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2011年2月28日 (月)

レビュー 041/女/百年文庫(ポプラ社)

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  • ポプラ社「百年文庫」が素晴らしいので、読書ノートを作り、気ままにメモしていこうと思います。
  • まだ読んでいない作品については、未読と表示しています。
  • 一々「ネタバレあり」とは書きませんので、ご注意ください。



パラダイス

 1941年に発表した『青果の市』で第14回芥川賞受賞するが、その後長い停滞に苦しんだ彼女は1954年に発表した『洲崎パラダイス』でスランプを脱したという。
 『州崎パラダイス』に出てくる蔦枝という女性は鳩の町と呼ばれる赤線地帯にいた娼婦で、それ以前には州崎の特飲街にいたという。特飲街とは特殊飲食店街の略称で、赤線地帯とほぼ同義とのこと。
 そうした女と若い男が切れそうで切れない縁を持て余しながら落ちぶれていく姿を哀感こめて描いた小説……ということになるのだろうが、なるほどねとわたしは思った。

 視点がころころ変わる洗練とはほど遠い技法といい、優等生が真面目に取材をして書いた作文さながらにぎこちなさのある文体にステレオタイプの人物像といい、習作みたいな作品で、彼女がスランプに陥ったというのもわかる気がした。   
 このような素質のなさは、どうしようもないところがあるような気がしてしまうのだが、それがこの作品でスランプを脱したというのなら、それは単に商業的――特に殿方――に受けてヒットしたというだけの話ではなかったかと想像せざるを得ない。

 よく取材はされているのだろう。丹念に描かれているのはわかる。しかし、例えば、彼女がわたしNを描いたとしたら、あくまで主婦という括りの中で描くに違いない。その他大勢の主婦の中の一人である主婦Nとして。主婦Nという描きかたはわたしNの一面を捉えてはいて、それが間違っているとはいえないにせよ、そのような描きかたは文学的ではない。

 林芙美子の小説にも春をひさぐ風の女達が登場するが、その女達との違いを思う。その女性達は美空ひばりの演歌のように格好良すぎて、そのまま現実の姿とも思えない、夢の味わいがある。林芙美子に女達は大切なものを与えられて、豊かに息づいているのだ。人物造形という点で、『州崎パラダイス』はお粗末ということになろう。
 それにおそらく、イデオロギーという意味の思想ではないが、林にはそれがあり、芝木にはない。芝木は女達を観察してネタになると思い、ただ書いただけに違いない。それが小説の底の浅さから知れる。

 林の小説では、どの登場人物にもよく注意が行き届き、肉づきができていて、時間の自然な流れが感じられ、大局的な観点から、事件が挟まれている。物語に少しもぎくしゃくしたところがないのだ。芝木のこの小説を読んで改めて、わたしはそれに気づいた。

 坂口安吾のマドンナ矢田津世子の評伝、近藤富枝『花陰の人――矢田津世子の生涯』(講談社、昭和53年)に、興味深いエピソードが語られている。以下に引用する。

 別に「二十日会」というグループがあり、岡田禎子、小寺菊子、今井邦子、吉屋信子、高橋鈴子、矢田津世子、別格として野上弥生子が参加し、吉屋、今井、小寺の家を会場として文学研究をするはずだったが、結局遊びの集まりになった。
 あるとき、一同で吉原に登楼したことがある。一人一人にあいかたをつけてもらい、身の上話をきいた。勘定は吉屋信子が持ったというが、津世子がどんな表情で登楼したかと思うとおもしろい。娼婦を書いて『女人芸術』にデビューした彼女も、実は娼婦に知人があるわけでもなく、頭の中でこうもあろうと想像の羽をはばたかせたのにすぎないからだ。しかしこののちに津世子に娼婦のものはないから、吉原の女に歯が立たなかったのかもしれない。

 書けないと悟ったものには手を出さないだけの潔さが矢田津世子の小説からは感じられ、芝木からは逆のものを感じる。

 日本社会が貧乏になってきて、『州崎パラダイス』の社会との隔たりはあまり感じられない。その社会の底辺といってよい場所で、一組の男女が苦境をどう生きたかを知りたいという期待を持って読み始めただけに、失望は大きかった。当時の週刊誌を読んだような気がした。そこから読みとれるのは世相だけで、なまの人間のリアリティは読みとれない。

 以下は、赤線について。ウィキペディアより引用。

赤線(あかせん)

日本で1958年以前に公認で売春が行われていた地域の俗称。(非公認で売春が行われていた地域の俗称は「青線」である。)

 ちなみに、わたしは1958年生まれ。田舎では、夜這いの風習の名残があった。


西條八十『黒縮緬の女』

 大女掏摸(すり)という正体も知らず、濃艶な黒縮緬の女と寝てしまう青年の毒のないお話。真昼の夢、という感じだ。こうも爽やかに終わって、いいものかしらん。


平林たい子『行く雲』

 夫が別の女性との間につくった同種の子供の話では、『鬼子母神』のほうが面白いが、読めばほろりとなり、元気が出る。下記の関連記事を参照されたい。


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