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2010年6月15日 (火)

胃腸のこと、買った本のこと

 東漢氏(やまとのあやうじ)の血が数滴くらいは混じっているかもしれないというのに(傍系も傍系のため)、漢方薬とは相性が悪い気がして仕方がない。

 といっても、出して貰ってすぐの5日間は、胃腸の調子を最高の状態にしてくれたのだけれど。

 それで昨日、夕食のときには飲まなかった。夕食がドリアだったにも関わらず、朝はおなかが軽かった。

 瞼はひどく腫れていた。これを書いている今も腫れている。といっても、いつからか、ごくまれに腫れていないと、びっくりするくらい、いつも腫れていて、うっとおしいのだが、今日は特に腫れている。

 六君子湯には水分量を調整する作用があるそうなので、瞼のためには、飲んだほうがいいのかもしれない。

 何にしても、おなかが普通っぽいので、気をよくして朝食をとることにした。

 といっても、まともな朝食をとると苦しくなるに決まっているので、バナナかロールパンかで迷う。

 バナナを選択。六君子湯をまたパスしてみた。バナナを食し、朝の薬を飲む。

 胃腸のためにパリエットとガスモチン。心臓のためにインデラル、ヘルベッサー、アイトロール、シグマート。昨夜、喘息予防のフルタイドを忘れたが、何事もなかったので、今夜吸入すればいいだろうと思う。夜間に出やすいので。

 家事をし、パソコンをし始めたら、昨夜の外出疲れか、猛烈な眠気と軽い腰の痛み。

 何もかも放り出し、毛布をかぶって寝た。昼過ぎに目覚めたら、朝のバナナで胃が重かったが、おなかは張っていない。おなかがすっきりしていると、妊婦から普通人のスタイルに戻れたみたいで、嬉しい。

 以前はいつもパンパンで、今のパンパンとは度合いが違い、凄いものだったらしく、その頃買ったパンツ(ズボンのこと)を履くと、お尻の半分までずり落ちるので、ベルトで不自然に締め付けなければならない。

 他のパンツも、この街に5年前に引っ越して来てから買ったものは、どれもウエストが大きいので、その頃から胃腸がおかしかったのだ。

 引っ越す前に通っていた福岡県の総合病院で何人か医師が変わり、最後の医師は胃腸薬を「なくてもいいでしょう。必要ないものをだらだらと飲むのはよくないから」といって、フォイパンと数種類の胃腸薬を切り、投薬をスリム化した。

 わたしは薬が減って嬉しかったが、その頃から胃腸が見事におかしくなり始めた気もする。

 そして、この街で通い始めた循環器クリニックと呼吸器クリニックで胃腸薬を出して貰ったりしたが、いつも単品で、これがよくないというと別のを……という風。

 おなかは慢性的に膨れていた。我慢できなくなり、漢方内科クリニックに通い、劇的によくなったが、心臓が支離滅裂となり、湿疹が悪化。

 わたしは逃げ出した。しばらくしたらまたおなかが膨れ上がり、レッドクロスの消化器内科に通い始めたというわけだった。

 漢方内科クリニックの先生は以前、レッドクロスの内科部長をしていらしたみたいだから、消化器内科で出される漢方薬はその先生が導入されたのかも……。

 わたしの胃腸は動きが悪くなっているだけなのだ。つまり弱っているため、刺激がないとまともに動かないのだが、刺激しすぎると、疲れてまた動かなくなるのだろう。

 死にかけた虫をつついて、無理に動かしているみたいなものではないだろうか。

 漢方薬はそんな虫を元気にしてくれるらしいから、続けたいのだが、弱りすぎた胃腸にはなかなか調子が合わない。

 漢方薬を使うと、わたしは変に元気になると同時に疲れ、急に受けつけなくなったりするみたいだ。

 胃は朝のバナナで今ももたれているが、張っていないので、苦しさがなく気持ちがいい。今夜まで六君子湯はパスしよう。

 今日は創作は無理だが、昨日ジュンク堂書店で買った岩波文庫版、ディケンズの『イタリアのおもかげ』、中村元先生が訳された(ブラヴァツキーの『シークレット・ドクトリン 宇宙発生論(上)』の邦訳には、中村元先生の推薦の言葉がある)『ブッダ最後の旅』『尼僧の告白』を少しずつかじった。

 どれも美味。胃腸の負担になることもない。とくに『ブッダ最後の旅』を読んでいると、音楽に酔ったような心地になる。インドの昔のものは、大体どれもそうだ。

 詩のような、言葉の繰り返しがある。

 柔らかに、ブッダの微笑に包まれるかのよう。

 でも、この書はブッダのこの世での死を伝える沈痛な書でもある。「さあ、修行僧たちよ。お前たちに告げよう。『もろもろの事象は過ぎ去るものである。怠ることなく修行を完成なさい』」といって、亡くなる。

 わたしは仏典を、あちこちかじり散らすような読み方をしてしまうのだが、大学時代に初めて中村元先生の訳で原始仏典に触れたときから、なつかしさに包まれる。清浄さという点において、仏典ほどゴージャスな気分にしてくれるものはない(変な表現になってしまった)。

 東漢氏はこの日本に仏教を根づかせようとしたらしいから、先祖の血が囁いているところもあるのだろうか。

 しかし、明日からはまた中世ヨーロッパに出かけなくてはならない。自作童話のために。

 国会中継があっているので、朝からテレビをつけっぱなしにしている。

 以上、携帯からでした!

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