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2010年7月の56件の記事

2010年7月31日 (土)

児童文学の森を彷徨った一日

 来月初旬までには、「マダムNの推薦図書 2010」を公開したいと思い、児童文学の森を彷徨った一日だった。

 この時期には読んでおいたほうがよいと思う、魅力に富む本は数限りなくあって、選ぶのが難しい。しかも、現時点で購入できるものとなると……。一応以下に分類して、学年ごとに5冊ずつになるように選んでみたいと考えているのだが、投げ出してしまうかも。

  • 小学校低学年〔1・2年生〕……10冊
  • 小学校中学年〔3・4年生〕……10冊
  • 小学校高学年〔5・6年生〕……10冊
  • 中学           ……15冊
  • 高校           ……15冊

 東西のものをバランスよく選びたい。ファーブル昆虫記、シートン動物記のようなものは、小学生の夏休みにはぜひ読んでほしい。という大枠しか決めずにあれこれ見ていたら、目が回りそうになった。

 学校時代も、母親になってからもPTA活動で、図書委員とは縁が深かったのだが、読書歴の違いからか、むしろそれほど迷わずに済んだ気がする。

 調べてみて、やはり子供向き、ジュニア向きの世界の文学全集が、現在、この国には不足していると思わずにはいられなかった。その類の本は、わたしが学校に通っていた頃が一番出ている。

 趣味的なもの、豪華なものは今のほうが充実していそうだが、何か偏りと空洞を感じさせる心細い出版傾向だ。

 それでも、沢山の優れた児童向きの本が出版されていることは間違いないので、そのなかから、これはおすすめ、と思う本を選んでみたい気持ちも強まった。来週までに選べなければ、このプランは先送り。読書の秋のためのものに変更することになるだろう。

 自分の創作のほうは、このところまとまった時間がとれず、新しい章に入れなかった。

 明日は、娘が職場仲間と食事に行くそうなので、わたしは夕飯作りをサボって夫と2人、何かとるか弁当にし、それで浮いた時間を作品の中の子供たちが鍾乳洞へ入る場面を描くのに当てたい。

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2010年7月30日 (金)

循環器(呼吸器)クリニック受診

 循環器クリニックの受診、帰宅後、携帯から書いています。

 午前9時過ぎに行ったのですが、また待合室は患者さんでいっぱいで

《ナンと、上のところまで書いて爆睡してしまいました。確か書き始めたのは午後2時頃で、今は4時近く……》

 また待合室は患者さんでいっぱいでした。クーラーが利いていて、快適でした。恐竜の番組はあっていたし。

 眼球が乾き、目薬を注したりしているうちに左のコンタクトレンズを落としてしまい、バッグに入れていた予備をつけました。

 前に使っていたコンタクトレンズがよく外れそうになっていたのですが、落としたのが今度作った使い捨てのコンタクトレンズでよかったと思いました。

 やはりこれは、ようやくコンタクトレンズを作る許可が出ただけのことはある、結構なドライアイですわね。

 受診前に、レントゲンと心電図がありました。前回の検査から、半年経ったからだそうで。心電図は心臓及び手足だけの2種類です。

 今回はニトロペンを11錠も使ってしまい、つい8錠と少ないほうに鯖読みしてご報告(どちらかというと、馬鹿正直で損するタイプなのですが)。

 1週間くらい気候に適応できなかったというと、先生は頷かれました。

 わたしは切り出しました。「呼吸器クリニックの先生は、どうなさったのですか?」

 すると、「今は僕からどうのとはいえない。彼のことを思っただけで、涙が出てね」と先生。

 一瞬もしや……と思い、「治療を続けていらっしゃるんでしょ?」とわたし。先生は伏し目がちにちらとこちらを見て、「そりゃ治療せんと……」

 そこまでいうんなら教えてよと思いましたが、教えてはいただけず、「何とかクリニックを存続させたくて、3ヶ月頑張ったんだけどね。今は医者不足で、なかなか来てくれる人がいなくて。彼も子供がいるから……」

 焦れったいなあ、もう。伏せるか、簡単にでも全体像に触れるか、どちらかにして!

「マラソンだって、なさっていたのに。お元気そうだったのに」と、わたしは腹立たしそうに呟いてしまいました。「自分で気をつけていてもね。そうなるときはなるよ」「……」

 そして、先生は力強くおっしゃいました。「でもNさん、喘息のほうは心配しなくてもいいからね。これからは僕がそちらのほうも、しっかり診るよ」

 親友からバトンタッチしたかのごとく。わたしは内心あ……と思いましたが、そうなるという気はしていましたし、むしろありがたいお話だという気もします。

 風邪をひいたときなどは、胸の苦しさが心臓からなのか気道からなのか、わからないことがあるからです。インフルのときも、循環器のほうに飛び込んで、メプチンエアーを出していただいたことがありました。

 N病院かレッドクロスかと迷ったりもしていましたが、どこか理想郷へ行きたいという漠然とした逃避願望にも似たもので、それは漢方内科クリニックで挫折したばかりでした。

 でも、これからは酸素濃度の測定も、定期的な呼吸機能検査もないんでしょうね。喘息症状が出たときの受診は、他の患者さんへの迷惑が気になるだろうし(外の通路にいなくちゃならないわ。幸いそこにも長椅子が設置されています)、長時間待つのは応えそう。

「先生。喘息の症状が出ているときにも、ここを受診していいのですか?」と、念のために伺いますと、「うん、いいよ」とまた力強く、先生はおっしゃいました。

 確かに、待合室にいるときに「今回は喘息のお薬は出ていません」といわれている、喘息との併診?患者さんがいらっしゃるみたいでした。

 で、心臓の診察のあとで、今度は呼吸器科関連の問診。わたしは、検査とカルテの写しを次回持参する旨、いいました。

 わたしはさっそくアプローチしてみました。「フルタイドでないものを、試してみたいのですが」

「アドエアーはねえ、頻脈になることがあるから、Nさんにはね。メプチンエアーでも、頻脈になるときがない?」と先生。「あります」とわたし。

「そうだろ? うん。だから、フルタイドが選択されたのだと思うよ……」と先生に諭され、そうだったのか、と思いました。

 もっと別の何かを、と心のなかで虚しく呟いてみましたが、そんな理想の薬は理想郷にしかないのだと自分でもわかっていました。

 まだ呼吸器系の薬はあるので、いつものインデラル、ヘルベッサー、アイトロール、シグマート、ニトロペンを出していただきました。

 リンデロン・ローションはまだあるので、といい、引っ込めて貰いました。

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2010年7月29日 (木)

漢方軟膏の使い心地②

 7月6日に漢方軟膏を使い始めてから、使い心地を時々ご報告してきました。

 その後はといいますと、主に紫雲膏(シウンコウ)を使っていて、2本目が半分減ったところ。神仙太乙膏(シンセンタイツコウ)は掻き毟って汁が出たときとか、紫雲膏の効きが悪い気がするときに使う程度なので、上のほうが少し減った程度です。

danger 間違いやすい軟膏に、協和新薬の『太乙膏(タイツウコウ)』があります。これはサルファー剤入り軟膏で、別物です。

 といっても、わたしはいくらか痒くなくなると放置してしまい、また痒くなると塗る……といった不真面目な使いかたなので、この塗りかたで薬の効果がどうこうとはいえないのかもしれません。

 最初は頭蓋骨腫瘍を摘出した痕が痒くなったことから始まって、左耳、うなじ、右こめかみに湿疹が拡がった頃からステロイドのリンデロン・ローション、リンデロン軟膏を塗り出し、それが効かなくなって、頭の中全体と顔のあちこちに痒みが拡がりました。

 その段階で、漢方軟膏の使用を始めました。こめかみには塗ってしまいましたが、顔にステロイド軟膏を塗ることは避けたかったからでした。

 現在は、一旦治った左耳をうっかりいじりすぎて、また少し悪くなりました。他は、右耳の後ろが乾燥しがちです。それ以外は、頭の中の一箇所(ごく小さな部分なのですが、ここが一番痒みが強いのです。ちなみに手術痕ではありません)と、うなじにだいたい限られてきました。

 掻き毟って瘡蓋ができたところに漢方軟膏を塗ると、瘡蓋が油に浮く感じでとれてきます。うちの子供たちが赤ん坊の頃、ベビーオイルで脂漏性湿疹を浮かしてとったことを思い出します。

 シャワーで流すと綺麗になるため、ついべたべたするのが嫌で、その瘡蓋がとれたばかりのデリケートな部分のケアを怠り、まる1~2日放置してしまったりして、暑さや湿気が強まると同時にまた痒みが出てきて悪くなったりします。といっても、その度合いは以前よりは、軽いものです。

 瘡蓋がとれたところに、ラベンダー水と保湿剤を塗ったりして試してはいますが……。

 まあわたしのような病気持ちが、皮膚だけよくしようと思っても難しいのかもしれません。だからこそ、気軽に塗れる安全で、それなりの効果を発揮する軟膏が必需品という気もします。贅沢な願望ですが……。

 で、漢方軟膏の現時点での使い心地として、一ついえることは、少なくとも使い始めより、状態がよくなったということです。

 それに、同じに痒いという言葉を使っていますが、現在の痒みは、ステロイド軟膏を塗り続けている皮膚に特有のオゾマシイ痒みではありません。自然な痒みといっては変ですが。

 こわごわだった眉毛の手入れも平気になりました。日によっては諦めることもあるほど、デリケートでした。まだ、たまに痒くなることはあります。

 精神的な負担も軽くなり、始終考えずにいられなかった湿疹のことを、痒くなったときだけ考えるという風に変わりました。というより、痒みが軽くなったため、あまり考えずに済むようになったのでしょうね。

 漢方軟膏だけで、こじれた湿疹を完治させるのは難しいかもしれませんが、このような使いかたでやっていけるのでしたら、わたしはステロイド軟膏より、こちらに軍配をあげます。

 ただし、まだお医者さんに診断して貰っていないかたは、まずはそれが本当に湿疹であるかどうかをはっきりさせるべきでしょう。素人判断で漫然と軟膏を塗り続けることは危険です。

 湿疹があまり気にならなくなったと思ったら、五十肩になりかけて戻っていた右肩が、昨日からまたおかしいです。湿布を貼って警戒中(気の休まるときがないわね、この体)。

2010年7月 6日 (火)
漢方軟膏を試し始める

http://elder.tea-nifty.com/blog/2010/07/post-af4a.html

2010年7月 8日 (木)
掃除中に……

http://elder.tea-nifty.com/blog/2010/07/post-3da5.html

2010年7月 9日 (金)
夢に出てきた野上弥生子。息子からの電話。

http://elder.tea-nifty.com/blog/2010/07/post-1452.html

2010年7月10日 (土)
さっぱり感。

http://elder.tea-nifty.com/blog/2010/07/post-8024.html

2010年7月13日 (火)
漢方軟膏の使い心地①

http://elder.tea-nifty.com/blog/2010/07/post-dec9.html

漢方医を見つけるには、サイト『漢方のお医者さん探し』が便利ですよ。 

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夏の風物詩

夏の風物詩

 朝、ベランダに出ると、蝉がいました。カメラを向けても動じる気配がなく、まるで瞑想しているかのよう。

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昨日の夕飯

昨日の夕飯

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2010年7月28日 (水)

読書のコツを少しだけ伝授します

読書のコツを少しだけお教えします

 本棚が、反転させたL字を形成する一隅にわたしの《巣》があることは何度かお話しした(大地震のときは確実に本でのし烏賊になる)。

 そこに座って右手が届く場所は、貴重な文庫本置き場となっている。

 本棚の下枠の部分にすぎないのだが、ここには背表紙をこちら向きに2列に並べて、かなりの数の文庫本が置けるのだ。

 ずっと上まで置けないことはないのだが、崩れたらいけないので、だいたい1列を30冊内にとどめることにしている。

 ここに選び抜かれて存在する本こそ、創作中のわたしのブレーン、頭脳集団といっても過言ではない(ホント)。

 つい買った本を積ん読にしてしまったりして、ここが乱れてしまうと、わたしの頭脳も乱れるので、午前中に整理した。

 それが午後過ぎまでずれ込んだのは、別の場所に移すかどうかの選択のため、内容を確かめるはずが、つい読み耽ってしまったからだった。

 『アガサクリスティー百科事典』(新潮文庫)、『まことに残念ですが……不朽の名作への「不採用通知」160選』(徳間文庫)、『プラトンの学園 アカデメイア』(講談社学術文庫)、『世界の神秘』(教養文庫)、『幻の馬車』(角川文庫)、『パリの夜』(岩波文庫)、『黄金の壺』(岩波文庫)、『俳句』(講談社学術文庫)、『江戸文学問わず語り』(講談社文芸文庫)、『ファンタスティス』(ちくま文庫)、自作童話の資料でもある『新約聖書外伝』(講談社文芸文庫)などに読み耽ってしまった。

 村上春樹の評論はそのうち本格的なものを書きたいと思っているのだが、傍にあるとトーン・ダウンするので、別の場所に移した。『アンネの日記 完全版』(文春文庫)は、赤染晶子『乙女の密告』の感想を書くまでは移せない。

 執筆のために必要な本、知性及び情緒に上質の刺激を与えてくれる本、模範としたい文体・構成を備える本、リラックス効果のある本……に目的を絞り込み、当面の《ブレーン》を選んだ。

 ところで、ここからが本題。

 夏休みに入ってから、感想文やレポートの宿題を連想させる検索ワードで、当ブログにアクセスしているケースが増えてきた。

 いくら参考にしていただいても構わないのだが、引用の場合は、その旨、明記してほしい。

 また文中でわたしが引用したり参照している文献については、自分でも実際に当たってみてほしい。時間がなかったり、読みにくかったりする場合でも、本を開いて雰囲気に浴してみるだけでも違うと思う。

 読書する場合は、自分が読みたいように読むのではなく、作者が何をいいたいのかを読みとるようにすれば、作品の中で作者との出会いを果たすことができる。

 それも、作者のいいたいことを、作品の表層から読みとろうとして作者の思う壺にはまるのではなく、作者の隠れた動機・欲望・願いを発見する目的で読めば、読書は娯楽や勉強の次元を超えた知的冒険となる。

 作者がどういった影響のもとにその作品を書いたかにまで踏み込めば、それはもう研究の段階といえる。

(気が向けば)近々、小学生・中学生・高校生・大学生向きの推薦図書を公開します!

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昨日の夕飯

昨日の夕飯

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2010年7月27日 (火)

パリエットなしでは

 パリエットをときどきやめてみるようにとのことで、今朝からやめていたのですが、わあ気持ち悪い。

 バナナジュースで胃がもたれ、胃が空になっても気持ちが悪くなるので、夕方アイスを。

 そのアイスで胃がもたれ、胃液が上がってくるあからさまな感じは自覚しなかったにも拘わらず、口の中に嫌な苦さが……汚い表現でごめんなさい(記録しておきたいので)。

 我慢できなくなり、夕飯の前にパリエット、飲んじゃいました。

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コント『公園のパン職人』

 昔、あるジ・パンクという王国に、パン屋さんがいました。女王の御墨つきを与えられて、パン工場と豪華な内装のお店を得ていました。その特典には、パン評論家もセットとしてついていました。

 ある日、田舎に住むパン職人が都に出てきて、王室御用達のパンを味見しました。そのパンには、金箔がほどこされて、香りと焼き立ての色が封じ込められていました。

 田舎のパン職人は食欲が失せてしまいましたが、勇気を出して、一口齧ってみますと、金箔が味わいの妨げになる上に、有害な物質を含む、いろいろな材料が詰め込まれすぎていて、何がなんだかわからない味となっていました。ひとことでいうと、おなかを壊しそうな、異様な味でした。おまけに、そのパンは、沢山食べると酔っ払うのでした。

「うーむ、こんなパンばかり食べていた日には、ジ・パンクの国民は、味覚が壊れてしまう上に、アル中、いやパン中になってしまうぞ。栄養状態も、きっとおかしなことになるに違いない」

 パン職人は、公園で野宿をしている人の隣にテントを張り、テントの前にパン窯を設置して、パンを焼き始めました。パンの香りに釣られて人々がやってきましたが、「何だ、素人が焼くパンか。パン屋でもないのに、エラソーに焼いてやがる」といって、どこかへ行ってしまいました。

 そのうち、警官がやって来て、いいました。「一体、君は何の権利があって、公共の場を私用にしているのだね?」

 パン職人は答えました。「はい。国民の味覚と健康と名誉のために、パンらしいパンを焼くことで、ご恩に報いたいと思っております」

「詭弁を弄するのは止めたまえ。当局は、断じて許可するわけにはいかない。ここでそんなことをするには、ブランドの取得を先行させる必要があるのだ。立ち去りたまえ。そして、田舎に帰って、パンの修業に励みなさい」と、警官は叱りました。

 パン職人は、悲しそうにいいました。「わたしはもう半世紀も生きてまいりました。少年時代から、田舎に伝わる伝統の技法でパンを焼いてきたのです。この10年間は、独創を交えて焼いてきました。わたしの腕は確かです。わたしのパンを味わった雀が、そう褒めてくれるのです」

 警官は、パン職人の言葉に、腹を抱えて笑いました。通りすがりの紳士がいいました。「わたしがブランドをお貸しいたしましょう。その代わり、このブランドでパンが売れた場合には、30パーセントの使用料をお納めください」

 初めて耳にしたブランドでしたが、それもいいかもしれないとパン職人は思いました。また公園内に、パン職人の焼くパンの香りが漂い始めました。 

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2010年7月26日 (月)

アフタヌーンティーにて

アフタヌーンティーにて

 今夜夫は、仲間内で飲み会。わたしは娘とアフタヌーンティーで夕飯です。

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膀胱炎っぽさが治らない

 残尿感や排尿痛といった膀胱炎っぽい症状があったため、21日に レッドクロスを受診したが、潜血反応だけがあり、こうした症状の改善薬、ツムラ猪苓湯エキス顆粒を14日分処方された。

 自覚症状は一向に変わらない。時々残尿感や排尿痛が強まることから、わたしはどうしても結石の旅を想像してしまうのだが、左右の腎臓と膀胱のエコーでは大きな石はなく、小さなものであれば、血尿など、尿に影響を与えることはないと先生はおっしゃった。

 では何なの、この症状は。非常に神経に障るのだけど……。特に昨日の午後はそれが強まり、よほど病院に行こうかと思ったほどだった。が、夜になって、スッと、それほどでもなくなり、朝になった今、また症状が出てきている。腰の辺りも痛いというか、だるいような嫌な感じだ。石じゃないのかしら。

 同じ日に眼科にも行き、ドライアイにサンコバ、ビアレインという二種の目薬を処方された。こちらのほうは、かなりいい。

 その眼科でわたしを担当してくれた女医さんは、ネット検索してみたところ、あの病院の先生ではなく、非常勤みたいだ。同じ非常勤のかたちで、もう一軒、こちらのほうが主のようで、N病院の先生といってよいようだ。如何にも知的で、しかも、おおらかな感じの、優秀そうな、接していて気持ちのよいドクターだった。あの先生以外のドクターには、わたしの目を見て貰いたくないと思ってしまったほど。

 N病院といえば、あそこには膝の治療で有名な先生がいらっしゃるとかで、一昨年の入院時に同室の人たちから頻りにそちらへ行ってみては、と勧められた。整形外科の診療案内に腫瘍なども書かれていたが、わたしのような珍しい――とどの先生もおっしゃり、ほぼ匙を投げられたかたち。尤も、今のところ、それほど実害はない――ケースも、当てはまるのだろうか。

 いずれにしても、額の今は目立たない腫瘤が目立つようになれば、頭蓋骨腫瘍の生検術を担当してくれたレッドクロスの先生は、N病院かアルメイダ病院の形成外科に紹介状を書いてくださるようだ。

 N病院は遠いどこかにあると思い込んでいたら、案外、近かった。時間がかかるが、歩いても行ける距離で、レッドクロスよりむしろ近いのではないだろうか。ただ、わたしはあの辺り、あまり行かないせいか、たまに行くと迷子になりそうになる。

 で、今考えていることは、まだ先でもよい腫瘤の摘出のことではなく、先生が倒れられて急に閉院になった呼吸器クリニックのこと(そういえばN病院にもフルマラソンがお好きなドクターがいらっしゃるみたいだ。この街のドクターというドクターが、フルマラソンにとり憑かれたってわけでもないだろうけど)。

 N病院が通える範囲となれば、レッドクロスとどちらにしようかと迷いが生じる。でも、その前に循環器クリニックの受診があるので、そのときに先生が何かおっしゃるかもしれない。先生の言葉に左右されたくなければ、その前に自分で決めた呼吸器科に行くことだろう。とはわかっちゃいるけど、最近病院づくしで疲れたわ。

 脳神経外科のことは当分忘れていていい。整形外科と内分泌内科のことも秋までは忘れていられる。循環器科と消化器内科のことは忘れてはいけない。呼吸器科のことは、次のかかりつけを早いうちに決めてしまわなければならない。眼科と泌尿器科は、長引くことはないと思うのだけれど……何だか嫌になっちゃった。この暑さでも、心臓がまあまあなのは、助かる。

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2010年7月24日 (土)

うどん餃子

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 先日、「はなまるカフェ」で、高槻市の主婦が作って評判になったという、『うどん餃子』というのを作っていました。以下は、走り書きした材料です。4人分。

  • 豚ひき肉400g
  • 卵4個
  • 塩小さじ2
  • コショウ少々
  • ニンニク小さじ2
  • ゴマ油大さじ2
  • ニラ2束
  • シイタケ3枚
  • うどん2玉

 家事の合間に何気なく見ていたので、正確には覚えていなのですが、うどんはぶつ切り(3~4㎝くらいだったかしら)。

 ニラとシイタケも刻み、全部の材料を混ぜ合わせて、サラダ油をひき、1個が餃子大の大きさになるようフライパンに並べて焼きます。

 餃子のたれ(しょうゆ、酢、ラー油)で。それに、練り辛子をちょっとつけても美味しいです。

 ところで、流行の食べるラー油を買ってみましたが(桃屋のが人気だと後で知りました)、家族はごはんにかけません。でも、ラー油ですから、使い道はいろいろとありますね! 

 うどん餃子のたれには、食べるラー油をスプーンで少しすくって、ぽん酢に落としたら、上等の餃子のたれになりました。ドレッシングも試しました。食べるラー油を加えれば、味わいのある中華ドレッシングになりますよ。

 うどん餃子は、カリカリに近いくらいに焼いたほうが美味しいと思いました。

 夕飯よりお昼向きかもしれません。これにバナナジュースでもあれば、夏休み中のお子さまにも喜ばれる立派なランチに。ホットプレートで、皆で焼きながらというのも、楽しいですね! 

 スタイルはお好み焼き、味は餃子というのが、試してみたわたしの感想です。

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2010年7月23日 (金)

シネマ『借りぐらしのアリエッティ』を観て

『借りぐらしのアリエッティ』
スタジオジブリ作品
公式サイト:
http://www.karigurashi.jp/index.html
原作:メアリー・ノートン「床下の小人たち」(林容吉訳・岩波少年文庫刊)
企画&脚本:宮崎駿
脚本:丹羽圭子
監督:米林宏昌
2010年/日本/94分/配給:東宝

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

 以下、ネタバレ注意。

 原作であるメアリー・ノートン著『床下の小人たち』との違いは際立っていたけれど、ストーリーは原作を踏襲してあるので、原作のストーリーのほうを、『床下の小人たち』(林容吉訳、岩波少年文庫、1956年)の解説(猪熊陽子)より抜粋、紹介してしておきたい。

『床下の小人たち』の主人公は、父親のポッド、母親のホミリー、一人娘のアリエッティの三人です。この核家族は生活必需品はすべて上の屋敷に住んでいる人間の世界から「借りて」暮しています。冒険心に富み、そろそろ思春期に近づいているアリエッティは床下の生活に飽き飽きして、外の世界に憧れており、やがて、病気療養に上の屋敷にやってきた男の子と知り合いになります。人間から物を借りても、人間そのものとは絶対に関係をもってはいけない、というのが、借り暮らしの小人たちの生活を守る鉄則であるにも関らず、アリエッティは大胆にもそれを破るのです。こういう彼女の向こう見ず行動が災いとなり、この一家はそれまで安全に暮していた屋敷から出ていくはめに陥ります。そしてそこから安住の地を求める一家の受難の長い旅が始まるのです。

 原作では人間から借りてきたものだけで暮しているという自然さがあるのに比べ、映画では変に小人たちの暮しが近代化されている。父親が小さな工場のようなものを持ち、電気や水道まで完備しているのはやりすぎだろう。

 だから、原作にあるような人形の家を出してきても、豪華さが一向に映えない。

 小人たちが人間の暮らしから借りてきたこまごまとしたものを如何に工夫を凝らして使っているかに作品の醍醐味があるのに、作者のそうした独創性は映画では消されてしまっているばかりか、映画制作者には原作者の意図がわかっていないと感じさせるところがある。

 原作の小人たちはなるほど湯にも水にも不自由はしていないが、その仕組みといえば、台所の湯わかし器から出ている管に穴を開けて湯が出るようにしてあり、普段はその穴に香水びんのふただったゴムのせんがしてある。

 居間の壁紙は、人間の屑籠から持ってきた古い手紙。壁にはヴィクトリア女王の肖像画がかかっているが、それは郵便切手。うるしぬりの宝石箱は開けたまま、ふっくらとつめものをした内側が利用され、長椅子となっている。マッチ箱で作った箪笥。チェスのこまから馬の形をした頭をとり去り、彫刻した土台に錠剤の入っていた木箱の底をとりつけて円テーブルに。馬の頭のほうは部屋の奥まったところに据えられて彫像の趣を添えている。

 蔵書は、ヴィクトリア女王の頃の人々が好んだ豆本シリーズ。このシリーズには、世界地理事典(最新の国勢調査付き)、科学・哲学・文学・産業などの分野の事典、シェイクスピア喜劇集、日記格言集、伝記が入っており、アリエッティが文字を覚えるのに役立った(壁紙に使われている手紙の文字も字を習うのに役立った)。鉛筆は舞踏会の手帳についていたもの。

 暖炉の燃料は粉になった石炭と細かいロウソクのかけら。金色の辛子入れの壷に入れてあった。古いリンゴ搾りに使われていた歯車を使って暖炉は作られており、暖炉の上には小さな真鍮の漏斗が逆さにつけてあって煙の吸い込みとなっていた。マッチのじくが薪となり、それに細かい粒の石炭をくべる。キャップ状の銀の指抜きは鍋となってスープをあたためる。キッド皮の手袋を材料にして編み上げ靴を作る。爪切り挟みの片割れの柄のついた刃が包丁。アリエッティの櫛は、小さな銀の18世紀風の眉毛用の櫛。

 人形遊びを髣髴させる小人たちの工夫は、子供たちの興味を惹きそうな、児童ものにはぴったりの楽しさに満ちているのだ。イギリス人の骨董趣味も思い出させる。 

 何より、原作にはあって、映画にはなかった、男の子の注目すべき言葉がある。以下は、小人たちの暮しがばれて、その協力者であった男の子が問い詰められる場面。前掲の『床下の小人たち』より引用。

 「おまえさんは、じぶんがなんだか、知っているかい?」ドライヴァおばさんは、男の子を間近に見ながら、ききました。「おまえさんは、こそこそ歩きの、かっぱらいの、わるの、やくざの、ちびすけさ!」
 男の子が、顔をぴくぴくさせて、「どうして?」と、いいました。
「どうしてだか、じぶんでわかっているだろうさ。おまえさんは、性わるの、腹黒の、ひまつぶしの、こそどろさ。それが、おまえさんさ。そいで、あいつらもそうさ。こにくらしい、ちっぽけな、ずるっこい、ろくでなしで、キイキイいう、ちびすけで――」
「ちがうよ。そんなことないよ。」と、男の子が、いそいで、さえぎりました。
「しかも、おまえさんは、あいつらとぐるなんだ!」ドライヴァおばさんは、男の子のほうへやってくると、腕をつかまえて、ぐいと、ひっぱりました。「どろぼうてものは、どうされるか、知ってるかい?」と、ききました。
「ううん。」と。男の子がいいました。
「とじこめるのさ。どろぼうには、そうするんだよ。だから、おまえさんも、そういうことになるのさ!」
「ぼく、どろぼうじゃないよ。」男の子はさけんで、くちびるをふるわせました。「ぼくは、借り暮らしだよ。」
「なんだって?」ドライヴァおばさんは、腕をとった手をきつくして、男の子をこづきました。
「借り暮らしだよ。」男の子は、もいちどいうと、目にあふれた涙を、おとすまいとしました。

 人間はまるい地球の上で、土地や動物や植物や仲間の人間に至るまで、我が物顔で自分のものにして暮している。が、実際には全部が自然からの借り物で、わたしたち人間の暮らしは借り暮らしというのが本当のところなのだ。叡智の表現であるかのような男の子の言葉。彼は、小人たちに学んでそのことを知っていた。

 ノートンは1903年に生まれ、92年に没したイギリスの作家で、翻訳者によると「ノートンは、近代文明の行く末に大きな危惧を抱いていた作家」だったそうだ。

 イギリスという国は産業革命を起こし、植民政策による大英帝国を繁栄させた国として知られている。近代化という点で、世界のリーダーシップをとった国だった。床下の小人たちシリーズは、そのことに対するノートンの深い省察を感じさせる作品だ。小人たちに中世の暮らしまで遡らせることによって、近代の暮らしにおける問題点を炙り出そうとしたともいえる。

 一方映画は、観客に小人たちの家を絵画的に楽しませ、アドベンチャー的場面でハラハラさせ、男の子を心臓手術を控えた少年にし、アリエッティを美しい少女にして、ロマンティックなムードに惹き入れる。 

 原作の意義をほぼとり落とした映画となっているのは残念だが、映像は綺麗だから、これはこれとして楽しめばいいのかもしれない。

 しかし、原作に忠実な作風であれば、小人たちシリーズは『床下の小人たち』から『野に出た小人たち』『川をくだる小人たち』『空をとぶ小人たち』『小人たちの新しい家』と続くのだから、シリーズもの映画として大作を成すこともできただろうにと残念な気がする。

 ちなみにメアリー・ノートンには『魔法のベッド南の島へ』『魔法のベッド過去の国へ』という魔法のベッドものがあり、それでは魔女らしくない清楚な普通の人っぽい魔女と子供たちとの冒険が描かれている。魔法のベッドものでは、未開な部族と魔女裁判をとり挙げて、文明開化以前の闇と中世の闇に潜む問題点を炙り出そうとしているかのようだ。

 そして、『床下の小人たち』についてつけ足せば、原作における借りぐらしの小人たちは慎ましく暮しているとはいえ、その意識までが慎ましいかといえば、なかなかに意気軒昂なところもある。なぜならアリエッティは人間――インゲンと呼ぶと思っている――と小人の関係について、男の子にこういうのだ。

 人間(インゲン)ってものは、借り暮らしやのためにあるのよ――パンが、バターのためっていうのと、おんなじよ!

 こうした意識から考えても、アリエッティたち小人の意識が中世風であることがわかる。ノートンは先史、中世、近代と、人間の暮らしにかんする省察を重ねながら、理想とする人間の暮しかたを探っていたのかもしれない。

 ところで、わたしはこのところ、世界最古の啓示宗教といわれるゾロアスター教を解説したメアリー・ボイス著『ゾロアスター教 三五〇〇年の歴史』(山本由美子訳、講談社学術文庫、2010年)を読んでいた。

 自作童話『不思議な接着剤』の舞台を中世ヨーロッパ風の世界にとったことから、下調べは異端カタリ派、グノーシス、原始キリスト教へと遡ってしまったが、結局ここまで行き着いた。

 ゾロアスター教はグノーシス、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、また仏教にも影響を与えたといわれる。

 読み始めてすぐに、動物の生贄の儀式に触れた箇所があり、その儀式についての解説でわたしは早くも目から鱗の知識を得た。

 わたしは生贄の儀式を人柱の儀式などと混同して残酷な儀式だと考えていたのだが、それには大きな思い違いがあったようだ。

 ゾロアスター教を生んだ印欧語族の一枝族である原インド・イラン語族は南ロシアのステップ地帯で牧畜をしていた半遊牧民と考えられている。したがって、主食は肉だった。

 彼らは、手ずから生命を奪うことに畏怖及び危惧を感じていたため、動物を犠牲式によって聖別することで初めて動物の肉を食することができたのだった。家畜が殺されるのはこうした祭式のときに限られた。また野生の獣を狩るときには、簡単な聖別の祈りを唱えなければならなかった。

 彼らはあらゆる肉は草であると考えていた。それは、人も動物も動植も同族であるという認識から出た考えだという。

 借り暮らしの小人たちに『ゾロアスター教』の読書が重なり、物質文明を生きる人間の所業を改めて考えさせられたわけだ。

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2010年7月22日 (木)

呼吸器クリニックに問い合わせる

 クリニックにお電話したところ、看護師さんの緊張したお声が伝わって来た。そこで、昨日のことをお話し、「新しいところへ移るために必要なものを、何かいただけたらと思いまして」と切り出してみた。

 「では、検査データとここ1年間のカルテの写しをご用意しておきます。27日までに取りに来れますか?」と看護師さん。「はい。行けます」とわたし。

 わたしのほうはそれで満足だったが、看護師さんに訊いてみた。「先生は大丈夫なんですか?」

 「実は、わたしたちも何も知らないんですよ」と、感じのよい、しかし困った風なお声。その返事に驚きながら、「そうなんですか。大変ですね。では、よろしくお願いします」といって、電話を切った。

 詳しい事情を知らされずに閉院のための事務処理を一任される一方では、今後の自分の身の振りかたも考えなければならないとは、看護師さんたちにとっても今夏は大変な夏となった。

 ところで、どこへ行くかはしばらく考えたいが、このところ受診したレッドクロスの消化器内科でも泌尿器科でも漢方薬が処方されたことから考えてみると、レッドクロスの呼吸器科に行ってみるのもいいかもしれないと思う。

 わたしはフルタイドとは違う薬を試してみたいのだが、これまでかかってきた呼吸器クリニックではその希望が通らなかった。もしかしたら、柔軟な対応をしていただけるかもしれない。

 ホームドクター的な結びつきを望むのであれば、個人病院のほうがいいだろうから、迷いも生じるのだが。その場合は、循環器クリニックの先生にお話ししてみたほうがいいだろう。先生との連携ということを望む場合も、同様。

 今日は家族と映画『借りぐらしのアリエッティ』を観に行く予定なのだが、時間が作れれば、映画に行く途中でクリニックに寄り、写しを貰っておきたい。

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2010年7月21日 (水)

呼吸器クリニック/眼科

 電話をして行けばよかったのだが、「今日は午前中でスタッフは帰ったので」と奥様。

 片付けが進行していて、奥様が一人で整理中だった。

 奥様とお話しした。薫るような女らしい魅力に富んだかたで、さっぱりしたようなお顔。

 本格的に療養することに、急に決めてしまわれたのだそうだ。具体的な病名はおっしゃらず、こちらから訊くことははばかられた。

 昨日までなら代診の先生に簡単な紹介状を書いて貰えたらしい。先生が、ご自分で紹介状をお書きになることはできないそうだ。

 わたしは、可能ならカルテと呼吸機能検査の写しがほしいといった(初診時のは無理かもしれない)。

「あー、そうですね。スタッフでないとわかりませんが、なるべく対応するようにしています」とのこと。

 明日から火曜日くらいまでは、だいたい一日中対応するそうだ。なるべくなら、今週中のほうがいいらしい。あらかじめ、電話で問い合わせたほうがいいだろう。

 素敵なインテリアは奥様の趣味でしょう、というと、驚いたように、はにかむような微笑。

 せめて代診の先生がいらしたうちに患者には漏れなく連絡してほしかったが、チャーミングな奥様に免じて許しちゃう!

 まあわたしの場合は、いずれにしても、どこへ行くかはもう少し考えたい。

 これまでのお礼をいって、クリニックを後にした。

 クリニックの前に使い捨てコンタクトを作りに行った。

 シードのソフトコンタクトレンズを15年ほど使っているうちに、さすがに視力に合わなくなってきたのだ。

 そういうと、スタッフの男性が驚愕して、普通は2~3年が寿命とおっしゃる。

「信じられない、すばらしいよい使いかたをされてますね。まだ綺麗にしていますよ」とのこと。

 わたしは、眼鏡が主だから、と話した。しかしソフトコンタクトレンズの寿命がそんなに短いとは知らなかった。危ない、危ない。眼鏡を買い替えたときは、ブログに書いた。

 眼科医は、これまたわたしの好きなタイプの女性。落ち着いていてクール、でも繊細そうな柔らかみが感じられた。

 診察のときに「おかしいな。健康な目にしては視力が出にくいわね。色をつけてみてちょうだい」と、看護師さんに緊迫感のある声で指示。

 わたしは、まさか目も、と心の中で怯えた。

 が、幸い、先生が疑われた傷などは眼球にはなかった。やはりドライアイではあった(涙量の測定があった)。1ヶ月分、2種類の目薬が出た。

20100722112833

 しばらく目の状態を観察したあとで、「うーん、まあ、いいでしょう!」と先生。コンタクトを作る許可が下りた。

 潤いという点では1回ごとに使い捨てるタイプが一番いいという。今のわたしの目には、これまでのタイプのソフトコンタクトレンズでは無理があるそうだ。

 もともと、使い捨てを買うつもりだった。

 新しいコンタクトは軽くて目に優しい。視力が合うので、世界がこまやかに、明るくなった。

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泌尿器科受診

 今日はそれほどでもなくなっていたのですが、まだ膀胱炎っぽさがあったので、レッドクロスの泌尿器科を受診しました。初めての先生でした。

 膀胱炎かと思っていたら違うそうで、潜血反応だけがあるそうです。

 生理でもないのに、潜血反応だけがあるというのは、わたしの場合ちょくちょくあるので、石でしょうかと尋ねると、左右の腎臓と膀胱のエコー。

 尿に影響する大きさの石はないそうで。まだ残尿感はあります。

 何がなんだかわかりませんが、残尿感や排尿痛などに効く漢方薬を飲んでみませんか、ということでした。

 はあ、と複雑な気持ちで呟くと、元気のよい若い先生は「では、2週間分出しますから、結果を聞かせてください」とのこと。

 ツムラ猪苓湯エキス顆粒、1日3回・14日分。

 いただいた説明書には、「腎臓炎を改善する薬です 排尿痛、残尿感の改善薬」とあります。

 要はおしっこをよく出してくれる薬で、浮腫などにもよいそうです。むくみに効くんなら、それはありがたいわね!

 でも、漢方薬、飲むほうは苦手だなあ。次回は9:30~10:00。診察前に尿検査。

 何か腑に落ちない尿検査の結果でした。このあと、喫茶店で休んでから、閉院した呼吸器クリニックへ行く予定です。

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瞼の重い朝

 最後の診察を受けたとき、先生が途中で自分の腰を叩かれたので、わたしは「スポーツで傷められたのですか?」と訊いた。すると先生は「いや、今日は患者さんがひっきりなしで座りっぱなしだったから」と、笑いながらおっしゃった。

 疲れを見せた先生は珍しかった。フルマラソンがいけなかったんじゃないの? 何で循環器クリニックの先生とお二人、こんな年でフルマラソンなのかとわたしは呆れていた。

 こんなことを続けていると、絶対にいつか倒れると案じていた。しかしわたしは、お酒も大層お好きらしい循環器クリニックの先生のほうをより心配していた。

 尤も、呼吸器クリニックの先生が何のご病気で倒れられたかはわからない。

 わたしは何か、守りの一角を失った気持ち。中心街に出て具合が悪くなっても、デパートの後ろに先生がいらっしゃると思えば、安心して買い物ができた。

 わたしは本当に喘息が嫌だ。死ぬときは心臓で逝きたい。窒息死だけは嫌なのだ。

 ライオンに心臓を食われるほうが蛇の生殺しよりいい。特攻隊のほうが、南方の陸軍よりいい。時間的には窒息はあっという間だろうが、感覚としては永遠に近い長さだろう。わたしにはそうだとわかる。

 わたしにはまだ、喘息の薬の使いかたがよくわからない。

 心臓の薬の使いかたはかなり自信があるし、危険な発作と、苦しいとしても余裕のある発作は感覚的にわかる。小用前にトイレで起きるのは危ない。

 喘息の場合は、唐突に喉の奥が痙攣したり、膨れたりして貼りつくときが怖い。本当に息ができなくなる。同じことを書いていた喘息のブロガーがいらした。そんなときに死なないのは、運がよいだけだとわたしは思う。

 わたしには、フルタイドは合わない気がする。この点では、先生と考えが合わなかった。前掲の症状が、フルタイドを増やしたときに起きやすいことは間違いない。どの先生に替わるとしても、別の薬を出して貰えないか、訊いてみよう。

 考えてみると、循環器クリニックでは、酸素濃度を測ったりしない。吸入している人なんて、見たことがない。

 やはり専門分野が違うと、呼吸器科に行くような具合にはいかないだろうな。そう思うと、これまでのように呼吸器科にも通う必要を感じる。

 まだフルタイドもメプチンエアーも充分あるから、ゆっくり検討したい。踏ん切りがつかなければ、循環器クリニックで薬を出して貰えば済むことだ。

 気軽に行ける個人病院がいいのか、総合病院がいいのか。総合病院で、歩いて行けるところとなると、レッドクロスだけ。次に行きやすいのが県立。他はどこも、交通の便という点では問題がある。

 水をよく飲んだせいか、膀胱炎っぽさがそれほどでもなくなった気がする。受診するには中途半端な……。

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眠いのに……

 呼吸器クリニック閉院のお知らせは青天の霹靂だった。

 今後のことは循環器クリニックの先生に、次回診察時にでもご相談しようと思う。

 たぶんクリニックで、呼吸器系の薬も出して貰うことになるだろう。ちょっとかかりすぎているから、一つ減らすよい機会かもしれない。

 明日、呼吸器クリニックに行ってみるつもりだけれど、数日前から膀胱炎気味で、ひどくなってきた。

 治りかけていた湿疹も、思いっきり掻き毟ってしまい、振り出しに戻った模様。

 また紫雲膏で治そうっと!

 心臓もこころも不安定。何だか苦しい。頼りにしていたドクターとの縁が切れると、少し孤児になったみたいな気分。

 普段気になるのは心臓や消化器だけれど、わたしは喘息の発作が一番怖い。そういう意味では、本当に頼りにしていた。何でも気軽に相談できたし、いつでも行けたし、待合室は快適だった。

 循環器クリニックは重い患者さんも多いから、気軽に行くというわけにはいかない。

 レッドクロスの泌尿器科、膀胱炎くらいじゃ行きにくいなあ。副甲状腺ホルモン値もまあまあの推移だし。ああ、また湿疹、掻いちゃった。

 おしっこ近くて、眠れないわ。

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2010年7月20日 (火)

呼吸器クリニックからショッキングなお手紙

 呼吸器クリニックからお手紙が届いた。珍しいことなので、何だろうと思いながら、封を切り、手紙を開いた。

 「閉院のお知らせ」というタイトルが目に飛び込み、びっくり。

〔略〕病気療養中であり皆様には大変ご迷惑をお掛けしておりますが、療養が長期化しているため平成22年7月20日をもちまして、閉院させていただきます。
〔略〕なお、患者さまで、投薬内容等の情報がご希望の方は、誠に急ではございますが7月24日までにお申し出ください。
〔略〕

 開院以来の支援に対する感謝やお詫びの言葉が記されているそのお手紙を、しばらくぼーっと眺めていた。

 今日は20日。えっー、今日閉院したってこと? いきなりこのような事態とは……よほどのことなのだろう。それにしても信じられない。フルマラソンを楽にこなすほどのスポーツマンだった先生が……。

 ただ過日、受診しようとして受診できず、急なお出かけというのが何となく腑に落ちず、薬だけ貰って帰宅したのだった。午前中は代診の先生が見えたという話だったが、看護師さんたち、何となく暗かった気がする。

 2004年12月、引っ越し作業中に初めての喘息の発作を起こしたわたしは近くの病院へ飛び込み、応急の点滴・吸入を受けて一応回復し、この街へ引っ越して来た。それまでに心臓疾患その他でかかっていた総合病院からは宛名のない紹介状を貰って来ていた。わたしは日田市に長かったが、日田市も引っ越してきた街で、そこにいた間は通えたため、その前にかかっていた福岡県の総合病院がかかりつけだった。

 総合病院の主治医が他県のこの街の病院についてはご存知ないということで、わたしに選択が任されていた。県立とレッドクロスのどちらにしようかと迷っていたのだが、喘息が治まりきれなかったため、とりあえず、という感じで、デパートの裏手にあったビルの中の呼吸器・アレルギー内科に飛び込んだ。

 そんな成り行きで、県立の呼吸器科で部長をしたあと、そのビルで開院されていた先生がわたしの呼吸器科のかかりつけとなってくださることになった。

 そして、事情をお話しして紹介状を見せると、心臓なら、よい医師に紹介しようとおっしゃって、やはり県立の心臓血管外科で部長をしたあと、わたしの新しい住まいの近くのビルでクリニックを開院されていた先生を紹介していただいたのだった。

 結局、別の疾患でレッドクロスもかかりつけとなったが、異なる二つの系列の先生がたから治療を受けられるメリット・デメリットがあった。

 わたしの喘息はごくたまに、急な感じで(といっても風邪っぽいなどの前触れはあることが多いが)呼吸困難を伴う発作が起きる以外は、それほどのことはない。でも、薬なしではいられないので、循環器クリニックで同じ薬を出して貰うという手もある。この際、レッドクロスの呼吸器科に行くという手もある。

 わたしが入手したいのは、カルテ、呼吸機能などの検査結果の写しだ。

 うーん、それにしても困った。こんな場合に個人病院にかかるデメリットを感じる。何だか、頭の中が混乱していて……わーん、先生、どうしちゃったのよー! あんなに元気だったじゃない!

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土井勝先生レシピ『いわしの梅干し煮』、土井善晴先生レシピ『米なすのトマト煮』

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 最近の夕飯から、土井勝先生(お父様)と土井善晴先生(息子さん)のレシピをご紹介します。

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 『いわしの梅干し煮』を「土井勝 日本のおかず500選」(テレビ朝日コンテンツ事業部、1995年)から、いくらか省略してご紹介します。

[材料・4人分]
いわし小20尾,梅干し大2個,
煮汁《水1と1/2カップ,しょうゆ1/3カップ,砂糖大さじ2,みりん大さじ3.

[作り方]

  1. 梅干しは種を抜いて2~3つにちぎり、種はとっておきます。
  2. 鍋に煮汁を合わせて火にかけ、煮立ったら下拵えしたいわしの表側を上にして並べ入れます。再び煮立ったらアクと泡をていねいにすくい取り、①のちぎった梅干しと梅干しの種を散らし入れます。
  3. 煮汁をすくって②の全体に回しかけ、水でぬらした落し蓋をして、中火よりやや弱い火加減で、煮汁が半量くらいになるので煮ます。ときどき落し蓋をとり、鍋を傾けたり、煮汁をすくいかけながら、味を含ませて煮上げます。

 わたしは大きないわしで作りました。青魚好きの夫には2尾。レシピでは、尾は切り落としてあります。以下は、とても美味しい梅干しのホームページ。

矢野農園
http://www.yanofarm.com/index.html


ホームページから通販のページへ行けます。

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 『米なすのトマト煮』を「週刊 土井善晴のわが家で和食 改訂版No.27」(デアゴスティーニ・ジャパン)からご紹介します。

[材料・2人分]
米なす1個(300g),トマト1個,にんにく(みじん切り)1片,水1カップ,バター10g,砂糖小さじ1,オリーブ油大さじ2.

[作り方]

  1. 米なすはへたを取って皮をむく。縦半分にして2㎝幅に切る。トマトはへたを取ってざく切りに。
  2. フライパンにオリーブ油とにんにくを入れて火にかけ、香りが出たらなすを炒める。
  3. トマトと水を加えて、煮立ったらふたをし、中火で4~5分煮る。仕上げにバターと砂糖を加える。

 優しい味わいです。

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 別の日の夕飯のメインディッシュはビーフシチュー。久しぶりに作りました。江戸崎愛先生のレシピで作りましたが、ご紹介はまたの機会に。

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2010年7月19日 (月)

赤染晶子の芥川賞受賞で想った資本主義の行方

Link:赤染晶子『乙女の密告』を読んで

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 16日付朝日新聞の「ひと」欄に、『乙女の密告』で第143回芥川賞に決まった赤染晶子が採り上げられていたので読んだが、以下に抜粋した箇所に目が留まった。

15歳のとき「ベルリンの壁崩壊」を見て、ドイツ語に興味を持ち京都外国語大へ。

 変わった動機だという気がするが、赤染晶子は現在、ベルリンの壁崩壊をどう捉えているのだろうか?

 そのベルリンの壁崩壊で、あれは何というタイトルの番組だったろう――ベルリンの壁崩壊にかんするNHKのテレビ番組を思い出した。その前に、ベルリンの壁崩壊が何なのか、ご存知ないかたは少ないと思うが、以下にウィキペディアより抜粋しておく。

ベルリンの壁崩壊
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 ベルリンの壁崩壊. (2010, 7月 5). Wikipedia, . Retrieved 07:36, 7月 18, 2010 from http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%81%AE%E5%A3%81%E5%B4%A9%E5%A3%8A&oldid=32910907. 

ベルリンの壁崩壊(ベルリンのかべほうかい)とは、1989年11月9日に東ドイツ政府が東ドイツ市民に対して事実上の旅行自由化(実際には旅行許可書発行の大幅な規制緩和)を誤発表した事によって、ベルリンの壁が11月10日以後に東西ベルリン(東ベルリンと西ベルリン)市民によって破壊された事件である。略称として壁崩壊(独:Mauerfall)という。東欧革命を象徴する事件として有名である。

 壁を叩き壊している人々の映像は記憶にある。その人々の表情が、何となくわたしを複雑な気持ちにさせたことを覚えている。赤染晶子は15歳だったそうだが、わたしは31歳だった。そして現在、彼女は当時のわたしの年齢を超えた35歳。

 わが国の高度成長期は1955年から1973年までの18年間をいうから、1974年生まれの彼女は、それが終わった翌年に生を享けた。わたしは、終わったときに15歳。

 資本主義に翳りが見えてきた頃に乙女だったわたしと、拮抗状態にあった東西陣営が一面資本主義カラーに染まったことを象徴するイベントともいえたベルリンの壁崩壊時に乙女となっていた彼女。

 高度成長期が終わった頃の出来事として今でも忘れられないのは、「本を読む人間は暗い」というセリフが生徒たちの間で頻繁に使われ出したことだ。

 高度成長期に子供時代を過ごした者が浴した恩恵の一つといえるものに、世界の児童文学全集・ジュニア文学全集の出版があった。その頃の出版界は今とは全然違っていた。世界を視野に入れた大志……ともいうべきものが子供ごころにも感じられたものだった。

 勿論、その大志とは、経済的な野望という意味ではない。情操の発達に主眼が置かれていた。教養主義が生きていた時代だったのだろう。文学全集は、本を読まない一般家庭でも知的装飾品として存在した。

 それが、高度成長期が終わったとたんに、本――その中でも、文学書が煙たがれるようになってしまったのだった。文系の秀才に代わって、理系の秀才がちやほやされるようになった。あれは、片田舎の一現象にすぎなかったのだろうか?  しかし、その頃からわが国の文学はおかしくなっていった気がする。

 わたしはあまり本を読まない子供だったが、吉屋信子の格調高い少女小説との出合いによって文学に開眼し、文学少女となった。本格的に文学に熱中するようになった乙女時代にはわが国の文学は斜陽的ムードを帯び始めていた。出版界の動向にも、商業的な露骨さが目立ち始め、資本主義の欠点が出て来ていた。それが、もはや、恥も外聞もなく、といった醜悪ささえ感じさせるところにまで来てしまった。

 ここで、NHKのテレビ番組の話に戻ると、そのベルリンの壁崩壊をテーマとした番組の中で、東ドイツ在住の女性がそのときにどう思ったかを訊かれていた。知的そうな控え目に見える女性は答えた。記憶がぼやけているが、だいたいはこんな感じだった。

 物欲が壁を壊したと思った――と。西側の経済的豊かさに羨望を感じる人々の欲望のエネルギーが壁を壊したのだ、と女性は思ったそうだ。東西の統一前は、質素でも安定した暮らしと福祉があったが、今では仕事面も福祉面も不安定、風俗面での乱れも出て来て不安だという。

 統一後の女性の不安の原因の一つは、前掲のウィキペディア:ベルリンの壁崩壊のページにある以下のような事情によるものだろう。

1990年3月、東ドイツにおいて最初で最後となる自由選挙が行われ西ドイツのコール首相が肩入れした速やかに東西統一を求める勢力が勝利するとそれまでの社会主義統一党政権が主張していた東西の対等な合併ではなく、西ドイツ(ドイツ連邦共和国)が東ドイツ(ドイツ民主共和国)を吸収する方式(東ドイツの4州を復活し、それを自発的にドイツ連邦共和国に加入させる)で統一が果たされることに決定した。

 自由の勝利、といった風の喜びの言葉が女性の口から出て来ると期待していたわたしは、ショックだった。が一方では、壁を壊していた人々の映像を観たときにわたしが漠然と感じた複雑な気持ちの原因がここにあったのだろうか、とも思った。

 で、わたしが何をいいたいかというと、今のわが国の文学のおかしさであり、そのおかしさの原因はどう考えても物欲の絡んだところから来ているのではないか、資本主義の欠点が文学という最もデリカシーを必要とするところに巣食ってしまったのではないか、という不安をいいたいわけなのだ。

 わたしは新聞で紹介された『乙女の密告』という変なタイトルとストーリーを読んだとき、作者は賞のためか、売り上げしか頭にない編集者のせいで、奇妙なストーリーを思いつかざるをえなかったのだろうと想像した。

 なぜなら、わたしはかつてK芸術祭文学賞で地区優秀作に選ばれた『ブラック・コーヒー』『女であることの可笑しみ』という賞狙いに染まった作品を書いたことがあった。どちらも、これくらい変な作品に仕立てなければ到底賞はとれないと踏んで書いた作品で、しかし、本当に書きたかったところは綺麗なままで、作品に散らした。

 その結果、狙った部分が評価されて地区選考までは通過できたわけだが、文学仲間のFさんから、「『ブラック・コーヒー』を読んだときに、この人は頭がおかしいに違いないと思った。お目にかかってそうではないことがわかり、ホッとした」といわれてしまった。

 そうした自身の経験があり、また文学界の裏事情をおぼろげに知ってもいるから、わたしは、新聞で紹介された『乙女の密告』のストーリーを読む限り、『アンネの日記』の冒涜に限りなく近い受けを狙った作品か、作者が壊れているゆえの壊れた作品しか想像できず、そこまでしなければならないところまで作者は追い詰められて書いたのではないだろうか、と思ってしまったのだ。

 「ひと」欄を読むと、「これからも小説で血を吐いていきます」と宣言したとあり、息を呑んだ。後者だろうか! 目が泳いでいた前首相に、結核を美化する時代でもないのに血を吐きたがる作家……。

 いや、新聞で紹介された『乙女の密告』のストーリーを読んだだけで、ここまで考えるのは早計だろう。総て、わたしのあくどい空想と思って貰いたい。文藝春秋が出たら買って読み、きちんと感想を述べたい。

 以下は、『アンネの日記』にかんするウィキペディアからの抜粋。

アンネの日記
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

アンネの日記. (2010, 7月 11). Wikipedia, . Retrieved 06:57, 7月 18, 2010 from http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%8D%E3%81%AE%E6%97%A5%E8%A8%98&oldid=32999116.

《各国語への翻訳》

『アンネの日記』は世界中でベストセラーになった。翻訳された言語は55言語、出版部数は2,500万部を超えるといわれている。

日本でも1952年に『文藝春秋』から皆藤幸蔵の訳で『光ほのかに - アンネの日記』のタイトルで出版された。その後『光ほのかに』という訳書が他に存在することが判明し、副題の『アンネの日記』が日本語での正式なタイトルとなった。2010年現在、同じく『文藝春秋』からは深町眞理子訳出のものがラインナップされている。しかし出版当初は、日本がこの書物を発行する事に対する風当たりが極めて強かった。なぜなら日本は、ナチスドイツの同盟国であり、アムステルダム市民からは「アンネを殺したナチスと日本は同罪だ」という考えを持たれていたからである。現に訳者の1人がアムステルダムの本屋でアンネに対する文献を探していたところ、市民連中から「お前ら日本人に、アンネの事が分かってたまるか!」と店からつまみ出されたり、本屋によっては「日本人にはアンネの書物は売れない」と拒否されたりしている。

 翻訳に対する風当たりの強さから考えても、『アンネの日記』を題材とするには、細心の注意が払われなくてはならない。今のアムステルダム市民がどうであるかは知らないが、『アンネの日記』を題材とするには、資格が問われる気がする。

 そういえば、オランダといえば、スナイデルの国ではないか!

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ニトロ舌下、昨日の昼間は『乙女の密告』を読む下準備

Link:赤染晶子『乙女の密告』を読んでnew

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昼間『乙女の密告』を読む下準備

 昨日は一日中今一つの体調だった。

 夕飯後、恐竜のあまり出て来ない恐竜の番組を観ている途中で寝てしまい、今日に入ってから、やり残した家事をしているときに、心臓を搾り上げられるような胸痛。

 おなかも膨らみっぱなし。ぺったんこになることもあるのだから、この膨らみ全部が中年太りのはずはない。パリエット、減らしたいが、まだ減らすとよくない。

 昼間は、家事の合間に、芥川賞を受賞した赤染晶子『乙女の密告』を読む下準備をしていた。

 文藝春秋が出たら読んで感想を書きたいと思っているので、アンネ関連の本を本棚から引っ張り出して読み返したりしていた。

 わたしのような病人は、ナチスの収容所に送られれば、すぐにガス室行きだったろうと思うと、暗澹としてくる。皮膚病もいけなかった。

 そうした事実があまりに身に迫るので、当時のドイツと日本が同盟国だったとは信じられないくらいだが、過去記事でも触れた野上弥生子『欧米の旅(下)』(岩波文庫、2001年)の《ドイツ》、《ドイツ再び》を読むと、第二次大戦前夜のドイツ、ナチ文化が端正な――ときに皮肉を利かせた――筆致で描出されていて、当時の日本の知識人の一人がそれをどう見たかを知ることができる。

 これを遡る昭和6年(1931年)、満州事変が起きた年に、林扶美子は何とシベリアを旅行している。中国とロシアの国境域は緊張していた。

 わたしはその林扶美子の紀行文集『下駄で歩いた巴里』所収《西比利亜の旅》を読みながら、シネマ『ジュリア』を連想してしまった。

 ジュリアはレジスタンス資金を預かる羽目になるが、ロシアへ行く扶美子はマンジュウリの領事からモスコーの広田大使へ当てた外交文書を預かる羽目になるのだ。

 ソヴェート文化についても触れられているが、以下の文章などを読むと、庶民的作風で知られる扶美子の本質が、文化面から人物の情緒面にまで観察の目を行き届かせようとした生粋の知識人であることがわかる。

※途中ですが、発作も治まったので、続きはパソコンからします。

 以下は、前掲の紀行文集『下駄で歩いた巴里』所収《西比利亜の旅》より抜粋。

 時々、隣室のドイツ人がレコードをかけています。寒い野を走る汽車の上で、音楽を聴いたせいか、私は涙があふれて仕様がありませんでした。
 露西亜人と云う人種はいったいに音楽が好きなのでしょう。トロイカと云う映画を御覧になりましたか。タンゴなどはソヴェートでは禁止されていると云いますけれど、走っている汽車の中では平気でした。窓外(そうがい)には、あの映画に出て来るような馬橇(うまそり)が走っています。このドイツ人のレコードが鳴り出しますと、まるで蜂の巣のようにどこの扉もあいて、みんながドイツ人の部屋の前に集まって来ます。そうして皆の顔が生々(いきいき)してきます。実際音楽が好きなのでしょう。

 ロシア人もドイツ人も日本人も音楽が好きだった。その後に辿ったこれらの国々の運命を考えると、何か悲痛な印象をもたらすほどに美しい場面に思える。《北京旅行》の以下のような描写も忘れ難い。

――北京へは朝早く着いた。私の前を行く耳輪の長い女の、腰の線の何という美しさ、楚々と云う言葉も、ここへ来て初めてうなずける。地紋の浮いたコバルト色の支那服のみごとさ、ああここが北京だったのかと、城壁のすぐ迫っているホームに立って、私は、むかし、巴里の北の停車場に着いた日のような胸の動悸を感じた。
〔略〕
 北京はほんとうにいい処だ。山海関と同じように砂塵の多いのには閉口だったが、何とも云えないロマンチックな都だ。そしてすべてが風雅である。何年か前、上海(シャンハイ)に行った時、散歩と云う言葉を、支那語で白想(パシヤン)と云う、と覚えていた。北京では、その白想が板についていて、誰一人せかせかと歩むひとがない。

 野上弥生子も、林芙美子も、今となっては見聞できない当時の世界の状態を微に入り細を穿ち、目に見えるように描き出している。それだけの豊かな教養と筆力があった。現在活躍している作家に、同じものを求めることができるだろうか?

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2010年7月18日 (日)

石窯レシピ『ヨーグルトチキン』

石窯レシピ『ヨーグルトチキン』

 昨日は夫のバースデーでした。

 平凡なものばかりですが、夫の好きなものばかり集めました。

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 メインディッシュは、東芝石窯レシピのヨーグルトチキン。

 4人分で、ヨーグルト2/3カップ、カレー粉大さじ1/2、おろししょうが1片分、塩小さじ1、こしょう少々に鶏手羽元を約30分漬けておきます。

 オーブン250℃で、27~32分。

 サイドディッシュの椎茸には、事前に酒を振り、焼けたら味噌を少しのせました(書店でちらりと見た土井善晴先生のレシピに、そんな風なものがありました)。葱は塩を振って焼きました。酒の肴にいいですね。辛子明太子は戴いたもの。

 茹でた茄子には柚子胡椒としょうゆを。家族に大好評のアボカドのスープをまた作りました。アボカドのスープは既にご紹介済みです。こちら。
 ⇒http://elder.tea-nifty.com/blog/2010/07/post-a20e-1.html

 夫は3Dモデリングに凝っているので、その関係の本をプレゼントしようと思っています。月曜日に、一緒に買いに行く予定。

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2010年7月16日 (金)

第143回芥川賞に赤染晶子「乙女の密告」

Link:赤染晶子『乙女の密告』を読んでnew

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 第143回芥川賞に赤染晶子「乙女の密告」(新潮6月号)、直木賞に中島京子「小さいおうち」(文芸春秋)が選ばれたとのこと。

 「乙女の密告」について、本日付朝日新聞朝刊に以下のようにあった。

受賞作は、京都の外国語大学でドイツ語を学ぶ女子学生が、課題とされた「アンネの日記」のドイツ語での暗唱に励む物語。指導にあたるバッハマン教授は人形を抱えて通勤する奇人で、「アンネの日記」をロマンチックに読むことを認めない。主人公は「すみれ組」と「黒ばら組」という派閥争いや密告などを体験することで、アンネの日記の本質を理解していく。

 赤染さんは「私自身が生まれ育った京都の街をユーモラスに人に伝えたかったのが、小説を書くきっかけです。シリアスな『アンネの日記』と乙女のユーモラスな世界を対比させることで、日本でのロマンチックなアンネ像を疑おうと思いました」と話した。

 選考委員の小川洋子さんは「アンネ・フランクを密告したのは誰かという問題を小説の中にとりこみ、個人のアイデンティティーの中にその答えを見いだそうとした巧妙な小説」と話した。

 前の記事に書いたように、わたしは受賞作は未読だが、雑誌に掲載された最初の作品には目を通した記憶がある。奇を衒い、小細工した作品という印象で、これは文春好みだろうから、いつか芥川賞をとるな、と予感し、それが当った。

 新聞では「ひと」欄にも採り上げられていて、それらを読むうちにわたしはどっと睡魔に襲われ、寝てしまった。

 いずれ、作品を読んできちんとした感想を書くつもりだ。これからは、サイト「作品広場」に作家登録したことでもあり、芥川賞作品は極力読み、感想を書くように努めたい。

 紹介の新聞記事を読む限り、平和ボケとはこのことか、あるいは敗戦とはこのことかと思わずにはいられなかった。こんな作品を産むようでは、日本人の頭脳は本当に危ない。

 作者も選者も共におかしい。ネット検索したところでは、作者は作品の終わりに沢山の参考文献を挙げているそうで、それなら、いよいよおかしい。

 舞台は大学であるらしいが、小学校か中学校の間違いではないのだろうか? 「アンネの日記」をロマンティックに――とあるが、「赤毛のアン」の間違いでは?

 読まずにこれ以上書くことはできないので、やめよう。読んでから、きちんと感想を書く予定。

 湿疹に悩まされ、このところ漢方軟膏で症状が和らいでいることを過去記事で書いてきた。それ以前――ステロイド軟膏が効かなくなって湿疹の痒みがピークに達したとき、実はわたしは『アンネの日記』のアンネの最期を知る人々の証言を集めたウィリー・リントヴェル『アンネ・フランク 最後の七ヶ月』(酒井府・酒井明子訳、徳間書店、1991年)にあるフランク姉妹にかんする描写を想っていた。

 姉妹は痒みの強い皮膚病――疥癬に悩まされ 、発疹チフスに罹った。ラーヒェル・ファン・アメロンヘンは証言している。

 フランク家の少女たちはひどく痩せ、外見はボロボロでした。彼女らはしばしばお互いの病気のことで言い争っていました。彼女らがチフスであったことは明らかでした。以前に一度もチフスにかからなかったとしても、今回はすぐわかりました。チフスはベルゲン=ベルゼンの代表的産物だったからです。
 彼女らの顔にはぼつぼつと穴が開き、骨の上に皮膚があるだけでした。彼女らは絶えず開いたり閉じたりするドアの下段に――バラックの中でも最悪な場所を占めていたので、ひどく凍えていました。「ドアをしめて、ドアをしめて」と彼女らが叫んでいるのが断続的に聞こえました。そしてこの叫び声は、毎日少しずつ弱っていきました。

 姉妹がバラックの中でも最悪な場所を占めていたという箇所に、胸が痛む。母親が一緒であれば、もう少し違っただろうと思わずにいられない。

 ハンナー・ピック=ホスラールは、有刺鉄線越しに対面したときのことを証言している。

 それは私が知っていた同じアンネではありませんでした。彼女は打ちひしがれた少女でした。私もおそらくそうだったのですが、アンネはもっとひどかったのです。彼女はすぐに泣きはじめ、「私にはもう両親がいないの」と語りました。

 何といっても、アンネたち姉妹はまだ少女だったのだ。尤も、そこは大人であっても泣き出さずにはいられないような劣悪な環境だった。フランクルの『夜と霧』にそのような場面が出てくる。

 そして、絶滅させられようとしたユダヤ人の優秀さは、『アンネの日記』や証言集からだけでも推し量られることだ。

 また、いうまでもないことだが、当時、ナチスのドイツと日本とイタリアは三国同盟を結んでいた。ユダヤ人にとっては、三位一体の邪神の如きものを形成し、『アンネの日記』がシリアスとなる原因をつくっていたというわけだ。

 話が戻るが、湿疹の痒みがピークに達したときにもう一つ思い出した作品があった。旧約聖書の『ヨブ記』だ。義の人ヨブは、神の黙認のもとでサタンの試みに遭い、試練に耐えるのだが、体中が悪性のできものに被われて七日七夜経ったときに、ついに自分の生まれた日を呪うのだ。

 胸を打つ、格調の高い作品で、絶望感に囚われたときに、『ヨブ記』ほど、たましいに訴えかけてくるものはない。人間という存在に襲いかかる試練と極限状態をユダヤ人ほど生き生きと描き出せた人々はいない。それは体験から紡ぎ出された、人種を超えた、人類の宝といってよい。

 前掲書の訳者あとがきで、以下のような女性の証言も紹介されている。

SSの目標は、物理的人種絶滅はさておいて、人間としての『私』を引きおろし、完全に一掃し、破壊し、『私』から自尊心を剥ぎおとし、一人の意志のない布切れにしてしまうことでした。

 しかし、ドイツの置かれた状況もまた、複雑過酷だった。勿論ドイツ占領下に置かれたオランダも。そうした資料を読んだあとで、『乙女の密告』は書かれたというのか? この記事は、『乙女の密告』読後の記事に続く。

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当ブログにおける関連記事

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外出疲れ

外出疲れ

 午前中まとまった家事をした以外は、昨日の外出疲れから寝ていました。

 圧迫感で胸が鉛になったみたいな重さなので、ニトロペン舌下。

 お昼も寝ていて、薬を飲まなかったせいでしょう。これから飲みます。

 吐き気がしています。昨日も買い物中、軽いめまいと吐き気がしました。メニエール?(昔耳鼻科でメニエールと診断されたことがあります。その頃のグルグル回るめまいとは違い、単にふらつく感じなので、違うかな?)

 胃酸を抑えるパリエットは、飲まずに済むなら、そのほうがよく、消化器内科の先生から自己管理を任せられました。

 2度試してみましたが、どうしても気持ちが悪くなり、パリエット、飲んでしまいます。

 湿疹は明らかに好転。うなじ、頭の中1箇所、左耳に限定されてきました。それも軽い感じとなってきました。

 でも、まだ波があり、痒くなると、緊張感がなくなったせいか、無造作に掻いてしまいます。

 すると、腫れるので、慌てて紫雲膏を塗るという具合。

 綺麗になるまでは、湿疹ぽい(といえるまでになりました)ところに1日に何回か薄く塗って、きちんとケアしたほうがよい気がします。

 あれほど湿疹の悩みが深かったのに、今じゃ塗るのが億劫になるレベルですよ。

 全国初のステロイド軟膏禍訴訟を起こした江崎ひろこさんのご本を読んでおきたいと思っているのですが、怖くて読めないのです。

 ネットに断片的に紹介されているものを閲覧しただけで、心が震えます。いずれ、きちんと読み、レビューを書くつもりではあります。

 書きたい料理の記事が2本。芥川賞が決まったので、ざっと触れた記事も書いておきたいです。

 受賞作は未読ですが、雑誌に掲載された最初の作品には目を通した記憶があります。奇を衒い、小細工した作品という印象でしたが、これは文春好みだろうから、いつか芥川賞をとるな、と予感したのが当たりました。

 新聞に紹介されていた受賞作のストーリー、あれは何? ナンだか、それを見て、どっと眠気に襲われた気がします。 

 八仙丸、飲んでみようかなあ? この街に引っ越して来たのが、2004年の12月でした。

 その頃は新しく発症した喘息に戸惑いがありましたが、受診科もまだ吸器科と循環器科だけでした。

 家事を早めに済ませ、県立図書館へチャリで行き、夕方まで調べものをしたり執筆したりし、帰りにマルキョウで買い物して夕飯を作る……というごく普通の(作家の卵としては理想的な)暮らしができました。

 それが今じゃ、前日に買い物に出ただけで寝込んだり、発作を起こしたりといった騒ぎようで(?)、消化器内科の通院が増え、経過観察では内分泌内科、整形外科、脳神経外科にかかっているという有り様。

 ときどき泌尿器科と婦人科にかかることもあることは、当ブログに古くからいらしてくださっているかたなら、ご存知でしょう。

 ナンとかしたいと思って漢方内科に行き挫折しましたが、体を本当によくするにはやはり漢方しかない気がしています。

 漢方薬局で薦められた八仙丸は、ネット検索しても、副作用の少ない、体質改善の基本的な薬と出て来て、試してみるにはよい薬であるようです。

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2010年7月15日 (木)

真夜中に記事の更新

 夕飯後に寝てしまい、真夜中に目覚める癖が直らない(大抵、それから入浴になる)。

 平凡に暮れた昨日のことを書いておこう。

 体のことばかり書いて恥ずかしいが、近頃目の疲れがひどい。ドライアイかもしれない。

 レッドクロスの眼科の診療案内を見たところ、ドライアイ、緑内障、白内障とあったので、受診を迷っているところ。

 今すぐに行かなければ、という切迫したものではないのだが、目薬が手放せなくなり、困っている。

 受診科をこれ以上増やしたくないという思いもあり……で、昨日は休眼日にし、なるべく目を休めるようにしていた。

 そして夕方、メールボックスだけでもチェックしておこうとパソコンを開いた。

 そのとき、セキリティツールのバージョンアップを済ませていなかったと思い、試みたところ、とっくに契約の切れたマカフィーのアンインストールが不完全なせいで、できなかった。

 以前から何度かアンインストールしかけては挫折していたのだが、支障なかったため、放置していたのだった。

 が、今度ばかりは、削除しなければならない。

 マカフィーの「インストール関連のQ&A」というページにある『ツールの利用手順』に従って、アンインストール専用のファイルをダウンロードし、削除ツールを使ってようやくアンインストールが完了。

 思いのほか時間を食ったものの、セキュリティツールのバージョンアップができてホッとした。

 創作のほうは、このところ自作童話『不思議な接着剤』のための時間がとれていない。

 今週中に、鍾乳洞の天井近くの横穴から中に入っていく子供たちの描写にかかりたいが、その前に、チェックすべきことが一つ。

 ボンドという言葉。

 ボンドがもしかしたら、どこかの登録商標かもしれないと思ったことはあったけれど、英語でボンドには化学結合、接着(した状態)、接着剤という意味があるので、あまり深くは考えなかった。

 しかし、気になって調べたら、やっぱりというべきか、ポンドはコニシの登録商標だった。

 ついでに、どんな登録商標があるか調べてびっくり。『オーラ』も登録商標だそうで……。

 古くからオーラという言葉は使われてきていて、近代になってブラヴァツキーが新たな息吹きを吹き込んだ言葉。わたしは神秘主義用語として、これからも使っていくだろう。

 漢方軟膏の使用感にかんする続報。

 昨日の記事を書いたあと、痒くなったうなじを掻いてしまったところへ紫雲膏を塗り、しばらくして入浴した。

 入浴後、瞼と耳の後ろの乾燥が気になり、薄く塗った。左耳の中にも、綿棒に薄くつけて塗った。漢方軟膏を使い始めて、ほとんど耳垂れがしなくなった。ときどき、痒くはなる。

 左耳は、長いこと、耳垂れがするに任せていた。コットンを詰めていた。耳垂れの量が増えたので、念のために耳鼻科を受診したところ、耳垂れが固まった塊をガリガリ削られてリンデロン軟膏をこってりと塗られ、同じ軟膏を持たされてポイされた〔また、有無をいわさず、鼻から喉までファイバースコープを突っ込まれ、鼻孔は完璧に綺麗、喉にも腫瘍はないといわれ、喉の写真を渡された(結構グロテスク)〕。

 それからときどき、その後循環器クリニックで出して貰ったリンデロンローションを塗るようになった。それが効かなくなり、リンデロン軟膏を塗るようになり、それも効かなくなって耳垂れが始まったので、またコットンを詰めるようになっていた。

 漢方軟膏を使い始めてからは、主にべとつきの少ない神仙太乙膏を綿棒に薄く塗って、耳に塗ってきた。耳垂れはすぐになくなった。現時点では、日に1~2回痒くなるので、そのときか、入浴後に塗っている。

 話が戻るが、入浴後は、今は真夜中だが、この記事を書く前に頭の中の1箇所に指先でちょっとつけた。

 昨日は湿疹のことも、漢方軟膏のことも、ほぼ忘れて過ごした。

 頭皮全体と顔のあちこちまで痒みが広がった10日前、漢方軟膏ではなく、ステロイド軟膏を選んでいたら、どんな悪循環に陥っていたかと思うとぞっとする。

 リンデロン軟膏が効かなくなっていたので追い詰められた気持ちだったが、おそらくは皮膚科を受診して、使っていたものよりさらに強いステロイド軟膏を出して貰っていただろう。

 わたしの湿疹は、病気による体力の低下から来ている面があるのではないかと思う。

 それに、ステロイドを嫌がったところで、喘息には使っているというジレンマがある。だからこそ、皮膚にまで使いたくないと思うのだ。

 漢方薬局で薦められた八仙丸、飲んでみようかと思ったりもしている。家族は、飲んでみたらといってくれる。でも、これ以上薬を増やすのも……。

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2010年7月13日 (火)

漢方軟膏の使い心地①

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 写真は、昨日マツキヨから購入したクラシエ製薬の紫雲膏です。

 最初に買ったものがまだ半分近くあるのですが、早めに買いました。

 2種の漢方軟膏――神仙太乙膏『タイツコウ 軟膏』(メルスモン製薬)、紫雲膏『紫雲膏 チューブ』(アルフレッソファーマ)を漢方薬局で購入して、1週間以上経過しました。

 昨日は病院で外出したということもあり、何も塗りませんでした。深夜、眠りながら掻きかけて目が覚め、掻き毟らなければならないほどの痒みではなかったので、それ以上は掻きませんでした。たぶん朝まで掻かなかったと思います。

 今日はもう夜になりましたが、昼間、左耳が痒くなったので、神仙太乙膏を綿棒に薄くつけて耳の中に塗りました。

 一昨日は、湿気が強かったせいか、あちこちが痒くなり、紫雲膏をうなじと頭皮の数箇所に何度か塗りました。痒いからといって塗り重ねるよりは、一度濡らしたタオルなどで綺麗に拭きとってから、再度塗るようにしたほうがいいような気がします。

 同じ箇所に塗りすぎると、逆にかぶれやすいようです。

 それにしても、1週間経ったくらいで、こんなに湿疹の悩みが軽くなるとは、想像しませんでした。

 わたしは藁にも縋る思いで、漢方軟膏を求めました。しかし、それは藁に縋った場面ではなく、もしかしたら、昔から大勢の人々によって効能が確認され、使用されてきた超大型客船に救助された場面だったのかもしれませんね。

 昨日、クレンジングオイルを買いにファンケルに行きました。そのとき、過去記事で書いた、わたしと同じように湿疹で困っていてステロイド軟膏に頼っているという店員さんに、漢方軟膏を試していることをお話しすると、自分も使ってみようかな……とおっしゃいました。

「こうして話している今も、背中が痒いんですよ。背中は掻きすぎて、真っ黒くなっているんです。唇からは、よく汁が出るんです。背中だけではなく、唇、目の辺りにも、ステロイド軟膏を塗っています」とのこと。

 ただ、わたしの場合は、あくまで素人考えで使ってみているにすぎないことは、強調しました。

 体質改善しない限りは、湿疹ができやすい体質は変わりませんから、結局のところステロイド軟膏の代わりに漢方軟膏を使い続けることになるのかもしれませんが、副作用という点では、漢方軟膏のほうが格段に安心なようです。

 全国初のステロイド軟膏禍訴訟を起こした江崎ひろこさんが、わたしと同じ年のお生まれであることは、過去記事で書きました。このようなステロイド軟膏禍訴訟については、もっと広く世に知られるべきことではないかと考えます。

 ステロイドはいろいろな病気の治療に使われていて、最後の切り札としても使われるような貴重な薬であることには間違いないでしょう。

 が、湿疹のような乳幼児から病床のお年寄りまで沢山の人々がかかる皮膚病に、もっと安全な塗り薬があるのであれば、第一に選択されるべき薬として、そちらが使用されてもいいのではないでしょうか。

 たかが湿疹、たかがステロイド軟膏とはあなどれません。外観ばかりか、精神に与えるものの大きさは、不安を覚えながらステロイド軟膏を使い続けた経験のある人間なら、よくわかっていることだと思います。

 繰り返しますように、わたしの場合は、ステロイド軟膏より安全な軟膏に出合えることを願い、ネット検索で漢方軟膏に辿り着いた素人の選択にすぎませんので、今後、どう考えが変わるかはわかりません。で、もう少し、この方面のリポートを続けたいと思います。

 以下は、漢方軟膏の登場する過去記事で、上から順に読んでいただければ、漢方軟膏を使い始めてからの推移がおわかりいただけるでしょう(記事では他の話題にも触れていますので、読みづらいかもしれませんが)。

2010年7月 6日 (火)
漢方軟膏を試し始める
http://elder.tea-nifty.com/blog/2010/07/post-af4a.html

2010年7月 8日 (木)
掃除中に……
http://elder.tea-nifty.com/blog/2010/07/post-3da5.html

2010年7月 9日 (金)
夢に出てきた野上弥生子。息子からの電話。
http://elder.tea-nifty.com/blog/2010/07/post-1452.html

2010年7月10日 (土)
さっぱり感。
http://elder.tea-nifty.com/blog/2010/07/post-8024.html

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2010年7月12日 (月)

消化器内科受診

 調子を訊かれたので、だいぶんよくなってきたけれど、日によって、食べる物によってバラつきがあり、また漢方薬の六君子湯を飲むと、お腹が張るとお話ししました。

「そう? パリエットと同じように胃酸を抑える作用があるから出してみたんだけれど、もしかしたらお腹が膨れる副作用があるかもしれない。見てみよう」と、パソコンの画面を見ながら先生。

 一緒に見ていると、副作用に《腹部膨満感》とありました。

「ああ、ある、ある。それではね、これは飲まなくてもいい」と先生。わたしはホッとしました。

「あのね、パリエットは10年前にはなかった新しい薬で、胃酸を強力に抑える優秀な薬だからね、慣れてきたら、患者さんに管理して貰うことにしている。胸焼けがないときは2日に1度とか、3日に1度でもいいよ。自分で加減してみてほしい」と先生。

 胃酸の逆流はよくないので、油物を控え、早い時間帯の夕食を心がけるようにとのこと。

 肉食の多い欧米人には胃酸が多く、胃酸の逆流から来る食道癌が多いそうです。

 日本人の胃酸は欧米人に比べたら大したことがなく、食道癌の主な原因は、タバコと酒だとか。

 何にしても、三つの中では一番強い薬なので、パリエットにかんしては自己管理してみるように、とのことでした。

 というのも、胃酸の量がどれくらいかは患者の自覚症状に頼るしかなく、例えば血液検査でわかるというものではないから、ということでした。

 ガスモチンは胃腸の働きをよくする薬だから、これまでのように飲むように、とのこと。

 パリエットとガスモチンが50日分出ました。次回は、8月30日、10:00~11:00枠。

 今日で消化器内科受診は3回目でしたが、初心時に比べたら、調子がよくなったと感じています。

 ただ油物を食べると、やはりよくなく、怖いくらい、お腹が膨れることがあります。

 写真付で公開している記事にあるような料理を、いつも家族と同じだけ食べているわけではありませんが、これからは少し徹底して油分の多い物は食べないようにしたほうがいいかな、と考えています。

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※調剤薬局で

 ドリンクサービスのお茶を飲みながら、順番を待っています。40分待ち。

 先ほど、先生からの注意で書き忘れたことがありました。「ゆっくり食べること」

 子供にいうような優しさで、じっと目を見つめながら、噛んで含めるようにおっしゃるので(お年寄りの患者さんが多いんでしょうね)、教えを守らなくちゃなあと思わされます。

 が、日が経つにつれてだんだん……いや、そんなことがないようにしなくては。苦しい思いをしたくなけりゃ。

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スナイデルが忘れられない

 サッカー、ワールドカップ決勝戦でスペインに敗れたオランダのスナイデル選手が試合中に見せた、疲れた顔が忘れられない。ブラジル戦でのすばらしいプレーと共に。

 ハートがときめいてしまった!

 さっそく、ウィキで調べてみた。1984年6月9日生まれ……。

 えっ、そんなに若いの、あの男性は。もう、オジサンかと思っていた。

 1984-1958=26

 計算するまでもなく、スナイデルの誕生日が、わたしの娘の誕生日と息子の誕生日の間に来ることはわかっていたが……。

 あまりの年の差に、わたしの淡いときめきは青褪めて墜落した。

 スナイデルくん、君のお蔭で、おばさんはサッカーが好きになりましたよ。これからも、どうか体に気をつけて頑張ってくださいね!(考えてみれば、年の差があるとはいっても、相手は成人で、小学生ではないんだった。何にしても、これからも応援しよう。)

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ワールドカップ、スペイン初優勝

 すばらしい試合だった。スペインには精彩があった。

 逆に、オランダは精彩を欠いて見えたが、退場で1人減ったあとは、焦りも感じられた。

 スペインの選手のボール捌きの見事さに、オランダの選手がついていけなかったのかもしれない。

 スペインの選手は、必要なとき以外は体からボールを離さない(それだけの技術がある)。

 まるで足で愛撫するようにしてボールを運びながら(ボールが生き物……よく馴れたペットのように見えた)、ここというときに、狙いを定めて、鋭く蹴る。

 堅固な連繋プレーは、蟻の動きを連想させるほどに一体感のあるものだった。

 よいものを観せて貰って、清々しい朝……眠いけれど。

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自民党、改選第一党に

 夕食後に寝てしまい、目が覚めたら、与党の過半数割れが確実となっていた。

 民主党が与党になって間もない時期に、民主と自民のその後をタロットで占ったが、事態の推移と今日の結果を見れば、これまでのところ、占いは当たっているようだ。

 うーん、報われない作家志望なんかやめて、占い業を開業しようかしら?

 でも、気分が出ないと占う気になれないのでは、商売にならないだろうな。

 この県は民主が当選。これまでの歴史を見れば、自然な流れだろう。この県は、つくづく九州っぽくないと思う。

 みんなの党は大躍進だが、興味がなく、ノーマークだった。渡辺代表の無意味に立った髪が、何となく気に障る(これが、たちあがれ日本、だとまだわかるが)。

 民主の大敗には、菅首相の消費税――増税――論が災いしたのだろうが、目先の損得に釣られて右往左往する大衆の習性は変わっていない。

 日本の厳しい状況も変わらないが、民主の危うい独走には歯止めがかかったかたちで、ほんの、ほんの少しだけ、安堵する。当選した小泉チルドレンの顔を見ると、複雑な気持ちになるが……。

 チャンネルを替えたら、ワールドカップ決勝戦、スペイン対オランダだ。

 わあ、今日は病院なのに、これは、寝るわけにいかないじゃないの。

 オランダはブラジル戦を観て以来だが、ここまで勝ち上がっていたんだ……あのとき、上手いとは思ったけれど。

 これからドキドキの後半戦! さあ、どうなる?

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2010年7月11日 (日)

土井善晴先生レシピ『米なすのクリーム煮』

ブログネタ: 【写真ネタ】お宅の晩ご飯を激写してください!参加数拍手

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 網焼きポークは石窯メニューを参考にしました。

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 しょうゆ大さじ4、酢大さじ3、おろしにくにく2片分、ごま油大さじ1に15分漬けておいた豚ロース肉を250℃のオーブンで27~32分。とても美味しいです!

豆腐のポタージュは、既にご紹介しました。冷やしたら、夏向きになりますね。こちら。
  ⇒http://elder.tea-nifty.com/blog/2010/02/post-6874-1.html

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 昨日の夕飯作りのとき、アボカドのスープに使った生クリームが残っていたので、使い切りたいと思い、土井善晴先生のレシピ『米なすのクリーム煮』を作りました。レシピを、「週刊 土井善晴のわが家で和食 改訂版No.27」(デアゴスティーニ・ジャパン)からご紹介します。

[材料・2人分]
米なす1個(300g),水1/4カップ,生クリーム1/4カップ,塩小さじ1/2.

[作り方]

  1. 米なすはへたを切り落として皮をむき、2~3㎝角に切る。
  2. 鍋に①のなすと水、生クリーム、塩を加えて強火にかける。
  3. ②が煮立ったら中火にし、ふたをしてやわらかくなるまで3分ほど煮混む。

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服部幸應先生レシピ『アボカドのスープ』、小川忠彦先生レシピ『帆立貝のサラダ(インド風)』

  一昨日の夕飯になります。

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 メインディッシュは、冷凍していた銀ダラを解凍して、ソテーし、過日作ったバジルペーストをのせたものです。銀ダラは身が崩れやすいので、フライパンにクッキングシートを敷いて焼きました。

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 こくがあってスパイシーな小川忠彦先生レシピ『帆立貝のサラダ(インド風)』を、「NHK「きょうの料理」ポケットシリーズ〈カラー版〉25 サラダ」からご紹介します。

[材料・4人前]
帆立貝(冷凍)12コ,スパゲッティ(乾燥)150g,サラダ油少々,たまねぎ1/2個,干しぶどう50g,マヨネーズカップ3/4,カレー粉大さじ1,
塩.

[作り方]

  1. 帆立貝はひもを取り除き、塩少々を入れた熱湯でゆでておく。
  2. スパゲッティは塩を少々入れたたっぷりの湯でゆで、ざるに取って水気をきり、サラダ油少々を混ぜておく。
  3. たまねぎは薄切りにして水にさらし、ふきんに包み、水分をとる。
  4. マヨネーズにカレー粉を混ぜておく。
  5. ①の帆立貝、②のスパゲッティ、③のたまねぎ、干しぶどうをボールに入れ、④のソースで手早くあえ、器に盛ってすすめる。

 最近買ったミキサーはミル付でした。マヨネーズ作りに重宝しています。

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 アボカドのスープは、ミキサーで。完熟物だと簡単に裏ごしできるのですが、うっかり硬めのアボカドをチョイスしてしまうと、おろし金が必要でした。

 でも、ミキサーがあると、少しくらい硬くてもアッという間にクリーミーなスープになりますね。昔より性能がよくなり、2,000円台からあると知っていれば、もっと早く買ったのですが。電器店に出かけたときは、全体をざっと見ておく必要がありますね。昔の頭のままだと、損することがありそう。

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 アボカドのスープは、冷やしておくと、デザート感覚。暑いときにぴったりですよ! レシピは既にご紹介しましたが、再度、参考にした「週刊 服部幸應のしあわせクッキング第19号」(ディアゴスティーニ・ジャパン)からご紹介しておきます。

[材料・2人分]
アボカド1個,牛乳1カップ,生クリーム大さじ2,イタリアンパセリ少々,
砂糖,塩,こしょう.

[作り方]

  1. アボカドは熟している(皮が黒いもの)を選ぶ。縦半分に切って包丁の角で種を除き、皮をむいて果肉を裏ごしする。
  2. ボールに①、牛乳、生クリームを合わせて混ぜ、砂糖大さじ1、塩、こしょう各少々で味をととのえる。
  3. ②をよく冷やしてから器に盛り、イタリアンパセリを飾る。

 イタリアンパセリがなかったので、わたしはパセリを飾りました。

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カテゴリー変更のお知らせ

カテゴリー変更のお知らせ

 投票を済ませた後、コンビニに寄って買ったリプトンのチャイティーラテ。

 出かける前に、カテゴリーの変更をしました。『クッキング』を一つに。

 No.1・2に分けていたのは、クッキングのカテゴリーがパンクしそうだったからですが、その後ココログの仕様が変わり、新しい記事から一定量が全表示される以外はタイトルのみの表示となったので、バリバリいいながら一度に記事が出ようとして固まる……こともなくなったからです。

 ひとりごとNo.1・2はやめ、以前使っていた『日記・コラム・つぶやき』を復活させることにしました。

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2010年7月10日 (土)

さっぱり感。

 湿疹にリンデロン・ローション、リンデロン軟膏が効かなくなり、藁にも縋る思いで漢方軟膏を使い始めたことは、既に書きました。

 想像以上に効果があり、入浴のたびに、うなじから頭皮にかけての腫れが引き始め、元気になってきていることがわかります。

 思わず少し掻いてしまうことはまだありますが、以前のように掻き毟ることはなくなったので、シャンプー時にもしみません。

 漢方軟膏に用いられている油が髪について、とれにくいので、シャンプーの前に、愛用しているファンケルの『マイルドクレンジングオイル』をつけたら、落ちやすくなりました。

 入浴後はさすがに再びべたつく軟膏をつけるのが嫌になり、さっぱり感を楽しみますが、これは漢方軟膏と出合う前と比べれば、贅沢な話ですね。

 まだお試しの段階なので、おススメとまではいきませんが、軽いうちだと、これのほうがよいと思いますよ。全国初のステロイド軟膏禍訴訟を起こした江崎ひろこさんは、わたしと同年のお生まれです。

 五十肩っぽい右肩は、しばし家事から解放して静かに置いてやると、痛みません。なりかけている――なってしまっているのかもしれませんが――ことは間違いないので、湿布を貼って警戒中(湿布でかぶれたら、嫌だな。ムラサキがあるけれど)。

夕方に
 現在、午後6時過ぎです。朝、上の記事を書いたあと、べたつくのが嫌だったので、3箇所だけ、ちょん、ちょん、ちょんと『紫雲膏』をのせるようにつけただけで、放置していました。途中、思わず掻きかけましたが、やめておこう……と、自制心を働かせる余地のある程度の痒みでしたので、我慢して掻きませんでした。

 あちこちがうっすらと痒くなるのですが、何かしていると忘れる程度ですので、紫雲膏は朝、3箇所につけたきりです。尤も、これから夜に入れば、そうは問屋が卸さないでしょうが。

 何といっても、痒みが強くなるのは深夜です。

 深夜には副腎皮質ホルモンの分泌量が減少すると、いつだったか呼吸器クリニックの先生がおっしゃっていました。湿疹で掻き毟った傷が完全に治るには2週間かかるともおっしゃっていましたっけ。2週間、掻かないで済ませられれば、治るというわけでしょうが、簡単なことではありません。

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痛たたた……!

 食器棚にお皿を置こうと、腕を上に伸ばしたとたん、ズキーン!

 もうこれは、五十肩ですわ。五十肩だと、大したことはないはずなんで、気は楽なんですが、痛いのは痛い。

 携帯打つような、体の前でする動作は支障ないんですよね。

 ウワッ、と思ったら、携帯で打ちながら腕を少し捻ったのか、またズキーン!!

 月曜日、消化器内科受診でレッドクロスへ行くのですが、整形外科の先生は外来出ていらしたかなあ?

 このままひどくなるようなら、来週、整形外科の受診を希望したいと思っています。

 昨日の夕飯、レシピを紹介したいんですけれど……。ウッ、また、
(>_<) ヒー!

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2010年7月 9日 (金)

夢に出てきた野上弥生子。息子からの電話。

 昨日の外出疲れ、発作疲れに、五十肩になりそうな右肩を庇う消極的な気分が重なったためか、今日は午前中に少し家事をしたきり、お昼まで寝、パンを食べ薬を飲んだあと、また午後4時半まで寝ていました。

 息子からの電話で目が覚めたのです。

 息子は、今日は会社を早退し、慈恵大関連クリニックの皮膚科へ行った由。息子がそこを受診するのは2回目で、この先暑くなると自力で治すのは難しいと思い、受診を思い立ったようです。

 息子もステロイドが剣の刃であることは知っているので、考えた末の決断だったのでしょう。ステロイド、抗生剤、抗ヒスタミン剤の内服と、湿疹の度合いにより何種類かのステロイドが出され、湿疹を内と外から一気に抑え込もうという戦法であるようでした。

 それから1週間後の今日は見たところはすっかり綺麗になっていたので、内服は抗ヒスタミンのみとなり、受診は1月後とのこと。これでぶり返すかどうかでしょうね。息子も警戒は怠っていないようです。わたしは漢方軟膏のことを話しました。

 漢方軟膏を使う前は、眠りの中でも湿疹の強烈な痒みを感じて目が覚めていたのですが、今日もそれで覚めることはありませんでした。

 漢方軟膏を試し始めてから、5日目。痒みの波がやって来たときに、主に紫雲膏を塗っています。紫雲膏に使われている紫の根と、相性がよい気がしています。

 わたしは子供の頃に湿疹の出た記憶があるのは、1回だけでした。それから、大学に入って、一度に沢山のお酒を飲んだときに1回。出産して少し体質が変わり、病気になってからは完全に体質が変わりました。それでも、アレルギー検査では、アレルギー度はほぼゼロなのです。

 夫はむしろ、結婚後に湿疹がよくなりました。以前はよく背中をせかせか掻いたりしていたのですが、徐々にそうした場面を目撃することが少なくなり、昔はひどく悩まされていた感のあった蓄膿症のほうも、それほどではない様子……タバコをやめれば、鼻の悩みはさらに軽くなるのでは?とわたしには思えるのですが。湿疹に薬を使わなかったことが、夫の場合はよかったのかもしれません。

 漢方軟膏は、ステロイド軟膏が現れる以前の日本では、よく使われていたのでしょうね。

 ところで、野上弥生子の旅行記『欧米の旅』を再読していたためか、野上弥生子と語り合うという、畏れ多い夢を長々と見ていました。

 お昼に起きたあと、また寝たら、再び野上弥生子の夢。〔※野上弥生子⇒1885年(明治18年)―1985年(昭和60年)〕

 そういえば、大分に住んでいるというのに、臼杵市の記念館にまだ行ってませんでした。詣でよ、というミューズの御達しかしら。

 大分に来てからはずっとフンドーキンの醤油を使っていて、買うときにはいつも野上弥生子を思い出します。彼女の生家は、フンドーキン醤油の創業家でした。

 わたしは野上弥生子の小説は正直いって単調に感じるのですが、旅行記は最高に面白いと思います。

野上 弥生子
岩波書店
発売日:2001-08

 多彩な教養と多面的な観察眼が縦横に発揮されていて、歴史観、政治認識は、したたかなばかり。どこかしらユーモラスなところもあって、滋味あふれる第一級の文学作品となっています。

 文化を含む文明というスケールの大きな視点で語られていたかと思うと、ぐっと事物に接近して、レストランのお皿の中身が細々と描写され、そのうちの一つ、例えばマカロニなんかがクローズアップされて、またそこから文化が、文明が考察されるといった具合。

 何となくバルザックを連想させられますが、大正から昭和にかけて活躍した作家で、バルザックの洗礼を受けている日本人作家は多いんですよね。また、古典の教養が土台にあって、古き佳き日本を感じさせられます。

 以下に『欧米の旅(上)』(岩波文庫、2001年)から一部を抜粋、ご紹介しておきます。この一文からだけでも、野上弥生子の旅行記の魅力の一端が窺えるのではないでしょうか。

 クオ・ヴァディス寺は、こうした通りの角になった小さい寺である。クリストの足跡なるものが、会席膳くらいの四角な大理石にちゃんと両足残って、鉄の格子で蔽われて大事に飾られている。その時分の大理石は、搗きたての餅のように柔らかであったらしい、と云ってしまえばそれまでであるが、ローマから逃げだしたピエトロが呼び留められるには、地理的に丁度自然な位置である。ヨーロッパの宗教画によく描かれている通り、白衣のクリストがほんとうに現れたかどうかは別として、「どこへ行くのだ[クオ・ヴァディス]」の一言を、こころの危機に際して耳にしたピエトロはなんと仕合せであったろう。そうしてまたなんといい言葉だろう。ピエトロ一人に聞かせたのは勿体ない。これは地球のあたまの上で、毎日いっぺんラヂオ体操の掛け声のようにどなって貰うだけの値打ちがある、とへんな感心の仕方をしながら歩いたのは、この数日の新聞記事の影響らしい。ヒトラーの行動を核として、ヨーロッパに新しい黒雲がかぶさっていた。


 旅行記といえば、これは最近購入したものですが、ヴィクトリア朝の作家、ディケンズの『イタリアのおもかげ』(伊藤弘之・下笠徳次・隈元貞広訳、岩波文庫、2010年)も、さすがだと思わせる名著。〔※チャールズ・ディケンズ Charles John Huffam Dickens⇒1812年―1870年〕

 ローマで、デイケンズは処刑の見学を思い立ちます。その一部始終のリポートには、戦慄させられないではいられません。この人の神経と観察眼は、尋常ではありません。 
 
 しかし、克明に描写された当時の処刑の様子は、時代は異なりますが、魔女裁判が一種のお祭りでもあったような、別の本で読んだ記述と重なるものがあり、彼がアヴィニョンで異端審問の部屋や地下牢などを見学した際の描写と共に、児童文学作品『不思議な接着剤』を執筆するときの参考になります。

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心臓にも余震あり

心臓にも余震あり

 眠いわ。もう余震、なしにしてね。

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2010年7月 8日 (木)

まさか……今度は右が五十肩?

20100708225213

 外出先で何度か覚えのある痛みが右肩に走り……ギクッ!

 用心して、スーパーの袋は皆家族に持って貰いました。五十肩になってしまったら、疼きがやって来て、腕を上げたり、回したりができなくなるでしょう。

 ある限られたことができなくなるだけなのですが、右だと左より不自由感があるでしょうね。とりあえず、使用期限切れの湿布を肩に貼り、用心しています。

 今ではすっかり骨腫瘍でかかっている整形外科ですが、最初は左の五十肩で受診したのでした。

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モロゾフにて 2

Ismfileget2

 実は、今は娘とスタバにいます。夫の映画が終わるのを待っているところ。

 わさだタウンのモロゾフに入ったのは初めてでしたが、人が少なかったせいもあって、ちょっとホテルの喫茶室みたいな心地よさがありました。

 わさだタウンのスタバは、若い人がほとんど。わたしも気分だけは、大学生! 精神年齢って、老けてもあまり変わらないのに、周りはそうは見てくれないわねー。

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モロゾフにて Ⅰ

Ismfileget

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掃除中に……

掃除中に……

 1時間以上前になりますが、またトイレで発作が起きました。

 でも、今日は掃除中でした。つくづくトイレとは、相性がよくありません。

 発作の起こりかたも、小用のためにトイレに座るなり、強烈な痛みに見舞われたときとは違いました。

 最初は肩の強張った感じから始まって、それがふいに圧迫感を伴う痛みに変わり、それが次第に強まって胸のど真ん中へ降下する……というゆっくりした感じでしたから、トイレを出てからニトロを舌下しました。

 湿疹が悪化したことから考えても、梅雨入り以来、体調が低下しているようです。

 湿疹には紫雲膏が想像以上の働きをしてくれて、ほとんど掻かずに済んでいます。

 ただ、ゴマ油の匂いが気になりますし、髪につくと、洗っても落ちにくいというデメリットがあります(椿油をつけているつもりになればいいのかもしれません。どう嗅いでも、ゴマの匂いですけど……。シャンプーの前に、クレンジングを使えばいいかも)。

 尤も、ゴマ油で効能のあるエキスを抽出しているのでしょうから、文句はいえません。

 アルコール抽出したハーブを使っていましたが、敏感な肌にはアルコールはどうも……という難点がありましたから。

 これから家族と出かけます。ニトロはしっかり携帯しますわ。

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お知らせ

 左サイドバーにフリーメモ『Nの手帳』を設置して、楽しく活用していましたが、利用していたサービスに障害が発生した模様で、使えなくなりました。回復をまっていましたが、まだ回復していないようです(そういえば、デンパンも回復していないようですね)。

 そこで、記事ごとの字数制限が気にかかって放置気味となっていた、ホームページ付属のジオログブログ『創作ノート』をその用途に当てることにし、タイトルも『Nの手帳』に変更しました。

 この『Nの手帳』は、訪問者のためのものではなく、純粋に管理人のためのものですので、別にご覧いただいても構いませんが、鑑賞に耐えるものではない点、お断りしておきます。

 それにしても、無料サービスを利用していたとはいえ、その突然の停止には途惑います。サイトに公開中のものでも、大事なものは別のかたちで保管しておいたほうがいいですね。

 壊れた『Nの手帳』には、高崎山のお猿さんのメモがあったので、しまった!と慌てたのですが、わたしはメモを一時的にストックしておく『ちょっとボックス』というホルダーをパソコンに作っていて、調べたら、幸いそこに入れていました。

 お猿さんたちの記事、まだ書けないでいますが、そのうち書きたくならないとも限りませんからね。

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昨日の夕飯

昨日の夕飯

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2010年7月 7日 (水)

七夕の夜

七夕の夜

 どんなお願いをなさいましたか?

 天の恋人たちは、今頃楽しく切ないデートの最中でしょうね。

 夕方、こちらは雷が鳴ったりしましたけれど、星々は地球の圏外、遠いところにありますから、地球の天候が彼らのデートに影響することはないでしょう(?)。

 漢方の軟膏『紫雲膏』のお蔭で、湿疹の痒みが軽くなりました。だから、枝豆が特に美味しく感じられます!

 
 べたつくのが、頭皮に湿疹のあるわたしには、ちょっと困ったところです。

 最近は、1日に数回、もうどうにでもなれ、という感じで掻き毟る日々が続いていましたが、ムサラキを使い始めてからは、ほとんど掻かずに済んでいます。

 痒みの波はやってきますが、それほどのものでもなくて、思わず掻いてしまっても、我を忘れて……という感じではなくなりました。

 このまま改善傾向が進むことを願いますが、中から直しているわけではないので、多くを望まないようにします……。

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2010年7月 5日 (月)

Notes:不思議な接着剤 #61 『マリアによる福音書』を造形化する試み/ブラヴァツキーの用語解説によるカバラ、フィロン、ヨセフス 

#61
2010/7/5(Mon) 『マリアによる福音書』を造形化する試み/ブラヴァツキーの用語解説によるカバラ、フィロン、ヨセフス

 『不思議な接着剤』を執筆するなかで、自身の挑戦として最も興味深いことは、『マリアによる福音書』という衝撃的な文書をマリーという女性の姿に造形化しようとする試みだ。

 造形化してみなければ、『不思議な接着剤』の本当の方向性はわからない。『マリアによる福音書』を自身に可能な限りの知力と情緒と霊感で読み、そこから立ち現われてくる女性の姿を写しとらなくてはならない。

 結局のところ、そうやってみなければ、わたしには『マリアによる福音書』の性質と価値を判断できないのかもしれない。直観的に、『マリアによる福音書』が東西を一つとする思想的価値を持つものだと思ったが、本当にそうなのか、そうでないのか、女性の姿にしてみることで、はっきりさせたい。そんなことが可能であれば、の話であるが。

 ここで、冒険前夜の最後のくだりを記しておくと、お昼に、兄弟が家に帰ると、母親はいず、居間のテーブルに、カップラーメンがふたつと、一枚の紙が置かれていた。紙には以下のメッセージ。

紘平、しょうたへ

わるいけれど、用事ができたので、でかけます。
お昼ごはんの用意をしている時間がないので、
カップめんを置いておきます。
紘平が、しょうたのも、作ってあげてね。
冷蔵庫に、ごまプリンがあるから、それも食べるといいわ。
門限は、まもること。

                      おかあさんより

 母親が留守というのは、彼らには、都合のよいことに思われ、兄弟は、急いで食事を終え、瞳の家へ向かう。

 兄弟は、遠足に行くときのような身支度をして、家を出ました。瞳も、同じような身支度をととのえていました。

 3人は、ウインドブレーカーをはおり、リュックサックを背おっていました。

 さあ、冒険のはじまりです。

 冒険前夜はここまで。

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

 原始キリスト教について調べるときに必ず出てくるフィロン、フラウィウス・ヨセフス、また再度カバラについて、H・P・ブラヴァツキー『神智学の鍵』(神智学協会ニッポン・ロッジ、昭和62年)の用語解説から以下に抜粋しておきたい。

カバラ(Kabbalah/kabbala,ヘブライ)

 「神聖な事と宇宙の発生に関する古代秘教に由来する、中世へブライのラビ達の隠れた智慧をいう。ユダヤ人のバビロン幽囚の後、そのような古代秘教の知識は神学にされた」。秘教に属する著作はみなカバラのものと言われる。

フィロン(Philo Judaeus)

 ギリシアの教化を受けたアレクサンドリアのユダヤ人で、著名な歴史家であり、哲学者で、紀元前30年頃に生まれ、紀元後45~50年頃没した。フィロンが主張する聖書についての象徴主義は注目に値する。彼によると、聖書に出てくる動物、鳥、爬虫類、木、場所などはみな、「魂の状態、能力、気質、感情などの比喩である。有用植物は善徳の比喩であり、有害動物は賢明でない者の性質である。同じことが鉱物界を通じても言えるし、天、地、星についても、泉、川、野原、住み処についても、金属、物質、武器、衣服、装飾品、家具、身体とその部分、性、及び外部的状態に関しても同じである」(Smith and Wace『Dictionary of  Christian Biography』)。これはみな、フィロンが古代カバラに精通していたことを強く証明している。

ヨセフス(Josephus Flavius)
 西暦1世紀の歴史家。ギリシア的教化を受けたユダヤ人で、アレクサンドリアに住み、ローマで没した。エウセビオスは、キリストに関する有名な十六行詩を書いたのはヨセフスであるとしているが、これはおそらく教会神父の中でも名立たる偽造者のエウセビオス自身の手によるものであろう。熱烈なユダヤ人で、死ぬまでユダヤ教を信じていたヨセフスが、この詩ではキリストの救世主としての使命と、イエスの神聖な生まれを承認させられてしまっている。だが、現在、これはラードナー達を含むキリスト教の司教達やペイリー(その著書、『Evidence of Christianity』を見よ)によってさえも、本物ではないと断言されている。この詩は何世紀にもわたって、イエス・キリストのまことの実在性を証明する信頼度の高いものの一つと見なされていた。

 ヨセフスについては、ウィキペディアより抜粋した以下も参照。

『ユダヤ古代誌』18巻63には「フラウィウス証言」と呼ばれるイエスに関する記述があることで有名であったが、現代では後代の加筆・挿入と考えられている。〔フラウィウス・ヨセフス. (2010, 6月 9). Wikipedia, . Retrieved 00:07, 7月 5, 2010 from http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%83%95%E3%83%A9%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%82%A6%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%A8%E3%82%BB%E3%83%95%E3%82%B9&oldid=32500429.

 ユダヤ人の歴史家ヨセフスは、イエスについて何も書かなかったにも拘らず、書いたことにされていたようだ。 

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昨日の夕飯

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 メインディッシュは、太刀魚と野菜の焼き浸し。さっぱりと食べられる焼き浸しは、蒸し暑い今の時期にいいですね。サイドディッシュのとろろ汁は、粘り気の少ない長いもで。それに、大根と椎茸の味噌汁。

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2010年7月 4日 (日)

Notes:不思議な接着剤 #60 冒険前夜の枚数/異端審問か魔女裁判か

#60
2010/7/4(Sun) 冒険前前夜の枚数/異端審問か魔女裁判か

 昨日までに書いた冒険前夜の部分を400字詰原稿用紙に換算してみたら、何とぴったり100枚。

 前夜だけで100枚。冒険はこれからだというのに、ほほほ……。太りすぎかしら。

 過去記事から名作の枚数調べと、プロットをおさらいしておこう。

Notes:不思議な接着剤 #20 枚数調べ
http://elder.tea-nifty.com/blog/2009/10/notes20-d862.html

 岩波少年文庫からわたしの好きな作品を拾って、400字詰原稿用紙換算で何枚の作品なのかを調べてみたい。

○バラージュ・ベーラ『ほんとうの空色』(徳永康元訳、2001年)

 9頁から始まっている。童話は挿絵が多いので、本文の枚数を探るためには、その分を除いたほうがよい。挿絵を、頁全体、2/3頁、半頁、1/3頁、1/4頁に分類して、頁数に直してみよう。

 そうすると、『ほんとうの空色』の場合、

146頁-8頁=138頁。挿絵はだいたい15頁分だから、138頁-15頁=123頁

(123頁×36字×11行)÷400字≒121頁

 『ほんとうの空色』は400字詰原稿用紙で121枚の作品だ。

 以下、同じやりかたで調べてみる。

○ジョージ・マクドナルド『かるいお姫さま』(脇明子、1995年)……142枚

○エルンスト・テオドール・アマデウス・ホフマン『クルミわりとネズミの王さま』(上田真而子、2000年)……222枚

○アストリッド・リンドグレーン『長靴下のピッピ』(大塚勇三訳、1990年)……262枚

○アストリッド・リンドグレーン『ミオよ わたしのミオ』(大塚勇三訳、2001年)……318枚

○アストリッド・リンドグレーン『はるかな国の兄弟』(大塚勇三訳、2001年)……484枚

 当初の予定では300枚だったが、もう少し長くなりそう。枚数は、あとでいくらでも調整が利く。過去の賞応募もこんなところでは役立ちそうで、減らすも増やすもお手の物!

 以下はプロット2番。冒険が本格化する前に、3番を書いておいたほうがいいだろう。 

Notes:不思議な接着剤 #36/プロット#2
http://elder.tea-nifty.com/blog/2010/01/notes361-df95.html

〇序……予定枚数80枚[20枚オーバー]
 子供たちが冒険に入るまで。現在時点で78枚。子供たちが冒険に何を持っていくかだが、あと2枚あれば書けそうだ。[ ⇒100枚になった。]

〇破……予定枚数170枚

  1. 洞内へ……10枚
    紘平が瞳の思いつきで、アルケミー株式会社製品のクッツケールを用い、倉庫の先に鍾乳洞をくっつける。白いネコに導かれ、子供たちは鍾乳洞に入る。天井近くの横穴から入った子供たちに明るく光っている岩が見える(竜のオーラだ)。足場の悪い地点での子供たちの助け合い。洞内の光景。白いネコを追う子供たち。
  2. 竜の来歴……30枚
    子供たちと牝の竜との出合い。恐竜時代、ここで生きるまでの経緯、竜を可愛がっていた錬金術師のことを竜の記憶として描く。
  3. .錬金術師の娘の来歴と街の歴史……60枚
    白ネコは錬金術の娘の飼いネコだった。子供たちと錬金術師の娘マリーの出会い。囚われているマリーの来歴。錬金術師の娘を見張る番人たちの四方山話として、モンセギュールの戦いが回想され、街の歴史が明らかになる。
  4. 翔太の喘息の発作……10枚
    錬金術師の娘による治療。
  5. .異端審問……60枚
    番人につかまる子供たち。子供たちはマリーの一味とされる。異端審問官との対決。翔太のピアノの泣き声は、子供たちとマリーが勝利するのに役立つ。

〇急……予定枚数50枚
 鍾乳洞からの脱出。竜は飛翔する。マリーを乗せて。彼女をもっと安全な地に連れて行くために、聖獣となった輝かしい竜はエジプト南部に位置するナイル河畔の町ナグ・ハマディの方角へ向けて飛び立つ。子供たちの帰還。元いた世界の混乱と紘平による収拾。図書館に出かけた紘平たち父子を通して後日談。 ⇒ナグ・ハマディ文書には、マグダラのマリアが出てくる『トマスの福音書』『フィリポの福音書』『救い主の対話』が含まれるが、マリーのモデルとしたい「マリアによる福音書」の発見は、ナグ・ハマディ文書の発見より早い19世紀、カイロでのことだから〔※ベルリン写本〕、ここはエジプトの方角ということでいいだろう。

 ここで、新たな問題が出てきた。

 クライマックスで子供たちが巻き込まれる裁判沙汰を、異端審問、魔女裁判のどちらにするかだ。この二つの違いを調べるまで、わたしは過去のノートで、これらを混同してしまっていた。このどちらにするかを、はっきりさせておかなくてはならない。

 どちらにするかで、作品の性格、時代までもが違ってくる。異端審問にすれば、囚われのマリーについては、自分の思想は本物だという確信を持った相当に知的な女性に設定しなくてはならなくなる。そうした部分は、なるべく彼女の表情や仕草のうちに潜ませるようにしなければならないが……。

 児童文学であることを考えた上で、事態を簡略化し、スペクタル性を持たせるには魔女裁判のほうが都合がよく、作品に知的な性格を持たせようと思えば、問答に重きのかかる異端審問のほうがいいような気がする。異端審問にすると、わかりやすい書きかたをしたとしても、高学年以上でないと難しいだろう(下手をすれば、中学以上でないと、難しくなる)。

 岩波少年文庫の作品を見てみると、政治思想にかなり踏み込んだバーネットの『消えた王子』は小学5・6年以上。十字軍の内部構造にまで踏み込んだ、生々しい描写があるテア・ベックマンの『ジーンズの少年十字軍』は中学以上となっている。

 わたしは、本当のところ何を描きたいのか、何を描ききらなければ死んでも死にきれないと思うのか、ここに絞って、よく考えよう。何にしても、マリーに、『マリアによる福音書』の芳香をいくらかでも移さなければならないのだから、大変な仕事になりそう。

 以下は、ウィキペディアより、「異端審問」から抜粋。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

異端審問. (2010, 6月 2). Wikipedia, . Retrieved 11:27, 7月 4, 2010 from http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E7%95%B0%E7%AB%AF%E5%AF%A9%E5%95%8F&oldid=32393234

異端審問(いたんしんもん、ラテン語: Inquisitio)とは中世以降のカトリック教会において正統信仰に反する教えを持つ(異端)という疑いを受けた者を裁判するために設けられたシステム。異端審問を行う施設を「異端審問所」と呼ぶ。一口に異端審問といっても中世初期の異端審問、スペイン異端審問、ローマの異端審問の三つに分けることができ、それぞれが異なった時代背景と性格を持っている。

なお、魔女狩りは異端審問の形式を一部借用しているが、その性格(異端はキリスト教徒でありながら、誤っているとされた信仰を持っている者であるのに対し、魔女・魔術師(魔法使い)はそもそもキリストを信じないとされる人々であるため全く別種)や実施された地域・時代が異なっているため、異端審問とは別種のものと考えるのが適切である。

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橋本加名子先生レシピ『ビシソワーズ』

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 冷やして美味しいビシソワーズのレシピを、橋本加名子著「スープレシピ」(グラフ社、2006年)からご紹介します。

[材料・2人分]
じゃが芋大1個,玉ねぎ1/4個,リーキ(または長ねぎ)1/4本,水200ml,スープの素(顆粒)小さじ1,牛乳200ml,塩・こしょう各少々,バター大さじ1,
チャイブ.

[作り方]

  1. じゃが芋と玉ねぎは薄切りにし、リーキは粗みじん切りにします。
  2. 鍋にバターを溶かし、①を炒めます。全体にバターがなじんだら分量の水を注いで煮立て、スープの素を加えて2~3分煮ます。
  3. 粗熱が取れたらミキサーにかけてなめらかにし、鍋に戻し入れます。牛乳を加えてひと煮立ちさせ、塩、こしょうで調味し、ボールなどに移して冷蔵庫で冷やします。
  4. 器に注ぎ、小口切りにしたチャイプを飾ります。

 恥ずかしながらチャイブというのが何かわからなかったので、ネット検索してみましたら、アサツキ(薬味ネギ)によく似たハーブだそうです。ということは、アサツキで代用できそうですね。

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2010年7月 3日 (土)

祝、やっと冒険へ

 本にする予定で書き進めている児童文学作品『不思議な接着剤』がようやく、冒険の朝を迎えた。

 ずいぶん、もたついた。この作品のためと、シリーズものとするための伏線を張るという難題が冒険前夜の部分にあったので、これがきつかった。

 夕方、「さあ、冒険のはじまりです。」と書き終えたとき、しみじみと嬉しさが湧き上がってきた。まだこれからではあるにせよ、自分でも想定外だった中世ヨーロッパの闇の部分を探ることになり(探るなかで、まさかマグダラのマリアが浮上してくるとは)、それが自身のこれまでの神秘主義的生きかたとリンクするという、今回、創作作業からもたらされたものには大きなものがあった。

 資料のなかから、自分ならではの推理ができたこと、それにはオリジナル性の高いものも含まれるので、いずれ『卑弥呼をめぐる私的考察』のようなかたちで、エッセーにまとめたいと思っている。

 冒険の朝までにかんしては、Notesにメモしておきたい。原始キリスト教を調べるときに必ず出てくる人物フィロンとヨセフスについても、ブラヴァツキーの著作にわかりやすい解説があったので、抜粋しておかねばならないと思いながら、まだだった。

 冒険前夜が400字詰に換算すると何枚になるのかも、把握しておかなくてはならない。

 前夜だけでこれだけもたつくとなると、作品が完成するまでにはどれだけの紆余曲折が……と思うと、気が遠くなるが、アレクサンドリア木星王さんからのお手紙を胸に、頑張ろう。

 まだ体調が本調子とはいえないので、とりあえず、今日のところはこれで。

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ようやく回復?

 ここ数日、胸の圧迫感に繰り返し襲われて、自分であって自分でないような、無我夢中の生活だった。深夜舌下したニトロでようやく足りた(?)という感じ。

 今は全然苦しくない。圧迫感に苦しんだ間だけでも、ニトロの貼り薬を使うとよかった気がするが、わたしはどうしてもかぶれてしまい、下手をすれば、そこが潰瘍のようになってしまうため、使うのが怖いのだ。

 まだ梅雨は続くので、油断はできない。梅雨は、わたしの心臓にはつらい季節。でも、サッカー観戦という新しい楽しみができたから、頑張れそう!

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ブラジル対オランダ戦を観ながら

ブラジル対オランダ戦を観ながら

 ワールドカップ、ブラジル対オランダ、後半戦。スナイデルが鮮やかなヘディングシュートを決め、ブラジル1に対し、オランダが2となった。

 残り20分。

 わたしはこれまでサッカーに興味がなく、パラグアイ対日本戦から見始めたので、オランダやブラジルの軽快、シャープ、的確な動きに目を見はっている。

 これに比べたら日本とパラグアイの動きはねちねちと重かった。オランダ、ブラジルが頭脳プレーで、相手の動きを察知した無駄な動きの少ない小エネ・プレーであったのに比べ、日本とパラグアイは人海戦術とでもいおうか、互いに相手にまとわりつき、妨害することに腐心して、攻撃できないくらいへとへとになっていた。尤も、実力が違う、といってしまえば一言で済むことなのかもしれない。

 まあ、パラグアイはまだ負けたわけではないから、あのねちねちで勝ち進むのかもしれないけれど。 

 胸が苦しく、ニトロ舌下したところ、テレビで後半戦があっていたのだった。

 ニトロの使いすぎからか、めまいと吐き気がしているが、気が紛れる。

 サッカーっていいね。もっと早く目覚めればよかった。

 ブラジルは1人少なくなっている。さあ、どうなる?

あとで。オランダが勝った。

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2010年7月 2日 (金)

結局、横になって携帯打っている

 買い物に行くには、体力が足りなかった。料理も、今日は無理な模様……というわけで、家族に弁当を頼んだ。

 もっと空気のさわやかな、湿気のない国に行きたい。

 もっと内容のある空気、吸い甲斐のある空気に憧れる。

 今、救急外来に行っても、あまり意味ないだろうなあ。

 気を紛らわせるために、創作するってのは、どう? パソコン、遠いわねー。パソコン前の椅子、もっといいものに買い替えたいなあ。体調の悪いときも、座りたくなるようなものに。

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うっかりの連鎖反応

うっかりの連鎖反応

 圧迫感が繰り返し起きて、苦しい。

 ニトロの舌下で一旦はよくなるけれど、時間が経つと圧迫感が出て来る。

 昨日は料理をするのにぎりぎりの体調だったので、インスタントカレーを作ったのはいいが、何と肉を入れ忘れた!

 30年近い結婚生活で初めての失態。おまけに、ごくつまらないことで夫と喧嘩をし、今日はうっかりの連鎖反応から、わたしの主婦能力の弱点というべき、例のことを仕出かした。

 洗濯をするときに、うっかりして洗濯物のポケットを確かめなかったのだった。

 わたしは、たまにこれをやってしまうのだ。そして、そんなときに限って、夫がポケットに忘れ物をしている。
〔※この夫婦の癖を作品に使った短編小説『侵入者』へのリンクはサイドバーにあります。〕


 ハンカチなんかだと助かるが、噛んだガムを包んだものになると嫌で、タバコになると、ふやけて細かに散り、洗濯物全体を汚す。

 一番困るのが、使い古しの鼻紙だ。夫は鼻が悪いため、ゴミ箱のない場所で鼻をとることも多い。だから、ついポケットに鼻紙を入れる癖がついたのだろうが、彼はポケットをゴミ箱や物入れとしてよく使う。

 新婚時代、彼がパジャマに入れた鼻紙を洗濯時にとり忘れて泣いて以来、夫には「ポケットに何か入れたら、脱ぐ前に出して」と頼み、失敗するたびに自分にも「洗濯の前にポケットを探れ!」といい聞かせて来たのだが、互いにこのうっかりは直らない。

 ティッシュはとにかく散りやすく、とれにくい。乾かして叩いたらとれやすいのかもしれないが、わたしは脱水にかけた状態の衣類を風呂場で叩き、あとは目で見て屑を一つ一つ取り除く細かな作業に入る。そして洗い直す。

 今日は普段着のポケットに、ティッシュと銀紙とタバコとメモらしきものが入っていたようだ。

 どれもバラバラの屑状態となって洗濯物全体に飛沫のように散り、それが洗濯機のあちこちにも引っかかっていた。

 体調の悪いときにはうっかりしやすく、ただでさえしんどい家事の作業量が増える。さすがに、新婚時代みたいには泣いたりしないけれど、その手前。

 買い物にも、出かけなくてはならない。昨日、その予定だったが、気分が優れず行けなかった。

 今日も優れないが、何とか行きたい。というのも、バジルペースト作りの前にミキサーを買ったからで、ジュースにいい安い果物や野菜を買いたいのだ。

 スープも作りやすくなった!

 ミキサーは、3台目が壊れてからは長いこと買わなかった。バナナジュースを飲みたいと思うことがあったけれど、それほど必要性を感じなかったのだ。

 電器店に行ってみて、驚いた。ミキサーは2,000円台からあり、安い! 昔は高かった記憶のあるジューサー、フードプロセッサーもずいぶん安くなっている。どれも変わらないくらいの値段で買えるとは。

 わたしはミル付のミキサーを買い、さっそくジュースとスープを作った。今朝も、バナナとリンゴと牛乳で作り、家族で飲んだ。

 わたしのおなかはよかったり悪かったりだが、薬のお蔭か、少しずつよくなっている気がする。食後数時間はまだよくないが。

 フレッシュジュースは、わたしのおなかにも優しい。もっと早く、ミキサーを買えばよかった。

 記事を書いている間に、胸の圧迫感はだいたいとれた。が、何となく残っている感じがあり、2錠目の使用を迷うところ。

 この不調は気候のせいだろうか? パセリも病気になったし……。

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また……

また……

 ひどい圧迫感にニトロ舌下。

 嫌になった。

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2010年7月 1日 (木)

まただわ

まただわ

 肩のこわばりから始まり、それが胸にひろがりました。

 ちょっと変わった来かたでしたが、これは狭心症の発作以外にありえません。

 最近よく起きますが、ニトロがよく効くからいいわ。

 昨日の夜だったか、発作が起きなかったにも拘わらず、体がしんどくて、心臓が不安定な感じで、どこかへ逃げ出したいと思いました。

 自覚できないような、小さな発作が起きていたのかもしれません。

 先生によると、そんなこともあるそうで、だから何かあれば、ニトロを使ってみるようにおっしゃるのでしょう!

 今日の昼間も疲れがひどく、自作童話のNotesにメモの予定が進みませんでした。

 ブラヴァツキーの著書に、原始キリスト教を調べるときに必ず出て来る人物、フィロンとヨセフスについてのわかりやすい解説があり、抜粋しておきたいと思いながら。

 今週中に、子供たちと鍾乳洞に入る予定なのですが……白猫、迎えに来てくれるかしら。

 あー気持ちがいい(ニトロペンが効いて)。でも、少し力不足な気もします。様子見です。

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