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2011年4月の32件の記事

2011年4月30日 (土)

昨日の夕飯

昨日の夕飯

家族に好評だった土井善晴先生のレシピでつくった『鶏肉の黄金焼き』。(オムレツと思ったでしょ?)

焼き厚揚げときゅうりに添えたやはり土井善晴先生のからし酢味噌。

今は時間がとれないので、あとでレシピをご紹介します(写真だけでもアップしておかないと、忘れてしまうので)。

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4月28日に、(内分泌)内科受診

 U先生に、副甲状腺の経過観察をしていただいている。一昨日の血液検査は大学病院のS先生による肝臓の治療(実際には血液検査を繰り返しただけ)を卒業してから初めての血液検査だったので、わたくし的には肝機能の値に注目!

 青文字が最新の血液検査の結果からピックアップしたもの。検査日は2010/11/01、2010/11/15、2010/11/29、2010/12/13、2011/01/05(以上、大学病院消化器内科)、2011/04/28(レッドクロス内科)。

AST(基準値13 - 33)=179.8 H→202.9 H→115.5 H→63.3 H→25.6→13

ALT (基準値6 - 27)=315.5 H→312.0 H→149.0 H→64.4 H→17.5→10

ALP(基準値115 - 359)=336→444 H→393 H→362 H→358→332

LAP(基準値38 - 75)=**** →92 H→93 H→81 H→67→測定せず

γ-GTP(基準値10 - 47)=76.6 H→134.9 H→154.2 H→128.5 H→85.3 H→22

LDH(基準値119 - 229)=289 H→271 H→229→207→198→187

   おお、最新の検査値には上限を超えた印Hが1個もない。この輝かしいばかりの……(というとオーバーだが) 。
 大学病院のS先生からは合格を貰ったとはいえ、そのときは検査値がいくらかくすぶっていたために(ここにピックアップしていないものにも)、下駄を履かせて貰っての合格という感じがあったので、わたしは今度こそ自らに高らかに「合格!」といってやった。

 これで、薬剤性肝炎であったことがはっきりしたともいえよう。何かに当たって、肝障害を起こしたことがはっきりしたということだ(わたしにとって、その原因物質は毒)。同じものを体内にとり込めば、また肝障害が起きてくるのだろう。
 肝機能は現時点で、全くの正常となった。これが基準になる。

 現在服用中の薬は循環器クリニックで処方されたもの。インデラル、ヘルベッサー、アイトロール、シグマート(心臓の薬)、ロキソニン錠60㎎(炎症や痛みを抑える薬)、プロテカジン錠10(胃酸の分泌を抑える薬)。これらはどれも安全。S先生の下で使用したガスターも安全とされている。

 肝障害を起こした時期に使用していた胃薬パリエット、ガスモチン。また漢方薬の一切は二度と使用しないように、とS先生から厳命された。
 一切のサプリメント、ハーブ類も駄目といわれた
が、ハーブ類は料理には使ってしまう(今のところ無事)。

 肝臓の話題はここまで。次に、本題である副甲状腺。 

 副甲状腺ホルモンは、これまでで一番高い値だった。といっても、病的なレベルからすれば、少し高い程度なのだろう。また、先生によれば、カルシウムが基準値内なので、問題ないとのこと。

 「goo ヘルスケア」から、原発性副甲状腺機能亢進症について抜粋メモ。

“副甲状腺が腫大して副甲状腺ホルモン(PTH)が過剰に分泌されることにより、カルシウム血症、低リン血症、骨粗鬆症、尿路結石、腎障害などを来す病気です。
 
胃潰瘍、膵炎、高血圧などの合併もみられます。”

 慶應大学病院のサイトからも、解説の一部分を引いておく。

副甲状腺機能亢進症
ふくこうじょうせんきのうこうしんしょう

概要

副甲状腺とは?
副甲状腺は、甲状腺の裏側にある小さな米粒大のホルモンを出す臓器です。左右に上下2つずつ合計4つあります。別名、上皮小体(じょうひしょうたい)とも呼ばれます。副甲状腺ホルモン(Parathyroid hormone、略してPTHと記載されます)というホルモンを出します。

PTH(ピーティーエッチ)は何をするの?
一般に、ホルモンはある臓器から分泌されると、血液に乗って体の中のある特定の場所で作用をはたらきかけます。PTHは、体の中のカルシウム(Ca)のバランスを整えるホルモンです。食事から摂取したカルシウムが体の中に入ると、その99%は骨に蓄えられます。PTHは、血液中のカルシウムが不足すると骨に作用してカルシウムを蓄えから放出させます。また、腎臓において排泄されるカルシウムを取り戻す作用もあります。総括すると、PTHは体の中の骨や腎臓にはたらきかけ、カルシウムをプラスのバランスに持っていくはたらきをすると言えます。

副甲状腺機能亢進症ってどんな病気?
副甲状腺機能亢進症とは、何らかの原因によりPTHが過剰に分泌される病気を言います。血液中を流れるPTHの量が増えるので、採血でPTHの値を測定することで診断できます。副甲状腺に腫瘍ができ、その腫瘍がたくさんホルモンを作ることによりPTHが高くなった病態を、原発性副甲状腺機能亢進症(げんぱつせいふくこうじょうせんきのうこうしんしょう)と言います。副甲状腺そのものに病気の根源があることから"原発性"という語が頭につきます。必要以上にホルモンの作用が出てしまいますので、血液中のカルシウムは増加します。採血ではCaの値が高くなり、高Ca血症(こうカルシウムけっしょう)を呈します。一方、副甲状腺以外に腎不全などカルシウムバランスをマイナスにする病気があり、そのバランスを戻そうとPTHが過剰に分泌される場合もあります。このように副甲状腺以外に病気の根源があり、二次的にPTHの量が増えた病気は、二次性副甲状腺機能亢進症(にじせいふくこうじょうせんきのうこうしんしょう)と言います。以下は、原発性副甲状腺機能亢進症について述べていきます。

病気の原因は分かっているの?
ほとんどの症例では、現在までのところ病気の原因は見つかっていません。ただ、一部の症例では遺伝子異常との関連が証明されています。多発性内分泌腫瘍症(たはつせいないぶんぴつしゅようしょう)という、複数の内分泌腺すなわちホルモンを作る臓器に腫瘍ができてくる病気があり、1型と2型2つのタイプがありますが、いずれも副甲状腺機腫瘍ないし過形成を伴うことがあります。多発性内分泌腫瘍症は、英語名multiple endocrine neoplasiaを略して、MEN(メン)と呼ばれます。とくにMEN 1型では、90%近くの症例で副甲状腺機能亢進症が見られます。MENは、原因となる遺伝子異常が分かっています。ただし、この遺伝子異常だけで発症するのではなく、後から別の遺伝子異常が加わることにより腫瘍ができてくるので、発症年齢や腫瘍ができる場所には個人差があります。副甲状腺以外に、内分泌腺の腫瘍が見られた場合には、MENの遺伝子検査をすることが勧められます。

症状
どんな症状から発見されるの?
原発性副甲状腺機能亢進症の症状は、高Ca血症によるものが中心になります。初期症状としては、イライラ感、だるさ、食欲低下など一般に体調不良で出る症状が出ることが多く、吐き気や腹痛など胃腸症状が強く出ることもあります。高Ca血症の程度が進むと、尿量が増え、脱水になります。腎臓の機能も低下します。治療がなされないままでいると、意識がなくなることもあり、生命の危機に及びます。高Ca血症があっても、症状が出ない場合もあります。PTHは高Ca血症を招くだけでなく、骨からカルシウムを奪い骨の破壊が進むため、アルカリホスファターゼ(Alkaline phosphatase、略してALPと記載されます)などの骨に関連する検査値が上昇します。そのため無症状であっても、採血検査で、高ALP血症(こうエイエルピーけっしょう)として発見されることがあります。この病気が長く続くと、骨密度(こつみつど)が低下し、いわゆる骨粗鬆症(こつそしょうしょう)の状態になり骨折を起こしやすくなります。また、骨から放出されたカルシウムは腎臓など様々な場所に沈着します。腎臓に沈着したカルシウムは腎結石(じんけっせき)となり、腎結石としてこの病気が発見されることもあります。”

 わたしは原発性副甲状腺機能亢進症とは見なされていないが、副甲状腺ホルモンが基準値より高いことから、U先生は経過観察を続けてくださっているわけだ。

 いっそ別府市にある甲状腺・副甲状腺の治療で有名な『野口病院』に行ってみようかなあ、と思ったりしている。U先生に紹介状をお願いして。

 わたしはもう少し明確な今後の見通しがほしい。副甲状腺ホルモンが高めでありながら血中カルシウムが基準値内というのは、何を意味するのか。頻繁にできる腎結石(ブログには書かなかったが、数日前にも小さな石が出た)、増えた関節のトラブル(骨腫瘍は無関係だろうなあ)は、このこととは無関係なのか(過去に膵炎の治療も受けていた)。今後も経過観察が必要なのかどうか。

 「教えて! goo」に、ある質問に対する医師からの回答らしい次のようなものがあった。

No.2
回答者:inamist 回答日時:2007/01/21 22:56

内分泌の測定値の解釈は、副甲状腺以外でもそうですが、正常範囲内でも正常は言い切れないことが多いです.
言われている通り、カルシウム、リン、インタクトPTH(数分単位でパルス的に値が変化すると言われています)を同時に測定すれば、ほぼ原発性副甲状腺機能亢進症かどうか、判断がつきます.
正常範囲ないでの高め、低めをhigh normal, low normalと言います.
カルシウムがhigh normalの時にはインタクトPTHはlow normalにならないとおかしいです.従って、検査結果報告書で異常値の印が全く付いてなくても、カルシウムhigh normal,インタクトPTH high normalであれば、副甲状腺機能亢進症の可能性はかなり高いといえます.
骨密度は、一般に皮質骨を中心に低下しやすいですが、罹病期間、重症度にも影響するので、初期で(この症例はもしそうなら初期でしょうが)は、正常な事もおおいです.
すでに原発性副甲状腺機能亢進症と確定診断がついている方を何人フォローしていますが、カルシウムが正常上限に入っていることも多いです.
参考になりましたでしょうか?

 副甲状腺ホルモンPTHは、84個のアミノ酸から構成されるポリペプチドで、生体内のカルシウムCa及びリンPの代謝調節を行っている重要なホルモンであるとか。
 現在では、インタクトPTHは、本来のPHT(1-84)以外に他の6種類のフラグメントも測定してしまっていることがわかっており、完全なPHT(1-84)を測定する方法ホールPTHは1999年に確立されたという。

 骨腫瘍をテーマとした検査入院中、最初の頃、わたしはインタクトPTHで検査されていたが、シンチでそれらしい像が得られなかったことから、念のためにホールPTHで測定。この値が基準値内であったため、問題なく退院の運びとなる。ところが、その後の測定で基準値をオーバーする数値が続々と出現してU先生をイラつかせる。

 以下は、退院した翌年から昨年までのホールPTHで測定した値。一昨日もホールPTH測定のために採血したが、その結果がわかるのは次回の定期検診日で10月。

 基準値=9-39pg/ml

  • 2009/01/28 ……29
  • 2009/04/22 ……78
  • 2009/07/16 ……42
  • 2009/10/22 ……45
  • 2010/05/17 ……63
  • 2010/11/22 ……115

 カルシウムの値は以下。2010年11月15日から2011年1月5日までの値は大学病院で測定したもの。
 基準値=7.5-10.0㎎/dl(大学病院の検査では基準値=8.2-10.2㎎/dl

  • 2008/07/23 ……9.6
  • 2008/08/13(07:00) ……8.8
  • 2008/08/13 ……9.3
  • 2008/08/20 ……8.8
  • 2008/08/21 ……8.6
  • 2008/10/30 ……9.2
  • 2009/01/28 ……9.9
  • 2009/04/22 ……9.8
  • 2009/07/16 ……9.7
  • 2009/10/22 ……9.7
  • 2010/11/15 ……9.80
  • 2010/11/29 ……9.76
  • 2010/12/13 ……9.92
  • 2010/01/05 ……9.87
  • 2011/11/22 ……9.0
  • 2011/4/28 ……9.0

 これを見ると、わたしの副甲状腺ホルモンは、頑張って上限をキープしようとしているかに見える。2009年7月16日と同年10年22日は、4245という風にホルモン値は近く、カルシウム値は同じ9.7。しかし、甲状腺ホルモンが基準値内29だった2009年1月28日は、上限すれすれの9.9で、苦労せずに高い得点、いやカルシウム値を得ていたりもする。
 そして、2011年11月22日には、115という基準値上限の3倍近い値を出して頑張っているにも拘らず、血中のカルシウム値は9.0という平凡さだ。カルシウムは足りているにも拘らず、ホルモンが過剰な要求をして「もっとカルシウムを出せ!」と命令している、しかし冷静な骨は少なくとも今のところはそれに応じていない、というわけなのだろうか。それとも、ホルモンが頑張ってこれくらいの要求をしなければ、血中のカルシウムが足りなくなるというわけだろうか。つまり、どちらが原因で結果なのか、ということがわたしにはわからない。

 何にしても、今のところ血中のカルシウムは正常に保たれているわけだから、様子を見ていていいわけだ。見ているうちに、カルシウムの値がオーバーするのではないか、とU先生は思っていらっしゃるのかもしれない。あるいは、見ているうちに、オーバーしがちなホルモンの値が基準値内に戻るのではないかという期待がおありなのかもしれない。

 ALPは基準値をオーバーしたりしなかったりだ。そういえば、大学病院で念のためにピックアップして検査していただいた他のホルモン関係についても、基準値オーバーがちらほらとあり、その中で、とりあえずクッシング症候群ではないということのみ、確認していただいたということがあった。

 ああ、疲れたっ! とんだ時間潰しをしちまった。

 次回の(内分泌)内科の受診は、10月13日 12:00~13:00 

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2011年4月28日 (木)

抹茶あんみつ、ぜんざい。

抹茶あんみつ、ぜんざい。

デパ地下の但馬屋。
娘が撮りました。わたしはぜんざい。

今日は風が強く、冷たく、日も強く、あったかい。という微妙な天候で、あんみつかぜんざいかで迷いました。

今日は、内分泌内科の定期検診でした。終わってから、休日の娘と待ち合わせました。

腐れ縁的ですね、U先生とは。まだ副甲状腺の観察を続けてくださるのは、ありがたいことです。
「ホール(副甲状腺ホルモン)がね、やっぱり高いんですよ」との理由。

スタッフがかなり震災の地に応援に行かれているとかで、「わたしはこんなとこに居ていいのかな?」と先生。ちらっと、あちらにいらっしゃる看護師さんをご覧になって、「あ、こんなとこなんて、いっちゃいけないな」と慌てたようにおっしゃるところが、相変わらずユニークな先生ですわね。

次回は半年後。

「そのころ、日本はどうなっているでしょう?」とわたし。「だいぶん、ましになっていると思いますよ」と、飄々として前向きなU先生です。

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2011年4月27日 (水)

土井善晴先生レシピ『春雨とハムのマヨネーズあえ』『牛肉のわかめ蒸し』

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 案外難しい春雨サラダ。マヨネーズだけで作ると、玉になりますし、味つけにもわたしはずっと自信が持てませんでした。

 土井善晴先生なら、どんな風に作られるんだろう、と思い、土井先生のレシピで作ってみたところ(※土井先生のレシピでは“マヨネーズあえ”となっています)、夫に大ヒット。

 写真はボケていますが、さらりとした仕上がりで、のどごしのよい、美味しいサイドディッシュでした。

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 数日前に作ったばかりなのに……

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 昨日も作らされて……勿論、自分にも大ヒット! 小ぶりでしたが、アラカブ(カサゴ)もいけましたよ。

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 『春雨とハムのマヨネーズあえ』のレシピを『週刊 土井善晴のわが家で和食 改訂版No.16』(デアゴスティーニ・ジャパン)からご紹介します。

[材料・2人分]

  • 春雨……40g(もどして120g)
  • ハム……3枚
  • あえ衣
    〔 マヨネーズ、酢……各大さじ1
       砂糖……小さじ1
       塩、こしょう……各少量 〕

[作り方]

  1. 春雨は熱湯に3~4分つけてもどし、水にさらして水けをきり、食べやすく切る。
  2. ハムは半分に切って、細切りにする。
  3. あえ衣を合わせ、春雨とハムをあえる。

 ・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

 先月、わかめと鶏肉の煮物を作りました。

2011年3月30日 (水)
わかめと鶏肉の煮もの。卵とザーサイの混ぜご飯。(朝日クッキングサークル)
http://elder.tea-nifty.com/blog/2011/03/post-0425.html

 前掲の『週刊 土井善晴のわが家で和食 改訂版No.16』(デアゴスティーニ・ジャパン)には、牛肉のわかめ蒸しが載っています。牛肉の切り落としが冷蔵庫に買ってありましたので、さっそく作ってみました。

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 材料にバター、黒こしょう、ポン酢じょうゆとあったので、和洋折衷のおしゃれな味に違いないと期待していましたが、期待を裏切らない美味しさでした。

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 前掲の雑誌から、『牛肉のわかめ蒸し』のレシピをご紹介します。

[材料・2人分]

  • 牛薄切り肉……100g
  • わかめ(もどして)……50g
  • バター……10g
  • 塩……少量
  • 酒……大さじ1
  • 粗びき黒こしょう……適量
  • ポン酢じょうゆ……適量

[作り方]

  1. 牛肉、わかめは一口大に切る。
  2. フライパンにわかめを広げて入れ、牛肉を広げてのせる。その上にバターをおいて、塩、酒をふり、ふたをして中火で3分、蒸し煮にする。
  3. 器に盛り、黒こしょうをふって、ポン酢じょうゆをかける。

 フライパンで簡単にできるところが、嬉しいですね。

 わかめは、鶏肉とも牛肉とも合いました。どちらのレシピも重宝しそうです。

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2011年4月26日 (火)

20日に、整形外科受診 - 肩関節周囲炎(五十肩)のストレッチを教わる

 遅くなったが、記録しておこう。

 右の五十肩の痛みが強かったため、4月1日に飛び入り受診。主治医ではなく、べつの若い先生だった。関節内注射を受けるが、夜間、激しく痛み、2日ほど右肩下から肘までの間がかなり腫れた。

 20日の受診が本来の定期検診だった。事前に両膝と両膝下のレントゲン。

 これまでわたしはレントゲン写真を見、先生の説明を聞いても、腫瘍の数と位置がはっきりしなかったのだけれど、今回はその点を改めて確認しておきたかったので、先生に質問した。

 右と左の膝に各1個、左の脛――膝下――に1個、計3個だった。それほどの変化は見られず、すぐに処置が必要となるような変化はないとのこと。それでも、触ると大きくなっているのがわかる。「どれも、やはり腫瘍でしょうか?」とお尋ねすると、「うん。腫瘍以外には考えられん」と先生。

 定期検診の主題はこれで終わり、次いで右の五十肩の件。わたしは関節内注射の目的が何であったかを訊いた。先生はパソコン画面の記録を見ながら、「ステロイドと麻酔薬やけんね、痛みを和らげるための処置たいね」と、相変わらずの佐世保弁で先生。「痛みを和らげる処置だったのですか……」とわたしは情けない声を出した。

 これまでの人生で、あれほど痛い思いをしたのは初めてだと思ったほど痛かったのに。わたしは激痛に一晩中苦しめられたこと、2日ほどひどく腫れたことを先生にお話しした。

「えっ、腫れた?」と驚いた表情で、先生。なぜか驚いたとき、先生は標準語を発せられる。「注射液が漏れたのでしょうか?」とお尋ねすると、注射液は漏れて腫れるほどの量ではなかったといって、容量をおっしゃった。「ヒアルロン酸とかじゃなかけんね……」と先生。カルテに何か記入なさった。

 右肩がどれくらい上がるかの検査。情けないくらい上がらない。関節内注射でかえって悪くなった。
「いかんばい。このままじゃ、いかんばい、Nさん。しっかりストレッチせんば」と先生。「もう、動かしていいのですね?」とわたし。「動かさんば。このままじゃ、かたまってしまうけんね」と先生。

 この時期にふさわしいストレッチを教わる。この場合、傷めた右肩だけでなく、左右対称に、左肩も同様に行う。

  1. 右手を左肩に置き、左掌を右肘に下から掴むように添え、その添えた手を胸のほうにぐっと引き寄せる。もう片方も同様に。
  2. 両手の指を前で組んで、前に伸ばす。
  3. 右腕を伸ばし、左掌を右肘に下から添え、その添えた手を上に押し上げる。もう片方も同様に。
  4. 背後で両手の指を組み、上体を倒しながらそれを上にあげていく――のは今の状態では無理なので、背後に両手を回し、右手で左手を掴む。もう片方も同様に。

 1.は、右手を肩に置くことさえ、困難だった。4.も、掴むことさえできない。右肩はガチガチだ。「1週間、リハビリに通ったほうがよかかもね」とひとりごとのように、先生。

 痛み止めのロキソニンと湿布薬を出して貰っていたが、ここでも出して貰う。なくなったら、使うつもりで。

 話が前後するが、診察の最初に先生は「おなかのほうはどうね?」と質問なさった。これまでのことを担当科以外もチェックなさるのだ。わたしは薬剤性肝炎の件をお話しした。先生はそれについて、細かくお尋ねになった。「あんまい、いろいろせんがよかね(あまり色々としないほうがいいだろうね)」と先生。

 わたしは湿布薬にかぶれやすい。しかし、少しはほしい。先生は塗り薬と湿布薬を出してくださる。「厚いのと薄いのと、どっちが効くね?」と効かれたので、厚いほうをお願いした。

  • スミルスチック3% 全40g 外用
  • ロキソニンパップ100㎎ 全35枚 外用

 痛み止めは、

  • ソレトン錠80 80㎎ 1日2錠 (説明)
    1日2回 朝・夕食後 7日分

 痛み止めは胃を傷めやすいので、

  • ムコスタ錠100㎎ 1日2錠 
    1日2回 朝・夕食後 7日分

 関節内注射後に若い先生から出していただいた痛み止めはソランタール錠100㎎だった。循環器クリニックで出していただいたのは、ロキソニン錠60㎎ 1日2錠。

 薬剤師さんによれば、強い順に並べると、

  1. ロキソニン
  2. ソレトン
  3. ソランタール

 だとか。

「Nさん。ソレトンとムコスタを服用したときは、2週間後に肝機能の血液検査を受けんばばい(受けなくてはいけないよ)」と、先生はいい含めるようにおっしゃった。大学病院の肝臓の先生がおっしゃったことと同じだ。

 五十肩の件がなければ、次回は半年後か、もっと間隔が空いたかもしれなかったのに、五十肩のために、「2ヶ月後には来んばいかんばい。」と先生。また、自分でストレッチがうまくできないようであれば、先生にいうようにとのこと。そのときはリハビリに通うことになるのだろう。

 次回受診は、6月29日 10:00~11:00

 籠の荷物をとりに行き、診察室を出ようとして振り返ると、先生がこちらを眺めていらして、女性的な優しい、情けなさそうな表情で、「Nさんー」とおっしゃった。わたしはハートが飛び出そうになるくらい、ドキッとした。何て物柔らかで綺麗な、しかし困ったようなお顔。ちなみに先生は本来、男性的な容貌のハンサムなかたなのだ。

 先生は何かおっしゃったが、狼狽するあまり、聴こえなかった。「わあ、先生、ごめんなさいー!」と謝って、診察室を出た。次から次に問題を持ち込んで先生を苦しめる悪い患者とは、ハイ、わたしのことです。

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耳寄りな話……持つべきものは文学仲間

 久しぶりにFさんからお電話があり、出てこられないかとのこと。
 わたしは、例によって当日急には出られないタイプ。「せめて前日にいっていただけたら……」といってみたが、Fさんは「僕は行き当たりばったりだから」と例によって、笑っていらした。

 Kくんの作品が「文學界」の新年号に掲載されていたそうだ。最近は文芸雑誌は全く読んでいなかったから、知らなかった。お祝いも申し上げずに、失礼をした。
 Kくんは芥川賞が近いのではないか、とのFさんの予測。うーん、そうかも。何にしても、よかった、よかった!
 遅ればせながら、葉書を書こう。それにしても、年賀状に何も書いてくださらないなんて人が悪いわねえ……いやいや、そこが謙虚なKくんらしいところで、作品にもその人柄の馨しさが反映しないわけがない。
 そういえば、ちょうど新年号が出たころに、そんな検索ワードがあった。読んだ人が作者の情報を求めて、検索していたのだろう。

 ところで、Fさんは何冊も出版経験がおありで、企画出版になったものもあるそうだが、それは賞をとったら……という約束を交わしていたそうだ。自費出版が先行していたとか。
 やはり素人のものは、自費出版しかないようだ。でも耳寄りの話を聴いた。

 安くて、校正ばっちりの出版社をご存じで、出すときは紹介してくださるとのこと。
 普通なら、校正は本人任せで、ハードカバーで200万するところが、90万でできるとか。ソフトカバーだと、500部、45万で出せるそう。

わたしはFさんの本を何冊か見せていただいたことがあるが、立派な本ばかりだった。

 長老格のO(K)さんも何冊も出版経験がおありのようだが、最近はそこからソフトカバーで出されたそう。Fさんはそこから、ハードカバーで8冊も出したそうだ(元高校教師はお金持ちだなあ)。

 ソフトカバーで少ない部数だと、原稿用紙500枚が35〜40万で出せるという。それくらいで出せるなら、わたしの児童文学作品『不思議な接着剤』も出せるかもしれない。旅行が高くつかなければ。

 ただし、そこは自費出版オンリーらしい。それ専門というより、売れないとわかっているものを企画出版することはないという前提をはっきり打ち出されるという(同じ自費出版系でも、○芸社などとは大変な違いだ。友人が19頁の小型のペラペラの絵本? を80万円で出す羽目になったことを考えると。文章のおかしなところもそのままだった)。
 専門の校正者が2人いて、編集者だったらしく、校正だけではなく、作品の編集からしてくれるそうだ。その技術がすばらしいという。書き込みだらけになるほどとか。

 では、こうしよう。ブログの書籍化サービスでサンプルを作り、まずは児童書専門に売り込み。駄目だったら(ほぼ駄目だろう。何しろ、企画出版の年間新人枠0名というところのほうが多いみたいだから、ある意味ではチョモランマ征服より難しい)、Fさんの紹介でそこから出して、その自費出版した本でまた営業をかけるというのもいいかもしれない。

 そして、例のカップリングの話、わたしはすっかり忘れていたが、Fさんは忘れていなかった。Fさんが小説、わたしが評論を担当して小冊子にし、新聞社などに送る件。
 Fさんがお子さんの絵とカップリングで出されてきたそれは既に評価を得ている。新聞などで採り上げられてきた。わたしが加わると、それを損ないそうで怖いのだ。そうわたしはいった。

 一度お目にかかって話す必要があり、会おうということになったのはいいが、何せ、Fさんは当日にならないと予定が立たない人。わたしは当日いきなりでは、無理な人間。お目にかかるのも難しいわねー。

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2011年4月25日 (月)

インドカリーのお店

インドカリーのお店

○大分市王子北町5-9 フレスポ春日浦内
『タンドリーアン 大分』

フレスポ春日浦にはスポーツクラブがあり、ルームランナーで走っている人々、その隣ではヒップホップしている人々が、駐車場から見えました(夜で遠目でしたから、違っていたかも)。

『タンドリーアン 大分』は入りやすい、カジュアルなお店です。お味も日本人向きで、リーズナブルな日替わりセットがあるのが嬉しい。女性に好まれそうです。

府内町にある本格的なインド料理店『ナーナック』とは、別種のお店という感じです。『ナーナック』に入るには何となく気構え(?)がいりますが、『タンドリーアン』には気軽に入れます。全然妖しくありません。

次回は、思いっきり妖しいムードを湛えた『ナーナック』へ、タンドリーチキンとお乳っぽい香りがぷんとするナンを食べに行こうかしら!

比較的近いにもかかわらず、まだ行ったことのないネパール料理のお店『スールヤ』も人気があるみたいなので、行ってみたいと思っています。

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国会が民主の勉強会みたいだ

午前中は観なかったが、参議院決算委員会質疑。午後は参議院予算委員会集中審議。

国会でもう見慣れた、自民党が民主党に講義しているような光景。集中審議なんてもんじゃないや。そんな高度なレベルには届かない。

そんなレベルの彼らが権力を掌握していて、あやふやな頭でテキトーに多くのことを決めていくのだから、怖くてたまらない。

外交とはどんなものかを自民の猪口郁子氏が講義し、関連質問で対策本部の立ち上げかたを佐藤信秋氏が講義していた。

民主党は学ぼうとしている。しかし、今は勉強している場合ではないというのが問題だ。

菅首相となると、老化もあるのか、頭が硬くなっていて、講義がさっぱり呑み込めない様子。おまけに辞めそうにないなあ……「運命」だそうだ。ニュース記事によると、「宿命」ともいったようだ。

そんな言葉はわたしのような「ないない尽くし」の庶民が怨みっぽく使うものであって、政治の現場で指揮官が運命論者になるようではお仕舞いだろう。尤も、菅首相が運命論者になるのは辞めるようにいわれたときだ。

わたしのタロット占い、当たったわね。

民主党を象徴するカードには徒弟、職業訓練・研究課題に励む人物を意味する『ペンタクルスの8』、民主党の政治によって国民の行き着くところを示す最終カードが、端的に貧困をテーマとする『ペンタクルスの5』。

戯れに占ったときは、ポッポちゃんが首相になって間もない頃だった。結論に、全カードの中でも最も惨めな貧困のカードが出るなんて、少し度がすぎると感じられたものだが……。

何とかしなければ……まず菅首相を何とかしなければ、この国は本当に駄目になってしまう。不適切な指揮のために、どれだけ貴重な時間とお金が出ていったことだろう。下手をすれば、破産国家になってしまうわ。

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15日に循環器クリニック受診

 遅くなったが、記録しておこう。

 血圧は安定しており、体重がまた1キロ減っていた。また、というのは前回も1キロ減ったから。ここ5年くらいで、体調がいいと体重が減り、そうでないと太るようになった。このところずっと体調がよく、それを証し立てるかのように、少しだが体重が減った。

 ニトロペンを何錠使い、そのとき冠攣縮性狭心症の発作はどんな起こりかたかたをしたかを訊かれた。震災、福島第一原発事故と続き、そのことをじっと考えていて発作が起きたといった。

 わたしは日本人が受けている放射線の影響について、先生がどうお考えなのかを知りたかったのだが、一般人のそれと変わりない反応を「うーん、本当にねえ……どうなるんだろう?」という具合に示されただけだった。

 先生は、いつものように時計を見ながら脈拍数をカウント。診察室に入ったときから、おや? と思っていたのだが、そのとき、うつむかれている先生のお顔の右目の辺りがはっきりと見え、「ええっ?」と驚いた。ボクシングでもなさったのかしらん? 右目が周辺と共に黒々としていた。

「うん、脈は安定している」と先生。「先生、そのお顔、どうなさったのですか?」すると、先生は照れながら、「いやー、酔っ払って転んでしまってさ」とおっしゃった。どういう転びかたをすれば、あんな風になるのか不思議だったが、用心していただきたいと思った。

 おまけに、もう少しあとだそうだが、仙台で学会がおありだとか。「地震と津波が怖いよ」と先生。「会場が別のところに、変更になったりはしないのですか?」とわたし。「それはないと思う。全国から集まるからね。変更は難しいだろうなあ。主催者は、やる、とはりきっているしね」と先生。くれぐれも用心していただきたいものだ。

 喘息のことを訊かれ、聴診など終えて、今度はおなかのことも訊かれる。

 わたしは胃腸の調子がまあまあに戻った今、薬を断ちたかったので、「おなかの調子は比較的よかったし、先生が胃薬はあまり飲まないようにとおっしゃったので、そのように努めました」という。すると先生は「いや、飲んでもいいんだけれどね。他のをあげてみよう」とおっしゃるではないか。

 いらないっていってるのに、と思い、「いいえー、貰わなくっても、大丈夫だと思います」といった。先生は何かいいたそうな表情をなさった。今度は五十肩のことを訊かれる。わたしは湿布薬でかぶれることをいい、飲み薬があれば、そちらに替えてほしいといった。

「じゃあね、ロキソニンをあげるよ。ただ、これは胃の薬と一緒じゃないとね。消炎、鎮痛作用があるものはどうしたって、そうだ。プロテカジンをあげてみようか」と先生。胃薬は薬剤性肝炎と関係ありそうで、怖かった。だから、いらないっていったのに。

 でも、てきぱきとカルテに記入なさっている先生を見ていると、どうしてもわたしに胃薬を持って帰らせようと決心なさっているように感じられた。今は調子がよくても、そのうち悪くなって、別の病院にかかって自分の知らないところで得体の知れない薬を飲み、厄介なことになりかねない……とでも想像なさったのだとしか思えない強引さだった。

  • インデラル錠10㎎ 1日3錠 :(説明)血圧を下げる薬です。心臓病の薬です。
    シグマート錠5㎎ 1日3錠 :心臓病の薬です。
    1日3回 毎食後 40日分
  • ヘルベッサーRカプセル100 1日2個 :血圧を下げる薬です。心臓の血液循環をよくする。冠血管攣縮むを予防する薬。
    アイトロール錠20㎎ 1日2回 :血液の血行をよくするお薬です。心臓の働きを強くするお薬です。
    1日2回 朝・夕食後 40日分
  • ロキソニン錠60㎎ 1日2錠 :炎症や痛みを抑える薬です。
    プロテカジン錠10 1日2錠 :胃酸の分泌を抑える薬です。
    1日2回 朝・夕食後 21日分
  • フルタイド200ディスカス 全1個 :気管支の炎症を抑える薬です。気管支喘息の薬です。
    吸入
    1日2錠

 ロキソニンもプロテカジンも肝臓のために使うまい、と決心して帰宅した癖に、一昨日、ちょっとした弾みで肩を捻った感じになり、痛みに耐えかねてロキソニンを服用。
 仕方なくプロテカジンも服用した。
 飲むと、肩の痛みがあまり感じられなくなり、プロテカジンで胃が涼しい。さすがに気持ちがいい。

 どの胃薬でも、最初はそうだ。そのうちわたしの場合、異様におなかが膨れたり、痛くなったりして、かえってよくなくなるのだ。胃腸薬を全然服用しなくなると、おなかの調子はそれほど悪くもよくもなくなり、何とかやっていけるようになるのだ。そう思いながら、既に今日までに3錠ずつ飲んでしまった。わたしは膀胱炎で抗生剤を服用することも多く、それと一緒に出る胃腸薬で悪循環の原因をつくってしまった気がしていた。今度はこのプロテカジンが悪循環の原因……にならなければいいが。

○ところで、体調ブログのほうで、わたしと同じ洞性頻脈、冠攣縮性狭心症、気管支喘息などの疾患をお持ちの医療は素人ではないという現在主婦のかたから、コメントをいただきました。

 コメントの主旨は、冠攣縮性狭心症にインデラルを飲むと症状が悪化することがあるというものでした。わたしは素人ですから、多くの情報を欲しており、ありがたいコメントだと思いました。ただ、先生は勿論わたしもこのことは知っていましたし、またコメントをくださったかたとは病名は同じでも症状の程度や起こりかたは違うようです。

 わたしのコメントは間違っているかもしれないので参考にしていただくと困りますが、同様の忠告をちょくちょく受けることがあるので、ラインの続き以下に、転載してみました。

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2011年4月22日 (金)

pdfファイルにリンクを張るまでの回り道

息子が送ってくれた解説「放射線と原子炉の話」をウェブ上にアップしたいと思ったが、どうすればいいのか、さっぱりわからなかった。

息子はpptファイルで作成していた。OSによって問題の生じる可能性があるというそれを、とりあえず、pdfファイルに変換。

試行錯誤の挙げ句、ホームページからファイルにリンクが張れることがわかり、一件落着。

うーん、しかしブログからホームページの記事にリンクを張ったところで、そちらにまでわざわざ足を運んでくれる訪問者は少なさそうに思えた。

そして突然、当ブログからpdfファイルにリンクを張れることに気づいたのだった。(※前の記事をご覧ください)。

画像を何度となくアップしておきながら、ファイルのための機能がすぐ横にあることを忘れていた。

いや、実は前に一度試したことがあったのだが、何かの不備で失敗したのだった。ファイル名に日本語が混じっていたとか、そんなことだったかもしれない。pptファイルで試そうとして、何となくやめてしまった気もする。

今回、最初はシーサーブログで試してみて、ブログで可能だとわかった(ここのはファイル名に日本語が混じっていてもできた)。

何だか、無駄に時間が潰れてしまった。ちょっとしたことがわからないばかりに、時間とエネルギーを浪費することがネットの世界では、わたしの場合よくあるのだ。

しかし、こういうことができるとわかれば、自分の長い作品はpdfファイルで作成して、ブログやホームページから、それへのリンクを張ったほうがいい気がする。

おっと、遅れている創作のほうが先だった!

○追記
開設中のブログで試してみたところでは、pdfが可能だったのは、ココログ(当ブログはこれ)、シーサー、忍者だった。
さすがにWordPress.comはpptなら可能だった。上の三つはいずれもpptも可能。

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2011年4月21日 (木)

息子の図解「放射線と原子炉の話」をご紹介

 過去記事で、息子が、科学音痴のわたしの頭に合わせて放射線と原子炉について図解したファイルを送ってくれたと書きました。

 わかりやすい内容だと思いましたので、息子の許可を得てご紹介することにしました。下記のタイトル下をクリックすると、内容を閲覧できます。

 ホームページ「バルザックの女弟子になりたい!」の中の下記のページにも紹介記事があります。

 

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2011年4月20日 (水)

牛の涎の如く

牛の涎の如く

ジュンク堂で、岩波少年文庫からリンドグレーンの本『川のほとりのおもしろ荘』(マディケン・シリーズ)が新しく出ていたので買いましたが、マドレーヌの絵本の横に絵葉書が二種類置かれていました。

お取りください、という雰囲気で置いてあったので、わぁほしいなと思い、いただいていいか尋ねたら、どうぞ、ということでした。2枚とも貰ってきました。
リンドグレーンの本の中に、「マディケン、生きているよろこびを感じる」「貧乏ゆえの無力さって、なあに?」という章があり、それを見ただけでも、ああ読んでみたいなと思いました。さすがはリンドグレーンだけのことはあります。

努力したところで、足元にも及ばないだろうことはわかっているけれど、わたしにしか書けないものを書いている(いや、書こうとしている……ですね)という、思いはあるのですね。

その作品『不思議な接着剤』に南フランスのカルカッソンヌ城塞都市をモデルとした街を描きたくて、いっそ行ってしまえと思いました。

お金があってそうするわけではなく、少ない夫の退職金の中から(それすら本当は定年後の生活に備えるべきなのですが、このままでは自分たちが可哀想……世界が拡がらないという何かわびしい思いがあって。子育て時代はそれはそれは倹約したものでしたから)、夫もわたしもそれぞれ一部分を好きなことに使うことにしたのでした。

それが、夫の予算がこちらに食い込んでくることがわかりました。わたしは作品を売り込んでみて、それに失敗したら、自費出版するつもりでした。しかし、何となく中途半端な金額になってしまったので、娘と海外旅行することに決めたのでした。かえって、そう決めるきっかけができて、さっぱりとしました。

まあ1冊何千円かで作れるブログの書籍化サービスを利用して作品の保存はできますし、没後出版ということだって(?)ありえます。そのうち父たちが正気に返って、母がわたしたち姉妹のために残してくれた少しばかりの土地をお金に変えることを許可してくれないとも限りません。そうしたら、母からのプレゼントと思い、本を出しましょう(ちょうど、それができるくらいの金額になりそう)。

いえいえ、そうではありませんでした。海外旅行をして(しっかり取材して)作品を満足のいくものに完成させ、自信を持って売り込むことにしたのです(現状ではやや弱いかな)。取材を作品に生かすことにかけては、自信があります!

……と、久しぶりの父夫婦の登場でしたが、相変わらずでして、何やかや間接的にいってきます[カテゴリー「父の問題」参照]。

実家を叩き潰して、更地にし、博多にマンションを購入したらしい父夫婦でしたが、過日、マンションの不動産屋さんから妹に電話がかかりました。

父夫婦は、わたしたちが勝手に侵入して何かしているという妄想から、不動産屋さんをメッセンジャーにして、呼び出しをかけてきたのでした。

わたしたちは、そんな呼び出しに応ずるつもりはありません。危険を感じます。父夫婦には頭の治療が必要なことは確かですが、自分たちでそうする気のない父たちは、人権を尊重しましょうという趣旨の法律に守られていて、無理には治療を受けさせることができません(わたしたち姉妹の人権はどうなるのでしょう? 人権って難しいものですね。まるで天秤みたいに、一方が上がれば、他方が下がるのですから)。

不動産屋さんはさすがに父たちの訴えをおかしいと思ったようで、妹が事情を話すと、わかってくれたようでした。上品な感じの不動産屋さんだったとのことです。父は即金でマンションを購入したそうで(手堅い父は昔からそうでした。大きな買い物を好む父は、相当な倹約家でもあります。だから、わたしは父が裁判を起こすまで、貧乏だと思い込んでいました。そう思っていたのはわたしだけだったことも、それによって知りました。こんな鈍いわたしにも、どこか欠陥がありますわね)、わたしたちに関する妄想以外では特に人に迷惑をかけることはしていないようです。目立たない市民として生活できているようです。

自分たちのことを知らせようとして、あれこれいってくるのだとしか思えないときがあります。

昨年、父たちは、父の相続からわたしたち姉妹を廃除するという訴えを起こしていました。その判決は今年になって下り、父たちの訴えは正当でないとして却下されました。わたしたちは一度調査員の調査に応じただけでした。家事審判というのだそうで。

仮にわたしたち姉妹が相続人でなくなったとしても、それは奥さんにではなく、わたしたちの子供に行くという調査員のお話でした。父たちの誤算だろうとの調査員の推理でした。父たちがそれを不服として訴えるとすれば、次は高裁から呼び出しがかかるのですって。

父ももう年ですから、今後が本当に気がかりです。とはいえ、父夫婦の心配ばかりしていてもどうにもならないので、なるべく普通に暮らしたいと考えています(どこか原発事故を連想させるところがあります)。

海外旅行の話に戻ると、息子も行けるかもしれないそうで、そうなると、ツアーでなく、フリーステイもいいかなと思っています。わたしだって「トイレはどこですか?」くらいはいえますよ。

娘の休みが6日しかとれそうにないため、ツアーだと厳しいのです。プラン自体がほとんどありません。

カルカッソンヌが無理なら、ローマ(及びバチカン)かパリでもいいかなと。イタリアの便器に、便座があまりついていないというのは、本当でしょうか?

最近、ブログの更新が少なかったせいか、携帯で書き始めたら、下らないことから記録しておきたいことまで、牛の涎のように出てきます。

本当は、今日の整形外科の受診記録を書くはずが……まだ循環器クリニックのそれも書いていませんでした。

右の五十肩は重症みたいです。自分でうまくストレッチができなければ、リハビリに通うことになるかもしれません。といっても、五十肩ですから、あまり深刻ではありません。

ある限られた動作をするときに、不自由を感じるだけですからね。関節内注射で腫れたのも、あんなに痛んだのも、異常なことだったみたいです。詳しくは記事を改めて(また忘れそう)。

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2011年4月18日 (月)

国会中継を通して改めて知った、菅首相の非常識

 日本がどうなるのか、本当に心配だ。第一に菅首相が正気かどうか見極めたい気持ちで、国会中継を視聴していた。
 「本部」「会議」がどんどん増えていくことに驚かされていたところ、梅原猛氏を特別顧問(名誉議長)とした「東日本大震災復興構想会議」なる何だか珍妙な会議まで立ち上がった。
 それにしても、内陸部にエコタウンというのは、あれは何だろう? ドイツの田園都市をモデル? バイオマス(生物資源)活用による地域暖房を完備したエコタウン?? 
 エコタウンに驚いていたら、今度は東北「食糧基地」構想ときた。

 確かに今回の東日本大震災、福島第一原発事故は大変な災害だった。しかし、だからといって、これまで日本で起きた災害に対する対応が参考にならないというわけではあるまい。

 自由民主党の脇雅史氏が、震災、原発事故後の首相の対応がどうであったかを質問していた。

 それによると、官邸本部は現地本部に権限を委任できるとか。原発事故ではそれがなされなかったため、対応が遅れたことが考えられるようだ。また本部を設置するときは、閣議決定が必要なのだそうだ。そして、ベント(原子炉の格納容器内にたまった水蒸気を、配管を通して外に排出する緊急措置)のとき、全部の大臣が詰めていなかったのはおかしいという。
 マニュアルを無視して菅首相はめちゃくちゃなことをやっている、と脇氏は指摘していた。

 参考までに、ラインの続き以下に、ウィキペディアから「災害対策本部」の項を転載させていただいた。
 また、下記の法律は、総務省が運営する総合的な行政ポータルサイト「電子政府総合窓口イーガブ」で閲覧できる。

  • 災害対策基本法
    (昭和三十六年十一月十五日法律第二百二十三号)
    最終改正年月日:平成二二年一二月三日法律第六五号
  • 原子力災害対策特別措置法
    (平成十一年十二月十七日法律第百五十六号)
    最終改正:平成一八年一二月二二日法律第一一八号

 確かに、これらを見ると、脇氏の指摘が正しかったことがわかる。

 ウィキペディアの「災害対策本部」を見ると、菅首相は緊急災害対策本部を設置しているが、それは勝手に行われたもののようだ。それまでは、きちんと閣議決定を経て非常災害対策本部が設置されているというのに。そして、応急対策に一応の目処がついた段階で「復興本部」と称されるような組織に事務が移管され(またはそのまま)解散されたと見られる。しかし、菅首相の頭の中では、応急対策も復興もごっちゃだ。

 菅首相が招いた「本部」「会議」の乱立は、本来ありえないことだった。こんなめちゃくちゃをやる首相というのは、恐ろしい。小泉氏といい勝負かもしれない。こんな首相のもとでは、迅速かつ適切な応急対策も、よき復興も望めない。

 ただ社民護憲連合の福島みずほ氏の原発関連の質問に対し、戦略的に位置づけられるクリーンエネルギーに力を入れたいということや、原発に関してはこれまでの検証を行うと明言していたので、覚えておきたい。

 ところで、当ブログのサイドバー下方に設置したブログ内「人気記事ランキング」を見ると、

 となっている。
 検索ワードでも、被曝した作業員たちのその後を案じているようなものが多く見られる。わたしも気になっていた。

 これについては幸い、公明党の加藤修一氏が周辺住民の健康状態と合わせて採り上げていた。政府は、原発労働者の健康状態を長期にわたって構築するデータベースが必要と応じていたから、これも覚えておこう。

 脱原発運動が盛り上がっているようだ。地道に活動してきた組織に、若い人々の驚きや感覚的な人々の興奮がのっかっているという印象。
 知的で辛抱強い人々の思考と行動こそ、脱原発運動には必要で、こうなって初めて原発問題に気づいたような(わたしも半分はそう)、自分のメリット・デメリット(今は原発)しか見えない人々の短絡的な思考と行動は有害なものとなりかねない。この問題は、興奮して叫んで一気に片がつくというものではないだろうから。

 脱原発は絶対に必要だが、一気には無理だろうから、原発は国有にして厳重に管理されるべきだと思う。企業が儲けに走るのは当然で、気高い倫理を求めるほうが間違っている。

 脱原発の難しさは、計画停電が工業にどれほど深刻な打撃を与えるかをテレビ番組で知ったことから、わたしにも想像がつくし、またイタリアやドイツの例からもわかる。
 脱原発したイタリアはスイスやフランスから足りない電力を買っていて、電気代も高いようだ。脱原発政策を採っているドイツも、フランスから電力を買っているだけでなく、国内の企業が他国の新型炉開発に協力したりもしているらしい。原発でつくられた電力を買ったり、原発開発に協力したりするようでは、脱原発の意味がない。 
 

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2011年4月16日 (土)

外出疲れ

昨日の外出(道草、クリニック受診、買い物)の疲れで、今日はほぼダウン。

薬局に、同じビルの中の別のクリニックを受診したらしい人がいて、ゴンゴン、ゴンゴン、壊れそうな咳をしていましたから、あれが移ったのかも(あ、潜伏期間がありますね)。

買い物袋を下げたムリが五十肩にきて、右肩が疼きます(ロキソニン、貰っといてよかったわ!)。

関節内注射を受けてから、よけいに右手が上がりません。左肩が痒くても右手で掻けず、エプロンの紐を結べず、ネックレスの付け外しは前に回さなくてはならず、服の脱ぎ着にやたらと時間がかかります。

来週は整形外科の予約日ですが、それまで待っていればよかったと後悔しても後の祭り。せっかく左の五十肩が卒業して、骨腫瘍の経過観察の間も空いたのに、今度は右の五十肩とは、先生も相手にしてくださらないかもね。

この時間まで、洗濯くらいしかしていません(したのは洗濯機)。こんな時間ですが、今から掃除をざっとし、夕飯を作りますわ。娘は今日は残業で遅くなるそうです。

この軟弱さで、おフランス、イタリーねえ、ほほほ……でも、決行するつもりです。早くて秋、遅くとも来年には。

受診記録がまだでしたが、だいたい、いつもと同じでした(それでも、後で書いておきたいとは思っています)。明日はどうしたって、『すみれ色の帽子』にお話を一つ入れなくては。秋芳洞、水族館、高崎山を素材としたお話も、今月中には入れておきたいと考えています。

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2011年4月15日 (金)

スープカフェ・ナインシードにて

スープカフェ・ナインシードにて

娘と夕飯中。女性に人気のお店みたいです。ボルシチセットを注文しました。

ボルシチは、よく煮込まれた鶏肉と豚バラ肉と野菜で、よい味を出しています。たっぷりの量で、わたしには多いくらい。

ふっくら、もっちりのパン、サラダ付で、1,000円。お得感!


そういえば、午前中循環器クリニックに行き(道草食いながら行ったので、既に患者さんでいっぱい)、先生のお顔を見てびっくり!

詳しくは帰宅後に、受診記録で書きますね。

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街路樹の根元に

街路樹の根元に

まるで、おかあさんを慕うように、街路樹の根元にタンポポが沢山……

道草ばかり食って、いつクリニックに着くのやら。

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もう葉桜

もう葉桜

クリニックに行くところです。

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シネマ・インデックス

memo 当ブログで公開した映画記事の一覧です。
記事で言及した映画のタイトルをとり出し、五十音順に列記しました。
映画は、映画館、テレビ、DVDで鑑賞したものです。
インデックスに収録した記事には、本腰を入れて論じたものから断片的なものまでが含まれますので、内容、質にばらつきがありますが、その点はお見逃しくださいますよう。

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2011年4月14日 (木)

シネマ『太平洋の奇跡 - フォックスと呼ばれた男 - 』

 一昨日、下りのエレベーターに乗り、3階に止まったとき、エレベーターホールに白いものが散らばっていた。何だろうと思い、よく見たら、桜の花びらだった。
 通路側から吹き込んで来たのだろうが、桜の木々は、同じ敷地内にあるとはいえ、そこからはかなり離れた場所の公園にある。風の悪戯だろうが、よくぞお越し遊ばしたと感心した。

 桜を愛でる気持ちのゆとりも持てないまま、早4月も半ばだ。といいながらも、一昨日は、シネマ『太平洋の奇跡 - フォックスと呼ばれた男 - 』を家族で観に行った。

danger 以下、ネタバレあり。

 大場栄大尉を演じた竹野内豊が好きで観に行ったのだが、すばらしい映画だった。太平洋戦争末期のサイパン島を舞台とした戦争映画で、これまでになかった異色作となっていた。

 日米監督の協同により、日米双方の視点で非日常的な戦場に置かれた個人を描くという意図のもとに制作されたようだ。
 戦勝国=善・敗戦国=悪といったどちらかに偏った見方を極力排し、自虐史観、反戦思想からも離れたところから、物柔らかな視線で戦場の個人が見つめられていた。

 両監督の試みが生きた、きめ細やかな戦争物に仕上がっていた。
 しかも、これが実話であるというのだから、二重の驚きだった。

 戦後の平和教育に馴らされた頭ではあるが、この年齢になってくると、そう単純には、太平洋戦争に突入し敗戦した当時の日本、日本人を断罪する気にはなれない。
 まして、今回の原発事故を考えてみると、原発のリスクの大きさに気づきながらも原発を使い続けてこんな事態を迎えたわたしたちと、戦争のリスクの大きさに気づきながらも戦争に突入した当時の日本人は同類であることに気づかされる。

 そこにはわが国の、また、わが国だけのこととはいえない諸々の事情が複雑に絡まりあっていたことも同じだ。
 主因として、豊さを求めて(貧困からの脱却、列強と肩を並べるため)……ということが挙げられるだろうか。逆からいえば、わが国の資源の乏しさがある。
 戦争しなかったら、原発をつくらなかったら……うまく想像できないが、別の国が出来上がっていたのだろうと思う。

 戦争物には以前から興味があった(戦争が好きだからではない)。特に、兵站――戦場の後方にあって、食糧・弾薬などの軍需品を補給・輸送したり、連絡にあたったりする機関――がどう動いたかだ。

 昭和19年6月19日のマリアナ沖海戦で、日本軍が航空機の主力400機を喪失したことにより、救援は望めなくなる。
 サイパンでの絶望的な状況に追い込まれた大場がどうやって長期間、多くの民間人を餓死から救い得たのか……。平和で、食料も豊富な日本にありながら、被災地の人々を飢えさせてしまったりしているわたしたちとどうしても比較してしまう。

 パンフレットにある「サイパン戦の略史」を見ると、洞窟などの隠し食料が米兵に見つかった後は、米軍基地からの盗品、パンノキ、パパイヤ、カタツムリなどに頼ったようだ。これが昭和19年11月のことで、民間人全員の投降が決定されたのは20年3月だった。
 勿論、傷病との闘いもあった。
 何より凄いのは、大場率いる兵47名で米軍に立ち向かい、彼らを翻弄するということまでやってのけたことだ。

 大場がサイパンに到着してから3ヶ月後の昭和19年6月14日などは一日に3万発もの艦砲射撃があった。7月9日に米軍ターナー中将がサイパン占領宣言を行ったとき、米軍海兵10,437名、歩兵3,674名が駐留。11月15日の米軍による大掃討作戦には海兵隊5,000名が参加している。彼が相手にしたのはそんな圧倒的な敵だったのだ。

 もっと早く投降すればよかったのに、というのは結果論にすぎない。投降して捕虜になった場合、その先の運命がどうなるかは当時の日本人にはわからないことだったからだ。

 大場は、知恵を振り絞り、機敏に行動した。映画ではあまりユーモラスなシーンはなかったように思うが、原作では、米軍の野営地にパンを盗みに行くところなど、悪戯小僧か、ネズミのようで、その行為を楽しんですらいる様子が描かれている。
 地理の教師をしていた大場の経験が、作戦を含む様々なシーンで生かされたのかもしれない。赤ん坊を救うシーンのみずみずしさ。背中一面に刺青を施し、任侠に生きていた堀内一等兵に対しては、いわば放し飼いにして、個性を生かしてやっている。唐沢寿明が堀内一等兵を演じており、スキンヘッドにして役作りしていた。大場の民間人に対するまなざしには、終始、保護者的な光が感じられた。

 死者への思いを籠めた弔銃の後、高らかに歌いながら米軍の前まで行き、威儀を正した投降のシーンは凛呼としていた。
 神出鬼没の指揮官・大場は「フォックス」と呼ばれ、最後には敵の米軍からも賞賛された。そして、終戦後もほとんど語られることのなかった大場の物語を本にしたのは、元米海兵隊員であり、わたしが観たのはその物語の映画化だったわけだ。
 太平洋戦争の中でも最悪のサイパン戦という土壌から、こんなに美しい花が咲くとは。

 ところで、わたしは、地元福島に対する愛情や技術者としての責任感から、志願して原発に赴く多くの人々があることを知ったとき、不謹慎かもしれないが、特攻隊を連想してしまった。
 そんな志願者がいなければ、原発事故の終息が望めないのだと思うと、複雑な思いに駆られる。

 菅首相は、昨日の記者会見で、戦後の復興に今の日本の状況を重ねるような発言をしていたが、原発においてはその前の真っ只中の状況にあるといってよいだろう。
 原発事故が招いた状況はあまりに過酷で、そこへ赴く人々をこちらは後方にあって、まるで戦地に赴く兵隊さんに希望を託すかの如く見守るのみ。

 そういえば、福島第一原発の事故評価は、チェルノブイリに並ぶ「レベル7」になったという。事態は長引きそうだ。

 打ち明けていえば、被災したわけでも、原発で働く家族や友人があるわけでもないのに、鬱に近い1ヶ月を過ごしていたと思う。この映画でいくらか救われた気がした。わたしの中でバラバラだった戦前と戦後がつながったような、不思議な感じも芽生えた。

 原作本を読みたいと思い、書店勤めの娘に頼んだ。ドン・ジョーンズ「タッポーチョ『敵ながら天晴』大場隊の勇戦512日」(中村定訳、祥伝社、1982年)の文庫版を。
 まだ読み始めたところだが、刊行に寄せた1982年当時の大場栄の文章があるので、その中から一部分を、また、「著書あとがき」から一部分を抜粋して、映画及び原作本の紹介に代えたい。

 以下に、「『タッポーチョ』刊行に寄せて」より抜粋。

“〔略〕実際のわれわれの洞窟抗戦の生活は、もっと暗く、不衛生きわまりなく、陰惨で、こんなに勇ましく米軍を手玉にとったようなことではなかった。しかし、米軍基地からパンを盗んできたことも、大掃討があったときのことも、堀内一等兵の活躍や数々の戦闘も、野営地の中で神がかりになる兵隊が現れたことも、すべて事実である。
 その意味では、われわれのゲリラ戦の経過がこれほど具体的に描かれたことも、今までない。われわれが書いたら、自分のことはもっと控えてしまうだろうし、他の人のこともこうは書けなくなる。そういう意味では、アメリカ人だったからこそ、そしてサイパンでもわれわれと戦った敵だったからこそ書けた小説、ということになるのだろう。〔略〕”

 著者ドン・ジョーンズは1924年、米国中西部生まれ。海兵隊員としてサイパン戦に参戦。戦後、GHQ民間要員として日本に3年勤務。米国帰国後、新聞記者、NBC放送広報マン。その後、再び国務省報道担当官として、日本、ブラジル、パキスタンに駐在。

 以下に、「著者あとがき」より、前半部分を抜粋。日本人に対する貴重なメッセージなので、実際に本にあたって全文読んでいただければと思う。

“私は、今日の日本で、一九四五年(昭和二十年)以降に生まれた人たちの間では、日本にあった戦争についてあまりにも知られていないことが残念で、この本を書きました。
 これを書く前に、私は、そういう年代の人たちに、戦争についてどういうことを知っているか尋ねて、個人的に調べてみました。ほとんどの人たちは、私は何も知らないとか、日本が敗けたことを知っているというだけでした。もっと重要なことは、多くの人たちの間に、戦争のことを言うのに恥じる感覚があるということでした。そして、その恥の感覚は、事実に基づいたものではなく、知識の欠如に基づいたものでした。
 この人たちは、自分たちの父や祖父や伯父たちが、自分たちの国を守るために戦った精神について、何も知りませんでした。もっと驚いたことには、その人たちがしたことになんの尊敬の念も払っていないことです。
 私は、このことをとても残念に思います。日本の兵隊は、よく戦ったのです。彼らは、世界の戦士たちの中でも、最も優れた戦士たちでした。彼らは、自分たちの国のために命を捨てることを恐れませんでした。私は、そのことを、こういう兵隊たちと三年戦いましたから、よく知っています。
 しかし、この本は戦争の物語ではありません。日本とアメリカの双方で、多くの人たちは、自分たちが作ったわけではない恐ろしい状況に、どのように反応したか、ということを書いた物語です。〔略〕”

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2011年4月10日 (日)

今後の創作予定……自費出版はせず、南フランスかローマへ

 読書はしていましたが、そろそろ創作に戻ろうと思っています。

 児童文学作品『不思議な接着剤』について、計画を変更することにしました。

 震災の影響かどうか、記念になるだけで終りそうな自費出版がとっても馬鹿らしくなりました。ブログの書籍化サービスか印刷屋さんに頼んで作品のサンプルを作り、売り込みたいと思っています。売り込みに失敗すれば、それまで。自費出版はしません。

 実は作品の保管に書籍化サービスが利用できるとわかったとき、「自費出版してでも本を出したい」という思いが半分くらい消えてしまったのです。上に書いたように、商業出版への希望まで捨てたわけではありませんよ。売り込みはかけます。

 この計画の変更は、作品に賭ける思いがむしろ強まった結果ともいえます。自費出版するつもりだったお金で、南フランスかローマに行くことにしました。気まぐれからでないことは、当ブログのカテゴリー「Notes:不思議な接着剤」を閲覧くださっていた方々なら、ご理解くださるでしょう。

 娘と一緒に行きたいので、休みに合わせる必要があります。早くて今年の秋……来年になるかもしれません。息子も一緒に行ければと思いますが、さすがに無理かなあ? 

 秋芳洞に行くまでにも、行くといい出してから実現するまでには時間がかかりました。出かけるまでには、『不思議な接着剤』を完成に近づけておきたいと考えています。そのうえで、南フランス、それでなければローマに行き、見たいものを見て作品に手を加えたいのです。

 とりあえずは、『不思議な接着剤』に登場する3人の子供たちのうちの1人、瞳という少女がブログを綴るというスタイルの『すみれ色の帽子』に大震災のことを書いた日記を入れたいと思います。瞳がどう感じたのか、作者として興味が湧いたので。

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「なるほど知図帳日本 2011」が予測していた今回の震災。原子力情報資料室。

 書店勤めの娘が取次店の営業の人に「東日本大震災をぴったり予測していた書籍があるよ」と教わったのは以下の書籍。

 昨年出た知図帳。多岐にわたる多彩な項目が設けられ、興味深い情報を見ることができます。その中の『地震・火山』の項。

 “地震調査研究推進本部の資料をもとに今後30年以内に地震が発生する確率を図にて概観”したものということです。

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 マグニチュードは外れているものの、「99パーセント」とあるのには驚きました。

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 こうした研究が生かされてほしいものです。

 この知図帳、本当に多彩な内容で、「歴史・風習」の章に『寺小屋・藩校・私塾』、「旅・名産」の章に『B級ご当地グルメ』なんてのもあって面白いですよ。「産業・交通」「自然」の章を見ると、震災の影響を思い、胸が痛くなります。

 最近、原発関係のニュースが少なくなった気がします。順調であればそれでいいのですが、もう少し情報量があればと思います。

 わたしは最近になって、市民サイドから原発の危険性を訴えてきた以下の機関のホームページを訪ねるようになりました。この機関についてはホームページで閲覧する以外のことは何も知りませんが、資料の量は多いです。動画へのリンクも色々とあります。

 

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2011年4月 8日 (金)

7日深夜の余震の影響がちょっと心配な女川原発

 7日深夜、最大震度6強の余震が発生した。マグニチュード7.1(7.4から修正)、震源の深さ約66キロ(40キロから修正)。 

 青森県から茨城県にかけてある原発は、先月11日の震災のあと、全て運転を停止しているが、7日深夜の地震による停電の影響が出ている模様。

 幸い、この地震による福島第一原発への問題となるような影響はなかったようだ。原子炉への注水作業や1号機で行われている窒素の注入作業は継続されているとのこと。

 以下は、7日深夜の余震後の北海道・東北地方の原発の現状。毎日新聞より。

毎日新聞 2011年4月8日 12時34分

北海道

  • 泊原原発……1、2号機の出力を一時90%に抑制。

青森

  • 東通原発…外部電源が一時喪失。非常用電源で冷却継続。
  • 六ヶ所村再処理工場……外部電源が一時喪失。非常用電源で対応。

宮城

  • 女川原発……外部電源3系統のうち2系統喪失。1系統で対応。使用済み核燃料プールから床面に漏水(1号機で2.3リットル、2号機3.8リットル、3号機1.8リットルの微量の放射性物質を含む水が揺れで建屋内にこぼれた)。

福島

  • 福島第一原発……外部電源を維持。
  • 福島第二原発……外部電源を維持。”

 この余震について、同じく毎日新聞より。

毎日新聞 2011年4月8日 12時51分

東日本大震災:余震、海洋プレートで発生か 筑波大准教授

 7日深夜に起きたマグニチュード(M)7.4の東日本大震災の余震について、八木勇治・筑波大准教授(地震学)は「沈み込む海洋プレート内で発生したとみられる」と説明する。同震災の本震で沈み込んだ海洋プレートが圧縮されて力が働き発生したと考えられ、「幸い震源が深かったため津波が起こりにくかった」と話す。
 今後も余震に注意が必要だが、八木准教授によると、同じメカニズムで誘発される海溝付近の地震発生の可能性が高まっている。海溝寄りのプレート内大地震に分類される昭和三陸地震(1933年)のような津波を起こすタイプの地震で、「今後しばらくは十分な警戒が必要」と話す。
 国内史上最大のM9.0を記録した東日本大震災では、気象庁が観測したM5以上の余震は396回(8日午前8時現在)で、400回に迫ろうとしている。過去10年に日本全体で起きたM5以上の地震は年平均120回程度で推移したが、大震災1カ月足らずで3年分を超えた。【下桐実雅子】”

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7日深夜の余震のニュースにビビりました

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 深夜にニュースを聴いてから半時間後ぐらい。反応が鈍いのか、しばらくじっとニュースの内容を考えているうちに胸が重くなり、ニトロペン舌下。大地震・津波に加えて、度重なる余震を体験なさっている人々のことを思うとたまらない。自分なら、とても耐えられないと思う。
 また、それほどの大事には至っていないようだが、この余震で影響を受けた原発のうち、女川原発が心配だ。

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 ニトロで回復後、日本のどこで地震が起きてもおかしくないので、防災グッズを改めて点検。極めて緊急の場合に持ち出すことにしている小さなバッグの中身に変更を加えた。これは玄関の棚に置いている。また、少し余裕がある緊急の場合のために防災用品を二つのバッグに準備することにした。こういうことをしていたら、2度目の発作(たぶん疲れで。こんなにすぐに疲れていては、避難生活に耐える自信などない)。家族が起きていた時間帯だったので、ひっそりとニトロを舌下する。すぐに治まった。

 家族は極めてクール。わたしだけが世の終わりみたいに防災グッズを点検していた。家族はよくも悪くも太陽は自分を中心にして回っていると思っている。わたしは神秘主義者なので、逆にそうはなれない。わたしのような人間には、家族のような対照的なタイプが必要であるとも思う。

 ところで、書店勤めの娘に頼んでいた本が届いたようだ。それについては記事を改めて。

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2011年4月 6日 (水)

救助された犬。行き場を失う大量の汚染水。

春潮に浮かぶ屋根あり犬もゐて

 不謹慎かもしれませんが、海に浮かんでいる犬が助け出されるシーンをNHKニュースの動画で見ていたら、思わず一句出てきました。

 1日に気仙沼市の1.8キロ沖合の海で、漂流する住宅の屋根の上に犬がいるのを海上保安庁のヘリコプターが見つけたのだそうです。保護された犬の名はバン。2歳の雌犬だとか。飼い主はご無事だろうか、と心配していたところ、無事に再会できたという続報が4日にありました。動画は、犬が助け出されるシーンから再会のシーンまで収めていました。

 心の和むニュースに接した一方では、相変わらずの緊張状態が続く福島第一原発。

 2号機のピットと呼ばれる施設で続いていた汚染水の漏れは、ピットの下に「水ガラス」と呼ばれる特殊な薬剤を注入する試みが成功して止まったとのことでした。

 ここを堰き止めたことで、またべつのところから漏れる心配が出てくるわけですが、それに対する調査と対策が検討されているようです。

 5万トン以上もあるという汚染水の処理法が貯めて置く以外ないという現実には、ちょっと言葉を失います。貯蔵場所として、復水器、廃棄物集中処理施設、仮設タンクが考えられており、これらを合わせると6万トン以上の汚染水を貯めることが可能だとか。

 現在、1~4号機では原子炉や使用済み燃料プールに直接、真水を送り込んで燃料から出る熱を応急的に冷やしている段階。原子炉を冷却する機能を回復させるため、「残留熱除去系」という循環システムの復旧を目指しての作業が続けられているようですが、貯めるべき汚染水はこの先どこまで増え続けるのでしょう?

 高濃度の汚染水に場所を譲るために、仕方なく、低濃度の汚染水のほうを海に放出……ということが実行されているわけですが、このニュースには本当に戦慄させられました。

 海に流れ出た水の拡散を防ぐため、防波堤の崩れた部分に止水板を設置することや、海中に「シルトフェンス」と呼ばれるカーテン状の覆いを設置することが計画されているそうです。

 現場の作業員は現在何人なのでしょうか? 何より、その人々の被曝が心配されます。

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2011年4月 4日 (月)

カラメルカフェオレ

カラメルカフェオレ

アフタヌーンティにて。

右肩の具合が、何とか関節内注射を受ける前くらいまで戻りました。

何のための治療だったんだか……。まあ、左と同じように気長にストレッチしますわ。

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やはり、頼りになるだけじゃ済みそうにない米国との関係

福島第1原発 設計に弱さ GE元技術者が指摘
 毎日新聞 3月30日(水)10時58分配信

 
【ロサンゼルス吉富裕倫】東京電力福島第1原発と同型の原子炉を設計した米ゼネラル・エレクトリック(GE)社の元技術者、デール・ブライデンバーさん(79)が毎日新聞の取材に応じ、原子炉格納容器について「設計に特有の脆弱(ぜいじゃく)さがあった」と指摘し、開発後に社内で強度を巡る議論があったことを明らかにした。

 東電によると、福島第1原発はGEが60年代に開発した「マーク1」と呼ばれる沸騰水型軽水炉を6基中5基使っている。

 ◇議論封印「売れなくなる」

 GEでマーク1の安全性を再評価する責任者だったブライデンバーさんは75年ごろ、炉内から冷却水が失われると圧力に耐えられる設計ではないことを知り、操業中の同型炉を停止させる是非の議論を始めた。

 当時、マーク1は米国で16基、福島第1原発を含め約10基が米国外で稼働中。上司は「(電力会社に)操業を続けさせなければGEの原子炉は売れなくなる」と議論を封印。ブライデンバーさんは76年、約24年間勤めたGEを退職した。

 ブライデンバーさんは退職直後、原子炉格納容器の上部が小さく、下部と結合する構造が脆弱で万一の事故の際には危険であることを米議会で証言。マーク1の設計上の問題は、米原子力規制委員会の専門家も指摘し、GEは弁を取り付けて原子炉内の減圧を可能にし、格納容器を下から支える構造物の強度も改善。GEによると、福島第1原発にも反映された。

 しかし福島第1原発の原子炉損傷の可能性が伝えられる今、ブライデンバーさんは「補強しても基本設計は同じ。水素爆発などで生じた力に耐えられる強度がなかった」とみる。また「東京電力が違法に安全を見落としたのではない」としながらも、「電気設備の一部を原子炉格納容器の地下に置くなど、複数の重大なミスも重なった」と分析した。

 ブライデンバーさんはGE退職後、カリフォルニア州政府に安全対策について助言する原発コンサルタントとして約20年間働き、現在は引退している。”

 また、こんな記事もありました。ニュースをチェックしそびれていた間に、まあいろいろと……。

謝罪なく「トモダチ」アピール フレア誤射、米海兵隊報道発表
 琉球新報 2011年4月1日      

 米海兵隊岩国基地所属のAV8Bハリアーが30日、嘉手納基地を離陸後、訓練用フレア(照明弾)を誤射したことをめぐり、在沖米海兵隊は同日、報道発表で、米軍が東日本大震災で支援していることを強調した。誤射は住民地に被害を及ぼす可能性があるが、地元などへの謝罪は一切なし。事故判明後、県が米側に即日、遺憾を伝えたこととは対照的に「同盟」や「人道支援」を強調する米軍の姿勢に地元との温度差がにじむ。
 在沖海兵隊は、誤発射の事実について「海兵隊のハリアーは即応能力を維持するために訓練している」との見出しで発表。ハリアーが上空約760メートルで誤射したが、基地周辺地域に何ら危険性が生じていないと説明した。その上で「海兵隊と海軍は本州の北にとどまり、救助の人道支援に関わっている。トモダチ作戦の中で、友人や同盟に対して、助けが必要とされる間はとどまる」とし、同時に「日米安全保障条約を支援するために訓練も続ける」としている。”

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2011年4月 3日 (日)

ヒュパティアが属した新プラトン派

 新プラトン派の最後を飾るヒュパティア。

 彼女をモデルにした『アレクサンドリア』という映画のことを過去記事で採り上げましたが、まだ観たわけではないので、実際に観てどう感じるかはわかりません。

 ヒュパティアが一般的な人気を集めている理由は彼女の美貌と悲劇的な最期でしょうか?

 タイトルにアレクサンドリアとあるように、ムーゼイオンと大図書館を花芯として麗しく輝いていた学術都市アレクサンドリアを象徴するかのようなヒュパティアの最期は、映像芸術の上質なテーマとなりそうな気がします。

 ヒュパティアは新プラトン派に属していました。彼女の死と共にアレクサンドリアの新プラトン派は途絶え、それと同時に真に自由で誇り高い学問のありかたまで、表舞台からは完全に退いてしまいました。

 ああした学問のありかたと比べると、今の学問は形骸化しているというか、学問しているふりをしているという感じさえ、抱かずにはいられないほどです。

 わたしは大学時代に、プラトンや新プラトン派の著作を読み、そんな風に思いました。そして、神髄に触れた解説を探しているうちにブラヴァツキーの著作に出合いました。

 ブラヴァツキーは新プラトン派について、「アレクサンドリアのアンモニウス・サッカスが西暦2~3世紀に創設した哲学派。真理愛好家、類推論者のことである。また、テウルギー師とも、いろいろな名でも呼ばれた。西暦初期の神智学徒たちである。新プラトン主義とは、プラトン哲学にエクスタシーつまり神聖なラージャ・ヨガを加えたものである」(『神智学の鍵』神智学協会ニッポン・ロッジ、昭和62年)と解説しています。

 尤も、一般的にはプロティノスをもって新プラトン派の始まりとするようですが、『世界の名著 続2 プロティノス ポルビュリオス プロクロス』(責任編集=田中美知太郎、中央公論社、昭和51年)の解説に「ある意味では新プラトン派の創設者であるアンモニウスという人の生涯については、史料がきわめて乏しい」とあり、そのため、アンモニウスよりも、アンモニウスを師としたプロティノスを始まりとするのでしょう。

 ブラヴァツキーの解説にあるラージャ・ヨガというのは、瞑想によって悟りの境地に入る修行法のことです。プロティノスがどの程度インド思想の影響を受けたのかは、わたしはインド思想に詳しくないのでわかりませんが、なるほどプロティノスの著作には瞑想と切り離せそうにない独特のムードがあります。

 リルケは、プロティノスの影響を受けているそうですよ。

 プロティノスがなつかしくなったので、前掲書『世界の名著 続2』に収録されているプロティノスの作品のうち『美について』から、以下に断片を拾ってみたいと思います。

“この感性界の美は(あの知性界の美の)映像にすぎず、いわば(あの世から)抜け出し、素材(界)に降りてきてこれを飾りつけ、(その素材を身にまとって)姿をあらわし、われわれをびっくりさせる亡霊(影)のようなものなのである。
 次に、感性界の美よりも先にある美についてであるが、これはもはや感覚ではとらえられず、魂が感覚器官を用いないで見たり語ったりするのであって、この美を観るためには、感性界から上の世界に昇っていき、下の世界に留まっている感覚をかえりみないようにしなければならない。
 ところで、感性界の美のばあい、これを見たこともなければ、美を理解したこともない人びとに――たとえば、生まれた時から目の見えない人が、これに相当する――その美しさを語るのは不可能であるが、同じように、人びとのいろいろな営みの美しさについても、これらの営みの美しさや諸知識の美しさ、その他これに類するものの美しさを認めたことのない者たちに、これを語ることはできないし、また、正義や節制の容姿が宵の星や暁の星もこれほどとは思えないほど美しいということに思いをはせたことのない者たちに、徳のすばらしい輝きについて話すこともできないだろう。
 しかしながら、魂がこの種の美を観る時に用いる内的な眼を使って、この美を観る人びともいるにちがいない。そして彼らはこれを観ると、歓喜動転して、前に感性的な美を見た時とはくらべものにならないほど心をかき乱されるのは必定であって、その時こそ、まさに彼らは、真実の美に触れているのである。”

“魂は浄化されると、形[エイドス]となりロゴスとなって、まったく肉体のないもの・知性的なものとなり、すっかり神のようなものとなるのであって、美やこれに類するものはすべて、そこから湧水のように溢れ出てくるのである。それゆえ、知性[ヌース]の方に導きあげられた魂は、はるかにその美しさをましてくるのである。なお、知性や知性の領域にあるものは、もともと魂に固有の美であって、無縁のものではない。魂は知性界にある時にのみ、まことの美といえるからである。それゆえにまた、「魂が善きもの・美しきものとなることは、魂が神に似ることである」というのも正しい。美や真実在にかかわりをもつものは、神に由来するからである。”

 携帯でここまで打ったら、肩が痛くなってきました。通して読むと、プロティノスの著作は音楽のような美しさです。プラトンより観念的といえるでしょうが、新プラトン派というだけあって、プラトン思想が下敷きになっていることが随所から感じとれます。

 ところで、プロティノスにはグノーシス批判の著作があります。

 昔読んだきりであまり覚えていないので、再読してみたいと思います。
  (⇒読みました

 解説に「一口にグノーシス派といっても多数の派があり」「グノーシス主義とプロティノスとの間には類似点もあって」とあるように、微妙なところがあるようで、プロティノスの周囲には様々な系統の思想が存在したのでしょう。

 グノーシス批判のプロティノスの著作の題名は『世界創造者は悪者であり、世界は悪であると主張する人々に対して』というものだそうですが、これは今のわたしにはどうしたって、カタリ派を連想させます。

 ちなみに、中世のカタリ派はマニ教の影響を受けているといわれることがあり、205年生まれのプロティノスが37歳になった頃、ペルシアでマニがマニ教の布教を始めています。

プロティノスのグノーシス批判『グノーシス派に対して』[『世界創造者は悪者であり、世界は悪であると主張する人々に対して』]を読みました。
 読後感からすると、プロティノス
が相手にしたグノーシスの一派はかなり低俗な迷信・霊媒集団だったという印象です。
 神秘主義にピンからキリまであるように、グノーシスにもピンからキリまであることがよくわかりました。確かにグノーシスを連想させられる断片は含まれていますが、ここからは『マリアによる福音書』や「ナグ・ハマディ文書」に見られるような格調の高さも、また異端カタリ派に見られる合理精神や知的で清浄さを印象づけられるエピソードに通ずる
ものも何も感じられません。
 ただし、これはプロティノス側から見たものでしかありません。
 プロティノスのこの作品は有名なので、後世、これをもってしてグノーシス全般を断ずる向きがあったのかもしれないと思いました。それはグノーシスにとってはあんまりな処遇でしょう。
 イエスには奇蹟的なエピソード(いわゆるテウルギーと呼ばれた神わざに属するものでしょう)や病人癒しのエピソードなどがありますが、当時――古代――はそうした技術は神秘家たちによってよく用いられていたようです。そうした技術にもピンからキリまであったようです。神聖なものから有害なものまで。4月4日追記)

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2011年4月 2日 (土)

右肩の現状

昨日、飛び入り受診して主治医ではないお医者さんから、長時間持続型ステロイドの関節内注射を受けた右肩。

帰宅した娘がわたしの右腕を見て「わあ、腫れてるよ。左と全然違う!」と、目をまるくした。やはり気のせいではなかったみたいだ……。

動かさない限りは、ほとんど痛まなくなったが(動かすと、鋭い痛みが走る。痛み止めのソランタールは飲んでいる)、右肩はひどく強張った感じで、右手を上げようとしても、僅かしか上がらない。

肘から先は自由に動くので携帯を打つには支障がないが、パソコンを打てるかどうか。

パソコンを打つときは肩を使うようで、右の五十肩になってからパソコンをするのがつらかったが、今の状態ではそれ以前の問題がある気がしている。

いずれにしても、今日まで安静にしていたい(ずっと横になっていた。夕飯作りも今日までパス)。

治療は失敗したんじゃないかな。感染症が起きなかっただけでも、よしとすべきか?

もう少し右手が上がらなくては、生活に差し支える。明日に期待したい。

何にしても、あんな怖ろしい治療は二度と御免だ。患者として、もっと賢く、注意深くならなければと思う。

ずっと寝ていたせいか、起きているとめまいがする。

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右腕が腫れているみたいだ

鏡で見るまではわからなかったが、右腕が太くなっている。それとも、前から左右の腕がこれほど違ったっけ? いや、そんなはずはない。

注射を受けた肩自体は腫れていないように見える(左肩と同じに、小ぶりにまるくて白い)。その下のほうから右だけが、赤く浮腫んで見える。左の1.5倍とはいわないまでも、明らかに太くなっている。湿布を3枚も貼っていたせいだろうか?

右肩の痛みは今はあまり感じないが、右手は水平まではとても上がらず、伸ばせず、かといって下げてしまうと、だるくて痛いので、歩くときに動物食恐竜(肉食恐竜のことを今はこういうようだ)のような格好になる。ああ早く人間になりたい!

現時点では、注射で五十肩がよくなったどころか悪化したとしか思えないが、何しろ右腕がだるくて重くて持ち上がらないため、肩自体の具合を確認するまでには至っていない。

携帯をここまで打つにも、だるい。右腕だけが丸太になったみたいだわ。感覚も鈍くなっている。

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昨日受けた注射の正体

昨日、飛び入り的に受診した整形外科で、主治医ではないお医者さんから関節内にして貰った注射について調べてみた。

ロカインは局所麻酔薬。デポ・メドロールは長時間持続型ステロイドで、1度体内に入れると、2〜4週間は高い血中濃度が見られるそうだ。

デメリットの可能性も大きな治療法であるようで、ステロイドにはいわずと知れた様々な副作用がある他に、関節内注射は感染症の危険を伴うという。

ひとたび感染すると、激痛を伴って関節が腫脹し、やがて軟骨が破れて機能を失い、最終的に人工関節という結果を招くこともあるというから怖ろしい。

そういえば、主治医は膝の骨腫瘍の生検に慎重で、骨にできた腫瘍を摘出するということは骨折させることと同じであり、またその手術は感染症を招くおそれがあるとして、避けたい考えを示された。

万一の悪性の可能性に備え、何かあればすぐに連絡するようにともおっしゃる。

慎重派の主治医に当たって、わたしは幸いだった。でも、昨日は主治医ではないお医者さんにあたってしまい、ろくな説明も受けないまま、検索したサイトで手術に等しい治療法と明言する専門家もいらっしゃるくらいの治療を受けてしまったのだ。

馬鹿だった。一発で治るかもしれない注射なんて、考えてみれば、ステロイド以外に考えられないというのに。

きちんと説明を受けさえしたら、このような治療は拒否しただろう。

昨日はあまりの痛さに涙が出てくるほどで、救急外来を受診しようかと思ったぐらいだった。今はいくらかましで、朝かと思って起きたらまだ夜中だった。

もう二度と、こんな治療は受けたくない。時間がかかっても、自然に治したい。幸い、肩が腫れたりはしていない。

この時点で患部を冷やしたらいいのか温めたらいいのかがわからず、痛み止めがほしいという下心もあって受診したのが、とんだ治療法を招く結果となった。

主治医は左の五十肩に痛み止めさえ出してくださらなかったので、他のお医者さんの治療を受けてみたいと思ったこともあったが、薬剤性肝炎の既往症のあるわたしには、慎重な主治医が最高のドクターなのだと改めてわかった。

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2011年4月 1日 (金)

わーん、痛いよ

ロキソニン湿布3枚、肩から肘にかけて貼っている。

全く効かない痛み止め、全部飲んでしまいたいくらい疼く。

何で、冷や汗が出るほど痛いのか、五十肩くらいで。

注射の失敗なんてあり?
レントゲンや診察で肩動かしすぎたの?

肩壊した投手の肉体の痛み、わかる気がする。

今日は痛くてなにもできない。これも左手で、携帯。メルトダウンしないだけましか。

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整形外科受診(別件)

かかりつけのレッドクロスの整形外科だが、五十肩が膝の骨腫瘍経過観察の予約日……20日までは我慢できないくらい痛んだので、受診。

ひと月前に受診日の変更希望を外来に願い出たが、動かせないということで、とりあえず別に受診するようにとのことだった。

その後、外来から電話がかかってきて、受診日が28日から20日に変更になるという。

それまでの我慢ができず。夜間に疼くのだ。先生によると、それがこうした関節炎の特徴だそうだ。

主治医よりずっと若い先生。男の先生で、スポーツマンタイプの外観。子供くらいの年齢に見え、何だか可愛らしい。

診察では、肩の動きが右肩ばかりではなく、治ったはずの左肩も悪いといわれる。右肩のレントゲン。骨に異常はないようで、肩を出して改めて診察。

服を脱ぐのが大変で、看護師さんが手伝ってくださる。さすがにプロ。手際よく、上着の脱ぎ着を手伝ってくださった。診察のときは、バスタオルを貸して貰え、恥ずかしくなくてよかった。

どれくらいまで腕が上がるか、角度を観察される。無理強いされたわけではないのだが、痛くて、3回も椅子を立ってしまった(主治医のときは泣きを見たが、お手柔らかだった。それでも……)。

右肩に注射。うまくいけば、1度の注射でよくなるらしい(しかし、治るまでに1年半くらいかかるかもしれないともいわれる)。左の五十肩は重症といわれ、下手をすれば手術になりそうな感じだったのに、こんな注射はしなかった。ドクターによって違う。主治医はレントゲンにしても薬にしても、とても慎重だ。

○注射薬剤=ロカイン注1% 1ml 1A
○関節腔内注射(右)=デポ・メドロール水懸注20㎎ 1ml 1瓶

注射されるとき、3回に分けてクグッ、ググッ、ググッと液が間接内に入っていく感じで、気色が悪かった。そのあと、肩を回すというか、揺するというか、動かされる。液が関節内に回るようにだそう。今日は入浴は控えるようにとのこと。

薬剤性肝炎があるので、体調に注意し、何かあればすぐに救急外来に電話するなり、受診するなりするようにとのこと。

軽い痛め止めソランタール錠100㎎が頓服薬として10回分出た。強いのがほしいが。ロキソニンより弱い薬だとか。

今の状態では、患部を温めるのはよくなくて、冷やしたほうがよいそうだ。

何かあれば、とにかく受診するようにとのこと。

前の記事で神秘主義の語義が気にかかり、加筆で右手を使ったせいか、レントゲンや診察で動かしすぎたせいか、ここまで携帯で打つのにもひと苦労。

右肩は無理に動かさないほうがよいという。またこんなことになって、主治医に呆れられるわね。

そういえば、レッドクロスでのかかりつけが受付機では整形外科の他に、脳神経外科(骨腫の経過観察は何もなければ、2年後でよい)、内科(副甲状腺の経過観察)はわかるが、腎臓内科にもかかっていることになっていた……? 結石で、腎臓内科にかかったっけ? いや、泌尿器科にしかかかっていないし、経過観察の必要もないはずだけれど。

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