのに、「法律に基づかないで、いろんなことをやられる菅総理」と指摘。

 上に抜粋したことからもわかるように、菅政権がIAEAの勧告を無視して福島第一原発1号機のメンテナンスをせずに使用延長の承認をしたことと浜岡原発の停止命令とは、表裏一体の言行なのだ。

 何より、川口氏がいったような「法律に基づかないで、いろんなことをやられる菅総理」の問題は、民主主義の根幹に関わる重大問題だ。

 菅首相には政治家としての基本的認識が欠如している、そのことが問題なのだ。菅首相自身が、いつ暴走するかわからない原発をシンボライズしているようにすらわたしには想える。

 かつて新自由主義政策を突貫工事で推し進めた自民党の小泉元首相が、菅首相と似た独断的政治を行った。どんな政党であろうと、こうした独裁者が出てきたのでは、おかしくなってしまう。明日が予測不可能なものとなって、国は方向性を見失う。

 それにしても、今回の原発事故で、原発が悪魔の産物とさえ思えてきて、そんな側面があることは否定できない事実だが、しかし一方では、産業革命以降、エネルギー源として化石燃料が重視され、戦争の原因ともなってきたため、先進国が勇み足で原発推進に傾いたことは、愚かながら歴史の流れだったとも思える。

 炭鉱労働者の悲劇はよく知られているところだ。イラン・イラク戦争以前から中東情勢は不安定で、タンカーの乗り組み員だった父はそれこそ命がけで石油をとりに行っていた時期があった(それでなくとも航海には大きな危険がつきまとう)。今後、原発に依存できないとなると、中東情勢がますます気にかかるようになるだろう。このところ一気に注目を集め、わたしを含め多くの人々に薔薇色の夢を描かせている太陽光発電だが、この分野はまだこれからで、いずれにしてもエネルギー問題には慎重さと計画性が要求されるところだ。

 コメントが気になったので、こんなワタクシ的記事を書いてしまったが、上にリンクさせていただいた『パエトーン』という作品では、原発の問題点がよく整理されているので、おすすめ。


当ブログにおける関連記事

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10日のウォーキング。国会中継が始まった。

歩行履歴 4666歩
歩行距離 3.4㎞
消費カロリー 122kcal
脂肪燃焼量 8g
いきいき歩数 4018歩
いきいき歩行 36分
活動量 2.6EX
いきいき活動量 2.2EX


国会中継が始まった。ブログ散策していると、国会中継を観ている人は少ないんだろうな、と思ってしまう。

ニュースは偏りのある切り取りかたをするので、ニュースだけ観ていても、なまの政治状況は伝わりにくいのではないかと思う。

家にいる主婦なり主夫なりがよく国会中継を観て家族にその内容を伝えれば、マスコミのいうことだけを鵜呑みにする危険性は減少するのではあるまいか。

昔から専業主婦は軽んじられがちであるが、家にいる人間こそ、文化の質を決定する大きな役目を担っているのではないか、とわたしは思っている。

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10日の中間点。

10日の中間点。

途中、陸橋が取っ払われたため、らぶほ群が丸見えになっていたのには参った。あの景観、何とかならないのか?(写真は別の地点。)

同じマンションの住人に、わたしを不治の病と思い込んでいるらしい団塊の女性がいて、たまに出くわすと、「まあ、珍しい!」といって、まるでこちらの寿命の残り具合でも確かめるかのように、じっと顔の隅々まで眺めるのだ。

わたしも「ホントに珍しい!」といって、見つめ返す。中年のおばさん同士が互いのシミと皺を見つめ合ったところで、何の楽しいこともない。

たまたま、検査入院して退院したときに出くわしたのがいけなかった。説明しても納得しない。そりゃ、わたしの病気も不治といえば不治だが、それをいうと、人類は皆、程度の違いはあれ不治の病にかかっているということになる。順番からいえば、わたしが後だろう。

その彼女にまた出くわし、「珍しい!」が始まったので、わたしはウォーキングのコスチュームを強調するかのように胸を張り、「ウォーキングしてるんですよ、ほほほ……」といった。すると彼女は感服したように「凄いわ~!」と、頭を振った。

今日明日死ぬ予定の人間がウォーキングなんかするか、バーロ。わたしが犬なら、おしっこかけてやるわ。

といっても、別にわたしは彼女が嫌いというわけではない。まあ、団塊にはよくいる率直なタイプというだけだ。

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朝の楽しみ

昨日、デップ様のパイレーツを観に行ったため、朝のウォーキングは休んだ。今朝は遊び疲れがとれず、迷うが、よし軽くを心がけて決行しよう。

どの道を行くかを選ぶのが楽しみ。陸橋をなくす作業にかかりきりだった道筋が整備されたので、リニューアルの具合を確かめに行きたくなった。

しかし、商店街へ入り込むとしたら、いやいや、あそこは早朝はいただけない。車両進入禁止の道を「そこ退け、そこ退け」といわんばかりの凄い勢いでゴミ収集車が走り回ったりしていて、危ないのだ。

起きてから、目覚ましにポプラ社から出ている「百年文庫」の一編を読むのが快い。

ねっとりとして不満げなダウスンの作品は昨晩読み終え、感想をメモしたあと、案外、朝の読書にも適していそうな、知的で神秘的でコミカルで上質の気配に満ちたホフマンを読んでいた。

読み終えるのがもったいないので、残しておこう。

さて、7時。ウォーキングに行って参ります。

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2011年6月 8日 (水)

土井善晴先生レシピ「アスパラガスとハムの蒸し煮」、村上信夫先生レシピ「ポテトスープ」

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 前の記事でご紹介したジェノバペーストのパスタと一緒に作った土井善晴先生レシピ「アスパラガスとハムの蒸し煮」、村上信夫先生レシピ「ポテトスープ」がとても美味しかったので、ご紹介します。

 北海道展で安くて美味しいアスパラガスを沢山買ったことを過去記事で書きました。いろいろな調理法で楽しんできましたが、土井善晴先生の「アスパラガスとハムの蒸し煮」は簡単にできて、驚くほどの美味しさでした。

 アスパラガスにハムの旨味が溶け合って、もう夢見るような美味しさ! 昨日使ったハムは、お肉屋さんから買った上等のハムというわけではなく、スーパーで買った4パック1組のハムなのです。そのハムがこれほどの底力を見せてくれるとはいやはや、感服した次第。

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 「アスパラガスとハムの蒸し煮」を『週刊 土井善晴のわが家で和食 改訂版No.31』(デアゴスティーニ・ジャパン)からご紹介します。

[材料・2人分]

  • アスパラガス……3本(120g)
  • ハム……2枚
  • 塩……少量
  • オリーブ油……大さじ2/3
  • 水……大さじ2

[作り方]

  1. アスパラガスは根元を切り落とし、さらに軸のかたい部分はピーラーで皮をむいて3~4㎝長さに切る。ハムは4等分に切る。
  2. フライパンに①を入れて塩をふり、分量のオリーブ油と水を加えてふたをする。
  3. ②を強火にかけて3分ほど蒸し煮にし、アスパラガスに火を通す。

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 暑くなってくると、冷やしたポテトスープの美味しさは格別ですね。新婚時代から作り続けてきたスープですが、ここ数年はもう少しお手軽なポテトスープを作ることが多かったのです。

 久しぶりにこのレシピで作ったところ、娘が「美味しい~!」を連発し、わたしもしみじみ美味しいと思いました。過去記事を検索したところ、まだレシピをご紹介していなかったみたいなので、NHK『きょうの料理』ポケットシリーズ〈カラー版〉洋風・中国風スープ」(日本放送協会、昭和53年)からご紹介します。

[材料・4人分]

  • じゃがいも……(大)2コ
  • ねぎ……1本
  • たまねぎ……(小)1コ
  • バター……大さじ2
  • 小麦粉……大さじ2
  • { 固形スープの素……1コ
     湯……カップ5 }
  • エバミルク(生クリーム)……カップ1/2
    ( どちらもない時は牛乳カップ2
     その場合スープの量を減らす)
  • { 食パン(薄切り)……2枚
     サラダ油……適宜
  • 調味料=塩・こしょう

[作り方]

  1. ねぎは小口から粗切りに、たまねぎは二つに割って薄切りにし、じゃがいもは皮をむき二つに割って薄切りにする。
  2. なべにバターを入れ、ねぎとたまねぎが色づかないようにいため、小麦粉をふり入れてサッと混ぜる。
  3. じゃがいもとスープを②に加え、柔らかくなるまで煮る。
  4. 柔らかくなった野菜は裏ごしし(または少し冷ましてミキサーにかける)、なべに移して煮立て、濃度を加減しながらエバミルクを加え、塩、こしょうで味を調え、クルトンをつくって浮かす。

[応用]

  1. 夏季は冷たくしてわけぎまたは、パセリのみじん切りを浮き実にするとよい。
  2. カレーの風味をつけても美味しい。
  3. さつまいも、かぼちゃ、にんじん、グリンピースも同じ方法でつくれる。

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ジェノヴァペーストのパスタ。

 ジェノヴァペーストのパスタ。

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 まず、ジェノヴァペースト作り。

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 前の記事に書いたように、ベランダのプランターから、前年の半分くらいのバジルを収穫しました。写真は、洗って水気を拭きとったあとなので、ちょっとしんなりしています。バジルは金気に当たると変色するので、それには気をつけました。

 これで50g。娘もわたしも松の実のねっとりとした味が苦手なので、松の実だけのものから、カシューナッツを加えたもの、さらに今回はカシューナッツだけとなり、好みの味に。

  • バジルの葉……50g
  • ニンニク……1片
  • EX・ヴァージン・オリーブ油……100㏄
  • カシューナッツ……30g
  • 塩……小さじ1/2

 これをミキサーで撹拌。あっという間に出来上がり。

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 このペーストと茹でたパスタをあえれば、ジェノヴァペーストのパスタになります。ペーストであえたパスタに粉チーズを振ります。好みでこしょうを。新鮮なバジルの美味しさが存分に楽しめるパスタですね!

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8日のウォーキング。中間点はテニスコート。

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 昨日とほぼ同じ時間、同じコース。写真は総合運動公園にあるテニスコート。試合があるのか、見物人が沢山。

 今朝のコンディションはもう一つでしたが(軽い胸の圧迫感)、朝の薬を飲んだらよくなったので、軽くを心がけて歩いてきました。

 傘をさしたり、ささなかったりといったお天気具合でしたが、ヨークシャーテリアに出合いました。

 住宅街に「飼い犬注意」を意味するかと想われる、黒いプードルのように見える絵柄のプレートを出している家がありました。ふと見ると、玄関前に大きな黒猫が無愛想な(?)表情でちょこんと座っていました。もしかしたら、あれはプードルの絵ではなく、猫の絵で、「飼い猫注意」の表示だったのかしらん?

歩行履歴 3818歩
歩行距離 2.7㎞
消費カロリー 95kcal
脂肪燃焼量 6g
いきいき歩数 2915歩
いきいき歩行 26分
活動量 1.9EX
いきいき活動量 1.5EX

 昨日はプランターのバジルを摘んで、ジェノヴァペーストを作りました。夫が同じプランターにパセリとピーマンを植えてしまったので、昨年の半分もないくらいの収穫量で50gしかありませんでした。それでも、昨日の夕飯にジェノヴァペーストのパスタを作り、朝食のパンにも塗って、バジルの新鮮な香りと味わいを楽しみました。

 その記事を書くつもりでしたが[書きました⇒こちら、昨日は疲れて寝てしまい、創作関係もできませんでした。軽いウォーキングのつもりでも、こんなデメリットはなくなりそうにありません。今日は昨日よりましかな。

 自作児童文学作品『不思議な接着剤』の創作ノートを資料として使いやすくするために、ブログの書籍化サービスを使って本にする計画で、そのための作業を続けているところです。

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2011年6月 7日 (火)

7日のウォーキング。中間点は総合運動公園辺り。

7日のウォーキング

7時半から久しぶりにウォーキングに出ました。途中コンビニに寄り、歩いた時間は「いきいき歩行時間」の倍くらい。

前回までは、つい「数字」に拘り、「成果」を出したいと思い、万歩のカウントに悦に入ったりしていましたが、そのご褒美がウレシすぎる「めまい」と「心臓発作」の連発。

循環器の先生がウォーキングに賛成してくださらなかったこともあり、やめようかとも思いました。それが、宇佐八幡宮の広い境内を歩き回っても疲れを覚えなかったことに驚き、「おっ」と思ったのです。

元々、病身のわたしが海外旅行のための体づくりという目的で始めたウォーキングでした。ウォーキングは、その目的に適っているように感じられます。

健康な人とは違うことを学習しましたから、とにかく「軽く」を念頭に置いて、再チャレンジしてみようと思います。

用心していても、どのみち時々は崩れる体調なので、あまり気にせず、やってみるつもり(基本的に、死ななきゃいいやと思っています)。

今日の中間点は総合運動公園辺り。その裏の住宅街を抜け、大通りに出て帰ってきました。わたしには適度なコースでした。


歩行履歴 3732歩
歩行距離 2.8㎞
消費カロリー 78kcal
脂肪燃焼量 5g
いきいき歩数 2761歩
いきいき歩行 24分
活動量 1.6EX
いきいき活動量 1.3EX

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2011年6月 6日 (月)

アスパラガスLサイズ

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 普通のサイズのアスパラガスは、向かって左端の細いものがそうです。

 北海道展で、美味しい安いアスパラガスを沢山買いました。アスパラガスは普通に好きでしたが、もう本当に大好きになってしまいました。

 また来てね、アスパラガス~!

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 しょうゆの味付けもグー!

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レビュー 037/駅/百年文庫(ポプラ社)

外部リンク⇒百年文庫|ポプラ社
http://www.poplar.co.jp/hyakunen-bunko/index.html

当ブログにおけるカテゴリー⇒Notes:百年文庫(ポプラ社)
http://elder.tea-nifty.com/blog/cat22581490/index.html

  • ポプラ社「百年文庫」が素晴らしいので、読書ノートを作り、気ままにメモしていこうと思います。
  • まだ読んでいない作品については、未読と表示しています。
  • 一々「ネタバレあり」とは書きませんので、ご注意ください。
  • 収録作品の順序が入れ替わることがあります。


プーシキン『駅長』

 この作品には矛盾……というか、引っかかるものがある。

 娘は、彼女の父親である駅長が考えていたほど、純真なタイプではなかったのではないか?

 どんな客も如才なくあしらったという点、海千山千といえばいいすぎになるが、むしろすれた感じがするし、同意の上とはいえ、誘拐に近い連れ去られかたをしてから日も浅いというのに、甘い巣での高級娼婦のようなムード。

 3人の子を成し、正妻としての立場が確固たるものとなってからようやく父親を訪ねる辺りも、なかなかしたたかな気がする。

 この作品に、作者プーシキンの失恋が投影されているのだとすれば、話は別で、時遅し……既に亡骸となって瞑る父親の墓で泣き濡れる女性の姿は、プーシキンの切ない願望だろう。

 バルザックは、プーシキンのような嘘は書かなかった。それが、写実に徹した『ゴリオ爺さん』との違いだ。

 ところで、わたしの本棚には開かずの間ならぬ、開かずの作品が2編ある。1編は、プーシキンの『スペードの女王』、もう1編はエウリピデスの『バッコスの信女』だ。どちらも凄みのある傑作なのだが、言霊とはよくいったもので、この2編を読むと何かしら忌まわしいことが起きるのだった。特にエウリピデスの描写は絵画的で、忘れられず、芸術的な関心から読み返したいくらいなのだが……。
 正直いうと、エウリピデスの作品は全作品が怖い。一番怖いのが『バッコスの信女』というわけだ。プーシキンの作品中、怖いのは『スペードの女王』だけだ。忌まわしいことが起きるといっても、それがこれまでわたし自身に起きたわけではなかった。作品の不吉なムードに神経が刺激され、普段は記憶にとめない周辺の事柄にまで敏感になるのかもしれない。

ヨーゼフ・ロート『駅長ファルメライアー』

 プーシキンの『駅長』と同工異曲の作品といえるが、戦争という偶発的な状況が媒体となって可能となった身分違いの恋愛、成熟した女性との間に起きた情事の長期化という成り行きから、こちらのほうが説得力がある。
 帰還した女性の夫ヴァレフスキー伯爵に、主人公ファルメライアーは身分の差から、闘わずして決定的な敗北を喫する。作者は伯爵の描写だけで、それを読者に印象づける。伯爵の妻である女性は、元の飼い主に尻尾を振るが如くだ。

 何ともいえない苦い後味を残す逸品といってよい。

戸板泰二『グリーン車の子供』

 ミステリー仕立ての作品だが、禍々しさとは無縁の作品で、歌舞伎界の人々を登場人物とする粋な作品。老優にもう一花咲かせるために、その関係者が工夫を凝らす。老優に気に入られなかった子役の真価をわかって貰うには、どうすればいいのか? 

 古典芸能を上手に採り入れた作品は快い。下記のような描写も、何気ないが素敵だ。

“ 京都で、私の隣の空席が埋まった。すわったのは、四十ぐらいの和服の女性である。
 身のこなしが、おどりでも習っているようにスッキリした人で、「御免下さい」といって私の前を通って、十のDに腰かけた。”

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

……このような大家の作品とは勿論比べものになりませんが、以下の作品は、能楽に魅了された三十代のわたしが書いた習作です。

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2011年6月 4日 (土)

色鉛筆?

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 食卓に色鉛筆……

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 実は、お箸なんです!

 お箸売り場に色鉛筆が……と驚いたくらい、そっくりです。1本ずつ売られているだけに、よけいに騙されます。帰宅して使ってみるまでは、半信半疑だったくらいでした。お箸ですから、勿論、色を塗ることはできません。

 夫のお箸を買うために行ったのですが、楽しい色鉛筆お箸に惹かれてつい購入。娘もほしいというだろうと思い、娘にも買いました。案の定、娘もほしがりました。よい大人が2人して、とお思いになるでしょうが、これは、大人が使うのによいサイズです。

 緑が娘、黄色がわたし。あ、夫に買ったお箸は普通のものです。

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2011年6月 3日 (金)

「内閣不信任案の否決」雑感/気持ちの悪い菅総理のにやにや笑い。マスコミの罪深さ。西田昌司氏の貴重な追及。

 菅総理の間が抜けたような、にやにや顔が画面いっぱいに映ったとき、この顔つき、どこかで観たことがあると思ったら、ああそうだ……酔っ払いの顔だと思った。

 ラリっているようなあの顔……正気? 何かに憑かれているんじゃないかしら? と本気で思った。小泉劇場を戯画化したような菅総理の茶番劇。

 しかし、あれも民意の反映といえるのかもしれない。わたしはまだしも支持しない派でよかった。支持していたとしたら、あの顔に戦慄し、嘔吐していたに違いない。

 しかし、前日に3回タロット占いをして菅政権は長引くというカードが出、騙されやすいわたしはまさか……と思っていたのだが、当たってしまった。

 昨日はたまたま宇佐八幡宮に詣で、車の中でワンセグで結果を知った。そのあと宇佐八幡宮の広い、よく整備された境内で癒やされるものを感じた。

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 ウォーキングしていたせいか、以前ほど、疲れを覚えなかった。体調が回復したので、そろそろ用心しながら再開したいと考えている。

 ウォーキングのときに道教と関係の深そうな「王子神社」を見つけ、御神籤を引いたら末吉……末広がりに運気がよくなる、旅行は遠方がよいと出たが、昨日、やはり道教と関係が深いと思われる宇佐八幡宮で御神籤を引いたら、同じものが出た。

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 それはわたしに関する占いだったが、この国も末広がりによくなると思いたい。

 過去記事で民主党と自民党の未来をタロットで占ったら(鳩山政権が発足した頃)、民主党は未熟で、その政治は貧困を招くと出た。自民党はそれまでの所業を反省し、女性的に柔和となって、いずれ政権の座に返り咲くと出た。

 民主政権の招く貧困というのが、どの程度のものなのかわからないが(既に招いているのだが)、悪くすれば、この国は三流国に墜ちるのではないだろうか。

 清く貧しくというのであればまだしもだが、野卑に貧しいというのでは耐え難い。

 ところで、道教の核にあるものは老子の思想だと考えられるが、その書『老子』はひじょうに神秘的側面を持つと同時に実際的な政治思想を論ずるものでもある。例えば、第8章。以下は『老子』(小川環樹、中公文庫、1973年)より。

“最上の善とは水のようなものだ。水のよさは、あらゆる生物に恵みを施し、しかもそれ自身は争わず、それでいて、すべての人がさげすむ場所に満足していることにある。このことが、(水を)「道」にあれほど近いものにしている。(人々が)住居をつくるには、(地盤のしっかりした)土地をよしとし、いろんな考えのうちでは奥深いのをよしとし、友だちと交わるには心やさしいことを、ことばにおいては信義あることを、政治においては秩序だったことを、事の処理においては実効を、行動においては時をたがえないことをよしとするならば、(いずれの場合にも)人は争いにならない(ほうを選んだ)のであり、それだからこそ決してまちがうことはない。”

 小泉劇場のときもそうだったが、今回もマスコミは罪深かった。野党3党による不信任案の提出に至る流れを政争と定義づけ、そんなことをしている間に与野党一致して復興を……などと、でたらめをいった。

 非が野党にあるようないいかたではないか。真相はその逆で、与野党一致して復興に当たりたくとも当たれない状況を菅総理がつくっているから、不信任案を提出しなくてはならなくなったというのが本当だ。

 言葉においては信義なく、政治においては無秩序を、事の処理においては先送り、行動においては時をたがえる――という、老子の言葉をさかしまになぞって争いを惹き起こしたのが菅総理だ。国民の品性への影響も大きいので、どうしたって、辞めて貰わなくてはならないとわたしは思う。

 それには、これまでも自民の西田昌司氏が命を賭けて追及してきた外国人献金問題から切り崩していくのが一番かもしれない。今日の参院予算委でも西田氏はその追及を続け、外国人献金が禁止されている理由を事務方に説明させていた。それは、外国人によって日本人の主権が侵害されるおそれがあるからなのだ。

 献金を受けたのが故意であれば、公民権停止、国会議員を辞めなければならない。この問題で先に追い込まれた前原氏が国会議員を続け、憲法調査会の会長に就任したというのは当然おかしなことで、たちの悪い冗談のような出来事だ。

 菅総理も、明らかに、しらばっくれているという印象を与えた。

「民主党は外国人に選挙応援して貰ってきたのではないか? これは憲法違反だ。はじめから民主党員には日本国の主権を守るという意識がない」と西田氏はいったが、そう、そうした不気味さが民主党にはつきまとっているのだ。 

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2011年6月 2日 (木)

内閣不信任案、可決か否決か?

党首討論での自民党の谷垣総裁は、わかりやすく、なぜ菅総理では駄目なのかを説明した。

日頃、国会中継を観ない向きにはわからないだろうが、菅総理がトップでは瓦礫の処理一つ進まないのだ。

業を煮やした川口順子氏が5月13日の参院予算委で「瓦礫を片付けないと復興はできないんですよ、菅総理」といい、そのための法整備を促してから半月以上が経過してもなお、昨日の党首討論で谷垣総裁が「瓦礫」のことをいっていた。

また「薔薇色の将来像を描くのもいいが、被災地の現実から見れば、やっぱり前払い金、仮払い金でも早く届くことが必要」ともいっていたが、この被災者に前払い金、仮払い金を急いで届けるようにとの提案も、東日本大震災後の国会で何度もなされてきたことだった。

観念的で実際の切り盛りができない(わからない)与党に対して、野党は国会で様々な具体的提案を行ってきたが馬耳東風と聞き流されるだけで、何一つとして実を結ばないことの実例として、瓦礫と前払い金の件が挙げられるというわけだ。これはほんの一例にすぎない。

野党が協力しようにも協力できないのだ、今の体制では。

それだけでなく、民主党が与党になってから、何だか日本はだんだん旧社会主義国みたいになってきた。

不手際というにとどまらない怪しい外交、憲法に障る法案……と、もうやめてくれ、何もするな、といいたくなる。

今の菅総理は、何だか小泉元総理を戯画化したみたいに見える。

あのとき小泉に拍手喝采した頭の軽い連中が民主政権を招き、今度は菅を支持している図式が透けて見えてしまう。

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2011年6月 1日 (水)

アスパラガス~!

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 デパートの北海道展で、しっかりしたアスパラガスが嬉しい安さでした。アスパラガスがメインみたいになった、朝食のお皿。

 このバター炒めも美味しかったのですが、焼いたアスパラガスがこれまた、ジューシーな美味しさ。焼きトウモロコシをかじったときのような汁が、口の中にひろがりました。

 毛筆の太い筆そっくりの大きなアスパラガスもあって、びっくりして終わってしまったのですが、買ってみればよかった……とちょっぴり後悔。

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