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2010年5月の89件の記事

2010年5月31日 (月)

ポーチの上のニトロの殻

ポーチの上のニトロの殻

 まだ外出先。娘の服選びを一緒に楽しんでいる最中に……。

 漢方薬でおなかの調子がよかったせいで、遊びすぎました。

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午後のおすすめティーセット

午後のおすすめティーセット

 病院帰りに、休日の娘と待ち合わせて、朝昼兼ねたティータイム。

 2人ぶんだとこの器で来るのが、楽しいです。

 この楽しみの前に、さっそく漢方薬を飲みました。体に合っているのか(?)、比較的飲みやすく感じました。

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消化器内科受診

「どうだった?」と訊かれ、「パリエットとガスモチンで、夢のように調子のよい日々がしばらく続いたのですが、また少し悪くなってきて、おなかがパンパンに張るときがあります」とわたし。

 大きな体を縮めるようにして、わたしの目を覗き込むようにして話を「うんうん」と聞いた先生は「すぐに動きが悪くなるんだよね」とおっしゃいました。

「漢方で胸焼けによいものがあるんだけれど、あげてみようか?」といわれ、漢方……にトラウマがあるわたしはしばし無言。

 でも漢方内科クリニックでは出たことがないものだったので、試してみることにしました。

「あの、お水は沢山飲んでも構いませんか?」と、訊いてしまいました。砂漠の民じゃないんだから、(おなかを冷やさないために)水を極力飲まないように、と叱られたことが甦ったのです。

「ん、水? そうだねー、水を飲まなくても飲めるタイプもあるけれど、漢方を飲むときは多めに飲んだほうがいいだろうね」と先生。

 折衷主義者のわたしですから、白湯で飲もうと思いました。

 油物に気をつけるように、とにかく食事をゆっくりとるように、とのこと。いくら胃腸の動きが悪いといっても、1日1食というのは、おすすめでないそうで。

 ゆっくりゆっくり3度のメシしているうちに、1日終わりそうだなあ。わたしの胃腸年齢、何歳かしら。

「長期服用しても大丈夫な薬ばかり出しているからね」と先生。それが心配だったので、安心しました。

 次回は2週間後。

 薬局で、漢方薬は抵抗を強める野菜スープと思って飲んでください、といわれました。

 体に合う漢方薬は、不思議と苦いと感じなかったりするそうです。

 出していただいた漢方薬は、胃に食べ物のない食間のほうが効くそうです。

 パリエット、ガスモチン、ツムラ六君子湯エキス顆粒。

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調査官に問い合わせる

 今回、父が家裁で起こした審判事件が母名義の土地のことと思い込んでいたわたしは、妹から父の財産に関することだと教えられ、ああそうだったのかと思い、確認のために電話をした。

 やはり、父の財産に関することだという。そして、父夫婦にも勘違いがあるかもしれないとのこと。自分の財産に関することで申し立てをしたという認識はあるらしいのだが、それに母名義の土地のことも含まれると思っているのかもしれない――とのこと。

 なるほど考えてみれば、父夫婦が利用しようとしたのは、推定相続人廃除という制度。母名義の土地のことであれば、既に母は死んでいて、わたしたちはもう相続人になってしまっているので、推定という言葉が入るのはおかしい。

「とすると、現在審判されている事件の結論が問題となってくるのは、父の死後ということになるのでしょうか?」と尋ねると、そうだとのこと。

 ちなみに、親の財産なんか、相続するのはこちらから真っ平御免だ、遺留分放棄したい……という場合、それは相手が亡くなったあとでないとできない。

 死後、3ヶ月以内だと、遺留分放棄ができる。

 もしわたしと妹が、母名義の土地に関して、遺留分放棄したいという場合は、家裁に申し立てることになるようだ。3ヶ月を(とっくの昔に)越えているので、なぜ越えたか、ということなど、訊かれるかもしれないとのこと。

「父夫婦の勘違いがあったとしても、今回はこのまま進んで行くということですね? やはり8月くらいまでかかるのでしょうか?」と訊くと、「そうですね。それくらいかかると考えていただいたほうがいいと思います」とのことだった。

 これ以上父夫婦と関らないために何もかも放棄したら、と昨日電話で話したときに息子はいったが、放棄するにも、(母名義の土地に関しては)裁判所に出向いたり、(父の財産の場合は)時の経過を待ったりしなくてはならず、簡単ではない(第一、父が先に逝くとは限らない。病気を沢山持っているという点では、わたしのほうが先に逝く可能性が高い)。

 放棄する場合は、それが適切かどうかを、よく考えなくてはならないとわたしは思っている。

 今の段階では、わたしと妹は、自分たちのほうから動いてどうこうすることは考えていない。とりあえずは、降りかかってきた火の粉を払うのみ。  

 danger 今回の審判事件に関しては、過去記事を含め、相当にこんがらがったことを書いている可能性があるので、決して参考にはしないでくださいね。

関連記事⇒カテゴリー:父の問題 

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2010年5月30日 (日)

分析と今後の創作予定

 クレイジーな父夫婦から3回めの変な裁判沙汰を起こされたことで、すっかりダークな気分になっていた。

 この気分は簡単には回復しそうにないが、無意味な落ち込みは時間がもったいない。

 というのも、分析してみたら、わたしの落ち込みの原因は結局のところ、父夫婦の頭の病気に辿り着くのであって、現代の医学と社会の水準では、対処が難しいケースであるというのにすぎない。いや、医者にさえ、診せていないのだった。人権が父夫婦から医者を遠ざける。

 いずれにせよ、ずれた落ち込みかたをして体力を消耗するだけ、資源(?)の無駄遣いというものだ。

 と割り切れるものでもないが、囚われすぎるのが時間の無駄であることは確かだ。

 創作のほうは下準備に時間がかかっているが、Notes:不思議な接着剤 #57 つながった! 見えた!における自分なりの発見で骨格はしっかりとしたものになった。

 一山越えたところで、父夫婦(の病気)に邪魔されたが、ノートをとっていることが幸いした。やはり創作ノートは貴重だ。

 月曜日は病院だから、また疲れて数日潰れるかもしれないが、できれば、来週中に子供たちを洞窟に入れたい。

 小説『地味な人』と『露草』の収録も、できれば進めたい。高崎山のお猿さんの記事が先だった。覚えているかどうか。

 ところで、体調が悪くてよく寝たお蔭で、夢を沢山見た。夢日記に思い出せるだけ、記録しておきたい。

 気になっていた山崎栄治訳、リルケの『薔薇』は昨日更新した記事で、全部紹介した。山崎栄治の名訳が読まれなくなるのは、あまりにも惜しい。どこか、出してくれないかしら。案外売れると思うなあ。コンパクトながら、洒落た装丁でさ。 

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昨日の夕飯

昨日の夕飯

 ビーフストロガノフ。安売りの牛の切り落としで作りましたが、家族に好評でした。

 赤いお皿は、バジルとキャベツのサラダです。

 このバジルと、バターライスにかかっているパセリはベランダ育ちの自家製。夫が可愛がってくれているので、すくすくと育っています。

  デジカメで撮った写真と紹介したいレシピも溜まってきたので、近いうちにセレクションを……。

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一昨日の夕飯

一昨日の夕飯

 豆ご飯の上の小鉢は、ところてん。

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2010年5月29日 (土)

ホッと一息…つくわけにはいかないのかもしれないが

 『父夫婦ハリケーン』に対処中の現在、ホッと一息……つくわけにはいかないのかもしれないが、久しぶりにパソコンで記事を書きながら、わが家に帰ったようなホッとするものを覚えている。

 このところ、わたしは少しまいっていた。妹という同志がいなければ、危なかったかも。

 父が再婚して、とうに10年は経過したが、わたしの夫と同じ年齢(夫はわたしより7歳上のうさぎ年)という若い奥さんの頭が普通ではないのではないか、という懸念を抱いたのは、父の再婚後、間もなくだった。

 奥さんの出身地は青森で、東京、大阪を経て九州に移転。父と再婚するいくらか前に離婚して(その結婚生活は短かったのではないかと推測される)、父と知り合ったときは、アパートに住み、スーパーに勤務していた。

 父は区長さんの紹介で交際するようになったとはいえ、肝心の区長さんは彼女について、ほとんど何も知らなかった。まじめそうな女性ということから、父に話を持って来たようだ。

 スーパーで、奥さん1人に対して、他の従業員全員が対立していたという話を妹が又聞きで仕入れてきた情報を加えれば(対立の理由まではわからなかった)、奥さんについて、上に書いた以上のことはわからなかった。

 何も起きなければ、それで差し支えなかったのだが、問題は起きた。奥さんをお医者さんに診せたら、というわたしの忠告に父は怒り、そして、いつしか、奥さんにつられるように、父もおかしくなっていった。

 おかしくなって行くと同時に父は親しかった交際関係――親戚づきあいを含めて――を次々に切っていった。

 父は、外国航路の船員だった。職業柄か、変わり者で野生児のようなところがあったが、案外寂しがり屋で、交際は多いという以上に派手なほうだった。人を沢山集めて宴会を開き、エンターテーナーとなるのが好きだった。

 それが、奥さんと2人で引きこもりに近い生活を送るようになったのだった。町内会の集まりには好んで出かけていたらしい。

 わたしと妹は真っ先に切られたようでもあり、いつまでも切られないようでもあって、数年前からは身に覚えのないことで訴えられるようになった。S家裁、S地裁、現在はF家裁で審判事件の進行中。

 わたしより地理的に父に近かった妹は、警察に呼び出されて事情を訊かれたこともあった。父夫婦による訴えはどれも、それが本当なら、刑事事件になるような出来事ばかりであるために、わたしたちの神経は休まらない。

 訴えの内容は、窃盗から、パスポートの偽造という荒唐無稽なものに至るまで、数え切れないほどだ。調べれば、証拠がなく、被害の事実も皆無であることから、父夫婦の訴えが事実無根であることがわかるのだが、それがわかるまでには半年近く要することが多い。

 S家裁とS地裁のときは、父方の親戚の人々も一緒に訴えられた。今回はわたしたち姉妹だけ。わたしたちが父の財産を相続する資格に欠けるという主張であるが、その理由として挙げられたことはS家裁での調停、S地裁での裁判のときと同じ類の身に覚えのないことばかりなのだ。

 外に出たい、人と接したいという父の願望と、父の財産を完全に自分のものにしたい、邪魔されたくないという奥さんの利害とが一致して、被害妄想を生み、おかしな訴訟沙汰になるのだろうとわたしと妹は考えている。

 自分の父親の頭がおかしくなったというだけでもストレスであるところへ、身を脅かすような父夫婦の行動。それでも、父夫婦が生活をきちんと続けている限りは行政に訴えることもできず、わたしたち姉妹は父夫婦のなすがまま、変な裁判に引っ張り出されてきた。

 弁護士を雇えれば、任せればいいわけだから楽だろうし、税金の節約にもなるのかもしれないが、貧乏人には雇えない。手付け金だけで50万円といわれた〔過去記事、参照⇒http://elder.tea-nifty.com/blog/2009/02/post-1bf1.html〕。

 裁判所が庶民の味方だと思ってはならない。金持ちの味方と思ったほうがいい。

 勧められるままに弁護士事務所に出向いていたら、わたしと妹の家庭は、破産と崩壊の憂き目を見ていただろう。そのこともあって、似た状況にある人々の何らかの参考になればと思い、父の問題というカテゴリーを作り、こうして恥をさらしているわけなのだ。それに、物書きにとっては、こうした状況こそ書き留めるべきとの思いもあった。

 しかし、これはこれで、ストレスが募る原因ともなり、ブログを閉めたくなることがある。

 関連記事⇒カテゴリー:父の問題

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申し立ての内容に関する勘違い

 27日に妹が調査官と面談し、28日に妹と電話で話してわかったことだが、わたしの勘違いがあった。

 父は自分の財産のことで、申し立てをしたとのこと。ただ、父は勘違いして、母名義の土地のことも、それに含めているのではないかと考えられるとのこと。

 いずれにせよ、この審判事件で扱われているのは、父の財産に関することだという。わたしたちが仮に相続権を剥奪されたとしても、代襲相続で、それは子供たちに行く。

 何だか頭の中がこんがらがってしまった。母名義の土地が父夫婦との間で問題となっていただけに、その件かと思い込んでいた。

 勘違いがあったので、調査官に何かちぐはぐなことをいった可能性があり、月曜日に調査官に電話をして確認をとる必要がある。また、調査官から、父夫婦に対して何か秘密にしてほしいことがあるかと訊かれ、特にないといってしまったが、家族に関することは極力秘密にしてください……とつけ加えておきたい。

 家族に関してはざっとしたことしか訊かれなかったが、家族にまで火の粉がかかっては困るので、用心しておかなくてはならない。

 もしかしたら奥さんは、父の財産をすっかり自分のものにしてドロンするつもりかもしれない、という一抹の疑いが拭いきれない。

 父夫婦に何をいわれるかわからないという恐怖は、自作童話の舞台作りの資料として魔女裁判を調べている関係で、よけいに膨らんでしまう。

 danger今回の審判事件に関しては、過去記事を含め、相当にこんがらがったことを書いている可能性があるので、決して参考にはしないでくださいね。

関連記事⇒カテゴリー:父の問題

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2010年5月28日 (金)

アメリカンチェリー~!

アメリカンチェリー〜!

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鏡の中の本棚

鏡の中の本棚

 わたしが陣取っている一角は、背後が本棚です。

 地震のときは、この本たちと心中できそう。

 冬場は炬燵、それ以外の季節はテーブルになるわたしの場所に、ちょっと覗ける卓上鏡を置きました。

 鏡で自分の顔をまじまじと見るのは嫌でしたが、骨腫瘍のチェック(額に、まだ目立たない小さなものがあります)を第一に、容貌と表情の変化を観察するため、置くことにしました。

 専業主婦は他人に顔を晒す機会が少なくて、それはよくないことだと以前から思っていた、ということもあります。

 辛辣な批評家(わたし)が、これからは常に自分の顔という意匠の微妙な変化を見て、あれこれ思うわけなんです。

 内面が表情にどう反映するのか、じっくり観察するのは、物書きとして興味深い実験です。

 キンチョーと戦慄の日々が始まりました。ほほほ……

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おそようございます

 調子が戻るのを待っていると、いつまでかかるかわからないので、昨日は休日の娘と買い物に出かけ、アフタヌーンティーでお茶した。

 そのあと休日出勤した夫と待ち合わせて、うどん屋さんへ。以前なら、夜はうどん屋には入ろうとしなかった夫が近頃、うどんに凝っている。いろんなメニューのあるうどん屋を、見つけたからだろう。

 お茶のケーキとかき揚げうどんという、油っこい組み合わせがよくなかったのか、夜になって、おなかがパンパン。
(>_<)
おなか、破れそうだったの……。

 実は、パリエットとガスモチンが気休め程度にしか、効かなくなっている。

 だからといって、胃炎があるくらいで、胃腸の悪い病気があるわけではなく、機能が低下しているだけ……。

 胃液を抑えるパリエットと、胃腸を動かすガスモチンで、夢のように調子がよくなり、膨らんだ腹部がすっきりとしたラインになって、以前のわたしに近づいた体形となって、夫を驚かせたのも、束の間だった。

 普通に食べていたのでは、また苦しくなり、おなかも張るようになってしまった。買い物疲れも出、家族が出かけたのも虚ろにしかわからず、爆睡。

 機能の低下というのは、始末におけない。 

 夜中、胸にニトロを使い、おなかが張るのでガスモチンを飲んだ。それから昼まで爆睡したため、また薬の服用が乱れた。

 またいろいろと夢を見て、今はなき実家が舞台だった。ナンと旅館になっていて、沢山のお客で賑わっている。俳優さんなんかも、泊まっている。

 わたしはお客なのか中居なのかはっきりしない立場で、忙しく働いている。何だか物哀しくなる夢……。

 さて、とりあえずメイン業務の家事といきますか。いつメイン業務は執筆業といえるようになるのかしら。

 願望通りに生きられる天国では確実に「わたしは作家」といえるだろうけど、彼の世は壮大なところだから、あちらでは冒険家になりたい。

 今生で、頑張って作家にならな。近頃、携帯からの更新ばかりだ。あとでパソコンから。ではでは。

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夜中に

夜中に

 夜中に、ニトロペンを使いました。

 今日は快調(かな?)。

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2010年5月27日 (木)

観覧車みたいな花

アフタヌーンティーにて

 観覧車みたいな不思議な花。アフタヌーンティーにて

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ニトロ舌下後、見た夢

ニトロ舌下後、見た夢

 歯にぴりぴりした痛みが何度か起き、息苦しさがあったので、発作の前兆と思い、ニトロ舌下。

 まず涼しさが葉脈を伝う感じで腹部に達して、そこを楽にし(おなかが張って苦しかった)、次に胸と頭と左腕に、やはり葉脈を拡がる感じで伝わり、涼しく軽やかにした。

 昨日の時点で何となく胸苦しさがあったのでニトロの使用を迷ったが、使ったほうがよかったかもしれない。

 おなかの張りは心臓からと胃腸から起きることがあり、どちらが原因かわからないことがある。胸苦しさも、原因が心臓か喘息か、わからないことがある。

 循環器の先生は、何かおかしいと感じたら、とにかくニトロを舌下してみるように――とおっしゃる。

 胸痛があれば、迷わなくて済むのだが、そうでないときは、どうしても躊躇してしまう。

 使うと気持ちがよいが、そのあと虚脱感に似た疲れが起きることがあるから。

 ところで、舌下後、洗濯物を干さなくてはと思いながら、すぐに寝てしまった(洗い直しだ)。

 いろいろと夢を見た中に、魔女の夢があった。先日から魔女のことばかり、書いていたからだろう。

 魔女といっても、白い魔女という感じで、2人の宮廷婦人のようなドレス姿のブロンドと栗色の女性たちが、別の2人の女性たちの戴冠式と成人式を兼ねたような儀式のために、衣装選びをしている。高貴な雰囲気。

 儀式は、宮殿のテラスから見える山の頂きまで飛んでいって、そこで行われるという。

 ここはヨーロッパのどこだろう、と思い、「ここは何という国ですか?」と訊くと、彼女たちは 「あら、日本に決まっているじゃない。ほほほ……」と笑う。

 わたしは赤くなり、そういわれると、アルプスかと思ったけれど、久住にも見えるわね……と考える。

 ブロンドの女性が着ていたドレスはすんなりしたタイトに近い、膨らみの少ないもので、サファイア・ブルーに黄色い大きな星を散りばめた、大胆で素敵なデザインだった。

 そういえば、上山安敏『魔女とキリスト教』(講談社学術文庫、1998年)によると、異端審問で異端者とされた重罪人は、黄色い十字架の印を身に着けさせられたという。「黄色は当時から軽蔑の意味を持ち、ユダヤ人と売春婦に着用されたのである。」

 わたしは今でこそ黄色が好きになったが、以前は黄色が怖ろしかった。黄色を見るだけで、叫びたいような恐怖心に駆られたのだった。

 反対に、ブルーは何ともいえない安らぎを与えた。大学時代のわたしは、仲間うちで、ブルーの服しか着ないことで知られていた。寮には、ブルー=わたし、と刷り込まれた人までいたほどだった。

 アーサー・ガーダムは、カタリ派僧侶は深青色のローブをまとったと書いている。

 もしかしたら、いくつもあるに違いないわたしの前世のうちには、カタリ派として迫害された人生も混じっているのだろうか? でも別に、キリスト教会を怖いと思ったことはない。むしろ、大学時代にはひじょうに心惹かれた。

 前掲書には、産婆が魔女とされることが多かったとあるが、それには当然、キリスト教会の利害が絡んでいた。

 そのうちの一つは、砂糖の営利権だったという。

 こうしたことも含めて、健康の記事と一緒にしてきた前掲書からのノートを、Notes:不思議な接着剤にまとめておきたいと思う。

 しかし、産婆を迫害した男たちだって、当時はほとんどが産婆の介助で生まれただろうに……と不思議な気さえする。

 仮に魔女がいたとしても、魔女が簡単に捕まったり火刑台に上がったりするはずがない、とは彼らは思わなかったのだろうか? 

 魔女が箒に跨っている姿は、わたしには物哀しく映る。万能に近い力を付与されてさえ、彼女たちは家事から解放されえなかったのだ――と思うと。進化した魔女は、掃除機に跨るのかしら?

 前掲書には、魔女を合理的に活用しようとしたスウェーデン国王の話が出てきて、笑わせる。彼は自国の軍隊に4人の魔女をつけ、デンマークの国境に進軍したという。残念なことに、大公ジギスムントの魔女作戦は効果なかったらしい。

 マグダラのマリアが初代教皇になっていれば、キリスト教の歴史は、世界はどんなに変わっていただろうと思う。

 それはそうと、ニトロを使う前に、昨夜少し観、前にも観た映画『ローズ』の感想を書こうとしていたのだった。

 ロック・シンガー、ジャニス・ジョプリンをモデルとしているが、安手なシンガー像に仕上がっている。恋するしか能のない女性に。

 昔ジャニスの伝記を2冊読んだが、とても知的な女性だという印象が残った。実際、とびこし級をするほどの頭脳で、読書家だった。

 ジャニスは、テキサス州ポート・アーサーにユダヤ系アメリカ人として生まれた。中産階級の家庭だった。

 黒人になろうとしたかのように歌ったが、あらゆる差別に敏感で、彼女の歌はそれに対するレジスタンスの一面を持つ。

 携帯からなので、パソコンから改めて(気が向けば)。高崎山のお猿さんのことも。

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昨日の夕飯

昨日の夕飯

 豚キムチ丼。マッシュルームとレタスのサラダ。わかめと豆腐のスープ。

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頭痛がします

 喘息のため、寝たり起きたりで、心臓の薬の服用が不規則となり、そのせいだと思いますが、頭痛に悩まされています。

 心臓の薬をきちんと飲んでいるときは、この頭痛はまず起きず、服用が乱れると、起きがちです。

 父夫婦の問題は、わたしにとっては大変なストレスとなっているようで、体調が崩れるだけでなく、厭世観が強まるため、普段は忘れている前世のことまで引っ張り出して来て、生きる意欲を掻き立てなくてはなりません。

 我ながら苦笑してしまう図式ですが、仕方がありません。

 でも、家事は何とかこなし、夕飯も作りました。

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2010年5月26日 (水)

暗黒の時代の神秘主義者たち

 まだ本調子とはいかないので、今日は家事で終わりそうですが、先日からの資料読みのまとめだけ。

 自作童話『不思議な接着剤』の舞台作りの下調べとして、上山安敏『魔女とキリスト教』(講談社学術文庫、1998年)を読んだことは、資料としての価値以上に、幼い頃から神秘主義に生きてきたわたしには贈り物のような価値を持っていました。

 あの暗黒の時代に神秘主義者たちがどう生きたかを、あまり知りませんでしたから。

 キリスト教会が異端審問、魔女裁判の真の標的としたのは神秘主義者ですから、神秘主義者たちがいなければ、あんなことは起こらなかったのに……とお考えの向きもありましょうが(今の日本でも仏教思想が一般的かどうか)、あんな事態を招く社会は神秘主義者がいようといまいと似たような別の事態を招いたことでしょう。

 魔女集会はサバトと呼ばれますが、サバトの語がユダヤ教の安息日(サバト)から来ていること、黒ミサがミサのパロディとなっていることを前掲書は指摘しています。

 魔女はキリスト教が生んだブラックファンタジーでしょう(それを実演してみせる馬鹿もいたでしょう)が、勿論一方では神秘主義の世界にも正道を外れる人々はいたでしょう。

 前掲書によると、魔女の処刑はショー化すらして、「刑場へは罪人を荷車で運んだ。槍を持ち、鎧を着けた人びとがそれを護衛した。処刑の日は夏の晴れ上がった日が選ばれ、民衆を集めるため、行列の華やかさが演出された。
 裁判所構成員、太鼓手、笛吹が続き、見物人がそのあとに従った。学校の教師と司祭が加わり、刑場には高位高官が豪華な衣裳で列席した。
 都市近郊からは、朝早く農民や職人たちが子供連れでやってきた。乞食や旅芸人も集まってきた。屋台や露店が出て、地方から来た見物人たちにロザリオや聖画、パンフレット、種々のみやげ物を売っていた。処刑場は祝祭の場に変った」とあり、これはもうキリスト教会がどうというより、人間自体の怖ろしさです。まさに地獄の光景です。

 何度か書きましたが、わたしには前世の淡い記憶がありました。過去形なのは、子供の頃のような実感を伴っては思い出せなくなってきているからです。

 年とった男性の修行者として死んだという記憶、彼の世の繊細な光と大気の記憶があり、今生でのテーマを自覚していました。

 もはや、そのテーマについてはおぼろげにしか覚えていず、前世から幼い頃を通じて習慣化していた瞑想のやり方すらも忘れてしまいました。

 ただ、母の子宮を通じてこの世に降りてきた当初の自身のつらさ、彼の世の大気に戻りたい悲痛な気持ちは昨日のことのように覚えていて(脳は生まれ変わりごとに新しくなりますから、脳の記憶ではないでしょう)、それに比較すれば、今どんな気持ちを味わったとしても、せっかくこの世という教室に降りてきたのだから、もう少し頑張ってみよう、しっかり生きようと思い直します。

 他の人々も、忘れているだけで、各人各様の宿題をやり遂げるために、この世に降りてきたのだとわたしは思っています。

 父と夫の考えかたや行動にしばしば悩まされるわたしですが、それはいくつもある前世のうちの二つのわたしの在りかたそのものなのではないかと考えています。すなわち、遠い過去の二つの自分を映し出した人々なのではないかと。

 今のわたしには過去世の自分が――偏っていた点が、よく見えるというわけです。でも現在のわたしの偏りは今のわたしには自覚できず、そこを正すために、死んだあとで(彼の世で休んだあと)またこの世に生まれ変わって来ることになるのでしょうね。その別のわたしは、今のわたしに似た人間に出会って深い関わりを持つことになり、いろいろと悩まされるんでしょう(あー、あと何回ここに降りて来なきゃいけないのやら)。

 そのとき、この世という教室が、いくらかでも居心地がよくあってほしいものです。どこの国か、どんな階層か、男か女か――選択するのは、輪廻する主体である不死の高級我といわれていますから、生まれてくるわたしにとってはあなた(高級我)任せとならざるを得ません。この世のどこもよいところでない限り、困ることになります。そう考えると、何事も他人事ではありませんね。その自覚がまた重い……。

 あの魔女裁判が吹き荒れた時代に、理性を保って生き、人々を処刑から救おうと活動した神秘主義者たちがいたことに安心させられ、彼らは凄いなあと思いました。あの時代、東洋ではなく、ヨーロッパに生まれた神秘主義者は悲劇ですわ。

 普通の人々は、生まれた環境や影響によって仏教徒になったりキリスト者になったりできるようですが、先行する明確なものがあるために、神秘主義者はどこに生まれようと神秘主義者なのです。

 とりあえずは家事! ではでは。

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また喘息の発作

 うとうとしかけたら、また喘息の発作。

 メプチンエアーの使いすぎで怖い思いをしたことがあるので、使わなかったが、治まった。

 咳き込みすぎて涙。寝るのが怖い。わたしは心臓の発作より、喘息の発作のほうが嫌だ。

 朝鮮半島が緊張状態に入り、嫌な感じだ。父夫婦のことも、つくづく嫌になった。

 久しぶりの本格的な喘息の発作には、心理的なことも関係しているのだろうか?

 ああ嫌だな。眠いのに、眠ると発作が起きそうで。喉はやはり腫れぼったい感じだ。

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昨日の夕飯

昨日の夕飯

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2010年5月25日 (火)

喘息発作後、土地の件で電話あり

 昨夜、あまり眠れなかったので、仮眠をとったところ、雪の中で寒いという夢を見ていたが、夢の中で突然喘息の発作が起きた。

 苦しさのあまり目が覚めたが、本当に発作が起きていた。

 喘息は治まったが、喉が腫れぼったい。寒いので毛布にくるまり、でも、そうすると暑い。

 そこへ、土地の件で司法書士さんから電話があり、委任状を送ったとのこと。

 父が起こした家裁での審判事件のことを話すと、父夫婦はそのことは何もいわず、土地売却には積極的だという。

 ナンなんだ、気持ちが悪い。売却後にぶんどってしまうつもりか?

 父夫婦の新住所も知らないわたしたち姉妹なのに、わたしたちがマンションの権利書を盗もうとした、と彼らは調査官にいったとか。

 全てを自分のものにしたとしても、奥さんに幸福感はやって来ないだろう。

 父たちの再婚からしばらくしたころ、当時はまだまともだった父にわたしは、奥さんをお医師さんに診て貰っては……と忠告したことがあったが、父は怒り、純粋なわたしの心配を卑しめた。

 あのとき父は奥さんの手を引いて、左の道に行ってしまったのだ。その道がどんなものなのかは、わたしにはわからない。

 S家裁で、父はわたしたち姉妹と親戚の人たちに、「俺を見捨てたやろ」などといった。

 わたしたちなりに父に注いできた愛は、それが純粋なものであればあるほど、笊に注いだ水みたいに下に落ちてしまう。

 欠陥のある自己愛でないと笊に残らず、父には見えないので、奥さんしか自分には愛を注ぐ人間はいないと判断してしまう。

 急ぐことはないさ。何回でも生まれ変わって来て、学べばいい。

 調査官によると、2人とも見た感じでは健康そうに見えたというから、高齢の父も、わたしの夫と同じ年齢の奥さんも、きちんと暮らせてはいるのだろう。

 そうした意味からいえば、わたしのほうが遥かに不健康で、生活も乱れている。父は昔から、カントみたいに規則正しい人間で、本来はわたしもその気質を受け継いでいる。本来は……。

 家事があるけれど、ああ眠い。気管支拡張剤メプチンエアーを握り締めて、はい、お休みなさい。
 (_ _).oO


  関連記事⇒カテゴリー:父の問題

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24日に調査官と面談

 F家裁の調査官と面談。13:30から15:00くらいまで。ひじょうに物柔らかな対応だった。調査官は若い女性。

 父夫婦が、推定相続人廃除(特定の相続人に相続させることが不適当であるか、あるいは不当と認められる自由のある場合、その相続人の相続権を剥奪する制度)の申し立てをした件で、いろいろな質問を受け、わたしのほうからも質問をした。

 今回の件は家裁で扱われるといっても、調停ではなく、審判ということらしい。これは家裁の裁判だそうだ。調査官が情報を集め、裁判官が審判(判決に当たる)を下す制度という。

 父は母名義の土地のことで申し立てをしたのだが、調査官の勘違いがあり、彼女は父名義の土地だと思っていたとか。

27日に妹が調査官と面談し、28日に妹と電話で話してわかったことだが、下線のことで、わたしの勘違いがあった。父は自分の財産のことで、申し立てをしたとのこと。ただ、父は母名義の土地のことも、それに含めているのではないかと考えられるとのこと。いずれにせよ、この審判事件で扱われているのは、父の財産に関することだという。わたしたちが仮に相続権を剥奪されたとしても、代襲相続で、それは子供たちに行く。

 父はわたしと妹を、母名義の土地の相続から排除したい考えのようだが、父を背後で操作しているのはおそらく奥さんで、土地を父(つまり奥さん)のものにしてしまいたいのだろうとわたしは受け止めている。

 しかし、調査官の話によれば、父夫婦には勘違いがあるのではないかという。

 というのも、仮にわたしたちが相続人から排除されたとしても、代襲相続で、それはわたしたちの子供に行くからなのだという。奥さんのものになることはないと彼女は説明した。

 どれもこれも、初めて聞く制度ばかりだった(そんな詳しいことは法学部で学んだ記憶がない。あったとしても、とっくに脳からこぼれている)。

 排除の理由として父が並べたものは、家裁や地裁での申し立てと同じだった(と思う。あまりに多すぎて、覚えていられない)。

 調査官にも事情がよく呑みこめていないということだったが、わたしが持参したS家裁からの呼出状、S地裁での判決とその際のわたしの準備書面の写しで、事件の輪郭が見えてきたそうだ。

 父の訴え一つ一つのチェック、わたしの家庭環境、経済状態についておおまかに訊かれた。

 そうしたわたしとの会話から受けた調査官の感触としては、排除の理由は見当たらないということだったが、判決はあくまで裁判官が下すものだから、それ以上のことはいえないそうだ。

 今回の出張費用は税金から出るのですか、とわたしは訊いた。そうだという。

 わたしが自身の不安定な体調のことを話すと、調査官との今後のやりとりは書面と電話で可能だとのこと。ただ、裁判官は出張ができないので、裁判官が何か訊きたいことが出てきたときは、こちらからF市の家裁に出向かなくてはならないそうだ。その場合でも、日時の調整は可能だとのこと。

 わたしは、父夫婦にこんなことを繰り返されて困っている、と調査官に話した。彼女は気の毒そうに、一応、訴えは受理する仕組みになっていて、訴える内容を変えれば、回数に制限はないといった。

 父夫婦が今回の件で、上に訴えを持って行くとしたら、次は高裁になるそうだ。こんなことで高裁。それこそ、何という税金の無駄遣いだろう!  

 土地のことで、わたしたちの側から解決を図りたければ、やはりこの審判制度を利用することになりそうだ。弁護士に相談することを勧められた。弁護士には、代理権があるからだという。

「お金がありません」というと、要点を書き出しておいて、1時間くらいで相談することを勧められた(30分で5,000円だそうだから、それで1万円)。

「でも、代理権を行使して貰うとなると、それでは済まないのではありませんか? 相当かかるのでしょう?」と訊いた。「そうですね、かかると思います」と彼女。貧乏人には、それを最初にいっとくれ。

 となると、弁護士に手順を習い、文書の作成は司法書士に頼んで……頼めないところは、自分でやるしかないだろう。

 この何にもならない審判事件は調査だけで6月いっぱいかかり、裁判官に呼び出されるとしたら6月下旬か7月。審判が下るのは8月くらいになるのではないかとのことだった。

 あー嫌になる。こんな恒例行事が、一体いつまで繰り返されるのやら。妹と「たまらないわね」と話した。

 中世ヨーロッパの魔女裁判と比べたら、そりゃ人道的なすばらしい裁判制度だけどさ。これはこれで、どこかに、おかしさがある。


 
 関連記事⇒カテゴリー:父の問題  

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2010年5月23日 (日)

魔女裁判の抑止力となった神秘主義者たち

 わたしが《詩人》と呼んでいる統合失調症の友人のことだが、最近電話がないので、かけてみようかと思いながらも、むしろ電話がないときはコンディションのよい徴であることが多かったものだから、遠慮していた。

 ところがたった今電話があり、どうもコンディション悪そうだな、と思っていたら、あらら、途中で切れてしまった。

 かけ直したら、電話には出てくれたが、本当にコンディションが悪そう……。

 人間関係に疲れたそうで、「お聞きになった通りなんですよ」というが、コンディションが悪いときの彼女は支離滅裂な表現になるので、事情がわかりにくい。

 うーん、心配だ。ずっと会っていないしなあ。

 明日は、これもコンディションがいいのかわるいのかはさっぱりわからないが、まともとは思えない父夫婦から三度目の訴えで〔参照、カテゴリー:父の問題〕、明日はF家裁の調査官と会わなくてはならない。

 気が重いが、妹は「わたしたちも困っているから、相談するつもりで会ったら?」という。そうね、と返事。

 今回は調査官がこちらに出張してくださることになったが、こちらから出向くことにしていたら、面談後に《詩人》と会うことになっただろう。そのほうがよかったかな?

 もう少し体力がついて、フットワークが軽くなればいいと思うが、気持ちばかりが空回りする。

 こんな曖昧な季節は大体が、精神疾患者にはよくないみたいだ。盛夏になってしまえば、また違うと思うが、日本の気候自体変調気味だ。

 父夫婦のことは心配を通り越して、脅威に感じられる。毎年の恒例行事のように訴えられたのでは、かなわない。下手をすれば、こちらの神経まで参ってしまう。

 父夫婦のことを考えていたら、うなじの湿疹をがりがり掻いてしまい、ひどくなった。

 ところで、わたしは自作童話『不思議な接着剤』のための資料調べで、ヨーロッパ中世の異端審問と魔女裁判の区別を調べていた。

 上山安敏『魔女とキリスト教』(講談社学術文庫、1998年)によると、魔女裁判が異端審問の延長上に生まれたことは確かで、フランスのように教皇庁指揮下の裁判と世俗裁判所の役割分担が、前者では異端審問、後者では魔女裁判という風に明確であった所もあれば、ドイツのように教皇庁の力が弱くて双方が入り乱れていた所もあって、地域により時代によりまちまちだ。

 異端者という語を生み、異端審問の開始のきっかけとなったのは、カタリ派だった。カタリ派は、それだけキリスト教会を脅かす存在だったのだ。

 ナンにしても理不尽な父夫婦の訴えに悩まされているわたしには、妙にリアルに感じられ、中世ヨーロッパのことといえど、他人事とは思えない迫力をもって本の内容が迫ってくる。

 現代的視点から考察すると、精神病者が訴えられたり、訴えたりするケースは多かったようだ。

 魔女裁判の拡がりには、魔女のことをまことしやかに定義づけた本の流行があり、それに伴って、魔女に対する妄想が大きく拡がった。それを可能としたのがグーテンベルクの出版革命だったというのは、皮肉な現象といえる。

 以下、鉤括弧の抜粋部分は『魔女とキリスト教』より。

「魔女裁判に特徴的なことは、魔女の告発、拷問、自白、誣告のメカニズムに抑止力がなく、あたかも細菌が増殖するように拡がって、無実の市民を巻き込み、いつの間にか、拷問をする人、裁く人、あるいは町の名望家にまで魔女の嫌疑が拡がり、火刑に追いやられるという事態である。」

 魔女(男)裁判から、ついに、魔児裁判まで行われるようになると、さすがに終息の兆しが見えてくる。大人たちが現実と妄想の区別がつかなくなっていたように、子供たちは現実とファンタジーの区別がつかなくなっていた。

 終息のきっかけとなったのが精神病理学の発達で、魔女裁判をリードしてきたフランスの法曹界がその影響を受けるようになったのだった。

 魔女は、火炙りにされるよりは拘禁され始め、山火事のようにヨーロッパに拡がった魔女現象は次第に鎮静化した。

 一貫して魔女裁判の抑止力となったのは、当然ながら神秘主義者たちだった。

 魔女裁判の衰退に最も影響を与えたのは、ヴァイアーの医学的アプローチ、魔女懐疑論だった。

「ヴァイアーは、魔女裁判によって摘発された魔女を何とか助けようとした。字を読めず書けず、ただ信心のみ深い年老いた老婆、精神病者、メランコリー体質の病人、さらに拷問の苦痛に耐えかねて供述した容疑者などが、宗教裁判官や世俗官憲によって誘導され、断罪されて魔女に仕立て上げられるのを座視できなかった。」

「ヴァイアーの狙いは、メランコリーという医学概念を魔女の判定に持ち込んで、魔女は責任能力を有しないことを立証することだった。こうすることで、自由意思で悪魔と契約する魔術師と魔女とは截然と区別することができる。」「ヴァイアーは悪魔や憑依の実在を認めながら、それは今日の精神分析でいうところの暗示であると解している。」「ヴァイアーは、ボダンと同じく悪魔の実在を認めていた。もしそれを否定するとなると、神の存在も否定することになり、無神論者の烙印をおされかねない。だから悪魔の存在を承認した上で、科学的な視点から、魔女とされた哀れな女性を救済しようとしたのである。」

 ヴァイアーはパラケルスス、アグリッパの思想系譜に属する神秘主義者で、彼の師アグリッパは魔女迫害推進派から邪悪な魔術の象徴として攻撃された。

 アグリッパは異端視されながら『女性の高貴』など女性賛美の文章を書き、パリに秘密結社をつくり、メッツ市の法律顧問となって、魔女の嫌疑のかかった老婆の救援に立った。

 勿論彼自身も魔女裁判の犠牲となる危険と隣り合わせだったが、個人的に教皇から好意をもたれていたことが幸いしたという。

 魔女裁判には、フェミニズムの問題が深く関わっている。

 わたしが男性であったとしても、この問題に関心を持ったかどうかはわからないが、アグリッパもヴァイアーも男性だった。わたしはこの問題を、バランス感覚の問題だと捉えている。 

 明日は家裁のあと、休日の家族と映画に行く予定。父夫婦の問題は簡単に片付くことではないだけに、一つの緊張ごとに一つの楽しみを設けたいと考えている(わたしも父に似て頭に弱点があるかもしれないから、予防策ですわ)。

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昨日の夕飯

昨日の夕飯

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2010年5月22日 (土)

枝豆〜!

枝豆〜!

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昨日の夕飯

昨日の夕飯

 ネット検索で、woman.excite「E・レシピ」の『ブリのソテー梅ソース』を閲覧し、参考にさせていただきました。

 梅、大葉、バターが香るブリのメインディッシュ。家族に好評でした。

 ポテトサラダ。マヨネーズに、みじん切りにしたピクルスとパセリ、マスタードを混ぜておいて……。

 パセリはベランダ栽培したもの。他に、バジル、ラベンダー、百合(カサブランカ)、サボテンが元気に育っています。

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2010年5月21日 (金)

一山越えて

 自作童話『不思議な接着剤』の下調べであると同時に、長年の私的研究のテーマでもあったものが、今朝、一段落着きました。

 子供たちと洞窟に入る前に、高崎山のお猿さんのことを書いておきたいですが、今日はもうパソコンの前に座りたくありません(これは携帯から)。

 右臀部の肉が左臀部に比べて落ち、長く座っていると苦痛を感じるときがあるのですね。

 骨腫瘍のこともあるしだんだん、変な体になっていく気がしますわ。

 私的研究に没頭していた間にも、北朝鮮のこと。タイのこと。家畜の病気。大変な事件が続いています。

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Notes:不思議な接着剤 #57 つながった! 見えた!

#57
2010/5/21(Fri) つながった! 見えた!/タルムード。ラビ。秘儀的クムラン宗団(=エッセネ派←イエス→マグダラのマリア) 

  つながった! イエスは、エッセネびと(ヨセフスの記述)と考えられている秘儀的クムラン宗団と関係があったに違いない。なぜなら、エッセネびとは白い服を着ていたことが特徴的で、イエスの墓にいたのは白い服を着た人だったから。

 何とカバラ神秘思想の起源は彼らだったかもしれないのだ。そして、そのなかの中心人物こそ、正統なユダヤ王の復権と思想の刷新を目指したイエスだったのだとしたら……!

 フィロンの記述によると、彼らはヨガそっくりの瞑想法を実行していたらしい。マグダラのマリアがイエスから教わったのは、それだったに違いない。イエスの観点からすれば、マリアだけが、弟子たちのなかで、それを伝授される段階に達していたのだろう。そのことが、ペテロたちの嫉妬を買ったのだ。

 内部抗争によるものか政治亡命なのか、他の理由によるものかはわからないが、何にしても、ぼろ船に乗せられたマリアたちは嵐に遭いながらも南フランスに漂着した。そのときマリアが生きていたのかどうかもわからないが、彼ら一行はマリアがイエスから教わった秘儀的な教えを南フランスに広めようとしたに違いない。後にその地で活発に布教したカタリ派が西欧の仏教と呼ばれたことを考えると、まるで地下水脈が流れているかのように一本の糸でつながるものがあるではないか!

 もう少し、丁寧に見ておこう。

 イエスはしばしばラビと呼ばれた。

 ラビについて調べていたら、昔読んだ箱崎総一著『カバラ ユダヤ神秘思想の系譜』(青土社、1988年)に、わかりやすく書かれていた。若いときに丹念に読んだ形跡があるが、当時は消化できなかった。今これを読むと、ユダヤ文化の精華に関しての理解を深めることができるばかりか、新約聖書の謎に光を当てることが可能となる。

 以下は、ラビという称号の由来から、『マリアによる福音書』でマグダラのマリアがイエスから受けたという教えを連想させるフィロンの記述までを含む、そこからのノート。

・‥…━━━☆・‥…━━━☆

 13世紀ごろスペイン在住のユダヤ人たちによって集大成された『光輝の書(ゾハル)』。現存するカバラ思想関係の資料としては最も完璧なものだという。

 ユダヤ人には二つの大きなグループがある。

  • アシュケナジム……東欧系ユダヤ人。ドイツ語とヘブライ語の混合したイデッシュ語を用いる。
  • セファルディム……スペイン・ポルトガル系ユダヤ人で、現在北アフリカ、地中海地方、オランダ、英国などに住む。古典的ヘブライ語の他、スペイン語化したヘブライ語ラディノなどを用いる。

 タルムード(3世紀~5世紀に成立。旧約聖書モーゼの五書に関する註解書。ミシュナを基本とする)

  • パレスチナ・タルムード
  • バビロニヤ・タルムード(現在使用されている)

 ユダヤ学院

  • パレスチナ地方のティベリアス、セホリス、カエサリアの各都市
  • バビロニア地方のネハルディア、スーラ、プンペディタの各都市

「これらの学院における研究目的はミシュナの文章の意味を論考し、簡潔な表現とすること、旧約聖書の原典との照合作業、現実に発生した事件例に関して律法がどのように適用されうるかの判例研究、さらに新しい原則の設立のための研究などが含まれていた。そして、これらの研究を担当した学者たちは、ゲマラあるいはアモラと呼ばれることになったのである。パレスチナ地方におけるアモラにはその称号として“ラビ”が、バビロニア地方では“ラブ”あるいは“マル”という称号が与えられた。」

 哲学者フィロン[前20頃-40頃]

「フィロンの著作集は、その大部分が流暢なギリシア語で書かれ、その思想的背景はユダヤ教であった。彼が学んだとされるストア学派からの影響も色濃く認められる。フィロンの思想は現代ユダヤ教においては承認されていない。その理由として考えられることは、ユダヤ教パリサイ派ではギリシャ哲学が排斥されていたからであろう。〔略〕フィロンの著作集は初期キリスト教会において広く読まれ、教父達によって現在まで手厚く保存されることになり、このため後世フイロンをキリスト教者と誤認することが多くなった。
 フィロンの著作集は旧約聖書『モーゼの五書』に関する評釈書という形式を採用して記述され、質疑問答の形をとっている。フイロンの解釈は常に聖書の章句を寓意[アレゴリー]として解釈する傾向を示している。ことにこの傾向は『比喩の原義』において顕著であり、『創世記』における最初の人間アダム(原始の人間[アダム・カドモン])は、フィロンにおいては人間の霊魂が発達する象徴と考えられている。これらの象徴的解釈方法が後世のユダヤ神秘思想体系カバラに濃厚な影響を与えることになる。」

「フィロンがアレクサンドリアで活躍していた頃、パレスチナ地方死海のほとりに禁欲的な瞑想的生活を続けている一群のユダヤ人たちがいた。〔略〕現代の研究者は彼らを“クムラン宗団”または“死海宗団”と命名している。
 『死海の書』に関する研究が進むにつれて新たに脚光を浴びてきた事実があった。死海宗団はユダヤ神秘思想とくにカバラ思想の原型とも見なすことのできる神的霊知に関するかなり発達した秘儀体系をもっていたことが判明した。〔略〕
 こうした秘儀宗団が共通して抱いていたユダヤ神秘思想の背景には、さらに古代ギリシャで発達した神秘思想との関連も認められる。とくにネオ・ピタゴラス学派からの影響が濃厚であるこの学派は、今日では数学者として知られているピタゴラスに端を発する神秘主義教団であった。平面幾何学におけるピタゴラスの定理(三平方の定理)の発見者ピタゴラスは、紀元前6世紀の人物である。
 ピタゴラスによれば数は万物の根本であり、原型である。この基本数の関係にしたがって宇宙は秩序ある体系として創りあげられた。“限りあるもの”は奇数で、“限りなきもの”は偶数であるとされ、このニ種類の数によって宇宙は構成される。数的調和関係は天体運動にも、和音を発生させる琴の弦の長さにも存在すると考えられた。
 ネオ・ピタゴラス学派では、数学は霊魂浄化手段と見なされた。魂を鎮める音楽と、普遍的真理を探求する数学研究を通じて、霊魂の不滅と輪廻思想・死後の応報思想が解明されるものとされ、それが彼らの宗教信条となった。同学派の数的象徴はつぎのようなものである。天体数は神聖数である10、霊魂の数は6、結婚は5、正義は4、などと規定された。この発想形式は前述したフィロンの数的象徴にも認められ、後世のカバラ神秘思想のゲマトリアのなかに更に発達した形で組みこまれていくことになる。
 フィロンの記述による瞑想的生活および死海宗団の禁欲的瞑想生活の実際はどんなものであったろうか。それはユダヤ神秘思想家の間で師伝の形をとって数千年来連綿と継承されてきたものだが、具体的瞑想手段については現在でも極めて厳重な秘密のベールにつつまれている。さらに口伝の形をとっているために文書化された文献も存在しない。わずかな資料を総合してみると、秘儀実行の際には聖歌が合唱され精神の集中度が高められてゆく。意識の焦点を頭と膝の中間部分に集中させながら瞑想をつづけていくことで、めくるめく恍惚感によって全身がとらえられるという。〔略〕」

・‥…━━━☆・‥…━━━☆

 カタリ派が壊滅させられた時期に、カバラ思想の代表的な著作が完成した。何ということだろう。谷あり、山ありだ。神秘主義という観点から見れば、中世のヨーロッパは新陳代謝の盛んな時代だったといえる。

 もし本当にイエスがエッセネ派(クムラン宗団)と関係があったのだとすれば、キリスト教は形骸だけを守ってきたことになる。肝心の秘儀を運ぶ使者はマグダラのマリアこそであったのに、彼女は極めて不当な扱いを受けてきたのだから。

 マグダラのマリアは、真の意味合いにおいて、東西を結ぶ平和の使者と成り得た人物であったに違いない。しかし彼女はおそらく、豚に真珠を投げるというあやまちを犯したのだ。

 自作童話『不思議な接着剤』のなかで、洞窟に囚われたマリーの姿が今度こそ見えた。紘平、翔太、瞳……と一緒にわたしもいよいよ洞窟へ入ることになる。

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2010年5月20日 (木)

油物で、久しぶりにおなかパンパン

 パリエットとガスモチンで、ずいぶん胃腸の具合がよくなったのだけれど、揚げ物を食べたり、調子に乗って食べ過ぎたりすると、前ほどではないが、吐き気がしたり、今夜みたいにおなかがパンパンに張る。

 夫が美味しそうに、飲みながら柿の種を食べているわ……。

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文芸作品の再公開・非公開のお知らせ

 以下の作品を除き、休止していた自作文芸作品を再公開しました。

  • 自作童話『不思議な接着剤』

 『不思議な接着剤』については、舞台裏でしっかりとした物語を完成させ、いずれ本という形にしたいと思っています。

 この日本という国の今の時代という特徴を刻印しつつ、どの時代にも神出鬼没かと錯覚を起こさせる軽やかさを持ち、かつ国際的にも通用するだけの重厚な児童文学作品を……などと気負うと筆が進まなくなるので、時間はかかっても、楽しみながら、執筆を続けたいと思っています。

 当ブログから『不思議な接着剤』に登場する子供たちの気配が消えてしまうのは寂しいので、登場人物の一人である少女瞳によって書かれるという設定の自作童話『すみれ色の帽子』は公開を続ける予定です。『不思議な接着剤』の創作ノートであるNotes:不思議な接着剤も公開を続ける予定なので、それをご覧いただければ、進行状況がわかっていただけるかと思います。

 また当ブログに収録する予定の作品で、収録中、あるいは全然手をつけていないものも、気が向いたときにという気ままさではありますが、収録作業を進めていきたいと思っていますので、よろしくお願い致します。

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2010年5月19日 (水)

文芸作品の再公開について

 急に、自作文芸作品の公開を休止にしてしまい、申し訳ありません。

 某サイトから作品発表のお誘いをいただいたのですが、自身のサイトで公開中のものでも構わないかどうかがわからなかったので、とりあえず確認をとるまでは公開を控えようと思ったのでした。

 確認をとったところでは、オーケーということでした(そのサイトに作品を発表するかどうかは検討中です)。

 これを機会に、自作文芸作品のネット公開ということについて、考えておきたいことがあるので、再公開については、もう少しお待ちくださいね。

 本にしたいと考えている自作童話『不思議な接着剤』の公開に関しては、以前から迷っていたところでした。この作品の今後の公開は控えさせていただくことになりそうです。

 創作ノートであるNotes:不思議な接着剤は、今後も公開していく予定です。

   

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2010年5月18日 (火)

今日の夕飯

今日の夕飯

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Notes:不思議な接着剤 #56 ラビ。エッセネびと。大祭司制。 

Notes:不思議な接着剤は、執筆中の自作の児童文学作品『不思議な接着剤』のための創作ノート。

#56
2010/5/18(Tue) ラビ。エッセネびと。大祭司制。 

 ヨセフス『ユダヤ戦記』に出てくるエッセネびと。

 イエスがエッセネびとの一員だったとして、しかもラビと呼ばれていたことを考えると、イエスは、またマグダラのマリアとの関係は、ひじょうに微妙なものとならずにはいられなかったと想像せざるをえない。

 新約聖書の不思議さは、エッセネびとに原因の一つがありそうだ。

 教師、律法学者、精神的指導者といわれるラビについてはあとで調べてノートしておきたいが、ラビは普通、結婚した人間であったとされる。成熟し、安定した人間像が想像できる。イエスは弟子たちからたびたびラビと呼ばれているので、彼が結婚していたとしても不思議ではない。

 ラビになったあとでエッセネびととの関わりをイエスが強めたのだとすると、フラウィウス・ヨセフスの『ユダヤ戦記』(秦剛平訳、ちくま学芸文庫、2002年)によれば、エッセネびとのあいだには結婚に対する蔑視があったようだから、仮にイエスが結婚していたとしても、結婚していないかのような振る舞いをせざるをえなかっただろう。

 ヨセフスの記述には矛盾するところがあり、エッセネびとは誓いを避けるとあったかと思えば、自分たちの秘密は死に至る拷問を受けても漏らさないように誓うともあって、どちらが真なのかはわからないが、エッセネびとには独特のムードがあったようだ。エッセネびとについてのヨセフスの記述を読んだあとでは、イエスに付き纏う謎は、彼らエッセネびとの謎と融け合ってしまう。

 ローマ帝国の圧力、ユダヤ文化の伝統と変革の波に揉まれて生きたに違いない人間イエス。

 エッセネびとが「太陽が昇るのを祈願するかのように、それに向かって父祖伝来の祈りを捧げる」とあるのを読むと、カタリ派と太陽信仰を関連づける説を連想してしまう。

 とにかく、このエッセネびととキリスト教とはいろいろな面で重なりを感じるところがあるので、エッセネびとの章を全文ノートしておきたいくらいだ。

 また、ヨセフス『ユダヤ古代誌』(フラウィウス・ヨセフス『ユダヤ古代誌ⅩⅩ』秦剛平訳、山本書店、1981年)から《大祭司制》についても全文ノートしておきたいが、結構長いので、始めのほうだけ以下に。
連綿とつづいてきた大祭司制について

(1)さて、わたしはこの『ユダヤ古代誌』において、大祭司制――それがどのようにして始まったか、だれがこの職務につきうるのか、また〔今次の〕戦争の終結までに何人の大祭司が数えられたか等々――について詳しい説明を行っておくことが必要なことであり、また適切なことであると思う。
 神のための大祭司の仕事を最初に行った人は、モーセースの兄弟アァローンであったと言われ、彼が亡くなった後その職務はただちに彼の息子たちに引きつがれ、以後、その子孫たちがもっぱら〔大祭司〕職を独占するようになったとされている。
 このような理由から、アァローンの血をひく者でなければ、何びとといえども神の大祭司職につくことはできないという伝統が生まれ、他の血統の者はたとえ王であっても、大祭司たることは許されないのである。
 大祭司制の起源はモーゼの時代で、世襲制であったことがわかる。

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Notes:不思議な接着剤 #55 マグダラのマリアの問題

Notes:不思議な接着剤は、執筆中の自作の児童文学作品『不思議な接着剤』のための創作ノート。

#55
2010/5/18(Tue) マグダラのマリアの問題 

 マグダラのマリアは、いろいろな資料から推理するに、最低2人の子供と共に南フランスに渡ったことは確かだと思う。

 『黄金伝説』の領主の妻にマリアの運命が重なっているように想われる――だとすると到着時には既に死亡していた――が、幽閉されていた可能性もある。

 この辺りのところがはっきりしないと、洞窟のマリア像がもう一つ鮮明とならないのだ。それで、別の角度から光を当ててみようと、他に資料を漁ったりもしているのだが。

 タロットで占っても始まるまいが、タロットが神秘主義者たちによって洗練されていったことを想えば、女教皇はマグダラのマリアと見ていいかもしれない。

 イエスの磔刑が行われたのは、資産家の弟子の私有地で、あれは一種の儀式だったと見る解釈は捨てがたいが、『マリアによる福音書』を見る限りでは、イエスはやはり十字架上でかどうかはわからないが、あの頃に亡くなったのではあるまいか。

 いろいろと調べてみても、もやもやしたものが付き纏う。

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2010年5月17日 (月)

内科受診

 副甲状腺に関する検査結果では、これまでと同じく、ホールPTH(副甲状腺ホルモン値)は高かった。そして、カルシウムは基準値内。

 わたしが両膝周辺の凸は骨腫に間違いないだろうと整形外科でいわれたことをいうと、先生はALPが高かったからか、「悪性ではないんですよね?」と、わたしの目を見つめながら、念を押すようにいわれた。

「はあ、たぶん……」と、わたしは返事するしかなかった。

 ALP、アルカリホスフォターゼが上昇すると、胆道や骨の病気が疑われ、これは、がんの骨転移があるかどうかを調べるのに便利な検査だとネットにあった。

 悪性だと、今頃こうしてはいないと思うが、勿論生検してみなければ、確かなことはわからない。

 だから、何かあったらすぐに整形外科の先生に連絡するようにいわれているのだ。

 U先生は、膝の腫瘤を生検できないかとじれったくお思いになるみたいだが、整形外科の先生が手術に慎重なのが、今ではわたしにもよくわかる。

「だらだらとこんな状態が続くのは、嫌でしょう?」と先生。「増えないタイプの腫瘍が増えるのは、気持ちが悪いですね」とわたし。「いっそ、胃癌で三分の一切りとるとかのほうがいいでしょうね」と先生。

 わたしは返事に窮したが「ええ、まあ。いっそ、そのほうがいいかもしれません」といった。「それこそ、まだ、左腕の手首から先をなくすとかのほうがね」と先生。

 わたしは驚いて先生を見た。先生の顔は真剣そのものだった。「もう、やめてください。外観が変わるのも、不自由になるのも嫌です!」とわたしはいった。

 天秤座の変男。ドクターなんて、変なやつばっかり! U先生は好きだけれど、ついていけないときがある。

 これまでの半年に一度の経過観察を続けることになった。

 それならと思い、これまでの副甲状腺関係の血液検査だけでなく、全般的なものもやっていただくよう、お願いした。

 U先生は、こんなお願いには快く応じてくださる。

 地域的なものか時代の流れなのかはわからないが、福岡では、総合病院であれ個人病院であれ、通院していれば、3ヶ月から半年に一度は全般的な血液検査があったが、ここではそうはいかないようだ。

 循環器クリニックでそのことを知ったが、どうせ内科で副甲状腺の血液 検査を受けるのであれば、全般的なざっとしたところもついでにやって貰って損はない。

 次回の予約(11月22日/11:00~12:00)をして診察室を出ると、看護師さんが追いかけてきた。

「先生が、何で消化器科にかかっているんですかって!」と、看護師さん。「ああ、単なる胃炎です。軽い……」と、わたしはいった。

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畏れ多い夢

 畏れ多い夢を見た。

 ナンと『クローズアップ現代』のキャスター国谷裕子さんが、年齢はそのままに、わたしの娘という設定。

 夢の内容は、番組そのままのパリッとして可愛らしい国谷さんに「まだ出かけなくていいのかい?」と声をかけると、「昨日遅かったから、今日は10時ごろ出かければいいの」と返事。

「ああそうだったね。それなら、疲れているだろうから、ぎりぎりまで寝ているといいよ」といって、布団を敷いてやる。

 押し入れの布団のなかで、一番よさそうな布団を出して敷く。

 国谷さんはスーツ姿で横になり、わたしはキッチンでしきりに生ゴミを片付け始める。ジャガイモの皮が沢山。

「ねえ、お母さん。神秘的な話題も採り上げるべきかしら」と訊かれ、わたしは戸惑いつつ、「そうだねえ。アプローチの仕方によるだろうけれどね」という。

 わたしは素敵な娘が自分にいることが自慢で、ブログに書こうと考える。

 以上が夢の内容。

 現実には、国谷さんはわたしより一歳上。そのせいか、キャスターとしての力量や思想面などは意識せずに、親近感と淡いファン感情から視聴してきた。

 昔、国谷さんをテレビで見るようになった頃、彼女は舌がよく回らない感じでたまにとちってはハラハラさせたが、それがまた可愛らしく、品のよさや知的な感じが印象に残った。

 その頃、夫に「ねえ、国谷さんって可愛いわね」というと、夫は「口が曲がっている」の一言で片づけた。

 そうかなあ、と思ったが、わたしも娘も何となく国谷さんが出ていると、「今日は化粧の乗りが悪い気がするけれど、疲れているのかしら?」「お化粧変わったせいじゃない?」などと、番組の内容自体よりよく美容面中心に話題にする。

 何だか、勿体ないような夢を見てしまった。どういう夢解釈が成り立つだろう?

 同世代の華として、これからも一層輝き、頑張ってくださることを願う。

 今朝は、わたしはこれから内科受診。骨腫瘍との関連で副甲状腺を診て貰ってきたが、たまにホルモンが上がるものの、カルシウム値はぎりぎり正常値をキープしているため、血液上に大きな変化はなしということで、経過観察を打ち切られる可能性も高い。

 そうなると、原因究明はストップ。いわゆる匙を投げられたことになり、落ち込みそう。

 悪性でなさそうなところはありがたいが、わたしにとっては他のまともな(?)疾患以上に気になる疾患なのだから。

 沢山ある骨腫瘍のなかでも、多発しないはずの骨腫。一つあるだけなら、何の問題もなかった。美容に障らない限りは、気にもとめず、放置していただろう。

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2010年5月16日 (日)

ブログを書きながら、手軽に書ける手帳を探して

20100104221332

 テーブルには、いつも上のメモ帳があります。これが一番使いやすいので、とりあえず6冊ゲットしたのですが、先日ロフトに行ってみたら、置いてありませんでした。こんなに使いやすかったメモ帳はこれまでに出合ったことがなかったので、1ダースは買い込んでおかないと安心できない気がしてしまいます。

 ネット注文できるようなので、しておこうかと思案中。

ほぼ日ストア
http://www.1101.com/store/index.html

ほぼ日ペーパー(ズ)
http://www.1101.com/store/techo/2010_spring/papers/index.html

 で、テーブルにいるときは、ほぼ日ペーパーズをメモ帳にして、幸せに(?)好きなようにメモできるのですけれど、ネット中、殊にブログをしているときには不自由します。わたしは自身の過去のブログ記事を参照しながら創作作業を進めることも多いので、ちょっとメモしておきたい。しかしペンとペーパーを横に置きながらでは煩わしい。ことも、しばしば。

 さくっとメモできるメモサービス、日記サービスがないか、ずっと探していました。管理画面にアクセスするまでが面倒だったり、管理画面が使いづらかったり、アップに時間がかかったり、ブログからさっといけるようにするにはプライベート色が濃すぎたり……といろいろあって、思うようなものがありませんでした。

 今日はナンだか眠くてたまらなくて活動的ではないのですが、それでも創作が気にかかって、いつの間にかネットにへばりついていました。

 そして、ちょっとメモしておきたいことがあれこれ出て来たのですね。ブログに書くようなまとまった事柄ではない、頭の中のふわふわした生き物たち。その中には素敵なインスピレーションが紛れ込んでいることもあるでしょう。彼らのための場を確保したい。

 ネット中、気ままに、メモりたいときにメモれるスペース。できるなら、ブログからもさっと行けて、訪問者に見られても見られなくても気にならないメモるスペースがあれば……と今日は特に痛切に思ったのでした。

 それで、探してみて、上に書いた条件をかなり充たしていると思えた以下のサービスを試してみることに。

レンタル日記小町
http://nikki-komachi.com/

 つまり、左サイドバーに以下のものがくっついたわけでが、気にしないでくださいね。勿論、閲覧していただいても構いません。そのうち消えたら、何らかの理由で使いづらかったのだとお思いください。

http://nikki-komachi.com/user/noix/

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また爆睡してしもた

 もう過ぎたことですが、初胃カメラだったというのに、そのときは喉に吹き付けられた苦い麻酔薬で、いつの間にか、爆睡していました。

 気がついたら、すでに大腸ファイバーだったのです。

 大腸は、何というか、年とった人間の大腸という感じで、あまり楽しい光景ではなく(外観は若いっていわれるんですよ)、うんざりだったわ。あ、頑張ってくれている腸に、こんないいかたって……。

 ただこうしたことも、おぼろな記憶。

 前回、別の土地で大腸ファイバーをしたときは、ポイント地点で痛かった代わりに、しっかり目覚めていました。麻酔薬の量が違ったんでしょうね。

 その麻酔薬がまだ効いているのかも(のわけないね)。

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2010年5月15日 (土)

爆睡してしもた

 前の記事を書いたあと、旅行中、高崎山自然動物園で伺った(取材してしまった)お話を書くつもりだった。

 これから書き始めようとは思うが、家事がまだまだあるので、今日中のアップは無理かも。

 アクセス解析で見ると、山崎栄治訳、リルケのフランス語詩篇『薔薇』にお見えくださるかたが増えているようなので、これも全部紹介してしまいたい。

 山崎訳は、原詩よりよいのではないかと想像してしまうくらいの薫り高い名訳なのだが、図書館か中古購入でしか、読めなくなっていると思う。

 コンパクトにこれだけのものが出てくれたら、わたしは買うのだが。

 カリール・ジブランも人気の高い詩人だが、ジブランは、佐久間彪訳(至光社)が入手できるはず。

カリール ジブラン,佐久間 彪,Kahlil Gibran
至光社
発売日:2005-01

 わたしもジブランは愛読しているが、若くして書かれたせいか(1883年レバノンに生まれたジブランは15歳でアラビア語で『預言者』の草稿を書いた。その後、推敲が重ねられ、1923年、40歳で英語で出版)、作品の出来にムラがあるとわたしは思う。

 わたしが本当に好きなジブランの詩は、すでに紹介した。が、もう少し、紹介したい気もする。

 勿論、自作童話も進めたい。

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ホテル白菊のレトルトカレー/快適な胃腸

ホテル白菊のレトルトカレー/快適な胃腸

 旅行、検査疲れが出たのか、昨夜の夕飯作りがしんどかったので、ホテル白菊からお土産にいただいたレトルトカレーにしました。

 夕飯をレトルトカレーで済ますのは、長い結婚生活といえど初めてでした。

 昔でしたら、夫がむくれて大変だったでしょうけれど、文句の一つもなく……一つでは足りないかも、とはいいましたが。

 で、夫に一つと2/3。写真は娘のお皿で、一つと1/3のレトルトカレーがかかっています。

 娘には、ご飯とカレーの量が多かったみたいです。レトルトにしては、たっぷりの量でした。

 そして、レトルトにしては、美味しいカレーでした! あと二つ残りました。

 長いこと、胃腸の調子が悪かったため、わたしは夕飯のみ、一日一食で済ますことも多かったのですが、パリエットとガスモチンで具合がよくなり、食後の張り・もたれ・痛みの全てがなくなり、健康的におなかが空きます。

 残る二つは、わたしのランチのためにとっておこうっと!

 胃腸の調子がいいと、世の中が輝いて見えますね。

 大腸ファイバーのあと、食事する前のわたしのおなかを見た娘が、「わあママのおなか、ぺったんこ!」と目を見張りました。

 ホント、あんなに来る日も来る日もおなかが張っていたんでは、自分でもおなかの膨らみはぜーんぶ、脂肪かと思いましたもの。

 ただ、動きの悪くなったわたしの胃腸に、パリエットとガスモチンがいつまで奏功するのかはわかりませんが……。

 ところで、パリエットとガスモチンを出していただいたのはレッドクロスの消化器内科。

 軽い症状の患者は切られると思うのです。胃炎くらいのものは、あそこじゃ病気のうちに入らないみたいなので、わたしは次回で通院打ち切りになるでしょうね。

 そのときは、二つのどちらかのクリックで、同じ薬を出していただけないか訊いてみます。

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2010年5月14日 (金)

13日に、循環器クリニック受診

 受診が8日も遅れたにも拘らず、御咎めはなかった。尤も、脈をとられると、もし薬を飲んでいないとバレる。脈が正常だと、先生は何もおっしゃらない(こともある)のだ。

 他のことに、先生の気を逸らしたということもあった。

 わたしは先生の前でお薬手帳を開いて、レッドクロスの消化器内科で出して貰った胃薬パリエット、ガスモチン(ガスチモンといい間違えた)、呼吸器クリニックで出して貰った湿疹・アレルギーの薬タリオンを読み上げた。

 早口で、レッドクロスの消化器内科で大腸ファイバーと胃カメラを受けたこともご報告。そして先生に口を挟む隙を与えずに、整形外科で過形成だと思われていた両膝の凸が――普通は多発しないはずの――頭蓋骨に出来た骨腫と同じ骨腫瘍に間違いないだろうといわれたことを強調気味にお話しした。

 すべて、8日も受診が遅れたことから先生の意識を逸らすため(ああ疲れた! 何やっとんのかね、わたしは)。

 先生は、わたしのお薬手帳をとり上げて見入っていらした。勝手にあちこちにかかっていらぬ薬を飲んでいる、と疑われたのかもしれない。

「おなかがあまりにパンパンに張るもんですから、整形外科でかかっているレッドクロスで胃腸も診ていただいたんです」と、さらにいいわけした。先生は、わたしの胃腸の働きが鈍っていることはご存知なので、無駄な検査を――とは思われたに違いないが、このわたしの行動は意外でもなかったご様子。

 胃腸の件では、「ガスチモンではなくて、ガスモチンだね」と薬名を訂正なさっただけで、何もおっしゃらなかったが、何か確認をとるような無言のムードがあった。そして話題を転じ、「タリオンは、僕も毎日、飲んでいるよ」と先生。「へえー、そうですかぁ」とわたし。先生と湿疹仲間になるって、変な気分。

 いつもの脈拍、胸のあちこちに聴診器。目が腫れていると、なぜか先生は目を押し広げて上を見るように指示といった、目に関する一切の診察をなさらない。たまたま、そうだっただけなのだろうか。何にしても、この日もわたしの瞼は腫れていた。「どうしても、発作が起きるねー!」と先生。「はい。どうしても、何回かは起きてしまいます」とわたし。

 そのあと、その時間帯にたまたま患者さんが少なかったということもあり、看護師さんも一緒に骨腫瘍の話題に興じた。

 興じた、というと語弊があるが、ユニコーンのような骨腫の写真を脳神経外科で見せて貰った話が、先生と看護師さんに受けたのだ。受けた、などというと、これも語弊があるが。お二人とも、驚きのお顔。

 そして、先生がふと思い出したように、「そういえば」とおっしゃった。「Nさんに似た症状の人を知っているよ。その人は顔がぼこぼこになっていたっけ。原因がなかなかわからなくってね、今もわからないままなんだ。Nさんと同じように、めったにない症例だそうで、外国に例があるくらいのもので……。その人は、心臓ではなくて、別の病気でかかっていたんだけれどね」と先生。

「ええっ、顔がぼこぼこですって!」とわたし。聞けば、聞くほど、わたしと似ていた。その人も女性で、何と50歳くらいだという。

「そのかたは、どちらの整形外科にかかっていらっしゃるんでしょう?」とわたし。先生は、ちょっとあやふやそうに「医大……。ただ、その人の腫瘍は、境界線がわかりにくい、平べったい感じだから、Nさんとは違うかもしれない。でも、とにかく珍しいものなんだそうだ」と先生。

「その腫瘍は、とても硬いんでしょうか?」とわたし。「うん、硬い」と先生。

「骨腫瘍にもいろいろとあるみたいですが、そんなに硬いんなら、わたしと同じじゃないかしら。顔がぼこぼこって……わたし、そんなになったら生きていけません。ああ、今夜そのことを考えて、心臓の発作を起こしそう!」というと、「ちょっと……そんな」と先生。看護師さんも横から、「ニトロを多めに出していただいたほうがいいんじゃありませんか」と、気の毒そうにおっしゃる。

「いやいや、Nさん。そんなに心配しなくてもいいと思うよ。その人は、生検のために一番目立つものをとったら、見ただけではわからなくなったんだ。触れば、まだあちこちにあるんだけれどね。ひょっとしたら、他の腫瘍はだんだん縮んでるんじゃないかと思うくらいでさ。だから、Nさんも大丈夫だよ」と先生。わたしは、疑わしい目を先生に向けた。

「どれ、見せてごらん」といって、先生はわたしの頭、額、両膝、耳の後ろの腫瘤を全部触診なさった。「額はまだ目立たないよ。頭の窪み、これは……。右膝には出ているのがあるね。左膝の下辺りにも、確かにいくらかだけれど、盛り上がりがある。半年に一度しか診て貰っていないの?」と先生。「はい、今は。撮りすぎても、被曝の心配があるということで……」

 しかし、何かあればいつだって、整形外科の先生に電話したり行ったりしていいといわれている。

 内科で続けてきた副甲状腺の経過観察のことなども話したあとで、「先生。どなたか、こうしたことに詳しい整形外科の先生をご存知ありませんか?」とわたしは訊いた。顔がぼこぼこ、という先生の言葉が耳を離れないままに。

「Nさんの整形外科の先生はK大だっけ?」と先生。「確か、そうです」とわたし。「じゃあ、そのK大系列にそんな先生がいるかどうかということだね。訊いてみたら、いいよ」と、親切そうな、ちょっと哀しそうな先生の口ぶり。

 やはり、系列ということがあるのだ。「もしご存知でしたら、すでにご紹介くださっていると思うのです」とわたし。「そうだね。整形外科か……」と思案するように、先生。約束はされなかったが、あたってみるよ、という表情をなさった。

 その夜、考えてみればみるほどに、先生のおっしゃった、顔がぼこぼこの女性というのはわたしのことではないかという気がしてきた。

 カルテで確認をなさらない限りは、先生の過去の記憶にはあやしさが混じるのだ。現に、わたしは先生の記憶のなかでは、長崎に住んだり、長大に入院したりしていたことがあった。

 今のわたしは幸い、顔がぼこぼこではないが、額に小さな腫瘤があり、手術した頭の窪みは相当なものだ。膝の腫瘤には平たい出っ張りもある。おしゃべりなわたしのことだから、骨腫の多発の珍しさや、アメリカの論文のこともお話ししたに違いない。

 過去にお話ししたそんなこんなが、先生の頭のなかで、別の患者像を創り出してしまったのではないだうか? 真相はわからないが、わたしの大袈裟な物言いが先生をちょっぴり怯えさせたのかもしれないとも想う。いつだったか、わたしが服につけていた女性の顔だけのブローチが、先生を怖がらせたこともあったくらいだから。  

  • インデラル錠10mg ⇒ 1日3回、毎食後、40日分
  • ヘルベッサーRカプセル100mg. ⇒ 1日2回、朝・夕食後、40日分
  • アイトロール錠20mg ⇒ 1日2回、朝・夕食後、40日分
  • シグマート錠5mg ⇒ 1日3回、毎食後、40日分
  • ニトロペン舌下錠0.3mg⇒胸痛発作時10回分
  • リンデロン-VGローション全20ml  塗布

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司法書士事務所から電話あり

 名刺、書類を郵送する由。

 事態は、売却に向けて動き出している。父夫婦も、売却に関しては異存はないと見られる。父夫婦の今回の訴え、こちらがあちらへの適用を主張したいくらいだ。

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ホテル白菊オリジナルの梅酒

ホテル白菊オリジナルの梅酒

 夫はどんなお酒でも飲みますが、一番好きなのは梅酒。

 以前はよくうちで作ったりもしましたが、今では作らなくなりました。

 で、お土産に買い、写真に撮っておこうと思ったら、すでに残りわずかになっていました。

 黄色い箱のカレーは、ホテルからいただいたお土産です。6箱も!

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2010年5月13日 (木)

似た症例の人の話を聴いて……

 循環器クリニックで、わたしの骨腫瘍と似た症例の話を聴けました。詳しくは帰宅後に。

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家裁に電話

 F家裁から届いたレターの差出人は調査官で、封筒には個人名のみ記してあった。

 文面も、父夫婦の過激な訴えとは関係なく、もの柔らかい。

 S家裁からのレターの物々しさ、つっけんどんさとは、えらい違いだ。それに、あちらでは調査官には出会わなかったし、出張制度なんてのも聞かされなかった(人手、運営費の違いか?)。

 裁判所によっても、担当官によっても、調停にしろ裁判にしろ、カラーががらりと違ったりするようだ。

 S地裁での2人の裁判官は、同じ官職、仕事内容だろうか……と訝るほどのカラーの違いがあった。

 最初の傲慢、冷酷、職務怠慢としか思えなかった裁判官は、わたしの自作童話に出て来る異端審問官にうってつけのモデルとはなってくれそうだが、あの人物のせいで、法曹界に対するわたしのイメージはがらりと変わってしまった。

 わたしはF家裁まで出て行くのは負担なので、出張していただけるのならと思い、問い合わせの電話をかけた。

 調査の段階だからかもしれないが、担当の女性調査官から理由を聞かれることもなく、もの柔らかにオーケーということだった。日時は、調整がつき次第、連絡していただけるそうだ。

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惚けたのかしら

 循環器系の薬がなくなってきたので変だと思っていたら、何と行くべき日を8日も過ぎてしまっていた!

 前々からのだぶついたぶんや飲み忘れたぶんがあるので、すぐに足りなくなってしまうということがないだけに、うっかりしていたのだった。

 でも、薬がなくなると致命的なのはこの循環器系の薬だというのに、どうしたことだろう? 惚けたのかしら。

 今から準備していると、午前中には間に合わないかもしれないと思い、クリニックに電話。先生は緊急手術、学会、学童検診などで、急に休診なさることがあるのだ。

 幸い、今日は午後も診察があるらしい。「今日は午前中、すごく多いので、午後からのほうがいいですよ」と看護師さん。

 8日も遅れたなんて……先生は不審の目を向けられるに違いない。下手をすれば、また受診日の間隔が開いちゃうぞ。

 この患者には、うちは必要度が低いらしい……という先生の判断かどうか知らないが、そうなることがこれまでにあった。循環器科の診察が間遠くなるのは不安なので、わたしには罰に感じられる。

 それに、レッドクロスの整形外科で、過形成だといわれていた膝にある凸がおそらく腫瘍に間違いなく、頭蓋骨にある骨腫と同じものといわれたこと、同じレッドクロスの消化器内科で胃カメラと大腸ファイバーを受けたこと、パリエット、ガスモチンを飲み始めたことを報告しておきたいが、違う系列の病院での話を先生は好まれない。

 あー気が重い。

 呼吸器クリニックで湿疹に効くアレルギーの薬(わたしはアレルギー度は極めて低いが)タリオンを飲み始めたことも、報告しておかなくては。

 呼吸器クリニックは先生のお友達の病院だから、先生は嫌な顔はなさらないはず。

 ドクターたちの顔色を窺わざるを得ない患者生活……嫌気がさす。でも、自作童話を仕上げるまでは、しぶとく、柔軟に頑張るぞ。それが、ミューズに対するせめてもの忠誠心のあかしだ。

 2種の胃薬のお陰か、何も食べていないせいかわからないが、胃の調子がいい。

 しかし、インデラル、ヘルベッサー、アイトロール、シグマート。フルタイド、タリオン。パリエット、ガスチモン。薬の飲み過ぎだ。こんなことでは、夫の退職後はやっていけなくなるぞ。

 頭と両膝付近に散らばった骨腫瘍のことが、良性だとしても、棘のように意識に触る。普通は多発しないはずの骨腫が、なぜ多発したのか? こんなケースはまれなことらしく、前に脳神経外科の先生がネット検索で見つけて(翻訳付きで)読んでくださったのは、英文の論文だった。

 このままだと、機能上、美容上の理由により、先で何回かの手術が必要になることは間違いない。

 何だか、この体が嫌になってきたよ。

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2010年5月12日 (水)

消化器内科受診

 胃カメラと大腸ファイバーのあとで、検査室の先生から説明を受けました。

 胃。
 小さなポリープは様子見でよいとのこと。胃炎あり。

 腸。
 憩室あり。腹痛があるとしたら、この憩室が原因ではないかということでした。
 ポリープと紛らわしい赤色の箇所があるそうなので、潜血検査は定期的に受けたほうがよいとのこと。大腸に血管の浮き出た箇所があるそうです。

 が、取り立てて今すぐに処置すべき箇所はないそうです。

 そのあとで、消化器科の医師の診察を受けました。

 吐き気は、やはり逆流性胃炎。これは喘息の原因となることがあるとか。おなかパンパンの原因は、腸の動きの悪いことが原因だとか。

 要するに、外科的処置が必要な箇所はなく、機能の衰えという地味な原因が不快な症状をつくっているのでした。

 パリエット錠10、1日1回、20日分。
 ガスモチン錠5、1日3回、20日分。

 次回の受診は5月31日、10:00~11:00。

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達成感(ちとオーバーかな)

 何度か吐き気がしましたが、予定通り飲み終えました。検査にふさわしい状態になったと思います。もう前からも後ろからも、出るものはおしっこだけ。

 家事があるのですが、動くと催し、身が冷えて寒いので、能率の悪いことといったら! でも、おなかのなかはいつもよりずっと快適です。

 前回、検査自体の苦痛は大したことがなかった記憶があるので(ドクターの腕にもよるみたいですが)、一仕事終えた気分。

 病院が終われば、今日まで休日の娘と中心街で待ち合わせて、散策の予定です。

 大腸ファイバーの説明書に、化粧を落とすようにとあります(用事があるのはお尻なのに、なぜ?)。ノーメイクで行かなきゃならないのね。

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これから試練(?)に突入

 大腸ファイバーのため、8:00より、下剤ニフレックを溶かした2リットルの水を飲み始めます。1回に200ccを10分毎に。

 2回目なので、要領はわかっているのですが、緊張します。

 途中で、口に残るニフレック水の味が耐え難くなり、見るのも嫌になるはず……。

 吐かなきゃいいけどな。吐いたら消化器外来に電話して、指示を仰ぐことになっています。

 今日は胃カメラも同時にやることになっているのですが、渡された何枚かの用紙には胃カメラのことは何も書かれていません。

 前回、大腸ファイバーをやったあとしばらくは、おなかのなかを掃除しきった爽快感を味わったことを覚えています。そんな悦び(?)も待っているんですよ、この検査には。

 いつも飲んでいる薬を最初に飲んでおくようにいわれたので、それからスタート。ではでは。

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2010年5月11日 (火)

帰宅、検査準備、父夫婦と再び

 昼間、帰宅し、夜9時前にうどんで夕食を済ませ、大腸ファイバーの下準備として、水で溶かしたマグコナールとプルセニド2錠を服用したところです。

 明日の8:00-10:00にニフレックを溶かした水2リットルを飲み、13:00に1階内視鏡室へ。

 ニフレックを飲むのがうまくいかない場合(飲めない、吐いた、便が残っている場合)は、早めに連絡するようにとのこと。

 明日のことを思うと憂鬱ですが、夕方にはめでたく終わっているはず。

 高崎山のお猿さんのことは、明日か明後日には書いておきたいです。

 ちょっとだけ書きますと、高崎山のお猿さんには母子手帳があるんですよ! それだけではなく、戸籍もあるんです。

 わたしは母子手帳を見せて貰いました。一匹一匹、顔写真が貼られていました。聴かせていただいた過去の合戦のことなども、書いておきたいと思いました。

 合戦といえば、父夫婦とのことに関して。

 福岡の地裁からレターが届いていました。「推定相続人排除(特定の相続人に相続させることが不適当であるか、あるいは不当と認められる事由のある場合、その相続人の相続権を剥奪する制度)のお申し立てがありました。……」

 帰宅後しばらくして、土地のことをお願いしている不動産さんからお電話があり、「妹さんともお話ししましたが、委任状をお送りします。お父様もお見えになり、土地を売りたいとのことでしたので、Nさんがよろしいようでしたら、お話を進めさせていただきます」とのこと。

 その後に父が起こした調停の件は、聞いていないそうです。「土地の半分がお父様、残る半分がご姉妹のもので、それぞれが処分できるというものではなく、三人で一つの土地ということなのです。そうでないと、売ることはできません」

「父は、自分のものにしてしまいたいようです。うまく事が運ぶでしょうか」とわたし。「理不尽な相手の要求は突っぱねる、それで終わりです。ま、調停の経過を見ながら進めましょう」と、不動産屋さん。

 わたしはまだちゃんと聞いていなかったので、不動産屋さん、司法書士さんのお名前、事務所名、電話番号を控えました

 土地が母名義になっているのは、わたしたち姉妹に最低限の財産を遺してやるための母の工夫でした。その土地は、母が自分の退職金で買ったものでした。

 偶然わたしは、母が土地の相談を昔からお世話になっていた眼科医夫人にする場にいました。

 再婚後、少し頭の変な奥さんにつられて父までおかしくなり(その割には彼らの頭がよくまわるところに、最近わたしは疑問を覚えています)、わたしたち姉妹は彼らからひどいめに遭わされてきました。

 ただ、それ以前から父はわたしたち子供のことを自分の物扱いで、一個の尊厳ある人間として接してはくれませんでした。それがこんな形で出たのだと、わたしは考えるようになりました。

 土地の件は、母の遺志をかけたわたしたち姉妹の戦いです。父夫婦のいいようには、させません。

 戦の前にとりあえず、大腸ファイバーです……!

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おなかが張る

 楽しく過ごしたが、昨日は普段食べない昼食を食べたせいか(それもラーメン)、申し訳なかったが、夕食は半分しか食べられなかった。

 お風呂のあと、アイスクリームを食べたせいか、今度は今朝になっておなかが張る。

 検査で下剤を飲むから、張りも治るだろうけど。

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2010年5月10日 (月)

うみたまご/海とペンギン

海とペンギン

 水に棲む生き物たちを見て、癒された一日でした。高崎山の猿たちも、係のかたから伺ったエピソードと共に、忘れられないものとなりそう。

 晴れていたら、海が綺麗だったと思うので、それだけが残念だったかな。

 明日は息子が11時に発つので、ホテルの近くの別府公園を散歩するくらいかしら。

 帰宅後、わたしは翌日の検査のため、早めの夕飯のうどんを食べ(大腸ファイバーの前日の夕飯は、うどんがいいそうです)、早めに休むことになると思います。

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うみたまご/泳ぐイカ

泳ぐイカ

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うみたまご/アホロートルの赤ちゃん

アホロートルの赤ちゃんちゃん

 ホワイトとアルビノ。

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うみたまご/ピラニア

ピラニア

 赤みがった、おなか。

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うみたまご/アマゾンの住人ピラルク

アマゾンの住人ピラルク

 でかい!

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うみたまご/真剣に泳ぐタチウオ

真剣に泳ぐタチウオ

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うみたまご/ネコザメ

ネコザメ

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うみたまご/幻想的なクラゲの舞

幻想的なクラゲの舞

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うみたまご/一面のイワシ

一面のイワシ

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うみたまご/マダイとコイが一緒に泳いでいる

マダイとコイが一緒に泳いでいる

 海の水と川の水が混じる河口で見られる光景だそうで。

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うみたまご/チンアナゴ

チンアナゴ

 カーディンイール(庭のウナギ)。

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うみたまご/オバQ?

オバQ?

 黄金のナマズ。アルビノです。日田市で見つかったとか。

 高崎山も海たまごも撮影オーケーなのに、デジカメの充電を忘れ、今日はほぼ携帯に頼っています。

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息子が注文したアナゴ丼

息子が注文したアナゴ丼

 うみたまごのレストランにて。天麩羅がここまで器からはみ出した丼物、初めて見ました。

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高崎山自然動物園/感動の高崎山

感動の高崎山

 海たまごのレストランで書いています。

 ちょっとした事件があったり、係の男女から半時間ほども高崎山のお話を伺ったりしました。

 雨の中、あまりメモできなかったので忘れてしまうかもしれませんが、のちほどまた。

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クッキーバッグ

クッキーバッグ

 畳んだら、クッキーになります。娘が買った雑誌の付録です。

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あいにくのお天気

あいにくのお天気

 ホテル白菊に泊まっています。

 海の見える某温泉旅館とどちらにしようかと迷ったのですが、中居さんに気を遣わずに済みそうなホテルにしました。

 ご覧のように山手の街中にあり、眺めがよいとはいえないのですが、気を遣わずに済む、さり気ないサービスが行き届いていて、満足です。

 お部屋の担当は若い爽やかな感じの青年で、説明のときにとちっては顔を赤くして「申し訳ありません」という感じが可愛らしくて、思わず「可愛いらしい」などといってしまい、そしたらまた顔を赤らめる姿が可愛らしい……(からかって、すみません)。

 そのあと、子供たちに、あの人可愛いわねといったら「俺も小さい頃はあんな爽やか系になるかと思ったんだけどな」と息子。

 ホント、そうならなかったわね。わたしは、息子がジャニーズ系になるかと想像していたのですが、男の子って、変わりますね。

 まあ、あんなにフニャフニャしていたのが、風雪にもめげないタイプになってくれて、親としては(それほど)不満ではありません。相変わらず、ストレスは湿疹という形で出るようですけれど。

 温泉は、楠湯殿と菊湯殿を男女日替わりで使用できるようになっています。

 わたしと娘は昨晩、菊湯殿を楽しみました。何となく古い水族館を連想させるところが面白くて、庭に作られたようなお風呂やブクブク泡が出るお風呂などを、魚になった気分で浸かりながら移動しました。

 今朝は、あいにくのお天気で、小雨が降っています。

 昨年の旅行はハードスケジュールを組んでしまったので、今回はゆったりスケジュール。

 お昼過ぎに、高崎山と海たまごに行く予定。

 息子は日頃独身寮の狭い一人部屋で窮屈みたいなので、広い部屋でゆっくりしたいみたいです(この部屋は広いタイプ)。わたしと娘にとっては、ここはいつでも来られる近場です。

 今は、皆でゲゲゲを観ています。その前に、体が硬くなった息子に、昔バレー部で教わったストレッチをしてやりました。すっかり硬くなっていて、いけません。わたしは昔から家族に時々、これをしてやります。

 気持ちいいみたいで好評ですが、最近、夫にしてやっていないなあ。

 家族にストレッチしているときは、わたし、なんで病気なんかしているんだろう、と不思議になります。

 さて、ストレッチも済んだことだし、朝食のバイクングに行ってきまーす。少しおなかを壊しているので、控えめに。

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2010年5月 9日 (日)

薬容器にぴったり〜!

薬容器にぴったり〜!

 病人にとって、旅行にも欠かせないのが薬。

 ピルケースはアルミ包装から出さないと入らないのがほとんどなので、これまでは小さなサイズのチャック付ポリ袋に入れるか、直にポーチとかバッグの内ポケットに入れるかでしたが、何かまとまりにくく、出しにくいという感じで不満でした。

 それが……キッチンコーナーで、いいものを見つけました。満足!

 娘の帰宅を待って、別府へ。エルモも勿論、一緒ですよ。

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娘が贈ってくれたペンダント

201005090036000

 かるばんくらいん。

 ステンレス製なので、洗えるそうです。ペンダントって肌に触れるので、案外汚れるんですよね。

 娘からの誕生日のプレゼントなのですが、もったいなくて、仕舞い込んでいました。シャープでありながら、まるっこいせいか、なんか可愛いんですよ。旅行につけていきます。 

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帰宅後の宿題

 夕方から別府に出かけて2泊し、11日に戻る予定。

 帰宅後の宿題が3つ。父夫婦のこと。すんなりいくとは思っていなかったけれど、やっぱりね〔カテゴリー:父の問題、参照〕。

 こんな思いをしているのはわたしたち姉妹だけではないようで、当ブログに認知症や統合失調症の患者から訴えを起こされて困っている……というような検索ワードでお見えになるかたがちらほらある。

 普通に生活のできる頭のおかしな人間からかけられる迷惑に対しては、なすすべがない。

 妹のところに福岡の家裁から通知が来たとのことで、電話があったのだが、わたしにはまだだ。今日くらいには来るのではないだろうか。お蔭で、楽しい旅行になりそう。

 わたしは、父が資料として自ら給与額や年金額を公開するまでは、父が小金持ちだということさえ知らないお馬鹿だった。離れてばかり暮した船員の父に親しみは持てなかったけれど、娘として自分にできるだけのことはしたいと思っていた。

 父の再婚後に、何もかも狂ってしまった。勝手に実家を叩き壊して住所も告げずに移転した揚句には、固定資産税はお前たちが払え、と父はいってきた。しかし、いいたいことはそれだけではないらしい。

 古いピアノも、家と一緒に叩き壊されてしまったのだろうか……ときどき、あのピアノを弾く夢を見る。

 いずれ、わたしは妹と、父夫婦を訴え、かけられた迷惑の損害賠償の請求だけではなく、母の遺骨を引きとることを含めた、わたしたち姉妹の権利を主張したいと思っている。先を越されてしまった。3度目か……。なにせ、あちらは資金が潤沢だから、何度でも起こせるのだろうが。

 海の見えるマンションでふたり楽しく暮せばいいのに、父夫婦にとってみれば小さなお金のことで、貧乏なわたしたちに難題をふっかけることにあたら貴重な時間を費やしている。

 以上、父のことが一つ目の宿題。二つ目は検査で、大腸ファイバーと胃カメラだが、これは一気にやってくださるそうだから、12日だけで終わる。

 三つ目は自作童話『不思議な接着剤』。少し、仕事のピッチをあげたい。 

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2010年5月 8日 (土)

Notes:不思議な接着剤 #54 ヨセフスの『ユダヤ戦記』『ユダヤ古代誌』

Notes:不思議な接着剤は、執筆中の自作の児童文学作品『不思議な接着剤』のための創作ノート。

#54
2010/5/8(Sat) ヨセフスの『ユダヤ戦記』『ユダヤ古代誌』

フラウィウス ヨセフス
筑摩書房
発売日:2002-02

 新たに資料として選んだヨセフスの『ユダヤ戦記』『ユダヤ古代誌』。本格的な読書は旅行後になるが、目が覚めてしまった夜中に、気になるところをざっとチェックしていた。以下はそのノート。

 ユダヤの宗教哲学といっても、エッセネ派、パリサイ派、サドカイ派では全く違うではないか!

 イエスはエッセネ派と関係があったといわれるが、なるほど、教団の規律面などはキリスト教とそっくりだ。殉教の仕方まで!

 クレオパトラの戦略のことなど、拾い読みし出だしたら、とまらなくなる。

 何だか、通信社からのニュースを読んでいるような感じだ。

 ヨセフスはユダヤ戦争時の指揮官で、37年から100年頃の人だが、感覚が今の人みたいで当惑するくらい。

 モーセが物語った創世記の紹介から始まる『ユダヤ古代誌』(秦剛平訳)。ヨセフスはモーセについて、以下のように書いている。

 もちろん〔わたしたちの〕律法制定者は、ある種のことは懸命にも謎に伏せたままにしておいたし、またある種のことは荘重な寓意物語で説明を与えた。しかし彼が、率直平明に語るべきだと考えたときには、その語ったことの意味内容は、事理まことに明白であった。
 ところで〔わたしたちの教義の〕仔細を〔さらに深く〕知ろうとする方に〔答えるためには〕、〔より〕高度な哲学的考察が必要だが、〔それは〕先の仕事にしておきたい。

 何と、まともな感覚!

 『ユダヤ戦記』の訳者はしがきに「西洋のキリスト教の歴史は『聖書』ばかりか『ヨセフスの著作』の誤用と濫用の歴史であったと考えられる」とあるが、同感。

 自作童話『不思議な接着剤』を考えていたときに、洞窟に囚われた乙女とヨーロッパ中世風の町が頭に浮かんだ。

 その乙女の顔を見たいばかりに、異端カタリ派→グノーシス→原始キリスト教→マグダラのマリアと辿った。

 マグダラのマリアについてもっと知りたいばかりに、迷い込んだ森のさらなる深みへわたしは行こうとしている。

 旅行後に、とりあえず、子供たちを洞窟に入れよう。

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ニュースを見まいとしている最近の自分……これではいけないのだが!

 以下は、2010年5月7日付・朝日新聞からの抜粋。

(政権交代前の)当時、海兵隊の存在そのものを取り上げれば、必ずしも抑止力として沖縄に存在しなければならない理由にはならないと思っていた。ただ、学べば学ぶにつけて、沖縄に存在している米軍全体の中での海兵隊の役割を考えたとき、それがすべて連携をしている、その中で抑止力が維持できるという思いに至った。それを浅かったと言われればその通りかもしれないが、トータルとしての連携の中での重要性を考えたときに、すべてを県外あるいは国外に出すという結論には、私の中でならなかったということだ(4日夕、沖縄県名護市で記者団に)

 寝ぼけていたか、首相になったとたんに頭がいかれたか、と思いたくなるが、何て恐い発言だろう……今頃、こんなことをいうなんて。学生気分を善しとしている風なところがまた恐い。

 馬鹿殿を戴いている国であったとしても、ブレーンがしっかりしていれば何とかなるものかもしれないが、ブレーンもひどいとなると、この国はこの先、どうなるのだろう。

 ところで、昨年の8月31日にわたしはタロットで、以下のことを占った(あくまで素人のお遊びとして)。
 ⇒http://elder.tea-nifty.com/blog/2009/08/post-8dce.html

1. 民主政治によって、わが家の家計に何がもたらされるか?
2. 民主党の政治はどんなものになるか?
3. 自民党は今後どうなるか?

 その占いの中で、民主党の近い未来の位置には、およそ一国の政党にふさわしからぬペンタクルスの8という職業訓練に励む若者の絵柄のカードが出た。また最終結果の位置には、ペンタクルスの5という端的に貧困を表すカードが出てしまった。
 ⇒⇒http://elder.tea-nifty.com/blog/2009/09/post-c2d6.html

 どうか、ギリシャが明日のわが国となりませんように!

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昨日の夕飯(土井善晴先生『切り身を煮つける』、『きゅうりもみの酢のもの』)

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 かれいの切り身を煮つけましたが、「週刊 土井善晴のわが家で和食 改訂版No.3」
(デアゴスティーニ・ジャパン)に〈切り身を煮つける〉とあって、材料が書かれていましたので、ご紹介します。ここでは金目鯛が使われていますが、わたしはかれいに応用してばっちりの美味しさでした。

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☆切り身を煮つける

金目鯛の煮つけ
[材料・4人分]

  • 金目鯛の切り身4切れ
  • 煮汁
    水1カップ
    酒1/3カップ
    しょうゆ大さじ3
    砂糖・みりん各大さじ2

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 酢の物。これも土井善晴先生のレシピで、酢の物を美味しく作る秘訣が「週刊 土井善晴のわが家で和食 改訂版No.6」の『きゅうりもみの酢の物』に書かれていますので、ご紹介します。

 ところで、わたしは以前から同じ作りかたをしていたので、共感を覚えたのですが、わたしの料理は母の真似。母は土井善晴先生のお父さま、土井勝先生の料理の番組や本から多くを学んでいました。なるほど……と納得。土井勝先生の料理番組を当時は母と一緒に何となく観ていましたが、幸せが薫ってくるような番組だったことを記憶しています。

 『きゅうりもみの酢の物』を、前掲の雑誌からご紹介します。

[材料・4人分]
きゅうり2本,わかめ(もどしたもの)60g,ちりめんじゃこ20g,
あえ酢《米酢大さじ4,砂糖大さじ1,塩小さじ1,塩小さじ1弱》.

[作り方]

  1. きゅうりは薄い小口切りにし、塩をふってしばらくおく。わかめは水けを絞り、食べやすく切る。
  2. きゅうりに塩がなじんでしんなりしたら全体を軽くもみ、ガーゼにとって水けを絞る。
  3. ボウルにきゅうり、わかめ、ちりめんじゃこを入れてラップし、冷蔵庫で冷やす。食べる直前にあえ酢を加えてあえる。

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 ネットで、サイト「350日の節約生活」で閲覧させていただいた『れんこんカレーマヨ』http://www.350days.com/archives/004117.php 。マヨネーズ、カレー粉、ごまが、れんこんと協奏曲を奏でているような味わいでした! 

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ちょうど4時ごろ

ちょうど4時ごろ

 昨日は夕飯を軽くすませたが(しっかり作ったが、わたしには少なくよそった)、何と嬉しい悲鳴を上げたことには、夜になってドーナツを沢山頂戴した。

 おなかが本調子になろうとしていたというのに、わたしも食べてしまった。

 夜中に目覚め、吐き気。いつものカラ吐き気。前の記事をアップしたりしたが、眠れなくなり、しだいに喉の詰まった感じがひどくなった。

 で、ニトロを使用。胸から腹部にかけて楽になり、喉もよくなってきた。

 原因が心臓か腹部かがはっきりわかるときもあるが、これははっきりしなかった。

 ニトロで楽になったことは確かだが、わかりにくい。昨日もそうだった。吐き気は胃に原因があると考えているけれど……。

 眠れぬまま、創作資料のうちのヨセフス著『ユダヤ戦記』『ユダヤ古代誌』の気になるところをチェックしていた。

 気分はかなりよくなったが、今度は面白くて眠れそうにない。

 喉の詰まりと胸の苦しさは、綺麗になくなった。このところの体調の悪さには、腹部だけでなく、心臓が絡んでいたのだろうか。もしかしたら、心臓のほうが第一原因……? ニトロでこんなに楽になるなんて。わかりにくい体だなあ、いい加減にしてくれよ。あーあ、朝になっちゃった。

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ミニ付箋紙〜!

ミニ付箋紙〜!

 かわゆいミニ付箋紙を見ると、ほしくなります。

 わたしは資料に使う本などによく付箋紙を使いますが、どうかすると本が付箋紙だらけになって、どこが大事なんだかわからなくなったりします。

 別府行き後は、また性根据えて童話の執筆と資料調べにかからなくてはなりません。

 付箋紙にも、頑張って貰います。

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2010年5月 7日 (金)

おなかがちょっと(>_<)

 タラコスパゲティは、本調子ではないわたしのおなかには早すぎたみたいだ。おなかから胸にかけて張って、眠れない。心臓と紛らわしい。9・10と子供たちと別府に遊びに行くので、早く治しておきたいのだけれど。

 息子は昨日の午後に東京を発ち、今日は大学に寄り、そのあと神戸に行って友人たち6人とわいわいホテルに泊まるそうだ。

 大学からマスター時代にかけての友人たちで、最初は四国の製薬会社の研究所に勤める友人と2人で会うつもりが、話が広がった……と息子は楽しそうだった。名古屋からも来るそうだ。

 9日は大分の日田市へ。やはり友人と会うため。ついでに家族にも会っておこう、という気になったらしい。

 今日は食事に気をつけよう。タラコスパゲティくらい、心置きなく食べられるようになりたいなあ。

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昨日の夕飯

昨日の夕飯

 タラコスパゲティ。

 かかっているのは、刻み海苔です。いつもはかけてしまうのですが、万能ねぎ、大葉とレモンを小皿に。各人が好みでかけられるように。

 まあ皆、どれもかけてしまうのがわかっているので、単にわたしの気分です。

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2010年5月 6日 (木)

アメリカンな『アリス・イン・ワンダーランド』とルイス・キャロルの世界

『アリス・イン・ ワンダーランド』
原題:ALICE IN WONDERLAND
監督:ティム・バートン
出演:ミア・ワシコウスカ、ジョニー・デップ、ヘレナ・ボナム=カーター、アン・ハサウェイ
2010年/アメリカ/1時間49分/翻訳:石田泰子/配給:ウォルト・ディズニー・スタジオ・ジャパン

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

 かなり時間が経ってしまったが、せっかく観に行ったのだから、書いておこう。

 以下、ネタバレ注意。

 映画『アリス・イン・ワンダーランド』は、ルイス・キャロル原作の『不思議の国のアリス』と続編『鏡の国のアリス』を下敷きに、19歳になったアリスの冒険譚として制作された。

 19歳のアリスは結婚をさせられそうになっているが、身辺には結婚に対する幻滅をそそる人物がひしめいていて、まさに結婚は人生の墓場と想わせる。

 ガーデンパーティーの沢山の出席者たちが見守る舞台で正式に求婚されたアリスは、うさぎを目にし、跡を追って穴に落ちてしまう。

 落ちた先は、昔来たことのあるワンダーランドならぬアンダーランド。アリスはそのことをなかなか思い出せず、アンダーランドの住人たちもアリスがアリスであることを否定しようとするが、その中でマッドハッターという頭に狂いを生じがちな帽子屋だけはアリスがアリスであることを疑わない。

 アンダーランドは残忍な赤の女王の統治下にあり、暗黒時代が続いていた。アリスは自身が預言書に描かれた救世主で、赤の女王の最終兵器――怪物――ジャバウォッキーを倒すという役割を思い出さなくてはならないのだった。

 紆余曲折あるものの、最終的に戦いに勝利したアリスは白い女王が新たに君臨する世界に別れを告げ、元いた世界に戻ると、一同に結婚しないことを宣言する。そして実業家となり、中国貿易に乗り出すところで映画は終わる。 

 マッドハッターを演じたデップ様は、目が異様に大きかった。彼は目が素敵なのに、特殊加工を施されている風で、がっかりだった。役柄としては、原作における、帽子屋と、ルイス・キャロルが自身を投影したともいわれる憂愁の――馬から落ちてばかりいる――白の騎士とが、合わさったかたち。

 デップ様は異様な容姿の割りには影が薄かったが、やはり彼がいるといないとでは雰囲気が違うと思う。彼が登場すると、ダークな雰囲気のあるアンダーランドにぽっと灯がともる。

 白の女王を演じたアン・ハサウェイも、真っ白のメイクを施されて、デップ様の歩きかたを横どりしたかのようなコミカルな歩きかたをしてみせ、何というか、清楚な邪気ともいうべきものを漂わせて秀逸だった。この役柄に該当する人物は原作にはいない。原作にも白の女王は出てくるが、アン・ハサウェイ演ずる白の女王とはあまりにも違う。あんな個性はない。

 しかし、何といっても圧巻だったのは赤の女王だった。原作のハートの女王と赤の女王を合わせたかたちだが、映画では生臭みのある悪漢として描かれる。

 醜い女の悲哀を撒き散らす赤の女王は、幼児のような体型をし、頭がハートのかたちに膨れ上がった異形の人物で、彼女はそのことをコンプレックスに思っている。凄い特殊加工だ……。

 恋愛に飢えている彼女はハートのジャックに何ともいえない媚を振り、ときに無邪気でユーモラス。しかし大抵のときは冷酷そのものだ。死刑宣告が趣味であるかのよう。

 あの滋味は、若い女性には出せないものだろう。演ずるはヘレナ・ボナム=カーター。女の欲望、虚勢、脆さ、切なさといったものがあらわに表現されていて、いたたまれなかった。彼女の頭をハート型に膨れ上がらせているものは、何だろう?

 アリスは、赤の女王の最強の家来ジャバウォッキーを倒したことで、赤の女王の権力を手に入れて地上に戻ったといえないこともない。

 2冊のアリスが書かれたのは、ヴィクトリア女王が君臨した大英帝国時代で、イギリスは世界中に植民地を持っていた。アリスの物語には、当時のイギリス社会に対する風刺が込められているといわれる。  

 そう考えると、如何にもアメリカンなサクセス・ストーリーに仕上がった映画『アリス・イン・ワンダーランド』と、随所に風刺を潜ませながらも、言葉遊びを基調とするナンセンスに徹した原作の世界とでは、乖離が大きすぎるといわねばならない。

  ただ、映画の白の女王が女神風ではなく、美しさのなかに邪気を潜ませている感じがあるのは、ゲームがもととなっている世界に本当の善悪は存在しないという解釈によるものなのか、何かの批判が込められているのかと深読みしたくなる。

 ところで、原作のアリスは何歳に設定されているのだろう? 『鏡の国のアリス』(脇明子訳、岩波少年文庫、2000年)のなかに、アリスがハンプティ・ダンプティとのやりとりのなかで、自分の年齢を「七つと六か月」と答える場面がある。

 わたしは昔読んだとき、アリスの物語を少しも面白いとは思わなかった。「わたしを飲んで」と書かれた壜の飲み物を飲んで小さくなり、「わたしを食べて」と書かれたケーキを食べて大きくなったかと思うと、うさぎの落とした扇子を手にしたとたんにまた縮み、揚句の果ては自分が出した涙の池に溺れてしまって、ネズミと泳ぐ羽目になる……なんてオゾマシイのだろうと思った。

 そして、次にわたしの記憶に残ったことといえば、「こやつの首をはねろ!」「そやつの首をはねろ!」というハートの女王の残忍さだった。

 すっかりアリスが嫌いになってしまったのだが、出会った男はアリスフェチ。アリスの物語の研究書の類を持っていて、原作のジョン・テニエルの挿絵に魅せられた話も聞かされた。今回の映画の封切りに伴い、あちこちの出版社から『不思議の国のアリス』『鏡の国のアリス』が出たようだが、ジョン・テニエルの挿絵が使われているものも多い。 

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 わたしは彼のアリスフェチについていけないながらも、写真集『沢渡朔 少女アリス』(河出書房新社、1973年)を見せて貰ったりもした。美しい撮りかたとはいえ、ヌードに近いものもあって、わたしのアリス嫌いには気持ちの悪さが加わってしまった。 

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 上は写真集の表紙の一部。ご覧のように、可愛らしく、謎めいた、しかし何処かしらに虐待の影でもありそうなアリスのイメージが、わたしのなかで定着してしまった。

 わたしはアリスフェチの男と結ばれ、地下の世界で暮し続けているのかもしれない。いや、これは、いわずもがなのぼやきだった。

 ところで、映画では処刑の――間一髪の――場面が生々しく登場する。わたしがアリス嫌いになった一番の原因はそれだった。それで、原作ではどうだったのだろうと思い、岩波文庫から出ているアリスの物語2冊を再読してみたのだった。

 『不思議の国のアリス』はトランプ、『鏡の国のアリス』はチェスがモチーフとなっている。

 ゲームが物語にうまく溶け込んでいるとはいえず、ごつごつとした不自然さがある一方では、アリスは子供らしさに満ちている。子供はよくひとり遊びをしながら、ひとりごとをつぶやいたりするものだが、アリスのひとりごとは半端ではない。そして、子供の持つ好奇心と理屈っぽさがそのまま描かれている。

 邦訳するには難しそうな言葉遊び、イギリスの文化に詳しくないとわからない比喩が盛り沢山で、なるほど、昔読んでちっとも面白く感じなかった理由がわかったと思った。しかしながら、大人になった今読むと、深読みもできそうな知的な遊戯がいっぱいのアリスの物語に魅せられた。登場するものたちも、何て生き生きと描かれていることか。

 そしてわたしは、当時は見落としていた決定的な文章をこの年にしてようやく見つけた。以下に抜粋。

「何が笑わせるの?」と、アリスは言いました。
「あいつに決まってらあ」とグリフォンが言いました。「ぜーんぶ思いこみばっかしさ、あいつは。処刑なんざ、まるっきしやったためしはねえんだ、来な!」

 何と、この切り札ともいえる――わたしにとっては珠玉の意味を持つ――グリフォンの言葉を、わたしは長いこと見落としたままだったのだ。

 つまりルイス・キャロルのアリスの世界では、死刑なんか、実際に行われたためしはないのだとグリフォンはいったのだ。ええっ、そうだったの? 知らなかった、52歳になるまで!

 それこそルイス・キャロルの美しき夢である。正真正銘のファンタジーであるゆえんの文章。

 今、『不思議の国のアリス』を通して読んでいくと、必ずしもこのグリフォンのセリフがなくとも、子供たちのごっこ遊びに似た世界の雰囲気から、「こやつの首をはねろ!」「そやつの首をはねろ!」というのがハートの女王の口癖にすぎないことはわかるのだが、昔読んだときはわからなかった。『鏡の国のアリス』の終局部で、赤い女王が愛するペットの猫に変容していくくだりも、とてもいい。

 アリスの物語は案外難解、不親切な作品で、大人向きの作品といえそうな気がする。ルイスを世に出すことに一役買ったジョージ・マクドナルドは、わたしが最も好きな児童文学作家なのだが、今回アリスを再読してみて初めて、2人の仲がよかったことに納得がいった。

 いろいろと書いたが、原作の味わいと映画の楽しさは別物で、この『アリス・イン・ワンダーランド』はおすすめ。ただ、『アバター』と違い、3Dで観る必要はないと思う。

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昨日の夕飯

昨日の夕飯

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2010年5月 5日 (水)

こどもの日の思い出

 今日はこどもの日。

 子供たちが小さかった頃、流通業の夫は出勤ですので、わたしが子供たちを連れて人混みに揉まれながら行楽地に出かけたりした記憶があります。

 でも、当時からわたしは病気でしたし、専業主婦とあって、わが家は慢性的な金欠病。お金や気力がないときは、奥の手を出し、図書館に連れて行きました。

 いえ、こどもの日に限らず、わたしの奥の手はいつも図書館でした。図書館には本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

 その頃は福岡県に住んでいました。家から某市立図書館まで、子供の足ではかなりの距離がありましたが、人通りの少ないよきプロムナードという感じの道が続いていました。植物や虫との触れ合いがほどよくできたのは、あの図書館までの道でした。

 ピクニック感覚で、お弁当、水筒、お菓子を持って行きましたが、お弁当を作りそびれたときは途中にあった小僧寿しで買いました。図書館の敷地内に小さな公園があり、そこでお昼にしました。そのあと、しばらくはその公園で遊び、いよいよ……という盛り上がりのなかで図書館に入りました。

 そうやって、日が暮れるまで図書館で過ごしたものでした。

 帰途にはとって置きの楽しみがありました。肉まんやアイスクリームを売っているお店で、何かしら買うのです。このときばかりは、歩きながらの飲食を許可しました。

 寒い日に落葉を踏む音をさせながら肉まんを頬張ったり、暑い日にアイスキャンデーを齧りながら、子供たちと歩いた思い出が琥珀色に輝いています。よく3人で手をつないで、大きな声で歌ったりもしましたっけ。

 出てきたばかりの図書館の閑静で知的な雰囲気が余韻のように残るなか、夕陽が沈む頃の帰途の美しさは神秘的に思えるくらいでした。 

 子供たちが小さかった頃、大した旅行もさせてやれなかったなあ……と心残りがありましたが、息子が「図書館までの距離って、すごくあったよね。子供の足で、よく歩いたと思うよ。でも、あの図書館行きは、本当に楽しかった。子供の頃の一番楽しい思い出として、残っているよ」といってくれたことがあり、ああよかったと思いました。

鯉のぼり挑むがごとく泳ぎをり

その頃につくった俳句『子供たち』はこちら
    ⇒http://elder.tea-nifty.com/blog/2006/06/post_5a3c.html

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昨日の夕飯

昨日の夕飯

 若草色のエミール・アンリにのっているのは、キッコーマンの「ホームクッキング」で閲覧してから何度か作っている『さわらのソテー シノワ風』です。

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 黒酢を生かした素敵なレシピですよ。レシピでは、さわらにスナップえんどうが組み合わされていますが、わたしは家にあったいんげんで。

 春雨の炒めものに入れるはずだった舞茸……スタンバイしてくれていたのに、入れ損ないました。

 使うはずだった豆腐も、春雨料理でボリュームが出て、昨日は出番なしでした。どちらも、今日は使わなくっちゃ。

 おかしくなったわたしのお腹の調子も、家で作ったものを控え目に食べていると戻ってきます(写真は娘のお皿)。

 家族の休日に、一緒になってあれこれ食べちゃうのがいけないんだな―!

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2010年5月 3日 (月)

おまけ

おまけ

 前の記事を書いている最中に、胸痛で久しぶりにニトロペン舌下。

 大したことないけどさ、冴えませんね、連休に。

 まあわたしの本番は連休後だから、それまでにコンディションを調えりゃいいわけです。

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油断したら…

 まあまあになっていた胃腸の調子。で、夫の買ってきてくれたポテトを食べたら、数時間後に吐き気が。

 油断がいけなかった! パリエット、最初ほど効いてくれない。

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中村紘子のピアノ・リサイタルで、フジ子・ヘミングを想う

 先月10日の中村紘子のピアノ・リサイタルから日が経ってしまったが、若干メモがあるので、過去記事と合わせて書いておくことにした。

 以下は、プログラム。1961年12月、東京文化会館での初リサイタルの再現プログラムとのこと。

  • スカルラッティ[タウジヒ編]
    パストラーとカプリス
  • ヘートーヴェン
    ピアノ・ソナタ第8番ハ短調「悲愴」Op.13(※作品13番の意)
  • シューマン
    謝肉祭Op.9
  • フォーレ
    ワルツ・カプリース第1番Op.30
  • ラフマニノフ
    10の前奏曲Op.23より〈変ホ長調〉Op.23-6、〈ト短調〉Op.23-5
  • ショパン
    バラード第1番ト短調 Op.23
    12の練習曲Op.10より第5番 変ト長調「黒鍵」、第12番ハ短調「革命」
    ポロネーズ変イ長調Op.53「英雄」

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 アンコール曲は以下。

  • ドビュッシー
    月の光
  • ラフマニノフ
  • ショパン
    ワルツ第2番
  • グラナトス
    アンダルーサ
  • ブラームス
    ハンガリー舞曲第1番

 光沢のある白地に、黒いラインと黒い花の模様の入ったドレス姿で紘子さん、登場。背中から、床に引き摺る長いリボンが垂れている。時折、宝石がきらめく。テレビで観る通りの華やかさで心が浮き立った。夫の双眼鏡を借りて行ったので、表情までよく見える。引き締まった顔つき。

 昔、教育テレビの『ピアノのおけいこ』をよく観ていた。エッセーも好きで、考えかた、感じかたに共感を覚えてきた。それで、かなりの期待と共に、耳を傾けたのだった。

 なめらかで上質、均整がとれているという当初の印象。要所で確認をとるかのように小さく頷く癖もお馴染のもので、楽しい。

 しかし、この時点から既にわたしはフジ子・へミングの演奏と比べていて、「フジ子のように、何が出て来るかわからない面白さはない」などとメモっている。

 劇的な曲になると、紘子さんとフジ子の違いが歴然としてくる。

 フジ子に比べて、表現が表面的で、曲想を掴みえていないのではないかと感じさせるが、紘子さんのエッセーなどからして頭でわかっていないとは思えないため、これは体験から滲み出るものの違いとしか思えなかった。テレビのコマーシャルで観ているほうがよかった、とまで思う。 

 後半近くから、わたしはもうフジ子のことしか考えていなかったので、メモにはフジ子のことしか書いていない。紘子さんには失礼な話だけれど、こんな事態は自分でも予想外だったのだ。

 あれは英雄だった――妙に紘子さんの演奏がガンガン乱暴に聴こえたのは。帰宅後に、同じ曲をCDで聴いたフジ子のほうは、重苦しかった。

 このことから、両奏者のタッチの質の違いと、彼女たちがいずれも楽譜に忠実な弾きかたをしていることが推測できた。

 楽譜に、強いタッチをするようにとの指示が連続して下されているに違いない。

 指が太くて重厚な音を出せるフジ子は重くなりすぎ、軽い音になりがちな紘子さんのほうはガンガンうるさく聴こえたのだった(声量の乏しい歌手が声を張り上げているような感じ)。

 紘子さんの場合、模範的な弾きかたという印象で、ピアノのレッスンの域を出ない。強いていえばサロン芸術という感じの演奏……。

 そうした見方からすると、フジ子のピアノは――服装までもがそうだが――ジプシー的、野生的。大自然と人間社会の香りがし、双方に対する並外れた理解力と彼女独自の哲学を感じさせる。また純然たる霊性の美の輝きわたる瞬間がある。フジ子の演奏には天から地までが含まれるのだ。バルザックの文学がそうであったように。

 フジ子のよさが改めてわかった、中村紘子のピアノリサイタルだった。

 芸術家とは、分野は違っても哲学家、そして神秘家でもあるのだ――と改めて、わたしは思った。そうでないピアニストは、職業としてピアノを選んだ職人にすぎない。職人的ピアニストが大勢を占めるなかで、フジ子はやはり芸術家としてのピアニストなのだ。

 風雪に耐えて弾いて来たフジ子。それは決して無駄ではなかった。叩き込まれた古き佳きヨーロッパのピアニズムが、彼女の感じかた、考え、思想を濾過し、純度の高いものにしている。

 そして、また、若い頃のフジ子の失敗――デビューコンサート前日に聴力を失い、当日の失敗を招くという彼女の苦い経験――は、偶然ではなかったのだと思った。

 彼女はプロにしてはミスをしがちだ。大ステージでの経験が不足していることが原因だろうか、と考えていたが、中村紘子と比較してみて、そうではないとはっきりとわかった。

 フジ子は神経が細すぎるのだ。若いとき、彼女はプレッシャーに勝てなかったのだ。それで、デビューの大舞台をふいにしてしまった。

 彼女はミスをすると、混乱状態となってミスを重ねたり、投げたような感じになることがある。そのナイーヴは生まれつきのもので、彼女の芸術家としての感性を研ぎ澄ませてきた反面、諸刃の剣となって、彼女自身を傷つけてきたのに違いない。

 彼女の求道性は、そんな切迫した感性のありかたがもたらした面もあるのかもしれない。一個の芸術家は、不思議な生まれかたをするものだと思う。彼女の遅いデビューは、多分悪魔がもたらした悪戯などではなく、必然だった……! 

 革命。フジ子の演奏では、左手がもっと重く、うねるように持続的に響いた。激動の革命の内部構造が見え、民衆の息遣いが聴こえてくるようだった。

 フジ子はペダルの使いかたが絶妙だと感じたが、それはドビュッシーのような抽象性の高い曲では、ひときわ生きていた。紘子さんのドビュッシーは味気ない。

 紘子さんがアンコールで弾いたラフマニノフの鐘(真央ちゃんが滑った曲)を、フジ子で聴いてみたいと思った。

 ただ、紘子さんは楽譜通りに狂いのない弾きかたができ、音に色がないだけに、平均的なオーケストラには合わせやすいのではないだろうか。フジ子は過度に敏感でミスする頻度も高いから、よほど熟練した、フジ子の芸術性を理解できるオケでないと、うまくいかないだろう。

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嬉しいクエン酸パワー

嬉しいクエン酸パワー

 水垢がよく落ちるので、思わずニッコリ。

 古い賃貸マンション、懸命に掃除しても長年の水垢は落ちにくい……と思っていましたが、クエン酸で結構きれいになるので、驚きました。新しくついた水垢であれば、たちまちきれいになります。

 テレビ番組で知ったのですが、もっと早く知っていたらなあ、と思いました。

 スプレー容器に粉を少し入れ、水を注いで使っています。

 お値段も安いクエン酸の嬉しいパワー!←何だかクエン酸のメーカーの回し者みたいですね。

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昨日の夕飯(冷凍ししゃもを焼く)

昨日の夕飯

 冷凍ししゃもは、フライパンにクッキングシートを敷いた上に並べて弱火から中火で焼き、脂が出てきたらひっくり返して焼くようにすると、崩れずに仕上がりますね。

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2010年5月 2日 (日)

昨日の夕飯

昨日の夕飯

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2010年5月 1日 (土)

シネマ『パリ・オペラ座のすべて』を観て~芸術に関する国家的制度の違いに目から鱗

『パリ・オペラ座のすべて』
監督:フレデリック・ワイズマン
出演:パリ・オペラ座エトワール他ダンサーたち、ブリジット・ルフェーブル、パリ・オペラ座職員
2009年/フランス・アメリカ/160分/翻訳:古田由紀子/配給:ショウゲート

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

 最終日だったためもあってか、いつもは少ない館内が最前列を除いて、ほぼ埋まっていた。中年女性が大半だった。

 事前にネット閲覧した『パリ・オペラ座のすべて』のレビューでは眠くなるとの感想が多かったが、娘も途中、上半身が大きく右に傾いでいた。

 元々、モダン・バレエというものがぴんと来ない、と娘。わたしも、『パリ・オペラ座のすべて』というドキュメンタリーに断片的に挿入されていたパリ・オペラ座の演目の中では、クラシック・バレエの演目のほうが優雅さという点で、好みに合う。

 ナレーションが一切ないので、わかりにくかった。

 あれは何というモダン・バレエの演目だったのか――薄い黒衣を纏った狂乱の女が、男の子と女の子にバケツの赤い液体を両手でなすりつけて、血で染まったようになった子供たちは空のバケツをそれぞれ頭から被せられて横たわるという怖い場面があった。

 子殺しの場面なのだろうが、表現が直接的すぎてわたしはしらけ、掃除が――まさか赤い液体はペンキではないだろうが――大変だろうな、とか余計なことばかりに気が散った。

 パリ・オペラ座の舞台裏は、想像以上に地味で淡々としていた。

 建物は相当に古い。衣装作りの工房は狭くて、昔ながらの手作業といった感じだ。被り物が沢山あって、『くるみ割り人形』に使われるのだろう、リアルなネズミの頭部が作られていた。

 メイク、ライト、掃除の作業員に至るまで、カメラが向けられる。食堂も狭い。バイキング形式にトレーが並べられ、ほしいものをいって、とって貰う。クスクスが人気だった。屋上で養蜂が行われていたのは、あれは何だろう? 時折映し出されるパリの景観。生々しい、ちょっと窶れた中年女性のように見えるパリ。

 芸術監督ブリジットはそんなパリが乗り移ったかのような風貌の考え深そうな、かつ、さっぱりとした印象の中年女性で、熟練したものを感じさせ、さすがに意識が高そうだった。

 頻繁に行われているらしいスタッフのミーティングで彼女は、古典的な演目も大事にしていきたいというようなことを主張し、バレエ学校としての意義を説いていた。初めて大役に抜擢された若い女性に「人生って素敵ね」という。

 稽古場も古い。ダンサーたちは、無表情で黙々と練習に励んでいた。

 女性ダンサーは西洋人の特徴ということもあるのか、ほとんどが相当な錨型。彼女たちは男性かと思うくらいに骨張っていて筋肉質で、二の腕も脹ら脛も筋肉隆々。浮き出た骨と盛り上がった筋肉のため、たおやかな人体というよりは、昔理科室で見た人体を構造面からデフォルメした模型のようにすら見える。彼女たちはノーメイクに見えた。

 それが舞台に上がると、くっきりとしたメイクに劇的な表情、衣装とライトの効果、しなやかな身のこなし、流れるような動き……目が覚めるような女性美の表現者となる。

 ダンサーの定年は42歳、年金受給は40歳からだそうだ。団員たちとのミーティングで、経営責任者のように見える男性が、改正になった特別年金受給制度について説明し、またダンサーの引退後の地位について労働省と交渉中だといっていた。

 パリ・オペラ座は、ルイ14世が創り上げた世界最古のバレエ団だという。フランスという国家がパリ・オペラ座の運営には関与しているようだ。

 ダンサーは、修道女の我慢強さとボクサーの強靱さを兼ね備えなくてはならないそうだ。

 華やかな芸術の舞台裏というものは、総じて地味で淡々としたものなのだなあ……と改めて考えさせられたのは新鮮だった。ただ、映画の作りまでもが地味で淡々としすぎていた嫌いもあった。

ネット検索・閲覧したところでは、パリ・オペラ座の154名の選ばれたダンサーとそれを支える1500人のスタッフは国家公務員なんだそうだ。パリ・オペラ座の舞台裏がどこかしら旧ソ連を連想させたのも、地味だったのも、その割には安定感が感じられたのも、そうした制度と無関係ではないだろう。
 これは改めて、フランスの芸術と国家の関係について調べてみる必要がありそうだ。民間の恣意的な展開にしては、フランスの芸術の純度の高さとその維持が不思議で、ずっと何となく疑問に思っていたのだ。とんまなことにようやく、その秘密の一端に触れえたわけか!

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何とか…

 どんなときに吐き気が起きるのかが、わからない。一定しない。

 胃が過敏になっているのだろう。吐き気から解放されているときは、ホッとする。

 夕飯にうどんを食べた後、気持ち悪くなり、時間が経ってもカラ吐き気が止まらず、救急外来に行くことまで考えたが、その後何もしなかったのに鎮静化した。

 連休中に、おかしくなった胃腸の調子を取り戻さなくては。連休後に子供たちと別府旅行(隣の市に行くだけなのだが)の予定なので、それまでには。

 まあまだ日数はある。

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