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2010年3月19日 (金)

OさんのことでFさんにお電話。詩人と呼ぶ女友達にお電話。

 昨夜、大学の文芸部時代の先輩で、わたしが詩人と呼ぶ女友達にお電話した。

 彼女にはこのブログのことは知らせていないし、このところ記事で触れた男性の先輩のことも何も話していない。

 だから、打ち明け話をするつもりでお電話したのではなかった。彼女の声が聴きたかっただけだった。

 ドクターを替えるという彼女の断行は、よい状態をつくり出しているようだった。今度のドクターとは相性もよく、1回に8錠飲んでいた薬を徐々に減らして貰うことができ、ついに半分の4錠になったそうだ。

 殊に眠剤の減ったのが、嬉しいという。一日中眠かったのが改善されて、頭もすっきりとなったそうだ。作業所にも毎日通っていて、楽しいという。本当に、声も明るかった。

 民話風の童話を1編と、名犬ラッシー風のやはり童話を1編書いたそうで、送ってくれるそうだ。

「Nさんの童話は?」と彼女は静かに、窺うように訊いてきた。「まだ時間がかかると思いますが、できたら送りますね」とわたしはいった。

 彼女にお電話するたび、清涼な風が吹き込む心地がする。彼女の詩はこちら。
  ⇒http://elder.tea-nifty.com/blog/cat20484287/index.html

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 昨日の夕方、FさんにOさんのことでお電話をした。電話に出たFさんから、ふわっとした温かなものが伝わってきて、わたしはうっかり涙をこぼしそうになった。

 Oさんとは合わないところがあるので、Fさんの口から、そのように伝えていただけないかといった。

 OさんはFさんの文章教室の生徒さんというだけではなく、親しいつき合いもあるようなので、伝言を頼みやすかったが、また、そのことでわたしは、Fさんとのつながりもなくすことになるかもしれないと思った。

 わたしはFさんにお話しした。

 最初から、Oさんには危ないものを感じたので、作品をポストに入れに来ると彼がいったときに(郵送してほしいといったのに、彼はそうしてくれなかった)、夫に会わせたこと。そして、不倫めいたことをするつもりはないということを宣言したところから、文学づきあいがスタートしたこと。

 彼には素質があると思ったし、彼の誘惑的なところに不安を覚えながらも、わたしも一方ではいくらか面白がっていた。が、最後に電話したときに(わたしの考えすぎかもしれないが)はっきりと身の危険を覚えたといった。

 彼の口ぶりからすると、わたしに対してそうだというだけではなさそうで、彼には女性を誘惑する癖があり、文章教室の女性たちにもちょっかいを出している可能性があるので、荒らされたくなければ警戒する必要があると思うといった。

 わたしの打ち明け話に対して、Fさんは「おお……」と「ああ……」の間にあるような、言葉にならない曖昧な小さな声を発し、自分は何も知らなかったが、実は彼がちょこちょこ何かやっとるんじゃないかという懸念は覚えていたといった。

 そのような感じをFさんから受けることがあったので、話やすいということがあったのだが、もしかしたら、OさんはFさんにわたしのことを面白おかしく話しているのではないかと想像したりもしていた。わたしの話が出なかったと知り、逆にぞっとした。

 彼の誘惑的な言葉は、社交辞令の延長としての装飾的なもの、遊戯的なものだとわたしは思い、Fさん、Oさん、高齢のOさんと集いを持った時点までは、Oさんのことを面白がったり、からかったりする余裕があった。

 交際に、文学的な色合いが強まるにつれ、Oさんのそうした悪い癖(とわたしはみなしていた)は出なくなると楽観していたのだった。むしろこの頃までは、男女間の性・結婚・不倫といった普通の男性とは話せない問題に言及できる異性の得がたい友人ができたように勘違いしていた。

 彼には離婚・再婚歴があるだけでなく、現役の女性通であるらしかったが、わたしにはそうした女性達とは別の意識で接してくれると自惚れてもいたような気がする。

 それに、夫と同じ年齢でわたしより7歳も上とは思えない若さがあり、弟とか、どうかすれば子供のように幼く見える不思議なところがあった。子供の頃からのことをあれこれ打ち明けられて、わたしが母性愛を刺激されていたことは確かだった。

 小さな賞をとったり、文学を通じた仲間にも囲まれ、彼も気分がよかったのだろうと思う。しかし、次第に賞というものはとれなくなりがちなのだ。Oさんもそうで、それは確率から考えると、むしろとれないほうが自然なのだった。

 わたしは賞狙いということ自体に批判的でありながらも、初心者が賞を励みにするのは当然といえば当然なのだから、彼を励ますように努めたいと思うようになった。

 その延長線上での最後の電話だった。最後と決めたのはわたしのほうで、彼はそのつもりではなかっただろうと思う。

 彼にとっては、刺激に乏しい、退屈な文学の精進に関する話題。学校の先生から指導を受ける少年のような立場。わたしのほうでは、文学に関心があるはずの彼との共通の話題が次第に見出せなくなる奇妙さを感じていた。

 読書量に乏しいようなのだ。

 しっかりとした文章が書け、人物の描写力もあるのだが、小説というものの骨組みが飲み込めていないほど、本を読んでいない。逆にいえば、彼はあまり本を読まないのに、小説らしきものが書ける、勘のよい人なのだろうと思った。文章がしっかりしているのは、経済ライターが父親代わりだったこと、小出版社を経営したことがあること、またFさんの文章教室のお蔭もあるのかもしれない。

 しかし、この最後の電話でわかったことは、彼は勉強めいたことが好きでないことだった。文学は、それを志す人間にとってはまるごとお勉強なのだが。わたしはノートを作ることを勧めたが、彼はあまり聞いていないようだった。

 わたしの病気も、わたしの毎日の文学的な営みも、彼にとっては会う障害と感じられるだけで、文学の忠告もうるさく感じられ出したのだろう、これまでにない粗野な感じがして、何か露骨だったため、わたしはいつものように応じながらも怯えていた。

 彼の本当の目的は文学などではない、とはっきりと感じた。「手間かけさせやがって! さっと出てきて寝ろ」とでもいわれているような、荒んだ、危険なものを感じた。

 考えてみれば、彼は夫と会っているのだ。そして、わたしが病気であることも知っている。それだけでも、普通はその気が失せたり、遠慮したりするのではないだろうか。彼とおかしなことになって、夫にそれがバレたとき、わたしに何も起こらないとでも思っているのだろうか。そんなことは考えもしないのか。

 文学をだしにして、女(男)にちょっかいを出す危険な男(女)が、世の中にはいるのだ。わたしは肝に銘じなければならない。彼はわたしの作品の一部を丹念に読んでいた。弱みを握るつもりもあったのかもしれないと思えば、いさささか悲しくなる。 

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