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2010年3月13日 (土)

Notes:不思議な接着剤 #44/南仏におけるマグダラのマリア伝説 #2

Notes:不思議な接着剤は、執筆中の自作の児童文学作品『不思議な接着剤』のための創作ノート。

#44
2010/3/13(Sat) 『マリヤによる福音書』に関する私的考察 #4/南仏におけるマグダラのマリア伝説 #2

 昨日、田辺保先生の『フランスにやって来たキリストの弟子たち――「レゲンデ」をはぐくんだ中世民衆の心性』(教文館、2002年)が届いた。

 深夜、その本を読んでいたのだが、そこに紹介されている南フランスに残るマグダラのマリア伝説があまりに具体的、かつ詳細なのには、呆れてしまった。

 これが伝説だって?

 カトリック教会による弾圧を畏れて、伝説にしてしまうより他に仕方がなかったのではあるまいか。

 『ダ・ヴィンチ・コード』 を連想させる記述もあるが、田辺先生の格調高い筆致で紹介されると、別物の趣がある。

 ヴィラギネのヤコブス〔1228―98〕による聖人伝説集『黄金伝説』からの引用を含む多彩な文献をさりげなく織り込んで、《伝説》が重層的に解説されていく。

 それによると、イエスの死から14年目に、マグダラのマリアを含む弟子たち10人以上の人数が、小舟に押し込まれ、海に流された。途中、嵐に遭いながらも、マルセイユの港に着いた。

 プロヴァンスには、サント=マリー=ド=ラ=メールの地に着いたという《レゲンデ》が語り伝えられた。

 弟子たちは、精力的に伝道に勤しんだらしい。

 マグダラとは、その出身地だそうで、マグダラはガリラヤ湖畔にあり、多くの民族が混じって住む漁業と産業の一大中心地であったとか。以下は、前掲の田辺先生の本からの抜粋。

『黄金伝説』は、ラザロたち三兄妹は、パレスチナ北部のガリラヤ湖畔にあるマグダラにも、ずっと南のエルサレム近くのベタニアにも、エルサレム近辺にも、広い土地を持っていて、エルサレムはラザロ、ベタニアはマルタ、そしてマグダラはマリアが相続していたとあります。ラザロは軍人として家を離れていることが多く、もっぱら家政の管理は、姉マルタが引き受け、マリアは自分にあてがわれたマグダラで、欲望のまま、自由奔放な生活にふけっていたのでした。けれども、イエス・キリストに出会ってからのマリアは、こんどはひたすら信仰にうちこみ、師のあとを慕ってついてまわり、さいごまでイエスに忠実に仕える態度をくずしませんでした。

 本では、『ダ・ヴィンチ・コード』でも出て来たようなレンヌ=ル=シャトーをめぐる伝説も紹介されている。

実は、マグダラは、イエスの妻であって、二人の間には少なくともひとり以上の子どもがあったといわれます。南フランスのユダヤ人共同体にまぎれこんでマグダラは子どもを育て上げ、その子孫が5世紀には、北方から進出してきたフランクの王族のある者と結ばれて、メロヴィング王朝(フランス最初の王朝)を創始したのだそうです。

 ところで、わたしの注意を惹いたのは、謎の財宝が隠されていた場所とされるレンヌ=ルー=シャトーというのは、フランス南西部ラングドッグにある丘の上の小村という箇所だ。

 ラングドッグ! ラングドッグといえば、そう、あの異端カタリ派が栄えたところではないか。

 レンヌ=ルー=シャトーをめぐる伝説では、この村は、マグダラのマリアがフランスに上陸後、移り住んだところという。

 伝説にせよ、歴史的事実にせよ、異端カタリ派とマグダラのマリアがつながった!

 マグダラのマリアは後半生をプロヴァンスの一角、サント=ボームの洞窟に完全に隠遁して過ごしたという。『黄金伝説』では、瞑想のためだったとあるそうだが、キリスト者田辺先生の解釈では、「愛になる」とはどういうことかを考えつめていたのではないかとある。

 しかし、マグダラのマリアの行動は、愛を観想していたにしては、「ときにからだを鞭うち、断食をして、自分を苦しめていた」「食事については、山にはえる草や木の根を集めて生のまま食べていた」とあって、いささか過激であり、むしろその姿は東洋の行者を連想させる。

 そして、その姿は、グノーシス主義の福音書文書中の白眉『マリアによる福音書』の中で、マリアがイエスから教わった秘伝的箇所を連想させるに余りあるではないか。

 わたしは当ブログでも公開している手記『枕許からのレポート』で書いたが、昔、重体の母の傍で、我知らず行者になりかけたことがあった。

 自分を追い詰める苦しさの果てに体験した神秘的な悦びから、ヨガなどの東洋思想に関心が向いた。

 その後オーラが見えたり、テレパシー的能力が身に付いたりもしたが(前世において獲得していた能力を思い出した、といったほうがよいかもしれない)、神智学によって、普通の人としての淡々とした暮らしの中でこそ、一番安全な霊的な道を辿れると学び、それからは行的なことは(前世の習慣として身に付いていた瞑想すら)していない。

 ただ、わたしは自身の乏しいながらも前世と今生の体験を通じ、洞窟でのマリアが『マリアによる福音書』に書かれていたような教えに従って隠遁していたとしたら、どんなことをしていたかの想像はつくのだ。

 それにしても、伝説のマグダラのマリアが後半生を洞窟に籠もって過ごしたとは! わたしの童話『不思議な接着剤』に出て来る、洞窟のマリーのイメージがようやく具体的な像を結んだ。

 ちなみに、伝説によると、「マグダラのマリアが、カマルグのサント=マリーに到着したのは、紀元45年、サント=ボームで亡くなったのは、75年2月」だそうだ。本当に、何て具体的な伝説なのだろう。

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