« Notes:不思議な接着剤 #49/バラバラでなかった歓び/『レンヌ・ル・シャトーの謎』を読む #3 | トップページ | ただいま、模様替え中 »

2010年4月 1日 (木)

Notes:不思議な接着剤 #50/マグダラのマリアに育てられた男の子

Notes:不思議な接着剤は、執筆中の自作の児童文学作品『不思議な接着剤』のための創作ノート。

#50
2010/4/1(Thu) マグダラのマリアに育てられた男の子/『黄金伝説』を読む #1  

ヤコブス・デ・ウォラギネ
平凡社
発売日:2006-05-10

 
 今日中に図書館に返してしまいたいので(ヨセフスの『ユダヤ戦記』『ユダヤ古代誌』を借りるために)、中世に著わされた聖人伝説集『黄金伝説』にマグダラのマリアがどう描かれたか、メモしておきたい。

 以下はヤコブス・デ・ウォラギネ『平凡社ライブラリー 578 黄金伝説 2』(前田敬作・山口裕訳、平凡社、2006年)の著者紹介から。

ヤコブス・デ・ウォラギネ(1230頃―98)

ジェノヴァ近郊ヴァラッツェの生まれ。
ドミニコ会士。ロンバルディア管区長を経て、ジェノヴァ市第8代大司教(1292―98)。
神話文学としての聖人伝説は、カイサリアの司教エウセビオスの『教会史』(4世紀)を嚆矢とするが、多くの聖人伝作者の手によって、さまざまな異教伝承や土俗信仰を摂取しつつ、福者ヤコブス・デ・ウォラギネが集成した『黄金伝説』においてみごとに結実する。
中世において聖書とならび、もっともひろく読まれた書物として、キリスト教的ヨーロッパの教化に役立ち、造形芸術のもっとも重要な霊感の泉となった。
書名の〈黄金〉は同時代人が冠した美称。
他に『ジェノヴァ市年代記』(1297)、『説教集』、『マリア論』などが知られる。

 以下は、前掲の書「九一 マグダラの聖女マリア」から。

マリア(Maria)とは、〈苦い海〉を意味する。あるいは〈明るく照らすひと〉または〈明るく照らされたひと)という意味である。これによって、マリアが選んだ最良のものが三つあったことがわかる。すなわち、悔悛あるいは痛悔、内面の観想、天国の栄光の三つがそれである。

 マリアが選んだ最良のもの――つまり、マリア特有の性格として挙げられた第一のものは、人口に膾炙したマグダラのマリア像――彼女は娼婦であったとされている――の反映といってよい。注目すべきは、第二の《内面の観想》だろう。

 この《内面の観想》については、訳注がある。以下。
マグダラのマリアは、中世初期には観想生活の象徴とされた。『ルカ』10の39以下の記述から内省的観想的な性格と考えられたのであろう。悔悛者の模範と見なされるようになったのは、中世後期のことである。
 これは驚くべきことである。瞑想者としてのマリア像が、娼婦像としてのマリア像に先んじているのだから。ここで、『マリアによる福音書』を思い出しておきたい。マリアがイエスの教えを語る場面で、彼女は次のように話し出す。以下は、岩波書店版『ナグ・ハマディ文書Ⅱ 福音書』)からの抜粋。
「私は一つの幻のうちに主を見ました。そして私は彼に言いました。『主よ、あなたを今日、一つの幻のうちに見ました。彼は答えて私に言われました。『あなたは祝されたものだ、わたしを見ていても、動じないから。というのは叡知のあるその場所に宝があるのである。
 私は彼に言いました、『主よ、幻を見る人がそれを見ているのは、心魂〈か〉霊(か、どちらを)〈通して〉なのですか』。
 救い主は答えて言われました、『彼が見るのは、心魂を通してでもなければ、霊を通してでもなく、それら二つの真ん中に〔ある〕叡智、幻を見る〔もの〕はそ(の叡知)であり、そ(の叡知)こそが……
 残念ながら、このマリアの会話には欠損が見られるのだが、マリアはここで瞑想の技法を語っているといってよい。後にパウロがイエス体験を、あなた任せ的、盲目的……神秘主義的にいってしまえば、霊媒的にしたのと比較すると、対照的である。

 ブラヴァツキーは人間の本質を七本質に分類する。アストラル体(肉体の原型。プラーナの媒体)、プラーナ(気。生命原理)、カーマ(欲望)、低級マナス(カーマ・マナス。低級自我)、高級マナス(ブッディ・マナス。高級自我)、ブッディ(霊的魂)、オーリック・エッグ。

 マリアの話のなかで、イエスのいう叡知というのは、高級マナスのことではないかと思われる。

 ブラヴァツキーによると、カーマすなわち欲望を全て殺し、これを上向きの清浄な欲求に置きかえることができたら、七重の構成体が変容し、高級三つ組は浄化した低級マナスを受け入れて高級四つ組になるという。死すべき四つ組はカーマが消えるため、低級三つ組となる。これが解脱した人の様子だという。

 ブラヴァツキーは、高級本質で思考を行う人達は少数派といっているが、マリアは、高級本質で観想することの重要さを(おそらくは生前の)イエスから教わったのだろう。そして、マリアという女性は、教わる以前にそれを自ら行いうる優れた弟子だった。マリアの話から推測すると、生前のイエスはマリアに瞑想の指導を行っていたと考えられる。

 ナグ・ハマディ文書が伝えるマリアのこうした志向性は、『黄金伝説』が伝える30年間の隠遁生活(場所は訳註によると、マルセイユ近郊にあるサント=ボームの洞窟)と響き合うものがあるだけでなく、中世初期には、彼女は観想生活の象徴とされていたというのだ。

 それが中世後期には、娼婦の悔悛に置き換えられてしまった。教会の操作が背景にあると考えられるが、訳注1によると、教父たちの聖書解釈が原因らしい。
教父たちの聖書解釈によって『ルカ』7の37以下の〈罪の女〉およびベタニアのマリアと同一視されるようになったためと考えられる。この間違った同一視は、伝説化の恰好の温床となり、10世紀イタリアでエジプトのマリアの伝説から借用した新しい伝承が成立、それがフランスに入り、12世紀プロヴァンス地方で痛悔(あるいは贖罪)する隠修女としての伝説が完成した。本章の物語は、上の同一視にこのプロヴァンスの伝説を結合したものである。〔略〕なお、このような伝説化は、西欧でのみおこなわれ、東方では、早くからイエスに随伴した婦人たちのひとりとして知られているだけである。
 マグダラのマリアは、〈罪の女〉、ベタニアのマリア、エジプトのマリアと一緒くたにされてしまったようだ。

 次に、マグダラのマリアの出自に関するものを『黄金伝説』から抜粋しておきたい。
 マグダラのマリアは、〈マグダラ城〉とあだ名されていた。門地は、たいへんよかった。王族の出だったのである。父の名はシュロス、母はエウカリアといった。弟のラザロ、姉のマルタとともに、ゲネサレト湖から2マイルのところにあるマグダラ城とイェルサレム近郊のベタニア村と、さらにイェルサレム市に大きな地所を所有していた。しかし、全財産を3人で分けたので、マリアはマグダラを所有して、地名が名前ともなり、ラザロはイェルサレムを、マルタはベタニアを所有することになった。 
 マグダラのマリアは王族の出で、マグダラの領主だったという。彼女が、イエスの死後14年目に南フランスに船で漂着した経緯について、以下に抜粋。
 われらの主がご昇天になり、ステパノがユダヤ教徒たちの石打ちによって殉教し、ほかの弟子たちがユダヤの地から追われたあと、主のご受難からかぞえて14年目、弟子たちは、さまざまな国に出かけていって、神の言葉を宣べ伝えていた。そのころ、主の72人の弟子たちのひとりの聖マクシミヌスは、使徒たちと行動をともにしていた。聖ペテロは、マグダラのマリアをこのマクシミヌスの手にゆだねた。ところで、弟子たちがちりぢりになったので、外道のやからは、聖マクシミヌス、マグダラのマリア、弟のラザロ、姉のマルタとその忠実な仕え女マルテイラ、生まれながら見えなかった眼を主に治してもらった聖ケドニウス、そのほか多くのキリスト信徒たちをいっしょに船に乗せ、海上につれだして、舵をとりあげ、ひとりのこらず海の藻くずにしようとした。しかし、神の思召しのおかげで、船は、マッシリア(マルセイユ)に漂着した。
 ペテロがマグダラのマリアをマクシミヌスの手にゆだねた、とはどういうことだろう?  どうも、ペテロとパウロのすることには疑わしい言動が多い。訳注には、マクシミヌスと聖ケドニウスの名前は聖書にはないとあった。

 また、『黄金伝説』で、長々と描かれるマリアとマルセイユの領主夫妻との間に起きる珍妙な出来事は、一体何だろう?

 マグダラのマリアは領主夫妻に子宝をさずけたばかりか、岩の島で死ぬ運命だった子供――男の子だ――はマグダラのマリアに救われ、育てられる。二年間もである。一方では、マリアはマルセイユで説教するなど、宣教にも忙しかったようだが……。

 マリアたちが漂着してすぐに子宝の話が始まるおかしさに加えて、一層おかしなことには、不自然なペテロの介入があるのだ。受け身の描かれかたではあるのだが、怪しい。

 順序立てて紹介すると、偽神に子宝をさずかる願をかけようとしたマルセイユの領主は、マリアにとめられ、キリスト教の信仰を説かれた。領主は、マリアの信仰が真実であるか確かめたいといい出し、マリアはそれに対して、聖ペテロに会うようにと促す。領主は、マリアに男の子をさずけてくれたならそうするという。夫人はみごもる。

 ペテロに会いに行くという領主に、身重の夫人は無理について行く。マリアはお守りの十字架をふたりの肩に縫いつける。一昼夜航海したとき、嵐に遭い、夫人は船の中で男児を産み落とした後で死ぬ。困った領主は、母の乳房を求めて泣く赤ん坊と亡骸を岩礁に置き去りにする。

 ローマのペテロに会いにいった領主は、2年間をペテロと共に過ごす。帰途、赤ん坊と亡骸を置いた岩の島に寄ると、赤ん坊は愛くるしく育っていて、領主が妻のことをマグダラのマリアに祈るうちに、妻はまるで『眠れる森の美女』のように目を開ける。

 この子宝物語は、マグダラのマリアの章のうちの1/3を占める。マリアたちが宣教するにあたって、領主の許可は必要だろうが、これはどう考えても不自然な話ではあるまいか。わたしは思わず、神功皇后の話を連想してしまったくらいだった。

 こんな伝承も、イエスとマグダラのマリアの間に子供があったのではないかという憶測を呼ぶのだろう。万一そうであったとしたら、マリアたちが何者かによって海に流されたのは、イエスの死後、間もない時期であったということになる。

 そして、マリアたちの乗った船は嵐に遭い、イエスの子供をみごもっていたマリアは船のなかで出産した。こう想像していくと、嫌でも、『レンヌ=ル=シャトーの謎』の著者たちがとり組んでいたイエスの血脈というテーマが思い出される。

 イエスの一番弟子を自任していたペテロ。一方、グノーシス文書が伝えるマグダラのマリアは、イエスの一番弟子として愛されていた。

 著者たちが推理したように、もしイエスが宗教の改革者としての側面だけでなく、王位継承権を持つ人物であったとしたら、どうだろう? マリアがイエスの子供をみごもっていたとしたら?

 マリアが30年間も洞窟に隠棲したというのも、いささか不自然な話ではある。修行しながら宣教する道もあったはずだ。しかし、隠棲せざるをえなかったのだとしたら? 

 つまり、流刑のような目に遭い、幽閉されていたのだとしたら? マリアが彼女の側にいたと想われる人々と海に流されたのは、まさにイエスの子供をみごもっていたからだとしたら? また、マリアが娼婦とされたのは、彼女のおなかの子をイエスの子と認めたくない者たちの喧伝によるものだとしたら? 

 『マリアによる福音書』におけるペテロとマリアの対立から見ても、イエスの死後、マリアは敵に等しい弟子仲間と行動を共にしていた。

 仮に、マリアがイエスの子供をみごもり、そう主張したとしても、それを証明することはできなかっただろう。

 マリアが冒涜者であり、風紀を乱すとんでもない女とされて、海に流されるということがあったとしても、おかしくはない。

 いずれにしても、『黄金伝説』に描かれたマグダラのマリア伝説には、何かが隠されている気がする。わたしは童話を書くに当たって、洞窟に幽閉された乙女の姿が浮かんで仕方がなかった。そこから、こんな読書の森に迷い込むことになろうとは、想像もしなかった。

 誰の子であれ、わたしには岩の島で育てられた男の子が忘れられなくなってしまった。ウォラギネの描写力のせいかもしれないが……。

|

« Notes:不思議な接着剤 #49/バラバラでなかった歓び/『レンヌ・ル・シャトーの謎』を読む #3 | トップページ | ただいま、模様替え中 »

Notes:グノーシス・原始キリスト教・異端カタリ派」カテゴリの記事

Notes:不思議な接着剤」カテゴリの記事

メモ帳Ⅰ」カテゴリの記事

文化・芸術」カテゴリの記事

書籍・雑誌」カテゴリの記事